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やれやれ、僕は名を失った:
埴谷雄高氏は戦後の日本の夜を完全に支配した。氏は黒い神話になり、ねぢ曲つた現実の回路が或る一個所で
底なしの闇に通じてゐるのをわれわれが発見するとき、必然的に不可避的に埴谷氏の顔に会つた。
あらゆる絶望の予言はすでに埴谷氏の本の中に語られてゐた。だからこれを読むことが希望の唯一の根拠になつた。
明晰な文体と異常な人物、正確な悟性と異様な幻想……そのすべてが氏の容赦なき人間認識から出て、闇の風を
孕んだ深いお告げになつた。氏は分析に足をとられたことのない稀な近代人である。世界は崩壊の一歩手前で
言葉によつて引き止められ、闇は凝視にとつて最小限必要な光りを許してゐることによつて逆説的である。
埴谷氏の文学はただ青年の書であるだけではない。人間と世界の書であることが、今や明らかになつたのである。
三島由紀夫「推薦のことば(『埴谷雄高作品集』)」より