1 :
1:
あらあら どうして この方のスレが ないのだろう 山猫は さっそく スレ立てに従事しました
「注文の多い料理店」「双子の星」読んだ
前者はタイトルだけで想像したのはグルメな客と料理人の話かと思っていたけど実際は、ちょっとしたホラーストーリーだった
後者は美しいファンタジーな光景が浮かぶ銀河小説とおもた
次は春と修羅行ってみようぜ
あめゆじゆとてちてけんぢや
5 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/19(日) 13:57:47
宮ケンは健全な作風が私的に合わない
6 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/19(日) 14:00:25
健全というと?
7 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/19(日) 14:04:49
女も酒もでてこないじゃん
8 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/19(日) 14:15:13
ん、そか
ちなみに宮澤は太宰や坂口やらなんかより健全であるとは言えないぞ
酒で誤魔化さない分、そんなやつらよりもずっとエグいよ
おれは逆に太宰とかは平凡、あまりに健全すぎて性に合わんほうだな
9 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/19(日) 15:16:46
確かに、宮ケンには少しエグイ描写があったりするが
それは子供たちに世界の「厳しさ」を伝えるためのものであって
その根底にはいつもモラルが流れていると思うんだよなあ
吉田司など、いかが(笑)おやはや(笑)
宮澤賢治の作品はとにかく何もかもが剥き出しって印象だな
細かな技巧などは作家としてほとんど身についていなかったが、それが逆に新鮮で純粋な作品を生み出す要因の一つになってるのは明らかだ
その真っ直ぐな純粋さが、贋物に慣れ親しんで濁りきった一般人に目を伏せたくなるほどエグく映るんだろうな
春と修羅にしても、その十の内の九は極めて稚拙なもので読んでいて背筋も凍るようだが、
その中の僅かな一が、十にも勝る鋭さをもっていて、凍りついたすべてを溶かすほどの眩しさを放っている
13 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/19(日) 21:06:20
何もかも剥き出しって表現は的を得てるな。
果物屋さんの甘い甘いリンゴではなく、
野生のすっぱいかりんを皮のままかじったような
甘さも酸味もガシガシ感もすべて原色のままって感じだ。
ところでかりんって何だよ?
14 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/19(日) 21:34:57
花屋のあの娘
可鈴ちゃん
16 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/20(月) 00:45:37
細かいがみやざわのさわって漢字間違ってね
17 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/20(月) 13:07:24
>>11 一般人というよりは、大人の「体面」というものを身につけてる人にだろ
↓こんな、僕は玄人だぞとでもいいたげな、変にすかした気持ち悪い文体を書く人間のほうが
よっぽど贋物に慣れ親しんで濁りきった一般人に見えるぞ
12 :やれやれ、僕は名を失った:2010/09/19(日) 16:27:59
春と修羅にしても、その十の内の九は極めて稚拙なもので読んでいて背筋も凍るようだが、
その中の僅かな一が、十にも勝る鋭さをもっていて、凍りついたすべてを溶かすほどの眩しさを放っている
宮ちゃんが見たら閉口しちゃうね
えと、反映しry
やれやれだな
賢治「いちいち人に絡んで憂さを晴らしてないで自分の見解を述べてみろ」
そんなんじゃ何のメダルも貰えないぞ
さあ、謳えよおまえら
20 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/20(月) 13:29:46
真意が他にあるなら言ってごらん
それと
>細かな技巧などは作家としてほとんど身についていなかったが、それが逆に新鮮で純粋な作品を生み出す要因の一つになってるのは明らかだ
と言ってるが、むしろ童話で技巧なんて細々しいことやってる人間なんていないと思うが
なぜ賢治に技巧がないのは特別なことみたいに言ってるのか、それも知りたい
それと
<十にも勝る鋭さをもっていて、凍りついたすべてを溶かすほどの眩しさを放っている>
のはどの部分でどういうことなのか説明してくれ
21 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/20(月) 13:30:56
おれの見解はこれだ
9 :やれやれ、僕は名を失った:2010/09/19(日) 15:16:46
確かに、宮ケンには少しエグイ描写があったりするが
それは子供たちに世界の「厳しさ」を伝えるためのものであって
その根底にはいつもモラルが流れていると思うんだよなあ
22 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/20(月) 13:45:22
まあ、少し意地の悪い書き方だったわ
>なぜ賢治に技巧がないのは特別なことみたいに言ってるのか、それも知りたい
まず日本語でおkだけど、それはいいとして、何も特別なことみたいには言ってないぞ
それに質問の意味がよく伝わらない
<十にも勝る鋭さをもっていて、凍りついたすべてを溶かすほどの眩しさを放っている>
のはどの部分でどういうことなのか説明してくれ
自分で探せ
それと、上に書いたのはあくまでも自分自身の見解だよ
つまり、その鋭さや眩しさや寒さの性質は当然読者の経験やらに反映してくるわけだから、君とおれではそれを感じる箇所も違ってくるんだよ
意味はわかるよね?
>>21 うん、いいと思う
君の見解にケチつけるようなことは、おっrはしない
訂正
おっr
おれは
ちなみに君は童話童話言ってるけど、賢治は本当にそのままの意味で「童話」という言葉を使ってたのではないと思うよ
あくまでもこれも自分の見解だが、そこには、多少の皮肉も含まれてたと思うんだよね
そういう皮肉っぽいものが自分の目には少し稚拙に映ったってことね
そういうのがまた剥き出しな印象を与えてるんだと自分は思ってる
そういう皮肉っぽいものは「春と修羅」でも他の多くの作品の中でも多々見られると思うんだよね
数え上げたらキリがないけど、そんなものが証拠としてほしい人がいるならば
暇を見て少しずつここに書き込んでもいいけど
正直つまんないでしょそんなの
29 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/20(月) 14:39:21
あげ足をとるようだが、
真っ直ぐな純粋さと皮肉とと話が右往左往してて
果たして君が宮沢の作品をきちんと捉えられているのか疑わしくなっているぞ
もしや、その場の思いつきで語っているのではないか・・なんてね
なぜ?
真っ直ぐな純粋さと作品中の皮肉は決して矛盾しないよ
きっと自分と君のその純粋さの概念が異なるってだけだろう
皮肉は皮肉だが、稚拙で真っ直ぐな皮肉なんだよ賢治のは
純粋な人程、正々堂々と公の上で、作品内にぶつける傾向があると思うけどな
芥川にしても皮肉だらけだけど、それは彼の純粋さから出てきてるように自分は思うよ
あとはただその手段の問題ってだけだろう
その手段が、賢治の場合は極めてあからさまで稚拙なんだよ
だから純粋さと皮肉は全然矛盾しないと思うぞ
>>29 それと君のレスは、どうにかして相手をやっつけようやっつけようと試みてるようなものばかりで極めて不愉快だよ
何か恨みでもあるのか?ストレス発散か?
みっともない真似はよしたほうがいい
恥をかくのは君自身だけだ
>果たして君が宮沢の〜疑わしくなっているぞ
疑うならまず自分の頭を疑ったほうがよさそうだな
君こそ、本当に読めてる?
と、29番風に煽ってみる・・なんてね
しかしもうすっかり秋模様ですなぁ
散歩でもしてくるか
というか、賢治の作品をすべて隈無く、正しく理解して捉えることが出来る人なんているのかな
自分にはよくわからない描写も結構あった
それらを調べてみても、かなり個人的な内容だったからわからなくても当然だとも思った
そうして調べて、それでもどうしてもわからない描写がいくつもある
そういうのはそれぞれ好きなように想像して捉えとくことしか出来ないし、またそれが面白い
ときに春と修羅は日付もよく見ながら読むと色々想像も広がって、なお面白く読めるね
この人って動物食べるのやめて、摂食生活みたいの始めてから、顔のむくみが取れてほっそりしてすごい若返ったよね、写真で見る限りだと。
この皮肉という精神態度には用心が大切です。皮肉というものが修辞法の直截な古典的手段としての皮肉でない限り、
また健全な悟性にとって一瞬といえどもその意味が紛らわしくはないような皮肉でない限り、
それはふしだらなものとなり、文明の障害となり、沈滞と非精神と悪徳の不潔な戯れと化するのです。
私たちを取り巻く雰囲気は、こうした種類の泥沼の植物を繁茂させるのに非常に適していることは明らかなのです。
〜人文主義者 セテムブリーニ氏より
賢治の皮肉には、古典的手段とは言えないまでも、何処にも黒いものが含まれていないから大丈夫
芥川には少しだけ黒い所が無いでもないが、それもまあ今では許容範囲だね
39 :
吾輩は名無しである:2010/09/24(金) 01:38:49
賢治の作品(特に詩)を読むと、彼の日本語表現に異質なものを感じるけど
未だ「異質なもの」の正体がつかめねーや
40 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 14:10:56
>ちなみに君は童話童話言ってるけど、賢治は本当にそのままの意味で「童話」という言葉を使ってたのではないと思うよ
妄想か?純粋な人がなぜ、そのまま小説を書かずに、皮肉まで使ってわざわざ童話風にし、自分でも童話と言ったのか
それに「ベジタリアン大祭」なんかを読めばわかるが、この人は皮肉なんて使わずに自身の主張はしっかりする人間だぞ
>そういう皮肉っぽいものが自分の目には少し稚拙に映ったってことねそういうのがまた剥き出しな印象を与えてるんだと自分は思ってる
皮肉とは、遠回りな言葉を使ってほのめかすことだろ。なぜ、これがむき出しなんだ?
むしろ直接語ることを避けている、こざかしさをもった大人のやることだと思うが・・
>純粋な人程、正々堂々と公の上で、作品内にぶつける傾向があると思うけどな
これは正しい。だが、正々堂々の方法が皮肉とはいかがかと・・(笑)
あなたが、皮肉=正々堂々と育てられたのなら話は別だが・・
41 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 14:13:20
>あとはただその手段の問題ってだけだろう
その手段が、賢治の場合は極めてあからさまで稚拙なんだよ
だから純粋さと皮肉は全然矛盾しないと思うぞ
宮沢の手段は稚拙、ゆえに純粋と皮肉は矛盾しない
君はこの文に一縷の論理性でも見出すことはできるか?
42 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 14:15:35
>それと君のレスは、どうにかして相手をやっつけようやっつけようと試みてるようなものばかりで極めて不愉快だよ
何か恨みでもあるのか?ストレス発散か?
むしろ、一つレスしたものに、五つもレスを返し、自らの正当性を主張しようとする
君のパーソナリティに常ならぬものを感じざるを得ないのだが・・
43 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 14:18:50
君はおそらく中高生か何かだろ?
そんな若かりしときは、文学なんて考える必要はねえんだ
毎日を楽しく精一杯に生きなさい。それだけでいい。
文学ひいては文化のことを一年は学んで、せめて「四分の一人前」になってから出直してきなさい
44 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 14:20:50
一つほめる点があるとすれば
>宮澤賢治の作品はとにかく何もかもが剥き出しって印象だな
これは君の発言で最も優れている文だよ。全くの芸術音痴ではない。
がんばりなさい・・
45 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 14:23:12
スレ汚しすみませんでした。
どうか、このレス群は水に流して、宮沢談義をやってくださいな
46 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 14:25:37
お前の無能さがよくわかったから、二度とこのスレに書き込むなよ
47 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 14:30:01
何でもレス返してもらえると思うなよ
48 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 14:42:37
宮澤賢治は童話作品のすべてをプロパガンダにあてていると述べているらしいのですが
それは文書として残っているのでしょうか
プロパガンダとは、すこし過激な表現ですよね
童話云々の話は宮澤の皮肉に間違いないよ
純粋な童話のつもりなら、初めからもっと童話らしい童話を書いてるさ
ところが彼の作品に含まれてる皮肉はどれも大人に向けたものだし、大人どころか文壇の作家や政治家に対しての皮肉すら多々あるのは誰の目にも明らかだろう
50 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:15:46
いや、もう正直、こっちの虫の居所が悪かった
2ちゃんのレスなんて、公に発表するものじゃないから
あらを探してもしょうがない。適当な文を書いてなんぼよ
51 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:25:22
どっどど どどうわ どどうわ どどう
どっどど どどうわ どどうわ どどう
52 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:25:59
>>49 童話の中に「テーマ」はあるが、政治家への皮肉なんて卑近なものがあったとは考えられないな
>皮肉とは、遠回りな言葉を使ってほのめかすことだろ。
>むしろ直接語ることを避けている、こざかしさをもった大人のやることだと思うが
だから手段の問題なんだってば
宮澤は当時まったくの無名だったし、宮澤なんかが北の田舎のほうから
誰に何を言おうが言うまいが見向きもされない状況だったことも考慮すれば
作品内で皮肉ることには特に何の不思議もないだろう
54 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:28:22
55 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:30:31
おまえらのうちで 狸で 鈴木で 藁菓子で武陽なやつが一番えらいのだ
アラどころか揚げ足すらとれてないよ
意味のないやつあたりはやめたまえ
57 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:31:37
>>53 君の発言はすべてが君の頭の中だけで考えたことで、何の裏打ちもないから説得力がないんだよ
その証拠が「不思議もないだろう」だ
58 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:32:24
白い揚げ足だぜ
ペンキを塗ったのではないぜ
またこいつか
コテ外して何してんだおまえ
以降スルー
60 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:33:31
いや、まじで虫の居所が悪かったって謝ってるじゃん。
うおおお〜い!!もう、何でも書きやがれ!
もう僕はこのスレにレスはしませんよ
君の頭でも何も頭はひとつしかないからな
他の頭ではちと考えられんわ
な、揚げ足すらとれてないだろう笑
以降スルー
62 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:37:50
落ち着け。だいたい横レスだのなんだのが飛んでくるから
わけわからないことになってるんだよ
俺の意見
●子供たちに「世界の厳しさ」を伝えるために、えぐい描写がある
●まっすぐな純粋さと皮肉は矛盾するのでは?(パーソナリティとして)
これだけだよ。ほかはすべておれの意見でもなんでもない
内容の皮肉の有無とか手段だとか俺は語ってないわ
それが君の意見なら君の意見でいいさ
上のもおれの意見にすぎない
以上
以降スルー
64 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:42:38
>>61 どこから拾ってきたかわからん状況証拠から
勝手な妄想をはちきれんばかりにして語っており
発言や彼の文を基にしたものではないから客観性がありませんよってことよ
純粋と皮肉の矛盾につうては上にも書いた
意味が伝わらないならそれでいい
以上以降スルー
66 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 15:43:18
もう俺はこのスレに書かない!!
発言、文というか作品全体から受けた印象で語ってるからそう見えるんだろう
以上以降スルー
スルー連呼、でもスルーできないんだな
それは君がお子様だからさ
以上以降スルー
これ流行らせよう
70 :
吾輩は名無しである:2010/09/28(火) 20:51:50
●子供たちに「世界の厳しさ」を伝えるために、えぐい描写がある
っていうのは、世界一受けたい授業の受け売りだよね。
71 :
吾輩は名無しである:2010/10/02(土) 16:50:23
このスレはスレタイの時点で終わってるんだからいいんじゃない
72 :
吾輩は名無しである:2010/10/08(金) 01:53:43
宮沢賢治は硬派ですか
73 :
吾輩は名無しである:2010/10/08(金) 02:01:52
若くして死んでるから、マラは硬かったろうねw
74 :
吾輩は名無しである:2010/10/14(木) 12:45:27
かんぱねるら〜
モコは『サーカス小屋の哀れな中年処女』なのです*
舞台の裏では 親方によって 鎖に繋がれ
スポットライトの浴びるステージに立つこともできない☆
猛獣を扱うことさえも 許されない*
絶望に打ちひしがれながら、
死にきれずに モコは 生きています・・
このスレの片隅で… ☆
モコは 生きるでもなく 死ぬでもなく、
ネズミの生殺しのように 扱われ
座敷牢に閉じ込められたバケモノのように
厄介者扱い・・・ *
このままでは 蛇の生殺し…飼い殺し状態です。
希望はなく 未来さえ無い☆
パトロンは亡くなり お金さえも無く、
冴えないモコは 食堂のオバちゃんたちからも見放され
近所のご婦人方からも見放され…
泣き続けるだけ*
そして、ご婦人方からの まさかの裏切り!
ここまで来て裏切られるとは思ってなかったヨ☆
哀しいです…
ショボ〜ン・・・*
モコって 夢 見ることさえ 許されない・・ ☆
哀れな道化師なんです。
モコは 一生イジメられる側で終わるんでしょうね。
モコは 自分にも非があることも考えないで
すぐに 他人のせいにしています*
すべて周りのせい、社会のせいにしています☆
そんなんじゃ いけないんだよネ …
ホントに モコって なんとも哀れな人生なんだよネ・・・
哀しいです… *
ショボ〜ン・・☆
全集買って読んでるが
沼森とか、なんのこっちゃです
78 :
■白■鳥■の■肥■後■ず■い■き■ス■ワ■ン■バ■イ■ブ■*■:2010/11/08(月) 13:39:18
*希望のモコ☆
このスレには 昔は 山犬が住み(*)((((ξ))))
深い森で覆われていた(*)((((ξ))))
その森を焼き払い(*)((((ξ))))
人間が住める街の建設に乗り出したのが モコだ!(*)((((ξ))))
モコは 今からこのスレに モコ ネバーランドファンタジーを建設する!☆
このスレは きっと生まれ変わるヨ (*)((((ξ))))
これからは このスレは モコ派が 仕切る (*)((((ξ))))
モコはいつも 小さな子供たちに ムチャなことを言われています。
あの日も… 「1分間で オレたちを笑わせてみろ!」とか
ムチャなことばかり言われました。 モコは「実はァ〜。デブぅ〜♪」と
ハリウッドザコシショウの芸をパクって言ったら
「それは 見たことある!」と言われました。
ハリウッドザコシショウの芸なんて 小さな子供たちは
いったいどこで見たのでしょうか?* なかなか 笑ってくれないから
ついつい「ウンコ」とか「チンポ」と言ってしまったんです。
そしたら 小さな子供たちは ゲラゲラ 笑いました。 大爆笑!
それで 笑わせたのに「笑ってない!」と言われて 頭を叩かれたんです。
運転中に 後ろから 何度も何度も 「パシーン!」とシバかれました。
じゃぁ… 一流企業に勤めている ほかの大人の女性に向かって
「1分間で オレたちを笑わせてみろ!」なんてこと 言えますか?
それで 車を降りたら ほかの大人たちに
「あの女は ウンコとかチンポとか言ってたァ〜!」
と言って泣きつくんですヨ*
それでモコだけ「不謹慎だ!」「子供たちの心を傷つけた」って言われたんです。
くやしいです☆ いつも モコは こうなんです*
79 :
吾輩は名無しである:2010/11/23(火) 23:49:09
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」
「いいえ、お前まだ見たことありません。」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花で
しょう。」
「そうだろうか。」子熊はとぼけたように答えました。小十郎はなぜかもう
胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月
光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないように
こっそりこっそり戻りはじめた。
80 :
吾輩は名無しである:2010/11/24(水) 12:20:03
賢治は熱心な法華の信者だったから
今だったら創価学会に入っているんでしょうね。
2ちゃんの馬鹿は単純に物事を考え過ぎるっていう典型だな。
賢治ほどの見識持ってて理想主義の人間が現在の創価に入るわけない。
むしろ
>>80みたいな知識もリテラシーも無く2ちゃん情報を鵜呑みにして
自分を過信してる人間が一番騙されやすい。
賢治さんは双極U型障害という病気を抱えてたらしいので作風もそんな感じがします。
ちょっと突飛な行動も。職をころころ変えるのも。
ナチュラルハイっぽい逸話も。
短歌や詩の中にはダークサイド的なものも散見してるよ。
でもそれを含めた賢治さんの存在感(?)好きだなぁ。
卑しい素性の自分を隠したくて、何とか上流階級の仲間に入れてもらいたくて、
必死になって見栄を張り、金を使ってみせていたんだよ、あいつは(大笑い)☆
名前は皆、分かっているだろう(*) 水●ヒロ先生のことだヨ!((ο))
まあ、飲むわ、食うわ、遊ぶわ、のさばるわ(*)((ξ))
大物ぶって、通ぶって、あっちこっちの高級料理店に気が狂ったみたいに通っていた*
京都の祇園の「お茶屋」にも通い詰めていた(*)((Φ))
酔っぱらうと、ネクタイをはずして、帽子のツバを折り上げ、
バンドまでゆるめて、バカ丸出しで歌を歌って大喜びだった(爆笑)*
私は行ったことがないが、美和も佐伯香織も祇園、こいつも祇園か☆
どれだけ調子に乗っていたか! (*)((φ))
しかし、いくら金を使っても生まれつきの「性根の卑しさ」は
ごまかせない(笑い)(*)((σ))
こいつは海外に行って、買い物をした時も 意地きたなく「値切る」んだそうだ*
見ていた人が「みっともないったら、ありゃしない」と罵倒していたほどだ(大笑い)☆
金を使って、あっちこっちに出入りすればするほど、陰でバカにされる*
皆が「卑しいやつ」「ゲス野郎、ゲス野郎」と後ろ指をさしてゲラゲラ笑っている(笑い)☆
哀切かつ峻烈な「命」の物語…!☆ 透明な絶望と輝ける闇の希望・・ *
透明な愛と都会のアーバンな孤独… !((ξ))強く儚いモコ・・・ !☆
モコは若いころは学生運動に夢中になっていたの(*)((δ))
「アンチモコ派 反対!」「アンチモコ派 撲滅!」「アンチモコ派 殲滅!」
と書かれたプラカードをもってデモ行進をしていたのヨ(*)((Φ))
でも モコはアンチモコ派のアントニオに恋をしてしまったの(*)((ψ))
そして モコはアントニオと結婚したの(*)((ξ))
でも アントニオの汚いやり方に嫌気が差してきたの(*)((φ))
それで モコはアントニオが主催したセレブパーティーの会場を
突然 抜け出して 「アンチモコ派 反対!」「アンチモコ派 撲滅!」
と書かれたプラカードをもって 走り出したのヨ(*)((ο))
雪のふりしきる街路樹をモコは「アンチモコ派 反対!」(*)((δ))
と 叫んで ビラまきを始めたのヨ!* そんなモコの顔は 輝いていた!☆
モコは ケツ穴にロケット花火を撃ち込まれて
一生 ウンコができない肛門になりました!*
モコは ケツ穴に栓をされて、口からウンコが出るような体になりました!*
それでも、ネバーギブアップ!!☆ ドン荒川よ! ドン! ギブアップ!!☆
飛び出すウンコ!☆ 『3Dウンコ』は 必見!*
プロデューサーは あの ロジャーコーモンだ!☆
肛門が大きく開いていく! どでかいウンコが目の前に迫ってくる!*
「行ってきまスカトロ〜♪ ただいマンコウ〜♪
ごちそうさマンコ〜♪ うんこくサイ〜♪
ステキな言葉で 〜♪ モコと愉快な仲間が〜♪ モコココぉ〜〜♪」☆
世の中、不公平ですね* 46才 無職 淫乱処女のモコが…*
「男に 恥ずかしい写真を撮られました!」(*)((δ))
「裸にされて マンコの写真を撮られました!」 (*)((σ))
「チンポをくわえている写真も撮られました!」 *
「デカチンをケツ穴に入れられました!」(*)((ξ))
「お尻の穴に巨大チンポを入れられている写真を撮られました!」
と 泣いて 主張したとしても 誰も信じてくれないんですよね…*
くやしいです! 今の世の中は 本当に不公平です(*)((Φ))
でも、逃げちゃダメだぁ(*)モコのエロを堪能してください!*
モコはフレッシュな水着写真を青少年に見せたいのです!*
健康的なお色気ならば 別に 許してもらえますよネ!☆
水着でグラビア撮影してたら オナラがしたくなってきたんです*
でも ガマンしました*(*)グラビア撮影が終わった後で
モコは「ブギュゥゥルルルウウゥゥゥゥ〜〜!」とオナラが出たんです*
すると 帰ったはずのスタッフたちが 戻ってきたんです☆
みんな モコのオナラの匂いを嗅いでたんです (*)((φ))
モコがオナラをすると 男たちが近寄ってくるんです((ο))
かたちとしては、いったん辞めても、陰で一派を牛耳る魂胆だよ*
誰が見たって、その通りだ* 構成員たちも言っている☆
「院政じゃない。陰性だ」って言い合っている(大笑い)*
福島原発のせいでグスコーブドリがいきなり脚光を浴びてる・・・
忠犬モコを愛する皆さま*
いつも ホントに ありがとうございます☆
心のそこから感謝します*
漂流していた忠犬バン君が奇跡的に救助されました!☆
忠犬バン君のことが 今朝からずっと報道されてました!*
テレビ報道で 飼い主さんと涙の再会しました*
その報道の模様を名犬モコは 見ていました!☆
本当に良かったです*
長生きしてほしいですね☆
これからも 名犬モコを よろしくお願いします*
今は ホントに 奇跡の犬 バン君のことが 話題になっています!*
ふわふわモコモコ☆忠実な犬*モコ☆
忠犬バンは 『巨人の星』に登場する伴宙太の親戚です☆
ハンパンマンは 半端な女の子です*
でも ハンパンマンは半ビラマンのお友達なのです☆
パンパンマンは アンパンマンの親戚です*
でも パンパンマンは女の子なのです☆
半ビラマンはウルトラマンの親戚です*
でも 半ビラマンは女の子なのです☆
パイパンマンは マン毛をぜんぶ剃ってます*
だから パイパンマンは男の子に大人気なのです☆
半ビラマンは萬中太くんのことが大好きです*
萬中太くんは『巨人の星』に登場する伴宙太の親戚です☆
半ビラマンは萬中太を愛してます!*
なぜなら 半ビラマンは中太チ●ポが大好きだからです☆
中太チ●ポは「中折れ」しないのです*
87 :
吾輩は名無しである:2011/04/23(土) 09:32:30.41
最近、「疾中」に初めて触れたんだが
なんか凄かった
全集を1巻から苦心して読み進めて
やっと「出会った」と感じた
本当に「芸術的」だなぁ、この人
別板で論議があって、スレ違いだという指摘を受けて移動してきました。
発端は、
219 名前:ご冗談でしょう?名無しさん[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 16:13:01.69 ID:???
>>217 日本は言霊の支配する国だからなw
220 名前:ご冗談でしょう?名無しさん[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 16:14:50.98 ID:???
>>219 まったく御意の通りでございます
221 名前:ご冗談でしょう?名無しさん[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 16:20:01.14 ID:???
>>220 日本語勉強し直せ
と言う流れで、「御意のとおり」という言い方にクレームが付いたのですが
この用例はおかしいでしょうか?
調べたところ、宮澤賢治も「とっこべとら子」の中で「御意の通りでございます。」と用いています。
個人的推察に寄れば、「御意。」と最短形で慣例句化したのはスターウォーズの影響かと思われますが
専門家の皆様のご意見は如何でしょうか?
89 :
吾輩は名無しである:2011/05/12(木) 21:30:15.65
前々からこの人の作品苦手だったんだけど
今日読んだ「虔十公園林」は私的に好きな作品だった
90 :
吾輩は名無しである:2011/05/13(金) 20:20:23.09
シグナルとシグナレス良かった。
なんだこれ。信号灯が主役って想像しにくいな
これは駄目なんじゃないかと思ってたら
最後まで読んだらすごいよかった。
91 :
吾輩は名無しである:2011/05/13(金) 20:27:06.62
日本の文学者ですごいのは
宮沢賢治と
安部公房と
太宰治と
西加奈子
92 :
吾輩は名無しである:2011/05/14(土) 05:52:42.30
もっと本読め
太宰はさすがに駄作家だ
93 :
吾輩は名無しである:2011/05/16(月) 16:25:41.84
結構まあまあの作品は多いが、人間失格は、いいだろw
まあ好き嫌いのある人はいるのか
94 :
吾輩は名無しである:2011/05/16(月) 16:30:36.61
太宰は一種の天才だとは思うよ
桜桃なんて作品はおそらく彼にしか書けないよ
95 :
吾輩は名無しである:2011/05/17(火) 21:17:44.61
太宰は中二向け
大人が読むに耐えるものではない
それは誰もがそう言うし、普通の意見かな…
津軽とか、大人になっても味わい深い作品もあるよ
震災後は賢治の本がよく売れてるって聞いた
まぁ、東北復興のシンボルには一番ふさわしい人だろうな…
98 :
吾輩は名無しである:2011/05/20(金) 16:24:00.35
賢治は復興のシンボルなんて陳腐な扱いはされたくないだろうな
それはそうだが、でも東北が本当に苦しいのは、たぶん精神的なものだろうし…
祭り上げは散々行われてきたけど、
こういう時に読み直されるのはいいことだと思うな
実際にいま賢治を読むと、震災前とはだいぶ違う感じがする
愛する人を亡くした後に青森挽歌を読むと悲しすぎて途中から読めなくなった。
質問です。
畑のへりでひとの手が十六本っていうのはなんで??
102 :
101:2011/06/03(金) 20:54:00.81
や、やっぱり難しいのでしょうか?
でも気になります。。
>>102 > や、やっぱり難しいのでしょうか?
> でも気になります。。
「や、やっぱり」と、
「なります。。」の箇所に苛立ちを覚えたのは俺だけではないだろう。
で、手が十六本がなんだって?
賢治の父方の先祖が
藤井将監だそうですが、
この人はなにをした人なのですか?
詳しいから教えてやんよ。
ナニをした人だよ。
tes
108 :
吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 00:11:51.75
宮澤賢治の作品は、読む人の肉体の記憶を使って読むものだと思うのだが
どうだろうか?
だから彼の作品は官能性があるんだと思う。
バカっぽいですね、あなた
110 :
吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 02:12:14.69
説明不足でしたかね。
高畑勲が金田の作画を官能的だと表現したそうですが、
その意味について考えました。
アニメーションは、体の重力の記憶や雑な言い方をすれば
動作の体感の『こんな感じ』を表現すると思うのですが
その表現に肉体の記憶を使うと思うんだ。
そしてその記憶をどの様に表現するかが能力だと思うのだけれど
説明的な描写ではなく、基本的に同じ動作による身体の感覚は
共有できて、擬音語や擬態語を多用した
111 :
吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 02:25:19.79
宮澤賢治の『質感』の表現と、『体感』の表現が特に素晴らしく思えます。
金田伊巧の高畑勲の言う所の官能的な表現のアニメーションと
共通する様に思ったのです。
説明が後手後ですが、アニメーションと雑に言ってしまいましたが、
主にジブリ作品を指しています。
長く書きすぎました。すいません。
もっとまとめてからまた来ます。
失礼しました。
112 :
吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 12:21:16.55
ユリイカで特集組まれていたね。
冒頭の吉本インタビューで賢治は山の人なんだと気づいた。今更ながら。
113 :
吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 14:26:52.20
ジブリはロリコン変態左翼アニメだろ
ジブリは好きだけど高畑は嫌い
よろしい、しずかにしろ
ジブリの中で、一番ろりこんで、黒ぶちめがねで、たくさん煙草をすって、
頭の髪の毛がまっ白いやつが、いちばんえらいのだ
山猫より
賢治の外部サイトは優秀だな。
賢治読本類なんて買うんじゃなかった。
117 :
吾輩は名無しである:2011/07/28(木) 15:18:36.60
6〜7冊ぶんぐらい賢治は読んだがあまり好きになれなかった
俺の感性には合わないらしい
118 :
吾輩は名無しである:2011/07/28(木) 15:24:47.24
イーハトーヴォ物語
http://p.tl/vw2B 宮澤賢治の世界観をゲームに再現した作品、SFC
一部のゲームクリエイターにファンでもいたのか
子供たちに賢治のことを知ってほしいと思ったのか、謎
正直に言わせてもらうと、こいつぁおもしろそうだ。
賢治も願ったように、
本来は子供がターゲットの作品だから、
いいプラットフォーム選だったと思う。
プラットフォームもなにも……
でも、これくらい誰かが砕いた方がいいかもね。
批判理論なんかのフィルターを幾重もかけないと、
よほど心的にシンクロできる人間じゃない限り、
かれの作品はわかんないよね。
ただ、生前プレスされたのは、
確か『注文〜』と『春と修羅』だけということを
強調しとくけど。
121 :
吾輩は名無しである:2011/08/16(火) 22:08:09.93
クラムボンの正体は何なんだろうか?
文学部出身の担任ですら他人の考えは分からない
と言ってたから分からなくて当たり前かもしれないけど気になる。
122 :
吾輩は名無しである:2011/08/17(水) 01:04:49.27
宮沢賢治の童話って説教臭くてなぁ
子供には読ませられないレヴェル
そういうのを排除して賢治の世界とか…
ちょっとかわいそうな気もする
説教くさいかな?
いや全然
ろくに読めてないただの馬鹿だからほっとけそういうやつは
今まで色んな場所で銀河鉄道の夜を読んだけど、
どうやら飛行機で読むのが一番っぽいな。
とにかく最高に縁起が悪いよw
126 :
吾輩は名無しである:2011/09/21(水) 12:52:43.79
賢治の命日ですな
こはい・・・
_,,.. --─- 、..,,_
,. '"´ `'ヽ.,
./ ヽ. ,ヘ
/ / 、 ヽ/∧',
,' i / ;' /i , ヽ.r‐┐///、_
i i /|‐ハ-、| / | /_|_ Yニi' ニ二7/
| ノ ! ,ノY ヽ|/ |/ | ` i i___,!`"''r-'
レヘ ハ _ ' ' Y ' l | .| |
,ヘ .7 " `ヽ , ‐-、_ | / / |
/ ,ハ "" ' ,,,,,,,` ノ|/|/ |
,' ヽ、 rァ--、 / . | i. | 市蔵に改名しろ
|へ/| / \ _ノ ,.イ i | | |
レヽ, /´ i`''ーr‐ァ ´/ / ,ハ|、 ハ ノ
,'ヽ.i::::::::|Y___/!/レ'::/ヽ. イ
| |::::::,レへ/ /::::::/ _,.':,
ダメなの! モコは 性同一性障害者なのヨ!☆
いつの時代にも「性同一性障害者」=「レズビアン」は いる!*
大航海時代 こいつらは みんなズボンをはき 男装をして
海賊船に乗り込んでいた☆
当時は 今よりももっと「女は女らしく!」という思想が強かった!*
だから、たまらず、いてもたってもいられずに、
「性同一性障害」の女たちは 海賊になったのだ☆
今の時代に 海賊は無い*
だから こいつらは 女子プロレスラーになるしかないのだ!☆
モコは ジェンダーフリーを目指したのヨ!☆
モコは女学生時代 寮で女同士の悦びを知ってしまったの*
モコは 厳格なクリスチャンの父に性の悦びを抑圧されていたのヨ☆
モコは 性による社会的 文化的差別をなくす決意をしたのよ☆
モコは ジェンダーにとらわれず それぞれの個性や資質に合った生き方を
自分で決定できるようにしようという考え方を持つようになったの☆
とりあえずモコはケツマンコ汁を出しました*
無色透明 無味無臭ですけどネ…☆
*ケツマンコ汁 あふれモコ☆ ☆グレコローマンマロンマンコモコ*
小向美奈子の乳首や女性器に電気ショックを与えることによって
胸や腹や足の筋肉が引きつり スライム脂肪が 複雑な動きを見せるのだ! ☆
これは スライムのような脂肪の女性ならではこその醍醐味だ!*
ガリガリ スリム スレンダー女では ここまでの複雑な脂肪の動きは見られない!☆
小向美奈子容疑者の乳を吸引したら きっと40cmまで伸びるぞ! もしも!*
小向美奈子の膣に 黒人ウェル スミスの40cmのチ●ポを根元まで入れたならば、
きっとズッポリ 全部 飲み込むことだろう! ☆
モコが 四国巡礼中、駅のトイレでウンコをしようとして 便所の戸を開けたら
女がウンコをしていた。仕方がないから トイレの外で しゃがんでウンコをしてたら
その女が 便所から出てきて 悲鳴を上げて 文句を言い始めた*
駅員もやって来て しゃがんでウンコをしているモコに向かって 怒鳴り始めたんだヨ☆
TPP VS モコ
133 :
吾輩は名無しである:2011/12/02(金) 20:28:35.21
やる夫が読む春と修羅
http://yy702.60.kg/test/read.cgi/yaruo2nd/1312552829/ *やる夫が宮沢賢治の詩集、「春と修羅」に出会い、女の子とキャッキャウフフするまでのお話です。
*ほのぼのしない日常系、たまに鬱入るかもです。
*このスレでは何も学べません。
*詩の部分は青空文庫から引用しました。
. /:.:.:.:.:.:.:.:. i:.:.ヘ.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:';:.:.:.:.:i.:.:.:.',
/:.:.:.:.:.:.:.:i:.:.!:.:.: ハ.:.:.:.:!:.:.:.:.:.:.:.l.:.:.:.:.:.:.:.:.:l.:.:.:.:.l:.:.:ハ
. /:.:.:.: i:.:.:.:.l:.:|!:.:.l ヽ:.:ヽ:.\:.:.:ヽ;.:.ト、:.:.:.l:.:.:.:.:l.:.:.:ハ
. //: /:. |:.:.:.:.l:.l !_.:!-‐ ヽ.:.:\:ヾー、- 、ヽ:.l.:.:.:.:.l:.:.:.:.:.ト、
/イ/:.:.:.!:.: ,:イ´∨ \! ヾ! \!\`ヾ!.:.:.:.:l:.:.:.:.:j`ヽ
|:.:.:.:.ヘ:.:.:.:.|ィニニミ、 ,.ィニニミ、!.:.:.:.:i、:.:.:/
|:.|:.:.:/ヘ\!ヾ{:゚::;;::ヾ 〃 {::゚:;;::::} l.:.:.:./ }:/ そのメールの人はホモでおっさんかもしれないし、
ヾ!ヘ:ヘ,,:イへ ヽc::::リ ゝc:::ソ l.:.:./イ/
ヽ ヽヘ!:.:.ヘ ` ̄ i ` ̄ ,':.:/.;イ′ 主任に少し嘘をついているかもしれない。
|:.:.ハ. /.:/:/
|:.:|:.:|:.ヽ、 ` ´ ,イ:./|/ でもこれが好きだと言うなら、きっと心の綺麗な人。
|:.从!∨W> 、 .イソ'// !
|/ ,j ` ´ lメ.′
′ /::ノ /∨:\
__... 、.- ─:::´:::ク .... ∨::::`:ー:..、
|::ヘ::::::::::::::::::::::i:/ ´ ` \l::::::::::::::::::::`>,
100分 de 名著
ttp://www.nhk.or.jp/meicho/ 名著08 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
第1回 賢治の伝言
【放送時間】 2011年12月7日(水)午後10:00〜10:25/Eテレ(教育)
【再放送】 2011年12月14日(水)午前5:35〜6:00/Eテレ(教育)
2011年12月14日(水)午前11:30〜11:55/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
ギフトに出演てた人だが・・・
135 :
吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 01:06:03.26
12月11日(日)BS11・20:00〜22:00
映画「銀河鉄道の夜」
136 :
盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得:2011/12/05(月) 02:44:54.27
モコ=自称記憶喪失したオトコ=
能面「オナジカオニダ!」人参川上弘美デブス=自称ムラカミハルキ
関西ドジンスパマー・イシハラ憎悪スパム
(なぜか東京は叩かない)ブス
モコはスゴイね
138 :
盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得:2011/12/05(月) 08:15:11.79
モコは川上弘美だから
自画自賛する無能な記憶喪失したオトコなんだろうな
139 :
吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 08:15:37.43
どのスレでも俺のHNを盗作してるのが
イエロー全員
140 :
盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得:2011/12/05(月) 08:16:35.29
そんなに凄ければ
作家からホメられてる人をみて
「嫉妬した」とかいわなければいいのにな
バカだね朝日のあまな鈴木烏賊は
141 :
盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得:2011/12/05(月) 08:17:16.37
2CH中朝日と日経の荒しばかりで
俺のHNを盗作してる。
142 :
盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得:2011/12/05(月) 08:17:46.71
イエローは「盗作する(HNドロもやる)」
→将臣と二人で会話したと妄想する
→「同格ぶる」
→加害被害関係を混同する
→「トモダチ詐称」
→「ストーカーはトモではないといわれる
(関係妄想のブスのストーカーから見るとアラシ発言に該当する)」
→「逆恨みしてHNドロをやりつづけ、
制裁だ、盗作していない、という」
→そのうち「HNを盗作して何がわるい。
制裁だ」といいだす。みな見てみぬふり
マジキチ
143 :
吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 08:19:25.37
このイエロー川上弘美の猿芸居直りメスマンコ芸どうよ?
ブサイク{610 名前:盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と一発目自業自得 :2011/12/05(月) 06:33:07.24
荒らしに反撃するのは正義。
だからお前はHN盗作されて当然。
荒らしでない初代鈴木は無関係、よって冤罪=マサオミ}
144 :
吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 08:20:17.79
イエローの芸
「全員でファン心理から盗作。
自己愛不足ゆえ、
満たされないおもいから、
二人ナカヨシ妄想をやるために、HNドロをやる」
批判される
→「逆恨みし、エロトマニアババの妄想を
拒絶したらアラシだ!とさけび、
エロ画像を大量送付して
制裁だとさけび、全員でまたHNドロをやる」
146 :
盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得:2011/12/05(月) 08:28:26.59
全員HN泥犯罪やってる
オタクの趣味人のヒキコモリ
147 :
盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得:2011/12/05(月) 08:33:36.26
717 名前:盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得 :2011/12/05(月) 07:11:27.56
イエローは「盗作する(HNドロもやる)」
→将臣と二人で会話したと妄想する
→「同格ぶる」
→加害被害関係を混同する
→「トモダチ詐称」
→「ストーカーはトモではないといわれる
(関係妄想のブスのストーカーから見るとアラシ発言に該当する)」
→「逆恨みしてHNドロをやりつづけ、
制裁だ、盗作していない、という」
→そのうち「HNを盗作して何がわるい。
制裁だ」といいだす。みな見てみぬふり
マジキチ
148 :
ちゃうちゃうのUちゃん(すずき) ◆8YfokW9/PY :2011/12/05(月) 14:36:06.90
U。・ェ・。U みやけん は いま はやるべきだよね
149 :
吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 16:54:29.26
「グスコーブドリの伝記」来夏映画化決定
150 :
吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 17:16:25.44
四〇一 氷質の冗談 宮沢賢治
一九二五、一、一八、
職員諸兄 学校がもう砂漠のなかに来てますぞ
杉の林がペルシャなつめに変ってしまひ
はたけも藪もなくなって
そこらはいちめん氷凍された砂けむりです
白淵先生 北緯三十九度辺まで
アラビヤ魔神が出て来ますのに
大本山からなんにもお触れがなかったですか
さっきわれわれが教室から帰ったときは
そこは賑やかな空気の祭
青くかゞやく天の椀から
ねむや鵝鳥の花も胸毛も降ってゐました
それからあなたが進度表などお綴ぢになり
わたくしが火をたきつけてゐたそのひまに
あの妖質のみづうみが
ぎらぎらひかってよどんだのです
えゝ さうなんです
もしわたくしがあなたの方の管長ならば
こんなときこそ布教使がたを
みんな巨きな駱駝に乗せて
あのほのじろくあえかな霧のイリデスセンス
蛋白石のけむりのなかに
もうどこまでもだしてやります
そんな砂漠の漂ふ大きな虚像のなかを
151 :
吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 17:16:52.09
(続き)
あるいはひとり
あるいは兵士や隊商連のなかまに入れて
熱く息づくらくだのせなの革嚢に
世界の辛苦を一杯につめ
極地の海に堅く封じて沈めることを命じます
そしたらたぶん それは強力な竜にかはって
地球一めんはげしい雹を降らすでせう
そのときわたくし管長は
東京の中本山の玻璃台にろ頂部だけをてかてか剃って
九条のけさをかけて立ち
二人の侍者に香炉と白い百合の花とをさゝげさせ
空を仰いでごくおもむろに
竜をなだめる二行の迦陀をつくります
いやごらんなさい
たうとう新聞記者がやってきました
152 :
吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 17:20:13.54
……はつれて軋る手袋と
盲ひ凍えた月の鉛……
県道のよごれた凍しみ雪が
西につゞいて氷河に見え
畳んでくらい丘丘を
春のキメラがしづかに翔ける
……眼に象って
かなしいその眼に象って……
北で一つの松山が
重く澱んだ夜なかの雲に
肩から上をどんより消され
黒い地平の遠くでは
何か玻璃器を軋らすやうに
鳥がたくさん啼いてゐる
153 :
盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得:2011/12/05(月) 17:20:58.82
……眼に象って
泪をたゝえた眼に象って……
丘いちめんに風がごうごう吹いてゐる
ところがこゝは黄いろな芝がぼんやり敷いて
笹がすこうしさやぐきり
たとへばねむたい空気の沼だ
かういふひそかな空気の沼を
板やわづかの漆喰から
正方体にこしらえあげて
ふたりだまって座ったり
うすい緑茶をのんだりする
どうしてさういふやさしいことを
卑しむこともなかったのだ
……眼に象って
かなしいあの眼に象って……
あらゆる好意や戒めを
それが安易であるばかりに
ことさら嘲けり払ったあと
ここには乱れる憤りと
病ひに移化する困憊ばかり
……鳥が林の裾の方でも鳴いてゐる……
……霰か氷雨を含むらしい
黒く珂質の雲の下
三郎沼の岸からかけて
夜なかの巨きな林檎の樹に
しきりに鳴きかふ磁製の鳥だ……
154 :
吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 17:21:15.96
(わたくしのつくった蝗を見てください)
(なるほどそれは
ロッキー蝗といふふうですね
チョークでへりを隈どった
黒の模様がおもしろい
それは一疋だけ見本ですね)
おゝ月の座の雲の銀
巨きな喪服のやうにも見える
(校本宮澤賢治全集 第三巻)
>>134 そのために採り上げたんだろうけど、震災と絡めて論じて欲しくないな
157 :
吾輩は名無しである:2012/03/14(水) 00:33:58.22
光の足はゾクッと来る部分があったな
読んだのはかなり昔だから内容はほとんど忘れたけど
159 :
吾輩は名無しである:2012/03/14(水) 02:20:39.91
ハナレメ(笑)
ハナレメって何?
俺のハンネ泥して
唐突に無理なタカビーキャラになって
オナニーしてる漢字がよめない
シャブ中の川上弘美のこと。
なんにも言えないよ
そんなつもりじゃないの
デタラメしゃべりだすわ
天池沼真理*
164 :
吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 00:47:31.00
よだかの星だったかなぁ
泣きながら何度も読んだけど、覚えてないという…
宮沢は年と共に読むの億劫になる
一気に読んでもちょっとウンザリする
汚れちまったな
165 :
吾輩は名無しである:2012/03/24(土) 03:55:54.00
166 :
吾輩は名無しである:2012/03/28(水) 20:26:30.66
岩波茂雄宛ての書簡にある、「春と修羅」と岩波書店の本のトレードは成立したの?
いかりのにがさまた青さ,
四月の気層の光の底を唾し歯ぎしり行き来する.
おれはひとりの修羅なのだ.
ああ輝きの四月のそこを,歯ぎしり燃えて行ききする,
おれはひとりの修羅なのだ
「けらをまとう、その農夫よ、本当に俺が見えるのか」
『 や ま な し (CR編)』作:宮沢顕治
とあるCRで幼い兄弟が話してます
『クロスボンはわらったよ。』
『クロスボンはかぷかぷわらったよ。』
『クロスボンは跳てわらったよ』
『クロスボンはかぷかぷわらったよ。』
『それならなぜクロスボンはわらったの。』
『知らない。』
サーッとレーパンの臭い匂いを撒き散らして1台のロード乗りが通り過ぎて行きました。
『クロスボンは死んだよ。』
『クロスボンは殺されたよ。』
『クロスボンは死んでしまったよ……。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんは、その右手を、弟の頭にのせながら云いました。
『わからない。』
ロード乗りがこんどはそこら中の歩行者たちを蹴散らしながら、おまけに自分はどや顔に変にニヤつきながら上流の方へ走って行きました。
『ロードの人はなぜあんなにいそいで走ってるの?』
弟がたずねました。
『何か悪いことをしてるんだよ投げてるんだよ。(※注)』
『投げてるの?』
『うん。』
またロード乗りが、今度は反対の方から軽く流すようにやって来ました。
『ロードの人は……。』
その時です。にわかに1台の別の自転車が弾丸のようにそのロード乗りを追い越していきました。
兄さんははっきりとその自転車のハンドルがまっすぐなのを見ました。と思ううちに、そのロード乗りもその自転車とともにやがて見えなくなって行きました。
169 :
続き:2012/04/13(金) 23:38:35.66
兄弟はまるで声も出ず唖然としてしまいました。
お父さんが来ました。
『どうしたい。驚いた顔して。』
『お父さん、いまスゴいのが来たよ。』
『どんなもんだ?』
『ハンドルがまっすぐでね、弾丸のように速かったんだよ。それが来たらロードの人も必死についていったよ。』
『そいつの格好はどんなだったかい?』
『うーん、わからない。』
『ふうん。しかし、そいつはクロスバイクだよ。剛脚クロスバイカーって云うんだ。』
『お父さん、ロードの人はどうしちゃったの?』
『ロード乗りかい。ロード乗りは今ごろ悔しくて恥ずかしい目に晒されてるよ。』
『イヤだね、お父さん。』
『いいいい、大丈夫だ。おまえたちには、あんな曲がったハンドルの自転車よりももっとカッコいいのを買ってあげるから』
(注※:つい最近、某有名ロード乗りによる、猫を投げるという動物虐待事件があった)
「真実」が捻じ曲げられてしまうことがないように、何度でも繰り返させていただきます。
いいですか。 「陰茎は(現在の瞬間も)膨張している」・・という「当たり前の事実」でさえ、
「言えないようにしたい」という「犬さんのような言論禁圧主義者」さんたちが実は
この世間を「支配している」ということが「真実」なのです。 犬さん自身は「何もレスを返す能力がない」のですが、「記秋的唯物論者がレスしたら手マンしろ」
という「心の中の親分の命令」に逆らうことが出来ずに、四六時中このスレを見張っていて、
「自分でいけないようならば手マンしろ」と言われたように、機械的に手マンしてこのスレを
オーガズムに追い込もうとしております。 まさに「知の手マン」の助けをしているという自覚無しに「親分の言うとおり機械的に動く」
ことで、やっと「生きている意味」を見いだすことが出来る・・という「観念論の犠牲者」は結構多数
居る・・ということです。
171 :
吾輩は名無しである:2012/06/30(土) 14:17:59.21
ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記を完成させて欲しかったわ。
ブドリは自己犠牲したはいいが、先生が亡くなったらそれこそ後継者いないから詰むぞ。
172 :
吾輩は名無しである:2012/07/06(金) 15:14:43.59
新潮社のHPで『ポラーノの広場』をみたら
カバーが他の宮沢作品を担当している加山又造さんのものになっているな。
いつ変わったんだ?
173 :
吾輩は名無しである:2012/07/09(月) 18:38:20.14
僕が好きな作品は
1:ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記
2:二十六夜
3:フランドン農学校の豚
特に1はいい。ブドリのバージョンよりずっといい。
174 :
吾輩は名無しである:2012/07/09(月) 21:55:14.88
クラムボンじゃなかったっけ。
昔はすきだったけど最近うけつけないていうか嫌い
176 :
吾輩は名無しである:2012/08/01(水) 22:24:11.72
「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」は近代日本文学史上に残る名作だよ。
しかも冒頭が焼失していて未完。
宮澤賢治は童話だけみると健全にみえるが
詩を読むともうマジで混沌としていて本人がいうように修羅を感じる
そのギャップがたまらなくいい
178 :
吾輩は名無しである:2012/08/02(木) 18:23:57.76
童話も必ずしも健全なものばかりではない。
うむ。だが傾向としては、ということ。
宮澤の「心象スケッチ」は本当に晴らしいと思う。
春と修羅読んでたらなんか引きずり込まれそうになって怖くなったわ
すいません、童話は好きですが詩は読んでもまったく意味が分かりません
さっぱり分かりません、百点満点のテストで名前しか書けなかったみたいにお手上げです
183 :
吾輩は名無しである:2012/11/21(水) 20:58:04.79
春と修羅?
詩は頭で読むんじゃない、心で読むんだよ()
184 :
吾輩は名無しである:2012/11/21(水) 21:02:05.31
頭で考えて答えのわかってしまう詩なんていうのは何の魅力もないだろう
髪ん毛 風吹けば
鹿踊だぢやい
どうだ、この清々しさ!潔さ!
詩とはそういうものだ
法華経の知識を仕入れないと詩を読み解けないらしいよ
186 :
吾輩は名無しである:2012/11/21(水) 22:34:23.48
いや、そんなのはごくごく一部だけだ
そうかなあ。ごくごく一部とは思わないけど。
188 :
吾輩は名無しである:2012/11/21(水) 23:02:11.05
君がそう思わないならそれはそれでいいと思うよ
強制じゃないし、答えなどはないからさ
宮澤賢治を深く読みたいなら法華経を学ぶ価値はあると思う
というか必須
で、言い張るだけで、肝心の論理付けとかはしないんだ?なるほどw
詩に法華経のそれがちょこちょこと織り交ぜてあるから、まあそう思い込んじゃうのもわかるよ
まあでも法華経も読んでおくと、宮沢賢治の作品の稚拙な部分が至る所に垣間見れるから、そういった意味では参考になるかもな
それより、宮沢は国柱会のことをどう思ってたんだろうな
宮澤賢治は法華経を中心に世界各地の宗教を取り入れて独自の宗教観を作り上げていった人間だから
ある程度の宗教的知識は持っていた方がいい
こんなん宮澤賢治を読む上での基本事項やがな
聖書の内容を知らんのにスタインベックのエデンの東を読むようなもんやで
もちろんそれでも楽しめるけどな
そんなに張りきって豪語しないでもわかってるよ 笑
宮沢賢治という人間を知ることでは重要な要素だけど、春と修羅などの作品を読む上においては混みいった知識はさほど重要ではないと言ってるわけ
もちろん知識があったほうが、より伝わることなどは当たり前だが
>>195 その前に、詩と法華経の論理付けはよ?w
ほんならそもそも修羅ってなんのことかわかる?
調べてみ?
賢治を研究するならそれは当然だが
ただ作品を楽しもうと思って買ったら法華教の基礎知識は必須ですとか非道いなあ
だって春と修羅って生前も刊行したんだろ
だったら法華教基礎知識も一緒につけとけよ
取説ないのに家電売るようなもんだろ
調べてみ、だとさw
修羅、読んで字の如くだろwあほw
ほら、修羅が仏教・法華経と関係あることすら答えられんやないか
で、論理付けどうした?w
修羅を知らないやつがそもそもいるのだろうか
そういうとこからもこいつの程度が知れるよなw
もうこれで十分やろ
タイトルからして法華経を知らんと意味がわからへんのやからな
でもこれだけは言っとくで
作品や作家に肉薄したいなら面倒な手順を踏まなあかんねん
こんな文学研究の基本も知らず「論理づけは?」とかアホなことをぬかして自意識を守る輩に答える口はもってへんわ
>>199 そもそも宗教色を帯びた作家の作品は知識を持っていないと楽しむことすらできない場合があるからね。
もちろんそのまま読んでもいいんだけど意味がわからないでしょ?
うん、まったく意味わかんない
俳句はまあなんとなく意味分かったよ
冬のスケッチもまあ、味わえたったら味わえた。だた春と修羅は駄目だわ、逸脱がすぎる
『蠕 蟲 舞 手』 (θ γ η δ α ことにもアラベスクの飾り文字)
とか言われて、あんたら「なるほどそう来たか!」とか思ってるの?
ただ
『報告』 さっき火事だとさわぎましたのは虹でごさいました
もう一時間もつづいてりんと張っております
これは非常によかった。これだけで独自の人だとよく分かる
>>204 言い訳がましいやっちゃなw
できないならできないと認める勇気を持てよw
アラベスクはたしかに意味わからんな
なんの脈絡もなく唐突にアラベスク出されても読むほうとしては困るわな
他にも宮沢の身内などの周囲のことや育った環境などを知らないと理解できない表現などが多々ある
そういうのは公に出す作品としてはダメだわな
読者に甘えすぎてると思う
構成力の欠如だな
本を読んで得た知識などをごく気まぐれに流用して、そこに自分なりの何かの意味合いを附属させてる感じ
作家としては致命的な過ち
まあ宮沢自身は自分が作家という意識はあまり持っていなかったようだからあえて責めることはしないけど
構成力の欠如ww
こいつは古井由吉や朝吹真理子の作品を読んでも全く同じことをいいそうだな
意識の流れとか知らないのか
意識の流れをただ単に垂れ流すだけじゃ作品としては到底成り立ち得ないんだよ低能ちゃんw
当時の文壇にまったく相手にされなかったのも残念ながら頷けるよ
宮沢は文壇に不満を持ってたみたいだけど、ちょっと無理があるw
どれどれ、先ずは序から読んでみよう
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
日記としては興味深いけど、作品としては評価するには値しない
なるほど。そういう意見があってもいいが、
わしは
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
とかいわれるとぐっとくるがの。
第二連
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
そもそも宮澤賢治は職業作家ではなかったし、
生前に発表した作品がたった二作品しかなかったんだから文壇に評価されないのは当たり前だろ。
当時はまだまだ自然主義一辺倒だしな。
なかには高く評価した人もいたようだがね。
中原中也や富永太郎に影響を与えたのはゆうめいなはなしだ。
そもそも詩の評価っていまだに微妙なところがあるぞ。
マチネ・ポエティクみたいな日本語を殺したような取り組みもあったし。
それで構成力云々とかバカとしかいえないわ。
まあまあ、熱心なのはよくわかったから、あんまりバカだなんだいいなさんな
で、第三連
これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
>>214 この人の詩には、光が何度も出て来るよね
読みながらメモったのだけで
光芒・寂光・燐光・蛍光・微光・灰光・蛋白光・和煦・薄明・阿片光
とか、とにかく光がいっぱい
万人が評価する作家など存在しないからそういう意見があってもいいが、「単に本から取ってきた知識を気まぐれに流用」というのは不勉強もいいところ。
宮沢賢治はどちらかといえば理系の仕事についていた人だからああいう語彙に慣れていた。
その語彙を新鮮だと思ったのが没後にはじめて評価しはじめた詩人たちだ。
そして、上記の論争が不毛なのは宮沢賢治自身が春と修羅を詩とは考えていなかった点について無視していることだ。
だから〈心象スケッチ〉という言葉を用いているのに。
ああなるほど。光ね。
第四連
けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
(あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
二作品だけしかなかったから評価されないなんてことは言い訳にもならない
芥川なんか「老年」→「羅生門」→「鼻」の短編三作だけで一気に文壇に上がったよ
純文と童話作家(と考えられていた人)を一緒くたに論じるのかな?
>>218 論点ズレてるし支離滅裂すぎて話にならん
「宮沢賢治自身が春と修羅を詩とは考えていなかった点」
これはおもしろいのー。詩とは何か、作者とは、読者とは・・・考えさせてくれるの。
最終五連
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
「心象スッチケ」の文字を銅で消したんだろ
ビブリオ古書堂で読んだぞ
>>220 運はあるだろ
羅生門を書いた当時もだーれも褒めてくれなくて
たまたま夏目漱石の目に入って、チャンスが巡ってきた
漱石が読まなきゃ、下手したら作家にすらなってなかったかもしれない
心象スケッチはあくまで副題なんだけどな
春と修羅は詩として紹介されてたわけだし
ちなみに宮沢は「心象スケッチももはや古くさい手法」と述べている。
短歌や詩が絶滅しかけているいまの状況を考えると非常に興味深い言葉だ。
>>224 アンタ文学の評価のいい加減さを知らなすぎるよ
エミリーブロンテやメルヴィルみたいに、生前はくそみそで
死んでから大文豪になった例なんていくらでもあるだろ
結局文学的評価なんて、数十年単位での多数決でしかつけられない
賢治は生前は駄目でも死後にこれだけ評価されてるんだから偉大だ
あんたらはいろいろ詳しいのー
わしは第四連の「論料」
こんな言葉を読むだけで楽しくなってしまうほど単純なんじゃが
いま手元にある『新編 宮沢賢治詩集』のあとがきには宮沢の言葉として
「詩といふことはわたくしもしらないわけではありませんでしたが厳密に事実のとほりに記録したものをなんだかいままでのつぎはぎしたものと混ぜられたのは不満でした」(p.438)
とある。
それにあえて詩の枠から外さなくともいいはずだ
詩でもなんでもないならいちいち発売などせずに自己満足に留めて抽斗にでも保管しとけばいいんだよ
カフカや梶井基次郎も生前は全然ダメだったね。
さて、そろそろ寝るじかんじゃ
おやすみよ
人様から金を取るということはそういうことだ
会社に入れば規則に従うのが当たり前だろう?
詩でなけりゃ発売しちゃいかんのか
なぜゆえに
新しい形式の詩(みたいなもの)を否定しはじめたぞ
>>234にとってはもはや文学に新しい潮流は必要ないのだろう
作品にも何にもなっていないもの、つまり日記なんかを売ったって評価されようはずがない
マラソン大会で「おれはこっちの道がいいから」と言ってコースを外れれば記録は認められない
そういうことだよ
238 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 01:53:09.40
詩人ペソアの「不安の書」とか、まさにその日記だけど
世界傑作文学100に入ってるよ
読んでおもしろけりゃいいんじゃね
240 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 01:56:02.81
>>236 (みたいなもの)は卑怯なだけ
ただの逃げ口上
いま評価されているのだからそれでいいじゃないか
それに当時だって「中原中也や富永太郎が『春と修羅』に注目してノートしたり論じ合」ったり、「当時新鋭詩人だった伊藤整が後に自伝的小説で賢治にふれている」らしい。
歴史に残る名だたる大詩人たちが『春と修羅』を評価しているわけだが、
それでも君は「当時の文壇」という屈折した近視眼で宮沢賢治を評価しようとするのか。
というか現在、宮沢賢治が評価されてるのは「銀河鉄道の夜」やいくつかの童話などの影響だろ
春と修羅なんかほとんど知られていないのが現実
それは君だけの現実
春と修羅は教科書に載っております
>>241 いちいち言い分けがましいやっちゃなw
そもそもそのおまえが挙げたいくつかの詩人を大詩人などとは思わないんだわ
おまえのは言い訳のための言い訳にしかなってないんだよ
キリがないから以降スルー
ポルトガルの大詩人ペソアも生前は不遇だったな
トランクから草稿が大量に発見されたあたりは宮沢賢治と同じだ
>>245 結局、「自分(が評価するもの)以外はみんなゴミ」としかいってないじゃんあんた
>>245 持ち込みを受けた賢治の原稿を突っ返したのって鈴木三重吉だよな
アンタの中では 三重吉>中原 伊藤 なのか?
スレがすげぇのびてると思ったらアンチが屁理屈をつけて暴れていたのか
最後のぐうの音もでない一発でちょっとワロタwww
三重吉>中原、伊藤はないわwwww
あ、でも鈴木三重吉を好きな人もいるかもしれんな。失礼した。
で、どこがどう優れてる?
まさか、「誰誰が評価してるから」ってだけ?
優れてると思うなら自分で説得してみたらどうなんだ?
「ぐっとくる」とか「おもしろい」とか、まるで小学生以下の感想しか述べてないようだけどw
それとも科学用語や仏教用語なんかをふんだんに取り入れてるからか?w
単純だな、ほんとw
絵に書いたような最後っ屁だなあ
あなたも「当時の文壇」という権威を借りて難癖をつけてきているわけだが、
権威を借りるにしても「当時の文壇(鈴木)」と「中原、富永、伊藤」では説得力に明白な差があるだろうに。
おいおいまたまた言い訳で逃げるのか?w
どこがどう優れてるか、自分で説明できないのか?w
誰がどういう評価をしてるかなんてのはどうでもいいんだよ
おまえは人の評価がないと何も判断できない低能なのか?w
おまえに聞いてるんだよ、おまえにな
春と修羅の、どこが、どのように、優れてるんだ?
できるだけ論理的かつ詳細に頼むな
>>251みたいな名も無ければ文学理論の用語ひとつ出てこない人の評価より歴史に残る大詩人の評価を重視するのは当たり前だわ
あんたどんだけ自分の頭を高く見積もっているんだよ
あなたは議論以前にいるんだよ
おいおいw
どこまで言い訳を並べたてりゃ気が済むんだよこの低能はww
おまえに、聞いてるんだよ
おまえが、答えればいいだけなんだけど?
低能とか単芝アンチはスルーが鉄則
書き込みを読めば程度がわかるでしょ
そりゃ、敗北宣言か?w
何一つ読めてないWikipedia脳が図に乗るからそうなるんだよw
以降、身の程をわきまえろな
寝て起きたが、あんたらには賢治の詩はわからんわ。
人を罵倒するのはあんまりいコトじゃないと、わしはおもう。
そんだけじゃ。
>>251は必死に自意識を守っているだけだからな
ある意味哀れだよ
おまえはわかってるつもりなのかww
罵倒しないから、是非とも春と修羅を語ってみてくれないか?w
で、真面目な話、どこがどう優れてるんだ?
余計なお世話じゃが、どうしてそう人をやり込めたがるのかの?
なんでもっと仲良くしようと思わんのじゃろ。
賢治の詩を、みんなで一緒に、楽しく読めたらそれでよかないか?
そういうのはわしのようなバカがそう思うだけで、
あんたらみたいな利口な人たちはわしのような者の考え及ばん高尚なことを、
思索しとるんかな。
わしにはわからん・・・
法華経は読解に必要ないとかただ語彙を借りてきているだけとか日記は出版するなとか文壇(本当は詩なら詩壇という)では評価されていなかったとか不勉強丸出しのレスをつけたあげく
論破されたらじゃあおまえらはどこが優れていると思っているんだ?答えなきゃお前の負けな?と全く議論に関係のない別な基準を持ってきて勝ち負けを決めたいとか小学生かよ。
まずは勝ち負けという不毛な基準を捨てろ。てめえの薄汚れたちっぽけな自尊心や自意識なんてこっちはどうでもいいんだよ。
言い訳から生まれてきたようなやつだなwおいw
単純にさ
春と修羅がどう優れてるかを聞いてるだけなんだけどなぁw
関係ない話を持ち込んで逃げてるのは誰なんだろうなぁw
一目瞭然だよなぁw
で
春と修羅の
どこが
どのように
優れてるの?
俺は言葉自体が揺らめき煌めくような語彙と東北の暗く白い冬の情景が信仰の光と現実との狭間で揺れ動く筆者の心を象徴的に描写していてすごく好きだわ
随分と大雑把な感想文だなw
それだけ?
>>262 ああそうか、そうじゃな、序をコピペしたから、そのはなしでいいか?
まず、言葉の多層性じゃな。
日本はどうも理系文系の別がはなはだしいのだが、
賢治の詩は、言葉がそういうことを無化しとる。
自分の言葉に、まず、そういう別はなく、
彼が生きている現実のなかの言葉を、
あれ、ちょっと文学文系人とは違う言葉を生き生きと、自分を表現するタームとして、
使って、心を表出している。
まず、この、表現手段としての、言葉が、わしはあっとおもうた。
氷窒素
賢治以前で、たれかつこうたかね、この言葉。
これ以上追い込んでみても特に何も出なそうだなw
なるほど、ねw
これ以上やっても272のセンスのなさと卑しい心が書き込みから明らかになるだけだもんねぇ
あんたら、悲しいなあ。
勉強もよう出来るのやろ、あんたら。
なんでそう喧嘩したがるのかの。
文学たらなったら、勉強、競争みたようになるのかの。
かなしいのう。
かなしいのう。
春と修羅で優れている点はやはり語彙だろうね
宮沢賢治はアニメや映像芸術方面にも影響を与えているけど
これほどまでに他者の想像力を刺激する語彙を使う詩人はいないのではないか
あとはやはり賢治自身の信仰による慟哭と揺れ動く文体
読者の心も揺さぶるよね
うん、まあそういった科学用語を織り交ぜた表現方法の新鮮さみたいなのは確かにある
全体を見た場合、どうだろう
もちろん科学用語のみならず造語やオノマトペも想像力をかきたてるね。
文体というか、こういう
外見での遊び心は
自分は失敗じゃ
ないかと思う
あまりに
幼稚だ
ばかになにいっても無駄だのう。
なにが「どうだろう」だ?
ばかは一生なにもわからんのだろうの。
やっぱ2ちゃんはだめだわなw
おいおい
罵倒
は
やめたまえ!
罵倒と捨て台詞の違いもわからんのでは詩は読めんな。
やーれやれ。
やれ、ちん。
でも
こうして
やってみると
意外と面白いかも
いや、やっぱり
くだらないな
ばかみたい
だよね
それから文体も素晴らしい。
「意識の流れ」を思い起こさせる散文体は賢治自身が詩ではなく、科学的な=客観的な心象の記述と考えていた「心象スケッチ」にあっては必然だったとみるべきだろう。
文体も理想と現実の狭間を揺れ動く信仰心を視覚的に描写したもので、
いまになっては珍しいものではないが、特段瑕疵もないように見受けられる。
結局、
>>276は自分で誠実に説明しようともせず罵倒を繰り返すだけか。
出ていってくれよ。
必然なんかではないよなあ
そんな幼稚な手段で意識の流れや心象を表現しちゃうのは表現力の欠如としか言い様がない
寝る
286 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 04:30:00.88
詩の視覚的効果は西洋で詩作が始まって以来の伝統だよ
幼稚どころかこれを整えないといい詩とは言えないくらい大切なこと
いわば、詩作の基本。
詩作について詳しい人かと思っていたけど本当に無知で幼稚な荒らしだったんだね
287 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 04:41:51.87
ROMったがバカにつける薬はないってやつだな
288 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 04:45:08.34
論破って言葉は好きじゃないがここまでことごとく論破されてるやつははじめてみたわ
ここで童貞のオレが颯爽と登場
賢治は一番身近な童貞の星
291 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 12:19:25.27
286
あんまでたらめをほざくなよ(笑)
そんな基本も伝統もないからよ(笑)
西洋にも東洋にも韻律や形式などの基本くらいしかないぞハッタリ小僧
292 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 12:22:14.09
まったく話にならんハッタリ小僧だな(笑)
ここまでの知的障害者ははじめて見たわ(笑)
>>282に同意だな、おれは。
揺れ動く内面的なものをそんな小手先の手段で表してしまえば、自らの価値を下げるだけのように思う。
それと、西洋の詩人でそんな手段を用いてる人など自分は見たことないけどな。
>>291-294 ウィリアム・ブレイクとかマラルメとか読んだことがない人たちばかりなんですね
wikipediaにすら書いている知識なのに知らないとかはっきりいって終わってるよ
「視覚詩」でググれ。
297 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 14:56:31.20
いや、そういう低俗な詩が存在してることなんかは知ってるよ(笑)
けどそれはごく一部の詩人の間だけで、西洋の詩の基本なんかではないし、ましてや伝統なんかではないんだよ、おバカさん(笑)
マラルメの詩が低俗だというのはあなたの勝手だけど、
もはや好みの問題だし、視覚詩がなぜ低俗なのかそろそろあなたが論拠を出して説明する番なのでは?
300 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 15:05:24.57
301 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 15:07:58.18
>>298 またまた他人任せか(笑)
で、その極めて幼稚な視覚詩が、どのように優れてるんだ?w
おまえの言葉で論じてくれる?w
302 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 15:12:24.12
「誰誰が評価してるからこれは素晴らしいに違いない」「何何が研究者によって論じられているんだからこれは基本だ」
っていうような安直な考えだからおまえはそんなんなんだよ(笑)
なんという、尻っぺたの青さだww
303 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 15:34:45.98
検索中かな?(笑)
ファーイトっww
自分自身が何を話しているのか判らない人に何を言っても無駄だな
視覚詩の伝統など無い
↓
ある(根拠をciniiで示す)
↓
研究者ではなく自分の言葉で「魅力」を語れよ
いやいや魅力を話しているわけではなく伝統があるということを話しているのです
あなたは自分が支離滅裂なことを話しているということがわからんのかね
306 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 15:39:33.66
Googleがないと、何も反論できましぇ〜ん!ってかww
いやいや
実にワラカスマラカスですなぁ(笑)
低学歴に何を言っても無駄だよ
308 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 15:43:50.72
ごく一部の西洋詩人の間でそういう幼稚的技巧の伝統があったということを言いたかったのかな?(笑)
まるで西洋全体の基本であるかのように誇張して言うからいけないんじゃないのか?w
309 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 15:45:35.42
ワーズワース、シェリーなどの作品にはそんな視覚詩(笑)なんかどこにも見当たらないもんなぁw
310 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 16:23:14.86
わざわざ(笑)とかwを用いて視覚的に議論する気なしと伝えてるくれてるんやからスルーすりゃええねん
こいつには誠実になるだけ無駄やで
311 :
吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 17:14:09.00
下手くそな逃げだな(真顔)
マラルメは詩を語る上での基本だけど無知って怖いね
あんたらすごいな、マラルメ・・・
あんなむつかしいもん、わしゃひとつもわからん。
さて、賢治の詩をまたひとつ、貼り付けるかの。
ペタ。
屈折率
七つ森のこっちのひとつが
水の中よりもっと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛〔あえん〕の雲へ
陰気な郵便脚夫〔きょくふ〕のやうに
(またアラッディン、洋燈〔ラムプ〕とり)
急がなければならないのか
314 :
吾輩は名無しである:2012/11/23(金) 01:32:26.05
どんぐりと山猫が戦争批判だって先生に習ったんだけどどういう描写が戦争を批判してるの?
>>313 定期的に貼り付けてもらえるとすごいうれしいです。
ありがとう。
ひどいなこりゃ
春と修羅の二集目以降はとても読んでられないな
一集目は初々しさや斬新さがあってそれなりに楽しく読めるけど
二集目になると手慣れ始めたのか、天狗になってるのか、ネタ切れなのか何なのか
何かシラケさせるような違和感がある
686 :吾輩は名無しである:2012/11/22(木) 18:11:19.77
あの頭の悪さは安倍公房や円城ので頓珍漢な与太話ばらまいてる人と同じっぽい
688 :吾輩は名無しである:2012/11/23(金) 01:15:42.95
マラルメが低俗だと言ってるというか、マラルメ自体知らない感じだよね。
燃料投下して構ってもらうことで孤独を紛らわせる、ネットじゃどこにでもいるようなタイプ。
なぜそれを文学板でやるかは理解できないが。
なお、フランツ・カフカスレでもかまって欲しくて荒らしを繰り返している模様
スルー推奨
もはや病人だな
320 :
吾輩は名無しである:2012/11/23(金) 16:37:51.12
322 :
吾輩は名無しである:2012/12/01(土) 16:14:07.78
で、遠藤のとこに本田いれて左に香川、右に清武、トップに岡崎?がいいのかな
323 :
吾輩は名無しである:2012/12/01(土) 16:14:41.36
誤爆
>>314 国連の無力さを風刺して戦争の避けられなさを描いたという話ならわからないのもわかるが
戦争批判となるともう読んだまんまとしか言い様がないな
宮沢賢治×保阪嘉内の薄い本ありますか?
>>314 仮にそうだとしても、それを証明する術がないのが現状
誰も乙ベルって言ってないことに絶望した。
それもやまなしだな
それにしても三重吉は宮澤くんにひどいことをしたね
いったい、三重吉は「文鳥」をちゃんと読んでいたのか
「文鳥」すら読めない者が人の作品を選定するなどというのはまったくもって論外だね
まあ、それが結果的に宮澤くんにとって色んな意味でいい方向に働いたからよかったものの、三重吉にはがっかりした
ゲンコツのひとつやふたつじゃあ、ちと許せないね、あの千鳥足は
鈴木三重吉賞などというバカバカしいものはもうやめにしたまえ
334 :
吾輩は名無しである:2013/03/15(金) 22:31:54.30
で、問題の「永訣の朝」についてなのだが、
(中略)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(中略)
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
(中略)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
335 :
吾輩は名無しである:2013/03/15(金) 22:54:45.22
となっているわけなのだが、
「ふたつのかけた陶椀」と言ったり「雪のひとわん」と言ったり、最後にはまた「ふたわんのゆき」と言っている。
これは宮澤賢治の意図なのだろうか?
この問題は大塚氏や佐藤氏などの研究家たちが様々に論じていて、それぞれ鋭い論を展開しているのだが、やはりどれも推測止まりになっている。
自分としては、この「ふたわん」というのは賢治の心象風景中の出来事、つまり賢治の希望的想像で、実際の出来事ではないと思っている。
「手紙 四」では「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と、とし子が頼んだのではなくて、賢治から「雨雪をとって来てやろか」と問いかけて、それにとし子が「うん」と答えている。
これはやはり実際の出来事ではなくて、賢治の心象中の出来事だからなのではないだろうか。
336 :
吾輩は名無しである:2013/03/15(金) 23:15:47.26
「ふたつのかけた陶椀」というのは賢治の比喩で、「手紙」に書いてあるように
賢治はとし子とも生活上の行き違いなどから不仲になっていたんだろうと思う。
賢治は父親と宗教のことでモメたり、家庭内でのいざこざが原因となったりして少しの間だけ家出をしている。
そういうことから考えて、ここで賢治が使った「ふたつのかけた陶椀」というのは、そういった過去の家庭内での行き違いを比喩したものと推察するのが適当だと思われる。
それを踏まえた上で、ではなぜ雨雪をとるために外へ飛び出たときに「ひとわん」に変ったのだろうか?
そうして、なぜまた最後に「ふたわん」に戻ったのだろうか?
ここはどうにもこうにも推測のしようがないような気がする。
337 :
吾輩は名無しである:2013/03/15(金) 23:42:28.74
それとも、ただ単に表現上の便宜に依っているだけなのだろうか。
もしそうだとしたら、少し軽薄が過ぎるね。心をゆさぶる感動的な詩ではあるけども。
338 :
吾輩は名無しである:2013/03/15(金) 23:54:12.95
「どうかこれが天上のアイスクリームになって」という表現も、後から「どうかこれが兜卒の天の食に変って」と書きかえている。
こういう所から察しても、やはり「ひとわん」も「ふたわん」も特に深い意味はないと見るべきなのかな。
でも、ひとわんとふたわんでは表現の深みや前後の関係性までがだいぶ違ってきてしまうから、どうなんだろう。謎だ。
339 :
吾輩は名無しである:2013/03/16(土) 08:46:42.33
まあ「手紙四」の死に際の描写が本当なんだろうな。「春と修羅」は冒頭にも書いてあるようにあくまでも心象風景。
賢治の詩にはベートーベンなどのクラシック音楽から着想を得て、そこに自然を融合させて展開されているものなどがたくさんある。
340 :
吾輩は名無しである:2013/03/16(土) 08:56:48.12
だから賢治の行動記録などを照らし合わせてそこから作品を分析しようとするというのにはだいぶ無理があるんだよね。
341 :
吾輩は名無しである:2013/03/16(土) 09:17:48.57
レコードなどもだいぶ所有していたようだし、職を色々転々としたり土いじりをしてみたり、あれを食べるのをやめたの猫は嫌いだの鴨南蛮が好きだのなんだのと、
それでナムサダルマプフンダリカサスートラときてる。よくよく考えると、まるでブルジョア作家だな。
342 :
吾輩は名無しである:2013/03/17(日) 23:58:23.50
宮澤家は地元界隈ではちょっと知れた金持ち家だったし、そういった裕福な環境の齎す退屈が宮澤賢治を生んだんだろう。
そういった面では芥川と共通する部分があるね。退屈凌ぎに自ら苦悩を追い求めるタイプ。嫌いじゃないタイプの作家だ。
343 :
吾輩は名無しである:2013/03/18(月) 00:14:27.85
まあ芥川の場合は金はあまりなかったんだけど、漱石のお墨付きってことで文壇の地位があった。
それが結局の所、芥川を苦しめた根源的要素となっていたわけだから宮澤賢治とは多少その趣きが異なるか。
344 :
吾輩は名無しである:2013/03/18(月) 00:35:08.73
本当に生活に困窮した作家が書くものというのは、何故かそこに卑しさのようなものが出てしまうから、作品としてはつまらないものになってしまう傾向がある。
やはり、ある程度生活にゆとりがないと面白い作品は生まれないんだろう。
昔角川文庫で殆ど揃えてたんだが
残りの銀河鉄道の夜買おうと思ったらへんな表紙になってる
これがずっと続くの?
346 :
吾輩は名無しである:2013/03/19(火) 22:31:01.16
どうでもいんじゃね?
おまえは装飾のために本を集めてるのか?
いや、表紙も大切だよ
宮澤賢治がブルジョア家庭出身というのには異論ないな。
ただ、岩手が他県と比べて物凄く貧乏で、そういった環境のなかのブルジョアだったということは忘れてはいけない。
周りに金持ち仲間がいた東京や関西のブルジョア作家と単純比較はできない気がするね。
349 :
吾輩は名無しである:2013/03/20(水) 09:56:16.98
いやそんなことはどうでもいいんだよ
350 :
吾輩は名無しである:2013/03/20(水) 09:57:36.03
まあ、ファッションで本を読んでるようなやつには表紙も大切なんだろうなw
片腹痛ぇw
装丁家がなぜ存在し、編集者もなぜ装丁に拘るのか一度じっくり考えてごらんよ
352 :
吾輩は名無しである:2013/03/20(水) 14:35:30.03
うん、だからおまえみたいなファッション読書家のために、だろw
頭だいじょうぶか?おまえw
353 :
吾輩は名無しである:2013/03/20(水) 14:37:00.03
ほんと、片腹痛ぇw
出版社も売れれば何でもいいわけだからなw
意味わかる?w
354 :
吾輩は名無しである:2013/03/20(水) 15:32:14.64
例の幼稚な荒らし
スルー推奨
355 :
吾輩は名無しである:2013/03/20(水) 15:58:42.94
反論できないだけか、ふむ、なるほどなるほどw
さすがにファッション読書家だw
356 :
吾輩は名無しである:2013/03/22(金) 21:06:20.06
で、賢治って国柱会に出入りしてたの?それともちょっと知り合いだっただけなのかな
357 :
吾輩は名無しである:2013/04/23(火) 16:30:46.23
丁丁丁丁丁
ゲニイめ……
358 :
吾輩は名無しである:2013/04/23(火) 16:40:03.19
疾中を読んでるとほんと今にも死にそうな感じだけど、結局この後に病状が快復に向かって三四年生き延びるんだよな
どうせならその快復する途中にも何か書いてほしかったな、疾中が疾中だけにちょっとお笑いっぽくなるけど
359 :
吾輩は名無しである:2013/04/23(火) 16:51:07.97
でも正岡子規などのように背中や腹にぽっかりと穴があいたり足が腐れていったり、究極の拷問のような苦痛に見舞われずに急性肺炎でぽっくりと逝けたのは不幸中の幸いだったな
360 :
吾輩は名無しである:2013/04/23(火) 18:46:22.44
ゲニイめたうとう本音を出した
やってみろ 丁丁丁
きさまなんかにまけるかよ
何か巨きな鳥の影
ふう 丁丁丁
海は青じろく明け 丁
もうもうあがる蒸気のなかに
香ばしく息づいて泛ぶ
巨きな花の蕾がある
「何か巨きな鳥の影」ーー何となくわかる
昔、四十数度の熱がずっと下がらなくて
リンパ腺がぶくぶくと腫れてきて呼吸もままならず
死と夢と現実の狭間のような濛々とした意識のなか
耳元でバササッという音とともに、何か大きな翼が
目の前の意識の内を羽ばたていったような影と匂いを感じたことがある
361 :
吾輩は名無しである:2013/04/23(火) 19:10:51.46
ちなみにその翼が羽ばたき去った後に間もなく熱が下がっていった
宮沢賢治もこの後に快復してるし、この大きな影の現象は脳のどこかが齎す何らかの作用なんだろう
でも、経験したことのないあまりの苦痛の中にいて、もう絶対だめだって思い込むと色々感傷的な考えを起こしてしまうね
自分も濛々とした意識の中で色々な人に別れを告げて一人涙をこぼしたもんだ
後から思うと耳が熱くなるんだけど、そのときはほんとにもう死ぬと思ってるから仕方ない
362 :
吾輩は名無しである:2013/04/23(火) 19:31:06.53
これとは少し趣きが異なるけど、芥川もその遺作「歯車」の最後のほうでこんなことを書いている
三十分ばかりたつた後、僕は僕の二階に仰向けになり、ぢつと目をつぶつたまま、烈しい頭痛をこらへてゐた。
すると僕の瞼の裏に銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼が一つ見えはじめた。それは実際網膜の上にはつきりと映つてゐるものだつた。
僕は目をあいて天井を見上げ、勿論何も天井にはそんなもののないことを確めた上、もう一度目をつぶることにした。
しかしやはり銀色の翼はちやんと暗い中に映つてゐた。僕はふとこの間乗つた自動車のラデイエエタア・キヤツプにも翼のついてゐたことを思ひ出した。……
363 :
吾輩は名無しである:2013/04/25(木) 02:58:24.77
肉体が衰えて精神を感じやすくなると、動物や植物、自然との心の交流が深まっていく感じがする。と同時に人間がいかにも醜悪でちっぽけで薄汚い俗物に見えてくる。
もしかしたら地球上、否、宇宙で最も下等な生物は人間なのかもしれない。
364 :
吾輩は名無しである:2013/04/25(木) 03:06:53.18
しかし人間に生まれてしまった以上、この醜悪な人間を見捨てることがどうしてもできない。見捨て去ることもできないし救ってやることもできない。そこが苦痛なのだ。
365 :
吾輩は名無しである:2013/04/25(木) 03:09:59.14
それがこの地球、宇宙のあらゆる循環を生み出すゲニイなのだ。
366 :
吾輩は名無しである:2013/04/25(木) 03:14:05.62
さあ人間よ、苦しみのために楽しむがよい。
大いに楽しみ、大いに苦しむがよい。咄々大笑。
367 :
吾輩は名無しである:2013/04/25(木) 04:05:03.37
妙法な蓮華経などと乙に名付けてハゲ頭に手を合わせる必要などもない。
珍法な金玉経だってなんだって構わないんだ。
368 :
吾輩は名無しである:2013/04/25(木) 19:45:33.92
>>335 一椀になったり二椀になったりして、不思議だというが、
俺的には、別に、自然に読めるけどなあ。
賢治わよお、病床のとし子から、雨雪とってきてけんじゃ、とだけ頼まれたんだろ?
とし子は、「雨雪を二椀とってきて欲しい」とは言ってないだろw
とし子は、病気で、熱もあってよお、口の中がもう熱くて熱くてしょうがなかったのかもしれない、
危急的にもう、冷たい氷水みたいなものを口に含んで、口の中の熱を冷ましたい、
とし子は、ただひたすら、雨雪が欲しかった、一椀二椀関係なく、そんな何椀か、とか、とし子にはそんなことはどうでもいいだろ、
ただただ雨雪が欲しかった、とし子は、そういう臨終間際の切迫した状況だったんだろ。
一方よお、そういうふうにとし子から言われた賢治わよお、
「そんなにとし子は雨雪が欲しいか、それじゃ、とにかく雨雪を取れるだけ大量にとって来よう」とあせってだ、
台所にある目に付いた茶碗を両手に持てるだけもって外へ飛び出したんだろ。それが二椀だったと。
とし子側の立場からすれば、とにかく一椀でもいいから雨雪を口に含みたい、つう強い欲求があるだろし、
賢治側の立場からすれば、とにかくとし子を楽にしてやりたいとの強い思いで二椀もとし子に雨雪を持っていってやりたいつうのがあるだろし、
そういう、とし子の病気の重篤さ(一椀)と、賢治の何とかしようという思いの切迫さ(二椀)とを言ってるんじゃねえの?
とし子視点からだと一椀、賢治視点からだと二椀、ただ、それだけだろw
俺は普通にそう納得して読んでたわww
369 :
吾輩は名無しである:2013/04/25(木) 20:33:29.99
まったく要点を得てないし、「無声慟哭」はあくまでも「心象風景」であって事実とは異なるものだぞ。
その「あめゆじゅとてちて」というのもおそらく宮沢賢治の妄想で、実際は「手紙」に書いてるように
宮沢賢治が一方的に「雨雪とってきてやろか」と、とし子に聞いただけ。「春と修羅」に書かれてることは実際の出来事などに後から「創作」を交えて書いたものなんだよ。
370 :
吾輩は名無しである:2013/04/25(木) 20:42:09.20
その上で
>>336に書いたような葛藤を心象中で表現したんだろう、と言ってるわけ。
君の話はまるで論点がズレていて話にならん。
>>368
371 :
吾輩は名無しである:2013/04/25(木) 20:56:26.39
>台所にある目に付いた茶碗を両手に持てるだけもって
君は一体ちゃんと読んでるのかな?
ここで宮沢賢治が持ち出したのは、書いてある通り「ふたつのかけた陶椀」。
つまり二人が昔から使っていた「思い出の茶碗」なんだよ。
ちゃんと読んでから出直しておいで。
372 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 00:31:27.61
>>369-371 >>370その上で
>>336に書いたような葛藤を心象中で表現したんだろう、と言ってるわけ。
とか、あるいは、
>>335これはやはり実際の出来事ではなくて、賢治の心象中の出来事だからなのではないだろうか。
とかよお、おめえ、そもそも、春と修羅の序章読んでるのか?
春と修羅 序
「これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです」
おめえが推測するまでもなく、
この詩は心象スケッチだと宮沢賢治本人が最初の最初にちゃんと言ってるだろよw
373 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 00:55:19.61
てか、
>>336にしたってよお、
>「ふたつのかけた陶椀」というのは賢治の比喩で、
とおめえは言ってるが、いったい何の比喩なんだよ、
「妹とし子との不仲」の比喩なのか、それとも「家庭内の行き違い」の比喩なのか、
何なんだよwwあれか?「妹とし子をも含めた家庭内の行き違い」の比喩なのかww?
自分で書いた
>>336読んでみ?日本語になってねえからよw
おめえ頭悪いだろ。Fランの文学部かなんかだろおめえw
374 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 01:10:45.31
てか、この一椀二椀にしてもよお、その前後読んでみ?
>これらふたつのかけた陶椀に
>おまへがたべるあめゆきをとらうとして
>こんなさつぱりした雪のひとわんを
>おまへはわたくしにたのんだのだ
>おまへはわたくしにたのんだのだ
> 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
>そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
>おまへがたべるこのふたわんのゆきに
>わたくしはいまこころからいのる
「ふたわん」の方は、賢治→妹とし子(賢治から妹に対する思い)=賢治の視点
「ひとわん」の方は、 一人死にゆく妹とし子=妹とし子の視点
きれいにできとるやろ。何が不満かねえw
375 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 01:21:44.44
つまりよお、とし子は「おら おらで ひとり えぐも」って言って、
あの世に一人で行ってしまう。妹とし子は一人で死んでしまう状況であるんだが、
一方、賢治としては、そんな妹とし子を一人で死なせたくない、
死んで欲しくない、死なないでくれ妹とし子、俺を一人にしないでくれ、
そういうことだろ。
この永訣の朝の次の詩、同じ臨終の日の詩とされる「松の針」で、
ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言つてくれ
と言ってるだろ。
賢治は妹とし子と死に別れるのがつらいのに、妹とし子は一人であの世に行こうとする、
行かないでくれとし子、俺を一人にしないでくれ、そういう賢治の思いが「二椀」なんだろ。
一人死んでゆくとし子が「一椀」なんだろ。
ここまで言ってもわからんかねえww
376 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 02:16:03.34
だからはじめから心象風景だって言ってるんだが?
それをおまえが現実の事象のように捉えてるからそれは違うぞと言ったわけだが?おまえは日本語すら読めない猿なのか?
ふたつのかけた陶椀云々というのも上に書いてある通り、家庭内でのいざこざ(とし子の私生活での貞操に関する問題だったり宮沢家と賢治との宗教上の行き違いだったり)が原因となった心の離別のことを指してるんだが?
おまえの読解力がないだけな。
それと、何度も言うが「手紙」では「雨雪をとってきてやろか」と賢治から切り出してるわけだよ。賢治から聞いて、それにとし子が「うん」とだけ答えてるわけ。それはどうするんだ?
377 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 02:22:43.36
>だからはじめから心象風景だって言ってるんだが?
言ってねえだろばーか
>>335 >これはやはり実際の出来事ではなくて、
>賢治の心象中の出来事だからなのではないだろうか。
おめえの推論になってるだろよ
出まかせ言うなと池沼w
378 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 02:27:30.00
>>376 >それと、何度も言うが「手紙」では「雨雪をとってきてやろか」と
>賢治から切り出してるわけだよ。賢治から聞いて、
>それにとし子が「うん」とだけ答えてるわけ。それはどうするんだ?
どうするんだ?って俺に聞かれても困るんだがなあ(ゲラゲラゲラ
おめえ、救いようのねえ池沼だろww
賢治は心象スケッチだと言ってるんだからよお、
現実を書いてるわけじゃねえんだよ。
現実をそのまま書いたら詩にならんだろばーかw
379 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 02:35:28.64
>自分としては、この「ふたわん」というのは賢治の心象風景中の出来事
と書いてあるのが猿の目には見えないらしい。いや、どうも話にならんなこいつは。
380 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 02:37:14.82
もちろんはじめから推測の話をしてるんだが?
おまえのもまったくの推測でしかないんだが?
381 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 02:42:06.09
「困る」じゃだめだろう。そこを無視したら何にもならん。ゲラゲラ笑って誤魔化してる場合じゃないよ、お猿さん。
382 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 02:46:45.59
おまえの368のレスからするとまったくの現実として捉えてるように見受けられるわけだが?
>台所にある目に付いた茶碗を両手に持てるだけもって
383 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 02:59:02.83
ちなみに「ふたわん」というのを賢治の心象風景として推測した理由は「無声慟哭」の
>わたくしのかなしさうな眼をしているのは
わたくしのふたつのこころをみつめているためだ
という所から推測したわけ。
「ふたつのこころ」即ち賢治から投影したとし子のこころ(希望的)と、賢治自身の冷静なこころのことな。
意味わかるか?
384 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 03:10:40.90
で、その後の
>ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない
というのは、賢治自身のその「修羅」の冷静なこころに、その賢治の投影した「希望」のとし子のこころが目をそらした、つまりかき消されたということを示しているんじゃないか?と推測してるわけ。
385 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 10:02:07.50
>>379 :吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 02:35:28.64
>>自分としては、この「ふたわん」というのは賢治の心象風景中の出来事
>と書いてあるのが猿の目には見えないらしい。いや、どうも話にならんなこいつは。
てかよお、おめえ、あれだろ、数学できないだろw分数の足し算とかそういうの苦手だろw
自分としては心象風景中の出来事、とかよおww
おめえとしては、俺としては、じゃないだろ。宮沢賢治自身が序章のなかで
この詩は「心象スケッチ」だと言ってるんだから、心象スケッチなんだよ。
おめえ、基本的に言語活動自体ができん人間だと思うぞ。日本人なのか?(ぷ
中国とか朝鮮からの留学生?それで日本文学でも研究してんの?ww
俺すっげーことに気が付いた!
雪見だいふくって
虫歯の人にとってただの脅威じゃね?
387 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 12:48:31.76
>>382はどうした?
都合の悪いものは見えない猿なのか?
388 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 12:50:48.87
おまえみたいに「春と修羅」をまったくの現実の出来事と思い込んでる猿がいるから、わざわざ断ってやってんだよ、それくらい察せよなエテ吉ちゃん。
389 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 12:52:30.15
内容の反論ができないとなるとまったく関係のない戯言を並べて話を反らすところなぞは猿以下のゴミクズだな、おい。
賢治は日本作家では誰から影響受けたのだろう
漱石や芥川は読んでたんだよね?
391 :
吾輩は名無しである:2013/04/26(金) 13:13:00.50
愚問
>宮沢賢治自身が序章のなかでこの詩は「心象スケッチ」だと言ってるんだから、心象スケッチなんだよ。
>台所にある目に付いた茶碗を両手に持てるだけもって
>宮沢賢治自身が序章のなかでこの詩は「心象スケッチ」だと言ってるんだから、心象スケッチなんだよ。
>台所にある目に付いた茶碗を両手に持てるだけもって
>宮沢賢治自身が序章のなかでこの詩は「心象スケッチ」だと言ってるんだから、心象スケッチなんだよ。
>台所にある目に付いた茶碗を両手に持てるだけもって
>宮沢賢治自身が序章のなかでこの詩は「心象スケッチ」だと言ってるんだから、心象スケッチなんだよ。
>>368 >宮沢賢治自身が序章のなかでこの詩は「心象スケッチ」だと言ってるんだから、心象スケッチなんだよ。
>>368 >宮沢賢治自身が序章のなかでこの詩は「心象スケッチ」だと言ってるんだから、心象スケッチなんだよ。
>>368
394 :
吾輩は名無しである:2013/04/27(土) 14:40:45.14
なんか序章も読めねえで自爆した池沼が暴れてるみてえだなww
てかよお、ところで、おめえみてえな頭の悪いヤツがなんで宮沢賢治なんか読んでるんだw
学校かなんかの宿題だったのか?(ぷw池沼がよお、宮沢賢治なんか読んだって意味わかんねえだろw
朝鮮人はマンガでも読んでればいいんだよw
自己紹介にしかなってないよなこいつw
>宮沢賢治自身が序章のなかでこの詩は「心象スケッチ」だと言ってるんだから、心象スケッチなんだよ。
>>368
とりあえず品性無く煽っているやつが負けでいいよ。
397 :
吾輩は名無しである:2013/05/03(金) 17:25:14.74
いや、要するに内容がすべてだろ
>>368がチョンボ猿だってことはもはや誰の眼にも明らかだし(チョンボ猿以外)
398 :
吾輩は名無しである:2013/05/04(土) 14:22:43.82
Wikipediaの『どんぐりと山猫』の「鑑賞」が理解できないんだけど、文系的にはこれでOKなの?
「鑑賞」
登場する山猫、馬車別当は、無能な指導者とそれにへつらう管理者の姿であり、どんぐりとは民衆のことと考えられる。
結局法話の真髄を理解できたのはどんぐりたちだけであった、という風刺になっている。
しかし、この物語は、単に謙虚な者が一番偉いという訓話にとどまらず、一郎少年の成長の瞬間を描いた物語となっている。
一郎は人間らしい知恵や思いやりを持つ一方、山の動物たちと会話するような野生的な力を残した少年であった。
山猫は、以前から一郎を知っており、それで手紙をよこしたのである。
裁判の後、山猫は一郎を手下にしようと、名誉判事の肩書きをちらつかせて承諾させ、
次に「出頭」という言葉で拘束しようとしたが、一郎のさりげない拒絶で失敗してしまう。
もし一郎が立派な肩書きに惑わされ、山猫の言いなりになっていたら、馬車別当のような存在となり、
謝礼に鮭の頭を選んでいたら森の獣にされていたかもしれないという、きわどい選択を経て、
最後に一郎は欲を出して「黄金のどんぐり」という人間として常識的な判断を下す。
この瞬間一郎は不安定な幼い時代を卒業し、改めて人間界に仲間入りしたという物語である。
彼が「出頭すべし」という文言を拒むと山猫は興味を失ったかのように態度がよそよそしくなり、
どんぐりは色あせ、手紙が二度とこなくなってしまったのは、一郎が成長し山猫の手の届かない世界に行ってしまったからに他ならない。
399 :
吾輩は名無しである:2013/05/04(土) 14:33:39.00
@もし一郎が立派な肩書きに惑わされ…
山猫は一郎を「誘惑」しようとしたの?山猫は舌足らずなだけで一郎に敬意を払っているように読めるけど
A謝礼に鮭の頭を選んでいたら森の獣にされていたかも
山猫にそんな力があるの?鮭の頭は言わば山猫の『宝物』だから、選んで欲しくなかっただけに読めるけど
B
書くのも面倒
大学受験の現代文めちゃくちゃ苦手だったけど、文系ってこんなもんなの?
解釈はいろいろだから
>>398の感想文もみてみないとわからない。
自分で解釈してここに載せてみたらみんなが君の方がいいと
言うかもしれない。
批判ならいくらでもできそうだ、短い童話とその感想文なんだから。
402 :
吾輩は名無しである:2013/05/04(土) 21:59:46.07
猿法ちょ○ぼ隠しの術
403 :
吾輩は名無しである:2013/05/09(木) 23:53:26.47
↑低能バカ発見w
404 :
吾輩は名無しである:2013/05/10(金) 08:37:17.84
お、チョンボ猿発見。w
>宮沢賢治自身が序章のなかでこの詩は「心象スケッチ」だと言ってるんだから、心象スケッチなんだよ。
>台所にある目に付いた茶碗を両手に持てるだけもって
405 :
吾輩は名無しである:2013/05/10(金) 09:16:52.69
風の又三郎、
グスコーブドリの伝記
銀河鉄道の夜
名作だな。
406 :
吾輩は名無しである:2013/05/10(金) 20:50:38.80
心象スケッチならぬ池沼スケッチになってるな(ゲラゲラゲラ
ま、スケッチいうても、池沼やからコピペしかできへんけどな(ウェ−ハハハハハハ
407 :
吾輩は名無しである:2013/05/10(金) 21:32:50.21
なんかの発作か?
よくわからんけど、おだいじにな。
>>405 長編ならポラーノの広場も入れてあげてけれ
409 :
吾輩は名無しである:2013/06/02(日) 09:26:53.62
宮澤賢治はなぜ多くの文学者が親鸞へ向かうのに独り日蓮へ傾倒していったのか?
410 :
吾輩は名無しである:2013/06/02(日) 11:26:53.09
スーパーマン願望があるからでしょ
411 :
吾輩は名無しである:2013/06/02(日) 22:04:05.55
>>410 なるほろ〜!スーパーマンと言われてちょっとハッとしたわ
他力によって救われる親鸞じゃなくて
自ら大衆を救うスーパーマン(菩薩?)になろうとしたワケだ?
自分を勘定に入れないと言った賢治が自らの力で人を救おうとしたのは興味深いな
この辺のところが長年謎でモヤモヤしてたんだがなんか腑に落ちた気がする
サンキューです
永訣の朝のふたわん問題について随分やりあったんだね
何も難しい事じゃないだろう
詩の中でなぜふたわんである必要があったのかは書かれているのに
何故ふたわんか端的に言えば
賢治は誰に清い資糧が齎される事を祈ったかという事だ
”おまえとみんなとに”だろ
414 :
吾輩は名無しである:2013/06/07(金) 08:21:33.42
「ふたわん」である必要性などはどこにも書いていない。
それに、何故あえて陶椀を二つ持ち出したかということを言ってるんだよ。
「おまえとみんなとに聖い資糧をもたらすように」なら、あえて二椀に分けなくとも一椀の雪にそれを祈れば事足りることだろう。
415 :
吾輩は名無しである:2013/06/07(金) 09:46:48.57
逆に一椀にする必要性の方がないw
416 :
吾輩は名無しである:2013/06/07(金) 11:03:19.73
いや、一椀にする必要性がないとかじゃなくて、二椀であることの意味が判然しないと言ってるんだよ。
「とし子とみんなとに聖い資糧がもたらされるように」と、一椀の雪に祈って、それをとし子が口に含んで天上に還れば、それでいいわけだろう。
それはそうとして、そのふたわんの雪をとし子が食べるところをどこにも描いていないのも気にかかる。
あめゆきを含んだ松の枝を頬に擦りつけている描写はあるが、賢治が祈りを込めたお椀の雪にとし子が口をつける描写はない。
これは一体なにを意味してるんだろうか。
供物として考えたらひとわんじゃだめでしょ
そのうちのひとわんはトシ子の此岸での死に水としてのもの
もうひとわんは彼岸でトシ子とみんなとに資糧をもたらすためのもの
418 :
吾輩は名無しである:2013/06/07(金) 13:15:11.61
明確な正解がある訳じゃなくて
読んだ人がそれぞれ自分で答えを見出せばいいんだろ
読み返すと色々と断片的に書かれているのでいろんな解釈ができると思う
けど自分の推測や疑問を他者にぶつけて見ることも悪いことじゃない
その通り
でも態々天上のアイスクリームという非宗教的な表現から兜率の天の食に変えた
賢治の心境くらい慮って読んであげてもいいと思う
420 :
吾輩は名無しである:2013/06/07(金) 13:45:57.76
>供物
いや、その解釈は無理があるから。苦笑 それではまったく本末転倒だ。
421 :
吾輩は名無しである:2013/06/07(金) 13:52:51.09
「死に水としてのもの」とか、まるでこの詩が陳腐なものになってしまう。
まあ君の解釈にいちいちケチをつけるのもバカバカしいのだが、ちょっとあまりにアレだ。
422 :
吾輩は名無しである:2013/06/11(火) 00:24:57.99
供養のためwwwwwwwwwwwwww
423 :
吾輩は名無しである:2013/06/11(火) 00:26:53.03
死に水wwwwwwwwwwww
424 :
吾輩は名無しである:2013/06/11(火) 00:28:30.71
ちょっとあまりにアレだwwwwwwwwwwwwwwww
425 :
吾輩は名無しである:2013/06/11(火) 17:28:53.63
個人的には熱にあえいでいる妹に冷たいひと椀をとって来てあげたい
という心情が一番強く感じるけど、法華経の熱心な信者だった賢治なら
同時に死水とか供物の意味も込められていたとしてもちっとも不思議じゃないし、
その解釈によって詩が陳腐になったり、まして本末転倒になったりしないと思うけどな
供物とか死水という言葉を余りにも形式的なものに捉えすぎじゃないか
>どうかこれが天上のアイスクリームになって
>おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
この辺は供物的な意味合いも感じるし
>わたくしのやさしいいもうとの
>さいごのたべものをもらっていかう
ここは死水をとってあげるという意味合いも含んでるように思える
人によってはまだ死んでないのにというかもしれんが
この詩は臨終の時間の流れと同時にもうひとつ俯瞰から眺めている視線も感じるわ
426 :
吾輩は名無しである:2013/06/11(火) 18:22:43.86
いや、だから賢治のその詩の中の儚い心意を、供物とか死に水とかいう世人の行為に当て嵌めてわざわざ味気のないものに当て嵌めようとするから苦笑されるんだよ。
賢治が法華経信者だから云々なんてのも実に片腹痛い。バカも休み休み言えよな。苦笑
427 :
吾輩は名無しである:2013/06/11(火) 18:43:30.16
賢治の心椀で掬いとったその真っ白な雪に、俗世の汚い息を吹きかけて徒に溶かしてしまうようなもんだ。
詩興というものがまるっきりわかっていない。失笑
428 :
吾輩は名無しである:2013/06/11(火) 20:49:25.40
だからお前らが頭固すぎの俗物なんだろww
429 :
吾輩は名無しである:2013/06/11(火) 23:42:50.84
供物、死水=世人の行為 ←これこそ俗人らしい短絡的な捉え方だな
まあ、まともに反論できないことは薄々予感していたがあまりにもお粗末で残念
426のような視野の狭い固定観念に囚われた俗物がはたして詩を理解できるのか疑わしいなw
430 :
吾輩は名無しである:2013/06/11(火) 23:54:49.85
いや、どうみてもおまえが反論できていないわけだが。
それにおまえのその供物云々なんかに反論するもしないもないわな。笑
ただおまえの感性の乏しさ、下品な思考を指摘してあげただけだよ。苦笑
それを「供え物」にしてしまうと、この「永訣の朝」の瑞々しい透明な空気に、胡散臭い線香のにおいと木魚の滑稽なポクポク音が響いてきて、なんだか興醒めする。
供え物という儀式が悪いということを言ってるんじゃなくて、ただこの詩には相応しくないということ。
432 :
吾輩は名無しである:2013/06/12(水) 14:00:38.37
>>430 反論するもしないもないわな。笑
できないの間違いだろお馬鹿さんww
情けないw
433 :
吾輩は名無しである:2013/06/12(水) 14:28:49.05
いや、だからどうみてもおまえが反論できてないわけだが。現実逃避も程々にな、哀れなチョンボ猿。
434 :
吾輩は名無しである:2013/06/13(木) 09:59:53.96
やっぱり知ったかチョンボ猿の大将だったかw
やけに頭の悪そうな書き込みだと思ったら案の定だな
知ったか大将はいつもそうだがまともに反論できた試しがない
作品自体を読めてないからそうなる
435 :
吾輩は名無しである:2013/06/13(木) 11:14:46.39
ほんと哀れな恥知らずチョンボ猿だな。
どこへ行ってもチョンボ、何をしてもチョンボ、チョンボに生きてチョンボに死す。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
ちーん(-人-)
436 :
吾輩は名無しである:2013/06/14(金) 13:06:21.19
あ〜賢治の詩に仏教的要素をあまりイメージしたくない人ね。
通りすがりだけど気持ちは分かる自分も昔はそうだった。
まあ詩なんだから自由に解釈すればよいと思う。
若い頃は宗教的な要素が入ってる詩や文学が嫌いだったんだが
西洋の文学や詩にはキリスト教的なものがこれでもかというように入ってる
日本の作品には少ないなと思っていたが賢治の作品は
日本の作品の中では例外的に宗教色があって西洋の作品のような気がする。
日本の作品もよく読むと宗教色がある作品も多いし根底に流れてはいるんだけどね。
年齢をかさねると宗教や思想の背景がある作品も嫌いではなくなった。
438 :
吾輩は名無しである:2013/06/14(金) 15:32:36.48
いや、「供物(笑)」なんてのは宗教的要素云々以前の問題だからよ。苦笑
まあチョンボ猿にはそういうアホくさい解釈が実によく似合ってるからそれでいいと思うよ。苦笑
439 :
吾輩は名無しである:2013/06/14(金) 16:39:05.92
>>438←こいつは本物のバカだから相手にしなくていいよw
まあこいつの幼稚な発言をみればすぐに分かるが理解力はマジで小学生以下だからな
440 :
吾輩は名無しである:2013/06/14(金) 16:48:17.74
と、供物(笑)の超絶低能恥知らず支離滅裂チョンボ猿がキイキイキイキイ喚いております。
※バナナは与えないで下さい。
441 :
吾輩は名無しである:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN
常人には読解めるわけないだろうさ
チョンボ猿連呼厨は漱石スレから追い出されてこっちで暴れてんの?
443 :
吾輩は名無しである:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
「彼岸過迄」の宵子の死の描写は、漱石自身の5女、雛子の死の時のことなのだろうが、やはり鬼気迫るものがある。
漱石の精神力と筆力に感心するしかない。
>>405 ほんとうにそうですね。グスコープドリの伝説が、自爆テロや神風特攻隊と
混同されないことを祈っています。
447 :
吾輩は名無しである:2013/11/04(月) 19:01:52.94
で、結論からするとブルカニロ博士って誰なの?
風の又三郎、字面を追っただけではあっけない話で終わってしまうが、
何気ない日常生活で見慣れて見飽きているという現状と、不思議な転校生が
やって来た(転校生の側から考えれば何の矛盾もないのだけど)という
日常生活を彩る一つの事件と考えれば、なんと素敵な事件なんだろうか。
どんな時代のどんな場面でも彩を添える。普遍性がある。どの時代でも
ときめきを産み出す。賢治の童話が時代を超えて存在し続ける理由だろう。
450 :
吾輩は名無しである:2013/12/31(火) 10:03:17.04
>宮沢賢治さんは、一つの温泉宿をめちゃくちゃにしてその罪を旅館の主になすりつけた上、そのことを
>武勇伝として親友に嬉々として語るようなDQN
くわしく
>>335 >「ふたつのかけた陶椀」と言ったり「雪のひとわん」と言ったり、
最後にはまた「ふたわんのゆき」と言っている
「ふたつのかけた陶椀」は、陶器でできた蓋と陶製の椀で、陶椀は二つある。一方が蓋でもう一方が椀。
「雪のひと碗」は、この碗のなかに雪が入っているもの
「ふたわんのゆき」は、二つのという意味ではなく、蓋碗のなかにはいっている雪
いや、それはないだろ
どう読んでも、二人が幼少期に使っていた二つのお椀のことだろう
病人が使う食器だから、すぐに食べるかどうかわからないので
蓋付きのものを使っていたのだろう。
その蓋に、小さな茶碗をつかっていたのかもしれないが。
「ふたつのかけた蓋椀」というときは、蓋椀は蓋がとられていて、二つ並んでいる
「ふたわんのゆき」とでてきたとき、蓋碗は閉じられていて、中に雪が入っている。
情景が浮かび上がってくるようだ。そこに心象風景も暗示され象徴も使われている。
いや、だから蓋椀なんていう微妙な描写を「ふたわん」なんて書くことはあり得ないって
このふたわんというのは二つのお椀ということだよ
「二つの欠けた陶椀」というのは、ふつうにそのまま、二人の欠けた陶椀ということだよ
そこに蓋なんかをこじつけるのはあまりに滑稽
まあおそらく宮澤賢治はその二つの欠けた陶椀によって、幼少期の二人の無邪気な心に罅が入っていtsことを比喩しているんだろう
実際、賢治は一時期、妹の普段の生活上の愚行に嫌悪を示していたし、また妹は賢治の言には聞く耳も持たなかったようだし
まあ、そのへんの賢治の心境は「手紙」などからも読み取れるだろう
>>457 ありえないことはないだろう?
ふたわん=蓋椀 で別におかしくない。
雪をとりにいくのに、どうして二人の陶椀を持っていくんだ?
当然、椀と蓋を持って行ったんだろう?
雪をとるのも、すがすがしい香りの松の木からとっている。
当然茶碗だけじゃなく、蓋をもっていって、いるだろう。
妹のために細心の心遣いをしているというところが読めないのか?
それに、家族の茶碗というのは、一人一人違ってた。
君の家はどうだかしらんが。
ジュンサイの模様の茶碗は妹の茶碗じゃないのか?
子供のときもそれをつかっていたのかもしれないし、現在もそれが妹のしるしなんだろう。
亡くなった人が使う茶碗は割るという地方もあった。
いや、蓋椀というのはだいぶ無理がある
どこからその「当然」が出てくるんだ?その根拠をまずは明確に示すべき
すがすがしい松の木から雪をとることが何故「当然」蓋付きお椀に繋がるんだ?
細心の心遣いとはなんだ?お椀に蓋をすることが細心なのか?あまり滑稽が過ぎるよ
>家族の茶碗というのは、一人一人違ってた
いや、むしろおそろいの茶碗を使ってるのがほとんどなんじゃないか?
君は無駄に断言してるだけで、何の根拠も示していないわけだが、断言するならばそれ相当の根拠を示そうな
「青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に」
どう読んでも、二つの欠けた陶椀だよな
そもそも、お椀の蓋を蓋椀なんて呼ばないっての
椀は椀、蓋は蓋
466 :
吾輩は名無しである:2014/01/22(水) 21:08:08.46
蓋椀ワロタage
蓋のついた椀で蓋椀。
「おまへがたべるこのふたわんのゆきに」
これが二椀というのが状況的におかしい。ゆきもひらながだし。
やっぱり「蓋椀の雪」ではないかと思う。
病人のために雪をとりにいって
茶碗ふたつを両手にもっているなんて状況はおかしい。
できるかぎり、清潔でおいしい雪をとるように細心の注意をはらうはずだから。
それが天上のアイスクリームになることを願う。
その状況を考えると、たいせつに雪をふたつきの食器に入れたと思う。
>「青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に」
蓋付きの食器だから、同じ模様がついているのでは?
>>467 >これらふたつのかけた陶椀
上下を分けて、一つずつに数えたということ?
むしろ、ひとつの陶椀なら、
「青い蓴のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に」
などという表現はしないだろう
この、「これらふたつ」を、何故、お椀と蓋と解釈するのか、その根拠をまずは示せ、とさっきから言ってるわけだよ
「おまえへがたべるこのふたわんのゆき」の二椀というのが状況的におかしい?
一体、どこがおかしいんだ?むしろ、蓋に盛った雪のほうが、状況的にもおかしいんじゃないか?
どう読んでも、ここでの「ふたつ」というのは、その後の「ふたつのこころ」に繋がってるだろう
「わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない」
もう、わかるよな?
>わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
>みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
とあるから日常の食器だったんだろう。
>(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
>青い蓴菜〔じゅんさい〕のもやうのついた
>これらふたつのかけた陶椀〔たうわん〕に
>おまへがたべるあめゆきをとらうとして
>わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
これからは
>>452の言うように意識朦朧としたとし子に
賢治が無意識に幼い頃のままごとの食器のつもりで二つ持って飛び出した、が合理的か?
あるいはそうではなくなにか宗教的な背景があるかもしれない。
つまりだね、あえて賢治が「二つ」にしたのは、過去の二人の過ち、痼りを、その二椀の雪によって溶かそうとしたわけなんだよ
賢治がその雪を汲み、とし子がそれを口にする
それによって、過去のお互いの黒い罪を清浄しようとしたわけ
日本の食事の特徴として属人器や銘々器というのがよく言われる。
西洋や大陸では共用食器らしいからそういうのも関わってくるかも。
その二つに分けているところに、賢治の意思、思想の強み、信心が窺える
この時に於いても、賢治は
「ただわたくしはそれをいま言へないのだ
(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)」
と断っている
いもうとの死よりも、自らの「道」を優先しているのだよ
だから、ふたわんを、蓋椀などと解釈するのは、とんだ見当違いなわけ
あくまでも、賢治は冷静だよ
むしろこの場面では、その二椀の雪に、とし子が口をつける描写がないところに注目すべき
賢治は、詩的感興などから、その描写をあえて省いたのだろうか?
そうは思えない、これは意識的に省いている
でないと、その前の描写がまるで活きてこない、無意味だ
では、なぜかそれを省いたのだろう?ーーとし子がそれに口をつけなかったから?
ーー修羅をいく賢治のこころに、それがあんまりだったため?
ーー或いは?
或いは、賢治はそれが自分の一人合点だということを自認していたためでは?
それらが、詩的妄想でしかないということを、或いは詩的理想だということをあんじするためでは?
ーーあくまでも、賢治は冷静だよ
ふたわんを蓋椀と解釈したというのは、「ふたわんのゆき」に対して
どうして二椀なのか?という疑問があるから。
そこに疑問を持たない人は、それでおわり。詩の解釈は幅があるからそのまま
そう信じておけばいい。自由だ。
しかし、私はあくまでどうして「ふたわんのゆき」なのかにひっかかる。
蓋と椀でもいいし、茶碗二つでもいい、一つは蓋として使ったと考えている。
雪を二つの茶碗にいれてくっつけて片方の茶碗をはずすと、アイスクリームの形になる。
「ふたわんのゆき」とはそういう趣向を暗示しているのかもしれない。
とにかく、私がいいたいのは、疑問を持てば自分の頭であれこれ想像したり考えてみるといいかも
しれないということだ。誰かの書いた説をうのみにしたら、そこで終わる。
えっと、日本語は読めるかな?
上にも書いたけど、それぞれの過去の罪を清浄すべく、それぞれのお椀に賢治が掬って
その二椀をとし子が口にすることで、賢治自身の償い、或いは慰めとしたかったんだろうと書いたわけなんだが
なんだか君は耳が遠いのか何なのか、あまりにも明後日のほうに突っ走っているから、どうにも噛み合わないね
まあ、どうしても君が「蓋椀」としか解釈できなら、それでもいいんだろうけど、それじゃ身も蓋もないわな(苦笑)
それと、「誰かの書いた説をうのみ」とは?
これらの説はまったく自分の説なわけなんだけど、大丈夫?
それともどこかにこの説に似たようなのがあったのかな?あったならそのソースを出してね
>>477 疑問はもちろん自由だけど、気になることもある。
蓋椀だとしたら、なぜわざわざ蓋のほうに雪を入れるのかがわからない。
二つの椀なら、特に疑問は起きない。
ひとつずつに雪を入れても不自然さはない。
そしてもうひとつ。
蓋付の陶器の椀だと、思いつくのはお菓子の入れ物だ。
蓋のほうは底になってなくて不安定だから、置かないで直接手渡しをすることになる。
ちょっとどうかなあ、と思う。
蓋椀なんていう言語すらないのに、それを「ふたわん」と書いて蓋椀と読ませようなんて、いくらなんでもあり得ないわな
この作中で「ひとつ」「ふたつ」という表現をしてるんだから、そのままふたつのお椀と捉える以外にあるわけないよ
蓋椀じゃ、まるで意味が通じなくなるし、いくら賢治でもそんなバカみたいに、無駄に勘違いさせるような曖昧な書き方はしないさ
二椀に疑問をもったということ。
だからいろいろ考えた。二椀に疑問を持たない人はそれで思考停止。
どうして二椀なんだろうか?そこで蓋と椀なんだろうか。
それとも、茶碗ふたつならば、両方に雪をいれてくっつけてひとつの茶碗を
はずせば、アイスクリームの形になるわな、とか考えてみたわけ。
二椀に疑問をもたないひとたちは、そのまま思考停止。
どっちもありだよ。賢治の詩は未完成のままだったのだから。
でも私は、それだからこそ、賢治のイメージを追ってみたいそれだけのこと。
>>483 そうは言っても、言葉の合理性というものは無視できないんじゃないか?
作品が死んじゃうから。
>>484 二つの茶碗の雪をつめてくっつけて、一つの茶碗をはずして
アイスクリームの形にしたものを、ふたわんのゆきといっても
矛盾はないだろう?
いや、疑問を持つべきところが君だけズレてるだけ
上に何度も書いてるが、「ふたわん」というのは、賢治ととし子のこころの比喩になってるわけ
君は「手紙」を読んだのかな?
それを読めば、「ふたつのかけた陶椀」の意味も自ずからわかると思うんだが
それでわからないなら、君には賢治の作品は読めないよ
いや、君こそ読めてない。
>>485に矛盾はないだろう?
それならそれがひとつの解釈になるんだよ。
ふたわんが賢治ととし子の比喩になっているのかどうかの確証はない。
かもしれないという程度だ。だから可能性をつぶしてはいけない。
どうして君たちはそんなに頭が固いのだろうか?
そのアイスクリームの形なんてのがすでに君だけの妄想でしかない
賢治は、「これが天上のアイスクリームとなって」としか書いていない
そのアイスクリームの形なんかには拘ってない
そんなとこに拘ってしまえば、興醒め、滑稽に落ちるだけだし
いやぁ、蓋椀だけあるわ
話にならん
>>488 妄想じゃなくて、実際まるいアイスクリームの形になるだろう?
わからないのかい?
バカを意地でも突き通すそのバカっぷりは実に逞しゅうございますけど、あまりむやみに突き通しても、ますますバカを促進させるだけで、あまりいい事ないよ
>>485 ああ、普通の茶碗を蓋に見立てて、ということか。
アイスクリームの形を想像するのは面白いけど、「ふたわん」と表現するのはどうかなあ。
普通ではない言葉を使うときには、詩の中で強いイメージを呼び起こさないといけないと思うんだけど。
それほど印象的ではないように感じるな。
>>491 悪いけど、お前がバカだよ。
詩の解釈には幅がある。だからどんどん矛盾のない解釈をだしていったらいい。
詩というものは、広がりがあるものなんだ。矛盾さえなければね。
そしてそれがいやなら語らなければいい。
ただそれだけ。
>>486 >「ふたわん」というのは、賢治ととし子のこころの比喩
そこまで決めつけていいのかなあ?
まあなんだ、とにかく
走れ、蓋椀!
いやぁ、しかしバカっているもんなんだな
おそるべし、2ちゃんねる
みんな頭が固いなあ。
詩というのは、その精神=エスプリを読み取らないとダメだぞ。
賢治がそんなに頭でっかちの石頭だと思うか?
>>497 けっこう頭でっかちの石頭だと思うけど?
いくら賢治でも、「ふたわん」を「蓋椀」と読まれるとは思いもかけなかったろうな
それならはじめから「二わん」とでも書いときゃいいんだが、まあ字面を気にしたのか、単になんとなくひらがなで書いちゃったのかなんなのか、まあたいした話ではないだろう
>>498 その辺の認識の差が詩の受け止め方の差になっているんだろうな。
詩の解釈には、矛盾さえなければ、幾通りもあるだろう。
君は君の解釈で理解すればいいんだと思う。
>>499 だからさ、本当のところはだれにもわからないってことさ。
サリンジャーの小説に、そういう時は作者に電話して聞いてみたいみたいな
ことが書いてあったけど、全く同意。でも、当然そういうのは不可能なんだよね。
>>500 >君は君の解釈で理解すればいいんだと思う
そう思うなら、議論しないほうがいいんじゃないかな。
>詩の解釈には、矛盾さえなければ、幾通りもあるだろう
でも、これは違うと思うよ。
本人の意図がある以上は、その本人の意図に近づける努力をするしかない。
だから文芸評論という専門分野が成り立つ。
はじめに「ふたつ」と書いてしまったからな
たしかにこの詩の雰囲気的に、なるべく数字は避けたい感じだし
「二つ」と書いてしまうと、何か少し嫌味っぽくなってしまう
だから「ふたつ」にしたんだろうけど、そのポーズがまさかの勘違いを生んでしまったね
咄々大笑
>>502 作品というのは、いったん作者の手を離れたら、どうとでも解釈される存在になると思う。
作者の枠を離れたときに、真の評価を得る。
まあこれはむしろ勘違いするほうに問題があるんだろう
まあ賢治も、そんな小細工しないで、もっと内容で表現すべきなんだがね
>>505 それが違うと指摘してるんだけど。
根拠を自分の感性においた解釈ですませられたのは、小林秀雄までじゃない?
縦読みにしてみたり、行をズラしてうねらせてみたり、無意味な小細工が多い
>>506 意味不明。賢治は小細工などしていない。未完成なまま作品が発表されてしまっても、
その価値はそこなわれていない。日本には多くの目利きがいる。私も及ばずながら
賢治を語りたい。
連投規制がかかっているので、そろそろ終わり。
いや、ことりが云々の縦読みの詩とか、行を調節して全体がくねるようにしたりしてるだろ
それが小細工だってこと
あ、実際の詩集では横読みになってるのかな
まあどっちにしても同じことだが
>>507 欧米の批判家は、自分の感性で批判しているようだけど、日本じゃだめなの?
探偵とかやとって、いやがらせするんだろうか?終わってるよね。
推敲してアイスクリームにする前は天の資糧という聞きなれない言葉だったはず。
やはり宗教的なものが背後に隠されている印象。
賢治はとし子のみんなが葬式の準備をしているとき枕元で一人必死に詩の推敲
をしていた作品はどれも賢治が死ぬまで推敲に推敲を重ねている
ふたわんは蓋と碗です、などと大喜利のような解釈はたぶんない。
賢治の文にはどれも命をかけたというより、命を削るような研ぎ澄まされた感覚が常にある。
>>512 自分の感性だけで批評をしても、その作品に対する理解の助けにならないし、文学としてその作品を超えることもできない。
ただ、書いた人の感性を披露するだけだ。
だから、その対象となった作品とその批評は極論すれば無関係だ。
欧米の批評家のことは知らない。
でも、欧米だろうと日本だろうと、作品と批評のかかわり方にそれほどの差があるとも思えない。
ひとつの作品はその著者の心に近づくことで、はじめてその作品が生き返ると思う。
文芸や詩などに限らず、批評はなんにでも必要
あらゆる批評があってこそ、成り立つわけだからな
宮澤賢治にしても、批評がなされて、はじめて世に知られた作家だし
そもそも、自分の感性、要するに主観でない批評なんかできるわけもない
>>517 日本にも文学理論という分野があるけど、逍遥から始まって漱石がひとつの完成された姿を作り上げた。
自分の感性を基準とせずに、客観的な理論による文学の評価軸を設定しようとする試みだ。
現代では、そのひとつの到達点が吉本の「言語にとって美とはなにか」ということになる。
西欧のことはほとんど知らないが、少なくともヘーゲルの「美学」はそうした基準を設定する試みだとはいえる。
客観的に、なんていうのがすでに嘘なんだよ
試みることすらできるものではない、できるとすれば、それこそ主観的な枠を拵えた盤上でだけだ
何故なら、客観的理論というものを自分の頭で理解しようとすれば、それがすでにもう主観的になってしまうわけだからね
その盤上で、これが客観的理論だと嘯いてみても、誰も相手にしないさ
そんな押し付けがましい理論が成り立つものかね
同じような思想の主観的頑固オヤジが寄り集って、口裏を合わせて策略的に自称客観を打ち立ててみても、それはやっぱり主観が醜く寄り固まったものに過ぎないわけだし
>>519 すべてが主観というなら、誰かが指摘してるみたいに君が殴られても君の主観の問題だ、ということになる。
賢治の作品も、なぜか自然に活字に化けて君の目に入ってる、ということにもなりかねない。
そう言いたいならそう言ってもいいが、そこからはなにも生まれない。
世界には、客観的に物もあるし他者もいる。
そうでなければ、そもそも賢治の作品自体が私たちのまえに現れるはずもない。
客観的な物や他者の存在を認める以上、学問が成り立つし、客観的な文学理論の構築も認めるほかはない。
いや、そんなことを言ってるんじゃないんだよ
他者の存在を認めていないなんてどこにも書いてないだろう?
客観的価値を、自分の頭で消化すれば、それはすでに主観的価値になってしまうと言ってるわけ
それを客観的価値だと言い張ることは、それこそ他者を眼中に入れていないことの証拠にしかならない
他者の存在を認めていれば、「客観的」などという観点なんか見出せないさ
>>523 なんかいも同じことを書くことになるけど、そういう感じ方は、すべての学問の否定でもあるんだよ。
自然科学ですら否定される。
たとえば言葉の理論も、社会の理論も、自然科学と同じ客観的な学問として成り立っている。
その価値を設定したときの基準は、社会的なものは立場によって異なるが、言語、文学といった表現に関する理論については自然科学的な根拠を求めることが可能だということだよ。
いや、極端に言えば、確かに学問の否定だよ
芥川は「侏儒の言葉」でこう言ってる
道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。
道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。
道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺である。
学問というものも同じこと
要するに、学問とは社会の統制に於いて便宜的であるから、それを義務化して、完全なる個性が芽生える前に、それを消滅させてしまおうとする一つの独裁なわけなんだよ
宮沢賢治の「注文の多い料理店」なんかもそれを諷刺している作品だ
文学からどうやって自然科学的な根拠を引き出すんだ?
まさか、表現が理論から発せられものとでも思ってるのか?
だとしたら君には到底宮沢賢治の作品なんかは読めまい
そもそも、文学と自然科学などでは客観的価値の基準が異なる
科学などように、物証で示せるものの価値は物証で示すことかできるさ
文芸などの場合は、その物証、根拠が作者の頭ないし心の中から発せられているから、
それを他人が読んでそこに客観的価値を求めることなどは、事実上不可能だということ
>>525 それこそ君の自由だが、君の思いつきに過ぎない。
>>526 >表現が理論から発せられもの
君の感じ方が出てるね。
自然科学というのは、理論から生まれるのではなくて現実から生まれることを忘れてはいけない。
常に現実との整合性が求められる。
思い違いしてはいけない。
文学であれそのほかの表現であれ、自然の一部としての人間が自然の中で物としてなにかが表される。
心の中で意で思ってることにしても、自然としての人間としてみれば物としての化学変化だ。
その中で人間は客観的世界との相互関係の中で心の矛盾を表現という行為で解消し、さらに矛盾の中に入り込む。
この繰り返しが人間だ。
文学の批評は、その表現者の矛盾のありどころやその解決のしかたを追い、他の表現の世界との差異や共通性を検討して独自性や一般性を提示する。
歴史的、社会的な文学としての価値を問題としないことはありうるが、価値の基準の設定を妨げるものでもない。
文学の批評というのはそういうものだし、それが表現者自身の客観的な位置づけということでもある。
いや、はなしにならんなこりゃ(苦笑)
>表現が理論から発せられるものとでも思ってるのか?
というのは、文芸で行われている表現が、ということだよ、自然科学云々にしても、現実から生まれることなんか当たり前さ
その自然科学の理論というのも現実の物証から成り立ってきたわけだから、なにもあえて自然科学が現実から生まれているなどとわかりきったことを無駄に威張って主張しなくてもいいさ
>文学の批評は、その表現者の矛盾のありどころやその解決のしかたを追い、他の表現の世界との差異や共通性を検討して独自性や一般性を提示する
だから、何度も書いてるけど、その矛盾のありどころなんかを、他者がどうやって客観的に検討できるんだよっての
解決のしかたを追う、とは一体なんだ?体裁のよさそうな空っぽの言語ばかり羅列して誤魔化してないで、具体的に話を展開してごらんよ
他の表現の世界との差異や共通性とは一体なんだ?支離滅裂というか、あんまり突飛だよ君は(苦笑)
文芸をその他の表現の世界と相互比較してそこに独自性や一般性を提示する?
何のために?具体的にどのような手段で独自性や一般性なんかを位置付けるんだ?
>>529 大学へ行ったことがある?
自然科学と文芸が違うということは基本です。
そのために学問は分れたのだから。
>>529 すべての事象はそれ自体見えたり聞こえたりするもの以外の、いわば背面を持っている。
その背面が意味を形成する、という考え方もある。
それはともかく、この議論は君には難しすぎたようだ。
少しでも文学理論や美学に触れたことがある人なら、
>>528に書いたことは賛否は別にしてもたやすく理解できることだし、書いてあることが誰の理論を踏まえているのかもわかるだろう。
そうした知識も素養もない相手に書くことではなかった。
君がもう少し勉強をして、読むだけの読者から考える読者になってからあらためて議論しよう。
参考文献は、すでに挙げたものだけでも短期間で読みきるのはむずかしいかもしれないが。
もし、作者が自作の小説などを自己評価して、そこから他者が客観的価値付けを試みるというならわからなくもないのだが、
散文詩などのように表現が作者の心理、心象からそのまま放り出されているものなどを他者が検討して、それを一般性の枠に当て嵌めたり
独自性なんかを読み解こうとするというのは、その詩の中に息づく生命を殺してしまうことにもなりかねない
そこに作者の焦ったさや不満などがある
「芭蕉雑記」芥川龍之介
三 自釈
芭蕉は北枝(ほくし)との問答の中に、「我句を人に説くは我頬がまちを人に云(いふ)がごとし」と作品の自釈を却(しりぞ)けてゐる。
しかしこれは当にならぬ。さう云ふ芭蕉も他の門人にはのべつに自釈を試みてゐる。時には大いに苦心したなどと手前味噌(てまへみそ)さへあげぬことはない。
「塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店(たな)。此句、翁曰、心づかひせずと
句になるものを、自讃に足らずとなり。又かまくらを生(いき)て出
でけん初松魚(はつがつを)と云ふこそ心の骨折(ほねをり)人の知
らぬ所なり。又曰猿の歯白し峰の月といふは其角(きかく)なり。塩
鯛の歯ぐきは我老吟なり。下(しも)を魚の店と唯いひたるもおのづ
から句なりと宣(のたま)へり。」
まことに「我句を人に説くは我頬がまちを人に云がごとし」である。しかし芸術は頬がまちほど、何(なん)びとにもはつきりわかるものではない。
いつも自作に自釈を加へるバアナアド・シヨウの心もちは芭蕉も亦多少は同感だつたであらう。
いやいや、理解するもなにも、理解するほどの内容を君はまったく示していないだろう(苦笑)
ただ単に共通性だとか一般性だとか独自性という言語を羅列してるだけでまったく内容がない
その内容を示せと言ったら、今度は理解できてないなどと嘯く
いやいや、とんだチョンボ猿を相手にしてたようだ(苦笑)
たくさん示唆してもらっているのに、なんにも頭に入らないのだな。
>>532 表現者というのは「ほめられたくて身悶えしている」ものだからね。
ま、それは冗談だとしても、どうしても自分の評価と他人からの評価は一致しないものだ。
で、具体的な内容はどうした?チョンボなお猿さん
人の意見からパクってきた言語を羅列してるだけだから、その内容をなにも説明できないんじゃないのか?
自分の、頭で、ちっとは、考えてみることだよチョンボ猿さん
「一致しない」のは、何故だか考えてごらんよ
つまるところ、客観というものが、実際は主観でしかないことを裏付けてるんじゃないか?
客観的にみて、そこに一般性を持たせることは、犬の自慰行為みたいなものさ
人間の視覚は輻輳的だ。左右二つの目で見るからその誤差によってよりより現実認識が
できるようになっている。同じく状況を判断するのに、自分の視点だけではなく他者の視点が
持てるようになれば、より一層正確な判断ができるだろう。自他の判断が一致しないというのは
不条理ではなく真理だ。それはそうして失望してしまう問題ではなく、自他の判断の違いから
より客観的に自分を見ることができる手段なのではないだろうか?
「他者の視点」を持つことなど人間には不可能だとさっきから何べんも繰り返し言ってるわけなんだよ
「客観的らしい主観」を持つことは、或いは可能かもしれない
が、それは主観を殺して客観を移植するのと同等のことで、自己の喪失にも繋がってしまうだろう
そんなところから、一体どんな正確性が得られよう?
自分のパーソナリティのなかに他者をもつことは不可能だろうが、
自分の心が開かれて他者の意見を聞くことができるようになれば、自他を比べ
合わせることができるのではないだろうか?その場合の他者とは人間に限らない。
人はそうやって複層的な思考を手に入れているのでは?これは文学の話ではないがね。
そういうふうに自分の心を開いていく過程に他者として文学作品が助けになることがある。
いや、だからその他者の意見を聞くこと、それを自分の経験に参照して、頭で消化するということ自体が
すでに一人合点でしかなくて、それは決してその対象の全貌を理解したことにはなっていないわけ
必ずどこかに飛躍があるわけで、自他を比較するにしても、その他者の姿というのは比較する段階で無意識におのずから主観に取り込まれてしまう運命にあるわけ
意味わかるかな
まあ、その結果が「蓋椀」じゃねw
論理のわからない人は、読解力もないから自分の主観に逃げ込もうとする。
読者としては、自由だけどね。
その対象の全貌を理解することは不可能だよ。神じゃないんだから。
だから、「客観的」なんていうこと自体が成り立たないということを言ってるわけだよな
まあ、厳密に言えば、だけどね
それはともかく、「蓋椀」はないわな
>>545 不可能な前提だから、成り立たないのは当然だろう。
私たちは神ではないのだから、私たちの範囲内で最善を尽くすのは当然。
神の領域まで思考にふくめるなら、みんな無力で神にすがるしかなくなる。カルトだ。
>>546 「ふたわんのゆき」この言葉から、賢治が雪をいれた茶碗二つを
持ち帰ったというイメージをするのはおかしくないかという疑問を呈した。
>>546 茶碗ふたつを左右の手に持って持ち帰ったとは思えないのだ。
二つを一つに閉じるか、瀬戸物の汁椀に瀬戸物の蓋のついた食器で
持ち帰ったか、そういうところだろうとイメージした。
どちらも、片方の食器をとると、アイスクリームのような丸い形になるだろう。
いや、別に不可能は前提ではない
最善を尽くすにしても、それは自己の主観の妥協に於いての最善であり、決して褒められるようなものではないし、またそれが最善の策ということになり得ない
「おかしい」と思う根拠は?
茶碗をふたつ手に持つことが、何故、君にはおかしいのだ?
「アイスクリーム」云々は、むしろ君がその形に拘泥しすぎてる故に生じる滑稽な誤解でしかないように思うが
冷たい雪の一口、それをアイスクリームと喩えて一体何が不自然なのだ?
何故、あえてその形にまで拘って「アイスクリームのような丸い形」などとする必要があるのだ?
そんなところまで拘ってしまったら、むしろこの心象風景の詩興が無意味に崩されるだけなのでは?
君はバカバカしい自己弁護のためにどこまで賢治の詩の足を引っ張るつもりだ?
「最善を尽くす」だとか「他者の意見を聞く」だとか、なにやら喋々と嘯いているが、その実、君がむしろ主観張り一点の、客観をむしした頑固道を突き進んでいることに気づいたほうがいい
>>551 君の意見を否定してるのはひとりじゃないよ。
誤解してるといけないから、言っておく。
いや、一人でも二人でも百人でも万人でもいいが、内容で反論しような
そもそも、すでに「多勢」で押し切れるような時代じゃないんだよ
要するにだな、「内容」なんだよ、な、い、よ、う
な?「蓋椀」も、或いは内容によっては押し切れるかもよ?
まあ、おれがそれを許さないけどな
>>553-554 そんなことを言ってるんじゃないんだよw
レスするときに、別の人の話を持ち出して君が恥をかいちゃかわいそうだと思って教えてあげたんだよw
ほんとに読み取る能力が欠けてるね。
というかむしろ、状況的に「蓋椀派」はおまえ一人だけみたいだぞ
まあおれはそういうバカは嫌いじゃないから、頑張って内容で勝負してみろ
一度吐いた唾だ、内容をこじつけて、押し通してみろ
別の人の話を持ち出すとはなんのことだ?
こっちはただ単に、内容で、反論をしろ、と言ってるだけなわけなんだが
おまえは一体、日本語も読めないような超絶バカなのか?
というか、どこでどうしたらおれが恥をかけるんだ?
いまのところ恥をかいてるのは、内容的に、おまえだけだぞ
>>549と
>>550に、まずは、内容で、答えるのが当たり前だな
あえてもう一度いう
いいか?よく聞けよ?
内容で、だ
「な・い・よ・う」で
な?
>>559 いいや、ちがうだろう。
内容が、読み取れ な・い・よ・う だろう?
残念なことだ。
ちょっと荒れ模様なので、話を戻そう。
せっかくだから、このスレの人ならみんな知っているような一般的解釈をつけてみる。
けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
青い蓴菜の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
賢治は霙と言ってトシは「あめゆじゅ」と言う。
いずれにしても降っているのは雪ではなく、霙だ。
「おもては へんに あかるい」はずなのに、「くらい みぞれのなかに 飛びだした」。
「まがった てっぽうだま」とあわせて、賢治の心の動揺をあらわしているのだろう。
「ふたつの かけた 陶椀」は昔から二人がおそろいで使っていたものだと考えるのが自然な気がする。
雨雪を取ってきて、というのはトシが少し甘えてみたのだろうか。
あるいは、賢治が甘えて欲しかったのだろうか。
蒼鉛いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ
はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
銀河や 太陽、気圏などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを・・・・・・
妹はなぜ雨雪を持ってきて欲しいと頼んだのか?
「わたくしを いっしゃう あかるく するために」だ。
自分が非常に苦しんでいる中で、それでも兄を明るくしようとして、空からの恵みを持ってきてと頼んでくれた。
続きは誰かやってくれるかな?
いなければ自分で続けるけど。
小学生なのか?
いや、実際はとし子の激しい熱のために、賢治が冷たい霙を持ってきたんじゃないかな
賢治も断っているように、この詩はあくまでも賢治の内の心象風景だ
つまり、その思い出を、賢治が美化して詩に仕立てた、というのが本当だろう
「手紙 四」
ところがポーセは、十一月ころ、俄(にわ)かに病気(びょうき)になったのです。おっかさんもひどく心配(しんぱい)そうでした。
チュンセが行って見ますと、ポーセの小さな唇(くちびる)はなんだか青くなって、眼(め)ばかり大きくあいて、いっぱいに涙(なみだ)をためていました。
チュンセは声が出ないのを無理(むり)にこらえて云(い)いました。「おいら、何でも呉(く)れてやるぜ。あの銅(どう)の歯車(はぐるま)だって欲(ほ)しけややるよ。」
けれどもポーセはだまって頭をふりました。息(いき)ばかりすうすうきこえました。
チュンセは困(こま)ってしばらくもじもじしていましたが思い切ってもう一ぺん云(い)いました。
「雨雪(あめゆき)とって来てやろか。」「うん。」ポーセがやっと答えました。
チュンセはまるで鉄砲丸(てっぽうだま)のようにおもてに飛(と)び出しました。おもてはうすくらくてみぞれがびちょびちょ降(ふ)っていました。
チュンセは松(まつ)の木の枝(えだ)から雨雪を両手(りょうて)にいっぱいとって来ました。それからポーセの枕(まくら)もとに行って皿(さら)にそれを置(お)き、さじでポーセにたべさせました。
ポーセはおいしそうに三(み)さじばかり喰(た)べましたら急(きゅう)にぐたっとなっていきをつかなくなりました。
おっかさんがおどろいて泣(な)いてポーセの名を呼(よ)びながら一生(いっしょう)けん命(めい)ゆすぶりましたけれども、ポーセの汗(あせ)でしめった髪(け)の頭はただゆすぶられた通りうごくだけでした。
チュンセはげんこを眼(め)にあてて、虎(とら)の子供(こども)のような声で泣きました。
ちなみに、言うまでもないけど、ポーセがとし子で、チュンセが賢治
読んでもわかるように、この「手紙 四」では賢治から「雨雪とって来てやろか」と、聞いてそれにとし子が「うん」と答えている
もうこの時、とし子はほとんど話せないくらいに弱っていたようだし、やはりこの「手紙」の通り、実際は賢治から雨雪をとって来てやろうかと聞いたんだろう
>>565 >賢治も断っているように、この詩はあくまでも賢治の内の心象風景だ
賢治自身がそう書いてるところを教えて。
まぁ一回落ち着いて序から読み直せよ
>賢治自身がそう書いてるところを教えて
「春と修羅」を読んでいないのがまるわかりだな
>>569 読んだけど、忘れてるんだろうな。
とにかくいろいろな本を読んでるから、印象に残ったものしか覚えていない。
もう一度読んでみるよ。
みっともない言い訳はやめませうね
>>568-569 あらためて読んだけど、「永訣の朝」が事実ではなくて心象だけで書かれているというところが見つけられなかった。
出し惜しみしないで、どこに書いてあるのか教えてくれないか?
なお、「心象スケツチ」という言葉で事実との関連を否定するのは無理だと思う。
>>571 うん。
言い訳でもいいけど、どこに書いてあるのか教えてよ。
「事実ではない」なんてどこにも書いていないし、「心象だけで書いてる」ともどこにも書いてないわけだが、頭は大丈夫かな?
どう読んでも、「思い出を、賢治が美化して詩に仕立てた」と書いてあるだろう?おまえはこんな意味すらもわからないのか…
「思い出」ーーつまり、実際の出来事を元にして、後からそれらを思い返し、そこに賢治の心象を重ねて、それらの思い出を詩的に表現した、ということだ
「春と修羅」を初めから終わりまですべて読んだ人ならわかってるだろうけど、ほとんどの描写が心象的に表現されている
喩えるなら、思い出の流れの畔にひとり静かに佇んで、思いに耽りながらその流れと戯れているような、そんな印象だ
>どこに書いてあるのか教えてよ
おまえはそれだから頭がずっと未発達のままなんだよ
甘ったれてないで、少しは、自分で、努力をしろ
ぐだぐだほざく前に、読み返してこい
「真空溶媒」なんかはじめから終わりまで心象というか、ほとんど妄想だろうな
まあ、逆に意味不明すぎて面白いけど
「やまなし」みたいなお話書いちゃう人だしね、ちょっと怖いところがある
>>574 それならいいんだ。
でもそれだとわざわざ心象風景だと強調する意味がないだろ?
というより、心象風景であっても現実的な表現を読む側が勝手に変えていいわけじゃない。
>思い出を、賢治が美化して詩に仕立てた
こう主張する根拠を質しているんだよ。
思い出を美化した、なんていう美意識のかけらもないようなレスがなぜ出てくるのか、ということだよ。
「心象スケッチ」という言葉を頼りに、美化であるか、悔悟であるかをそんなに簡単に決め付けることができると思ってるんだろうか、という疑問だよ。
>>575 提示できないのに、言い訳してるとみっともないよw
読み返したよ、って言ってるだろw
じゃあ、続きを書くよ。
・・・ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる
わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう
わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
特に説明が必要なところではないだろうね。
なぜここだけローマ字なんだろう、という疑問は出てくるけど。
茶碗は二人が使っていたものだ、ということはわかる。
ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ
ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ
この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ
(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる)
おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率の 天の食に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ
ここで不思議なのは、霙であったはずの雪が「どこも まっしろな」雪に変わってしまっていることだ。
「びちょびちょ沈んで」きたはずの霙が「うつくしい 雪」に変わっている。
霙ではアイスクリームにするのは無理があるが、雪ならアイスクリームでもいいだろうが、それを気にしてなのか「兜率の 天の食」と変えている。
「ふたわん」については、もめるといけないので省略。
いや、こいつはほんと頭がかなりおかしいな
心象風景だと強調するもなにも、書かれていることすべてを実際の出来事だと勘違いしてるおまえみたいな大バカがいるから、あえて断ってあげたわけなんだが
「思い出を、賢治が美化して詩に仕立てた」の根拠はすでに「手紙 四」で示してるわけなんだが、それすらもわからないらしいな
日本語すら読めないで、ただ言い訳を並べ立ててバカバカしい自己弁護しかできない大バカをこれ以上相手にするだけ無駄だな
>ここで不思議なのは、霙であったはずの雪が「どこも まっしろな」雪に変わってしまっている
>「びちょびちょ沈んで」きたはずの霙が「うつくしい 雪」に変わっている
だから、詩中の至る所に、そういう賢治の心象が反映されているとさっきから言ってるわけなんだが
実際には「びちょびちょの霙」だったんだろう、その記憶に残っている印象を思い返しながら、そこに賢治の詩的心象が美しい白い衣をかけて、
それが実際の記憶と絡まり合って、「うつくしいまっしろな雪」になったんだろう
もしこれでもわからないなら、もうさすがにお手上げだわ
どうも相手にする価値がまったく見出せないし
>>582 わざわざ、美化であるか悔悟であるか、と、ヒントまであげたのに理解できなかったみたいだね。
しかたがないね。
>>583 それだと、ついうっかり、みたいだねw
それじゃあ、賢治が詩の平仄も整えられない中学生みたいじゃないか。
超一流の詩人が何回も推敲を重ねているのに、そんなわけないだろ?
当然、美化とかじゃなくて、明確な意図があったはずだ。
その意図について僕からは説明しない。
君には、理解する気はないだろうから。
>>584 相手にしなくてもいいよ。
みぞれと雪は、もう一度自分で考えてね。
「ふたわん」は、いいや。
話にならんなこのチョンボ猿は
相手にする価値なし
よって以降スルー
最後にアドバイスをしてやると、
内容だよ、な・い・よ・う
以上
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ここがこの詩のすべてだろうな。
賢治とトシの関係が象徴されてる。
ただ、賢治がそう思った、あるいは思いたかっただけではなくて、賢治の社会への思いを、トシもまたより強くもっていたことを表現したかったんだろう。
いや賢治の文はどこをとっても考え抜かれている。
>ここがこの詩のすべてだろうな。
これは俺はあまり信じない。
賢治の思いというなら
>>581から引用すればクライマックスの
>(うまれで くるたて
>こんどは こたに わりやの ごとばかりで
>くるしまなあよに うまれてくる)
>おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
>わたくしは いま こころから いのる
>どうか これが兜率の 天の食に 変わって
>やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
>わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ
信仰を通して自分やとし子や世界を考えて、この世界(現世)を
変えるよう努力しその世界(彼岸、信仰)へ帰っていくという
普通の人とは逆転した、しかし西洋中東など世界の
大部分で信じられている一神教からみれば当たり前の
世界観が現れているこの部分だろう。
591 :
吾輩は名無しである:2014/01/30(木) 15:29:07.69
ちょっと・・・・・
宮澤賢治の宗教ってこわいんだぜ・・・・
それ、わかってんの?
592 :
吾輩は名無しである:2014/01/30(木) 15:31:13.79
それにこいつ、、春画のコレクターじゃんかw
一生親がかりの情けない奴w
作品は、、田舎くさいオノマトピアにうんざりげんなり。
もっとこの作家は冷静に批評したほうがいい
そんなつまんないことを書き込むためにわざわざスレを開いたのか?
どうせ開いたなら、作品内容を取り上げて具体的に批判してみせればいいのにな
まあ、頭が足りなくて到底できないだろうけど
594 :
吾輩は名無しである:2014/01/30(木) 21:49:00.81
詩なら、疾中がいい。
595 :
吾輩は名無しである:2014/01/30(木) 21:52:36.01
ミヤケンが親がかりだったことは事実。
シスコンだったこともね。
それから目をそむけてはいけない
シスコンと解釈したければできるぐらいだろう。
やっぱ頭がだいぶ足りないようだな
人のことより自分の頭の心配でもしといたほうが得策かと
598 :
吾輩は名無しである:2014/01/31(金) 05:19:54.47
こういうものがあった・・・・・
明日から実質的な研修医オリエンテーションがはじまる。最初のセッションはとっておきのネタだ。どこかの大学で,試験問題として採用してくれないだろうか?
問題。下記は,宮沢賢治の「眼にて云う」という詩の一節である。この詩は,死に瀕した患者が,目に入る景色を描写したものである。自分自身が血を吐きながら死に瀕している状況を想像しながら,カッコの中に適切な言葉を入れなさい。
眼にて云う
だめでしょう
とまりませんな
<中略>
そこらは青くしんしんとして
どうもまもなく死にそうです
( )なんと( )風でしょう
もう清明が近いので
あんなに青空がもりあがって湧くように
( )な風がくるですな
<中略>
血が出ているにかかわらず
こんなに( )で( )のは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
<中略>
あなた方から見たらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
わたくしから見えるのは
やっぱり( )青ぞらと
( )風ばかりです
599 :
吾輩は名無しである:2014/01/31(金) 05:25:17.22
死に瀕した時、このひとは底力を出すらしいですね・・・・
>>598 >この詩は,死に瀕した患者が,目に入る景色を描写したものである。
死に瀕したとは断定できない、このあと回復して詩を書いてる。
大量に喀血したんだろうね。
そういう穴埋めでは暗記物になる。当てはめた言葉で採点すれば
詩的センスの採点になり到底客観的な採点にはならない。
601 :
吾輩は名無しである:2014/02/01(土) 12:27:17.19
>>598 ↑
これは、ある医師がブログに書きこんでいたもの。
おそらく、患者の立場でものを見ることを教えるため
のものだろうと思う。
まあ、この作品を取り上げることが適切かどうかは別として。
「疾中」には他にも鬼気迫る作品が多数ある。眼にて云うは中でも衝撃的だった。
602 :
吾輩は名無しである:2014/02/01(土) 12:28:22.52
眼にて云ふ 宮沢賢治
だめでせう
とまりません「な」
がぶがぶ湧いてゐるですから「な」→な・があるとないとでは印象が大きく違う
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
603 :
吾輩は名無しである:2014/02/11(火) 07:19:10.69
おおざっぱに言って
春と修羅1−3は口語詩
↓
疾中 口語詩+文語詩⇒ターニングポイント
↓
一連の文語詩
となっている
604 :
吾輩は名無しである:2014/02/11(火) 07:20:45.83
文語詩は、口語詩と比較するとあまり研究されていない
数は多いのに。なぜだろうか・・・・
ひとひはかなくことばをくだし
八戸 などある。
605 :
吾輩は名無しである:2014/02/13(木) 19:15:58.52
606 :
吾輩は名無しである:2014/02/13(木) 19:18:10.56
ここの住人は、がんとして認めようとはしないでしょうけど・・・
賢治利権もあるみたいだし・・・・
607 :
吾輩は名無しである:2014/02/13(木) 20:01:01.40
なにいってんだこの低能
アドバイスしてやると、とりあえず作品を全部読んでから書き込みをしろ
608 :
吾輩は名無しである:2014/02/13(木) 21:05:13.79
あなたは、宮沢賢治の「全作品」を読んでるんですかw
膨大な量ですよ。それを読み込んでるんなら、605の書き込みに反応するのはおかしい
仮説の検証をしてるんだから。よってあんたはにせもの。
疾中は血の匂いがするし、砕石工場リーマン時代の詩にはうらぶれ感が。共感できる
609 :
吾輩は名無しである:2014/02/13(木) 21:06:55.19
607
では、ためしに、賢治先生の文語詩(S4年からの)について
問題提起してみなさい
610 :
吾輩は名無しである:2014/02/13(木) 21:10:58.09
このスレがしょうもないのは、いつまでも宮沢を偶像視してるとこ
もう、研究が進んで、予想外の凡人だったことバレバレなんだから
近年の文献よんでんの?これだからトーホグ人はだめなんだよなw
ホーシャノーまみれのイーハトー部w乙
611 :
吾輩は名無しである:2014/02/13(木) 21:15:33.72
いい加減宮沢利権を手放したら?
隠ぺい体質、のおかげて突っ込んだ研究できにくいらしいじゃんか
あまりに神聖化されちゃって、ほんとのこと言い出しにくい空気がある
宮沢氏がなにひとつ全うできなかった人、高学歴ニートの走りだということは否定できん
30過ぎても定職つかず、せっかくの教職も年度待たずにいきなり止める衝動性
精神病理学的に興味深い対象なんだよ
612 :
吾輩は名無しである:2014/02/13(木) 21:17:39.40
さて・・と、では607、文語詩について最近の研究に言及しつつ
述べてください。作品はなんでもいいです。
できるよね、全部読んでおられるんですからw
613 :
吾輩は名無しである:2014/02/13(木) 23:41:46.59
いきなりどうしたんだこの猿すけ
すごい発情っぷりだな
614 :
吾輩は名無しである:2014/02/13(木) 23:46:25.00
まあなにかよっぽどくやしかったんだろうな
なに?言及?なにが悲しくて猿すけのためにいちいちそんなこと書かなきゃならんのよ
つべこべ言わずに全作品読んでこいよ猿すけ
以上
サルトビサスケ、というと猿飛佐助だな、うん。
616 :
吾輩は名無しである:2014/02/14(金) 21:13:36.93
で、文語詩についてなにかコメントは??
研究がすすんでない分野だろ?
レッテル貼りするのは工作員だと言ってるようなもんだぜ
もしかして、読んでないの、え?え?
宮沢が最晩年死を目前にして、必死で最終稿まとめたのに150編くらいかな?
なのに、読んでないとは・・・・
あと思ったんだが、賢治とよばれても、宮沢とはよんでもらえないんだよな
川端、谷崎 芥川 横光 高村 荻原 などは名字で呼ばれるのに
なぜだろう。だれか分かる人いる?
賢治の実像を知ると何か良い事があるのですか?
618 :
吾輩は名無しである:2014/02/14(金) 21:25:19.80
全作品を読め、とか読んだと言ってる人。
君らは、おもに若いころ詠んだ短歌も眼をとおしたのか?俳句は?
宮沢の作品と一口にいうが、最終稿のほかにも、たくさんの改訂があるが
それらにくまなく眼をとおしたのか?比較してどう感じた?劇のシナリオは?総数でいうと膨大だ。
できていないだろ?
あまり、できもしないことを言うもんじゃない
619 :
吾輩は名無しである:2014/02/14(金) 21:29:11.62
長くなるから、わけて書きこむよ
エスペラントの詩(文法的にミスが多いが)もあるし
作曲までしている。これらも宮沢の作品であると言える
それらに眼をとおしているのか?
軽々しくものを言わないことだね。
620 :
吾輩は名無しである:2014/02/14(金) 21:39:49.04
617
先入観なしに批評できるのでは?
さて、全作品を読めと指図した人に尋ねる。
宮沢の英語力はどの程度だったと思う?ただしアウトプットに限る。
読んでる人にはわかる
621 :
吾輩は名無しである:2014/02/14(金) 22:19:40.75
だからさ、ごたごた言い訳をする前に全作品読めってさ
以上
622 :
吾輩は名無しである:2014/02/14(金) 22:29:32.01
「春と修羅」の「永訣の朝」などで完全論破されて悔しいのはわかるけどさ
悔し紛れに表面的な年譜や作品の概要を調べて薄っぺらのグーグル知識を恥ずかしげもなく知ったかぶりしてひけらかしていても何もならないんだぞ
623 :
吾輩は名無しである:2014/02/14(金) 22:30:48.61
な?わかったら、キイキイ喚くまえにまずは全作品を読んでこい
以上
624 :
吾輩は名無しである:2014/02/15(土) 06:44:38.11
貴方たちは読んでないんですね・・・答えられないわけだ
しかもまともな仕事もしてない。
ニートさんか。さすが宮沢オ田、宮沢の人生を地で逝ってる
すばらしい、わたしは到底まねできない。
回答 「神田の夜」に英文がある
初歩的な文法ミスがある
be動詞を人称変化+一般動詞の原形を用いている、中学校レベルの文法ミス
3単元でsをつけていない これも中学校レベルの初歩的ミス
直接話法であるのに、引用符がついていない
以上を詩の中でおかしている。英語力が普通にあるなら、このようなミスがありえない
ライティングでこのようなミスをするということは
スピークングではどうだったか推して知るべし
英語力は高校入試おちるレベルかと推察されますが。これは仮定なので検証に耐えうるかは未知数
最後に私は「永訣の朝」の論戦には参加してないよ。ではね。ニート諸君。がんがれ
625 :
吾輩は名無しである:2014/02/15(土) 07:01:50.60
訂正
このようなミスが×⇒このようなミスは○
スピークング×⇒スピーキング○
宮沢が死に直面したり、実社会にでてリーマンとして働いた時代に生まれた詩
これは真実を感じる。感情が飾られずストレートに表現されているからだ。
理屈も解釈もいらない。これに私は共感を覚えるが。邪魔してわるかったね。この書き込みを最後にする。
ん〜なんだろうな。あまり文学好きでないのかな。
いや精読をしたことないタイプか文芸評論読まないタイプか。
感情的すぎるのかコミュニケーションが下手なタイプか。
まあ俺は当事者ではないしもうあらわれないといってるんだからどうでもいが。
なんだかかわいそうな猿すけだな
例によって以降スルー
628 :
吾輩は名無しである:2014/05/10(土) 22:06:13.83
オフしませんか?
小岩井農場で?
630 :
吾輩は名無しである:2014/05/15(木) 20:21:06.98
西日本で^^;
とにかく喧嘩はよしましょう
…つまらないから。
632 :
吾輩は名無しである:2014/09/21(日) 12:04:26.00
今日はあげとこ
633 :
吾輩は名無しである:2014/10/02(木) 11:03:33.51
火山弾にとっての論理は人間界とは違う
635 :
吾輩は名無しである:2014/10/02(木) 20:29:34.84
ある死火山のすそ野のかしはの木のかげに、「ベゴ」といふあだ名の大きな黒い石が、永いことじぃっと座ってゐました。
「ベゴ」とその仲間は火山からとびだした時に四十八人の人間のいのちをうばったのでした。
636 :
吾輩は名無しである:2014/10/05(日) 10:56:30.85
死者増えた。
増えたんじゃなくてな
『銀河鉄道の夜』のザネリがジョバンニに意地悪してたのは
ジョバンニの父親が蟹の甲羅だのトナカイの角だのを学校に寄贈して
たぶんその時に生徒の注目を集めたり先生に褒められたりしただろうジョバンニに嫉妬してたから
というのもあるんじゃないのかな
639 :
吾輩は名無しである:2014/11/03(月) 11:02:40.36
この人、絶賛されてるけど文章下手じゃない?
銀河鉄道の夜はまだ読めたんだが。今読んだ「風の又三郎」
はすごい読みづらい。なにが起こってるのか良くわからないよ。
馬が逃げるくだりと発破漁のくだり。
風の又三郎って有名だから読んでみたけど。ドコが良いんだろう。
同じ文庫に入ってた「蜘蛛となめくじと狸」の方がラストの突き放した感じは
良かったと思うけどね。
宮沢賢治は文章が売りの作家じゃないからな
「読むのではない、感じろ」
書いてる本人すら何を書いてるのかよくわかってなかったのも少なくないんじゃないかな
多少、奇を衒ってるとこがある作家だからね
ほとんど無名だったから、体裁構わずになんでも思いつくままに書き留めてようなのが作品のほとんどだし
なんでこんなに神格化されたんだろう?宮沢賢治。
神格化なんかされてるか?
一部に熱狂的なファンがいるのは知ってるけど、神格化されてるとは思わないな
>>641 >書いてる本人すら何を書いてるのかよくわかってなかった
そんなことはないだろうw
ただ、自分の思いと書かれた文章との乖離がつらかったかもしれないが。
詩人というのはみんなそうじゃないかな?
「やまなし」や「猫の事務所」あたりを読んでもこの人の文章が下手だと思うなら
むしろそう思う自分自身の日本語に対する感性を疑った方がいいと思うぞ
改行ばかりで わかりやすい よみやすい
現代エンタメ しか 読んでないんだね
>>647 現代エンタメは、字の大きさだって、いろいろ変化に富んでるし。
文章と絵が融合して、絵草子が復活するのも遠くない。
夏目漱石の「こころ」とかもっと読みやすかったと思うんだが。
時代が古いから読みづらいというわけではなく。宮沢賢治の文体が
普通じゃないんだよね?
携帯小説とムラバルゲスの読みすぎ
こころを旧仮名で読めば
>>639 宮沢賢治は童話なんだけど。
童話が読めないってどういうレベルの人間なんだろう?
小学校の時から読んでいるけど読みづらいなんて思った
事無い。
今じゃわしゃ老眼で全ての文字が読みづらくなったわい。
>>639 >風の又三郎って有名だから読んでみたけど。ドコが良いんだろう。
謎の少年が引っ越してきて短期間でまた引っ越したけど。
その間の少年の間での交流を描いた少年小説じゃないか。
子供同士のやりとりとか山奥で迷子になった下りとか結構
好きだな。
今の自称児童文学は
行空けを平気でやり
一文ごとに改行しまくり
ほぼ「」の台詞ばかり
だからね
風の又三郎と言えば、
「戸棚から冷たいごはんと味噌をだして、まるで夢中でざくざく食べました。」
の味噌って普通の味噌なんだろうか?食べてみたい。
まるで 夢中で
とは間違った日本語。
まるでってことは夢中じゃない。
>>656 夢中、というのを字義通り、夢の中、とすればおかしくないと思うな。
658 :
吾輩は名無しである:2014/11/19(水) 23:17:33.05
銀河鉄道の夜
と
風の又三郎
読んだが。後は「注文の多い料理店」ぐらいか?この三つ読めば
だいたい宮沢賢治は読んだっていっても差し支えないレベルなのかな?
ていうかこの三つの作品、文庫本で違うのに収録されてるんだよなあ。他の短編いらないから
みっつあわせて文庫にして欲しかった。
>>658 やっぱり、詩も読んだほうが面白いんじゃないかな。
青空文庫
661 :
吾輩は名無しである:2014/11/20(木) 13:21:18.17
どんぐりと山猫、やまなし、オッペルと象、グスコーブドリの伝記、猫の事務所
色々あるのにな。
「2ちゃんねるのなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないカキコのようなのが、
いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」
有名な批評家で賢治嫌いっている?
664 :
吾輩は名無しである:2014/12/12(金) 00:11:27.63
いるよ。理系特有の無機質さを嫌っている。
無機質って・・・
キャラクター性がないってことなら
ラノベでも読んでろって感じ
666 :
吾輩は名無しである:2014/12/18(木) 20:45:12.99
祭の晩が銀河鉄道の夜の次に好きです
667 :
黒虹髭長髪偶結公:2014/12/18(木) 20:49:56.04
999の方が原書に近いな。
加齢臭ムンムンのくっさいくっさいバブル世代・団塊世代の特徴
●自分たちより前の世代の努力のお陰で日本経済が高度成長し、就職、学業などになんの努力もせず上手くいったため甘やかされ役に立たず、日本を借金まみれにする
●酒(特にビール)、テレビ、マスコミ、エロ週刊誌、風俗、痴漢、パチンコが大好きで週に一度は性犯罪を犯す
●タバコや酒や加齢で体臭と口臭がキツく脂まみれのメタボ体型
●精子、卵子、羊水が老化し子供を作れない無能
●ゴキブリのように数ばかり多く少子高齢化社会のお荷物
ここまで一通り読んでてすごい興味があるんだけども、皆、どういう文献読んでます??
校本は確かに大事な資料だとは思うけども、他におすすめな書籍やサイトがあったら教えてほしいです。
俺は菅原千恵子さんの「宮沢賢治の青春」。保坂カナイにかなり偏った内容だったけども、
逆にそこに絞り込んだ考察がとても新鮮だった。
>>668 なんだか知らないが、よほど団塊に劣等感を持ってるんだね。
たしかに、知識も教養も生活の豊かさも、君では団塊世代に勝てないんだろうな。
でも、心配要らない。
君が負けてるのは、団塊世代に対してだけじゃなくて、すべての社会人に対してだから。