【神話が考える】福嶋亮大【気鋭の批評家】

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210吾輩は名無しである
「文学は終わった」とか、「終わりの言説」を再生産している野郎はさ、
「文学が終わったのではなく、むしろ自分が終わっていることを自覚すべき」だよな
「自分ひとりで終わる」のがさみしいから
「文学を道連れにする」という自己中心主義の陳腐さに気付よな
そういう連中のために、「セカイ系」という蔑称があるんだぜ?