1 :
吾輩は名無しである:
三島は金をかせぐためにたくさんの「中間小説」を書き捨てているが、
そのなかにも汲むべきものがあるはず。
個人的には「幸福号出帆」とか「恋の都」がすきです。
「幸福号出帆」
「肉体の学校」
「愛の疾走」
「恋の都」
「命売ります」
「女神」
「純白の夜」
「夏子の冒険」
「お嬢さん」
「にっぽん製」
「夜会服」
「複雑な彼」
幸福号出帆はすごく読みやすいよね。そして確かに面白かった。
にっぽん製、愛の疾走がよくできてると思う。
純白の夜は、美徳のよろめきと同じくらいの力作なのに今まで文庫になってなかったのが不思議です。
6 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 16:05:36
こういうスレッドを立てるとチワワがくる。チワワを完全に駆逐することをたくらんでいる俺からすると、奴の自演と思えてしまうんだよな。
7 :
吾輩は名無しである:2010/10/15(金) 16:25:24
エンタメ小説だから軽く書き流したものが多いけど、
それにしても「お嬢さん」(角川文庫)の手抜きはちょっとひどすぎると思ったw
ほとんど取材らしい取材もしないで書いたのがまるわかり。
「鏡子の家」の評価低かったのでショックをうけてたかな。
>>7 取材? いったい何をそんなに取材にこだわる必要があるの?
毎度の何の説得力のない的外れの適度なハッタリご苦労さまでした。
>>6 ちなみに自演じゃありませんよ。
アンチ三島ハッタリの読解力のないあんたにはすべて自演にみえるんでしょうよ。お大事に。
10 :
吾輩は名無しである:2010/10/15(金) 19:39:24
美徳のよろめきはよかった。
8-9
の連投はどう見ても自演だろうが、いい加減語彙数増やせよ。
地頭の悪さは目をつぶるにしても語彙くらいは努力して増やせ。
三島読みはホントくだらねえ。
12 :
吾輩は名無しである:2010/10/15(金) 20:48:32
三島が純文学という観念を信じていなかったということは
彼の批評精神の表れだよな。
芥川賞選考委員の宮本が中間小説しか書けないのに、純文学を
信じているのとは対称的だわなw少なくとも、信じているフリを
してるw
13 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 23:00:05
チワワは糞のような奴だからな。信者というのはどの作家にせよ危険だ。
14 :
吾輩は名無しである:2010/10/15(金) 23:06:44
227:吾輩は名無しである :2010/10/15(金) 18:23:00 [sage]
136:武陽隠士◆UCfK2Lx59s :2010/09/30(木) 22:25:08
【おことわり】
マグナ◆i.K3ZM.pZo=( ̄ω ̄)獲る狸◆ycr5A7VfSw =ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介◆m0yPyqc5MQ=(o`.´o)=?コテハン=ときどき名無し
>>11 ただ連投しただけのことが自演になるの?
バカじゃないの、あんた。お大事に。
チワワあっち行ってろ
17 :
吾輩は名無しである:2010/10/16(土) 01:48:12
>>2 「永すぎた春」もいれるべきだな。
>>8 なんか意味もわからず罵倒されたけど・・・もめているひとたちとおれは関係ないから。
ともかくおれが言いたいのは、
三島が明らかに「お嬢さん」ではネタを仕込む手間を惜しんでいたこと。
そのせいかちょっと悪い意味で現代的などぎつい感じになっている。
出来のいいやつは、小洒落たいいネタを仕込んでいる。オペラと密輸とか、ジャズバンドとか。
…ああ、まただw シモネタすぐるwww
――には。――だけに。〜コンタクトレンズ♪
19 :
吾輩は名無しである:2010/10/16(土) 11:08:03
「三島由紀夫と蕗谷虹児=うたと講演のつどい」
11月6日(土)午後6時半より
新潟県新発田市 生涯学習センター
第1部 ソプラノ歌手の柳本幸子さんによる「三島由紀夫と蕗谷虹児の世界を歌う」
第2部 講演「三島由紀夫と蕗谷虹児=一枚の挿し絵にこめた想いとは」
こう見ると、三島は自分では見かけによらず源氏鶏太みたいな
軽快なユーモア小説というかペーソス溢れるものを書きかったみたいだが、
文体が例によって重苦しく鬱陶しいものだから成功してないなw
天は二物を与えず、ということか。
>>20 一連のエンタメ作品ではペーソスは目指してないと思う。
レター教室、にっぽん製はコミカルで面白いよ。
te
23 :
吾輩は名無しである:2010/10/26(火) 00:03:11
幸福号出帆
角川書店文庫から発売
24 :
吾輩は名無しである:2010/10/26(火) 01:45:05
>>2『女神』は、うんうん!
『愛の渇き』⇒根性悪いけど、なんか好き。杉本悦子
『雛の宿』
25 :
吾輩は名無しである:2010/10/26(火) 05:36:09
幸福号は集英社文庫→ちくま文庫→角川文庫ってことか。
26 :
吾輩は名無しである:2010/10/26(火) 05:43:41
『幸福号出帆』に続き、『愛の疾走』も来月に角川文庫からでるな。
ちくま文庫が出版の権利を手放したかな。
27 :
吾輩は名無しである:2010/10/26(火) 05:47:31
中央公論からでたばかりの『三島由紀夫と戦後』というの特集号で、
松浦寿輝が、なんで『夏子の冒険』みたいなものまで三島は律儀に書く必要があったかって呆れている。
>>27 その人は三島由紀夫が嫌いで悪口ばっかり書いてる人だよ。
29 :
吾輩は名無しである:2010/10/26(火) 14:10:55
>>28 でもいま三島が気になってしょうがないらしく、
もし三島が生き延びていたらって想定で連載小説かいているらしい。
三島は平岡老人としてでてくるのだとか。
30 :
吾輩は名無しである:2010/10/26(火) 15:55:46
しかし他の三島板で基地外みたいにコピペしているやつなんなの。
アク禁にしろよ。うざい。
31 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/26(火) 16:02:51
単に好きか嫌いでしか図れない奴だからな、チワワは。確かに松浦は嫌な奴だが。
32 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/26(火) 16:03:45
>>30 それがチワワだ。基本的にsageで特徴のある文体だからすぐに分かる。
33 :
吾輩は名無しである:2010/10/26(火) 17:23:51
糞コテ自演始まったお
34 :
吾輩は名無しである:2010/10/26(火) 18:36:53
三島由紀夫の中間小説と純文学小説の中間をとる小説を語ろう
35 :
吾輩は名無しである:2010/10/26(火) 21:36:21
具体的には?
『美しい星』とか『音楽』とかか。
36 :
吾輩は名無しである:2010/10/27(水) 23:42:13
別冊太陽とか中央公論の三島特集号がでているが、
いずれにもコメント寄せている石原慎太郎がとにかくムカつく。
作家として三島の鼻毛にも及ばないくせに、何偉そうに批判しているの。
豊饒の海が退屈で読んでられないとか。
脳みそがニュー速のネトウヨ連中とレベルがかわらん。
>>36 きっと、批判して三島より上に立ったつもりになりたいんだよ。
38 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/28(木) 00:38:10
チワワw
三島の晩年の評論に、「石原慎太郎への公開状」っていうのがあって、石原のことを批判してたのがあるから、
きっとそれを根に持ってるのかもね。
40 :
吾輩は名無しである:2010/10/28(木) 04:09:27
ついに『幸福号出帆』を4冊ももつことになってしまったw
集英社文庫、ちくま文庫、角川文庫、そして新潮社全集の第5巻。
こんだけみれば、どれほどの名作かと勘違いされるな。
解説陣はそれぞれ、磯田光一、鹿島茂、藤田三男。
41 :
吾輩は名無しである:2010/10/28(木) 12:33:29
新潮文庫にない短編や戯曲も角川文庫から出してほしいな。
42 :
吾輩は名無しである:2010/11/06(土) 07:49:16
『肉体の学校』って、エンタメにしても、かなりストーリーが陰惨になっているな。
特に男の描き方が。三島のニヒリズムが感じられる。時代的なものかもな。
しかし逆にニューハーフの描き方が生き生きしているのがおもしろかった。
43 :
吾輩は名無しである:2010/11/07(日) 00:23:31
三島由紀夫は勤勉な作家だった。たとえばそれは、敗戦後の日本が焼け跡から回復して高度成長を実現し、
「東洋の奇跡」と呼ばれる戦後復興をなしとげたことを思わせるようなきまじめでひたむきな勤勉さだった。
(中略)戦後日本の復興期にそのまま重なっている。その意味で三島由紀夫は、作品に見られる反戦後的な
美学や日本の欺瞞に対する批判的な視線にもかかわらず、きわめて戦後日本的な作家である。
そのことにまつわる伝説も多い。
なにより作品を書く時間を大切にしていた三島由紀夫は、知人との会食や宴席などでどんなにお酒が入って
楽しく談笑していたとしても、かならず夜11時までには切りあげて帰宅し、執筆の時間をつくったという。
田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より
44 :
吾輩は名無しである:2010/11/07(日) 00:24:51
私小説作家のように怠惰であることをひそかに誇ったり、サラリーマン社会のあわただしさに反感をもったり
している日本の文壇の雰囲気から見て、その態度はひときわ異彩を放っている。昼間は官僚として軍医総監という
激務をつとめながら深夜に執筆していた明治期の森鴎外のように、敗戦後の日本に生きた三島由紀夫はおそらく
自分が原稿用紙に記す一字一字が戦後日本をつくりあげていくという使命感をもっていたのである。(中略)
そして敗戦から60年以上がすぎて、戦後日本のあり方が風化しつつある21世紀において、次に新しい読み方を
待っているのは三島由紀夫の勤勉さが惜しげもなく注がれた純文学としての短編や長編ではなく、むしろ
その余白に生まれて気軽に書かれた娯楽小説ではないだろうか。たとえば1967年に刊行された『夜会服』も、
その一冊である。(中略)
田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より
45 :
吾輩は名無しである:2010/11/07(日) 00:26:04
「俊男」という、どこか虚無的でありながら近代社会における万能の力をもっているように見える男性の魅力は、
日本の近代化の矛盾を体現するかたちで造形されているところにある。(中略)
こうした「俊男」の造形に、三島由紀夫の自己イメージが投影されているのは間違いないだろう。(中略)
あるいは「俊男」を描きながら、三島由紀夫は戦後日本という「夜会服」の世界から出ることができず、本音を
隠して建前をなぞるかのように生きざるをえない自らの存在の悲哀を深く感じていたかもしれない。
注意深く読めば、そうした現実的すぎる悲哀を和らげる場面が『夜会服』にいくつかあることに気づく。
一つは日本が模倣しなければならないはずのヨーロッパやアメリカの人々が、醜悪で滑稽なものとして描かれて
いることである。(中略)日本人が日本語で読むかぎりは気がつきにくいが、世界性をもつ作品ではありえない
書き方だろう。
田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より
46 :
吾輩は名無しである:2010/11/07(日) 00:27:37
もう一つは日本の天皇家につらなる「宮様」が出てくる場面である。(中略)「俊男」の本音を聞き届けてくれる
「宮様」の存在である。そこにはおそらく、戦前の二・二六事件と敗戦後の人間宣言によって昭和天皇に対して
生涯屈折した感情を抱きつづけた三島由紀夫が夢想した、戦前から戦後へと変わらずにつづく近代化という建前を
強いられる世界において日本人の本音を守ってくれる天皇という、理想的なイメージが投影されている。
こうして本音をさらけ出した心の避難場所を愛すべき娯楽小説のなかにつくりながら、現実に三島由紀夫が
辿りついたのは1970年の割腹自殺だった。「俊男」とその孤独を理解する「絢子」の「愛」が成就される
『夜会服』の甘すぎる末尾がわたしたちに突きつけるのは、そうしてひとりのすぐれた作家を自死させてしまった
日本の現実に欠けていたものはなにかという問いである。
田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より
47 :
吾輩は名無しである:2010/11/08(月) 22:32:30
田中和生は史上、最も頭の悪い文芸評論家である。
まったく、驚くほど彼は頭が悪いのだ。
48 :
吾輩は名無しである:2010/11/09(火) 06:04:11
夜会服の読後感はいいね。嫁と姑が最後に和解するところが。
しかしこの嫁姑の対立って、実は三島の家庭の内情の反映だったりして。
49 :
吾輩は名無しである:2010/11/09(火) 07:28:23
「愛すべき三島由紀夫の避難場所」とは、田中和生自身の
避難場所なんだなw
無論、田中が愛すべき人物とは程遠いのも事実だがw
50 :
吾輩は名無しである:2010/11/09(火) 20:46:40
『百万円煎餅』の若夫婦はおばさんたちの前で何をしたんだろう?
>>47 気に入らない評論書いた人は史上最悪に認定するんですね、わかりません。
>>50 性行為です。
52 :
吾輩は名無しである:2010/11/10(水) 08:07:57
>>51 「中間」や「避難」という用語に田中という人間のエッセンスが
詰め込まれてると思わないか?
田中が文芸批評家のボーダーラインの頭脳を持ってないことは、
すぐに分かるはずなんだがな。この意味で彼は「域外」の人であって、
「中間」では毛頭なく、「中間」に憧れるのも当然なんだな。
文壇の「中間」に潜り込んで、そして、その中の何処かに「避難場所」を
見つけて、ほっとしたいという田中の深層心理の現れなんだなw
53 :
吾輩は名無しである:2010/11/12(金) 02:42:17
「わたしは以前から、《本来の》小説家とは即興の話ができる人、
しかもその話で暑い二等列車の乗客たちをすっかり惹きつけることができる人だ、という考えをもっている。
それは、今日の偉い作家たちの余り多くをさらしたくない試練ではある。」(G・スタイナー)
三島にはこういった側面があったとおもう。
三島の中間小説や短編をよむとそう思う。
もっとそういう面をだしていってもよかった。
愛の疾走
角川文庫から11月25日発売ですね。
55 :
吾輩は名無しである:2010/11/18(木) 15:52:20
>>54 なんと三島の命日を飾るにふさわしい大傑作をw
三島も天国で哄笑するだろな。
美しい星はsf
新潮文庫で絶版にされた「三島由紀夫十代書簡集」も角川文庫でおながいします〜
58 :
吾輩は名無しである:2010/11/22(月) 02:49:44
愛の疾走って諏訪湖が舞台なんだよね。
海からロマン的な凶暴なインスピレーションを得るのを常とする三島の想像力は、
このこじんまりとした湖を舞台に、卑小で小市民的な物語を紡いだ。
この作品は、小説家としての三島自身の戯画なんだな。
「三島由紀夫レター教室」
当時のショートケーキの物価とかTV番組とかが分かってすごく面白かった。
あと招待を断るときのマナーとか結構勉強になった。
三島はこういう軽快なコメディっぽい小説も書く人なんだね。
もっとシリアルな内容をこの構成でもってきても成功したんじゃないかな。
シリアルはコーンフレークに限るよね
失礼、シリアスでしたw
62 :
吾輩は名無しである:2010/11/26(金) 21:23:42
愛の疾走の解説って横尾忠則だった。
63 :
吾輩は名無しである:2010/11/27(土) 11:18:13
愛の疾走 キャスト
修一:ハンカチ王子
美代:佐々木希
田所:加瀬亮
64 :
吾輩は名無しである:2010/11/27(土) 11:22:48
間違えた、訂正
愛の疾走 キャスト
修一:ハンカチ王子
美代:佐々木希
大島:加瀬亮
65 :
吾輩は名無しである:2010/11/27(土) 11:39:05
レター教室 キャスト
丸トラ一:タカ&トシのタカ
66 :
吾輩は名無しである:2010/11/27(土) 11:46:12
潮騒の安夫:オードリー春日
67 :
吾輩は名無しである:2010/11/27(土) 11:49:02
行商人:渡辺陽一
68 :
吾輩は名無しである:2010/12/01(水) 00:51:46
愛の疾走もそうだし、絹と明察でも、
貧しい恋人同士が、野外で初めて結ばれるっていうシーンがあるよね。
いまだと考えられないな。
>>68 「影」という短編も、ナンパして野外で場所を見つけようとしてるよ。
アベックを自分の宿に無賃で泊める親切な怪しいおじいさんの面白い短編でした。
70 :
名無しさん日:2010/12/01(水) 10:59:47
71 :
吾輩は名無しである:2010/12/01(水) 15:06:31
>>36 なぜか、石原は三島となるとムキになって矮小化したがる
宮崎正弘「ミシマのいない平成元禄」より
72 :
吾輩は名無しである:2010/12/01(水) 15:16:05
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-256.html 「夜郎自大」という表現を石原に対して用いているのは、俵孝太郎さんだけではない。佐野眞一さんが書いた
『てっぺん野郎−本人も知らなかった石原慎太郎』にも、石原を「夜郎自大」だと批判する箇所がある。
それは、三島由紀夫と石原の確執を描いた部分である。
この本によると、石原は、一方で三島由紀夫を崇拝するような文章を書いておきながら、三島との交友を回想した
『三島由紀夫との日蝕』などの中で、三島の生来の運動神経のなさや、ボディビルで促成栽培した人工的な肉体などを
容赦なくカリカチュアして、不必要なほど辛辣に笑いものにしているそうだ。
73 :
吾輩は名無しである:2010/12/01(水) 15:18:53
この『三島由紀夫との日蝕』の中で、ナント石原は、本当は三島は政治家になりたかったのだが、自分に先を
越されてしまったのでずいぶんむくれていた、佐野眞一さんの表現を借りれば、『自分に政界入りの先を越されて
しまったから、三島は世をはかなんで自決した、といっているのも同然』の書き方をしているという。
実際にはどうだったかというと、佐野さんは辻井喬(セゾングループの実質的オーナーだった堤清二のペンネーム)の
述懐を紹介している。それによると、佐藤栄作が三島に政界入りを誘ったが、三島には政界入りする気はなく、
佐藤の無礼な勧誘の言葉に怒り狂った三島は、『もう、あんた(佐藤)とは会わない』と言ったという。
つまり、石原の文章は石原の勝手な妄想に過ぎないのである。佐野さんは、以下のように書いている。
74 :
吾輩は名無しである:2010/12/01(水) 15:22:04
三島の政界進出話に関しては、自分に都合のいい推論だけで重ねた慎太郎の述懐より、辻井氏の語る一連の証言の方が、
三島のプライドの高さから見ても、ずっと真実に近いように思われた。
それにしても、三島の名誉を貶してまで自分の政界進出を合理化しようとする慎太郎の精神構造は、子供っぽさを
超えて不気味である。
慎太郎の論理の特徴は、自己を正当化するためなら、事実を自分の都合のいいようにねじまげても構わないと
考える我田引水と夜郎自大の習性が、随所ににじみでていることである。
(佐野眞一 『てっぺん野郎−本人も知らなかった石原慎太郎』=講談社、2003年=より)
75 :
吾輩は名無しである:2010/12/01(水) 16:45:06
三島のどこを読んだって、政界に色気があったってことは絶対ないよな。
政治に興味もつこと=政治家になることでないのは明らかだろ。三島において。
三島において政治への興味は、たとえばサドやヒトラーにおけるような、
仮借ない人間論の論理からであったとおもう。
76 :
v(≧∇≦)v イェェ〜イ♪すずき ◆Qu7nbnyIIo :2010/12/01(水) 17:07:14
v(≧∇≦)v♪ <セイジカってブンガクもセイジにするんだよお〜、チューカ人もだよおっw こわい〜
本当に最悪の人間だよね石原慎太郎って。こんなクズが権威としてのさばってる以上絶対に日本は良くならないわ。
78 :
v(≧∇≦)v イェェ〜イ♪すずき ◆Qu7nbnyIIo :2010/12/01(水) 17:34:26
v(≧∇≦)v♪ <うんとね、おじーちゃんていじめちゃいけないんだって。おじーちゃんはよぼよぼだからね、だって。いえーい♪
79 :
吾輩は名無しである:2010/12/01(水) 22:16:36
>>77 慎太郎の夜郎自大の嘘っぱちなんかもうみんなバレてるのに、いまだに自分を三島より上に見せるためにチンケな嘘ついてて本当あきれるよ。
私は保守だけど、どうしても好きになれないんだよね、この人。政治思想以前に人間として嫌い。
ていうかこんなのが保守とか呼ばれるの間違ってるよ。単なるポーズじゃん。皇居をライトアップしようとした話とか本当ふざけんなって。
81 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 00:01:58
>>80 信念とか思想自体がないのかもね。政治討論や白熱した議論してるの見たことないし。
晩年三島も、期待はずれで慎太郎に忠言してる様子が対談や、「石原慎太郎への公開状」って文章に出てる。
ないよね。どう見ても単なる守銭奴でしょう。右翼の人はあんなバカに騙されちゃダメだと思うよ。
83 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 10:46:41
三島由紀夫が生きてたら、慎太郎をモデルにした嫌な人物を織り込んだエンタメ書いたかも。
名前は「狡太郎」
84 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 13:21:33
美しい星にでてくる悪い保守政治家のモデルは中曽根らしいな。
85 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 14:50:33
>>84 三島がそう言った記述は見たことないけれど、晩年中曽根を心よく思ってなかったのは事実のようですね。
元自衛隊幹部の山本氏へ三島が出した手紙に、閣僚会議で採用されることになっていた三島の論文が、
中曽根が阻止して中止にされたことが書いてあります。
86 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 16:34:36
>>85 全集のあとがきみたら、美しい星の創作ノートにちゃんと書かれているよ。
87 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 17:01:32
>>86 そうなんだ、気づかなかった。教えてくれてありがとう。
88 :
吾輩は名無しである:2010/12/02(木) 17:18:26
中曽根ってやっぱりユダヤ、キッシンジャーの手先なのかな。
>>81 >信念とか思想自体がないのかもね。政治討論や白熱した議論してるの見たことないし。
ずーと前だがTVで小田実と激しく言い合ってはいたよ。
議論というほどのものではなかったけどw
一番大事なものは何か?
小田「命だ、人命だ」
石原「違う、魂だ」
まるでケンカだったw
何から何まで虚飾ですよ。大嘘つきですよ。何が魂だって。お前にそんな上等なもんはねえよ。
91 :
吾輩は名無しである:2010/12/03(金) 11:27:17
石原慎太郎は都政を実行できる立場にいるんだから、口だけでなく朝鮮学校認可取消をしてください。
イギリス指令の漫画エロ取締りよりも先に、やることがあるでしょうよ。
92 :
吾輩は名無しである:2010/12/08(水) 17:36:45
石原「違う、人魂だ」
2次元バカ「ウラメシヤ〜」
94 :
吾輩は名無しである:2010/12/11(土) 00:37:01
命売ります キャスト
はにお… 向井理
95 :
吾輩は名無しである:2010/12/12(日) 10:14:55
柴田錬三郎『柴錬ひとりごと』(中公文庫)より引用
石原慎太郎が、人気作家として売り出したまっ最中に、私に云ったことがある。
「僕は、これからの作家は、行動することによって、作品を書かねばならないと思います。某ホテルの受付の娘を、
僕は、ヨットに乗せて、沖へ出て、セックスをやり乍ら、彼女に思いきり官能の叫びを、海原へひびかせてみたいのです」
私は、阿呆らしくて、返事をしなかった。(中略)そのくせ、かれは、ゴルフをやっている際、自分が何番ホール目かで、
スコアを崩すと、パートナーに対する配慮などみじんも持たず、一人さっさと中止して、帰ってしまった。
(中略)代議士となった石原慎太郎の面相が、もはや文学者のものではなく、暴力的ないやしさをむき出しに
しているのは、本性の正体を示している。こういう‘行動‘派に、権力を与えると、たちまち、「今太閤」とは
別の意味で、自己顕示欲の権化となるのではあるまいか。
帰る!帰る!ってのは糞原慎太郎の口癖だもんな。
97 :
吾輩は名無しである:2010/12/12(日) 16:42:00
「余人をもって代え難かったら、どんな人間でも使いますよ、私は。東京にとってメリットがあったら。
当たり前の話じゃないですか、そんなこと!」
11月24日に都庁であった定例記者会見。記者の質問が、四男で画家の石原延啓氏の問題に及ぶと、
石原慎太郎知事はいつにも増して気色ばんだ。
ことの発端は共産党都議団による調査。延啓氏が都職員らとともに03年3月に訪欧した際、費用55万円を都が
全額負担していたことが明るみに出たのだ。
この海外出張直前、延啓氏は都の若手芸術家の支援事業「トーキョーワンダーサイト(以下、TWS)」に
助言する芸術家として、都からアドバイザリーボード(外部委員)の委嘱を受けていた。共産党都議団のスタッフはいう。
「都の文化施設の予算が軒並み減らされるなかで、知事がトップダウンで始めたTWSだけが、4年間で補助金が
8倍以上に増えている。この特別扱いの裏で、民間人の息子を不明朗な形で事業にかかわらせ、公費で出張まで
させていた。まさに都政の私物化です」
98 :
吾輩は名無しである:2010/12/12(日) 16:43:32
石原知事といえば、やはり共産党の指摘で、自身の海外出張時の豪勢さが明らかになったばかり。ロンドンや
ワシントンの一流ホテルで都の規定を大幅に上回る高額の部屋に泊まり、ガラパゴス諸島では1泊13万1000円で
大型クルーザーに4泊していたというのだ。
99 :
吾輩は名無しである:2010/12/13(月) 23:08:41
石原チン太郎をモデルにしたエンタメを三島に書いてほしかった。
100 :
吾輩は名無しである:2010/12/14(火) 01:06:09
三島に憧れて、三島を嫉妬して、三島の影におびえる
三文文士の成れの果て慎太郎
101 :
吾輩は名無しである:2010/12/18(土) 00:09:47
『くそくらえ節』(1968年)
作詞・作曲・歌 岡林信康
ある日 おエラい小説家 選挙に立ってこう言った
青年の国 作るため わたしゃ文学捨てたのよ
甘えるなこの野郎 甘ったれるなこの野郎
弟つれて選挙やるなど ジジィのやることだ
102 :
吾輩は名無しである:2010/12/18(土) 12:52:04
石原慎太郎のスレ、立てようよ
103 :
吾輩は名無しである:2010/12/18(土) 13:09:32
>102京都のひとってばかなの? なぜ政治家と文学者の違いも見分けえないの?
,,,,,,,,,,,,,,, こどもでも読める棚に『完全な遊戯』(精神障害者をレイプする内容)を置いて
/ ,,,, ,,,,\ 日本の歴史を作ってきたのは常に西の人間。
http://himo2.jp/3046900 | ^ ^ |
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/ ,,,, ,,,,\ 日本の歴史を作ってきたのは常に西の人間。
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104 :
吾輩は名無しである:2010/12/18(土) 19:34:27
百ワットの裸電球を、田毎の月みたいに、それぞれのガラスの蓋にまばゆく映して、佃煮や
煮豆の箱がいつぱい並んでゐる。福神漬のにほひがする。そぼろ、するめ、わかめ、
むかしの日本人は、粗食と倹約の道徳に気がねをして、かういふちつぽけな、あたじけない
享楽的食品を、よくもいろいろと工夫発明したものである。
正義を行へ。弱きを護れ。
自分が若いころ闊歩できなかつた街は、何だか一生よそよそしいものである。
とにかく人生は柔道のやうには行かないものである。人生といふやつは、まるで人絹の
柔道着を着てゐるやうで、ツルツルすべつて、なかなか業(わざ)がきかないのであつた。
人生つて、右か左か二つの道しかないと思ふときには、ほんの二三段石段を上つて、
その上から見渡してみると、思はぬところに、別な道がひらけてるもんなのよ。さうなのよ。
人間には、自由だけですまないものがある。古い在り来りな、束縛を愛したい気持もある。
三島由紀夫「につぽん製」より
105 :
吾輩は名無しである:2010/12/21(火) 10:39:27
106 :
吾輩は名無しである:2010/12/21(火) 15:42:02
午後の曳航もほんとは生体解剖の生生しいラストがあったんだよね。
ホントはいちばん書きたかったのはそこだって澁澤にいっている。
三島には相手の趣味に合わせて話しを合わせる部分もあるからね。
108 :
吾輩は名無しである:2010/12/22(水) 00:06:35
実際に原稿もあったそうだ。
堂本正樹が読んだと証言している。
109 :
吾輩は名無しである:2010/12/22(水) 05:36:48
堂本はこう書いている。
「その残酷な解剖の描写は、輝く海洋や珍しい異国の風物の比喩が沢山で、
さながらアラビアン・ナイトの物語のように酔わせた。
陰毛は真珠貝を包む海藻、男根や亀頭は回教寺院の円塔や屋根となって、
金色の夕陽に燦然と煌きながら裂かれ、剥かれる。
荘厳なる崩壊による完成。」
つづきの原稿があったことは三島が述べてるから事実だろうけど、堂本のそれが本当か、ただの空想かは確かめようがないよ。
つづきの原稿があった、っていう三島の記述を見て、それに乗っかって堂本が作った作り話かもしれないし。
>>109 もし本当だとして、三島が描写したら、もっといいものになってるんだろうけどね。
>>101 いいこと言うなあ〜しかも1968年に…
113 :
吾輩は名無しである:2010/12/30(木) 20:16:27
いくら乱れた世の中でも、一本筋の通つたまじめな努力家の青年はゐるもんだよ。
結婚といふものは長い事業だからね。地道に着々と幸福を築いてゆける相手を探さなくちやいかん。
よくこんな経験があるものだ。十年も二十年も前に、たとへばピクニックに行つて、一人だけ
群を離れて、小滝や野の花の茂みのある静かな一劃に出てしまふ。そのとき何となく、
意味もなく口をついて出た言葉が、十年後、二十年後になつて、何かの瞬間に、再びふつと
口をついて出てくるのだ。すると永年小さな謎の蕾として眠つてゐたその言葉が、今度は
急速に花をひらき、意味を帯び、人生のその瞬間を決定する、とりかへしのつかない重要な
言葉になつてしまふのだ。
結婚して一ヶ月もたてば、大した苦労を嘗めなくても、女は十分現実を知つたといふ自信を
持つやうになる。
一等怖ろしいのは人間の言葉の魔力である。証拠らしい証拠がなくても、耳に注がれる言葉の
毒は、たちまち全身に廻つてしまふ。
三島由紀夫「お嬢さん」より
114 :
吾輩は名無しである:2010/12/30(木) 20:17:31
玉のやうな男の児。「玉のやうな」とは何と巧い形容だらうと一太郎は思つてゐた。
明るい薔薇いろをした堅固な玉。弾む玉。野球のボールのやうに力強く飛びまはる玉。
それは飛び出して、ころころ転がつて、両親や祖父母の膝の上へ跳ね上り、笑ふ玉、喜ぶ玉、
きらきらした国旗の旗竿の玉のやうに青空に浮び上り……、それを見るだけでみんなに
幸福な気持を起させるのだ。
人の心といふものは、一定の分量しか入らない箱のやうなものである。
あなたはお嬢さんだわ。本当に困つたお嬢さん、私の妹だつたら、お尻にお灸をすゑてやるわ。
どうしてあなたは叫ばないの? 泣かないの? 吼えないの? 思ひ切つて、景ちやんの顔に
オムレツでもぶつけてやらないの? 花瓶を叩き割らないの? お宅の硝子窓だつて、
ずいぶん割り甲斐があるぢやない? あなたのヤキモチは小細工ばかりで醜いわ。そんなの、
ほんとに女の滓だわ。
三島由紀夫「お嬢さん」より
115 :
吾輩は名無しである:2011/01/08(土) 01:41:22
宮本亜門演出の「金閣寺」は29日から
山下町のKAAT神奈川芸術劇場で2月14日まで
***************************************
宮本亜門が三島由紀夫に挑んだ。
神奈川芸術劇場のこけら落としに『金閣寺』を舞台化する。
主演は森田剛、柏木役は高岡蒼甫。
http://www.kaat.jp/ 1月29日から2月14日まで。8500円から4500円。
宮本亜門は朝日新聞のインタビューで次のように言う。
「金閣寺を初めて読んだのはひきこもりだった十代の頃。『あまりに美しい小説』で、劣等感を抱えて自己表現できない主人公に共感した。三島の事件はテレビでみた。
ヘリコプターが現場上空をぐるぐる旋回していたのが印象的だったといい、『西欧文明に傾斜し経済発展を遂げ、日本人はどうなったのか。自決で投げかけられた疑問はいまも私たちに傷として残っている』とはなす」(朝日、10年12月25日土曜版)。
116 :
吾輩は名無しである:2011/01/15(土) 17:12:40
で、「複雑な彼」はエンタメとして面白いのですか? 買おうか買うまいか迷ってます。
>>116 まあまあ、ってところかな。まずは図書館で借りて読んでみたら?
個人的には「にっぽん製」「愛の疾走」の方が面白かったです。
118 :
吾輩は名無しである:2011/01/20(木) 13:06:06
女の部屋は一度ノックすべきである。しかし二度ノックすべきぢやない。さうするくらゐなら、
むしろノックせずに、いきなりドアをあけたはうが上策なのである。
女といふものは、いたはられるのは大好きなくせに、顔色を窺はれるのはきらふものだ。
いつでも、的確に、しかもムンズとばかりにいたはつてほしいのである。
日本の女が全部ぬかみそに手をつつこむことを拒否したら、日本ももうおしまひだ。
ウソの友情より、本当の憎悪のはうが美しい。
『男のはうが女よりずつと御体裁屋だわ』
女同士の喧嘩の場合は、打たれた女より、打つた女のはうが百倍も可哀想な女なのよ。
日本人のくせに髪を赤毛に染めてゐたりする女を見ると、唾を引つかけてやりたくなる。
当事者といふものは、物事の表面にごく見易くあらはれてゐる異常さに、なかなか気が
つかないものである。
思つてることが、しらない間に独り言になつて出るといふことほど、わびしい老いの兆はないな。
三島由紀夫「複雑な彼」より
119 :
吾輩は名無しである:2011/01/20(木) 13:06:28
ドライ・マルティニの好きな顔といふのがあるのである。油断ならぬ顔つきの人間にそれが多い。
テキサスあたりの大男で、人のいい顔をした人物が、オールド・ファッションドなんかを
呑むのと対蹠的だ。
父は色が多少浅黒いので、かういふ緑がよく似合ふのである。緑は顔いろをわるく見せるが、
もともとわるい人の顔色はよく見せる。
ちかごろの日本の青年は、情ない奴ばつかりだ。さう思はんかね。金がほしい。できれば
名もほしい。そのためには犬畜生に劣る振舞でも平気でやる。十代の少年を見ても、
非行少年には義理も人情もないし、よく勉強するいはゆる優秀な少年は、自分のことだけ
考へてゐる器の小さい連中ばかりだ。こんなことで、日本の将来を託すべき青少年は
どうなるのだ。
譲二は決してオー・デ・コローニュは使はなかつた。あれは不潔で体臭のつよい外国人が
使ふもので、日本人の清浄な体に使へば、男らしさを滅殺する効果しかないことを知つて
ゐたからである。
とても面白いと思つて見た映画は、二度見てはいけないんです。
三島由紀夫「複雑な彼」より
120 :
吾輩は名無しである:2011/01/20(木) 13:06:53
思ひ出といふのは、もう固まつた美術品みたいなものなんです。もう誰も手を加へることの
できない、完成品の美なんです。ミロのヴィーナスと、美しい思ひ出とは同格なんです。
それをみんな思ひちがへてゐるんですよ。ミロのヴィーナスに十年ぶりに会つたつて、
欠けた腕が、いつのまにか生えてゐるといふことはありえないでせう。ところが思ひ出に
十年ぶりで会ふと、心の中でいろんな風に修正してゐて、欠けてゐた腕も生えそろつてゐる
わけだから、現実の思ひ出の腕が欠けてゐるのを見て、『おや、片輪になつた』と錯覚を
起すんです。人間は必ずかういふ錯覚を起すやうにできてゐる。バカな話ぢやありませんか。
だから、僕が思ひ出に対して節度があるといふのは、第一に、その昔の人に対して会はない
やうにすることです。
それから、僕が思ひ出に対して誠実だといふのは、又会つて好きになつたら、全く
新らしい意味で好きになるので、思ひ出とは別個なものだと考へることです。つまりさう
なつたら、思ひ出のはうをさつさと殺してしまふんですよ。それがどんなに美しい思ひ出でも。
三島由紀夫「複雑な彼」より
122 :
吾輩は名無しである:2011/01/20(木) 22:15:53
>>121 面白いよね。個人的には新潮文庫になってる「永すぎた春」よりも面白かった。
123 :
吾輩は名無しである:2011/01/20(木) 22:18:19
心といふものは地図に似てゐる。
高低がある。山がある。川がある。等高線がある。
山の高みに達すると、のびやかな平野の眺めがひらけ、今までの苦しい登り道を忘れさせる
やうな、愉しい下り坂がはじまる。
そこに又、湖がある。池がある。川がある。あるひは谷間がある。
男と女ははじめから引合ふやうに出来てるんだが、縁といふものはこれは別だよ。
縁は引力よりも偉大かもしれん。これは、もう決められてゐることで、ほとんど引力を
感じないでも、すこぶる深い縁といふものもあるんだから。
僕はアル中の女とボクシング・ファンの女は、心の底から大きらひだ。どつちも
フラストレーションの固まりの、ひどく下品な女なんだ。
ボクシングはすごいスポーツだよ。男がまつしぐらに戦つて血を流すんだ。そこに男の見物は、
自分たちの社会での戦ひの、毎日やつてゐる血みどろの戦ひの、一番端的な代表を見るわけなんだ。
だから僕は、戦つてもゐない女が、生意気に、ひまつぶしにスリルと興奮を求めて、
ボクシングが好きになるといふことはゆるせないんだよ。それは絶対に下品だからな。
三島由紀夫「複雑な彼」より
124 :
吾輩は名無しである:2011/01/20(木) 22:19:09
私が恋してゐるのは、お父様が決して認めようとなさらないやうな、《複雑な彼》なのです。
今の日本で一番不足してゐるものは、金でもない、家でもない、人物だよ。
あの方は、近ごろの東南アジアの状勢に深く心を痛めてをられて、今、一人の日本人が
身を挺してこれを救はなければ、アジアは永久に救はれないと考へてをられる。
今の状勢について、日本人全般は、日本人が出る幕ぢやないと思つて、『関係ナイ、
関係ナイ』といふ気持で、レジャーに耽つてゐるばかりだ。一人としてアジアを憂へる青年は
をらない。デモをやつてゐる連中は、左翼にあやつられてゐるだけだし、集団の力を漠然と
たのんでゐるだけだ。
しかし、いつでも歴史を動かすのは個人なんだよ。それも一人の青年の力なんだよ。
『関係ナイ』と思つてゐるのは、自ら、関係を持たうとしないだけのことで、もし一人の
青年が身を挺すれば、アジアを救ふことができるのだ。
三島由紀夫「複雑な彼」より
125 :
吾輩は名無しである:2011/01/25(火) 11:26:16
世界が意味があるものに変れば、死んでも悔いないといふ気持と、世界が無意味だから、
死んでもかまはないといふ気持とは、どこで折れ合ふのだらうか。
死体つて、何だか落ちてこはれたウイスキーの瓶みたいぢやないか。こはれれば、中身が
流れ出すのは当たり前だ。
あの美しい欅の梢が、夕空の仄青い色を、精妙無類に、丁度夕空へ投げかけた投網のやうに
からめ取つてゐるのは、そもそも何故だらう。自然は何でこんなに無用に美しく、人間は
何でこんなに無用に煩はしいのだらう。
これからはもう物事をあんまり複雑に考へるのは止しになさるんですね。人生も政治も案外
単純浅薄なものですよ。もつとも、いつでも死ねる気でなくては、さういふ心境には
なれませんがね。生きたいといふ欲が、すべて物事を複雑怪奇に見せてしまふんです。
三島由紀夫「命売ります」より
126 :
吾輩は名無しである:2011/01/25(火) 11:26:43
自殺……。
そこまで考へると、彼は何か知れず、精神的な吐き気を感じた。
一度失敗してゐるだけに、自殺だけは、どう考へても億劫な気がした。折角自堕落な
いい気持になつてゐるときに、つい目と鼻の先にあるタバコをとりに立つ気がどうしてもしない。
十分タバコを喫みたい気はあるのだが、ここから手をのばしても届かないことのわかつて
ゐるタバコをとりに立つことが、何だか故障した自動車の後押しをたのまれるほど、
しんどい仕事に思はれる。それがつまり自殺なのだ。
羽仁男は今の今まで休養するつもりだつたのが、また、をかしなものに巻き込まれ
かかつてゐる自分を感じた。世界は多分雲形定規のやうな形をしてゐるのだらう。地球が
球形だといふのはおそらく嘘なのだ。それは、一つの辺がいつのまにか妙にひねくれて
内側へ曲つてゐたり、かと思ふと、まつすぐな一辺が突然断崖絶壁になつたりするのである。
人生が無意味だ、といふのはたやすいが、無意味を生きるにはずいぶん強力なエネルギーが
要るものだ、と羽仁男はあらためて感心した。
三島由紀夫「命売ります」より
127 :
吾輩は名無しである:2011/01/25(火) 11:27:01
多分、羽仁男のやうな男は、一つのことからのがれても、また別の「同類」に会ふやうに
運命づけられてゐるのかもしれない。孤独な人間はお互ひの孤独を、犬のやうにすぐ
嗅ぎわけるのだ。
無意味はヒッピーたちの考へるやうな形で人間を犯して来るのでは決してない。それは絶対に、
新聞の活字がゴキブリの行列になつてしまふ、ああいふ形で来るのだ。
シャム猫の鼻先に、シャベルでミルクをやつて、呑まうとするとシャベルをはね上げて、
猫の顔をミルクだらけにしてしまふこと。
彼の空想裡できはめて重要だと思はれたこの儀式は、日本の政治経済すべてにとつても
重要なのにちがひなかつた。つまり、一国の閣議はさうしてはじまるべきだつたし、
安保条約問題もさうして解決されるべきだつた。一匹の高慢ちきな猫の、思ひもかけぬ
不面目によつて、われわれは、猫を飼つてゐるといふことの意味を、よくよく知ることが
できるのだ。
三島由紀夫「命売ります」より
128 :
吾輩は名無しである:2011/01/25(火) 11:27:23
つまり、羽仁男の考へは、すべてを無意味からはじめて、その上で、意味づけの自由に
生きるといふ考へだつた。そのためには、決して決して、意味ある行動からはじめては
ならなかつた。まづ意味ある行動からはじめて、挫折したり、絶望したりして、無意味に
直面するといふ人間は、ただのセンチメンタリストだつた。命の惜しい奴らだつた。
戸棚をあければ、そこにすでに、堆(うづたか)い汚れ物と一緒に、無意味が鎮座して
ゐることが明らかなとき、人はどうして、無意味を探究したり、無意味を生活したりする
必要があるだらう。
人の命を買ふ人間、しかもそれを自分のために使はうといふ人間ほど、不幸な人間はない。
何の組織にも属さないで、しかも命を惜しまない男もゐるといふことを知らなくちやいかん。
それはごく少数だらう。少数でも必ずゐるんだ。
命を売るのは君の勝手だよ。別に刑法で禁じてはゐないからね。犯人になるのは、命を買つて
悪用しようとした人間のはうだ。命を売る奴は、犯人ぢやない。ただの人間の屑だ。
それだけだよ。
三島由紀夫「命売ります」より
129 :
吾輩は名無しである:2011/01/28(金) 12:46:14
修一はこんなに明るい女たちのざわめきをはじめてきいたやうな気がした。それは彼の家庭では
決してきかれない明るい花束のやうな笑ひ声で、きいてゐるだけで体がほてるやうな気がした。
女たちの笑ひさざめく声といふのは、どうしてこんなにたのしいのだらう。湖の上に洩れて
映る大きな旅館の宴会の灯のやうだ。そこでは地上の快楽が、一堂に集まつてゐるやうに
見えるのだ。
小説家の考へなんて、現実には必ず足をすくはれるもんだ。
四十歳を越すと、どうしても人間は、他人に自分の夢を寄せるやうになる。
俺は猛烈な嫉妬を感じた。自分の小説の登場人物に嫉妬を感じる小説家とは、まことに
奇妙な存在だ。
こんなときに限つてバスはなかなか来ず、寒気は靴下にしみ入り、美代は修一に会ふ前は
つひぞ感じたことのない孤独に包まれた。はじめて彼を見たのも、この停留所だつた。
その白いスウェーターの腕。……恋をすると、人間は一そう一人ぼつちになるものだらうか。
三島由紀夫「愛の疾走」より
130 :
吾輩は名無しである:2011/01/28(金) 12:46:30
寒い川岸に立つて見てゐた美代は、こんな荒つぽい男たちの友情に充ちたやりとりのなかで、
修一がみんなに愛されていきいきと働らいてゐる、決して暗くない生活の実感を、この手に
つかんだやうな気がした。ひよつとすると、あんなに近代的な明るい自分の職場のはうに、
機械にふりまはされて暮さなければならぬ現代の暗さが、顔をのぞけてゐるやうな気がした。
生活の幸福とはどういふことだらうか。
美代は、丁度その時間にそこで作業が行はれてゐず、魚の腹から卵をしぼり出す残酷な仕事を
見ないですんだのを喜んだ。
『でも、卵……卵……卵……。男たちがこんな仕事をしてゐる!』
彼女は何だか自分が魚になつたやうな、ひどく恥かしい感じがした。自分も一人の女として、
冬からやがて春へと動いてゆく、自然の大きな目に見えない流れに、否応なしに押し流されて
ゆくのだと思ふと、しらない間に野球帽も手拭もとつて、寒さのために赤い活気のある
頬をした修一の横顔を、じつと眺めてゐるのが、何だか眩しくなつた。
三島由紀夫「愛の疾走」より
131 :
吾輩は名無しである:2011/01/28(金) 12:46:46
『信じられないやうな幸福だ。僕があの人に愛されてゐる。湖のむかうの美しい娘に』
彼は夢うつつの中で、結氷した湖が向う岸とこちらの岸とをつなぎ、夢がそのまま結氷して
堅固な現実の姿をとつた様を思ひゑがいた。彼があんなに切なく考へた距離は、見かけの
ものにすぎなかつた。それから彼があんなに怖れた、美しい娘とぶざまな自分との対比も、
心配したほどのものでもなかつた。二つの決して触れ合はなかつた世界が溶けあつて、
接吻を交はしたのだ。
『実際この世界には何てふしぎなことがあるものだらう』
闇の中に美代の美しい唇だけが、氷つた湖を駈けてくる一点の炎のやうに近づいた。
『あれは僕におやすみを言ふために駈けて来るんだ。あの小さな炎の近づいてくる速さ。
スケートよりも速い』
炎はたうとう近づいて彼の唇を灼いた。
『おやすみ』
幸福な若者は眠りに落ちた。
三島由紀夫「愛の疾走」より
132 :
吾輩は名無しである:2011/01/28(金) 12:47:01
本当に愛し合つてゐる同士は、「すれちがひ」どころか、却つて、ふしぎな糸に引かれて
偶然の出会をするもので、愛する者を心に描いてふらふらと家を出た青年が、思ひがけない辻で
パッタリその女に会つた経験を、ゲエテもエッカーマンに話してゐるほどだ。
クライマックスといふものは、いづれにせよ、人をさんざんじらせ、待たせるものだ。
第一の御柱は崖のすぐ上辺まで来てゐるのに、ゆつくり一服してゐて、なかなか「坂落し」は
はじまらなかつた。
女といふものはな、頭から信じてしまふか、頭から疑つてかかるか、どつちかしかないものだな。
どつちつかずだと、こつちが悩んで往生する。漁も同じだ。『今日はとれるかな、
とれないかな』……これではいかん。必ず大漁と思つて出ると大漁、からきしダメだらうと
思つて出ると大漁、全くヘンなものだ。こつちが中途半端な気持だと、向うも中途半端に
なるものらしい。全くヘンなものだ。
三島由紀夫「愛の疾走」より
133 :
吾輩は名無しである:2011/01/28(金) 12:47:27
美代はされるままになつてゐて、決して起き上らうとしなかつた。修一はだんだん心配に
なつてきた。
しかし突然、美代は両手で自分の顔をおほひ、体を斜めにして、修一の腕をのがれた。
修一はおどろいてその顔を眺め下ろした。美代は泣いてゐた。
声は立てなかつたが、美代は永久に泣きつづけてゐるやうで、その指の間から、涙が嘘のやうに
絶え間なくこぼれおちた。顔をおほつてゐる美代の指は、華奢な美しい女の指とは言へなかつた。
意識してかしないでか、美代は自分の一等自信のない部分へ、男の注視を惹きつづけて
ゐたことになる。
それは農村で育つたのちに、キー・パンチャーとして鍛えられた指で、右手の人差し指と
中指と薬指、なかんづく一等使はれる薬指は、扁平に節くれ立つて、どんな優雅な指輪も
似合ひさうではなかつた。
しみじみとその指を眺めてゐた修一は、労働をする者だけにわかる共感でいつぱいになつて、
その薬指が、いとほしくてたまらなくなり、思はず、唇をそれにそつと触れた。
三島由紀夫「愛の疾走」より
134 :
吾輩は名無しである:2011/01/31(月) 23:26:50
135 :
吾輩は名無しである:2011/01/31(月) 23:27:17
平幹二朗、東山紀之らが主演でミシマ・ダブル
渋谷シアターコクーンで「我が友ヒトラー」と「サド公爵夫人」を同時に
***************************************
これは難儀だろう、俳優にとって。
それでなくともミシマ戯曲は台詞が長い上に言葉が難しいのだ。
一日おきに、ヒトラーとサドを演じるなんて、前代未聞。演出は蜷川幸雄。
サド公爵夫人はそもそも女性六人しか登場しない台詞劇。サドそのものは劇には登場場面がない!
静粛な夫人ルネを東山、母を平が演じる。
我が友ヒトラーは、突撃隊長レームを東山が、武器承認クルップを平が演じる。
「台詞が膨大」と嘆く平は「文学が俳優の肉体を通じて立ち上がり、血が通う。お客様には、その台詞にどきどきしていただきたい」
と豊富を語る(朝日新聞、1月28日)。
また東山はミシマ初出演。「言葉だけで構築された作品と向き合うのは肉体的にも大変。「サド」での平さんとの母娘の口論場面は、格闘技のような気分」(同朝日)
と言っている。
3月2日まで。問い合わせは(03)3477−9999
3月8日から20日は大阪で公演。
渋谷シアターコクーンは、
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/11_mishima/topics.html
金閣寺も中間小説だろ
137 :
吾輩は名無しである:2011/02/19(土) 11:55:27
はるか富士の山頂が、遠く霞んで山峡に顔をのぞけてゐる。……
美代はいつのまにか泣きやんでゐたが、まだ手を顔から離さず、さつきのままの姿勢で、
微動もしなかつた。ときどきブラウスの胸が大きく波打つた。
もともと口下手の修一は、こんなときに余計なことを言ひ出して、事壊しになるやうな羽目には
陥らなかつた。彼は子供が好奇心にかられて菓子の箱をむりやりあけてみるやうに、
かなり強引な力で、美代のしつかりと顔をおほつてゐる指を左右にひらいた。
涙に濡れた美しい顔が現はれた。しかし崩れた泣き顔ではなくて、涙のために、一そう
剥き立ての果物のやうな風情を増してゐた。修一はいとしさに耐へかねて、顔を近づけた。
するとその泣いてゐた美代の口もとが、あるかなきかに綻んで、ほんの少し微笑したやうに
思はれた。
それに力を得て、修一は強く、美代の唇に接吻した。
三島由紀夫「愛の疾走」より
138 :
吾輩は名無しである:2011/02/19(土) 11:56:25
……美代はこの唇こそ、永らく待ちこがれてゐた唇だと、半ば夢心地のうちに考へた。
もう何も考へないやうにしよう。考へることから禍が起つたのだ。何も考へないやうにしよう。
……こんな場合の心に浮ぶ羞恥心や恐怖や、果てしのない躊躇逡巡や、あとで飽きられたら
どうしようといふ思惑や、さういふものはすべて、女の体に無意識のうちにこもつてゐる
醜い打算だとさへ、彼女は考へることができた。純粋になり、透明にならう。決して
過去のことも、未来のことも考へまい。……自然の与へてくれるものに何一つ逆らはず、
みどり児のやうに大人しくすべてを受け容れよう。世間が何だ。世間の考へに少しでも
味方したことから、不幸が起つたのだ。……何も考へずに、この虹のやうなものに全身を
委せよう。……水にうかぶ水蓮の花のやうに、漣(さざなみ)のままに揺れてゐよう。
……どうしてこの世の中に醜いことなどがあるだらうか。考へることから醜さが生れる。
心の隙間から醜さが生れる。心が充実してゐるときに、どうして、この世界に醜さの
入つてくる余地があるだらうか。
三島由紀夫「愛の疾走」より
139 :
吾輩は名無しである:2011/02/19(土) 11:58:14
……今まで誰にも触れさせたことのない乳房を、修一の大きな固い掌が触つた。この人は
怖れてゐる。慄へてゐる。どうして悪いことをするやうに慄へてゐるのだらう。……
この太陽の下、花々の間、遠い山々に囲まれて、悪いことを人間ができるだらうか。……
美代の心からは、人に見られる心配さへみんな消え失せてゐた。世界中の人に見られてゐても、
今の自分の姿には、恥づべきことは何一つないやうな気がした。……
それでゐて、美代の体が、やさしく羞恥心にあふれてゐるのを、修一は誤りなく見てゐた。
丈の高い夏草の底に埋もれて、彼女はそのまま恥らひのあまり、夏の驟雨のやうに地面に
融け込んでしまひさうだつた。
二人とも人生ではじめての経験だつたのに、これだけ感情の昂揚してゐたことで、すべては
流れるやうに進んで、短かい間に、空もゆらめくやうな思ひは終り、修一は美代の純潔の
しるしを見て、歓びの叫びをあげたい気持になつた。
三島由紀夫「愛の疾走」より
140 :
吾輩は名無しである:2011/02/19(土) 12:00:31
美代ちやん、恋愛と結婚を写真機にたとへると、かういふことだ。シャッターを押すだけなら
誰にもできる。しかしいい写真が出来上るには、はじめの構図の決め方、距離や絞りの
合はせ方、光線の加減、又あとには現像密着の技術も要る。それも何度もやつてみて
馴れられるものならいいが、ズブの素人を連れて来て、一ぺんコッキリの勝負をさせるのだから
危ないものだ。そこでシャッターを押す前に、できるだけ念入りに、絞りを合はせたり、
光線の具合をしらべたり、距離を測つたりする必要があるんだよ。このごろみたいに
オートマばやりだと、それはそれでいいかもしれないが、それだつて構図だけはオートマぢや
行かないからね。
俺が二人の仲を割いたやうな形になつたのも、結局二人のためを思つたからだ。もしさうでなくて、
初恋がすらすらと結ばれたら、そんな夫婦の一生は、箸にも棒にもかからないものになる。
人間は怠け者の動物で、苦しめてやらなくては決して自分を発見しない。自分を発見しないと
いふことは、要するに、本当の幸福を発見しないといふことだ。
三島由紀夫37歳「愛の疾走」より
141 :
ユリイカっぽい歌:2011/02/19(土) 16:14:09
保守
143 :
吾輩は名無しである:2011/04/03(日) 00:58:36.12
過度の男らしさといふものは、女には通じないものである。
敏夫は妹思ひ、妹は兄思ひで、ほとんど一心同体でした。一人が家出すれば、もう一人も
きつと家出したでせうし、敏夫が三津子に同情して家出したのやら、その反対やら、まるで
わかりませんわ。あの兄妹は、兄妹といふより恋人同士でした。そりやあお互ひに好き合つて
ゐました。あんな愛情は、きつと自分でも知らずに、血のつながつてゐないといふことの
ふしぎな直感から、生れたものにちがひありませんわ」
「でもあの二人は、永久にそれを知らずにすぎてしまふわけですわね。又いつか日本へ
かへつて、私たちの前に現はれでもしない限り」
「永久にですわね、先生。永久に兄妹の愛に終つてしまふんですわね。世界中で一等
愛し合つてゐる二人なのに、恋人にもなれず、夫婦にもなれずに」
「永久に清らかな愛のままで。……でもそれが不幸でせうか」
「さあ、不幸か幸福かそれはわかりません」
三島由紀夫「幸福号出帆」より
144 :
吾輩は名無しである:2011/04/04(月) 22:49:52.74
金閣寺以外、読む価値なし。せいぜい仮面の告白くらい。
あきらかにレベルに差があって、金閣寺を読んでしまうと他のは色褪せてしまう。
145 :
吾輩は名無しである:2011/04/16(土) 11:50:16.40
どんな不キリョウな犬でも、飼ひ馴れれば、可愛くなる。
幸福といふものは、どうしてこんなに不安なのだらう!
実際的な話かい? 民法第三部にみんな書いてあるよ。法律が全部で、人間は種々さまざまさ。
誰も他人に忠告なんて与へられやしないよ。だから法律が、結局、人間生活のすべてなんだ。
はじめ思想や主義を作るのは男の人でせうね。何しろ男はヒマだから。高倉さんだつて
うちの会長ですものね。でもその思想や主義をもちつづけるのは女なのよ。女はものもちが
いいんですもの。それに女同士では、義理も人情もないから、友達づきあひなんてことを
考へないですむもの。
人間には憎んだり、戦つたり、勝つたり、さういふ原始的な感情がどうしても必要なんだ。
君たちのは温室の中の愛だよ。そんなものは今夜捨ててしまへ。
三島由紀夫「永すぎた春」より
146 :
吾輩は名無しである:2011/04/16(土) 11:50:35.34
毎日通る町の一軒が火事で焼け、やがて新築されても、その間の変化を全然気づかずに
毎日歩いてゐる人がある。元一氏の心境もこれに近かつたらう。しかるに宝部夫人は、
毎日同じ着物をつづけて着たことはなく、毎月同じ髪型をしてゐることはなかつたのである。
宝部夫人はそのことに多大の不服をとなへるわけでもなかつた。美しい身なりをして、
美しい顔で町を歩くことは、一種の都市美化運動だとでも考へてゐるらしく、それ以上の
野心は持たなかつた。
現実といふものは、袋小路かと思ふと、また妙な具合にひらけてくる。
自分が小説的事件の渦中に入つてしまふと、小説家ほど無力なものはない。
大体この「雲の上人」は、他人の心なんかわからない人間だつた。さういふ人間が小説を
書きだすとは不思議なことだが、おそらく他人の心のわかりすぎる人間は、小説なんか
書かないのであらう。
三島由紀夫「永すぎた春」より
147 :
吾輩は名無しである:2011/04/16(土) 11:50:57.74
家といふものは威張つて立つてゐても、案外脆くて、どこか一ヶ所を引張ると、他愛なく
ガラガラと崩れて来るものだつた。家が崩れるときに、青空にモウモウと上る土埃は、
彼ら少年に、自分たちの破壊の力を確信させた。建設よりも破壊のはうが、ずつと自分の
力の証拠を目のあたり見せてくれるものだつた。
皆が等分に幸福になる解決なんて、お伽噺にしかないんですもの。でも私、いつか兄も、
幸福になつてほしいと本気で思つてゐるの。
あつちには病人がをり、こつちにはもう数週間で結婚する二人がゐる。人生つてさうしたもんさ。
さうして朝は、誰にとつても朝なんだ。
他人のことを考へることが、私たちのことを考へることでもあるのね。
「兄さんにすまない、なんて言ひつこなしだな」
「さうだわ。誰にもすまないなんて思はない。幸福つて、素直に、ありがたく、腕いつぱいに
もらつていいものなのね」
三島由紀夫「永すぎた春」より
148 :
吾輩は名無しである:2011/04/16(土) 17:26:38.49
田中和生の頭じゃ、なんにも読めないよw
149 :
吾輩は名無しである:2011/04/16(土) 18:47:11.93
時間がいいと思う。
150 :
吾輩は名無しである:2011/05/06(金) 13:06:18.11
不在といふものは、存在よりももつと精妙な原料から、もつと精選された素材から成立つて
ゐるやうに思はれる。楠といざ顔をつき合はせてみると、郁子は今までの自分の不安も、
遊び友達が一人来ないので歌留多あそびをはじめることができずにゐる子供の寂しさに
すぎなかつたのではないかと疑つた。
凡庸な人間といふものは喋り方一つで哲学者に見えるものだ。
どこかひどく凡庸なところがないと哲学者にはなれない。
手もちぶたさになつた沢田が炬燵の柱を指で叩きだした。いつのまにか郁子も亦、自分の指が
同じやうに炬燵の柱を叩いてゐるのに気づいて、すこし熱くなつた指環の感じられる指を
炬燵蒲団からさりげなく抜いた。
若さといふものは笑ひでさへ真摯な笑ひで、およそ滑稽に見せようとしても見せられない
その真摯さは、ほとんど退屈にちかいものと言つてよろしく、中年よりも老年よりも遥かに
安定度の高い頑固な年齢であつた。
三島由紀夫「純白の夜」より
151 :
吾輩は名無しである:2011/05/06(金) 13:07:16.16
明治時代にはあだし男の接吻に会つて自殺を選んだ貞淑な夫人があつた。現代ではそんな
女が見当らないのは、人が云ふやうに貞淑の観念の推移ではなくて、快感の絶対量の
推移であるやうに思はれる。ストイックな時代に人々が生れ合はせれば、一度の接吻に
死を賭けることもできるのだが、生憎今日のわれわれはそれほど無上の接吻を経験しえない
だけのことである。どつちが不感症の時代であらうか?
どんな女にも、苦悩に対する共感の趣味があるものだが、それは苦悩といふものが本来
男性的な能力だからである。
秘密は人を多忙にする。怠け者は秘密を持つこともできず、秘密と附合ふこともできない。
秘密を手なづける方法は一つしかない。すなはち膝の上で眠らせてしまふ方法である。
感情には、だまかしうる傾斜の限度がある。その限度の中では、人はなほ平衡の幻影に
身を委す。といふよりは、傾斜してみえる森や家並の外界に非を鳴らして、自分自身が
傾きつつあることに気がつかない。
三島由紀夫「純白の夜」より
152 :
吾輩は名無しである:2011/05/06(金) 13:07:44.29
粗暴な快楽が純粋でないのは、その快楽が「必要とされてゐる」からであり、別の微妙な
快楽は、不必要なだけに純粋なのだ。
貞淑といふものは、頑癬(たむし)のやうな安心感だ。彼女は手紙といいあひびきといひ、
あれほどにも惑乱を露はにした一連の行動を、あとで顧みて、何一つ疾(や)ましいところは
ないのだと是認するのであつた。彼女は冷静に行動し、何一つ手落ちがなかつたことを
自分に言ひきかせながら、或る日のこと楠と気軽に接吻した。
不安はむしろ勝利者の所有(もの)だ。連戦連勝の拳闘選手の頭からは、敗北といふ一個の
新鮮な観念が片時も離れない。彼は敗北を生活してゐるのである。羅馬(ローマ)の格闘士は、
こんな風にして、死を生活したことであらう。
恋愛とは、勿論、仏蘭西(フランス)の詩人が言つたやうに一つの拷問である。どちらが
より多く相手を苦しめることができるか試してみませう、とメリメエがその女友達へ
出した手紙のなかで書いてゐる。
三島由紀夫「純白の夜」より
153 :
吾輩は名無しである:2011/05/24(火) 11:02:31.98
当の娘の父親にとつては、この世に一般論などといふものはあるべきではなかつた。心の奥底で
娘を手離したくないと思つてゐる父親の気持から、オールド・ミスにならぬうちに誰かに
早く呉れてやりたいと思つてゐる父親の気持まで、無数のニュアンスの連鎖があつて、
どこからが一般論で、どこからがさうでないとは云へなかつた。又、見様によつては、
世の父親のすべての心には、右の両極端の二つの気持が、それぞれの程度の差こそあれ、
混在してゐる筈であつた。
怖ろしい巨犬には、正面から向つて行けばいいのである。
あまり完璧に見える幸福に対して、人は恐怖を抱かずにはいられないものなのであらうか?
僕はね、君を百パーセント幸福にして上げたいと思ふと、いろんなことを考へだして、
気むづかしくなつてしまふんだ。一種の完璧主義者なんだな。……人間の心といふ奴は、
とにかく、善意だけではどうにもならん。善意だけでは、……人生を煩はしくするばかりだと
わかつてゐてもね。
三島由紀夫「夜会服」より
154 :
吾輩は名無しである:2011/05/24(火) 11:02:56.28
人間は誰でも、(殊に男は)自然にこれこれの人物になるといふものではない。目標があり、
理想像があればこそ、それに近づかうとするのである。
幸福といふものは、そんなに独創的であつてはいけないものだ。幸福といふ感情はそもそも
排他的ではないのだから、みんなと同じ制服を着ていけないといふ道理はないし、同じ種類の
他人の幸福が、こちらの幸福を映す鏡にもなるのだ。
隔意を抱くといふことは淋しいことである。しかも、愛情のために隔意を抱くといふことは、
まるで愛するために他人行儀になるやうなもので、はじめから矛盾してゐる。
結婚とは、人生の虚偽を教へる学校なのであらうか。
現代では万能の人間なんか、金と余裕の演じるフィクションにすぎないんだ。
人間つて誰でも、自分の持つてゐるものは大切にしないのぢやないかしら。
…誰でも、手に入れたものは大したものだと思はなくなる傾きがあるのぢやないかしら。
三島由紀夫「夜会服」より
155 :
吾輩は名無しである:2011/05/24(火) 11:03:28.52
あなたは女がたつた一人でコーヒーを呑む時の味を知つてゐて?
今に知るやうになるわ。お茶でもない、紅茶でもない、イギリス人はあまり呑まないけれど、
やはりそれはコーヒーでなくてはいけないの。それはね、自分を助けてくれる人はもう
誰もゐない、何とか一人で生きて行かなければ、といふ味なのよ。
黒い、甘い、味はひ、何だかムウーッとする、それでゐて香ばしい味、しつこい、
諦めの悪い味。……それだわ、私が本当にコーヒーの味を知つたのは、俊男が結婚してから
はじめてだつたの。それまではコーヒーの味がわからなかつた。主人が亡くなつたあとでもね。
一人で生きなければ、とたえず背中から圧迫されたり激励されたりしてゐるやうな感じつて
わかつて? 誰かの手がいつも自分の背中を、はげますやうに叩いてゐる。あんまり
うるさいから、背中へ手をのばしてつかまへてやると、それが何と自分の手なんだわ。
三島由紀夫「夜会服」より
156 :
吾輩は名無しである:2011/05/24(火) 11:03:52.36
さびしさ、といふのはね、絢子さん、今日急にここへ顔を出すといふものではないのよ。
ずうーつと、前から用意されてゐる、きつと潜伏期の大そう長い、癌みたいな病気なんだわ。
そして一旦それが顔を出したら、もう手術ぐらゐでは片附かないの。
私、何で自分がさびしいのか、その理由を探さなくては気がちがひさうだつた。あなた方の
結婚が、はつきりその理由を与へてくれたやうに思ひ込んでしまつた。でも、私つてバカなのね。
さびしさの本当の深い根は自分の中にしかないことに気がつかなかつたの。
鳥のゐない鳥籠は、さびしいでせう。でも、それを鳥籠のせゐにするのはばかげてゐるわね。
鳥籠をゴミ箱へ捨ててもムダといふものね。鳥がゐないことには変りがないんですから。
三島由紀夫「夜会服」より
157 :
吾輩は名無しである:2011/05/24(火) 11:04:21.84
でも、何十年も先、あなたもきつと同じさびしさを味はふだらうと思ふと、少しは埋め合せが
つく気がする。それは女といふものの引きずつてゐる影みたいなものなんですよ。女は、
いつかそのさびしさに面と向かはなければならないの。男の人とちがつて、女は人のゐない
野原みたいなものを自分の中に持つてゐる。男は、その野原の上を歩いて、悲壮がつて、
孤独だ孤独だなんて言つてゐるにすぎない、と思ふのよ。
いつか、あなたも、私の言つたことを思ひ出すことがあると思ふわ。たとへば、障害を
跳び越えてほつとしたあと、うれしいと思ふ気持のあひだにも、ずつとさびしさが、
一本の道のやうに、向かうへずつとつづいてゐるのを見ることがあると思ふわ。
はじめ、それは幻みたいに見えるの。でもいづれその幻が現実になるのよ。
三島由紀夫「夜会服」より
158 :
吾輩は名無しである:2011/06/08(水) 16:08:44.87
人間つて誰でも一つは妙な才能をもつてゐるものだわ。
期待してゐる人間の表情といふものは美しいものだ。そのとき人間はいちばん正直な
表情をしてゐる。自分のすべてを未来に委ね、白紙に還つてゐる表情である。
羞恥がなくて、汚濁もない少女の顔ほど、少年を戸惑はせるものはない。
自分の尊敬する人の話をすることは、いはば初心(うぶ)なフランスの少年が女の子の前で
ナポレオンの話をするのと同様に、持つて廻つた敬虔な愛の告白でもあるのだ。
三島由紀夫「恋の都」より
159 :
吾輩は名無しである:2011/06/08(水) 16:09:13.45
本当のヤクザといふものは、チンピラとちがつて、チャチな凄味を利かせたりしないものである。
映画に出てくる親分は大抵、へんな髭を生やして、妙に鋭い目つきをして、キザな仕立の
背広を着て、ニヤけたバカ丁寧な物の言ひ方をして、それでヤクザをカモフラージュした
つもりでゐるが、本当のヤクザのカモフラージュはもつとずつと巧い。
旧左翼の人に、却つて、如才のない人が多いのと同じことである。
今の世では時代おくれのあの思想は、いつも私の生きる糧だつた。天皇陛下への絶対の愛、
日本人としての絶対の矜り、理窟はどうあらうと、私は五郎さんの肉体を抱きしめるやうに、
あの人の思想を抱きしめて来たんだわ。弱りかかる心、現実を知つて利巧に妥協的になり
かかる心を抑へて、いつも私は心の底からアメリカを憎んでゐた。(中略)皮肉にも
アメリカ人たちの真只中で生活しながら、女の弱い力で、いつも皮肉な反抗をたくらんでゐた。
私は五郎さんを殺した屈辱的な敗戦を決して忘れなかつた。それ以後、私は一度もアメリカに
負けなかつた自信がある。
三島由紀夫「恋の都」より
160 :
吾輩は名無しである:2011/06/08(水) 16:09:42.74
自分の最初の判断、最初のねがひごと、そいつがいちばん正しいつてね。なまじ大人になつて
いろいろひねくりまはして考へると、却つて判断をあやまるもんだ。婿えらびをする能力
といふものは、もしかしたら、三十五歳の女より、十六歳の少女のはうが、ずつと豊富に
もつてゐるのかもしれないんだぜ。
君はまだ人生の後悔といふやつのおそろしい味を知らない。そいつは灰の味だ。灰を舐めて
ごらん。しかも毎日毎日舐めてごらん。もうこの世の中から味といふものは消えてしまふんだ。
何を食べても灰の味がする。後悔ほどやりきれないものはこの世の中にないだらう。
三島由紀夫「恋の都」より
161 :
吾輩は名無しである:2011/06/14(火) 16:34:50.87
ああ、誰のあとをついて行つても、愛のために命を賭けたり、死の危険を冒したりすることは
ないんだわ。男の人たちは二言目には時代がわるいの社会がわるいのとこぼしてゐるけれど、
自分の目のなかに情熱をもたないことが、いちばん悪いことだとは気づいてゐない。
退屈する人は、どこか退屈に己惚れてゐるやうなところがあるわ。
夫婦と同様に、清浄な恋人同志にも、倦怠期といふものはあるものだつた。
「しかし狩人は義士ぢやございません」と黒川氏は、にこにこしながら言つた。「狩人の
ねらふのは獣であつて、仇ではございません。獲物であつて、相手の悪意ではございません。
熊に悪意を想像したら、私共は容易に射てなくなります。ただの獣だと思へばこそ、
追ひもし、射てもするのです。昆虫採集家は害虫だからといふ理由で昆虫を、つかまへは
いたしますまい」
三島由紀夫「夏子の冒険」より
ついったーでやれ」
163 :
吾輩は名無しである:2011/06/23(木) 10:58:18.99
外で威張つてゐる女ほど、どこかに肉体的劣等感を持つてゐる。
外人の男たちの、鶏みたいな、半透明な血の色の透けてみえる、ひどく老化の早い、
汚ならしい肌が、妙子はきらひであつた。背も高く、体力もあり、鼻も高く、横顔も
立派なのに、西洋人の男から受ける妙子の感じは、へんに無力な、生命力の稀薄な感じであつた。
だから妙子は、西洋人の誘惑には決して乗らなかつた。
『動物的といふ見地から言つたら』と妙子は、美男と云へなくもないその男の顔をつらつら
眺めながら考へてゐた。『こんな西洋人より、日本の若い男のはうが、ずつと動物的な
美しさを持つてゐる。つまり動物的なしなやかさと、弾力と、無表情な美しさとを』
男にしろ女にしろ「愛される」といふことは、よほど「愛する」といふこととちがふのだ。
愛される人間の自己冒涜の激烈なよろこびは、どこまで行くかはかり知れない。愛する人間は、
どんな地獄の底までもそれを追つかけて行かなければならないのだ。
三島由紀夫「肉体の学校」より
164 :
吾輩は名無しである:2011/06/23(木) 10:58:58.35
本当の男なら、本当の男の塊りなら、立たうが坐らうが、上にならうが下にならうが、
逆立ちしようが引つくりかへらうが、男自体の輝やきにおいて、ますます男らしくなるだけ
ではないか。
たとへばつまらない機能上の男らしさにこだはつてゐる男のうち、性的魅力のこれつぽちもない
哀れな情ない男が、心の中では彼を少しも愛してゐない女の上に立つて、どんな男性的行動に
いそしまうが、それが一体何だらうか。
男にしろ、女にしろ、肉体上の男らしさ女らしさとは、肉体そのものの性のかがやき、
存在全体のかがやきから生れる筈のものである。それは部分的な機能上の、見栄坊な
男らしさとは何の関係もない。そこにゐるだけで、そこにただ存在してゐるだけで、
男の塊りであるやうな男は、どんなことをしたつて、男なのである。
三島由紀夫「肉体の学校」より
165 :
吾輩は名無しである:2011/06/26(日) 16:00:33.63
知れば知るほど、人間の性の世界は広大無辺であり、一筋縄では行かないものだといふ感を
深くする。性の世界では、万人向きの幸福といふものはないのである。
無関心を装ふつつぱり合ひ、女同士の牽制などは、却つて特殊な感情を育てやすい。
柔らかな、むしろ仄暗い光線のなかで、何事かを語りだす麗子の唇。それを見るたびに、
私は人間のふしぎといふものを思はずにはゐられない。それは色彩の少ない部屋の中に、
小さな鮮やかな花のやうに浮んでゐるが、それが語りだす言葉の底には、広漠たる大地の
記憶がすべて含まれをり、かうした一輪の花を咲かすにも、人間の歴史と精神の全問題が、
ほんの微量づつでも、ひしめき合ひ、力を貸し合つてゐるのがわかるのである。
嘘つきの常習犯ほど却つて、自分の喋つてゐることが嘘か本当か知らないのではあるまいか?
一瞬の直感から、女が攻撃態勢をとるときには、男の論理なんかほとんど役に立たないと
言つていい。
三島由紀夫「音楽」より
166 :
吾輩は名無しである:2011/06/26(日) 16:01:07.21
このごろは民主主義の世の中で、何でも子供の意志を尊重することになつてるが、いくら
成人式をやつたつて、二十代はまだ人生や人間に対して盲らなのさ。大人がしつかりした判断で
決めてやつたはうが、結局当人の倖せになるんだ。むかしは、お婿さんの顔も知らずに
嫁入りした娘が一杯ゐるのに、それで結構愛し合つて幸福にやつて行けたもんだ。今は
女のはうから何だかんだと難癖をつけて、親のはうもそれに同調し、結局それで娘の幸福を
とりにがしてしまふ。
それは偶然といふよりは必然の出会である。海風と、幸福な人たちの笑ひさざめく声と、
ふくらむ波のみどりとの中で、ただ一つたしかなことは、不幸が不幸を見分け、欠如が欠如を
嗅ぎ分けるといふことである。いや、いつもそのやうにして、人間同士は出会ふのだ。
三島由紀夫「音楽」より
167 :
吾輩は名無しである:2011/06/26(日) 16:01:41.96
精神分析学は、日本の伝統的文化を破壊するものである。欲求不満(フラストレーション)
などといふ陰性な仮定は、素朴なよき日本人の精神生活を冒涜するものである。人の心に
立入りすぎることを、日本文化のつつましさは忌避して来たのに、すべての人の行動に
性的原因を探し出して、それによつて抑圧を解放してやるなどといふ不潔で下品な教理は、
西洋のもつとも堕落した下賤な頭から生まれた思想である。特にお前は、ユダヤ的思想の
とりことなつた軽薄な御用学者で、高く清い人間性に汚らしい卵を生みつける銀蠅のごとき男だ。
くたばつてしまへ!
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といふ諺が、実は誤訳であつて、原典のローマ詩人
ユウェナーリスの句は、「健全なる肉体には健全なる精神よ宿れかし」といふ願望の意を
秘めたものであることは、まことに意味が深いと言はねばならない。
精神分析学者には文学に関する豊富な知識も必要だ。
三島由紀夫「音楽」より
168 :
吾輩は名無しである:2011/06/28(火) 00:45:15.49
精神分析がはやつてゐる理由がよくわかりますね。それはつまり、多様で豊富な人間性を
限局して、迷へる羊を一匹一匹連れ戻して、劃一主義(コンフォーミズム)の檻の中へ
入れてやるための、俗人の欲求におもねつた流行なんですね。
人間は、どんなバカでも『お前を盲らにしてやるぞ』と言はれれば反撥する程度の自尊心は
あるから、テレビのコマーシャルをきらふけれど、『お前の目をさまさせてやる』と
言はれて不安にならぬほどの自尊心は持たないから、精神分析を歓迎するわけですね。
男性の不能の治療は、無意識のものを意識化するといふ作業よりも、過度に意識的なものを
除去して、正常な反射神経の機能を回復するといふ作業のはうが、より重要であり、より
効果的であると思はれる。
見かけは恵まれた金持の息子でありながら、人生は貧乏人さへ知らない奇怪な不幸を
与へることがある。
三島由紀夫「音楽」より
169 :
吾輩は名無しである:2011/06/28(火) 00:45:48.45
女の肉体はいろんな点で大都会に似てゐる。とりわけ夜の、灯火燦然とした大都会に似てゐる。
私はアメリカへ行つて羽田へ夜かへつてくるたびに、この不細工な東京といふ大都会も、
夜の天空から眺めれば、ものうげに横たはる女体に他ならないことを知つた。体全体に
きらめく汗の滴を宿した……。
目の前に横たはる麗子の姿が、私にはどうしてもそんな風に見える。そこにはあらゆる美徳、
あらゆる悪徳が蔵(かく)されてゐる。そして一人一人の男はそれについて部分的に探りを
入れることはできるだらう。しかしつひにその全貌と、その真の秘密を知ることはできないのだ。
われわれは誰が何と言はうと、愛が人間の心にひらめかす稲妻と、瞥見させる夜の青空とを、
知つてをり、見てゐるのである。
どんな不まじめな嘘の裏にも、怖ろしい人間性の問題が顔をのぞかせてゐる。
神聖さと徹底的な猥雑さとは、いづれも「手をふれることができない」といふ意味で似てゐる。
強度のヒステリー性格は、受動的に潜在意識に動かされるだけではなく、無意識のうちに
識閾下の象徴を積極的に利用する。
三島由紀夫「音楽」より
170 :
吾輩は名無しである:2011/06/28(火) 00:46:18.75
精神分析を待つまでもなく、人間のつく嘘のうちで、「一度も嘘をついたことがない」
といふのは、おそらく最大の嘘である。
ひとたび実存主義的見地に立てば、「正常な」人間の実存も、異常な人間の実存も、
「愛の全体性への到達」の欲求においては等価であるから、フロイトのやうに、一方に
正常の基準を置き、一方に要治療の退行現象を置くやうな、アコギな真似はできない筈である。
つまりそれはあまりにも、科学的実証主義のものわかりのわるさを捨てすぎたのである。
社会構造の最下部には、あたかも個人個人の心の無意識の部分のやうに、おもてむきの
社会では決して口に出されることのない欲望が大つぴらに表明され、法律や社会規範に
とらはれない人間のもつとも奔放な夢が、あらはな顔をさし出してゐる。
神聖さとは、ヒステリー患者にとつては、多く、復讐の観念を隠してゐる。
三島由紀夫「音楽」より
171 :
忍法帖【Lv=22,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/06/28(火) 00:56:42.25
これだからチワワは。
172 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 10:34:05.77
さまざまなものが蓄積されて人間が大をなし、成長してゆくといふのは嘘のやうに思はれる。
人間とはただ雑多なものが流れて通る暗渠であり、くさぐさの車が轍(わだち)を残して
すぎる四辻の甃(いしだたみ)にすぎないやうに思はれる。暗渠は朽ち、甃はすりへる。
しかし一度はそれも祭の日の四辻であつたのだ。
「衣装がちがふだけで、中味はちつとも昔とかはつてゐやしませんよ。若い人は自分にとつて
はじめての経験を、世間様にもはじめての経験だととりちがへる。どんな無軌道だつて
昔とおなじで、ただ世間のやかましい目が昔ほどぢやないから、無軌道も大がかりになつて、
ますます人目につくことをしなくちやならなくなるんです」
今、世に時めいてゐる人たちは、無礼な冗談や狎(な)れすぎた振舞をもむしろ面白がるが、
かつて世に栄えて隠棲してゐる人たちにとつては、同じ冗談も矜りを傷つけられる種子に
なるのだ。そんな老人相手には、ひたすら聴き役にまはるに限る。そして柔らかな会話で
按摩をし、むかしの権力がふたたびその座に花やいでゐるやうな錯覚を起させるのだ。
三島由紀夫「宴のあと」より
173 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 10:34:43.98
若い男は精神的にも肉体的にもあんまり余分なものを引きずつてゐて、特に年上の女に
対しては己惚れが強くて、どこまでつけ上るかわからない。
女から見ると、男の精神と肉体のアンバランスのみつともなさは、男自身よりも先鋭に
目に映るものだ。
「面倒臭い」。それは明らかに、老人の言葉だつた。
死んだやうな生活といきいきした思想とが、どうして同居してゐることができよう。
かづが今やその人たちの一族に連なり、その人たちの菩提所にいづれ葬られ、一つの流れに
融け入つて、もう二度とそこから離れないといふことは、何といふ安心なことだらう。
何といふ純粋な瞞着だらう。かづがそこへ葬られるときこそ、安心が完成され、瞞着が
完成される。それまでは世間はいかにかづが成功し、金持になり、金を撒かうと、本当に
瞞されはしないのだ。瞞着で世間を渡りはじめ、最後に永遠を瞞着する。これがかづの
世間へ投げる薔薇の花束である。……
三島由紀夫「宴のあと」より
174 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 10:35:18.78
……要するに芸者のやるやうなことをすることだつた。その大仰な秘密くささも情事に
似てゐて、政治と情事とは瓜二つだつた。
しかし人間は墓の中に住むことはできない。
ひたすら民衆を利用しようとするかづの単純な偽善的な遣口は、ふしぎなことに彼らに
愛される大きな理由になつた。かづが打算と考へてゐるものは一種の誠意、とりわけ
民衆的な誠意であり、動機がどうあらうとも、献身と熱中は、民衆に愛される特性だつた。
自然なものしか人の心を搏ちませんよ。
政治家の目からは選挙区の景色はどこも美しく見えなければならず、自然を美しく眺めるには
政治家でなければならない。それは収穫されるべき果物の、みずみずしさと魅惑に充ちてゐる筈だ。
かうして展望することは政治的な行為であつた筈だ。展望し、概括し、支配するのは政治の
仕事である。
本当の権謀術数は、絹のやうな肌ざわりを持つべきであるのに、佐伯のそれはたかだか人絹だつた。
空虚に比べたら、充実した悲惨な境涯のはうがいい。真空に比べたら、身を引き裂く
北風のはうがずつといい。
三島由紀夫「宴のあと」より
175 :
吾輩は名無しである:2011/07/31(日) 16:07:10.40
進み出る次郎の足取に、さはやかな覇気のあふれてゐるのを木内は読みとる。次郎の紺の袴は
風を孕み、擦り足の正しい波動を伝へて、まつすぐに動いてくる。
木内はかうして自分に立ち向つてくる若さを愛する。若さは礼儀正しく、しかも兇暴に
撃ちかかつて来て、老年はこちらにゐて、微笑しながら、じつと自信を以て身を衛る。
青年の、暴力を伴はない礼儀正しさはいやらしい。それは礼儀を伴はない暴力よりももつと悪い。
この同じ時間の枠のなかで、白髪を面に隠した老いと、赤い頬を面に隠した若さとが、
寓話的な簡素のうちに、はつきりと相手を敵とみとめる。それはまるで、こんぐらかつた、
余計な夾雑物にみちた人生を、将棋の簡浄な盤面に変へてしまつたかのやうだ。何もかも
漉(こ)してしまつたあとには、これだけが残る筈だ。すなはち或る日、はげしい夕陽のなかで、
老年と青年がきつぱり刃先を合せて対し合ふといふこと。
三島由紀夫「剣」より
176 :
吾輩は名無しである:2011/07/31(日) 16:08:02.26
木内は何の支点にも支へられずに、ほとんど空中に浮んでゐる。
「ヤア!」
と次郎は烈しい気合をかけた。ぢりぢりと右へまはつた。
木内はどの角度から見ても同じ面をあらはす透明な角錐みたいに見える。そこにも入口がない。
さらに右へまはる。それから急激に左へまはる。そこにも入口がない。次郎は自分の
透明さに対する屈辱を感じる。
木内は彼のその焦燥のむかうでゆつたりと寝そべつてゐる。昼寝をしてゐる大きな藍いろの
猫みたいに。
次郎は隙をみつけることを断念する。自分の焦燥が相手の隙を自分の目に見せないのだらうと
感じる。相手の完璧さは完璧さの仮装であり、完璧さに化けてゐるのだ。この世に
完璧なものなんぞあらう筈はない。
次郎は次第に、身のまはりに薄氷(うすらひ)がはりつめてきて、それがいつかは身動きも
できなくなるほど、肩を肱を、しつかりと氷に閉ざしてしまふやうな
気がする。時を移せば移すほどさうなる。全身の力を爆発させて、その氷を破らなければならぬ。
三島由紀夫「剣」より
177 :
吾輩は名無しである:2011/07/31(日) 16:08:48.05
次郎の面紐の紫が、あでやかに舞ひ上る。彼の力が伸びる。躍動と掛け声とが、
放鳩(はうきう)のやうに、押しこめられてゐた籠から、突然羽撃いて立つ。
そのすばらしい速度を縫つて、次郎の竹刀は一瞬のうちに摺り上げられ、彼の頭上には、
赤く灼けた鉄を撃ち下ろすやうに、木内の竹刀の物打がしたたかに落ちる。
反抗したり、軽蔑したり、時には自己嫌悪にかられたりする、柔かい心、感じ易い心は
みな捨てる。廉恥の心は持ちつづけてゐるべきだが、うぢうぢした羞恥心などはみな捨てる。
「……したい」などといふ心はみな捨てる。その代りに、「……すべきだ」といふことを
自分の基本原理にする。さうだ、本当にさうすべきだ。
生活のあらゆるものを剣に集中する。剣はひとつの、集中した澄んだ力の鋭い結晶だ。
精神と肉体が、とぎすまされて、光りの束をなして凝つたときに、それはおのづから
剣の形をとるのだ。
三島由紀夫「剣」より
178 :
吾輩は名無しである:2011/08/01(月) 22:45:55.86
強く正しい者になることが、少年時代からの彼の一等大切な課題である。
少年のころ、一度、太陽と睨めつこをしようとしたことがある。見るか見ぬかの一瞬のうちの
変化だが、はじめそれは灼熱した赤い玉だつた。それが渦巻きはじめた。ぴたりと静まつた。
するとそれは蒼黒い、平べつたい、冷たい鉄の円盤になつた。彼は太陽の本質を見たと思つた。
……しばらくはいたるところに、太陽の白い残影を見た。叢にも。木立のかげにも。
目を移す青空のどの一隅にも。
それは正義だつた。眩しくてとても正視できないもの。そして、目に一度宿つたのちは、
そこかしこに見える光りの斑は、正義の残影だつた。
彼は強さを身につけ、正義を身に浴びたいと思つた。そんなことを考へてゐるのは、
世界中で自分一人のやうな気がした。それはすばらしく斬新な思想であつた。
三島由紀夫「剣」より
179 :
吾輩は名無しである:2011/08/01(月) 22:46:28.44
「又かといふだらうが」と木内は、肘掛椅子に身を埋めたまま、両手で手拭を絞るやうな
所作をしながら、「剣は結局、手の内にはじまつて手の内に終るな。俺が三十五年、
剣道から学んだことはそれだけだつた。人間が本当に学んで会得することといふのは、
一生にたつた一つ、どんな小さいことでもいい。たつた一つあればいいんだ。
この手の内一つで、あんな竹細工のヤハな刀が、本当に生きもし、死にもする。これは
実にふしぎな面白いことだ。しかし一面から見れば、地球を廻転させる秘法を会得したのも
同じことだ、と俺は思ふんだよ。
むかしから、左手の握り具合は唐傘をさしたときと同じ、右手は丁度鷄卵を握つた気持、
といふんだが、いかなるときも左手に唐傘をさして右手に卵を握つてゐられるかね。
まあ実際にさうしてみてごらん。三十分もたてば、傘は放り出す、卵は握り潰す、といふのが
オチだらうからね」
幸福なんて男の持つべき考へぢやない。
三島由紀夫「剣」より
>>174次
いつもかづの頭に閃くのは、雪後庵の再開といふ金文字だつた。それが絶望的であり
不可能であることは動かしやうがない。かづはそれをよく知つてゐる。よく知つてゐるけれど、
曇り空の一角に白金のやうに輝いてゐる小さい太陽へ、たえずかづの目は惹きつけられる。
不可能といふことがその輝きの素なのである。それは輝いてゐる。美しく天空に懸つてゐる。
何度目を外らしてもその輝きへ目が行くのも、それが不可能だからなのだ。そしてちらと
そこへ目が行つたが最後、他所はすべて闇としか思はれなくなつてしまふ。
理想のちらつかせる奇蹟への期待も、現実主義の惹起する奇蹟への努力も、政治の名に於て
同一なのかもしれない。
何によらず男の目が不可能に惹きつけられて光つてゐるときには、それを愛情のしるしと
考へてよかつた。
かづは自分の活力の命ずるままに、そこに向つて駈けて行かねばならぬ。何ものも、
かづ自身でさへも、この活力の命令に抗することはできない。しかもさうしてかづの活力は、
あげくの果てに、孤独な傾いた無縁塚へ導いて行くことも確実なのである。
三島由紀夫「宴のあと」より
181 :
吾輩は名無しである:2011/08/10(水) 17:38:36.84
初江は気がついて、今まで丁度胸のところで凭れてゐたコンクリートの縁が、黒く
汚れてゐるのを見た。うつむいて、自分の胸を平手で叩いた。ほとんど固い支へを隠して
ゐたかのやうなセエタアの小高い盛上りは、乱暴に叩かれて微妙に揺れた。新治は感心して
それを眺めた。乳房は、打ちかかる彼女の平手に、却つてじやれてゐる小動物のやうに見えた。
若者はその運動の弾力のある柔らかさに感動した。はたかれた黒い一線の汚れは落ちた。
若者は彼をとりまくこの豊饒な自然と、彼自身との無上の調和を感じた。彼の深く吸ふ息は、
自然をつくりなす目に見えぬものの一部が、若者の体の深みにまで滲み入るやうに思はれ、
彼の聴く潮騒は、海の巨きな潮(うしほ)の流れが、彼の体内の若々しい血潮の流れと
調べを合はせてゐるやうに思はれた。新治は日々の生活に、別に音楽を必要としなかつたが、
自然がそのまま音楽の必要を充たしてゐたからに相違ない。
悪意は善意ほど遠路を行くことはできない。
三島由紀夫「潮騒」より
182 :
吾輩は名無しである:2011/08/10(水) 17:39:09.78
新治が女をたくさん知つてゐる若者だつたら、嵐にかこまれた廃墟のなかで、焚火の炎の
むかうに立つてゐる初江の裸が、まぎれもない処女の体だといふことを見抜いたであらう。
決して色白とはいへない肌は、潮にたえず洗はれて滑らかに引締り、お互ひにはにかんで
ゐるかのやうに心もち顔を背け合つた一双の固い小さな乳房は、永い潜水にも耐へる
広やかな胸の上に、薔薇いろの一双の蕾をもちあげてゐた。
「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」
少女は息せいてはゐるが、清らかな弾んだ声で言つた。裸の若者は躊躇しなかつた。
爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火のなかへまつしぐらに飛び込んだ。次の刹那に
その体は少女のすぐ前にあつた。彼の胸は乳房に軽く触れた。『この弾力だ。前に赤い
セエタアの下に俺が想像したのはこの弾力だ』と若者は感動して思つた。二人は抱き合つた。
少女が先に柔らかく倒れた。
「松葉が痛うて」
と少女が言つた。
三島由紀夫「潮騒」より
183 :
吾輩は名無しである:2011/08/10(水) 17:40:03.70
この乳房を見た女はもう疑ふことができない。それは決して男を知つた乳房ではなく、
まだやつと綻びかけたばかりで、それが一たん花ひらいたらどんなに美しからうと
思はれる胸なのである。
薔薇いろの蕾をもちあげてゐる小高い一双の丘のあひだには、よく日に灼けた、しかも
肌の繊細さと滑らかさと一脈の冷たさを失はない、早春の気を漂はせた谷間があつた。
四肢のととのつた発育と歩を合はせて、乳房の育ちも決して遅れをとつてはゐなかつた。
が、まだいくばくの固みを帯びたそのふくらみは、今や覚めぎはの眠りにゐて、ほんの
羽毛の一触、ほんの微風の愛撫で、目をさましさうに見えるのである。
俺はあの船の行方を知つてゐる。船の生活も、その艱難も、みんな知つてゐるんだ。
男は気力や。気力があればええのや。
三島由紀夫「潮騒」より
184 :
吾輩は名無しである:2011/08/16(火) 23:25:18.85
……今、四海必ずしも波穏やかならねど、
日の本のやまとの国は
鼓腹撃壌(こふくげきじやう)の世をば現じ
御仁徳の下(もと)、平和は世にみちみち
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交はし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦ひを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦(いくさ)のみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能(あた)はず
いつはりの人間主義をたつきの糧となし
偽善の団欒は世をおほひ
力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され、
若人らは咽喉元をしめつけられつつ
怠惰と麻薬と闘争に
かつまた望みなき小志の道へ
羊のごとく歩みを揃へ、
快楽もその実を失ひ、信義もその力を喪ひ、
魂は悉(ことごと)く腐蝕せられ
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおほひかくされ、真情は病み、
道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑ひは浸潤し
魂の死は行人の顔に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾(しゆゆ)にして去り
三島由紀夫「英霊の声」より
185 :
吾輩は名無しである:2011/08/16(火) 23:25:54.97
清純は商はれ、淫蕩は衰へ、
ただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば
人の値打は金よりも卑しくなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、
生(なま)かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の
いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰へたる美は天下を風靡し
陋劣(ろうれつ)なる真実のみ真実と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、
大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲求不満の蛍光灯に輝き渡り、
朝な朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、
烈しきもの、雄々しき魂は地を払ふ。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み
ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔(あまが)けるものは翼を折られ
不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑(あざわら)ふ。
かかる日に、
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし
三島由紀夫「英霊の声」より
186 :
吾輩は名無しである:2011/08/16(火) 23:26:27.21
この日本をめぐる海には、なほ血が経めぐつてゐる。かつて無数の若者の流した血が海の
潮(うしほ)の核心をなしてゐる。それを見たことがあるか。月夜の海上に、われらは
ありありと見る。徒(あだ)に流された血がそのとき黒潮を血の色に変へ、赤い潮は唸り、
喚(おら)び、猛き獣のごとくこの小さい島国のまはりを彷徨し、悲しげに吼える姿を。
それを見ることがわれらの神遊びなのだ。手を束(つか)ねてただ見守ることがわれらの
遊びなのだ。かなた、日本本土は、夜も尽きぬ灯火の集団のいくつかを海上に泛(うか)ばせ、
熔鉱炉の焔は夜空を舐めてゐる。あそこには一億の民が寝息を立て、あるひはわれらの
知らなかつた、冷たい飽き果てた快楽に褥(しとね)を濡らしてゐる。
あれが見えるか。
われらがその真姿を顕現しようとした国体はすでに踏みにじられ、国体なき日本は、
かしこに浮標(ブイ)のやうに心もとなげに浮んでゐる。
あれが見えるか。
三島由紀夫「英霊の声」より
187 :
吾輩は名無しである:2011/08/18(木) 22:30:41.85
われらには、死んですべてがわかつた。死んで今や、われらの言葉を禁(とど)める力は
何一つない。われらはすべてを言ふ資格がある。何故ならわれらは、まごころの血を
流したからだ。
今ふたたび、刑場へ赴く途中、一大尉が叫んだ言葉が胸によみがへる。
『皆死んだら血のついたまま、天皇陛下のところに行くぞ。而(しかう)して死んでも
大君の為に尽すんだぞ。天皇陛下万歳。大日本帝国万歳』
そして死んだわれらは天皇陛下のところへ行つたか? われらの語らうと思ふことは
そのことだ。すべてを知つた今、神語りに語らうと思ふのはそのことだ。
しかしまづ、われらは恋について語るだらう。あの恋のはげしさと、あの恋の至純について
語るだらう。
大演習の黄塵のかなた、天皇旗のひらめく下に、白馬に跨られた大元帥陛下の御姿は、遠く
小さく、われらがそのために死すべき現人神のおん形として、われらが心に焼きつけられた。
神は遠く、小さく、美しく、清らかに光つてゐた。われらが賜はつた軍帽の徴章の星を
そのままに。
三島由紀夫「英霊の声」より
188 :
吾輩は名無しである:2011/08/18(木) 22:31:40.57
われらが国体とは心と血のつながり、片恋のありえぬ恋闕(れんけつ)の劇烈なよろこび
なのだ。さればわれらの目に、はるか陛下は、醜き怪獣どもに幽閉されておはします、
清らにも淋しい囚はれの御身と映つた。
われらはつひに義兵を挙げた。思ひみよ。その雪の日に、わが歴史の奥底にひそむ維新の力は、
大君と民草、神と人、十善の御位にましますおん方と忠勇の若者との、稀なる対話を
用意してゐた。
思ひみよ。
そのとき玉穂なす瑞穂の国は荒蕪の地と化し、民は餓ゑに泣き、女児は売られ、大君の
しろしめす王土は死に充ちてゐた。神々は神謀りに謀りたまひ、わが歴史の井戸のもつとも
清らかな水を汲み上げ、それをわれらが頭(かうべ)に注いで、荒地に身を伏して泣く
蒼氓に代らしめ、現人神との対話をひそかに用意された。そのときこそ神国は顕現し、
狭蠅なすまがつびどもは吹き払はれ、わが国体は水晶のごとく澄み渡り、国には至福が
漲る筈だつた。
三島由紀夫「英霊の声」より
189 :
吾輩は名無しである:2011/08/18(木) 22:32:13.99
われらは陛下が、われらをかくも憎みたまうたことを、お咎めする術とてない。
しかし叛逆の徒とは! 叛乱とは! 国体を明らかにせんための義軍をば、叛乱軍と呼ばせて
死なしむる、その大御心に御仁慈はつゆほどもなかりしか。
こは神としてのみ心ならず、
人として暴を憎みたまひしなり。
鳳輦(ほうれん)に侍するはことごとく賢者にして
道のべにひれ伏す愚かしき者の
血の叫びにこもる神への呼びかけは
つひに天聴に達することなく、
陛下は人として見捨てたまへり、
かの暗澹たる広大なる貧困と
青年士官らの愚かなる赤心を。
わが古き神話のむかしより
大地の精の血の叫び声を凝り成したる
素戔嗚尊(すさのをのみこと)は容れられず、
聖域に馬の生皮を投げ込みしとき
神のみ怒りに触れて国を逐(お)はれき。
このいと醇乎たる荒魂より
人として陛下は面をそむけ玉ひぬ。
などてすめろぎは人間となりたまひし
三島由紀夫「英霊の声」より
190 :
吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 11:23:25.44
われらは最後の神風たらんと望んだ。神風とは誰が名付けたのか。それは人の世の仕組が
破局にをはり、望みはことごとく絶え、滅亡の兆はすでに軒の燕のやうに、わがもの顔に
人々のあひだをすりぬけて飛び交はし、頭上には、ただこの近づく滅尽争を見守るための
精麗な青空の目がひろがつてゐるとき、……突然、さうだ、考へられるかぎり非合理に、
人間の思考や精神、それら人間的なもの一切をさはやかに侮蔑して、吹き起つてくる救済の
風なのだ。わかるか。それこそは神風なのだ。
われらは兄神のやうな、死の恋の熱情の焔は持たぬ。われらはそもそも絶望から生れ、
死は確実に予定され、その死こそ『御馬前の討死』に他ならず、陛下は畏れ多くも、
おん悲しみと共にわれらの死を喜納される。それはもう決まつてゐる。われらには恋の
飢渇はなかつた。
われらの熱情は技術者の冷静と組み合はされ、われら自身の死の有効度のための、精密な
計算に費やされてゐた。われらは自分の死を秤にかけ、あらゆる偶然の生を排して、その
こまかい数値をも、あらかじめ確実に知らうとしてゐた。
三島由紀夫「英霊の声」より
191 :
吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 11:23:56.09
われらはもはや神秘を信じない。自ら神風となること、自ら神秘となることとは、さういふ
ことだ。人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。
その具現がわれらの死なのだ。
しかしわれら自身が神秘であり、われら自身が生ける神であるならば、陛下こそ神であらねば
ならぬ。神の階梯のいと高いところに、神としての陛下が輝いてゐて下さらなくてはならぬ。
そこにわれらの不滅の根源があり、われらの死の栄光の根源があり、われらと歴史とを
つなぐ唯一条の糸があるからだ。そして陛下は決して、人の情と涙によつて、われらの死を
救はうとなさつたり、われらの死を妨げようとなさつてはならぬ。神のみが、このやうな
非合理な死、青春のこのやうな壮麗な屠殺によつて、われらの生粋の悲劇を成就させて
くれるであらうからだ。さうでなければ、われらの死は、愚かな犠牲にすぎなくなるだらう。
われらは戦士ではなく、闘技場の剣士に成り下るだらう。神の死ではなくて、奴隷の死を
死ぬことになるだらう。……
三島由紀夫「英霊の声」より
192 :
吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 11:25:41.47
……かくてわれらは死後、祖国の敗北を霊界からまざまざと眺めてゐた。
今こそわれらは、兄神たちの嘆きを、我が身によそへて、深く感ることができた。兄神たちが
あのとき、吹かせようと切に望んだものも亦、神風であつたことを。
あのとき、至純の心が吹かせようとした神風は吹かなかつた。何故だらう。あのときこそ、
神風が吹き、草木はなびき、血は浄められ、水晶のやうな国体が出現する筈だつた。
又われらが、絶望的な状況において、身をなげうつて、吹かせようとした神風も吹かなかつた。
何故だらう。
日本の現代において、もし神風が吹くとすれば、兄神たちのあの蹶起の時と、われらの
あの進撃の時と、二つの時しかなかつた。その二度の時を措いて、まことに神風が吹き起り、
この国が神国であることを、自ら証する時はなかつた。そして、二度とも、実に二度とも、
神風はつひに吹かなかつた。
何故だらう。
われらは神界に住むこと新らしく、なほその謎が解けなかつた。
三島由紀夫「英霊の声」より
193 :
吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 11:26:46.52
月の押し照る海上を眺め、わが肉体がみぢんに砕け散つたあたりをつらつら見ても、なぜ
あのとき、あのやうな人間の至純の力が、神風を呼ばなかつたかはわからなかつた。
曇り空の一角がほのかに破れて、青空の片鱗が顔をのぞかすやうに、たしかにこの暗い人間の
歴史のうちにたつた二度だけ、神の厳(いつく)しきお顔が地上をのぞかれたことがある。
しかし、神風は吹かなかつた。そして一群の若者は十字架に縛されて射たれ、一群の若者は
たちまち玩具に堕する勲章で墓標を飾られた。何故だらう。
兄神たちも、われらも、一つの、おそろしい、むなしい、みぢんに砕ける大きな玻璃(はり)の
器の終末を意味してゐた。われらがのぞんだ栄光の代りに、われらは一つの終末として
記憶された。われらこそ暁、われらこそ曙光、われらこそ端緒であることを切望したのに。
何故だらう。
何故われらは、この若さを以て、この力を以て、この至純を以て、不吉な終末の神に
なつたのだらう。曙光でありたいと冀(ねが)ひながら、荒野のはてに、黄ばんだ一線に
なつて横たはる、夕日の最後の残光になつたのだらう。
三島由紀夫「英霊の声」より
194 :
吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 11:31:09.52
かくて幣原は、改めて陛下の御内意を伺ひ、陛下御自身の御意志によつて、それが
出されることになつた。
幣原は、自ら言ふやうに『日本よりもむしろ外国の人達に印象を与へたいといふ気持が
強かつたものだから、まづ英文で起草』したのである。
……今われらは強ひて怒りを抑へて物語らう。
われらは神界から逐一を見守つてゐたが、この『人間宣言』には、明らかに天皇御自身の
御意志が含まれてゐた。天皇御自身に、
『実は朕は人間である』
と仰せ出されたいお気持が、積年に亘つて、ふりつもる雪のやうに重みを加へてゐた。
それが大御心であつたのである。
忠勇たる将兵が、神の下された開戦の詔勅によつて死に、さしもの戦ひも、神の下された
終戦の詔勅によつて、一瞬にして静まつたわづか半歳あとに、陛下は、
『実は朕は人間であつた』
と仰せ出されたのである。われらが神なる天皇のために、身を弾丸となして敵艦に命中させた、
そのわづか一年あとに……。
あの『何故か』が、われらには徐々にわかつてきた。
三島由紀夫「英霊の声」より
195 :
吾輩は名無しである:2011/08/25(木) 23:44:40.39
陛下の御誠実は疑ひがない。陛下御自身が、実は人間であつたと仰せ出される以上、その
お言葉にいつはりのあらう筈はない。高御座にのぼりましてこのかた、陛下はずつと人間で
あらせられた。あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たつた
お孤(ひと)りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。
清らかに、小さく光る人間であらせられた。
それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。
だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。何と云はうか、
人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだつた。この二度だけは、
陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだつた。
それを二度とも陛下は逸したまうた。もつとも神であらせられるべき時に、人間に
ましましたのだ。
三島由紀夫「英霊の声」より
196 :
吾輩は名無しである:2011/08/25(木) 23:45:21.23
一度は兄神たちの蹶起の時、一度はわれらの死のあと、国の敗れたあとの時である。
歴史に『もし』は愚かしい。しかし、もしこの二度のときに、陛下が決然と神にましましたら、
あのやうな虚しい悲劇は防がれ、このやうな虚しい幸福は防がれたであらう。
この二度のとき、この二度のとき、陛下は人間であらせられることにより、一度は軍の魂を
失はせ玉ひ、二度目は国の魂を失はせ玉うた。
御聖代は二つの色に染め分けられ、血みどろの色は敗戦に終り、ものうき灰いろはその日から
はじまつてゐる。御聖代が真に血にまみれたるは、兄神たちの至誠を見捨てたまうたその日に
はじまり、御聖代がうつろなる灰に充たされたるは、人間宣言を下されし日にはじまつた。
すべて過ぎ来しことを『架空なる観念』と呼びなし玉うた日にはじまつた。
われらの死の不滅は涜された。……
三島由紀夫「英霊の声」より
197 :
吾輩は名無しである:2011/08/27(土) 12:03:20.16
「ああ、ああ、嘆かはし、憤ろし」
「ああ」
「ああ」
「そもそも、綸言(りんげん)汗のごとし、とは、いづこの言葉でありますか」
「神なれば勅により死に、神なれば勅により軍を納める。そのお力は天皇おん個人の
お力にあらず、皇祖皇宗のお力でありますぞ」
「ああ」
「ああ」
「もしすぎし世が架空であり、今の世が現実であるならば、死したる者のため、何ゆゑ
陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉はざりしか」
「陛下がただ人間(ひと)と仰せ出されしとき
神のために死したる霊は名を剥脱せられ
祭らるべき社(やしろ)もなく
今もなほうつろなる胸より血潮を流し
神界にありながら安らひはあらず」
三島由紀夫「英霊の声」より
198 :
吾輩は名無しである:2011/08/28(日) 18:01:28.06
日本の敗れたるはよし
農地の改革せられたるはよし
社会主義的改革も行はるるがよし
わが祖国は敗れたれば
敗れたる負目を悉く肩に荷ふはよし
わが国民はよく負荷に耐へ
試練をくぐりてなほ力あり。
屈辱を嘗めしはよし、
抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし、
されど、ただ一つ、ただ一つ、
いかなる強制、いかなる弾圧、
いかなる死の脅迫ありとても、
陛下は人間なりと仰せらるべからざりし。
世のそしり、人の侮りを受けつつ、
ただ陛下御一人(ごいちにん)、神として御身を保たせ玉ひ、
そを架空、そをいつはりとはゆめ宣(のたま)はず、
(たとひみ心の裡深く、さなりと思すとも)
祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに
宮中賢所のなほ奥深く
皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかづき、
神のおんために死したる者らの霊を祭りて
ただ斎き、ただ祈りてましまさば、
何ほどか尊かりしならん。
などてすめろぎは人間となりたまひし。
などてすめろぎは人間となりたまひし。
などてすめろぎは人間となりたまひし。
三島由紀夫「英霊の声」より
127 :↑:2011/08/30(火) 09:59:54.47 ID:5BkB7n0i
こういうのって著作権侵害に当たらないの?
129 :この子の名無しのお祝いに:2011/08/30(火) 17:03:08.85 ID:iKhDlgiF
完全なる著作権侵害だよw
131 :この子の名無しのお祝いに:2011/08/30(火) 20:14:56.02 ID:iKhDlgiF
(゚Д゚)ハァ?
全体を要約したとか、気になる一文があったから引用したとかいうレベルじゃなく
明らかに数ページに渡って無断転載してるんだが
134 :この子の名無しのお祝いに:2011/08/30(火) 22:11:32.34 ID:hvRb/i3B
>>132 それはインタビュー、座談がどういう形態で行われたか、
また文章になった経緯によります。
ほとんど修正なく載った場合、口述者の単独著作と看做される場合があります。
いわゆるSMAP裁判の判示です。
はいはい、通報通報。戦時中の密告者かよ
わざわざ自分のレスをコピペする酔狂な通報マニアな気持ち悪い女々しい男。やだやだ(笑)
202 :
吾輩は名無しである:2011/09/03(土) 19:25:38.67
雅子の涙の豊富なことは、本当に愕くのほかはない。どの瞬間も、同じ水圧、同じ水量を
割ることがないのである。明男は疲れて、目を落して、椅子に立てかけた自分の雨傘の末を見た。
古風なタイルのモザイクの床に、傘の末から黒つぽい雨水が小さな水溜りを作つてゐた。
明男はそれも、雅子の涙のやうな気がした。
彼は突然、勘定書をつかんで立上つた。
一見、大噴柱は、水の作り成した彫塑のやうに、きちんと身じまひを正して、静止して
ゐるかのやうである。しかし目を凝らすと、その柱のなかに、たえず下方から上方へ
馳せ昇つてゆく透明な運動の霊が見える。それは一つの棒状の空間を、下から上へ凄い速度で
順々に充たしてゆき、一瞬毎に、今欠けたものを補つて、たえず同じ充実を保つてゐる。
それは結局天の高みで挫折することがわかつてゐるのだが、こんなにたえまのない挫折を
支へてゐる力の持続は、すばらしい。
三島由紀夫「雨のなかの噴水」より
203 :
吾輩は名無しである:2011/09/12(月) 10:44:32.94
人間が或る限度以上に物事を究めようとするときに、つひにはその人間と対象とのあひだに
一種の相互転換が起り、人間は異形に化するのかもしれない。
時代がどうあらうと、社会がどうあらうと、美しい景色を見て美しい歌を作れ、といふ考へを
支へるには、女なら門院のやうな富と権勢、男なら梃でも動かない強い思想、といふものが
必要なのではないだらうか。
人間の醜い慾の争ひをこえてまで顕現する美は、あるひは勝利者の側にはあらはれず、
敗北者や滅びゆく者の側にだけこつそりと姿を現はすのかもしれない。
誰の身の上にも、その人間にふさはしい事件しか起らない。
三島由紀夫「三熊野詣」より
204 :
吾輩は名無しである:2011/09/12(月) 10:45:55.15
大体無教育な人間にむかつても、相手に準じて程度を下げた会話をしないといふ私の流儀は、
人から厭味に思はれたことも屡々だが、私は私で自分の流儀の正しさを信じてゐる。
それは却つて相手の胸襟を容易に披かせ、その中に思ひがけない共通の知識を発見させて
喜ばせることもできるのだ。
三島由紀夫「月澹荘綺譚」より
205 :
吾輩は名無しである:2011/09/12(月) 23:32:12.46
女はたえず美しいと言はれてゐることを、決してうるさくは感じないのである。
実際、美といふものは、崇拝と信仰によつて、はじめて到達しうるものかもしれない。
男の天才、女の美貌、これこそは神様のさづかりもので、あだやおろそかにはできんのだよ。
天才といふやつは、自分で自分が思ふやうにならず、この世の通常ののぞみは全部捨て
なければならん宿命に生まれついてゐる。美人も同様に不自由な存在なのさ。自分で
自分の美に一生奉仕しなければならんのだ。
美に対する女性の感受性は、凡庸でなければならなかつた。機関車を美しいと思ふやうでは
女もおしまひである。女にはまた、一定数の怖ろしいものがなければならず、蛇とか毛虫とか
船酔とか怪談とか、さういふものは心底から怖がらなければならぬ。夕日とか菫の花とか
風鈴とか美しい小鳥とか、さういふ凡庸な美に対する飽くことのない傾倒が、女性を真に
魅力あるものにするのである。
三島由紀夫「女神」より
206 :
吾輩は名無しである:2011/09/12(月) 23:32:49.01
何も人形のやうな美だけが美しいといふのではないが、個性美は飽きの来るものである。
もつとも大切なのは優雅だ。女の個性が優雅をはみ出すと大てい化物になつてしまふ。
一芸に秀でることはもつとも禁物だつた。美といふものは本来微妙な均衡の上にしか
成立たないものだから。
女をわれわれが美しいと思ふのは、欲望があるからですよ。ほんたうに欲望を去つて、
なほかつ女が美しく見えるかどうか、僕には、はなはだ疑問なんです。自然とか静物なら
美しさがよくわかるし、その美しさは多分贋物ぢやないでせう。しかし女はね。
僕はいはゆる美人を見ると、美しいなんて思つたことはありません。ただ欲望を感じるだけです。
不美人のはうが美といふ観念からすれば、純粋に美しいのかもしれません。何故つて、
醜い女なら、欲望なしに見ることができますからね。
三島由紀夫「女神」より
207 :
吾輩は名無しである:2011/09/12(月) 23:33:22.04
実に神秘なことだが、美といふものは第三者から見て快いのみならず、美しい者のお互に
とつても快いのである。お互が自分の美しさを知つてゐても、鏡によらずしてはそれを
見ることができないといふのは宿命的なことだ。自分が美しいといふ認識は、たえず自分から
逃げてゆくあいまいな不透明な認識であつた。結局この世では他人の美がすべてなのだ。
女の人には、自分で直観的に見た鏡が、いちばん気に入る肖像画なんです。それ以上の
ものはありませんよ。
四方八方を火にかこまれて、君は氷になつてれば大丈夫だと思つてゐるんでせう。
考へちがひも甚だしい。氷は火に溶かされてしまふんですよ。どんな厚い氷だつて。
いいですか。火に対抗するのには氷といふのはまちがひですよ。火には火、もつと強い、
もつと猛烈な火になることです。相手の火を滅ぼしてしまふくらいな猛火になることですよ。
さうしなければ、あなたの方が滅びます。
一つの悪い評判といふものは、十の悪い評判とつながつてゐるものなんです。
三島由紀夫「女神」より
『俺には何か、特別の運命がそなはつてゐる筈だ。きらきらした、別誂への、そこらの
並の男には決して許されないやうな運命が』
僕たちにできないことは、大人たちにはもつとできないのだ。この世界には不可能といふ
巨きな封印が貼られてゐる。それを最終的に剥がすことができるのは僕たちだけだといふことを
忘れないでもらひたい。
彼らは危険の定義がわかつてゐないんだ。危険とは、実体的な世界がちよつと傷つき、
ちよつと血が流れ、新聞が大さわぎで書き立てることだと思つてゐる。それが何だといふんだ。
本当の危険とは、生きてゐるといふそのことの他にはありやしない。生きてゐるといふことは
存在の単なる混乱なんだけど、存在を一瞬毎にもともとの無秩序にまで解体し、その不安を
餌にして、一瞬毎に存在を造り変へようといふ本当にイカれた仕事なんだからな。こんな
危険な仕事はどこにもないよ。存在自体の不安といふものはないのに、生きることがそれを
作り出すんだ。
大義とは? それはただ、熱帯の太陽の別名だつたかもしれないのだ。
三島由紀夫「午後の曳航」より
ところでこの塚崎竜二といふ男は、僕たちみんなにとつては大した存在ぢやなかつたが、
三号にとつては、一かどの存在だつた。少くとも彼は三号の目に、僕がつねづね言ふ世界の
内的関聯の光輝ある証拠を見せた、といふ功績がある。だけど、そのあとで彼は三号を
手ひどく裏切つた。地上で一番わるいもの、つまり父親になつた。これはいけない。
はじめから何の役にも立たなかつたのよりもずつと悪い。
いつも言ふやうに、世界は単純な記号と決定で出来上つてゐる。竜二は自分では知らなかつた
かもしれないが、その記号の一つだつた。少くとも、三号の証言によれば、その記号の
一つだつたらしいのだ。
僕たちの義務はわかつてゐるね。ころがり落ちた歯車は、又もとのところへ、無理矢理
はめ込まなくちやいけない。さうしなくちや世界の秩序が保てない。僕たちは世界が
空つぽだといふことを知つてるんだから、大切なのは、その空つぽの秩序を何とか保つて
行くことにしかない。僕たちはそのための見張り人だし、そのための執行人なんだからね。
三島由紀夫「午後の曳航」より
血が必要なんだ! 人間の血が! さうしなくちや、この空つぽの世界は蒼ざめて枯れ果てて
しまふんだ。僕たちはあの男の生きのいい血を絞り取つて、死にかけてゐる宇宙、
死にかけてゐる空、死にかけてゐる森、死にかけてゐる大地に輸血してやらなくちや
いけないんだ。
あの海の潮の暗い情念、沖から寄せる海嘯(つなみ)の叫び声、高まつて高まつて砕ける
波の挫折……暗い沖からいつも彼を呼んでゐた未知の栄光は、死と、又、女とまざり合つて、
彼の運命を別誂へのものに仕立ててゐた筈だつた。世界の闇の奥底に一点の光りがあつて、
それが彼のためにだけ用意されてをり、彼を照らすためにだけ近づいてくることを、
二十歳の彼は頑なに信じてゐた。
夢想の中では、栄光と死と女は、つねに三位一体だつた。しかし女が獲られると、あとの
二つは沖の彼方へ遠ざかり、あの鯨のやうな悲しげな咆哮で、彼の名を呼ぶことはなくなつた。
自分が拒んだものを、竜二は今や、それから拒まれてゐるかのやうに感じた。
三島由紀夫「午後の曳航」より
彼はもう危険な死からさへ拒まれてゐる。栄光はむろんのこと、感情の悪酔。身をつらぬく
やうな悲哀。晴れやかな別離。南の太陽の別名である大義の叫び声。女たちのけなげな涙。
いつも胸をさいなむ暗い憧れ。自分を男らしさの極致へ追ひつめてきたあの重い甘美な力。
……さういふものはすべて終つたのだ。
灼けるやうな憂愁と倦怠とに湧き立ち、禿鷹と鸚鵡にあふれ、そしてどこにも椰子!
帝王椰子、孔雀椰子。死が海の輝やきの中から、入道雲のやうにひろがり押し寄せて来てゐた。
彼はもはや自分にとつて永久に機会の失はれた、荘厳な、万人の目の前の、壮烈無比な死を
恍惚として夢みた。世界がそもそも、このやうな光輝にあふれた死のために準備されて
ゐたものならは、世界は同時に、そのために滅んでもふしぎはない。
血のやうに生あたたかい環礁のなかの潮、真鍮の喇叭の響きのやうに鳴りわたる熱帯の太陽。
五色の海。鯨。……
誰も知るやうに、栄光の味は苦い。
三島由紀夫「午後の曳航」より
アメリカ特有の匂ひ、衛生的な薬品の匂ひと甘いしつこい体臭とを五分五分にまぜあはせた
やうな匂ひが店内に充ちてゐた。ほとんど中年以上の女客が、濃い口紅を塗り、威丈高な
目つきをして、大きな菓子やオープン・サンドウヰッチと取り組んでゐた。これだけ
騒々しい店なのに、着飾つた一人一人の孤独な女たちの食慾にはひどくしめやかなものが
あつた。しめやかな、淋しい、沢山の消化器の儀式のやうだ。
三島由紀夫「魔法瓶」より
この世界の愚劣を癒やすためには、まづ、何か、愚劣の洗滌が要るのだ。藷たちが愚劣と
考へることの、一生けんめいの聖化が要るのだ。あいつらの信条、あいつらの商人的な
一生けんめいさをさへ真似をして。
とにかくジャックはもう治つたのだ。彼が自殺すれば、それと同時に、あのいぎたない
藷たちの世界も滅びるだらうと思つてゐたのはまちがひだつた。彼が意識を失つて病院へ
運ばれ、やがて意識を取り戻してまはりを見廻したとき、藷たちの世界は依然いきいきとして
彼を取巻いてゐた。……あいつらが不治ならば、こつちが治つてやるほかはない。
三島由紀夫「葡萄パン」より
小説を書いて世に売るといふのは、いかにも異様な、危険な職業だといふことを、私は時折
感ぜずにはゐられない。私は言葉を通じて、何を人の心へ放射してゐるのであらうか?
芸術家にはたしかに、酒を売る人に似たところがある。彼の作品には酒精分が必要であり、
酒精分を含まぬ飲料を売ることは、彼の職業を自ら冒涜するやうなものである。つまり
酩酊を売るのである。正常な人間は、それが酒であることを知つて買ひ、一夜の酔をたのしみ、
酔が醒めれば我に返る。しかし、かういふことがありうる。酒と知らずに、有益な飲料だと
思つて買つて、その結果、馴れない酒のために悪酔をするといふこと。あるひは、はじめから、
正常でない人間がこれを買つて、一定の酒精分からは思ひもかけないほどの怖ろしい結果を
惹き起すこと。……
小説を読むことは孤独な作業であり、小説を書くことも孤独な作業である。活字を介して、
われわれの孤独が、見も知らぬ他人の孤独の中へしみ入つてゆく。
三島由紀夫「荒野より」より
あいつが机の抽斗(ひきだし)をあければ、そこからも孤独がすぐ顔をのぞかせた。そして
孤独と共に、そこにはいつも私がゐたのだ。
――一体、あいつはどこから来たのだらう。警官はもちろん私にあいつの住所などを
告げなかつた。
しかし、だんだんに私には、あいつがどこから来たのか、その方角がわかるやうな気が
しはじめた。あいつは私の心から来たのである。私の観念の世界から来たのである。
あいつが私の影であり、私の谺(こだま)であるのは確かなことだが、私の心はといへば、
あいつの考へるほど一色ではなかつた。小説家の心は広大で、飛行場もあれば、中央停車場も
ある。中央駅を囲んで道路は四通八達し、ビル街もあれば、商店街もある。並木路もあれば、
住宅地域もある。郊外電車もあれば、団地もある。野球場もあれば、劇場もある。そして
その片隅のどんな細径も私は諳んじてをり、私の心の地図はつねづね丹念に折り畳まれて
しまつてゐる。
三島由紀夫「荒野より」より
しかしその地図は、私がふだん閑却してゐる広大な地域について、何ら誌すところがない。
私はその地域を閑却し、そこへ目を向けないやうにして暮してゐるが、その所在は否定できない。
それは私の心の都会を取り囲んでゐる広大な荒野である。私の心の一部にはちがひないが、
地図には誌されぬ未開拓の荒れ果てた地方である。そこは見渡すかぎり荒涼としてをり、
繁る樹木もなければ生ひ立つ草花もない。ところどころに露出した岩の上を風が吹きすぎ、
砂でかすかに岩のおもてをまぶして、又運び去る。私はその荒野の所在を知りながら、
つひぞ足を向けずにゐるが、いつかそこを訪れたことがあり、又いつか再び、訪れなければ
ならぬことを知つてゐる。
明らかに、あいつはその荒野から来たのである。……
その意味は解せぬが、あいつは私に、本当のことを話せ、と言つた。そこで私は、
本当のことを話した。
三島由紀夫「荒野より」より
「文は人なり」とは、まことに怖ろしい格言です。
五十歳にもなれば、人生は、性欲とお金だけで、「純粋な心の問題」は、それが満たされた
あとでなくては現はれるはずもないのです。
ところどころ、何のことかわからないことを入れるのが、ファン・レターの秘訣です。
本当に「おはやう」といふのにふさはしい唇を持つた若い女性は、人の目をさまさせますよ。
私は結婚しても、あの手紙だけはとつておきたいやうな気がするの。
「おはなはん」ぢやないけれど、三十年たち、四十年たつて、自分の若いころの魅力的な姿を
思ひ出すには、やつぱりどんなよく撮れた写真よりも、他人の言葉のはうがリアリティが
あるにちがひないから。
そもそも、助け合ひなどといふことは貧乏人のすることで、その結果生まれる裏切りや
背信行為も、金持ちの世界とはまるでちがひます。金持ちの裏切りは、助け合ひなどといふ
バカな動機からは決して起りません。
三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
毅然としてゐる。青年らしい。ちつとも女々しいところがない。ちつともメソメソした
ところがない。――これが借金申し込みの大切な要素です。人は他人のジメジメした心持ちに
対してお金を上げるほど寛大ではありません。
女の子から、「ちよつとイカスわね」と言はれれば、うれしいにきまつてゐるが、男は
軽率に自分の男性的魅力を信じるわけにはいきません。
女の子といふものは、妙に、男の非男性的魅力に惹かれがちなものだからです。
女は自分のことばかりにかまけて、男をほめたたへる、といふ最高の技巧を忘れ、あるひは
怠けてゐる。
大ていの女は、年をとり、魅力を失へば失ふほど、相手への思ひやりや賛美を忘れ、しやにむに
自分を売りこまうとして失敗するのです。もうカスになつた自分をね。
あらゆる男は己惚れ屋である。
三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
脅迫状は事務的で、冷たく、簡潔であればあるだけ凄味があります。
第一、感情で脅迫状を書くといふのはプロのやることではありません。卑劣に徹し、
下賤に徹し、冷血に徹し、人間からズリ落ちた人間のやる仕事ですから、こちらの血が
さわいでゐては、脅迫状など書けません。
便せんをすかしてみて、そこに少しでも人間の血の色がすいて見えるやうでは、脅迫状は
落第なのです。
この世に生命を生み出す女つて、何てふしぎなものでせう。世の中でいちばん平凡なことが、
いちばん奇跡的なのだ。
女の人は、肉体的なことしかわからないのではありませんか?
西洋人はすべて社交馴れしてゐますから、社交は、建て前が大切だといふ第一原則を守ります。
招待を断わるには、「のがれがたい先約があつて」といふ理由だけで十分で、その内容を
説明する必要はありません。たとひ、ひと月前、ふた月前の招待であつても、さういふ理由で
かまひません。
三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
男が「結婚してくれ」と言ふときには、彼のはうに、彼女を迎へ入れるに足る精神的物質的
社会的準備が十分整つてゐるのが理想的です。
人生は一つの惰性なのかもしれません。
恋愛にとつて、最強で最後の武器は「若さ」だと昔から決まつてゐます。
ともすると、恋愛といふものは「若さ」と「バカさ」をあはせもつた年齢の特技で、
「若さ」も「バカさ」も失つた時に、恋愛の資格を失ふのかもしれませんわ。
人間はいくつになつても感傷を心の底に秘めてゐるものですが、感傷といふのは
Gパンみたいなもので、十代の子にしか似合はないから、年をとると、はく勇気がなくなる
だけのことです。
本当に死ななくても、愛しあふ恋人同士は毎晩心中してゐるのだと思ひます。
僕は演劇は民衆の心に訴へかけ、民衆の魂に火をつけるのでなくては意味がないと思ひます。
三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
あらゆる投書狂、身の上相談狂は自分の告白し、あるひは主張してゐることについて、
内心は、本当の解決など求めてゐはしませんし、また何かの解決を暗示されても、それを
心から承服したりはしません。
この身の上相談の女性もさうですが、世間の人はだれでも、彼女のことに関心を持つて
くれるのが当たり前だ、といふ錯覚におちいつてゐます。
私たちには、何もそんな関心を持つ義務はないのだし、未知の人が死んでも生きても、
別に興味はないのですが、彼女は、自分に対する熱烈な興味は、他人も彼女に対して
同じやうに持つはずだと信じてゐる。
身の上相談の手紙は一見、内容がどれほど妥当でも、全部がこのまちがつた思ひ込みの上に
築かれたお城なのですから、もし彼女がこの基本的な思ひちがひに気がつけば、ほかの
あらゆる人生問題は片づくかもしれないのに、永遠にそこに気がつかないといふところに、
大悲劇があるのです。
つまり、見知らぬ他人に身の上相談なんかするといふ行動それ自体に、彼女の人生を
悩み多くする根本原因がひそんでゐるといへませう。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
ヒステリーの女は絶対に、自分のヒステリーは自分のせゐぢやないと信じてゐるわ。
子供を重荷と感じて、自分たちの自由と快楽をいつまでも追はうとするのは、末期資本主義的
享楽主義に毒された哀れな奴隷的感情だと思ふんだ。
だれでも、自分とまつたく同じ種類の人間を愛することはできませんものね。
罪もない相手を悲境に陥れるといふのは、一見、悪魔的ふるまひとも思へますが、もともと
恋に善悪はない。
自分の感情にそむいては、何ごとも成功するものではありません。
テレビでいちばん美しいのは、やつぱり色彩漫画で、宇宙物なんかの色のすばらしさは、
ディズニー・ランドそつくりですが、ディズニーはなんで死んだのでせう。
こんなことを言つてるとキチガヒみたいだけど、テレビばつかり見てると、どうしても
世界中のことがみんな関係があるやうな気がしてきます。テレビの前で食べてる甘栗は、
中共から輸入されたものだらうし、君の妊娠だつて、思はぬことで、何か世界情勢と
関係があるかもしれません。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
大体、頭のいい友だちを求める人たちは、よほど頭がわるい連中なんだわ。心を打ち明け合つて
安心なのは、それによつて相手が、はじめてバランスがとれたと感じるやうな友だちなのだわ。
といふのは、頭のよい友だちはふだんから頭で優越感を持つてゐるところへ、そんな告白を
きかされて、感情でも優越感を持つてしまふでせうに、頭のわるい友だちなら、ふだんの
知的な劣等感を感情の優越感で補はれたと思つて、うれしがるでせう。うれしがつて本当に
心からの親切を尽くすでせう。さういふ友だちが大切なのだわ。
恋は愉しいものではなくて、病気だわ。いやな、暗い発作のたびたびある、陰気な慢性の
病気だわ。恋が生きがひだなんていふ人がゐるけれど、とんでもないまちがひで、悪だくみの
はうが、ずつと生きがひを与へてくれます。恋が愉しいなんて言つてゐる人は、きつと
ひどく鈍感な人なのでせう。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
何かほしいときだけ甘つたれてくる猫たちの媚態は、あまりにも無邪気な打算がはつきり
してゐて、かはいらしい。
男は別に人格者の女を求めるわけではなく、人間のもろもろの悪徳が、小さな、かはいらしい
ガラス張りの箱の中に、ちんまりと納まつてゐるのを見るのが、安心であり、うれしくもあり、
かはいらしくもある。そこが男の愛の特徴です。
他人の幸福なんて、絶対にだれにもわかりつこないのです。
私は手紙の第一要件だけを言つておきたい。
それは、あて名をまちがひなく書くことです。これをまちがへたら、ていねいな言葉を
千万言並べても、帳消しになつてしまひます。
姓名を書きまちがへられるほど、神経にさはることはありません。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
手紙を書くときには、相手はまつたくこちらに関心がない、といふ前提で書きはじめ
なければいけません。これがいちばん大切なところです。
世の中を知る、といふことは、他人は決して他人に深い関心を持ちえない、もし持ち得ると
すれば自分の利害にからんだ時だけだ、といふニガいニガい哲学を、腹の底からよく
知ることです。
手紙の受け取り人が、受け取つた手紙を重要視する理由は、
一、大金
二、名誉
三、性欲
四、感情
以外には、一つもないと考へてよろしい。このうち、第三までははつきりしてゐるが、
第四は内容がひろい。感情といふからには喜怒哀楽すべて入つてゐる。ユーモアも入つてゐる。
打算でない手紙で、人の心を搏つものは、すべて四に入ります。
世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かつて邁進してをり、他人に関心を持つのは
よほど例外的だ、とわかつたときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力が
そなはり、人の心をゆすぶる手紙が書けるやうになるのです。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
『仏教といふのは妙なもんだ』と岡野は考へてゐた。『慈眼で見張れば、湖上の船も難から
救はれるといふ考へなんだ。こんな死んだ金いろの目で』
見るといふことは岡野にとつて、本来、残酷さの一部だつたが、
「遠くひろがる湖面には、
帆影に起る喜悦の波。
払暁の町はかなたに
今花ひらき明るみかける」
などといふ彼の好きなヘルダアリンの詩句も、この千体仏の暗い金の重圧、慈悲による、
見ることによる湖の支配の前に置かれては、たちまち力を喪ふやうに思はれた。
ハイデッガーのいはゆる「実存(エクジステンツ)」の本質は時間性にあり、それは本来
「脱自的」であつて、実存は時間性の「脱自(エクスターゼ)」の中にある、と説かれてゐるが、
エクスターゼは本来、ギリシア語のエクスタテイコン(自己から外へ出てゐる)に発し、
この概念こそ、実存の概念と見合ふものである。つまり実存は、自己から外へ漂ひ出して、
世界へひらかれて現実化され、そこの根源的時間性と一体化するのである。
三島由紀夫「絹と明察」より
全然愛してゐないといふことが、情熱の純粋さの保証になる場合があるのだ。
善意や慈善は、必ず人の心に届くのだ。あるときは日光のやうにまつすぐに、あるときは
蜜蜂に運ばれる花粉のやうに、さまざまの迂路をゑがいて。
ヨーロッパの個人主義は悲惨を極め、パリの街頭を、助ける人もなく、よろめき歩く老人の
数の夥しさは彼を怒らせた。『嫁はんは一体何をしとるんや』黒衣の老婆が片手に杖をつき、
片手は建物の壁に縋(すが)つて、口のなかで何事か呟きながら、一歩一歩、定かならぬ歩を
運ぶ有様は、彼には人間世界の終焉と感じられ、その呟く言葉はきつと経文にちがひないと
思はれた。
若さが幸福を求めるなどといふのは衰退である。若さはすべてを補ふから、どんな不自由も
労苦も忍ぶことができ、かりにも若さがおのれの安楽を求めるときは、若さ自体の価値を
ないがしろにしてゐるのである。そして若くして年齢のこの逆説を知ることが、人間に必須な
教養といふものだつた。
三島由紀夫「絹と明察」より
その理法を司る駒沢の立場は、時には日照りが望まれてゐるときに雨を降らせ、雨が
乞はれてゐるときは日照りをつづけたりせねばならず、目先だけでは理解されやうもないが、
いつも遠い調和へ目を放つて、そのときの理解をたのしみに暮すほかはなかつた。
サークル活動は風紀を紊(みだ)し、文化的なたのしみは青年を腑抜けにし、その害毒は
いづれも年配になればわかることだが、彼は自由の意味もわからぬ年ごろに自由を与へたり
することが、自然に反する行ひだと知つてゐた。
彼は無知を弾劾し、忘恩をののしり、この世に正義が行はれなくなつたことを大声で
慨(なげ)いた。いやらしい黴菌が若い者の心に巣喰ひ、美しい情誼を足蹴にかけさせ、
腐敗と怠惰が世界中にはびこり、謙虚が色褪せ、女の股倉が真黒になり、懐疑と反抗が
男の叡智を曇らせ、喰つたものはみんな洟汁と精液になり、勤勉は嘲られ、誠意はそしられ、
嘘の屁と欺瞞のげつぷをところかまはずひり出し、ために健全な母親の乳房も爛れてしまふ。
さういふペストが、つひに駒沢紡績をも犯したのだ。
三島由紀夫「絹と明察」より
あんたらは、はいはいと女子(おなご)の言ふなりになつたわけか。わしはやるべきものと
やらいでええものとを弁へてをつたが、あんたらにはその弁へがつかんのや。自由やと?
平和やと? そないなこと皆女子の考へや。女子の嚔(くさめ)と一緒や。男まで嚔をして、
風邪を引かんかつてええのや。
駒沢の考へる家族とは、愛などを要せずに、そこに既に在るものだつた。はじめから
一続きの紙に、どうして愛などといふ糊が要るだらうか。
男が自由や平等や平和について語るのは、自らを卑しめるもので、すべて女の原理の借用に
すぎぬといふこと。少しでも自尊心のある男なら、自由や平等や平和の反対物、すなはち
服従や権威や戦ひについて語るべきだといふこと。男があんなことを言ひ出したとたんに、
女にしてやられ、女の代弁者として利用されるやうになるといふこと。……
三島由紀夫「絹と明察」より
かれらも亦、かれらなりの報いを受けてゐる。今かれらは、克ち得た幸福に雀躍(こをどり)して
ゐるけれど、やがてそれが贋ものの宝石であることに気づく時が来るのだ。折角自分の力で
考へるなどといふ怖ろしい負荷を駒沢が代りに負つてやつてゐたのに、今度はかれらが肩に
荷はねばならないのだ。大きな美しい家族から離れ離れになり、孤独と猜疑の苦しみの裡に
生きてゆかなければならない。幸福とはあたかも顔のやうに、人の目からしか正確に
見えないものなのに、そしてそれを保証するために駒沢がゐたのに、かれらはもう自分で
幸福を味はうとして狂気になつた。さうして自分で見るために、ぶつかるのは鏡だけだ。
血の気のない、心のない、冷たい鏡だけ、際限もない鏡、鏡……それだけだ。
『それもええやらう。苦労するだけ苦労したらええ。その先に又、おのづから道がひらけて
来るのや』
そして存分に、悲しさうに吠えるがよい! 人間どもは昔からさうして吠えてきたし、
今後もそのやうに吠えつづけるだらう。だから駒沢は、自分をも含めて、かれらをみな恕す。
三島由紀夫「絹と明察」より
彼は米国で見た北斎を思ひ浮べたが、北斎は風景ばかりか人間まで怖ろしいほどよく知つてゐた。
それを存分に描いて後世に伝へ、外国人にまで愛された。何といふ相違だらう。駒沢はそれを
知つてゐるといふことを、北斎同様、公然と示したのであるが、一人は栄光にかがやき、
一人はそのために悲境に陥つた。駒沢は画家ではなかつたのだから、その秘密を公言すべきでは
なかつたのだ。北斎にしろ広重にしろ、あんなに逆巻く波や噴火する山や横なぐりの雨を描き、
そこに小さく点綴される人間の貧しい重い労働を描き、それをすべて世にも幸福な色彩で
彩つたのだが、駒沢のやつたことも同じで、
『結局お前らはみんな幸福なんや』
と言ひつづけて来たのだつた。色彩は罰せられず、言葉は罰せられるのは何故だらう。
だが今、彼を嘘つきと言ひ、不正直と言ひ、狂人と言ひ、悪徳資本家と言ひ、企業を
私物化した時代おくれの石頭と言つた、すべての人を彼は恕す。
三島由紀夫「絹と明察」より
かれらの憎悪と、それに触発された駒沢の憎悪が、今はからずも、一会社の枠をこえて、
『四海みな我子やさかいに……』
といふ心境に彼を辿りつかせた。それこそは正に、彼が彦根の署長室から立ち去つてゆく
大槻の白いシャツの背に見出したものだつた。
やがてかれらも、自分で考へ自分で行動することに疲れて、いつの日か駒沢の樹てた美しい
大きな家族のもとへ帰つて来るにちがひない。そここそは故郷であり、そこで死ぬことが
人間の幸福だと気づくだらう。再び人間全部の家長が必要になるだらう。……
駒沢の伝染(うつ)す死は、必ずしも肉体的な死ばかりではあるまい。岡野の心のほんの
一小部分でもそれに犯されたら、彼の得る利得はただ永久に退屈な利得につらなり、
彼の思想はただ永久に暗い深所の呟きにをはつて、二度とその二つが輝やかしく手を握ることは
ないだらう。……
へんな、いつはりのよみがへりの時代がはじまつてゐた。
三島由紀夫「絹と明察」より
本来決してここにあるべきではなかつた物質、この世の秩序の外にあつて時折その秩序を
根底からくつがへすために突然顕現する物質、純粋なうちにも純粋な物質、……さういふものが
きつとスパナに化けてゐたのだ。
われわれはふだん意志とは無形のものだと考へてゐる。軒先をかすめる燕、かがやく雲の
奇異な形、屋根の或る鋭い稜線、口紅、落ちたボタン、手袋の片つぽ、鉛筆、しなやかな
カーテンのいかつい吊手、……それらをふつうわれわれは意志とは呼ばない。しかし
われわれの意志ではなくて、「何か」の意志と呼ぶべきものがあるとすれば、それが
物象として現はれてもふしぎはないのだ。その意志は平坦な日常の秩序をくつがへしながら、
もつと強力で、統一的で、ひしめく必然に充ちた「彼ら」の秩序へ、瞬時にしてわれわれを
組み入れようと狙つてをり、ふだんは見えない姿で注視してゐながら、もつとも大切な瞬時に、
突然、物象の姿で顕現するのだ。かういふ物質はどこから来るのだらう。多分それは
星から来るのだらう、と獄中の幸二はしばしば考へた。……
三島由紀夫「獣の戯れ」より
幸二は思つた。僕が本当に見たかつたのはその歓喜ではなかつたか? それなしに、どうして
こんな半歳にわたる自己放棄と屈辱のかずかずがありえたか?
幸二が正に見たかつたのは、人間のひねくれた真実が輝やきだす瞬間、贋物の宝石が
本物の光りを放つ瞬間、その歓喜、その不合理な夢の現実化、莫迦々々しさがそのまま
荘厳なものに移り変る変貌の瞬間だつた。さういふものの期待において優子を愛し、優子の
守つてゐた世界の現実を打ち壊さうと願つたのだから、それが結果として逸平の幸福に
なつても構はない筈だつた。少なくとも幸二は何ものかのために奉仕したのだ。
しかし実際に幸二が見たのは、人間の凡庸な照れかくしと御体裁の皮肉と、今までさんざん
見飽きたものにすぎなかつた。彼は計らずも自分が信じてゐた劇のぶざまな崩壊に立ち会つた。
『そんなら仕方がない。誰も変へることができないなら、僕がこの手で……』
支柱を失つた感情で、幸二はさう思つた。何をどう変へるとも知れなかつた。しかし着実に
自分が冷静を失つてゆくのを彼は感じた。
三島由紀夫「獣の戯れ」より
『あのとき俺は、論理を喪くしたぷよぷよした世界に我慢ならなかつたんだ。あの豚の
臓腑のやうな世界に、どうでも俺は論理を与へる必要があつたんだ。鉄の黒い硬い冷たい
論理を。……つまりスパナの論理を』
又、
『あの日の夕方、優子が酒場でかう言つたつけ。《そんなときにあの人の平然とした顔を
見たら、もうおしまひだ》つて。あのスパナの一撃のおかげで、俺はわざわざ、彼らを
《おしまひ》にすることから救つたんだ。……』
幸二は清の単純な抒情的な魂を羨んだ。硝子のケースの中の餡パンのやうに、はつきりと
誰の目にも見える温かいふつくらした魂。刑務所の庭にも清の語つたのと同じやうな花園が
あつた。受刑者たちが手塩にかけて育ててゐるその花園を、幸二は手つだはなかつたけれど、
遠くから愛してゐた。ひどく臆病に、迷信ぶかく、痛切に、しかもうつすらと憎んで。
……彼も亦、金蓮花の卑俗な鬱金いろに心をしめつけられた思ひ出を持つてゐた。しかし
清とちがつて、幸二は決してこの種の思ひ出を語らないだらう。
三島由紀夫「獣の戯れ」より
正直を言ふと、俺はかうも考へたよ。俺があんたの頭をスパナでぶちのめしたおかげで、
あんたの思想は完成し、あんたの生きてる口実が見つかつたんだ、と。人生とは何だ?
人生とは失語症だ。世界とは何だ? 世界とは失語症だ。歴史とは何だ? 歴史とは失語症だ。
芸術とは? 恋愛とは? 政治とは? 何でもかんでも失語症だ。それでみんな辻褄が合ひ、
あんたが前から考へてゐたことが、ここですつかり実を結んだのだ、と。
草門家はあんたの中のからつぽな洞穴を中心にして廻りはじめた。座敷のまんなかに深い
空井戸が口をあけてゐる家といふものを想像してみるといい。空つぽな穴。世界を呑み込んで
しまふほど大きな穴。あんたはそれを大事に護り、そればかりか、穴のまはりに優子と俺を
うまい具合に配置して、誰も考へつきさうもない新らしい『家庭』を作り出さうといふ気に
なつた。空井戸を中心にしたすてきな理想的な家庭。あんたが俺の隣りへ寝室を移したときに、
『家庭』はいよいよ完成に近づきだしてゐたわけだ。
三島由紀夫「獣の戯れ」より
やがて三つの空つぽな穴、三つの空井戸が出来上り、それらが傍もうらやむ仲の良い幸福な
家庭を築き上げる。それには俺も誘惑を感じる。すんでのところで手を貸したくなつたりもする。
やらうと思へば事は簡単だからだ。俺たちが苦悩を捨て、自分たちの中にもあんたと同じ寸法の
穴をうがち、あんたの見てゐる前で、俺と優子が、何の煩らひもなく、獣の戯れみたいに
一緒に寝ればそれですむんだから。あんたの見てゐる前で、快楽の呻きをあげ、のたうちまはり、
あげくのはては鼾をかいて眠つてしまへばいいのだから。
しかし、俺にはそれはできない。優子もできない。わかるか? あんたの思ふ壺にはまつて、
幸福な獣になるのが怖いから、俺たちには決してできない。しかも、いやらしいことに、
あんたはそれを知つてゐるんだ。
三島由紀夫「獣の戯れ」より
蘭陵王は必ずしも自分の優にやさしい顔立ちを恥ぢてはゐなかつたにちがひない。むしろ
自らひそかにそれを矜つてゐたかもしれない。しかし戦ひが、是非なく獰猛な仮面を
着けることを強ひたのである。
しかし又、蘭陵王はそれを少しも悲しまなかつたかもしれない。或ひは心ひそかに喜びとして
ゐたかもしれない。なぜなら敵の畏怖は、仮面と武勇にかかはり、それだけ彼のやさしい
美しい顔は、傷一つ負はずに永遠に護られることになつたからである。
私は、横笛の音楽が、何一つ発展せずに流れるのを知つた。何ら発展しないこと、これが重要だ。
音楽が真に生の持続に忠実であるならば、(笛がこれほど人間の息に忠実であるやうに!)、
決して発展しないといふこと以上に純粋なことがあるだらうか。
何時間もつづけて横笛を練習すると、吐く息ばかりになるためであらうか、幽霊を見るさうだ。
三島由紀夫「蘭陵王」より
239 :
吾輩は名無しである:2011/12/10(土) 11:17:19.84
まやかしの平和主義、すばらしい速度で愚昧と偸安への坂道を辷り落ちてゆく人々、
にせものの経済的繁栄、狂ほしい享楽慾、世界政治の指導者たちの女のやうな虚栄心……
かういふものすべては、仕方なく手に委ねられた薔薇の花束の棘のやうに彼の指を刺した。
あとで考へればそれが恩寵の前触れであつたのだが、重一郎は世界がこんな悲境に陥つた責任を
自分一人の身に負うて苦しむやうになつた。誰かが苦しまなければならぬ。誰か一人でも、
この砕けおちた世界の硝子のかけらの上を、血を流して跣足で歩いてみせなければならぬ。
一人の人間が死苦にもだえてゐるとき、その苦痛がすべての人類に、ほんのわづかでも
苦痛の波動を及ぼさないとは何事だらう! こんな肉体的苦痛の明確な個人的限界に
つきあたると、重一郎は又しても深い絶望に沈んだ。どうしてあの原子爆弾の怖ろしい
苦痛ですら、個人的な苦痛に還元され、肉体的な体験だけで頒(わか)たれることに
なつたのだらう。あの原爆投下者の発狂の原因は、彼にはありありとわかるやうな気がした。
三島由紀夫「美しい星」より
240 :
吾輩は名無しである:2011/12/10(土) 11:29:45.83
いやが上にも凡庸らしく、それが人に優れた人間の義務でもあり、また、唯一つの自衛の
手段なのだ。
今や人類は自ら築き上げた高度の文明との対決を迫られてをり、その文明の明智ある支配者と
なるか、それともその文明に使役された奴隷として亡びるか、二つに一つの決断を迫られてゐる。
アメリカは、広島への原爆の投下によつて、自らの手を汚しました。これは彼らの歴史の
永久に落ちぬ汚点となりました。
三島由紀夫「美しい星」より
241 :
吾輩は名無しである:2011/12/10(土) 11:30:28.54
北方の人間のしつこい「進歩的」思想や、さういふものは猥雑でしかなかつた。彼が興味を
寄せるのは、個人的醇化、例外的な夢、反時代的な確証に尽きてゐた。彼があるべきだと
考へるものは、決してこの世に存在しない。しかし何かが存在しないなら、それが
存在するべきだつた。これは美の倫理であり、芸術の倫理でもある筈だつたが、彼が芸術家で
なかつたら、どうすればよいのか? すでに存在してゐるものに存在への夢を寄せ、それらを
二重の存在に変へてしまひ、すべてを二重に透視すればよいのだ。
肉の交はりはそもそも心の交合の模倣であり、絶望から生れた余儀ない代償ではないだらうか。
三島由紀夫「美しい星」より
242 :
吾輩は名無しである:2011/12/26(月) 14:33:06.54
偶然といふ言葉は、人間が自分の無知を湖塗しようとして、尤もらしく見せかけるために
作つた言葉だよ。
偶然とは、人間どもの理解をこえた高い必然が、ふだんは厚いマントに身を隠してゐるのに、
ちらとその素肌の一部をのぞかせてしまつた現象なのだ。人智が探り得た最高の必然性は、
多分天体の運行だらうが、それよりさらに高度の、さらに精巧な必然は、まだ人間の目には
隠されてをり、わづかに迂遠な宗教的方法でそれを揣摩してゐるにすぎないのだ。宗教家が
神秘と呼び、科学者が偶然と呼ぶもの、そこにこそ真の必然が隠されてゐるのだが、天は
これを人間どもに、いかにも取るに足らぬもののやうに見せかけるために、悪戯つぽい、
不まじめな方法でちらつかせるにすぎない。人間どもはまことに単純で浅見だから、
まじめな哲学や緊急な現実問題やまともらしく見える現象には、持ち前の虚栄心から喜んで
飛びつくが、一見ばかばかしい事柄やノンセンスには、それ相応の軽い顧慮を払ふにすぎない。
かうして人間はいつも天の必然にだまし討ちにされる運命にあるのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
243 :
吾輩は名無しである:2011/12/26(月) 14:34:23.30
なぜなら天の必然の白い美しい素足の跡は、一見ばからしい偶然事のはうに、あらはに
印されてゐるのだから。
恋し合つてゐる者同士は、よく偶然に会ふ羽目になるものだ。それだけならふしぎもないが、
憎み合つてゐて、お互ひに避けたいと思つてゐる同士も、よく偶然に会ふ羽目になるものだ。
この二例を人間の論理で統一すると、愛憎いづれにしろ、関心を持つてゐる人間同士は
否応なしに偶然に会ふといふことになる。人間の論理はそれ以上は進まない。しかし
われわれ宇宙人の鳥瞰的な目は、もつと広大な展望を持つてゐる。そこから見ると、関心を
抱き合ひつつ偶然に会ふ人の数とは比べものにならぬほど、人間どもは、電車の中、町中で、
何ら関心を持ち合はない無数の他人とも、時々刻々、偶然に会つてゐるのだ。おそらく
一生に一度しか会はない人たちと、奇蹟的にも、日々、偶然に会つてゐるのだ。ここまで
ひろげられた偶然は、もう大きな見えない必然と云ふほかはあるまい。仏教徒だけが
この必然を洞察して、『一樹の蔭』とか『袖触れ合ふも他生の縁』とかの美しい隠喩で
それを表現した。
三島由紀夫「美しい星」より
244 :
吾輩は名無しである:2011/12/26(月) 14:35:35.61
そこには人間の存在にかすかに余影をとどめてゐる『星の特質』がうかがはれ、天体の
精妙な運行の、遠い反映が認められるのだ。実はそこには、それよりもさらに高い必然の
網目の影も落ちかかつてゐるのだが……。
この地球の無秩序も、全然宇宙の諧和と異質なものではないのだから、われわれは絶望的に
なることは一つもない。
このごろ私にはやうやくわかりかけて来たのだが、かつてあれほど私を悩ました地上の人々や
事物のばらばらな姿は、天の配慮かもしれないのだ。といふのは、宇宙的調和と統一の時が
近づくに従つて、天の必然が白熱した機械のやうに昂進し、そのことが却つて、人間の考へる
論理的必然的聨関ではどうにも辻褄の合はぬほど、玩具箱を引つくりかへしたやうな状態を
地上に作りだしてしまつたにちがひないのだ。そのためわれわれも身のまはりにたえず
注意を払つて、一見ばかばかしい偶然の発生を記録しておいたはうがいい。小さな事物の
つまらない偶然の暗号が、これから地上には加速度にふえて行くだらうと私は見てゐる。
三島由紀夫「美しい星」より
245 :
吾輩は名無しである:2012/01/06(金) 12:11:01.10
死は今や美しい雲の形で地球人を取り巻いてゐた。夕空に映える高い紅や紫の雲は、みんな
有毒だつた。見えない死のたえまない浸潤。あの空のはるか高みにふりまかれた毒が、
地に降りて、野菜や牛乳を通して、人間の骨の奥につひに宿りを定める春が来てゐた。
幽暗な棲家を求めて、地上のかがやかしい田園の動植物の体をかいくぐつて、倦まない旅を
つづける微細な死は、いよいよ居を定めると、生きてゐる人間たちに、その肉体の不朽な
部分の本質を、すなはち骨の本質を高らかに告げ知らせるのだ。死ぬまでは閑却されてゐた
人間の骨が、生きながら喇叭のやうに歌ひだすのだ。それらの死は、日を浴びた美しい野菜畑や、
緑の森と小川を控へた牧場や、すべて花と蜜蜂にあふれた風景の只中からやつてくる。
ピクニックの人々は、自然の中にこまかく織り込まれた死と呼応して、自分たちの中の骨が
歌ひだすのを感じるにちがひない。人間に不朽なものは骨だけであり、死の灰は肉を
滅ぼしこそすれ、骨の美しく涸れた簡素なすがたは、永久に失はれることがない、と。
三島由紀夫「美しい星」より
246 :
吾輩は名無しである:2012/01/06(金) 12:12:15.09
かつて叫ばれた八紘一宇といふ言葉は、かかる文明史的予言であつたものを、軍閥に利用されて、
卑小な意味に転化されたのだ。
世界連邦はいつかは樹立されなければならないが、世界連邦の理念は、国際連合的な
悪平等の上に立つてにつちもさつちも行かなくなるやうなものではなく、文明史的潮流の
予言的洞察の上に立ち、日本といふ個と、世界といふ全体との、お互ひがお互ひを包み込む
やうな多次元的綜合(!)に依るべきである。
人間には三つの宿命的な病気といふか、宿命的な欠陥がある。その一つは事物への
関心(ゾルゲ)であり、もう一つは人間への関心であり、もう一つは神への関心である。
人類がこの三つの関心を捨てれば、あるひは滅亡を免れるかもしれないが、私の見るところでは、
この三つは不治の病なのです。
三島由紀夫「美しい星」より
先行して大勢のバカが繰り返している文明論のまたの繰り返し。詰まらねえな。
248 :
吾輩は名無しである:2012/01/13(金) 12:38:55.21
おわかりですか。私はひいては天体としての地球の物的性質、無機物の勝利といふことを
言つてゐるのです。いくら人間が群をなして集まつても、宇宙法則の中で『生命』といふものが
例外的なものにすぎないといふ無意識の孤独感は拭はれず、人間はとりわけ物に、無機物に
執着します。金貨と宝石とは人間の生命と生活に対する一等冷淡な対立物であるにもかかはらず、
さういふ物質をとらへて、人間的色彩をこれに加へ、人間的臭気をこれに与へることに
人々は熱中して来ました。そのうちに人間は物に馴れ親しみ、物の運動と秩序のなかに、
人間の本質をみつけ出すやうにさへなつたのです。そして有機物にすら、生きて動いてゐる
猫にすら、人間の惹き起す事件にすら、いや、人間そのものにすら、物の属性を与へなくては
安心できぬやうになつた。物の属性を即座に与へることが事物に完結性の外観をもたらし、
人間が恒久性の観念と故意をごつちやにしてゐる『幸福』の外観をもたらすからです。
三島由紀夫「美しい星」より
249 :
吾輩は名無しである:2012/01/16(月) 14:13:49.92
ピースの正体は三島だった!
250 :
吾輩は名無しである:2012/01/16(月) 16:02:54.98
三島ピースは文学の帝王!
251 :
文学板の神様:2012/01/16(月) 16:36:35.67
ここにはゆうすけくんはこないのかのお。
ふぉっふぉっふぉっ。
252 :
吾輩は名無しである:2012/01/16(月) 21:27:42.01
右翼団体のステプロ
253 :
まぐな〜、見てるか〜?:2012/01/17(火) 22:08:45.47
744 +1:まぐな ::2012/01/17(火) 20:34:17.32
>>737 下半身パイナップル腐れまんこ臭気プンプンババア、部屋中むせ返るほどパイナップルの臭いさせまくりやがって、きたねえだよ、さっさと出てけ。
パイナップル色に黄ばんだパンティ何日着てれば気が済むと思ってるんだ。
このパイナップルオリモノ糞ババア、パイナップル腐れまんこババァ!
754 +1:まぐな ::2012/01/17(火) 20:39:27.49
>>737 パイナップル腐れまんこは哲学板でも汚いおばさんだと、文学板にまでベタベタきたねえパイナップルマン汁、を滴らせてやがるからな。
ジャネットの様なパイナップル汁が好きなやつは、深いに思わんのだろうが、その腐れ汁ベタベタが心底いやでいやでたまらんのだよ。
パイナップル膿まんこオリモノドロドロクソババア! オリモノパイナップルウジムシクソババア!
254 :
吾輩は名無しである:2012/01/18(水) 20:10:45.19
アンチまぐなが荒らしてるのか
255 :
吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 21:51:30.95
かやうに人間の事物への関心は、時間の不可逆性からつねに自分を救ひ出さうとする欲求で、
三十年前にロンドンで買つた傘を愛用してゐる紳士も、今年の夏の流行の水着を身につける女も、
三十年間にしろ、一ヵ月にしろ、その時間を代表する物質に自分を閉じ込めて安心するのです。
物質に対する人間の支配は、暗々裡に、いつも物質の最終的な勝利を認めてきた。さうで
なかつたら、どうして地球上に、あんなに沢山、石や銅や鉄のいやらしい記念碑や建築物や
お墓が残つてゐる筈がありませう。さて、そこで人間は、最後に、物質の性質をある程度
究明して、原子力を発見したのです。水素爆弾は人間の到達したもつとも逆説的な事物で、
今人間どもは、この危険な物質の裡に、究極の『人間的』幻影を描いてゐるのです。
水素爆弾が、最後の人間として登場したわけです。それはまるで、現代の人間が、自分たちには
真似もできないが、現代の人間世界にふさはしい人間は、かうあらねばならぬといふ絶望的な
夢を、全部具備してゐるからです。
三島由紀夫「美しい星」より
256 :
吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 21:53:51.64
性慾は実は人間的関心ではないのです。それは繁殖と破壊の間から、世界の薄明を覗き見る
行為です。
彼らはみな、苦痛が決して伝播しないこと、しかも一人一人が同じ苦痛の『条件』を
荷つてゐることを知悉してゐるのです。
人間の人間に対する関心は、いつもこのやうな形をとります。同じ存在の条件を荷ひながら、
決して人類共有の苦痛とか、人類共有の胃袋とかいふものは存在しないといふ自信。……
女が出産の苦痛を忘れることの早さと、自分が一等難産だつたと信じてゐることを、あなたも
よく承知でせう。すべては老い、病み、さうして死ぬのに、人類共有の老いも病気も死も、
決して存在しないといふ個体の自信。
政治的スローガンとか、思想とか、さういふ痛くも痒くもないものには、人間は喜んで
普遍性と共有性を認めます。毒にも薬にもならない古くさい建築や美術品は、やすやすと
人類共有の文化的遺産になります。しかし苦痛がさうなつては困るのです。大演説の最中に
政治的指導者の奥歯が痛みだしたとき、数万の聴衆の奥歯が同時に痛みだしては困るのです。
三島由紀夫「美しい星」より
257 :
吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 21:55:10.02
いくら握手したところで黒人の胃袋が白人の胃袋に、同じ胃痛を伝播する心配がないならば、
握手ぐらゐのことが何の妨げになるでせう。世界共和国の思想には、かうしてどこか不感症の、
そのくせ異様に甘い、キャンディーのやうなところがあります。ところで、世界共和国は早晩、
その基礎理念に強ひられて、おそろしい結末に立ちいたるのです。それが人間の存在の条件の
同一性の確認にはじまつた以上、その共同意識は、だんだん痛みや痒みや空腹の孤立状態に
耐へられなくなる。歯の痛い人間にとつては、世界共和国なんか糞くらへといふものだ。
世界共和国の中で自分一人老いてゆくことは何だか不公平なやうな気がしてくる。どうして
若いぴちぴちした連中に、自分の老いを伝播させてやることができないのか。人間どもは
自分が一旦拒否した共有を、いつまでも叛逆罪の中に閉じこめておくことに耐へられない。
世界共和国の人民は、同時に生れ、同時に老い、同時に滅びるべきではないのか。もし
存在の条件の同一性が、この厖大な国家の唯一の理念であるならば、国家はいつかその明証を
提示しなければならない。
三島由紀夫「美しい星」より
258 :
吾輩は名無しである:2012/01/31(火) 22:54:48.14
神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。しかし神は真理自体でもなく、
正義自体でもなく、神自体ですらないのです。それは管理人にすぎず、人知と虚無との
継ぎ目のあいまいさを故ら維持し、ありもしないものと所与の存在との境目をぼかすことに
従事します。何故なら人間は存在と非在との裂け目に耐へないからであるし、一度人間が
『絶対』の想念を心にうかべた上は、世界のすべてのものの相対性とその『絶対』との間の
距離に耐へないからです。遠いところに駐屯する辺境守備兵は、相対性の世界をぼんやりと
絶対へとつなげてくれるやうに思はれるのです。そして彼らの武器と兜も、みんな人間が
稼いで、人間が貢いでやつたものばかりです。
傭兵たちは何千年の間よく働らいてくれましたから、人間は彼らへの関心を失ふことがなかつた。
スコラ派の哲学者などにいたつては、人間は贋の有限的存在で、真の存在は神だけだと
ほざいてゐたくらゐです。
三島由紀夫「美しい星」より
259 :
吾輩は名無しである:2012/01/31(火) 22:56:00.91
神への関心のおかげで、人間はなんとか虚無や非在や絶対などに直面しないですんできました。
だから今もなほ、人間は虚無の真相について知るところ少なく、虚無のやうな全的破壊の原理は
人間の文化内部には発生しないと妄信してゐる人間主義の愚かな名残で、人知が虚無を
作りだすことなどできないと信じてゐます。
本当にさうでせうか? 虚無とは、二階の階段を一階へ下りようとして、そのまますとんと
深淵へ墜落すること。花瓶へ花を活けようとして、その花を深淵へ投げ込んでしまふこと。
つまり目的も持ち、意志から発した行為が、行為のはじまつた瞬間に、意志は裏切られ、
目的は乗り超えられて、際限なく無意味なもののなかへ顛落すること。要するに、あたかも
自分が望んだがごとく、無意味の中へダイヴすること。あらゆる形の小さな失錯が、同種の
巨大な滅亡の中へ併呑されること。……人間世界では至極ありふれた、よく起る事例であり、
これが虚無の本質なのです。
三島由紀夫「美しい星」より
260 :
吾輩は名無しである:2012/01/31(火) 22:57:09.62
科学的技術は、ふしぎなほど正確に、すでに瀰漫してゐた虚無に点火する術を知つてゐます。
科学的技術は人間が考へてゐるほど理性的なものではなく、或る不透明な衝動の抽象化であり、
錬金術以来、人間の夢魔の組織化であり、人間どもが或る望まない怪物の出現を夢みると、
科学的技術は、すでに人間どもがその望まない怪物を望んでゐるといふことを、証明して
みせてくれるのです。そこで、人間をすでにひたひたと浸してゐた虚無に点火される日が
やつてきました。それは気違ひじみた真赤な巨大な薔薇の花、人間の栽培した最初の虚無、
つまり水素爆弾だつたのです。
しかし未だに虚無の管理者としての神とその管理責任を信じてゐる人間は、安心して水爆の
釦を押します。十字を切りながら、お祈りをしながら、すつかり自分の責任を免れて、
必ず、釦を押します。
どつちへ転んでも、三つの関心のどれを辿つても、人間どもは必ずあの釦を押すやうに
できてゐるのです。
三島由紀夫「美しい星」より
261 :
吾輩は名無しである:2012/02/08(水) 01:46:12.84
三島は純文学を紡ぎ通俗小説も書き散らしたが
中間小説とはこれ如何に?
読みやすい純文学小説?
お文学の格調スパイスを散らした通俗小説?
262 :
吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 20:12:03.14
読みやすい大衆小説風な文学作品です。
263 :
吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 20:16:45.78
平和は自由と同様に、われわれ宇宙人の海から漁られた魚であつて、地球へ陸揚げされると
忽ち腐る。平和の地球的本質であるこの腐敗の足の早さ、これが彼らの不満のたねで、
彼らがしきりに願つてゐる平和は、新鮮な瞬間的な平和か、金属のやうに不朽の恒久平和かの
いづれかで、中間的なだらだらした平和は、みんな贋物くさい匂ひがするのです。
人類はまだまだ時間を征服することはできない。だから人類にとつての平和や自由の観念は、
時間の原理に関はりがあり、その原理によつて縛られてゐる。時間の不可逆性が、人間どもの
平和や自由を極度に困難にしてゐる宿命的要因なのです。
もし時間の法則が崩れて、事後が事前へ持ち込まれ、瞬間がそのまま永遠へ結びつけられるなら、
人類の平和や自由は、たちどころに可能になるでせう。そのときこそ絶対の平和や自由が
現前するでせうし、誰もそれを贋物くさいなどと思ふ者はをりません。
三島由紀夫「美しい星」より
264 :
吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 20:18:48.32
私が彼らの想像力に愬(うつた)へようとしたやり方は、破滅の幻を強めて平和の幻と同等にし、
それをつひには鏡像のやうに似通はせ、一方が鏡中の影であれば、一方は必ず現実であると
思はせるところまで、持つて行く方法でした。空飛ぶ円盤の出現は、人間理性をかきみだす
ためだつたし、理性を目ざめさせるにはその敵対物の陶酔しかないことを、理性自体に
気づかせるのが目的であつた。そしてわれわれの云ふ陶酔とは、時間の不可逆性が崩れること、
未来の不確実性が崩れること、すなはち、欲望を持ちえなくなること、――何故なら
人間の欲望はすべて時間が原因であるから――、これらもろもろの、人間理性の最後の
自己否定なのでした。人間の純粋理性とは、経験を可能にする先天的な認識能力のすべてを
云ふのださうで、人間の経験は欲望の、すなはち時間の原則に従つて動くからです。
私は未開の陶酔を人間どもに教へようとしたのでした。そこでこそ現在が花ひらき、
人間世界はたちどころに光輝を放ち、目前の草の露がただちに宝石に変貌するやうな陶酔を。
三島由紀夫「美しい星」より
265 :
吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 23:00:02.11
私が私の予見を語らないのは、それが語られると同時に、地球の人類の宿命になつて
しまふからだ。
動いてやまない人間を静止させるのが私の使命だとしても、それを宿命の形で静止させるのを
私は好まない。あくまで陶酔、静かな、絶対に欲望を持たない陶酔のうちに、彼らを
休らはすのが私の流儀なのだ。
人間の政治、いつも未来を女の太腿のやうに猥褻にちらつかせ、夢や希望や『よりよいもの』への
餌を、馬の鼻面に人参をぶらさげるやり方でぶらさげておき、未来の暗黒へ向つて人々を
鞭打ちながら、自分は現在の薄明の中に止まらうとするあの政治、……あれをしばらく
陶酔のうちに静止させなくてはいかん。
人間を統治するのは簡単なことで、人間の内部の虚無と空白を統括すればそれですむのだ。
人間といふ人間は、みんな胴体に風のとほる穴をあけてゐる。そいつに紐をとほしてつなげば、
何億人だらうが、黙つて引きずられる。
三島由紀夫「美しい星」より
266 :
吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 23:01:22.21
歴史上、政治とは要するに、パンを与へるいろんな方策だつたが、宗教家にまさる政治家の
知恵は、人間はパンだけで生きるものだといふ認識だつた。この認識は甚だ貴重で、どんなに
宗教家たちが喚き立てようと、人間はこの生物学的認識の上にどつかと腰を据ゑ、健全で
明快な各種の政治学を組み立てたのだ。
さて、あなたは、こんな単純な人間の生存の条件にはつきり直面し、一たびパンだけで
生きうるといふことを知つてしまつた時の人間の絶望について、考へたことがありますか?
それは多分、人類で最初に自殺を企てた男だらうと思ふ。何か悲しいことがあつて、彼は
明日自殺しようとした。今日、彼は気が進まぬながらパンを喰べた。彼は思ひあぐねて自殺を
明後日に延期した。明日、彼は又、気が進まぬながらパンを喰べた。自殺は一日のばしに
延ばされ、そのたびに彼はパンを喰べた。……或る日、彼は突然、自分がただパンだけで、
純粋にパンだけで、目的も意味もない人生を生きえてゐることを発見する。
三島由紀夫「美しい星」より
267 :
吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 23:02:47.74
自分が今現に生きてをり、その生きてゐる原因は正にパンだけなのだから、これ以上
確かなことはない。 彼はおそろしい絶望に襲はれたが、これは決して自殺によつては
解決されない絶望だつた。何故なら、これは普通の自殺の原因となるやうな、生きて
ゐるといふことへの絶望ではなく、生きてゐること自体の絶望なのであるから、絶望が
ますます彼を生かすからだ。
彼はこの絶望から何かを作り出さなくてはならない。政治の冷徹な認識に復讐を企てるために、
自殺の代りに、何か独自のものを作り出さなくてはならない。そこで考へ出されたことが、
政治家に気づかれぬやうに、自分の胴体に、こつそり無意味な風穴をあけることだつた。
その風穴からあらゆる意味が洩れこぼれてしまひ、パンだけは順調に消化され、永久に、
次のパンを、次のパンを、次のパンを求めつづけること。生存の無意味を保障するために、
彼らにパンを与へつづけることを、政治家たち統治者たちの、知られざる責務にしてしまふこと。
しかもそれを絶対に統治者たちには気づかせぬこと。
三島由紀夫「美しい星」より
268 :
吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 23:04:25.21
この空洞、この風穴は、ひそかに人類の遺伝子になり、あまねく遺伝し、私が公園のベンチや
混んだ電車でたびたび見たあの反政治的な表情の素になつたのだ。
こいつらは組織を好み、地上のいたるところに、趣きのない塔を建ててまはる。私はそれらを
ひとつひとつ洞察して、つひには支配者の胴体、統治者の胴体にすら、立派な衣服の下に
小さな風穴の所在を嗅ぎつけたのだ。
今しも地球上の人類の、平和と統一とが可能だといふメドをつけたのは、私がこの風穴を
発見したときからだつた。お恥かしいことだが、私が仮りの人間生活を送つてゐたころは、
私の胴体にも見事にその風穴があいてゐたものだ。
私は破滅の前の人間にこのやうな状態が一般化したことを、宇宙的恩寵だとすら考へてゐる。
なぜなら、この空洞、この風穴こそ、われわれの宇宙の雛形だからだ。
地上の政治家が、たとへ悪の目的のためにもせよ。みんな結託することができる瞬間には、
すでに地上の平和は来てゐるのです。
三島由紀夫「美しい星」より
269 :
吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 23:06:13.60
人間が内部の空虚の連帯によつて充実するとき、すべての政治は無意味になり、反政治的な
統一が可能になる。彼らは決して釦を押さない。釦を押すことは、彼らの宇宙を、内部の
空虚を崩壊させることになるからだ。肉体を滅ぼすことを怖れない連中も、この空虚を
滅ぼすことには耐へられない。何故ならそれは、母なる宇宙の雛形だからだ。
愛と生殖とを結びつけたのは人間どもの宗教の政治的詐術で、ほかのもろもろの政治的詐術と
同様、羊の群を柵の中へ追ひ込むやり方、つまり本来無目的なものを目的意識の中へ追ひ込む、
あの千篇一律のやり方の一つなのだね。
皮肉なことに愛の背理は、待たれてゐるものは必ず来ず、望んだものは必ず得られず、
しかも来ないこと得られぬことの原因が、正に待つこと望むこと自体にあるといふ構造を
持つてゐるから、二大国の指導者たちが、決して破滅を望んでゐないといふことこそ、
危険の最たるものなのだ。彼らが何ものかを愛してゐる以上、望まないものは必ず来るのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
270 :
吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 09:35:36.99
2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!!
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!
『春の雪』の映画化だって断然オレを主役に決定してただろうしサッ!!!
271 :
吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 21:55:16.03
気まぐれこそ人間が天から得た美質で、時折人間が演じる気まぐれには、たしかに天の最も
甘美なものの片鱗がうかがはれる。それは整然たる宇宙法則が時折洩らす吐息のやうなもの、
許容された詩のやうなもので、それが遠い宇宙から人間に投影されたのだ。人間どもの宗教の
用語を借りれば、人間の中の唯一つの天使的特質といへるだらう。
人間が人間を殺さうとして、まさに発射しようとするときに、彼の心に生れ、その腕を突然
ほかの方向へ外らしてしまふふしぎな気まぐれ。今夜こそこの手に抱くことのできる恋人の
窓の下まで来て、まさに縄梯子に足をかけようとするときに、微風のやうに彼の心を襲ひ、
急に彼の足を砂漠への長い旅へ向けてしまふ不可解な気まぐれ。さういふ美しい気まぐれの
多くは、人間自体にはどうしても解けない謎で、おそらく沢山の薔薇の前へ来た蜜蜂だけが
知つてゐる謎なのだ。何故なら、こんな気まぐれこそ、薔薇はみな同じ薔薇であり、目前の
薔薇のほかにも又薔薇があり、世界は薔薇に充ちてゐるといふ認識だけが、解き明かすことの
できる謎だからだ。
三島由紀夫「美しい星」より
272 :
吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 21:55:42.53
私が希望を捨てないといふのは、人間の理性を信頼するからではない。人間のかういふ
美しい気まぐれに、信頼を寄せてゐるからだ。あなたは人間どもは必ず釦を押すと言ふ。
それはさうだらう。しかし釦を押す直前に、気まぐれが微笑みかけることだつてある。
それが人間といふものだ。
人間の理性にはもう決断の能力はないのだよ。釦を押す能力があるだけだ。確信を以て、
冷静に、そして白痴のやうに。
…私が今度は、人間の五つの美点、滅ぼすには惜しい五つの特質を挙げるべき番だと思ふ。
実際、人間の奇妙な習性も多々あるけれど、その中のいくつかは是非とも残しておきたく、
そんな習性を残すためだけに、全人類を救つてもいいといふほど、価値あるものに私には
思はれる。
だが、もし人類が滅んだら、私は少なくとも、その五つの美点をうまく纏めて、一つの
墓碑銘を書かずにはゐられないだらう。この墓碑銘には、人類の今までにやつたことが
必要且つ十分に要約されてをり、人類の歴史はそれ以上でもそれ以下でもなかつたのだ。
その碑文の草案は次のやうなものだ。
三島由紀夫「美しい星」より
273 :
吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 21:56:17.35
『地球なる一惑星に住める
人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきつぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾つた。
彼らはよく小鳥を飼つた。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑つた。
ねがはくはとこしへなる眠りの安らかならんことを』
これをあなた方の言葉に飜訳すればかうなるのだ。
『地球なる一惑星に住める
人間なる一種族ここに眠る。
彼らはなかなか芸術家であつた。
彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用ひた。
彼らは他の自由を剥奪して、それによつて辛うじて自分の自由を相対的に確認した。
彼らは時間を征服しえず、その代りにせめて時間に不忠実であらうと試みた。
そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術を知つてゐた。
ねがはくはとこしへなる眠りの安らかならんことを』
三島由紀夫「美しい星」より
274 :
吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 23:48:43.79
美しい星、読んでみようかな
275 :
吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 20:46:20.14
私も亦、進歩の妄説にたぶらかされてゐる人間を危ぶんではゐるが、人間自体は決して
そんな風には生れついてゐないのだ。人間の操縦する宇宙船が、どこへ向つて進むかは
私は知つてゐる。あれは宇宙の未来の暗黒へ勇ましく突き進んでゆくかのやうに見えるが、
実は同時に、人間が忘れてゐる過去の記憶の深淵へまつしぐらに後退してゆくのだ。
あれは人間の未知の経験への冒険といふだけではなく、諸民族の暗い果てしれぬ原初的な
体験の再現を目ざしてゐるのだ。人間の意識にとつて、宇宙の構造は、永遠に到達すべき場所と、
永遠に回帰すべき場所との二重構造になつてゐる。それはあたかも人間の男にとつての女が、
母の影像と二重になつてゐるのと似てゐる。
人間は前へ進まうとするとき、必ずうしろへも進んでゐるのだ。だから彼らは決して
到達することも、帰り着くこともない。これが彼らの宇宙なのだから、われわれがそれに
怖ぢて、われわれの宇宙の受ける損害をあれこれと心配することはないのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
276 :
吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 20:47:10.30
今、あなたと私との間を流れてゐるこの時間は、紛れもない『人間の時』なのだ。破滅か
救済かいづれへ向つてゐようと、未来は鉄壁の彼方にあつて、こちらには、すべてに
手つかずの純潔な時がたゆたうてゐる。この、掌の中に自在にたはめられる、柔らかな、
決定を待つていかやうにも鋳られる、しかもなほ現成の時、これこそ人間の時なのだ。
人間はこれらの瞬間々々に成りまた崩れ去る波のやうな存在だ。未来の人間を滅ぼすことが
できても、どうして現在のこの瞬間の人間を滅ぼすことができようか。
私は人間が現在を拒否し、人間の時を自ら軽視し、この貴重な宝をいつもどこかへ置き忘れ、
人間の時ならぬ他の時、過去や未来へ気をとられがちなのを戒めるために、地球へやつて
来たやうなものだ。それといふのも、この現在の人間の時に、私はゆたかな尽きせぬ泉を
認めるからだ。なるほど人類は、私の与へるべき陶酔をまだ知りはしない。しかし、この現在に、
この人間の時に、その時にだけ、私のいはゆる『陶酔』の萌芽がひそんでゐることを私は
見抜いたのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
277 :
吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 20:48:08.47
第一に、どんな種類の救済にも終末の威嚇がつきものだが、どんな威嚇も、人間の楽天主義には
敵ひはしないのだ。その点では、地獄であらうと、水爆戦争であらうと、魂の破滅であらうと、
肉体の破滅であらうと、同じことだ。本当に終末が来るまでは、誰もまじめに終末などを
信じはしない。
第二に、人間は全然、生きたいといふ意志など持つてゐないことだ。生きる意志の欠如と
楽天主義との、世にも怠惰な結びつきが人間といふものだ。
『ああ、もう死んでしまひたい。しかし私は結局死なないだらう』
これがすべての健康な人間の生活の歌なのだ。町工場の旋盤のほとり、物干場にひるがへる
白いシャツのかげ、ゆきかへりの電車の混雑、水たまりだらけの横丁、あらゆる場所で
間断なく歌はれる人間の生活の歌なのだ。
こんな人間をどうやつて救済する。やつらはつるつるした球体で、お前のひよわな爪先に
引つかけられたりすることは、金輪際あるまい。
三島由紀夫「美しい星」より
「芸術とはすべて乳房を求めているのである」ってクラインの言葉思い出した
279 :
吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 20:49:53.51
ハナレメ消滅(笑)
280 :
吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 20:55:39.83
妖虫殲滅
281 :
吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 20:56:24.65
覚悟
282 :
吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 20:57:51.06
全てを消し去る春がやってくる。
そんな未来に気を取られんなよ
284 :
吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 21:02:31.58
ヌーバレバレ笑
285 :
吾輩は名無しである:2012/03/30(金) 08:14:51.17
『夜会服』から引用文を!!!
286 :
吾輩は名無しである:2012/03/30(金) 21:24:32.07
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。
総合★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
287 :
吾輩は名無しである:2012/04/24(火) 10:00:46.86
人間の思想は種切れになると、何度でも、性懲りもなく、終末を考へ出した。人間の歴史が
はじまつてから、来る筈の終末が何度もあつて、しかもそれは来はしなかつた。しかし
今度の終末こそ本物だ。何故なら、人間の思想と呼ぶべきものはみんな死んでしまつたからだ。
人類は失語症になつた。世界には死の兆候が彌漫してゐる。思想の衣裳は悉く腐れ落ち、
人間は裸かで宇宙の冷たさに直面してゐる。
神々が死に、魂が死に、思想が死んだ。肉体だけが残つてゐるが、それはただの肉体の
形をした形骸だ。そして奴らは、自覚症状のない死苦に犯されてゐる。苦しみもなく、
痛みもなく、何も感じられないといふこの夕凪のやうな死苦。
終末といふものは、かういふ状況の上へ、夜のやうに自然に下りて来る。柩はすでに
出来てゐる。柩布が覆ひかぶさつてくるのは、時を得て、誰の目にも自然にだ。
世界中にひろがる屍臭、死に先立つ屍臭に気づいてゐないのは、当の人間たちだけだ。
三島由紀夫「美しい星」より
288 :
吾輩は名無しである:2012/04/24(火) 10:01:30.69
仮りの肉体の衰滅が、どうしてこんな恐怖やおそろしい沈鬱な感情をのしかからせてくるのか、
重一郎にはどうしてもわからなかつた。人間は死の不可解に悩むのだらうか。彼は死の
恐怖の不可解、死の影響力の不可解に愕いてゐたのである。
彼は人間が幸福や永生をねがつて、考へ出したいろんな象徴を思ひうかべた。祝寿の象徴、
紅と白の水引、のびやかに飛翔する鶴、海のきはに海風に押しまくられて傾いてゐる松、
打ちあげられたさまざまの海藻、そのあひだにうづくまる巨大な亀、……彼らはそれらの
属目の事物から、時間に対するつかのまの勝利と、繁殖による永遠の連鎖を夢みたのだ。
死は沖のとほくから重い瞼をあげて睨んでゐたが、これらの祝寿の象徴にかこまれた明るい汀は
人間の領域だつた。
いくたびの夜をくぐり抜けて、又しても人間どもは、この明るい汀に集ひ、いくたび同じ歌を
歌はうとするか、はかり知れない。重一郎は自分の悪液質の乾いた手を眺めながら、
生きてゆく人間たちの、はかない、しかし輝かしい肉を夢みた。
三島由紀夫「美しい星」より
* + 巛 ヽ
〒 ! + 。 + 。 * 。
+ 。 | |
* + / / イヤッッホォォォオオォオウ!
∧_∧ / /
(´∀` / / + 。 + 。 * 。
,- f
/ ュヘ | * + 。 + 。 +
〈_} ) |
/ ! + 。 + + *
./ ,ヘ |
ガタン ||| j / | | |||
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290 :
吾輩は名無しである:2012/05/26(土) 20:00:09.00
一寸傷つけただけで血を流すくせに、太陽を写す鏡面ともなるつややかな肉。あの肉の外側へ
一ミリでも出ることができないのが人間の宿命だつた。しかし同時に、人間はその肉体の
縁(へり)を、広大な宇宙空間の海と、等しく広大な内面の陸との、傷つきやすく揺れやすい
「明るい汀」にしたのだ。その内面から放たれる力は海をほんの少し押し戻し、その薄い皮膚は
又、たえまない海の侵蝕を防いでゐた。若い輝かしい肉が、人間の矜りになるのも尤もだつた。
それは祝寿にあふれた、もつとも明るい、もつとも輝かしい汀であるから。
重一郎を置きざりにして人間が生きつづけることは、もとより彼の予見に背いた事態では
あつたが、疑ひもなく、白鳥座六十一番星の見えざる惑星から来た、あの不吉な宇宙人たちの
陰謀に対する、重一郎の勝利を示すものでもあつた。犠牲といふ観念が彼の心に浮んだ。
宇宙の意志は、重一郎といふ一個の火星人の犠牲と引きかへに、全人類の救済を約束してをり、
その企図は重一郎自身には、今まで隠されてゐたのかもしれないのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
小学生の漢字書き取りのお勉強じゃあるまいし、
よーまーこんなダラダラとしたキチガイの連想ゲームみたいな前後脈絡のない文章を書き写せるもんだな。(嗤)
292 :
吾輩は名無しである:2012/05/26(土) 23:12:08.00
↑代弁=盗作ハナレメルサンチマンあらわる笑
293 :
吾輩は名無しである:2012/05/26(土) 23:44:08.67
↑大便=パクリドタレメサンドイッチマンとんずら笑
294 :
吾輩は名無しである:2012/05/27(日) 00:05:42.92
↑悪鬼暴発寸前悪魔拳銃バレバレ笑
t
296 :
吾輩は名無しである:2012/07/13(金) 14:00:21.97
福田恒存 生誕百周年記念シンポジウムが開かれます
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
三島由紀夫のよき理解者にして演劇ではライバルでもあった福田恒存氏、
生誕100年の講演とシンポジウムが開催されます。玉川大学出版部からでている
「福田恒存 対談・座談集」の刊行記念をかねます。
記
とき 9月30日 午後一時半(13時開場)
ところ 新宿南口「紀伊国屋サザン シアター」
料金 おひとり 1500円(税込み)
プログラム 第一部 講演 山田太一(脚本家)
第二部パネルディスカッション「いま福田恒存から考えること」
遠藤浩一(拓殖大学大学院教授)
新保祐司(文芸評論家)
中嶋岳志(北海道大学準教授)
福田 逸(明治大学教授)
電話予約 03−5361−3321
前売り (8月1日より下記で)
紀伊国屋サザン・シアター、キノチケットカウンター
主催 玉川大学出版部 共催 現代演劇協会 協力 紀伊國屋書店
297 :
吾輩は名無しである:2012/07/26(木) 23:42:00.24
少女の軽蔑は、四十女の軽蔑よりももつと苛酷なものである。
三島由紀夫「純白の夜」より
298 :
吾輩は名無しである:2012/08/28(火) 12:09:23.17
テレビでいちばん美しいのは、やつぱり色彩漫画で、宇宙物なんかの色のすばらしさは、
ディズニー・ランドそつくりですが、ディズニーはなんで死んだのでせう。
あんなに子供好きで、社会のためになることばかりしてきた立派な人が、どうして死んだんでせう。
まさか、ケネディ暗殺事件に関係があつたわけではないでせうね。
こんなことを言つてるとキチガヒみたいだけど、テレビばつかり見てると、どうしても
世界中のことがみんな関係があるやうな気がしてきます。テレビの前で食べてる甘栗は、
中共から輸入されたものだらうし、君の妊娠だつて、思はぬことで、何か世界情勢と
関係があるかもしれません。
子供番組のコマーシャルで、
「赤い、赤い、赤い、おいしい赤いキャンディー・ルージュ(中略)」
なんて言つてゐるのも、もしかすると共産主義の宣伝かもしれません。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
299 :
吾輩は名無しである:2012/08/28(火) 12:09:53.80
そのうち僕もステキな娘をもらつて、結婚しようかと思ふけれど、そのためにあれやこれやするのが
面倒でね。どうして牛乳配達が牛乳ビンを置いてくみたいに、お嫁さんを配達してくれないんだらう。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
300 :
吾輩は名無しである:2012/09/01(土) 22:16:47.04
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301 :
吾輩は名無しである:2012/09/02(日) 10:02:24.36
別れが精神的な死を意味する以上、肉体の死は、むしろ反対のものを意味する筈だ。
三島由紀夫「肉体の学校」より
302 :
吾輩は名無しである:2012/09/15(土) 11:54:58.94
男の人つて、ともかく私には謎だわ。女みたいに謎めかした謎ぢやなくて、一番あけつぴろげで
単純で、それでゐて一番解きにくい謎だわ。お腹の底では女をばかにしてながら、そのばかに
してゐるものを欲しがつてじたばたしてゐる。
三島由紀夫「愛の疾走」より
304 :
吾輩は名無しである:2012/10/26(金) 15:35:40.44
第一、このラブ・レターには、あなたの肉体への賛美の言葉が一つもないではありませんか。
あなたは、そんなラブ・レターをゆるすことができますか。
女性の精神的価値を肉体ぬきで信じようとしてゐるこの男は、ひよつとしたら、すでに男性の
能力を失つてゐるのかもしれません。
三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
女だの男だのの評論は丸っきりマツコ・デラックスのそれだよ、阿呆w
306 :
吾輩は名無しである:2012/10/28(日) 11:03:27.61
Q――作品についてひとこと。
三島:戦後二十年たった現在、性の無力感がひろまりつつあるようです。シュテーケル(心理学者)が、
文明が進歩すればするほど、女性は不感症が、男性は不能者が増加する、というイミのことを言って
いますが、その徴候がじわじわ現われてきていると考えます。それを背後に、この小説を組み立てました。
Q――“音楽”がイミするものは?
三島:全人間的喜び、生命を肯定する喜び、それは、個体ではなく、生命体全体につながる喜びです。
Q――潜在意識は、人間生活それ自体にとって重要なものでしょうか?
三島:小説としておもしろいので使ったまでですが、文明がすすめば、そうなるでしょうね。現在でも、
ニューヨークでは、多くの人々が病んだ状態にあり、精神科医がとても繁盛しているそうです。
Q――セックスの人間生活に占める比重は?
三島:セックスに関するトラブルの十中八九までは、セックスそれ自身によるよりも、人間関係に
ふりまわされて起こるものです。
三島由紀夫「作者にお伺いたします――ブックガイド『音楽』(マドモアゼル)」より
307 :
吾輩は名無しである:2012/10/28(日) 11:04:07.45
Q――一夫一婦制について。
三島:医学的・動物的にみて、よくできています。性的自由へのさまざまな試みにかかわらず、灰の
中からよみがえる不可能のように、そういうものへ落ちついていくようです。
Q――人間のゴシップ好きについて。
三島:いちばん人間がなおりにくい病気。文明が進歩してあらゆる病気がなおせても、こればかりは、
ちょっとやそっとでは……。
Q――剣道三段のお腕前ですが、そのよさをひとこと。
三島:終わってからの爽快感。水あびしたり、フロに入ったときのね。攻撃本能を満足させるのにも、
いいものです。ぼくなんか、それが強いほうで、筆なんかでは満足できないので。他のスポーツに
比べて、スマートでもあります。
三島由紀夫「作者にお伺いたします――ブックガイド『音楽』(マドモアゼル)」より
308 :
吾輩は名無しである:2012/11/06(火) 20:42:40.21
スポーツマンには案外迷信家が多いものである。
三島由紀夫「夏子の冒険」より
309 :
吾輩は名無しである:2012/12/12(水) 20:17:48.44
ー
310 :
吾輩は名無しである:2013/02/21(木) 22:50:38.19
〜
TーP〜P
312 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 23:44:50.54
―
313 :
吾輩は名無しである:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN
夏子の冒険が好きです。
314 :
吾輩は名無しである:2013/11/25(月) 11:17:37.48
追悼
315 :
吾輩は名無しである:2013/11/25(月) 11:52:25.48
三島はなんで推理小説を書かなかったのかな?
時代小説もないよね 少なくとも長編では
心理学を応用した音楽みたいな小説ももっと書いてほしかった
30前の長編の大半は昭和レトロの知的アクセサリーとしか思えない
316 :
吾輩は名無しである:2013/12/01(日) 09:48:11.89
推理小説も心理学もうさんくさい
317 :
吾輩は名無しである:2013/12/10(火) 18:21:33.60
文章は三島より松本清張のほうが格段にうまい