鴎外なんかにしてもそうだよ
漱石の影に怯えて何も書けなくなってしまった作家はたくさんいる
やはりそれだけ漱石は偉大なんだな
或る阿呆は素晴らしいと思うが後期の作品群を見てみると
アフォリズムが芥川を潰した一因にもみえる
「年末の一日」なんか痛々しくてとても読んでいられない
無意識に漱石の影から逃れようとしている様がなんとも惨めで・・
ここの住人って何歳くらいなんだろ?
漫画もゲームもラノベもある時代に
10代でアフォーとかにはまってる奴いたら、それはそれですごい
自分は18歳の秋の深夜に初めて黄ばんだ本のアフォーをゆっくり咀嚼する様に読んでた
でもたぶん当時は内容はそんなに理解とかはしてなかったと思うが…とにかく文章が綺麗だから読み入ってたのかも
アフォリズムとバカリズムって関係があるのか?
40歳無職のおっちゃんからの真剣な質問なんで、真面目に答えてや
或アラフォーの一生
バカリズムはアフォリズムからとったんでしょう多分。
>>856 文章の美しさに酔いしれたなんていいな
俺は21歳のときに歯車とセットで読んで、
文学に免疫なかったせいもあるが、内容のあまりの重さに
読後しばらく立ち直れなかった
>>959 おおきにな、おかげでおっちゃん、就職する勇気もろたで
本気の勇気見せてくれたらロマンチックあげるよ
ほんとの勇気でした(泣)
この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。
アフォーは自らの心臓に傷を入れてそこから静かに流れる血で書いた感じ
歯車はその流血の止血が出来なくなりドバドバ流れてしまった血で書いた感じ
どっちを先に書いたのかは知りませんが
「彼」はまだ余裕あるけど、「僕」はもう…
最後に書いたのは「続・西方の人」なんだよね、たしか
969 :
吾輩は名無しである:2011/11/22(火) 22:59:39.81
ミスティていう映画は藪の中が原作なん
藪の中の映画化で最高傑作はTAJOMARU。異論は認めない。
ミスティおもしろかったよね。
あの映画のために豊川が体をきたえたんだっけ。
972 :
幼児(ほんもの。すずきゆうすけ) ◆ql31SOL0D. :2011/11/23(水) 01:17:58.91
あくたがわ りゅーのすけ は まじめだから いい
ほかはいらない
はくじんは おりえんたりすと と あくたがわをかんちがいしている
ほんとうは ぽすともだにすと なのに しかも いちばんさきの
973 :
幼児(ほんもの。すずきゆうすけ) ◆ql31SOL0D. :2011/11/23(水) 01:18:52.63
ぼくはしっている どなきん おばけ は あたまが ばかだ
だけど あめりかに あたまのあがらない ばかでひきょうな てんのうがほめた
わるいやつだ
974 :
幼児(ほんもの。すずきゆうすけ) ◆ql31SOL0D. :2011/11/23(水) 01:22:58.70
わるいひと が あくたがわ のあとから やってきて
かってに しょうを つくって いろいろ わるさをした
ぼくはそれをしっている
きくち の ことか
976 :
おさなご(ほんもの。すずきゆうすけ) ◆ql31SOL0D. :2011/11/23(水) 06:52:02.44
どうともいえぬわ
977 :
おさなご(ほんもの。すずきゆうすけ) ◆ql31SOL0D. :2011/11/23(水) 06:58:16.48
あくたがわ には ぶんげーの りょうしん。ぶんがくの そんげんが あった
そのごにはきえた だれももっていない
これはほんとうだ
にせものなのだ ほかは
978 :
おさなご(ほんもの。すずきゆうすけ) ◆ql31SOL0D. :2011/11/23(水) 07:03:29.88
あくたがわ りゅーのすけは むかしばなしから だいざいをとって
それを ひっこぬいて いいものに したり ちがうものに げんだいがわかるように
かえたり おもしろいことをした
これを ぽすともだん という。
たいしょうじだいのはなし
そのあと りゅうこうが むこうで あった。 これは、しょうわのはなしである
そんで、 どなきんの あほすけ が かっこつけて にほんつうぶって やってきて
げんじものがたりそどむの げいしゃごっこなんかに はつじょーして いばって てきとーにいった
あくたがわは べつに っておもってるにちがいない どうでもいいが
つまり せっしゃがいいたいのは あくたがわは いっせいきさきに うまれたということ
979 :
おさなご(ほんもの。すずきゆうすけ) ◆ql31SOL0D. :2011/11/23(水) 07:08:18.77
いいことをおしえておく
きくちは あほやから ししょーせつと あくたがわお まちがえたのである
ししょーせつは あくたがわにとって ただの さいごの どうでもいいてだった
しょーぎをかんがえよ あといって で おうて の ときは どのてでもいい
そんで あくたがわは そのめいよにあらがって あくたがわしょーとかいう ごみのあつまりに
こんなに ししょーせつごきぶりが たかるとは しるまい
ぶたやりさ かねばらひとみ いしけらしんたろう おおえけんさむろう しってるか
だざいはおとして かわばたがいばったのだ。むらぱるをけなして けんさむろうがいなおったのだ
ただの けんりょくとうそう に なってしまった。
こんなものは あくたがわは ふーん ほっほっと いって あごにてをやって ひにくるだろう
「へえ、ちじょうでは にんげんの どうしうちか おれの くものいとは もう ないが」
980 :
おさなご(ほんもの。すずきゆうすけ) ◆ql31SOL0D. :2011/11/23(水) 07:19:24.80
いいか
しょーぎょー しゅっぱんとは きくちの まいた たねなのだ
それを しっているもの しったものは こうおもえ
えぴごーねんは おりじねーたーの ぱくりである しょーぎょーしゅっぱんは きくちの わなだ
きくちの ことを しっているものだけ に つぐ
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嫌がらせかよ。
目がチカチカするじゃね〜か。
>>968 自死した時に枕元に聖書置いてたんだよな。やはりキリスト教に救いを求めてたんだと思う。
死後の世界とか、来世とか、在ると思ってたのかな?
河童でも死後の世界のことを話題にしてたからなー
死後の世界・来世・生まれ変わり・地獄etcを信じてたかどうかはともかく、
相当に関心持ってたのは確かだと思う
芥川はチンポでかいからなー
あえて聖書を置いておいたのはキリスト教に救いを求めてたというより、阿呆の最後の謎かけのようなもので
不特定の誰か、或いは自分の中の誰か、に対する最後のメッセージのようなものだったんじゃないかな
「西方の人」でもキリストを芥川自身に重ね合わせて、その苦悩の共通点をいくつも挙げ連ねたりしてるし
或阿呆〜の序章の「僕はいまもっとも不幸な幸福の中に暮らしている」というのもキリストのそれとよく似ている
晩年の芥川は自身の嘘や打算ばかりの小説の中を飛び出して、彼の人生そのもので小説を描いていたように思う
それもこれも、チンポがでかいからだな
芥川の人生のほうが、芥川が書いた作品より面白い気がする
これは作家としては幸福なのか、それとも不幸なことなのか?
チンポがでかい事を言ってるの?
そうだよ
エロだなあ
あぁ、とてつもなくエロいんだよ
海綿体の塊ってこと?
チンポの話題でこのスレを終わらせて良いのかどうか迷うところだな
長生きしたら、大化けしたかな?
ドストエフスキーみたいに。
1001 :
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このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。