1 :
やれやれ、僕は名を失った :
2010/09/20(月) 19:17:14
あぼーん
俺の名前はJ.I.夷斎。日本語の天才だ。 小説評論戯曲翻訳、どんな文だって作っちまう。 でも漫画とゲーム音楽だけは勘弁な…。
4 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/21(火) 00:23:25
石川淳氏の志操の高さ、現代文学に稀に見る気品については、語る人も多からう。私は殊に氏の文体が、 あらゆる意味で反時代的なところに敬愛の念を寄せてゐる。それは精神の迅速な運動を裸かのまま跡づけて 読者の目に示すことでは、正しく散文の重要な機能を果してゐるが、同時に、その豊富な語彙と柔軟性の かぎりを尽した姿は軽業師の鍛へられた肉体を思はせ、文体を通じて、われわれは氏の精神の目もあやな運動に 見とれるのである。それは合せ鏡のやうな文体であり、われわれは氏の精神を喜ぶとき、たちまちその運動を喜ぶ。 しかしこのやうな神速のスピードは、日本の近代文学が忘れ去つた西鶴その他の江戸文学の文体の流れを引き、 同時に氏の西欧的教養は、日本の古い装飾的要素を剥奪して、ただ古い日本語の密度と、天空をゆくが如く スピードを復活させるのに役立つた。この全集によつて、美しい日本語とはどんなものか知るがよい。 三島由紀夫「美しい日本語――石川淳全集推薦の言葉」より
5 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/21(火) 00:25:54
コピペ厨がでたぞー!
6 :
吾輩は名無しである :2010/09/23(木) 21:26:25
7 :
吾輩は名無しである :2010/09/23(木) 21:30:52
三島ババアが現れた!
8 :
(@∀@) 【juvenile:3156】 ◆ANOSADJXD6 :2010/09/25(土) 19:59:59
神 BE:122455272-PLT(13333) 株主優待(compose)
質問なのでageますね。よそのスレで雑談中、夷斎に関してこんなカキコがありました >石川淳は露伴を読んで西洋を知らない人は詰まらないなと思ったそうだが ソースを訊ねるレスもありましたが、カキコした人がまだ気付かないか、或いは、見た のだけれども出典が確認できなかったためなのか、残念ながら回答はまだです。 この話、たしか前スレにも誰かが書いていました。随分ムカシですが。 この話、夷斎の文章になっているのでしょうか。だとしたら何で読めるのだろうか。 どなたかご存知でしたら教えてください。宜しくお願いします。
夷斎座談(中公文庫)、誰か(たぶん、吉川幸次郎)との対談で触れていたと思う。 鴎外と露伴の違いは、鴎外は当時としては精一杯西洋を取り入れたが、 露伴に西洋は大して入ってないと。 結果としては鴎外のほうが作品生命が長持ちすることになったとか。 ただ、そのことによって露伴を貶してるわけじゃないし、 岩波で露伴随筆を出すことになった時に、石川が選んで推薦文を書いてる。 下町出身の人間として、大いに露伴に親しんでいたと思うよ。
たしか露伴全集か何かの編纂に関わった時に読み直して抱いた感想だったはず そうは言いながら全集の編纂に関わっているわけだから良く分からないお人だw
あ、全集じゃなかったか 上のレス読んでなかったすいません
12 :
(@∀@) 【juvenile:0】 ◆ANOSADJXD6 :2010/09/25(土) 22:45:39
神 BE:183682973-PLT(13333) 株主優待(compose)
>>9 早速ありがとうございます。古本屋さんで探してみよう。
よくあちこちにミシマを入力投稿してる人がいますよね。先日偶々あの人が他板で、
「三島石川の対談(石川スレ2にも引用がありました)なら三島の新版全集で読めます」
と教えてくれましたが、あれも収録されているのかしらん。
そう、露伴随筆六巻は石川編ですもの。これが露伴の文章に消極的な印象を持つ
人のする仕事だとはとても思えない。むしろ大ファンだったはずです。
そういう意味で、
>>8 のカキコには少し引っかかるものを感じていたのです。
どうもありがとうございました。
13 :
(@∀@) 【juvenile:3156】 ◆ANOSADJXD6 :2010/09/25(土) 22:48:36
神 BE:306138375-PLT(13333) 株主優待(compose)
>>10 ありがとうございます。露伴随筆出版準備中ころの印象談なんでしょうね。
二流の人という評価だろうね
>>10 貶すようなことを言ったから、評価していないと思い込むのは単細胞だな。
あの人は、反語が得意なんだよ。荷風に対しても、そうだよ。
>>14 まだ上のある評価には違いない
かといって決して低くはない
>>14 石川が露伴を二流だなんて、思ったこともないだろうな。
まあ、京大でお味噌だったわけで、二流といわれてもしょうがないな
石川淳の連句、中々だな
20 :
(@∀@) 【juvenile:3156】 ◆ANOSADJXD6 :2010/09/29(水) 04:16:52
神 BE:244910674-PLT(13333) 株主優待(puzzle)
北京ですかね。日本「現代」文人夷斎の意気地と風流、そして毒の面目躍如。 毛語録と人民服、けたたましい軍楽の喧騒のなか、公社のれんじゅうに囲まれ ながらもあの風景世界を脳内に投影できるマイペースぶり。天晴れスーパーです。 これ、「世界」としては目論見が外れたのか、それともズバリ当たったのかw。
21 :
吾輩は名無しである :2010/09/30(木) 20:27:13
石川には東洋と西洋しかなかったけど、露伴には東洋、西洋に加えて 近東、中東があった。それだけの話。露伴の方が視野が広かった。大 雑把な人なんだが。
22 :
吾輩は名無しである :2010/10/01(金) 05:25:44
誤爆
>>21 幼稚な妄想は本スレ立ててそこで好きなだけ書くと良い
25 :
吾輩は名無しである :2010/10/03(日) 07:40:46
>>24 何だお前は?
うだつのあがらん、国文学研究家か?
あぼーん
遅れ馳せながら新スレおめでとうございます。 質問なのですが、 夷斎が書いたシンブンシとシンブンガミのエッセイが入っている選集はどれなのでしょうか。
28 :
(@∀@) 【juvenile:3156】 ◆ANOSADJXD6 :2010/11/10(水) 19:26:32
神 BE:52481232-PLT(13333) 株主優待
>>27 文學大概所収の「ことばと常識」ですよ。
旧(増補)判全集だと第九巻302ページです。
29 :
(@∀@) 【juvenile:0】 ◆ANOSADJXD6 :2010/11/10(水) 20:06:59
神 BE:174936454-PLT(13333) 株主優待
決定版全集だと、12巻評論随筆一に入ってるようです。
31 :
(@∀@) 【juvenile:3156】 ◆ANOSADJXD6 :2010/11/11(木) 00:09:35
神 BE:157443629-PLT(13333) 株主優待
>>30 驚きました。wikipediaに引かれてるようなエピソードだということも知りません
でしたw。wikiを読み「へえ、有名なんだ」と思ったところで、(ん?ならば
どうして
>>27 みたいな質問が出るのか?)それほどのネタならネットのどこかに答えが
あるだろうにと思い、出てきたページを片っ端から読んでみてさァビックリしちゃった。
さまでに名高い話としてあちこち載ってるにも関わらず、出典がどこにも出て
いないw。探りさぐり読んでいくと、どうやら天声人語からの孫引きらしい。
こいつが拡散しているだけなものだから、どこを開けても同じ言い回しの引用
ばかり。夷斎が読まれていない淋しさよりも、辞書やwikiの編集者のテキトーぶりに
呆れてしまいました。うん。ネットは不便だ。電子書籍だのネット辞書だのの時代が到来
するのはまだはるか先だ。とうぶんは紙の本の山と暮らす日々が続きそうです。
32 :
吾輩は名無しである :2010/11/11(木) 12:40:03
↑ いいけどこの次はも少し簡潔にね。 4行くらいで書くべき内容です。
33 :
吾輩は名無しである :2010/11/11(木) 19:57:20
>>30 中公文庫、絶版だけどよく捜せば結構あるよ
>>31 ぐぐったらこのスレが出たよ!
最重要作である文学大概が文庫で買えないってのは酷いな。 もう中公筑摩は期待薄だし、講談社文庫で出ないもんかね。
amazonや源氏にはあるのですが、街の古本屋さんにはなかなかありませんね。 バラで買えるのなら、初期の小文も収めてある決定版12巻がいいのじゃないかしら。 わたくしも12巻と19巻がバラでないかなとネットで探すのですが、見つかりませんねえ。 「日本の古本屋」で「石川淳全集 決定版 19」で検索しても、何万円もする 「19冊揃」しか出てきませんw。
あぼーん
>>9 やっとGETいたしました中央公論社「夷斎座談」昭和52年10月20日発行。
問題の発言は中村真一郎との対談「江戸と西洋」にありました。320ページ。
石川 かなりうまい人ですね。幸田さんほどの筆力があって、あれで西洋が
入っていたらね、もっといいんだが。鴎外さんと幸田さん、鴎外さんには
西洋が入ってる。その違いですね。(略)幸田さんにそれがなかったのは、
どっちが長く息が続くかと言うと、やっぱり西洋入れたほうが、当時と
しては目いっぱいの西洋知識を持ってたほうがよかったということですね。
これを読んでとても安心しました。他の人に関しては、あの人の詩文は、
この男の話の筋立はと、かれは是これは卑とはっきり言ってのける夷斎が、
そうしたことを一切口に出さない。これ、すごいことです。
この対談集に、露伴について言及した箇所はもうひとつ。萩原延寿との対談 「歴史・人間・藝術」の「俳諧のこと」(229ページ)。 夷斎の評論や随筆をいくつか楽しんだ読者なら、先生の露伴ラブぐあい、 芭蕉ラブぐあいがわかるはずです。 いやあすっきりしました♪。
39 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 01:23:09
>>37 52年ていうことは、文庫(上下)じゃなくて初版本ですか?
40 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 14:49:26
>>39 そんなこと聞いてどうするんだ?
なんの意味があるんだい?
41 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 15:13:02
コレクターなんじゃないか
( ・ _ ・ ) ジーッ
わたくしが発行年月など書いたのがよろしくなかった。以前教わったものに
題や頁数なども加えて少しばかり補えたらと思ったのですが。
あるいは、単行本と文庫本とでなにか違いがあるのかしら…。
いずれにせよ
>>39 はい。古本屋さんで400円でした。
(^^)
久々にあがった♪ 今日古本屋さんの百円ワゴンで「背徳者」と「法王庁の抜穴」を見かけて、 帰宅後なんとなく「ジイドむかしばなし」をパラパラ読んだばかりです。
「ジイドむかしばなし」は石川らしくて好きだなあ。 あの軽薄さ。
利口パン
石川淳の古本て、生前のほうが高値だったような気がする。 『西遊日録』なんて箱にはいっいるやつ、 1万円だった
>>48 限定千とか千数百部ですからね。編集校して版を組んで印刷して…、
大先生に原稿料も払わなくてはならない。どうしても高くなる。
大抵はトビラにあれこれ書いてあったりするから、これが限定だのサイン本で
ふっかける古本屋の手にかかると、べらぼうな値段になったり。
春先に鎌倉の古本屋でみかけた西遊日録の、署名も何もないやつは
たしか4500円くらいでした。
test
>>50 せめて堂々と上げて欲しい。
昔、無頼派のスレってありませんでしたっけ。夷斎編集、定本坂口安吾全集を
パラパラめくりながら、そんなことを考えていました。
石川の「革命とは何か」はいまの日本にとって、いちばん的確具体的な助言だな。 現日本国憲法を「観念からすぐ実在に適用しようとする最初の誤謬」を犯しているとし、 昭和二十年代に既に憲法改正を主張している。 しかもこのとき「もう痺れを切らした」とさえいっている。 政治の混迷(というか無政治状態)の原因が、 現憲法の選挙制度の過ちにあるのをこのとき既に見抜いているんだな。 このエッセイが収められている「夷斎俚言」を読解できた人は、 現行憲法下では何百年経っても大政治家は現れないことを理解するだろう。 早い話、菅さんがやめたところで、現憲法下ではやっぱり、 三流の首相しかでてこないってことですよ。
三流じゃダメなんですか? もしくは、 三流の首相が三流の首相しか生まない憲法を改憲できるんですか?
>>53 おまえさんには、三流でも、もったいないだろう
55 :
吾輩は名無しである :2011/08/21(日) 08:05:36.59
石川淳って政治屋に何か期待するよりも、 民衆がつねに反政治的でいられるような 自由主義的な気風を好んだんじゃないかな。 いつでもぶっつぶせるような弱体権力と、 いつでもぶっつぶすような民衆の反権力的な気風を。
ぶっつぶす!って気概のある奴以外は語るに足らず、ってとこはありますね。
57 :
吾輩は名無しである :2011/08/24(水) 22:35:02.49
石川の政治観の形成は、バクーニン、アランあたりにあるだろうな
中央公論社の「日本の文学60ー石川淳」を古本屋で手に入れた。 定価390円なのに350円もしたよ。 売上伝票が入ったままで、黄ばんでもいないからおそらく読んでいないんだろうな。 高いのはしかたない。 この人の本は読んだことがないから楽しみだ。
59 :
吾輩は名無しである :2011/08/25(木) 09:28:49.34
350円が高いってw
定価390円の本を古本屋で買うんだぜ。 100円以上は高いってもんだ。
61 :
吾輩は名無しである :2011/09/18(日) 22:25:49.60
「座談」の中で川端・三島・石川・安部で 中国の文革に対する抗議みたいなのがありましたね、 それについて後のほうにある吉川幸次郎との対談で、 吉川が、革命の時には文学はお休みだとかって、 上の抗議に対してちょっと不快感をにじみ出してた。 吉川にしてみたら、石川がよく革命とか言っていながら、 実際の革命が起こったら抗議するのはおかしい、 とか思ったんだろうな。
『白猫』(ちくま文庫)面白かった。 ところでこの作品の連載にあたり、「作者の言葉」が記されてある。 『長篇文庫』(三笠書房発行)の三月号だ。 その末尾に、 だが、実は成功も失敗もあったものではない。ただ、努力あるのみ。 その努力に附き合つてくれるところに、読者の坐り場所がある。 書くにも、読むにも、小説と云うやつは人間に楽をさせておかないやうな代物だ。 石川の執筆にかける並々ならぬ情熱と気負いをうかがい知ることができる。 連載最終回の九月号では「改題に就いて」が添えられている。 この小説の題を『東方の風』と改めます。 連載の都合上初めに題を置く必要があつたので、仮に『白猫』としておいたのですが、 書き出すに従つてどうも不似合と思はれ、今稿を終へるに当つて、しかく改めました。 この題名には、格別の仔細はありません。どうか、東方にこだわらないで下さい。 一般に、本文が小説であるのに対して、題は常に文学なのです。 内容とは逆に「東方」にこだわってるのがおかしいが、いまだに『白猫』で出版されているのはどういうわけか。
ぬこwww
64 :
吾輩は名無しである :2011/09/28(水) 21:43:36.22
65 :
吾輩は名無しである :2011/09/29(木) 08:38:22.82
本当に読み終わってまだネコだと信じて疑わないようだなw おもろいやつがおるもんじゃなあ。
白描っていうと、デッサンとかそういうものかな プロットを考え込んで書き始めたんじゃなくて、 戦時中の暗い世の中が進んでいく時に、 ただ精神の自由を確保するために書いてるって感じだな
評論読むと、「白描」は失敗作って評価が多いね。 でも、なぜか気になる作品みたいで、 わりと取り上げられている。 ロシアの裏切られた革命と、かたや日中戦争、 そんな状況下での芸術家って、 ただ消えるためにのみ登場するようなものなんでしょうね。 オレもこの小説はあんまり好きじゃない。 「白頭吟」と「荒魂」の2ヶでいい。
68 :
吾輩は名無しである :2011/10/08(土) 19:41:17.01
しろぬこ、まだ読んでないや。この週末挑戦してみる。
69 :
吾輩は名無しである :2011/10/10(月) 16:18:56.05
わたしは、はっきり「白犬」のほうが成功してると思います。 ただ、石川淳としては異色でしょうね、構成などかっちり作りこんでますよね。
利口マン
読んだことない
『白猫』読んだ。 『天門』のほうが面白かった。
73 :
備えあれば憂いなし 名黙秘 :2012/04/14(土) 17:06:28.83
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。 島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も 壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、 まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。 教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。 そればかりか、イジメに加担する教師もおった。 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、 そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。 島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
74 :
吾輩は名無しである :2012/04/22(日) 22:35:12.02
>>72 だから、「白猫」じゃないって、何度・・・・・
俺の持ってる狂風記(集英社文庫)、カバーにのってる作品一覧に思いっきり「白猫」って書いてあるよ・・・
確かに書いてあるw
よく読まずに慌てて本棚をチェック。どこをひっくり返しても帯の丸谷と大江の 推薦文以外無い…と思ったら文庫版でしたか。 でも今回気がつきましたが、単行本には広告宣伝の類いが一切無いんですね。 本文以外の情報は奥付のみ。中公の限定本にさえ広告が印刷されてるというのに…。 ど派手な内容に比べて実にシンプルな作りです。
78 :
吾輩は名無しである :2012/04/26(木) 22:46:57.64
おまえら、石川淳の奥さんが書いた回想録があるって知ってましたか? 俺は最近知ったんで、慌ててアマゾンに注文したよ。到着が楽しみ。
お天気ばあさん
>>78 晴れのちなんとかだろ。あんなクズ本まだ買えるの?
石川淳とはなんの関係もない本。
>>75 誤植だね。しかし・・・
72 :吾輩は名無しである:2012/02/26(日) 19:43:19.05
『白猫』読んだ。
『天門』のほうが面白かった。
↑
読んだと言ってる人が白猫と書くのはちょっとねえw
82 :
吾輩は名無しである :2012/04/27(金) 09:41:39.08
83 :
78 :2012/05/03(木) 09:39:02.22
回想録読んだ。 子供に受験ハウツー本を与える淳、青山二郎(?)に嫉妬する淳、孫や犬を可愛がる淳など、 作品、エッセイを読んでいては推測できないようなネタが出てきて面白い。 そもそものナレソメなどは書いていないところは、淳の奥さんらしい。 (一体、二人が結婚した年、子供が生まれた年は何年なんだ?) 意外な一面も書かれているが、常に近くにいた奥さんが「古梅のような人」といってるところは、 淳の文章から受ける印象とピッタリ一致する。 作家としての淳は「普賢」あたりから昭和20年代が絶頂だったろう。 その後も作家活動は続いているが、創造的な推進力といったものが急速に低下している。 出合ったころは既に創作力が衰え始めた頃、あるいは結婚して淳の魂が安定し始めた結果、 クリエイティブなものが引っ込んでしまったという、芸術家にはよくある話か。
ブックオフで「石川淳選集」15巻、16巻があったので購入。 内容は評論・随筆。 新釈古事記、諸国畸人伝は読みごたえありそうだ。 文章の形式と内容、短篇小説の構成、祈禱と祝詞と散文あたりも面白そう。 新刊案内とかはさまってるし、箱の黄ばみ以外はスゲーきれいなんだけど、売ると二束三文なんだな。 105円×2=210円だもん。
85 :
吾輩は名無しである :2012/06/05(火) 20:43:14.67
ねえ、新ネタないの? 20世紀の日本文学では10本の指に入る人だと思うんだが・・
十? 笑はしちやいけない 十どころか。 壱から百七、八十辺までぜんぶ、ズラリと夷齋が独り占めしていたって驚くものですか。
オススメは何ですか?『紫苑物語』しか読んだことないです。 しかも、よく読めなかった。
88 :
吾輩は名無しである :2012/06/14(木) 10:29:04.81
>>87 かよい小町がオススメです。
講談社文芸文庫から出てるので興味があったらどうぞ。
『焼跡のイエス・善財』の中に入っています。
かよい小町読みました。面白かった。 閨房における女人とは畢竟おっぱいであるという考えには同意できませんでしたけど。
90 :
吾輩は名無しである :2012/07/02(月) 21:21:56.42
選集にある作品だと、 雪のイヴ 喜寿童女 鷹 なんかが好きです。 どれも読みやすいし傑作だと思う。 ただ選集は旧字旧かなだからしんどいんでけどね
91 :
吾輩は名無しである :2012/07/02(月) 23:27:46.40
やっぱヌコだろ 天文も好きだが
92 :
吾輩は名無しである :2012/07/03(火) 17:02:50.27
新字新カナ 誤字脱字 誤植御免
>>87 小説随筆現代語訳、どれも面白いですよ。長そうな至福千年や狂風記も大した
量ではない。しかもこの二つこそ、このひとの全文章中最もリーダブルな読物です。
この人には、何から読まねば、とか「○と×、△のナンチャラ●部作」みたいなものは
ありません。何も考えず、暇に応じて目につく端からジャンジャン読んで差支えない。
古本屋の百円棚でアレもコレも見ますから、五百円玉一枚あれば随分時間も潰れます。
昔のスレでは、当時新刊書で買えた講談社文庫の新かな「鷹」が大人気でしたね。
かよひ小町が面白かったのなら、その前後の處女懐胎や焼跡のイエス、いすかのはし、
飛梅、雪のイヴなんかも如何でしょうか。初期の小説でわたくしが好きなのは
千羽鶴と鐵拐(カイは木扁)です。
岩波選集は通勤通学昼ごはんのお供に丁度よい新書9ポ2段サイズ。一冊々々のリストも
スッキリしてて最高なのですが、コイツが夷齋自選自編のヤラシさ、漢語調の成句や造語に
まずルビというものが無い。鴎外選集や露伴随筆もですが、「日本人なんだから
読めるでしょう。何かモンダイありますか。」みたいな体裁。このひとは、ノッてホイホイ
読んでいかないと愉しさ百分の一な文章家ですから、これは本当に痛いです。
>>89 エッセイ系だと「安吾のゐる風景」「敗荷落日」がオススメです。
96 :
吾輩は名無しである :2012/07/05(木) 11:51:01.24
>>95 きみは「敗荷」という言葉が何を意味するか知っているの?
はいにはいふれはいりほ
評論が好きだな。江戸文学についてかな。ハイセンスだった。 菩薩の乗り物である象に乗って昇天する売女。町衆の若い男がその女を隠れて思い出す。何とも言えず最高だったよ。
99 :
吾輩は名無しである :2012/07/08(日) 17:29:27.47
戦争中は江戸に留学していたというくらい、 江戸時代に書かれた書物を読んでいたらしいからな。 漢文の素養もあり、外国文学(フランス文学)も原語で読めて、 小説も書ける人は、鴎外、漱石、石川淳くらいのものだろ。
100 :
吾輩は名無しである :2012/07/08(日) 20:44:50.47
荷風もね
ちょっと持ち上げられすぎだな
加藤周一が「石川淳または言葉の力」で誉めちぎってるけどな
103 :
吾輩は名無しである :2012/07/09(月) 10:21:29.27
時々ふと思うんだけど石川淳ってすごく傲慢な態度である意味嫌な奴だったようだね。 三好とか友達は少しいたけど、同年代からはかなり嫌われていたね。 傲慢な態度っていうのは、たとえばタルホの弥勒に淳と思われる奴がでてくる。
作家はたいてい傲慢な態度でいやな奴だよ。
105 :
吾輩は名無しである :2012/07/09(月) 12:26:01.20
そんなことはないよ。 それはとても一般化はできない。
文壇タブーがあって表にはでないだけ。
107 :
吾輩は名無しである :2012/07/09(月) 15:36:33.48
なにを知った風なことを。 「文壇タブー」って笑わせんなよ(笑
何にも知らないんだねw
「現代文学は読まないんですか?」って訊かれて、 「ゴミっぽいものは読みません」っていったとか。 戦時中、和綴じの江戸文学、漢籍、フランス語書籍しか読んでなかったころだろうな。 こういうの聞いて世の中には、傲慢と思う人と、 個人の趣味と思う人と二種類いるってことか。
完全に個人の趣味だと思うけど
井上ひさしのDVも完全に個人の趣味ということでw
112 :
吾輩は名無しである :2012/07/10(火) 09:16:05.23
>>110 読書の範囲は趣味、思想、それぞれの方針の問題。
しかし、他人のそれについての態度、ものの言い方が傲慢ということでしょ。
弥勒のエピソードはこんな感じだった。記憶で書くのでだいたいですが。
文学仲間がだれかの下宿かなにかに集まって酒になる。
金を出し合い、手分けして買い物に出るがIJは知らんぷりしている。
それなのに酒や肴が整うと、平然と飲み食いに加わる。
江美留(だったか)がIJに尋ねると、こまごま雑用などしているとそればかりやる人間になってしまうではないか
とIJは答え、江美留はそれはそのとおりだと感心する。
>「現代文学は読まないんですか?」って訊かれて、 >「ゴミっぽいものは読みません」っていったとか。 傲慢でも趣味でもなんでもない。くだらないものは読まない、は至極当然。 ただ、正にその「ゴミを書いてるオマエがゆうな」だけど。(笑) >戦時中、和綴じの江戸文学、漢籍、フランス語書籍しか読んでなかったころだろうな。 戦時中なら致し方ないけど、そうでないなら無知・無教養の自己告白とそれは同じだね。(笑)
↑ この人はどうも石川の作品をほとんど読まないで言ってるだけのようだな。 わからないで書いてる。
∩_ 〈〈〈 ヽ ____ 〈⊃ } /⌒ ⌒\ | | /( ●) (●)\ ! ! / :::::⌒(__人__)⌒:::::\| l | |r┬-| | / <こいつ最高にアホ \ ` ー'´ // / __ / (___) / 「くだらないものは読まない、は至極当然」とゆってあるだろ 読まなきゃ言えない?じゃあ誰も「くだらない」を言えなくなる くだらないものは数限りなくあり、人生は余りに短いw
116 :
吾輩は名無しである :2012/07/10(火) 21:28:44.18
まあ、優れたエッセイである「雑文について」の冒頭数行を読んでみることだな。
117 :
吾輩は名無しである :2012/07/10(火) 21:33:11.95
言ってもムダ。バカはスルーすべし。
>「ゴミっぽいものは読みません」っていったとか 読まないのになんでゴミっぽいことが判るんだ? いや、それがしかし判るんだよな。 だから同じことだよ。(笑) 読まずに冒頭数行さえ読む価値無しとしてかまわないよと、当の著者が言ってるんだよ。(笑笑笑)
誰かのファンになることは自己完結ですから、
誰が誰のファンになってもいいわけです。
ただ「すばらしい人だからファンだ」と批評的に表明するならば、
そのファンの批評能力から対象の価値が誤解されることもしばしばあります。
失礼な言い方で恐縮ですが、
もしあなたが通俗レベルでも通俗以下の批評能力なら、
対象の方もあなたゆえに貶められることの危険があります。
『贔屓の引き倒し』って言葉をご存知ですか?
↑どっかで以前書いた文。ここに合うように直すのは面倒くさいからそのまま貼る。
要するに、
>>116-117 が価値があると云うものは、それゆえに価値が無いとするよ、悪しからず、さ。(笑)
120 :
吾輩は名無しである :2012/07/11(水) 05:57:42.65
ゴミっぽいものを少しは読んだから、懲りたんだろう。 そういうタイプは大体、ちょっと見で見分けがつくようになったら、 近づかないと。 文学仲間の酒盛りといっても、先輩後輩や、力量などの点で、序列が 出来てれば、上席の者は支度を手伝わないこともままあるだろう。
121 :
吾輩は名無しである :2012/07/11(水) 09:25:08.82
>>119 わざわざ自分の過去の駄レスをひっぱってくるなぞ大変オシャレ(笑
傍で見てるほうが恥ずかしくなりますぜ(笑
この程度、探してコピペするより書いたほうが早いと思うが・・・(笑
2ちゃんへの自分の書き込みまとめて保存してあったりして(爆笑
∩_ 〈〈〈 ヽ ____ 〈⊃ } /⌒ ⌒\ | | /( ●) (●)\ ! ! / :::::⌒(__人__)⌒:::::\| l | |r┬-| | / こんな無芸無能でも齢とってジジイになれば \ ` ー'´ // 「重鎮・超一流」と2chで自演できるようになれます。 / __ / 長生きはするもんですよ、世の皆さん。(笑 (笑 (笑 (爆笑 (___) /
123 :
吾輩は名無しである :2012/07/11(水) 13:12:55.00
コピペツマンネ
124 :
吾輩は名無しである :2012/07/11(水) 13:27:30.45
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ . _ . /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ |三| |::/  ̄ ̄`7:::::::::::::::::::::::::::::l |二| |:l \:::::::::::::::r=:、:::| |三|. | , -‐べ  ̄ヽ:::::}´`l|::| rコr‐-、 L ` tッア l:::|l /:::! r‐ 「ニニづ} ヽ `} L! i ⌒', l Vニニ⊃`ll | r )、 / / ヽ /´ ̄| ̄|. | `´ヘ_ \__ , / / イヤな、、渡世だなあ。。。 `i | i. | l てニ} _,ィ / ヽ_ | l. | _} `ヽ__,ノ´ ',/ / .r'゙ `| i. | _. l / / / / `rー| l. | | / ,〃 / / l: | i. | | / l | / / | : | l. | レ '゙ | l /. / l : | i. r――- .._ 」 / / . ! :/´  ̄T ̄ ̄`ー--vー--
125 :
吾輩は名無しである :2012/07/12(木) 20:28:50.19
石川淳の酒癖についてはいろいろ伝説になってるね。 テメーらなーっ!とかどなって、酒席に並んでいる銚子をかたっぱしからなぎ倒してあばれたとかww
126 :
吾輩は名無しである :2012/07/12(木) 22:24:09.21
(酒が入ってたんだろうが)「芥川さんは学がなくてねえ」なんてポロリといったそうだが、 こっちのほうが、ありふれた酒席の醜態よりも石川淳らしい。 冗談でもそんなこと言える小説家は今はもちろん、当時でも数人しかいない。 (単なる博学はいくらでもいるけど・・・・)
127 :
吾輩は名無しである :2012/07/12(木) 22:47:36.64
>>112 これは面白い。今度「弥勒」を読み直してみよう。
実際、「こまごま雑用などしている」人間なんて、小説家にはならないほうがいい。
まして、そんな小説家の書いた小説を面白がって読むなんてことは、文学とは縁がなさそうだ。
石川淳は答えてる、「何になりたいですか?」ときかれて、「すべての暴君」と。
これは冗談で言ってるのではない。次の言葉が背後に響いているのだ。
「われわれの完成の最も甘美なる手段のためにすべてを犠牲にするということにおいて、
われわれはおそろしくエゴイストである。」(クローデル)
…ていうかさあ・・・なにがクローデルだよww この気取った半可通野郎がww
129 :
吾輩は名無しである :2012/07/13(金) 00:25:53.13
>>128 うるせえ!! はったおすぞ、この野郎!
>>129 あら、気に障っちゃったかなー
あははははははははww
>>130 いや、「はったおすぞ」って使ってみたかっただけなんだ。
ただね、クローデルなんて、石川の文章に何回も出てくるから、
おまえさんが石川を大して読んでないのがバレバレだね。
ぷぷぷ… へらず口野郎がw
133 :
吾輩は名無しである :2012/07/13(金) 09:22:59.40
「すべての暴君」という言い回しというか、 これフランス語文脈で言ってるんだね。 ふつうの日本語ではこういう言い方しないものね。
134 :
吾輩は名無しである :2012/07/13(金) 09:44:07.58
第49回芥川賞(昭和38年/1963年上期)「少年の橋」 後藤紀一 石川淳が選考委員にいるが、評言がきついなw 「わたしはこれを取りこれを推す側にまわったが、通ったとたんに捨てることにした。 いろいろ文句をいうことがある。その文句の一つをいう。 この作者はなにがおもしろくて小説なんぞを書くのか。」
136 :
吾輩は名無しである :2012/07/13(金) 15:02:14.18
その評、おもしろい
>>133 日本語的には何て言うんだ?
石川淳の独創的な語法はいろいろとあると思うが、観念的には正確なんじゃない
石川淳は日本語を上手に使う人だな。 石川がよく使うのは対句だ。 「面貌について」のような文法上、形式上、同じように文章を続けて並べて、 片方ともう一方を対比的に使うことができる現役の作家はいないだろ。
139 :
吾輩は名無しである :2012/07/13(金) 20:45:18.94
>>137 日本人が「何になりたいか」と聞かれて答えるなら「暴君になりたい」とは言っても
「すべての暴君になりたい」という発想は日本語では出てきにくいでしょう。
ふつうは出てこないと思う。
一方、je voudrais etre tous les tyrans.はフランス語としてふつうの言い方。
どうでしょ?
>>138 ちょっと意味が分りにくいがどういうことですか?
つまらん 東京タワーの下の三丁目でやれ 今ではただのナンセンスだw
>>139 >ちょっと意味が分りにくいがどういうことですか?
「面貌について」を読めば分かる
142 :
吾輩は名無しである :2012/07/13(金) 21:51:40.69
そんなもん読んだよ。 書くからには人にわかる言葉で説明できなきゃな、ぼうず。
143 :
吾輩は名無しである :2012/07/13(金) 21:58:14.34
>東京タワーの下の三丁目でやれ ↑ こういうイモっぽいのって勘弁して欲しいよね〜 笑いが凍えちゃうよね〜
フルイモ(笑)
>>139 そこは普通はunか冠詞なしとかでないかい。いづれにせよそういう事を言っているのではない。
フランス語を呟いたら小説になったという作品もあるくらいだからその辺りの発想はあったかもしれないが、
単にレトリックとして直訳したのではなく、「すべて」は文字通りの意味だろうという趣旨。
>>142 長くなるからレス2つで説明する。
「面貌について」をテキストにして
石川淳がいかに日本語を上手に使う人で、対比と対句がうまい人かを説明する。
「面貌について」一部抜き書き。
↓
「黄入谷のいふことに、士大夫三日書を読まなければ理義胸中にまじはらず、面貌にくむべく、ことばに味が無いとある。
いつの世からのならはしかはしか知らないが、中華の君子はよく面貌のことを気にする。
明の袁中郎に至つては、酒席の作法を立てて、つらつきのわるいやつ、ことばづかひのいけぞんざいなやつは寄せつけないと記してゐる。
ほとんど軍令である。またこのひとは山水花竹の鑑賞法を定めて、花の顔をもつて人間の顔を規定するやうに、
自然の享受には式目あり監戒あるべきことをいつてゐる。ほとんど刑書である。」
続き 「ほとんど軍令である」というのは軍の命令。「ほとんど刑書」であるというのは法律書だ。 これは完全に中国的な対句だ。 その前にうまく対比が使ってある。 「自然の享受には式目あり監戒あるべき」と言っているのは、どちらかといえば、漢文調の雅語だ。 日常語ではない。ところがその前は「酒席の作法」「つらつきのわるいやつ」 「ことばづかひのいけぞんざいな」、これは俗語だ。 俗語のなかでも強い俗語、日本語として許される日常語から最も遠い漢文系の雅語と、 両方でコントラストになるわけだ。 一方では雅語による歯切れのいい格調がでるけれども、それだけでは読者から遠くなってしまうわけで、 他方で俗語を使って急に肉体的というか、身体に日常的にひきつける。 離れたようにみえて、不意打ちで急に引きつけるから、変化に富んでおもしろいわけだ。 突然「いけぞんざい」と言うのはよく効いている。 たとえば坂口安吾の小説ははじめからおわりまでそれで通すからあまり効かない。 それから森鴎外の『渋江抽斎』ははじめからおわりまで漢文調で格調が高い。 だから「いけぞんざい」なんて言葉は見えない。 坂口安吾と鴎外と両方くっつけると、そこに特殊な効果が出る。 いつも成功するとはかぎらないけれども、石川淳の場合には成功した。 石川淳は日本語を上手に使う人で、対比と対句がうまい人である。 現役作家で石川淳ほど日本語を上手に使い、対比と対句がうまい人はいないだろ。
「黄山谷」(黄庭堅)です。
149 :
吾輩は名無しである :2012/07/14(土) 00:06:44.72
西村賢太レベルなら、えらく感心するテクニック論議だな。 それほどに陳腐な(つまり時代が移れば単なる古拙だけでしかない)文章表現論。(笑)
150 :
吾輩は名無しである :2012/07/14(土) 00:20:05.59
私小説作家でも旅行記作家でもない創造作家が文章でつづる世界は、
「人類が地球上に出現してから今の今まで私しか見たものがいない世界」
なんですよ。
その「私しか見たものがいない世界」を読む誰にも私が見ていると同じように脳内で復元してもらう、
そのための「文章」をつづる、なんですよ。
>>146-147 さんの言うようなテクニックじゃ、その文章は書けないんですよ。
151 :
吾輩は名無しである :2012/07/14(土) 00:49:36.81
>>146 >>147 石川淳の文体の説明として読むと、よく分析して書けてるよ。
石川淳は、もともと漢文の素養がある人だからな。
それが文体に影響していても不思議じゃない。
152 :
吾輩は名無しである :2012/07/14(土) 02:30:56.25
石川スレがのびてると思ったらこれか…… 嫌な奴でも何でもいいんだよ。 天才的日本語芸術家なんだから。
>>147 の論法は石川淳っぽいね。ラブが伝わってくる。ただ石川は普通の弁証法とずらした弁証法を両方駆使するから、小奇麗にまとまらず文に迫力が出る。
シンプル イズ ベスト
これだけの事を説明するのにこれほど冗長になる人も珍しいね。 しかも見方が浅いし、用語もいちいち不適切で気分が悪くなるよ、まじで。 まあ、確かにラブはあるかな。少年の恋。
156 :
吾輩は名無しである :2012/07/14(土) 08:30:35.27
>>145 きみの初級文法ならここは単数の不定冠詞unでしょう。これをtous les roisとするフランス語独特の
locutionがあって、そっから来た発想だろうという話。
用例ひとつ。a faire rougir tous les marquis de Sade(すべてのマルキドサドを赤面させるほどの)
紫苑物語の書き出しのエピソード(Il aimait la chasseだったか?)をたとえ知らなくても、立ち止まるとこだよ。
「すべての暴君になりたい」で「すべて」に違和感を持たないとしたら、かなり感度が鈍いぜ、おっさん。
157 :
吾輩は名無しである :2012/07/14(土) 08:46:38.53
横入りなんだが、とても気になったので調べてみた。 J'aimerais etre tous les rois. は本当に「普通の文章」なのか? 主語と補語の数があっていない。 「tous les +(複数名詞)」はごく普通の表現だが、やはり全体で複数扱いのようだけど。
>>157 宋の人です。蘇東波の同時代人。心情的には王安石に近いひとだったのではないかと
荒井健先生が書いています(岩波中国詩人選集二集7「黄庭堅」)。荘子の斉物論篇が
好きな人だったそうです。お役人としては、大名府國子監教授を長く勤め、官吏資格
試験審査官を歴任、のち秘書省校書郎。文部省や宮内庁書陵部の部課長クラスでしょうか。
晩年は地方の知事を勤めましたが58歳で書いた禅宗の本が因で筆禍にあい、国政を
謗った廉で著書は禁書指定。家族と別れ、こんにちで言う広西チワン族自治区あたりに
単身流刑となります。二年後に大赦令が出て、より故郷に近い流刑地への移動が
決まりましたが、発令の三週間後、出発を待たず61歳で孤独に亡くなりました。
夷斎が引いた「三日書を読まずば」云々というのは、黄山谷のものした詩や書にある
文言ではなく、明代の英雄文人逸話集で江戸時代のわがくににも多く輸入されて
流布していた「世説新語補」にある話のようです。
黄太史云、士大夫三日不読書、則理義不交於胸中、 便覚面貌可憎、語言無味。
お祖父さんは聖堂の学者だったそうですから、こどもの頃に読まされたのでしょうね。
日本語例文でござる (1)その痛ましい死体を見た瞬間、私はすべての暴君を憎む感情を知った。 (2)すべての暴君はへのこと腎水を人並み以上に愛するものである。 (3)その美しい子供には総ての暴君が宿っていた。 件のそれは(3)かいな 現実的人間としてではなくて暴君的なるものすべてというようなニュアンス
能書きはいいが、結論としては、 Je voudrais etre tous les tyrans. はフランス語の文としては、「不可」なんだろ?w Il etait comme tous les tyrans. ならまだ許容範囲かもしれないが、これも Il etait tout comme un tyran. のほうがよほど自然だろ。 なにを血迷っているのか…w
ゆんゆん
145だが……情況がよくわからないな。何時の間にかフランス語の話になってるよ。 160の文例は翻訳の臭いがするので適切かというとあれだが、主旨としては大体そんな感じ。 石川淳はヨーロッパ的な観念と漢文の言語の機械的な用法を、あくまで日本語として成立させる強引さに魅力がある……とおじさんは平凡な逃げを打っておきたい。この話はもう終わりにしよう。
フ、逃げたかw
165 :
吾輩は名無しである :2012/07/15(日) 10:42:33.16
>>161 Je voudrais etre tous les tyrans.
フランス語らしい、立派なフランス文ですよ。
初級文法程度のかたが妙な断定をされるのはまずいです。
まったく話の筋がずれています。上の例文となんの関係もない。
↓
Il etait comme tous les tyrans.
ならまだ許容範囲かもしれないが、これも
Il etait tout comme un tyran.
のほうがよほど自然だろ。
166 :
吾輩は名無しである :2012/07/15(日) 11:21:45.16
老人ホームのカルチャー講座w この阿呆な老人たちが生きている間は愚の遺産としてこういったものは存在し続ける だからオマエら早く死ね、とは、しかしやっぱり言わないけどねwww でも、 よい子はまねをしてはいけません
167 :
吾輩は名無しである :2012/07/15(日) 11:41:13.93
また大袈裟にフランス語のレッスンですかw どうしようもなく鈍い方々だw 石川淳の「すべての暴君になりたい」なんか、俺にはすぐに彼のジョークと 分ったがねw あまり石川を神格化しなさんなw
168 :
吾輩は名無しである :2012/07/15(日) 13:16:08.40
東電や三浦が面白いって言うから、何か買って読もうと思うんだが 何処にも売ってないw
>>169 こんなに無芸無能のレスじゃ即バレだよ、古井くんwww
171 :
吾輩は名無しである :2012/07/17(火) 08:16:19.57
>>169 語学と高学歴で頭が固まっちまったかw
頭の鈍い人は文学なんか止めて実用書を読んでれば良いじゃないかw
172 :
吾輩は名無しである :2012/07/17(火) 08:37:44.23
夏草や低脳ぼうずの癪の跡
殺 ,,,.. -‐''''''"" "'''‐- .,,, 伐 / "''-、 .と / ヽ .し / ヽ .た エ / ヽ _ .ス .チ | l / ヽ、 ..レ .ゼ ! l ( ,- 、 ヽ .に .ン. l _j___, / 」 、ヘ、 | . ク l __j__j-v'-‐"";:ヽ;;;^'''つ/ 「ク/`x />、ノ ラ ヽ __,,,n‐''i^::::::::::i:::::::::::|::::ー、| ̄''''" /〃川/ハ ゲ ヽ、_(;;;;;|:::::::::l :|: |::: ) ///ハノハ が | / | 巛::、ら、 //〃/ 」 ∠_、 `〜 、〃巛 lノ.}.} V -ヽヽ、 川゙ゝ))〈〈〈ヶ77亅(( 巛』)) 》タタ|》 )))(((}} ハ |) 巛 | 〉〉〉〃!'i" | | || |.l | | ハ | | | l| | | | | /l | | | | || | | || /| | | | | | || |.|. || | || | | | ト、 | | | | || | ト| |λ| l /| | l| |.| | 〈l | |.|| ||ハ |/|| || || || || || | l | l | | |. | | |、| | | | |. | | | | | | |
174 :
吾輩は名無しである :2012/07/21(土) 20:10:33.16
翻訳家の宮脇が石川のファンらしいぞw 俺が石川なら、がっくり来るよなw 馬鹿に好かれるのが嫌なら、本など書かなきゃ良いんだがw
宮脇が誰か誰か知らないが石川淳の本は消費物と見るべきだ、よ。 ファンという概念はこのスレには有り得ないのですきゅいんきゅいん。
176 :
吾輩は名無しである :2012/07/22(日) 08:17:25.76
>>175 その通りで背負う秘仏w
背負う秘仏にも程度の良し悪しがあるw
日本語の文学的散文を操って比類を絶するのは、石川淳である。 その漢文くずしの短文は、語彙の豊かさにおいて、語法の気品において、 また内容の緊密さにおいて、荷風を抜き、ほとんど鴎外の塁に迫る。 同じ世代、または以後の世代の文学者で石川に匹敵する者がないのは、いうまでもない。 『日本文学史序説(下)』加藤周一 P547 一代の碩学、加藤周一がべた誉めの石川淳だ。 石川淳の独特の傑作は、超現実主義的な短篇小説、いずれも他に比類が無いとも書いている。 ゴミ見たいな本など読まずに、石川淳を読んどけ。
178 :
吾輩は名無しである :2012/07/26(木) 21:57:47.74
あらためてここでいうまでもないだろうけど、 石川の散文観はアランの芸術論に影響されている。 ここでいう散文とは文学的情緒に浸るような文章のことではなく、 散文から詩や演説口調といった散文固有のもの以外を 排除したものをさす。 ルネッサンス以後、人類の歴史の中で近代を切り開いていったのは モンテーニュを代表とするこうした散文だった。 ミシュレは学問芸術のあらゆるジャンルの中で散文を「最も人間的な様式」だといっているが、 日本で方法的に散文を意識し実践したのは石川においてほかにいない。 簡単にいえば、最もすぐれた散文は市民による革命まで引き起こす力があると、 半ば本気で信じているフシが石川にはある。 (ちなみに、石川は同時代を「和朝」といっているとおり、石川の世界史の時間軸観において、 現代日本は市民革命以前の世ということになっている。)
>一代の碩学、加藤周一 >他に比類が無いとも >石川の世界史の時間軸観 はいはい、たーくらこくのもそれで気がすんだでしょ? っつーことで、バカのバカによるバカのためのスレ ∧∧ ミ _ ドスッ ( ,,)┌─┴┴─┐ / つ. 終 了 │ 〜′ /´ └─┬┬─┘ ∪ ∪ ││ _ε3 ゛゛'゛'
180 :
吾輩は名無しである :2012/07/26(木) 22:23:55.99
美はことばのはたらきにあって、人間像の近似値には無い。 書かれた人間像と実在の人間との関係の上なんぞには、 じつに何の藝術的意味も無い。 「面貌について」石川淳
石川や 浜の真砂は尽きるとも 世の古井戸のバカは尽きまじ 藝術的意味(嗤)
182 :
吾輩は名無しである :2012/07/27(金) 23:55:16.79
古い文芸誌を見ていて、若き日の今上天皇の写真かと思ったら石川淳だった
こーゆー(石川みたいな)人にする批評って、つまり、タメにする批評そのものなんだよね。 「これは素晴らしい(即ち、オレはいいんだよ(コソコソコソ姑息))」 の、批評する人の自賛のための批評。 だから最初からみっともない人の最後までみっともない批評。(嗤)
>>183 どうして石川を褒めると自賛になるんだい?
そこの論理的な筋道を説明してくれ。
183ではないが、印象としてはわかる気もするな。上で加藤周一の名前が出てたけど、マチネポエティック組はみんな石川を評価してたが、確かに追従っぽいところがあって気持ち悪い。 自分の作品は石川に評価されないってのがあるんだろうか。中村真一郎は頼山陽が取り上げられていたけど評論だし。 石川が同時代の小説家で積極的に評価した人が少なすぎるそういうコンプレックスとかあるのかも...とか全然論理的な話じゃなくてでごめんね。
>>185 ごめんじゃすまねえな。
1.加藤周一をマチネでくくるセンスが見当はずれ。
2.マチネ組はみんなってだれのこと?まさか加藤、中村、福永っていうんじゃないだろうけど、
マチネ組として石川を評価したってことはないでしょう。
3.石川は加藤の本は誉めたこともあるし、帯で提灯持ちをつとめたこともある。
4.戦後早い時期はともかく朝日の文芸時評のころ(70年代初め)にはにはすでに小説というものに
あまり興味がなくなってたってことがある。
加藤周一は本を読まずに読んだふりをする天才
私の方針は、原作を読まずに研究書を読んで、その作品について書くということは、 いっさいやらないという原則なんです。 全部原作に当たらない限りはいっさい書かない。 場合によっては網羅性の犠牲においても、それでなかなか手が回らないということです。 その代わり、書いてあるものは原書に当たっています。 『二十世紀の自画像』加藤周一 p90 『読書術』には、相手との会話の中で読んだふりをする例は書かれているが、 作品について書くときは、原書を読んでから書いているということだな。
189 :
吾輩は名無しである :2012/08/02(木) 21:17:45.80
そしてその原書を読んでないものは語らないという姿勢は石川淳から学んだと言ってますよね。 石川淳が南画について書いたときに実物を見ていないものには触れなかったということ。
石川淳が亡くなって(1987年12月29日)、年明けの偲ぶ会(「石川淳と別れる会」1月22日)で 弔辞を読んだのが加藤周一だった。
191 :
まぐな :2012/08/02(木) 23:59:11.31
最近は翻訳の価値とか主張する輩も増えた(そしてそういうことを言うやつに限って日本語能力すら低いのが多い、鴻巣とか)が、吉田健一も石川淳も加藤周一も原書絶対派なんだな。
192 :
吾輩は名無しである :2012/08/03(金) 09:47:31.15
絶対派っていうんじゃないんだよ。 翻訳には当然重要な意義があるんだ、単純な二元論にしてはいけない。
夷斎が好きでたまらない人ってのも決して多くはないと思いますが、夷斎が嫌いで 仕方ないって人もなかなかいないと思っていたので、この流れは新鮮です。 夷斎を褒めた文の書き手まで気に入らないとなると、これは相当な嫌いっぷりだ。 よほど癪に障るなにかがあったのでしょう。
自分がそれほど高くは評価していない石川の作品を 無暗に持ち上げる(と見受けられる)風潮が鼻につくのでしょう。 要するにファン心理に対するやっかみなのですが(たぶん) そういうのを抜きに作品を楽しめば良いだけの話なんですね。 いくら和漢洋の該博な知識に裏打ちされていようとも 小説なんてその程度の物に過ぎませんから。
195 :
吾輩は名無しである :2012/08/05(日) 22:50:22.86
>小説なんてその程度の物に過ぎませんから。 この言い方はよくないね。 つまり「楽しめば良いだけの」物にすぎないという意味になるのでしょうが、 それじゃあ、あんまり粗雑すぎる言い方。まぐな級。0点、失格。
しょせん娯楽だもの。 確かに書き手や読み手に一定の教養がないと愉しめませんが その教養を前面に打ち出す事は石川による荷風批判の言を借りるのなら お洒落じゃないの。
>お洒落じゃないの。 なに言ってるんだ?ばか?
物事の考え方を検査して再編する作業って基礎的なものではないかな。 そういや石川淳は一時左翼に嵌ってたくせに見事に主知的観念論者だよね。 ところでお洒落はあった方がいいが絶対に必要なものではない。 教養が前面に出ることはそれこそ石川自身の言葉で言えば「体臭」程度のもの。 しかし教養は思考の根幹を支えるものであり、読書は教養と知性を通じて為される部分が本質である。 石川淳はこんな感じで読んで欲しかったんじゃないか。
分かる奴さえ分かれば良い、というスタンスで だから「私の読者は3000人だ」と言っているんですよ。 そしてそういう人間に対しては多言は無用なんです。 それが石川特有のダンディズム、すなわち“お洒落”ということでしょう。 まあ、都会育ちの粋人ですからね。野暮は言わないの。
>多言は無用なんです。 ↑ これなにかのシャレかなあ、お洒落じゃないことは確かw
201 :
吾輩は名無しである :2012/09/12(水) 22:15:32.45
石川淳の文体は江戸文学の文体だと思ってたんだが、全部漢文崩しだったのか。 てっきり漢文崩しは夷斎だけだと思ってた。 勉強になったよ。
>>201 がどういう意味なのかよくわからないんだが
江戸文学の文体でないという点はそうかもしれないが全部漢文崩しとは?
石川と夷斎が云々ってどういう意味?小説と評論とかそんな違い?
どこで勉強した?
石川淳読んでる人が全員が頭脳明晰だと仮定せずもっと親切に書いてもらえると助かる
203 :
吾輩は名無しである :2012/09/13(木) 21:57:10.65
>>202 石川淳の小説の文体は江戸後期の戯作の語り口をそのまま取り入れたものだと思ってたんだ。
たしか丸谷才一がそう語っていたし、石川淳の解説でもそんな事を書いてあるのを見た事あったし、実際戯作読んでみて似てるなとも思ったし。
それに対して夷齋を代表とする随筆とか評論(?)は漢文崩しか漢文の影響を受けて書かれているのはみんなの共通認識だと思うんだ。たぶん。
だけど、ここのスレを見る限りでは、と言ってもすべて見たわけではないが、小説の文体も漢文崩しか漢文の影響を受けているとうのがここの統一見解みたいだったから、
全部漢文崩しなんだと勝手に思っただけだったりする。
江戸文学の文体については一部の人以外ほとんど触れてなかったし。
正直「全部」とは言い過ぎた。
んー。エッセイの語り口も江戸的だといえばそうだしこのスレで言えばこの間 実はフランス語的な文章があるんだぜ激熱!という人もいた。 総合的にはあくまで和漢洋混合という通説に落ち着くように思える。 単に漢籍の知識のある人が小ネタがわかってちょっと嬉しいという程度で漢文に拘る必要はないが 『普賢』とか読んで漢文の色が無いと言い出したらそれは確かにおかしい。 まあ言ってることは分かったし、概ねその通りだと思う。
石川淳の文体が和漢洋混合というのは俺もそう思うけど、でも文体の土台となってるのは江戸後期戯作の饒舌体でしょ。 それに漢文とかフランス語の要素を掛け合わしたのが石川淳なんだと思う。 「普賢」は石川流饒舌体の典型だと思うだ。 同じ新戯作派でも太宰とか坂口とかは石川淳と違って独自の饒舌体を構築したみたいだけど。
石川淳先生のお言葉。「地女の盛装ほど全裸にちかいものはない」ありがとうございました。
老若を問わず男性諸氏よ。 着飾った好みの女を見つけたら、嫌な顔をされてもガン見しましょう。そうされるのもしかたないと、女はおもうらしいですよ。
208 :
吾輩は名無しである :2012/10/17(水) 22:01:06.04
蛇の歌を買おうかどうか迷ってるんだけど、誰か読んだ人いますか?
誰か読んだ人いますかって(笑 みんな読んでるにきまってるだろ。
選集をずい分前に買って読んだけど、 そこから洩れたものを読むのに、やっぱり新しい方の全集19巻揃を、買わなくちゃいけないわけね 14巻揃との値段の差が凄いなぁ 新しい方だって古書店の本棚の肥やしになってる風だけど・・・
蛇、六道、狂風、座談は古本屋さんを探すと200円くらいの単行本があります。 天門、前賢餘韻も時々見かけます。背徳者と抜穴は100円で文庫本がある。 決定版17巻の癇癖や世間猿、宇比山踏、 18巻のモリエールやフランスあたりになると 趣味の世界ですから、夷齋好き具合による。個人的には、どうしても買って 持っていつでも読みたい、とまでは思いません。図書館で借りるか、17巻後記に 収録されている自叙自跋やあとがきの類いをチラ見して決めたらよいと思います。 随筆類でのうち、選集では抄録になっている小文の残りは14、15巻に多く収録 されています。また選集出版以後の随筆雑文は15、16巻に多いです。 19巻は持っていないのでわかりません。どなたか詳しい人の登場を待つか、 図書館へ行ってご覧になるのがよいと思います。 ネットの古本屋さんだと、決定版のバラってあまりないんですよねえ。揃いは高いし しかもかさばる。それこそあの岩波選集サイズ、9ポ二段組ででもあれば、エイヤっと 買い換える気にもなるのですが。
>>211 これはご丁寧に、アドヴァイス有難ふございます。
大変参考になりました。
安いのを、地道に捜して行こうと思ひます。
213 :
吾輩は名無しである :2012/12/27(木) 07:09:42.84
ファルスとかいう作品を読んだ。 これって素人時代の習作かなにか? タイトルのわりには内容が酷すぎて笑えなかった。
214 :
吾輩は名無しである :2012/12/27(木) 09:07:05.11
ファルスの意味がわかってないわけだ。 これって冬休みに入った子どもの書き込みかなにか?
215 :
吾輩は名無しである :2012/12/27(木) 20:06:47.97
>>214 フランス語で笑劇とか道化劇の意味だろう?
それがどうかしたのかよ。
ファルスというよりただのブラックジョークだよ、これは。
六道、狂風、と選集以降のものを読みましたが、何だか、入歯用のフニャフニャした食物を食したような物足りなさが 荒魂の系譜なんでせうが、荒魂は読後にちよつとシミジミした感じがあつてよかつたですが、後期のモノにはそうしたものが今ひとつ、でせうか
217 :
吾輩は名無しである :2013/03/14(木) 20:32:04.36
ここのみんなは石川淳研究会に入ってたりするの? さすがにそこまでの石川淳好きはいないか。
218 :
吾輩は名無しである :2013/04/06(土) 01:42:59.46
石川淳研究会って、皆大学とかの研究者の人達ばかりじゃね? 一般人には敷居が高そう。
219 :
吾輩は名無しである :2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN
その研究会、先生の蔵書目録作ってるらしいね。 どんな本読んでたんだろう。個人的に興味がある。 目録だけでもネット公開とかしてくれないかな。
220 :
吾輩は名無しである :2014/01/18(土) 00:21:40.21
人がいるかわかりませんが アホな質問で申し訳ないのですが『千羽鶴』で999羽目が折られた明らかな描写ってありましたか?
ガイシュツだろうが、安部公房の壁の序文はよかった。 石川淳と安部公房の関係がうらやましかったな。
あれはいいね。
>>220 二段落め、
……げんに今垂らしてある九百九十九羽の最後の鶴は去年折つたものであつた。
対手は「ぢいさんの家に雇はれてゐた小女」でよいのではないでしょうか。
224 :
吾輩は名無しである :2014/03/06(木) 18:47:12.04
石川は上田秋成の雨月、春雨、癇癖の現代語訳をやり、解説も書いてるが、 彼は秋成を読めてないとはっきり分かる。
松本清張の渋江抽斎論読んだら 石川淳批判されてた(T_T) 原書重視って言うけど まともな研究しない人なんだなorz
226 :
吾輩は名無しである :2014/12/16(火) 18:37:46.24
ヌッ
227 :
吾輩は名無しである :
2014/12/17(水) 08:26:48.18 >>224 読めてないってどういうところなんだろうね。