前スレが荒れてきちゃってたから
おちんちん
5 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 05:14:49
このスレはコピペ禁止にしよう。
6 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 05:26:10
絹と明察を再読したけど、
円熟した人間描写が光る読み応えある大人の小説だね。
もっと評価されるべき。
あまり言及されない「宴のあと」も、引き込まれる人物描写で面白い。
9 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 12:28:18
絹と明察と宴のあとは対になる作品。
ヒトラーとサドと同じように、男と女の話として。
10 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 17:46:24
紀子さんと威一郎さんはどんな道を歩まれたの?
>>前スレ978
唯物論をぜんぜん知らない低能オーバーヒートネットストーカー自演魔のマテリアリスト(o`.´o)さんといったらないですよ。
私に論破され「降参です。大東亜戦争の唯物論的イデオロギー革命についてご教授願います」と懇願したあげく、
私が理路整然と説明すればそれをパクッて、さもはじめから知っていたかのように振る舞う厚かましさはどうですか。
盗人猛々しいとはこのことですよね。このIDストーカーは狸さんの文体もパクッているパクリ魔です。
それが
>>976「未央子の荒れは完全な盗作で症ね〜(笑) 誤字と(笑)の多用でパクリとはねぇ〜(笑) 」なぞと、
ストーカーのパクリ魔が人の事を盗人呼ばわりという、餓鬼道の亡者による妄言としか思えない発言をする始末です。
しかも、唯物論者を名のるくせに哲学的ゾンビという、唯物論にたいする有名な反論も知らないらしい。
そして哲学的ゾンビを私が論破すれば、低能オーバーヒートストーカー(o`.´o)さんは、古本屋で万引きした小さな国語辞書を引いて、
国語辞書に「唯物論の対義語は唯識論」とでも見つけたのか、哲学的ゾンビを「それは唯識論でしょう」などと、
愚にもつかない勘違いをおこして、恥の上塗りをするのです。恥ずかしくて見てられませんね!
唯識論とは自分の八識からなる心的作用しか頼れるものはないとする大乗仏教由来のの東洋思想で、
哲学的ゾンビはオーストラリアのデビット・チャーマーズが提案したクオリアについての思考実験であり、両者はまったく違います。
西洋哲学と東洋哲学の区別すらつかずに「戦争はゾンビが尾個こ士たので笑止ねえ〜(笑)」なぞと狸さんと私のパクリをして
開き直るのが精一杯なんですね。こうして、またしても低能オーバーヒートストーカー(o`.´o)さんは私に論破されたのです。
>>10 紀子さんは外交官と結婚して、威一郎さんは銀座で母親と宝石店をやってたらしいです。
現在は何の仕事かは不明ですが、「三島由紀夫映画論集成」の編集や「春の雪」の映画スタッフに加わってたようです。
13 :
吾輩は名無しである:2010/12/03(金) 08:47:53
>>12 ありがとうございます
威一郎さんは独身なのかな
>>13 どうなんだろうね。
村松英子は現在も彼を「いっちゃん」と呼んで親交があるようですが、そのへんのことは書いてませんね。
15 :
吾輩は名無しである:2010/12/03(金) 15:11:07
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とき…12月7日(日) 13:00〜14:30まで
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17 :
吾輩は名無しである:2010/12/04(土) 23:08:31
三島お気に入りの伊豆のマドレーヌって食べたいな。
ネットで買えないかな。
18 :
吾輩は名無しである:2010/12/04(土) 23:57:38
レモンケーキおいしそう。
これは誓って柄谷の受け売りではないと、
最初に断った上で言うのだが、三島は基本的に
劇作家であり、小説は一作も書いていないのでは
ないか?
コヤノの受け売りになるが、小説は思想を表現するためのもの
ではないのだ。
>>20 書いてます。人の受け売りでなく自分自身で読みましょう。
小谷野(笑)
マーガリン、ショートニング(トランス脂肪)代用だったら買いたくない。
バターのあの芳香があってこそマドレーヌなのにね。
バターなしでそんなにおいしく作れるものなんでしょうかね。
和菓子っぽいのかもね。
27 :
吾輩は名無しである:2010/12/05(日) 23:59:14
chromeでみると日新堂のサイトが文字化けするな。
おれだけかな。
28 :
吾輩は名無しである:2010/12/06(月) 00:04:00
まあ、こと味覚に関しては三島は必ずしも信用ならないからな。
自分でもいっているが。子どもの味覚のままだったかも。
林房雄に、諦めないで本当の美味いものを食い続ければいずれそれでなくてはならなくなるって励まされたって。
子供の味覚なら、尚更バター風味を求めると思うけどね。
鳩山の親と三島がお互いの名前を、子供に付けたというのは作り話らしいです。
二十歳越えて太宰治とか三島由紀夫に傾倒していたら
精神的に大人になれなかったってことだ
逆に十代には難解な内容ですけどね。
>>31 そうやってムキになってる人の方が大人気ない。
校訂みると「女神」の初出では、周伍(朝子の父)が拳銃で俊二を殺してしまうストーリーになってますね。
これはこれで面白いのに何故削ったのかな。
35 :
吾輩は名無しである:2010/12/07(火) 13:11:41
自称大人なひとは、司馬遼太郎や吉川英治の歴史小説を読むんでしょ。
ちっともうらやましくないけどな。
36 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/12/07(火) 13:15:52
おいチワワ。お前は相変わらず内容のないレスしかかけんな。
三島はともかく太宰はまさに10代のための小説だと思います。
太宰に傾倒するのはほとんどが10代のうちでしょう。
30過ぎて改めて読み直すと10代の頃とは違った味わいがあるんですが。
三島は作品によりますね。
中学生でも自分なりに理解することはできるだろうし。
太宰と違って傾倒というより、なんかすごいな、と圧倒されるような感じかもしれませんね。
38 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/12/07(火) 13:52:18
十代には難解だろうか。チワワは大人になってから三島に嵌まったクチだろう。だから三島肯定がすさまじい訳だが。
三島が上げる古典とかは三島経由で最小限しか読まず、自分の糧にしていないところなどから、大人になってファンになった人間だと分かる。
かぶれるのは十代で済ましておくべきだ。読書量を誇れない俺でも主要作の半分ぐらいは若い内に読んだ。太宰も芥川も十代でだ。
大人気ない威張る糞コテ
40 :
吾輩は名無しである:2010/12/07(火) 15:28:52
コピペやくだらん文学論争は別のスレでやってほしい。
もっと作品本位で語り合うほうがいい。
42 :
吾輩は名無しである:2010/12/07(火) 17:41:56
珍太郎迷走中
・都内のPTA団体などが3日、都青少年健全育成条例改正案の成立を求める要望書を都に提出した。
石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は
野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。
要望したのは、都小学校PTA協議会(都小P、加盟248校)▽都私立中学校高等学校父母の会
中央連合会(同246校)など5団体。都小Pの新谷珠恵会長が「児童を性的対象にすることが
野放し状態。子供を健やかに育てるため、社会の力を借りないと環境整備できない」と説明した。
一方、学者や評論家らは改正案への反対を訴えて都庁で記者会見した。藤本由香里明治大准教授は
「時代物やSF漫画のキャラクターにも現代日本の刑罰を適用するのか。現実とフィクションを区別しない
危険な発想だ」と強調した。
児童文学者の山中恒さんは「日本の官僚は拡大解釈にたけている」と危惧した。
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20101204ddlk13010267000c.html
43 :
吾輩は名無しである:2010/12/07(火) 18:28:09
>>41 やれ、ではなく、やってほしくないことを書いたのです。とりあえず。
そういう喧嘩腰もごめんですな。
>>43 そういうあなたのような仕切り荒らしが一番迷惑です。
>>43 他人にああだこうだ注文つける前に、有言実行で作品本位でお願いします。
マドレーヌのお店の方が書いた「三島由紀夫の来た夏」、評判いいですね。
47 :
吾輩は名無しである:2010/12/07(火) 21:54:10
>>44>>45 あなたち専用のスレでやってくださいってだけ。
コピペとくだらん罵り合いは。
>>47 コピペもないうちからガクプル怯えてくだらない罵りするのはやめましょう。
>>47 校訂みると「女神」の初出では、周伍(朝子の父)が拳銃で俊二を殺してしまうストーリーになってますね。
これはこれで面白いのに何故削ったのかな?
話は違うが歌舞伎の市川海老蔵の記者会見をテレビ見ててなんとなく
楯の会の制服をイメージして合わせてしまった。
彼はそれほど三島に似てるとは言えないが、ただなんとなく想像してしまった。
また歌舞伎という伝統的な家に生まれてもいまやあのような不祥事を
起してしまうような伝統芸能という「品格」の危機は、相撲も含めて
日本が自身の文化に対する社会的地位と言うのを失ってしまったという
現状があると、どこかそんな風に感じるのです。
そしてその元凶は言うまでも無く、戦後のアメリカと言う非伝統自由主義文化
という理念に基づく帝国主義による植民地化である訳です。
アメリカ占領軍の目的は日本の文化を形骸化して活気や毒気をなくすことだったんだよ。
相撲力士や歌舞伎役者に喧嘩一つしない清潔を求めるのもおかしなことだと思う。
三島が「日本の文化をしめ殺すのは、石鹸でよく洗った手だ」と言ってたように。
石原慎太郎が無意識にやろうとしてる規制も、なかばそれに類したもののような気がする。本人にはそのつもりはないんだろうけれどね。
>>54 もちろんそうした事もあると思いますが、伝統やその家がグローバル
資本主義の鍋の上で料理されることで、計画経済が自由化により崩壊
してしまうのとに同じく、従来引き継いできた社会的基盤や権利を失い
伝統社会自体が軽視されると言うのも同時に怖いと思うのです。
柔道がそうであるように、スポーツ化された武術などすでに武術ではなく
「時代」という言い訳によって流され文化の地位と形質は劣化していくのです。
これはある種の文化革命的な作用で、三島由紀夫もその事については
言及されていたと思います。
日本の柔道よりもブラジルのグレーシー柔術のほうがより日本の柔術に
近い武士の精神を持っていたり、焼き物に関しても国内よりも外国に輸出した
貴重品のほうが残っているなど、とにかくいろんなケースに当てはまります。
そしてこの事は天皇にも同じことが言えるわけです。
続きます。
私は昔の日本と言うのは良くは知りませんが、相撲であれ歌舞伎であれ
昔は社会における文化的な厚い地位もあり、ただ現在の伝統に地位が
無いと言う事ではありませんが社会的信頼と言ったものがあったと思います。
裏でケンカ事やヤクザ事をしていながらも昔の彼等には品格があったりした
のではありませんか?(品格と言うよりも、伝統を背負うと言う責任感のようなものが・・・)
野球で言えば、もっと分かりやすいとおもいますが坂東や長嶋や王という様な
当時の社会において国民からどのような目で見られていたのかと思うと、今では
見れない光景であると私は思うのです。
地域というか、ファンと一体となって日本人選手が日本人の国民と共に
厚い信頼と情熱で結ばれるようなことは、自由主義の商売上最近は特に無くなりました。
三島も企業防衛と言われていたと思いますが、企業であれ伝統であれ政治であれ
今の日本のそうした事情とは、金銭やあらゆる都合によりコロコロと変わるような
主権無き文化時代と言うのが到来してるようにおもえますね。
57 :
吾輩は名無しである:2010/12/08(水) 15:53:11
てゆうかそもそも、マトモな神経してりゃあ(自国の)伝統芸能なんて
観ようとは思わないんじゃないか?w 穢らわしくて。
58 :
吾輩は名無しである:2010/12/08(水) 15:54:49
うん。たかだか芸能(でもゲージュツ?でもなんでも)ごときと、
ひととしての原理・原則と。
恥を知れと。
59 :
吾輩は名無しである:2010/12/08(水) 16:06:19
死ね。ひとり残らず死んでしまえ。それなんで? とは思えないやつら。世界に。
馬鹿は嫌いだ。
>>56 昨今は個人主義合理主義が行き過ぎてきたんだろうね。結局それは自らの首をしめるというパラドックスとは知らずに。
62 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/12/08(水) 17:15:01
おい、チワワ。短い台詞で逃げるのは止めろ。
>>56がわざわざ長文で書いているのだから、もう少しまともなこと返答をするべきだw
63 :
吾輩は名無しである:2010/12/08(水) 17:26:30
あくまでも、「生活」だろうよ、守られるべきもの。その日常を。平和こそ。
権威ではなくて。
…が、それがばkryにはwwwwww
何を云えと?w これ以上に。あほらしい
馬鹿共が。
出版予定らしいです。
思想と文学に命を懸けて 三島由紀夫とわたし/ 山崎行太郎
65 :
吾輩は名無しである:2010/12/09(木) 10:51:22
海老蔵と三島さん顔が似てるってわけじゃないけど被りますよね。
三島さんてイケメンて訳じゃないけどかっこいい
男前って感じかな
村田英雄の「闘魂」ってどんな歌なんだろ。
三島由紀夫が好きだったらしく、自決の朝に村田英雄に「紅白歌合戦出場決定おめでとう」電話したほどとか。
>>54 僕は保守思想家としての三島しか知らないんだけど、文士としての三島の考えはまったく違うのでしょうか?
異質な文化と文化の高次元での融合、つまり西洋文明と東洋文明の融合が三島の本質なら
皮肉にも敗戦によって達成されたと思う。
西洋と東洋のどちらにも属さず、ただどこか日本らしい何かを残しながら常に新しい影響を
受けファンタジックに変わり続ける・・・・。
ソレが三島のいう日本と言う国の文化の本質なら、僕は今の日本でも文句は無いですよ。
今の日本は満州国に代わり自由に文化を謳歌し、事実上の東洋のアメリカになりつつある。
もう昔では考えられなかったぐらいに伝統に縛られず新しい日本文化が生まれている。
本当は三島が望んでいたものがそれであると言うなら、自分は保守思想の探求は
あきらめて「伝統が」と言わずに自由に日本文化の営みを理解したいと思うけどね。
あと石原知事は昔のようなモラルや価値を求めてる。
>>70 三島の求めた文化はギリシャやローマ、日本の雅、尚武的な大胆かつ優美な文化であって、
戦後のアメリカ的文化ではないです。
石原慎太郎については私の見方では、彼はアメリカ人的な近代合理主義で、日本の保守じゃないと思う。
>三島の求めた文化はギリシャやローマ、日本の雅、尚武的な大胆かつ優美な文化であって、
>戦後のアメリカ的文化ではないです。
なるほど、それはつまりヨーロッパ的な日本というのを待望していたと?
>石原慎太郎については私の見方では、彼はアメリカ人的な近代合理主義で、日本の保守じゃないと思う。
ちょっとそこの見解はもう少し聞きたい。
僕はちがうのではないかと思うけどね。
まあちょいと合理的な人だろけどむしろ社会主義者に近いと思う。
>>72 あんまり社会主義って感じは受けないね。
大東亜戦争時代の右翼は、アジア主義っぽいような社会主義的側面もあったようですが、そういう流れでもなさそうな感じがします。
三島由紀夫って
「どや顔」の元祖だよね〜
75 :
吾輩は名無しである:2010/12/09(木) 17:56:30
女性にはもてたのかな?
>>75 女性からのファンレターは多かったらしいよ。でも結婚したとたんにパッタリなくなったとそうです。
77 :
吾輩は名無しである:2010/12/09(木) 19:56:57
>>76 そうですか。
奥さん綺麗な人だったんでしょうね。
>>77 写真みると小柄で丸顔の可愛い系の猫顔ね。
猫やハムスター、栗鼠好きの三島らしく「可愛いなあ」目線で小さな花嫁を見てます。
79 :
吾輩は名無しである:2010/12/09(木) 21:02:04
>>78 へえ意外。細面の日本的な美人が好きそうな気がしてた。
可愛い系が好みなのですねw
また遊女の話か…きもいな、アジアンは
尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223)
(2010/10/30)
西尾幹二青木直人
82 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/12/10(金) 00:47:29
チワワの語りはつまらないんだよな。引き出しが広い奴なら、性格の悪くても面白いことをいう。チワワは根が単純で善良なんだろうが、発言はくだらない代物だろ。
ユーミンが三島の市ヶ谷演説を生で見ていたとは初耳だったわ。
>>83 ユーミンが見てたってホントなのかw
意外だな〜。
>>84 ユーミン15歳のとき、将来の夫となる松任谷正隆が市ヶ谷の音楽事務所(風都市)に
給料貰いに行って、事務所のドアを出たときちょうど市ヶ谷バルコニーで演説中の
三島由紀夫が見えたらしい。そのときの光景は鮮明に覚えると語ってます。(元出典:松本隆対談集、ぴあ2005年)
書き足りなかったわ。
>>85に加筆
将来の夫となる松任谷正隆が市ヶ谷の音楽事務所(風都市)に
給料貰いに行くのをたまたま一緒について行って、〜
でした。
森田青年は実に明るい笑顔を持った、礼儀正しい好青年で、寡黙ではあったが、内に秘めた何物かが、澄んだ
彼の瞳から輝き出ていた。初対面の時、彼と何を話したのかは覚えてないが彼の無邪気で、しかも落着いた物腰、
時折り真白い歯をみせて人なつっこく笑った顔のすがすがしさが印象に残っている。
当時、日学同は出来たばかりの頃で、学生運動といっても、二、三人を除いて、皆んな不馴れな活動家達だった。
(中略)パーティーでは、学生達から主に私の著作への質問があり、明治維新のことなどを話し合った。
森田青年は、真剣な眼つきで、聞き耳を立てていた。(中略)
それから、左翼の学生運動が急激に活発になり、それと並行して民族派の学生運動も次第に成長していった。
この期間、日学同も急速に発展したので、彼らは忙しかったのだろう、しばらく森田君の顔を見なかった。
次に会ったのは、私の記憶が正しければ、翌四十三年五月の連休に、日学同が主催した理論合宿の席だった。
(中略)話題は政治と文学、核、憲法問題から、ナショナリズム論へと発展し、楽しく緊張した時間であった。
学生諸君は、真剣にノートしながら、聞き入っていた。森田君は私たち講師席から見て、左端の一番前の席で
黙って聞いていた。
(中略)次に会ったのは、同じ年の八月下旬に伊豆多賀の旅館を借りて開催した日学同の幹部合宿に私が講師に
呼ばれて行った時だった。この時も、他の学生と違って森田君はほとんど質問もせず、何かを思いつめた表情で
一点を凝視していた。しかし、休憩時間には、一番はしゃいで大声で笑っていたのも森田青年であった。今、
手元にある記念写真を見ると、この合宿には、小川正洋君など、後で「楯の会」の会員となった学生が数人
まじっている。
そのあと、数回、森田君は日学同の諸君と、一緒に家に遊びに来た。彼が、日学同をやめて「楯の会」の幹部に
なってから彼と会ったのは、国立劇場の屋上で開かれた「楯の会」パレードの時だけだった。
「君はこんど隊長になったそうだね」と私が言うと
「いやあ……」と頭をかいて、はずかしそうに笑った。本当に好青年であった。
林房雄「森田必勝君の追想」より
三島、森田の両君は、桜の花のように、満開の時を待つことなく自ら散った。まことに見事な最期だった。
三島君も森田君も、満開と同時に始まる日本の衰弱と頽廃に我慢できなかった。戦後日本のいつわりの平和と
繁栄――平和憲法、経済大国、福祉社会、非武装中立という、与野党合作の大きな嘘の上にあぐらをかきつつ、
破滅の淵に向って大きな地すべりを始めている日本の実状を敏感に予感し、予見して、怒り、憂いつづけてきたのだ。
二人の烈士の、やむにやまれぬ憂国の諫死は、失われゆく本来の日本、この美しい――美しくあるべき日本
という国を、「エコノミック・アニマル」と「フリー・ライダー」(ただ乗り屋)の醜悪な巣窟にかえて、祖国を
破滅の淵への地すべりさせている「精神的老人たち」の惰眠をさまし、日本の地すべりそのものをくいとめる
最初で最後の、貴重で有効な人柱である、と確信している。
彼等の愛国の至情に発した留魂の行為――何の直接的効果を求めず、身を殺して魂と志を後世に残すという目的は
完全に達せられた。
あの事件は、全日本人の魂をゆり動かした。とりわけ若い世代は――彼らには敗戦の
ショックが無いから、人生に於て最初の衝撃を受けた。(中略)
森田青年が、四十四年二月まで所属していた日学同は、「新民族主義」を掲げて、左翼学生運動と鋭く対立してきた。
憲法改正、自主防衛、失地回復による、日本本来の姿の回復をめざす彼らの運動は、左翼学生のふりまく俗悪化し、
反動化したマルクス主義の毒ガスにおかされた学園にひるがえる鮮烈で、鮮明な旗である。森田君の論文と演説は、
今日の民族派学生運動の、苦闘の体験からにじみ出てきたものである。彼の捨身と留魂の行動は新民族派学生運動を
大きく飛躍増大させた。その事実を、私はこの目で見ている。
森田君よ、安らかに眠れ。君の志をつぐ若者の数は老人たちの予想を越えて多い。君の童顔と微笑と澄んだ瞳を、
すでに老齢の私も決して忘れない。
林房雄「森田必勝君の追想」より
松浦寿輝って、橋本治と崔洋一を合わせたようなブサイクな顔してるね。お笑いの藤本にも似てる。
小説家の顔じゃないね。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-256.html 「夜郎自大」という表現を石原に対して用いているのは、俵孝太郎さんだけではない。佐野眞一さんが書いた
『てっぺん野郎−本人も知らなかった石原慎太郎』にも、石原を「夜郎自大」だと批判する箇所がある。
それは、三島由紀夫と石原の確執を描いた部分である。
この本によると、石原は、一方で三島由紀夫を崇拝するような文章を書いておきながら、三島との交友を回想した
『三島由紀夫との日蝕』などの中で、三島の生来の運動神経のなさや、ボディビルで促成栽培した人工的な肉体などを
容赦なくカリカチュアして、不必要なほど辛辣に笑いものにしているそうだ。
この『三島由紀夫との日蝕』の中で、ナント石原は、本当は三島は政治家になりたかったのだが、自分に先を
越されてしまったのでずいぶんむくれていた、佐野眞一さんの表現を借りれば、『自分に政界入りの先を越されて
しまったから、三島は世をはかなんで自決した、といっているのも同然』の書き方をしているという。
実際にはどうだったかというと、佐野さんは辻井喬(セゾングループの実質的オーナーだった堤清二のペンネーム)の
述懐を紹介している。それによると、佐藤栄作が三島に政界入りを誘ったが、三島には政界入りする気はなく、
佐藤の無礼な勧誘の言葉に怒り狂った三島は、『もう、あんた(佐藤)とは会わない』と言ったという。
つまり、石原の文章は石原の勝手な妄想に過ぎないのである。佐野さんは、以下のように書いている。
三島の政界進出話に関しては、自分に都合のいい推論だけで重ねた慎太郎の述懐より、辻井氏の語る一連の証言の方が、
三島のプライドの高さから見ても、ずっと真実に近いように思われた。
それにしても、三島の名誉を貶してまで自分の政界進出を合理化しようとする慎太郎の精神構造は、子供っぽさを
超えて不気味である。
慎太郎の論理の特徴は、自己を正当化するためなら、事実を自分の都合のいいようにねじまげても構わないと
考える我田引水と夜郎自大の習性が、随所ににじみでていることである。
(佐野眞一 『てっぺん野郎−本人も知らなかった石原慎太郎』=講談社、2003年=より)
このスレの人は戦後のアメリカ文化による支配をどう見てる?
例えば今の韓国を見ると分かるけど、まあ属国とは文化の
押し売りを受け入れると言う事ではあるんだろう。
いまの韓国や日本の都会人や新興文化と言うのはほとんど
アメリカ文化の亜種で、それにより社会が支配されている。
俺にはそう言う都会の日本や韓国は無気味に見える。
韓国なんて不思議で、不思議と言うかなんというか戦前の
日本みたいに二十の文化構造があるからアメリカ文化に
浄化され1層しか持たない今の日本人である俺から見ると
不思議におもえると言う事なんだろうけど、韓国は日本よりも
ずっとアメリカ化してるのに民族と言うのも同時に強く保ってる。
むしろモダニズムの思想も日本より朝鮮のほうがずっと戦前の
風味が強く残っている。
ただ、おれはこれは明治時代とかの日本に割と近いものなんじゃ
ないかと思うわけで、それを踏まえるともしも南北の朝鮮が統一
されたとしたら極東アジアには日本中国以外に大きな大国となる
国家の基礎が誕生し、これは朝鮮がかつての日本帝国のような
ポジションに今後なっていく可能性もあるのではないかと危惧している。
そしてもしそれが現実になり、今後のアメリカ支配から朝鮮による支配
に変わったとしたらね・・・・・・・
>>92 南北統一直後は経済的に成長低下するかもしれないですが、その後は脅威になるかもしれませんね。
やっぱり核保有しとかないと。
94 :
吾輩は名無しである:2010/12/12(日) 02:54:53
三島がハラキリに失敗してたら海老さんみたいな記者会見したんだろうな。
95 :
吾輩は名無しである:2010/12/12(日) 03:00:22
三島の性格は確かにしょうもないが文学は本物
96 :
吾輩は名無しである:2010/12/12(日) 08:49:02
しょうもなくないよ、自分の美学を通しただけ
しょうもないのは石原慎太郎。はっきり言ってもう死んだ方がいい。
石原の話はそろそろやめていいか?
それよりも戦後日本における民族防衛の失敗を三島はあの世でどう見てるのかな?
民族防衛どころか領土防衛もままならない現状にビックリ、ってところでは。
>>99 しかも三島の夢見たような日本というのは、少なく見積もっても
このあと100年間は実現しそうにないだろう。
そして戦後の世界では、三島が夢見たような国家体制と言うのは
皮肉にも主として社会主義国やイスラム原理主義(宗教社会主義)
においてでしか実現されなかったという皮肉。
三島由紀夫と言う男の保守思想家・文士としての評価やある程度
の記録は後世には残るだろうが、三島と言う男の目指した日本国の
夢は実現されそうに無い。
これをどう考えるべきか。
良いのか、悪いのか。
まず
あの強欲禿鷹アメリカが
自国の莫大な戦費と国民を犠牲にして
日本生意気だぞ!ゴッチンで
終わるわけがないと考えないと・・・
>>101 三島の理想は男性的国家だけど、イスラム教的な女性抑圧社会とはちょっと違うと思う。
ああいう宗教は日本のたおやめ文化や、かかあ天下文化とはやっぱり異質な感じだし。
>>103 ええ、イスラムの女性抑圧社会とはまるで違いますね。
三島が目指したのはヨーロッパの帝國的な気骨ある社会でしょう。
明治時代くらいが日本の華だったのかもね。
金閣寺って何度読んでも素晴らしいね。
放送スケジュール
2010/12/16 10:00〜11:48 の放送内容 洋画★シネフィル・イマジカ.
午後の曳航
三島由紀夫の同名小説の映画化。英国の港町に住む少年と未亡人の母親の前に1人の男が現れたことで広がる葛藤の波紋。
サラ・マイルズ、クリス・クリストファーソン出演。
放送スケジュール
2010/12/17 15:00〜16:50 の放送内容 NHK h.
BSベスト・オブ・ベスト HV特集「熱情と静寂のオペラ〜指揮者・大野和士の挑戦」
ワーグナーの「タンホイザー」と三島由紀夫の「班女」(細川俊夫作曲)。
二つのオペラに新たな表現で挑む指揮者・大野和士が、ピアノの弾き語りで自らの創作の秘密を紹介。
ヨーロッパで絶大な人気を誇る日本人指揮者・大野和士が、2つの新演出オペラに挑戦した。
自ら音楽監督を務めるヨーロッパ屈指の歌劇場、ベルギーのモネ劇場で上演したワーグナーの「タンホイザー」と
フランスのエクサンプロバンス音楽祭で上演した創作オペラ、三島由紀夫作、細川俊夫作曲の「斑女」である。
ヨーロッパで花開いた43歳の気鋭指揮者が、2つの舞台をどのように作り上げていくのか、3か月の創作の日々を追う。
出演 【語り】女優…檀ふみ
放送スケジュール
2010/12/19 26:00〜28:00 の放送内容 日本映画専門チャンネル.
金閣寺
〜ATG・アーカイヴ〜(1976年・112分) 監督:高林陽一 出演:篠田三郎/横光勝彦
★少年の頃から金閣を憧憬してきた青年を描く三島由紀夫原作小説の映画化。
三島って自分をゲイだと思っていたんですか?
二十歳?
>>112 ごめんなさい。
正しくはいつまで男性しか愛せないと思っていたのですか?
本当のところは本人にしか分からないわけだし、
あまり実のある質問とは思えないが、私見を言えば、
「自分は男しか愛せない」と思っていた「時期」は、
三島にはないと思う。瞬間的にそう思ったことは
あるかも知れない。しかし、一定の幅をもって、
持続的にそう思っていた時期があるとは思えない。
>>114 誰かに女を紹介されたって無かったですっけ?
その時に女性も愛せることを知ったみたいなことを聞いたことがあったんだけど、
別の人か、気のせいか……。
>>113 学習院時代、友人のお姉さんに片思いして相手にされなかったシャイボーイだっただけで、
男しか愛せないとは思ってはなかったと思う。
>>116 仮面の告白とかの同性愛気質は平岡公威ではなく作家三島由紀夫の物って事でしょうか?
妻が同性愛関係を厳しく叱咤したというのは本当?
>>117 紀平悌子という佐々淳行の姉が三島から貰ったラブレターを、世間に公開したとき奥さんが訴えたらしいので、
同性、異性に関係なく三島に色目を使う人は嫌だったんだと思う。
映画Mishimaも美輪明宏との挿話が嫌だったらしいし、憂国の出演女優にも嫉妬して映画憂国も快く思わなかったそうです。
>>117 同性愛気質があったのはエッセイなどにも書かれてるので本当だと思いますが、
同級生の妹と真剣に恋愛してたことも事実なので、仮面の告白は脚色混じりのものです。
三島が可愛がってた猫にも嫉妬したとかいうねw
三島夫妻は仲がよかったのか悪かったのかわからない。
からっ風野郎で若尾文子との濃厚なラブシーンも奥さんの大反対で取りやめになったらしいしよ。
結婚も最初父親が断ろうとしたら、三島と結婚できないなら死ぬと脅して説得したとか。
お見合いだったよね?
有名人が見合結婚というのもかなり珍しいよね。
奥さんは三島のファンだったのかな?
隠れファンだったのかもね。
一方が有名人なら、お見合いというより面接みたいなものでしょうね。
美智子さんには断られてしまったんだんだってね。
クリスマスイヴの日、ペイヴメントでモコとアントニオは再会した(*)
お互いの元気な姿を確かめ、いたわるように抱き合った☆
過ぎ去った愛の時が2人の胸に去来した(*)((ξ))((υ))
モコとアントニオは大学の創作クラスで机をならべて勉強していたが*
政治活動に熱中するモコと それに興味を示さないアントニオの生き方は
まったく違っていた☆ やがて、2人は卒業し、各方面に散っていった☆
プロレスファンのクリスマス会場で モコとアントニオは 偶然、再会した☆
しかし アントニオはアンチモコ派の特攻隊員になっていた*
だが 2人は急速に親しくなり、(*)((φ)) (*)((δ))
アパートの1室で愛の生活を始めるようになったが(*)((ξ))
モコの政治への興味は尽きず、(*)((δ))
反アンチモコ派運動の積極的な活動家として活躍し始めた((υ))
けれど アントニオは そんなことに興味を持たなかった(*)((δ))
やがて…アントニオはリバプールの化石になった!!((ο))((φ))
ツトムは テキサスのアンモナイトになった!!((δ))((ξ))
哀切かつ峻烈な「命」の物語…!☆ 透明な絶望と輝ける闇の希望・・ *
透明な愛と都会のアーバンな孤独… !((ξ))強く儚いモコ・・・ !☆
鮮烈にして 不確かなモコ!((υ)) * (*)((ξ)) *
モコは若いころは学生運動に夢中になっていたの(*)((δ))
「アンチモコ派 反対!」「アンチモコ派 撲滅!」「アンチモコ派 殲滅!」
と書かれたプラカードをもってデモ行進をしていたのヨ(*)((Φ))
でも モコはアンチモコ派のアントニオに恋をしてしまったの(*)((ψ))
そして モコはアントニオと結婚したの(*)((ξ))
でも アントニオの汚いやり方に嫌気が差してきたの(*)((φ))
それで モコはアントニオが主催したセレブパーティーの会場を
突然 抜け出して 「アンチモコ派 反対!」「アンチモコ派 撲滅!」
と書かれたプラカードをもって 走り出したのヨ(*)((ο))
雪のふりしきる街路樹をモコは「アンチモコ派 反対!」(*)((δ))
と 叫んで ビラまきを始めたのヨ(*)そんなモコの顔は 輝いていた!*
129 :
吾輩は名無しである:2010/12/16(木) 17:38:49
三島由紀夫の本質↓ .ノ′ } 〕 ,ノ .゙'┬′ .,ノ
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
.,v─ーv_ 〕 〕 .| .il゙ 《 ._ .,,l(ノ^ノ
,i(厂 _,,,从vy .,i「 .》;ト-v,|l′ _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
l ,zll^゙″ ゙ミ .ノ .il|′アll! .>‐〕 \ _><
《 il|′ フーv,_ .,i″ ||}ーvrリ、 ¨'‐.` {
\《 ヽ .゙li ._¨''ーv,,_ .》′ ゙゙ミ| ,r′ }
\ ,゙r_ lア' .゙⌒>-vzト .ミノ′ 〕
.゙'=ミ:┐ .「 ./ .^〃 :、_ リ .}
゙\ア' .-- ,,ノ| 、 ゙ミ} :ト
゙^ー、,,,¨ - ''¨.─ :!., リ ノ
〔^ー-v、,,,_,: i゙「 } .,l゙
l! .´゙フ'ーv .,y ] '゙ミ
| ,/゙ .ミ;.´.‐ .] ミ,
| ノ′ ヽ 〔 ミ
} } ′ } {
.| .ミ .< 〔 〕
.{ \,_ _》、 .{ .}
{ ¨^^¨′¨'ー-v-r《
>>128 元楯の会会員の村上という人の本によると、そうらしいことになってます。
今、BS hiで村田英雄特集やってるけど三島由紀夫がご贔屓だったのがわかる。
>>130 家柄で言うと奥様の杉山家と美智子さんの正田家は同じくらいなんでしょうか?
>>132 正田家の方が世俗的には出世した実業家一族です。
134 :
吾輩は名無しである:2010/12/18(土) 08:55:50
今回の石原都知事の規制の件、三島だったらなんていってたの?
>>135 三島は基本的には言論統制、表現統制には反対のようですが、現在のようなあまりにも好き勝手な野放しな状態は
やっぱり好ましいとは思わないかもしれませんね。
ただ三島は「国家権力が人の顔(芸術表現)の良し悪しを言うのは遠慮がちにすべきだ」と言ってますから、
その規制は、業界側の自主規制などが好ましいと思うんじゃないでしょうか。
あと、一連の石原慎太郎の「役に立たないからだめ」的な発言には異を唱えると思います。
三島は、文学とか芸術は「お国の役に立たないってこと」をはっきりさせておかないといけないと言ってますね。
東京バレエ団が「三島由紀夫」への追悼バレエを上演します。
12月18日&19日@東京文化会館
振付:モーリス・ベジャール
初演の際は教育テレビで放送された傑作です。
故モーリス・ベジャール氏は「六世歌右衛門」を追悼するバレエも作ってます。
三島由紀夫という作家を考えたとき
その人生の軌跡と詳細、記述のすべてを辿ると
わたしには、恐るべき完全主義で痩我慢な理想家という印象をぬぐえない。
たとえば小林秀雄全集を読めば、わたしたちは
小林の思想の変遷という前後の矛盾に容易に行きあたる。
ところが三島のは首尾一貫、どこを切っても矛盾のない金太郎飴なのである。
あやういところはすべて強引に観念と行動の巧緻な使い分けによって、必ず
どこかで合理化されている。(略)まるで本人が編纂した人生設計の書物を読むような
味気なさである。しかしわたしたちはこのような人工的、不自然な作為の跡を、
いかにそれが強い意志と気力によってささえられたものであろうともまともな思想家の
産物と同一視してはならない。それが作為的であればあればあるほど、人間本来の
自己矛盾・あからさまな生の正体を見出す反証を求めたくなるのだから。(後略)
140 :
吾輩は名無しである:2010/12/19(日) 02:41:32
>>139 なにその、石原慎太郎じみた駄評。嫉妬丸出しですね。
>>139 その批評自体が人工的で作為的だよ。
なにか変な凝り固まった印象しか持てない人が書いた稚拙な批評って感じ。
>>140 三島は、文学や芸術は「お国の役に立つためのものじゃない」と言ってますから、
石原のような、役に立たないからダメみたいな合理主義とは全く真逆な考えです。
144 :
吾輩は名無しである:2010/12/19(日) 18:02:14
>>143 「お国の役に立つ」文学や芸術なんてあるかな、と思ったらありましたね。
火野葦平は戦争勃発後の国民的大ベストセラー作家
その後も「お国のため」に数多の国策文学が生まれました。
これら後の「戦犯文学」について、三島はどのようにコメントしていますか?
三島は概ね軍国少年でしたが、戦後、いつの時期に言及しましたか?
知らなければスルーで結構です。
>>144 …戦後の変節の早さ、かりにも「一国一城の主」が、女みたいに「私はだまされてゐた」と言ひ出すのを見ては、
私はいはゆる文化人知識人の性根を見たやうな気がしたのである。
大体、文化人や知識人と名乗るだけの人間が「だまされてゐた」では通るまい。この種の人たちは、十中八九、
口ほどにもないお人よしで、実際にだまされてゐたのかもしれないが、それを言はないで、だまされてゐたままの
自分の形を押し通すだけの自負がなかつたのか。思想的弾圧のはげしさは言語を絶してゐたかもしれないが、
いくら割り引いてみても、知識人文化人のたよりなさの印象はのこるのである。
変節防止のために相互監視をやつたらどうか。言論の自由を守るとは、結局自分を守ることだといふのでは情けない。
「われわれの考へる言論の自由」といふものを本当に信じ、それを守り抜くためには、一人一人ばらばらでは、
はなはだたよりなかつた前歴があるから、今度は二度と引き返せぬやうに、相互監視でもやつて変節を
防止しなければ、第一、われわれの言論を信じてくれる読者各位に対して申し訳ないではないか。十年もつといふ
宣伝で買つた洗濯機が、三日でこはれてしまつては、商業道徳に反するではないか。
大体、文化人知識人などといふものは、弱い立場なのである。社会的地位もあいまいで、非常の場合に力で
押して来られたら一トたまりもない。幸ひ今は平和な時代で、大きな顔をしてゐられるが、われわれが大きい顔を
してゐられるから、平和がありがたい、といふのでは、材木が売れるから地震がありがたい、といふ材木屋の
考へと同じである。
三島由紀夫「フィルターのすす払ひ――日本文化会議発足に寄せて」より(昭和43年)
世論なるものの作られ方自体にも、相当怪しいところがあるのである。子供にだつて、シュークリームと
あんころもちの二つを選ばせれば、どちらがうまいか、自分の意見を決めることができるが、シュークリームだけを
与へつづければ、世界中でシュークリームほどうまいものはないと思ふやうになる。
今、日教組がとなへてゐる「教育の自由」とは、シュークリームだけを与へる教育の自由なのである。
ジャーナリズムの有力な傾向も、公正に見せかけた「選択の自由の排除」であつて、われわれは言論を通じて、
公正な選択の場を何とか確保しようと努めてゐるにすぎない。
現代政治の特徴は何事も世論のフィルターを濾過されねばならぬことであらうが、そのフィルターにくつついた
煤の煤払ひをしなければ世論自体が意味をなさぬ。かくも強力なフィルターが、煤のおかげで、ひたすら被害者、
被圧迫者を装つて、フィルターの濾過を拒んでゐるやうな状況は、不健全であるのみならず、フィルターの
権威を落すものであると考へられる。
かくてわれわれは、手に手に帚を持つて、煤払ひの戦ひに乗り出したといふわけなのである。
三島由紀夫「フィルターのすす払ひ――日本文化会議発足に寄せて」より
>>146 読んだことのある文章です
私が問題にしたかったのは「時期」なんですね
なるほど三島は「憂国」以前からこのような考え方を沈潜し抱いていました
それが三島の金太郎飴たる所以なのです
しかし「私はだまされてゐた」と指弾された文学者、知識人
昭和43年当時においてはとっくに断罪され尾羽打ち枯らしていたのです
まったく三島が極右化の装いを呈する口実に利用されたものでしかなかった
三島事件のとき、そのアクロニズムが嘘くさいと捉えらた根拠にもなっているのです
これが三島の本当の敵は内なる自身の中に在った心理的な、孤独なものではなかったか
と早くから囁かれた根拠です
三島の自死の理由はほとんど全集のうちでのみ完結し外部には何ら発展性を与えない
虚妄だった正体が、ここからも窺えます。
>>147 すまない、それはどういうことですか?
私はそうは思いませんがね。
確かに動機としてそういう事もあったのでしょうが
三島の自決は孤独とは程遠いものだと感じます。
>>148 それらの三島の論のどこが極右なのかさっぱりわかりませんね。
それに三島は戦後すぐの二十歳前後にも同じようなことを言ってますよ。あなたがそれを知らないだけで。
むしろ右翼から左翼へ世の中が変節したからずっと芯が変わらなかった三島が右翼にみえただけの話。
あなたみたいな、まるで石原慎太郎が最近の三島特集で書いてたような薄っぺらいこと言ってもしょうがないでしょう。
何一つろくに詳しく知らないくせに。
>>147 「私はだまされてゐた」と言って戦後左翼的になった文化人は別に断罪されてないんじゃないの。吉本隆明など。
むしろ断罪されたのは保田與重郎のような変節しなかった人でしょ。
うん、あまりにも「らしく」て、笑ってしまう。
――そこに人間は居ない。ただ観客があるだけで。
152 :
吾輩は名無しである:2010/12/20(月) 02:16:41
>>148以下
私は昭和40年という時代の思潮をしらべたことがあって
すでに転向左翼も転向右翼も一部やり玉に上がっていた
当時の古本をみるとわかりやすい
いつの時代にも慧眼はあるものだとおもった
二十歳前後の三島の書き残した手紙を熟読すると
とんでもなく内容が幼稚で、同世代の一般の旧制高校や帝大生と比べても酷い、
単純というより幼稚。内的混乱をひたかくした表面上の演技かと読めるほど...。
盾の会をもくろんだ当初、小林秀雄にリークして諫めてらおうとした友人の行為が
三島の逆鱗に触れた逸話がある。尋常な怒りでなかったという。
三島の書物からどこまでエクスキュースを読むかは各人の自由だろう
信ずれば、その思想は一貫している。退屈なまでに
いっぽう信じなければ、面白い。一時代を必死に駆けたユニークな人だと感ずる
153 :
吾輩は名無しである:2010/12/20(月) 06:16:00
おまいらはじめて読んだ三島の小説は何だった?
俺は金閣寺
三島作品で初めて読んだのが「不道徳教育講座」で、
小説として最初に読んだのは「午後の曳航」
155 :
吾輩は名無しである:2010/12/20(月) 08:52:44
ロイと鏡子は読むべきですか?
>>152 幼稚どころか後年に通じる立派な内容です。それから、民兵防衛隊を目論んだときは、知人の誰にも三島は話してません。
村松が小林に相談したのはもう三島が死ぬ間際の時期の話。
いい加減なデタラメ言わないでね、ろくに知りもしないで上っ面老害バカが。都庁からお疲れでした。
>>155 たいしたことは書いてなかったから、どっちでもいいかと。
「仲間」は傑作ミステリー
>>152 将来三島の影響で国粋的な政治家が出てきて、かつヒトラーのごとく国家を
扇動し支配するような時が来たとしたら、あんたはどうするんだ?
三島由紀夫の文章って句読点が多いな。俺は谷崎の春琴抄くらいで十分だと思うんだ。
それはない
163 :
吾輩は名無しである:2010/12/20(月) 21:38:33
>>156 どういうところが立派なんでしょうか
おしえてください
>村松が小林に相談したのはもう三島が死ぬ間際の時期の話。
>いい加減なデタラメ言わないでね、ろくに知りもしないで上っ面バカが。
村松剛「三島由紀夫の世界」より
自衛隊入隊が決まり、出発に先立ち、ささやかな会を三島のために開こうと、
新潮社の菅原國隆に村松剛は相談した。ジャーナリズムにはいっさいそのことを
秘密にしていた三島だったが、「奔馬」の連載を担当していた菅原氏には打ち明けていた。
(中略)
翌日、菅原氏から村松に電話がかかってきて、だれか三島さんの暴走を止められる
人はいないかねえ、と相談がもちかけられ、先輩の小林秀雄に頼んでみる、という結論になった。
一度自衛隊から帰宅した三島を菅原氏は鎌倉に誘い、小林秀雄に会わせた。
あせってはいけない、とのようなことを小林秀雄から三島はいわれ、その翌日、
村松に三島は電話をした。「けしからんよ、菅原は、変な小細工を弄して。
小林さんをつかって俺を抑えようとした」と怒りの声だった。
三島は新潮社に対してその編集者とはこれ以上のつながりを打ち切りたいと警告した。
>>160 だいじょぶ、私が未然にふせぎますから
チワワさんはそのための尊い犠牲です(笑)
三島を指導したボディビルコーチの鈴木智雄
「自由が丘の私のジムに週2回、通ってこられるようになりました。
1回、1時間程度の練習を2年ぐらいつづけられました。
私のところをやめたあとも10年間つづけたそうで、
その意志の強さには敬服しますが、三島さんの目的は、
肉体の表面を美しく見せるにはどうしたらいいかといったものだけで、
体育の本質には迫らず、本物を追求する精神はなかったようです」
兵役検査には父の梓の作為があった。筋骨隆々とした田舎の青年たちの間に混じれば、
実際よりずっと貧弱に見え、丙種くらいになるかもしれないという父親の思惑に従って、
平岡家の原籍がある岡山県にまで出向いて徴兵検査を受けた。
青年の矜持はまるで放り出されたようなものだった。
三島は兵役検査に不合格だったことが深く傷ついていたのだ。
同時に敗戦直前までの戦争中の時代、この世の中はどうせ終わるという、
世界終末観に深くとらわれていた。
その終末観は、昭和28年の短編小説『急停車』のなかで
「あんなに甘い、あんなに感傷的な、あんなに浪漫的な、あんなに日当たりのいい」
ときはなかったと書き、「戦争は純然たる『抒情的な』思い出であった。
甘いものを先に食べると、後で食べるものの酸っぱさが倍加されるように
、戦争が終わって以来、彼の個人的体験には本当の喜びというものがなかった」
と主人公に言わせている。
戦後、乗馬などという貴族趣味から、荒々しいボディビル、ボクシング、剣道へ進むのも、
兵役検査に甲種不合格の烙印を押されたという屈辱の反動である。
(「三島由紀夫はいかにして日本回帰したのか」宮崎正弘)
チワワって戦中の旗振り坊やのレベルで三島を尊敬してんだな。
>>163 その(中略)の間は何なんですか?
それじゃあ「翌日」がどの日の翌日か不明ですけどね。偏向捏造にもとれますよ。ご苦労さまでした。
ああ〜チワワ得意の目糞鼻糞w
無知がバレバレで大変ねwww
それより質問です。宮崎正弘とはどんな人でしょう。
>>165 その宮崎さんの記述は勘違いによる間違いですから。
三島は徴兵検査に合格してます。
いざ入隊する前の入営検査の健康診断で結核を疑われて帰郷になったんですけどね。
ろくに知りもしないから、間違いの本からひいてきた人のblogから、さらに真に受けてコピペして恥さらしましたね(笑)
なんでまたそんな見えすいた嘘で逃げんの?
「兵役検査」と書いてんのに曲解してさ、クズ
さあ、宮崎正弘とはどんな人でしょう。
>>163 その本持ってるけど、たしか菅原や村松が小林秀雄に相談したのは、もう市ヶ谷事件に近い時期のことだったと思うよ。
明日もう一度見てみるけど。
宮崎の引用に反論できんのそれだけ?
かわいそうな信者だね(笑)
おまえは三島を穢してるんだよクズ
>>170 だから 「兵役検査」は合格してるんだよ。
その何ヶ月か後の入隊時の健康診断で帰郷になったわけだから、宮崎さんの記述は正しくないの。
>>171 素直に読み落としたと言えんのかクズ
俺はそれを指摘したんだよ
言い訳するくらいならレスすんなボケェ
>>174 あんたは実際その本の全文自分で読んでないんでしょ。
(中略)の間に何が書いてあるか言ってみなよ。
「徴兵検査」→「赤紙」→「兵役検査」
>>175 実は前に引用したので省略したのですよw
残念でしたね
三島は徴兵検査に、第2乙種合格しています。これは公式記録。
宮崎氏の甲種不合格というのは勘違いによる凡ミスですよ。
>>177 捏造を誤魔化さなくていいから。
村松が小林秀雄に相談したのは、三島がサンケイ新聞に、例の有名な「果たし得ていない…」を書いた後のことだよ。
いいから村松の本よみなおせカス野郎
「甲種合格」は勲章みたいなものですよ
「甲種不合格」はそれ以下てこと
なにいってんだかこのオッチャンw
左翼は三島の記憶を人々から極力小さくしたいのと、今後の日本で
三島イズムが運動レベルにならないように必死だな。
>>182 そんなことどうでもいいんだよ。徴兵検査にはとにかく第2乙種でも「合格」してるわけだから合格ってこと。
三島由紀夫が「精神的クーデター」を狙うかのごとく憂国の諫死をとげてから、早や四十年の歳月が流れた。
あの驚天動地の衝撃は日本の思想界、言論界に強烈な影響を与えた。事件直後のテレビニュースにでた林房雄は、
「正気の狂気」と比喩した。藤田東湖の正気の歌を思い出す人も多かった。中曽根防衛長官が「狂ったのか」と
発言したことに対して「はじめから終わりまで正気だった」と林は二重の意味を込めたのだ。正気(せいき)を
正気(しょうき)と呼ぶのは戦後である。
新保祐司の比喩によれば、「美の世界から三島は或る日、『正気』に選択されて『義』に向かった」という。
正気とは領土とか人民の危機レベルではなく、磯部浅一は「正気の危機」だと言った。吉田松陰は大和魂と言ったが、
どれもこれも外国人には分からない。いまの日本は「日本人」の顔をした外国人が多いから吉田松陰も三島も
分からない。西郷さんも乃木将軍もわからない。
三島事件直後に江藤淳は小林秀雄と『諸君』での対談で「(三島さんは)単に老衰しただけじゃありませんか」
と言い、小林が「それなら君は堺事件をどうおもうか」と、日本の歴史にはときに訳が分からないことがおきる
のであり、それが歴史だという意味のことを言った。
戦争は悲劇であり、悲惨というレベルだけで戦争を総括するのは錯誤でしかなく、崇高という感覚が
“狂気の正気”となる。石原慎太郎には、これが分からないらしい。なぜか、石原は三島となるとムキになって
矮小化したがるからだ。
戦後の日本は戦争を悲惨とだけ捉え、人間主義、自己実現だけとなって、他者実現、崇高さが失われた。
義と美との距離は前者がユダヤー欧英に強く、後者はギリシア、ローマなど南欧に流れた。デビュー直後は
ギリシャに憧れた三島は明らかに美をもとめていた。そして歳月が流れ、正気が三島を選択した。
正気は50年、100年に一度、突発するのが日本の歴史であり、三島事件は乃木希典の殉死で日本中が
わなわなと震えて感動した事件以来かもしれない。精神においては特攻隊以来であろう。
宮崎正弘「ミシマのいない平成元禄」より
さて筆者自身、学生運動を担っていた時代、三島由紀夫、林房雄、村松剛らの指導を仰いでいた。三島は筆者らが
出していた民族派理論誌「日本学生新聞」の創刊号に祝辞を寄せてくれ「天窓を開く快挙」と期待を表明し、
また全日本学生国防会議(森田必勝が議長)の結成大会に駆けつけて万歳三唱をしてくれた。その後、森田が
楯の会専従となり、あの事件へと突っ走ることになる。直後の追悼会は池袋の豊島公会堂に入りきれず、会場前の
公園に数万のファンが押し寄せた。しかし三島事件以後、日本の精神的堕落、知的頽廃はますます進行するばかりだ。
まさに「芭蕉も近松もいない昭和元禄」と三島が書いたが、その「三島もいない平成元禄」になった。
国益を考えない政治家がままごと政治をおこない、そのリーダーシップの劣化は官界におよび、ちっぽけな汚職が
はびこり、財界には侍が不在となり左翼論壇は滅びたはずなのに失業互助組合のような媒体と支援団体でかろうじて
息をつなぎ、偏向マスコミの売国的言論を維持している。
三島由紀夫は「生命より大事なものがある」と精神的クーデターを企て、日本の文化伝統の尊さを日本人に
覚醒させようとした。しかし「自分の行為は五十年後、百年後でし
そんな宮崎正弘が書いた
>>165の文から
あなたが兵役云々の言葉尻で逃げようとしている前段の要旨に
私はつなげて書いてきたわけですが
宮崎正弘がかいた「屈辱の反動」をあなたはみとめるのですね
そこだけを拡大解釈して、とあなたは思うでしょう
しかし私の真の意見はちがうのです
そこはまだ明らかにはしません(長くなるので)
宮崎の他の意見はもはや類型化してるとさえ感じます
たとえば私は、村松の本も、彼が癌に犯され余命が知れていたことを
常に意識して読みました。私はそういう読み手なのです。
三島は非常にいかがわしい。そこに興味があって、間違っても神秘化は
しない。そして神秘化を促すあらゆる意見をこばみます。
三島をつまらなく限定する意見だからです。
>>187 宮崎氏の言ってるようなことは三島本人が自分で「太陽と鉄」で言ってることでしょ。
なにを珍しがってんだか。バカじゃないの、あんたは(笑)
>>188 誰も神秘化なんかしてないけどね。三島の遺した提言は極めて現実的なものだし、
あんたみたいな石原もどきや、ブサヨがああだこうだと嫉妬にまみれてチンケな分析もどきをして悦に入って
偉そうに評論家きどりすることなんか全部、三島は覚悟した上で、後世に遺しておかなきゃいけないと思ってやったことなんだから、
あんたみたいな腑抜けの古びた解釈なんかどうでもいいことなんだよ。
>>187 つまらない限定しているのはおまえなんだが
というか、
>>187の「神秘化」は使い方を間違えてるんじゃないかな。
これでは末尾3行が意味不明。「神格化」なら意味が通じるが。
ま、
>>189の言うように、誰も神秘化や神格化はしてないんだが、
187氏には、三島を擁護する意見はすべてそう見えるんだろう。
石原のような国家主義者と言うのは、本来なら三島の考えに共感して
文化伝統に基づく民族主義的な国家像と言うのを抱かなければならんはず
であるが、そうじゃないからんね。
武田泰淳
「彼の場合は、小説と現実が一致しているわけですね。普通は、実際にできないことを
小説でやると考えるのですが、彼の場合は、完全に一致していたように思います。
(略)彼の文学のなかに死とエロチシズムは密着しているわけですから、
死とエロチシズムを密着させるという美学はいいが、そうすると、いつ自分が死ぬかと
いうことを決めなければならない。普通、作家というものは、行動と作品が一致しない
からこそ作品が出てくるというふうに、鴎外、漱石からずっと続いていると思う。
だが三島さんの場合には、いつでもできそうになっているわけですね。
切腹の小説を書いても切腹しないのが建前なのだが、彼は逆で、切腹の映画をやった
からには切腹するのであるという固定観念が彼の中にあったと思う」
(朝日新聞 昭和45年11月26日)
私と彼とは文体もちがい、政治思想も逆でしたが、私は彼の動機の純粋性を一回も疑ったことはありません。
(中略)最近の彼は、私など好きでなかったかもしれないが、そんなことは一向にかまいません。むしろ、
彼に嫌われるやりかたで、私は、彼を好きのままでいてやりたいと思います。
武田泰淳
週刊現代増刊・三島由紀夫緊急特集号のコメントより
息つくひまなき刻苦勉励の一生が、ここに完結しました。疾走する長距離ランナーの孤独な肉体と精神が
蹴たてていった土埃、その息づかいが、私たちの頭上に舞い上り、そして舞い下りています。あなたの忍耐と、
あなたの決断。あなたの憎悪と、あなたの愛情が。そしてあなたの哄笑と、あなたの沈黙が、私たちのあいだに
ただよい、私たちをおさえつけています。それは美的というよりは、何かしら道徳的なものです。あなたが
「不道徳教室講座」を発表したとき、私は「こんなに生真じめな努力家が、不道徳になぞなれるわけがないでは
ないか」と直感したものですが、あなたには生まれながらにして、道徳ぬきにして生きて行く生は、生ではないと
信じる素質がそなわっていたのではないでしょうか。あなたを恍惚とさせようとする「美」を押しのけるようにして、
「道徳」はたえずあなたをしばりつけようとしていた。それは、あなたが肉体の効能を意識しはじめた瞬間から、
あなたに猛訓練を求めました。いや、文章をつづりはじめた瞬間から、あなたの文体(つまりは精神)を、
きびしい緊張の城塞とし道場としたのです。
武田泰淳「三島の死ののちに」より
ヴァレリーもいってるように、作家というのは、作品の原因でなくて、作品の結果ですからね。自己に不可避性を
課したり、必然性を課したりするのは、なかば、作品の結果です。ですけれども、そういう結果は、ぼくはむしろ、
自分の“運命”として甘受したほうがいいと思います。それを避けたりなんかするよりも、むしろ、自分の
望んだことなんですから……。生活が芸術の原理によって規制されれば、芸術家として、こんな本望はない。
ぼくの生き方がいかに無為にみえようと、ばかばかしくみえようと、気違いじみてみえようと、それはけっきょく、
自分の作品が累積されたことからくる必然的な結果でしょう。ところがそれは、太宰治のような意味とは、
違うわけです。ぼくは芸術と生活の法則を、完全に分けて、出発したんだ。しかし、その芸術の結果が、生活に
ある必然を命ずれば、それは実は芸術の結果ではなくて、運命なのだ。というふうに考える。
それはあたかも、戦争中、ぼくが運命というものを切実に感じたのと同じように、感ずる。つまり、運命を
清算するといいましょうか。そういうふうにしなければ、生きられない。運命を感じてない人間なんて、
ナメクジかナマコみたいに、気味が悪い。
…「新潮」の二月号に西尾幹二さんがとてもいい評論を書いている。芸術と生活の二元論というものを、私が
どういうふうに扱ったか、だれがどういうふうに扱ったかについて書いている。日本でいちばん理解しにくい考えは、
それなんですよね。それで、作品と生活との相関関係ということが、私小説の根本理念ですから、その相関関係を
断ち切ることは、絶対できない。私の場合は、作品における告白ももちろん重要ですけれども、実は告白自体が
フィクションになる。作品の世界は、さっきも申し上げたように、かくあるべき人生の姿ですからね。もし、
自分が作品に影響されてかくあるべき人生を実現できれば、こんないいことはないわけですけれども、逆に
そうなれないというのが、人生でしょ。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より
そうなれないことが人生で、それでは、そうなれない人生をもっと問題にして、どうにもならんことを小説に
書けばいいではないか、という考え方も出てくると思う。しかし、ぼくは、それは絶対やりたくないですね。
死んでも、やりたくない。そういうことを書く作家というのが、きらいなのです。小島信夫の「抱擁家族」などと
いうのは、そうならない人生を一生懸命書いているわけです。そうなれない怨念を書くのが文学だとは、ぼくは
決して信じたくない。
文学というのは、あくまで、そうなるべき世界を実現するものだと信じている。告白といいますけれども、
告白も、かくあるべきだ、こうなりたいんだ、けれども、こうならなかったという、それを語るのが、告白であって、
告白と願望との関係は、ひと筋なわではゆかないと思いますよ。人はいつでも、告白するとき、うそをついて、
願望を織り込んでしまうと思うのです。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より
遠藤浩一『福田恒存と三島由紀夫』について(宮崎正弘)
三島の自決を聞いた福田は「わからない。私には永遠にわからない」
と発言したと当時の東京新聞が報じ、週刊誌が「名言(迷言)として伝えた。
評者は、その後、福田の真意を確かめたくていたところ、
おりからの福田恒在全集の三島論が納められているのを発見した。
(直後にわからない、わからないと新聞に答えた氏は)「もし三島の死と
その周囲の実情を詳しく知っていたなら、かはいそうだとおもったであろう、
自衛隊員を前にして自分の所信を披瀝しても、つひに誰一人立とうとする者もいなかった。
もちろん、それも彼の予想のうちに入っていた、というより、彼の予定通りといふべきであろう。
あとは死ぬことだけだ、そうなったときの三島の心中を思うと、いまでも目に涙を禁じ得ない。
が、そうかといって、彼の死を「憂国」と結びつける考えかたは、私は採らない。
なるほど私は「憂国忌」の、たしか「顧問」とかいう有名無実の「役員」の中に名を連ねてはいるが、
毎年「憂国忌」の来るたびにそれをみて困ったことだと思っている(中略)。
二十年近くも(憂国忌を)続けて行われるとなると必ずしも慰霊の意味だけとは言えなくなる」
(中略)「憂国忌の名はふさわしくない。おそらく主催者側も同じように悩み、
その継続を重荷に感じているのではなかろうか」と言う。
福田氏の推論が正しいか、どうか。おそらく間違いであろう。
三島は「自分の行為は五十年後、百年後でなければ分からない」と、
その営為をむしろ後世の再評価に賭けた。
ともかく、この短い文章だけが、三島事件から十八年後、昭和六十三年に初めてかかれた
「三島事件」への福田氏の感想である。
「福田恒存在全集」第六巻の「覚え書き」として、つまり全集の購読者用に書き下ろされた
覚え書きにさりげなく記されたので、評者(宮崎)もしばし気がつかなかった。
遠藤浩一氏も、やはりこの箇所を捉え直し、次のように総括している。
「わからなかったがゆえに、冷静な福田の口から、感情的な言葉が迸ったのでは
なかっただろうか(中略)、三島という対象を突き放しているわけではない。
三十数年来の知己を、わかりたい、嫌いたくないと思えばこそ、こうした言葉が思わず
飛び出したのである。そこに福田恒在の三島由紀夫に対する哀惜が滲み出ている」
「三島由紀夫はリアリズムを、フィクションをフィクションとして受け入れるための
消極的約束事をして、徹底して扱った。そこに比類のない存在感を発揮する作家だった。
そのことを逸速く見抜いたのが福田恒在だった。三島の文壇へのデビュー作『仮面の告白」の
解説で福田は、『三島由紀夫は無から有を生む手品師』
『比喩的なレトリックが軽快な一回転とともに、虚を真実にすり替える』と評価した」
本書はありきたりの作品論や文学論を超えて、ふたりを思想家として捉えているので
ダイナミックな戦後日本論になっている。
最後の対談 古林尚 昭和45年11月16日
古林は「この次のお仕事の予定は?」ときくと、三島は「ほんとうになんにもないんです。
予定がないんですよ。演劇に手をつけたかったが、これも役者が思いどおりに動いてくれない。
やりたいことはやりつくした感じもするが、しかし、ほんとうに、なんにも、予定がない」
あれほどさびそうな顔をする沈痛で、痛々しい三島はみたことがないと古林はいう。
古林は励ましの言葉をかけたが、三島はしみじみ述懐を口にした。
「私は、十代の思想に立ちもどってしまった。“敗戦より妹の死のほうが、ショックだった”
と書いたのはウソで、敗戦は非常にショックだった。どうしていいのかわからなかった。
政治のことはわからないので、芸術至上主義に逃げ、そこから古典主義に移行し、行き詰まると、
十代の思想にかえったのです。・・・いまではまったくおさえがきかなくなって、
どうしようもない」と三島は苦笑いをした。古林に三島は、死を覚悟した“遺言”を伝えたのだ。
古林は三島の青年時代、軍隊で入隊できなかった原因である虚弱体質について思うのだった。
『青年時代に三島が入隊生活を送らなかったのは彼にとってたいへん不幸なことだった。
彼はわがまま坊ちゃんのまま、大人になってしまったところがある。「こうありたい」ことと、
「こうである」こととが、かんたんに短絡してしまう。観念的な思考が先行して、現実と結びつかない。
もし、兵隊生活を送っていて、意地の悪いいじめられ方でもされていたら、
あの三島とは別の三島が誕生していたことだろう。彼に必要だったのは敗者の実感である。
・・・だがそれはないものねだりというものだ。
彼はロココ風の贅沢な家に住んで、西欧文化を満喫しながら、一方では日本文化の伝統を称揚とした。
その食い違いを是正するための努力が、いっそう彼を観念的な思弁の高みに飛翔させた。
三島はよく文武両道を口にした。作家三島と武人三島を統一したいという念願は、要するに、
この矛盾を統一したいとの、彼なりの必死の努力だったのである』
それにしても、もうひとつの別のやり方はなかったものであろうか、と古林は口惜しく思うのであった。
兵役検査は広義では徴兵検査も入営検査も指す。
兵役検査の過程の入営の段階で三島は不合格
その前の徴兵検査で「甲種」に不合格、以上。
それから宮崎の書いたものからアホ信者の都合のいいものだけチョイスすんな
なにが「太陽と鉄」だw退屈極まる三島ペッタンコ野郎が
三島に吸着して寄生して、ドクズニートの浅ましい性根を肥やしてるだけだろ
コンビニで働け、オナニーやめろ
福田はもちろん宮崎も古林も、ナマの三島と接触し、その生の実態にアプローチしようとしてるんだよ
三島をそのまんま受け入れて2チャンに丸投げすることにどんな意義がある?
距離をとり、相対化し、テメエの頭でかんがえたことを書きやがれ
受け売りの解説はいいかげんにさらしやがれ
と罵倒してから切り出すが(笑)
神秘化って、「まやかし」の意味を含む
ものすごく乱暴にいうと
三島自身、この「まやかし」をファルスとして演出した気味があるのね。
つまりどこまで真剣だったかは自分でも謎にしたかった、と
三島の哄笑はまず切実顔の信者の上に降って来るってわけよ(笑)
>>196>>197をよく読もう(笑)
>>201 都合のいいものだけチョイスして、恣意的に編集して拡大してるのはあんたでしょう。
遠藤さんや、宮崎さんの本はあんたの変な解釈と全然違いますから。
私が貼った
>>196>>197をよく読むべきはあんたでしょうよ。
>>198 ちなみに、その「わからない。私には永遠にわからない」という言葉は、新聞記者によって部分的に切りとられて編集されたものだと、
福田本人が後に述べてます。
>>196>>197 は金太郎飴三島の面目躍如
で、この時点でだいぶ意識化されてるんだけど
これだけじゃ俺の掌のうえに乗っちゃうし
三島自身、ものたりなかったと思うのよ
>>202 おまえの知能におさまってしまう三島ってつまらんと思わんかね(笑)
もっとどえりゃーせんことせにゃならん
て腹さすったりなんかして
まったく面白い人だねえ(笑)
拍手拍手
>>204 あんたが言ってることなんか、とっくに通過してるんだよ。バカじゃないの、珍しがって。
自身の思想なり美学なり遺言を後世に残すために、演出するのは当たり前。
それにコンプレックスやいろんな体験によって三島の物事の見方や思想が生まれたわけだから、
別にまやかしでも何でもないでしょ。他人があれこれ言ってることなんか全部三島自身が晒してること。
半可通が珍しがってお疲れでした。
働けチワワ
俺今日は非番な
>>198 三島を可哀想だと多くの人が思っていただろうけど、その時点で
日本と言うのはすでに民族・文化的な幸福(降伏)状態にあったのだろうな。
だが三島の理念は今後の日本で大いに受け入れられていく可能性が高い。
そのとき始めて三島の死という物が報われるのだろうと思う。
>>206 俺はまだ殆ど何もいってないんだが。。
「他人があれこれ言ってることなんか全部三島自身が晒してること」
ひゃ〜でたぁ〜(笑)
三島とあなたのあいだに他者はいないと(笑)
>>208 いやね、それにしちゃ終戦前の三島てみじめすぎない?
戦後だってコソコソ後づけしてたっしょ
四十年頃からいきなり噴火してもさぁ〜
ま、思想家としては永遠にオタクのアイドルっしょ
自己満足のパロディーっす
作家としてだけは超面白いぞ、うん
なんだこのバカは、て永遠に珍重されますぞ
>>210 噴火する必要のない時期に噴火するわけないでしょうよ。
ろくに知りもしないで、ネットで部分拾いのとんちんかんバカ晒しでしたね。
もっと自分自身で三島の著書や対談を読みな。
>>210 コソコソ後づけして偏向、捏造解釈してんのはあんたみたいなブサヨ。
三島の基本思想や美意識はずっと一貫してますから。残念でした。
213 :
吾輩は名無しである:2010/12/21(火) 17:47:46
お尋ねします。
死の直前に開かれた池袋東武百貨店の三島由紀夫展の内容や様子を出来るだけ詳しく知りたいのです。
当時のカタログ以外で資料となる書籍がありましたら教えて下さい。
>>211 どう考えても自己噴火だなぁ…
あなたは自分自身のアタマで考えようね
ノビシロなさすぎ、笑っちゃうのよ
>>212 だから金太郎飴ってずっと評価してんじゃん
>>213 ホラホラ、ちわわ
こういうのにレスすんのだけがおまえの存在意義なんだからさ、はやくしろよ
知らんの?
>>214 金太郎飴じゃないけどね。基本思想は一貫してるけど、その現れ方は繊細で優雅なものから尚武に変わってますから。
頭悪そうだね、あんたは。
>>213 「四つの河」の文章は全集に掲載されてますよ。
いいから有名な池袋東武百貨店こたえるのを優先しろよ
おまえが頭わるいのもうバレバレなんだからさあ
詳しくていってんだろボケェ
>>213 カタログ以下の内容や様子は、さまざまな三島関連本の小さなそれぞれの記述くらいしかないかもしれませんね。
纏めた資料は私も知りません。
>>219 自分が答えられもしないくせに威張るんじゃないよ。金太郎飴とか無知晒しバカが。
この展示会にかんするコメントいくつかあったろが
なんでおまえそういうのにゾンザイなんだよ
変な性格だよなあまったくよぉー
おらおらさっさと検索してあげなよ〜
>>222 おみゃあが教えりゃあええがな(河村たかし風に
225 :
吾輩は名無しである:2010/12/22(水) 04:15:02
三島は、肉体と行動をひとくくりにし、「書物」すなわち「書くこと」とは相容れないのだ
と述べている。この意識が彼をして『豊穣の海』以後は書かなくてもよい、書くことがない
と感じさせたのだろうと思います。しかしながら、彼が「男らしい行動」の比喩としてあげ
ている密林の河が「鰐、ピラニア、敵の部落からの毒矢」に満ちていると書かれているのは、
なんとあっけらかんと少年そのもののような書きぶりでしょうか。彼にとって「行動」とは
『少年ケニア』のジャングルの河を渡ることなのか、と思わせる比喩です。華麗な形容句が
三島文学の神髄とされていたのに、生涯最後を飾る「三島由紀夫の半生」の比喩が
少年ケニアのジャングル!
市ヶ谷自衛隊のバルコニーで演説する三島の姿が、どこか道化じみた滑稽さを感じさせ、
バルコニー前に集められた自衛隊員たちが三島の「国家の行く末を案じる演説」を見ながら
けらけら笑っているのは、このせいだったかと納得しました。
三島が必死に「行動」によって渡っている河には、鰐やピラニアや毒矢が満ちている。
ジャングルクルーズにうってつけの日に、三島は河を渡ろうとしたのでしたが、その河は、
1970年に世界史的大問題であったベトナムのジャングルにあるのではなく、
カルフォルニア・ディズニーランドのジャングルクルーズだったと感じさせます。
三島があの政治思想―象徴天皇制や現行憲法批判―に至った経緯を知りたいのですが、
何かいい文献はありませんか?
>>225 複雑な社会機構や政治システムのなかで複雑な文明人ぶって生きてるようでも、男の行動の基本原理はそういうもんでしょ。
そんなことも解らないあんたがバカなだけの話。
>>226 三島本人の著書や書簡を全部読めばいいんだよ。他人のフィルターがかかった関連本なんか読む前にね。
>>225 その当時の平和ボケたちの方が非現実で、三島の訴えの方が極めて世界的にまっとうなものだけどね。
>>226 ちなみに、三島は天皇象徴制は否定してませんよ。
>>225 でも三島のそうした理念ってすごく大事なんだよな。
>>228 非現実と言うより、社会に支配される側と言うのは常に革新的な何かを求めてるものだよ。
新しいイデオロギーをね。
あの敗戦で大衆は民主主義と共産主義のイデオロギーに傾倒してしまった。
それもまた現実。
若者は共産主義を掲げ、しかし三島は天皇主義を掲げた。
面白いのは今完全に逆になってるという事。
16歳の学習院の集合写真の三島由紀夫、ひときわ目の綺麗な美少年ですね。
周りの面々と比べると貴公子が一人混じってるようです。
三島は男性よりも女性からのほうがやっぱりファンは多かったんでしょうか?
男性雑誌の人気投票で一位だったらしいよ。
>>233 いや、男性としてももちろん憧れるよ。
だけど女性にはもっと三島は人気だったんじゃないか?
日本文学のスターだと思う。
倍賞美津子は楯の会パレード応援に駆けつけてたそうだから、ファンだったんだろうね。
236 :
吾輩は名無しである:2010/12/22(水) 23:35:01
>>227 だったらお前もそうすればいい
パソのまえでくすぶりつづけるより行動しろ
三島の言を正しいとすればお前の醜さはいったい何だ!
「複雑な文明」「男の行動の基本原理」
こんな借りモノのことばがお前自身と何の関係がある
恥を知れ、棚に上げるのもいいかげんにしろ
まずは働け!
>>226 作家を知るには遠望し、相対化して、自己の頭でかんがえることです
227のような救いようのないアホ信者を観察してみましょう
私は、松本健一『司馬遼太郎が発見した日本』をおすすめします
以下、解説のひとつをご紹介いたします。
237 :
吾輩は名無しである:2010/12/22(水) 23:45:16
1970年11月25日に三島由紀夫は「盾の会」のメンバーと自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、
「天皇陛下万歳!」と叫んで割腹自殺した事件がいわゆる三島由紀夫事件である。
一方司馬さんのこの「街道をゆく」の連載が始まったのは1971年1月1日号からで、
当然この連載の原稿は前年の11月か12月の初めではないかと松本さんは推測されている。
ということは、この三島由紀夫事件が「街道をゆく」の執筆に何らかの影響を与えているのではないか
というのである。
その根拠として松本さんは三島由紀夫が自決してからすぐ「異常な三島事件に接して」という
三島由紀夫を痛烈に批判した文章を書いていることをあげている。
三島由紀夫は昭和天皇が戦後「人間宣言」をして天皇が神でなくなってしまった日本を問題視した。
三島にとって気概を持った美しい日本の象徴は天皇であるべきであって、だから自分は天皇が神で
あることを信じ、天皇陛下万歳と叫んで死んでいくんだとした。
松本さんは三島由紀夫は天皇原理主義だったというのである。
それを司馬さんは「私が考えている日本とは違う」ということを批判文章で言い表したというのである。
司馬さんは思想に淫してはいけないし、あるいは思想のために死ぬことはあってはならない。
たとえ仮にその思想が一時支持されても、所詮一種の「狂気」でしか支えられないものだというのである。
司馬さんは三島由紀夫の思想を「美」に置き換えた方がわかりやすいとし、三島が求める「美」が
戦後日本にはなくなってしまったから、自衛隊員にその絶対的な価値(天皇)の復権を促した。
司馬さんが求める日本とは、三島が言う天皇が神である社会でもないし、高度成長期の「豊かな社会」
でもない。松本さんは司馬さんは「日本人が長い歴史をかけて歩いてつくってきた『道』や『土(くに)』
に、そうしたモノ(づくりの文化)に詩を、いや『美しい日本』を見出しているのである」という。
つまりある意味この『街道をゆく』は三島が求める日本の美に対してのアンチテーゼであったのでは
ないかというのである。
そしてそれがこの『街道をゆく』の執筆の動機の一つであったのではないかというのである。
あと、三島の言う天皇が神の社会と言うのは右翼の言う天皇が現人神であると言うのとはまた違うんだよな。
239 :
吾輩は名無しである:2010/12/23(木) 00:00:23
>>225 市ヶ谷駐と・ん・地
たしかに間が抜けてるなあ…(笑)
アホ信者たちに松本健一はムリな話だw
松本健一なんて幼稚で浅い本しかない人でしょ。
いかにも三島ビジネスで便乗本で金儲けしようとしてるのが見え見えの、タイトル負けしてる本しか書いてないけどね。
本当の三島研究第一人者の松本徹さんと大違い。
>>234 特別イケメンってわけじゃないのに何か華があるオーラをかもしだしてるというか、
特に学習院のときの顔は色白のせいか、他の同級生のなかで一番品があって色香があるね。
私がもし、そのときのリアル平岡公威くんに通学時にバスや電車で出会ったら、恋してたかもしれない。
>>237 でも司馬も晩年は三島由紀夫と同じような憂国になっていってたらしいよ。
>>241 憂国忌発起人はやめとこう
松本健一の何を読みましたか、ちわわさん(笑)
松本健一なんて三流物書きに図式的に比較され語られることは、司馬にも三島にも迷惑な話でしょ。
作家のジャンルも違うし、そもそも司馬は三島作品を読んでなかったわけだし、三島も創られた時代小説に興味なかっただろうし。
>>244 三島便乗のつまんない本、二冊読んだよ。
三島をダシにしてるだけで、中味は三島とたいして関係ない、つまんない内容だったわ。
247 :
吾輩は名無しである:2010/12/23(木) 00:44:33
電車の中で三島の文庫本よんでるやついたんだよ
もうナイーヴすぎてダサくて目をそむけたね
いまの時代、太宰のほうがまだしも救いがあるよ
なんかこう、ひとまえに三島をさらすってさあ…
バカの標識みたいだよホント
なーんか、こう
「信じてんすか、おたくぅ」て訊きたいてか
恥ずかしいんすけどォ、かんべんしてよ、て感じ
>>246 題名調べたなら書けよ(笑)
松本健一にとってダシにする価値しかないのは偶然にもいえてるぞ。
>>247 いちいち、人が読んでる本で、そこまで妄想めぐらすあんたがナイーブなバカでしょ。
三島の本読んでるからって、三島ファンとも限らないし。
松本健一は三島を否定も肯定もしてないからな
タイトルにかかげたのは1冊しか知らんが
>>248 題名なんかいちいち覚えてないわ、中味が薄っぺらで。
ダシにするしか価値もないものに頼らなきゃ、本も書けないなら尚更三流ってことですね。
ここに来るアンチって必ずsageとageで連投するね。いくらキャラ変えても同じ(笑)
>>250 あ、チワワは三島をハッキリ否定されないと退屈なのよ
客観的に三島がどうこうてことには興味ない人だから
たとえば三島初心者がここにカキコするでしょ、興味本位で謙虚に
たちまち噛みつくんだ(笑)おまえは知らん、と
あとタイトル本は3冊ある、視野が広いよね
>>253 松本健一は、客観的に三島がどうこうてことまで書いてないよ。
三島の天皇論を参考に出して、松本健一自身の歴史上の自説を書いてるだけで、別に三島論じゃないから。
>>253 客観的に書いてる本なんてないからね。客観のつもりになってるだけで。
あのー、どこが反論なんですか?
あ、距離をおいて冷静に、という真意がわかんないわけか
ブサヨの特徴
客観的、世間では、というまやかしで自分の主観をあたかも正しいかのように偏向、捏造する。
崔洋一も、「客観的」を連呼しながら火病起こしてたよ(笑)
姜尚中も似た論法。
>>225のネタ元
「行動の河」三島
「肉体の河は、行動の河を自然にひらいた。女の肉体ならそんなことはあるまい。
男の肉体は、その本然の性質と機能によって、人を否応なしに、行動の河へ連れてゆく。
もっとも怖ろしい密林の河。鰐がをり、ピラニアがをり、敵の部落からは毒矢が飛んで来る。
この河と書物の河とは正面衝突をする。いくら「文武両道」などと云ってみても、
本当の文武両道が成立つのは、死の瞬間にしかないだらう。しかし、この行動の河には、
書物の河の知らぬ涙があり血があり汗がある。言葉を介しない魂の触れ合ひがある。
それだけにもっとも危険な河はこの河であり、人々が寄って来ないのも尤もだ。
この河は農耕のための灌漑のやさしさも持たない。富も平和ももたらさない。安息も与へない。
……ただ、男である以上は、どうしてもこの河の誘惑に勝つことはできないのである。」
鰐、ピラニア、毒矢、…カッコイイなぁ(笑)
>>259 同期の桜、唐獅子牡丹へカウントダウンだなw
ブサヨの特徴
自演
それでもその単純さこそが、幹部候補生たちを三島にとって重要なものにしたのだとでも考えないかぎりは、
三島ほど複雑な人間がかくも単純な青年たちのためになぜ多くの時間を割いたかを理解することはむずかしい
とジョン・ネイスンはいう。
青年たちは三島を「純真だ」「少年みたいだ」「ぼくらがするのと同じことを楽しんで、
大笑いするのが好きだった」と表現するが、三島は青年たちといっしょのとき、ほかのところでは決して
できないような対等さでふるまうように心がけていたらしい。たぶん三島は自意識だの懐疑だの、
そして自分を脅して最後の行動から隔てている恐怖だのから自由になり、自分を単純で動かされやすい人間に
するために、楯の会を用いていたのかもしれないとネイスンは推測する。
しかしこのようなネイスンの推測はどこまであたっているのかはわからない。
なぜなら村松剛の評伝にはこう書かれているからである。
『若者たちが三島の家に出入りするようになってから、ある日村松にこんなことをいった。
「若い者が来たらこっちはどてらかなんか羽織って玄関に出て、おう来たか、まあ上れ、
・・・そういってほしいのだろうなあ、あいつらは・・・。それがおれには、できないんだよ」
できたらそうしてやりたい、という口調だった。
村松剛はそれをきいて唖然としたのだった。磊落を衒うこういう泥臭さを
三島はなによりも嫌っていたはずだからである。』
盾の会の連中、だんだんでかい態度に変わってるらしいぞw
>>263 あなたの主観→三島の書いたもん→そんだけ(笑)
日本国の本質は帝国主義にある。
この世界で本物の皇帝を君主として頂いているのは日本だけ。
それだけは、例え三島の追い求めた日本というものが
実現されなくとも取り戻さなくてはならない。
三島由紀夫の憂国による割腹自殺は、敗戦に際し国体護持を念じてピストル自殺をとげた蓮田善明の影響だろう
……とは、由紀夫の少年時代のシンパだった富士正晴氏をはじめ、大久保典夫氏その他の推量である。晩年の
由紀夫に、蓮田善明伝の序を頂戴するという特別のかかわりを持った私は、あながちその推量を否定しえない。
(中略)善明が由紀夫を「われわれ自身の年少者」という親愛な言葉で呼び「悠久な日本の歴史の請し子」と
仰望をしたのは、まだ由紀夫が学習院中等科五年生の昭和十六年九月だった。(中略)
「われわれ自身の年少者」という愛称と、正体をわざと明かさぬ思わせぶりな語韻のどこかには、まるで
お稚児さんにでも寄せるような愛情がぬくぬくと感じられる。まことこの日頃、由紀夫を伴い、林富士馬氏と
一緒に善明を尋ねたことがある富士正晴氏は、帰りに善明がわざわざ駅まで見送ってくると、まるで恋人が
別れの際にするような別れたくないといった感情を、あらわに由紀夫に示したのを見ている。
又、由紀夫の方も、「花ざかりの森」を発表したのを契機に、たびたび寄稿を許され、あまつさえ同人の集まり
にも出席を認められた。そして同人の(略)栗山理一氏に対しては大人のシニシズムを感応しているが、特に
善明には「烈火の如き談論風発ぶり」に、男らしさと頼もしさを感じたのだった。
当時、由紀夫は十七歳、善明は三十八歳だった。善明は由紀夫の十七歳に、己の十七歳を回想したであろう。
善明も人一倍に早熟だったからだ。彼は中学の学友丸山学と刊行した回覧誌『護謨樹』に、すでに次のような
老成した人生観を述べていた。(引用略)
敗戦で自決した覚悟の決然さの萌芽は、すでにこの少年の日にできていたのである。この善明の悟達は、
十五歳の歳一年間、肋膜炎で瀕死の床にあった経験から、死を凝視める習慣がついたものだった。
小高根二郎「善明と由紀夫の黙契」より
(中略)善明の「死から帰納した生涯」と由紀夫の「椿事待望」の早熟な資質は、やがて「死もて文化を描く」
という夭折憧憬につながるのだ。換言すれば、それは「大津皇子」と「聖セバスチャン」の邂逅――殉難の
讃仰なのである。
大津皇子は朱鳥元年(六八六)父天武天皇が崩御してから一ヶ月も経たぬうちに決起を思い立った。(中略)
「『予はかかる時代の人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。……然うして死ぬことが今日の
自分の文化だと知つてゐる』(大津皇子論)
この蓮田氏の書いた数行は、今も私の心にこびりついて離れない。死ぬことが文化だ、といふ考への、或る
時代の青年の心を襲つた稲妻のやうな美しさから、今日なほ私がのがれることができない…(略)」
(三島由紀夫「蓮田善明とその死」序)
由紀夫の決起への啓示は、ここに発していたのかもしれない。
(中略)
元旦の夜、楯の会と浪漫劇場のごく親しい人々が三島邸に集まったとのことだ。(略)談たまたま亡霊談義に
なるや、(略)由紀夫の左肩のあたり、顎紐を掛け刀を差した濃緑の影が佇んでいるのを、丸山明宏氏が
発見したということだ。「あッ!誰か貴方に憑いてます」と丸山氏が注意すると、由紀夫は真顔になって、
「甘粕か?」と問い、たて続けに二三の姓名を上げ、最後に二・二六事件の磯部の名をあげた由である。
同席の村松英子さんは丸山氏に亡霊を追払ってくれと要請した。すると由紀夫は笑って、『豊饒の海』が
書けなくなるから止めてくれといったという。
私はこの記事を読んで冷水を浴びたように慄然とした。丸山氏の記憶せぬ二三の姓名の中に、間違いなく善明の
名も入っていたはずだからだ。と、いうのは、その日頃、由紀夫は拙著『蓮田善明とその死』の序を執筆して
いたか、執筆すべく構想をしていたからだ。
小高根二郎「善明と由紀夫の黙契」より
執筆にあたって彼は、当然シンガポール近くのゴム林に眠っている善明を想起し、その霊を呼んだろう。(略)
そういえば善明は前にも海を渡って帰ってきた。昭和二十年八月十九日、敗戦の責任を天皇に帰し、皇軍の
前途を誹謗し、日本精神の壊滅を説いた職業軍人・上條大佐をピストルで射殺し、かえす筒先で己がコメカミを
射抜いて果てた善明は、その時の完全軍装の姿で熊本県は植木町の留守宅に帰ってきた。明け近く、青蚊帳を
透かし、縁の外に佇んでいる夫をみつけた敏子さんは、「おかえりなさい」と挨拶した。善明は佇んだままだった。
「どうなさいました。お入りなさいまし」というと、前にくずおれるように姿はかき消えた。
その善明が、由紀夫の決起を知って帰ってこぬはずはない。
二人の合言葉は、『英霊』の「などてすめろぎは人間となりたまひし」であったはずだ。そう、私が夢想し
思量するのも、或いは絶作『豊饒の海』の輪廻転生の示唆なのかもしれない。
小高根二郎「善明と由紀夫の黙契」より
朝までやってろw
今の世では時代おくれのあの思想は、いつも私の生きる糧だつた。天皇陛下への絶対の愛、
日本人としての絶対の矜り、理窟はどうあらうと、私は五郎さんの肉体を抱きしめるやうに、
あの人の思想を抱きしめて来たんだわ。弱りかかる心、現実を知つて利巧に妥協的になり
かかる心を抑へて、いつも私は心の底からアメリカを憎んでゐた。(中略)私は五郎さんを
殺した屈辱的な敗戦を決して忘れなかつた。それ以後、私は一度もアメリカに負けなかつた
自信がある。
三島由紀夫「恋の都」より
五郎さん=善明さん
274 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/23(木) 13:08:45
>>253 の阿呆には松本健一本は入門書と死ては最適なので症がねぇ〜(笑)
>>253 も ニーチェ入門で哲学が解った未央子(笑)やオーバーヒートゾンビマニア(笑)と同類の低脳と逝った漢字で藁貸し増すねぇ〜(笑)
何だ鈴木藁貸し(笑)
働けクズ
276 :
吾輩は名無しである:2010/12/23(木) 18:04:20
>>274 こんな処にいたかチンカスザコ(笑)つくづく見苦しい野郎よ(笑)
三島は屑ニートのヒーロー
3島は屑2ーとの1ーロー
世紀のカウントダウンだな
279 :
吾輩は名無しである:2010/12/23(木) 20:19:58
「愛の渇き」読んだけど、あともう一歩理解できない感じだった
年とってから読めば分かるようになるのかな
愛の渇きは地元が舞台だったから勢いで読んだなあ。
悦子は結局幸せをつかめない女って解釈で良いのかな?
悦子の「盗み読みされるための日記」と本音を綴ったかのような日記(これとて本心じゃない)
は笑いました。
こういう女を描かせると三島は本領発揮みたいな感じでw
>悦子は結局幸せをつかめない女って解釈で良いのかな?
そう解釈するしかないよね。
常に報われない立場にいる女、幸福から最も遠いところにいる女。
>>280 幸せをつかめない、っていうか、世間一般の幸せはつかもうとしていないのでは?
「愛の渇き」キャスト
悦子… 小雪
何を考えてるかわからない陰のある感じが合いそうです。
「獣の戯れ」の優子もミステリアスで魅力的だよね。
優子はもちろんあの夫も強烈でしたよ。
あの三人、全員底知れないw
「禁色」の檜老人もそうだけど、よくもまあこういう人間たちを創造できるものだと。
286 :
吾輩は名無しである:2010/12/24(金) 04:55:45
獣の戯れは女のエロさでは三島作品随一だな。
小池真理子が愛の渇きと獣の戯れが一番好きだといっているのもうなずける。
287 :
sengoku34:2010/12/24(金) 06:31:31
ぱっぱらぱ^^
>>285 金閣寺の柏木もすごいよね。三島が造ったなかでも一番の傑作キャラだと思う。
>>288 柏木の童貞脱却の独演会は思わず拝聴しましたよ。
不具の論理からエロティズムの論理へ、すばらしいですね、柏木は。
柏木を主人公にした一品があってもいいと思うくらいです。
柏木と「天人五衰」の絹江をカップルにしたものとかねw
どもれ!どもれ!
柏木を演れる俳優は誰だと思う?
今話題の麻木久仁子は溝口の母親役にどんぴしゃりね。
ニヒリストだった戦前の三島が戦後克服しようとしたが
結局ニヒリズムに飲み込まれて死んだ
これが三島の人生の全てと要約できる
>>293 ま、それよか三島の義勇死が今後の日本にどういう影響を与えるのか本当に見ものだな。
>>293 ニヒリズムを克服?
なにかズレた間抜けな勘違いしてますね。
三島は最後まで、「ニヒリズムがぽつんと中心の点になければいけない」と言ってた人ですよ。
296 :
吾輩は名無しである:2010/12/25(土) 20:41:05
昨日から三島由紀夫の写真がネットオークションに出品されているが、
こんな値段じゃ誰も買わないだろう。
297 :
吾輩は名無しである:2010/12/25(土) 22:26:43
「午後の曳航」読んだ
栄光への曳航ってか
タイトルつけるの上手いよね。純白の夜、仮面の告白とか、さりげなく名タイトルだと思う。
不道徳教育講座もええよね。
>>291 市川昆のでは仲代達矢でしたよね?
私はあの時代の俳優なら岸田森がいい、と思いました。
今現役の俳優さんではちょっと思いつかない。
>>298 「永すぎた春」「美徳のよろめき」とかね。
「午後の曳航」タイトルからしてシビれます。
今の俳優はCMタレントと同じだからね。
2011/01/02 14:00〜14:54 の放送内容 BS-TBS.
ゆらり散歩世界の街角「バンコク〜水の都に生きる祈りの人々」
世界各地のさまざまな「街」をゆったりと巡りながら、街並みや観光名所、グルメなどを紹介。
今回はタイの首都バンコク。母なる川・チャオプラヤ川に抱かれるバンコクは人口900万人の巨大都市。街のそこここに祠があり祈りを捧げる人が後を断ちません。
高さ67mの大仏塔が街を見下ろす「ワット・アルン」に魅入られた文豪・三島由紀夫は「暁の寺」で「空へ向かってにじり寄って成した極彩色の塔」と表現しています。
水に恵まれ深い祈りに包まれるバンコクの街歩きをお楽しみ下さい。
出演 【ナレーター】橋爪淳
スタッフ 福田智彰
>>295 三島はニヒリストではないね。
文字通りぽつんと中心の点としてニヒリズムを抱いていたと言うだけで。
>>293 逆逆。
三島は伝統主義に飲まれて死んだ。
ニヒリストになれなかったために死を選んだ。
そして後世に残された我々は三島の失敗を繰り返さないように
物事を考えていくしかない。
つまり天皇主義の否定。
ただし、それは天皇の否定ではないと言う事をよく理解しなければならない。
>>303 三島はニヒリストですよ。それから、伝統主義、尊皇主義とニヒリズムは対立概念じゃありません。
武士道、禅の思想はニヒリズムと密接につながってる思想です。
死を選んだから失敗とか成功とか、そういうあなたの考え方自体が三島の哲学、思想を全くわかってない失敗解釈です。
補足すると、三島はニヒリストだけど、神秘や神霊的なものや自然への畏怖を持ってる人です。
>>305 いや、俺は三島が失敗だなんて思っちゃいないよ。
少なくとも三島は成功したと思うね。
三島は自ら失敗する事で、そうなってはならないと言う事を後世に伝えた。
そして、それによってこれまでの天皇主義にこだわらない新しい維新を
しろと、俺はそう解釈してる。
もしそうでないと言うなら三島は確実にニヒリストではないね。
まあ成功でも失敗でもないと考えるのは人それぞれだけど。
チワワにはニーチェのいうニヒリストなの
三島がそう書いてるからだと
ニーチェそのものを読まずに言うんだぜ
三島が辞書なのよw
三島由紀夫は、完ぺき主義者だったのだろう。
自己の完成にも心血をそそいだ。
自分に欠けた部分が気になって仕方なかったのだ。
たとえば三島は運動神経がにぶかったために
そこにことの他こだわり、剣道も嘘の段位まで取得して
その気になっていたという。
貧弱な肉体も改造してマッチョにした。
簡単に言えば、見栄っ張りのナルシストだ。
これをかっこよく訳せば、
彼の人生は、彼の思うあるべき美の追求だったということになる。
あるべき美は、すべてを超越したところに存在する。
人で言えば超人ということだ。
三島は、全共闘との討論の中で天皇観を述べ
権威や征服者としての奔放な強者としての神がかった美しさの
純粋な持続とした。
「天皇はブルジョワなどではなく、日本の民衆の底辺にある観念、日本人の持続したメンタリティ、
いわば庶民の超越項である。それをものにしなければ空間を理解できない時間を生きる民衆の心は掴めず、
革命はあり得ない。徹底的な論理性は非論理的で非合理的な文化の上でこそ成り立つ。
文化的概念としての天皇こそが、それゆえに革命原理、戦闘原理となりうる。」
三島は民衆を「空間を理解できない奴ら」とみなしている。
そう仮定するところの民衆を超越するものなど、支配者でしかない。
しかし彼は、天皇を人間でありながら神である、三位一体のような超人としてとらえている。
超人を神と同一視するということは、超人である自分をも神とする
ということだ。ここで彼はやはりナルシストだとの証明がなりたつ。
全共闘は、彼についてこのように結論付けた。
「三島は過去の歴史に規定された関係性の中でしか生きられず、日本文化に拘泥し、
その幻想の中に喜びを感じている。 それは日本文化や日本人であるということに負けている、
ということだ。自由であることを放棄した、そういう退屈な三島からは何も生まれない。」
三島は日本人の誇りを訴えたかった。
生命尊重のみで魂の死んだ日本人を嘆き、
「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を
諸君に見せてやる」と、自衛隊に期待した。
しかし裏切られ、自決したといわれている。
彼は生命尊重以上の価値の所在を自分に求めたということだ。
自衛隊には期待できないと、わかっていたのではないか。
彼は既にその崇高な志を政治に弄ばれている。
憲法改正と日本の再軍備をもくろむ政治家に支持されたという。
現在で言えば頭数欲しさに復党させたいために
「人間最後は情だよ」みたいな言葉に踊らされる人間の
おめでたさを、三島は駐屯地で演出して見せたのではないか。
三島のような自意識過剰のカッコマンは、通常ならみっともない
姿はさらさないように、用意周到になるところだろう。
恥を何より恐れた彼が、恥をさらし、茶番を演じたのだ。
それは自らを神になぞらえた、ナルシシズムの抹殺であり、
マゾヒズムに彩られた道化としての
本当の神への敗北宣言ではなかったか。
ここで三島は開けた人間として超越性を発揮したのだ。
超人としての完結は、その意味で最初の理想と合致する。
あるいはキリストのように、真の武士として蘇ろうとしたのか。
>>307 まあ、あなたがどう解釈しようと勝手ですが、少なくとも三島は自身の信じた何らかの価値観、価値基準に殉じたんだから、
失敗の見本でやったわけじゃないよ。いくら他人には失敗に見えようとね。
それに三島の提言は、日本から天皇をなくしたら日本じゃない、革新の原理も天皇(天照大御神)にしかない、
というものだからね。あなたの解釈はありえないでしょうね。
>>303 違うね
豊穣の海の唯識論なんてニヒリズムの極地でしょ
うつ病患者が自殺するように三島もニヒリズムで自殺したんでしょうね
平野啓一郎も言ってた
いろんな演出をしたけど死ぬという決定は全く揺らいでない
思想で死んだというよりも体質だったんだろうな
>>310 > 三島は民衆を「空間を理解できない奴ら」とみなしている。
↑三島はそんなことも、そんな意味のことも言ってませんよ。言ってることはその逆でしょ。
全学連の解釈した偏向したものじゃなくて、もっと自分自身でオリジナルの三島の言説を読んでくださいよ。
>>312 ニヒリズム思想と、うつ病とかは別次元のもの。
それに平野はそんな意味のこと言ってないよ。
あなたみたいな低レベルな読み方は、そもそも三島作品を語る資格ないから、石原慎太郎でも読んでてくださいな。
>>310 後半のあなたの意見をよく読んでみると、もしかして、あなたの言ってた天皇に代わるものというのは、三島由紀夫ということかな?
>>311 それはわかるけど、三島は自己の目的に対しては成功でも
クーデターの再現という事では失敗したんだよ。
それは自衛隊や大衆の扇動ができなかったからだ。
俺はそこをあえて失敗と捕らえたまでで、次にそうしたことを
本気でやるのであれば確実に大衆扇動に沿った三島が
嫌ったやり方で遂行しなければ、もはや成功し得ないんだよ。
つまりそこだけは伝統的な尊皇と言う方法で本来なら体制を
解放する目的である維新と言う行動において、単なる体制維持
の訴えになってしまった。
>>312 そういうことを言ってるんじゃない。
それはまた違う意味での、心理学的なニヒリズムでは?
自分の言ってるニヒリズムというのは、ニーチェのゆう思想的な
ニヒリズムで、つまり民族と言う思想や主義における活動や行動
において、自己となるそれまでの蓄積、つまり伝統を否定するか否か
と言う意味での、アナーキーな意味でのニヒリズムであって
つまりニヒリストであるなら民族や伝統といったものを無意味なものだと
捉えてそれを放棄するのである。
いわゆる地球市民とか世界共産主義革命の左翼がそうい状態であった。
三島は伝統主義的な、保守的な価値観に縛られることによって
あと一歩どこか革新的な要素、つまり大衆を魅了する、あるいは扇動する
ニヒルな要素と言うのをもってなかった、と思う。(あるいは時代による求め)
要するに三島なら全共闘の連中と共に天皇社会主義というまたく新しい
ソヴィエト主義とも違う、まるでナチスドイツのような維新体制を築けたのかも
しれないのに、彼は伝統主義にこだわり思想的なアナーキストになれなかった。
そして皮肉なのは、戦後日本がアメリカ主義とそのシンパによって象徴天皇制と言う
体制に維新されてしまったと言う現実であり、そして日本単独での維新と言うのは
敗戦によってそれはもう不可能であったことを三島が認められなかったのだとおもう。
>>316 クーデターの失敗は前年の、新宿デモ鎮圧に乗じてやる計画の破綻で終わってたから、
最後の訴えはクーデター目的じゃなくて、純粋に自分の提言を知らしめるためだと思いますよ。
でも、三島の願いだったクーデターの目的が叶えられなかったことには変わりありませんから、
あなたの言う意味もわかりますけど。
>>317 当時は共産主義が強い情勢だったから、どうしても天皇をトリデにしておかないといけないという危機感が
三島のなかに強くあったんだと思います。
>>312 自殺願望は極度のナルシストに多いと聞きます。
中川昭一氏もそうだといわれてます。
三島の場合は文学や思想も絡んできますし、
>>293で
ゆわれてる事と言うのは、生きて自ら日本を変えると言う
強さをもてなかったために死んだと言うことも三島の作品
から伺えると言うのは、そうなのかもしれません。
>>319 そもそも
>>293は間違ってるし、あなたの
>>293に対する読解もさらに間違ってるから、
あなたのレスには何の効用もありません。
中川昭一も自殺したと確定してませんし、あなたの言ってることは全部根拠のないでたらめでした。
ついでに言うと、言うは「ゆう」と書きません。もっと正しい日本語マスターしてくださいね、反日サイバースパイさん。
>>320 >そもそも
>>293は間違ってるし、あなたの
>>293に対する読解もさらに間違ってるから、
少なくとも俺は三島のことをナイーブな人だとは思ってない。
そもそも三島は芸能人だからかも知れないけどいわゆる普通の右翼とは違うと思うね。
>ついでに言うと、言うは「ゆう」と書きません。もっと正しい日本語マスターしてくださいね、反日サイバースパイさん。
自分はニヒリストなのでそういう事は気にしない。
訂正
×
普通の右翼とは違うと思うね。
◎
普通の人とは違うと思うね。
323 :
吾輩は名無しである:2010/12/27(月) 00:54:12
>極度のナルシスト
>生きて自ら日本を変えると言う強さをもてなかった
私は三島を否定する者ではありませんが、
この二つは断片として間違った(三島の)評言ではないと思うし
その見方はある程度成り立つ、と考えます。
凡人ではないならばこそいろんな要素を抱えたでしょう。
その観点まで完全否定となるとツマらなく単純な三島像がのこる気がします。
>>323 日本を変えるのは三島の遺志を継いだ後世の者たち(三島から見て)の仕事でしょう。
当時は今より護憲勢力、反日サヨクが蔓延っていたわけだから、生きて三島一人頑張ったとしてもたかが知れてたわけよ。
今でさえ、あの手この手で巧妙に三島を否定する勢力があるんだから。
政治家になった石原慎太郎だって何一つやってないし、できないでしょ。誰も変えてないし、変えられないのが現実。
三島はそんな焦燥のなかで、日本の100年先を見て、そのための提言をより長く残すためにやったことなんだから、
弱いどころか、あえて様々な批判を承知で死ぬ強さを持っていた人。肉体は死んでも「生きる」道を選んだわけです。
不倫しといて不倫じゃないとか開き直り弁護士までつけて自己正当化するような汚い歯茎の狡く立ち回る女が、
テレビ業界で擁護される現実。メディアを支配するバックの勢力電通に媚びる小倉禿げのような腹黒が偉そうに
司会やコメントしてるの見ると、こういうバカな俗が昔も三島を非難してたんだろうと想像つくわ。
>>326 それが三島の人生観、三島の強さだと思う。
誰でもあんな死に方、生き様が出来るわけじゃない。
それは当時の右翼でも難しかったはず。
出来たのは有事のときの軍人と三島だけ。
あのハラキリパフォーマンスのおかげで「憂国忌」なんて作ってもらえて
まるで神様あつかい、これこそ三島の本懐だったんじゃないの?
俗物も極まればこういう本物感が出るんだよ。
痛かったろうによくがんばった。おかげで笑わせてもらってる。
脅えを秘めたひきつった笑いね。
http://mainichi.jp/enta/book/news/20101226ddm015070015000c.html 今週の本棚・この人この3冊:三島由紀夫=平野啓一郎・選
<1>沈める滝(三島由紀夫著/新潮文庫/500円)
<2>英霊の聲(こえ)(三島由紀夫著/河出文庫/683円)
<3>春の雪 豊饒(ほうじょう)の海(一)(三島由紀夫著/新潮文庫/660円)
三島由紀夫は、「恋愛」について多くを語った小説家だが、その独特な考えを知る上で、非常に
重要な言葉が、死の二年前に書かれた『愛国心』という短いエッセイの中に記されている。
曰(いわ)く「愛という言葉は、日本語ではなくて、多分、キリスト教から来たものであろう。日本語
としては『恋』で十分であり、日本人の情緒的表現の最高のものは『恋』であって、『愛』ではない」と。
煩瑣(はんさ)な語史の議論は割愛するが、最初、肉親の親密さの表現として用いられ、やがて
人に好まれる魅力の謂(いい)となった「愛」が、中世以降、仏教的な煩悩の一つに数えられ、
近代になって、西洋的概念の輸入により、一気に意味の広がりを持ったというのは事実らしい。
実は、拙著『かたちだけの愛』(中央公論新社)では、三島のこの分類をヒントに、「恋」とは刹那
(せつな)的に燃え上がって相手を求める感情、「愛」とはむしろ関係の継続性を重視する感情と、
一旦定義的に分けて考えてみた。
さて、そうして改めて三島作品を振り返ると、彼の恋愛世界に於(お)いては、必ず「恋」が「愛」
よりも上位に置かれている。
『春の雪』の主題は、「愛」ではなく、「恋」である。松枝清顕(まつがえきよあき)は、聡子との
「愛」が実現しそうになると、そっぽを向いてしまうが、彼女が皇族に嫁ぐこととなって、その関係が
不可能となった途端に、突如その「恋」心を燃え上がらせ、熱烈に彼女を求める。
『英霊の聲』で、二・二六事件の将校たちの霊が語るのは、天皇への「恋のはげしさ」、「恋の至
純」であり、決して「愛」ではない。相互に到達不可能な存在でありながら、なお奇跡のような恋
の成就が夢見られているのが、あの場面である。
では、三島にとって、「愛」はどんな表現になるのか? それは常に、徹底して、人工的な感情
であり、その端的な例は『沈める滝』や『鹿鳴館(ろくめいかん)』(新潮文庫)のような作品である。
しかし、そのニセモノの極まったところに、何か本物の「愛」らしきものが垣間見られているのもまた
三島文学の逆説的な魅力である。
「恋」と「愛」との違いを、ほとんど体質的に心得ていて、しかも、「愛」の方をより重視したのは谷
崎潤一郎だろう。二人の作品を、「恋愛」に注目して読み直すと、多くの発見があるはずである。
三島のあの民族危機意識警鐘爆弾?とでも言うべきあの自決が、三島の目的がどうとか言うのは
別にして、あの自決によって日本人が民族意識に目覚めてくれさえすればよいのかもしれない。
そして日本人にとっての天皇という存在意義も含めて。
しかし、今の日本人を見るにやはりまったくそうした民族的意識を取り戻すと言う
流れになるとは思えない・・・・・どうなるか・・・・
>>332 何を平野は頓珍漢な解釈してるんですかね。
「聡子への愛が実現しそうになると」って、なんでそこで急に、勝手に恋を愛に言い換えてるのか意味不明。
聡子への思いはずっと恋ですけどね。
そもそも三島が愛国心という論文で言ってる「愛」はキリスト教的な人類愛、誰にも平等に向けられるキリスト的な愛の概念で、
ある特定の対象や人に向う特別な感情に使う言葉としてはそぐわないと言ったわけで、
平野のような「恋が愛に変わる」とか下手な恋愛ドラマの意味と違いますから。
発起人を代表して一言申し上げます。本日はこれだけ多くの方々にご参集頂きまして慎にありがとうございます。
シンポジウムを聴きながら思い出していたのは、江戸時代の文化人が頭の中で考えた「くだん」という動物のことで
あります。「くだん」というのは人偏に牛という字です。一件、二件、“依って件の如し”というときの件です。
江戸の文化人がなぜ「件」という動物を空想したのかというと、この件という字から思いついたと考えるのです。
人偏、人間ですね、それと牛。「件」という空想上の動物は、体が牛で頭が人間、体が人間で頭が牛、そういう
想像で描かれております。
そして「件」という一種の怪物の特徴は何かというと、天変地異が迫った時、あるいは国家の危機が迫った時、
いち早くそれを予知して、一声悲痛に啼いて死ぬ動物であるということです。
そういう研究を最近読みまして、『憂国忌』にあたり、悪い意味ではなく、三島由紀夫という人は現代日本にとって、
「件」のような一聲を放った予言する存在だったのではないかと思いました。
日本は中国、ロシアから馬鹿にされて何もできない状況になった。これは三島が「檄」で予言していたことです。
没後40年の間にそれがますますリアルになり、酷いことになっている。そして三島の予知能力をますます
痛切に感じるようになりました。これを以って閉会の辞と致しますが、こういうことを“依って件の如し”
(「件」の予言が外れない様に嘘偽りがない)と謂うのです。
中村彰彦「第40回憂国忌 閉会の辞」より
「件」て妖怪は戦時中の反省からか滑稽な捉え方が一部にあるよね
まさに三島だ(笑)
「一部にある」←負けず嫌いが苦し紛れに使う常套句
2010/12/31
21:00〜23:00
TOKYO MX
大晦日特別番組 西部邁が重大ニュースを一刀両断仕分けする
>>338 負けず嫌いの無知な馬鹿が苦し紛れに使う常套手段w
341 :
キタ イッキ:2010/12/27(月) 23:39:43
日本をまともにするにはクーデターしかない。
自民も民主もその他、他党など日本のことなど
考えていない。滅私奉公的国士など政治家には皆無。
残念なのは自衛隊が決起しないことだ。
三島は文学者であって武士でも軍人でもないよね(当然だが)
ニワカなイミテーション
戦前のはまさに叶わぬ憧れだった
軍国主義の、横暴な憲兵や愚かな国防婦人の醜さと
相対してない、ほんとうの戦場も知らない!
所詮コンプレックスまみれの知識人で
腹切れば本物に近づけると思いたかった
で、三島を支持する奴はその贋物を本物と拝むことで
自分の中のひけめ、脆さ、矛盾を覆せると信じたいわけ
戦時の軍部による言論統制、抑圧こそ実体なんだが
戦後の自由な空気の中で理想だけ謳っても無意味
「天皇機関説」がどんな運命を辿った?
量は質を根本から変えるんだよ
国家主義思想が大勢を占めたら野蛮な怒声と形相が忽ち表層化する
文学板の住人なんか蟻のように踏み潰されてしまうだろう
今年の憂国忌の映像を見た。吐気と寒気がした。極楽蜻蛉の集まり
三島を考えるのに俺は最低2本の太い境界線を引くべきだと考える
日本でクーデターなんかやったら、鎮圧に乗り出してきた米中に国土分断されちまうぞ
三島は二・二六事件の青年将校らを英雄視し、テロリズムは宮廷の「みやび」文化の一形態であり、
国家危急の場合には、法を無視したテロも是認されるべきだ、と主張した。
さらに、
「菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、
文化概念としての天皇から与えられなければならない。現行憲法下法理的に可能な方法だ
と思われるが、天皇に栄誉大権の実質を回復し、軍の儀杖を受けられることはもちろん、
聯隊旗も直接下賜されなければならない。」
(『文化防衛論』)
しかし、日本の歴史を振り返ると、天皇が「大元帥」として軍服をまとったのは、
日本が対外侵略をはかった明治から昭和20年までの一時期のことで、これは例外と見なすべきで、
天皇は日本史の大部分において、それこそ「みやび」という「文」(菊)の中心であり、
「武」(刀)の中心でなかったことは明白。三島はここで日本の歴史と文化をねじ曲げている。
五井昌久は著書の中で一度だけ三島由紀夫に言及している。『日本の天命』(白光出版)の中の「私の愛国心」
の章。この文章は昭和46年の初め、つまり三島割腹事件のすぐあとに書かれた。
三島氏割腹事件以来、憲法改正、再軍備の問題が、表面にはっきり浮び上がってきて、外国でも日本の
軍国主義化を警戒の眼でみはじめている。四次防防衛費の急速なる増大予算は、保守的な人々の心にも、
左傾の人々の心にも、本格的軍隊の姿を感じさせてきた。
三島氏を愛国者とみる人々は、愛国ということと天皇中心ということ、それに軍備増強ということが
結びついて離れないようである。天皇を元首として表面に出す、ということと軍隊ということを、どうして
結びつけて出さねばいけないのか。私にとっても不思議でならないし、天皇ご自身にとっても甚だ迷惑なこと
ではないのか、と思うのである。
天皇をはっきり日本の元首と打ち出すことに私はなんの異論もない。しかし、天皇元首ということも
軍隊ということも、すべて憲法改正に結びつく。そこで、天皇元首ということと軍隊ということが憲法改正
というところで一つに結びついてしまう。かえって結びつけて考えようとしている人々も随分とある。
自衛隊をすっきり軍隊として取扱うための憲法改正、これはまた別の話として、それと同時に天皇元首説
が出てくるので、天皇が主権を握れば、また再び軍隊が生れ、軍国主義に日本がなってゆく、
というように連想されてゆくのは、日本にとって実に不幸なことといわねばならない。天皇はあく迄、
平和の天皇であって、軍国主義の天皇ではないのだから、こんな想い違いを多くの日本人や諸外国にさせて
しまっては、大変なことになる。
346 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 00:40:59
藁貸し増すねぇ〜(笑)長文の
>>310の糞文には辟易死増すけれども(笑)刺すれば「生命尊重以上の価値」とは何なのです〜(笑)クンニカス平野解釈を引用死たとて三島殻は離れる馬鹿りです殻ねぇ〜(笑)
なぜ、1970年だったのか? それが解る者はおるので消化ねぇ〜(笑)
347 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 01:13:15
>>310の阿呆は三島は「生命尊重以上の価値」を示したいがためにクーデターを死たとか〜(笑) 刺すればその三島のいう「生命尊重以上の価値」とは何なのか?
>>310の阿呆に説明願いたいものです〜(笑)
>>310の阿呆に三島のいう「生命尊重以上の価値」が伝わっておらねば三島の死は無駄死と鳴り増すけれどもねぇ〜(笑)
(o`.´o)materialist さんに質問です
「聖徳太子って知ってる?」
>>342 三島は、軍国主義や言論統制を復活しろ、なんて全く言ってませんけどね。
なんでブサヨってすぐに過剰反応するんだか。バカ丸出し。
>>344 >天皇は日本史の大部分において、それこそ「みやび」という「文」(菊)の中心であり、
>「武」(刀)の中心でなかったことは明白。三島はここで日本の歴史と文化をねじ曲げている。
雅と文を突き詰めた結果がこのざまだよ。
そこには武士の姿がついになくなってしまった。
いまいるのはヤンキーだよ。
そして日本の歴史で「武」が無いときはいつの時代も大体現在みたいな感じだと思う。
でも多くの民にとっては武なんてのはいつの時代も忌み嫌われる存在で
君のようになんとしても武と言うのを否定したい人が多かった。
戦国時代だって武だけがすべてじゃないし、そこには和を求める仏教やヨーロッパと
東南アジアとの貿易があったりでむしろ「商い」がメインだった。
三島の取った行動は軍人訓でり極道であり任侠道であるから死を肯定的の捉える
ようなやり方を常に平和に生きるために暮らしてる我々民に分かるわけがない。
そこを警戒してるんだよ、三島は。
平和主義のファシズムという矛盾したペテンの支配主義によって日本人がまったく
そうした事が分からなくなり平和に生きるための民になる事=アメリカングローバリズム
に同化されてしまわないかと言う事を恐れているんだよ。
だから一部の人でやれる人がやればいいんだよ。
そんな軍国主義みたいな感じで思わないでさ。
そして、こうした事は昔からあってそれは中国の冊封を受け入れるか否かと言う
チャイニーズグローブに飲まれるか否かと言うそういう歴史を踏まえて
日本が独立した象徴として認識されてる天皇を柱としてやっていかなければ
ならないわけだ。
あと三島がどう思っていたかは知らないが、日本には古墳と言う過去の遺物があり
堺もとい畿内にあんな大きな陵墓を作った先人がいるという歴史を見返していかねばならん。
>>344 三島は、「天皇に統帥権を与えるべきでない」って書いてますけどね。
ちゃんと文化防衛論の全文読んでもないバカの過剰反応ブサヨお大事に。
>>344 よく読みましょう。
↓
敗戦国の宗教問題にまで、無智な大斧を揮つて、その文化的伝統の根本を絶たうとした占領軍の政治的意図は、
今や明らかであるのに、日本人はこの重要な魂の問題を放置して来たのである。天皇は、自らの神聖を恢復すべき
義務を、国民に対して負ふ、といふのが私の考へである。
一方、旧憲法の天皇大権は大幅に制約されて然るべく、天皇の政治上の無答責は憲法上に明記されねばならないが、
第二章への遠慮によつて、天皇の栄典授与の国事行為ですら、文官に対してのみ公然となされてゐる不均衡不自然は、
九条の変更によつて、直ちに改められるであらう。但し、事軍事に関しては、旧憲法の「統帥権独立」規定の
惨憺たる結果を見るにつけ、決して天皇にその最終指揮権を帰属せしむべきではない。
三島由紀夫「問題提起」より
どうもこの日本人といふのは、防衛といふ問題について、まだ戦争のアレルギーが残つてゐる。すぐ、徴兵制度の
恐怖といふのを考へる。私はこの機会にもはつきり申し上げておきますが、徴兵制度は反対であります。少なくとも
自分の意志に反して兵隊にするといふことは、これからの時代には、私は原理的に不可能なんぢやないかと思ふんです。
そんな兵隊が軍隊にゐたら反戦運動やるに決まつてるし、パンフレットを配るに決まつてるんです。そんな人間で
軍隊が内部崩壊することを恐れるのに比べれば、人数は少なくつてもいいから、やりたいつて奴だけ集めればいい。
それ以外の人間は、もし戦争でも起きたらどういふふうに国に協力できるか。それは各々の軍を持つてやればいい。
…普段の平時からそれぞれの能力に応じて、一旦緩急ある時に協力できる体制を作ればいいぢやないか。
国民精神といふものは、歴史と伝統と文化との誇りから自然に生まれてくるものである。外国から押しつけられた教育で、
国民の誇りをなくすやうな方向へ日本を持つて行きながら、さうして国民精神を自ら崩壊させる方向へ持つて
行きながら、何をもつてさういふものを基盤にした防衛といふものが成り立ちうるか。
それで、私はまたしても憲法の問題に戻つてくるんです。私共のやうな人間が絶えず憲法を改正しろと言つて
ゐなければ、もう憲法改正の気運は永久にどつかへ消えてしまふでありませう。私はあの敗戦憲法を敗戦の日本に残した、
この傷跡をですね、なんとかして改善しなけりやならんといふことを永年考へてきたんです。しかし、我々が
いくら言つてもダメだといふやうな悲しい事態になつたのに、国民はそれについて憲法改正できないといふことは、
何を意味するんだといふことを考へないできたんです。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
もちろんわれわれは、いたづらに自己を拡張し、いたづらに古い軍国主義や、軍国主義の幻に惑はされて、
日本をそのうぬぼれの成し進めるままに、昔の誤りを繰り返へさせようとするものではありません。しかし、
私が言ひたいのは、元と末といふことであります。何よりも大事なのは、何を元と考へ、何を末と考へるかであり、
まづ元を固めてから末に及ぼすのが、政治のみならず人間精神の常道であります。元とは何か。
元とは、日本が自主自尊の念を持つて国防に邁進し、日本文化と伝統を守るのに人の力を借りず、その力を
侵さうとするものに対しては、一人一人、断固としてこれを排除する決意を持ち、少なくとも国民の一人一人に、
このやうな背すぢが一本通つたところで、はじめて堂々と面を上げて諸外国と交際し、産業・文化の交流はもちろん、
国益のために必要があれば軍事同盟もいとはず、あるひは国際連合への義務をも回避しないといふところに
あるのでなければなりません。
三島由紀夫「70年代新春の呼びかけ」より
>>352 三島には申し訳ないが、俺は国家神道を宗教だとは認めない。
あれは儒教、朱子学だ。
その認識がすでに誤りなんだよ。
国学の祖であり復古神道の開拓者であった平田派が薩長に都合よく利用され
捨てられ、真の理念である復古神道のカトリック教的主教化とそれに基づく
天皇と王権という体制がまったく作られなかった。
そして国家神道というまがいの偽国教を制定した事がすべての誤りである。
そうなるぐらいであれば明治維新でせめてキリスト教を国教にしておけばよかったとおもうよ。
>>355 なんでそこでキリスト教を国教にしなきゃいけなかった意味がわかりませんね。
朝鮮人じゃあるまいし。
そして、それが意味することは何かと言うと結局現在までの日本は旧幕府の国家運営
様式が用いられ、それは将軍が天皇に代わっただけであったと捉えるべきで日本の
保守とはつまりそういう連中が常に支配してきた。
226を潰したのも彼らだし、三島の死後に三島を都合よく利用したのも彼らだし
今のチャンネル桜とか自民党の保守もそういうやからだよ。
じゃあ明治に抱かれていたそうしたヨーロッパ的な王権国家を目指す思想や理念は
どこへ行ったのかと言うと日本ではカルト教となり、大本教の系譜を続けて外国では
満州国建国やそして戦後の近代の朝鮮の国家維新に応用された。
三島の死は同時に日本における革新的な天皇主義の敗北でもあった。
だから三島は伝統と言うそれを捨てられなかったために彼らに勝つことは出来ずに死んでしまったとしか言えない。
だから俺は三島の新の理念である維新を達成するには三島すら否定していかなければできないと俺は思ってる。
ただし、三島が実は心のそこでは維新を望んでおらず、あくまで現在の保守派同様の天皇体制に基づく
軍や民や文化や思想のまま体制の高揚を訴えかけていたのだとしたら、三島はただの傲慢家だとしか言えない。
>>356 >なんでそこでキリスト教を国教にしなきゃいけなかった意味がわかりませんね。
>朝鮮人じゃあるまいし。
こちらこそ意味が分からない。
何でキリスト教を国教にするとそれで朝鮮人なんだ?
359 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 11:09:11
熱便者
>>310の阿呆が「生命尊重以上の価値」に答えられず逃亡の酔うですけれどもねぇ〜(笑)
>なんでそこでキリスト教を国教にしなきゃいけなかった意味がわかりませんね。
明治時代の日本と言うのはまさに思想の時代だった。
日本での公用語を英語やフランス語でやろうとしたり、日本語を
アルファベットで表記しようとしたり、漢字を廃止しようとしたり、そうしたニーチェの
言うニヒリスティックな時代であったわけだ。
それは同時に国教をキリスト教にしようと言う考えも当然出てきてた。
なぜなら当時の日本のそうした知識層はキリスト教徒が多かったからだ。
(福沢諭吉も漢字廃止論を提言してる。そしてそうした理念は朝鮮統治に実験的に活用された)
日本はそうした革新的な理念を日本で実行できない代わりにその後の朝鮮や満州で
応用させて日本系国家を広めていったわけだが、三島はそうした事はどういう風に思っていたんだろうかね。
そもそもご存知であったのだろうかと思うよ。
361 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 11:15:27
熱便者
>>310の阿呆=355なので消化(笑) 刺すれば宗教とは何です〜(笑) キリスト凶に会って神道に無いものの説明を願い増すよ〜(笑)
>>358 こっちこそあんたの言う意味がわかりませんね。
明治以降キリスト教的な価値観が皇室内部にも持ち込まれた結果が、二・二六事件が成就されなかった原因なのに、
何を頓珍漢なこと言ってんだか。
あんたみたいな偽保守にこそ三島を利用されたくはないね。
>>352の前文
新憲法によれば、「儀式を行ふこと」(第七条第十項)とニュートラルな表現で「国事行為」に辛うじて
のこされてゐるが、歴史・伝統・文化の連続性と、国の永遠性を祈念し保障する象徴行為である祭祀が、なほ
天皇のもつとも重要な仕事であり、存在理由であるのに、国事行為としての「儀式」は、神道の祭祀を意味せぬ
ものと解され、祭祀は天皇家の個人的行事になり、国と切り離されてゐる。しかし天皇が「神聖」と完全に
手を切つた世俗的君主であるならば、いかにして「象徴」となりえよう。「象徴」が現時点における日本国民
および日本国のみにかかはり、日本の時間的連続性と関はりがないならば、大統領で十分であつて、大統領とは
世襲の一点においてことなり、世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる天皇は、正にその時間的連続性の
象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、「象徴」たる特色を担つてゐるのである。
天皇が「神聖」と最終的につながつてゐることは、同時に、その政治的無答責性において、現実所与の変転する
政治的責任を免かれてゐればこそ、保障されるのである。
これを逆に言へば、天皇の政治的無答責は、それ自体がすでに「神聖」を内包してゐると考へなければ論理的でない。
なぜなら、人間であることのもつとも明確な責任体系こそ、政治的責任の体系だからである。そのやうな天皇が、
一般人同様の名誉毀損の法的保護しか受けられないのは、一種の論理的詐術であつて、「栄典授与」(第七条
第七項)の源泉に対する国自体の自己冒涜である。
「神聖不可侵」の規定の復活は、おのづから第二十条「信教の自由」の規定から、神道の除外例を要求するだらう。
キリスト教文化をしか知らぬ西欧人は、この唯一神教の宗教的非寛容の先入主を以てしか、他の宗教を見ることが
できず、英国国教のイングランド教会の例を以て日本の国家神道を類推し、のみならずあらゆる侵略主義の
宗教的根拠を国家神道に妄想し、神道の非宗教的な特殊性、その習俗純化の機能等を無視し、はなはだ非宗教的な
神道を中心にした日本のシンクレティスム(諸神混淆)を理解しなかつた。
三島由紀夫「問題提起」より
>>360 ニーチェ思想と、キリスト教は全く違うけどね。あなたは根本的にニーチェも三島由紀夫も解ってないようです。
それから、三島は古典から続く日本語を大切にしていた人ですからね、あなたの考えとは違います。
福沢諭吉はあまり好きじゃないみたいなことも対談で言ってますよ。
>>362 >明治以降キリスト教的な価値観が皇室内部にも持ち込まれた結果が、二・二六事件が成就されなかった原因なのに、
>何を頓珍漢なこと言ってんだか。
じゃあどうして今の日本で三島の理念が実現されないでいる?
キリスト教、それもカトリックな信仰基盤がない限り三島の理念は達成し得ない。
>あんたみたいな偽保守にこそ三島を利用されたくはないね。
むしろ三島を利用し、天皇を利用してるのは現代の保守であり戦前の右翼だ。
366 :
吾輩は名無しである:2010/12/28(火) 11:36:50
駄文を書きまくるのはニートの特徴
367 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 11:41:15
365
>じゃあどうして今の日本で三島の理念が実現されないでいる?
>キリスト教、それもカトリックな信仰基盤がない限り三島の理念は達成し得ない。
藁貸し増すねぇ〜(笑)離しにも鳴ら無い〜(笑)三島の理念が実現されぬ最大の原因(笑)それは
>>310の阿呆さえ三島のいう「生命尊重以上の価値」を理解死得ないことで消化ねぇ〜(笑)
>>365 別に議会制民主主義制下の天皇制に、キリスト教「信仰の基盤」はあんまり関係ないでしょ。
政治との関係性を似せただけで、信仰の中身はあくまで東洋思想だから。
369 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 11:49:08
365
わたくしには三島の理念とキリスト教、それもカトリックな信仰基盤がなぜ結び憑くのか解らないのですけれども(笑)365 の阿呆に三島の理念をお聞き死体ですねぇ〜(笑)
>>364 >ニーチェ思想と、キリスト教は全く違うけどね。あなたは根本的にニーチェも三島由紀夫も解ってないようです。
自分はニーチェも三島も客観的にしか見ていないけど、それでも要点は抑えてる。
ニーチェの思想は2つの意味があり、三島にしても2つの捉えどころがある。
>それから、三島は古典から続く日本語を大切にしていた人ですからね、あなたの考えとは違います。
>福沢諭吉はあまり好きじゃないみたいなことも対談で言ってますよ。
自分も福沢は好きじゃない、ただ明治の人はアナーキーであったから国家に対して
革新的にもっと柔軟に考えることが出来た。
当時の日本人はアメリカのフリーメーソン思想にも被れていて、そして彼らから維新資金を
援助してもらう事が出来た。
それが維新の原動力でもあった。
俺は三島の場合はそうした事を無視して維新を肯定的に捉えてる。
だから軍事クーデターなどと言う軍事政権的な発想しかできない。
皮肉な事に三島の理念をやったのは戦後の朝鮮だけだ。
朝鮮は紛争状態であったから無理も無いが、そういう状況でもない限りクーデターなど不可能だった。
本当に亡国寸前の間際にくるか、あるいは全共闘のように革命するかと言う大儀でなければ
そうしたことなんて出来やしないのに。
>>369 三島がなんでヨーロッパに理解されるかといえばそれはヨーロッパ的な保守の考えだからだ。
もう一つ言うと伝統宗教による国家主義。
保守派こそ三島の価値観を見誤ってるな。
>>370 訂正
アメリカのフリーメーソン ×
イギリスのフリーメーソン ◎
>>365 それから、現代の保守である自民党などは基本的に親米で、戦前の右翼(?あんまり右翼左翼関係ないと思うけど)とは違うんじゃないの?
374 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 12:03:15
371
藁貸し増すねぇ〜(笑)総統に頭の割るい阿呆の酔うで(笑)三島のいう「生命尊重以上の価値」や「三島の価値観」をお尋ね死ておるのですけれども〜(笑)
穴多の頭の割るいを離しを訊いて折れば神道は宗教で鳴く武士道は宗教と言いそうですねぇ〜(笑)
で、三島のいう「生命尊重以上の価値」や「三島の価値観」とは〜(笑)
>>370 全共闘こそ別に何にもやってないんじゃないの?
三島が、「天皇を担いで一緒に共闘しよう」と言っても同意しなかった時点で、彼らは尊皇攘夷じゃなかったわけだから、
明治維新の志士と全然違うでしょ。
>>369 >365 の阿呆に三島の理念をお聞き死体ですねぇ〜(笑)
三島さんは日本の文化によるファシズムと言うのを日本人によって
やるべきだという、そういう理念であったでしょう。
日本民族主義者。
しかしそれは戦前の右翼や現代の保守の理念からは大きく外れる
ということにおそらく本人は気がつかれなかった。
だから少数精鋭と言うことを自負しなければならなかった。
そしてそれは同時にある意味で独裁的なものであり、幕府や将軍政治
というものであるのかもしれない。
そして、それをやり遂げたのは世界でもヒトラーのみであると言う現実。
しかしヒトラーの誕生も宗教と右翼の協力が不可欠であり、またそれは
実に左翼的な要素も同時に含んでいた。
ヨーロッパに習い天皇をバチカンのようにして日本を社会主義的な民族主義国
とするように、伝統的な軍事クーデターと言う方法によって三島幕府を建設できない
限り三島の求めた日本と言うのは実現しなかったと俺は思う。
>>371 三島に共鳴しているヨーロッパの方たちは、古い伝統的価値観や自国の信仰、文化を大切にしている人達であって、
自国の天皇文化を否定する反伝統主義者とは全然違うものでしょう。
378 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 12:18:26
376
藁貸し増すねぇ〜(笑)わたくしには376が糞と味噌をミックス死無いとご馳走は出来ない無理だと思う、と聞こえ増すけれどもねぇ〜(笑) 三島は激になんと書いておるのですか〜(笑)日本を社会主義的な民族主義国 とするようにと会ったので消化ねぇ〜(笑)
>>373 親米派と新欧派の対立だろ、戦前は。
とにかくどっちにしろ戦前の体制派は今の保守と同じで無駄に保守原理主義的で
三島の目指した天皇主義とはちょっと違っていたんではないかと思うよ。
でなけりゃ三島は自決なんてしてないだろうし。
>>374 >三島のいう「生命尊重以上の価値」や「三島の価値観」をお尋ね死ておるのですけれども〜(笑)
文化伝統のために人が死ぬと言う三島の価値観は現代の保守とは理念を反するといってるんだよ。
>神道は宗教で鳴く武士道は宗教と言いそうですねぇ〜(笑)
神道も武士道も宗教じゃない。
それは明白。
神道を宗教にするには仏教到来以前に戻った伝統文化を否定した民族改革が必要。
それは漢字の廃止と同じ伝統破壊なのに三島は分かっていなかった。
日本ロマン派と言う考え自体が明治時代のそうした超革新的な伝統破壊から
来る体制だと言う事を三島は理解していなかった。
>>375 全共闘こそ戦後の維新勢力だとしかいえないね。
ただ、彼らは天皇否定だから革命勢力だけど。
(あとオウムもそうだ。)
維新と言うのは結局武力によるものだから三島が目指したものは本来であればそういう立場にあるものだ。
だから次にそうした事をやるのであれば、おれは伝統を否定した古墳王権と文明のルネサンスに基づいた
民族革命と言うスタイルしかないのではないかと思ってる。
それが本当の明治維新の目的でもあり、それが本当の維新のあり方でもあるから。
>>379 神道って、そもそもむやみに他の文化を排除しないものだから、漢字を排除とかいう考えはないでしょ。
>>377 そりゃ近代文化自体が西洋の文化ですからね。
日本じゃそれが伝統的なものだとして捉えられないわけですよ。
じゃあそれに対して日本の伝統文化は何かと言うとそれは中国文明なわけでしょ?
もうこれで分かるでしょ、三島がやろうとした事は矛盾してたんだよ。
そして、それを戦後で維新を達成させたのは三島ではなくアメリカとそのシンパによる戦後の天皇制だ。
>>378 >三島は激になんと書いておるのですか〜(笑)日本を社会主義的な民族主義国 とするようにと会ったので消化ねぇ〜(笑)
だからそうでないと言うなら三島は傲慢、身勝手だとしか言えない。
それは日本人が目を覚ましてくれると言う奇跡を願って、そして自分はもう今後の日本がめちゃくちゃな国になるなら
死んだほうがいいと言うニヒリズムな考えに基づいて死んだのであれば、三島は「Q」を残して後世に
日本文化と日本の神と日本の精神の定義をさせ、問い続けるために死んだと言う他に無い。
>>381 >神道って、そもそもむやみに他の文化を排除しないものだから、漢字を排除とかいう考えはないでしょ。
ホラ、でたよwでたよw
日本人がそう考えてるうちは、この国でクーデターも維新も何もできやしねえよw
三島が自衛隊にどうして見向きもされなかったかといえば、三島の思想に
同調する意味が無かったからだ。
そして死後、三島の自決は三島が最も憎んだ連中に利用された。
>>382 近代文化は西洋から来たものだけど、西欧の古い伝統文化とイコールじゃないよ。
385 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 12:43:36
380
>伝統を否定した古墳王権と文明のルネサンスに基づいた 民族革命と言うスタイルしかないのではないかと思ってる。
>それが本当の明治維新の目的でもあり、それが本当の維新のあり方でもあるから。
此処までくれば離しにも鳴り増せんねぇ〜(笑) ゆとり教育で愚民の頭もここまで阿呆にできるのです殻ねぇ〜(笑)
>>383 三島が一番嫌ってたのはあなたのような天皇廃止論者だけどね。
三島を利用して都合のいいようにしてるのはあなた自身でしょ。
それとね、
>>381 >神道って、そもそもむやみに他の文化を排除しないものだから
神道っていうのも信仰に基づいて神をあがめていた以上は、それなりの
軍事的な繋がりがあり、利権に基づく支配的なもの何だよ。
そういう神道観は仏教による宗教改革以降に都合よくまとめられた
神道のポジションであって、それを読み解くには古墳時代と奈良時代の
歴史的な考証が不可欠なわけだ。
だから三島は神道が神を祭り信仰として成立してた時代以降の支配体制を
伝統としてみて、しかも彼は武士と言う天皇をこれまたある種利用して
台頭することで存在していた軍事文化を肯定しているのだから
それもまた三島の言う天皇主義の観点からは外れなくてはならなくなる。
明治の天皇主義の理念は幕府の否定であり、古代の古墳時代の天皇体制の
復古と言う要素を大きく理念とされていた背景があったから実現できたのであり
三島の思想や理念から生み出されるものは、保守派や伝統主義者と結局
同じになってしまい、だから保守や右翼は都合よく三島を利用できる。
>>385 話にならないと言うのであれば、それは三島の理念や願望や目的はただの傲慢にしか過ぎないと言う事になる。
そしてそれは三島がニーチェのいう思想的な超人にはなれなかったと言うことだ。
ヒトラーもまたニーチェの超人とは大きくかけ離れてて、それはニーチェ自身もヒトラーやナチズムを否定してる。
だから日本においてそれは革命連中のように天皇を倒すか、あるいは天皇の代わりとして
自分が国家を先導できる人間となる事が出来なければ三島の言う文化防衛を実現する事は
出来なかったのではないか?
そしてそれは変な話が自己が天皇のようになれば天皇がいなくても文化防衛は出来る、という事になってしまう。
>>387 そんなこと言ってたらキリスト教だって同じように利用されてるのに、なんでごちゃごちゃと神道だけを否定するのか意味不明ですね。
>>386 じゃあそれは今の明治以降の体制や今の保守と一体何の違いがあるのだ?
三島と天皇を利用してるのは今の保守も同じことだ。
あと俺の話し聞いてなかったのか?
俺は維新論者だから天皇制廃止論者ではない。
だから結局三島が現体制の勢力から天皇を奪って政権を転覆する
と言う事ができない、体制を変えると言う事がやれなかった、という
事がすなわち体制の肯定になりそれは決して維新となりえない。
あの三島の自決で一番考えなくてはいけないのはそこなんだよ。
>>388 傲慢なのはあなたでしょ。あなたが天皇廃止思想なのは勝手だけど、三島の考えはあなたの考えと全く違いますから。
よく三島の著書を読んでくださいな。
>>389 それが分からないと三島思想の生きた意味もおそらく分からないだろうな。
そして三島はそれを否定しなかったがために維新がやれなかった。
また、あなたは三島と言う人物を見てるのであって、三島の起こした行動を見てないんでしょう。
だけどそんなのは結局、実際にそれを将来起こすだろう思想家や維新家や軍人にだけ必要として
見えてくるものであって、三島と言う個人を見てる人にはそういう側面は見えないものなんだろうと思うね。
>>351以下は、三島にも、一般的教養にも充たない無知な反論と引用であろう。
明治以降の近代天皇には、次の二つの機能がある。
(1)宮中にて神事を執り行なう神道の大祭司。
(2)近代世俗的(=非宗教的)国家における立憲君主。
(1)は過去から現在に至るまで、変わることなく執り行なわれている天皇家の伝統行事。
しかし、(2)は明治以降になって天皇に与えられた新しい役目である。
近代世俗国家は政教分離を建前としているので、厳密に考えると、この二つの役目は矛盾する。
近代天皇は、常にこの相矛盾する役割を両立させねばならないという困難な立場に置かれているのだ。
戦争末期の天皇陛下がご自分の身を犠牲にしても成し遂げねばならないと思ったのは、
「赤子(=国民)の保護」と「国体護持」であった。この二つを護ることが、
(1)としての天皇の「皇祖皇宗」に対する義務であった。
「英霊の聲」で、昭和天皇は非難された。
しかし、たとえ昭和天皇が、のちに「人間宣言」と誤って呼ばれるようになった詔書を出したとしても、
神道の大祭司の役目を放棄したわけではない。天皇が、
「祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに宮中賢所のなお奥深く皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかずき、
神(=天皇)のおんために死したる者らの霊を祭りてただ斎き、ただ祈りて」
いらっしゃることには、戦前も戦後も毫も違いはない。皇祖皇宗の神前にて祈ることは、
天皇の最も大切なお役目なのである。
三島は、「ただ斎き、ただ祈りてましまさば、何ほどか尊かりしならん」と、あたかも昭和天皇が
自分の保身のために(1)の役目を捨て、その聖性を失い、(2)になりきったかのように非難しているが、
まったくの誤りである。三島もそんなことは当然知っていたはずだが、三島はこう非難をせずには
いられなかったのだろう。それは三島の背後の磯部の怨念から湧き出てきたという意匠だからである。
>>391 はあ?天皇廃止思想ってw
(まあいいや)
>三島の考えはあなたの考えと全く違いますから。
>よく三島の著書を読んでくださいな。
それはそうだろう。
だけど三島の著書を本質としてみると結局が行動として起こした事とは
大きく矛盾してくる。
それが保守が都合よく保身のために三島を利用してきた証拠であり
また同じように天皇を利用してきたという事でもあるのだ。
三島の死と言うのは「あとは後世で勝手にやってくれ」という
意味も含まれているのだと言う事を、目をそむけずに見るべきだ。
どうしても天皇を抹殺したいようですな。困ったもんだw
>>388他のレスは飛躍があって、実に読み取りにくいんだが、
それも、大前提として、天皇否定が根柢にあるからなんだろう。
神道は宗教ではなく、「道」なのであり、同様に、武士政権と
武士道とを混同してはいけない。
「ニーチェ自身もヒトラーやナチズムを否定してる」は無茶苦茶。
歴史を捏造してはいかんよ。どこかの国と一緒にしてはいかん。
どこかの国と言えば、
>>388他は日本語がどうも変なんだな。
「言う」と「いう」とか、流れてしまってもう忘れたが、変な言葉使いも
見受けられた。ほんとに日本人? ま、これは邪推だがw
>>394 保守が利用、利用とさっきから言ってるけど、誰も三島を利用して憲法改正するような気概のある政治家なんかいないでしょ。
誰もそんな気骨ある右翼さえいなくなった現代に、何をブサヨみたいに怖れてんだか。笑えるわ。
>>394 あなたはもしや鈴木邦男さんでしょうか?
あっちゃこっちゃブサヨや全共闘寄りになったり、森田必勝さんがあの世で泣いてますよ。
>>395 だからそれだとね、クーデターや維新の意味なんて無いんですよ。
わかります?
三島は生きて最後まで日本文化の防衛を訴えて、盾の会で祖国防衛隊を
築けばよかったんですよ。
それをしなかったという事は、三島は矛盾してるとしか言えないんですよ。
あとね、君みたいなそうゆう態度は天皇制を利用してか都合ともせずに
寄りかかってる情けない現代保守の特徴でもありますな。
そしてどうにかして俺の人格を朝鮮人と絡めて否定したがる。
アホですな、保守原理主義の正体がこれだ。
いいか、よく聞け。
もうそういう日本文化と言うのは今後はもう西日本人や東北人しか担げないぞ。
関東は文化防衛に失敗した。
おれはそういう関東人だから、関東に眠る奥の根源でもって革新的な維新を求めるしかできない。
そのそも武士を突き詰めると物部や武蔵野国、エミシという半朝廷勢力にたどり着くんだよ。
そしてこの国の歴史は複雑なんだよ、武士の根源も含めてさ。
お前にはそうした事は分かるまい。
三島の本質を文化防衛と取るか、クーデターととるかは人それぞれだが。
>>396>>397 三島や森田を泣かせて自決に追い込んだのはお前ら保守や右翼自身だ。
そこをよく考える事だな。
所詮今の日本人は取り残された人々だ。
いつまでも天皇と三島の栄光にしがみついて、どこぞの半島人見たくアメリカに寄生するしかない。
>>393の続き
「英霊の聲」では特攻隊員が語っていることになっているが、物語全体は磯部浅一によって書かれている。
そもそも、特攻隊員の告発は、磯部の告発――
「日本が戦争に突入し、そして敗れたのは、天皇陛下が、正義軍であるわれわれを叛乱軍と見なし、
「ナチスかぶれの軍閥」=統制派に味方したときに、国の大義が崩れ、国体が汚されたからである。
したがって、日本の敗戦は天皇陛下の責任である。」
という告発とまったく同じなのだ。すなわち、「川崎君」(神主=霊媒)に憑依しているのはいかにも
「弟神」=特攻隊員のように見せかけているが、その実体は磯部浅一らに違いない。
磯部が言いたいのは要するに、「お前(天皇)が俺たちを裏切ったから、日本は負けたのだ。みんなお前の責任だ」
ということだ。それをさらに、特攻隊員の霊になりすまして、二重に語っているだけなのである。
磯部の昭和天皇への恨みはかくも深い。
霊媒にもレベルがあり、高い神霊を降ろせる霊媒もあれば、幽界の浮遊霊がかかってくる霊媒もある。
『英霊の聲』の「川崎君」は、磯部ら地縛霊と同調する低い霊媒である。
そのような霊媒に、高い神霊は降りることはできない。
特攻隊員の霊は本来、磯部らのレベルよりもはるかに高いところ、文字通り神界に居るのだ。
関東は文化防衛に失敗? なら成功したのは誰? アメリカの罠にかかったのは天皇を担いだ諸々では?
402 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 14:07:37
393
藁貸し増すねぇ〜(笑)わたくし率的には天皇が「赤子(=国民)の保護」を要請死たとは信じ蛾対ですねぇ〜(笑) 第一に或るのは「国体護持(=天皇)」の為で症〜(笑)
天皇こそが国体(=日本)であり日本愚民がすべて死すとも、天皇さえ息ておれば国体(=天皇)はふたたび再建できるというのが天皇の本音で症からねぇ〜(笑)
天皇制度は右翼と公家(現華族末裔)の好都合な「軍国正当化方便」。
これをもちあげたがっている今の麻生財閥(皇族分家との婚姻あり)の系統は、
結局この武家の道理をひきつぐ形でしか家柄を誇示できない。
石原など、親戚経由(小泉家との)で中央政権との繋がりを深めたがっている連中も、
「方便」としての天皇制度の価値を暗黙の前提にしている。
これらをなおざりに、天皇制度の神話性をもちだす勢力は無知でなければ前近代人。
404 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 14:17:03
400
>特攻隊員の霊は本来、磯部らのレベルよりもはるかに高いところ、文字通り神界に居るのだ。
藁貸し増すねぇ〜(笑)神界とは人間的判断でレベル分けを死て折るようですけれどもねぇ〜(笑) 磯部らはなにゆえにレベルが低いので消化〜(笑)
間違いでなければだが、
>>398は関西人の末裔。自分が新規参入者・新参者なニセ武士らしさを隠蔽するに、
「関東の文化防衛は失敗した」と書いたのではないか? さもなくば、関東に集積した政権の中枢を自分から否定する根拠はどこにもない。
関西人のエセ武士道が、関東文化を貶める。だが現実に武士道を保守したのは関東人達でしかない。
ここが
>>398の自己矛盾であり、三島を自己矛盾とあやまって揶揄させ、自己の歪んだ出自(公家育ちの武家定着)を正当化させる変節に繋がっている。
特攻隊や英霊がいるのは神界だが、しかしそれが保存されてるのは靖国である。
だから左翼も靖国攻撃してるんだろうが。
単純に、三島が割腹の文化を「防衛の魂」として提示したのは彼が関東政権の保守性に根づいていたから。
それ自体は文化防衛の一つの意味づけであり、他ではない。
文化防衛の語義がその伝統の維持にあるなら、三島は関東的方法を追求していった結果、その防衛者の立場に至っただけ。
>>405 うわ・・・・これまた厄介なコメントだなw
何でそんな卑屈なんだよwお前はw
409 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 14:38:03
405
藁貸し増すねぇ〜(笑)405の阿呆の用に日本を関東関西東北西日本に分別し藩レベルでしか論じれぬ阿呆のために幕府は滅び中央政府と仕手の天皇制が必要になるので笑止ねぇ〜(笑) 関東は関西東北西日本よりも優れておるようですけれども〜(笑)
>>398 やっぱり、もう1行ごとに飛躍があって、まともに読めないなあ。
関東は文化防衛に失敗した→我々は関東の文化破壊を成し遂げた
革新的な維新を求める→武力によって天皇一族を抹殺し、共和国樹立を目指す
という意味に捉えてよろしいか?
>399
「三島や森田を泣かせて自決に追い込んだのはお前ら保守や右翼自身だ」
左翼が出てこないのはなぜだろう。保守や右翼の責任を認めるにしても、
真っ先に矛先を向けるべきは左翼だと思うが。
>>(o`.´o)
「日本愚民がすべて死すとも、天皇さえ息ておれば云々」
無茶苦茶言ってはいかんよ。朝鮮の天皇家を目指す金王朝じゃあるまいし、
日本の天皇がそんな考えでいる(いた)はずがないではないか。
当時の奸臣どもにはそんな不埒な連中もいただろうが。
>>407 そうだろ?
だから失われ行く江戸文化、侍の心を伝えるために三島はああいう死に方をされたわけだ。
だけどそれを潰してきたのは誰なのかって話じゃないか。
戦前からそうした文化に見向きもしないで来たのは、今の保守の祖先と東京人ではないかって話。
そして戦後の東京人、もとい関東人だ。
おれは鎌倉に住んでるから多少は武士に関する土着的なそういう観念と言うのは
いくらかあるんだが、じゃあ100年先までそれが続いてると考えると無いね。
神奈川県は湘南とかいってあの有様だし、国際アメリカ主義やモダニズムに飲まれつつあるから
本当に危機なわけだよ。
じゃあ東京はどうなのかというと、たぶんもうほとんど100年後の鎌倉状態なんじゃないかと思う。
412 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 14:46:59
410
藁貸し増すねぇ〜(笑)穴多のような阿呆の御蔭で天皇家はあと千年は安泰で症ね〜(笑)天皇に訊いてごらんなさい〜(笑)
「生命尊重以上の価値」とは何なのですかと〜(笑)
「国体護持(=天皇)」と答えるで笑止〜(笑)
>>409 今の日本で昔の日本人の生き方を継いでるのは西日本人だけだぞ。
>>410 >やっぱり、もう1行ごとに飛躍があって、まともに読めないなあ。
>関東は文化防衛に失敗した→我々は関東の文化破壊を成し遂げた
>革新的な維新を求める→武力によって天皇一族を抹殺し、共和国樹立を目指す
>という意味に捉えてよろしいか?
きみさあ、維新の意味分かってるよね??
>「三島や森田を泣かせて自決に追い込んだのはお前ら保守や右翼自身だ」
>左翼が出てこないのはなぜだろう。保守や右翼の責任を認めるにしても、
>真っ先に矛先を向けるべきは左翼だと思うが。
左翼なんでそれこそ幕末からいるんだけど、その左翼に戦後負けてきたのは
誰だってことなんだが。
>>403 そういうのを批判否定するあなたが、なんで明治体制を全面的に支持してるのか意味不明ですね。
そういう右翼(あなたがいうところの)と明治の文明開化者、イギリス派たちは同じような部類でしょう。
ご都合主義の勝手な解釈で明治の西欧主義だけ崇拝してるのは、あなたでしょ。
三島の最後の
「天皇陛下万歳」は
ほんとうは
「俺様万歳」なんだよなあ
そんな欺瞞が真実であろうと信者はついていく
てところがムナ
関西人は所詮、保守主義の意味を知らない。
三島の理解も、関西人の血にあっては卑屈とか文化防衛に失敗(つまり公家式好色淫蕩の放棄)にしか至りえない。
証拠
>>413の前半。これゆえに関西人、というか京都中心勢力は後進化し、文明の前線から脱落した。
>>408 =
>>398と解けばその関西人がいかに「男らしくない」か分かる。
だが歴史の評価は全てを白日のもとに曝す。
いくら誤魔化しても、単なるやくざ的女性蔑視を、三島的「正当防衛論」と混同させられはしない。
>>409貴方は歴史に比べ、文学を考慮しすぎている。王は、「政治的には」殆ど能力をもたない。
>>414代々木公園を散策し、墓をみつければわかりましょうとも。
>>413 戦後の左翼は、戦中の右翼が偏向したものでしょ。朝日新聞がその一例。
>>415いくらなんでも特攻隊を祭ってある靖国でも同じせりふを思うのではないでしょうね。
なぜ小泉が自民党を無下にしてでも参拝を欠かさなかったか、あなたは浮気よりも価値がないものとみなすのか?
419 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/12/28(火) 15:02:52
チワワはそんなに三島を肯定して楽しいか。
420 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 15:05:47
416
>貴方は歴史に比べ、文学を考慮しすぎている。王は、「政治的には」殆ど能力をもたない。
藁貸し増すねぇ〜(笑)穴多こそもっと歴史を学ばれては〜(笑)明治維新後の王は、誰です〜(笑)
結局、三島の演技は保守主義の誇示だった。
天皇制度の矛盾(日本統一の象徴性と実権との分離)をひきつれてでも、三島の本懐はそこにあった。
これを貶める者は、三島が「美学」としての保守を信奉したのを理解しない。
実際、日本刀を西洋婦人の前でふりまわしてみせた稚気も、割腹劇場も、
彼が時代に向かって保守を審美づけようとした一貫した努力である。
関西人が昔の日本というとき、武士の生活は考慮していない。
中世公家の奇習を続ける関西文化には十分な正当性がない。奈良時代(飛鳥・天平文化)を含めればなおさら。
>>420政治家が本気になれば王をかえることはいつでもできる。廃止された王制は維持されたそれより多い。
単に象徴天皇制度は戦後処理の円滑化に使われたし、明治維新にあっても同じ。
チワワも(o`.´o)鈴木も三島信奉するなら
ニートやめて自衛隊にはいれ
ああ、齢か・・・(爆
チワワさんは金閣寺みたいに靖国に火をつける人だ
岡崎委員長、取り締まり、よろ(笑
>>422 廃止された王制は多いというより、全部そうだろう。
西欧の現在の王制も、精々数百年前までしか遡れない。
日本の天皇だけが例外で、千年以上も続いてきた。
「政治家が本気に」なっても天皇を廃することはできなかった。
鎌倉幕府も江戸幕府も。政権の正当性を天皇の権威に求める
しかなかったから。
太平洋戦争の敗戦時が最大のピンチだったように見えるが、
仮にマッカーサーが本気で天皇制廃止を目論んだとしても、
結局不可能だったと思われる。歴史にifは無意味だが。
学習院には「乃木館」がある。そして帝国に伴う保守主義の神格化がある。
かくして天皇教育の末端には狂信的愛国心への誘ないがある。
三島はその風土から育って気が違ったみたく割腹し、蜂起せよと叫んだ。
自国を防衛せよと言い、萎えた女々しいヒッピー生活に耽溺するなと言った。
その後、この国には関西人らがやってきた。
一人はねちねちと変態性欲を書き、優秀な人材の足をひっぱりノーベル賞を貰った。
一人は大げさに狂乱した刑事犯行を美化した醜矮小説を書きながら乱痴気で地位を駆け登った。
一人は淫蕩そのものの生活を中世の公家よろしく満喫するチャラ男小説の権威になりあがって2chに常駐した。
彼らは三島を無視した。そして日本は、「関東は文化防衛に失敗した」「昔の日本人の暮らしをしているのは西日本人だよ」
と書き、居直っていた。彼らはすこしも罪を感じず、恥を感じず、自分を問い直すこともなく、姦淫に沈んで行った。
大江健三郎と石原慎太郎は分かるが、三人目が分からん。
>>425 確かに世界一長い王室は日本にあり、故にかれは「皇帝・エンペラー」と誰もに呼ばれている。
がその次に長い筈イギリス王室(系図によれば)も当然存続してあれば、オランダ韓国含め王室を設けている国も数多くある。
今後も王権が必要ならばどこでも創設できる。知識には正確を要する。
>>425 だからそこは実にヨーロッパにおけるローマ法王みたいな感じだったんですよ天皇は。
>>426 三島の天皇主義観はそういうお前ら右翼とか任侠とかのいかにも「日本的」な天皇主義じゃねーんだよ。
三島の天皇主義はヨーロッパ主義なんだよ。
満州の新京に遷都してたら三島の天皇主義も今頃実現してたかも知れねーけどな。
>>431 仮にそうだとしましょう。論拠は?
植民主義的帝国主義を三島がもっていたと?
もしそうなら大変なことだ。薩摩長州じゃあるまいし。
>仮にそうだとしましょう。論拠は?
>植民主義的帝国主義を三島がもっていたと?
>もしそうなら大変なことだ。薩摩長州じゃあるまい
しょ、植民地主義的??
そういう意味でのヨーロッパ主義じゃないよ。
要するにヨーロッパ的な王権制度。
明治維新とかのいわゆるステレオタイプな尊皇攘夷とか、2次大戦
のイメージとかああ言ういかにも日本人的な、右翼的な、漢文化的な
とにかくそういう天皇主義ではないといってるんだ。
>>433 >>431>満州の新京に遷都してたら三島の天皇主義も今頃実現してたかも知れねーけどな。
をよむかぎり後付けにしかきこえませんね。
学習院の子を、死後に於いて誹謗するのは犯罪ですよ。
ヨーロッパといっても、三島の場合はギリシャや古代ローマ的なもので、それは別に日本古来の美意識と相反するものじゃないでしょう。
それから三島は任侠的なものを、あなたのように否定してませんし。
>>434 なに??
何の事だ?
俺は満州国が非常にヨーロッパ、とりわけフランス的でもし満州国に
遷都して首都になっていたら三島の理想とした日本と言うのは
おそらく実現していたのではないかと言う、そういう事を言ってるまでだ。
関西人は落ち着きのない病気。西海人はその典型。少しも理屈が分からない。
かならず揚げ足をとり、誹謗に終わる。議論ができない。
人格攻撃と論理交換の違いが分からないのだろう。
やはり最期には結果が出る。なぜ幕府が関西に築かれなかったか知るがいい。
>>433 三島は明治の尊皇攘夷を否定してませんよ。
日本では極端な尊皇保守だけが真の改革者になる、って論じてますし。
>>436 満州国をそれだけモデルケースにしながら、かたや戦前戦中右翼を批判するっていうのもなんか支離滅裂だね(笑)
さようなら〜
440 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/12/28(火) 16:14:30
チワワ流政治論はもういい。
文学的に見て、三島を褒めるのは決まって初心者なんだよな。原題では村上春樹に飽きた層が移行するのかもしれんが。
他のさまざまの文学を知れば、そこから変わっていく奴の方が実際多い。
チワワは三島に固着し、他のさまざまの文学を知るのを控えている。
読者としては失格だよな。
>>437 >やはり最期には結果が出る。なぜ幕府が関西に築かれなかったか知るがいい。
単に秀吉が敗北しただけじゃねえかw
>>438 そういうこと言ってるんじゃないw
三島からは幕末の志士を英雄的に見るような見方はされているのか?
と言うことだ。
あとね、極端な尊皇保守ってのは三島のそのスタイルと言うか
ヨーロッパ的な改革者である三島の口から出るには矛盾しないか?
っつてことなんですよ。
>>439 はいさようなら〜〜〜w
>かたや戦前戦中右翼を批判するっていうのもなんか支離滅裂だね(笑)
だから日本軍国派とヨウロピアン主義派とで分かれて居たんだと思うんだよ。
じゃあ日本人が戦前の日本人を具体的に思い浮かべるときに
どちらがでてくるかといえば、前者の日本軍国的な連中なんだよw
わかる?w
満州国ってのは関東軍のキツイ統治みたいに考えられてるけど、実際は
東洋のアメリカであり東洋のパリなんだよ。
戦後日本と言うのは戦前のヨウロピアン派の否定であって今の右翼や
保守の祖である日本軍国派がイイ括弧してるようなそういう形で戦前観が
語り継がれてるんだよw
今の日本の保守思想や愛国主義って言うのはそういう落ち目で懐古的な
尊皇主義者の面子のために維持されてるといっていい。
そして天皇と三島を利用してるわけだ。
>>441 桜田門外の変は、徳川幕府の権威失墜の一大転機であつた。十八列士のうち、ただ一人の薩摩藩士としてこれに
加はり、自ら井伊大老の首級をあげ、重傷を負うて自刃した有村次左衛門は、そのとき二十三歳だつた。(中略)
維新の若者といへば、もちろん中にはクヅもゐたらうが、純潔無比、おのれの信ずる行動には命を賭け、
国家変革の情熱に燃えた日本人らしい日本人といふイメージがうかぶ。かれらはまづ日本人であつた。
そこへ行くと、国家変革の情熱には燃えてゐるかもしれないが、全学連の諸君は、まつたく日本人らしく思はれない。
かれらの言葉づかひは、全然大和言葉ではない。又、あのタオルの覆面姿には、青年のいさぎよさは何も感じられず、
コソ泥か、よく言つても、大掃除の手つだひにゆくやうである。あんなものをカッコイイと思つてゐる青年は、
すでに日本人らしい美意識を失つてゐる。いはゆる「解放区」の中は、紙屑だらけで、不潔をきはめ、
神州清潔の民はとてもあんな解放区に住めたものではないから、きつと外国人を住まはせるための地域を
解放区といふのであらう。
三島由紀夫「維新の若者」より
>>442 あんたはもっと三島の思想を読むべきでしょうね。↓
三島:やはり林さんの明治維新の根本テーマでも、開国論者がどうしてもやりたくてやれなかったことを、
攘夷論者がやった。あの歴史の皮肉ですね。
ところで僕は、日本の改革の原動力は、必ず、極端な保守の形でしか現われず、時にはそれによってしか、
西欧文明摂取の結果現われた積弊を除去できず、それによってしか、いわゆる「近代化」も可能ではない、という
アイロニカルな歴史意志を考えるのです。
福沢諭吉と神風連が実に対蹠的なのは、明治政府の新政策によって、前者は欣喜し、後者は幻滅した。僕は
幻滅によって生ずるパトスにしか興味がない。幻滅と敗北は、攘夷の志と、国粋主義の永遠の宿命なのであって、
西欧の歴史法則によって、その幻滅と敗北はいつも予定されている。日本の革新は、いつでもそういう道を
辿ってきた。
僕の天皇に対するイメージは、西欧化への最後のトリデとしての悲劇意志であり、純粋日本の敗北の宿命への
洞察力と、そこから何ものかを汲みとろうとする意志の象徴です。
三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
>>442 三島の理想の日本像はが東洋のアメリカでもパリでもないし。あんたの考え自体が現代の偽保守や右翼と同じでしょうよ。
間抜け丸出しでした。
>>444-445 だからさ、結局あなたは文の中の三島しか見て無いんですよ。
だから三島の事を「伝統右翼的な人物」だと勘違いされてるんですよ。
ボディービルドやって盾の会のような制服を着て祖国防衛をやるような人が
絶対日本人的な考えであるわけ無いんですよ。
>>446 それは逆に返させてもらうね。
じゃあ聞くが、何でそういう三島に当時の自衛隊も右翼も付いてゆかなかったんだろうか?
なんで現代の戦後保守は三島の都合の良い部分だけを抜き出して利用するのだろうか?
三島の理想は東洋の日本版ドイツ帝国のような国であって、それは彼自身がヒトラーに
憧れを抱いたと言う何よりの証拠だとおもう。
それに俺は現代保守や右翼とも違う。
詳しい持論はスレ違いなのであまり申さんけど、要するに俺は三島の意思を古代豪族・古代大和王権
の思想で実現させれば良いと思ってる。
そうする事で日本には初めて江戸時代などが「中世」と言う時代としてはっきりと浮かび上がり
それが今後の三島の残そうとした侍の文化や防衛の大きな要となると考えてるからだ。
武士を知るには武士の根源となった時代や部分を考えなければならんわけだよ。
448 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 18:46:32
まだ愚論が続いておるとは藁貸し増すねぇ〜(笑)長文の糞文を読むのに辟易死増すけれども(笑)三島が日本を社会主義酷にしたかった(笑)日本をパリやアメリカにしたかった(笑)
そのために三島はクーデターを起こした、と〜(笑)そう激に書いて会ったので消化ねぇ〜(笑)
本来三島を理解しなければならないはずの我々日本人が、あろうことにもはや
モダニズムに同化され、石原慎太郎の求めるような国際都市東京を求め
東京スカイツリーなる日本の風土に合わないようなデザインの建物を建てて
東京に乱立するビルディングがアメリカ支配の象徴として後世に残り、東京
解放区を首都としてそこで天皇陛下が日本全国のフ抜けたブルジョワジーな
連中にのみ笑顔を振舞い謁見するような体制であり続け、アメリカ主義的な
グローバル市民としてアメリカの信じる自由とマネーの神を象徴にアメリカの敷く
産業や興行や映画や食べ物を口にして謳歌しているのだから、もはや現在の
右翼や戦前的な日本の価値観で立ち向かえるような状態では無い。
俺は将来日本をイランのようにできればと思ってる、それは三島の目指した
日本とも違うだろう、だけどそうでもしない限りこの国に文化防衛などと言う
意識が果たして芽生えるのかどうか疑問だ。
450 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 18:58:30
日本の王(=天皇)に逆らった小沢がいまや地獄に落とされようと死ており増すねぇ〜(笑) 一体あそこまで執拗に小沢を地獄に落とそうと死ておるのは誰なので消化ねぇ〜(笑)
451 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 19:02:43
449
日本をパリやアメリカはてはイランのように(笑)できればと(笑)余りにも強欲過ぎや死増せんかねぇ〜(笑)
452 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 19:23:07
449
穴多に面白い譬え離しを死魔性〜(笑)
穴多はわたくしの奴隷です、ゆえに穴多は給料の9割をわたくしに毎月納金する義務がある、これを怠れば穴多はわたくしに処刑される、これは法律でも規定されておる、奴隷の義務です、
穴多には妻子があり食わせねばならない、穴多は自分に「殺されるよりは増し」だと毎月納金をして貧困しておった、わたくしの痴人が或る日わたくしに穴多の納金のいくらかをよこせと
逝って来た、わたくしは当然断った、なぜなら、穴多からの9割の納金額さえ不満があり増すからねぇ、そこでわたくしはサラ金に穴多名義で9割の納金と同額を毎月借りることに死たわけです、
さて、穴多は道するので消化ねぇ(笑)、 サラ金返済のために残業をするのか? それともわたくしを殺るのか?
しかし、わたくしを殺って幸福は来るで消化〜(笑) シミュレーション死てごらんなさい〜(笑)
死ねバカ
一人の作家、一人の民族派としての心の叫び・・・・・・それが三島由紀夫か・・・・・・
そして一人の日本人・・・・・か。
>>447 ボディービルやって制服着たから、伝統的右翼じゃないとか(笑)言ったら、明治以降誰ひとり伝統的右翼がいないことになるでしょう。
あんたの幼稚な考えでいくと、昭和の軍人も右翼じゃなくなりますけどね。藁貸しますね〜(笑)
それから三島は、別にヒットラーを尊敬してませんけどね。レームには共感するところもあったようですが、
ヒットラーの大量殺戮は批判してますよ。無差別大量殺戮批判はヒットラーだけに限らずアメリカの原爆、中共革命など批判してますが。
イデオロギーや考え、あるいは主張が違うかもしれない、しかしそうした一人ひとりの
日本人が集まって、互いに尊敬して日本の社会を構成できたとすれば、そしてそれが
三島思想の真意であり、三島の望んだ日本の姿なのだとすれば・・・・・。
まだ希望はこれからも十分にあるだろうな・・・・・
>>447 当時の自衛隊には三島に共鳴して一緒に日本国軍クーデター計画してた人もいたんだよ。
ただそれが、その後、(1972年の)米中接近を目論んでた自衛隊内部のアメリカ指令によって握り潰れただけで。
>>455 お、でやがったなw
>ボディービルやって制服着たから、伝統的右翼じゃないとか(笑)言ったら、明治以降誰ひとり伝統的右翼がいないことになるでしょう。
いや、俺がいってるのはデザインだからw
正直、あれは無いとおもうよw
色だって、普通あのデザインなら黒か紺でしょうよ。
>あんたの幼稚な考えでいくと、昭和の軍人も右翼じゃなくなりますけどね。藁貸しますね〜(笑)
旧日本軍の制服はあんまりかっこよくないよね。
そういうところを見ても戦前の日本は明治の頃よりもだいぶ帝國としての意識が劣化してたんだな〜って分かるもの。
そういうかっこ悪さが戦後の日本人の抱く戦前のイメージ悪化につながってるわけだけどさ。
>それから三島は、別にヒットラーを尊敬してませんけどね。レームには共感するところもあったようですが、
三島はヒットラーを尊敬しとるでしょ。
でなければああ言う制服にはならないんじゃないですかね?
>ヒットラーの大量殺戮は批判してますよ。無差別大量殺戮批判はヒットラーだけに限らずアメリカの原爆、中共革命など批判してますが
ソリャそうでしょうよ。
>>457 アメリカ以前の問題でしょ。
もう日本人がアメリカ的な価値観に染まって、もう三島の行動には
付き合ってゆけない人ばかりだったと思うよ?
結局自衛隊はもうすでにアメリカ式の軍になってたんだよ。
皮肉な事に朝鮮ではアメリカ式軍とソヴィエト式軍のスタイルを着こなして
国体のある国に革新し独立したと言う皮肉。
自衛隊、事実上の日本軍はというとわずかに日本らしい一面を残しながら
もう完全にアメリカ的な軍隊として再生されて、三島の入る隙が無かったと言うのが実態。
哀れと言うほか無い。
461 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 22:19:57
藁貸し増すねぇ〜(笑)460のようなどうにもならない阿呆を生み出したことは戦後教育は大成功と逝ったところで症ね〜(笑)
462 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 22:50:49
>>452謎は諧謔を駆使して書いた尻作(ケツサク)で消化ねぇ〜(笑) この意味が解る者はそうは以内で症ね〜(笑) マゾちゃんには解り増す化ねぇ〜(笑)
諧謔と家ばわたくし謎は深沢先生の「風流夢譚」を思い出し増すけれども(笑)なぜ嶋中事件は起きたのか? 当時の宮内省が検察庁に皇族への名誉毀損を訴え、これを検察庁は却下(笑) そうして嶋中事件〜(笑)
わたくしは昭和天皇が「風流夢譚」を読み激怒し、宮内省が検察庁するも却下(笑) 右翼が天皇の怒りを尻、嶋中事件を起こしたと観ており増すねぇ〜(笑) なぜなら「風流夢譚」には天皇の秘密が諧謔を駆使して書かれておる殻ですねぇ〜(笑)
それが盾の会の制服の色が紺や黒ではなかった背景にある理由ではないか?
>>459 いや、現実に三島に同調していたグループは自衛隊にいたんだよ。
あんたは三島が体験入隊してた間のことを、調べ足りない初心者だから知らないだけで。
制服がどうのこうのとか鳥肌がとかの話に至っては馬鹿馬鹿しくてどうでもいいよ。
>>465 >いや、現実に三島に同調していたグループは自衛隊にいたんだよ。
>あんたは三島が体験入隊してた間のことを、調べ足りない初心者だから知らないだけで。
そうですか・・・・・
>制服がどうのこうのとか鳥肌がとかの話に至っては馬鹿馬鹿しくてどうでもいいよ。
しかし、それだと矛盾してると思うんです。
そもそもあのようなファッショ性の高い制服でなくてもいいし、むしろ自衛隊の制服姿でいいと思うんです。
鳥肌と言う男は単なるアホなのかもしれませんが、三島は違いますでしょ?
三島は本気でこうした活動に取り組んで本当に日本を変えれるなら変えようとした男のはずです。
>>463 三島は全共闘なんか、いたるところで批判してますよ。
彼らこそ戦後アメリカ的な生命尊重第一主義に染まった奴らだと言ってますから。残念でした。
>>466 自衛隊員じゃないから、自衛隊と同じ制服作っちゃったらマズイでしょ。
ちなみに三島の制服はフランスのドゴールの制服のデザイナーに頼んで作ったものですよ。
>>462 どういう意味か解らないです、(o`.´o)ちゃん。教えてください。
>>463 元全共闘の、仙石、菅なんかどうしようもないアホでしょうよ。
仙石なんかごちゃごちゃとバカ丸出し。
>>467 >>470 全部が全部じゃないけど、もし社会主義に傾倒した若者で
三島の行動に憧れて寝返るかもしれないじゃないか。
三島はそういう人を多く増やして革命的な維新を考えてたんじゃないか?
そうだとしたら三島はやっぱり維新は全共闘とかの連中と共闘して
やらないともはやできないと言う事を理解してたんじゃないか?
>>468 だから、もし本気で自衛隊と決起すると言うならああいう
ちょっと派手と言うか個性的なものでなくてもいいと思うんです。
あのようなデザインにしたのはやはり社会主義に傾倒してる若者
も憧れるように、視野に入れて作られたはずです。
> 天皇主義と社会主義のコラボレートした準革命的維新勢力による新天皇主義こそ、盾の会と
> 祖国防衛「革命」隊としての三島の全力の訴えではなかったのか?
↑まあ、これに関しては三島の理想と近いかもしれませんね。
>>472 であるとするならね、今後もしそういう考えを持った若者が日本で社会主義的な
天皇体制を打立てると言うことになったら、その場合はどうするか?という事である。
容認すべきなのか、それとも否定すべきなのかという事である。
474 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/29(水) 16:13:18
> 天皇主義と社会主義のコラボレートした準革命的維新勢力による新天皇主義こそ、盾の会と
> 祖国防衛「革命」隊としての三島の全力の訴えではなかったのか?
天皇主義と社会主義の共存はまず不可能ですねぇ〜(笑)
475 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/29(水) 16:14:27
469
愛するマゾちゃんの矯めに教えて差し上げ魔性〜(笑)
452 :(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 19:23:07
穴多に面白い譬え離しを死魔性
穴多はわたくしの奴隷です、ゆえに穴多は給料の9割をわたくしに毎月納金する義務がある、これを怠れば穴多はわたくしに処刑される、これは法律でも規定されておる、奴隷の義務です、
穴多には妻子があり食わせねばならない、穴多は自分に「殺されるよりは増し」だと毎月納金をして貧困しておった、わたくしの痴人が或る日わたくしに穴多の納金のいくらかをよこせと
逝って来た、わたくしは当然断った、なぜなら、穴多からの9割の納金額さえ不満があり増すからねぇ、そこでわたくしはサラ金に穴多名義で9割の納金と同額を毎月借りることに死たわけです、
さて、穴多は道するので消化ねぇ(笑)、 サラ金返済のために残業をするのか? それともわたくしを殺るのか?
しかし、わたくしを殺って幸福は来るで消化〜(笑) シミュレーション死てごらんなさい〜(笑)
【解釈】
穴多→日本
わたくし→米国
妻子→愚民
法律、納金→安保条約、条約費
痴人→諸外国(ロシア、中国、韓国、北朝鮮)
サラ金→機密費
【訳文】
日本は米国の奴隷、属国です、安保条約ゆえに日本は条約費を米国に納金する義務がある、これを怠り破棄すれば日本は米国に処刑される、これは条約でも規定されておる、奴隷、属国の義務です、
日本には愚民があり食わせねばならない、日本は愚民に「殺されるよりは増し」だと納金をして貧困しておった、或る日、諸外国(ロシア、中国、韓国、北朝鮮)が
米国の納金のいくらかをよこせと 逝って来た、米国は当然断った、なぜなら、日本からの条約費金額さえ不満があり増すからねぇ、そこで米国は戦争を他国で起こして
日本に支持させ機密費を納金させるわけです、
さて、日本はこの先道するので消化ねぇ(笑)、 今後も米国に条約費や機密費を納金するのか? それとも安保条約を破棄するのか?
476 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/29(水) 16:16:39
日本は諸外国(ロシア、中国、韓国、北朝鮮)に北方領土、反日教育と尖閣諸島、竹島、核保有と拉致問題に頭を悩ませており増す〜(笑) 諸外国は日本に金をたかっておるので笑〜(笑)
米国との安保条約や基地問題も楽では無い(笑)増してや憲法改正謎は問題外ですねぇ〜(笑) まず、安保条約を破棄すればどのような恐ろしいことが日本に起こるか日本愚民には想像も憑かない訳でしてねぇ〜(笑)
自国で守れば安く憑く自衛費も他国に以来すればその額は後悔された額では無い半端なものなのは多しかで笑止ねぇ〜(笑) 機密費謎後悔され無い額が曲者です殻ねぇ〜(笑)
安保条約、基地問題に携わった政治家は必ずなんらかで辞職しておるのはなぜなので笑ねぇ〜(笑)
三島のクーデターとは魔差に100年後の日本を幻視し「自国防衛による新天皇を据えた日本の建国」を激したものなのでは無いので消化ねぇ〜(笑) 自決とは日本人は生も死もコントロールできるんだ、
日本の武士道こそ魔差にそれで他国に防衛される必要なぞないんだ、と言いたかったのでは無いので消化ねぇ〜(笑)総理なぞは日本のお飾り(笑) 戦後も日本は天皇の支配下に在ることを
汁、三島は天皇に安保条約を破棄し、憲法改正、「自国防衛による新天皇を据えた日本の建国」をしようと呼び掛けたという訳です〜(笑)もし、仮にそれで米国が天皇になにしようものなら
我々軍隊が天皇をお守りする、敵を討つ、との三島から天皇へのメッセージだったと言う訳ですねぇ〜(笑)
477 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/29(水) 16:18:14
100年後の日本を想像死てごらんなさい〜(笑) 日本が荒ればの離しですけれどもねぇ〜(笑)
全く愚かしいですねぇ(笑)私には不可解ですねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
やmだ利さは巣か吐露death
480 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/29(水) 17:29:35
>石○○太郎の四男・石○延啓 画家 ←注目
>オウム・上祐の後ろにある曼荼羅を描いていた画家だった。
藁貸し増す〜(笑)床魔で糞尿李さ(笑)いやはや(笑)おやおや(笑)煮集れば糞橡痔(笑)外気乳の蝿習癖(笑)
おやはや(笑)蛾治る呑弟賞ねぇ〜(笑)三島の中傷煮必死戸は〜(笑)
>>475>>476 (o`.´o)ちゃん、ありがとう。全くその通りですね。日本はすっかり自主防衛力をなくし、見返りにたかられ、
農薬だらけの小麦粉や果物、狂牛病の肉を売りつけられ、さらにまた関税なしになりそうだし、
中国にも毒野菜や反日スパイを送りこまされて、海洋の島々、漁海まで狙われてるのに、
防衛力がないばっかりに何も強く言えない情けなさ、中国に媚び靖国参拝を阻止する経団連、
これから日本はどうなるんだろうね。
>>480 石原はまた都知事に立候補するのかな。
中国での信者増加見返りに、中国人スパイ留学生を大量移入推進する創価の組織票ほしさに、漫画規制したようですけど。
まだ東国原が都知事になった方がいいかもね。
483 :
薩長同盟軍:2010/12/29(水) 18:08:01
どうだ! どうだどうだ! 一銭にもみたぬ負け組みども、どうだ! 勝てば官軍
天皇主義 主義なのか?w
485 :
吾輩は名無しである:2010/12/29(水) 21:03:57
486 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/29(水) 23:34:16
481
読解力の優れたマゾちゃんには説明も簡単で隅増すよ〜(笑) オーバーヒートゾンビマニアの阿呆ではどんなに説明死ても不可能です殻ねぇ〜(笑) …ÅÅちゅーちゅー (笑)
487 :
吾輩は名無しである:2010/12/29(水) 23:46:09
486 名前:(o`.´o)harukimurakami ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/29(水) 23:34:16
481
読解力の優れたマゾちゃんには説明も簡単で隅増すよ〜(笑)
オーバーヒートゾンビマニアの阿呆ではどんなに説明死ても不可能です殻ねぇ〜(笑) …ÅÅちゅーちゅー (笑)
21 :村上春樹:2010/12/24(金) 10:03:29
町田康
そもそも小説家じゃねえし
121 名前:村上春樹 :2010/12/29(水) 23:03:40
ロスチャイルドはバラでロックフェラーはバナナ たぶん男女を表してるな。
う〜ん・・・・
中国が脅威すぎるなあ・・・・
しかし三島は凄いよなあ・・・・・
488ヒント
点はみっつ
三島由紀夫の思想には一つ欠点がある。
それは文化防衛に大きく固執していると言う点。
文化のために民族の自存的な立場までも
失ってもいいと言う考えなら、それはかなり傲慢
な事ではないだろうか?
それはどういうことかと言うと例えば三島があの日、自衛隊に「諸君らは武士だろう」
といって檄を飛ばしていたが、それは現実を無視した傲慢な認識であったからだ。
彼らは実際は武士でも侍でもなんでもない、ただの兵隊である。
例え彼らが護国や憂国のために戦おうとも、それは右翼的な理念で戦うのでも
無ければ、武士道の思想によって戦うわけでもない。
三島がやろうとした事はすごい事ではある。
三島こそが戦後最大の真の国士であったことに揺るぎは無いだろう。
だが彼は、彼の力の源である「文化のために死ぬ」と言う事が
最大の欠点ではなかったのかと思うのだ。
>>490 書いてる事はわかるけど、だからこそ
本人は最初から、批判されて、汚されて
みじめに犬死する事が目的だったんじゃないの。
493 :
吾輩は名無しである:2010/12/30(木) 04:42:51
>>332 >何を平野は頓珍漢な解釈してるんですかね。
平野は至極あたりまえなこといってるだけです。
三島は「恋」と「愛」の違いに独特の解釈を与えていますから。
『葉隠』をおすすめします。
『春の雪』その他、全くよめてないことになりますよ。
今後は対象をちゃんと捉えて身の丈にあったコメントをしましょう。
お粗末な贔屓のひきたおしは害毒の流布でしかありません。
ご自愛ください。
身の丈にあった言葉遣いを。
>>474 そうかな?
俺にはビジョンがしっかり見えるぜ。
それに祖国防衛隊は民兵よりもむしろイランのイスラム革命防衛隊のようなエリート軍隊であったっほうがいいだろうし。
>>476 >三島のクーデターとは魔差に100年後の日本を幻視し「自国防衛による新天皇を据えた日本の建国」を激したものなのでは無いので消化ねぇ〜(笑) 自決とは日本人は生も死もコントロールできるんだ、
>日本の武士道こそ魔差にそれで他国に防衛される必要なぞないんだ、と言いたかったのでは無いので消化ねぇ〜(笑)総理なぞは日本のお飾り(笑) 戦後も日本は天皇の支配下に在ることを
>汁、三島は天皇に安保条約を破棄し、憲法改正、「自国防衛による新天皇を据えた日本の建国」をしようと呼び掛けたという訳です〜(笑)もし、仮にそれで米国が天皇になにしようものなら
>我々軍隊が天皇をお守りする、敵を討つ、との三島から天皇へのメッセージだったと言う訳ですねぇ〜(笑)
まあ違う意味でな。
三島は百年後に天皇制と共産主義が融和しそれが日本の真のイデオロギーになる事を見据えていたんじゃないかな?
というわけで、しばらく天皇マルクス社会主義日本労働者党と言うコテを名乗らせてもらおうかな。
>>493 だから、三島の「恋」と「愛」の違いは、平野のような「恋が愛に変わる」みたいな凡庸なものじゃないから。
あなたこそ平野みたいな底の浅い見方で、わかった気にならずに、自分で三島を読んでください。
>>491 三島がいう「武士」っていうのは日本人としての心構えの問題でしょ。それをなくてしまったら、それこそ、
アメリカの傭兵。あるいは将来的には中国の傭兵になる危険性もあるでしょう。
あなたは根本的に三島がいう文化の意味も、思想もわかってないんじゃないの?
>>490 > 文化のために民族の自存的な立場までも
> 失ってもいいと言う考えなら、
↑民族の自存を守ることは、文化を守ることとイコールでしょう。どうしてそんな分裂した解釈するのか意味不明。
もっとちゃんと三島を読みましょう。
山崎行太郎「平野啓一郎等の、世にもくだらない、一夜漬けの雑学を披露しただけの座談会」
500 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/30(木) 13:46:41
やはりマゾちゃんの読解力は凄いですねぇ〜(笑)
日本語ひとつを獲っても日本文化とするなら、日本国土に日本文化(日本語)を継承する者が望ましい訳でしてねぇ〜(笑) 「民族の自存的な立場」でいいならフランス語や英悟を喋る日本国籍を持った外来者(笑)、
見た目は東洋人の中国人でもいいことに鳴り増す殻ねぇ〜(笑) 日本語を一応は喋る(笑)在日作家クンニカス平野ではてんで離しに鳴り増せん〜(笑)
495
藁貸し増すねぇ〜(笑)天皇が社会主義を認めぬということですよ〜(笑) 穴多は政権が自民糖から民主糖へ変わる刹那に麻生総理こと阿呆愛無ソーリが訪米死オバマの耳元でなにやらつぶやいたのを
ご存知で消化ねぇ〜(笑) 荒れはなにをつぶやいたのか想像死てごらんなさい〜(笑)
501 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/30(木) 13:49:09
↑村上春樹
503 :
吾輩は名無しである:2010/12/30(木) 17:51:25
>>496 ハハハ、何の反論もできないんだ。そんなのも分かんないくせによく信者ぶってるねえ
>>332-333 は平野の自作PRのための前フリ通説だよ
「三島の分類をヒントに」と踏まえた上で『春の雪』を読み返してんのに
なにを表面だけ齧って吠えてんだか、ま、いつものことだが
>>493 はまともなこと言ってんだよ
頓珍漢てw
だから三島を呑み込むのはあんたには無理といってるのよ
人並の読解力や素養の無い奴はひとりでオナニーしてなさい
今日は俺様が特別に講義してやるから(笑)
まず「葉隠入門」引用な
504 :
吾輩は名無しである:2010/12/30(木) 17:53:52
「日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながっている。もし女あるいは
若衆に対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変わりはない。このような
エロースとアガペーを峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕(れんけつ)の情」という名で呼ば
れて、天皇崇拝の感情的基盤をなした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある
恋愛観念は、かならずしも崩壊しているとはいえない。それは、もっとも官能的な誠実さから発したものが、
自分の命を捨ててもつくすべき理想に一直線につながるという確信である。」
三島が言いたいのは、日本人の恋愛観はアガペーとエロースを区別する西欧人のそれとは違う、ということね。
「日本人本来の精神構造の中においては、エロース(肉体的・性的な愛)とアガペー(精神的愛)は一直線に
つながっている」ので、その両者を区別することはできないというのだから。
「エロース(愛)」と書いてるけど、三島にとって「エロース=恋」なわけ。それではじめて「日本では極端に
いうと国を愛するということはないのである。女を愛するということはないのである」が理解できる。
日本におけるいわゆる「愛」は、純粋に精神的な愛=アガペーではなく、むしろ「官能的な」要素、すなわち
エロース=恋を強く含んでいると三島は言いたいのよ。彼が言うとおり「日本には恋はあったが愛はなかった」
のであり「日本では国を愛するということはない」のであるとしたら日本にあるのは「国を恋する」ことだけ、
ということになる。
505 :
吾輩は名無しである:2010/12/30(木) 17:56:04
そして国への恋=愛国心を、最終的には天皇への恋、「恋闕の情」へと結びつけていく。
つまり三島は天皇への崇敬の念をエロス的な恋愛の一種(恋闕の情)として理解したかった。
そうすると『憂国』は、死とエロスの融合(→「至福」)という三島の葉隠武士道的美学(見方によれば
きわめて西洋的な美学)の作品化であることが確認できる。自分の代表作とした所以だ。
このくらい重要なタームも弁えずに三島を語るなんてまさに害毒だね
おまけ。『英霊の声』では、自分たちは天皇への恋闕の情、赤誠をもって昭和維新を目指した「義軍」であり
決して「叛乱軍」=「賊軍」ではない、としている。
『葉隠入門』で「恋闕の情」については「もっとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨てても
つくすべき理想に一直線につながるという確信」であると解説した。『英霊の声』では「あれほどまでの恋の
至情が、神つまり天皇のお耳に届かぬ筈はなかった」と言う。
これぞ片想い、ドン・キホーテのように現実にならない理想をいつまでも追い続けることができる。
いつまでも錯覚にひたることができる。
↓
われらは躊躇なく軍服の腹をくつろげ、口々に雪空も裂けよとばかり、「天皇陛下万歳!」を叫びつつ、
手にした血刀をおのれの腹深く突き立てる。かくて、われらが屠った奸臣の血は、われらの至純の血とまじわり、
同じ天皇の赤子の血として、陛下の御馬前に浄化されるのだ。
で、君は何を言いたいんだね。
「マゾちゃん」はああいう、誰彼かまわず噛み付く悪い癖があるにしてもだ、
それなりに三島を読み込んでいる。少なくとも、「俺様の御高説」を謳いながら
そんな表面をなぞった程度のことしか書けない(しかも読みづらい)君よりは
「マゾちゃん」の方がマシというもの。他人の能力をあれこれけなす前に、
先ずは自分の能力を疑いなされ。
507 :
吾輩は名無しである:2010/12/30(木) 19:39:46
太宰治 AB型
坂口安吾 A型
三島由紀夫 A型
安部公房 AB型
石原慎太郎 AB型
大江健三郎 A型
吉本隆明 A型
柄谷行人 AB型
村上春樹 A型
村上龍 O型
福田和也 A型
阿部和重 A型
平野啓一郎 AB型
>>505 あなたが今更威張って言ってることなど、十分解ってますけど。葉隠入門も愛国心も全文読んでますから。
三島にとっては聡子への思いも、天皇への思いも、日本への思いも「恋」。
だから、平野が言ってるような「聡子への恋が愛に変わる〜云々」なんて文言自体が頓珍漢でしょうよ。
一人でズレたところで、やっきになってお疲れさまでした。
>>506 援護ありがとうございます。ポイントポイントでいつも助けていただいてありがとう。
510 :
吾輩は名無しである:2010/12/30(木) 20:43:59
>>506 そりゃ表面のピースを組み合わせただけのものさ
掘り下げたらチワワもあんたも理解できないでしょ
三島が最後に自分をドン・キホーテになぞらえた結論に落としてあげたんだよ
(「いつも風車を相手に戦っている」)
この程度が読みにくいとしたらあんたもチワワ程度の知能てことさ
>>508 同じことしか言い返せない馬鹿ですね〜
平野は三段論法で言ってるだろ、そのままじゃないのよ。にしても
>>335は酷すぎる
ムナッ!
すこしは応用を効かせなさい「三島はこう書いてる」君。
猿なみの頭で「葉隠入門も愛国心も全文読んでますから」てもねぇ。。。
>>510 三段論法もなにも、平野の「恋が愛に変わる」っていうキリスト教的前提自体が、そもそも三島の恋の概念と違いますから、
論法自体、それによって導く解釈自体が何かズレておかしいってこと。
そんなことも気づかないあんたが、猿だよ。
それに、作中で聡子への思いが平野の言ってるみたいな、長年付き合った恋人風な心理にもなってないから、
鼻から平野は間違ってるし。よくこんな頓珍漢が作家やってるわ(笑)
>>511 またかw
「恋が愛に変わる」とかキリスト教的前提とか一体何なんだ
あんた勝手に偏読して難癖つけてんだぞ
http://mainichi.jp/enta/book/news/20101226ddm015070015000c.html >三島のこの分類をヒントに、「恋」とは刹那(せつな)的に燃え上がって相手を求める感情、
「愛」とはむしろ関係の継続性を重視する感情と、一旦定義的に分けて考えてみた。
>必ず「恋」が「愛」よりも上位
平野は普通に「愛」→「恋」という禁断化する前後の心裡を述べてんのに
「ずっと恋」とは何なんだw
凄まじく窮屈な物語になっちまう
解釈は「愛」と「恋」が隣り合うもんでいいんだよ
三島の恋の概念とかは措いて読むのが小説なんだよ
どうしても「ずっと恋」でなければいけないというなら
その根拠を示しなさい
鼻からwww
514 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/12/30(木) 23:53:25
なんというか三島というのは自分(知識人が)が反俗だと信じられていた、そういう幸せな時代の人間なんだよな。
515 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/12/31(金) 00:00:00
俺が三島から感じるのは、「戦後的民主主義社会」とかいうようなある意味型にはまった、
別の言い方をすれば非常に通俗的な区切りでものを見て、批判した連中の親玉だったという見方だ。
澁澤龍彦や松山俊太郎ですら、そういう枠組みを使って批判している。
「戦後的民主主義社会」という仮想敵を設定し、それを挙って批判すればよろしいといったような楽天さが連中からは感じられる。
今こそそういった楽天さこそが否定されてしかるべきなのではないか?w
>>512 だから、聡子への「愛」が実現しそうになったらそっぽをむく、って言ってるのがおかしいでしょ。「恋」なんだから。
平野の愛国心の読み方も間違ってんだよ。
三島はその論文で、ある特定の対象に対する特別な感情を「恋」と言ってるわけだから、「愛」が実現って文言自体成り立ちません。
「愛国心」という言葉の矛盾を三島が指摘したのと同じでね。
だから三島と平野の定義とは元から違うわけ。たぶん平野は部分的にしか愛国心の論文を読んでないんだよ。
そんな平野をコピペするあんたもね。
>>515 敗戦によって、戦後の社会がそれまでの体制と急変して、アメリカ統治の戦後民主主義になったのは事実だから、
その定義に通俗も何もないし。
ごちゃごちゃとつまらないあら探しご苦労でした。よいお年を(^0_0^)
518 :
吾輩は名無しである:2010/12/31(金) 02:39:08
>>516 (怒)「ずっと恋」の根拠が『愛国心』か?
当の三島はそんなふうに概念的に自作を読まれてしまうのを望んだろうか。
読むことは、信じて丸呑みすることじゃない。もっと自由な行為だ。
三島は生涯、そんなパッシブな読みを退け、常に創造的に解釈を拡げていった筈だ。
狭量な読みを否定したからこそ作家になり得たのであり、同じ姿勢を取ることは
その作家の入場口を通過するためのパスポートである。
…たとえば信者にサインを求められたら、さすがに三島は拒みはしなかったろうが、
心ひそかに、その退屈さ加減、味気なさ、ばかばかしさに首を竦めたと思われる。
三島は逆説家だが皮肉屋ではない。いわゆる正直者だ。したがってその署名には
どこかに軽侮を示すぞんざいな跡が留まっていたに違いない。
読むことと考えることは別だ。真逆ともいえる。なぜなら読むだけの行為、
そのまま単純に受けいれることは、己の思考を阻むおそれがあるからだ。
読みながら、反対に読まれてしまう危険がある。その免疫を育むために
われわれは多読し、作家一人一人を比較検証しながら、どこまでも考える自由を
追求していく。そうでなければ読む意味もない。
519 :
吾輩は名無しである:2010/12/31(金) 04:26:26
ところでさ、三島は尻に入れられたのか?入れたのか?
解剖したらザーメンあったというから前者。
あるいは後者でゴックンしまくったって説もある。
ケツカ(貸)セ、ケツク(臭)セw
>>497-498 三島が示したのは任侠とそれを糧として生きてきた武士の本質とか、そうした
日本人が古来より義士としてこの国をずっと守ってきたのだという伝統を身をもって示した。
日本は少なくとも古墳時代からずっと「物の部」達が天皇(大王)とこの島を
護持するために世代を超えて守るぬいてきたわけだが、しかし戦後の今の時代だけは
いわゆる武士が存在してない時代になった。
三島は国体の本義を伝えようとしたのは間違いないだろうが、しかし三島は
民族とその文化に拘って死を選んだ。
三島に対してこんな事を言うのは少し酷だが、今の保守達と基本的なメンタルは限りなく近い。
懐古と革新の矛盾した欠陥を抱えて新しい革新的な型を結局彼は見出す事が出来なかったわけだ。
ロシアや中国、朝鮮などの旧社会主義国やアメリカを見てほしい。
彼らは天皇こそいないが新しい武士の形や姿と言うのをちゃんと見出してる。
日本も社会主義革命を実現していれば今の時代は民族の精神を誇りとした武士が
日本の支配していたわけだ。
しかし彼は天皇に拘ってその身をささげたのだ。
実に矛盾してる。
三島を読めてはいないね。
誰もあなたの作文に興味は、ないんじゃないのかな。
福島次朗が書いた本は読んだ方がいいですか?
天皇に身を捧げたのではないと思います。
一切の名利を捨て去って死にたかったのではないでしょうか。
少しの望みも無いのはわかっていたけれど残る日本人に全てを
賭けた死だと感じました。
>>524 三島が福島へ宛てたという実際の手紙には、特に何も暴露されてないし、特に目新しい資料となるものはなかったのでどっちでもいい本です。
福島の空想の描写だけが一人歩きしてただけの、巷にあふれる死人に口無し本の一種でした。
>>522 アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮には武士の精神なんかありません。
覇権主義と、武士の精神は全く違いますよ。
528 :
吾輩は名無しである:2010/12/31(金) 10:44:51
(小論)
改めて気がついた『春の雪』の日付の意味 浅野正美
三島由紀夫氏没後40年という節目の年に、「豊穣の海」を通して読み返した。
前回読んだのは私の年齢が三島氏の生涯の年齢を超えた5年前、奇しくも三浦重周氏が自決した年であった。
恥ずかしいことだが、今回の読書で初めて、春の雪というこの作品の題名を理解することができた。初読以来30年が過ぎたが
「豊穣の海」は私が今までの生涯で一番多く、繰り返し読んできた文学作品である。
にも関わらず私はずっと、春の雪とは清顯と聡子が雪の朝、車に乗って逢い引きをし、初めての接吻を交わした
あの美しくも印象的なシーンから取られたものとばかり思っていた。
この作品にはもう一つ印象的な雪のシーンがある。それは物語の終幕近くで、聡子会いたさに清顯が月修寺に通う場面である。
この場面の前後を時系列に並べると、物語は次のように展開している。年号は大正3年。
2月21日 清顯東京を出発
2月22日 帯解着 宿屋から車を雇い月修寺へ
2月23日 午前と午後に月修寺へ 車は門前まで
2月24日 月修寺へ 宿屋から徒歩
2月26日 月修寺へ 車は門前まで 雪(風花) 深夜本多合流 病悪化
2月27日 本多月修寺へ その日の夜行で帰京 意識混濁
2月28日 午前6時新橋駅到着
3月 2日 清顯死去
お気づきの方もおられようが、2月26日!は清顯が月修寺から最後の否を宣告された日である。
病に蝕まれた体にはもう寺に通う体力は残されていない。そして雪。
529 :
吾輩は名無しである:2010/12/31(金) 10:47:33
この雪を三島氏は作品の中でこう描写している。
「この日大和平野には、黄ばんだ芝野に風花が舞ってゐた。春の雪といふにはあまりに淡くて羽虫が飛ぶやうな降りざまであったが・・・・」(単行本351頁)
清顯は車を門前に待たせ、喘ぎながら参道を往く。
「命を賭けなくてはあの人に会へないといふ思ひが、あの人を美の絶頂へ押し上げるだらう。そのためにこそぼくはここまで来たのだ。」(同354頁)
三島氏はここで初めて「春の雪」という言葉を使っている。この日付は偶然であろうか。春の雪には、ここまではっきりと日付がわかる個所は他にはほとんどない。
例えば先にあげた雪見のシーンでも、日付は明確にされていない。前後の文章から、この日が正月から飯沼の卒業試験までの間ということがわかるので、
おぼろげに、1月か2月であろうということくらいが読み取れるだけである。
命を賭けるべき絶対の美(天皇 聡子)、そして絶対の美からの峻拒。この主題は三島氏が金閣寺や2.26事件に関する一連の発言の中で繰り返し訴えて来たことに繋がる。
三島氏が2.26事件を意識してこの日付を設定したかどうかは、今となってはわからない。
ただし、先にも触れたように、絶対の美、雅からの拒絶、雪、主人公の死、と並べてみると、偶然とは思えない。
雪の2月26日に向けて、清顯は聡子に会いたいという執念を抱いて帯解に旅立つが、思いはかなわず19年の生涯を閉じる。
それから22年後の同じ日に、国を憂える青年将校、兵士達は昭和維新を志して決起するが、ここでも思いは届かない。
第二巻の奔馬では、この2.26事件とほぼ同時代を生きる主人公の飯沼勲が、昭和の神風連たらんとする。
小説「春の雪」は、2.26事件へのオマージュであったというつもりはない。この二つの日付の一致はすでにだれかによって指摘されていることだと思う。
ただ、鈍感な私が最近初めて気が付いたというに過ぎない。
また、多くの読者にとって、題名の春の雪が、雪見の逢瀬からではなくて、帯解に舞った淡雪から取られていることも自明のことだろう。
>>527 武士の精神は形は違えど存在してますよ。
そしてそれは軍事国家だからこそ、それを実感としても
体得する事が出来るんですよ。
>>518 三島を概念的に読んでるのは「愛に変わりそうになると」と言ってる平野。
自著宣伝のために三島を利用、我田引水ってだけ。
532 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/12/31(金) 12:41:48
おいチワワ、占領されていた国など数多くあるだろうが。そしてその後民主主義になった国もな。
これは戦後民主主義なのか? 違うだろう。
けっ オカマ
>>526 内容は妄想なのですね
ありがとうございました。
こいつホモだろ
気持ち悪い
538 :
吾輩は名無しである:2011/01/01(土) 14:21:54
>ちゃんとした軍事的な訓練も積んで
ここ笑うトコw
>>538 いや別に本格的な軍事訓練をしてなくてもいい。
要するに自衛隊に入って多少の訓練をしたと言う経験があるのは
やっぱり違うとおもうわけだよ。
あと盾の会の本質はそこばかりではなくてもっと精神的なところで
「天皇のために死ねる」という価値を道義とし共有した組織的な隊を
作ったと言うのは非常に評価しなくてはならない。
現代日本が敗戦してそういう道義を捨ててしまったから余計にね。
540 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/01(土) 15:10:30
539
「天皇のために死ねる」という道義になんの勝ちがあるので笑〜(笑)藁貸し増すねぇ〜(笑)愚民に獲っては敗戦も天皇に獲っては敗戦では無い酔うでしてねぇ〜(笑) 妻り終戦らしいのですけれども〜(笑)
穴多にはこの痴害がお解りで消化ねぇ〜(笑)
三島事件がそろそろ正当化され始めたがゆえにオウムの暴走を招いたと思います。
>>540 >「天皇のために死ねる」という道義になんの勝ちがあるので笑〜
馬鹿には分からん理屈だよ。
お前は死んでも分からなそうだが。
>>541 オウムはむしろ戦後の革命主義や反日教育が正当化されたからでしょ。
三島が正当化されてるならクーデターは起きてもあんな事件は起こらない。
みなさんあけましておめでとうございます
545 :
吾輩は名無しである:2011/01/01(土) 20:58:10
尻に入れた竿にはうんちがくっついてくるのか?
548 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/02(日) 18:19:34
542
藁貸し増すねぇ〜(笑)穴多謎は支配層に総統に頭を犯され過ぎておるのでは〜(笑)穴多は今一度「開戦の詔勅」をお調べにでも鳴って観ては道です〜(笑)
549 :
吾輩は名無しである:2011/01/02(日) 18:58:13
宝塚歌劇が三島の原点。現実無視の典型的浪漫派。彼の小説を読むと
皇室の女性たちはロウタケテ素晴らしい美女になるが、実際にいるかい?
あるいは、いたかい?彼の妄想上の存在なので。そして彼のリアルは
男のケツの穴にちんぽこ入れるか、あるいは彼のケツの穴にちんぽこ入れられる。
ああ、日本浪漫派。
550 :
吾輩は名無しである:2011/01/02(日) 19:01:14
彼は小男で、醜男だった。小男で、青白くて、胸毛だった。
ああ、日本浪漫派、現実を無視したくなるのは分かるよね。
>>549 皇室の女性たちが出てくる小説はあまりないけどね。適当な戯言お疲れさまでした。
端的只今の一念より外はこれなく候
一念々々と重ねて一生なり(葉隠)
新年に想ふのは「葉隠」の一章。マスコミが作る「ものの見方」にとらはれず自分の考へ方で生きていく勇気を
もちたい。一念一念といふのは、さういふことだし、その積み重ねが、私を私らしくするのだから……
三島由紀夫「真(まこと)を胸に――若さに生きよう」より
553 :
吾輩は名無しである:2011/01/03(月) 01:03:53
このたび見つかった三島の友人あての手紙をアップしてください。
お願い致します。
554 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/03(月) 02:55:03
551
皇室の女性たちが出てくる小説に批判は無理で症ね(笑) 戦前は不敬罪が或る(笑) 戦後は霊の深沢の荒れが或る(笑) とタブーです殻ねぇ〜(笑)
小林よしりんの阿呆は「天皇制廃止」謎とやったものだから今や天皇論で媚の売りまくり(笑) その怪会って食事会に誘われる酔うです殻ねぇ〜(笑) 文化勲章も夢では無い〜(笑)
三島はすごいよなあ。
あの時代に自衛隊と決起しようなんてなあ・・・
557 :
吾輩は名無しである:2011/01/03(月) 19:14:47
自衛隊と決起しようなんて本気で思っちゃいないぞ
自分の劇的な自殺に利用しただけだぞ
>>557 あんな芝居がかってたら、当時は誰も相手にしない
ひそかに献金してた自民党は「金返せ」だろうね
佐藤首相「気が狂っているとしか思えない」
>>557 だからそれがすごいんだよバカ。
義的な、あるいは儀的なクーデター失敗とそれによる自決。
もっと自衛隊巻き込んで大騒ぎになっていなければならんかった。
特攻隊のような自爆的義勇劇に。
三島の自決は現代でもマクロな影響として根深く作用してるが、三島が
本当に狙ったのは伝説的な、英雄的な事件として後世の人々に語り
継がれることにあった。
しかし実際は学生運動だなんだという事があの時代の伝説的な事件として
メディアやなんかは報じ、人々は認識してる。
>>559 うるせえばか
メディアが報じる学生運動よりも、三島事件の方が根深く長く歴史的事件としてこれからも残っていくだろうね。
そして何よりこの相撲の生き人形のストーリーが面白い。
これは相撲の組み手で投げをしている場面だが、これは投げの強さあまり
相手の首の骨を折ると言うものである。
このような豪傑な精神ある人形が明治時代から普通にあったのが何よりも驚きだった。
メディアが報じる学生運動よりも、三島事件の方が根深く長く歴史的事件としてこれからも残っていくだろうね。
568 :
吾輩は名無しである:2011/01/03(月) 23:10:34
>>562 うむ。
それにネットというパソコンさえあれば見れる手軽で規制や偏向操作不可能な媒体がでてきたからね。
三島の思想や精神はこれからが始まりだとも言える。
569 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/03(月) 23:14:34
おい、本気でネットを「規制や偏向操作不可能な媒体」だとか思っているのか? だとすればお笑いだなw
570 :
吾輩は名無しである:2011/01/03(月) 23:37:50
571 :
吾輩は名無しである:2011/01/03(月) 23:54:51
今はもうネット思想、ネット運動の時代なんだよ。
572 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/04(火) 00:11:46
いや、ネットの情報などを平気で信用しているようではどうしようもない。
大江
「つまらない愚行が30年50年という長さをへて将来を予告してしまう例は維新前から
たくさんありますからね。取るに足りない不思議な人たちが歴史をふり返るとき鮮やかに
言い当てていて驚きますよ(笑)」
取るに足りない不思議な人たち=大江健三郎と憲法9条守ろう会
576 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/04(火) 15:33:08
石原 あの小説を三島由紀夫さんが非常に意識してくれて、
『鏡子の家』を書いたわけです。「三島さん、あれ僕の真似でしょう」って言ったら、
「そんなことない」と言ってましたがね(笑)。
藁貸し増すねぇ〜(笑)オオ恐ろしい(笑)自分が診えない分人は発狂して居る〜(笑)
577 :
吾輩は名無しである:2011/01/04(火) 16:43:18
ところでさ、三島はけつに入れたの?入れられたの?
どっち?おせえて。
>>577 どっちもないかもしれないことだから、あなたの妄想のなかで好きに考えれば。
>>577 晩年は入れられるのが好きだったとのこと
>>574 万延元年のフットボールは三島の死のあり方を言い当てているとしか思えん
>>580 大江は憲法改正大反対、北朝鮮賛美のサヨクだからね。そういう立場から火消しに必死なんでしょ。
大正十四年(一九二五年)一月生れの三島は、終戦の時、満二十歳であった。それより少なくとも二年早く
生れていれば、戦争のために散華する可能性を、かなりの確率で期待することが出来た。彼が生涯をかけて
取り組もうとした課題の基本にあるものが、“戦争に死に遅れた”事実に胚胎していることは、彼自身の言葉からも
明らかである。出陣する先輩や日本浪漫派の同志たちのある者は、直接彼に後事を託する言葉を残して征った
はずである。後事を託されるということは、戦争の渦中にある青年にとって、およそ敗戦後の復興というような
悠長なものにはつながらず、自分もまた本分をつくして祖国に殉ずることだけを純粋に意味していた。
(中略)
しかし終戦からしばらくの期間、つまり彼が文壇に出る前後までの時代は、まだ救いがあった。後年になって彼は、
――当時は何だか居心地が悪かったが、今となっては、あの爆発的な、難解晦渋な文学の隆盛時代がなつかしい。
(略)今日のやうな恐るべき俗化の時代は、まだその頃は少しも予感されなかった。――と述懐している。
戦後日本の経済復興は軌道に乗り、(中略)三島の文業も、行くとして可ならざるはなき成果を収めることが出来た。
これはその恵まれた資質、類い稀な勤勉さからすれば当然の結果といえるが、時代が彼の最も好まない方向に
傾けば傾くほど、マスコミが歓呼して三島の仕事を讃えたのは、悲劇というほかはない。
死の二ヶ月前に行われたために、多くの示唆に富むことで知られる武田泰淳との対談「文学は空虚か」の中で、
三島はこうまで言い切っている。――僕はいつも思うのは、自分がほんとうに恥ずかしいことだと思うのは、
自分は戦後の社会を否定してきた、否定してきて本を書いて、お金をもらって暮らしてきたということは、
もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな。――さすがの武田泰淳も、――いや、それだけは言っちゃ
いけないよ。あなたがそんなこと言ったらガタガタになっちゃう――と、たしなめるほかない様子だったが、
三島はさらに、――でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうことを言わなかった――
と追い打ちをかけている。
吉田満「三島由紀夫の苦悩」より
(中略)
われわれ戦中派世代は、青春の頂点において、「いかに死ぬか」という難問との対決を通してしか、「いかに
生きるか」の課題の追求が許されなかった世代である。そしてその試練に、馬鹿正直にとりくんだ世代である。
林尹夫(海軍出陣学徒)の表現によれば、――おれは、よしんば殴られ、蹴とばされることがあっても、精神の
王国だけは放すまい。それが今のおれにとり、唯一の修業であり、おれにとっての過去と未来に一貫せる生き方を
学ばせるものが、そこにあるのだ――と自分を鞭打とうとする愚直な世代である。戦争が終ると、自分を一方的な
戦争の被害者に仕立てて戦争と縁を切り、いそいそと古巣に帰ってゆく、そうした保身の術を身につけていない
世代である。三島自身、律義で生真面目で、妥協を許せない人であった。
林尹夫は、さらにわれわれ世代の宿命を、高らかに歌いあげる。――いったい恨むといっても、誰を恨むのだ。
世界史を恨みとおすためには、我々は死ぬほかない。そしてわれわれは、恨み得ぬ以上、忍耐して生き、そして
意味をつくりださねばならないではないか。日本は危機にある。それは言うまでもない。それを克服しうるか
どうかは、疑問である。しかしたとえ明日は亡びるにしても、明日の没落の鐘が鳴るまでは、我々は戦わなければ
ならない。――
(中略)
彼(三島)が大蔵省に勤務していた頃、私にむかって、自分は将来とも専門作家にはならないつもりだ、と言い
切ったことがある。――なぜならば、現代人にはそれぞれ社会人としての欲求があるから、その意味の社会性を、
燃焼しつくす場が必要である。文士になれば、文壇という場で燃焼させるほかないが、文壇がその目的に適した場で
あるとは到底思えない。(略)――こうして彼は文壇を飛び出し、歩幅をひろげ、死の彼方に手がとどくまで、
その歩みを止めなかったのであろう。
吉田満「三島由紀夫の苦悩」より
三島の苦悩は、戦争に死に遅れたという事実から生れた、とはじめに書いた。しかし臼淵や林の若い死を、
どのような意味でも羨むことは許されない。生き残ってこそ、すべてがはじまるのであった。戦死という非命に
たおれた彼らの不幸を、償いうるものはない。三島も、そのことを知り抜いていたにちがいない。そして彼は
みずから死を選ぶことによって、戦争に散華した仲間と同じ場所をあたえられることを願ったのであろう。
(中略)
死にゆく者として彼らが残していった戦後日本への願望は、彼ら自身の手によっても、易々とは実らなかったで
あろう、新生日本とともに歩む彼らの戦後の生活は、けっして平坦なものではなかったであろう、ということである。
一つの時代に殉じた世代が、生き残って別の時代を生きるというのは、そういうことなのであり、三島由紀夫を
死に至らしめた苦悩もまた、そのことと密着しているように思われてならない。
吉田満「三島由紀夫の苦悩」より
586 :
吾輩は名無しである:2011/01/04(火) 20:12:13
587 :
吾輩は名無しである:2011/01/04(火) 20:14:43
>>583-585 三島は死に遅れてよかった人間だよ。
むしろ三島は死に遅れなければならなかった。
日本は敗戦したのだから。
岩波サヨク大江のアンチ三島粘着がしつこいね。
590 :
吾輩は名無しである:2011/01/04(火) 20:29:04
>>588 いや、自演じゃない。
ただこういう質問はウザイから無視しないと駄目だよね。
日本人のもっとも嫌いなところ?
石平「私の場合は簡単で、中国共産党にへつらう日本人が大嫌い(笑)。日本という民主主義国家の一市民なのに、
なぜ中国共産党の前で自分を売るのか理解に苦しみます。たとえば大江健三郎がそうですね。
彼は「私は民主主義以外の一切の価値を認めない」とかいうんですが、それならば北京へ行って民主主義を大いに語り、
中国の非民主的教科書や人権侵害を厳しく批判したらどうなんですか?しかし彼は正反対のことをやっている。
中国では絶対に民主主義の民の字も出さないんです。
以前に書いたことがあるんですが、大江健三郎は中国共産党政治局常務委員の李長春氏という民主主義を
圧殺する機関のボスの前で、まるで一匹の犬のように、尻尾を思いっきり振って媚を売ったんです。その様子は
日本では報道されませんでしたが、あの醜態が日本で放送されたら、なにがノーベル賞文化人だと強い非難を
受けたはずなんですけどね。」
黄文雄「私も大江健三郎タイプの日本人が大嫌いなんですよ。なぜかというと、あの人が単に反日だからではなく、
非常に偽善的だからなんですね。」
石平「本当にそう、偽善的ですね。彼の思想が反日だろうとなんだろうと、それは自由だから別にいいですよ。
でも私が彼を嫌いなのは、うわべを綺麗な言葉で飾って、いかにも自分が正義の味方であるかのように、
善の味方であるように見せることの上手な偽善者だからなんです。彼はね、民主主義をいくら叫んでも
害のないところでは大声で叫ぶんです。そして、民主主義を許さないところでは、一所懸命に権力にへうらうんです。」
>>568 >三島の思想や精神はこれからが始まりだとも言える。
まさにそうだ
594 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/04(火) 22:51:32
チワワは何でも対立するものにべたべたレッテルを貼り付けていくよな。お前の論法はいつもそれだ。
もういい加減に撤退せよw
595 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/04(火) 22:52:52
別に対象は何でもいいんだよな。でその後で勝利宣言をすればチワワが優勢に見えるという仕組みだ。
三島は淫乱ホモ野郎
新聞や週刊誌の中には、しごく単純に三島を異常性格者ときめつけ、最初から彼が自分の文学の主要テーマとして
選び貫いた同性愛をも風俗の眼で眺めたあげく、ホモだオカマだと立ち騒ぐ向きまであるのには一驚した。
死んだのは流行歌手でも映画スターでもない、戦後にもっとも豊かな、香り高い果実をもたらした作家である。
彼の内部に眼玉ばかり大きい腺病質の少年が棲み、あとからその従者として筋肉逞しい兵士が寄り添ったとしても、
それをただ劣等感の裏返しぐらいのことで片づけてしまえる粗雑な神経と浅薄な思考が、こうも幅を利かす時代なのか。
異常というなら、わけ知りの、ありきたりの、手垢まみれな説の援用でなしに、その淵に息をつめて身を潜め、
自身の眼でその深みの神秘をさぐろうとはしないものか。この一九七〇年代に、異常というレッテルを小抽出しに
張って、もうそっぽを向いていられる“正常人”がこれほど多いというなら、それこそが異常の証しであろう。
(中略)
ただ、あれほど感性すぐれた彼に、いま一言、突っこんで話をしたかったと思うのは、ぷよぷよとした肉体、
指で押すとちょっとの間はへこむが、またすぐ元に戻って知らん顔をする、さながら腐肉そのままの感触を、
何よりも徹底して憎悪していたのではないか。なぜそれを最後まで、ありのまま憎みとおさなかったかという
点である。「世の中すべて気に入らぬことばかり」にしろ、われわれを包んでいる情況の本質がそこにあり、
一番の敵がそれであることは三島も当然知りぬいていたので、この気持もまた、彼の死後にも変わらない。(中略)
芥川や太宰が、なぜ志賀直哉と長生き競争をしなかったのか、私には不思議でならない、というより、無理にも
そう思いたいのだ。三島にも、また。
中井英夫「ケンタウロスの嘆き」より
三島「僕はいつも思うのは、自分がほんとうに恥ずかしいことだと思うのは、自分は戦後の社会を否定してきた、
否定してきて本を書いて、お金をもらって暮らしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな。」
武田「いや、それだけは言っちゃいけないよ。あなたがそんなこと言ったらガタガタになっちゃう。」
三島「でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうことを言わなかった。」
武田「それはやっぱり、強気でいてもらわないと……。」
三島「そうかな。おれはいままでそういうことは言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ。」(略)
私は三島さんを懸命にナダめにナダめる武田氏に、つよい共感で(感傷的にも)涙ぐみたくなる。
しかし同時に、三島さんがもの書きとしての恥部をここまで口にする激しい自己意識に心をうたれずにいられない。
それはまたそっくり三島さんの社会への批判でもある。
田久保英夫「天上の人」より
石原慎太郎氏、9条護憲主義に転向?[『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』蓮池透、かもがわ出版].
『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』蓮池透、かもがわ出版(2009)
■蓮池透さん(※)の新著『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』かもがわ出版(2009)を読んでいたら、非常に興味深い記述に出会いました。
なんと! 石原慎太郎都知事、一部では「極右」なんて過大評価をされることもある方ですが、そんな石原慎太郎氏が
「憲法九条を評価する発言をしている」のだそうです。
■以下『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』より当該箇所を引用させていただきます(87-88頁)。
引用文中、《 》ではさまれた部分は喜八による補足です。
最近、驚いたのは、私《蓮池透》が以前対談させていただいた石原《慎太郎》都知事が、憲法九条を評価する発言をしていることです。
二〇一六年にオリンピックを東京に招致するため、IOCの会長に宛てた書簡の中で、次のように述べています。
「私《石原慎太郎》の祖国日本は、第二次大戦の後、自ら招いた戦争への反省のもと、戦争放棄をうたった憲法を採択し、世界の中で唯一、
今日までいかなる大きな惨禍にまきこまれることなく過ごしてきました」
《二〇〇九年》二月一三日記者会見では、「憲法の効果もあって平和でこられたのは歴史の事実としてたいしたもの」とさえ語っています(毎日新聞二月一四日付)。
本当に複雑です。ただ、やはりもっとも重要なことは、護憲派であれ改憲派であれ、憲法についての考え方が違っても、
拉致被害者を救うためには、いっしょに運動をしてほしいということです。
■石原慎太郎先生も、ここにきて、ずいぶん「憲法観」が変化されたようですね(笑)。
9条護憲主義者・石原慎太郎!
ということで、よろしいでしょうか?
正直に言って「同志を裏切った男」石原慎太郎氏のことは「1人の男として、まったく評価に値しない」と私(喜八)は思っております。
なので、石原氏の言説にはほとんど注意を払っておりません。
ただ時折「おいおい、いくらなんでも」と思わせられることがあって、そんな折には軽く突っ込ませていただくことはありました。
(喜八blogから抜粋)
wikiには三島はインドのベナレス体験から阿頼耶識の唯識思想を破壊されたとありますが、
そうなんですか?
というか三島は唯識思想に傾倒していたのですか?
ちなみに「暁の寺」の解説には全く逆の事が書いてあるのですが……
603 :
吾輩は名無しである:2011/01/06(木) 15:03:56
傾倒してたも何も三島は阿頼耶識の塊のような人ではないですかw
ベナレスで何を見たのかは存じませんがウィキを見ると相当ショックな
体験であったみたいですな。
>>601 破壊されるどころか、逆に強めて日本に帰国してますよ。
>>601 阿頼耶識の唯識思想が破壊された、のではなくて、近代自我的な思想が破壊した、という意味のことだと思います。
606 :
吾輩は名無しである:2011/01/06(木) 16:09:25
三島の自決を政治的、また文学的、また宗教哲学的に評価すると、それぞれ否定的評価が下される。
が、三島の意識の少年愛的展開とみれば、これはまことに同感、肯定せざるをえない所がある。
609 :
吾輩は名無しである:2011/01/06(木) 18:22:47
三島はとにかく自殺したかった
動機づけとして情緒にまかせたのであり
その意味では太宰の死と差がないのである
>>608 >政治的、また文学的、また宗教哲学的に評価すると、
まったく不毛。憂国前の三島の業績はそれなりに評価するがね。
ネトウヨやバカ保守は文学なんてどうでもよくてただ三島を利用してるのが許せん。
611 :
吾輩は名無しである:2011/01/06(木) 18:37:16
>>608 三島の理念と言うのはまさにそこが本質であると思う。
神童天皇論者とでも言おうか?
そういう意味で、今上陛下については三島はそれほどお嫌いでは
ないのではなかろうか?
>>609 ブーwぜんぜん違いますw
さようならーw
612 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/06(木) 21:24:40
藁貸し増すねぇ〜(笑)これがどういうことかお解りで消化ねぇ〜(笑) 妻り、世界の支配者がアメリカと中国にステルスを売り捌き戦争を刺せようと言うのですねぇ〜(笑)
日本はそれに魔着込まれいい鴨と鳴ることは魔痴害無いで症ね 〜(笑)
中国のステルス戦闘機確認
2011年1月6日(木)15時42分配信 共同通信
【成都共同】中国の軍系航空機メーカーがレーダーに捕捉されにくい最新型の次世代ステルス戦闘機「殲20」を開発、四川省成都で試作機の滑走試験を行ったことが
共同通信が入手した写真で6日、明らかになった。近日中にテスト飛行を行うもよう。「殲20」は、昨年末からインターネット上に真偽不明の画像が出回っていたが、
撮影場所が特定された写真で確認されたのは初めて。
>>609 そうですよねー
むずかしそうなこと言って
論だとか主義だとか理念だとか言ったって
死ぬつもりで考えたら、そんな事で死ねるわけがないです、
情緒にまかせて、ただ死にたかった、そんなものです
>>608 あなたやあなたに似た人間には否定的評価されてるでしょうが、それぞれ肯定的評価もされてますから。残念でした。
>>610 三島を文学だけの枠に押し込めて、婉曲に三島の社会的な提言を火消してるのは、あんたみたいなサヨクでしょうよ。
>>613 みえみえの自演してまでみっともないよ。
>>613 そもそも、主義や理念は心情や情緒が元になってるわけだから、あんたの言ってること自体がバカ丸出し。
三島は日本の文化や魂を守りたい、日本人の心のまま死にたいという心情や情緒が、その行動や主義になってるわけだから。
>>610 本当はたいしてよく読んでないあなたのような人ほど、憂国前、後とか区切るけど、
実際には別にそんな変わってないし、識別ないけどね。
憂国前の作品にも憂国的な心情があるものばかりだから。
あんたこそ、文学が読めてない節穴でしょうよ。
面白い言葉を抜粋
フリードリヒ・クラウスは日本が清国やロシアに勝てた要因の一つに
日本軍に蔓延していた同性愛と、それによる士気の高揚、愛の結束力があると分析している
「男だけでつくりあげられた戦士の集団には、つねに潜在的に同性愛の原理につらぬかれているのだ、ともいえる。
未開社会の戦士集団であろうと、ギリシアやローマの古代帝国の軍隊であろうと、
中世の封建社会にできあがった騎士道や武士道の世界であろうと、
ことの本質は変わらない。戦士たちは、たがいに同性愛的な友愛の精神に導かれ、
自分の生命をいとも簡単に投げ出して、自分の恋の相手に殉ずることをも、いとわなかった」
民俗学者フリードリヒ・クラウス「信仰、慣習、風習から見た日本人の性生活」
日清・日露戦争における日本軍にふれ「男子同性愛が兵士や士官の間に非常に蔓延していることは、他のことから裏書きされた。
皮相な観察者さえも、日本の兵士たちが、われわれ一般人よりもはるかに情愛がこもり、友情的な態度でお互いにつきあっているのに、驚くだろう。
兵士同士の愛の絆の強さこそが、清やロシアを相手に日本兵が勇敢に戦った最大の背景ではなかったか。
彼らが死を怖れなかったのは、たんに戦闘精神や死を軽んずる考えの発露ではなく、他の兵士にたいする激しい愛の感情からなされたものである」
620 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/06(木) 22:55:17
藁貸し増すねぇ〜(笑)刺すれば日本が米国に魔けたのは同性愛力に寄りと鳴り増すけれども〜(笑)
石原のぶてるのSP痴漢とは(笑)藁藁藁貸し増すねえ〜(笑)
正統保守としてはそろそろ三島や三島信者のようなバカ保守を差別した方いいな。
桜とか憂国忌・・・昭和天皇をあそこまでコケにした奴を仰いでるエセ右翼は去れ
蓮田と三島はまったく違う、三島はニセモノ、張子の虎だ
三島は神道の精神をろくに知らん
こいつはエセだと断言していい
三島は純粋を求めたが、正体はそんなんじゃない、嘘くさい
自分を騙すのに必死だった、結果としてバカを騙してるだけ
バカが一言↓
↑と必死なブサヨクが
628 :
吾輩は名無しである:2011/01/07(金) 00:33:17
>>625 はいはい、あんたは頭がいい、騙されない憲法改正反対岩波サヨクだよ。
↑神道も蓮田のことも何一つ知らないシツコイはぐれバカ
こういう信者に担がれるからこそ三島はエセ、いんちき野郎
「花ざかりの森」の作者は全くの年少者である。どういふ人であるかといふことは暫く秘しておきたい。
それが最もいいと信ずるからである。
若し強ひて知りたい人があつたら、われわれ自身の年少者といふやうなものであるとだけ答へておく。
日本にもこんな年少者が生まれて来つつあることは何とも言葉に言ひやうのないよろこびであるし、日本の
文学に自信のない人たちには、この事実は信じられない位の驚きともなるであらう。
この年少の作者は、併し悠久な日本の歴史の請し子である。
我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。
此作者を知つてこの一篇を載せることになつたのはほんの偶然であつた。
併し全く我々の中から生れたものであることを直ぐに覚つた。さういふ縁はあつたのである。
蓮田善明
昭和16年「文芸文化 編集後記」より
交遊に乏しい私も、一年に二人か一人くらいづつ、このやうに国文学の前にたゝづみ、立ちつくしてゐる少年を
見出でる。
「文芸文化」に〈花ざかりの森〉〈世々に残さん〉を書いてゐる二十歳にならぬ少年も亦その一人であるが、
悉皆国文学の中から語りゐでられた霊のやうな人である…。
蓮田善明
昭和18年「文学 編集後記」より
にはかにお召しにあづかり三島君よりも早くゆくことになつたゆゑ、たまたま得し一首をば記しのこすに
よきひととよきともとなりひととせを
こころはづみておくりけるかな
蓮田善明
昭和18年8月、召集をうけて戦地へ向かう際に三島由紀夫へ残した訣別の一首
古代の雪を愛でし
君はその身に古代を現じて雲隠れ玉ひしに
われ近代に遺されて空しく
靉靆の雪を慕ひ
その身は漠々たる
塵土に埋れんとす
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年11月、蓮田善明への追悼の文
エセ右翼、エセ保守とは石原慎太郎とその一家、石原軍国をいうのである。
選挙の度に親父の慎太郎と石原スター軍団が応援に行かないと当選できないチンケ
なすび石原伸晃。生意気にも平成19年7月の参議院議員選挙の最後の追い込みの7月27日、
神奈川県葉山町に現れた。.
葉山の住民は「あさって(29日)投票なのに・・・しかも自民党が危ないっていう選挙なのに
昼日中から何しにて来たんだ?」と石原の行動を見守っていると、なんと最敬礼で出迎えた
のは大手ゼネコン鹿島の社員2名。.
鹿島社員は気を使いながら石原を案内したところは、葉山一の景勝地に鹿島が建設した超高級
億マンションだった。工事中、関係者に尋ねた葉山の不動産関係者は、.
「一部屋は鹿島の会長が終の棲家にするんで、それに比例して全体が相当凝っているようです。
石原が購入したのは鹿島の会長の部屋は別として、一番高い1億6000万円だそうです。
キャッシュ出払ったそうです・・お金がありますね。あれぐらいの政治家のくせに・・」.
と羨ましそうに笑う。.
石原は近くのヨットハーバーに5,6年前に購入したヨットを係留しているんですよ。
そう、日本歯科医師会から迂回献金4000万円をもらった後、購入したヨットだ。
634 :
吾輩は名無しである:2011/01/07(金) 01:18:38
まあ、三島は時代の先を読めなかった。
あるいは波に乗れなかった。
あるいは波を起こせなかった。
しかし盾の会は見事だったが、時代はそういうものではなかった。
大統領制か総書記制かと言う東西冷戦の時代だった。
そして敗戦した日本はもはや、主義を主張する立場には無かった。
三島はそれが分からなかった。
三島は少数でも自衛隊がクーデターを起こせば日本は変わると本気で思ってた。
そんなことすらも日本はもうできないんだということも分からなかった。
いや分かってたのかもしれないが、それでも立ち向かった。
残されたわれわれが考えなければならない事は、その三島の起こした死(士)の意義をどう考えるかだ。
635 :
吾輩は名無しである:2011/01/07(金) 05:00:55
でもさ、三島って尻に入れたの?入れられたの?
「三島由紀夫」をきわめて高く評価している。
その理由は拙著『戦後的思考』(1999年)に記した通りで、規定の枚数ではちょっと書けない。
できれば読んでいただきたいが、彼こそが、昭和天皇と戦争の死者の間の「約束違反」と、またそれと自分の関係に
目を向けた、そしてモラルということの初原の感覚を失わなかった、例外的な戦後日本人だったからである。
三島は、戦後の小説家のうち、もっとも「戦後的」な作家だったといってよい。
戦後の天皇制から、一個人として、もっとも外に出ていた。
三島一人がいたお陰で、日本の戦後は道義的に、大いなる茶番の時代となることからかろうじて免れた、
といえるのではないかと思っている。
加藤典洋「アンケート 三島由紀夫と私」より
三島批判はすべからくサヨクだという阿呆がいる
そう思はないと不安でしかたがないのだろう
所詮蓮田を三島関連でしかわからないではないか
三島とかけはなれた蓮田を引用してみるがいい
638 :
吾輩は名無しである:2011/01/07(金) 21:15:21
すべからくを全部という誤った意味で使っちゃう低脳
>>638 地引バカの読み違えw
ここでのすべからくは「すべて」ではなく「当然に」という意味の強調の副詞だよ
>三島とかけはなれた蓮田を引用してみるがいい
チワワが?無理だよwww
641 :
吾輩は名無しである:2011/01/07(金) 22:51:41
『英霊の声』には驚くべき歴史観が表明されている。
それは昭和天皇の二度にわたる裏切り・過ち(二・二六事件と人間宣言)が
昭和史のすべての悲惨の原因であるという歴史観である。
昭和天皇は時々左翼陣営から戦争責任者として非難された。
天皇が開戦に反対していれば日米戦争は回避できたのであり、天皇の命令なしには戦争は起こりえなかった、
そしてアジア各地の戦争犯罪は天皇の命令で行なわれた、だから天皇が戦争の一切に責任がある、
天皇は戦争犯罪人であるという非難だ。
その典型はNHKの番組改変問題で話題になった「女性国際戦犯法廷」(バウネット=北朝鮮系の団体)であろう。
『英霊の声』はこれとはまったく異なった形だが、天皇を戦争責任者として非難した。
昭和天皇の国体への二度の裏切りが、日本の戦争と敗戦を招いたという主張である。
こういうことを明言したのは後にも先にも三島由紀夫しかいない。
戦前的な言い方をすればこれは明らかに天皇陛下に対する「不敬」なのだ。
全共闘との対話で三島は陛下を「立派だった」と評言したことがある。
この見下ろしたような表現が、何を意味するか論を俟たない。
三島を信奉する者たちは天皇陛下と三島とどちらを取るかとなればまよわず三島を取るのだ。
彼らは実は、かつての左翼陣営以上に、左翼的と看做さねばならない。
642 :
吾輩は名無しである:2011/01/07(金) 22:52:11
>>639 あーそうなんだ
でも「当然に」と「当然」の区別も出来ていない時点であなたも馬鹿決定!!
643 :
吾輩は名無しである:2011/01/07(金) 22:53:55
ところで『音楽』呼んだけどイマイチだったな
644 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/07(金) 23:04:12
641
藁貸し増すねぇ〜(笑)わたくしは以前に三島クーデターは解釈死題で左翼的とも獲れると死敵しており増す〜(笑)
>>642 何、ぐぐって法律介錯でもみつけたか?
「三島批判はすべからくサヨクだという阿呆がいる」
「三島批判は当然にサヨクだという阿呆がいる」
後者はふつう「「主格」にとらわれず、無条件」て意味だバーカ
「に」をよくしらべろ
齧った知識で絡むな低・脳チンポ
>>644 馬鹿がいちいちカキコすんじゃねーぞ糞たれ、支那ちんぽwww
三島信者はブサヨの朝鮮人かw
もうオワタなこのスレ
可哀想な三島をはやく助けてあげて!
>>639 >ここでのすべからくは「すべて」ではなく「当然に」という意味の強調の副詞だよ
その使い方は間違いだからね
メール欄にs入れて自演、連投がバレてるバカアンチが笑える。
なんでいつも自演してるの? あんたが前からずっといるバカアンチなのはバレてますから。
だいたいそういう、あれは偽だとかねちっこく、うだうだと陰気に内ゲバサヨクみたいな非難する時点で、
あんたが保守でも右翼でもないのがわかります。あの手この手で毎度アンチご苦労様なことです。
でっかいwにしたり、wにしたりしても、全部あんただとバレバレだよ。
>>644 三島は左翼、右翼、両方にシンパがいますからね。
三島を非難するのは、ここのアンチみたいな中国保守(笑)でしょう。
>>645 文法がああだこうだ言う、ずっと前からいるあんたの特徴(笑)
西郷隆盛と蓮田善明と三島由紀夫と、この三者をつなぐものこそ、蓮田の歌碑にきざまれた三十一文字の
調べなのではないか。西郷の挙兵も、蓮田や三島の自裁も、みないくばくかは、「ふるさとの駅」の
「かの薄紅葉」のためだったのではないだろうか。
滅亡を知るものの調べとは、もとより勇壮な調べではなく、悲壮な調べですらない。
それはかそけく、軽く、優にやさしい調べでなければならない。
なぜならそういう調べだけが、滅亡を知りつつ亡びて行くものたちのこころを歌いうるからだ。
江藤淳「南州残影」より
おやおや砂州が孟宗マゾちゃん必死ですねぇ
魔ともに藩論できぬといも反れですね〜
藁貸し増すねぇ〜(笑)
656 :
吾輩は名無しである:2011/01/08(土) 00:35:28
バカアンチのチープななりすまし藁藁藁貸し増ぷ〜(笑)
おまえはいちいちレスポンスするオモシロイど阿呆(笑)
神道も、ニーチェも、蓮田も、陽明学も、印哲も
さらには鴎外も、谷崎も川端さえも
ここの信者は、三島の書いたことしか知らないのでした。
660 :
吾輩は名無しである:2011/01/08(土) 01:15:21
チワワの5連投久しぶりに見た。
>>659 こんどはsageで、句点つけてるね。
sの消し忘れご愁傷様でした。
>>661 それ見ると、あんたの間違いが明らかになってるんじゃん。動詞にかかる言葉だから。
横レスでした。
蓮田とか何も反論できなくて涙目チワワ〜www
粗さがし必死の根性なし
今夜も悔しくてオシッコドボジョバー(笑)
すこしは三島を助けてあげなよ
きみにはそういう反駁こそがまあふさわしいけれどね
これは?
>>664 反論されるような価値のあることを、あんた何か言ってたつもりなの? オツムお大事に(笑)
>>663 196 :名無し物書き@推敲中?:03/03/18 21:15
「すべからく〜すべし」という馬鹿みたいなくりかえし表現をいまだに使っているやつもいるよね。
まあ、間違いじゃないけどさ。
197 :名無し物書き@推敲中?:03/03/18 21:29
>>196 そういうのは「繰り返し」ではなく「呼応」というのでは。
205 :名無し物書き@推敲中?:03/03/18 22:28
>>197 呼応っつうか、漢文の再読文字を読み下すときにむりやりつくったアホ言葉だけどな。
>>665 すっとぼけないで蓮田と三島の違いについてあなたの意見かいてよ
無理は承知してるけどさW
だーからチワワには絶対に無理でしょ
…横レスですが
>>661 「すべからく」なんて変な日本語がなんであるのかというと、これはいわゆる漢文訓読で「須」という字を二度読みしたことからできたのである。
「須」は英語の ought to にあたる助動詞で、あとに動詞をともなって「何々せねばならぬ」の意をあらわす。
これを「すべからく…すべし」と二度読みした。
「すべからく」は「…せねばならぬ」を予告する。
昔は「すべからく」とくればかならず「…すべし」だったのだが、それでは芸がないから同趣旨の表現をいろいろくふうした。
漢文訓読から生れた本来けったいな「すべからく」は、望ましいことを予告する語として現代文のなかによみがえり、確たる地位を得たのである。
高島俊男「お言葉ですが…」
670 :
吾輩は名無しである:2011/01/08(土) 04:53:41
色々観念的な理屈を言うな、言うな、変態文学野郎ども。それよか三島は尻に
入れたのか、入れられたのか、具体的に教えてくれ。なあ、抽象観念論、深読み
役立たずの文学好きたちよ。おいらの愛読書は山岡そうはちの徳川家康。
入れられた時の表情
↓
なまくび
672 :
吾輩は名無しである:2011/01/08(土) 07:41:58
入れたり、入れられたりしたのです。うんちがくっついて、それがたまらない
のだ。天皇陛下万歳、ばんざーい。
673 :
吾輩は名無しである:2011/01/08(土) 09:55:11
世界のMISHIMAにふさわしい糞スレ
674 :
吾輩は名無しである:2011/01/08(土) 10:02:04
宮本亜門演出の「金閣寺」は29日から
山下町のKAAT神奈川芸術劇場で2月14日まで
***************************************
宮本亜門が三島由紀夫に挑んだ。
神奈川芸術劇場のこけら落としに『金閣寺』を舞台化する。
主演は森田剛、柏木役は高岡蒼甫。
http://www.kaat.jp/ 1月29日から2月14日まで。8500円から4500円。
宮本亜門は朝日新聞のインタビューで次のように言う。
「金閣寺を初めて読んだのはひきこもりだった十代の頃。『あまりに美しい小説』で、劣等感を抱えて自己表現できない主人公に共感した。三島の事件はテレビでみた。
ヘリコプターが現場上空をぐるぐる旋回していたのが印象的だったといい、『西欧文明に傾斜し経済発展を遂げ、日本人はどうなったのか。自決で投げかけられた疑問はいまも私たちに傷として残っている』とはなす」(朝日、10年12月25日土曜版)。
>>669 「1+1はすべからく2である」
正しいのか誤用なのかわからない表現
――ニコニコ大百科
出征した蓮田善明は終戦直後、上官を射殺し、自ら命を絶った。
三島は蓮田に影響を受けていたとの見方もあるが、
蓮田晶一さん(長男)は
「無関係でないかもしれないが、三島さんの事件は
平和な時代に突然起きた。独自の考えがあったのだろう」とみる。・・・・一緒にされたくないようで(笑)。
>>676 なんだ結局、バカアンチは朝日新聞の記事の中のたったその一部分だけで言ってたわけだ。笑えるわ。
つづきの記事↓
近現代史に詳しい井上智重・熊本近代文学館長は言う。「三島は蓮田善明や荒木精之らと出会い、まさに熊本の地に導かれるように運命を決定づけられていった」
>>675 >「1+1はすべからく2である」
>正しいのか誤用なのかわからない表現
>――ニコニコ大百科
間違いなく誤用だよ
>>677-678 引用じゃなくてさ
「蓮田と三島の違いは何ですか」と聞いてるでしょ
きみが蓮田をまったく読んでないの丸わかりだよ、見っともない。
せめて自分の意見いいなよ。
>>680 引用の一部しか見てないで、三島と蓮田の関係を全く知らないのはあんたでしょうよ。
時代背景は違っても、二人の関係、心情は繋がってるのは明らか。
682 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/08(土) 13:21:14
引用大好きの阿呆オーバーヒートゾンビマニアの仕業で消化ねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
>>681 『蓮田善明全集』全1巻 島津書房
くらい読みなよ。
『蓮田善明日本伝説』
松本健一
河出書房新社
いいぞこれ。
>>679 「三島信者はすべからくバカで万死に値する。」
意味と用法
「須らく」と漢字で書くとわかりにくいが、「すべし」のク語法から作られた言葉である。
意味は「(当然)すべきこととして」「そうあるべきこととして」で、
「当然」「必然的に」と置き換えて概ね間違いはない。
語感からか「全て」の意味で用いられることもあるが、こちらの語源は
「統ぶ+て(助詞)」であり、明らかな誤用である。
使い方によっては、「1+1はすべからく2である」というような、正しいのか誤用なのか
わからない表現もあり、語義が誤解される要因のひとつといえる。
>>684 だから、名詞にかかる言葉じゃないってことじゃん。
明らかにアンチの使い方は間違い確定。バカ晒しでした。
すべからくサヨク(笑)
三島由紀夫が武道に走った重要な契機は「右翼に対する深刻な恐怖であったことは
間違いない。」と三島の実弟・千之氏は言う。(『三島由紀夫の生涯』安藤武著)
三島への脅迫は安藤武『三島由紀夫、日録』未知谷社刊、に詳述されている。
三島の家族が言った言葉が前掲の安藤氏の本の中に記されている。
「三島は怯えて、震え上がっていました。」
688 :
吾輩は名無しである:2011/01/08(土) 14:38:37
三島事件のおよそ4年前1966年、昭和41年8月27日、熊本、「ホテル・キャッスル」。
私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて
小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
『三島由紀夫、剣と寒紅』
1999年11月25日
三島由紀夫の少女のような喘ぎ声と、響き渡る高音の笑い声が、
狂いかけた列島にこだまする。
「、、記憶もなければ何もないところへ自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。、、」 『天人五衰』
きもっ
>>687 実弟・千之氏は、そんなこと言ってないと、その記述(元出典のジョン・ネイスン)を否定しています。
間違い引用ご苦労さまでした。
>>689 チンケな合いの手自演してるあんたが気持悪いわ。
692 :
吾輩は名無しである:2011/01/08(土) 15:40:18
「林さんはもう駄目です。」
「え?」
「もうだめです。あの人、右と左の両方から金をもらっちゃった。」
林とは勿論、右翼の論客・林房雄である。
1970年・昭和45年の9月のある日、場所は銀座「浜作」
呼ばれて駆け付けた毎日新聞徳岡孝夫は『五衰の人』のなかで書いている。
「それまで私が見たことのない、世間の人が三島に想像したこともない、
投げ遣りな姿と言葉遣いだった。(林房雄に対する怒りは)執拗であった。
普段そんなに飲まない人が、少し自暴自棄に酔っていた。」
同席していたのは三島の実弟・平岡千之氏だ。
徳岡孝夫も千之氏も林房雄の背信行為を呪う三島の言葉を黙って聞いていた。
三島事件のおよそ2ヶ月前である。
昭和43年10月21日、反戦デーのデモは数百人の負傷者と逮捕者を出した。
騒動は新宿を初め国会周辺や六本木、銀座などの各地で起こり、東京だけで769名、
全国では1300人をこえる逮捕者を出した。
三島は『サンデー毎日』の記者に変装して現場にいた。三島の関心は左翼の使用する武器がエスカレートしているか
どうかを観察することにあった。三島は新宿区内の大通りから正午過ぎまで包囲されていた首相官邸までの道筋を、
多数の学生暴徒の後を追って一進一退し、暴発の現場を観察してはノートに書きとどめた。三島はもっと眺めのよい
場所を得ようと街路を走り抜け、弟の千之が勤めている外務省の庁舎に飛び込んだ。
千之はたまたま庁舎ビルの最上階にあるカフェテリアで昼食中だったが、三島は防水服に長靴、戦闘用ヘルメット
と記者腕章といういでたちで、おまけに弁当まで用意していた。千之は兄の身なりと、その論評によれば
「はるか路上の活劇への子供じみた興奮状態」とに辟易させられたそうである。いくら防水服とヘルメットを
ぬぐように言っても、三島は聞き入れず、ガラス窓に顔をおしつけていた。
ウェイターが来たが三島は手を振って、弁当を開いた。千之はこれまで三島が冷飯弁当に軽蔑以外を示したものを
みたことがなかった。が、三島はうまそうにそれを平らげ、眼下の首相官邸を眺めながら、
「こんなうまいものはないぜ」と大声でいった。
千之がいうには、「兄は騒乱と身支度と冷飯で、新しい玩具をあてがわれた子供みたいだった」のである。
千之の見るところでは、生涯最後の数年間に渡る三島の政治へのかかわりは、すべて一種のゲーム遊びであった。
「兄は戦争ごっこをしていただけですよ。子供の自分にさせてもらえなかったから、特別興奮していたんでしょう」
伊東静雄「ひとりで死にやいいのに」
>>684 意味として「すべからく」「…すべし」になっていないのは全て誤用なのだ
>>692 安藤武の本は様々な関連本の記述を真偽に関わりなく一応集めてまとめただけのもの。残念でした。
698 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/08(土) 17:48:06
>>697 そうだな。くだらない奴だ、三島オタは
2チャンに貼りついてるバカよかずっとマシだが(笑)
700 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/08(土) 18:26:06
637
>三島批判はすべからくサヨクだという阿呆がいる
は飽きらかな誤用ですねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)「すべからく」の正式な御用としては「学生は―勉強すべきだ」「子は―親孝行すべし」謎では〜(笑)
↑
三島批判はすべからくサヨク(であるべき…省略)だという阿呆
三島はネ申
704 :
吾輩は名無しである:2011/01/09(日) 00:09:07
正しい日本語を使いたいものですねまったく
705 :
吾輩は名無しである:2011/01/09(日) 09:28:19
だからさ、観念的な議論するなよ、文学部の低偏差値ども、三島は
尻に入れたのか、入れられたのか、というような具体的な議論をして
くれ。もしこのスレに学生がいたら、君は将来、確実にフリーターに
なる。日本の企業社会は、このスレの議論をするような奴を一番軽蔑
している。事実、彼らは仕事が出来ないのだ。だからさ、三島は尻に
入れたのか、入れられたのか?どっちだ。
706 :
吾輩は名無しである:2011/01/09(日) 09:29:11
入れられたのよ。本当。
彼と知り合いになったのが、彼の十七、八歳の頃で、それからの数年、昭和二十四年七月、文壇的処女作とも
云っていい「仮面の告白」を書き出し、出版する頃までは、お互いに、文学に志し、文学で身を立てようと
励まし合い、刺激し合い、くどくつき合ったものであった。尤も、私は彼より十歳近くも年長であったが。
富士正晴氏は次のように「思い出」を語っている。
「三島と知り合ったきっかけは、伊東静雄の紹介によってやな。(略)伊東が『三島の本を出してくれへんか』
というので、七丈書院に三島を呼び出して会った。来たのは、えらい頭のデカイ目玉がギョロギョロした、
ゲジゲジ眉毛の長い色の青い少年やったけど、語る言葉は上流コトバ。(略)その足で林富士馬のところへ
連れて行ったんやが、林が『ビールでも飲もうか』といったら『私は外では飲みません』というのを、甚だ
きれいなコトバで云ったんやが、それで林はゾッコン参っちゃったんや」富士氏の回想に間違いがないなら、
私は三島君と知り合いになった当初から、三島君の拒絶にあっているわけだ。生涯、私はその三島君の拒絶に
心惹かれていたのかも知れない。
併し、その日常生活のなかで、知り合いになったばかりの三島君は、大変素直な、律義で、礼儀正しい、幾分
世間知らずの大人びたところもある少年であった。ひととはなしをする時、凝っとまともに正視した。
その当時の他の私達の仲間の、どこか、くずれたようなところ、だらしないところは微塵もなかったのが、
ひどく印象に残っている。当時、既に私は妻子持ちであったが、部屋によちよちと歩いて入って来る子供を、
三島少年は熱心にあやしたのを、そのいじらしい少年の姿を、不思議な思いで眺めていた。(中略)
私は他の私の年少の仲間を紹介し、毎日のようによく遭い、それでも手紙を書いた。私達はやがて、誰でもが
お召しを受け、血腥い戦場に遠征することは解っていたので、明日のない一日一日を、如何に文学だけを信じ、
それに縋って、一日一日を生きるか、ということに肝胆を練っていた。(略)仲間の一人、一人、戦場に
出掛けて行ったが、私達は謄写版で、五十部くらいの部数の同人雑誌を編みつづけた。それが私達の
レジスタンス運動であった。
林富士馬「死首の咲顔」より
(中略)
テレビの画面にあなたが七生報国と書いた白い鉢巻をしめ、「楯の会」の隊長の正装で、バルコニーから、
演説をしているのが見えた。それは演説というより、手を挙げて叫んでいる姿が見えた。声は聞こえない。
(略)三島君の身体は、傾くようにして動く。唇がはっきり見える。からからに乾いた舌が見えたように思った。
(略)併し、そういう画面だけが映し出されて、声はすこしも聞こえないのが却って、印象に鮮やかである。
三島君が、何を必死に訴えようとしているのか、勿論、こっちには、さっぱり判らないが、(略)コップ半分の
水でも、手渡すことが出来たら、自分自身が、どんなに楽になるだろう、(略)そんな思いがちらちらして、
数日間は安眠出来なかった。(略)
可哀そうな三島君、強情っぱりの三島君よ。(略)私が水を差し出しても、あなたはまた拒否しただろうか。
あなたのような憂国の士ではないが、私もつくづく、世の中が、近頃の人の心と云うものが味気ない。
(中略)
三島君の人生も作品も、あんまりひと筋で、そこに余裕がなかったので、私はむしろ、それを三島君の擬装とし、
遊びとして受けとろうとしていたようだ。そこで遠慮なく揶揄し、あなたの文学は新官僚派の文学ではないかと
悪口を云った。あなたは少しも弁護しなかった。弁護などすることが、男らしくないと思っていたのだろう。
腹の底では、腹を立て、ほんとうに理解する人のいないことを、くやしがっていたのだ。
併し、いまになってみると、あの人は、どんな作品に於いても、エッセイ、評論、日記、又、どんな座談会の
尻っ尾ででも、素直に、右顧左眄することなく、手を振り、声を高くして、おのれを語り、決意を云っていたのだ。
擬装などと、どうして私は受けとっていたのだろう。
いまになって、「仮面の告白」という文壇に登場して来た時の作品のほんとうの意味が判ったような気がする。
林富士馬「死首の咲顔」より
あの仮面は、「素顔」に対しての「仮面」ではなかった。告白するために「仮面」を使用したのではなかった。
「失われた世代」の一人として、私が在来の文学現実で考えていた「素顔」などを、既に喪失した人間として、
持ってはいなかった。その悲しみを、いっしんに訴えていたわけである。ほんとうの意味の新しい世代、
戦後派文学のほんとうの意味が、あそこにあったのだ。あの人は、仮面しかない悲しみを、一生懸命、文学の
世界に定着させようとしていた。(中略)
人間はいつでも、告白をするとき、うそをついて願望を織り込んでしまう。それを潔癖に嫌悪した。文学という
ものは、あくまで、そうなるべき世界を実現するものだと信じ、作品における告白は、実は告白自体が
フィクションになっていた。(中略)
三島君の文学を一口に云うと、明治、大正、昭和の三代の近代日本文学にあって、はじめての意識された世界的
作家であったことではないか。
(中略)その世界的作家としての気宇について云えば、その処女短編集「花ざかりの森」の後記に、少年らしい
気負いで、「そして、戦後の世界に於て、世界各国人が詩歌をいふとき、古今和歌集の尺度なしには語りえぬ
時代がくることを、それらを私は評論としてでなく文学として物語つてゆきたい」と、既に決意している。
又、それを獲得するために、どんなに刻苦勉励の一生であったか、その忍耐と憎悪と愛情とを思うと、胸が痛い。
彼は決して、器用な人でも、器用な作家でもなかった。人の知らぬ屈辱のなかで、男らしく愚痴を云わずに、
ひとり、たたかっていたのである。(中略)三島君の突然の死が白日夢の如く報ぜられる数日前、私は東武デパートで行われている三島由紀夫展に行った。
(略)いろんなものが、小学校時代の通信簿や図画や習字などまでが陳列してあった。(略)「文芸文化」
という戦時中の雑誌、そこに三島君の処女作とも云える「花ざかりの森」が発表された雑誌の終刊号が、
ガラス・ケースのなかに、見ひらきにして飾ってある。
林富士馬「死首の咲顔」より
その見ひらきの左の方は、三島君の「夜の車」という作品の書き出しになっているが、右の方の一頁は、私の
「終焉」という詩になっているのだ。(略)
終焉
(略)道義の退廃と、忍従に姿が似てゐる無気力とに、詩人が身を以て弾劾と警告を発することをしないで、
誰れがこの危機の時代の、この任務につくひとがありませうか?
いまはなにを歎く?
逝く水の流れよ
ただ汝れ漲るやいなや
かの清らかなひとを慕ひ
遠く いまこそ山林に退き
立木の紅葉に雑つて
なほも燃えてゐたいのだ
以上のことがあってから数日して、私は青天の霹靂の如くに、あなたの激烈な死に出逢ったのだった。
林富士馬「死首の咲顔」より
中村彰彦『戊辰転々録』(角川学芸出版)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@
戊辰戦争の裏面にうごめいた人間模様を中心に短編を七本収めるが、いずれも読み応えが十二分にあって、面白く、同時に不気味であり、奇譚の醍醐味を味わえる。破天荒なストーリィが行間からはみ出した佳品が多い。
冒頭の短編『虎に狩られた男』は朝鮮の役における虎退治の数々だが、へぇーと驚くような逸話が並んでいて、同時に中村の博学な動物知識が全編にふんだんにあふれ出す。
加藤清正の豪傑譚は耳にたこができるほど聞かされたが、日本兵が朝鮮半島でかくも『虎被害』が甚大だったとは知らなかった。
「かわ姥物語」は加賀班資料によると筆者がいうが、資料をはるかに越えての想像力が怨霊奇譚を壮絶なものにしている。だが、この話、どこかで読んだなとおもいきや、
中村の『われに千里の思いあり』(全三巻、文芸春秋)に挿入されていた物語だったことを思い出した。加賀班はわが故郷でもあり、でてくる地名は個人的に親しみがある。
「思い出かんざし」は、或る意味で「かわ姥物語」より怖い。だが、これは怨霊ではなく、恋情による霊の憑依であり、風流なお化け物語、清涼感もある。
>>698 >「すべからく「大人」になろうとする心を忘れ給え。」
それ、意味としちゃ「すべからく〜すべし」だから
誤用じゃないの当たり前だろ
714 :
吾輩は名無しである:2011/01/09(日) 22:24:08
馬鹿文学趣味。文学だって、あっはっは。文学?クソ食らえ。軟弱、意味不明
深読み、抽象論、役立たず、人間のくず、女子どもなら許せる、しかし男子なら
アホだ。
716 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/10(月) 15:01:51
藁貸し増すねぇ〜(笑)まだ「すべからく」の用途を理解せぬ阿呆がおる酔うですけれどもねぇ〜(笑)
新Mishima キャスト構想
三島由紀夫・・・筧利夫
森田必勝・・・濱田龍臣(10年後くらいの)
聖徳太子、知らない?
719 :
吾輩は名無しである:2011/01/11(火) 17:08:03
>>717 筧はいいなあ〜
妙に合うなあ。
筧なら熱く演じられるだろうし。
720 :
吾輩は名無しである:2011/01/11(火) 17:39:38
それと、三島は髷とかには憧れなかったのだろうか?
ちょん髷はいかつい顔つきの人には、めっぽう良く似合っていてめちゃくちゃカッコいいんだけどね。
三島なんか良く似合ってたろうと思うよ。
それで刀を振るうって言うのがまあ正装っちゃ正装だよね。(侍の)
こないだの正月のテレビ東京でやってた時代劇なんか信長が恐ろしく
イカツイ感じで、あのちょん髷ってやつはやっぱり侍の勇だよ。
今後クーデターやるやつは髷結わいてやってほしいわね。
映画「人斬り」でちょんまげになってますね。全集に写真が載ってましたよ、勝新太郎と石原裕次郎と一緒に並んで。
午後の曳航DVD予約しました。
724 :
吾輩は名無しである:2011/01/13(木) 00:07:58
>>723 まあみんな海老蔵と似てるって言うしね。
今日、何気なくふと思ったんだが
あの世ってのがあれば今頃、三島はあの日のこと思い出して赤面してるだろうな
地獄で。
726 :
吾輩は名無しである:2011/01/13(木) 01:13:53
三島は弱い人だから少しのニヒリズムのために戦後の新自由主義をある程度は認めようと言う気になっていたはずだ。
しかし弱いやつほど良く吠えるの如く、三島は自身の傲慢と神への忠誠、あるいは愛を突き通した。
しかし、それは三島がどこか完璧主義の閉鎖的な人だったから出来た事である。(あるいは自殺願望者)
そしてまた、それ自体が解放社会の自由主義と言う構造と、それに相対する伝統社会と言う
閉鎖主義との社会哲学のあり方を示し、三島は自由主義と言う戦艦に特攻して行ったのである。
同じ閉鎖主義でもマルクス主義と言う自由主義と伝統主義の中間に存在する奇妙な
社会思想に準ずる事もなく、だからこそ死を選ぶほかなかったのではないかと思う。
つまり仮に三島がマルクス主義を選んでいたら、それは確実に生きた革命の指導者になっていただろうから。
そしてそれは将軍と言う幕府社会の再開と、あるいは幕府と言う体制の最終目的=革命でもあったはずなのに。
727 :
吾輩は名無しである:2011/01/13(木) 01:15:29
だが、俺も弱い理想主義者だからこそ三島の姿勢と言うのにはどこか、憧れてしまうのだろうと思う。
>だからこそ死を選ぶほかなかったのではないかと思う。
だからといってテレビ局呼んで珍妙な制服姿で自衛隊さんに説教するのはいかがなものか。
ほかにいくらでも汚名を残さないやり方あったろうに…
あれじゃ中二にしかウケないただの変なヒトだろ
729 :
吾輩は名無しである:2011/01/13(木) 03:50:48
>>728 だからこそだとしかいえん。
通常は、人は成長していくうちに社会の多数派に飲まれ、時代やそのときの主流文化、常識に染まるのだが
時としてそうではない人がでてくる。
だが前者は大衆と呼ばれるものであり彼らはいつの時代も、平安だろうが江戸だろうが明治だろうが
昭和だろうがグローバリゼーションに所属している。
三島はそれが日本文学と芸能界であったと言うだけだ。
この業界はグローバリゼーションと付き合いながらもそれとは逆な宿命も背負う。
特にあの時代は今とはぜんぜん違うものである。
三島の氏は同時にアメリカンスタンダードに芸能もろとも日本が呑まれたと言う現象そのものでもあるだろうな。
730 :
吾輩は名無しである:2011/01/13(木) 03:52:36
そして同じ芸能人でも美輪あきひろや、同じ物書きでも石原とではまるで違ったといえる。
731 :
吾輩は名無しである:2011/01/13(木) 04:04:35
>>717 俺も筧さんが、三島の役で映像化してほしいと思ってた。
声はルー大柴のほうが似てるけど、筧さんと三島氏の顔もけっこうにてるし
体格が三島の生き写しだもんね。
>>728 三島が呼んだのは信頼していた記者の人だけで、テレビなんか呼んでません。
多くの人が多くのことを書いたりしゃべったりさせられた。なかには弔辞とは思えない発言も多かったが、当節、
葬式に出かけてまで自分の宣伝をやりかねない人間がいることにあまり驚いてもいられない。たとえば、
「そうですね、彼の死は結局……」などと、終始目尻を下げて薄笑いを浮かべながらテレビでしゃべったりする
人間や、死者に唾を吐くようなことを書く人間がいても、これを抹殺することはできない以上、私たちは
我慢して生きるほかない。(中略)
これは、三島氏の場合のように死にかたが異常であった場合、生き残った人間の側の自己防衛の努力ともみられる。
斬られたのが比喩のうえのことであるにしろ現実のことであるにしろ、とりあえず傷口をふさぐことに専念
しなければならないのである。(中略)恥も外聞も忘れて言葉をそういう自己防衛のために使わなければ
ならない人間も何人かはいて、その人たちが三島氏の行動を非難したり否定したりするのに懸命になっている
正直さは許されなければならない。恐怖が大きすぎて沈黙を守っていられないとき、弱い犬には吠えることしか
できない。
(中略)言論、表現、思想の自由なども、主としてふまじめに言葉を使う人間にその権利を保障してやるための
ものであるかのように考えられている。そういう人間は、日本国憲法はあなたがどんなことをいおうとそれを
ただいうだけならあなたの生命を保障していますよ、といわれても格別侮辱を感じないのかもしれない。これに
対して三島由紀夫氏は言葉をまじめに使い、思想を組み立ててその頂点に死しかなければ死ねる人間だった。
その死も、自分の言葉に酔ってのことであるとか、自分で築いた言葉の楼閣のうえでの演技にすぎないといった
説明ですませてしまう人間がいて、この連中にはもはや救いがない。この種の人間はつねに、自分にはそれを
する気も能力もないが、という条件法で自分の思想と称するもの、というより叶わぬ願望や愚痴や恨みを語って
いるのであって、ここでこの種の人間に絶対できない「それ」というのが割腹して死ぬということなのである。
三島氏は単純に定言命令だけで自分の思想を組み立てていた。その頂点には汝死すべしという命令があって、
その言葉が行動になった。
倉橋由美子「英雄の死」より
(中略)凡人を超える大きさをもった人間があらわれて凡人にはできぬことをして死んだとき、それが天才で
あったことを認めると同時に自分たちがどの程度の人間であるかを悟ることが、凡人に望みうる唯一の美徳である。
そして情けないことではあるが、ともかく生き残り、長く生きることで夭折した天才を凌ぐことが凡人に許された
唯一の特権でもある。できるかぎり長く生きること、その量の問題が重要だとカミュがいったのはどんな文脈の
なかでだったかおぼえていないが、私たちがいまこの言葉を楯にとって、死ぬことではなく生きることが
問題なのだと三島氏にいってみたところで、自分が欲するように死ぬことのできた天才にとってそれはほとんど
耳を藉すに足らぬ言葉である。まして、三島氏の才能を作家としての仕事の枠内でしか見ることができない
同業の人間たちが、三島氏の死によって物を書く才能がひとつ消滅したことを惜しみ、生きていてさらによい
仕事をしてもらいたかったなどというのをきくと、三島氏が同業者たちとのおつきあいにつくづく嫌気がさして
いた気持もよくわかる気がする。
三島氏が文学の仕事に行き詰まってあのような行動に走ったという説にいたっては論外である。こういう人たちは
自分が作家であるということを何か人間であることを超えた特別の資格であると考えているのであろうか。
おそらく人間も国家もすべて文学のためにあるということであるらしい。三島由紀夫氏というひとりの天才がいて、
常人を超える生活をして、そのひとつにすぎなかった文学の仕事に関してはもうなすべきことがなくなったと
感じたとき、私たちはこの天才の壮烈な死を黙って見ているほかなくて、またそれが弱くて凡庸な人間の側の
最高の礼節というものである。ひとつの稀有な文才を消滅を惜しむのはよいが、生きていればまだよい作品が
書けたのにといういいかたには、金の卵を生む鶏の死を惜しむのに似たけち臭さがある。
三島氏の作品がもっと多ければそれだけ日本の文化遺産だか何だかの量がふえるのに、というのがそもそも
俗悪な考えかたなので、三島氏がその行動によって示したのが、文化とはどういうものであるかということなのだった。
倉橋由美子「英雄の死」より
英雄や天才が卑小な人間に愛想をつかすのは当然の特権であって、これは病める人間が陥りやすい人間嫌いなど
とは全然別物である。私たちの敬愛は、三島氏が「おまへたちは阿呆ばかりだ」と思っていたことで損われる
性質のものではないので、三島氏は大声でその思っていることをいえばよかった。阿呆は自分以外の人間を
すべて阿呆だと思っている、などと歯切れの悪いことをいった芥川龍之介(鬼才とか秀才といった言葉はむしろ
この人にふさわしい)の場合とは違うのである。とにかく、そういう境地に達していた天才ならば、あとは
阿呆に対しても礼儀正しくふるまい、晴朗な顔をして憤死するだけだった。
昔から日本では三島由紀夫氏のような人があんなふうに憤死すれば神になることになっていた。ここで
神というのは英霊のもうひとつ先を考えているのであって、ユダヤ人が発明した神などとは無論関係ない。
(中略)日本人は昔から三島由紀夫氏のような人間の霊を祀り、それにつながってその先にあるはずのものを
拝んできた。三島氏はみずから死んでそういう神と化す以外になかったのである。
倉橋由美子「英雄の死」より
736 :
吾輩は名無しである:2011/01/13(木) 15:59:00
>>731 筧もトーン落とせば真似ることはできる。
緒形拳に決まるまでには、坂本龍一、小林薫などへのオファーがあったようですね。
今なら筧利夫、海老蔵の他は、永島敏行、三上博史も今度は候補になれるね。
勲は福士誠治、市原隼人かな。市原隼人は森田必勝も合いそう。
738 :
吾輩は名無しである:2011/01/13(木) 17:44:22
龍馬やった福山や、俺個人としては阿部寛版が見てみたい。
本木もいいね。
菅政権はTPPで「第二の郵政民営化」解散を狙っているのではないか?
日本の主要メディアがいきなりTPP賛成にまわってキャンペーンを始めた
****************************************
TPPは米国の身勝手、日本は参加すべきではない。日本がおこなうべきは、むしろ米国とのFTA交渉である。
WTOが機能不全になる前に、各国は大急ぎで個別FTAの締結を急いでいるときに、日本は米国議会に遠慮して、米国政府に提言さえしていない。
TPPは日本を危殆に陥れる危険性を孕んでいる。
第一に農業が壊滅状態に追いやられる可能性が高い。むろん補助金制度など不合理な農政は改革するべきだが、この議論とTPPを結びつけない方が良い。
第二は金融サービス分野での、より一層の開放を米国は叫んでいて、郵政民営化が国民の郵便貯金を米国のハゲタカファンドが狙ったように、さらに日本のカネを狙っていることは明瞭である。
農業より金融とサービル方面に、米国の狙いがある。
第三に弁護士を増やせと要求している。和解社会、和を尊んだ日本社会に訴訟はなじまなかったのに、近年はちょっとしたことを裁判に訴える。国際係争が増えるとアメリカ人弁護士にとって日本はドル箱になりかねない。
すでに過去三十年、日本は米国の圧力に根負けして大店法など米国のいいなりの法改正、じじばばストアはつぶれ、駅前はシャッター通りになった。要するに日本は米国の法律植民地同然ではないのか。
第四にTPPはすでに米国、カナダ、豪州、ニュージーランドが加盟しており、この先約事項の拘束力が、もし後日日本が加盟すると拘束される。まさに不平等条約である。
第五になぜ、中国に加盟を要請しないのか、米国の動機の不純性がそこにある。日米豪カナダNZ程度の貿易の枠組みでは、日本のメリットは殆どない。
これに対して賛成側の論理根拠は、TPPに加盟して米国の安全保障の約束をさらに固定的に出来るとか政治的価値が高い等と吠えている。
「これは平成の開国」であり、「TPPは黒船だ」という奇妙な論理である。
すでにTPPは19条2項で「安全保障を除外する」と明記している。政治的メリットはありえず、賛成論の基盤は成立しない。
▼『バスに乗り遅れる』という議論は本質のすりかえに過ぎない
TPPを突如言い出したオバマ政権の意図は火を見るよりも明らかだろう。
つまり「米国の雇用増大、輸出二倍」というはったり、選挙目当ての公約。このために日本市場をさらにこじ開けて米国農産物を買わせる。日本国内でもアメリカ人のジョブを増やすため、格好の材料として活用されるのだ。
ところが。
日本政府はTPP加盟を前提に六月に交渉に参加を表明する方向にある。
第一は財界の思惑がTPPと重なる。トヨタ、パナソニック、ソニーのような多国籍企業の論理が援用されている気配が濃厚である。
第二に「脳死状態」の民主党政権にとって絶好のチャンスになる可能性を見いだしたようである。
米国からの圧力があったのだろうが、TPP議論は日本でも、突如「政治配慮」として浮かんできた。
しかも日本の主要メディアが何故か、産経新聞をふくめて前向きに検討を、積極的に参加を、これこそがグローバル化、バスに乗り遅れる等々、空疎なご託を並べて管政権に「ご注進」を始めたのである。
不思議な流れがふっと現れた場合、背後に巨大な動き、見えない政治圧力の存在がある。まして訪米した前原外相を米国は異例の厚遇でむかえているではないか。
小泉は郵政民営化という史上最悪の愚策を選択し、しかし選挙に打って出るときはマスコミを味方につけた。小泉チルドレンが夥しく誕生した。
そして「政権交代」という奇妙なキャンペーンで、小泉チルドレンは殆どがきえてなくなり、今度は「小沢チルドレン」が百名も「間違って国会議員」になってしまった。
つぎの選挙で小沢チルドレンのほぼ全員が消えるだろう。
菅は、この二番煎じ、三番煎じを明らかに狙っている。
かれの脳幹には国家戦略、国益追求は不在。ひたすら目の前の選挙戦術としてTPP加盟を打ちあげ、選挙での逆転勝利を狙うわけである。
『週刊文春』の見出し。「小沢と菅、共倒れ民主滅亡――自壊するアホ馬鹿政権」(1月20日号)。だから自滅を回避する秘策、特効薬にTPPが突如、視野に入ったのではないのか。
結果的には国益を損壊さえ、国を売ることになるのではないか。
743 :
吾輩は名無しである:2011/01/13(木) 23:14:52
ペルソナを読んだ。衝撃を受けた。
三島ファンの方すみません。
春の雪を半分ほど読んだんだが、気持ち悪くてもう読めない。まー読んじゃうだろうけど。
金閣寺なんてとてもじゃないけど怖くて読めない。
グロすぎ。
豊饒の海は張子の虎みたいでつまんないって、どっかのブログに書いてあったし、事件前で
仕事の小説なんて上の空だったんだろーと思って油断してたのもあるけど、想像していた以上に気持ち悪い。
三島の言う「恋」は、社会学的にはアノミーって言うよ。アノミーは虚無主義つまりニヒリズムを生み出すよ。
や〜ん。。。。。怖い。。。どのくらいの人間が、このキモイ事実に気づくだろうか?
警察や公安は気が付いているんだろうか?ウワァ!!(泣)
>>744 あなたのような頭の悪い人は三島は読みこなせない芸術作品なので、読まなくて結構です。
三島を偶像崇拝する人たちは三島に騙されている。
三島由紀夫という人間を三島由紀夫は作り上げた。
その人物像は虚構のもので三島由紀夫の実体ではない。
と、解説したところで雲をつかむような話だろうな・・・。
>>739 本木もいいねえ。
ある程度雰囲気が出せれば声や顔があんまり似て無くてもいいかもしれない。
>>746 知ってるよ。
知った上で皆好きですから。
猫ひろし
750 :
吾輩は名無しである:2011/01/14(金) 01:14:37
三島って、昔の劇画みたいなんだよね
「巨人の☆」とかさ、梶原一騎大先生に似てる
10代におよそ読んだけど
今はダサすぎてギャグネタに使える
まじめに読む人はよほどズレてるんだろうけど
751 :
吾輩は名無しである:2011/01/14(金) 04:20:14
これ、知ってる人居るか分からないけど少年ジャンプの漫画で『魁!男塾』って
漫画があって、あの中のキャラクターに普通にいそうなんだよねw
>>746 だいたい、これが虚構で、これが実体とかいちいち勘ぐってる時点である意味、あんたが一番、三島に惑わされてる半可通の証拠でしょ。
あんたが虚構と思ってるものも、実体と思ってるものもすべて三島であり、かつ、あんたの認識の一部にしかすぎないもの。
バカ丸出しご苦労様でした。
>>750 そういうあんたがズレてる感じ。
笑えるところがあっても、真面目な感動するものがすべてなくなるわけじゃないでしょ。
単細胞お大事に。
>>747 本木はやりようによっては似た雰囲気をかなり出せそう。
東山紀之も意外と合うかな。
いや〜東山はさすがにw
生誕日か
東山はアクが足りないね。
そうか、やはりその上で三島に魅せられてしまったのか。
ある意味幸福で、ある意味不幸な人たちだ。
理想論では全てにおいて誠実に生きるということは忍耐すること。
自らの痛みは全てかみ殺し、前へ前へ進め。強行突破せよ。
何故不誠実な三島を愛するのですか?不誠実さを・・・・・・・いや、だから不誠実だからか。性悪説の極限は美しいね。
しかし「豊饒の海」というタイトルは恐ろしい。
春の雪で味わった私の恐怖を周囲の人間になすりつけて恐怖心を緩和したい。
しかし一言でも「この小説が怖い」と言ってしまうとたちまち「何があった?」と問いただされる。
それに対し答えることは出来ないので、何食わぬ顔して「本を読む?」と差し出してしまう以外にはない。
推定される読書感想は
@「19歳だな。感慨深いわ。(遠い目)」
A「かわいいね(毒を含んだ笑み)」
毒入りのお菓子みたいな、この小説にビビリまくっているのは私だけなんだろうか?
全く無意味なレスになるが、
三島のように破滅させたくはないと、私が個人的価値観により考える人がいる。
彼の破滅は日本の国家にとって技術的損失だと私が個人的価値観でそのように思うからです。
三島の破滅に関しても日本の芸術的分野における損失であり、上記に同じ。
彼らを破滅させないためにはどうすればいいでしょうか?
そんなことを破滅の焦燥感にときめき恍惚に浸る人々に訊ねたところでしょうがないよな。
三島は破滅してないし、生きてますけど。
>>759 答えられもしないなら、ごちゃごちゃつまんない駄文しなくていいよ。誰もまともに聞いてないから。
どうせきちんと読んでないくせに。
自分が理解できないものを悪と定義するあんたみたいな中途半端なバカこそ不誠実なクズだよ。
>>760 今思ったけど、その上から目線の物言いがまるで石原慎太郎そっくりですね。本当に無意味な心のこもってないレスでした。
三島嫌いの人たちは、三島の小説、戯曲、エッセイその他の単なる愛読者たちをも
三島偶像崇拝者にしたいようですね。
三島の小説を気持ち悪い、理解不能、くだらないと感じる人がいてもまったく構わない。
それと同じに、好きだ、面白い、優れていると思う人たちがいてもいいでしょう?
騙されている、ある意味不幸だ、といわれてもそれは大きなお世話ですよ、
と言うしかありません。
読書の楽しみについて他人さまから同情されてもねw
765 :
吾輩は名無しである:2011/01/15(土) 03:50:26
>>760 そういう破滅に向かう意識を利用できれば生きる糧に出来るんだけどな。
三島はそれが出来なかった。
天皇が人間宣言をなさり、背広姿の御写真が新聞に掲載された時、彼は非常な不満、むしろ忿懣を抱いていた。
なぜ衣冠束帯の御写真にしないのかというのである。
又、焼跡だらけのハチ公前の広場を一緒に歩いていた時、彼は天皇制攻撃のジャーナリズムを心底から怒り、
“ああいうことは結局のところ世に受け入れられるはずが無い”と断言した。
そういう彼の言葉には理屈抜きの烈しさがあった。だから、彼は自分が敗戦後、日本の伝統から離れて楽しむうちに、
混乱の方が、いつか多数派になったのに驚いたのではないか。
美酒の瓶が倒れたように、日本の美質がどんどん流失しているのに気付き慄然としたのではないか。
彼は、敗戦で束縛から解放された時まっしぐらに芸術の世界へ突進した。
…しかしその世界から出てみると、日本はすでに大きく伝統から離れていた。
彼にとり、日本の伝統は荒涼としたものになりかけていた。
彼が自分の好きな国々を思いきり歩いて故郷に戻って来た時、心の拠り処の日本の古典は滅びかけていた。
…彼が戦争直後、学習院を訪ねて校庭を歩いていたら、某教官に呼びとめられ、
「これからは共産主義の勉強をするのも面白かろう」といわれたといって、しきりに憤慨して
彼は一時の思いつきで死んだのではない。
おそらく三十年、あるいはそれ以上、死を自分のすぐ背後に感じ続けて生きたと思う。死を背負い続けたと思う。
…彼が死なねばならぬとはっきり考え始めたのはいつか。東大紛争時における日本の文化的指導者(体制側だけ
でなく、学生騒動に便乗して売名を図った人々まで含めて)の醜さを痛感したからではないか。
…勿論ずっと以前から、日本の崩れてゆくのを、彼はじっと忍耐しながら見ていたのであろうが、殊にあの
事件の時に絶望的な暗黒をつくづく見たのではないか。
鋭敏な彼は、日本、否日本人の心の荒廃をまざまざと観たのであろう。
この闇に一瞬なりとも光を放ち得るものがあるとすれば、それは自分の命の提供しか無いと観たのであろう。
彼はそれだけ自分の才能が稀有なものであり、又自分がそれを十分に開花させたのを知っていたのであろう。
だから、自分の死の持つ力を考えたのであろう。当面は罵詈雑言が自分の自殺を覆うであろう、しかしなお、
自分の名声と才能を死なすことによる衝撃に、多少の自信はあったろう。
彼は無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。
…世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。“死”は誰でも逃げたいものだから。
三谷信「級友 三島由紀夫」より
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。
…彼は少年時代に戻って死んだ。少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。
三谷信「級友 三島由紀夫」より
春の雪の季節ですね。
三島に恋焦がれ焦燥感に因って取り乱す方々は、はしたない。
自律せよ。自制せよ。自戒せよ。苦痛をかみ殺す気概を持て。
それはぼくの見るところ、三島は日本思想を一度も本格的に深めたことがない人だつたのではないか
といふことだ。なるほど吉田松陰や山本常朝にひとかたならぬ共感を寄せてはゐたが、その思想を
存分に咀嚼してゐたかといふと甚だあやしいし、すでに第九九六夜の『伝習録』のときにも触れて
おいたのだが、三島は大塩平八郎の行動をこそ把握しきつたであらうものの、陽明学の本懐を十全に
理解してゐたとは思へない。
さういふ氣がするのだ。芸術のことではない。思想そのものの話である。あるひは日本思想
のみならず思想を捉へることが苦手だつたのではないかとさへ思はれる。
たとへばハイデガー哲学である。また『豊饒の海』の下敷きとなつた仏教の唯識思想である。
これに対して定家や世阿弥やワイルドやコクトオの才能や美意識を見抜くことは、他の追随を許さない
ほど独得の鬼才であつた。けれども三島は日本思想の精髄を解読できなかつたのだ。
空海や道元や徂徠や宣長には取り組まなかつたのだ。
松岡生剛
三島に思想がないなど云つてゐるのではない。さうではなくて、自身が日本の父なるものを求めて
自決を覚悟で檄を飛ばし、日本の軍備の渦中に躍り出やうとするにあたつて、三島が用いた思想は
まさに『葉隠』であり松陰であり陽明学だつたのに、三島はそれを一知半解してでも活用しやうと
したのはなぜだつたのかといふことを問ふてゐるのだ。
思想など援用しないといふのでもよかつたのかもしれない。三島は戒名に「武」の一字を入れる
やうに遺言したほど、最後は「文」を捨てて「武」に入り、文学を揚棄して行動を極上としたのだ
から、何も半端に日本思想など持ち出さなくともよかつたのである。けれども、それが三島には
出来なかつたのだ。
松岡生剛
>>773 そんなこと言って三島を批判するしか能のないバカの方が、何一つ日本のためにやってないし。ただねちねち研究して人のあら探ししてるだけで。
人一倍自意識の強かつた三島には、たとへどんなに表現がうまく成就したとしても、そこに自分自身の充実が
なければならなかつた。いや、充血と云つたほうが三島らしい。かうして察するに、もうひとつの充血装置が
新たに作動する必要があつたのである。それを一言で當てるのは容易ではないが、おそらくはニーチェの
ディオニソスや超人の導入に近いものであつたと見れば、さうは當たらずとも遠からぬのではないか。
三島が選び切つた充血装置には、むろん幾つかのものがあつた。同性愛もそのひとつだらうし、芝居を書き、
芝居を舞臺に乗せるのもそのひとつだつたらう。両方ともこの装置は代理を立てるといふ意味に於いて鏡像的だ。
もう少し鏡像から離れるといふ方法もあつた。肉体を鍛へてボディビルをするとか剣道に打ち込むとか自衛隊に
体験入隊するといふのは、さういう非鏡像的な充血装置だつたらう。
ニーチェは『悲劇の誕生』で「生の充実」にはアポロン型とディオニソス型の意圖があることを指摘した。
三島は早くにニーチェに傾倒して、この二つを巧みに駆使することによつて著作をなしてきたのだが、しだいに
自分自身のディオニソス性の不足を感ぢたやうだ。そしてその揚句、自身を陽光のやうに眩しいディオニソスの
快楽や充血を得る像にすることに異常な関心をもつた。三島はあくまで「ディオニソスとしての悲劇の主人公」
でなければならなかつたのである。
かくて三島は自在な表現を操つて悲劇を描きつつも(三島文学の大半は悲劇である)、その反面では自身をして、
自ら描いたその悲劇を嗤うディオニソスの優位に立つ司祭に仕向けていつたのである。
松岡生剛
>>774 持ち出してもいいでしょう。それなりに感銘を受けた思想なんだから。
ねちねちとああだこうだと、そんなつまんないあら探しして、何もやらないその文句垂れ嫉妬より、百万倍マシ。
ところで、三島が「偽装」といふことに激しい官能をおぼへてゐたことはよく知られてゐる。その性癖は
『仮面の告白』にすでにめらめらと燃えてゐた。しかし、だうして偽装など必要だつたのか。
もし三島に充実や充血の自信があるのなら、世間やメディアや批評家が誤解するほどに自身を偽装する必要
などなかつた筈である。けれども「楯の会」もそのひとつだが、三島は最期の最期まで、ある意味での偽装を
しつづけた。そんな必要はどこにあつたのか。今夜はそのことを付言して、ぼくの三島感想を閉じたいと思ふ。
三島が偽装を好んだ理由を知るには、偽装は事実よりもずつとアクチュアリティに富んでゐるのだといふ
ロジックを知らなければならない。
いつたい偽装とは何かといふと、またまたニーチェを引き合いに出すことになるが(青年三島がニーチェの
偽装論を早々に踏襲してゐたからだが)、そもそも言語が偽装であつて、概念をもつといふこと自体が偽装
なのである。たとへば空に浮かんでゐる雲には一つとして同じものはない。そこには同一性がない。雲はつねに
多様である。それを「雲」といふ言葉や概念をつかへば、それぞれの雲の特徴や細部は失はれてしまふ。
事実を指摘できないことになる。だから「雲」と言つてしまふことは「事実」から見れば「誤謬」なのである。
しかしながら、そのやうに「雲」と言ふことによつて、われわれは思考における同一性や連続性を得ることが
できるのでもあつた。
すなはち言葉や概念を掲げるといふことは、その行為の根源において偽装を許容したといふことなのである。
三島は、そして三島文学は、このニーチェ的同一性論の認識の上にこそ成り立つてゐる。その同一性に向かふ
ためには、誤謬や偽装を恐れず、むしろ世界が誤謬や偽装でしかないことを見切るべきなのだといふロジック
を有効にする必要があつたのである。
松岡生剛
ニーチェはこの同一性の維持と高揚のために、かの「永遠回帰」を説いた。そして偽装と誤謬の凱歌を謳つた。
三島がそこまでニーチェのロジックに嵌まつてゐたかだうかは知らないが、少なくとも三島にとつては偽装を
果たし切ることは三島の思想としての行動だつたらうといふ予想はつく。さうだとすれば、三島の「偽装」は
三島をとりまくすべての「事実」を超へるものだつたのだ。
ただし、これを付け加へておくべきなのだが、三島がニーチェに傾倒するところはあつても、ニーチェは
まつたく三島に似てゐないといふことである。
これでおおよその見方が成立すると思ふのだが、三島はいはば松陰の思想ではなく松陰らしくなることが、
常朝の『葉隠』の解読ではなく鍋島藩の常朝以上であることが、王陽明の『伝習録』を深めるのではなく陽明学に
奉じた大塩平八郎その人を超えることのはうが、ずつと重要だつたのである。
(略)「日本の思想」について保田與重郎や丸山真男を凌駕する思想の用意がないからと云つて、三島自身には
そんなことで何をも隔靴掻痒させるものはなかつたと思ひたい。
ただ、三島に日本思想の深みなどを期待しないはうがいいといふだけだ。
もうひとつ、老婆心で加へておくが、三島は最後の大作『豊饒の海』でも思想的解決は諮つてはゐなかつた。
だいたい『豊饒の海』は「轉生」が主題になつてゐるのだから、それ自体において「父と子」の軛を逃れてゐるし、
また主人公を松枝・本多・飯沼といふふうに移すたびに舞臺を奈良からタイまで幅をとつたことによつて、
「日本人」の問題に責任をとれないやうにもしてゐた。責任は三島の死だけがとりたかつたのである。
松岡生剛
19歳の美しいトラウマ
入学して間もない頃だった。5月の残雪の汚れと埃っぽい空気が嫌だった。
入学した当初、見るもの触れるもの全てが新しく新生活がスタートした。正確にはまだ18歳だった。
一つ年上だったが同じ年に入学した男子学生がとても親切にしてくれた。無防備な子供だった私は
彼は良い人なんだと思っていた。学校帰り毎日家まで送ってくれた。と言っても自宅は大学のすぐ側の女子学生寮。
ある日彼が「家に来ないか?」と言うので遊びに行った。部屋の中に入り靴を脱いでワンルームの部屋に入ると突然
突き飛ばされて転んだ。彼のその後の行動は、推察の通りに相違ない。恐怖心でいっぱいになった。
彼の家のテーブルに刃物のようなものがあった。それを目敏くみつけて私は彼を刺してしまった。
血がポタポタ落ちたのを見、彼が動揺している隙に彼の家から逃げ出した。
動揺しつつも手や顔についた血をハンカチで丹念に拭き取ったつもりだった。女子寮のセキュリティーカードに血がついて
それがカードキーのボックスについてしまった。廊下から「何これ?血?」という女性の声が聞こえた。
彼は死んだんだろうか?生きているんだろうか?ちゃんと殺せばよかったと後悔したが殺しに行けるような気力は残ってなかった。
男性の固い手の感触が気持ち悪くて発狂しそうになった。私は学校を休み、彼は警察に被害届を出さなかった。
数日後、女子寮の外に彼がいるのを見つけた。生きていたのかと慄然とした。彼は彼で身勝手だが、私は私で身勝手だ。
学内で誰にもこのことを話さない、警察にもいかない彼の狡猾さをスリル満点で過ごした。彼の突き刺すような視線に私は怯えていた。
その後一般教養を修了するまでこの苦痛は続いた。めでたしぃ〜めでたしぃ〜。
>>777 恋は盲目痘痕も笑窪。三島のアノミックなセクシービームは主に男性を魅了するんか?ひろおきみたいw
>>776 そうやって、結果から見て、なんでもかんでも仕向けていったとか言ってる時点で、バカな中二病学者丸出しでしょ。
そのときそのとき三島なりに自身の苦悩の解決、信念、美意識、を追求していった真面目な人生を、
あとから、そうやって他人がお気楽に見れば、仕向けたとか装置だとか、さもさも何か分析した気になって、
研究したつもりになってるだけにしか見えないよ。
>>778 三島は偽装なんてしてませんよ。同性愛思考があったのも、愛国思想があったのも本当のこと。
派手好きだから演出や誇張があっても、そのバカが言ってるような偽装じゃない。
>>778 その松岡の言葉自体が「偽装」だってことを晒してる間抜けな自己紹介やってますね。
偽装、偽装っていう人は自分自身が偽装なんだよ、石原慎太郎みたいな。
ふと思ったんだが、恋の理くらいは分かっているよね?
警戒心なく無防備に恋して錯乱する19歳というお年頃もわかるよね?
若い頃の西村ひろゆきなんて「永遠の19歳」と自称して憚らなくて、好青年だった。
キリーロフがスタブローギンを評するに、ピョートルにふと漏らしたじゃん。
あれは虚無主義者ですよ・・・て。
で、肝心な三島が言う。「魂が腐敗していくのを止めたい」メロウ、つまり行き詰った焦燥感の過熟。
見事に予言的中、あの人は数学的論理思考の人だから未来が見えた。
なんで「豊饒の海」とタイトルがつくか、どういう意味だと思っている?
三島だけではなく、多くの者が『葉隠』を本格的な武芸書と勘違いしてきた。「武士道というは死ぬ事と見付たり」
や「武士たる者は死に狂ひの覚悟が肝要なり」に最大絶無のメッセージがあると思いこみすぎていて、
その部分の拡大解釈ばかりが強調されることが多い。三島も「死に狂ひ」の言葉から、
「正しい狂気というものがあるものなのだ」と書いた。
いったいそれで『葉隠』を読みこんだのかと聞きたくなるほどである。その理由については、あとで書く。
ともかくもその後は、これまでぼくが散見したかぎりで『葉隠』が読めていると思えたのは、
橋川文三、隆慶一郎、小池重明くらいのものだった。ちなみに隆慶一郎は学徒動員で中国戦線に送られるとき(略)
また、常朝は「忍恋」ということを頻りに重視した。
そう、恋である。しかも「忍ぶ恋」だ。三島由紀夫はほとんどそのことにふれていないのだけれど、『葉隠』には
「恋の至極は忍ぶ恋」と断じた箇所が何カ所もある。ここは絶対に見落としてはならなかった。
「忍ぶ恋」とは、一言でいえば永遠の片思いのことであるが、それこそが「長け高き恋」であって、
そのことを存分に胸に秘められることが、実のところは武士の精神の秘密を解く鍵なのだと、そのように常朝は
言ったのである。
いったいどこに、忍ぶ恋と武士の生き方(あるいは死に方)が関係するというのか、にわかには理解しがたい
にちがいない。恋心だなんて、とうてい武士道とは関係がありそうもない。しかし、このことは『葉隠』が
何度も解こうとした問題だったのだ。このことがわからなければ、「武士道というは死ぬ事と見付たり」の意味は
わからない。
松岡生剛
以下、三島の恋心とアガペーのとらえかたが狂っていると延々続く
>>786 三島は葉隠を武芸書として読んでませんよ。勘違いしてるのは松岡でしょうね。
忍ぶ恋について三島は十分触れてますし。
松岡のでたらめ批評が露呈されました。
>>787 ブログ読んだけど、そんな続く批評ありませんよ。その後は三島と関係がない記述でした。嘘っぱちお疲れさま。
>>789 別のを読んでいますね。乙彼ー
松岡は三島が「葉隠入門」で言及できなかった理由を述べていますけど。
それから松岡はトータルで三島を擁護していますよ、無知残念でした。
>>790 ちゃんと続き読んだけど、そんな関連付けで述べてないよ。それに擁護なんてしてないし。
そもそもこの人には、三島に対する深い見識ないし、単なる雑学に毛の生えて程度の物知り自慢ジジイみたいな感じ。
茂木なんとかとたいして変わらない匂いがするわ。
ばかのくせにいきがるなよ
マジ?っていうかやっぱりそうだったの?
実はそんなことだろうと思ってたんだ。
私は麻疹は済んだが奇妙な嫌悪感は残ったまま。
不完全ですね。人間としてね。
魔法の言葉〜自律せよ。自制せよ。自戒せよ。苦痛をかみ殺す気概を持て。前へ前へ進め。強行突破せよ。
そんなに本を読まないけれども
大学の時に
初めて、三島由紀夫(金閣寺)を読んだときには
びっくりした!
普通の人なら感じないような空気の動きのように微妙な
感情の動き?を言葉に表現することに
心底驚いた。
本当微細な感情の動き=微細な脳の動き
神経、シナプス間、神経伝達物質etc・・
そういう脳の動き働きを生物学的?物理的に説明するのが脳生理学者?脳物理学者?だと言われるが
三島由紀夫はその表現形としての、文学者じゃなくて、脳生理学者じゃないかと思ったよ。
三島のすごいなあと思うところは金閣寺のようなものから、ユーモアたっぷりのレター教室まで変幻自在なとこ。
796 :
吾輩は名無しである:2011/01/15(土) 23:45:55
>>766 何が間抜けだ。
本質をまるで履き違えているのはあなた。
そして三島自身だったんだよ。
あの敗戦で日本人が無くした物は大きい、それまで信じていたものが無くなってしまった。
それが分かっていたはずなのに三島は一人、戦前派を貫いて果てた。
気持ちは分かる、だが死んではなら無かったんだよ。
彼は帝國復興を糧に生きるべきだった、そして生涯を通してそれを奪ったものたちへ
と戦わなければならなかった。
>>796 履き違えているのはあなた。
三島はずっと戦ってたんだよ。そして三島ができうる限りのより長期に渡って影響を残す方法で、世間に自分の思想を残したわけ。
今度それを生かすも殺すかは、その意志を継いだ人の課題でしょう。三島一人に責任転換するのはお門違いってもんだよ。
あんたがやりゃあ、いいだけの話。
責任転嫁な
799 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 01:33:49
>>797 いや、そうではなくて三島の残したものはそれ自体が謎かけなんだよ。
三島のやったこと、それ自体を表面的に真に受けちゃいけない。
あれはいわばドラマや映画などのフィクションであり、非現実なんだよ。
三島の死で大東亜戦争と言う壮大なドラマが締めくくられた、ああいう戦争が
終わったと言う風に捉えなければならないわけだよ。
そしてその映画の中に三島が出演していると言う感覚なんだよ。
800 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 01:41:18
だから三島自体に目を向けると俺は本質を見誤ると思うね。
三島の残した思想は大いに受け止めるべきだが、あの自決だけは否定しなきゃならんと思う。
だから三島や戦前みたいに国体のために命を張るというのは、それでは駄目なんだよ。
なるほどぅ
意はにせやすく姿はにせがたし
ことしあればうれしかなしとときどきに・・・
803 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 08:05:58
色々偉そうに深読みしても、結局はさ、三島は尻に入れたか、入れられたかして
いたのだろ?そんな奴を相手にしない、「気持ち悪い」というのが常識。
まあ、大人の男で、三島なんかについて本気で議論してる奴、君はせいぜい
なれて中学の国語の教師だ。
804 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 08:07:08
文学を馬鹿にするのはよせ。中学の国語の教師?立派なものでは
ないですか。
805 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 08:41:27
所詮、「文学」は宝塚と同じ。見果てぬ夢のローマンス。あっはっは。
女のものだよ。女の。
>>800 自決を否定したら三島の思想自体を否定することになりますよ(笑)
まあいいけど。どうせそんな男ばかりの世の中だし。
日本は滅亡するわ。
三島のキモイとこはゲイな部分じゃない。
知的レベルの高いストーカーって部分が芸術的なきもさ。
自分にこだわるときよりも
自分にこだわらないときが
すこしはましなことをする
810 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 17:35:55
>>806 悪いがそれはない。
なぜならそういう思想が負けたんだから。
負けたと言う意味を理解しなければ、次も滅ぶ。
そして三島は現実に負けたんだと思うよ。
>>810 それじゃあ、あんたの好きな勝った思想について行けば?
そんなに三島を否定するなら何も無理して、負けた三島の思想を学ばなくてもいいですよ。
さようなら。
>>810 あなたには石原慎太郎や中曽根、ますぞえみたいなネットウヨクが合いそうだから、もうここに来なくていいですよ。
813 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 18:05:07
あと、「どうせそんな男ばかりの世の中だし。」とは言うけどぜんぜんそうではない。
ただし三島のような男がいないと言うだけで。
だけどそれは帝国主義が時代遅れとなり、価値がなくなっていたからで
あの敗戦と言う見せしめによりそれは完全に共産主義と民主主義と言う
2大体制の時代になった。
今の日本の総理と中国の主席とアメリカ大統領を見ると非常に奇妙な事が分かる。
つまり国における政治力の強弱と言うが思想によって現れてしまうと言うことなんだわ。
そしてそれが国家の順位になる。
日本の象徴天皇制と言うのは日本に政治的な力のない表れみたいなもの。
>>813 それは思想じゃなくて経済力の問題だと思うけどね。中国の実体は共産主義じゃないし。
815 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 18:23:30
>>811 >>812 愚かな人だなあw
あなたのような信者的な考えの人は本当に嫌だね。
あと、石原とかはネトウヨじゃないじゃんw
それに、ネトウヨ否定派なのか?
三島こそ元祖ネトウヨだと思うけどねえ。
816 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 18:27:07
>>814 現在はね。
でも戦後の建国から積みあげてきた国家の威信は大きいんだよ。
そういう国からでしか侍ってのは生まれない。
日本も帝国を維持できて居ればなあ。
>>815 三島はウヨじゃなくて、自分の思想に殉じることのできる本当の右翼だよ。
マシな政党がありませんね。
三島は元祖ネトウヨwwwww確かになwwwwwwww
コミュニティツールがメディア文壇からインターネットに変わっただけだしなwwwww
三島本人も言ってるんだわ。
「バカなコミュニケーション手段が発達すればするほど国民の意見はバラバラになって統合できなくなる」ってねw
820 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 21:48:05
>>817 三島が殉じたのは天皇と言う神にだよ。
戦前もとい三島は神の姿を現存する皇帝に見出してるから
それが結果的に破綻を招いた。
それさえやらなければ日本帝國は存続していた。
そもそも国学の父である平田国学は天皇は悪まで法王という
神聖権威の立場で存在し、神の存在自体は日本神話に求めた。
ところが平田国学明治維新にアイディアが利用されるだけで失脚する。
俺に言わせれば日本ロマン派にはそうした欠点があるといわざる得ない。
そういう宗教的基盤を確立せずに天皇神聖を見出したところにそ
もそも無理がある。
821 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 21:49:27
だが、「どうせそんな男ばかりの世の中だし。」というが女の罪も重い。
女は外国に憧れすぎだ。
それが今の日本の経済的な半植民地状態を招いている。
>>820 なにか三島の天皇観をよくわかってないような方ですね。
自分の想像で勝手に決めつけないで、もっとちゃんと三島本人の論を読んでください。
>>820で正しいよ。三島は天皇を神道のシャーマンの総代一族の酋長で悪習を浄化させる作用を持っていると
「問題提起」の中で述べている。
手前勝手な思想に殉じたのも間違はいないが、左翼にも同様の輩がいるのでそれを以てして右翼と定義するのは
矛盾している。
>>823 三島の天皇は天照大御神で日本神話の神、宗教的神だから、
>>820で勝手に決めつけてるような皇帝じゃないよ。
>>823 手前勝手なのはあんたでしょう。
勝手に三島の文章を誤読偏向解釈して、手前勝手に決めつけて。
>>821 それと、男が外国に憧れすぎた結果が、日本の美質を失わせたんでしょう。そんなの歴史を見れば自明のことでしょ。
話をぶった切って申し訳ないんだが、春の雪の読者レビューで「金閣寺」を挫折したというのが
複数あるけど、どうして挫折したんでしょうか?「金閣寺」の内容自体が・・・ヤバイ感じ?
>>828 難解な禅問答や、論考が難しいから挫折するのでは?
三島に二・二六事件の物語を書いてほしかった。
>>829 あー、小乗仏教は一般的に馴染みがないからですね。
「金閣寺」の内容は怖かった?
832 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 23:40:37
>>822 >なにか三島の天皇観をよくわかってないような方ですね。
>自分の想像で勝手に決めつけないで、もっとちゃんと三島本人の論を読んでください。
いや、それなら天皇と神はイコールであってはならないはずだ。
皇帝たる天皇に神を着せて神聖なる存在と定義した時点で
それはヨーロッパ的な君主専制の皇帝と同じことだよ。
>>825 >三島の天皇は天照大御神で日本神話の神、宗教的神だから、
>>820で勝手に決めつけてるような皇帝じゃないよ。
勝手に決め付けているとか言われるのは心外だな。
天皇が神人合一な存在であり、それが古より続く超越的な存在と言う
観念は確かに三島のフミから読み取れるが、それははたから見れば
皇帝そのものだとしか言えないのではないのか?
そこなんだよ、俺の言いたい点は。
>>823 ありがとう。
そういう意見をいただくとありがたい。
833 :
吾輩は名無しである:2011/01/16(日) 23:46:49
>>827 それは違うでしょう。
それを言ってしまうともはや三島自体をも否定しかねないよ。
女が日本古来の男性にたいする魅力と言うのを嫌いになってしまったから
結局現在のような奇妙な男女平等な社会が到来し、今のようなあなたの言う
「どうせそんな男ばかりの世の中だし。」的な日本になってしまった。
そして皮肉なのはそんな貧弱な男でも担げるような天皇制になってしまってる。
トルストイが野犬の群れでも見るような目でこちらを見ている。
三島は仏教美術から仏教の思想に興味を持ったのだろうか?
それにしても、クラツクリノトリは手足の長い華奢な仏像でインド人を忠実に彫刻したのに
日本人は日本人好みに菩薩をデブにしてしまった。
キリスト教でも同じか。しょうがないよね。好きになりすぎて事実を歪めてしまうのは。
>>832 >>833 もう、どうでもいいよ。あんたはどこまでもヨーロッパの皇帝しか頭に浮かばない人だから。
三島の「女ぎらいの弁」についても、手前勝手な解釈したりしてるし。
三島はあんたが言ってるような「女が外国に憧れたから」なんて意味は一つも言ってませんよ。我田引水もいい加減にしたら?
あんたがどんな考えを持とうが、勝手だけど、それに合わないからと言って、三島の言まで自分勝手に偏向しないでください。
836 :
吾輩は名無しである:2011/01/17(月) 01:20:11
>>835 何でもいいが、そこをちゃんと分かるかどうかが生と死の瀬戸際だよ。
三島はそれが分からんかったから死ぬしかなかった。
ヨーロッパ皇帝で分かりいくいなら、シナ皇帝でもいい。
三島は中華思想の皇帝という見方でしか、聖人君主、真人としてしか
天皇を見れなかった。
まさに天子としての天皇だ、それが三島にとってのすべての誤りだ。
だからそういう同じような天皇思想を信仰してる右翼は三島を
強く評価するし、三島のあの死をしたり顔で利用する。
そこが理解できるか否かが大事だ。
>>836 はいはい、あんたは偉い偉い。早く頑張って日本をよくしてください。
>>831 怖くないよ。
レスを見落とすとこでした。
>>831 怖くないよ。
レスを見落とすとこでした。
スレチだが、便乗して書かせてもらうと、そもそも東アジア共同体構想
なんてのが、左翼(リベラル派含め)から出てくるのがおかしい。
連中が骨の髄から忌み嫌う、大東亞共栄圏とどこが違うというのだ。
842 :
吾輩は名無しである:2011/01/17(月) 21:18:24
>>841 似て非なるもんだぞ。
簡単に言うと主導を握るのが日本か、中国かと言う点かもしれないが
左翼は基本として三島のような感情は抱かないもんだし、抱いても
アジアは皆同じと言う考えに帰結してしまう。
それに左翼が東アジア共同体=中華統一圏を目指すのは古来より
普遍的に行われてきたしな。
『血色中国』(蘇明 自由文化出版社 2008年)
△
著者は実直で小心な研究者。政府系研究機関に勤務している。父親が共産党の幹部だったこともあり、それなりの地位を与えられ優雅な生活を送っていた。
ある時、同僚で謹厳な研究者の阿聡から研究成果を密かに聞かされる。1949年の建国時の人口は4.7億人で知識人は5百万人。38年後は3倍近い12.1億にまで増えたが、
知識人は1千万人に満たない上に、そのうちの百万は獄中だ。完全な文盲が3億人で、教育水準が小学校1,2年生程度は3億人ほど。耕地は建国時から3億畝ほど減って13億畝前後。
86年に獄舎に繋がれたままの囚人は1千万人超だが、その70%は正規の裁判を受けてはいない――「毛沢東は救いの星で、共産党の恩情は天より広い」と素直に信じていた筆者にとって衝撃だった。
熱血漢の阿聡は天安門広場での民主化運動に参加する。やがて事件勃発。阿聡の消息を尋ねて天安門へ。「その人の顔の半分はなく、頭蓋骨の半分はなかった。
血、肉、砕けた骨、脳漿が交じり合った赤いべとべとした液体が地面を覆っていた。残る半分は変形し、その人の生前の顔形を推測することは不可能だ。
いうまでもなく、彼の頭部はマグダム弾で射抜かれていたのだ」――目に飛び込んできた光景に、著者は慄き立ち竦むばかり。
天安門で見た惨状が頭から離れない。被害者たちへの同情と政府当局への批判が、ついつい家庭でも職場でも話の端々に。そんな彼に父親は、「腹を割って話すが、共産党は黒社会に生きるヤクザのようなものなんだ。
お前をこうしようと考えて、お前がそうしなかったら、遅かれ早かれお前に厄介なことが起きる。災難が降りかかるぞ」「いいか共産党の政治というものは、実に汚いもの。無原則なんだ」と厳しく忠告する。
やがて職場が民主派に同情的で政府当局に批判的に過ぎるということで、解放軍が乗り込んできて著者は窮地に立たされる。父親の戒めもムダだった。
民主派との嫌疑を掛けられた著者は逮捕を免れるため、家庭を捨てて香港に逃亡する。そこに「以前、お前に共産党は無道の土匪だということをいっておかなかったかい。
間違いではなかったろう」と書かれた父親からの手紙が届く。著者は香港で逮捕され広州に護送されたが、「広東人が唯一知っていることは、カネ。それ以外に関心なんてあるわけがない」。
カネを使って逃亡を果たすが、今度は私服公安に逮捕されてしまう。やはり「公安局は巨大な黒社会だ。ホンモノの黒社会より10倍以上もワルだ。いま、なぜ黒社会の勢力は大きくなる一方なのか。
それは職員が手酷いワルだからだ。黒社会と公安局は同じ穴のムジナだ」った。
凄絶・陰惨を極める拷問の痛みに呻吟する著者に向かって、同房の1人が「文革後、人々の心は壊れちゃったんです。誰も心意気や道徳など口にしません。
昨夜、ヤツらがあなたにどんな酷いことをしたかは・・・。でも、とやかく考えないこと。災難だったと受け止め、何とか心を平静に保つべきです。それこそが、真の漢(おとこ)です」と呟き、諭す。
2ヶ月の地獄のような日々の後、著者は逃亡に成功する。カンボジアに辿り着き、タイを経てラオスへ。やがてヨーロッパ経由でカナダへと逃れる。
文革から天安門事件へと続く中国社会の市井の変貌を背景に、知識人が辿った数奇で悲惨な体験が生々しく綴られているだけに、600頁近い分量も一気に読める。
著者が生きてきた環境は、話半分としても想像を絶する。禍々しく、凄まじく、おぞましく、苛烈だ。
《QED》
(ひいずみかつお氏は愛知県立大学教授。京劇と華僑研究の第一人者)
845 :
吾輩は名無しである:2011/01/17(月) 22:32:32
>>835 あなたは違うかもしれないが女性がジャニーズとかハーフみたいなカワイイ男ばかりを
好きになっていったせいで、そういう資本や経済の市場支配の流れがそういう方向に
転じて、80年代までは結構男らしさや女らしさの分別のつく文化芸能の創作物の
空気と言うのは無くなり、今ではアヘンの如く病的にアイドル・ビジネスが蔓延している。
そして日本における「いい男」の価値観・美意識というのは廃れていった。
今ではそういう日本の芸能界にはない男らしさを求めて、女は外国のアメリカ人スター
はもちろん、韓国の俳優やなんかに金を出し続けて外国人に媚びてる訳だ。
相撲も格闘技も含めて、いつの間にか日本には男らいい男がいないかのような
印象と言うのが社会的に植えつけられ、そうした文化・芸能における秩序や防衛の
対策がまったく出来てないでいる。
韓国人やアメリカ人の俳優が日本の芸能メディアのよって資本的な売り上げを
見せるのは、偶然でもなんでもない。
すべて計画的に行われ、日本を虚勢するための情報・思想の戦略なのだ。
じゃあそうした先に何があるのかと言うと、純粋な日本の男らしさと言うのは
存在できなくなり、海老蔵事件が象徴しているように外国系の連中が支配階層として
芸能界や文化芸能に居座わり、日本の伝統の権威などを落とすわけだ。
そしてそこには秩序や伝統無き営利的な支配があり、海老蔵事件は本当に無様な
日本の実態そのものだといえる。
そしてこれは歌舞伎や相撲などにとどまらず、政治レベルにおいても同様に行われる運命にある。
それが日本の未来。
846 :
吾輩は名無しである:2011/01/17(月) 22:33:36
俺の父親もシュアルツネッガーやスタローンなど肉体的なアメリカ俳優に憧れて
体を鍛えてるような人だったが、そういうファッショ・イズムもアメリカからしか来ない。
ただ、80年代のそういうアクションスターは日本の武士道の影響が非常に強いと言う
一面もあるから、まったく否定はできないが逆輸入と言う形でしか日本人が日本の
男らしさを感じる事ができないと言う悲しさがあり、そしてそれは結局アメリカ人の男らしさ
・アメリカ国の武勇さであるのだ。
俺が三島になぜ惹かれたかといえば、現在の日本にないものを三島が持っており
日本はいまや欧米のモダニズムに席巻された哀れな国だが、実は日本は古来より
マッチョイズムを保ってきた国で、唐招提寺の12新将像があるように古来よりボディービルな
男性文化が存在し、そしてそこには武将による武力的な軍事的緊張が常に社会の背後にあった。
平将門など三島の伝えたかっただろうクーデターの文化も日本には根強く、そしてその最たるは
日本の城や古代の巨大古墳と言う建造物にみられ、わが国の祖先はそうしたものを作り上げた。
そういう構造物が発生する国は常に豪族者と国家が軍事的均衡により保たれてきたと言う
歴史の証明でもあり、そしてそこには天皇の存在があったと言うことを三島は気付かせてくれた。
847 :
吾輩は名無しである:2011/01/17(月) 22:35:15
しかし日本の文化力なんてのは案外気薄なもので、文学に精通していた三島だけが
日本の文化力は強いと勘違いしていたといわざる得ない。
日本人の力量を三島が完全に見誤っていた事が大きいと俺は考えてる。
日本が中国文明の誕生国であれば良かったのだが、そうでは無いから。
日本は中華文化と西洋文化に頼らざる得ないと言う構造を三島は読めなかった。
固有の文明スタイルを持たない国は、おおむね外国の文明に常に依存すると言う体質を理解してなかったように思う。
日本が文化的な防衛力を取り戻すためには、↓のようなこういう国内の男性諸君が日本文化に気付き
メディアや政治においても、そして軍事においても活躍し評価され、支配的であるような社会で無ければ
ならないのだが、それが現実にならない限り日本文化は弱体化し、現在のアメリカ文化による文化的支配が
完全に成立し、その延長にあるポストモダニズム支配とやがて来るだろう中国現代文化主義、女性強支配の時代になるのだ。
そして日本はまた外国の新しい文化に依存するハメになり、三島などを含め日本文化は古典文化として認知されるようになる。
http://www.dra-x.jp/common/img/profile_ph.jpg
848 :
吾輩は名無しである:2011/01/17(月) 23:01:06
>>843-844 中国もアメリカもロシアもそういう非道な国家の性の様なもので続いてきた国だからな。
(日本もアメリカに虐殺されてるし。)
そんな国家に日本は今後も文化的・資本的な依存、媚び諂えをするしかないのはつらいなあ。
日本がまったく善であると言うことも無いだろうけど、連中と比べると日本はまるで善人にしか見えない。
そう?日本の文化はオリジナリティがあふれている。
外国から取り入れた文化を独自に前衛的にアレンジしてしまっているわけだが、
慈照寺の美しさときたら言葉には表せない。
渡来色の強い法隆寺や平等院鳳凰堂など遠く足元にも及ばない。
慈照寺は三島から言わせれば雅の衛星の侘び寂びなんだろうけど。
あんなにも美しい空間が、この世とは思えないわ。
銀閣寺ってそうなんだ…
僕的には上賀茂神社が異空間だった。
月を歩いてるみたいだったな。
851 :
吾輩は名無しである:2011/01/18(火) 03:42:37
だからさ、三島は尻に入れたのか?入れられたのか?皆さん、「文学」好きの
皆さん、深読みするのはやめましょう。馬鹿馬鹿しいし、まともな世界では
相手にされなくなるぞ、よお、文学青年(侮蔑)。
852 :
吾輩は名無しである:2011/01/18(火) 05:15:08
>>845 訂正
×80年代までは結構男らしさや女らしさの分別のつく文化芸能の創作物の
空気と言うのは無くなり
○80年代までは結構あった男らしさや女らしさの分別のつく文化芸能の
創作物における空気と言うのは無くなり
853 :
吾輩は名無しである:2011/01/18(火) 08:50:52
>>849 ですが、そういう文化ってもろくて弱いんですよ。
だから美しいのかも分かりませんが。
本当に強い文化なら根強く残りますよ。
>>845 原因と結果が逆。
あなたが言うような文明や風俗が戦後どっと押し寄せたから、それにともなって男も女も現代のようになってるんだよ。
別に女の意志が主体じゃないから。所詮は受け身で流行に乗るだけ。
>>847 三島は、日本の文化力が強い、なんて思ってないよ。むしろ逆に、脆くて、ほっておけば失なわれてしまうものだと言ってます。
だからこそ彼は、日本の文化を守るにはどうしたらいいか考えて考えぬいていたんだよ。
それはあなたなんかの比じゃないのです。
>>847 日本の文化が中華やヨーロッパ文化を取り入れ発展してきたことは自明だけど、
現代の近代中国にはもはや学ぶものなんかないでしょうよ。
859 :
吾輩は名無しである:2011/01/18(火) 18:22:39
>>856 今の中国に何か学ぶものは無くても将来の中国にまた文化的な依存を強いられるハメになる。
860 :
吾輩は名無しである:2011/01/18(火) 18:29:48
>>855 だからこそ三島の死は偉大だと言えるかもしれないが、だが
彼は文化の型を守ると言う事を是としすぎた。
そしてそれは三島の死とも関係してる、彼がもっと広い視野で
日本の歴史や文化を見る事が出来たら違っただろうよ。
それをどう思うかだよ。
「三島氏が現代の武士ならば、なぜ同じ武士たちの長たる東部方面総監をその部屋でだまし捕らえて
縛り上げ、縄目の屈辱を与えたりするのか。総監はあれから三年後癌をわずらって死ぬが、
あの事件の屈辱を忘れずその汚名の濯ぎ方の知れぬままろくな療養もしようとはせずほとんど憤死した
という。そして残された武士たち、自衛隊の幹部はそれを忘れてはいない、ある者は、三島はむしろ
あの時総監を切り殺してくれていたほうが良かったとさえいっていた」
(石原慎太郎「三島由紀夫の日蝕」)
862 :
吾輩は名無しである:2011/01/18(火) 18:41:17
>>854 あなたは資本がよく分かってないな。
ヒトラーが女がデパートで入り浸りになることを強く批判したのは
女が家庭における財布の紐を握っているからだよ。
無論それは男性社会と言う時代背景もあるだろうが、いわゆる
男女平等思想も結局そういう資本による小国の弱体化、去勢と言う手段なのさ。
自分達の国だけは核を持つ、男性社会も維持する、軍事大国でいる、領土も
人口も技術も資源も奴隷も独占する、そういう国がいまだ支配してる時代なんだよ。
863 :
吾輩は名無しである:2011/01/18(火) 18:45:22
>>861 石原はやや大げさなところがあるのであれだけど、確かに三島は総監を殺して
そして自分も自害して事件を締めくくったほうが良かったのかもしれないな。
864 :
吾輩は名無しである:2011/01/18(火) 19:16:05
>>858 腹立つ
幽玄は戦意を昂揚させる為にある。詫び寂びは戦場から生還した人間を日常に戻す作用がある。
どちらも日本人にとっては必要な文化です。
幽玄は雅を挑発していますが、詫び寂びは雅に反発しています。
ところで、金閣寺を読み出したんだが、やっぱり怖かった((゚Д゚ll))
金閣寺の幽玄に憑かれたコンプレックスの塊みたいな若者が、錯乱していく様子が「記録」されている。
>>861 石原慎太郎が三島より自分が偉いみたいに見せかけるために、いろんな嘘っぱちついていることなんか
今や明らかだから、そんなもの引用してる時点でバカ丸出し。
>>863 三島がそんな何の罪もない総監を殺すわけないでしょ。バカじゃないの、あんたは。
被告たちに憎いという気持ちは当時からなかった。
(中略)
国を思い、自衛隊を思い、あれほどのことをやった純粋な国を思う心は、個人としては買ってあげたい。
憎いという気持ちがないのは、純粋な気持ちを持っておられたからと思う。
自衛隊市ヶ谷駐屯地、益田総監
三島裁判での証言より
「まさか、死ぬとは! すごいショックだ。
自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。――死を賭けた言葉なら
静かに聞いてやればよかった。」
陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話
「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。
だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」
自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話
バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に
理解した。野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。
…やるせなかった。無性にせつなくなってきた。
現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の
存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに――。
…部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合を
かけた以上正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。
三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。
K陸曹
三島演説を振り返って
福島鑄郎「資料・三島由紀夫」より
…こんなとんだ災難にあった中村二佐だが、三島を恨もうとはしていない。
「三島さんは私を殺そうと思って斬ったのではないと思います。相手を殺す気ならもっと思い切って斬るはずで、
腕をやられた時は手心を感じました」とあとで語っている。
斬られながらも相手の手加減を感じるなど、剣道を知らない者にはわからないところだが、中村二佐は旧軍の
軍人だから剣道の腕も相当なものがあったのだろう。
自衛隊の良き理解者だった三島について「まったく恨みはありません」と断言した中村二佐はその後、陸幕広報班長、
第三十二連隊長、総監部幕僚副長、幹部候補生学校校長を歴任し、昭和五十六年七月、陸将で定年退官するが、
最後の職場が、かつて三島を教育した久留米の幹部候補生学校だったとは、皮肉な巡り合わせである。
原竜一「熱海の青年将校――三島由紀夫と私――」より
石原は三島をバーチャルというたという。確かに三島はバーチャルめいている。
机上の空論を実践してしまった。が、石原は逆に俗物そのもので、
あのようにはなりたくないものだ、と思わせるような傲慢さがある。
息子の例の絵画の件でもそうだ。アレが書いたとされる小説の内容についてもだ。
もっと美しい話をして?
871 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/18(火) 21:59:08
おいチワワ、朝吹が芥川賞取ったぞ。古典の知識では三島を越えるとかいわれているがなw
872 :
吾輩は名無しである:2011/01/18(火) 23:54:51
>>870 石原は石原で愛国者だよ。
だがバーチャルでは無い。
873 :
吾輩は名無しである:2011/01/18(火) 23:56:02
訂正
だが、三島はバーチャルではない。
せっかく国会議員になったのに辞めちゃって、都知事にせっかくなったのに朝鮮学校認可取り消しもしない、
石原の方がバーチャル都知事だよ。
三島の若い頃は天人五衰の透のように、自意識が強い、自分を天才と信じて疑わない感じだったのでしょうか?
878 :
吾輩は名無しである:2011/01/19(水) 06:14:48
あの、唐突ですが三島は満州国に関してはどうのように思われていたのでしょうか?
>>877 透に似た面もあったでしょうね。様々なコンプレックスはあったから透のような感じとはやや違うでしょうが。
>>878 満州国に関して具体的な言及はないようですが、美輪明宏に「誰か貴方に憑いてます」と注意されたときに、
三島は、二・二六事件の磯部の名前の他に「甘粕か?」とも言ってたそうです。
880 :
吾輩は名無しである:2011/01/19(水) 13:59:12
三島がコンプレックスに?思春期ならそういう事もあるかも知れないけど
コンプレックスに悩むようなタイプには見えない。
コンプレックスに悩むような繊細さがあるなら虚無に陥ったりしないし。
881 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/19(水) 14:02:35
おいチワワ、朝吹が芥川賞取ったぞ。古典の知識では三島を越えるとかいわれているがなw
883 :
878:2011/01/19(水) 21:11:40
>満州国に関して具体的な言及はないようですが、美輪明宏に「誰か貴方に憑いてます」と注意されたときに、
>三島は、二・二六事件の磯部の名前の他に「甘粕か?」とも言ってたそうです。
ありがとうございます。
まあ三島は日本以外を好きになれるような人ではないでしょうからねw
しかし甘粕といい、三島といいどちらも夢とともに生きて夢のために死んだという
まさに浪漫という名にふさわしい御人だとおもいます。
884 :
吾輩は名無しである:2011/01/20(木) 05:22:20
>880
879は、
若いころの話って云ってんじゃね?
獄中日記の磯部はともかく、甘粕正彦みたいなクズ野郎を持ち上げるのはやめてくれ
886 :
878:2011/01/20(木) 09:08:53
甘粕がクズなら三島もクズだろ
>>883 三島はイタリアやギリシャも好きですよ。
日本が大好きだから、それ以外はダメということはないですし。
>>883 理想、夢のために死んだという面もありますが、三島は核停条約や沖縄返還と安保条約の絡みも指摘してましたので、
現実もちゃんと見据えて警告を遺してますので、それは単なる「夢」じゃなく、現実の日本の国の問題提起も含んだものです。
889 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/20(木) 14:34:37
どうもチワワさん、俺の質問に答えてくれませんか?w
890 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/20(木) 14:38:36
レオパルディの「流行と死の対話」を三島は上げていたんだよな。
俺も英訳で読んだが、あれはセンスがいいと思った。
>>889 そんな、「三島の再来」だのと似たような宣伝コピーに反応する必要ないし。残念でしたね。
892 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/20(木) 16:17:31
読んでから言うべきではないのか?w
チワワさんはレディーなんだからもう少し穏やかな議論を頼みますよ、マグナさん。
895 :
878:2011/01/20(木) 18:52:22
896 :
878:2011/01/20(木) 18:53:48
>>891 三島の再来なんてしたら最後自決するみたいな不穏さがつくわw
三島はそういう意味で、自決した事で後で自分が会社に良い様に
美化されないと言う対策もあったんだろうな。
>>893 チワワはオスだぞ
派遣切りされた腐れニートな
ある日公威は威一郎を連れてデパートに参りましたが、何か玩具のことで親子喧嘩したと見え、そのとき
「お父様なんか死んでしまえ」と言われたようです。真顔で悲しそうに私に訴えに参りました。そのときの
公威の心境が今日になってよく判ります。
ある日私があるお客様にお目にかかったときのことです。「三島さんという方は不思議と決して他人に御家族のことを
一言もおっしゃいませんでした。それなのに二、三日前用談の途中で唐突に、僕は威一郎が 可愛くて可愛くて
どうにも仕方ない、本当に可愛いんだ、と二、三度同じことをくり返されるのです。こっちはちょっと面喰いましたが、
そのまま用談に戻りました」というお話でした。
公威は物差しやハタキのような長いものを持ってこれを振り回すのがとても好きでした。無意識にもウップン晴らしの
意味でございましたろうか。これらはやがて危ないというので、母(三島の祖母)に没収されてしまいました。
公威はこんなときでも、決して反抗はいたさず、だまって素直に従ってくれて、かえって可哀想になりました。
公威は五歳のときのお正月に、はじめて自家中毒という病気にかかり、もう駄目だという危篤の状態になりました。
親戚も多数集まりました。私はお棺に入れてやる着物や玩具を持って来てソッと裾のところに取揃えました。
そこへちょうど千葉医大の部長をしておりました私の兄が来てくれまして、しばらく見守っておりましたが
「あっ、小便が出た、助かるかも知らんぜ」と申し、それから間もなくまた大量のお小水が出ましたら、兄は
「もう大丈夫」と大声で言いました。ああこの時のうれしさ、まるで夢のような心地とはこのことを申すので
ございましょう。
平岡倭文重
平岡梓「伜・三島由紀夫」より
初等科時代、公威は肺門淋巴腺(りんぱせん)にかかりました。この病気は身体がとてもだるくなるものですから、
教室では姿勢も悪く、先生には叱られ通しだったようです。しかも自分のうしろの席には級中きっての悪童が
ひかえていて、その煽動でのべつ幕無しに二人でいたずらをするので、二人とも教壇の前に立たされ、おでこと
おでこを鉢合せさせられるという、そうとう重い体罰をいくどか受けました。
中等科では剣道や乗馬は正課でしたが、公威は両方とも好きで、特に剣道を大変好みました。寒稽古のときは
五時ごろ自分で飛び起きて、嬉々として出かけて参りまして、稽古の後学校が出してくれる味噌汁がうまくて
うまくてたまらない、お母様にも一度飲ませたいと私に何度も報告しておりました。
公威は幼少のころから日本古来のしきたり、行事というようなものがとても好きで、またこれらを大事にいたしました。
母の躾けのせいもありましたろうが、神社の前などに参りますと、どんな小さな祠でも何びとの指図も受けず、
自らすすんで必ず丁寧に参拝し、お辞儀をしないで通りすぎるというようなことはありませんでした。
これは子供の時代ばかりでなく、ずっと大人になってからも続きました。毎年の豆撒きの時など、先頭に立ち、
孫達はすぐ飽きてしまって逃げ出すのですが、公威は一人になっても物凄い大きな声で、「鬼は外、福は内」と
どなりながら豆を撒き、それから家族中に各自の年より一つ多い数の豆をひろわせて十円玉と一緒に包ませ、
自分みずから近所の四つ角まで持って参り、帰りには掟な従い決して振り返らないという調子で、これには
親の私もついていけなかったものです。この念には念の入った信心振りは死ぬまでやめませんでした。
平岡倭文重
平岡梓「伜・三島由紀夫」より
三島由紀夫が太宰治との同一性を告白したことには実に深い意味がある。
小林秀雄の発言はこの批評家にふさわしいもので非常に感動的である。(「三島君のこと」)
それにくらべて他の人々の数多い文章は単に「答案用紙をうめた」というにすぎない。
川端康成のものはまったく歎かわしい。M(村松剛?)のものときては下の下だ。
森有正(第十四巻『日記』二宮正之訳)
M=松本清張
例へば、右翼といふやうな党派性は、あの人(三島)の精神には全く関係がないのに、事件がさういふ言葉を誘ふ。
事件が事故並みに物的に見られるから、これに冠せる言葉も物的に扱はれるわけでせう。
事件を抽象的事件として感受し直知する事が易しくない事から来てゐる。いろいろと事件の講釈をするが、
実は皆知らず知らずのうちに事件を事故並みに物的に扱つてゐるといふ事があると思ふ。
事件が、わが国の歴史とか伝統とかいふ問題に深く関係してゐる事は言ふまでもないが、それにしたつて、
この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけが責任を背負ひ込んだ個性的な歴史経験の創り出したものだ。
さうでなければ、どうして確かに他人であり、孤独でもある私を動かす力が、それに備つてゐるだらうか。
小林秀雄「感想」より
江藤淳は三島の自決は彼に早い老年が来たか、さもなければ病気じゃないかと言いましたが、トルストイの死に
「細君のヒステリイ」を見て悦に入る自然主義作家のリアリズム、いかにも分かったような、人生の真相は
たかだかこんなものという「思想の型」によく似ているといってよいでしょう。
そういえば三島事件後、俗耳に入り易い江藤流の原因説が数限りなく出ました。(中略)
私はいっさい関心を持ちませんでした。「細君のヒステリイ」に原因を求めて安心する現代知識人に特有の
気質にいちいち付き合っている気にはなれなかったからです。(中略)
江藤さんは抽象的煩悶などにまったく無縁な人でした。生活実感を尊重する自然主義以来の文壇的リアリズムに
どっぷり浸っていた人でした。
三島の悲劇は分からない人には分からないのです。縁なき衆生には縁なきことが世にはままあります。
小林(秀雄)の「文学者の思想と実生活」の結びに近い個所に次のような言葉があります。
「思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに
離別しようとするところにある」
その通りだと思います。「思想の力」は理想と言い替えてもよいでしょう。私は次にみる同文の結語を読んで、
昭和十一年にこれを書いた小林秀雄がさながら三島の自決を予見していたかのごとき思いにさえ襲われたほどです。
「エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を
投じた。狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである」
一九七〇年代の半ば頃に、私はギリシア哲学者の故齋藤忍随氏にお目にかかる機会がたびたびありました。
三島事件は氏の関心事で、開口一番、三島はエンペドクレスですね、と言いました。エトナの噴火口に身を
投じたこの古代の哲人は、ヘルダーリンが歌い、ニーチェが劇詩に仕立てた相手です。
歴史の中には「狂人の愚行」としか思えない完璧なまでの正気の行動があるのです。
西尾幹二「三島由紀夫の死と私」より
>>893 あ、佃煮マニアがいる。哲学板では、どーもー。
>>903 齋藤忍随は三島をエンペドクレスにたとえたか。俺もとりあえず、たとえ話で
三島をたとえてみよう。三島に似てる人物として、トーマン・マンが書いた
「ファウスト博士」に登場する芸術家であるアードリアン・レーヴァキューンを
あげてみたい。彼は、悪魔との契約により、多次元の完全に組織され支配された
時間性を獲得する。しかし彼が芸術家として成功すればするほど、人間としての
彼の生活は悲惨なものになっていくと。
三島の場合も、悪魔との契約によって芸術家としての成功を手に入れたが、彼の
芸術家としての世界的名声が高まれば高まるほど、彼の内面はますます不幸に
なっていくという弁証法にからめとられているというわけだ。
905 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 00:23:00
しかし三島の死の動機を言うのは単純に成功したからと言うわけではなくて
死と引き換えに得る常人を超えた力に魅了されたのであり、確かに悪魔との
取引にも見えるがそれはそうではなくて極道のような物であり、またそれは
武死道の極みでもあるということなんじゃないかと思うわ。
三島に似た人物・・・レオナルド・ダ・ヴィンチだな。
三島が武士道にいれあげようと、極道に肩入れしようと、それで本人が幸福になれるなら
いいんだけどさw 内面的には、ますます不幸になっていっていることは、あまり疑う余地は
ないのではなかろうか。「果し得ていない約束」とか読むとさ。
ひとを不幸へと不幸へと追い詰めていく存在があるとすれば、それはきっと悪魔と
よぶにふさわしいw
908 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 00:32:57
>>907 確かになw
しかしそこには力があるんだわ。
よわい三島だったからこそ肩入れしまったんだろうな。
909 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 00:35:24
>>906 ダヴィンチやガウディ、ゴッホなど宗教的でのめり込んじゃうタイプだよな
。
910 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 00:36:14
そして三島や彼らに共通するのは神の存在だよ。
神は悪魔なのかな?
結局彼は、
@自衛隊に決起を呼びかけ軍事クーデターを起こさせる
A天皇を神に戻すが政治へは関わらせない
B軍事政権を暫定的に樹立→憲法改正
C文明開化以前のように庶民に刀を持たせる
D在日米軍を武力を用いてでも追い出す
E日本を米国の実質的軍事的植民地支配から解放させる
F在韓米軍追い出しにも助力する
というシナリオを描いたんだろうか?
>>909 ダヴィンチは知的好奇心から宗教的背徳行為を繰り返した。
彼は自身の知的好奇心に忠実で、自由奔放、だが、多くの宗教画を残すという仮面を被って生きた。
914 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/21(金) 00:42:28
チワーワ、チワワワーワワー。
915 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 00:45:13
>>911 描いてたんじゃないかなあ。
理想論としてはさ。
>>912 天皇と言う存在は三島からしたら神だけど、天皇の事が嫌いな
人からするとそれは悪魔のようなものなのかもしれない。
>>915 聖書を読んでも、神という存在は悪魔みたいな所業もずいぶんやるんだよねえ。
神と悪魔は、ひとつのコインの両面のような存在であるのかもしらん。
小林は江藤や安岡に諫められながら感じ方を変えていったけどね。常に変わっていく人だから。
西尾は遠望を脱して現実と均衡を取れないでいるバカ。
>>902の引用者は
>この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけが責任を背負ひ込んだ個性的な歴史経験の創り出したものだ。
・・・とりあえず同情したという心境がわからないのだろう。
>>903の引用者は余程頭が悪い。
918 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/21(金) 01:05:26
大体チワワの引用は引用芸なのだから許してやれよw
はい、キリーロフで説明してちょ
説明しろ
キリーロフにたとえたいの? 自分でやってくれよん。芸術家じゃないしなぁ
キリーロフって。 寺山修二が浅間山荘事件の犯人の誰かをキリーロフに
たとえていたが、そっちのほうが全然たとえの対象として適当なんだろう。
922 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/01/21(金) 01:19:42
Nとはあまり話したことがないな。川上スレッド見ているか? どう思う。
>>922 見たけど、まったく理解がおよばない。そもそも川上ってしらないし。
>>924 そんならおまえさんが「マシな芸」の見本をみせてくれってw
すでにおまえさんも舞台にあがってるんだから。
>>926 このスレだって、まだ74もレスできる余裕が残ってるってのにねえ。
ほれ踊れといいたいが、眠いのか? 寝オチかよ。
>>927 うるせえな。だいたいそいつに譬えるのはすでにダセーんだよwアホ
じゃ寝っから明日まで埋めとけ
>>928 「ダセー」とか子供みたい。だいたい「悪霊」のキリーロフもちだしたのは俺ではなく
手前のほうなのにねえ。人を非難するつもりで、自分のダサさ、馬鹿さをさらけ
出すというのは、普通にありがちな振る舞いではあるが。
930 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 02:19:37
三島自死の理由
@戦中のひけめを拭いたかった
A才能をもちあげられ夭折にあこがれた
B老いるのがとにかく恐かった
C書く気うせて死にたくなった
D時代が緊迫し、これにつけこもうと思った
Eカミさんの性格が意外とキツかった
F長男がバカだった
G家庭が嫌になった
H日本刀に振り回された
I自殺に大義を与え弱虫とバカにされないように
また若い同士に囲まれれば後には引けないよう追い込んだ
その他イッパイ
931 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 03:23:37
追加
J右翼が心底恐かったので見返したかった
Kノーベル賞の可能性が失せてがっかりした
L「どんでん」(=疑似ホモが中年に達して真正になること)
が来てヤバイと思った
その他イッパイ
932 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 08:02:38
キリーロフで説明…
いや、キリーロフが重要なんじゃなくて、キリーロフがピョートルに向かって
「君はどう思っているのか知らないけど、スタブローギン君は、あれは虚無主義者だよ」と伝えた。
だがピョートルは「え?何?意味不…キリーロフ君はちょっとキチ入ってるしな」と取り合わなかった。
ピョートルがスタブローギンにどこまでも底抜けに惚れていく。そしてピョートルはおかしくなっていく。
それをキリーロフは外側から風景のように眺めつつ、自身は自殺を考えていた。
スタブローギンが背徳的行為に出れば出るほど、ピョートルはスタブローギンに夢中になった。
虚無主義者に夢中になればなるほど、事変は拡大していく。
>>917 ただの同情じゃないよ。小林ははっきりと三島の死を「歴史」と呼んでるから。
>>930 いろんなこと言って三島の思想を否定したいのはわかるけど、無駄ですよ。そういう雑多を含めたとしても、
三島の理想や思想、宗教的感覚は少年期からあるのは明らかですからね。
イタリア最大の出版社の一つであるモンドダリは、二年後(投稿時2002年)に、三島由紀夫選集を出すことを
企画している。ローマ大学のマリアテレーサ・オルシ教授を編者とするこの選集の目的は、三島文学の美しさを
あらためてイタリアに紹介することにある。
その目標を達成するため、序文、解題と共に訳文の精確さが大切なポイントとして顧慮され、日本語からではなく
英語などから重訳されている作品も、今度は新しく日本語から直接翻訳される。
その中には…(中略)「鏡子の家」等も含まれる。この最後の作品は私の担当作品なので、少し考察したい。
周知のように、三島がひたすら情熱と才能を傾けて書いた「鏡子の家」は非常に評価が低かった。
予想を裏切る反応に作者は落胆したが、昭和42年にはこの小説を「自分の好きな作品」に数えている。
それにも関わらず、この作品はあまり研究の対象になっていない。評判が良くなかった理由は様々に書かれて
いるが、ここでは反論するよりも、私にとって興味深く、秀逸と思われるところをすこし分析してみたい。
「鏡子の家」は構成が見事である。その枠組みの中に、美しく表現力豊かな文章や隠喩がちりばめられている。
冒頭に〈みんな欠伸をしてゐた〉という、短いが意味深長な一文がある。
「みんな」に含められる登場人物たちは、生との関わりに困難をきたし、倦怠感に蝕まれている。
群小人物の光子と民子は倦怠を逃れるため銀座の美容院に行って満足する。
他の主要人物たちは自分の内面世界と外界との関係に支障をきたしている。
俳優志願の収は自分の身体を明確に知覚できず、身体と存在を同一視するに至る。画家の夏雄は突然視界が
消滅する出来事に遭遇して以来、絵が描けなくなるが、内面世界をより狭くすることで再び描けるようになる。
拳闘選手の峻吉は記憶空間のない生活を構築する。鏡子は自分の内面世界についてあまり考えないようにし、
友人たちの経験、思想に満ちている「家」に住んでいる。
マティルデ・マストランジェロ「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
しかし冒頭の「みんな」には、会社員である清一郎が意図的に挿入されていない。清一郎は一番俗世に混じって
生活している人物で、日本だけではなくニューヨークに住んでいる時も問題なく仕事環境に溶け込める。
しかしその能力は世界崩壊を固く信じることから来るものと言うべきである。
「鏡子の家」の完璧な構造では、鏡子が友人たちを追い出して自分の家を“閉める”という経緯が作品の
結びとなる。つまり小説の終わりと“家の終わり”が一致するのである。
そして冒頭と同じく、光子と民子はつまらなそうに「仕方なし」に銀座の美容院に行く。
三島の描写は暗示的で、しかも読者の目前に見えるような印象的なイメージが豊かである。
最も顕著で、優雅なイメージ操作は「鏡」をめぐるものであろう。
タイトルとなる女主人公の名前を始め、すべての人物にそれぞれ自分の「鏡」がある。
収は本物の鏡に映るとほっとするが、鏡より肉体を強く感じさせる女性と出会った時、その人間的な鏡と
死ぬことを決意する。
夏雄は自分の絵におのれを投影する。それゆえ、絵が描けなくなった時、一旦自分を見失う。
峻吉は力を自分の鏡とする。しかし喧嘩で手を怪我して拳闘ができなくなると、自分の鏡である力を右翼の
青年団に入って使う。
鏡子は自分を皆の鏡であると思いながら、他人を自身の鏡として使う。最後に娘と互いに映しあう鏡遊びで、
どちらが娘かどちらが母か、どちらが女らしい魅力と欲情をよりそなえているかわからなくなる。
ちょうど金閣寺が素晴らしく金色に輝く姿を鏡湖池に映すように、「鏡子の家」の人物たちは自らを
映す物なしでは生きられないのである。ひょっとしたら、作者も小説に自分を映したのかとも思われる。
登場人物に三島自身の投影が認められるかどうかは別として、隠喩やイメージが豊富で、とても面白く読める
作品である。
マティルデ・マストランジェロ「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
個性的であざやかな表現が多いので、翻訳する側はそれをうつし変える困難を何とか切り抜けなければ
ならないが、作者の力量や熱意がページごとに感じられる。
古典文学を翻訳するとき、イタリアの読者に伝えにくい雰囲気、理解しがたい習慣等がある。
しかし「鏡子の家」の場合、そのような難しさはなくて、例えばサルトル、モラヴィアを読んだ者には
感じやすい倦怠感もあり、場面がニューヨークになっているページもあるし、それほど遠い文化が感じられる
ところはないと言える。
ただ、完璧に文体の美しさを伝えることはやはり容易ではない。しかし、それは読者より翻訳者の問題であろう。
原文の美しさに感服しつつ、同レベルの文体の文章を作ろうと格闘中の私には、何故今まで「鏡子の家」が
訳されなかったのか不思議に思われる一方、その任を受けたことを幸いに思い、この作業がたいへん有意義な
経験となることが確信されるのである。
マティルデ・マストランジェロ「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
>>930 どれも三島のあのパフォーマンスの理由として不十分だな。
あんなパフォーマンスやらんでも、普通に処理しようと思えば
できる悩みばっかりだ。 評価はCだな。
>>932 キリーロフについての説明がでたけど、三島のミの字もないじゃない。
どういう風に三島をキリーロフに例えるのか、もっと詳しく解説してくれないと
何が何だか。レポートを再提出してください。
939 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 11:43:06
三島は虚無主義者スタブローギンで、キリーロフじゃない。
キリーロフは、スタブローギンに惚れ込んでしまい、おかしくなっていくピョートルらに、
スタブローギンが虚無主義者である事を伝えた。が、ピョートルらは、その意味がおそらく理解できなかった。
要するに三島は虚無主義者、ニヒリストだったと。はぁはぁ。
まあ、よくある解釈だな。 Bぐらいやっとくか。
941 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 12:03:26
三島は虚無主義者、スタブローギン。キリーロフはピョートルらに警告を発したが虚無主義者の危険性についての把握には至らなかった。
三島がスタブローギンなら、キリーロフは誰なんだと。 それを説得的に
たとえることができたら、B+をあげようw
943 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 12:18:49
分からないなら、仕方ないな。私も、実際に変な出来事に遭遇して初めて意味が分かったし。
はいはい誰をキリーロフにたとえるのか明示できないと。最初にキリーロフについての
説明から一連の流れがはじまったというのに。やっぱりBですな。
945 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 12:30:58
どうして君は、悪霊の中の登場人物に該当する人間が、役所として全員揃うと思い込んでしまったの?
946 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 12:33:50
ああ、そうか、君は機嫌が悪くて、このスレを行き交う人たちを挑発しているつもりでいたのか?
>>945 別に三島周辺の人間に悪霊の登場人物全員たとえろなんていってないが。
ただしこのスレでは、たとえるべき悪霊の登場人物として、スタブローギンと
キリーロフの名前があがっているのだから、最低限そのふたりを整合的に
三島周辺の人物にたとえる義務はあるんじゃない。「悪霊」と三島の関係を
比喩的に示したいならさ。
山の上ホテルと市ヶ谷駐屯地似てる
949 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 18:06:28
>>940 三島は真正なニヒリストなんだろうと思う。
普通の人は世界の滅亡は考えない。
950 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/21(金) 18:41:25
二本ほど何でも米国の言い鳴りに鳴る属国は無いで症ね〜(笑)安保(笑)思いやり予算(笑)一部移転費用(笑)機密費(笑)これらは増税と死て二本愚民が負担(笑)子供手当政策を御覧なさい〜(笑)
藁貸し増すねぇ〜(笑)
日米、思いやり予算の協定に署名
2011年1月21日(金)11時43分配信 共同通信
前原誠司外相とルース駐日米大使は21日午前、在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)について11年度から5年間現行水準を維持することを柱とした新たな特別協定に外務省内で署名した。
米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)に所属するF15戦闘機訓練の米領グアムへの一部移転費用を日本側が負担できる規定も盛り込んだ。政府は24日召集の通常国会に提出し、
年度内承認を目指す。
>>949 そうかなぁ、結構普通の人だって考えることはあると思うけど。
だいたい世の中うまくいかないことのほうが多いし、こんなに思い通りに
ならない世界なら滅んでしまえ!って、一度も考えたことない人間のほうが
珍しいんじゃないか。 世紀末にノストラダムスの予言はブームになったし
今度は2012年世界崩壊の予言が取りざたされてるよね。映画にもなるらしいし。
>>947 三島がスタブーロギン?三島は世俗にまみれた凡人でしょうに。
スタブーロギンの様な超越性が彼のどこに見いだせるんですか?
ちょっと無理矢理すぎます。
953 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/01/21(金) 18:46:10
「思いやり予算」特別協定、外相と米大使署名
2011年1月21日(金)13時35分配信 読売新聞
前原外相と米国のルース駐日大使は21日午前、外務省で、2011年度から15年度までの在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)を定めた特別協定に署名した。
新協定は米軍基地の娯楽施設の従業員の労務費を削減する一方、総額は3月に期限切れとなる現行協定の水準(10年度予算額の1881億円)を5年間維持する内容となっている。
>>952 ザリガニくんがそういってるんで、俺も三島をスタブローギンに喩えるのは
かなり無理があるんじゃないかなぁ、と漠然と感じているんだけどね。
>>953 まあ、今の民主党ならこんなものでしょうw
三島って、そんなにドストエフスキーやトルストイなどのロシアの小説に影響うけてる
ようにみえないな。 やはりドイツ系の文学からの影響が強いんじゃないか。
ヘルダーリンとか。三島のギリシャ趣味も近代ドイツにおけるギリシャ崇拝を
経由してるという印象だな。
で、近代ドイツにおいて西欧文明の根源としてのギリシャ文化というのが
崇拝されていたのだが、近年の研究によれば、その感情は西欧文明の
特権的淵源としてのギリシャを特権化したいという願望より来るところがかなり
大きいという。
それが近代ドイツ、近代西欧におけるギリシャ崇拝に内在する弱点であると
すると、三島もその弱点を知らず知らずに受け継いでた可能性はある。
村松剛によれば、三島のギリシャ熱もある時期から、ふっつり冷めたとか。
その弱点を自覚したせいでは、などと想像するのはさすがに穿ち過ぎかもなぁ。
>>949 古今東西の宗教家は世界滅亡や終末観を持つもの。特異な感覚ではないよ。
>>952 世俗にまみれた凡人なら、死なないで芥川賞の審査員でもやって文豪面しながら、コメンテーターでもやってるよ。
どこからどうみても凡人じゃないし。
959 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 19:58:17
うん、二人は社会学の自殺論から読まないと無理だと思う。
>>958 自殺したらそれだけで神聖化され崇められるという訳ですか?
ちょっと安直じゃないですか。
あなたは遺族の方ですか?
961 :
ザリガニ(臭):2011/01/21(金) 20:07:36
すごく不穏当な発言だけど、スタブローギンの悪戯三昧と懺悔の日々なんて三島と比べたらかわいいもんだよね。
それに、三島は哲学の影響を受容しない。考え方の一つとして参考にするだけ。
世の中には二通りの人間がいる。影響を受容する人間と放出してしまう人間と。
おやおや、ザリガニまだ引っ張る気? スタブローギン=三島説を。
なんか佃煮マニアが無理やりすぎっていってるのにw
963 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 20:15:57
だって佃煮さん、悪霊読んでないんだもん(笑)
私はドストエフスキーを全集で読んでいます。
ザリガニがそういうことほざいてますが、佃煮先生はコメントありますか?
966 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 20:19:56
じゃあスタブローギンの具体的にどこが超人的だと思いましたか?
おやおやだ。ザリガニあっさり茹で上がったな。まったく口は災いのもとだねw
悪霊を100回読んで下さい。
969 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 20:25:12
うーん…所詮埋めだけど、二人の精神勝利法が気になりますね。
佃煮が悪霊よんでるっていうなら、
>>963でもう詰みじゃない、ザリガニは。
971 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 20:27:54
ニヒリズムと言うのは、例えば今の日本を見てめちゃくちゃに壊してやりたいと思ったり
明治の時のように維新して一から新しい天皇王権を確立させたいと思う事では?
三島が何か神聖なる意志によって吐き気のするような破壊活動をしましたか?
たんなる無難なホモセクシャルでしょう、彼は。
スタブローギンと比較しても、自殺をしたという一点しか共通点は見当たりませんよ。
973 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 20:28:56
じゃあ、キリーロフに口利きしてあげて仕事を紹介した登場人物は誰でしょう?
>>960 自殺したからじゃなくて自殺するまで自分の信念や美意識を貫いた時点で凡人じゃないし。
>>972 神聖なる意志によって自殺してますよ。三島の少年期からの美意識、宗教観からそれは自明です。
何一つ知らないあなたにはそう見えないだけで。
>>972 三島とスタブローギン、同じく自殺したとはいえ、自殺のやりかたがだいぶ違うね。
三島は悪霊を読んだのですか?カラマーゾフしか読んでいないんじゃないでしょうか。
そもそもニヒリストが死を選ぶという発想がよくわからないのですが。
対談相手にも馬鹿みたいな威圧をして精神的優位を勝ち取ろうとしていた幼さや、
恋人に抱かれて少女のような喘ぎ声を上げるといったひ弱さは、余りに人間臭く、
スタブローギンの氷のような属性とはまったく相容れないものです。
978 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 20:47:24
はいはい、意地悪して悪かった(笑)
ザリガニにとっては、名場面なんだ。
「君は鉄道を建設したいと考えながら…同時に爆破したいと考えるのかね?…ウラー!」
979 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 20:47:56
980 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 20:48:46
捨て台詞は敗北宣言と同義。
やっぱ佃煮先生に議論で勝てる奴はいないな
>>977 スタブローギンはニヒリストなのになんで自殺を…
983 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 21:01:03
昔の日本人にあった民族的な共同価値が消え、それはモダニズム的なアメリカ文化の価値観に
入れ変わったことで心体のバランスがあわなくなった。
鏡子の家はそういう戦後日本のそういう現状を目の当たりに書いた作品ではないだろうか?
984 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 21:02:24
>>977 自己と文化を同一的なものとして融合させてんだよ。
それが壊れるときは夢の崩壊や家族の崩壊と同じ。
そして死を選ぶ心境に陥る。
985 :
吾輩は名無しである:2011/01/21(金) 21:03:15
そして、それはもう一つ言えば家族を殺されたものが復習に走るような真理と似ている。
>>977 三島は対談相手に威圧的態度なんか全くしてませんよ。逆に相手に合わせているほどですけど。あなた一つも対談読んでないね。
「抱かれて少女のような」とかいうネタも福島本がネタ元の嘘か本当か不明のネタだし、そもそもそれは福島が抱かれてる側ですよ。
たいして三島の本もネタ元本も読んでないで、でたらめ言ってる時点で、あなたに三島わああだこうだ決めつける資格ないよ。
>>982 そこが謎ですよね。
ニヒリストなら自らの生をも放置するはずなのです。ということは自殺を選ばないということです。
究極のニヒリストであるニーチェの例をとれば、彼は淫蕩の果てに脳梅毒にかかり発狂して絶命しました。
>>981 マンネリのみえすいた自己賛美自演しなくていいよ。
>自らの生をも放置するはずなのです。ということは自殺を選ばないということです。
これは無理のある論理だろう。 自らの生が無価値と認定するから自殺だろう
おそらくニヒリストの場合は。
>>986 それは三島に肩入れしすぎた見方でしょう。
ニヒリストが観光地のホテルに住み込んで豪遊したりしますか?
文壇の魑魅魍魎の集まるパーティに顔を出しまくったりしますか?
十分に俗っぽいでしょう。
>>990 ニヒリズムとはかんたんに言うとなにもしない主義ですから、
観衆を集めて日和った演説をし、わざわざマスコミに話題をふったうえで
滑稽なパフォーマンスとしての自殺なんていうわざとらしい事はしません。
また何の祭りだよこれは
>>991 ニヒリズムというのも、いろいろとヴァリエーションあるから
俗っぽさに満ちた空虚で騒々しいニヒリズムってのもありうる
かもね。
三島自身、そういう様々なパフォーマンスはすべて空虚、という
結論に最後は達したのかもしれない。
994 :
ザリガニさん(臭):2011/01/21(金) 21:42:31
虚無主義者の自殺はアノミー的自殺と定義されている。
>>993 つまりキリロフのニヒリズムが最後ズダボロになったと?
>>995 まあ、三島も戦後の日本社会と対決しつづけてズタボロになったとは
いえるかもなー。 んで、キリーロフの自殺は自らの思想の証明であるんだが
キリーロフと三島が似ているなら、三島の自死も何かの証明かもしらんね。
>>991 いや、三島が人にとても気をつかう人で、対談も充実したものになるように相手の興味にある程度合わせている態度は、
対談した人々が証言してますからね。
>>991 虚無主義が何もしない主義・・・ではないんだわ。
全てのモノや人に価値を見いだせなくなる。自分自身も含めてね。
佃煮マニアは少し足りない子
三島には美学があったから虚無ではない
1001 :
1001:
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