1 :
やれやれ、僕は名を失った:
2 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/17(金) 09:40:17
トルストイが著書の中でしばしば批判している土地の私有制度だけど
この頃の土地制度では私有地にかかる税金はなかったということかな?
トルストイの批判を読んでいると、どうもそんな印象があるんだけど
王が国を支配するように貴族は領地を持つことができた
売り買いをするときは税金とかかかったのかね?
じゃあ現代のほとんどの国の土地制度は、
トルストイが傾倒したヘンリー・ジョージの説に近いものになってるってことかな?
2010
没後100周年のトルストイ
そうだったのか
7 :
やれやれ、僕は名を失った:2010/09/23(木) 13:31:17
アンナ カレーニナを若き日のカトリーヌ ドヌーブと重ねて
読んでいる自分は間違ってないですよね?
アンナはヴィヴィアン・リーだな
10 :
吾輩は名無しである:2010/09/23(木) 22:16:09
じんわりくるいい映画だった。
パンフの解説は沼野さん。
おすすめ。
☆ギブミーチョコチンポ!
チンポをください! 兵隊さん!
もしも チンポをくれたなら、
お礼に オマンコを さしあげます*
*ギブミーウンコボーロ!
兵隊さん! ウンコボーロを恵んでくださいな!
ギブミーチョコチンポ!
チンポをください! 兵隊さん!
もしも チンポをくれたなら、
お礼に ケツマンコ汁を さしあげます*
☆ギブミーゲリーライス!
兵隊さん! ゲリーライスを恵んでくださいな! ☆
*ギブミーウンコフォンデュ!
兵隊さん! ウンコフォンデュを恵んでくださいな! ☆
ギブミーチョコチンポ!
チンポをください! 兵隊さん!
もしも チンポをくれたなら、
お礼に こうばしい膣屁を さしあげます*
どうか かいでみてください☆
戦争と平和読もうと思うんだけど新潮文庫でいいよね?
13 :
吾輩は名無しである:2010/09/29(水) 00:49:59
あの工藤訳はサイコー。だが、木村訳の『アンナ・カレーニナ』は
良くなかった。だから、『アンナ』は集英社の工藤訳を買い増した。
工藤訳は掴んだら離さない魅力があるね
15 :
吾輩は名無しである:2010/10/08(金) 09:35:49
ロシア語の翻訳では工藤と小笠原が好き。
16 :
吾輩は名無しである:2010/10/10(日) 19:33:09
近所の本屋は何処も新潮のアンナ・カレーニナしかないけどどうなんかね
やっぱ訳でかなり違ってくる?
17 :
吾輩は名無しである:2010/10/10(日) 23:25:37
長い小説だから、そう何度も読み返すものでもない。
翻訳は数種類同じ箇所を読み比べて慎重に買った方が良い。
私はここで紹介してもらった中村訳でアンカレ読みました
とても満足しました。
19 :
吾輩は名無しである:2010/10/11(月) 00:52:48
中村融も安心できる訳者だな。
親子共々、優れた翻訳者だ
21 :
吾輩は名無しである:2010/10/11(月) 10:52:01
昔トルストイ全集を出した中村白葉が父だね。
男と女の沼野さんがいるのは夫婦?親子?兄弟?
米川正夫、米川哲夫、米川良夫、米川和夫の関係はどうなっているんだ?
24 :
吾輩は名無しである:2010/10/15(金) 15:08:16
沼野は夫婦。
米川は正夫が父で、他の3人がその息子たち。
角川文庫版の『ロシヤ文学史』こうた。
26 :
吾輩は名無しである:2010/10/15(金) 15:27:30
トルストイってなんか腰を回転させて踊ってるような名前だね。
それはツイストだ
ストしかあってないだろ
回ってそうな感じがするのは分かる。回文っぽいし
29 :
吾輩は名無しである:2010/10/15(金) 18:10:56
アホの一言感想はいらない
30 :
吾輩は名無しである:2010/10/15(金) 19:17:26
上から読んでもトルストイ、下から読んでもトルストイ
あれ?
おさむちゃんで〜す。
そうなんですよ、川崎さん。
多分トルネードも混じってるな
32 :
吾輩は名無しである:2010/10/15(金) 19:26:30
くだらんレスが続いてるな。
33 :
吾輩は名無しである:2010/10/15(金) 19:49:08
ドストエフスキーは男の世界を描くのうまい
トルストイは女の世界を描くのがうまい
だからトルトエフスキーだと完璧
要するにツルゲーネフ最強って事か
でもちょい小者w 茫漠としてたり狂っていたりがチト足らない。
うん、だからね。チェーホフ最強ってことで。
――いくらかはあれ、神西訳のせいもあるかもしれんね(苦笑
読み手の無能っぷりはおいても。
>>33 ドストエフスキーとトルストイはだんだん評価が逆転して、今やドストエフスキー優位になったな。
理由は読者数の圧倒的な差。
2chのスレッド数もさることながら、ミクシーなどではコミュ参加人数がすごい差となっている。
日々議論がなされるドストエフスキー・コミュに対して、トルストイ・コミュは書き込みが数ヶ月に1回という廃墟の状態。
2005年に立ったトピックが未だに100いってないとか、酷いありさま。
上記のとおり一般的にトルストイの読者数は非常に少なくなってきている。
しかしそれ以上に酷いのが読者層の質。
こういう現状を「スイーツ(笑)にはトルストイのことは理解できまいw」と上から目線で切るヤツラばかりが目につき、他の作家ファンをドン引きさせている。
ダンテやゲーテの愛好家はひっそりと語り合っているから良いのだが、トルストイ読者はなぜかアピールしたがるようで不思議だ。
ライバルと見なされるドストエフスキーの小説の売上の好調さ、ドストエフスキー学会の盛況などに嫉妬する心があるのかもしれない。
(トルストイ学会はもはや単独では成り立たず、本国ロシアですら盛り上がっているドストエフスキー学会に協力を要請し、一緒に開催させてもらっている)
38 :
吾輩は名無しである:2010/10/16(土) 13:33:43
「私はペテルブルクへ旅をする機会を得た。『アンナ・カレーニナ』をもう一度
読んでみる。すると今度は、ひたむきに生きるアンナの魅力に取り付かれてしまった。
…ネヴァ河のほとりに立って、私はアンナをいとおしく想い、スクリーンで
演じてみたいと願った。」 吉永 小百合
39 :
吾輩は名無しである:2010/10/16(土) 23:17:23
>>37 こ こ は ト ル ス ト イ を 語 る 場 所 で す
俺はドストもトルストイも両方すごいと思うがな
40 :
遊 ◆hllFHjdxX. :2010/10/17(日) 00:01:48
ドストは長編がよい
トルストイは短編がよい
これは好みの問題でもあるけれど、
達観し過ぎた人が長い物語を書くと、読んでいる内に鼻についてくる
わたしは個人的にドストを作家、トルストイを啓蒙家に区分している
41 :
吾輩は名無しである:2010/10/18(月) 01:26:49
2人ともトを2回使う名前だと発見したぞ。すごいな、俺。
42 :
吾輩は名無しである:2010/10/18(月) 18:17:04
アンナ・カレーニナ下巻最後のクライマックスに入りました。
アンナ、あなたは、どうしてそんなに正直で純粋なんですか?
読んでいて苦しくなりました。
こんな古典なんかと舐めてましたが、どんな時代になろうとも永遠のテーマであることを思い知らされました。
アンナはただのビッチ
その後の第8編が個人的には珠に瑕かと。
45 :
吾輩は名無しである:2010/10/18(月) 21:50:24
アホコテ登場
46 :
吾輩は名無しである:2010/10/19(火) 18:51:54
トルストイは最終章8編のためにアンナカレーニナを書いたんだなと思ったわけです。
人間は、日常でちょとした諍いを繰り返すが、バックボーンに善なる魂を持てば、宗教を超えて
内なる神に近づけるということですか?
47 :
吾輩は名無しである:2010/10/20(水) 00:26:31
アンナ・カレーニナが大好きだ。
ところで同姓の作家A・K・トルストイてどうなんだろうね。
白銀公爵とか読んでみたいが。
『白銀公爵』も『ドン・ジュアン』も面白い。
もっとも、岩波文庫に納められた作品しか読んだこと無いが。
時代がずっと下がるアレクセイ・N・トルストイは中央公論社の赤い全集で『苦悩の中を行く』を読んだが、
共産党支配下の文学なので、当然つまらない。
49 :
吾輩は名無しである:2010/10/20(水) 19:59:51
>>48 A・Kはおもしろくて、A・Nはいまいちだったか。
伝奇小説ぽいの好きだし、白銀公爵、読んでみよう。
50 :
吾輩は名無しである:2010/10/22(金) 06:51:40
アンナは、才色兼備の結構安定した人格だと思っていたら、急に嫉妬に狂う妄想女になり
トルストイはアンナを自滅させてしまった。あの死に方は似合わないと感じました。
自分の体を傷つけないと思うのだが
早い段階で轢死描写があったから予定通りなんじないかな
52 :
吾輩は名無しである:2010/10/22(金) 18:29:22
アンナが実在の人物だとしたら絶対轢死は選ばなかったと思う訳です。
美しいままで死にたいと思うのが女心じゃないかな?
列車轢死事件をモチーフにしてるから仕方ないのかな?
評判の良かった人物が狂って、どん底になるて設定が切ない。
今もエリートで自殺してしまう人が結構いるよね。
源氏物語の柏木も評判も良く上昇志向の強い貴公子だったのに
自滅していくよな。
54 :
吾輩は名無しである:2010/10/22(金) 21:26:03
スレッド40にも書かれているように、一般的にトルストイは啓蒙的な作家と考えられているが本当に
そうだろうか?例えば私は学生時代に『光あるうちに光の中を歩め』を読んだ。ちょっとうるおぼえ
だがその内容はたしか原始キリスト教の生活にもどれ、という内容だったはずだ。文明的な生活を捨
てて結婚相手も他人が決める。愛に基づく恋愛などは認めない。『クロイツェルソナタ』ではふとし
たはずみで妻のある男がある女と関係を結び破滅する物語を通して絶対の純血をすすめる。どの書物
で読んだのかは忘れてしまったが理想のためなら子供をつくる必要はない等。機関車をはじめとする
文明開花の流れの中で、時代に逆行するような、というよりほとんど正気の沙汰とは思えないことを
述べている。だから、トルストイはある意味でドストエフスキーと同じかそれ以上の狂気の作家とい
えるかもしれないのだ。
アンナカレーニナも啓蒙的大作だね。
クロイツエルソナタは変態ぽくて好きだな。
56 :
吾輩は名無しである:2010/10/23(土) 17:03:45
ヤマギシ会って、トルストイの理想を実現しようとしてるのかな?
違うとは思うが、凄い似てる。
57 :
吾輩は名無しである:2010/10/23(土) 22:33:02
たしか理想のためなら子供をつくる必要はない、そのためなら人類が絶滅してもかまわないとまでいっ
ていた。あんたそれ本気かよ!(笑)
58 :
イタリア研究会:2010/10/23(土) 23:27:50
>>46 > トルストイは最終章8編のためにアンナカレーニナを書いたんだなと思ったわけです。
私もそう思います(露土戦争については、国際情勢への関心から急きょねじ込んだのだと思いますが)。
「戦争と平和」も自分の歴史論の正しさを主張し、歴史家を攻撃したいがために書いた、と見ることもあながち間違いじゃなさそうです。
あのあまりに長すぎる歴史論が無ければ「戦争と平和」は完璧な作品。
編が移るごとに歴史論が書かれ、その歴史論を証明していくかのように、小説は進行していく。
>>54 うるおぼえ × うろおぼえ ○ ですね。
トルストイがドストエフスキー以上に狂気の作家だということは、私も同意です。
理由は上記のとおり。
ドストエフスキーはトルストイと同等以上に露土戦争への関心を持っていたことが「作家の日記」から分かりますが、小説には持ち込みませんからね。
59 :
吾輩は名無しである:2010/10/24(日) 01:00:31
なんかルソーに影響受けた奴って良くも悪くも極端な傾向に走るな。
ロベスピエールしかり、トルストイしかり、近年ではポルポト。
>>59 そのことについて、エドマンド・バークの「フランス革命の省察」に面白いことが書かれていた記憶があります。
記憶を元に引用。
「本国より密輸したものを他国で好き勝手に作り直し、また逆輸入した。そんな代物」
主旨としては概ねこのようなことを言っています。
どういうことかと言えば、本国(イギリス)より輸入した本物の自由思想(ジョン・ロック)をフランス(ルソー)が独自に拡張し、それにイギリスのトーマス・ペインやプライスなどの共和主義者が飛びついた、ということです。
エドマンド・バークって、アレじゃん
>>62 いつの間にやらこういう感じで定着していまして・・・
今更変えられないからこれで通してますw
俺さっきイタ研と喋ってたよ。別のコテだけど。スレ汚しすまん。
そうなんですかw
すごい驚きです。全く別人物に見えます。
変な話だけど、鈴木さんには敬語であっちではタメ口でもいいでしょうか?w
狸さんと同一人物って指摘があったけど、これで別人だと分かりました。
あの人は英語が出来るはずなので。
もちろん構いませんよ。俺はイタ研に訊きたい事が沢山あるぜ!訊かないけど。
アンナ・カレーニナは光文社古典新訳文庫で読んだけど評判悪いの?
68 :
吾輩は名無しである:2010/10/27(水) 17:53:54
戦争と平和読もうかと思ってる。
藤沼貴と工藤清一郎どちらの読んだほうがいいのかな?
69 :
吾輩は名無しである:2010/10/27(水) 21:40:19
藤沼貴訳のトルストイの民話(副音館書店)を愛読しているがすばらしい訳だと思う。箱後側に小学生
上級以上と書かれてあるが自分の精神年齢にぴったりだ。(笑)『火をほうっておくと、消せなくなる
』『人間にはどれだけの土地が必要か』『イワンのばかとそのふたりの兄、軍人のセミョーンとたいこ
腹のタラスと、口のきけない妹マラーニアと、大悪魔と三びきのちび悪魔の話』等傑作揃い。たしか小
林秀雄だったと思うが、文章は頭で書くんじゃない、運動神経で書くんだといっていた。初期の佳作『
コザック』を読んでもわかるとおり、トルストイは乗馬の名人だった。その意味で彼の運動神経で書か
れた文体は簡素ながら小気味よいリズムを保ち、読後にもう一度読みたいと思わせる。「ツルゲーネフ
を読んでいる時はツルゲーネフを読んでいると意識しているが、トルストイを読んでいる時はただ面白
いから読んでいる」とナボコフが言っていたと思うが褒めすぎか?
70 :
吾輩は名無しである:2010/10/28(木) 21:08:05
>>68 工藤って新潮文庫だっけ
他の訳読んでないからわからんが、新潮文庫はまあまあ良かったと思う
確かにトルストイ読んでる時は戦争と平和以外作者のこと忘れて物語に入っていけるかも
アンナカレーニナとかいい例
短編民話はかなりの傑作ぞろい
アンカレの岩波文庫の解説はすごく良かった
私語だけど、2chねらーとトルストイって矛盾してるよな?
71 :
吾輩は名無しである:2010/10/29(金) 06:34:47
>>70 2ちゃんねらーは、しらばか派とか、あららら派とか呼ばれて文学史で区分されている。
72 :
吾輩は名無しである:2010/11/03(水) 16:25:50
今週のNewsweek日本版がロシアで冷遇されるトルス
トイについての記事を掲載。没後100周年の今年、
ロシアでトルストイを讃える記念行事は一切なし。
記事の中で、文豪の末裔がその理由を解説してる。
ノーベル賞取れなかったのと同じ理由でしょ?
74 :
吾輩は名無しである:2010/11/03(水) 23:23:19
戦争と平和は米川正夫訳の岩波文庫、アンナカレーニナは木村浩訳の新潮文庫
を持っている俺は負け組かな…
75 :
吾輩は名無しである:2010/11/03(水) 23:32:11
俺の好きなナボコフと辻原登がドストを嫌っていて、トルストイを認めている
のを知った時は、なんだか嬉しかった。
ナボコフのドスト嫌いはちょっと異常。
もし同時代人だったら、ナボコフはドストに告白して拒否られたんじゃないか、くらいに思われそう。
77 :
吾輩は名無しである:2010/11/04(木) 20:56:12
小林秀雄はてっきりドストエフスキー派だと私は思っていたが、先日小林秀雄全作品19(新潮社)を
読んでいてちょっと驚いた。「若い人々から、何を読んだらいいかと訊ねられると、僕はいつもトル
ストイを読み給えと答える。すると必ずその他には何を読んだらいいかと言われる。他に何にも読む
必要はない、だまされたと思って『戦争と平和』を読み給えと僕は答える。」あんた一体どっちなん
だよ!(笑)そこへいくとナボコフははっきりトルストイ派だ。ドストエフスキーも良いし、トルス
トイもすばらしい、と言われたって面白くも何ともない。好き嫌いをはっきり言うのがナボコフの売
りというか面白いところだと思う。
ナボコフの場合は、ちょっと、同属嫌悪っぽいものを感じる。
79 :
吾輩は名無しである:2010/11/04(木) 21:53:03
ナボコフの場合、フランス文学でいう「エクリチュール」に対する執着が強いと思う。当たり前の事で申し訳
ないが小説を読む時は書かれた文を読むのだが、人は案外文以外のものを付け足しして読んでいる。描写=記
述から外れて思想やテーマを読み取ったり、そこに深層心理をさぐったりする。例えば『ロリータ』を読んで
ロリコンだのマザコンだのと書かれてもいないことを読み込む。カフカの小説を精神分析したりもする。ナボ
コフはそのような事が大嫌いな人なのだ。あくまで書かれた文に留まり続ける、というかそれ以外に作品はな
い。そのような目で見るとドストエフスキーの小説には「思想」とか「深層心理」とかがありすぎる。(笑)
事実、彼の研究書はそのようなものばかりだ。だから彼にはドストエフスキーは合わないのだ、と思う。でも
トルストイにも「思想」があるじゃないか、と思われるかもしれない。(笑)話が長くなってしまったので一
回切ります。
辻原登ってドス嫌いなの?
吉田修一の悪人絶賛するのにドスみたいだって書いてたぞ
米川さんの旧訳の戦争と平和で挫折した漏れですが
最近藤沼さんの新訳が読みやすくなって助かってます
ドストエフスキーとトルストイどっちが良いかと尋ねられたらトルストイと答えるな。
ドストエフスキーの方は昼メロっぽい感じがするのに、対してトルストイのほうがリアルな人間感情を書いている感じがするから。
83 :
吾輩は名無しである:2010/11/05(金) 00:25:03
選集の戦争と平和が近くの古本屋に出てるんだけど、買おうか迷ってる。中村融訳って、どうなの?
>>83 河出のトルストイ全集は、中村白葉と中村融(義理の親子)の訳。
察して知るべし。
87 :
吾輩は名無しである:2010/11/05(金) 18:58:24
ドストエフスキーは、強烈で面白いんだけど、フィクションとして理解するが
トルストイの物語は、あたかも実際にあったかのようで、実在の人物として
感じさせる力があるから不思議だ。
トルストイは現在あまり評価が芳しくないが、いつかまたドスト以上に再評価されるかも?
もうドストエフスキーの話はやめてくれ
若者に勧めるならトルストイだろ。ドストなんか若い内から読んでたら捻くれ者になる
ドストの読みにくい文章に四苦八苦して文学嫌いになるやつもけっこういそう
明日の21時からLaLaTVで「戦争と平和」始まるね
2007年イタリアのドラマらしい。
92 :
吾輩は名無しである:2010/11/06(土) 14:14:56
『戦争と平和』が気に入ったなら、『世界終末戦争』も読むべし。
93 :
54:2010/11/06(土) 18:30:08
特に愛書家でもない私は小説を文庫本か古本で読んでいるのだが、古本屋で『アンナ・カレーニナ』の
解説を立ち読みしていた時であった。解説の後には年譜が載っていた。ぱらぱらページをめくっている
と『十二月党』起稿とある。しばらくあとに長編小説『十二月党』を未完成のまま断念する、とある。
『戦争と平和』と『アンナ・カレーニナ』に重なる時期に構想されたこの作品のことが私は気になっ
てしかたがなかった。未完成でもその内容を知りたくなった。12月党は皇帝暗殺及び農奴制廃止を
目標としたグループであることを知り、たとえ完成したとしてもこんな内容の作品が発表できたのだ
ろうか?日本でいうなら天皇暗殺の小説を発表するようなものだ、と思った。気になって気になって
しかたがなかったがそのうち忘れてしまった。(笑)幾年月もたち、偶然このスレッドに書き込みを
したら昔のことが思い出されてきた。小説はおおかた引越の際に処分したので手元にはないはずであ
ったが実家に『戦争と平和』があり今その年譜を見ながら書き込みしている。昨日、図書館でトルス
トイの日記を調べてみたら「1904年4月5日(76歳)デカブリスト(十二月党員)のことが書きたい」、
とあった。「注1・トルストイがデカブリストのテーマにとりかかったのは二度ばかりある。63年と77
年78年。しかし現存しているのは広汎に計画の練られた長編小説の発端だけである。」最初に構想され
てから41年も経っている。やっぱり彼は狂気を秘めた作家だ。話が長くなってしまった。くわしい人の
教えを乞う。
94 :
吾輩は名無しである:2010/11/06(土) 20:40:38
トルストイとドストエフスキー関係あるの?
いつも、ドストエフスキーとの優劣が取り上げられるんだけど。
トルストイは、ドストエフスキーとの比較でしか論じられないのかな?
トルストイは、ドストエフスキーに寄生しているぬえなのか?
トルストイは、ドストエフスキーをこき下ろすことでしか話題にならないのか?
95 :
桁義:2010/11/06(土) 20:42:05
俺、ここにいるそ!いるそ!
96 :
吾輩は名無しである:2010/11/07(日) 11:49:47
トルストイは異常なまでにドストを警戒していたらしい
文学者の集まりでも、一定の評価はしながらなかなか直対面はしようとしなかったということだ
97 :
吾輩は名無しである:2010/11/07(日) 12:03:29
IP
98 :
吾輩は名無しである:2010/11/07(日) 12:38:41
IPIPIPIP
99 :
桁義:2010/11/08(月) 20:36:35
俺の出番はまだか?
初めからなかったのか?
100 :
桁義:2010/11/08(月) 20:39:45
俺が仕掛けたのに、どうして俺の出番が来ないんだ!
101 :
吾輩は名無しである:2010/11/09(火) 17:01:17
映画(終着駅)みたけど、全編英語なのには興ざめしたな。
>>91のドラマ一回目見たけどナターシャがかわいくない
何も考えずに岩波の戦争と平和買って今二巻目の最初の方読んでるとこだけど
さっき新潮のを本屋でパラパラっと見てみたらやっぱり全然訳の雰囲気が違うな
今読んでるこの藤沼訳って評判どう?ランヌ元帥がランになってた辺りでちょっとどうなのって思ったけど
モコは前に「芸能界の厳しさ教えます!アブナイ有名人 大集合スペシャル!」
というテレビを見てました☆
北斗晶が ドッキリのワナにハメられた! *
生意気なアイドル ナナちゃんが 司会進行をするウソの番組に
北斗晶が出ることになった☆
しかし そのナナちゃんは 遅れてきて あやまりもしなければ
本番中にトイレに行ったり トイレから出てきた後にタバコをすったりして
無礼の限りを尽くしたのです。
本番が終わると…北斗晶が そのナナちゃんに説教した*
「座れ!!!
今のうちに直しといたほうがいいから 言っておく!!!」
と…チヤホヤされて浮かれているアイドル ナナちゃんに
北斗晶が ビシッ!と芸能界の厳しさやルールを教え込んだのだ*
これには こっちまで 背筋がピン!とする思いになりました。
このリアルな北斗晶の説教に テレビを見ているモコまでが
ビックリしたのです☆
見てるモコまでが 芸能界の厳しさを イヤというほど思い知らされました☆
そして これによって 北斗晶という人間の大きさと強さとが
浮き彫りにされたのです*
あらためて 北斗晶はスゴイ!と感じました。
プロレスという厳しい世界を生き抜いてきた北斗晶だからこそ
芸能界の厳しさも知っているのです☆
北斗晶には 何度も 何度も 修羅場を くぐり抜けて来た者にしか出せない
「凄み」がありました*
106 :
吾輩は名無しである:2010/11/16(火) 02:09:09
>104
ホント翻訳は慎重に選んだほうがいい。つまらん翻訳で読んでその作品を
つまらんと評価するのは不幸だからね。新潮の工藤訳はいいと思う。
岩波のは知らん。
トルストイ好きの皆様に是非検討していただきたい
876 吾輩は名無しである sage 2010/11/16(火) 16:23:53
人生論はきちがいじみてる
877 吾輩は名無しである sage 2010/11/16(火) 20:46:05
人生論がきちがいじみてたらどうしようもないなw
友達が上司にトルストイの人生論を読めって強制されて困ってると言われた事があるな。
サラリーマンの悲しさだね
トルストイなだけマシだよ
わたしも上司から本を押しつけられたことありますが、
ともかくチラ読みして、二、三日後にあたり障りの無い感想でも言えば満足するんですよ
興味が持てない場合は非常に辛いんだろうなあと想像しますね。
111 :
吾輩は名無しである:2010/11/20(土) 23:23:31
没後百年age
-=≡ ● ≡=- -=≡ ● ≡=- またカンサイジンがわるさを働いているな
なんだこれ、こえーな
11月21日の毎日新聞の書評欄でトルストイの特集が載っている。
沼野氏と辻原氏の寄稿が主。
大事な情報が抜けていた。
1910年11月20日、82歳で死去。没後100年特集。
116 :
吾輩は名無しである:2010/11/22(月) 15:18:43
117 :
フロイド・メイウェザーJr:2010/12/01(水) 21:46:12
アンナ・カレーニナが良かった
118 :
吾輩は名無しである:2010/12/03(金) 04:14:20
119 :
吾輩は名無しである:2010/12/06(月) 01:12:26
日露戦争の時発表したという「思い直せ」ってどんな内容?
120 :
吾輩は名無しである:2010/12/07(火) 20:52:40
「戦争すんな。やめとけ」っていう内容じゃない
121 :
吾輩は名無しである:2010/12/07(火) 22:07:35
アンナ・カレーニナ
映画化
もうあるのでは?
いくらでもあるよね
124 :
吾輩は名無しである:2010/12/15(水) 05:50:40
人はなぜ生きるのかの新訳に挿絵になっていたラジオ体操する作業着姿のおっさんたちの写真がいま思い出された。
なんだか不思議。やたら印象に残ってる。尼で見たらプレミア付いてるし
125 :
吾輩は名無しである:2010/12/16(木) 15:53:19
トルストィって左翼?
126 :
吾輩は名無しである:2010/12/17(金) 03:35:26
上巻最大の山場はカレーニンとアンナとの掛け合いにあると思います。
いいですか。トルストイのえげつなさというのはこのカレーニンの独想の最中、
そのまさにただ中にあってアンナとヴロンスキーが情熱的に体を重ねてるというところにキモがあるんです。
唐突に妊娠の告白がありますが濡れ場の描写は無いんですよ。
その濡れ場に変えてアレクセイ・カレーニンの独想を描くんです。
わかりますかね、このえげつなさ。
恋という情動に対してあくまで宗教をそのテリトリーと据え置き、
尚も理性の枠内で説得しようとするこの男をアンナとすれ違わせたのは彼の落ち度であるのか、
或いはカレーニン自身の情動を整理する時間があった不幸を惜しむべきなのか。
僕はねぇ、彼のアンナへの思いこそが愛なのではないかと思うのです。
それはオブロンスキーのドリィに対する同情とは全く別個の。
神の慈しみを乗り越える人間の強さと、人間であるが故に押し止められない情動とがバランスを取りながらアンナへの訴えかけとなるわけです。
愛というやつはねぇ、他者を他者と認識して、どこまで思い悩んでも至らない人間の深さを認めないと始まりやしないんですよ。
その”絶望”を出発点にしないと愛は有り得ない。
その意味で同情というやつは人間の深さというものに思いの至らないお馬鹿さんであるか、
ないしは「お前ごときはその深淵さの自覚ができない安っぽい人間であるのだから僕を以てすれば君の悩みも何もかもお見通しさ」という驕り、
このどちらかでしかないので、それをしない(することが妻への侮辱であるとする)カレーニンの払う人間に対する敬意というものは、
人を人として見る・他者性を認識する・対等に話をする人間に対して最低限気をつけなければならない礼儀の顕れであり、
それこそがエリートの驕りでもあるのです。
侮辱という境界線をアンナとの間に引き、倒れかかろうとする妻への情動を拳を握りしめて耐えながら訴えかけることの苦悩というもの。その姿勢こそが愛なのである、と。
129 :
吾輩は名無しである:2010/12/29(水) 10:07:41
トルストイはキリスト教をベースにした原始共産制を目指していたのですか?
復活の書評も一応書いたんスけど誰も読まないだろうね、これ。
イタ研キター
アンナ・カレーニナの前半のハイライトは
レーヴィンの草刈りとウロンスキーの競馬だと思ってたので、
128の感想文を読んで大いに啓発されました。
>>133 わかってくれるか!!
ゲッセマネの祈りですよ
カレーニンが愛に没頭してる最中いぎたなく肌を重ねていたアンナとヴロンスキーが見えますか
カレーニンに感情移入する人はどこか狂ってると思う
トルストイが愛をもって造形した人物じゃないし
アンナは最初から最後まで自己完結の人間にしか見えなかった
登場人物が一度にたくさん登場すると、誰がどの台詞を言っているかわかりづらくなることが多くね?
アンナ・カレーニナの後半のハイライトは
アンナの破滅とキティーの出産、レーヴィンの悟りと思いますが、
第八篇を読みながらアンナがいないのが寂しく、
読後には会いたくてたまらなくなるのが不思議でした。
>>136 アンナ・カレーニナ上巻しか読んでないけど復活は読み終えた。
自己完結で言えばネフリュードフの独善っぷりが酷い。
本人は徹底的に対話するとかなんとか言ってるけど大嘘だもん
あいつ自分としか喋ってないよ。何このエゴイスト。
アンナカレーニナ読み終わりそう。
戦争と平和に比べると何か好感の持てる人物が少なく感じた。
141 :
140:2011/01/24(月) 20:25:11
第八編良かった。
最後はリョービンに好感もてたし、アンナがかわいそうになった。
物事を長ったらしく書くよね
>>135 中巻を数十ページ読んだけど君のその印象は間違いだと思う。
彼は誠実な人間として描かれている。それに悖る人間を徹底的に批難する倫理も合わせ持つ。
彼がいじきたなく卑屈に見えるのは、彼が感じる卑屈さや人間の汚さを包み隠さず表現させたいという筆者の意図だ。
僕はむしろ誠実さを見る。
ただ、1行目に関しては同意する。
別スレでも言われた。
もしアレクサーンドロヴィッチが誠実な人間であれば
アンナを離婚して追放するか、ウロンスキーに決闘を申し込む
べきではなかったでしょうか?
むしろ平凡な気の弱いどこにでもいる人物ではないかと思います。
ぶっちゃけ、地位も名誉も金もある初老のお父さんが、
年の離れた美人の嫁を寝取られて保身をはかったものの
うまくいかず、自らも神経を衰弱してしまったと思います。
>>144 結婚は当人同士の意志ではなく、神の意志だという信念がありますので
離婚という選択肢は神の意志に背くこと、誠実さを欠く行為だとして
カレーニン自身が罪を背負うことになります。故に却下です。
何故決闘が誠実な行為なのでしょうか。野蛮な文化だとカレーニン自身がそう言っています。
女一人の為に血を流す事の無為よりも、行為自体への軽蔑が見受けられます。
そして自分は野蛮ではないという自負心がありますからこれもまた却下です。
カレーニン評は最後まで読み終えてからまたやってみたいですね。
年末年始にかけて京都市図書館で2冊とも借り出し中、ようやく読み始められた事にちょっと嬉しい。
また後ほど。
「我々の理性は、その根源的なものに一致しなければならないし、また一致することができる。
また理性は人間がこしらえたものに決して従ってはならない。
そしてもしも理性が根源的なものに一致してさえいれば、我々はなにも恐れずに生き抜くことができる(トルストイ大学中退直前の日記。18歳)」。
自分はカレーニンに感情移入していると言えるだろうか?
おそらくは言えない。
彼の理性をトレースすることは自分にとってさほど難しいことではない。
外国語を習得する過程で、母国語に置き換えずに咀嚼して表出出来るようになるポイントがある。
僕はトルストイが描くカレーニン像に、その思考の組立や論理展開に内的必然性を感じる。
言い方を変えるなら、「咀嚼する為に自分の言葉で翻訳する必要を認めない」のだ。
この理性の一致を、覆ってしまえることをイコール感情移入とは考えない。
その言葉を使う事で99%までは正確に情動を整理して表出出来るけど、
残りの1%にこそ真実が宿る。真理が存在する。
あの分量を使ってトルストイが描くということは、その1%を決して無視しないところにその文学性を見る。
99の表現は平易な言葉で表現出来る。
たかだか1点感情移入という表現への違和を可能なかぎり正確に伝えようと努力すると
その1%を描くために僕が描くとここまで長大な雑文が出来上がる。
リョーヴィンは言った。「言葉というものはこの目で見た物から美しさを剥ぎ取るばかりだ」と。
言葉になりきれない情動をあくまで言葉で描くことを、その究極を求める忠誠がトルストイにはある。
使い切ったマヨネーズの容器を切ってゴムベラで掬い出すように、
カップ入りアイスの容器の底まで舐め取るように、
最後の一滴まで全て描き切ろうとするその1%を求める姿勢が
百数十年経て自分を狂わせるのです。
思い知ってください。
中巻カレーニンの独想が始まる前に一節差し込まれています。
彼が感受性豊かであること、涙もろいこと、その情動を受け止める器が彼自身に無く、
その表出はしばしば彼に近しい人の間にも誤解を産んでしまうこと。
その一節を差し挟む必然性を感じてください。
シモーヌ・ヴェイユのwikiから引用します。
>真に美しいものとはそれがそのままであってほしいものである。
>それに何かを付け加えたり減らしたいとは思わない完全性、
>それが「なぜ」そのようにあるのかという説明を要せず、
>それがそのままで目的としてあるもの。
トルストイの小説はそれとして美しいものです。
同時にキチガイによる作劇です。キチガイにはキチガイの論理がある。
で、あるならば挟まれた一節に意味を看取る事が出来る筈。
その意識が僕に
>>128を書かせました。
所詮翻訳ものですが、どうか注意力を以て一言一句その一節に必然性を感じてください。
この文章を読んだあなたが、僕に何がしかの傲慢を認めるかもしれない。
「謙虚さを持て」という批難に驕りを感じるかもしれない。
その侮辱に似た感情はアンナがカレーニンに抱くそれに等しく、
僕の抱いたトルストイ像が、一種神憑った真理であるかのような神聖視と
カレーニンの抱く神や真理への確信は同じくして、それは理性の賜物なのです。
それでは。
アンナ・カレーニアを読むのみ、どこの社がいいですか?
「文読む月日」と「人生論」って別の本っぽいね
ずっと同じと思って「人生論」の方は読んでなかったけど
注文してみた
>>149 観たyo
なんとなくトルストイの妻に対する感情が卑小化されてるような気がしたなぁ
確かに客観的には、男女のもつれなんて卑小に見えるものかもしれないけど
やっぱり卑小に見えるのは、本質を描き得てないからなんだろうな
キティのモデルはソフィアで
レーヴィンのモデルはトルストイと言われているけど
あのリアルな恋愛過程を共感をもって読んだ後に、
晩年の夫婦関係をあまりひどい形で描かれると結構ツライものがある
トルストイの家出見たが
トルストイはホモだった?
そう見える描写もあったな
あれだけ子ども作りまくってホモもないだろうが・・
そこがショーペンハウアーとの違い
何かみんな誤解してるようだけど
カレーニンは一度は離婚する気になってたよ。
アンナが流産した後オブロンスキーに言われて離婚に同意してたし
その前にも弁護士に相談しに行ってる。
最初はアンナの方が離婚は嫌だって言ってたんだよ。
子供の親権が欲しいとか、裁判になるのが嫌だとか、理由はよく分からんけど。
で、アンナはウロンスキーに捨てられると思い込んで急に離婚したくなったけど
その時には夫は新興宗教にハマッてて無理だった。
はっきり言って何もかもアンナの自業自得。
ニコライの「そうだ・・・」という確信について下巻で語られてたり考察されてたりはするの?
アンナが流産???
>>149 あの教科書なんかでお馴染みの見た目のトルストイが動いてるのが変な感じだった。
>>156 自分本位の離婚なんて考えてないよ
彼にとっての不幸は、口をついて出る”言葉”が他人には自分本位に聞こえるだけ
オブロンスキーのくだりでわからないのは
自殺考えてたリョーヴィンが汽車の中でカレーニンにあって
彼ら2人の間に何があったのか語られていないこと。
ここを僕はまだ読めてない。たぶん下巻でも語られないんだろうから俺の読み落としだけど。
君は倒錯中の言葉を間に受け過ぎですよ、僕の目から見て。
素直に読めば156が書いているとおりだね。
>何もかもアンナの自業自得
悪くいえばそうだが、ひたむきに女らしく生きて、散ったと
解釈してあげたほうが読者として幸せでないかい?
160よ、
そろそろカレーニンの話題から離れないか?
カレーニンマニアは過去に何があったんだよw
164 :
吾輩は名無しである:2011/03/05(土) 11:07:51.94
読んでいるときはほどほどに楽しく、読後にもじんわり思い出して
楽しめるのが「アンナ・カレーニナ」
どの訳で読んだ? 新潮の木村訳では楽しめなかったな。
167 :
吾輩は名無しである:2011/03/05(土) 12:54:24.50
やはり、訳の文体がもたらす感覚的な影響は大きいよな。
ちょっと思ったのは、登場人物の名前すら違うことかな。
中村訳は「キティ・レーヴィナ」だけど、
ほかのは「キチィ・リョーヴィナ」になってるみたいですな。
アンナのだんなも中村訳はアレクサーンドロヴィッチと書かれて
おることが多いがほかのはふつうにカレーニンみたいだし。
工藤精一郎訳だと、キティ、レーヴィン、ウロンスキイ、カレーニンだ。
ロシア文学の訳者で好みなのは、米川正夫、小笠原豊樹、川端香男里。
「ようござんすか。」
「ようござんす。」
貴婦人とは思えないセリフなんだがよく出てくる。
時代劇で壺振りの女性がサイコロと壺見せて言うよね「ようごさんすか?」
173 :
吾輩は名無しである:2011/03/09(水) 22:14:33.57
下巻7幕まで読了。
随所に諧謔が見られる
悉く愛に酔っ払っていやがる
北御門って人が訳したのが読みやすいよ。
オススメ
>>176 あれ、ロシア語出来る人はあまり評価していないよね。
アカデミーと無縁の人だからかな?
178 :
吾輩は名無しである:2011/03/12(土) 16:12:28.19
一般人だね。
読了。
めちゃめちゃ感想書きたいんですがどこに書けば良いですか
チラシの裏ですか
ここでいいですよ。
トルストイを読んだのなら
福本伸行が銀と金という漫画の作中でギャンブルの本質について問いかけるシーンがある。
先輩格の平井銀二が什麼生ギャンブルとはなんぞや、主人公の森田鉄雄が答えて曰くギャンブルとは身投げである、と。
その崖を飛び越えなければならないと感覚は知っている。もう上手く飛べるかどうかは問題じゃない。
東尋坊の断崖絶壁で虚空に身を投げる行為、ただ飛ぶことがギャンブルだと。
非常に上手い喩え話で、僕はアンナの投身の際にそれが思い浮かびました。
禁断の”恋に落ちる”と線路上にその体を落とすのが掛かってるわけですね。
そこではたと気付く。「アンナは二度死んでいる」
読後に彼女を判断しようと試みても、彼女は善悪の天秤に量られることを拒絶する。
曼珠沙華のように美しく花開いた赤は、ただその凛然を以て見る者を虜にする。
虚偽と誠実という対比構造が活かされているとするなら、それは取りも直さず生と死の対比構造に等しい。
優しく微笑む悪魔に魅入られるのはメメント・モリを意識してる人だけでしょ。
読後、僕は第八編の必要性に物凄く疑問を感じた。
タイトルになる登場人物はいないし、脇役のようなコズヌイシェフ視点の語りが
アンナ死後のエピローグとして描かれるだけでリョーヴィンの悟りもトルストイの作家としてのエゴ丸出しで
いやに鼻に付く感じが好きになれなかった。加えて、あのラストではオブロンスキーの独り勝ちにしかならないのだ。
(リクルート成功したとかそんなんじゃなく、”丸く収めたったwwwwうははwwwwwwぐらいの。)
それでも尚第八編に意味を求めるならヴロンスキーの出兵への動機となる。
直接にアンナの死が劇中の人形たちに何がしかの影響を与えたという意味で、彼女に命を認めたのがヴロンスキーだけだからだ。
彼の露土戦争への出兵はアンナの呪いに取り憑かれたためか、或いは真実、彼が誠実に目覚めて添って死ぬ事を望んだためか。
破滅を愛せよ。
神は復讐を為す。
あらゆる自由が取り去られ、思考という自由すら奪われたとき、
純粋な意志は信仰となって人為らざるものを退ける剣となる。
次は”悪魔”を読まないといけないね。漱石にも興味出てきたけど。
そんな感じ。なんか散文になっちゃった。
183 :
吾輩は名無しである:2011/03/14(月) 15:55:21.12
すばらしい感想文をありがとう
文字だけを追っても絶対に読み切れない部分ってあるね
上のカレーニンの独想と対比されている性愛だったり
オブロンスキーの浮気の贖罪にしても終いぞ「愛している」とは言わなかった。
文字にしなかった言葉、あえて文字にしなかった言葉を問い詰めないと読み切れない。
カレーニンは尻切れトンボ感が強いけど、キチィの精神的変化は読み解くと面白いかもしれない。
185 :
吾輩は名無しである:2011/03/24(木) 17:45:14.52
キティは温泉(転地療養)に行って大きく成長したと思う
戦争と平和(藤沼訳)二回、アンナカレニナ(木村訳と北御門訳)三回読んだけど、
エンタメ小説は別として、現代の純文学系があまり読めなくなってしまったよ。
なんかアンカレに比べたら人間も生活もちゃんとかけてないと思ってしまうんだよね。
トルストイは日常にも得るところが多いからもっと人気が出て欲しい。
宇多田ヒカルがアンナを一気に読んだとかどっかで言ってるの聞いたから、
出版社は彼女のコメントを帯にしてもらって売ればいいと思う。
表紙ももっと親しみ易いものにしたら絶対売れるはず!集英社の人気漫画家シリーズみたいな
漫画の絵って無条件で親しみやすいものか?
188 :
吾輩は名無しである:2011/04/07(木) 22:10:13.68
あんまり軽いのは嫌だな。小畑絵の集英社「こころ」みたいなヤツならどうか。
何より今の新潮文庫の表紙は駄目過ぎると思う。
ピンク色にうっすらトルストイの顔面映ってるヤツだけど、デザインもへったくれもない。
同じロシア作家でもドストエフスキーの罪と罰や白痴の表紙はシンプル且つ凝っていてかっこいいのに。
あんな表紙で若い子が魅力を感じて手に取るわけがない。
ドストの新潮社の本も
一昔前は同じように顔のドアップだけだったんだぜ。
しかもどの作品もすべて同じ配色。
トルストイも前から同じデザインだったけど
こちらはずっとデザインが変更されてないね
トルストイは売れないからかのぉ…
世界的に超一流であるにも関わらず売れていないという本なら、
出版社は尚更売れるように努力するべきだろうに
売り手が売れない=二流という幼稚な金本位の判断しか出来ないから
一ヶ月もすれば忘れてしまう中身のない駄本しか書店に並ばなくなる
俺でもトルストイが持ち上げられてる世界って気持ち悪くて住めたもんじゃないと思うの
ドストエフスキーが持ち上げられてるならトルストイが持ち上げられてもいいのでは?
少なくともドストエフスキーやニーチェより万人向けだと思うな
ドストエフスキーはともかく、好きな人には申し訳ないが、
最近ニーチェが妙に流行ってるのは正直どうなんかと思う。
トルストイ自身も絶賛したらしいA・モードの英訳読んだけど、
適度に柔らかくて読みやすい文体だったよ。
これに近いとしたらトルストイの原文って日本なら漱石みたいな感じなのかなと思った
トルストイはどっちかというとリア充志向の人向きな作家なのに
最近のリア充は本を読まないからなあ
オタ作家のドストエフスキーと人気に差がつくのは仕方がない
オタというかぼっちというか
要約福音書を読んでみたかったが、あいにく日本語訳が無く、
amazonでやむなく英訳買って、のろのろ辞書引きながら読んでるんだけど、
いきなり冒頭に「ウィトゲンシュタインの思い出に捧げる」って書いてあって、ビックリしたよ。
彼が従軍中、要約福音書に命を救われたのは有名な話だから、
出版社は二十世紀最大の哲学者を帯にして福音書を売ってるらしい。なんという素晴らしい戦略。
ウィトゲンシュタインはトルストイがよっぽど好きだったらしいね。
晩年の反哲学的断章を見ると、トルストイの人生論や
ファンからも評判が悪く読まれていない「芸術とは何か?」までちゃんと読んでいる形跡がある。
「このまずい理論からたくさんのことを学べる」と書いて自分の哲学観から解釈し直してあるよ。
学ぶべきことが大量にあるといって教え子に勧めたのはハジ・ムラートや民話、
民話の中でも彼自身は二老人が特に好きだったとか。
197 :
吾輩は名無しである:2011/04/20(水) 22:54:01.56
トルストイと比べるとドストエフスキーはちょっと生臭いww
民話しか読んでない
>>198 トルストイ自身、自分の最高傑作は民話だ、と言っていたからねえ
200 :
吾輩は名無しである:2011/04/29(金) 13:33:06.01
金は糞尿と同じだ。溜めれば溜めるほど悪臭を放ち,
ばら撒けばばら撒くほど土を肥やし,新たな芽を生む。
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(1828-1910)
201 :
吾輩は名無しである:2011/04/29(金) 15:00:41.59
>200
アホがっ!氏ねっ!
そんなことをするから、日本では絶滅したはずの寄生虫がまた復活したのだ。
オレが子供のころは絶対に野菜は生で食うなと言われていたんだぞ。
202 :
三浦 ◆aKZjWmIOl2 :2011/04/29(金) 15:05:08.67
トルストイは狂ったような信念を持って生きていたから、面白い小説が書けたのかな。
203 :
吾輩は名無しである:2011/04/29(金) 15:19:14.08
アンナカレニナ面白くなかったんだが
204 :
吾輩は名無しである:2011/04/29(金) 15:24:34.97
そもそもでロシアってのはその、絶望の笑い、が面白いだけで、
それ以外のもので面白がりたいなら他の国に行く。(笑)
>>200 まあリア充貴族のトルストイに言われてもな。
じゃあ戦争と平和嫁
「戦争と平和」の工藤精一郎の訳ってまずくない?
これはドストエフスキーの罪と罰のときも思ったが
江川卓訳の方がずっとしっくりきた。
訳の良し悪しに難癖つけるやつは原典あたったのか?
原文読めなくても同じ箇所を2〜3ページ読み比べれば訳の良し悪し程度分かるんじゃね?
井戸3つ見て海が想像出来る奴ならそれでもいいが。
その程度の想像力なら、誰でも持ち合わせているだろ。
白と黒の模様で、極彩色の風景や、男に惚れた女の心境がわかるのだから。
原典も白黒の模様だがね
214 :
吾輩は名無しである:2011/05/12(木) 22:52:54.31
なおさら問題ない
翻訳で読めないバカが原書に逃げる
モノは言いようだね
原書読めない馬鹿だから翻訳に逃げたんだろうに
ロシア語読めないと馬鹿扱いされちゃうのか?
ロシア語読めない癖に日本語訳に難癖付ける振る舞いを指して馬鹿だとレッテル貼る意図はありますが
リニアにロシア語読めないことと馬鹿を結びつけるなんてことは考えてませんよ。
翻訳ですら読めないバカが原書に逃げることなんてできっこないわな
ロシア語と日本語のバイリンガルを除いて
ところで
>>216と
>>218はロシア語読めるの?
読めないよ。
いや、正直に告白するとトルストイは僕の手に余る。
彼の覚醒っぷりはヤバい。
僕は2年に1回ほど涅槃寂静を経験するがね、
彼はそこに入ってる時間が長過ぎる。
絶対音感持ちが音の全てを解剖するように
目で見た全てが解剖出来る意識がある。
それがないとあんな書は書けない。
2ちゃんで僕と書く人はなんだか好感が持てる
え、てゆーかちょっと前の書き込みで結構普通に訳は誰それがいいとかで盛り上がってたじゃん・・・
223 :
吾輩は名無しである:2011/05/13(金) 21:14:54.03
ナターシャ、ナターシャはどこだ!
金髪のジプシー女性を探しています
224 :
吾輩は名無しである:2011/05/13(金) 21:18:32.01
ナターシャ、ナターシャはどこだ!
金髪のジプシー女性を探しています
マンコ臭いぞ
エレンの描き方が絶妙だと思う
絶世の美女で淫蕩な悪女でそして最後は薬物中毒死
>>209 翻訳の良し悪しは単純に日本語の文章として美しいか、
ちゃんと文意が通じるかが基準でもいいんだよ
どこの編集者もそうやって判断してる
それに原著との正確さという意味で判断するにしても、
日本語として意味が通じにくい箇所や不自然だったりするところは、
チェックしてみると大体誤訳だったりする
>>228 良いわけないだろ馬鹿かお前
これが教科書の翻訳なら俺も文句言わんわい
お前の考え方は文学を無機物にすることだ
トルストイの話なのに
訳の話になってるよ!
>>228 一応言っておくと俺だけの意見じゃなくって、
大学で某文芸誌の元編集長から実際に聞いた話でもあるんよ
何も誤訳を許す基準といってるわけじゃない
誤訳はいけないというのがもちろん前提なのは当たり前
要するに、「原典を読めない人間だって、
日本語として読みやすいかどうかを基準に
翻訳の良し悪しを語ってもいいだろう」という話。
例えば米川正夫は逐語訳で文語調の部分が多いが、
例え原文が駄目な人間でも「この日本語は晦渋過ぎる」と思ったなら批判すべきだし、
逆に「いや味があっていい」というなど、議論はあったほうがいい
それが翻訳文の肥やしになるわけだ
ハジムラートって名作なのに文庫になってないのな
最晩年の作で出来も三大長編を凌ぐとすらいわれるのにもったいない
いいよね
イワンイリイチとかと一緒に文庫にすりゃいいのに
ハジムラートは分量も中編程度で手頃
展開速いから挫折もしないと思う
よく読み返そうと思える作品だけど
いちいち全集借りてこなきゃいけないのが残念
日没までに歩き回った土地を貰えるから走り回って死んでしまいその男に必要な土地は埋葬するためだけで良かったって作品ってどんな題名だったっけ?
>>235 「トルストイ 土地 必要」
で検索してみたらどうだろうか
>>235 そのままの「人にはどれほどの土地がいるか」だと思う
民話だと「作男エメリアンとから太鼓」がちょうど自分落ち込んでる時に読んで記憶に残ってるな
いろいろ無理難題ばかり押し付けられるけど、ただ自分にやれることを精一杯やっていればいいって話。
美少女が試練のたびに励ましてくれるところが良かった。
黙々と働いてるだけの作男が権力を倒して国を変えてしまうラストも感動した。
原典なんて知らなくても
日本語として変ならそれでクソの翻訳って判断できるでしょ?
例えば親への会話が敬語になってる時点で
その翻訳はおかしい。
今時どこの家庭が子供が親に向かって敬語使う?
そりゃまあ粟稗食ってる日本人はいないだろうけど
戦争とアンカレと復活とイワイリとクロイチェルは読んだんだが民話っぽいのを除くと他にお勧めってある?
>>240 ずいぶん読んだな
それ以外となると、上の方でも書かれてるハジムラートがいいと思う
思想抜きの芸術品としても長編以上の最高の出来だいう人もいるから
サンクス
そのうち読んでみる
この人は、戯曲がいい
確かトルストイはシェイクスピアを批判してたから、
トルストイとシェイクスピアの戯曲を読み比べると面白いかもしれんな
芝居の台本を文学として読んでも面白くないと思うんだが
質問です。
ウィトゲンシュタインが感銘を受けたというので興味があるのですが、
「要約聖書」でオススメの版、または入手可能な版にはどのようなものがありますでしょうか?
>>247 残念ながら入手可能なのは現状ほぼ無いんだよね
古書でトルストイ全集の宗教論文の巻を入手するか、図書館で借りるしかないと思う
もし英訳でもいいというなら、amazonの洋書で二通りの翻訳が手に入る。
自分の手元にあるのがIsabelHapgoodの翻訳だが、聞いた話だとこっちは悪い評判も聞く。
向こうで新訳として発売されたばかりのDustinCondrenの翻訳の方は、
今までの版では収録されてなかった書簡部分等もある完全版らしい。
>>248,
>>249 詳しくご教示いただきありがとうございます!
手元に置いておきたい本ですので英訳の新しいものをを検討してみます。
人生論読んでるが凄いな
大変参考になる
「科学者達はごく一部に適応できる自前の物差しで物事の全てまで判断しようとする」みたいなことが人生論でいわれるが、
あれは言葉の哲学が台頭してきた二十世紀以降の今でこそ光るだろうな
憤りや不条理を感じる不愉快さは
すべからく”そうなる必然”を見通せない視野狭窄の為せる業なのだよ
見方次第で逆もいえる
必然と思われたものに抵抗した人間だけが
もっと幅広い新しい視点を創造してきた
科学ですらそうじゃないか?
必然を発見したから新しい(と人類本位で感じる何か)視点を創造(明らかに”発見”の方が正しい)したんだろ
いかん、ろくに推敲もせんと書きこむもんじゃないな
自分で書いててわけわからん
いや言わんとすることは分かる
前提とする世界観が違うだけだと思うな
何らか普遍的な必然が存在すると信じる世界観のほうにいるなら
必然や発見といった言葉を基準に創造などの他の言葉を合わせていくだろうし
普遍的な必然というのは存在せずただ見方の違いに過ぎないという世界観のほうにいるなら
創造という言葉を基準に必然や発見を合わせていく
要するにどっちが正しいというより信念や態度の違いだろう
例えばウィトゲンシュタインは「数学者は何かを発見したのではなく創造したのである」といっているが、
たぶん大抵の数学者は何らかの客観的実在を人間が写し取っていると信じていると思うから
「必然的な規則を発見したのが創造に見えるだけだ」というだろう
リルケは晩年のトルストイを訪問して好意的に語っていたそうだが
どんなことを言っていたのか気になる
ツルゲーネフが何で同世代の文学者から疎まれてたのかが気になる
作品とか考え方とかによるものではなくて口が悪いとか女癖が悪いとか個人的な理由によるもののように思われるが
トルストイは「あの男は常識的で気さくだから好きだ」ってストラーホフへの手紙で言ってたような…
ドストエフスキーはツルゲーネフのことを悪霊でボロクソに書いていたのは有名だよね
「民衆の美しさを描くふりして、それを理解してる俺、かっこええやろ?」ってどや顔がどのページにも浮かんで見えるみたいな批判だったはずw
金持ち喧嘩せず
トルストイはうわべは仲良くしてて一緒に狩猟とかしてたけど最終的には決裂したんじゃないっけ
え?オブロンスキー的なこと?
トルストイを読んで生活が変わったっていう人いる?
俺は凄く質素に暮らすようになったよ
食事は他人に迷惑にならない範囲で菜食にしてる
戦争と平和読んでから人生観は変わったな
指導者の意志で部下を動かすことが出来ると思ってたが大衆の総意により指導者が出現するってことは目から鱗が落ちる思いだった
ってことは今の日本の指導者が無能だとすれば大衆全体の責任でもあるわけだ
まあ実際そうだろうな。選挙で大勝させたのは他でもない
自分達の賢明さ以上の国は現れない
当時のロシア文学者に卓越した人物が多かったのも当時のロシア社会がその必要を求めていたからなんだろうね
トルストイやドストエフスキーが作品を書いたのではなく社会がそういった作品の発表を求めた結果なわけだ
ツルゲーネフは死ぬ間近にトルストイに手紙送ってるから
最後までそれなりに仲良かったと思う
「君の現状が嬉しい。しかし最後にお願いがある。
どうか文学にも帰ってきてくれたまえ」みたいな内容
文読む月日を毎日読んでると
生活は変わらざるを得ないね
最初の頃はトルストイほどの天才でも最後は宗教に屈服せざるをえなかったのかと
残念に思ったものだけど
今ではそれがトルストイの目が開いていっただけだと分かる
内なるものへの目覚めを否定するものではないけど、
それを読めてしまう君が単に超越的な何かへの憧れを捨てきれずに新興宗教にハマるとか
そういう類の逃げ方をしないでね。それは神に決闘を申し込んだカレーニンとはまた違うからね。
>>270 ちょうど俺も今年の正月から毎日読んでるw
特にストア派哲人の箴言が好きだ。
俺は神を(絶対的な)善と置き換えて読んでる。
まあ同じことなんだが、どうも日本人として育った自分には
「神」という言葉が馴染みなさ過ぎてしっくりこないという。
善でも美でもいいと思う
俺も最初は「トルストイが神と言っているものは美のことらしい」と思ってたな
それでも長い間神への抵抗感はあったけど
文読む月日は、むしろ新興宗教的なものへの耐性を強めるものだと思うよ
偽物と本物を見分ける目を涵養するから
カトリックをトルストイは批判してるけど、新興宗教ときたらもっと遥かに信じがたい程俗なものだからね
ウィトゲンシュタインも「神=善=美=倫理」っていう扱いしてるよね、論考で
新興宗教って思うに、現世利益的なことだと思うんだよね
これをすれば儲かるとか
ガチな信仰は自己犠牲の実行を説くだけで何も与えちゃくれない
何が得られるじゃなく、その行為自体が幸福だというんだけど
自分のような人間だとそんなことして何の意味があるのかと問いたくなる
だからこそ信じるってことが出てくるんだと思う
まあ自分は現世利益的な要素を一概に批判するつもりもない
まずは相手の価値観から親しみを持ってもらうってのは大事だろうと思う
例えばカトリックは過ちも多いが、そういう俗っぽい部分を精一杯活用しつつ
肝心の宗教心をなんとか一般大衆のレベルで保たせようとしてきたところもあると思う
正教から見れば、カトリックも新興宗教
ウィトゲンシュタインっつーかプラトニズム
人生論は無理だった
今復活読んでる。
どこ探しても下が無いんだが
下巻はただの珍道中もの
上読み終わった。
土地所有権を放棄する姿が、このままじゃいけないと夜な夜なエロ本を捨てに行く中学生のようだと思った。
人生論は水車の話がおもしろいね
人生論ためになるけど、ちと文章がくどすぎるな
前章で散々力説していた事を次章でまた繰り返したり
283 :
吾輩は名無しである:2011/07/11(月) 13:45:44.44
↑
こういう読み方しかできないアホは読む必要ないわ
俺は人生論は挫折した
光あるうちに〜は宗教臭過ぎて、途中までしかよんでないわ。
俺は人生に挫折したよ
戦争と平和
登場人物多すぎて挫折しそう
戦争と平和は歴史に興味がないと読みきれないと思う
戦争と平和とアンカレ以外の作品はどうでもいい
>>298 アンカレまだ読んでないんだけど、頭の中で勝手に凄くいい女像が出来上がってるんだ。
期待し過ぎ?
というかメンヘラ
念のため言っとくけど松岡正剛は毛ほども読めてない
そんな松岡とやらが理解してなかろうがどうでもいいし国語のテストじゃないんだから解釈の方法だって極端に間違ってなけりゃ人それぞれでいいんじゃね?
そういうのは有象無象の文芸でやってくださいよ
有象と無象はいつも仲良し
/ ̄ ̄\
| ・ U |
| |ι \ パンパン
/ ̄ ̄ ̄ 匚 ヽ
| ・ U \ ) ))
| |ι \ ノ
U||  ̄ ̄ ||||
最近になってアンカレの凄さが分かってきたよ
ちょっとした肉体の仕草のさりげない挿入でその人間の実像浮かび上がらせたり、
事物をいくつか落とすようにピックアップして空間の肌触りを演出する技術が神がかってる。
それがあの大長編ずっと隙もなく続いてるんだから、神の目って呼ばれるのも分かる。
特に小説家志望の人など勉強になると思うからぜひ読むべきだと思う
松岡正剛が読んでないのは「戦争と平和」だったと思う。
アンナに関しては千夜千冊でレビューがある。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0580.html
>ところがトルストイはすべてを書いている。
>アンナの崇高な嫉妬もキチイの可憐な失望も、
>ヴロンスキーの端正な冷淡も、
>オブロンスキーの裏側にひそむ良心も、
>カレーニンの面子を貫く社会的倫理観も、
>すべてをあますところなく書いた。
>書き残さなかったものがない。
ここ見るたびムカつくんだよ
読み落としだらけじゃねえか
297 :
吾輩は名無しである:2011/07/18(月) 19:26:49.73
松岡というか、当時の松岡の塾の先生が読めてないね
恋愛小説ではないし、トルストイはアンナを微塵もほめてない
別にこのレビューの内容に関して言うわけじゃないんだが、
個人的にいわゆる多読家って信用できないんだが、
みんなはどうだろう。
自分は一冊の本何回も読んでやっと分かってくるタイプだから
大冊の本をひと通り読んだだけで大勢の人に語れる人が不思議だ
自分も学生の頃は年間100冊以上読んでて、
その頃は読めば読むほど理解も早くなるもんだと思ってたけど、
むしろ逆にどんどん冊数少なくなっていってる。
今じゃ一ヶ月で4、5冊程度が限界。
その分、読むべき本と読むべきじゃない本を吟味するようになったって感じだ。
299 :
吾輩は名無しである:2011/07/18(月) 20:49:22.52
大森は仕事で仕方なく読んでるんだが、発言権を強めたいという
意図も大いにあるだろうなw
300 :
吾輩は名無しである:2011/07/18(月) 21:36:36.43
ここまで書き込み読んだが…オマイラ真面目だな。
人生生きづらいだろ?
トルストイ自身も自殺を考えていたんだし人生って辛いものだからしょうがない
アヘン吸いたくなってきた
ママの乳首でも吸ってな
どんな人生もそれなりに大変なんだから尊敬しないとな
だったら彼氏のチンポ吸ってるオレも尊敬してね
トルストイは60まで嫁の乳首吸ってたようだが若い頃の暴走から更生後は他所の女追っかけたりはしなかったのかね?
カフカとキルケゴールって本を立ち読みしたが
カフカに出てくる「不壊なる黄金の木」?だったかの神の概念は
トルストイの神観からの影響って書いてあった
カフカはトルストイの宗教論文なども熱心に読んでいたらしい
意外な組み合わせだったから驚いたな
カ フ カ
カ フ カ
ト ル ス
カ フ カ
308 :
吾輩は名無しである:2011/08/07(日) 22:17:28.75
>>298 たくさん読まないと自分の趣味は形成できないし
面白いからたくさん読むのは当然
精読がいいなんていってるのは教養主義に毒されているだけ
310 :
吾輩は名無しである:2011/08/08(月) 01:54:44.54
>>266胡散臭い気がする
指導者に作り出された大衆が作り出す指導者というのが正しいと思う。
大衆は指導者とは切り離して考えた方が現実的かと。
民主党が悪いのではなく悪いのは国民だ
無能な国民からは無能な政府しか生まれない
たしかに信頼できるのは共産党だけ
トルストイ自身が共産主義っぽい農地改革を試みたものの結果は芳しくなかったけどね
心理学でも十分明らかにされてるが、ろくでもない奴ほど他責的な考え方になる。
どちらが真実かはさておき、こんな事態になった責任は自分にこそあると考えるほうが正義だと思う。
トルストイにせよドストエフスキーにせよ、自分にこそ罪があるというこの基本は共通だった。
ソルジェニーツィンのチンカスでも煎じて飲ませたいな
非凡人には人を殺す権利があります
小林秀雄「トルストイを読み給え」 全集19収録
若い人々から、何を読んだらいいかと訊ねられると、僕はいつもトルストイを読みたまえと答える。
すると必ず、その他には何を読んだらいいかと言われる。他には何にも読む必要はない、
だまされたと思って「戦争と平和」を読みたまえと僕は答える。
だが嘗て僕の忠告を実行してくれた人がない。実に悲しむべきことである。
あんまり本が多すぎる、だからこそトルストイを、トルストイだけを読みたまえ。
文学において、これだけは心得ておくべし、というようなことはない、文学入門書というようなものを信じてはいけない。
途方もなく偉い一人の人間の体験の全体性、恒常性というものにまず触れて、充分に驚くことだけが大事である。
318 :
吾輩は名無しである:2011/08/10(水) 22:59:14.86
小林秀雄は、ドストエフスキーは好きだがトルストイも好きだと、岡潔との対談で言ってたな。
あんなに健康で明瞭で美しいものはない。ドストエフスキーにはああいうものは書けない、
逆に、人間の狡猾さや無明にかけてあれだけ深いものはドストエフスキーにしか書けないだろうって。
トルストイ全集とバルザック全集を読めば、世の中で起きていることの半分は理解することが出来る。
バルザックはゴリオだけ読んだ
ついでに構成が近いゾラは居酒屋とナナだけ読んだ
どこから読んだらいいか分からんからそれ以上は読まない
トルストイも戦争と平和とアンナカレーニナ以外は敢えて読まなくてもいいんじゃね?
トルストイにしろバルザックにしろドストエフスキーにしろ駄作もあるだろうし他の作家の評価の高い作品を読み漁った方が糧となると思うが
>>320 トルストイなら、それに加えてイワンイリイチの死も読むべき。
あれはそれ以前の作品とはまた違うから。
ナボコフは哲学や道徳的内容より文学の形式としての美しさを重視していて、
回心後のトルストイやドストエフスキーには批判的だが、
それでもアンカレと並んでイワンイリイチを最高の作品と絶賛してる。
人生論で読みやすい訳はどこ出版?
新潮文庫の原訳がまだいいんじゃなかろうか
あの人はカラマーゾフなどの翻訳でも評判がいいから
角川や岩波の人生論は堅いから格調あるっちゃあるが、読みやすくはないと思う
まあ難解というか粘っこい内容だから、どの翻訳でもそれなりに大変かも
Tolstoy is the greatest of all novelists.
―Virginia Woolf
こんな文章見かけたんだが、ヴァージニア・ウルフってトルストイ大好きだったんか?
構成も似てるらしいんだが、今度読んでみるか。
そんな下級小説家と一緒にすんなwwwしねw
存在の耐えられない軽さを読んでる。
主人公格のひとり、テレザがアンナ・カレーニナの本持ってる。
読み始めた動機はそれを聞いて興味を持ったから。
読み始めだけど、決して小説として上手くまとまってるとは思わないし
何よりプロットがインスタント過ぎて筆者の地力でクソ重いレゴブロックでピラミッド作ってるような拷問の小説。
凡夫ミラン・クンデラが天才トルストイに挑む意地かな。
そういうのが見える。
これ読んでからアンナ・カレーニナ読むと”後ろから刺すトルストイの刃の鋭さ”がわかるのかもしれない。
330 :
吾輩は名無しである:2011/08/26(金) 13:45:55.14
サーバが復活してトルストイが復活しないなんて考えられない
>>330 つまんねーからお前自殺しろ、な?
んで二度と復活すんな
omaemona-
>>299 そういうの読むと逆に読みたくなるなクンデラ
トルストイは小説家からの評価がやけに高いな
縁のなさそうなフォークナーもトルストイが過去最高だと発言してる
334 :
吾輩は名無しである:2011/08/28(日) 16:55:30.24
他の作家の小説を読むと、トルストイみたいな重厚さがなくて物足りなさを
いつも感じてしまう。そして、結局トルストイの再読に落ち着くという方々が
集まるというのはこのスレッドだな
角田光代のネピアみたいな作品を読んだ後のマイホームへの帰還欲は凄まじかった。
性欲と同じくらいの衝動があった。
「尊敬する小説家は?」
なんて質問されたとき、「トルストイ」はもっとも無難な答えなんじゃなかろうか?
セルバンテスじゃ古すぎ、ディケンズじゃ馬鹿っぽい、フロベールじゃかっこつけすぎ等々の理由で。
文学って19世紀で終わってしまった気がする
書籍、テレビ、インターネットと主たるマスメディアが変遷するたびに、
大衆向けの娯楽も追随してきたから
逆に言えば当時は小説は最先端だったんでしょう。
>>329 クンデラのアンナカレーニナについての解説は良かった
「カーテン」だったか。
俺はクンデラも好きだな
ラジオや映画に押されて文学の価値が下がったってことなんだろうね
トルストイの頃の世界人口なんて現在の10分の1くらいなんだから現在はトルストイくらいの文豪が10倍くらい輩出されていてもおかしくないはずなんだが
個々人の社会的な結節点が貨幣(労働)とマスメディアだけになってしまった。
昔は紙と噂だけが情報源だった。
60くらいのときにもアンナ夫人との間に子供生まれてたんじゃないっけ
ネフリュードフみたいに奥さん以外の間に生ませた子っていたの?
>>342 若い頃は農奴の娘を、限りない性欲に任せてやりまくっていたんでしょ。
領地中に子供がいっぱいいたんじゃないの?
自分の領地じゃなくて兵役のときの話だろ
>>343はどこかで見聞きした話を勘違いしてる
セックスをしたい、でも出来ないということでの苦しみのせいか?
テスとか復活とか領主が支配下の娘にやりたい放題って当時では当たり前だったのかなあ?
347 :
吾輩は名無しである:2011/09/11(日) 00:08:20.84
性欲の話って馬鹿じゃねーの?トルストイが天才なのは変わりないし
頭の悪い人間は性欲を馬鹿にしたがり
賢い人間は性欲の大切さを知る
トルストイは自分の性欲が強すぎるのを悩んでいたよね
トルストイにとって性欲ってのは重大な問題だったんだから話題としても構わなかろう
その話題に触れるのは馬鹿じゃねーのっていう方が馬鹿だと思うんだが
馬鹿は馬鹿にされた苦しみでキチガイになる
イワン「・・・」
トルストイの晩年の苦しみは家族の無理解
まあ、でも普通の人の感覚からしたら家族の方にも同情するだろうけど
すごく立派な宗教に感化されたとーちゃんガンバリすぎって感じるはず
トルストイの資産が自分で稼ぎ出したものなら好き勝手に処分してもいいと思うが先祖から受け継いだものを子孫に残さずに貧しい領民に譲り渡すなんてありえないわな
80を過ぎての家出ってなんかカッコいいと思ってた
でも、医者を連れて家出してんだよなトルストイ
ま、死ぬけど
我に自由を与えよ
しからずんば死を与えよ
ってとこかね
なんという皮肉だ
>>355 トルストイは有名人だから、「どこそこで見た」とか「あそこにいた」とか次々情報が入って、
家族が気にしていたのは健康だけ、というお話。
悪妻はそんな悠長ではなかったぞ
とういか居るとこは分かっても、面会を拒否されてたりしたしな
戦争と平和読むんだったら、新潮と岩波どっちがいい?
おまえはどちらも読めない
>>360 本屋か図書館に行って立ち読みするぐらい思いつけよ。
素直に分からないといえばいいのに・・・
岩波は新旧あるがどちらもイマイチ
旧は古すぎるし新は適当すぎる
物語の部分は旧を読んで歴史の部分は新を読んだ
新潮は読んでないから分からない
結局、おまえも分からないんじゃないか
このスレでトルストイまともに読んだ奴いないんじゃねぇの?
俺がいるけど。
新潮は読んでないが岩波についてはコメントしたぞ
それって昼飯に焼き魚定食を食うか肉うどんを食うか悩んでるひとに
サンマよりアジの方が好きとか言った程度の事じゃないの?
じゃあ新潮にしとけとコメントしとく
戦争と平和は読んでないんだが工藤の方が米川や藤沼より好みなんで
370 :
吾輩は名無しである:2011/10/08(土) 12:15:23.38
江川卓なんて名前が有名人で同姓同名でいるのに驚きだな
『イワンのばか」説教臭い話かと思って、いままで敬遠していたけど
読んでみたら面白かった。
今にぴったりのテーマだし、民話をもとにしているせいか、語り口が落語みたい。
一瞬、浦雅春訳があるのかと思ってしまった
落語調の翻訳はゴーゴリ?
汗して働くなんてばかばかしい、頭を使って稼げと説いてまわる悪魔の親分、
しかし、イワンの国の馬鹿どもにはチンプンカンプン、
演説に疲れ果て、重すぎる頭をはしご段にごつんごつんと打ちながら櫓から転げ落ち始める、
おお、ようやく頭を使い始めたと納得の馬鹿たちに見守られ、悪魔は奈落の底に消えましたとさ、
という落ちがよろしいですね。
ハーバードだか、スタンフォードだか出のMBAだかなんだかが得々として語る新しい金融商品の
すばらしさがサッパリ理解できず、自転車操業にしか思えなかった馬鹿としては、納得のゆく話です。
悪魔の跋扈する社会の到来をお見通しだったんでしょうな、トルストイ様は。
賛同するなら家出しろ
肺炎で死ぬけどな
家族の反対や農奴の無知で思い通りの行動が達成できないくらいなら死んだほうがマシだと思ったんだろうね
378 :
吾輩は名無しである:2011/10/20(木) 09:44:38.39
トルストイのイワンの馬鹿を読んだのだが
「頭を使って手を使わない王様」と言うのは父親から広大な領地をもらい芸術を生業にしていた
トルストイ自身のことじゃないのかと思ったのだが
これはある種自己批判の文学でもあるんだろうか
何だかんだいって死ぬ間際まで貴族生活を続けていたわけで、言っている事とやっていることがちがうんじゃないか?
379 :
吾輩は名無しである:2011/10/20(木) 10:10:36.66
あと民衆を美化しすぎじゃないか?
イワンの馬鹿に出てくる民衆は現実の民衆ではないよな。
民衆に自信を持たせるためにああいう虚構を書いたと言うならわかるが
少なくともゴーリキーの『どん底』の方が民衆の実態を書いているように思う。
民衆のどす黒いところを直視せず、共産党の機関紙の如くひたすら美化するだけなので、現代の一般大衆が読んでも
うそ臭い感じがして読まれなくなったんじゃなかろうか
童話の設定に難癖つけてたらSFなんてジャンルは一切成り立たねーよアホ
381 :
吾輩は名無しである:2011/10/20(木) 12:04:34.09
ああ、SFだったのか。どうりでリアリティが無いと思った。
382 :
吾輩は名無しである:2011/10/20(木) 13:28:01.14
童話とはいえ、大嘘を書いてはいかん。いや童話だからこそ書いてはいかん。
あれを真に受けて、「民衆と共に生きる」とかいって家出するような人が出たらどうするんだ。
これではトルストイはまさに童話に出てくる悪魔そのものではないか。
トルストイは貴族も大衆も同じ人間であり、同じように悩み、同じように苦しんでいると言うことが
歪んだ貴族意識のせいで、全然理解していないのである。
ミッキーマウス見てネズミが喋ると思うやつや
シンデレラ読んで靴の中にガラス詰める子供がかつて居たんだろうか
子供臭い物語狩りで作品を批判出来たとほくそ笑むこの手合いはトルストイスレにはふさわしくないな
以降スルーするか。
385 :
吾輩は名無しである:2011/10/20(木) 15:03:20.26
「世界文学」という権威によって、事実を超えた真理が書いてあるなどと勘違いする
人間はいないとは言えないし、そもそも君らがそうではないか?
386 :
吾輩は名無しである:2011/10/20(木) 15:05:01.38
反論があるなら、そう書けばいい。
盲目的に作者を賛美するのでは宗教と一緒である。
貴族は「搾取する側」だという事実に苦しんでいたのでは?
労働を放棄して脅迫贈与によって富を収奪しているけれど、
それは実際には搾取する側をも損なっている
両者を損なわない暴力などありえない
という事実
とりもなおさず愛を説いたのでは?
アンナカレーニナの中では民衆に対する盲目的賛美なんて出てこないよ
労働に対する賛美は出てくるけど
べズーホフやネフリュードフのように農奴に土地を与えようとしてもうまくいかないんだな
社会主義体制下でも土地は公有になったのではなく所有者が貴族から共産貴族へと移転しただけ
389 :
吾輩は名無しである:2011/10/20(木) 20:57:08.50
そうなんですか。
では今度アン・カレを読んでみますね。
「イワンの馬鹿」を読んだ限りでは、ちょっと視点が偏ってるなと思いましたので。
トルストイは200年先を見ていたのかもしれないね
100年先の社会がどうなるかはまだわからないけど、
それのために、農奴制は崩壊しなければいけなかったし、現に崩壊した
今は資本主義が爛熟し、その果てに変容しようとしている
行ったことがその時完全じゃなかったとしても、意味がないということにはならない
391 :
吾輩は名無しである:2011/10/21(金) 00:27:20.57
>>390 資本主義が爛熟し、大衆民主主義社会が生まれて以降、民衆は19世紀のような支配の客体ではなく
まさに権力そのものとなりました。
民衆と言うものが『イワンの馬鹿』に出てくるような天使の如く純朴な人々であれば、うまく行ったのかもしれませんが
実際はファシズムの嵐が吹き荒れ、未曾有の惨劇が繰り返されました。
この点に関しては、トルストイはどういう問題意識を持っていたのでしょうか。
大文豪、天才と言われるほどの人ですから農地改革が進めば全ての矛盾が解決し、この世に天国が現れると言うような
楽観主義者ではなかった思われるのですが、実際はどうだったのでしょうか
392 :
吾輩は名無しである:2011/10/21(金) 01:01:52.92
労働に対する賛美と言うのも少し気になるんだよね。
現代社会の問題として「労働の美化」と言うものがあると思う。
多くの民衆は、本音では、別に労働を楽しんではいないと思うんですよ。
労働から解放されて好きなことをやりたいと思ってるんじゃないかな?
支配の対象が封建地主から資本家に変わっただけで、農奴がリーマンに変わっただけじゃないだろうか。
393 :
吾輩は名無しである:2011/10/21(金) 01:13:53.62
この点を、トルストイが問題意識として持ってないとしたら、現代で読まれなくなってしまっているとしても
仕方が無い面もある。
いや、しかしなんといっても未だに現代作家が選ぶベスト1に作品が上るような作家である。
私のちょこざいな憶測を裏切る偉大な作品を残した作家であると信ずる。
むしろ資本主義が労働を泥の中におとしめていると思うけど。
トルストイを理解したければ100年後の視点で見ないと。
トルストイが賛美した労働は本来の意味での労働、
自分が他人のために資するということを本質とした労働だよ。
それを人類が手にいれるにはまだまだ歴史が必要。
社会主義が理想的なシステムだと考えていたが人間には社会主義を実際に運用することはできないということも分かっていたのだと思うよ
トルストイ流農奴解放が失敗したのは家族が反対しただけではない
俺は社会主義は美しいが社会主義を実行できるほど人間は美しくできていないと思うんだな
396 :
吾輩は名無しである:2011/10/21(金) 21:02:04.11
結局トルストイは19世紀の作家であり現代に訴えるものは無いということなのかな。
もし人間が不完全な存在だとするなば百年経とうと不完全な訳で進歩史観的楽観主義は現実的ではないと言う事になるよね
百年後も人間は不完全で醜かったという結論になる。
トルストイは良く知らないけど、結構複雑な人だと聞いたし
実際、矛盾を抱えた人だったと思う。
そういう自覚もあったろう。
自伝なんか読むとかなりペシミスティックだものね。
少なくとも、進歩主義的楽観論者ではなさそうだな。
398 :
吾輩は名無しである:2011/10/21(金) 23:23:14.44
進歩史観というのは基本的に神(時間、歴史)任せの世界なんだよな
そこでニーチェなどの批判が出てくる。
己自身が超人となりて不完全な人間性を己の意志で超克すべきだというね。そういう視点はトルストイにはないんじゃないか?
最もトルストイ自身は超人的才能や情熱の持ち主だとも言えそうだけどね。
人類がトルストイさんのような超人ならいいんだがね
原始キリスト教に回帰したトルストイは完全な人間の象徴してイエスを見たのかも知れんがね
イエスのごとき超人たれというね
ま、全然読んでないんだけどさ
ニーチェ如きで止まってる奴がトルストイを理解出来るものかよ
400 :
吾輩は名無しである:2011/10/21(金) 23:33:48.89
トルストイをおとしめてる訳じゃないんだ
期待してるんだよ。
是非君のトルストイ理解を聞かせてくれ
正に、悪魔に魂を売っちゃった人が、世界中にあふれているのは確かだが、
自覚した馬鹿であれということ、これがなかなか頭でっかちになっちまった現代人には難しい。
でも意外に単純なことかもしれない。
虚飾のない自分自身の道をゆけ、他人の基準にあわせるな、ということかな。
『人にはどれほどの土地がいるか』これもそのものずばりの話。
子どものときは、あまりに教訓的と思ったけど、こういうある意味わかりきった普遍的な話を
ここまで象徴的且つ単純明快に書くって、
やっぱり凡人にはできないなと読み返してみて思う。
しかし、悪魔というのはわかりやすいね。なんかいろいろうまくいってるときは思わなかったけど
今は、そうなんだよ、悪魔なんだよ、と思う。
分かりやすい言い回しや易しい言葉で書こうとしないのは、
悪魔に魂を売っちゃったせいですか
難しい言い回しはどれも似通っているが
簡単な言い回しはそれぞれにその趣を異にするものである
404 :
吾輩は名無しである:2011/10/24(月) 13:06:17.69
わかりやすい言葉で書いたつもりが難解と受け取られる場合もあるって事だな。
評伝とかトルストイ関連の本を読もうと思いながら『終着駅―トルストイ最後の旅』
しか読んでない
あ、娘のサーシャが書いた本は読んだか
日本に来たときのやつ
そういえば、スティーブ・ジョブズの生前の有名な言葉は『ステイ・フーリッシュ(愚かであれ)』
だった。
この前クーリッシュ初めて食べたわ
運転しながらでも食べられるアイスかもしれんなあ
408 :
吾輩は名無しである:2011/10/30(日) 22:21:25.86
馬鹿ばっか
ルリちゃん来たなり〜><
410 :
吾輩は名無しである:2011/11/02(水) 08:01:54.11
資本主義の正統的なオルタナティブは社会主義じゃないよ
社会主義は、いわば資本主義の「既に古くなった部分」の反対物でしかない。
トルストイが言ったのは、資本主義を単純に反対にしろとか
そんなことじゃない。
soregadousita?
ちょっとバカ過ぎますよね
マルクス・レーニン主義から出なおしておいで的な。
トルストイって社会主義に全面的に賛同していたのだろうか?
土地私有制への疑問とか社会主義の理念に近い部分は持ってたようだが
存命中にロシア革命が起きていたら目的のためには流血も容認する社会主義革命には反対したと思うけど
毛沢東やポルポトの思想に近かったかもよ?
思想的に近いのはガンジーじゃね?
親交もあったようだし
てか、マルクスとか爆笑だから。
そこかよww
>>413 それはない。
社会主義は資本主義の単なる反対物なので、
必然的に失敗する運命にあった。
そんなことは少し考える能力のある人物にとっては自明のことなので
トルストイがそのような主張をすることはありえない。
>>415 そう、ガンジーは素晴らしい。
ほとんどすばらしさを理解されていないくらいに。
「よぉ〜し、お父さん思想に目覚めちゃうぞ〜」で、家族の気持ちがないがしろに
されるのがトルストイとガンジーの共通点か
セックス関係で悩むのもあるけど、それは多くの人にあるか
>>417 おまえが思い描いてるのはマルクスブラザーズだろ
>>418 社会主義が失敗だというのはやってみてわかったわけでトルストイ自身も農奴への土地の分配とか試みてるんじゃね?
農奴制の解体=社会主義じゃないよ
資本主義的プロセスともいえるんじゃないかな?
階級的くびきで人を縛ることは、資本主義の勃興によって古びたわけだから
資本主義が爆発的に広がらなければ階級社会はそのままの状態であっただろうね
トルストイのような透徹した目を持つ人物を
どちらかの陣営に与すると考えることがナンセンスだと思う
資本主義は人類の進化段階において必要な段階だった
しかし、その段階はすぎさり、今や悪を産み出しつつある
未来社会の形態を考えるときには、
トルストイのように本当に本質的なことを語った人々の声の中に予言的徴候をみるべきだと思う
資本主義は最悪のシステムだ
ただし過去存在した他のすべてのシステムを除けば
せつこ、資本主義やない。民主主義や
民主主義ねえ
俺は民主党という政党はどこの国においても好きじゃないな
各国の財政危機も民主主義のコストによるもの
衆愚政治によりソクラテスを葬ったギリシャ発ってのも何かの暗示かも
自由民主党は知的下層民を騙して票田にしてないぞ
自由民主党=おかみの時代が長かったから自民党の名前が出ないだけで
充分に知的下層民を騙すというかそうするに都合の良い法律を作ってきたように思うがね
農地法にしても大店法にしても。
自民党は最悪の政党だ
それ以外の政党を除けばだが
多分トルストイが今現れたら中道左派の社会民主主義政党を支持してただろうけどね
433 :
吾輩は名無しである:2011/11/22(火) 21:12:15.03
戦争と平和を岩波アンナ・カレーニナを新潮で頼んでしまった
過去ログ見る限り私はやらかしてしまったのだろうか
なんたら新訳文庫でなければ、いいですよ
新潮のアンナしか読んだことがないが、私的にはそんなに悪くなかったぞ。
436 :
吾輩は名無しである:2011/11/25(金) 00:38:17.17
1日3回オナニーしてるんですが、やり過ぎですかね?
人間の身体ってそういうふうに出来てるんだね
困ったなぁ〜
俺「アンナ・カレーニナ」は新潮版買っちゃったよ
Amazonでもトップだし評価が高いのはそれしかないと思ってた
…あとは岩波・光文社古典新訳の順(なんか
>>433-434で言っている)
>>166はどのようにして入手したのやら(岩波の中村白葉なら別の本であったけど)
Amazonじゃ検索しても引っかからなかったよ
今時新品で手に入らないのを読んで「それが一番良い」とするのは反則技な気がするんだが…
訳者の世代交代とか「言葉は生きている」とか版権とかそういうニュアンスで、
過去に読んだ作品でも新しい訳著を購入して読み進めるのが出版業界を支える上で、
さらに自分の言語を新鮮なものに入れ替える上で必要だと思うけれど
ヘタすると今忌み嫌われている光文社古典文庫しかなくなる、それが一番だと評価される時が来るかも知れない
(怖いけどね)
まあ、あと2〜3日したら「アンナ・カレーニナ」に手を着けてみる
てか、今から目を通してみるか?
…「人生論」なら新潮の原訳がいいと
>>325が言っていたが…
新潮のアンナ普通に楽しめたよ
どの訳がいいかなんて人によって違うんだからとりあえず読んでみれば
新潮版「復活」はあまりこのスレで語られていないみたいですが、どんな評判でしょうか?
題名のイメージからして綺麗で前向きで神々しい何かがありそうな気がするのですが…
名作ではあるけど戦争と平和とアンカレよりは落ちるね
>>442 敢えて聞くんだけど 何がどう落ちると思う?
それまでのトルストイの小説を読んでないとあまり楽しめない
復活は外部ソケットが山ほどついてる小説だから。
>>444 とりあえず
> 題名のイメージからして綺麗で前向きで神々しい何かがありそうな気がするのですが…
>
読了後これを感じ取れたらいいかなぁと思ったのですが…
聖書とか宗教的なものじゃなくて純粋に読書として
トルストイの小説でメジャーなのは「戦争と平和」と「アンナ・カレーニナ」とあと…
ま、全くトルストイの小説を読まないで「復活」を読んだらチンプンカンプンだった。とかだったら怖いけどねw
トルストイの「人生論」って角川と新潮から文庫が出てるけど
どっちがいいのかな?
まぁとりあえず新潮をポチってみます。
超お金持ちで、顔もかなりいい男と3年近く付き合ってた。
ある日、大切な話があるといって呼び出され、
「ついにプロポーズかな?」と胸をトキメかせたものの、
いつもは高級レストランなのに、その日はなぜかファミレス。
他愛もない話を少しして、彼が突然こう切り出してきた。
「実は事業が失敗して、かなりの額の借金を抱えてしまったんだ。」
幸せ一杯だった私の頭はパニックを起こし、
それ以降の彼の言葉を全然覚えてないよ。
帰宅後、彼から電話があり、これからも変わらず付き合っていけるよね?
と聞かれたけど、私はなんだか怖くなって
「今は私のことより事業を立て直すことに専念して欲しい」
と思わず言っちゃった。
それ以降彼とは疎遠になり、結局別れてしまった。
それから2年くらいして、友達からその彼が結婚したのを聞いた。
それよりショックだったのは、彼の事業は順調そのもので
失敗などしていないと聞いたことだった。
私もしかして試されてたのかな?(つд∩) ウエーン
好きだったのに、どーして支えてあげようと思わなかったんだろ。
でも、こんなのってヒドイよ!
449 :
吾輩は名無しである:2011/12/27(火) 16:59:01.73
アンカレを新潮と岩波で読み比べてるんだが一長一短だね
新潮の方が読みやすいが岩波は挿絵と登場人物リストが付いてる
オブロンスキー家ではなにもかも混乱してしまっていた。妻は、夫がかつて我が家にいた家庭教師のフランス夫人と関係していたことを知って、もうとても一つ屋根の下でくらすことはできないと宣言したのだ。(新潮版)
オブロンスキイ家では何もかもがめちゃくちゃだった。妻は、夫が前にうちにうた家庭教師のフランス女と関係があったことに気づいて、もはやこれ以上、一つ家に同居は出来ない、と夫に向かって言い切った。(岩波版)
オブロンスキー家は大混乱のさなかにあった。夫が以前家庭教師に雇っていたフランス女と関係を持っていたことに気づいた妻が、もう一つ屋根の下には暮らせないと、面と向かって宣言したのだ。(光文社版)
>>450 さて、学校図書として奨めるならどの版がいいでしょう
どの版なら文章が安定しているでしょう
…ロシア文学だからといって何もロシア文化だけを学ぶのではないのだ
翻訳された日本語からも日本語を学ぶことはあり得るのだ
光文社版のクソさが際立つ
まあでも新潮社版かな、この箇所だと。
その前に一行あるだろ。そこも較べてみ。
幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。(木村浩)
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。(中村融)
幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。(望月哲男)
幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭は不幸の相もさまざまである。(工藤精一郎)
幸福な家庭はみなおたがいに似かよっており、不幸な家庭はそれぞれその家なりに不幸である。(藤沼貴)
幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれ違うものだ。(原卓也)
幸福な家庭は一たいによく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。(中村白葉)
幸福な家庭はみな一樣に似通つてゐるが、不幸な家庭はいづれもとりどりに不幸である。(原久一郎)
幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それ/″\に不幸である。(中村白葉)
幸福(かうふく)な家庭は凡(すべ)て其の幸福(かうふく)を同(おな)じうして居(ゐ)るが、不幸(ふかう)な家庭(かてい)はそれ/″\その不幸(ふかう)を異(こと)にして居(ゐ)る。(相馬御風)
和合した家庭の状(さま)は、いづれも似通うた者であるが、然(さ)あらぬ家庭に於ては、其の不幸(ふかう)の躰(てい)が皆各差(ちが)ふ。(瀬沼夏葉・尾崎紅葉)
比較をお願いできるなら是非一箇所比べて頂きたいところがあるんです
オブロンスキーがドリィに対して浮気の贖罪の為にドア一枚隔てて涙を流す箇所で
「彼の流す涙は同情の涙であってそこに愛は無い」と断罪する箇所。
あそこ引用してくれませんか
大方の翻訳はどれも似たり寄ったりだが、先行訳と違う独自性を
見せようとするとそれぞれに独特の馬脚を顕わすものである。
上巻のわりと始めの方。アンナの名前が出てくるかどうか微妙な辺りだったと記憶してます。
>>457 ドア一枚隔ててではなくドリーの部屋の中だね。中村白葉訳と木村浩訳。
他の訳はだれか頼みます。
彼は彼女を見やった。彼女の顔に刻まれた忿怒が、彼を脅かし驚かした。
彼は、彼女に対する自分の憐愍が、彼女を激させたのを理解しなかったので
ある。彼女が彼のうちに見たものは、彼女に対する同情であって、愛ではな
かったのである。《いや、あれはおれを憎んでいる。とても許してはくれま
い。》こう彼は考えた。(中村白葉訳、河出書房世界文学全集、1953)
彼は思わず彼女の顔を見た。と、その顔に表われている憎悪の色に、はっ
として、たじろいだ。彼には自分が相手にいだいた哀れみが、かえって妻を
いらだたせたことが理解できなかった。しかし、彼女が夫の中に見いだした
ものは、自分に対する同情であって、愛情ではなかったのだ。
《いや、あれはおれを憎んでいる。とても、許してはくれまい。》彼は考え
た。(木村浩訳、新潮文庫、1998)
彼は妻をちらっと見やった、と彼女の顔に表れていた憎悪にはっとなり、
またどきりとさせられた。彼には、妻に対する気の毒な気持ちがかえって
相手をいらだたせたことに気づかなかった。彼女が良人のうちに見たもの
は自分に対する同情であって、愛ではなかったのである。《だめだ、あれは
おれを憎んでいる。とてもゆるしてはくれまい》――と彼は思った。
(中村融 岩波文庫 1989)
すいません、白葉の方です。失礼しました。
464 :
吾輩は名無しである:2011/12/28(水) 15:35:34.43
古いのは文が良くても字が細かくて読む気がしなかったりするんだよね
光文社でも亀山ほどはひどくないと思うよ
今日ブクオフをうろついていたら比較的綺麗な本を見つけた
「光あるうち光の中を歩め」新潮文庫 原久一郎訳
200円だったがクーポン券で100円引きしてもらったから100円で買えた
読めるかどうかは別
>>450 新潮が一番いいな
俺は最初は筑摩の世界文学全集で読んだけど
岩波はブランド価値はあるけど
翻訳はいまいちだよななぁ
岩波も誤訳があるみたいだし。
470 :
吾輩は名無しである:2012/01/07(土) 00:17:15.36
一月七日、キリスト降誕祭 (ロシア正教)。
理想を追い求めすぎて太陽に羽を溶かされ症候群なのがトルストイ
結局、理想って何?んまいの?なミノタウロスなのがドストエフスキ
アンカレ中巻まできたけどアンナがウザすぎて挫折しそう
トルストイの死に方は実にトルストイらしいと思う
昔は、トルストイは晩年おかしくなったみたいな印象だったけど
今は、実に素晴らしい、いいしにかただなぁって思う
474 :
吾輩は名無しである:2012/01/17(火) 06:34:35.79
アンナよりもリョービンの方がうざいと思ったけど
作者が作品に登場するなよって
475 :
吾輩は名無しである:2012/01/17(火) 23:37:29.93
476 :
吾輩は名無しである:2012/01/19(木) 21:24:54.41
477 :
吾輩は名無しである:2012/01/19(木) 22:30:15.20
マルチうざいよ
478 :
吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 04:42:02.44
トルストイレベルとまではいかないまでも、
日本の作家で一番文章うまい作家って誰だろう?
本日、コザック、ハジ・ムラート読了。フレッシュな筆致のコザック、老成し、エグミのあるハジ・ムラート共に良かった。俺の頭では、カフカーズの鶯が、ホーホケキョウと鳴いている。
うん
素晴らしいよね
481 :
吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 00:47:53.46
>>475 最近、高齢者の肺炎死、異常に多いですね。
ところで、このスレに来るまで藤沼先生は1951年生まれと勘違いしていた。
>>475 はガセなのではと疑って、調べた程(ゴメン)。
今まで家族に、「団塊世代の訳はダメだわ」とか言ってた私。ww
先生、お許し下さい。(でもやはり、アンドレイ→老ボルコンスキー公爵は、
「おとうさん」でなく、「父上」がよかった。
ナターシャの「あたし」はともかく、マリヤは「わたくし」でないと・・。
脳内変換してます。)
ご冥福をお祈り申し上げます。
死人に鞭打つのは失礼だと承知の上で藤沼訳は駄作だ
今読んでるんだけど
藤沼は名前を統一してるんだよね
例えばべズーホフとピエールは同一人物なのだが作者が場面に応じて名前を使い分けてるのに訳者が統一するというのは作者に対する冒涜だと思う
工藤訳、中村訳を読んで、今度は藤沼訳を読もうかと考えていたが、
次読むときは、米川訳にしますか。、
486 :
吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 03:08:16.39
そうか
うん
>>460 を読む限りでは、木村訳の方が好みかな
白葉訳は、少し堅苦しい感じがする
「かえって」という微妙なニュアンスを見逃していないところも、木村訳に一票
好みの訳者について語るのは大いに結構だが、
本来名文と云われるものは、翻訳不可能と相場が決まってる。
それを考えると、どんぐりつまり大同小異としか言いようがない。
お前の中だけだろ
亀山先生の新訳ならいらない
トルストイには興味なさそうだが
読めるんだったらロシア語の原文読めってことだろ。
誰だって原文で読めるなら読みたいわ。
ただ、頭が悪くて、それができない。というのも事実。
>>490見たいに無理に強がった所で、バカはばかでしょうがないけど。
わたしなんか、ロシア語できないのに、
トルさんの本買っちゃったよ
ブックオフで安売りしてたんだもん
どうするんだろうね、読めないのにさ
読めなくても聖書は聖書さ
木村訳が以外と人気w
読みやすさだけで選ぶと新潮か
アンカレに関しては岩波や新潮より読みやすい光文社でいいと思う
韻文は翻訳で伝わらない部分が多いが
散文なら翻訳でも大差ないだろ
戦争と平和は米川、アンカレは中村融で愛読してる俺は肩身が狭くなったな
次は光文社でもいいかな…
戦争と平和はべズーホフとかの物語部分は米川で良いと思うがナポレオンとかの歴史部分は米川だとちょっと読みにくい
歴史部分は力が抜けた藤沼くらいがちょうどいいと思う
3月13日に、光文社古典新訳文庫から『コサック』がでます。
ハラショー!
アンナカレーニナは光文社のが一番読みやすい。
アンナ・カレーニナについて
>>495で新潮が読みやすいといっておきながら
>>496以降で光文社が読みやすいというのはどういうことなのだろうか?
光文社のデメリット
・1冊の価格が1000円以上(新潮なら最高でも800円くらい)
・全話で4冊もある(新潮なら3冊で済む)
・(これは公平な評価ではないが)Amazonでのレビューでは光文社より新潮のほうが順位が高い
・
>>450で訳の比較が出され、酷評されている
光文社のメリット
・出版が新しい、つまり訳文が新しく最近の人向けか?
>>503 まさに普段本を読まないわたしは光文社新訳を選んで良かった。
文章にこむづかしさが無い一方、
デメリットとしては文学ってこんなもんかって感じた。
ただ、言葉の表現に身近な言葉が使われているのと、
あまり聞かない言葉には都度説明書きが同頁内に書いてあるので
内容としては理解しやすく、かなり面白く感じた。
最近の人ってか、若い世代でも読みやすい感じ。
いろんな本を読み漁ったあとだとたぶん表現に物足りなさを感じそう。
新潮のアンカレは登場人物リストが付いていないのが残念
光文社と岩波は付いてるんだよね
岩波は挿絵まで付いている
岩波の絵が入ってて新潮の文章で光文社の字の大きさで新潮の紐が付いてると最強だと思う
望月のアンカレは悪くないと思ったが白痴はイマイチなじめなかった
「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、」(望月哲男)
「みえる」という余計な語を入れて文の勢いを削いでいる。こういうのは最悪だ。
光文社は赤と黒の件で評判を落としたな。
ああいったミスは素直に認めればよかったのに。
確かに買ったはずの『懺悔』がみつからない
どこへ消えたやら
光文社だから良いとか悪いとかじゃなく作品ごとに評価してやるべきじゃね?
今年は1812年のボロジノの戦いから200周年。
ロシアで凱旋門の修復作業をやってるな。9月初めに祝賀行事だってさ。
アナトーリって足を切断したところで退場してるんだが氏んだんだろうか?
トルストイって悪人の描写が天才的にうまいね
ご自身のお友達が恐らくモデルですからな。アナトーリ君は普通に助かってはいるんでしょう。
514 :
吾輩は名無しである:2012/04/11(水) 12:47:06.54
要約福音書が気になるのだけどどこにも手に入らないよage
>>514 河出版の全集第14巻に入ってるようだ。
The gospel in briefって題で英訳が入手しやすいですよ。
読みやすいし短いし、こっちがお得。
もっとも、英訳題名を見て「ブリーフの中の福音」と思った人はアウトw
そういや全集って手があるのね(全集を読むって習慣がなかったゲフン)
英訳もいまamazonで試し読みしてるけど読みやすいです、情報ありがとん
これ福音書の要約?
それなら直接福音書読めばいいのでは?
要約福音書は奇蹟(イエスが病人を治したとか水の上を歩いたとか)の話がなくて
ウィトゲンシュタインの論考と同じで、「語りうること」と「語りえぬこと」を分けているのだとか。
福音書四つすべてをミックスしたのかな
要約福音書はたしかキリストが十字架に架かって死ぬとこで終わってるんだよね。
復活はなし。
なるほど面白そうですね。
アマゾンから発注してみました。
インターネットアーカイブだったらタダなのに
著作権切れた古い本ならだいたいあるよ
526 :
吾輩は名無しである:2012/04/14(土) 20:40:31.96
>>431 遅レスだが、そんなことはないと思う。彼はアメリカのヘンリ・ジョージの「土地国有論」を読み共鳴
して私有財産を否定して妻と衝突した。又「復活」を出版した大きな理由のひとつもドゥホボール教徒
の北米移住の資金を得るためであった。彼らはいわば「光あるうち光の中を歩め」のような生活をして
いた。どちらかといえば社会主義というより無政府主義に近いのではないか。社会主義じゃダメなんだ
、(トルストイ全集16)どうしても宗教的なものが核にないといけないといっている。当たり前の結論
になるが彼は原始キリスト教主義者になるのではないか。
527 :
吾輩は名無しである:2012/04/14(土) 21:44:09.66
戦争と平和だけで十分ちゃう?
ドストエフスキーの不気味な今日性に
くらべ、なんとまあ古き良き時代の小説家に
なってしまったな。
ドストエフスキーって分かりやすいからアホに受けてるだけだろ
>>527 「イワン・イリイチの死」とか「ハジ・ムラート」も素晴らしいよ
ドストエフスキーとはジャンルが違うだけ
ドスト=ラノベ
トルストイ=純文学
みたいな違い
アンカレもいいが戦争と平和ほどではないかも
533 :
吾輩は名無しである:2012/04/15(日) 08:10:32.56
原始キリスト教においては「統治」は行なわれない。このことを考えるためにもトルストイが日本人と「
老子」の翻訳に熱中したのは必然であった。「孔子」=「統治」より前の時代について考えることが必要
だからだ。やがてそれは「無為」や「現在の社会組織について」のような論文に結実していくだろう。
ドストエフスキーのほうが慣れるととっつきやすいから仕方ない、落としどころが分かる
一方、トルストイは馴れ合いを嫌うから気が抜けない、登場人物もかなりタフな人物が多い
>>526 トルストイは思想としてはそうだけど、政治的立場では意外と秩序維持的だよ。
領主と農民の間にも厳しく一線を引いて、それぞれの立場で努力することを要求してる。
中道左派的と言うのはそんなに間違った理解じゃないと思う
535 :
吾輩は名無しである:2012/04/15(日) 19:20:47.59
彼が心血をそそいだ論文「神の王国は汝らのうちにあり」の10章はこの論文の結論に相当する。この章
の頭から国家と真のキリスト教は絶対に相容れないことをトルストイは熱烈に語り出す。今手元にない
ので引用はできないが、そもそもキリストがはりつけになったのは国家とは相容れないからだといって
いる。だから国家と結託した教会派から破門されたのは当然のことなのだ。事実この論文も発禁処分と
なった。解説の中村融氏によればこの論文は非合法なルートで世界中に広まり読まれたためトルストイ
は有名になったという。トルストイが一部の人だけではなく世界中で有名になったのはこの論文をはじ
めとする発禁論文のためであった。
トルストイはハーレクインロマンだろ
537 :
吾輩は名無しである:2012/04/18(水) 22:27:08.81
上述のとおり小説家というよりも社会活動家として知られていた時代もあったのだが、それを考える為
にはドゥホボール教徒について知る必要がある。福音書原典への研究にのめりこむようになったトルス
トイは反暴や無抵抗主義を信条とするようになった。相前後してドゥホボール教徒を知るようになる。
彼らはロシアの徴兵制に反発し兵役拒否を貫こうとした。
「帝国臣民の義務である兵役拒否ですから、以前にも増して徹底的な弾圧が始まります。強制移住、
殺害、投獄、拷問。ドゥホボールはありとあらゆる辛酸を嘗め尽くします。惨状からドゥホボール
を救うべく奮闘したのがトルストイです。迫害の悲惨さを国際世論に訴えました。」(「非国民が
来た」より引用)
トルストイは彼らを助けるためパンフレット『助けよ』を書いたり、『復活』を完成して売ることにし
た。
538 :
吾輩は名無しである:2012/04/20(金) 22:25:53.98
すでに私有財産の放棄をめぐって妻ソフィアと衝突していたトルストイは著作権も放棄しようとしたが
折り合いがつかず結局妻に譲渡した。『復活』を売ることは「放棄していた著作権」を利用することを
意味したのでかなり悩んだようである。この時期のトルストイと妻の関係はもはや収拾不可能な状態に
あり最後の有名な家出の前にも何度か家出を実行しようとしている。しかし妻ソフィアを一方的に悪く
いうことはできない。まっとうな人間なら何人もの子供をかかえて私有財産を放棄できるだろうか?
ソフィアにはそれは正気の沙汰とは思えなかっただろう。
>>534にある「中道左派的」というのはト
ルストイの思想ではなく妻ソフィアの思想なのだ。しかしトルストイにはそれが我慢ならかった。後
にそれは家出の大きな原因となるだろう。
>>536 ハーレクインロマンにはジャガイモの正しい育て方なんて出てこないだろ
トルストイは現代農業だろw
テーブルの交霊会もな
541 :
吾輩は名無しである:2012/04/23(月) 10:48:08.81
トルストイの民話集で、なるべく一冊にたくさんの話が入っているやつが知りたいんですが、
例えばどれが何話入っているでしょう?
今現在新本で手に入らなくても、図書館や中古で手に入るものならいいです。
542 :
吾輩は名無しである:2012/04/23(月) 10:59:28.75
>>541 あと大人向けのもの(変に平仮名が多くない)でお願いします
>>538 それは田中正造が無政府主義者だったとか言うのと同レベルの理解だな。
544 :
吾輩は名無しである:2012/04/24(火) 21:56:01.28
たしかにアナキズム(無政府主義)とは何か、という定義の問題はあるものの、多くのアナーキストに
とってはトルストイがアナキズムに関心があることはよく知られていることなのだ。アナキズムの歴史
を書いたものにはほとんど必ずといってよいほどとりあげられている。試しに「トルストイとアナキズ
ム」で検索してみるがよい。もちろんかなり昔に出版された河出書房の全集の月報にも例えば「トルス
トイのアナキズム」そのことが書かれているし、「現在の社会組織について」「神の王国は汝らのうち
にあり」等を読めばわかることだろう。そもそも彼が熱心な飢饉の救済活動を妨害されたのも内務大臣
ドゥルノヴォが革命のような危険なものとして皇帝に報告したためであるという(トルストイ・クロニ
クルによる)。関係が深かったドゥホボール教徒は「国家否定」の思想も持っていたし、先にあげたヘ
ンリ・ジョージの影響もあり、「地代を社会の共有にしようと活動もした(トルストイ・クロニクルに
よる)。
いや意味が分かってないみたいだから言うけど、
トルストイの「思想」と、トルストイが「政治に移し替えた場合に取るだろう立場」は違うわけ。
トルストイの思想に関しては復活の農村改革なんかが参考になるが、あれは村落共同体の自治能力をフルに引き出す発想ではあっても、
決して社会主義的な秩序転覆を伴うものではないのね。貴族が農業経営者や社会制度設計者、もしくは専門家や官僚と言った立場にシフトしていくのを期待してる。
ネフリュードフが制度設計者になってるでしょ。
明治維新でも士族は身分的特権を失ったけど、近代国家で大量に必要とされる専門技術者、官僚や軍人として社会をリードしたでしょ?
そういう指導者的な役割は否定してないんだよ。
思想に関して無政府主義の伝統が生きてるとは思うけど、
トルストイはそれを実現する過程でのリーダー=貴族・インテリ層の役割を重視してる
トルストイが中道左派的と言うか、社会制度に関しては革命家ではなく「伝統を尊重しながらの近代化派」
と言う秩序維持的なポジションだったことは、何らトルストイの限界を意味するものじゃないよ。
当時ロシアの資本主義の発展で進んでた西欧化−近代化を「中道右派」(政治・社会リベラル、経済自由主義)と見るなら、
トルストイはロシア伝統の尊重−でも近代化は志向と言う意味で中道左派的だと言ってもそんな間違いじゃない。
田中正造の思想も@社会主義、Aキリスト教 B民権思想などで捉えられてきたけど、
出発点は村方として農村自治を担った経験と、民間信仰的な富士浅間信仰でしょ。
日本の伝統に根ざしながら、@ABあたりの外来思想を吸収していった「伝統重視−近代化」型になる。
こういうタイプは独自の思想形成した人に結構多い。だから、のちに@ABの人間とは決別したりしてる。
548 :
吾輩は名無しである:2012/04/25(水) 21:38:50.78
「私があなたにほとんど不可能なことを求めているのはわかっていますーそれはあなたが一生生きてこ
られ、心をすべて託してこられた環境全体を否定する教えをありのままに認めろということですから。
しかし、ほかの人の場合と違い、あなたにすべて包み隠さず言わずにはいられないのです。」
上記の文章は叔母アレクサンドラ・トルスタヤに宛てたトルストイの手紙(1880年)の抜粋である。叔
母は宮廷人で敬虔なギリシャ正教徒であった。しばらく前に彼女はトルストイを難詰したがそれでも自
分の信念を曲げることはしなかった。それは「その結果、私はロシア正教を研究しはじめたが、その中
にたくさんの誤りや虚偽があるのを知り、正教会と闘い、自分の信仰を主張することで、死から脱出し
た(「懺悔」より引用)とある通り固いものであった。国家からはトルストイが農民の子供たちのため
の学校開設時代(1862年7月)に中央から来た憲兵隊とツーラ県の警察がヤースナヤ・ポリャーナ、
その他二カ所に踏み込み家宅捜索されていらい、監視されたり妨害が続けられた。後妨害は彼の弟子に
まで及ぶが彼は負けなかった。
549 :
吾輩は名無しである:2012/04/26(木) 21:30:14.49
アナキズムといっても秩序がないわけではない。それは先にとりあげた「老子」的ともいえるもので
「無為」の秩序のようなものがある。思想は全然違うが本居宣長のいう「道」に通じるものだ、古代
「道」という言葉はなかったが「道」が行なわれていた。しかし今「道」という言葉はあるが「道」
は行なわれていない。イメージがわきにくいかもしれない、「光あるうち光の中を歩め」の登場人物
パンフィリウスの生活が参考になると思う。ここではトルストイの理想を少しだが垣間見ることがで
きる。又反暴力と無抵抗主義はトルストイが聖書原典から学んだ大切なものでガンディー等多くの人
に共感をよんだ。しかしこの思想を実行することは生易しいことではない。1904年イギリスで発表さ
れた「思い直せ!」(悔い改めよ)は日露戦争に反対する論文であるが、戦意高揚の雰囲気が高まる
日本では当時この論文はばかげた非現実的なものとされたが、どちらがバカであったかはいうまでも
ない。
人生論を読んでいるが頭が痛くなってくるな
俺も人生論は挫折した
光文社なら読みやすいかなと思って挑戦したんだが
トルストイの全集って19巻くらいしかないけどトルストイって寡作だったの?
553 :
吾輩は名無しである:2012/04/27(金) 16:34:23.72
話の難解さに加えて、晦渋な日本語訳がきつい。
人生論は内容の過激さが凄まじいから翻訳の問題じゃない、正しい拒絶反応
宗教で言う原理主義みたいな印象だったなあ
理解しようとしながら読むと、1時間で10ページくらいしか読めないや。
人生論を3行で要約してくれ
生命の真の幸福とは、金銭や肉欲などの動物的な幸福ではなく、人間に許された理性によってもたらされる幸福である。
生命とは、自分が生まれてから死ぬまでのことだけではなく、宗教に代表される精神的な生命とでもいうべき、人類開闢以来、そしてこれからも連綿と続いていく思想的なものでもある。
多くの人間は自分だけの幸福を希うが、他人の幸せが自分の幸せを妨害してくるため、他人と戦うこととなり、その超克に苦しむ。
と、本編風に書いてみた。
少なからず解釈自体は人それぞれなので、上記はおいらの解釈です。
最終的には自分で読んで判断してもらうとしかないです。
人間なんて理性に基づいて合理的に行動するなんてできっこないってドストエフスキーさんが言ってたよ
ニニが四は死の始まりなんですって
ドストエフスキーさんはトルちゃんにパワーでぐいぐい押されるのが苦手だったからな
いやなものを我慢してやりなさいというならまだ逃げ道があるが、
理性に従えばこうなるのだと言う理屈で来るから逃げ道が全くない。
気の弱い人なら放り投げちゃうだろう
ドストエフスキーとトルストイって大体同時代だけど会ったことないんだよね?
お互いの作品は尊敬していたようだが
ところが、ドスはドルの全盛期作品に対して戦争と平和、アンカレと認めざるを得ないという感じで認めてるんだけど、
トルはそこまで認めてるかどうか疑わしいんだよね。
「復活」でカチューシャにこれ読むといいよと言って薦めた本のうち、ドスの本は死の家の記録。
罪と罰以降はスルー。
ドストエフスキーはカラマを書く際に戦争と平和程度の長さとなる予定だと語っていたらしいね
566 :
吾輩は名無しである:2012/05/01(火) 21:02:07.45
「いまやバルザックがトルストイの上に持ち上げられている。沙汰の限りだ。バルザックの作品は、いけ
すかない、不愉快な、まったくの噴飯ものである、そこでは大作品をつくりたいと願う一文学者によって
人間が裁かれている、トルストイにあっては裁くのは静謐の神であるのに。バルザックはやっとのことで
大作家の印象を与えている、トルストイにあってはすべてがごく自然におおきい、」
(プルースト評論選「文学篇」ちくま文庫より引用)
同業者の評って、色々と深読みが出来る
568 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2012/05/01(火) 23:12:21.60
プルーストはロシア語できたのか。まさか翻訳で他国文学を読み、自国の文学者ほどつまらなく見えるという中二病の典型ではないよな。
トルストイは自分の中の罪悪感を神に投影して
それで以て作中人物を裁いているだけの様な気がしますが。
結局、あの人の苦悩は全てを持ち合わせた人間の苦悩なんですね。
過ぎたるは猶及ばざるが如しということです。
いやトルストイは普遍的な苦悩を悩んでるよ。
そういう風にトルストイを「どうせ恵まれた人だから」と棚上げしちゃうのは一時期のよくない傾向
ただし性欲も体力も感情も、あと死への恐怖や鬱状態になった時の苦しみとか桁はずれてる
だからそこから救いを得ようとする時、一般人にはとても付いていけないと思わせる強烈さを求めるんだろうね
トルストイが登場人物を裁いてるように見えるのは、それだけ人間をシビアに見てるからだろうな
そこで裁かれてるのはトルストイの分身かも知れないしな
人生論は10章あたりで読むのを断念したなあ。
意味不明すぎたw
俺は1ページ目で挫折した
ファーストロスはベストロスだよ
翻訳された文章特有の、異様に長い一文とかが読みづらい。
>>579 >そういう風にトルストイを「どうせ恵まれた人だから」と棚上げしちゃうのは一時期のよくない傾向
いや、そうじゃなくてね。
例えばニーチェのようにキリスト教道徳はしょせん貧者の負け惜しみじゃないか
とするありふれた批判(日本人なんかも良くします)とは別の経路で
神や信仰への道を見出した、ということですよ。
欠落性はもちろん過剰性も苦悩の種なんですよ。
でもそういう極めて現世的な人間的苦悩から導き出された絶対的存在者は
本当に絶対的なのかな?ということです。
最期の家出のように全てを投げ捨てようとしたのは
このような過剰性からの逃走が目的だったわけで、
そういう物理的水準の行動で苦悩からの解脱が図られるのなら“信仰”やそれに根差した“文学”など要らない。
市営住宅の一室でドミニック・ローホーでも読んでいれば満たされるような幸福感に近いわけです。
だから何でトルストイを「過剰」と判断するのさ。
トルストイの日記読んでみりゃ分かるけど本人は劣等感に囚われまくってるよ。
いや劣等感どころじゃないだろ。アンカレの直後にはほとんど狂人廃人だったんだから
トルストイは普通の人、もしくは繊細な人だよ。そのスケールが馬鹿でかいだけで。
たとえば死の体験にしても、トルストイほど取りつかれたように死に怯えてる作家も少ない。
なぜ「復活」のラストで、ネフリュードフは革命青年の死を知ってカチューシャのことが頭から吹っ飛んだんだ?
あれなんて完全に蛇足と言うか、作品の落としどころを破壊してるだろ。
トルストイ批判者には、たとえばああいうあたりが「説教」に見えてるんだろうな。
しかし戦争と平和のボルコンスキーから見てれば、説教でも何でもない、トルストイが取りつかれてると言うのは明瞭。
ボルコンスキーは完全人のような気がしますが?
分かってると思うけど、戦争と平和のボルコンスキーってあの死のシーンだよ
それにボルコンスキーは完全人でも何でもない。
ナターシャを振ったのは自分が許せなかったから。傷つきやすい男なんだよ。
580 :
吾輩は名無しである:2012/05/05(土) 02:54:28.97
トルストイはリア王を不自然で不道徳な駄作と批判した
そして道徳的な種本の方をより高く評価した
下世話な話に美しい音楽をつけるモーツァルトを理解できなかったベートーヴェンと被る
581 :
吾輩は名無しである:2012/05/05(土) 04:18:50.51
「文学」を「思想」と混同してはならないのは正当だし、それでなくてもトルストイは「説教くさい」
的な言説があたりを覆っているのだから、ナボコフのような人がトルストイを「思想」から引き離して
語るのも充分意味があったと思う。とはいえ以下の文を読むとことはただごとではないと感じる。
「生活を変えることをめぐって、家族との対立が烈しくなる。家族がトルストイを「狂人」と呼ぶ。」
(1884年4月)トルストイ・クロニクルより引用
妻のことはいうまでもないが贅沢になれた息子達とはうまくいかず(何人かの娘は別)、1891年には
長男セルゲイ、次男イリヤ、三男レフの要求でしぶしぶ財産贈与証書を書く。すでに1885年には全て
の著作権は妻のものになっているのだからトルストイの財産などたかが知れている。ほとんど「リア
王」状態だといってもいい(笑)。近年トルストイの文学作品を評価するあまり政治や宗教に関する
論文が顧みられない傾向があったのではないだろうか。家族の多数のように「狂人」と片付けて見な
かったことにするべきなのか。河出書房の全集をはじめ故意か偶然かは知らぬがその種の論文は削ら
れている。もう一度そこに光をあててもいい時ではないだろうか、と私は思う。
>>580 そのベートーヴェンをトルストイはこき下ろしてるけどね
トルストイの場合は判断基準が分かりにくい、石頭で理解できないというわけじゃないからな
こんなのは芸術とは言わん だから
>>581 家族との対立であまりに財産的側面に光を当てるのはどうかな。
長男セルゲイは比較的穏やかだったが、イリヤとトルストイの対立は性格的なもの、
あるいはソフィア夫人との関係を巡ってのものなどいろいろ要因がある
トルストイにとっての幸せと、夫人にとっての幸せが一致しなかったことの悲劇。
トルストイの人生自体が、自著の人生論そのまま。
585 :
吾輩は名無しである:2012/05/05(土) 10:55:11.97
>>583 おっしゃるとおり家族との対立には「いろいろな要因」があったことだろう。先の文章は途中で話がと
んでしまいわかりにくくなってしまったが(笑)私が光をあてたいのは、この対立の社会的側面である。
ある家族の不和といった程度の問題ならわざわざトルストイをとりあげなくてもそこら中に見ることが
できる(笑)。やはりこの対立には「思想」の問題が絡んでいると思うからとりあげたいのだ。「し
ぶしぶ財産贈与証書を書」いたのも息子達に財産をわけたくないからではなくてトルストイが土地私有
の問題で別の方向を模索していたからである。それは統治の問題の核心にふれることだ。「人々は、あ
まりにも力の助けを借りて秩序を維持するのになれているので、圧制のない社会組織を考えることはで
きない。」と考えるトルストイにとって「圧制のない社会組織」とはどのようなものであったのか。
頂に立ったら他人の話を聞けなくなったのさ
トルストイ全集、早く電子配布してほしいな
俺には労働は喜びであるというトルストイの境地には達し得ない
働かないで食ってければそのほうがいいわな
人生論を読むと、思想が極端すぎるな。
インテリ層などを十把一絡げにしている。
芸術論はもっと極端
他人の幸せにケチをつけている印象だ。
俺の言う幸せ以外認めないって感じで。
価値観は人それぞれ。
トルストイの場合は極端すぎて、暴論の領域だ。
人生論と芸術論のせいで、
モダニズム志向の人間に舐められているのがもったいない作家だと思う
ドストエフスキーに比べれば、591が言ってるような排他的な印象はじつは間違いなんだけどね
(ドストは本当にやばい)
ドストエフスキーに比べてどんな印象を持つのが正解なんですか?
両方ともパーソナルな体験にこだわる作家だけど、ドストは自分の体験に甘いのね。
トルストイもパーソナルな体験なんだけど、凄いパワーで格闘してるから、
出てきた答えも凄い結論になってる。突き詰めるとこうなるのかという驚きが味わえる
そこが逆に反感買ったり、逆に信者になったりすることになるんだろうね
だからドストは社会主義に走りその反動で簡単に露土戦争に興奮する夢想的右翼になっちゃったけど、
トルは若い頃の戦争と平和から、次第に思想の普遍性を高めている。極端な思想的振幅がない
芸術としての評価はアンカレなんだろうが復活とか晩年作品は純度が高い。
だからそういう褒め方だとモダニズム志向のやつに舐められたままなんだってば
ゴーゴリとかナボコフの方が受けがいい
それは違うでしょ。
悪霊で社会主義者が仲間割れしてるのが許せないんだろ?
W
>>596 どういう褒め方だといいの?
>>599 いや、悪霊で男たちがバトルするのは燃えるから大好きだけど
ポストモダン方面からのトル批判じゃなくて、モダニズム連中に舐められるというのが分からない。
ちょっと興味があるな
603 :
吾輩は名無しである:2012/05/12(土) 07:06:55.80
>>599 悪霊で仲間割れしているのは「社会主義者」ではなくて「アナキースト」でしょう。
>>595 トルストイは自作のうち、民話を最高峰と考えていたらしいね
605 :
吾輩は名無しである:2012/05/12(土) 07:51:07.64
1882年1月23日から三日間当時54歳のトルストイはモスクワの「民勢調査」80名の指導員の1人とし
てこの調査に参加する。数年前からモスクワに住んでいたトルストイはモスクワの貧民が多いのに驚い
ていて、スラム街に住む人達の窮状には関心があったのだから参加するのは自然であった。参加する前
に書いたものが「モスクワの民勢調査について」という小論である。ここでは調査結果に基づき金銭的
援助を中心に置いて(小論で書かれた計画に賛同する金持ちからお金を集めて)貧民を助けようという
ことが書かれてあるのだが調査が進むにつれてその計画が根本的にあやまりであることにトルストイは
気づく。
ボンボンのボランティアみたいなもん
607 :
吾輩は名無しである:2012/05/12(土) 16:44:45.21
だなあ。
白色革命はやはり無理な、絶望的な国家だった。その国家では知識階級は絶望するしかない。
結局ボルシェビキでいっぺんご破算にするしか近代には入って行けなかった。
共産主義80年は長すぎたけど。
608 :
吾輩は名無しである:2012/05/12(土) 19:41:54.47
参加した後に書いたものはやがて「さらば われら何をなすべきか」になる。最初の出だしを引用する。
「私がこれまでの生涯を送ってきたところは都会ではなかった。1881年にモスクワに引っ越したとき、
私を驚かしたものは都会の貧しさだった。田舎の貧しさは私もわかっているが、都会のそれは、私にと
っては目新しく、また不可解だった。モスクワでは乞食に出会わずには町を通れない。」
この論文は、「懺悔」を「告白文学作品」とみなすなら「ルポルタージュ作品」とみなしてもよいもの
となっている。ここではいかがわしい情景が見事に描写されていて俗な意味で面白い読み物となってい
るが、このような体験を経て後期トルストイがつくられていったのだ。やがてトルストイは「アンナ・
カレーニナ」を「金持ちの暇つぶし」と呼ぶことさえした。
609 :
吾輩は名無しである:2012/05/12(土) 20:21:40.04
「「暮らしはなんで立てているのですか?」彼女は答えずに、にやにやしていた。まだわれわれが足を
入れない四番目の小部屋からも、やはり女の笑い声が聞こえてきた。町人の家主は自分の部屋から出て
私たちの方へ近よってきた。どうやら、彼には私の質問と女の返事とが聞こえたらしい。(中略)「な
にをでたらめぬかしてやがるんだ、「居酒屋にすわってます」だなんて!居酒屋にすわっているという
んなら、ちゃんとわけを話すがいいんだ。醜業婦じゃないか、彼はもう一度この言葉をくり返した。」
(「さらば われら何をなすべきか」より引用/中村白葉訳)
610 :
吾輩は名無しである:2012/05/12(土) 20:43:12.49
「われわれが近づくと、寝床の上でなにかが起き上がった。それは半白髪の頭をもじゃもじゃにして、
よごれてぼろぼろになった肌着一枚という姿の骸骨のようにやせた女で、目だけは一種特別な光をお
びて、じっと見すえていた。彼女はその動かない眼もとでわれわれのそばを見つめていたが、ぼろぼ
ろになったきたない肌着からのぞいている骨だらけの胸をかくすつもりで、やせた片手で上衣をひき
よせようとしていた。(中略)彼女は相変わらず私の方は見ずに、なおも熱病やみのような早口で言
った。「きのうも食べなかったし、きょうも食べていないよ」」(同上より引用)
社会主義よりは絶対王政のほうがマシじゃね?
612 :
吾輩は名無しである:2012/05/13(日) 08:38:04.52
朝鮮民主主義人民共和国は絶対王政だけど?
社会主義は共産貴族が武力を背景に支配する絶対王政なんだよ
人間は社会主義の理想社会を実現できるほど優れてはいない
ぶっちゃけるとバカにはバカの満足なり喜びなり怒りなりがあるんだよな
トルストイみたいな知識階級と相容れないと思うよ
まして同情なんか
知識階級も大半はバカだろw
>>603 アナーキストじゃないのが大勢混ざってる。読んでみるといい。
>>614 トルストイは職業革命家とその追随者をこき下ろしてるが、
社会主義者それ自体を否定してはいない。ドストエフスキーが人間も思想も一緒くたにしたのとは大違い
トルストイの理念は美しいが自分自身も失敗しているように実現不可能
ドストエフスキーのほうが現実的だと思うがねえ
ニ二が四は死の始まりだし唯物論なんて机上の空想
思想も人が作ったものだからねえ
その時代では完璧に思えても風化してしまうだよなあ、その逆も然り
前にシェイクスピア出てたけど、この人の方がその辺の理不尽さわかってたと思う
619 :
吾輩は名無しである:2012/05/15(火) 21:47:38.08
ガンディーはラスキンとトルストイの影響を受けたと言っている。もしトルストイがいなければガンディ
ーの思想や生涯は変わっていただろう。その意味で彼の考えを空想だとは思わない。実は私が今頃になっ
てはやりもしないトルストイの思想に関心を持ったのはラスキンとその弟子ともいえるウィリアム・モリ
スに関心があるからなのである。いうまでもなくモリスはマルクス主義者であったからトルストイとは違
う考えをもっていた。自分の中でその違いについてもう少し明確にしたかったのだ。ついでだから今読ん
でいる本から引用しておく。
620 :
吾輩は名無しである:2012/05/15(火) 21:58:29.59
「十九世紀の末から1930年代のはじめ頃まで、ヨーロッパはさながら「社会主義の繁生期」であった。
じつにおびただしい種類の社会主義思想が、まさに雨後の竹の子のように、生まれては消え、たがいに結ん
では分裂していく、カオスさながらの状況をつくりだしていたのだ。ゾムバルトによれば、「ドイツ語圏で
印刷に付されたもの」だけに話をかぎったとしても、「社会主義」を名のるものが、じつに百八十七種類の
多様に及んでいた。その内訳は、行動主義社会主義や家族社会主義にはじまって、嫉妬社会主義、愛情社会
主義、組合社会主義、田園詩風社会主義などをへて、サンディカリズム社会主義、カトリック社会主義、資
本主義的社会主義、農業社会主義、プロレタリア社会主義、革命社会主義まで、およそ統一のない多種多様
のカオスの状態を呈していたが、ゾムバルトはそのような多様な運動発生の根源を、世紀末から二十世紀初
頭のヨーロッパに発達をとげていた「高度資本主義」へのリアクションのうちに、見いだすことができると
考えている。」フィロソフィア・ヤポニカ(講談社学術文庫)より引用
モリスは社会主義だけどマルクス主義じゃねえw
ふむ
>>617 ドスト叩きスレみたいになるのは嫌だが、現実性と言う意味ではトルストイのほうがはるかに真摯
と言うかドストは徹頭徹尾自分の体験が絶対なんだよ
アンカレで森を売るシーンと、カラマーゾフで森を売るシーンを比べてみな。
一代で成り上がった金持ち設定のフョードルが息子に任せきりにしてるのに対して、
世襲領主のリョーヴィンは相場を知らない奴騙してる商人に「じゃこれで交渉オワリ」と宣言するしたたかさ
トルストイに出てくる人物のほうが圧倒的にリアリティがある
ドストが図式的なのに対してトルストイの登場人物は常に一筋縄ではいかない。
クリミア戦争参加、地方議会、農場経営と精力的に活動し、官界に知己も多かったトルストイと、
アンナ夫人来るまで金の管理すらできなかったドストの違いは凄まじいよ。
現代社会はサラリーマンの社会だから頭で考えたドスト的世界がリアルなのかも知れないけどね
まあ、作家としてはドストにもユニークさはある。
しかし「ドストエフスキーのほうが現実的」と言う評価は、少なくともあり得ないね。
ドストがどれだけ脳内お花畑だったかは作家の日記の露土戦争賛美でも見れば一発だよ
トルストイはそうはいかなかった。
まあ、その辺の表面的な超人ぶりに、甘ったれた日本のインテリ息子たちはついてけなかった。
だからドストちゃんのほうが僕らの気持ちを分かってる的な評論を書きまくった奴らが出たわけだ
もしくは農場経営の厳しさをちゃんとトルが書いてるのに、新しき村なんて作っちゃったりね
ああ、あとトルストイの家出を「失敗」ととらえるのが福田とか森とかああいう反近代超近代自称の連中ね
超近代を気取ってても家出=失敗と言うリーマン的な平凡な図式しかないのが笑えるけど
トルストイの家出はトルストイの思想のまさに実現、最終形態。
トルストイにしろドストエフスキーにしろ作品を読んで面白ければどうでもいいんじゃね?
作品を理解するに当たり作者の置かれた境遇や思想は大きく影響を及ぼすことも事実だが
リョーヴィンがオブロンスキーの土地(奥さん名義だが)を売る際の話はその通りだがフョードルも森林の伐採件を譲る際の最終手続きはグルーシェンカを口説いてる最中で手が離せないから次男のイワンに委ねたものの任せっきりではなく詳細の指示を出してると思うんだが
しかもフョードルはドストエフスキーの分身ではないし
ドストは読んでると版画みたいな絵が浮かんでくる
棟方志功みたいな真っ黒な濃い絵
トルストイは映画みたいな映像が浮かんでくる
>>628 だから、トル作品では人任せにしようとするオブロンスキーをリョーヴィンが怒ってるじゃないか。
トルの描く主人公はその種のことで人任せにするという発想そのものがない。まあピエールなんかは違うけど
ネフリュードフですら実際に村を見てる。
ところがドスト作品の場合、交渉ごとは放り投げるのがデフォルトなんだよ。
どっちが正しいとかいう問題じゃなくて、それが両者の実人生の投影。
これはドストへの悪口ではないとはっきり断ったうえで言うが、
ドストは農場経営や商売や法律が描けない人なんだよ。なぜなら自分はタッチしてないから。
トルは農場経営やビジネスが描ける人。なぜなら自分がやってるから。
ドスト作品にもたとえばサムソーノフやロゴージン父など、しっかり者の本物の商人が出てくるが、
これらはドストが知り合いをモデルに描いたと言われてる人なんだよね。だから外面的描写が中心。
ちなみに刑事裁判の描写も、トルは復活、ドスはカラマで描いてるが、
こちらも圧倒的に実際の刑事裁判に近いのはトル。トルは具体的に当時のロシア刑法、刑訴法の規定を引用したりしてかなり専門的に論じてる。
>>627 どうでもいいよ。トルストイスレで「トルストイは非現実的、ドストのほうが現実的」
なんて1世紀くらい言われ続けてうんざりした的外れ批判で挑戦してこなければね。
つーかドスト批評ってトルを引き合いに出さないとやれないのかと言いたくなる。
なんでトルを引き合いに出して叩くみたいな批評が多いのかね。
トルの晩年が悲惨だからだろ
まあ他人が好んでるものを批判するべきでもないし自分が気に入ってるものを押し付けるものでもないわな
どうでもいいわ
作家のご都合主義をどこまで許容するか、あるいは興味もつかだもんね
ドストもカラマでトルストイ程精密じゃねーし的なこと書いてたよね、自覚してるさ
個人的には罪と罰=戦争と平和>アンナカレーニナ>カラマーゾフの兄弟です
どこが悲惨なんだ
すべてを放棄するという念願の偉業を達成して死ねたんだからどう見ても幸福だろ
638 :
吾輩は名無しである:2012/05/16(水) 20:59:07.83
>>621 ウィリアム・モリスが社会主義思想にのめりこむようになった大きな理由の一つはマルクスの「資本論」を
仏訳で読んだことなのは比較的よく知られていることである。1883年49歳の時マルクス主義の団体である
「民主同盟」に参加して執行部にはいった。モリスの信望者はそのことにあまり言及しないが。誤解を恐れ
ずいえばカール・マルクスは「ドイツの哲学」「フランスの社会主義」「イギリスの経済学」を移動しなが
ら批評的に考察した人であり、その意味で私はマルクス主義を社会主義の大きな可能性のひとつとみなして
いる。ちなみにモリスは先にあげた「民主同盟」の分裂後、エレアノル・マルクス(マルクスの娘)と「社
会主義者同盟」を結成した。
639 :
吾輩は名無しである:2012/05/16(水) 21:30:57.39
>>630 率直にいえば私も「ドストエフスキーが現実的」というのは無理があると思う。登場人物の名前ひとつ
とっても例えば「マルメラードフ」はマーマレード男(人生に甘い男)という意味だそうだが、ちょっ
とキャラクターを誇張(劇画化)しているところがある。つまりドストエフスキーは通常の意味でリア
リズムをねらっていないのは明らかで(それは悪口ではない)、それが彼独自のやり方であり真実に近
づく方法だったのだろう。そこからいえば「ドストエフスキーが現実的」であることを説明することは
「トルストイが現実的」であることを説明することより普通の意味でむつかしいと思う。
当人の思想のことであって作品の登場人物が理想的とか現実的とかいう意味ではなかったんだけどねえ・・・
バフチンの「ポリフォニー論」もあって、
ドストエフスキーは文学理論好きによく読まれている
トルストイは文体の美学みたいな方向ではあまり好まれなかったんだろうな
643 :
吾輩は名無しである:2012/05/17(木) 21:05:34.59
トルストイは土地の一部を分配した、非現実的。ドストエフスキーはルーレットで有り金すった、現実的。
トルも若い頃は博打でボロ負けしてるけどね
サブプライムの直前に相場で大損物故いてニコライロストフの気持ちが良く分かる俺が書いてみた
貨幣価値を考えると同額ぐらい
トルは髭がイクナイ。
現代人好みでない。
作品・思想よりも外見だと思う(><)
ロシア文学のイケメンだとゴーゴリだね
647 :
吾輩は名無しである:2012/05/18(金) 20:41:58.97
どうかんがえてもチェーホフ、あれなら俺も抱かれたい
次点がゴーリキ、イケメンじゃないがアクション俳優みたいな味がある
そんなことよりトルストイ全集高けえよ、5万近くする
いつまでたっても読めん
ゴーリキは赤いから好きじゃない
内輪揉めで消されたってのも赤っぽいねえ
講談社のトルストイ全集がほしい
650 :
吾輩は名無しである:2012/05/20(日) 11:26:56.20
>>641論点がずれているようなら前言は撤回しよう。しかしそれならば以下の文はどう理解すべきなのか。
「ドストエフスキーはそのほとんどの作品で、自分が肯定する人物には必ずと言ってよいほど「子供の
ような」という形容をつける。そこにも、かれの本能的なあこがれが洩れ出ている。「白痴」のムィシ
キンは、この「虐げられた人たち」のアリョーシャと同じく「幼児のような青年」であり、いわば純真
な病者であるが、それをドストエフスキーは「美しい人」だと感じている。ドストエフスキーの美感覚
の芯には、非人格主義的、非実践道徳的な絶対的純真へのあこがれがあった。」ドストエフスキー人物
事典/朝日選書より引用
上の文を引いたのは私もそう思うからなのだが、ドストエフスキーにはそれが現実的だろうが非現実的
だろうがそれをつきぬけてしまうほどの絶対的純真へのあこがれがあった。それがうまく作品に昇華さ
れた時にはちょっと類を見ぬような感動がある。その意味でもドストエフスキーの方が「現実的」であ
るとは考えにくい。
農奴制を批判し土地の所有を否定したトルストイが理想主義で救いをロシア正教に求めたドストエフスキーが現実主義ってことがいいたかっただけなんだが
ムイシュキンがどうこうとかマルメラードフがどうこうとかそういう意味じゃない
652 :
吾輩は名無しである:2012/05/21(月) 22:40:58.45
どうやら
あなたを説得するのは無理だとわかった。がしつこくドストエフスキー研究者(同上)から引用する(笑)。
「ドストエフスキーの政治評論の根本は、ロシアを盟主とする全スラヴ民族の、さらには全人類の、和
合連帯の主張であるが、その核心にあったのは、十九世紀後半のロシア、東欧、西洋の政治や社会生活
の現実とはほとんど無関係の、美しい兄弟愛の夢想である。かれの政治評論は、その夢想から発した、
客観的根拠のない、独断的な大風呂敷である。トルストイからは「あれは媚びだ」と軽蔑され、アンリ
・トロワイアからは、ドストエフスキーの政治評論を読むと「こそばゆくなってきて、失笑を禁じ得な
い」と嘲笑されたのは、やむをえない。あこがれを通してしか世界を見ることのできない人間が世界の
政治情勢を論じているのだから、それを政治評論として読めばだれだって笑いたくもなるだろう。」
社会主義者のあなたに説得されるのも無理だと分かったよ(笑)
>>651 それはさーロシア正教に過度に思い入れて国家が教会になるべきだなんて言っちゃう人が夢想主義で、
ロシア正教をきちんと批判できる人は現実に即してると言わざるを得なくない?
まあドストエフスキーはそれでいいんだけどね。別に作家が政治的に正しくある必要はないんだから
>>642 ポリフォニー論は前に批判が出てたけどね。はたしてドストのがポリフォニーなのか
もっともナボコフのディテール論も全面的には首肯しがたいが
両方の理論の紹介おねがい
>>654 1〜2行目は全く同意できない
3行目は完全に同意する
人生論読んだが確かにワケワカメだわw
ただいい経験にはなったかな
>>658 1ページ目で挫折した俺のために3行で要約してくれ
>>656 バフチン
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%95%E3%83%81%E3%83%B3 >ドストエフスキーの文学においては、上記のように客観的に叙述し得る単一的な真理は存在せず、各人の思想が否定されずに尊重される。
>各登場人物は、作者ドストエフスキーと同じように、1人の人間として思想や信念を固持する権利が与えられている。それはすなわち人格の尊重である。
>ところがトルストイの小説においては、しばしばトルストイの考えに登場人物が近づくことが、真理への到達と同視される。
>そしてトルストイと反対の意見を持つ人物は、しばしば自己完成からは程遠い人物として描かれるのである。バフチンはこれをモノローグな構成として批判した。
バフチンの言わんとするところも何となく分かるんだけど、はっきり言って両者の文体の差にとらわれ過ぎ。
登場人物をサラダボウルに投げ込むドスト方式も、実際は「叩かれるために出てくる俗物」と「作者の思想を代弁する人物」が出てくる。
一方でトルストイは格付けランキングやってるように見えるが、ボルコンスキーやカレーニンの描写を見ても分かる通り、
実際はポリフォニックなことをやらせてる。
一方で主張や思想でなくディテールを味わえというナボコフの「芸術的」主張も一面的。
ドストもゾシマの回心のシーンなどは鳥肌が立つほどのディテールの描写があるし、
逆にトルのディテールはテーマ性がないと成り立たなかったりする。
この2人はディテール描写のあるなしというより、どういう方向でディテール描写の能力が発揮されるかが違うだけ。
まあ、ある解釈論に対して違う解釈論もあるんだよーんとやり返す時代だったから、
極論が出てきやすかったのかね。
俗物の考えなんて考慮して発言してるだろバフチンもナボコフも
そんなに浅い考えじゃない
浅いとか深いとか、一次元的にしか考えられない人間というものが、この世にはいる。
なんで生きなきゃならないのかねえ
生きるってめんどくさいじゃん
かといってアンナみたいに自ら死を選ぶのもめんどくさそうだけど
アンナにしろリョービン(トルストイ)にしろ人生に悩み薬物に依存し薬物中毒でうつ状態になり自殺した(しようとした)ってのが本音だと思うよ
もちろん二十世紀の文学論特有の偏りはあるけど、バフチンとナボコフ「以後」のトルストイ論を作る必要があると思うわ
ミリオタが戦争と平和好きみたいな類の趣味性は、
それはそれでけっこうだけど、
トルストイがモダニズム野郎に軽く見られがちな状況をひっくり返す必要がある
つまり、「歴史」への関心とか、
「登場人物の魅力や深み」という、
一般読書人の関心からのアプローチだけでは不十分ってことな
ここだとどうしても
トルストイの「歴史への姿勢」「社会改良への応答」「宗教観」「女性観」みたいなものへの興味が中心になりがち
ようするに『芸術とは何か』がガンになってるんだよな
あれで多くの文学好きが離れていってしまう
せやせや
キモイこと考える人もいるのね
>>672 余談だがリンク先を見るに宗教原理主義者というわけではなく、
合理的目的達成のための方便としてキリスト教利用しようとした節がある
しょーもな
チェーホフは芸術論には付いていけなかったが後期作品についての批判的意見に対しては反論してる
お前さんほんとにトルストイの作品が下らんと思ってるの?みたいな感じで
チェーホフとトルストイはわりと親しかった
でもトルストイはチェーホフに酷い事言ってるよね
677 :
吾輩は名無しである:2012/06/08(金) 15:10:27.04
トルストイはわがままやでこれ
チェーホフもなかなか負けてないよ
チェーホフとツルゲーネフは良さが分からん
チェーホフとトルストイに書き方でダメ出しされたゴーリキーてすごい贅沢だな
トルストイとドストエフスキーに絶交されたツルゲーネフって嫌な奴だったんだろうね
歴史は勝者が書き換える
ドストエフスキーに絶交されるってむしろ相手が普通だったんじゃないかと思わないかw
普通じゃない人はキチガイって言われるな
ツルゲーネフ以外にドストエフスキーに嫌われてたのって誰がいる?
政治的思想的に分かり合えない社会主義者は別として
ドストエフスキーが、12歳の少女と一緒に風呂に入った事をツルゲーネフに自慢したらしい
ほんまかいな
あんな熱い魂の持ち主が
熱い魂じゃん
性的な意味ではドストは女子大生から未亡人まで守備範囲広いね
なるほど確かに熱いな
ツルゲーネフもいい迷惑だな。一番常識人なのに双方と絶交歴があるというだけでw
性格のマトモ度
チェーホフ>ツルゲーネフ>>>>>>トルストイ>>>ドストエフスキー
「トルちゃん、もう一軒行こうよ」
「お前ギロチンされてんのによく酒なんか飲めるな!この野郎!」
「ど…どうしちゃったの?」
>>691 ツルゲーネフはほとんどパリに住んでいて、たまにロシアに帰って文学青年たちにチヤホヤされていた、
で、しばらくすると「やはりロシアは田舎だね」といって、パリに帰っていく。
こんなやつが好かれるはずがない。
ここでツルゲーネフのエピソードを一つ
ベルリン留学中、ロシアに休暇で帰省する時に船が火事になり船内はちょっとしたパニックになった。小舟で逃げ出すかという話になった時、ツルゲーネフは船員に
「おお、どうか私をお助け下さい、私にはやもめの母がおり、そのたった一人の息子なんです」
と懇願した逸話がある。
船は無事鎮火し、無事に帰れたが、終生その話をツルゲーネフは事あるごとにチクチクと言われたらしい。
でもドストエフスキーが小児性愛なのも、虐げられた人々のリーザの話で判るけど
わからんなあ
高校生はうまそうだが
女との付き合い方で性格が分かる
優雅かつ堅実=チェーホフ、まあ何とか許容範囲=ツルゲーネフ
やりまくり=トルストイ、メンヘラやファンの女口説きまくり=ドストエフスキー
ゴーゴリも仲間に入れてやってくれ
ドストエフスキーやトルストイが西洋かぶれのツルゲーネフを嫌ってたってのは分かるんだがチェーホフの嫌われた理由って何?
そいつらと同じくらいぶっとんでんのがセリーヌとジュネだね
どっちもかっこいいよ
「ツル!決闘しろこの野郎!!」
「お…落ち着いてよトルちゃん」
>>701 「アントン、不死はあるよな」
「ないですよ」
「なんだとこの野郎!!」
トルストイ家って歴代、長男は穏やかだけど次男以下の性格が激しい印象がある。
すぐ上のお兄ちゃんも相当頑固だったのだろ
トルストイってドストエフスキーが代表作4作あるのにくらべて戦争と平和とアンナカレニナの2作って思われてるからそこんとこどうなんだろ
借金の抵当に次回発表作品を取られていたドスと比べちゃかわいそうだわな
逆に期限が決められていたから名作が残されたのかもしれないが
戦争と平和、アンカレの長編2発だけでドストエフスキーの5作品に充分勝てるくらいの破壊力がある。
ドスト作品は試行錯誤だからちゃんと纏まったのはカラマーゾフだけ。
そのうえに復活をはじめとする後期作品群が加わる。
トルストイって長編は何編書いたの?
纏まってたかどうかとかどっちがすごいかなんて読み手ごとに異なるわけだから断言できないじゃん
テストみたいに点数で評価できるわけじゃないし
トルストイの童話は地味に影響力大きい
メインの文学史では雑魚気味のワイルドが異様な存在感を残しているなど、あの世界で古典になると、ガキの記憶に残るから侮れない
ドストにそういうのは一切書けない
お前ん中ではな
>>710 それ以前にトルストイスレでなぜドストエフスキーを論じないといけないのか分からないという大問題があるけどな。
ちなみに戦争と平和、アンカレに対しては当のドストエフスキーが絶賛してんだからしょうがない。
この2作品を否定したのは晩年の御大だけなんだから。
そして後期トルストイは凄い境地に至ってる。凄さはむしろ短編、民話のほうに現れてるかも知れないな
その程度のことは誰でも知ってるよ
むしろ戦争と平和があればいい
あのダイヤモンドは人間には砕けない
以降は悪あがき
全集買ってきたぜい
この人ってあれだけの名声の割には長編う数本しか書いてないのな
>>680 すぐれた評論書いてお返ししたからイーブン
全集は今ぜんぶ揃えていくらくらいなんだ
俺28000円だった
>>717 河出の古い方ね昭和35年発刊だかで18冊セット
新しい方は2冊多くて高く5万くらいした
ロシアでは青空文庫でトルストイが読めるというのに、
絶版にしたままの日本ってトルストイを読ませない陰謀でも企んでるの?
日本では人気がないだけだろ
日本人はロシア人よりトルストイに詳しいので有名
日本人はドストエフスキーがあればトルストイはなくても構わんのだよ
無理して全集で集めなくても、個別に格安で全部そろえられんじゃね
短編の抜けだけだろ、気をつけるのは
全集がある図書館へのアクセスをキープするのが大事
外国文学全般に言える
全集って最新のもので何時頃の訳ですか?
1960年代の河出書房新社以後出てない
如何に需要が少ないかってことか・・・
ロシアの文芸批評家のバフチンはドストと対照的にトルストイには低評価だったらしい
戯曲は面白くないみたい
ボルコンスキー
「自分で言うのもなんだが、超絶イケメンの上に超有能な僕とナターシャのカップルは世界文学史上最強だろう」
アナトーリとエレンの極悪兄妹コンビの方が最強です
最後は作者により抹殺されるけどね
トルストイって自分の分身のピエールをナターシャと結婚させたくてエレン殺してるんじゃないのw
しかし現実にはソフィアに頃されるわけだ
母親のライバルだったソーニャを虐待したからソフィア(ソーニャ)夫人に呪われたのだ。
ソーニャと結婚したい
個人的にはニコライロストフに惹かれる
嫁が不細工ってとこ以外俺にそっくりなんで
特に4万ルーブル負けたあたりがね
4万ルブリャーって1000万円超してるよね…
ロストフってソーニャと恋愛してた頃は可愛かったけどだんだん魅力なくなった
一番興味深いのはエレンだな
あれだけ悪人をうまく描くトルストイは天才だと思う
そして退場させ方も見事だね
741 :
吾輩は名無しである:2012/07/04(水) 20:02:50.84
■スイートメドゥーサは武乗せてもGT勝てる怪物■
名前: 名無しさん@実況で競馬板アウト
E-mail:
内容:
ノースヒルズ史上最強の牝馬だってね
今年は黄金世代みたいだけど、そのなかでも素質は突出してるということ
キズナが2番手
武乗せるのは正直、大きなハンデだけど、この馬ならGT勝てるでしょう
まるで関係ないけど、プラトークを外して髪を見せてる女性って当時はやっぱり異常だったんだね。
髪は古今東西のセックスシンボルか
エレンクラーギナとマリアボルコンスカヤだとどっちと結婚したいか悩むところだ
トルストイの映画ってどうよ
映画として面白い?
ヘップバーンの戦争と平和はダメだな
後は知らん
>>744 ボロジノの会戦のシーンは映画史上の白眉。ただ、映画自体はソ連時代ので少し古く感じるかも。
いや、そうじゃなくて映画ってトルストイの晩年を描いた近作のことね。見た人いる?
ハリウッド映画としては良作。
トルストイ晩年の映画化としては、陳腐化されているという感じ。
トルストイ以上に文章がうまい作家を知らないんだけど
なんで文章のうまさが翻訳を通しても変わらないんだろうな?
翻訳者は、別に天才的な文学者じゃないだろう
日本人の最高の文学者の文章よりも
天才の文章を転載じゃない翻訳者が訳した文章の方が素晴らしいのは
なんか変な感じだ
751 :
吾輩は名無しである:2012/07/17(火) 21:37:33.78
トルストイ級に文章がうまい作家って他に誰かいないかな?
アンナカレーニナの新訳はよいものだ
文章のうまさって・・・
トンデモ話すぎ
どういう意味だよw
お前がトンデモ野郎だろ
トルストイは表現が回りくどいと思うが当時のロシア社会がそういうものだったと思うようにしてる
回りくどいって馬鹿か
例えば戦争と平和の冒頭の一文とか読み辛くね?
あれはロシア語とフランス語の混在だから仕方ないだろ
トルストイ以上の天才は人類にいないの?
文章を読むこと自体の中によろこびがあるような、そういう文章を書く人って他にいない?
まあ、文章の何たるかを分からん者に限ってこういうこと言うんだよな
簡潔明瞭な文でないことは間違いない
>>760 じゃあ誰か言えや
単純に、トルストイ以上か、それと並ぶほど美しい文章を読みたいだけなんだが
>>762 そうだな、文章の美しさなら池上彰かな
『知らないと恥をかく世界の大問題』シリーズとか
これ鉄板
随分しょーもない本を読んでるんデスネ
よく考えたら、文章の美しさを知るためだったら作品全部を読む必要はないから
世界文学全集を片っ端から囓っていけはいいかも
>>764 いやー、そんなに感心されてしまうと照れるな
あんたも俺くらいたくさん本を読めば文章がわかるようになるから
あせらず努力すればいいよ
がんばれー
冒頭の一節の美しさなら、間違いなく「復活」だと思う。
春の美しさが匂ってくるような。
いいね、この一文読んだだけで「トルストイ!」って感じがする
いろんなトルストイ作品の最初の部分を読むだけで
あー、やっぱりトルストイ以上の人なんていそうもない、と思えてくる
あ、でも清少納言もうまいな
あのかわいい感じも好きだ
自然描写と心理描写どっちかに偏りがちなんだよな
トルストイはロシアを完璧に描き出したのはすごいし短編もいい。戯曲は読んでないから知らん
心理描写だとチェーホフだね、チェーホフほど人間をうまく描ける作家を他に知らない
最近太宰治を読んでるが、全然つまらなすぎて秋田
ボルコンスキー家の人々って基地害ばっかりだとしか思えないんだがあんなのがトルストイの一種の理想だったんだろうか
772 :
吾輩は名無しである:2012/07/20(金) 10:34:38.72
トルストイって子供が15人くらいいたっけ
生存中の直系子孫だけでも100人くらいいそうだから色々な人がいそうだね
ソフィア夫人とは不仲ながら60歳くらいまで子供生んでるし変わった人だ
そのボルコンスキーがナターシャの歌で変容するシーンがいいんだよね。自然描写だけじゃない
しかしデレきれずにナターシャと破約して、ボロジノの後でまた再会するのが。
一般人でも何となく経験あるんじゃないの
775 :
吾輩は名無しである:2012/07/22(日) 05:51:54.81
ボルコンスキイ公爵夫人の描写
「産毛がほんのりと黒ずみかけたその上唇は、ようやく歯をかくすくらいに短かったが、
そのいつも開きかげんなところがかえってかわいらしく、
それがときどきのびて、下唇をなめたりするところは、たまらないかわいらしさだった」
これを読んでも全然かわいらしいと思えないのは俺だけ?
唇の動きに注目することで偶蹄目の動物めいた雰囲気を感じる・・
ピエールの
「知的なひらめきを宿しながら、どことなくおどおどしたような、何か読み取ろうとするような、
それでいてすこしの不自然さもないまなざし」
も想像しにくいな
「それでいてすこしの不自然さもない」に違和感
トルストイは作家になるに当たって誰をお手本にし
誰の影響を受けているのだろう?
>>777 トルストイ自身なら「聖書」と答えるだろう。
んーたしかに
思想面じゃなくて文体面の師は誰だろう
彼女は客間へはいってきたときとそのままの、完全な麗人の変らぬ微笑をたたえたまま立ち上がった。
そして、常春藤と苔の模様をあしらった純白の夜会服の軽い快い衣ずれをのこしながら、
まぶしいような肩の白さと、髪のつやと、ダイヤモンドの輝きであたりの目をうばいながら、
わきへよけて道をあけた男たちのあいだを通って、
だれにも目をやらないが、みんなに一様に微笑をふりまき、
その容姿と、豊かな肩と、当時の流行で広くあけた胸と背の美しさを嘆賞する権利をみんなに平等にめぐみながら、
舞踏会の光輝をそのまま身につけて持ちこんできたかとぱかりに、
しずしずとアンナ・パーヴロヴナのほうへ歩みよっていった。
この文章の巧さは悪魔的ですらあるな
ここだけじゃなくて、こういう箇所が百出するからなぁ
エレン初登場シーンの文章すごすぎ
つまらない文章が一つもない
上の文章を読んでみる限りトルストイはゴチック的な装飾をする人なんだね
聖書ってのは無駄がまったくない、そぎ落とされた文体なんだが全然違うね
文体はそりゃ違うだろうね
でも民話は簡潔な文体で似ているかも
トルストイの自然の描写にだまされてると、実際にロシアに行ったとき
「ほら!これが白樺の林よ」
「・・・」(どこの雑木林?)
みたいな感じになるw
と書いて気づいたんだけど、トルストイの描写って、外面を絵画のように描いた描写と言うより、
読者の心理や想像に委ねるような書き方なんじゃないの?日本人とロシア人で思い描く風景が全然違うらしい
トルストイが他の文学者について語ってる文章ってないかな?
トルストイ評論集みたいの見たことないな
エッセーとか評論はあんまり出版しなかったのかな
トルストイ全集に日記・書簡の巻があったから注文した
>>786 岩波文庫から出ている『芸術とは何か』だったか、シェイクスピアをボロクソに貶していますよ。
エレンに関する描写は天才的だと思う
特に女性描写が巧いと思う
魅力的な女性を描くとき、作者がその人物に性欲を向けているのが伝わってくることがあるけど
トルストイはそれがまったくない
非常に魅力的な女性を客観的に描いてるんだよな
>>789 それもあったね
読んだことないから読んでみます
いや何度読んでも素晴らしいな
この到達点にたどり着いたのは人類でトルストイだけなのだろうか?
言葉は誰もが使っているのに、何故トルストイだけが異様に美しい文章を書けるのだろう
人物描写より偉人が歴史を作るのではなく歴史により偉人が生み出されるという歴史認識が素晴らしいと思う
歴史に対する研究をした人物で他にいるのかなあ
20世紀に社会史が偉人史観を崩しきった感があるから、
どうだろうな
むしろ歴史が偉人を作るって、真実だと思うけどな
人間は局面に作られているんだし
797 :
吾輩は名無しである:2012/07/23(月) 15:06:12.76
トルストイって完璧な小説家だと思う。
物語構成、思想性、人物造型、描写、どれも完璧。
でもやはり、その完璧さが日本には受け入れられないのかなと思う
だって、日本は「喪失」とか「侘びしさ」だけなんだもの
文学で表現できるものはそれしかないと思っている。
ときたまできるのが風刺、それも前衛の。
カチューシャという言葉は「復活」に由来するし
広く受け入れられていた時代もあるのでは
799 :
吾輩は名無しである:2012/07/23(月) 15:18:27.91
自然主義勃興の時代は受け入れられてたらしいね。
だが、現代で読む人は少ないんじゃないかな。
今の人はドストエフスキーだよね。僕はあまり好きじゃないが。
彼には独特のアクがあるし、解りやすいし、それが現代にマッチしているのかも。
いやぁ〜それは違うだろ。ドストエフスキーは凸凹が取りつきやすいから人気があるんだよ
トルストイは完璧だから逆に手がかりがない。だからアニメ漫画世代には敬遠される。
読者を選ぶのはトルストイのほうじゃないの?
>>786 復活で、ネフリュードフがカチューシャにこんな本を読むといいよと教えてる場面がある。
ドストエフスキーも挙がっている。ただしそれは「死の家の記録」。
それ現代日本が悪いって愚痴じゃん
二十世紀の文学研究者受けが悪い事実もあるよ
ドストのほうが批評理論の活性化につながった
たぶんトルストイだと「半端な教養人」臭を感じるんだと思う
文学部出身なのでそういう空気がみなぎっていたのを知っている
で、今世紀になるとそういう空気は消えつつあるから、
十分読み直される可能性はあると思うね
まずロシア人が頑張るべきかな
ドストの理論的読みなおしはバフチンがやったわけだし
>>802 そういう意味じゃなくて、ドストはキャラの凹凸や状況の異常さで入り込みやすいんだよ。
ある程度のスピード感を求める世代にはそっちが合ってるのじゃないかと。
ドストの小説って、わずか1日の出来事に文庫本の半分使ったり、事件が数日にバタバタ起きてるのが多いでしょ。
逆にトルストイは、戦争と平和にせよアンカレにせよ数年かけてじっくり、複線的に構成を立てて描いていく。
色んな人間関係のラインがあって、それが交錯しながら展開される。だから人によっては802みたいに思っちゃう人もいるのでしょ
でも読んでみるとトルストイは半端な教養人どころか、凄まじい武闘派だよ。
あと研究者受けで言えば、ドストは戦後の一時期まではアレだったがその後はそんなでもない。
…やっぱり現代社会批判になるのか?w
>>803 日本人が頑張ってもいいかもよ。日本人がトルストイ語ったらロシア人が驚くくらいらしいから
日本はロシア文学がむっちゃ分かる国なんだよ
ドスト=現代的 トルストイ=19世紀までの人 ←この大誤解を何とかしないと
俺がトルストイを読んだきっかけは、村上春樹の小説にアンナ・カレーニナが出てきたからだった
やっぱり近代文学史上最高の文学者となるとバルザックだろうね
17時間書き続けることもあったくらい憑かれてた作家
トルストイはバルザックを最も尊敬していた
バルザックも好きだけど、トルストイのような悪魔的文才はない気がする
>>804 802だけど「半端な教養人受け」って言ってるんだよ
あと晩年の芸術論がやっぱり致命的だったと思う
あれは文化好きそうな奴のかなり大半を失う
戦争と平和とアンナカレーニナは名作だと思うがトルストイの赤い部分はちょっと勘弁して欲しい
私有財産の否定なんてできるほど人間は完璧にできていない
すぐアカとかいうのは粗雑だから注意な
彼は歩兵士官にしては珍しく、口髭を生やしていなかったので、
顔の中でもっとも魅力ある唇の線がすっかり見えていた。
この唇の線がおどろくほどデリケートなカーブを描いていた。
上唇の中央が、意志的な下唇に向って、鋭い楔形に精力的に切れこみ、
唇の両端にいつもえくぼのようなものができていた。
ドーロホフの描写。
トルストイは唇に関する描写が熱心だが、いまいちイメージできない
下唇に楔形に切れ込む上唇って言われても・・
ようは下唇にむかって ⌒V⌒ ←こう切れ込んでるってことじゃ?鼻の下のくぼみの部分がそうなってるでしょ
なるほどw
上唇が烏天狗みたいになってるのかとか考えてしまった
トルストイと赤ほど相いれないものはないだろうなあ
復活で革命家を罵っている場面を見ると全く妥協不可能と言うか・・・
レーニンやロベスピエールのような暴力革命を否定していたが社会主義に近い発想があったことは否めない
競争のための競争が幅をきかせている今の資本主義が正解じゃないことは確かだろう
トルストイが言ってることが間違ってるとは思わんけどな
とりあえず赤死ねって言っておけば正解だと思ってる奴も多いよ
資本主義が理想のシステムだなんて思っていないけど社会主義より圧倒的に優れているのは歴史が証明してくれている
実際にトルストイ自身や作中のベズーホフやネフリュードフの農地改革だって成功してない
戦争と平和とアンナカレーニナは名作だがそれとこれとは別の話
>>817 社会主義と言うより、ミールを母体にした変革なのね。社会主義のような集権的・西欧的近代化ではない。
ネフリュードフの改革案も1つの農村で完結する話でしょ。
>>820 ところが、社会主義経済計算論争で、ランゲは市場社会主義が可能だと主張してハイエクは現実的に情報が集まらんと言ったんだろ
つまり情報収集と価格調整が速やかに行われれば社会主義で何ら構わないことになる。POSがフィードバック装置になるのね。
しかし、トルストイはこういう発想を生理的に受け付けない。トルストイは集権ではなく、分権による調和を目指してるんだよ。
よってトルストイは最も強烈な社会主義の批判者なんだよ。
ランゲの理論が正しいって根拠もないわな
終末思想みたいだよね
機が熟したってずっと言ってる
トルストイの理想って空想的社会主義か?
ミールを母体とか分権による調和ってソ連型社会主義以上に運営というよりそもそも実現が不可能だ
トルストイが語った、あるいは実践した具体的な事柄よりも
指し示した方向を見るべきでは
そうした時、決して間違ったことは言っていないと思う
トルストイの日記が届いた
19歳の時の日記から始まるんだけど、しっかりした文章だなぁ
自分しか読まない文章をしっかり書く人ってそれだけで尊敬してしまう
挟み込まれていた月報を読んで知ったのだけど
トルストイの小説家人生は、日記を書くから始まったらしい
運命ですなぁ
「希望は、幸福な者にとっては悪であり、不仕合わせな者にとっては善である」とか
いかにもトルストイ的な箴言が初期の日記に早くも出てくるw
つか・・トルストイがどうやって自分の文体を作りあげたのかを知りたくて日記を買ったんだけど
最初期から思いっきりトルストイだわ
これが天才か
ガンジーはトルストイに傾倒していた
だからトルストイの思想が無意味だったとは思わない
19歳の頃の日記は文章もしっかりしていたが、
悩みに満ちた青年期の日記になるとさすがのトルストイでもグダグダになってて、なんか安心した
>>826 じゃあそうやってひねくれてなよ
トルストイは西欧一辺倒ではなく各国の伝統を重んじながら近代化を模索する<伝統−近代>型
資本主義でもアジア諸国で成功した国はうまくそこを融合させてる、空想的どころか先駆者
いつものドスト信者のスレ嵐だろ。
放置しる。
土地私有の否定なんて何事であれ無理
トルストイの理念に賛同すべきところもあるが全面肯定する必要もなかろう
ルドルフ・シュタイナーの社会三分節論でも、土地への資本の滞留は経済上のしこりと見なしているよ
その底には「資本は自然物同様に健全に償却されるべきだ」というシルビオ・ゲゼルの論があるみたい
土地だけでなく、貨幣についても同じことを言っている
これはおそらく正しいと思う
でも先祖代々受け継いだ全財産を農奴達に分配しちゃうぞなんて言い出したら奥さんに愛想付かされるのも無理はないと思う
結局財産はソフィア夫人に譲渡してから家出したんだっけ?
当時のロシア社会ではアンシャンレジームのフランスと一緒で資本の分配が明らかに出鱈目で適正化される必要はあったのだが
839 :
吾輩は名無しである:2012/07/27(金) 11:18:39.04
集金に必死な今日この頃 客員狙いで奔走中
トルストイの研究書で名著とされているものを教えてください
トルストイという男は、結婚前の彼の日記を、すべて婚約者に読ませている。
思い切ったことするよな。
「淋病を背負いこんで」病院生活をしていることの記述から、梅毒にやられて水銀療法をやらされている始末まで、
アケスケと書いている。
そのほか猛烈な性欲に悩む話、また若き日の男色経験まで正直に回想しているw
彼女は幾晩か泣き明かしたそうだぞ。
結局は愛ゆえに一切を許して結婚した。
しかし、忘れはしなかったw
ずっと後になるが、チェルトコフのトルストイ支配が完全なものになりだした頃には、
妻は男色をうたがっていた気配があるからなw
アンナ・カレーニナのキティを思い出すな
トルストイの書く女性はものすごく魅力的なんだけど
同時に結婚の末の失望のようなものも書いてるんだよな
843 :
吾輩は名無しである:2012/07/28(土) 01:23:18.93
トルストイが書いた作品より、トルストイの伝記読んだ方が面白そうだな
トルストイの求婚ぶりは、例の頭文字並べによる愛の告白をはじめ、
ほとんどそのまま「アンナ・カレーニナ」の中に生かされているといってよい。
彼も案外私小説家だったと考えていいだろう。
キティが魅力的だっただけに
その後のソフィア夫人との確執を知ると複雑な気分になってしまう
私有財産の否定、特権階級の否定、富を私有することが悪であり、罪であるとする信念、
しかもそれを断乎として実践に移そうということになると、数多い家族をかかえ、
富と名声を享受し、別に当時の特権階級の生き方に対して深い疑いなど少しも抱いていない、
一般常識の世界に生きるソフィアとしては、なんとしても堪え難いものであったにちがいない。
しかも財産は棄てられなければならないのである。
妻子がともに共鳴者であったならば、話は案外簡単であったかもしれないが、
そうでもないかぎり、もはや家庭の破壊以外に信念実践への途はない。
独身者トルストイなら、案外簡単に実行できた信念かもしれない。
ところでトルストイ自身ってフリーメーソンだったのか?
理念には共鳴したが会の運営の現実に失望し会員にはならなかったってとこのような気がするが
848 :
吾輩は名無しである:2012/07/30(月) 09:04:36.53
会員になっていたかいなかったかは二つに一つの事実なんだよ。
おまえが「気がする」かしないかの問題じゃないの、わかる?
トルストイの崇拝者、そしてまたファンからの非難攻撃は、相当にトルストイを苦しめたようだな。
手紙や面と向かって、「嘘つきの古狐!書くことと、することとは、裏腹だ!下男や番人に取り巻かれて貴族の暮らしをしている、
この老いぼれのペテン師!」。
詰問には、謙虚に不一致の事実を認め、苦衷を述べて答えているし、日記にもしばしばその反省が記されている。
このことは、財産放棄という教説の実践に、彼なりにひどくあせり出した原因の一つであると考えられる。
知らなければ放置すればいいのになんで難癖付けたがるのかねえ
トルストイって37〜9歳で『戦争と平和』を書いたんだなあ・・・すげえ
トルストイは『懺悔』の中で、過去15年にわたる著作活動を「くだらない仕事」と一言で片づけているw
トルストイが何を言おうが彼の仕事の素晴らしさには変わりがない
トルストイのくだらない文学より、宗教や教育のための著作に興味がある。
文学的天才と宗教的著作は不可分だろ
本人がくだらないといってるからといって晩年の作品よりも戦争と平和とアンナカレーニナの方が優れているのは否定できない
トルストイは文学から離れた時期に宗教や学問の本を読みまくって1万冊を超えた
その中には老子や孔子も含まれていたらしい
カムバックしたときには原始キリスト教を信仰する信者になtっていた
あまり読まれないが聖書読解の書も多数書いている
テーマ性では復活の方が深みがあるとは思うけど
筆の冴えというか、世界の美しさを写し取る能力では、全盛期の作品の方が勝ってると思う
復活よりテスの方が好きだな
ハジ・ムラートっていつ書いたんかなぁ
あれも筆が素晴らしい
どういう小説?
復活はどうでもいい
ついこのあいだまで、『タラス・ブーリバ』ってトルストイ作だとばかり思っていたわ。
『スペードの女王』のことも間違えて、ゴーゴリ作だと思っていた。
イワンの馬鹿ってモロ聖書のパロディだね
ロシア正教会から破門されたのってなんで?
そんなこともしらんのか
教会に楯突いたからだろ、教会が止めてもやめなかったから破門された
ちなみにあの時代破門されるってのは国民じゃないって言われるに等しいことだった
だから具体的にどのあたりが教会に楯突いたと判断されたのかが知りたいんだよ
文読む月日には教会批判が結構あった気がする
教会の言うことを聞くのではなく、聖書から自ら学べというのがトルストイの意見では
リョービンにしろベズーホフにしろ神の存在を信じることはできないっつーことは書かれてるね
ただし19世紀末のロシアで破門されるにはもっと重大かつ致命的な教会(或いは政府や皇帝や社会)に対する批判を行ってるんじゃないかと思うのだが
教会の存在を批判してるからね
破門されるには十分では
以前、こんなのネット上で拾った。1905年のトルストイ破門の際の宗務院の宣告文の
内容の一部だって。
宗務院の教書はすべての新聞に発表された。トルストイは次の6つの罪を犯したとされた。
(1)『聖三位一体において祝福された、人格としての生ける神を否認している』
(2)『死から甦った、神=人であるキリストを否認している』
(3)『聖母マリアの処女受胎と出産以前および以後の処女性を否認している』
(4)『来世と神の審判を認めていない』
(5)『精霊の恵みを否認している』
(6)『聖体の秘蹟を愚弄している』
実際は、トルストイが破門される直接の引き金となったのは、当時の教会を統べる宗務院長官であり、
強力な宮廷権力者でもあったポベドノースツェフを批判したことが原因だったんじゃないかなあ…。
トルストイは「復活」の中で彼を、作中人物トポロフとして登場させて、彼に対して「道徳的感覚の
欠如した人物」と手厳しい批判を繰り広げている。
(トポロフとは、「復活」の下巻、ネリュードフが分離派教徒の窮状を救う為、陳情しに行く相手)
当時の人には、トポロフ=ポベドノースツェフなのは、一読して明白だったろう。
トルストイは作中でトポロフ=ポベドノースツェフの偽善性を弾劾して、ネフリュードフに
『民衆の利害だって…?ふん、貴族の利害じゃないか。ただ、きさまだけの利害さ』と言わしめてる。
「復活」を書き上げた後も、トルストイはニコライ2世にドゥホボール教徒への非人間的な弾圧を
止めるように手紙で直訴しているんだけど、その中で、
「それらの罪深いかずかずの行為の中で一番忌まわしい、誠実なすべての人の精神を掻きむしらずに
いない行為、──それは典型的な極悪人としてその名が歴史に伝わるであろうところの、しかも
宗教上の問題におけるあなたの顧問であるところの、あの忌まわしい、冷酷無情な、良心を持たない
大奸物、ポベドノースツェフによって行われている行為であります。」(1900年12月)と、「邪悪で
冷酷無情なポベドノースツェフという老人」を皇帝の身辺から遠ざけるよう嘆願している。
翌年1901年2月22日、トルストイは宗務院長官の発令した自分の破門を、新聞紙上で知ることに
なるんだけど、事前に宗務院からの破門通告はなかった。
その公開文のなかでは、トルストイはあらゆる異端の元祖とされ、神をけがす大それた罰当たりと
されていたという。う〜ん、あまりにタイミングいいよね。
カノッサの屈辱の頃はともかく
20世紀には破門なんてそこまでダメージなかったのでは?
20世紀の諸々の弾圧って一番ヤバイじゃん
あ、
>>872にトルストイ破門の年を1905年って書いたけど、1901年の
間違い。
トルストイは破門をものともせず社会生活営んでるじゃん
宗教改革前の破門は、破門が社会からの強制的退出を意味したから
そんなもんじゃなかったと思う
トルの頃は科学技術の発達などにより宗教に対する疑問が生じてたから非常識な変人ってことにはなっても社会からの抹殺ってほどではなかったんだろうね
いま戦争と平和読んでる
面白いんだけどナターシャうぜぇ
「魅力的な少女」って設定なのは分かるけど言動見てるとなにこのビッチとしか思えん
子供の頃自分から迫ってたボリスに大人になったら魅力を感じなくなったのは仕方ないとしても
少しは心変わりしてすまないとか思えよなにキープ君扱いしてへらへらしてんの
まあ100歩譲ってデニーソフだのピエールだのがこの手の娘に夢中になるのはいいとしても
アンドレイまでが熱愛するようになるのが納得いかん
ナターシャってまさにアンドレイが嫌ってた軽薄な馬鹿娘そのものじゃないか
夫と子がある身で資産家の美男子へ走り子どもまでできたアンナカレーニナよりはマシじゃない?
アンナ・カレーニナを許せるかみたいなレベルって、
一般的にいって文芸批評としては幼稚そのものなんだが、
トルストイはそういう考察を誘うところがあるな
だから文学理論で人気ないのかもな
幼稚なレベルの批評なのは承知の上だが現実に身近にアンナみたいなのがいたら男狂いの淫乱人妻ってことになるね
作中の設定でも社交界で交友を拒まれてたが仕方なかろう
夫や子がいながら他の男へ走るってのは当時のヨーロッパの貴族階級ではそれほど珍しいことでもない様だし原則離婚が認められてなかったようなのである程度容認せざるを得ない部分もあるだろうけど
恋愛小説の王道=姦通なんだから仕方ない
>>880 ところが、ナターシャの会話と歌う声を聴いた瞬間に、アンドレイにとってはそうではなくなったんだよ。
そしてナターシャもアンドレイに対してビッチではなくなった。
恋愛ってそこが面白いのじゃん。恋愛しようと思って恋愛する人はいない。あのシーンは本当に素晴らしいシーン
>873
つまりロシア正教会との思想的対立が深刻なレベルに至ったというより、
ドゥホボール教徒の件の解決の過程で要人を切って捨てたことで発生したアクシデント、と言うこと?
>>885 俺にはその解釈は無理だな
文学作品中の出来事とはいえ設定が不自然すぎる
ピエールとナターシャを結びつけるためにもエレンとアンドレイは退場しなくてはならない運命だった
いやーそんなひねくれた解釈のほうがはるかに無理でして。。。
戦争と平和で結構ある感想に
「ソーニャが不遇すぎる、なぜナターシャばかり優遇されるんだ」と言うのがあるらしいからなw
>>886 実は
>>872>>873>>874は昔の書き込みのコピペだったんだけど…
(以前、トルストイの破門について興味を持った事があって調べてた)
破門直前の時期に、当時の教会の長である宗務院長官ポベドノースツェフと
激しい政治的対立関係にあったのは確かだよ。
日本人はソーニャみたいな耐えるタイプの子に弱そうw
ソーニャのその後の行方は修道院に入るとかでいいんじゃね?
それよりもブリエンヌがどうなったかの方が気になる
作中の人物なんて意志をもって行動してるのではなく作者の分身でしかないんだから我々が出る幕ではないが
日記の中でトルストイは、表現が風刺になることに対して警戒している
内面を精緻に書きすぎていて、意地悪に見えることはあるけど
確かに風刺的ではないな
イワンの馬鹿読んだ。最高に面白かった。
文体が聖書に近いね。小悪魔が穴にもぐるところなんて全部文が一緒で聖書を読んでるとすんなり入って心地いい。
最後に悪魔が頭を使ううんぬんの皮肉は笑った。ユーモアもあったんだね。
しかしトルストイ自身は無神論者だったと思われるんだが
神の存在は肯定できないが社会の秩序を維持するために宗教は必要って考えかね?
日記の中で何度も神に祈ってるよ
しかしベズーホフもリョービンも無神論者だぞ
登場人物と作者とは同一ではないが
トルストイは神の確信をついに得ることができなかった
>>885 >そしてナターシャもアンドレイに対してビッチではなくなった。
いやビッチだったろ
アナトーリに誘惑されたらあっさりなびくし
戦争と平和は恋愛小説ではなく歴史小説だと思う
トルストイに『名づけ子』という民話がある。これは非常に感動的な小説だ。
トルストイの民話のなかでもかなりいい出来のものだ。
最後は少し涙がでそうだったよ。
トルストイって自然主義?
そうじゃないなら、そういった文学の潮流の中で何に分類されるんだろう?
あんまり、カテゴリーでは語られない印象があるけど
ソーニャって欠点がなくて好きになれない
トルストイだけじゃなく、ドストにしてもバルザックにしても分類はされないな
分類される作家の方が少数派かな
バルザックはリアリズム作家といわれるだろ、あんだけ描写が長いんだし
トルストイは自然主義あるいはリアリズムと言われる
自然主義と写実主義と現実主義の違いって何?
ナターシャはビッチ ソーニャは欠点がなくて好きになれない マリヤは言及すらされず
やはりエレンの圧勝と言うことかw
>>907 ナカーマハケーン
やっぱクラーギン家の人々が一番面白いね
軽薄な悪党をあれだけ上手に表現ししかも退場させてるトルストイは天災だと思う
じゃ男は?
@アンドレイ、Aニコライ、Bピエール、Cドーロホフ、Dカラターエフ、Eアンドレイ、Fクトゥーゾフ
大穴でナポレオンに1票
傷ついている人向けのいい小説って何かありますか?
トルストイは超人すぎる
ショーペンハウアー
悪い、小説じゃなかった。
日本では漱石、外国のものではドストエフスキーがいいと思う。
何に傷ついてるか知らないけど傷ついてる人には考え込んじゃう文学よりテレビとか映画とかスポーツとか安直に楽しめるほうがいいんじゃね?
>>913 おまえは傷ついてる人間のぱっくり開いた傷に塩を揉みこみ、
そこへドロドロに溶けた鉛を流し込むような人非人だ、ひとでなしだ。
おまえのようなやつはソドムの火に焼かれておしまい!
>>915 いや、傷を開いて、膿をとりだそうとしているだけだ。
メスを入れるときは少し痛いけれども。
やっぱり王道はオー・ヘンリーの短編だろうね。太鼓判を押すよ
トルストイも幼年時代とか復活とかはいいんじゃない?
光あるうち光の中を歩めとか
復活はパス
>>909 男ならニコライ、次点でアンドレイとデニーソフかな
ボリスは要領よく立ち回りつつどこまで行くのか興味あったからフェードアウトしたのが残念だった
ピエールは最後までいまいち魅力のわからないキャラだった
女ではマリヤやナターシャといったメインどころに肩入れしながら読んでたな
エレンは見てて楽しいキャラだったから死の描写があっさりしすぎてちょっと残念
ソーニャは健気な娘って感じで好きだったけどエピローグでは健気を通り過ぎて不気味だった
あれと一緒に住んでるマリヤに同情するわ
ニコライじゃなくナターシャに憑いて行くわけにはいかなかったんだろうか
920 :
吾輩は名無しである:2012/08/30(木) 06:43:44.22
トルストイ
ボロジノ200周年の記念式典が行われてるようだね
ところで登場人物間のわだかまりがなさ過ぎる気がする
@ニコライを侮辱したアンドレイが妹のナターシャと婚約した
Aピエールが決闘相手ドーロホフの介添人のニコライの妹ナターシャと結婚した
Bペーチャが兄のニコライから43万ルーブル巻き上げられたドーロホフを崇拝していた
文学作品上の出来事とはいえもう少し双方ともに怨念を持っていても当然と思うんだが
NHKの朝のニュースで様子を映していたが、この時代は歩兵が匍匐じゃなくて銃を構えて前進するのね。
アナウンサーが「ボノジロの戦い」と言ってたけど。ボノジロって・・・
@はそんな根に持つほどの侮辱でもないと思う
Aについても元々ピエール自身がドーロホフの遊び仲間だったわけだし
ドーロホフの人となりを良く知らないで仲良くしてるアホの一人ってことで
普通にスルーできるんじゃないかな
Bについてはちょっとフォローしようがない
将校たちの社会ではカードで大負けすること自体はさほど珍しい現象ではなかろう。
ニコライがカードで嵌められた本当の理由は、ドーロホフはペーチャに教えてないでしょ
ドーロホフはいい人ではなくても人間的魅力があるんだろうな
ソーニャがドーロホフの申し込みを受けてたらどうなってたんだろう
ドーロホフとソーニャってカップリング的には良い感じだと思うんだけどね。ままなりません
なんとなくマンスフィールドパークのファニーとヘンリーを思わせる組み合わせ
ソーニャと結婚したらドーロホフも多少は落ち着いていい夫婦になれただろうか
それともしばらくしたらまた他の女に目移りして破綻してたかな
博打でボロ負けはよくあったことだろうけど負けた相手と以前と同様の付き合いを続けるってのはありえないことだろうね
まして金だけが目的だったのではなく逆恨みがことの始まりだったわけだし
命がけでロシアを守るんだ!という大義に燃えていたペーチャにとっては
賭け事の借金なんて瑣末なことだったのかも
ボロジノの戦いはジスカールデスタンも見物したんだな
ナポレオン役の人がお茶目でいい味を出していた
実物よりおそらくハンサム
931 :
吾輩は名無しである:2012/09/11(火) 03:06:10.11
トルストイって生涯童貞?
若年時代の放蕩淫蕩が有名な話だからそんなことはないと思ってるんだけど
知人が彼は一生童貞だったといっていたからさ
933 :
吾輩は名無しである:2012/09/11(火) 03:42:36.03
>>932 子供が養子だったとかいってたんだよ、その人
それに関する資料ないかな
>>933 馬鹿は相手にする必要が無い。
全集の日記や伝記を読めばそんなことは嘘であることがすぐにわかる。
935 :
吾輩は名無しである:2012/09/11(火) 23:14:32.88
やはりそうだよな
ネットでしか調べてないけどどう調べてもそんな事実はみえてこない
晩年だかに子作り目的以外の性行為を嫌っていたというのを拡大解釈して童貞と決め付けたのだろうか
だとしたらこれからも彼と話す機会あるし厄介だな 面倒くさい
最近公開された奥さんの日記では「あなた(トル)の求めに応じてたくさん子供を作りました」とあり、
その多産の結果、家作を切りまわす必要性が出て来たそうです。
どちらかと言えばトルストイは精力絶倫でその強すぎる精力を持て余していたと見た方がよいでしょう。
938 :
吾輩は名無しである:2012/09/12(水) 18:36:18.04
>>936 本当だ、936は目障りな上に間抜けだな
トルストイの禁欲の説き方は、性欲が強い人独特のそれだな。人間は本質的にえっちなものだと決めつけている
日本人は主要国中でも性欲薄いほうなんだろ
だからそういう観察になる
去勢派
山本周五郎はギトギトしている 読んでるほうがうんざりするくらい
戦争と平和の最後に書かれてるトルストイの歴史観って理論は正しいと思うけど冗長だな
1/10くらいにまとめれそうだ
ソフィア夫人だかがもう少し短いほうがいいんじゃねって指摘したんだっけ
日記を読んでいると、出てくる年がまだ江戸時代でびっくりする
結婚する前の日記に「リーザ・ベルス(ソフィアの姉)がぼくを誘惑する」とか
「ソーニャ(ソフィア)は美人じゃない」とか正直に書きすぎw
死後公開されたんだろうけど関係者は複雑だったろうなぁ
なるほど、作家の日記ってのも、面白いもんだね。
あれ、結婚前にソフィア夫人に日記読ませて夫人大ショック受けたんじゃなかったの?
なんでそれを貼った?
イタコ芸するならせめて本人が言いそうなことを言って欲しいけど
この人の場合似てもいないからなぁ
当時の意識で張り付いてるのは、不成仏霊だけ。
トルストイのような高級霊だと、当然、現在の状況をつぶさに把握してるから、
イタコ芸もその観点から見る必要があるだろ。
ドラッカーが死んだばっかりの時も
全然ドラッカーっぽくないこと言ってたよ
下調べくらいしろと
トルストイの言葉ってむちゃくちゃ鋭いのに、その片鱗もないのが悲しいな。
インチキ野郎にトルストイの真似なんてできるはずがないんだよな
インチキ野郎はインチキ野郎の真似だけしとけ
自作自演乙
?
全然違うけど何でそう思ったんだろう
いや違うけど
なんでそうおもうんだよw
霊言では、呼んだ側のインタビューに対して答えてるわけで、
トルストイ自身が興味の向くままに何かを話しているわけではない。
それと、生きてるときは、有名人であればあるほど、
その人然とした受け答えをせざるをえないけど、亡くなった後は
そういう制約もなくなるので、その魂の本質が出てくる。
ホンモノの方かw
信教の自由は尊重するけど
ここはトルストイのスレなので
お引き取り願えますか
自作自演じゃない書き込みを自作自演と勘違いしちゃうほど見る目のないあなたが
信じた対象は、本当に信頼に足るものだろうか?
それをよく考えて欲しい
ヒューマニズムの化身のような存在にとっては、
自分の死後の母国で、世界で最初に無神論的唯物論のマルクス主義革命が
起こっているわけで、これは痛恨の出来事であっただろう。
文芸を通じて世の中に神の国的なユートピア思想を広げたいという使命で、
受肉したのであれば、死後のトルストイが考える対象は、社会論・政治体制
にまで広がることは容易に推測できる。
トルストイの言葉はあらゆる芸術がそうであるように、
霊に満ち満ちしているよ?
その目で見れば幸福の科学なんて
失笑するしかない存在
一目で偽物と分かる
分からなきゃいけないんだよ
文芸の表面をなぞることも結構だが、
論語読みの論語知らずとならないように(なってもよいが)
その書き手の本心にまで思いをいたすことも、あってよいのではないか?
大川隆法は単なる理性によっても失笑するしかない存在だけど
本当の芸術、本当の霊を知るトルストイの読者の前で
その紛い物を平気で晒せる神経を疑う
あなたがしているのはとても失礼なことです
失礼に感じたのなら、申し訳ない。
ただ、自由度は広げたほうが面白いとは思うけどね。
本当の芸術、本当の霊を定義できるほどの人は世の中に
誰もいないと思う。まあ、それだけだね。
定義などできないよ
芸術も霊も神も定義などできるはずがない
直接に、はっきりと分かるものだよ
>>967が自分のことを「本当の芸術、本当の霊を知るトルストイの読者」だと思ってるならおめでたいな
しかも定義はなく直接に、はっきりと分かるものだなんて・・・
971 :
949:2012/09/25(火) 22:07:48.15
age
973 :
吾輩は名無しである:2012/09/26(水) 10:06:15.53
トルストイの文学作品には白眉なものがあるってことでいいんじゃね?
すべてが傑作ってわけじゃないしトルストイにも欠点はあっただろうしトルストイ以外にも素晴らしい理論はあるだろうしトルストイ至上主義ってのも気持ち悪い
オオカワリューホーとやらの理屈は知りたくもないけど
974 :
吾輩は名無しである:2012/09/26(水) 16:13:42.98
>>973 「白眉」を辞書で引いて、わかったら30日間謹慎しなさい。
yadane
次ぎスレくるううう 二年も掛かったか
今日てか昨日、トルストイて言おうとしたら
トイストーリーて言っちまったwwww
友よ
俺はトルストイと言おうとしてトルーマンて言ってしまった
978 :
吾輩は名無しである:2012/09/27(木) 10:04:56.67
トルストイ、トルーマン・・・
あんた、やさしいお人だ、なあ
>>977さんよ。
ナボコフのロシア文学講義が
アンカレをかなり語ってるらしいんだけどおもしろいのかな?
ドストエフスキーの作家の日記に書かれたアンナカレーニナ論は読んでみたいと思う
ロシアでは青空文庫でトルストイが全て読めるんだよね。
日本もトルストイ全集を読者に開放するべきだと思う。
トルストイを誰もが読めないような社会は健康で文化的な最低限度の生活とはいいがたいだろう
>>979 それはもう。と言うか早く電子書籍が普及して古典がバンバン復刻されるといいな。
なんで特定の文学作品をただで読めないと憲法違反って解釈になるんだよ
今時トルストイ読んでるなんて1割にも満たないんじゃね?
1%もいるかどうか
図書館に「ヨーロッパ文学講義」はあったけど「ロシア文学講義」はなかった
ロシアの方を読みたいのにっ