1 :
やれやれ、僕は名を失った :
2010/09/10(金) 00:22:33
2 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/10(金) 00:24:54
松本徹先生『三島由紀夫を読み解く』がNHKテキストに ラジオ第二放送で7月から9月放送のテキストです **************************************** NHKカルチャーラジオ『文学の世界』は、七月から九月が松本徹(文藝評論家、三島文学館館長、憂国忌発起人)が語りおろす「三島由紀夫を読み解く」である。 放送日は七月から九月 木曜日 午後八時半から九時 再放送は 金曜日 午前1015−1045 なお写真十数葉を配した、松本先生執筆のテキストはNHKから出版されており、書店で買い求めることができる。 NHKカルチャーラジオ 松本徹 『三島由紀夫を読み解く』(857円)
3 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/10(金) 00:27:14
4 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/10(金) 00:33:01
ブルーハーツババァきめぇwwwwwwwwww
川上ミエコスレが炎上する前は三島スレがトップだった。 名言スレも好きだったので誰か立ててくださいよ。
ありがとうございます!
8 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/10(金) 16:08:46
「フェラチオ」という言葉に就いて傑作に面白い見開き2ページの短文が、 現在発売中の月刊誌「新潮」10月号のコラム(p.234-235)に載っていますわヨ。 他にもクンニリングス等々オーラル・セックスに関する楽しい話が書いてあるので、 関心のある向きには書店で立ち読みでもされて見ては如何でしょうか? 三島由紀夫も大好きだったらしいし
その視覚的、聴覚的に表現するということを考えた場合、三島由紀夫の戯曲は天才的な言葉で溢れている。 三島由紀夫の溢れる、迸る様な豊かな言葉というのはいうならばモーツァルトの音楽を連想させる。 モーツァルトのピアノソナタは初心者から円熟期に入った大ピアニストまで誰でも魅せられ虜にするが、 三島由紀夫の戯曲も思わず音読したくなる様な人を酔わせる様な豊かな言葉に溢れ、これは自分で演出したい、 これは自分で演じてみたいと人を駆り立てる様なものを持っている。 遠藤浩一「三島由紀夫と福田恆存――演劇をめぐって」より
10 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/12(日) 00:14:24
9/14(火) 11:30〜12:27 テレビ東京 女のサスペンス名作選 「月澹荘綺譚―侯爵殺人事件―」 ◆キャスト 聡子…平栗あつみ、老人の勝造…森本レオ、勝造…杉本哲太、照茂…花柳錦之輔(青山裕一から改名)、君江…中川喜美子 ◆スタッフ 【原作】三島由紀夫「月澹荘綺譚」 【脚本】今村和代 【監督】淡野健
11 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/12(日) 16:38:58
山口二矢烈士 50年祭 日 時 平成二十二年十一月二日(火) 午後五時三十分 開場 午後六時 開式 会 場 日比谷公会堂
「江の島ゑん足の時」 ぼくはゑん足をお休みしました。 二十日の朝はおきると、みんなは今新宿えきへついて、もう電車にのつただらうと思ひました。 すぐそんな様なことをかんがへ出します。ひまがあるとおばあ様やお母様の所へお話しにいきます。 もうみんな江の島へついたかと思ふといきたくつてたまりませんでした。 ぼくは江の島へいつたことがないのでなほいきたかつたのです。 ぼくは朝から夜まで其ことをかんがへて居ました。 ぼくは夜ねると、次の様な夢を見ました。 ぼくもみんな江の島のゑん足にいつて、そしてたのしくあそびましたが、いはがあつてあるけません。 そこでもう目がさめてしまひました。 平岡公威(三島由紀夫)7歳の作文
「海」 先をと年、小田原の海へ行つたとき、大分沖の方まで泳いだら、お腹がいたくなつたので、およぎをやめて かへりました。するとその翌日、にはかにきもちが悪くなり、病気になりました。それで泳ぐのに、僕は こりごりして了ひました。(中略) 波打際であそんでゐると、ビーチパラソルの中から、をばさまが「こんどは少うし川の方であそんだらどうを?」 とおつしやつたので僕は「えゝさうしませう」といつて、弘道さんと、バケツやたもをもつて、川へいきました。 二人でふなの子をとつたり、水の中をあるいて向う岸へいきッこをしたりしてゐるとをばさまが大きなこゑで 「公ちやんとひろみちちやん! ごはんよ」とおつしやつたので僕とひろみちさんは一さんにかけて行つて おいしいおべんたうをたべたり、おしよくごのキャラメルをたべたりして、又一しきりあそんでかへりました。 その翌日は朝はやくおきて畑へ行くと、お百しやうさんが「このいも、まだあたらしいでがすよ。あんちやんたちに あげませう」とさつまいもをくれました。 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
「雨降り」 雨がふつてきた。 ポタンととひの中に入つてとひをつたつてザアッとおちる。 庭のすみに落ッこちてゐる小さなくびふり人形も雨水でビショビショになつてゐる。又木の葉の上にのつてゐる露が まるで真珠のやうだ。 雨だれの音はどんなにでもきこえる。 タンタラタンともきこえるし又タカタカタンとも、自分の思ふとほりにきこえる。 まるで音楽をきいてゐるやうだ。 雨がふるとお百姓さんも亦(また)草も木もおほよろこびだ。 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
倭文重母ちゃまが添削しますた。
作文の多くは学校で書かれ授業中提出されたものです。
三島の言語センスはみとめるけど、 学校というアカデミズムによって陶冶されたのはいただけんな。 時代の趨勢からだと軍国少年になる道筋が待ち構えてた。 おれも小学校の低学年時に作文が得意でね、 教師からほめられる。すると何かしら違和感おぼえてよ、 女の子みたいで恥ずかしい気持になった。 ワザと下手糞に書いたもんさ。 純情公威クンはいい気になって軍国思想に取り込まれたな。 三島のアキレス腱だぞ。 母親が旧制高校に行ってれば・・・と嘆いたのは実に深い了見なんだ。
この作文のどこが軍国なんだか。あほくさ。
「長瀞遠足記」 朝起きて見ると東の空がほのかに紅くなつてゐる。 あゝ今日は遠足の日だ。 いつもなら、女中が、 「お坊ちやまお起き遊ばせ」 位云つてくれてもなかなか起きない僕が、今日は起してくれる前におきて了つた。 女中にきいたのだが、僕が十一、二時頃おきて、 「もう朝になつた?」 と、きいたさうだ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 それから僕はお母さまと書生とで池袋駅へ急いだ。 いよいよ汽車にのつてあこがれの長瀞へ行くのだ。 汽車の中では僕が色々なものをもつて来たので相当面白かつた。 「かァみながァとろォ かァみながァとろォ」 と叫ぶ駅夫の声に汽車が止つて、先づ宮様方がお下りになり、それから一年から順に汽車から下り、列を作つて、 神保博士の長瀞の石の『ちんれつくわん』へ行つた。 色々な見たこともない石があつた。 けれどもその内で一番僕の面白いとおもつたのは木の化石だつた。 太い木がそのまゝ石になつて居るのは、作つた物としか思へない。 (続く) 平岡公威(三島由紀夫)9〜10歳の作文
「長瀞遠足記」 たうとう河原についた。 こちらの河岸はまことに長瀞の名に応(ふさ)はしくトロトロと流れて居るが、向う岸は水が河底にある岩に 当つてドドドッとしぶきを上げて居る。 本当に『美しい天然』だ。 そこで少し休んで石畳でおべん当をたべた。ザアザアと流れる水の音をきゝながら御飯をたべるのは何とも云へない。 それから、遊園地を通つて、宝登山神社にお参りした。 そこで大へん面白い“獅子舞”を見せていただいた。 雄獅子が二匹と雌獅子が一匹とでピィヒャラピィヒャラとこつけいな踊りをした。 それがすんでから、神社に別れを告げ、この名ごり惜しい長瀞から東京へかへることになつた。 帰りに汽車の中で小松先生が俳句を一句作つて下さつた。その俳句はかうである。 長とろや とろりとろりと 流れけり 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 今日の美しい日は夢のやうにすぎて了つた。 長瀞遠足は大へん為になつた。 ほんとにいゝ遠足だつた。 平岡公威(三島由紀夫)9〜10歳の作文
21 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/15(水) 13:47:23
公威の作文が書かれたこの時代に政治の中枢で何が起きてたか調べろや 同時にマスコミと風説も迎合し渦になっていき教師たちの頭の中を席巻し 見栄のつよい敏感なガキのこころを捉え、やがてひとつの路線がガキの眼に映るんだ。
三島の少年時の作文は他の文豪たちのものとくらべてオリジナリティーに乏しい。 三島の文学の人工性をすでに予告している。
>>23 あなたにそういう思い込みを抱かせるのが、三島のオリジナリティーなんですよ。
残念でした。
>>22 それがどうしたんだよ。あんただって時代の影響受けて育ってんでしょ。その物言いからして団塊爺さん丸出しだよ。
「かみなり」 きのふのよる僕は雨戸をしめて寝床へ入つた。その時がらす戸から「ぴかりつ!」といなびかりが見えた。 五六べうたつて大きならいが鳴つた。たんすの上にある時計はゆれるしれうりだなの上においてあるせとものも かちやりと音をたてた。 なんだか家中がゆれるやうなきがした。 おはなれにいらつしやつたおぢいさまが「ひどい雨だ」とおつしやつた。 ほんたうにひどい雨だ。 又こんなかみなりが今ごろなるときではない。又ことしはこんな大きなかみなりが一度もならないのに。 平岡公威(三島由紀夫)8歳の作文
「涼しい夕涼みの一時」 入日が西の空をまつかにそめてゐます。 縁先の夕顔がぽつかり白い花をひらいた。昼頃降つた雨がまだかわからないのか。庭下駄でふむ庭の土が 何となくじめじめしてゐます。 それでまた一段と庭の空気が涼しいやうな気がいたします。 えんの下で名も知れぬ虫がなきはじめると、椿の枝の虫籠から、琴をひくやうに美しい鈴虫の音(ね)が、 そよ風に送られて僕達の耳には入つてまゐります。 やがて、松の小枝をとほして、うすい月の光がさしてきました。 太陽はもうすつかり西山に姿をかくして、うす暗い夕空には、月とそれから五つ六つの小さい星がきらきらと 輝いてゐるだけです。 平岡公威(三島由紀夫)年月不詳(推定9歳)の作文
「冬の夜」 火鉢のそばで猫が眠つてゐる。 電灯が一室をすみからすみまでてらしてゐる。 けいおう病院から犬の吠えるのがよくきこえる。 おぢいさまが、 「けふはどうも寒くてならんわ」 とおつしやつた。 冬至の空はすみのやうにくろい。 今は七時だといふのにこんなにくらい。 弟が、 「こんなに暗らくつちやつまんないや」 といつた。 平岡公威(三島由紀夫)8歳の作文
>>25 団塊爺さんといわれると、俺の実年齢だと「早熟」と「老成」のあいだ位になるんで
恍惚とした気分だぜい(笑)
小学校三年のとき女の先公が賢治の「猫の事務所」の話を聞かせ感想を書かせた
俺は「いじめ」と「さべつ」は違います、と
ジェンダーフリーに阿る意見を展開したら先公に大層ホメられた
すでにそんな時代だった
その一方でスカートめくりして女子のケツに手を突っ込んだりしてたがな
ホメられた腹癒せにw
オリジナリティーの萌芽とはそういうもんだ、時代の反影響を実践してたしな
公威のはダメだ(笑)もうね、臭えガキだなと(笑)
>>29 何がオリジナリティーなんだか。そんな奴はゴロゴロいるわ。残念でした。ごきげんやう。
埴谷雄高氏は戦後の日本の夜を完全に支配した。氏は黒い神話になり、ねぢ曲つた現実の回路が或る一個所で 底なしの闇に通じてゐるのをわれわれが発見するとき、必然的に不可避的に埴谷氏の顔に会つた。 あらゆる絶望の予言はすでに埴谷氏の本の中に語られてゐた。だからこれを読むことが希望の唯一の根拠になつた。 明晰な文体と異常な人物、正確な悟性と異様な幻想……そのすべてが氏の容赦なき人間認識から出て、闇の風を 孕んだ深いお告げになつた。氏は分析に足をとられたことのない稀な近代人である。世界は崩壊の一歩手前で 言葉によつて引き止められ、闇は凝視にとつて最小限必要な光りを許してゐることによつて逆説的である。 埴谷氏の文学はただ青年の書であるだけではない。人間と世界の書であることが、今や明らかになつたのである。 三島由紀夫「推薦のことば(『埴谷雄高作品集』)」より
Marvelous
「ある日」 ある日。 いつだつたかよく覚えてゐない。只その日にあつたことだけをおぼえてゐるのだ。なんでも春の夕方だつたとおもふ。 そしてまだ学校へはひらなかつた時らしい。 僕はお二階のヴェランダで女中にだつこをしてもらつてゐた。 女中に抱かれ乍ら僕は夕日の沈む空をみてゐたのだ。 すると遠くから一羽のとんびがまひおりてきた。空中で円い輪を描いて段々下へおりて大分下の方へきたら、 ものすごいスピードで溝をめがけて飛んだ。 そして空へ上つた時にはそのするどい爪で大きな溝(どぶ)ねずみをつかまへてゐた。 とんびはそのねずみをもつて松の木の上に止つた。 そこへ同じ大きさ位のとんびがやつてきた。前のとんびは後のとんびに頭をこすりつけ、一しよに仲よく そのねずみの肉をたべた。 僕は二羽のとんびに友達は仲よくせよといふことを教はつた。 平岡公威(三島由紀夫)10歳の作文
「夜のプール」 三時頃、林さんが来た。 僕はその前の日林さんの家へでんわをかけたのだ。そして、その時僕は、久しぶりで七時頃から夜のプールを 見にいきませうといつた。 果して林さんは来た。 ごはんをすませて三十分位たつた時の僕は、涼風吹くさはやかな外苑の夜道を足どりも軽くあるいて居た。 夜のプール。 物すごく明るい電気が左右から緑色のプールをくわうくわうと照らしてゐる。 ザブーン。 気持のよい音。五、六人一しよに飛びこんだ。サッサッ、水をかく音。ふとみると、夜空に日章旗が高く ひらめいてゐた。 平岡公威(三島由紀夫)年月不詳(推定9歳)の作文
36 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/22(水) 08:09:26
↑ オメエは語らなくていいよ。 オメエみたいな半可通に三島の何がわかるんだよ。
37 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/22(水) 21:00:18
三島は蟹がきらい蟹が苦手とか書いてるが、嘘っぽい。 サルトルの蟹嫌いを自分に投影してるんじゃないかな。
38 :
やれやれ、僕は名を失った :2010/09/22(水) 22:31:04
中日ドラゴンズ、本拠地ナゴヤドームでの最近の成績 巨巨巨ヤヤ横横横阪阪阪広広広巨巨巨ヤヤヤ広広広巨巨巨横横横阪阪阪ヤ ○○○●●○○○○○○○○○○○○●○●○○○○○○○○○○○ こんなに本拠地だけ勝てるなんて前代未聞! 絶対ズルしてる。ドラゴンズ しかもビジターになったときの勝率は、たったの0.38!! 可能性はヴィジョンなどを使った輝度差によるグレア攻撃が濃厚。
本屋でグラビア見ながら立ちオナニーする人を本多が発見する描写がすばらしい。(暁の寺)
三島が父親について語った文章で 父親とは「それ自体としての存在が悪だ」と言っているそうですが、 どの本のどの部分にあるか分かりますか?
>>41 小説の午後の曳航のなかの、少年グループのリーダーの台詞の
「彼は三号を手ひどく裏切つた。地上で一番わるいもの、つまり父親になつた。これはいけない。」
のことでは?
43 :
吾輩は名無しである :2010/09/23(木) 23:28:34
アホ丸出しの台詞だな 鼻クソほじりながら書いてそう
>>42 どうもありがとうございます。
読んでみます。
41は小説ではなく、エッセイに書かれた言葉らしいですが・・・
色々な所に、似た文句を書いてるんだろうな・・・
>>44 エッセイや評論では、上記のような発言はないですね。
強いて言えば、「早世した父親は子供にいいイメージを残す」というもので、
父親は子供の反抗の対象になりやすいという意味合いのものがある程度です。
46 :
45 :2010/09/24(金) 11:07:14
>>44 更に強いて挙げると、小説家の息子というエッセイに、
「本来なら父親はまだ子供が出てゆくことを許されない広大で活気ある大人の社会という大海へ、毎朝出かけて行つて、
やがて舟の影が小さく見えなくなつて、……又夕方になつて、漁獲を携へて、帰つてくるべきなのだ」
という記述がありました。
>>45-46 えっ!?無いんですか?
中島義道もいい加減なこと書いたもんだ・・・
ともあれ、詳細なご回答ありがとうございました。
参考になりました。
宮崎正弘 v 佐藤優『猛毒国家に囲まれた日本』(海竜社、1575円)
>>47 おそらくその人は、午後の曳航の台詞をエッセイか何かだと思い違いしているんでしょうね。
51 :
吾輩は名無しである :2010/09/25(土) 12:22:50
10月5日、尖閣諸島は日本領土、緊急の国民集会
中国の尖閣諸島侵略を阻止せよ! 国民の手で領土を守ろう!
****************************************
きたる10月5日、日本の領土を守る会が主催して「尖閣諸島は日本領土、緊急の国民集会」が開催されることとなった。
スローガンは「中国の尖閣諸島侵略を阻止せよ! 国民の手で領土を守ろう!」
開催要領は下記の通りです。
記
とき 10月5日(火曜日) 午後六時半―九時
ところ 文京区民センター(後楽園4b出口より五分)。文京シビックではありません。
http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754 登壇 山谷えり子、松原仁ほか国会議員。
加瀬英明、佐藤守、西村真吾、平松茂雄、宮崎正弘ほか。
入場 無料
連絡先 日本の領土を守る会(3815)0721
当日(090)4815−8217 (中村)
52 :
吾輩は名無しである :2010/09/25(土) 12:23:10
9・29反中共デー大阪デモ行進 【日時】平成22年9月29日(水)13時集会・14時デモ出発 【場所】大阪市西区「靱公園マネキン広場」 【主催】9・29反中共デー関西大会共闘委員会
あーあ、今回の独立宣言を作るという話は、どうも企画倒れに終わりそうだな。そう思いながら、新潮学芸賞を 受賞した徳岡孝夫さんの「五衰の人―三島由紀夫私記」を読んでいたら、なんと、びったりの文章が出てきた。 四半世紀も前、三島由紀夫が自決したときの「檄」の一部にこういうところがある。 「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして 末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、 自己の保身、権力欲、偽善にのみささがられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただ ごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見てゐなければならなかつた。」 まさに、今の日本そのものじゃないか。まずこの一文を、日本の独立宣言文の冒頭に掲げるところから 始めようかと思ったよ。 ビートたけし「憲法爆破」より
さすがたけし
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などの映画でも知られる歌手のビョークが来日した際に、「ミシマの作品 くらいは読まなくてはね」と述べたと伝えられていた。アイスランド出身のビョークが作品を何語で読んだのか わからないが、アイスランド語では1974年に「午後の曳航」が出版されている。「午後の曳航」は「金閣寺」 「近代能楽集」「潮騒」などと並んで翻訳数の多い作品であるが、(略)アイスランドの人々が読む「午後の曳航」が どのようなものか、想像してみるのも楽しい。 (中略)現時点(2003年)で把握しているところでは、小説・戯曲・評論等を含めると、110点以上の 作品が30種類の言語に翻訳され、二回以上訳されているものを含めると、翻訳作品の総数は延べ700点を 超えている。(中略) 三島は近代の日本の作家の中でも芥川龍之介、川端康成、谷崎潤一郎、安部公房などと並んで翻訳作品の数が 多く、海外で知られているとはよく指摘されるところである。ただ海外における日本の作家の受容の状況は、 国によってそれぞれ異なっている。(中略) 久保田裕子「三島由紀夫の海外における翻訳作品」より
三島の作品の翻訳はアメリカにおいて1950年代から始まったが、英語の翻訳がされた後に、フランス、 ドイツなどのヨーロッパの言語に広がっていくという経過をたどることが多かった。 近年の翻訳状況としては、2000年にオランダやルーマニアで「金閣寺」が、2002年にノルウェイで 「春の雪」が再版されるなど、いくつか挙げただけでも根強い読者層の存在をうかがわせる。また2001年に ポルトガルで「禁色」が刊行され、長編小説を中心に翻訳される言語にも広がりを見せている。ヘブライ語、 ラトヴィア語やセルビア語の「金閣寺」、バスク語の「午後の曳航」も登場するなど、三島作品が受容される 言語圏は拡大しつつある。(中略) 以上のことはあくまで日本にあって知ることができる出版状況の一端であり、実際にはそれぞれの国で作品が どのように読まれ、読者に受容されているかを知ることは難しい。 ただ先に挙げたビョークの話は、「ミシマ」が今なお世界において一種の文化的なイコンであり、日本の文化や 文学を象徴するような存在であることをうかがわせる。 ところで三島自身は1965年4月6日付のドナルド・キーン氏宛の書簡において、〈むりに日本語からの 直接訳をするより、結果として、重訳のはうがいいのではないか〉と述べていて、重訳であっても作品が海外で 広く翻訳されることを望んでいたことがわかる。(中略) 実際のところ三島の翻訳作品の中には未だに英訳からの重訳も多く、日本語という表現を通して世界で認められる ことの困難を示唆している。そのことに最も自覚的であったのはおそらく三島自身であろう。日本語による 表現を世界的な普遍性へとつなげようとする試みは、彼のライフワークの一つであった。亡くなる前に彼は 〈世界のどこかから、きつと小生といふものをわかつてくれる読者が現はれると信じます〉(1970年11月付) とキーン氏に書き送っていた。この遺言通り、今でも翻訳を通して三島の言葉は世界のさまざまな場所に波紋を 広げ続けている。 久保田裕子「三島由紀夫の海外における翻訳作品」より
>>56 ビョークはアイルランドでしょう?
なにおとぼけかましてるのかな?
ビョークはアイスランドですよ
>>58 sageスレなのに即座あら探し&恥さらしモンキー(笑)
アイルランド語を話し、アイルランド政府から島を提供されたビョークですよ
>>61 そんなことどうでもいいよ。文句があるなら、久保田裕子という人へ言ってください。
どこの情報源でも、ビョークはアイスランド出身て書いてあるよ。
>>62 まあ文脈が三島の書物メインということはわかるのだけれども
>>61 アイスランド出身でアイスランド語も話すから
>>56 は間違えではないです。
次の選挙こいつだけは落としたい中国建国記念レセプション出席者編 細川律夫厚労相、松本龍環境相、大畠章宏経産相、平岡秀夫総務副大臣 柳田和己、藤井裕久、江端貴子、 前田武志、田城郁、大泉博子、稲見哲男、今野東、古賀一成、江田五月、首藤信彦、大島九州男、奥村展三、 山本剛正、川上義博、岩本司、藤田一枝、矢崎公二、川越孝洋 二階俊博、加藤紘一、野田毅、村田吉隆、 茂木敏充 山口那津男、東順治、井上義久、石井啓一、遠藤乙彦、斎藤鉄夫、石田祝稔、大口善徳、 高木陽介、 遠山清彦、魚住裕一郎、松あきら、渡辺孝男 井上哲士 福島瑞穂、重野安正、照屋寛徳、服部良一、松田公太、 辻元清美、野中広務、神崎武法、みんなの党は川田龍平だけでなく松田公太も国賊認定へ。
67 :
吾輩は名無しである :2010/10/03(日) 05:01:22
美輪明宏が「孔雀」は自分がモデルだって言ってるけど、本当ですか?
>>67 はっきりと三島由紀夫がそう書いてる記述は見たことないですね。
直接に三島由紀夫が美輪明宏さんに、そう言っていたのかどうかは誰もわからない次元ですけど、
若い頃の美輪明宏さんはかなりの美形だから、その容姿からインスパイアされた、ということはありそうだとは思います。
でも小説の中身は、美輪明宏さんとは全く関係ない感じが個人的にはします。
69 :
(o`.´o) :2010/10/03(日) 11:12:58
日本は中国と米国のどちらと仲良くすべきか?という問題ですけれどもねぇ〜(笑) 日本人は原爆を投下死た米国の残忍をお忘れでは〜(笑)
日本が中国化したら言論の自由がなくなるから嫌だな。
>>69 どちらと仲良くするにしても、まずは自国の防衛力をつけなければダメだし、対等な関係にならないと思います。
どちらの国も最終的には裏切る可能性を秘めてますからね。
72 :
吾輩は名無しである :2010/10/03(日) 20:43:47
竹内文章
73 :
(o`.´o) :2010/10/03(日) 22:27:14
大江のじいさんが被爆地広島で核は戦争の欲死力には楢無いと公園死た酔うですけれども〜(笑)なんでも核の無い平和な世界がやって来るとか〜(笑)藁貸し増すねぇ〜(笑)
けだもの花園荒らすな
藁貸しってほんとクソだよね
>>73 かたや、核保有国から勲章貰ったり、核保有国と結託して日本から自衛隊なくしたいとか、訳のわからない支離滅裂なオッサンですよね。
平和の理想を唱えるのは構わないけど、まず核保有国へ言いに行けば? って感じだよね。中国人に殺されると思うけど(笑)
77 :
吾輩は名無しである :2010/10/03(日) 23:32:20
自演うぜーーーーーー!!!!!
>>77 自演? 自分の気に入らないレスは自演とは、とんだ支那サイバースパイですね。
日本語不自由だから、人の区別もできないんでしょうか。ニーハオ(笑)
Q:つぎに東南アジアについてちよつと聞きます。インドも中共との交戦の経験を持つ国ですが、 東南アジアと日本との最大の相違点は、中共の脅威を感じてゐるのと感じてゐない点にあると思ひますが。 三島由紀夫:中共と国境を接してゐるといふ感じは、とても日本ではわからない。 もし日本と中共とのあひだに国境があつて向かう側に大砲が並んでたら、いまのんびりしてゐる連中でも すこしはきりつとするでせう。まあ海でへだてられてゐますからね。 もつともいまぢや、海なんてものはたいして役に立たないんだけれど。ただ「見ぬもの清し」でせうな。 三島由紀夫「インドの印象」より
Q:日本人が中共をこはがらないのは一種の幻想的な“大平感”なんだらうけれど、日本にさういつた幻想が あることも、また一つの現実ぢやないでせうか。 三島由紀夫:たしかにさうですね。幻想(イリュージョン)といへどもなにかの現実的条件によつて保たれてゐる。 ぼく自身は、日本にも中共の脅威はある、と感じてゐます。これは絶対に「事実(ファクト)」です。 しかし、日本人が中共に脅威を感じないといふことは「現実」です。「現実」とはぼくに言はせれば、 事実とイリュージョンとの合金です。 「現実」をささへてゐる条件は、いはくいひがたしで、恐らく何万といふ条件があるでせう。 海もあるし、長い中国との交流の歴史もあるし……。 ものを考へようとするとき、片方の「現実」を「事実」だけでぶちこはさうとしてもダメです。 幻想をくだくには幻想をもつてしなくつちや。ですからもし、ぼくが政治家だつたら……。 Q:「中共はこはくない」といふ幻想は、どうやつてくだきますか? 三島由紀夫:「中共はこはい」といふファクトではなく幻想をもつてですよ。 三島由紀夫「インドの印象」より
三島由紀夫という人は、女に男同士の愛を理解させる、格好の、いや最初で最後の存在なのかもしれない、と 最近思うようになった。 勿論西欧には、同性愛者だと言われている沢山の芸術家がいる。私達は何となく、男色というと女に興味ない 男のように考えてしまうが、それは多分偏見というもので、「失われた時を求めて」のプルーストは女を愛し 失恋している。マーラーにもアルマという妻がいた。三島由紀夫も勿論女を愛したし妻子もいる。個人差はある だろうが、性の領域で自縛することなく、ある良き匂いに向かって体を傾けて行く、それが男であれ女であれ、 ということなのではないだろうか。美がもたらす痺れに、全身を波打たせることにためらいがない、という 言い方も出来るような気がする。 当然ながら女の私に、このような囲い込まれた世界を、充分に理解することは難しい。しかし三島由紀夫という 人がいなかったとしたら、そして彼の作品が男も女も魅了するという事実が無かったら、男同士の愛の実相になど、 女の私が関心を持つことはなかっただろうし、その必要もなかったのだと思う。 高樹のぶ子「幸福な化学反
私は三島由紀夫の書いたものだけでなく、彼について書かれた多くのものから、男同士が魅かれ合うその感触を、 不正確ながら、自分の実感として取り入れることが出来たような気がする。 こう書けば、それは幻想だ、解るはずがない、と言われるだろう。なぜなら私が女であるからだ。女である以上、 絶対に無理なことだと。(中略) 私は男の視点で女を眺め、女を愛し、振り回される小説を最近集中して書いているが、いずれも精神的に マッチョな男ではなく、どちらかというと従来の見方で言えば女性的な男である。そしてそんな男が憧れ愛し ひざまずく女の、何と雄々しいことか。それを書くこの私も含めてだ。男色とは無縁、勿論女同士のエロスとも 遠いが、自分の中では性の交替、混合、クロスオーバーは間違いなく起きている。 そう感じた瞬間、三島の世界が急に近くなった。不遜は良くないから、理解出来たとは言わないが、身体感覚として 触れ得た気がしたのは確か。 高樹のぶ子「幸福な化学反応」より
さらに何度となく、私自身男になって男と性愛する様を、空想してみた。そのときの私は、稚児となって立派な 体躯に愛されるのではなく、いつも稚児を愛する立場ばかりなのだが。 美しい少年を抱きしめ、その唇を吸えば少年は頬を赤らめる。(中略)少年の尻は桃のように膨らみ、汗ばんでいる。 その割れ目に両手の指を入れ、ぐいと左右に引くと、少年は思わぬ感覚に一瞬高い声をあげる。(中略) とここまで空想出来るのに、そこから先、私は少年をどうすればいいのか判らない。途方にくれて女に戻るしか ないのだが、私にぺニスがあれば、この先少年に対して何かが出来るのだろうか。 私は今、恐らく多くのストレートな男性より正確に、男同士の性愛感覚が感じとれるのではないかと思う。 全く不快感なしにだ。それは私の中の「男」と三島由紀夫という存在が、幸福な化学反応を起したせいに違いない。 高樹のぶ子「幸福な化学反応」より
>>84 極左と誤解されていた、と次ツイートと説明してますよ。
訂正 ツイートの × ツイートで ○
@hiranok: キーンさんのさっきの話は、『私と20世紀のクロニクル』に詳しく出ている。 結局は、「状況的に」という以上の話ではないが、三島の応援者として国際舞台で孤軍奮闘していただけに、 臨場感がある。若い三島が極左と誤解されていたという例の話も。「三島は、笑わなかった」という一文が印象的。
三島由紀夫が自らの生命を賭けて反対した思想の重要な側面は、この、手続きさえ合っていれば、その政策や 行動の内容は問わないという、敗戦後のわが国の文化風土だったのではないか。 彼の目に、それは思想的退廃としか映らなかったのである。 …しかし、多くのメディアや芸術家は、彼の行動の華々しさや烈しさに目を奪われて、それを右翼的な暴発としか 見なかった。 辻井喬「叙情と闘争」より
90 :
みな :2010/10/08(金) 07:38:09
三島の編纂した『東文彦作品集』よんでね
そういえば今日は東文彦の命日だよ。
「東健兄を哭す」 十月八日の宵、秋雨にまじる虫のねのあはれにきこえるのに耳をすましてゐると、階下で電話が鳴つてゐる。 家のものがあたふたと梯子段をあがつてくる気配、なにがしにこちらもせきこんで、どこから?と声をかけると 「東さんが……お亡くなりに」「えッ」私は浮かした腰を思はず前へのめらせて、後は夢中で階段を駆け下り 電話にしがみついた。その電話で何をうかがひ、何をお答へしたか、皆目おぼえてゐない。 よみ路の方となられては、急いても甲斐ないものを見境なく、仕度もそこそこに雨の戸外へ出た。 渋谷駅までの暗い夜道をあるいてゆく時、私の頭は痺れたやうに、また何ものかに憑かれたやうに、ひたすらに 足をはやめさせるばかりであつた。さて何処へ、何をしに――さうした問は、ただ一つのおそろしい塊のやうになつて、 有無をいはせず私の心をおさへつけた。あらゆる心のはたらきを痴呆のやうに失はせてゐた。 平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
「東健兄を哭す」 (中略) 兄の御寿(みいのち)はみじかかつた。おのが与へられたる寿命を天職に対して、兄ほどに誠実であり潔癖であり 至純であつた人を寡聞にして私は知らない。私は兄から、文学といふもののもつ雄々しさを教へられたのである。 文学は兄にとつてあるひは最後のものではなかつたかもしれぬ。しかし文学をとほしてする生き方が、やがて 最高の生き方たり得るといふ信仰を、身を以て示された兄の如きに親炙することによつて、わがゆく道の さきざきに常にかがやく導きの火をもちうる倖せが、こよなく切に思はれるこの大御代にあつて、唯一の 謝すべき人を失ふとは。……兄は病床にありながら、戦に処する心構においては、これまた五体の健全な人間の、 以て範とするに足るものであつた。幾度かわれわれの、あるときなお先走りな、あるときは遅きに失した足取りは、 却つて病床の兄の決してあやまたない足取りのまへに、恥かしい思ひをしたのである。 せめて勝利の日までの御寿をとまづ私はそれを惜しんだ。 (続く) 平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
「東健兄を哭す」 (中略) 文学は兄にとつて禊であり道場であつた。文学のなかでは一字一句の泣き言も愚痴も、いや病苦の片鱗だにも 示されなかつた。平生の御手紙には尚更のことであつた。 そこに私はニイチェ風な高い悲しみを思ひゑがいたのであつたが、兄、神となりましし日、私は、つねに完全なる 母君であられ、今世に二なき悲しみにつきおとされになつた御母堂から、けつして愚痴を言はれなかつた四年間の まれまれに、余人にとつてもおそらく肺腑をゑぐるものがあつたであらうそこはかとない御呟きを伝へ伺つて、 ふともらされたその御呟き――かうして治るのもわからずに文学をやつてゐるのは辛いなあ(誤伝なれば謹んで 改めまゐらせん)――といふ一句を、なにかたとしへもない真実が岩間をもれる泉のやうにのぞいたすがたと覚え、 かつはかく守られねばならぬたをやかさが兄の奥処にあり、守られたればこそ久遠に至純であつたその真実を思つて、 文人の志の毅さとありがたさも今更に思ひ合はされ、御母堂の御心事に想到し奉つても、暗涙をのまずには ゐられなかつたのである。 (続く) 平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
「東健兄を哭す」 (中略) 初の御通夜、み榊、燭の火、虫のね、雨のおと、……私は言葉もなかつた。平家物語のあれらのふしぎなほど 美しい文章がしづかに胸に漣を立ててきた。……かくも深い悲しみのなかになほ文学のおもはれるのを、心の ゆとりとしもいはばいへ。兄だけはあの親しげななつかしい御目つきを、やさしく私に投げて肯いて下さるであらう。 御なきがらを安置まゐらせし御部屋は、ゆかり深くも、足掛け四年前、はじめて兄におめにかかつた御部屋であつた。 そして今か今かとその解かれるのをこひねがつた永い面会謝絶のあとで、まちこがれてゐた再度の対面は、 おなじお部屋の、だが決しておなじになりえぬ神のおもかげに向かつてなされた。 私はなにかひどく自分が老いづいた心地がしてならなかつた。 徳川義恭兄、ありしままなるおん顔ばせを写しまゐらせ給ふ。感にたへざるものあり。 みそなはせ義恭大人が露の筆 道芝の露のゆくへと知らざりし つねならぬ秋灯とはなかなかに ――昭和十八年十月九日深更―― 平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
『憂国忌の四十年』(並木書房) 11月初旬発売、定価1890円
基調講演が芥川賞作家平野啓一郎さんによる「ニヒリズムと否定性」。 300名招待のところに1500人の応募があったそうです。ラッキー! 基調講演は、『金閣寺』と『鏡子の家』を中心に、三島由紀夫が大義が失われた戦後「世界 に留まって自分と世界が一体化して生きる」ことを決意し努力したものの社会との距離を 埋められなかった経緯とその後、「天皇」という絶対的な存在を堕落した世界の反措定と して肯定し、あの自決事件に至るという 三島由紀夫の人生と思想について、文学の存在意義と絡めながら解りやすく語られました。 また、「週間ブックレビュー」でおなじみの中条省平学習院大学教授との対談もありました。 三島由紀夫には、タブーを作ってそれを破るというモチーフが見られる、(『春の雪』『金閣寺』) 絶対的、連続的なものから遠ざけられているというのが根本の思想にあり、「時間に耐えら れない作家」という中条氏の話に平野氏も同意し、三島由紀夫はタブー、つまり「敵」がい ないと能動的になれない、また三島には「恋」という非日常的で燃え上がっていく過程につ いては描けるが、その先の「愛」という継続的かつ現実的状況を描くと人工的な描写に なってしまうと語りました。 また、三島由紀夫は言行一致の作家であり、多くの作家が「主人公を殺すことで自分が 生きる」ことを選択しているのに対し、主人公と共に自分も死に向かったのだと続けられました。 中条氏が『鏡子の家』の結末が、圧倒的な現実によって理想世界が踏みにじられる象徴 である」とおっしゃったのを受けて平野氏は、その結末は、三島が常に観念と現実に引き 裂かれていながら「現実」を選んだと解釈できるが、作品自体は世間に受け入れられず 再度三島に社会と個人の距離を痛感させたのであろうと語りました。 その後、両者とも文学へ向かうべきエネルギーが自分の肉体へ向かったことが自決で あったと話は進み、質疑応答をもって講座は終了しました。
>>97 何か今ひとつ浅いね。偽の再来だから仕方ないけど。
吉田満は、三島由紀夫の「死」を、青春の頂点において「いかに死ぬか」という難問との対決を通してしか、 「いかに生きるか」の課題が許されなかった世代――そのような世代のひとつの死としてとらえ直してみせた。 あの自決がさまざまな意味を「異なる解明の糸口」を示していながら、実のところ戦争に散華した仲間と 同じ場所を求めての、死の選択であり、そのような願いによる決断であったという。 これはたんなる世代論だろうか。 三島由紀夫の生と文学を、あまりに単純な世代の「死」として単純化してしまうことになるのだろうか。 私はそうは思わない。 富岡幸一郎「仮面の神学」より
保田與重郎は三島の自刃に際して「三島氏の事件は、近来の大事件といふ以上に、日本の歴史の上で、何百年に わたる大事件となると思った」と記したが、もし仮にそうだったとしても、それは三島由紀夫という個的な存在の、 その生と死の劇的な問いかけゆえにではなく、その「死」が疑いもなく一つの世代の夥しい「顔」と重なり合い、 その死のなかに埋没することを懇望したものであったからではないか。 あの自決事件は、決して特異なものでも異常なものでもなく、あえていえば平凡な静謐さのなかにある。 そう思うとき、『豊饒の海』第一巻の冒頭で描かれた「セピア色のインキで印刷」された日露戦没の写真―― その風景を想起せずにはいられない。 富岡幸一郎「仮面の神学」より
…池田浩平や吉田満といった同世代の死者のなかにとらえるとき、戦後作家としての彼の仮面――『仮面の告白』 についての作家自身の注釈でいえば「肉づきの仮面」――の背後に隠されていた素顔が浮かびあがる。 戦後作家としての無数の華麗な「仮面」。神学者の大木英夫は、三島由紀夫は、その文学は仮面をかぶることによって、 「神学問題で灼けただれている現実にも耐える」と正確に指摘した。 《そして死を避ける。しかし、彼の文学は、かえってその仮面が割れて、素顔が出て、神学問題に直面する ところがある。そして死が避けられなくなる。さまざまな奇行と試行の紆余曲折を経て、ついに市ヶ谷への 突貫となるのである》(「三島由紀夫における神の死の神学」) 富岡幸一郎「仮面の神学」より
『仮面の告白』が、『花ざかりの森』と彼の十代の青春の住処がであった「死の領域」への遺書であり、まさに 「死を避ける」ための人工の文学的仮面であったとすれば、最晩年に書かれたエッセイ『太陽と鉄』は、 「その仮面が割れて」いくところを詳細に辿ってみせた自己告白の書であった。 これまで何度も論じてきたように、そこに三島における「神学問題」が、すなわちあの「神の死」の問題が 露われているのはいうまでもない。 おそらく、日本における神学問題を最もラディカルに現実の光のなかに引きずり出したのが三島由紀夫である。 多くの宗教学者が決して見ようとしなかったものを、語りえなかった根底的な「神」の問題を、三島は自らの 生と文学と、そしてあの苛烈な死によって語ってみせた。 いや、「神学問題に直面」したとき、「死が避けられなく」なった。 富岡幸一郎「仮面の神学」より
私は戦時下のあの時代を、一面的に見られることの腹立ちを、いつも抑へることができない。又、あの時代に 不適格者であつたことを誇りにする人の気持が知れない。あの時代に永い病床にあつて、つひに病死した青年は、 自分の心の傷とも闘はねばならなかつた。しかし文学は、克己的な青年にとつては、嘆きぶしでも愚痴の捨て場 でもなく、精神の或る明るい平静な矜持を保つための方法だつたのである。 なるほど繊細鋭敏な感受性は、戦争には何の役にも立たない。だが、さういふ感受性の受難の運命は、 戦時中だらうと平時だらうと同じことだと悟り、若くして自若とした心を獲得することは、いづれにしろ一つの 勝利だつた。東氏は自分の非運を、誰のせゐにもしなかつた。 三島由紀夫「序『東文彦作品集』」より
(中略) 明るい面持で、少女について語り、いささかの感傷もなしに、少年期について語り、感情の均衡を破ることなしに、 人間の日常について語ること、それも亦、あの時代にはとりわけ貴重なヒロイズムだつた。ただ耐へること、 しかも矜持を以て耐へること、それも亦、ヒロイズムだつた。 現在の芸術全般には、あまりにも「静けさ」が欠けてゐる。私は静けさの欠如こそ、ヒロイズムの欠如の顕著な 兆候ではないか、と考へる者である。戦時中の病める一青年作家が書いたこの静かな作品集が、必ずや現代の 青少年の魂の底から、埋もれてゐた何ものかを掘り出す機縁になることを、私は信ずる。 三島由紀夫「序『東文彦作品集』」より
105 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/10(日) 23:52:58
しかしこのチワワ、放っておくとスレを勝手に引用で埋めていくな。挙句の果てに平野やら久保田やら、どうでもいいものまで貼り付けていく。 こりゃ、人がいなくなるのも当然だよな。まぁ他のスレに出張して怪気炎を上げないことだw
106 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/10(日) 23:55:23
富岡幸一郎もチワワは好きなようだが、あまりよくはない評論家だと思われる。 その富岡ですら、三島以外の文学をたくさん読んでいる。評論家だからまぁこれは当然だが。 それと比べてチワワの読書が三島を補強するためでしかないのは分かりきっている。 もう少し三島以外を読め。そして三島との関連付けをやめろw
>>105 平野さんのは私じゃありませんよ。なんでもかんでも誤認定する阿呆マグナ名無し自演魔莫迦晒しでした。
108 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 00:19:39
そうではないにしろ、チワワが馬鹿なことには変わりがないからなwこのスレの過疎の原因になっているのはチワワの私物化からじゃないのか?
109 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 00:25:34
俺も三島をそれほど批判しているわけではない。小説家、特に短編作家としては見るべきところがあるように思う。 ただし知識面当ではいささか古いところが否めない、と。たとえば三島のジュネ観がすでに間違っている、とかはよく言われているだろ。 チワワのようにおかしな方向で三島を守ろうとする奴はちょっと不気味なんだよな。
110 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 00:28:37
こいつの精神構造はある意味春樹信者と同じだからな。春樹信者が集団で動くところをこいつは一人でやっているから、さらに引いてしまう、と。 三島の文章が読みづらいとかいっている奴がいたが、そんなことはない。三島の文章は分かりやすい。独りよがりに空転することもたまにはあるが。 だがその分かりやすさが毒がない、というか、物足りないと思わせる部分はあるのだな。
私の自演はバレなかったようですね。いひひ。 チワワさんを叩いたり援護したり。この間はちょっと遊ばせてもらいました。
112 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 00:35:00
その三島の短編のうまさ、というのもたとえばコルタサルのような名手を前にするとお話にならないとは思う。 「山椒魚」や名前は失念したが絵画の中に紛れ込んでしまう短編、「愛しのグレンダ」「メビウスの輪」とかいったような短編は三島には書くことができない、と思う。 たとえば「新聞紙」という小説は三島が騙し絵的手法を駆使しようとしたものだろうが、どうもピントが外れている。 あまり聞いていないんだよな。いかにもこの生活描写は三島だ、と思わせるものがあるので、嫌いにはなれんのだが。
>>108 俺は巻き添え規制を喰らって、実に久しぶりのカキコだが、
その間ロムってはいた。ひと頃の罵詈雑言が飛び交うよりは、
少々過疎気味の方がよろしかろう。
過疎化云々と文句を言うくらいなら、あんたが三島に関する
カキコをしたらよかろうて。三島に関するカキコに文句を垂れる
あんたの方が、よっぽど過疎化を助長しておる。
ま、このスレは「マゾちゃん」でもっているようなものだから、
大人しく拝聴しておれ!w
>>109 三島のジュネ観は、三島のジュネ観で、それが間違ってるも何もないでしょう。
そんなものを正しい間違えで、言うあんたの見識自体が間違ってるよ。
>>112 あなたの知ったかぶりやハッタリは当てにならないよ。
曼陀羅物語にも、あなたが言ってたような、「象の描写」といえるようなものはなかったからね。
116 :
113 :2010/10/11(月) 00:51:06
108だけを見てカキコしたんだが、その間にいくつもレスがあって、 いささか的外れなカキコになってしまった。すまん。 なかったことにしてもらってかまわんが、ただ、三島を批判したり 感心したり、またその反論をしたりはいいとして、レスした人への、 あるいは三島本人への、人格攻撃めいたことはやめた方がよろしかろう。 あ、ひょっとして、それは俺かもw
それにしてもチワワ叩きの急先鋒だった生きのいいインテリの殿方はどこにいったんでしょうね。 「俺はチワワを叩くが、チワワが黙ったら俺が三島を擁護する」とかなんとか言ってた様ですが。
118 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 01:01:40
>>114 それは三島が日本語訳を通してみたジュネだろうw実際に生きた作家ジュネではない。
>>115 象ではない。鹿だったはずだ。それにその描写があったのは曼荼羅物語ではない。
似たような雰囲気の作品だな。
>>117 インテリ?そんなこと言った人見たことないね。
>>118 日本語訳を通してみたらダメとか言ったら、翻訳を通してみたものは評論しちゃいけないことになるから、
あんたも偉そうなこと言えないでしょうよ。
121 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 01:09:53
たとえば「芸術狐」「怪物」「孔雀」とかはこぎれいにまとまった短編だと思う。 だがどうも人工的、図式的な部分がぬぐえないな。こんな奴ら、いないだろ。と思えてしまう。 三島ワールドの寓話なんだよな。だから洗脳されてしまう奴もいるのだろう。
122 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 01:13:19
>>120 まぁ確かにそれはそうだな。俺も大方は翻訳で読む。
だが三島の意見はどうも時代がかっているというか、今のインテリ然とした連中の好むジュネ解釈(鼻につくが)とは違う印象を受けるのだ。
>>121 孔雀は別にリアリズムじゃないからね。そんな的外れな感覚を抱く方がおかしいよ。変なやつ。さようなり〜寝よ
124 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 01:17:18
三島で一番好きなのが、「手長姫」だな。なんともいえないスピード感があって、一気に読み通した覚えがある。 人工物を人工物として作ることに開き直れば、三島はここまでの作品が書けるのだ。
125 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 01:19:29
>>123 リアリズムでないのは分かっているw
広く見ればリアリズムでないのは「芸術狐」「怪物」も同じだ。だから寓話といったのだ。
三島ワールドの寓話だ。三島のプロパガンダといってもいいかも知れんな。
126 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 01:29:33
一人合点してトンヅラするのはチワワの得意技だからなw
アラ、マグナさん ずいぶん勢い良く連投してるようですがもうチワワさんは寝ちゃいましたよ。 川上スレは放っておいていいんですか?
128 :
(o`.´o)materialist :2010/10/11(月) 10:20:11
間抜けマグ名も堕ちた者(笑)藁貸し増すねぇ〜(笑)
マグナ、まず罠から出ろ (o`.´o)藁貸し⇔チワワのことがあり また藁貸しは佃煮にもぐりこむ 馬鹿だろ?こいつらww
130 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/11(月) 19:36:01
ふむ。確かにな。 チワワと藁貸しが馴れ合いあるいは自演をしているのは知っていたが、佃煮を操っているのは藁貸しかw
(o`.´o)さんを論破しましたよ、簡単でした
132 :
(o`.´o)materialist :2010/10/11(月) 21:56:13
佃煮謎はすぐにオーバーヒート死(笑) 愚論にも鳴り増せん殻ねぇ〜(笑) 父親がこのアホ息子に世界文学を薦めるのも頷け増す殻ねぇ〜(笑)
大審問官について議論についていけなくなり沈黙したのは(o`.´o)さんですよ。 今更負け惜しみはよしましょう。 もう議論を蒸し返す気にもなりませんが。
134 :
(o`.´o)materialist :2010/10/11(月) 22:08:08
133 腐臭でさえ解釈が痴がうのです殻ねぇ〜(笑) カラ魔ーの肝、大審問官では愚論にも鳴らないと逝った漢字なのです殻(笑)これにはお手上げですよ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
相手の意見のあら探しをすることが議論と勘違いしている幼稚な(o`.´o)さんですからね。 ドストを語る上でバフチンも知らず、小林よしのりなんていう御用評論家を持ち出したり、実に愚論でした。 あちこちのスレで醜い独り言を吐いて叩かれてください。
136 :
吾輩は名無しである :2010/10/11(月) 23:01:14
本名、平岡って初めてしりますた。
137 :
(o`.´o)materialist :2010/10/11(月) 23:07:23
バフチンも知らずドストは語れずとは阿呆佃煮の便(笑)愚論痔にリンクを張り張り(笑)他人の意見を借用死(笑)論破は無いのでは(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
791 :(o`.´o)materialist ::2010/10/11(月) 22:26:30
784
>もう縁も切られているくせに
藁貸し増すねぇ〜(笑)ゴーストさん(笑)縁も切られ、るとは縁が有った者に用いられる言葉(笑)
妻り、未央子と津原には縁が有ったという訳です〜(笑)未央子と死ては闇に葬りたいので症がねぇ〜(笑)
814 :吾輩は名無しである ::2010/10/11(月) 22:50:53
>>791 このうすらバカ、お呼びじゃねえからどっか行け。
どの板でも邪魔もの扱いじゃんか?行くとこないか?
もちっと読みたくなるようなマトモなこと書けよ。
139 :
(o`.´o)materialist :2010/10/11(月) 23:40:50
814 :吾輩は名無しである:2010/10/11(月) 22:50:53
>>791 このうすらバカ、お呼びじゃねえからどっか行け。
どの板でも邪魔もの扱いじゃんか?行くとこないか?
もちっと読みたくなるようなマトモなこと書けよ。
815 :ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/10/11(月) 22:52:31
>>814 川上さんの盗作問題が暴かれたからって八つ当たりはよくないよ。
また専用スレを立てられると困りますから、これで失礼します。
141 :
(o`.´o)materialist :2010/10/11(月) 23:53:14
未央子スレで多忙なのでアホを相手する暇は無いのでわたくしもこの変で〜(笑)藁貸し増すねぇ〜(笑)
藁貸しってくだらねえな。こりゃ誰からも嫌われるわけだ
>>142 「マグナ、まず罠から出ろ」「ふむ。確かにな。」とか、くだらない寸劇したり、
「誰からも」とか、架空の多数を捏造して優位に立とうとするあんたの方が、確実に卑怯で嫌われるタイプですよ。
誰と混同してるんだバカチワワw
チワワたそは生理あがってるんでつか?
146 :
吾輩は名無しである :2010/10/12(火) 02:54:33
「盾の会」て馬鹿の集まりだったのは有名 狂信的なチワワ集団だった 肝がすわってたのは森田ひとりで それでも当時のバカ早稲田を二度も落ちて 三島教祖のいうこと丸呑み 今のご時世になって 下っ端の誰かが回想記を出版した 馬鹿ってどの程度かって? ここにいるチワワが見本だが いくらなんでも、 もうすこしマトモだったろう。
147 :
吾輩は名無しである :2010/10/12(火) 02:56:41
佃煮、藁貸しがいじるからトリップつけろやw
148 :
吾輩は名無しである :2010/10/12(火) 03:05:08
おいチワワ はよ逝け 三島が穢れるw おまえと藁貸し以外の全員が思ってる はっきり言ってやろうか? バカに三島擁護はつとまらんww
149 :
(o`.´o)materialist :2010/10/12(火) 06:56:29
チープモンキーがバナナ切れの酔うですけれども〜(笑)藁貸し増すねぇ〜(笑)愛しのマゾちゃんおはチューチューです…ÅÅ… (笑)
>>149 (o`.´o)ちゃん、(∩)おっぱぱよう〜(笑)
三島君ほどの作家は100年か200年に一人しか出てこない。 「豊饒の海」は、三島君の作品の中で最高の価値がある。 川端康成
152 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/12(火) 14:34:30
チワワという奴は全く馬鹿だな。だから三島以外を読め。 三島だけ読んでいたらお前はそのままだ。三島本人は貪欲にいろいろな本を読んでいたんだがな。
川端の弔辞の最初のところ
>>151 は社交的な美辞だとわかりますね。
「豊饒の海」がただの佳作だと見抜いています。
>>153 川端康成が言ったこと言ったこと。
あなたが恣意解釈してみたところで何の意味もなし。
三島由紀夫氏の最後の四巻本の小説は、小説の歴史あつてこの方、何人もしなかつたことを、小説の歴史に 立脚した上でなしあげようとしたのであらう。さういふ思ひが、十分に理解されるやうな大作品である。 三島氏も、人のせぬおそるべきことを考へ、ほとほとなしとげた。 そこには人間の歴史あつてこの方の小説の歴史を、大網一つにつつみ込むやうな振る舞ひが見える。 人を、心に於て、最後に解剖してゆくやうな努力は、私に怖ろしいものと思はれた。 三島氏ほどの天才が思つてゐた最後の一念は、皮相の文学論や思想論に慢心してゐる世俗者よりも、さういふものとは 無縁無垢の人に共感されるもののやうにも思はれる。 その共感を言葉でいひ、文字で書けば、うそになつて死んでしまふやうな生の感情である。 保田與重郎「日本の文学史」より
三島はプルーストについては何か言ってるんですか? どちらもブルジョア趣味の作家ですが
158 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/13(水) 20:28:11
川端や保田は三島に特別な感情を抱いているから、その二人の発言は差し引いて考えねばならない。
>>158 じゃあ三島に特別な嫌悪の感情を抱いている人間や、サヨク系の人間も差し控えないといけませんよ。
>>157 三島はブルジョア趣味ではないですけど。
プルーストの小説については「現代史における小説」という評論で少し触れてます。
たとえこのたびの事件が、社会的になんらかの影響をもつとしても、生者が死者の霊を愚弄していいという 根拠にはなりえない。また三島氏の行為が、あらゆる批評を予測し、それを承知した上での決断によるかぎり、 三島氏の死はすべての批評を相対化しつくしてしまっている。それはいうなればあらゆる批評を峻拒する行為、 あるいは批評そのものが否応なしに批評されてしまうという性格のものである。三島氏の文学と思想を貫くもの、 それは美的生死への渇きと、地上のすべてを空無化しようという、すさまじい悪意のようなものである。(中略) 恋愛結婚を人々が夢見ていたとき、結婚の夜に情死をとげる『盗賊』は、なんと悪意にみちた時代への挑戦で あったろう。また、文学上の誠実主義が“自己確立”の名のもとに謳歌されていたとき、『仮面の告白』は、 なんと反時代的な作品であったろう。あるいは、人々は戦争の危害について語っていたとき、「金閣とともに 滅びうる幸福」を語った『金閣寺』は、なんと不吉な夢に貫かれていたことであろう。 三島氏が『憂国』あたりを境にして、急速に変貌したという見解を、私はほとんど信じることができない。(略) 三島の宿命は、すでに『仮面の告白』において、ほとんど予定されていたといってもよい。仮面の背後にある 空白が、いわば“太陽神”の欠落であるなら、それがやがて『林房雄論』や『英霊の声』となって蘇生する ことは、なかば必然といってもいいものであった。“太陽神”が失われたとき、あの東京の廃墟の上に広がって いた青空には、夥しい日光の氾濫があった。(略)廃墟の太陽への偏執は、やがてギリシャの廃墟の夥しい 陽光の氾濫に接続する。そして氏は、人間性という名の自然を否定するために、“肉体”を“鉄”のように 鍛える道を選んだのである。(略)三島は徹底して明るさに固執した作家であった。その明るさは健康優良児の 明るさとは、まったくの対極をなすものであった。それは“鉄の悪意”を秘めた明るさ、あるいは悪意を証明 するためには、死をも辞さないような、鉄の意志に裏づけられた明るさである。 磯田光一「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
(中略)氏にとって天皇とは、存在しえないがゆえに存在しなければならない何ものかであった。それは氏の “絶対”への渇きの喚び求めた極限のヴィジョンといってよく、もし氏がそこへ向かって飛翔するならば、 ただちに地上に失墜するであろうことを、氏は『イカロス』という詩に述べているように、どこまでも知り ぬいていたのである。 三島氏にとって必要なこと、それは「戦後」という時代、あるいはストイシズムを失った現実社会そのものに、 徹底した復讐をすることであったと思われる。イデオロギーはもはや問題ではない。自衛隊も、自民党も、 共産党も、氏の前には等しく卑俗なものに見えたのである。この精神の貴族主義者にとって、いったい不可能 以外の何が心を惹いたであろうか。思えば氏の不可能への夢、あの「青空による地上の否定」は、典雅な 造形力によって、作品のなかに封じこめられた。その危険な思想、不可能への渇きは、優に氏を“危険な思想家” たらしめるに十分であった。 (中略)現世には仮構としての生活しかありえず、その「嘘偽の本質」を愛するほかはない。すでに世間的には スタアであった三島氏は、その「嘘偽の本質」を、あるいは嘘偽のパラドックスを、どれほど深く愛したこと であろう。その「嘘偽」の背後にある本心、それはあの“太陽神”の生きていた時代にたいする渇きである。 その渇きの基底にあるのは、いうまでもなく『葉隠』につながる日本的なラジカリズムの精神である。それは いうなれば、有効性の彼岸にあるがゆえに聖なるもの、また聖なるがゆえに地上の汚濁に染まってはならない ものであった。(略)この『葉隠』にたいする二重の自覚は、いうまでもなく“太陽”と“鉄”との二重性に 通じている。氏の渇きの喚び求めた、あの極限像としての“太陽神”は、つねに“鉄の悪意”に裏づけられた ものであった。それは「戦後」という時代に向けられた悪意、あらゆる微温的な偸安にたいする悪意である。 (略)そして無効性を承知の上で、不可能性の一端を“死”によって可能に転化したとき、氏の“鉄の悪意”は、 ほとんど完璧な意味において、時代の偽善にたいする批評と化する。 磯田光一「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
遺作『天人五衰』の結末部に出てくる鼠の自殺のエピソードは、三島氏がどれほど醒めきっていたかを証して 余りある。(略)その自殺によって、猫や鼠の世界に大きな変動が起こりうるであろうか。猫がその奇妙な 鼠のことを忘れて、なおも偸安をむさぼっていることを、三島氏ははっきり書きそえている。いいかえれば、 氏は自分を愚かな鼠に擬したとき、氏にたいするいっさいの批評の無効性を、氏みずから確立してしまった のである。この驚くべき自意識の屈折、残忍なまでのダンディズム、あらゆる批判の可能性を封じた鉄の悪意と、 不可能に挑んだこの倨傲。(中略) “太陽神”の実在していた時代に、どうして不可能への渇きが必要だったであろう。また、戦後精神の 極限としての“鉄の悪意”なくして、どうして現実の戦後文化を軽蔑しつくすことができたであろう。(略) 三島氏には、死ぬというより死んでみせることが必要であった。そのかぎりにおいて、私小説家の追いつめ られた生活演技とも、明確な一線を画している。政治的・外在的批判は別として、いったいここまで意識化 された死に、どんな批判が可能であろうか。 磯田光一「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
164 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/13(水) 21:10:39
>>159 そりゃそうだろう。俺は三島に嫌悪の感情を抱いているわけでも、左翼でもないしな。
チワワに嫌悪の感情は抱いているがw
165 :
(o`.´o)materialist :2010/10/13(水) 21:48:05
>>159 しょうゆこと〜(笑) マゾちゃんの価値…ÅÅちゅーちゅー…(笑)
↑これがチワワさんの自演w
生理的に非常な不快感を覚えるな。ワラカシとチワワは。自演なのだろうが。
自演だって(笑) そんな人の区別もつかないから三島も読めないんでしょうね。藁藁藁藁藁貸し増すねぇ〜(笑)
自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかも しれない。 むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方を完全に一致させて しまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。 知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。 ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。 いずれにしても、単なる作品評などでは片付けてしまえない、大きな問題をはらんでいる。作家の姿勢として、 ともかくぼくは脱帽を惜しまない。 安部公房「憂国」より
170 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/14(木) 02:06:50
やはりチワワは馬鹿だな。その安部の書き振りには皮肉も込められていると思うが・・・・・・。 あの時代の文学者というのは一国一城の主であって、とくに賛辞の場合額面どおりとってはいけない。
チワワとマグナ、どっちもどっち 俺が一番頭がいい
大江が安部をホメたら三島は急に不機嫌になった しょもないやつだ
173 :
(o`.´o)materialist :2010/10/14(木) 06:28:36
自演とは 藁貸し増すねぇ〜(笑) 三島が読めないはずです〜(笑) マゾちゃんの大勝利…おはÅÅちゅーちゅー…(笑)
>>172 三島は安部を褒めてますけどね。無知ご苦労さま。
>>170 一国一城の主だとか、そんなもの何の関係ありませんし、皮肉じゃありません。
安部は三島と仲が良かった人ですから。
どうみても三島に嫌悪の感情を抱いているマグナ。少しでも三島寄りの発言を必死に打ち消そうとしてるのがその証拠です。
私にとって(文学と人生双方にとって)大事なのは「文」「武」もさることながら、「作」と「商」だった。 「作」と「商」なしには、人間は生きて行けない。 ことに古来日本の「商」の中心としてあって来た大阪生まれ、育ちの私にとって重要なのは「商」だ。 私と三島との次元のちがいは、ここにおいても明瞭だろう。 しかし、今、「商」はわが日本においてあまりにはびこりすぎている。 かつて、「文」「武」において大いに三島と共感したかつての若き過激派の学生たちも今やそのはびこりの中心にいて、 したい放題のことをしているように見える。 「文」においても、今や「商」あっての「文」。私は三島の「文」「武」に賭けた純情をなつかしく思う。 小田実「アンケート 三島由紀夫と私」より はっきりと嫌いだと感じられるほどの強い個性、直線的なうつくしさや、共感するしないは別に、明快な志を 抱いていること自体に逆に惹かれるところもあって、ときどき読みたくなります。 鈴木清剛「アンケート 三島由紀夫と私」より ひたすら明治百年の日本、そして日本語が解体していく三十年間だった、そして現在はその最終段階にある、と思う。 遠からず三島文芸は古典という名の異文化として読まれるだろう。いや、すでに読まれているか。 (三島作品のベストワンは)『豊饒の海』とくに最終巻「天人五衰」。 もしそれを破綻というなら、明治百年の日本の破綻を先取りし、予告している、と考えるべきだろう。 高橋睦郎「アンケート 三島由紀夫と私」より
「三島由紀夫」をきわめて高く評価している。 その理由は拙著『戦後的思考』(1999年)に記した通りで、規定の枚数ではちょっと書けない。 できれば読んでいただきたいが、彼こそが、昭和天皇と戦争の死者の間の「約束違反」と、またそれと自分の関係に 目を向けた、そしてモラルということの初原の感覚を失わなかった、例外的な戦後日本人だったからである。 三島は、戦後の小説家のうち、もっとも「戦後的」な作家だったといってよい。 戦後の天皇制から、一個人として、もっとも外に出ていた。 三島一人がいたお陰で、日本の戦後は道義的に、大いなる茶番の時代となることからかろうじて免れた、 といえるのではないかと思っている。 加藤典洋「アンケート 三島由紀夫と私」より
私の知るかぎり、三島は、ある種の危険を冒しても、ものごとを素直に述べようとする人であり、しかも その発言は、私にいろいろと考えさせることが多いからである。三島という人は、世評によれば、それこそ 海千山千のしたたかな才子であるのかもしれないが、私はほとんどそうは思わない。 私見はいつか三島由紀夫伝めいたもので述べたことがあるが、私は三島を(国木田独歩流にいえば)一種の 「非凡なる凡人」としか考えたことはない。そして、そういう愚直な人物の正直な発言というものは、近頃では 稀少価値をさえもっているのではないかと思う。自分の眼で、自分の直覚でものごとをとらえることのできる人間は (少なくとも、もの書きの世界では)だんだんと少なくなっているのではないかと私はひが目で見ているのだが、 三島はそうでない人物の一人に見えるからである。そして、そういう人物の書いたり、したりすることは、 私などにはいつも共感と刺激の種になるからである。 橋川文三「美の論理と政治の論理」より
二・二六における天皇と青年将校というテーマは、ほとんどドストエフスキーの天才に俟たなければ描ききれない であろうというのが、私の以前からの独断であった。それは何よりも神学の問題であり、正統と異端という 古くから魅力と恐怖にみたされた人間信仰の世界にかかわる問題だからである。端的にいえば、それは日本人の 魂の世界における「大審問官」の問題にほかならないからと私は考えている。 かつて、私はそんなことを書いたところ、何と大げさなとある人からからかわれたことがある。しかし、 「大審問官」の問題が日本人にはおこらないだろうと思っているなら、それは日本人を見くびった話である。 二・二六事件はもとより、前の戦争の意味などもごく型どおりにしか考えていないからだろうと私は思っている。 しかし、それはさしあたりの問題には関係がない。 「英霊の声」の作品評を改めてしようとは思わない。その主題と構成についてもすでによく知られているものとして 話をすすめたい。問題はこれがある巨大な怨念の書であるということである。ある至高の浄福から追放された ものたちの憤怒と怨念がそこにはすさまじいまでにみちあふれている。幽顕の境界を哀切な姿でよろめくものたちのの 叫喚が、おびやかすような低音として、生者としての私たちの耳に迫ってくる。 三島はここでは、それら悪鬼羅刹と化したものたちの魂が憑依するシャーマンの役割をしている。 昔から能楽のもつ妖気の展開様式に熟練している三島は、ここでも巧みにその形式を利用している。 橋川文三「中間者の眼」より
私は、今でも深夜「二・二六事件」(河野司篇)をひもどくとき、そのとあるページを直視するにたえないが、 この作品の鬼気にはそれに通じるものがある。彼らの方が生きており、お前たちの方がそうではないのだぞと、 そのとあるページのデスマスクは不気味な言葉で語りかけてくる。そういう迫力において、この作品は、 あれらの人々の心情をみごとに再現している。 しかし、こうした印象批評に私が関心があるのではない。三島はやはりここで、日本人にとっての天皇とは何か、 その神威の下で行われた戦争と、その中での死者とは何であったか、そして、なかんずく、神としての天皇の死の後、 現に生存し、繁栄している日本人とは何かを究極にまで問いつめようとしている。 これが一個の憤怒の作品であるということは、それが現代日本文明の批判であるということにほかならない。 橋川文三「中間者の眼」より
182 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/14(木) 11:56:30
>>176 やはりチワワは馬鹿だな。お前が三島しか信奉していないことは容易に分かるのだがな。そもそも作家の発言をすべて真に受けたり、鵜呑みにしたりするのは小説読みではない。
仲良かったら皮肉を言わないだとか、それは現代人の思考に見えるのだが。安部の文章には用意に皮肉が読み取れる。あえてそこを見ないのは三島信者だからだろうな。というかお前はろくに安部も読んでいないんだろうが。
それに当時の三島寄り発言を現代では少し割り引いて考えねばならない、というのは基本ではないのか。
183 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/14(木) 11:59:12
やはりこいつは三島以外をろくに読んでいないようだ。三島以外に無数に著作家がいるのだからそれを読め。 三島を肯定するためだけに本を読むな。肝心の三島はいろいろな価値観を持っていた人だったんだがな。
>>182 なぜ差し引かなければならないのか全く意味不明ですね。
発言してる人たちはそれなりに三島を読みとって論じているわけだから、あんたが言ってるようなことなんか、
とっくに消化して論じてますよ。
安部の作品には寓意を含んだものが多いのは知ってますよ、いくつか読んだから。
でも、それと三島に対する発言は全然別次元のことだし、関係ないこと。
寓話作家だから、皮肉だと短絡するあんたが間抜けで単純バカでしょうよ。寓意と皮肉は違うしね。
>>183 三島がいろいろな価値観を持っていた人だったことなんか知ってますよ。
だからこそ、三島を理解して三島寄りの発言をしてる人が多いわけだよ。
三島に肯定的ってだけで、がちゃがちゃとその人の発言を全否定して文句言うあんたこそが、
三島の様々な価値観を解ってないバカでしょうよ。
186 :
吾輩は名無しである :2010/10/14(木) 17:12:58
演説を改めて聞くと三島がいかに先見の明を持っていたかがよくわかる。まさに現在日本が直面していることじゃないか。僕は三島の文学は単に彼の行動を後づけする価値しかないと思います。思想と行動のひと三島は、日本国を憂い、みずから人柱となったのでした。 日本は今こそ核を所持し、日本人としての誇りを持ち、再び中国や朝鮮を侵略し、たとえ滅びようとも米国に戦いを挑み、滅んだのちに、三島こそ現人神であったと祀るべきです。
187 :
吾輩は名無しである :2010/10/14(木) 17:19:03
三島を非難する愚か者には天誅を加えるべきです。 三島こそ真の日本人であり、真の天皇観を唱えた人でした。 これに背くものは処刑されるべきです。 たとえそれが今上天皇であろうと。
岡崎トミ子の様な人間を国家委員長にする民主党、後ろに中国有り、朝鮮有り。 今回の尖閣問題中国、アメリカ国家による仕組まれたシナリオ。アメリカ国家の、 いつまでも回復しない不況、バブル崩壊の中国、目論見は同じ、第三次世界大戦。 日本、引き込まれない様に注意、注意。今後は日本、ドイツが世界をリード、する。
189 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/14(木) 18:25:21
>>184 ふむ。やはり馬鹿だったな。俺は読者としての能力を問題にしているのであって、論者の人々が三島理解者だから・・・・・・。
とかいうような他人任せな話をしているわけではない。それならば、河野多恵子だって三島を読み込んで批判しているわけで、チワワに馬鹿にされる筋合いはない。
安部が寓意? 安部はそれだけの作家ではないぞ。読んでいないのが丸分かりだが。
それに安部が寓意なら二十世紀のほとんどの作家が寓意になってしまう。三島すら寓意だ。お前は何も読んでいないな。
まともな読解力があるのならば、その文章は明らかに三島への皮肉をいっていることが分かる。タイトルすらもある種の当てこすりととれる。
安部は反語的に貶すように持ち上げ、実際結果としては貶している文章なんだよな。そこを読み取れないとその文章は理解したことにならない。
190 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/14(木) 18:41:12
>>185 やはり鸚鵡返しときたw
俺は吉田健一の言った蝶採取が好きな小説家が崖から転落して死ぬように、性豪を誇る小説家が媚薬の過剰摂取で死ぬように、行き過ぎた趣味から死を招いたのだ、というのが一番理解した評価だと思う。
チワワは三島を肯定するときに信念を貫いたという言葉を強調しているが、俺は三島は信念を極めたというにはあたらないと思う。西部もこの言葉に違和感を抱いていたな。
この前藤田小四郎の辞世を引いたのは、三島と対比させるためだったのだがな。
藤田は稚拙な作ながら己の信念を貫いて死んでいったブレのない歌だと思う。
それと比べると三島のものはもはや対象がブレまくったものを一点に押し込めようとして、崩壊寸前で必然的に稚拙になった歌だ。二番目の歌に関しては、己のフェティシズムを曝け出したキッチュさすら感じられる。
これは貶しているのではない。そのキッチュさこそが三島を読むときの最大の魅力だろう。
191 :
(o`.´o)materialist :2010/10/14(木) 18:42:50
藁貸し増すねぇ〜(笑)なにゆえに三島理解の矯めに安部を読まなくては池無いのか(笑)マグ名は想等の阿呆なのではないので消火ねぇ〜(笑) マゾちゃんの圧勝ですよ〜(笑)
192 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/14(木) 18:44:03
ちなみにこれは指摘した奴はいないかもしれないが、吉田の発言の裏にはナボコフとヘンリー・ミラーを暗示していると思われる。 どちらも死にはせず、生き残った作家だ。この二者の強靭さと対比させて三島の脆弱さを曝け出すのが吉田の真の目的だったのだな。
>>189 ただ辞世の句を稚拙だとか、文章のつまんないあら探しをして文句言ってるレベルの単なる三島嫌いのそんな三流作家は、
いろんな作品から三島を読み込んで論じてる人たちとは違いますから。残念でした。
>>192 あんた自分で言ったでしょ? 三島に特別な感情がある人の意見は差し引けって。
吉田なんとかは、三島と個人的に喧嘩別れしてますからね、三島に私怨があるんでしょ、そんなつまんない批評しかできないなら。
西部邁はちゃんとそれなりに三島と時代を関連させて語ってますから、信念を持ってないなんて全く言ってませんけど。
逆に三島寄りの発言してますよ。
あんたが何か勝手に勘違いしてるだけでしょうよ。
>>189 それから、安部はあんたが言うようなまだるっこしい反語や皮肉なんかしてませんよ。
賛同できないところはちゃんと賛同してないと表明して語ってますし、三島との対談を見ても、そんな皮肉屋じゃないのが分かるしね。
「三島由紀夫と蕗谷虹児=うたと講演のつどい」 11月6日(土)午後6時半より 新潟県新発田市 生涯学習センター 第1部 ソプラノ歌手の柳本幸子さんによる「三島由紀夫と蕗谷虹児の世界を歌う」 第2部 講演「三島由紀夫と蕗谷虹児=一枚の挿し絵にこめた想いとは」
197 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/14(木) 20:41:34
>>194 馬鹿だな。吉田側から見れば三島に私怨があると見ることができる。
とにかく悪しき三島中心主義を抜け出すことだな。
西部のは合えて肯定派の意見として出したw俺は別に批判派だけの意見を使うわけではないからな。
方向を入れ替えると批判の言葉に使えることもある。それが言論の面白さだ。
198 :
(o`.´o)materialist :2010/10/14(木) 21:03:15
藁貸し増すねぇ〜(笑)方向を入れ替えると批判の言葉に使えることもある(笑)、刺すれば吉田側から見れば三島に私怨がある(笑)と観ようとその逆でもいいのでは〜(笑) 間抜け過ぎてマグ名は離しに鳴り増せんねぇ〜(笑) 股もマゾちゃんの連勝ですよ〜(笑)
199 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/14(木) 22:22:05
>>195 お前が読んだのは三島との対談だけだろw後に決別する芥川とも福田とも対談している。両者とも普通の対談だ。
200 :
吾輩は名無しである :2010/10/14(木) 23:07:36
ああ眼が泳ぐw ――ええ、所詮はこの程度の奴らですよブンガクシャなんて。
201 :
吾輩は名無しである :2010/10/14(木) 23:19:31
うん。うたっているだけでしょ要するに。だからだ。 ――(ほぼ“全部”を端折ってwこれは云うが)そこには、世界は、ない。 やっぱ雑魚だよ(苦笑 ただの、雑魚でしか。その程度の人間だ。 だってね、実際、変わらないじゃない? おなじ口で、おなじ語りで、 この者は、排外的なことを。それを以て、裏返してみてみるに。 判るよね? おれの云ってっこと。
202 :
吾輩は名無しである :2010/10/14(木) 23:21:03
その程度のこった。――更に云うなら、その程度のことでしかない。オブンガク。 なんてつまらないんだろうね。お前たち。
203 :
吾輩は名無しである :2010/10/14(木) 23:22:39
そんな、ところで。 死ねばいいのに。
204 :
吾輩は名無しである :2010/10/14(木) 23:26:01
ってゆうか。――せめてね。 馬鹿は黙れ。
205 :
吾輩は名無しである :2010/10/14(木) 23:30:18
うん。つまりね。 その程度のものに価値を見出す、お前たちこそが屑だと、俺は云っているんだよw おしまい。
>>197 三島に私怨があっても三島はそれを評論に持ち込んだりしてませんからね。残念でした。
>>199 それがどうしたの? 安部との対談も普通の対談ですけど?
バカじゃないの、あんた。何の反論にもなっちゃいませんねぇ〜(笑)
藁藁藁藁藁〜(。・-・)
208 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 00:03:38
下らんな。三島は私怨を持ち込んだりしないだと、神格化が酷すぎるw 吉田も三島もどちらも神格化せず評価するのが当然ではないのか? だからお前は三島オタクといわれるのだ。文学など好きでもなんでもないだろう。
>>208 三島が私怨を持ち込んだ文芸評論がどこにあるの?
そもそも三島は嫌いな人間の評論はしない主義の人ですからね。
サルヴァドル・ダリの「最後の晩餐」を見た人は、卓上に置かれたパンと、グラスを夕日に射抜かれた赤葡萄酒の 紅玉のやうな煌めきとを、永く忘れぬにちがひない。それは官能的なほどたしかな実在で、その葡萄酒は、 カンヴァスを舐めれば酔ひさうなほどに実在的に描かれてゐる。 …吉田健一氏の或る小品を読むたびに、私はこのダリの葡萄酒を思ひ出す。単に主題や思想のためだけなら、 葡萄酒はこれほど官能的これほど実在的である必要がないのに、「文学は言葉である」がゆゑに、又、 文学は言葉であることを証明するために、氏の文章は一盞の葡萄酒たりえてゐるのである。 三島由紀夫「ダリの葡萄酒」より
211 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 00:19:53
>>209 それでは返すが吉田が私怨を抱いていたという証拠は? 詭弁に詭弁を重ねた論法を積み上げるのは止めろ。
212 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 00:29:51
あまりこの言葉は好きではないが「文士」として三島と吉田は認め合っている部分はあった。 だがそれとは別のところでそりが合わない部分はやはり存在したのだ。一国一城の城主なのだ、当然のことだ。 何でも三島のことを知っているかのように振舞うのはもういい加減やめにしろw
213 :
(o`.´o)materialist :2010/10/15(金) 07:27:39
「文士」として三島と吉田は認め合っている部分はあった、のならそれでいいのでは〜(笑)阿呆マグ名は 藁貸し増すねぇ〜(笑) マゾちゃんの楽勝〜(笑)おぱ…ÅÅちゅーちゅー…(笑)
>>211 詭弁に詭弁を重ねた論法を積み上げてるのはあんたでしょ。
吉田が三島を苦々しく思ってることは三島研究の常識ですよ。そんなことも知らないの?
吉田のお祖父さんは、二・二六事件で青年将校たちに命を狙われた側ですからね。
三島はその売国奴たちを批判し、青年将校の味方をしてますから、吉田としては自分の祖父を売国奴と認定し
暗殺しようとした二・二六事件将校を賛美してる三島や、「英霊の声」や「憂国」を苦々しく思ってたのは当然でしょうよ。
>>213 (o`.´o)ちゃん、おぱおっぱぱよう〜(。人。)
今さつまいもをふかしてます(笑)秋のおいも美味しゅうございます〜(。・-・)
自演乙
217 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 15:55:29
>>214 妄想乙。そのような二・二六事件を軸にした対立方式で三島を憎む人とは吉田は思われない。殺されていたのなら話は違うと思うが。
やはり三島個人にどこか相容れないものを見出したから、対立したのだろう。
倉橋由美子も三島を愛好していたが、やがて吉田へと移った。三島に飽きた人をひきつけるものが吉田にはあるのだろう。倉橋の評は三島を褒め上げながら鋭いところをついている。
もっとも俺は代理戦争をするつもりはない。書斎の知識人だった吉田はどこか三島についていけないものを感じはじめていたのではないだろうか。
チワワの妄言は成り立たない、全くな。俺もチワワのように妄想させてもらえば、三島も内面はどろどろだったんだろうがな。やはり元が上品だからそれを曝け出さない。
まぁ三島が嫌われやすかった、ということは確かだよな。深沢七郎のエッセイが文庫化されているので覗いてみたが、これまた酷い三島のディスすりようで、
大嫌いとまで言っている。あんなお坊ちゃんは駄目だとか、死後遺骨が盗まれたの自己演出の一環に思える等。ちょっとこれはどうかと思ったが、三島が世に出してやった作家にまでこの嫌われようだ。
やはり根本的に人をいらだたせるようなところがあったんだろうな。それでこそ作家だが。チワワの三島はいい人、完全説ほどの妄言はない。
218 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 16:03:12
福田恆存が三島を裏切ったのも、やはり三島がどこか孤立していく面を持っていたからだろうな。 かなり熱く三島と演劇について語っていた芥川も、福田に続いて裏切ったことになってしまった。 そのことに最初俺は愕然としたのだが、なるほど、どこか三島がそう望む、距離を置きたがる人物だったのだなと気付いた。 正直俺は自殺した三島より、生き続けて平成という時代の頭を見てしまった福田の方が偉いと思うぞ。 三島中心で考えていると福田の偉さは分からない。 もういい加減三島を持ち上げるために他を貶しまくるチワワはされ。お前の頭の悪さ、本の読めなさにはぞっとする。
>>217 何をそんなにムキになってんの?あんた。
あんたこそ、三島を批判する人を持ち上げすぎでしょう。
吉田に私怨がなかったとは言い切れないでしょ。自分の祖父を売国奴として作品設定してるわけだから。
バカじゃないの、あんたは。
220 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 17:38:36
俺が言ったことはまぁ一応は事実だからな、チワワがよく貼っていた倉橋の三島評が褒めていながら、きついものでもあった、というのもまた事実。 チワワは少し長く書けばすぐ意味が取れなくなるからな。
>>218 はあ? 私がいつその人たちを貶したの?
デタラメな言いがかりもいい加減にしろバカ。
私は他の作家スレで、あんたみたいにがちゃがちゃ比較して、ああだこうだやったことなんかありませんし、
ほとんど見てません。妄想もいい加減にしてくださいよ。頭おかしいんじゃないのあんた。
何かと言えば、いちいち比較して三島を貶して、他を持ち上げてるのはあんたの方でしょうよ。お大事に。
>>220 別にきつくもなくともない評論でしたけどね。三島が大好きだと語ってますよ。
あんたには褒めてるものも貶しに映るんでしょうけど(笑)お気の毒さま。
223 :
(o`.´o)materialist :2010/10/15(金) 18:02:37
長く長く生き続けて平成という時代の頭を見てしまった福田の方が偉い、謎とはマグ名の阿呆は離しにも鳴り増せんねぇ〜(笑) 作家は作品の質を問われるべきでしてねぇ〜(笑) 長生き死て偉いなら 石原朕太郎は三島よりも偉いと鳴り増す殻ねぇ〜(笑) そうしてもっとも偉大なのは宇野千代で宜しいので消火ねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑) 股してもマゾちゃんの圧勝ですねぇ〜(笑)
224 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 18:06:17
>>221 埴谷スレを個人的な偏見から荒らした馬鹿が何を言っているのだw他の作家スレに書かないということは他の作家すら読みはしないということである。
比較をある程度して、どの程度か距離を置くことができないと、文学は理解できない。三島とその三島の進める作家を三島的読みから脱却して読むことをしない限り、単なる三島オタクのまま終わるであろう。
とにかく他の作家に興味を持たない。三島しか信奉しない奴は出て行けばよい。まぁ分かりきったことだろうがな。
チワワは倉橋を読んでいないだろう。倉橋はエッセイではほんのりと分かる程度にしか批判しない。倉橋は三島を好きだが、やはり冷静に見ているのでは?
225 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 18:09:00
まぁこの板の三島オタクは程度が低い。チワワは害毒を垂れ流しているからだ。 他にも狸やら唯物論コテをそそのかして暴れさせているようだが、その罪も問われねばならないだろう。
>>225 見え透いた自演での荒らしは止めてください
>他にも狸やら唯物論コテをそそのかして暴れさせているようだが
136:武陽隠士◆UCfK2Lx59s :2010/09/30(木) 22:25:08 【おことわり】 マグナ◆i.K3ZM.pZo=( ̄ω ̄)獲る狸◆ycr5A7VfSw =ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介◆m0yPyqc5MQ=(o`.´o)=?コテハン=ときどき名無し
葉隠入門読んだ。 俺もこれからはもっと気を引き締めて生きてくわ(´・ω・`)
引っ張ったら切れたわ。
>>224 私は荒らしなんかしてませんよ。たまたま見かけた話題に対して通りすがりで数回書き込んだだけで、あとは別の人でしょ。
あんたみたいにがちゃがちゃ三島にこだわってああだこうだ言うみたいに荒らしてませんよ。
その作家自体には何も粘着してませんから。
>>218 それから、何か理由があって仲違いしても、芥川はずっと三島のことを「あいつは天才だった」と言ってますから、
あんたみたい、いらつくからとかそんな個人的理由で、作品批判してませんよ。
232 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 19:40:18
俺はいらつくから作品批判しているんじゃないぞ。チワワの偶像化がうざいから、それを引きおろそうとしているわけであって。 チワワが消えればまともに三島を語れるようになるだろう。
233 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 19:42:36
チワワは橋本治ですら、三島を批判する発言をしたからでたらめとか訳のわからないことを抜かしていたからな。 これでお里が知れるというものだ。確かに橋本は駄目だとしても。
234 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 19:47:29
どちらにしても芥川が三島と対立したのは確かだろう。それだけ対立させるものが介在していたのじゃないのか。
>>232 あんたが三島を矮小化しようしてるからそう見えるだけでしょう。私は別に偶像化なんかしてませんけど。
あんたは三島の文章や普通の三島論の発言のコピペを見ただけで怒る人だからね。
勝手にそれにあんたがムカついてるだけでしょう。
>>234 それがどうしたの?
人間関係のこじれなんか誰にもあることでしょ。バカじゃないの、あんた。
>>233 批判したからダメなんじゃなくて、読解自体が間抜けでダメなんだよ。そんなこともわからないからバカなんだよ、あんたは。
主人比呂志は一九八一年の秋に逝った。 …三島さんと比呂志は、文学座時代の演劇の仕事を通じて、約十二年間のおつき合いがあった。(中略) 後年の「黒蜥蜴」(六三年)は、三島さん脚色、演出は松浦竹夫さんで、比呂志は探偵明智小五郎、女賊は 水谷八重子さんだった。 終演後、ロビーで今は亡き顔見知りの方々と談笑されていた三島さんは私を見付け近寄って来られ 「今夜の芥川さんは、六代目(尾上菊五郎)のようでしたよ」と仰言った。 帰宅後主人に伝えると「三島一流の皮肉だよ」と苦笑して云う。その時は解らなかったが、あとで三島さんの 評論集「美の襲撃」を読むと比呂志の言葉が理解できた。三島さんが、不世出の名女形として高く評価していた 六世中村歌右衛門と、六代目菊五郎についての、比較論めいた文章にぶつかる。 芥川瑠璃子「鮮やかに甦るあの頃」より
ながい劇団関係のおつき合いともなると、さまざまな出来ごとがあり、三島さんも比呂志も文学座を離れることになった。 (中略)三島さんは比呂志宛に、数多くの署名入りのご著書を贈ってくださり、私も時々借りては読んだ。 「美しい星」(新潮社)の読後、何やら興奮した比呂志は三島さんにお電話した。 劇化したい旨の相談だったらしいが、長電話に辟易されたのか断られた様子。 その時は迚も残念そうだったが、常々うちで三島さんのことが話題になったりするとき 「三島、あれは天才だよ」は変らなかった。 芥川瑠璃子「鮮やかに甦るあの頃」より
…後年、三島さんがお亡くなりになる一ヶ月前に、浪曼劇場で「薔薇と海賊」が再演された。終演後に 三島さんが涙を浮べ「海賊だらけになっちゃった」と呟かれたという。 同じ頃、学習院時代の先輩で「赤絵」の同人誌などで親交のあった、早逝された東氏を悼み 「東文彦作品集」(講談社)のために序文を書き、刊行の労をとられたという。 一流の皮肉や、あの有名な高笑いのかげに、「三島由紀夫十代書簡集」の頃の面影が浮ぶ。純粋な心情と あたたかさを想う。 三島さん没後、夫人の要請をうけて、主人は病躯を押して「サド侯爵夫人」を演出。 逝く二年前には「道成寺」も演出したが、「源氏供養」は念願のみで終ってしまった。 ――三島さんと主人の過した、さまざまな演劇の世界、時の流れは今も消えず、折々の想念のなかに、 いまも鮮やかに甦りをつづけている。 芥川瑠璃子「鮮やかに甦るあの頃」より
241 :
(o`.´o)materialist :2010/10/15(金) 20:32:54
224 >三島の進める作家 ○薦める 誤字もわからぬほどラリッておるマグ名の阿呆は 藁貸し増すねぇ〜(笑)ほぼ、マゾちゃんが論破死衝くして全勝のようですけれどもねぇ〜(笑)
242 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 20:42:09
>>236 相変わらず知能が低い煽りしかできなくて何よりだ。いや、お前は偶像化しているだろう。
三島関係のスレを自演で立て、引用を投下しまくるのが荒らしではないというのか?w
243 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/15(金) 20:46:08
>>236 いやこの場合、「三島に人間関係をこじれされる要因があるのではないか」というのを命題としているのだから、それに沿うべきだろう。
「三島には何か人間関係をこじれさせるものがある→だから三島と吉田の中がこじれた→吉田の三島評にも利がある」
という三段論法が成り立つ。
244 :
(o`.´o)materialist :2010/10/15(金) 20:51:56
こじれた同氏が褒め合うわけも鳴く(笑) 阿呆マグ名はなにが言いたいのか(笑)喧嘩相手の便が感情的で無いこと謎あるので消火(笑)藁貸し増すねぇ〜(笑)
245 :
吾輩は名無しである :2010/10/15(金) 21:08:34
獣の見え透いた自演ウザイ
>>243 そんなデタラメ論法成り立ちませんけど。
人間関係のすれ違いは、どっちが悪いとか決められないし、そんな白黒つけられることじゃないからね。
たとえどっちかに悪い原因があったとしても、それがもう一人に何の憎しみの感情がないことにならないし。
三島との個人的な人間関係のこじれから批判、批評してるのなら、尚更のことそれは差し引かなければ駄目だからね。
あんたが言ったでしょ? 特別な思いがある人の発言は差し引かないとね。
247 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/16(土) 00:40:07
>>246 そりゃそうだろう。だから吉田は人間関係のこじれから批判している訳ではないと思う。
その「行動」そのものを批判すべきことだ、と思ったからしたのじゃないか。福田も「私には分からない」だろ。
248 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/16(土) 00:46:56
さて、話は移って、チワワは吉田の発言自体を論破することができるのか? 「趣味をこじらせたものだ」と。
249 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/16(土) 00:53:18
俺は論破できないと思うな。確実に三島にはそういう面があると思うからだ。 三島の辞世もまさにそれを表明したものだと思うしな。
250 :
吾輩は名無しである :2010/10/16(土) 00:58:05
>>248 その発言の文章がある表題はなんですか?
その前後関係を見なければ、本当に批判して言ってるのか不明でしょう。
あなたの勝手な解釈、恣意抽出かもしれないからね。その前後の文章を2500文字ほど全文引用してください。
それができないなら、単なるあなたの歪曲恣意抽出ってこと。
こんばんわ、禿山頑太郎です。
251に反駁、引用バカとかけなしてみる →ほら結局引用もできない無知なんでしょ、お大事に などとw
254 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/16(土) 01:29:33
>>251 「文士で情事が道楽であるのが媚薬の量を間違へるといふことがあっても別に驚くことではない。或は蝶気違ひの文士がに蝶を追って墜落死することもある」
これが正式な文章だと思う。出典は詳らかにしない。だがこれは明らかに吉田文体だ。吉田以外は書けないだろう。
チワワとマグナ どっちも頭がおかしい中年のニート こいつらが煽りあいをはじめたらきりがない
>>254 出典が不明なら、それが吉田健一の出典の証拠になりませんよ。
それにその前後を見なければダメでしょう。そこには三島のみの字もないからね。三島について言ってるか不明だよ。
257 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/16(土) 01:46:36
一応書物に引かれているから確かだろう。梶谷哲男「三島由紀夫 芸術と病理」だ。 「その死は事故による」と断言した、とも書かれている。
>>254 それに、趣味をこじらせた、なんて言葉じゃないし、あんたが意図してる意味と違うニュアンスでしょ、それは。
歪曲解釈してバカじゃないの?
>>257 その本の最後に引用元が出てるはずでしょ?
とにかくその前後を読まないと、その筆者の恣意抽出かもしれないからね。そういうセコい真似してる関連本は沢山あるから。
260 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/16(土) 01:55:55
読解力ないな。吉田の文章は「趣味をこじらせた」という以外に理解しようがない。 「趣味の行き過ぎゆえの事故」ということだろう。
>>260 趣味と気違いじゃニュアンスが違いますよ。
それに何かに熱中した結果だと言うことは認めてるものだから、別に三島の思想や信念を否定してるわけじゃないしね。
事故に見えたのは、その人の主観でしょうし。
ちなみに小林秀雄は「歴史」と見てるからね。残念でした。
263 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/16(土) 02:12:52
ふむ、出典は少し調べておくwついでにある本が吉田について書いているのが面白そうなので入手しておく。
>>261 「気違い」という言葉には「いかれるほど趣味にしている」というニュアンスがあるのだが。
たとえば俺が「2ch気違い」と呼ばれるようになw
確かに吉田流に褒め言葉だとも取れる。だから三島が信念に殉じて死んだとはいえないものがあるのではないか、という話だ。
>>263 信念に殉じてるのは明らかでしょう。他人はそれを嫌悪するか共感するかで様々に言うだけのことです。
265 :
吾輩は名無しである :2010/10/16(土) 02:24:37
マグナもチワワも人間的な対立ばかりに注目してないで、もっと文学的 対立に目を向けたらどうなんだ?w 三島から福田や芥川が離れて行った話など、何ら注目に値しないと思う がなw 背後から小林が手を回してたかもしれないしw 嫌われてるからあいつは悪い奴だとか言うのは中学生までだろうw 吉田健一が親父に対して複雑な感情を抱いていたことは良く知られてるが、 彼が、三島と吉田茂との間に共通する傲慢さに辟易していたことは あるにしてもw 三島が皆から嫌われていたとすれば、それはむしろ、彼が善人だった証拠 ではないかと思うんだがなw 少なくとも、あんまり狡く立ち回れる人ではなかったのでは? 小林だって吉本だって埴谷だって狡い奴だろうがw
>>265 どこのどなたか知りませんが、あなたはマグナよりもずっと賢そうですね。
では、おやすみなさい。
三島由紀夫ってなんでこんなにメジャーなんでしょうか? 全集も40巻くらいあって卒論に選ぶにはちょっとハード
268 :
(o`.´o)materialist :2010/10/16(土) 10:53:55
マグ名ほどの阿呆はそうは居増せんねぇ〜(笑) 舞踊くらいですねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
>>267 数多くの小説、戯曲以外にも、評論やエッセイも膨大な数だからね。全集全巻の重量がちょうど三島由紀夫の体重になるそうです。
◎松本健一『三島由紀夫と司馬遼太郎』(1260円) 美しい日本を巡る激突。三島は自決により、司馬は『街頭をゆく』により、美しい日本を求めたが、文学史、精神史でふたりは対立していた、と松本独特の折衷論? ◎宮下喜久朗、井上隆史『三島由紀夫の愛した美術』(1575円) アンティノウス像、聖セバスチャン。アポロの杯で記述された三島の美意識を追って。 写真集『トンボの本』シリーズ ◎村上建夫『君たちには分からない 『楯の会』でみた三島由紀夫』(1470円) 京大生だった。東京のレストランで高名な作家の面接をうけた。『きみも楯の会へ入り、一ヶ月の軍事訓練をうけてみないか』 この三冊はいずれも新潮社から10月25日発売予定
>>268 もうバレてるから自演しないほうが吉
368:吾輩は名無しである :2010/10/15(金) 22:36:01
149:武陽隠士◆UCfK2Lx59s :2010/10/02(土) 23:03:00
【おことわり】
マグナ◆i.K3ZM.pZo=( ̄ω ̄)獲る狸◆ycr5A7VfSw =ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介◆m0yPyqc5MQ=(o`.´o)=?コテハン=ときどき名無し
↑
マグナ◆i.K3ZM.pZoと( ̄ω ̄)獲る狸◆ycr5A7VfSw が同一人物なのは、サブカルなんとかスレ(今回のサーバーお流れで消えた)で自演コテハンたち(?)が一緒に出てきて認めている
(私に引きこもり野郎と罵倒されたり論破されたりして傷ついたとかナンたらとか、いちいちしょーもねえうるせえ泣き事をしつこく連投してきたのは覚えてるぜw)。
しかし、私に勝てないことを悟ったからって、手の込んだくだらねえ自演攻撃してくるたぁ呆れたぜ、まったく(まあヒマジンだもんなw何度も負かされたのがよほど悔しいらしいw
プププ(^〜^)。
ていうか年がら年中パソコンに張り付いて小せえ真似コセコセしくさってるヒマあんなら、さっさと就労しろやバーカw
272 :
吾輩は名無しである :2010/10/16(土) 15:44:47
260:マグナ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/16(土) 00:42:56 まぁ案ずるな。ヘンリー・ダーガーという手があるw 460:( ̄ω ̄)獲る狸◆ycr5A7VfSw :2010/09/25(土) 00:49:06 [sage] アウトサイダーの文学というのはどこか人間的な欠落性を感じることが多い(笑) そこがつまらぬのですよ(笑)ダーガーのつまらなさに似ておる(笑) 122:(o`.´o) :2010/09/20(月) 21:14:43 その先月の群像9月号の冒頭だったで消火ねぇ〜(笑) 〜。と言うと〜、と逝った書き回しが文章を読まされておると逝った嫌悪感にわたくし謎は失笑した者ですねぇ〜(笑) 古井は生理的に泡無いのですねぇ〜(笑) 124:( ̄ω ̄)獲る狸◆ycr5A7VfSw :2010/09/21(火) 02:43:48 [sage] 所謂古井は電波系のよくできた者という印象ですねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
273 :
いいかげん自演気づけよw :2010/10/16(土) 16:05:21
46:( ̄ω ̄)獲る狸◆ycr5A7VfSw :2010/09/19(日)15:15:02 [sage] 武陽の西洋方面に関する知識の欠落が露出されましたか(笑)おやはや(笑) 47:(o`.´o) :2010/09/19(日) 15:33:03 舞踊の歴史方面に関する痴識(笑)キリスト凶方面に関する痴識(笑)も中々酷いものです殻ねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
274 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/17(日) 00:47:54
>>265 ふむ。頷けんな。小林が裏から操っていた等は陰謀論的だと思うし、俺は三島が悪い奴だ、といっているわけではない。
三島は表面的は社交的だったが、どこか世間と相容れない部分を持っていたのではないか、という話だ。
善人というのは今だからこそいえる話だと思う。実際三島のが豪傑笑いに嫌な思いをした奴もいたのではないか。褒めていた奴もいることは知っているが。
生命尊重という価値観に疑問を投げかけた、という三島の賞賛のされ方もおかしな話だと思う。
ある程度生命を尊重していかなければならないのは、ここ最近の観点だと思うからな。そもそも戦前までの日本は無理をしていた、という見方もできる。
>>274 三島の思想はある意味究極の生命尊重思想ですよ。
まあ、三島嫌いのあなたには何を言ったところで、解らないんでしょうけど。さやうなら、おやすみ(笑)
二十五年このかた、全世界をつうじて、自分の祖国の解放独立に挺身した戦士たちが出現し、何百万という人々が 彼らをヒーローとしてその信念の継承につとめてきた。 このヒーローの名をミシマに拒絶することが、どうしてわれわれに許されようか? 彼の自殺の、いささか 「文学的」環境は、その自殺の偉大性をも、意味をも、けっしてわれわれの目に軽減せしめることはないのである。 ミシェル・ドロウ(文芸フィガロ編集長)「三島特集」より
君と共に将来は、日本の文化を背負つて立つ意気込みですが、君が御奉公をすましてかへつてこられるまでに、 僕が地固めをしておく心算です。僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅―― すなはち日本の文化層が、永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの尨大な、モニュメンタールな、 カントの、エヂソンの、アメリカの、あの端倪すべからざる「近代」の超克でなくてその殺傷(これは超克よりは 一段と高い烈しい美しい意味で)だと思つてゐます。 「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、 今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。 日本の全文化層、世界の全文化人が特攻隊の前に拝跪し感謝の祈りをさゝげるべき理由はそこにあるので、今更、 神話の再現だなどと生ぬるいたゝへ様をしてゐる時ではない。全く身近の問題だと思ひます。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和20年4月21日、三谷信への葉書より
御葉書拝見。何はあれ、このやうな大変に際会して、しかも君とそれについて手紙のやりとりの出来るやうな 事態を、誰が予想し得たでせう。想像するだに、時代の異常さに想ひ到らずにはゐられません。かゝる事態は、 その型式や態様の如何はしばらく措き、夙に想像し得たところでした。今は何も語りたくありません。 これから勉強もし、文学もコツコツ落着いてやつて行きたいと思ひます。自分一個のうちにだけでも、最大の 美しい秩序を築き上げたいと思ひます。戦後の文学、芸術の復興と、その秩序づけに及ばず乍ら全力をつくして 貢献したいと思ひます。(中略) すべては時代が、我々を我々の当面の責務に追ひやります。僕は少なくとも僕の廿代を、文化的再建の努力に 捧げたいと思つています。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和20年8月22日、三谷信への書簡より
546:鈴木も該当するかな? :2010/10/16(土) 22:06:48 534:吾輩は名無しである :2010/10/16(土) 22:03:38 いま気がついたんだがマグナって固定は 引きこもりといった意味の文言出すとみょうにブレたり引っ込んだりするなw
628:吾輩は名無しである :2010/10/18(月) 00:32:12 [sage] 209 名前:マグナ ◆i.K3ZM.pZo [] 投稿日:2010/10/18(月) 00:29:50 まぁ確かに俺が女に執着していることは確かだな。女に嫌われ、蔑まれると興奮してしまうw
おやはや(笑)
チワワの引用はいつもすっぽ抜けw
283 :
吾輩は名無しである :2010/10/20(水) 03:41:45
このコピペみたいな引用してる奴ってなんなの? あちこちの板にいるんだが
(三島事件のあと)あるポーランド人の団体から招待されたときのことが想いだされてくる。 きっかけをつくったのはソルボンヌにおける私の学友、ポニアトスキー(仮名)だった。(略)長身で赤ら顔の ポーランド人で、つねに微笑をもって語り、その人柄は善意にあふれていた。いつも詰襟に丸首のカラーをしていた。 カトリック神父だったのである。 (中略)事件後ちょうど一ヶ月、クリスマス・イヴのことだった。その数日前まえに思いがけず、この友から 電話があった。 「きみのテレビ放送を見たよ。われわれの仲間は、みんな、ミシマのことを知りたがっている。ぜひ来て、 話してくれないか……」 「仲間」とは、誰だろう? その夜、パリ某所の指定された建物に出向いてみると、そこはむしろ、ささやかな 宗教的共同体といった感じの場だった。自分は出版社で働いているとかねがねポニアトスキーは言っていたが、 じっさいは、その家は、出版社兼宗教結社だったのである。(中略) 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
晩餐の部屋に降り立つと、すでに十数人の人々がテーブルについて待ちうけていた。思いがけなく、私が主賓だった。 (略)…うすぼんやりとした光のせいで、地下の窖にも似たその部屋の光景は、どこか抑圧された秘密の影を秘め、 カタコンベの一部といった感じさえした。この印象があながち間違っていなかったことを程なく私は知らされ ようとしていた。ひととおりの会話のあと――その席上で私は先に国営テレビの文芸討論会で発言したことを 敷衍してしゃべったのであったが――長老格の人物が立って、こう述べたからである。 「国の従属の縄目(いましめ)を断ち切って立たんとした人の死が、いや、日本独自の、あの儀式的意志的死が、 イエスの十字架の思想より見たとき《受肉の完成》としての意義を顕わにするであろう、とのご高説には、 われわれ一同ふかく心を打たれております。(中略)貴国の偉大な作家ミシマの驚嘆すべき行為は、まさしく この微行性(アノニマ)につうずるものであったと、いまや私どもには信じられるのです。……」 と、白髯を垂らしたその老神父は、左手で、黒のスータンの胸にかけた金色の十字架にそっと触れながら、 いったん句切りを置いた。 「……イエスにとって《受肉の完成》とは、十字架とともに復活をもって成しとげられるものでした。 ミシマにとっては……なんと言いましょうか……彼の復活の思想はなかったのですか?」 「彼の、ではなく、日本人の、とと申しあげましょうか……」と私は答えた。 「われわれが《七生報国》と呼ぶ思想こそはそれに当たるのです……」 じっとわれわれの会話に耳を傾けていた周囲のポーランド人たちから、「ほほう!」といった嘆声が洩れた。 枝付燭台の向こうで、長老の頬は紅潮していた。(中略)ポニアトスキーは大きな手をさしのべながら私に こう言った。 「私どもの祖国の政治的状況は、きみも知つてのとおりだ。同胞の読みたがっている本も、そこでは自由に 出版することができない。こうして、パリ経由でわれわれがやっているわけなんだよ……」 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
いまや私には彼の言葉の意味するところは明瞭だった。私を招きいれた人々は、要するにポーランド独立の 地下抵抗運動の同志たちだったのだ。カトリックという精神領域を武器としての。 そしてこれらポーランド人たちにとって、世界の果ての国日本の一作家の信じがたき決起と死は、あの 第二次大戦末期、(中略)…いまにいたるソ連支配の屈従の運命に抗する勇気をあたえてくれるものだったのだ。 日本で、われわれのヒーローが「右翼」とレッテルを貼られ、「グロテスク」、「時代錯誤」と譏(そし)られ、 「恥さらし」―対外的に……――と罵られている、まさにそのときに。あるいは、現代日本のタイラント、 偏向したマスコミ中心の世論を怖れて、大半の知識人が、いっそ沈黙することを選びつつあるそのときに。 (中略) 他者への殺害ではなく自害によって決着するその行為が、いかに深く西欧のもっとも高貴なる魂を振起し、 その魂の屈折をとおしていかに深く日本の名誉を購わんとしたものであるか、その夜、このうえなくはっきりと、 私はその名証を見たのだった。(中略) しかも、氏の自刃が西欧人の心に掘りおこした感情は、ひとりキリスト教にとどまるものではなかった。 キリスト教と対立する古代精神の領域にまで広がるものであることを、やがて私は知らされようとしていたのである。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
明けて一九七一年となった。その年の六月にパリで開かれた《憂国忌》について、ここで語らなければなるまい。(中略) この企画(映画「憂国」特別鑑賞会)が伝わるや、見たいという有志がぞくぞくと名乗りでてきた。 スポンサーは、詩人エマニュエル・ローテンがひきうけてくれた。惜しくもすでに故人となったが、小背で 容貌怪異、みずから好んで「フランドルの土百姓の出で……」と冗談をいうのがつねであった。(中略) エマニュエル・ローテンと私とのあいだで初めて三島由紀夫が話題になったのは、氏の邸内においてであった。 事件後まもなくだったと記憶する。それというのも、そのときローテンは、例の「文芸フィガロ」誌の三島特集号を 手にして私のまえに現れるなり、朱の色をバックに抜刀したヒーローの大写しの表紙をこつこつと拳で叩きながら、 野獣の咆哮のごとく、こう言ったからである――「私は、あらゆる暴力に反対だよ!」と。 しかし、まもなく、この詩人の意見は一変してしまうのである。 一つの偶然が、私のもくろんだ集いを大いに盛りあげることを助けてくれた。作曲家、黛敏郎氏の参加を得た ことである。黛氏は三島由紀夫の『金閣寺』のオペラ化の打合わせでベルリンに見えていたが、パリにはいって 私と会い、企画を聞くや、言下に参加を快諾してくれた。われわれはそれが初対面の間柄であったけれども。(中略) (参加者に)ガブリエル・マズネフ氏がいたことを、真先に挙げたいと思う。(中略) ガブリエル・マズネフが当夜われわれあいだにいたということの意義は小さなものではあるまい。彼は 『挑戦』の一冊を手に会場に駆けつけてくれたが、あとで私はその扉につぎのような献辞を見いだした。 「タケオ・タケモトに、この私の処女作をささぐ。本日、貴君のはからいで見たミシマの忘れがたきフィルムが まさにその開花であるところの、美と死とのこの出会い、自殺のストイックなる理想を、本書のうちにまさに 貴君が再見されるであろうがゆえに。 ガブリエル・マズネフ」 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
(中略)ほかに、《パリ憂国忌》出席者についていちいち詳述するいとまをもたない。ただ、全体に、右の ガブリエル・マズネフ、ミシェル・ランドム(作家、映画監督)、バマット(ユネスコ文化局長)の三氏がその 代表例であるように、集まった碧眼の知識人たちはきわめて精神的傾向が強く、一様に「日本のミシマ」の 果断の行為に心を奪われ、現代において――つまり日本においてのみならず――それがいかなる意味をもちうるか ということを真剣に問う人々であった事実を記せば足りるであろう。(中略) 黛敏郎氏は次のように回顧している。 〈…映写が終り、客席が明るくなってからも、暫くのあいだ誰も声を発する者はいなかった。隣席のローテン氏は、 ポロポロと涙を流しながら、私の手を強く握りしめたままだった……〉 そうだ、エマニュエル・ローテンの、この変化こそは、観客全体の感銘を代表して余りあるものだったのである。 黛氏はつづいて書いている。 〈ややあって、立ち上ったローテン氏は、声涙ともに下る短い演説をした。「いま皆さんが、スクリーンで 観られた三島氏は、この映画さながらの古式に則った武士道の作法通りに切腹して果てた。このような天才的な 芸術家が、何故、このような行為に出たのだろうか?」〉 あとはもう言葉ならなかった。 私は、胸を打たれて、いかつい顔のこの人物が頬鬚を涙でぐしょぐしょに濡らしながら嗚咽を抑えるさまを、 ただまじまじと視つめるのみだった。「私はあらゆる暴力に反対だ!」と、最初、事件を知って叫んだローテンの 意見をかくも急旋回せしめた力は、いったいなんであったか? ここでわれわれは、事件の本質に関する甚だ重要な一点に立つのである。 観客のすべてが別室に引きあげてからも、ローテンだけは、場内にただひとり佇んでいた。そして私の姿を 見かけると、なおも涕泣しつつこういうのだった――「《愛と死の儀式》――私がここに見たものは、まさしく 神ということなのです……」 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
エマニュエル・ローテンといっしょに私が映写室を出ると、小さなサロンに一同は頬を紅潮させて集まっていた。 一言でいえば、それは、打ちのめされた光景だった。(中略)黛敏郎氏はこう書いている。 〈当然、私は質問攻めにあうことになった。私は、私に考えられる限りの、三島氏の自刃に対する見解を述べた。 要するに三島氏は、大東亜戦争敗戦後の虚脱状態から一転して今日の経済的繁栄を手にした現代の日本人たちが、 芸術的にも、精神的にも、日本古来の伝統を軽視し、それが天皇ご自身をも含めた日本人一般の風潮となって、 日本がその文化のすべてのよりどころとしてきた天皇制の危機を、誰よりも強く感じ始めたこと。(中略)あの 事件が世の中に与えるショックの性質と限界とは、氏にとっては計算済みのことであって、氏の目指したのは、 「精神的クーデター」の火をつけることであり、それは見事に成功して、あのショック以来、日本の知識人の多くは、 深刻に自己を見つめ始めたこと。以上のような説明が、私の口からなされると、讃同の意を表わしてくれる フランス人たちが多かった。(中略)〉 「《ユウコク(憂国)》とはどういう意味ですか?」と真先に私に尋ねてきたフランス人があった。批評家 クリスチャン・シャバニ氏である。(中略) 「それは、国の運命を憂うる、ということです」と私は答えた。 そう聞くと相手は、「ああ、なんという美しいイデー(思い)だろう!」と叫んだ。 「つまり、単なる《愛国(パトリオチズム)》とは異なるんですね。…(略)そこには、深く民族の帰趨を案じ、 精神的にこれを指導する予言者の役を果たし、時いたらば人柱となって死するをも辞さじという、苦悩と殉教の 精神が、より脈々とあふれでている……ヒーローよりも、予言者の心情というべきではなかろうか。バビロンの流れ、 ケバル河のほとりで、幽囚の民族の運命を嘆いた旧約の《レ・グラン・プロフェット(大予言者たち)》のように」 どんなにか私は彼の手を握りしめたかったことであろう! この打てば響くような素早い理解、深い共感性……。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
地球の反対側で、ほかならぬ同胞のあいだで、犯罪者・精神錯乱者・エグジビショニスト、等々、ありとあらゆる 罵声が浴びせられつつあるあいだに、ここではその「元凶」は、「予言者」の名をもって語られつつあったのだ。 「ぼくは、はっきりとローマ派の人間だが……」と、ここでガブリエル・マズネフが口ゆ切った。…「つまり、 高徳のストイシャンだった古代ローマ人の生きざまを全幅に肯定する人間だが、しかし、このぼくにしてからが、 このフィルムを観て、まったく『シャッポー(脱帽)!』と叫ばざるをえなかったよ」(中略) 「…ローマの偉人たちはストア派の哲学に勇気の糧をもとめたのだ。もっとも、なかには、その勇猛をもって 鳴る武将、小カトーのように、プラトンの『パイドン』を読んだあとで自殺したという変わり種もあるけれどもね。 …(略)ところで、この小カトーの自殺が割腹によるものだったことは、ごぞんじでしょう?」マズネフの 問いは私に向けられていた。 「ええ『ブルタルコ英雄伝』の、ぼくは熟読者ですからね」 「ぼくも同様……要するに、剣は、ローマ共和国の武人たる以上、もっとも尋常の自殺の具だったんですよ。(略)」 「ちょっと待ちたまえ……」と、ここで初めてアフガニスタン人の剣豪バマットが口を開いた。…さながら 「面!」の掛け声を掛けるかのごとく繰りかえしていう――「待ちたまえ! しかし、それら顕然たるローマの 歴史的武将たちは、自決するときに、なんらかの儀式(リット)にもとづいてそうしたかね? …(略) 日本のサムライの死は、勇気のあらわれというだけのものではないよ。プラスなにかが、そこにはある。 それゆえの切腹の儀というべきではなかろうか?」 「そうだとも!」 と、バマットのうしろから、そのソファの背にもたれて話に聞きいっていたエマニュエル・ローテンが叫んだ。 「それこそはミシマの言いたかったことのはずだよ」と。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
同時に、「セ・ジェスト(そのとおり)!」「ヴォアラ(しかり)!」「アプソリューマン(まったくそうだ)!」 という声々が、あちこちから興った。(中略) しかし、間髪を置かず、一座の声々に呼応して、マズネフもこう言っいた。 「だから…だから…ぼくも、さっき、こう言いかけていたんだよ。『シャッポー』とね!」(中略) バマットがまたも切りこみをかける「つまり、ローマ的自殺には、なんというか、《フォルム》がない。 フォルム――カタ(型)ですね……」と私のほうを向いて刀の柄を両手で握りしめるそぶりを見せる。 「つまり、文明全体のありかたにかかわるかどうかということだと思うな……」とミシェル・ランドムが静かに 言葉を挟んだ。「いいかね、すこし告白をしていいかね……」細い銀縁眼鏡の奥で、不適な彼の顔の表情と 不釣合な優しい目が、一、二度、しばたたいた。この人物もまた、疑いもなく、私がヨーロッパで知った第一級 知識人の一人である。 「日本で武士道といわれるものが、もし単に勇気と武技の結合したものであるだけなら、ローマと日本のあいだに なんの差異もないことになるだろう…… こういうことをぼくに教えてくれたのは、弓道のハンザワ(半沢)先生だった。ハンザワ先生といえば、 『弓と禅』を書いたあのドイツのオイデン・ヘリーゲルの師範――有名な東北の阿波研造名人の弟子にあたる 人だけれどもね。…このハンザワ先生の全人格から放射してくるもの、これは、断じてヨーロッパには 見当たらないなにかだった。つまり、そこに浸っているかぎりは死は存在しないといった……ハンザワ先生の 弓を見ていて、ぼくはそれが単なる武技ではないと悟った。先生は、射るとき、目をつぶっておられたのだから…」 私は、その光景を知っていた。ランドム氏のフィルム、『武道』のなかで、それはもっとも美しいシーンであったから。 また私は、半沢師範の訃報に接して彼が子供のように泣いたということも聞かされていた。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
292 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/22(金) 17:36:01
>デビュー当時の三島由紀夫がなぜかプレイボーイを気取って女性体験を滔々と語っていたとか。 という風に作家が嘘をついていることの一例としてあげている人がいたが、三島由紀夫全集を持っているはずのチワワはこれを反駁できるか?
293 :
吾輩は名無しである :2010/10/22(金) 17:39:36
チワワって、誰?
294 :
吾輩は名無しである :2010/10/22(金) 17:47:01
文脈に関係ない引用がすごくうざい。 右翼の外宣車とか、スピーカーで聖書の朗読してる団体を彷彿とさせる。 押し付けは逆効果。 北風と太陽の寓話も知らないのか?w
おっと、「街宣車」な。
>>292 その伝聞話自体が嘘か、あなたの作り話でしょう。
三島由紀夫は自分が童貞を失ったのはだいぶ遅いと言ってるから。
(中略)会話は、こうして、いつのまにやら日本とローマの自決比較論のようになってしまった。 「問題は、しかし、二千年まえのそうした超越的死が、その後も脈々とわれわれの文明の頂点の一形式として 伝えられてきたかどうかということだよ……」声の主は、ふたたびミシェル・ランドムだった。 「日本にはそれがある。それがル・ブシドー(武士道)というものだ……」ぴしりと決まった一言だった。 日本人自身がその持てる最上の伝統を擲ってかえりみないときに、西洋人の側からこうした信念の吐露が なされるということも、考えてみれば奇妙なことではあった。(中略) たった一つ、その夕べ、会合者のあいだから洩れた「政治的」発言はミシェル・ランドムが発したつぎの質問だった。 「さきほどのムッシュウ・マユズミの言葉によると、ミシマは、天皇ご自身までが日本の伝統的精神の否定者で あったと見ておられたとのことだが、それはどういうことなのですか?」と。 (中略)日本的神聖の持続の問題は彼にとって重大関心事だったのだ。「日本はまさにカミ(神)の国だよ…」 ぽつりと彼の口を洩れたこの言葉の意味を、その後しばしば私は想いだしたものである…… 「天皇は飽くまで神であらせられるべきだった、というのが三島の考えだったのです」と、そこで私は 『英霊の声』を想起しながらランドムの問いに答えた。「しかし、それにもかかわらず、自衛隊バルコニーで、 『天皇陛下萬歳!』を三唱して三島は死んでいったわけですが……」 「それはじつに重要なことだ! それはじつに重要なことだ!」ランドムは、驚いたようにこちらをじっと見て、 そう繰りかえし叫んだ。頃あいやよしと見て、エマニュエル・ローテンが、立ちあがって声をかける。 「メッシュー(みなさん)、今宵は、われわれの精神の通夜です。談論風発のつづきは、このあと、ぜひ拙宅で やってください。亡き日本の天才をしのんで、心ゆくまで語りあおうではありませんか!」 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
(中略)ここでまた何人かの新規の参加者があり、そのなかに美術批評家ミシェル・タピエ氏の姿もあった。(中略) 「私は、ここに、なによりもシントー(神道)を感ずるよ……」 これが、サロンに足を入れるや、ミシェル・タピエがわれわれに放った第一声であった。「ここに」とは、 問題の自刃の行為をさして言ったものであることは、いうまでもない。 「ヨーロッパでは、《混沌(カオス)》といえば、それまでだ。しかし日本のそれは、コントロール(制御) された混沌なのだよ……」警句めいた一言である。(中略) ふたたび黛敏郎氏の記録にゆずろう。 〈…最後に、みんなの希望で、たまたまローテン氏が愛蔵していた拙作で、三島氏も生前好きだといってくれた 『涅槃交響曲』のレコードをかけながら、思い思いの瞑想にふけり、三島氏の魂を慰めようということになった。 『涅槃交響曲』のコーラスの響きが長く尾を引いて静まったとき、ローテン氏は静かに立ち上り、目に涙を 一杯たたえながら即興の詩を朗誦した……〉 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
世にも気高い《愛の物語》…… 愛、おお かくばかりの愛! かくばかりの高貴な生! 絶大の荘厳、《意志》の頌歌…… 服喪の空は その暑いしずくを哭き ゆるやかな血流は落日を崇高ならしめる。 九腸よりほとばしる斑点の飛沫! 一体となった双生の命 一心となった二つの手の古代壺(アンス) そして求める《彼岸》への絶対の供物。 入念に死を決意して三島は 意志の典礼を一点にむすぶ―― すなわち森厳の盛儀、切腹の行為を 超越的《放棄》の聖なる戦慄へと。 エマニュエル・ローテン「愛と死の儀式(憂国)――三島にささげる詩」
300 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/22(金) 18:11:03
千古脈々たる誇らかな儀式(リット)、 この久遠の神話(ミット)よ、 愛まったくして 死かくも辛く潔し。 剣はこのししむらを刺し、鞭打した。 恐るべき死の創傷を深めよと…… だが深められるのは夜ではなく《生の彼岸》なのだ。 介錯がこの供献を成就する。 だが成就されるのは自殺ではなく この讃歌なのだ。 融化した存在、密かなる聖体拝受(コミュニオン)よ! 淋漓たる鮮血にこそ美の高潔があり、 淋漓たる《至誠》の書にこそ 精神の解脱の場がある。 かくてこそ絶対の恩沢へと いま 精神は飛翔する、 大死一番の狂える寛容もて かの無限へと―― 《Kami(神)》の一語もて 名づけられた無限へと…… エマニュエル・ローテン「愛と死の儀式(憂国)――三島にささげる詩」
>>300 「わが思春期」でもその他エッセイなどでも、三島は自分が女性にモテないタイプで、
恋愛に対して奥手だったと述べてますよ。無知がデタラメ噂を鵜呑みにしてお疲れでした。
303 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/22(金) 18:22:40
デビュー当初だろ? 「わが思春期」は初期のものとはいえないんじゃないのかw
>>303 どうでもいいよ、そんな中学レベルのくだらない話。
305 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/22(金) 19:32:06
ふむ。やはり事実だったのかw
306 :
吾輩は名無しである :2010/10/22(金) 19:38:19
レス乞食糞コテ発狂
307 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/22(金) 19:40:17
なんだふぐすまさんか。
308 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/24(日) 14:51:44
それにしてもとうとうチワワ連投が途絶えたなw奴も相当堪えたらしい。そもそも三島のコピペを貼ることでしか自己表現できない小物なのだから仕方がないが。
偉大な芸術作品はすべてある意味で作者の遺書である、とマルローが三島をめぐって言った言葉が想いだされてくる。 その意味で、たしかに『憂国』ほどぴったりと「遺書」と呼ばるべき作品も稀であろう。 (中略)かつて――一九五八年――ド・ゴール大統領のもとにフランス第五共和国が成立したとき、フランスは アンドレ・マルローを特使として日本に派遣し、国交を樹立したことがあった。そのとき、偉大なる使者は、 満堂の聴衆を集めた講演席上において次のように提唱した。「西欧全体にたいして フランスは日本の精髄の《受託者》たらんとするものであります」と。(中略) 日本の精髄の受託者……この精髄のいかなるかについて、そのときマルローはなんと言ったか? 日本民族によって永遠に記憶され感謝されてしかるべきその言葉を、ここで石碑に文字を刻むがごとく 繰りかえしておくことは無意味ではあるまい。 マルローはこう言ったのだ。 〈この日本の精髄について全世界が甚だしい無知のなかにいるということを、どうか、しっかりと肝に銘じて いただきたい。全世界にとって日本とは、依然としてエキゾチズムか絵葉書風景の国、目もあやな、あの版画に 描かれたかぎりの国にすぎないのであります。さればフランスは、なによりさきに、こう表明しなければ なりません―― 日本は中国の一遺産ではない、なぜなら日本は、愛の感情、勇気の感情、死の感情において中国とは切りはなされて いるから。騎士道の民であるわれわれフランス人は、この武士道の民のなかに、多くの似かよった点を認めるように つとむべきであろう。かつ、真の日本とは、世界最高の列のなかにあるこの国の十二世紀の偉大な画家たちであり、 隆信(藤原)であり、この国の音楽であって、断じてその版画に属する世界ではない、と。〉 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
〈そして冀(ねが)わくば、日本とフランスとの接近が、フランスをして、その言葉に耳を傾けようとする人々 すべてにたいし、かく言わしめんことを。すなわち―― 諸君が、かくも長いあいだ、目もあやなピトレスクの国民であると思いこんできた人々は、じつは英雄の民だったのだ。 もしこの民族の魂を知らんと欲すれば、彼らの絵画のなかではなく、むしろ音楽のなかにそれを求めよ。 鉄の琴に合わせて歌われたその歌は、死者の歌、英雄の歌、深淵なるアジアのもっとも深淵なる象徴の一つに ほかならない! と。〉 (中略)マルローの講演を聞いて、時の宰相以下の日本の貴顕の士の全代表は、これに熱烈な感動の拍手を送った。 武士道の礼讃――たしかにこれは言うべくして美しい。つまり、遠来の賓客の讃辞としては。だが、その後、 いったい、誰が、教授なりジャーナリストなり批評家なりの誰が、投げられたこのテーマの発展をはかっただろうか? とんでもない。大半の人々の耳に、フランス文化大臣のあの言葉は、いわば過去の甲冑に対する礼讃として 響いたにすぎないのだ。「武士道と騎士道の対話」ということをマルローが暗示したとき、本気で彼がそれを われわれの文明の死活の問題として呈したのだということに気づいた人士は、まずほとんど皆無だったのである。 そして、おそらく天皇ご自身でさえも……(中略) われわれにとって「武士道」とは、葬りさられたもの、断罪されたものにすぎなかったからだ。(中略) いっぽう、フランスの側から見れば、そんな日本は軽蔑と無視の種でしかなかった。ド・ゴール大統領と 「対話」した日本の政治家にしても皆無である。…池田勇人首相にしても、むなしく相手から「トランジスター 商人」との寸評を得たにすぎない。彼我の観点の相違は、じつに歴然たるものがあったと言わなければならない。 われわれにとって「平和憲法」の名で正当化されるものは、フランスの目にとって隷属の条件にほかならなかった からである。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
現代の予言者とは、なによりも、「収容所列島」の現実を知り、これにたいして精神と歴史の両面にわたって 絶対的「ノン」のアクションを取りうる人々である。(中略) それはまた、「文武両道」と彼が呼んだものの、現代的発露の方向でもあった。自己の身命を擲(なげう)っても 自由を守ろうとする文化の原理と、自由を擲っても生命以上のものを守らんとする武士道との統合は、がんらい 至高の矛盾の統合であって、およそ「文民統制(シヴィリアン・コントロール)」などという考えをもって 量りきれるレベルの問題ではない。(中略) なぜなら、ここにいう「文武両道」とは、(略)…自衛隊バルコニーから絶叫した次の瞬間には古式に則って 自分の腹を掻きさばいていたという超越的抗議形式によって、ヨーロッパ知識人の目に、「人間の条件」と 「日本の条件」を同時に乗りこえる意志を示した壮絶無比の行為として映ったところのものにほかならないからである。 彼らの目に、この場合、文学的死、政治的死の区別はなかった。 (中略)日本は、他の諸文明が宗教によって「人間の条件」をこえる超越軸を求めてきたときに、ただひとり、 武士道によってそれを求めてきた点において、たしかにユニークだったのである。ここのあたりの実相を もっとも適格に見据えていた人ありとすれば、それが、日本においては三島由紀夫その人であったと言わなければ ならない。(中略) 「一つの墓をも寺をも建てえなかったわれわれの文明……」という、マルローの議会演説中の言葉が、さながら 応答のように、静かに、同時にここでわが胸によみがえらずにはいない。「日本人の死の衝動」と言ったとき、 期せずして三島は、日本のみならず、《彼岸》なき現代文明の運命そのものについて語っていたからである。 「ル・カ・ミシマ」をヨーロッパが、政治に始まり人間に終る、ないし日本に始まり西欧に終る文明の問題として 受けとった理由はここにあるといえるであろう。無理もあるまい。文明の没落の意識において、彼らはわれわれに 半世紀余も先んじた地点に立っているのだ。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
そのようなヨーロッパ的反応の興味ぶかい一例を示そう。巣鴨教誨師として東条英機以下「A級戦犯」七士の 処刑に立ち会った花山信勝師に、そのかけがえのない体験を記録した『平和の発見』なる名著がある。同書の 見事なフランス語版ならびにイタリア語版の翻訳者であるピエール・パスカル氏なる人物が、われわれにとって まことに胸打つばかりの反応を示しているのである。パスカル氏は、一九四九年、『平和の発見』が日本で 刊行された年に、いちはやくこれを入手し、かつ翻訳していたという。しかし、その後二十年間というもの、 訳稿を筐底に秘めておかざるをえなかった。〈過去百年にもわたる進歩主義者たちの放埒のただなかにあっては〉 これほどの本を出版したところで、ただ無理解をうけるのみ、と判断したからである。ところが、三島事件を 聞いてパスカル氏は愕然として目覚めた。そして、時こそ至れと、感嘆すべき克明な注解と研究を付して堂々の 訳書刊行にいたったのであった。 およそ日本では考え得ざるほどの、自由かつ雄弁なる訳書の体裁であって、じつに内容は、東京裁判に始まって 三島礼讃に終っているのであった! 本文そのものは「東京裁判」にちがいないが、付録の一つになんと 「ユキオ・ミシマの壮絶無比の選択」なる一文が添えられ、さらに巻末には訳者による手向けの歌まで加えられて いるのである。「一九七〇年十一月二十六日、日本の宮中のお歌所の伝統にならいて詠める」と詞書きして、 フランス語による「俳句十二句ならびに短歌三首」が披露されているのだ。題して「ミシマ・ユキオの墓」という。 その情熱、炯眼、大胆に、ほとほと私は感ぜずにはいられなかった。なにより驚いたことは、東京裁判から 三島決起にいたる因縁の糸を見事に読みとき、これを手繰りよせたことであった。日本人が行なってしかるべき ことを、この未知のフランス人がやってのけたのである。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
(中略)これだけの炯眼ぶりを氏が発揮したことの裏には、「東京裁判」そのものにたいするその仮借なき 批評眼があった。いかにしてここから三島礼讃の挙にまで行きついたかを知るために、その主張するところを 瞥見してみよう。 〈…「東京裁判」は、実際には、何人かの被告を見せしめに裁き、全員、愛国心のゆえに有罪なりと宣言したに すぎない。(中略)民主主義思想の愚鈍ぶりは、東条英機をして「ファッシスト的」独裁者たらしめた。これは 歴史的真実に反するのみならず、当時の君主制日本の神制政治上の概念にも相反するものである。諸政党解党に つぐ大政翼賛会の唯一党結成は近衛公の意志によるものであって、東条英機将軍は、公に代って帝国政府の 総帥となるに及び、連合国にたいする政府の決断躊躇をすべて引きつぐ結果となったのである。連合国側こそ、 「経済制裁」に名をかりて、宣戦布告もなく日本を窒息死せしめんとしていた事実を忘れてはならない……〉 〈…捕虜収容所の日本人指揮官のなかには、無数の捕虜にたいする扱いが穏当でなかった者も、それは多々 あったであろう。しかし、「捕虜虐待」で絞首刑にされた人々の運命たるや、シベリアへの「死の行進」や カティンの大虐殺をやってのけた連中、またケニヤ・エジプト・北アフリカ・インドなどの収容所の警護者どもの 思いもおよばないようなものだったのだ。 …リチャード・ストリーがその著『近代日本史』のなかで記しているごとく、日露戦争時において、ロシア兵の 捕虜ならびに支那の民間人にたいする日本軍のふるまいは「世界中の尊敬と感嘆を勝ちえた」事実を思うがよい。 でなくして、旅順開城ののち、露軍司令官ステッセルは、なぜ乃木将軍にその白馬を献じようと欲したであろうか?〉 (中略)一冊の極東軍事裁判記録も刊行されなかったフランス、いやヨーロッパにあって、このような発言は 貴重と言わねばならない。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
(中略)パスカル氏はいうのだ。 〈正義の審判の名のもとに《不正義》によって刑死せしめられた人々の想い出が、いまや、裁いた者たちの 想い出よりも日一日と荘厳となっていく。裁いた者たちのほうが、早くも使い捨てという忘却の闇へと沈んで ゆくのだ…(中略) キリスト再臨を待つまでもなく、正義はすでになされたのだ。…あの日、一九七〇年十一月二十五日、… 《夷狄の君臨》にたいして相変らず不感症のまま日本が、黙々として世界第三位の産業大国となりつつあったとき、 ユキオ・ミシマは、その儀式的死によって、みずからの祖国と世界とにたいして喚起したのである。この世には まだ精神の一種族が存し、生者と死者のあいだの千古脈々たる契りが、いまなお不朽不敗を誇りうるということを。 おのれの存在を擲ち、祖国に殉ずることによって、もって護国の鬼 le remords de cette patrie と化さんと、 生の易きに就くよりも、かかる魂に帰一することのほうを、ミシマは望んだのであった。…〉 〈個人的絶望によってではなく超越的《愛他主義(アルトルイズム)》によって、かつ、愛のかなたの愛によって 決行されたユキオ・ミシマの聖なる自殺は、《共和国擁護》を叫ぶ古蛙どもの、いつ果てるとも知れぬ金切声の 大合唱を西欧世界に喚起するにいたった……畢竟、それらは、遠い昔にとっくに地に堕ちた名誉なるものに たいする、一種の畏怖心にすぎない。…まるで、もうちょっとで、あちこちに、《反ファッシズム監視委員会》の どさ廻り小屋でも造られかねない勢いだった。〉 (中略)一息入れてパスカル氏は、またも筆を取りなおす。〈このユキオ・ミシマが自己犠牲をあえてした場所が、 「愛国心の囚人」にたいして米軍があえて有罪宣告を下した旧日本帝国大本営の跡地、市ヶ谷台上であったのだ。〉と。 (中略)ミシマに触れたヨーロッパならびに海外の無数の記事のなかで、ずばぬけて出色の出来であったとして 同氏は、一九七〇年十二月一日付のローマ紙「イル・テンポ」に掲載された「東京のハラキリ」なる一文を挙げている。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
尊敬すべき洞察力をもって、その執筆者マギナルド・バヴィエラ氏は書いているのだ。しかも、三島自刃の 直接目的――改憲と防衛の問題にまで突っ込んで。…まず、アメリカの対日政策の変化が語られる。 〈…アメリカ人は、自分たちが精を出した毒草除去の作業が完全すぎたという結果を、恐怖心をもって視つめてきた。 (略)…(ドイツ、日本、イタリア)の野心をあまりにも徹底して摘みとりすぎたために、これら蛇蝎のごとき 三国が歴史のつんぼ桟敷に追いやられて商人国家へと変貌していくさまを、「アンクル・トム」はただ呆然と 見守るほかはなかった……われわれヨーロッパ人が、自国侵略の危険をはらんだロシア赤軍用のトラックを 競争さわぎで製造しつつあるあいだに、もはやどこからも侵略の恐れなしと信じきった日本は、アジアの警備役は アメリカにまかせっぱなしで――日本株式会社は二度と軍事大国になるつもりはないと公言しつづけてきたのである。〉 〈なんとかして日本人にもういちど尚武の気概と世界政治の巨視観を持ってもらいたいと、アメリカ人の側で 躍起になってきたのも、むべなるかなというべきである。(略)…全アジアの骨組がひっくりかえってしまったいま、 太平洋の防人の役は徐々に日本に肩代りしてもらいたいというのが、彼らの本音にほかならないからである。 (略)…(日本の)首相は、にんまりと、憲法第九条があるじゃありませんかと応じたものだった。(略)… 恒久武装放棄を声高に誓わされた、あの屈辱の憲法である。(略)…「残酷な戦争をもって日本を敗北せしめたあと、 その憲法をわれわれに押しつけたのは、あなたがたのほうではありませんか。こんどは、こっちのほうでそれを 大事にする番ですよ…」かくて日本は、豪華けんらんとしてかつ陰鬱なるヴァカンスを享受しつづける安楽へと 兎跳びに跳びあがり、富裕にして怡悦なき一億の日本人は、熱狂の空虚を、国家的目標と集団的希望の欠如を、 時とともにはっきりと認識するにいたった。〉 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
こんな奴がいたら切腹させられたんじゃないのか? 723 名前:マグナ ◆i.K3ZM.pZo [] 投稿日:2010/03/11(木) 01:41:15 ID:UrBpmh6A 小学生……ハァハァ。
すみません、豊穣の海のなかで、本多あるいは清顕が言ったセリフで、 うろ覚えなのですが記憶に残っているものですがどこで言ったか教えてもらえませんか? 1.「オマエらと違って俺には善行の貯金がある」(清顕) 2.「甘露のように貴重な毎日をどうしてムダにすごしてしまったのか」(本多) 1.は一巻、2.は4巻だったような気がしてパラパラめくってみたのですが見つかりません。 ともにセリフというより独り言のようなものだったと思います。
>>317 二番の方は、この表現あたりのことかな?
「一分一分、一秒一秒、二度とかへらぬ時を、人々は何といふ稀薄な生の意識ですりぬけるのだらう。
老いてはじめてその一滴々々には濃度があり、酩酊さへ具はつてゐることを学ぶのだ。
稀覯の葡萄酒の濃密な一滴々々のやうな、美しい時の滴たり。……さうして血が失はれるやうに
時が失はれてゆく。」
「老人は時が酩酊を含むことを学ぶ。学んだときはすでに、酩酊に足るほどの酒は失はれてゐる。」
『証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決』持丸博 著(文藝春秋)10月26日本日発売
>>318 それです。やっと見つけました。4巻の十六でした。ありがとうございます。
しかしその文章をググると、2chのスレばかり出てきて気持ち悪いですね。
ねらーに響く文章なのでしょうか・・・
>>320 一つのスレしか検索されませんよ。
一番は見つかったの?
清顕が言ったとは思えない、記憶にない文言ですね。
>>315 つづき
〈日本――だが、誰がその真実の姿を知ろう? (中略)
再度日本を訪れたおりに、私自身、ここにはきっと秘密の国が隠れているにちがいないとの直感を持った。
それは、たまたま私が、防衛庁の位置する市ヶ谷の丘を昇っているときのことだった。(中略)訪う人なきこの丘、
いまなお一軍が身を隠しつづける丘から、だが、一つの叫びが、いま、われわれの耳に届いたのだ。沈黙は破られた。
ヴェールは、一瞬、かなぐり捨てられた。ユキオ・ミシマ――この世界的名声の作家が、万人の面前で短刀を
自分の腹に突き立てたのだ。いまはなき特権階級(カスト)、サムライの儀式的自殺である。(中略)
祖国はもはや自分が夢みた国ならずというのでスペインのファランへ党員が自分の心臓に弾丸をぶちこむ。
盟主ロシアが共産党員としての自分の夢を打ち砕いたといってプラハの学生が火だるま自殺する。祖国日本が
非武装に甘んじ、もはや歴史舞台への回帰を放念したという理由で、一人の作家が東京で自刃して果てる。…〉
〈これら自殺者たちは何を信じ、何を得ようと望んだのか? 世界中の良識の徒は、一様にただ、せせら笑いを
浮かべるのみである。
しかし私としては、この問題を考えるとき、あまたの自殺のイメージをとおして古代ローマがわれわれの心に
なお生きつづけているという真実を思わずにはいられないのだ。生を厭うがゆえにではなく愛するがゆえに、
古代ローマ人は自ら生命を断った。これは、この方面の研究の第一人者、ガブリエル・マズネフも書いたとおりである。
たしかに、そこからして彼らは解放者ジュピターを自殺の守護神として選びさえもしたのだった。ジュピターとは、
愛する者のため自己犠牲という至高の自由を選ぶ寸前に彼らが熱祷をささげたところの、最高神だったからに
ほかならない。
その後、ミシマに負けじと、事もあろうにゼンガクレンの、しかしミシマを崇拝してやまない一学生が、
「われはよりよき世界に生きたし」という言葉を遺して自殺している。いったい、なにがどうなっているのであろうか?〉
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
〈(中略)ともあれ、私は、ここに告白する。これらの恐るべき秘密をもってわれわれ諸外国の人間のみならず 自分たち自身をもいまなお驚嘆せしめる能力を持った一民族にたいして、そぞろ自分は羨望の念を禁じえない、と。…〉 (中略)三島をめぐる論争は、パリからローマへと飛び火した。「高度経済成長」の奇蹟として世界中の人々を 驚かせてきた日本――は、じつは「政治的には両手を断ち切られた国」(アンドレ・マルロー)であったと、 白刃によって切裂かれたヴェールごしに人々はその実像を初めて直視したのである。(中略)これはわれわれの 問題であるとともに現代史の問題そのものであることを、「イル・テンポ」紙の記事は喚起している。(中略) 現代の日本人がいかに眉をひそめようと、現実に彼らがユキオ・ミシマにおけるこの《日本的流儀》によって 魂を震撼せしめられたという事実だけは、いかんとも覆いがたいのである。 ピエール・パスカル氏も、その無数の紅毛人のなかの一人であった。だれから頼まれるでもなく、この人物は、 前述のごとく『永遠の道』一巻の最後に自作のフランス語「ハイク」と「タンカ」を添えて日本の英雄の霊を 弔っている。(略)…全ヨーロッパに向かって敗者日本の声なき慟哭を伝え、その魂魄いまだ死せずと叫んだ、 花も実もあるこの人物の義挙――どうして義挙でないことがあろうか?――を深く徳とし、その二、三首を 拙訳をもって、ここに日本人の感謝のあらわれとしたい。士道の華――それは見事にヨーロッパで咲いたのだ。 ユキオ・ミシマの墓 ピエール・パスカル いましわれいのち消ゆとも火箭(ひや)となり神の扉に刺さりてぞあらむ 獣(けだもの)の栄ゆるときは汝(な)が首を斬りてぞ擲げよ友らつづかむ この血もて龍よ目覚めよその魂魄(たま)は吠えやつづけむわが名朽つとも 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
>>322 1.は多分、3巻で本多が言ったことばです。見つかってません。
かなり「意訳」してますよ。
・・・多分これです。全然違いますね・・・。 三巻、四十二 「・・・人から見れば、本多はもっとも裕福な弁護士で、悠々たる余生をたのしむことのできる境涯におり、それも永い裁判官や弁護士生活に、ひとつとして私曲のない、公正にして晴朗な正義の保持を全うした報いであるから、誰一人羨みこそすれ非難しようのない立場にいた。」
戦後に山林の土地をもらって裕福になったくだりかな。
傑作短編「手長姫」「修学旅行」その他いくつかの名作を文庫に入れないのは何故なんだろう。
329 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/10/28(木) 15:45:19
ふむ。確かに解せんな。三島は短編の方が上手いというのに。
330 :
吾輩は名無しである :2010/10/28(木) 17:41:16
関係ないと思う。
月刊誌「Will」に持丸博夫人の三島由紀夫思い出話が載ってるね。
三島由紀夫、本名平岡公威氏は、府中市多摩霊園十区一種十三側三十二番、平岡家の墓碑の元においでになる。 …私が墓参に行くと、かつては真紅であったろうと思われる薔薇がドライフラワー状態になって手向けられてあった。 …「真紅の薔薇」には忘れ得ぬ記憶がある。 昭和四十五年十一月二十五日。 陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹された翌日、検死の済んだ御遺体が、詰めかけた人々で騒然としている御自宅に 戻られた。パテオに屹立していたアポロンの立像の脚元に三十本余りの真紅の薔薇が文字どおり放り投げられて 散乱していた。 鎌倉の御自宅から駆けつけて来られた川端康成氏が線香をあげられたあと、その光景を凝っと視ておられ 「薔薇って怖いね」と私の耳許で呟やかれた掠れ声が今も鮮明である。眼に薔薇の炎。耳に巨匠の声。―― 三島さんの交誼を頂く事になったきっかけは、私が未だ慶應義塾大学の塾生だった時である。私は幼年期から 映画に取り憑かれており、塾生でありながら、増田貴光というペンネームで書いていた「映画の友」という 月刊誌の寄稿文を映画好きの三島さんが読んで下さった事にある。その月の私のコラムは「ヴィスコンティの 美は禁色にあり」と題したもので、その時初めて手紙を頂いた。手紙の御礼に御自宅に赴いた私を、三島さんは 楽しげにもてなして下さった。(中略) 数日後三島さんから二通目の手紙が届いた。差し出し名は平岡公威となっており、その内容はざっと次のような ものだった。 「今後、君と付き合ってゆくにあたり、先生という敬称はやめて欲しい。君との友情に距離感が生じるようで 寂しいではないか――」そして文通するについての差し出し名は平岡公威にする、と書かれてあった。以来私も 三島さんへの手紙は本名の増田元臣とした。 増田元臣「美しい人間の本性」より
私が映画評論家として米国に滞在していた時、「憂国」の映画が完成したという連絡を頂き、急遽帰国した。 原作、脚本、監督、主演すべて三島さん自身の作品だった。 三島さんは私独りの為に、三島さんと親交の深かった葛井欣士郎氏の劇場で「憂国」を観せて下さった。 試写が了り私が泣き濡れた顔で廊下に出て行くと、葛井氏となにやら談笑していた三島さんが驚かれた様子で、 「ほとんどが割腹シーンで占められているこの映画で、何故そのように悲しむのか」 と訊かれたので、「この映画は三島さんのダイイング・メッセージと解釈致しましたので」と私はお応えした。 その事があって以来、私は三島さんとの数々の思い出で日々を送った。 特に、三島さんがイタリアに取材に行く時と、私がローマのチネチッタ・スタジオのフェリーニとのコンタクトの 時が一致して、私がお供をする形になった時のことである。 私達がフォロ・ロマーノの遺跡に立った時三島さんは冗談めかして、 「もし私がハドリアヌス帝だとしたら、君はアンティノウスになれるか」 と尋ねられたので、私は、 「勿論です!」 と勢い込んで即答した。 あの時の三島さんの嬉しげなお顔は、忘れる事が出来ない。 「三島由紀夫文学」については周知である。しかし、平岡公威、という美しい人間の本性は、深海の如く神秘で、 容易に理解することは出来ないだろう。 増田元臣「美しい人間の本性」より
三島由紀夫、デビュー前の書簡9通発見 [10/30] 1 :菜めし田楽φ ★:2010/10/30(土) 17:31:24 ID:???0 三島由紀夫、デビュー前の書簡9通発見 来月25日に没後40年を迎える作家の三島由紀夫が、学習院中等科・高等科の先輩、 徳川義恭(よしやす)にあてた未発表の手紙9通が、東京都内の義恭の遺族宅で見つかった。 デビュー前の三島の素顔を伝える貴重な資料だ。 早熟だった三島は学習院時代の1942年、同人誌「赤絵」を4歳年上の義恭らと創刊。 義恭は49年に早世したが、文学上の大切な先輩として交流を深めた。 43年1月31日の書簡には、義恭が「赤絵」向けに描いた挿絵を欲しいと頼み、<いつか本を 出しでもするとき(そんなことがあるもんかと思ひますが、とほい将来にあるかもしれません。 貴下はきつとお笑ひになるでせうが)これを是非つかひたいと存じます>。文学への野心を控え めに記した。 また戦況悪化で死を覚悟した三島は44年、第1小説集「花ざかりの森」の出版を急いだ。 刊行前の同6月15日は、<書物の方は順調に進捗(しんちょく)いたしをり>。 さらに<七月初旬、舞鶴海機で訓練、八月一日→九月五日まで沼津海軍工廠(こうしょう)で アルバイト>と近況を書いている。
336 :
吾輩は名無しである :2010/10/30(土) 20:37:46
Q――日本は異常な死によって先に三島由紀夫を失い、いままた川端康成を失いました。 (中略)このような死はどう映りますか? アンドレ・マルロー:現在までに、たしかに相当数の日本人作家が自決してきています(se sont tues)。 西欧では、これらの人々をさして自殺した(se sont suicides)と言っているがね。しかし、彼らは、ぜったいに 自殺したなどというものではない。自殺ではなしに自害した、すなわち武士道たけなわなりしころの死とおなじく、 意志の力によって、一死よく生をまっとうしたと見るべきだと思うのです。 三島については、これは、あまりにも偉大な現実的証というほかはありません。そこには偉大な伝統が息づき、 儀式(リット)がものをいっている。気合もろとも…(左から右へぎりぎりと腹を掻き切る身振りをして) この行為の意義は甚大と言わなければならない!(中略) 日本的自決ということには、はかり知れない大問題が秘められている。いかなる文明も、死なるものをエリートの 与件として問題化したことは他にないからです。ある流儀によってこれを問題化したものこそは、日本の 武士道であった。しかし、武士道と私はいうのであって、日本そのものとは言いません。それにしても、 なにゆえ、ある流儀と、あえていうのか? アンドレ・マルロー 1972年5月3日、マルロー邸でのインタビューより
ああ、もし人が、《死》なるものがまったく存在しないような一文明と遭遇したとしても、なんとそれは 当然の(自然的な)ことだろう! だれもが、そこでは、子供のころから、自分の自害すべき瞬間を選ばねば ならないと知っているような文明と遭遇することは……。 こういって正しいのか間違っているのか、私自身にもはっきりとは言いがたいのだが……私はね、ガス管で 自殺するよりは三島のやりかたで死ぬほうが、ずっと自分自身にふさわしい気がするんだよ。いま、「自殺」 という言葉を使ったが、これがけっきょく西欧流の自殺と同じでないことは、さっきも言ったとおりだがね…… そう言ったからといって、しかし、どっちの立場を私が擁護するわけでもないが……私には、ただ、川端の死より 三島の死のほうが身近に感じられるというだけのことです。 そんなことを言ったって、おまえたちの国ではハラキリなどしないではないか、という人もあるかもしれないが、 しかし、われわれにだって拳銃というものがあるからね。そして私の場合だったら、(ガス管やストリキニーネ よりも)やはり拳銃のほうがぴったりする。(中略) 東西の自殺の違いの問題にもどると、このような死の意味を西欧の人間――ということは、つまりヨーロッパと アメリカの両方をひっくるめた人々――が説明しようとすると、かならずキリスト教的観念から割りだしてくるので、 そうなるといっさいが自殺という言葉で処理されてしまうことになって、結局のところ、なにもわからなくなって しまうのが落ちなのです。それは、ちょうど、ヨーロッパの騎士道――これもなかなかに立派なものだったが―― について、騎士たちは自殺したというのと同じことで、的はずれと言わざるをえません。 アンドレ・マルロー 1972年5月3日、マルロー邸でのインタビューより
339 :
吾輩は名無しである :2010/11/01(月) 01:19:00
別冊太陽 充実した内容ですね。
新刊がたくさん出てるね。もう少しお値段お安くできないのかしらっ!(マツコ風 キリッ
やっぱり美智子さんが聡子なのかしらあん(美輪風
342 :
吾輩は名無しである :2010/11/01(月) 20:27:26
美輪のことには一切触れられてなくてわろた<太陽
美輪さんは三島の話しながらいつの間にか、だんだんと自分の自慢話になっていっちゃうからね。
三島の予言したように、中国にもアメリカにもロシアにも、なめられっぱなしの日本になってしまいました。
345 :
吾輩は名無しである :2010/11/01(月) 21:35:42
インドと仲良くし始めるとは三島も想像できなかったろう。
右翼マッチョホモが集うスレ
347 :
吾輩は名無しである :2010/11/01(月) 23:15:07
三島は美輪や石原の肛門にちんぽを挿入したのかな? あるいは彼等の肛門の中に射精したのだろうか? 石原に関しては三島は挿入してると思うんだよな。
なんか干からびた釣り糸ですね。
ほんと、珍しいわねー(内藤大助風
>>347 入れてるよ。そんなの想像して楽しい?
中学生?現実はもっと物凄いことしてるよ。
くだらない自演ねえ(米倉流
それにしても私は、三島について、いつも心にこう思っているんですよ。なぜ彼は、結局のところ消えさらねば ならなかったのか、と……。あのとき以来、私が自分の胸に問うていることは、こうなのです――あれは、 はたしてなにものかの、つまりほんとうに偉大で価値あるものの始まりだったのか、それともそうしたすべての 終りだったのか、と……。私自身の考えはどうかといえば、それは、なにものかの終りだったのだと思う。 しかし、それがなければ始まりが不可能であるような、そうした終りだったと思うのだよ。さまざまな偉大な 文化の歴史を例にとれば、じつにしばしばその最後はかくのごとしといった例があるものなのだ。 この点について、ロジェ・カイヨウが面白い意見をもっていてね。カイヨウによれば、日本における三島の ケースは、ヨーロッパにおけるピカソのケースと同じだというんだ。カイヨウはピカソを、ヨーロッパ絵画の 《決算者》le Liquidateur と考えていたからね。 この決算者とは、大文字でLを書く意味のそれだけれども。つまり、カイヨウは、ピカソの作品を一種の 自殺として考えていたということで、そのようにいえば、きみも、同様にしていかに三島を解釈しうるか、 わかるというものだろう。三島は必要ななにものかだった。そのことは、はっきりしている。 では、いまやそれがいかなる色合いをおびるかということになると、つぎのようにいうのがおそらく賢明であろう。 それは、日本そのものがいかなる色合いをおびるかということいかんにかかっている、と。今後、日本が、その 精神力のある種の化身に、しかもまったく思いがけない化身に行きつくということは、大いにありうることなのだ。 しかし、これについて私の考えるところはこうだ――いまから百年後に日本的精神性の与件は、現在われわれが 持っている与件のすべてをひっくるめたものとまったく似ても似つかないものとなるであろう。すなわちそれは、 まったく別の与件となることだろう、と。 アンドレ・マルロー 1975年11月24日、マルロー邸でのインタビューより
「なんぴとかが別の生のもとに生まれかわったとしても、その人間は、自分の過去世においてどういうことが 起こったかということにもはや気づかないであろう」(『豊饒の海』) ……しかし、にもかかわらず、過去世は存する。《業》によってそれが存するゆえに。いや、業と言ったのでは 日本固有の考えではないから、たとえば《ヒロイズム》と言おう。このヒロイズムこそは、別の生における あなたがた日本人のありかたというものを一変せしめたものなのだ。諸聖人の《通功(コミユニオン)》のように。 このようなヒロイズムこそは人類をある程度一変せしめたものであって、幾千年もの他の事象とともに 《輪廻転生》les reincarnations と呼ぶにふさわしいものだ。なぜなら、彼らはすべて、こう考えているからだ ――すなわち、いわゆる法燈伝なるものは、〈覚者(ブッダ)〉の群れを外にしてはこれ迷信にすぎない、と。 一個の人物が別の一人物に転生するにあらず、ただ普遍的輪廻転生があるのみ、と……。この点『マスの法典』の 意味は了然 formel といわねばならない。 いいかね、英雄的日本は、いまに、かならずや(不可避的に inevitablement)現われてくるであろう。 一個の国なるものはその魂の上に横たわっているのだから。 ところで、現在の日本は、かつて遭遇したことのない最悪の状況下に置かれている。それというのも、第二次 世界大戦の結果、貴国は、どうみてもアブノーマルとしか見えない諸々の生活条件のなかで世界最強の国の一つと なってきたからだ……。このような状態のままで、なにもかもがつづいていいというはずがない! ……アメリカ人は、話し相手は中国だと信じこんでいるが、そんな話合いは書割(デコール)にしかすぎない。 太平洋の問題とは日本なのだから。 いつの日か、いまわれわれがここで話しあっている事柄は、きっとドラマチックな形をとって現れることとなろう。 そしてそうなれば日本は、フランスがド・ゴール将軍のもとに再統合されたように、あるべき日本の真の姿の もとに再統合されることとなるだろう。 アンドレ・マルロー 1975年11月24日、マルロー邸でのインタビューより
一個の国民は、みずからのもっとも深い魂がはたしてこれでいいのかとなったあかつきには、いやおうもなく この魂の上に自己を再発見することを迫られていくものだと、私は信じている。しかるに、現在の日本が 置かれた条件が、繰りかえしていうが、根本から非道 deraisonnable なものであるというのに、どうして この日本がこのままでいいというはずがあろうか、いや、とうていそんなはずはありえないと私は思うのだ! いや、私ばかりではない、私が会ったアメリカの大統領たちをはじめ国家要人は、すべて、私とおなじ目で 問題を見ていることに変りはない。 日本は、中国が原爆を持っていなかったあいだは、ずっとアメリカと友好関係を保つことができた。しかし、 中国が原爆を持ってからというものは、あなたがたは、いままでの現実を敷き写しにして生きていくわけには いかなくなっている。そこで、どうしてもつぎのいずれかの解決を必要とする段階に立ちいたるであろう。 すなわち、この原子爆弾をアメリカからもらうか、またはその自力製造権をどこからか獲得するか、あるいはまた ソ連から原爆を入手するか、そのいずれかを必要とする岐路に立たされるだろう。 日本のような国柄の国家が、人口八億もの人間を擁し、しかも原爆によってあたながたを破壊する能力を有する 中共をまえにして、手をこまねいていることははたして可能か……。 中共が原爆を持った以上、日本もそれを持たずにはいられなくなる。持つべきか否かと自問した結果、持たない ということが不可能になってくる……。 いずれにせよ、なにがどうなろうとも、日本という国は『このままでけっこう』というような国ではあるまいと 私は見ています。 アンドレ・マルロー 1975年11月24日、マルロー邸でのインタビューより
355 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/02(火) 17:59:04
おいチワワ、コピペを貼るなw
チワワさん、三島の「全作品の中で一作だけ選べ」、といわれたら 何を選びます? 作品の良し悪しや評価ではなく、ご自分の純粋な好みで選んでください。 (小説、戯曲、評論どれでもOK)
357 :
(o`.´o)materialist :2010/11/02(火) 22:10:36
356 未央子で消火ねぇ〜(笑) ご自分で探して呼んでみては〜(笑)
358 :
吾輩は名無しである :2010/11/03(水) 00:20:40
また美輪明宏が三島に青年将校の霊が憑いてて、その霊が二人を会わせないようにして その後死んだとか言ってた。 しかも奥さんがそういうの信じなくてお祓いを受けさせなかった、だとさ。
>>356 個人的な好みなら、小説で一番好きなのは「純白の夜」か「不実な洋傘」ですね。
なんとも言えない切なさでウルッとなりました。
戯曲は「わが友ヒットラー」と「黒蜥蜴」が面白くてセリフも好きです。
、
評論は「日本の歴史と文化と伝統に立つて」と「踊り」が一番読みながら感心して感動しましたね。
一つ選ぶのは難しい…「純白の夜」か「踊り」か、どっちかかなぁ。
あなたの好きなのは何でしょうか?
>>358 嘘っぽいね(笑)
本当に霊を祓いたければ、そんな奥さんを説得してでも祓えばよかったのに。
笑っちゃうよ(ジローラモ風
>>359 ありがとう。
私はー自分で質問しておいて何ですが迷いますね。
一作だけ、やはり「午後の曳航」です。
「真夏の死」とどちらにしようかと迷いましたが午後に軍配をあげました。
(海が背景となると、どうしようもなく惹かれます。)
「不実な洋傘」傘が出てくる話となると・・・あれだな?ニヤw
戯曲は「わが友ヒットラー」は私の中でもベスト5に入ります。
また三島の戯曲には珍しい哀しいまでにリアルな「若人よ蘇れ」も大好きです。
362 :
吾輩は名無しである :2010/11/03(水) 05:32:37
獣の戯れ>午後の曳航だな。おれは。 伊豆の海の暗さ>横浜の海の輝かしさって感じだろうか。
363 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/03(水) 21:29:41
やたら作品名を挙げている割には、突っ込んで論考しないな。チワワの自演、破れたりw
メドベージェフとセックスしたい
日本海側と太平洋側なら、三島の小説はやはり太平洋側向きだと・・・・・
>>363 自演じゃありませんよ。あんたじゃあるまいし。
誤認お疲れでっすね〜(ジローラモ風
368 :
361 :2010/11/04(木) 00:59:18
ただ好みを語るのに「論考」なんぞ必要なし。
馬鹿なコテがいるね。
>>367 もうひとつだけ質問していいですか?
どうしても好きになれない、つまらない、期待外れだった、という
三島作品はありますか?
(なければ返信してくれなくていいですよ。)
>>368 期待はずれというか、たったの3ページしかない「青いどてら」って短編が、あまりに短すぎて、
話がそこから始まるのかと思ったところであっさり終わっていたので、「あれ?」と思いましたね。
370 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/04(木) 13:35:40
ここは文学板だろう。書籍板でもあるまいし、論考ぐらいしないとスレ違いになってしまっても不思議ではない。しかもチワワの連投荒らしの後だろ。 そもそもチワワは好き嫌いという基準でしか考えられないからなw
371 :
吾輩は名無しである :2010/11/06(土) 01:34:04
いきなりですが! サマセットモームの人間の絆って、三島の金閣寺と関係ありますか なんかどっちにもドモリとビッコが出てくるらしいですけど!
372 :
吾輩は名無しである :2010/11/06(土) 01:35:56
12 名無しさん@十一周年 sage New! 2010/11/06(土) 00:03:22 ID:aBIo4D3l0 ★★★写 っ て な い 部 分 は ★★★ 海保船舶が横付け。 海保職員が乗り込む。 その後、中国船舶が突如離船。 取り残された海保職員が中国人船員に飛び蹴りされて中国船舶から 海中に突き落とされる。 海に落ちた海保職員を潰すように、中国船舶が進路変更。 海保職員が必死に泳いで逃げるのを 執 拗 に 銛 で 突 き 殺 そ う と す る 中 国 人 船 員。 海保船舶が海保職員を救出するため停船し救助に乗り出す。 その後ろから中国漁船が溺れる海保職員に乗り上げ、 海保職員が海の中に 沈んで見えなくなる。 その後、浮かび上がった海保職員は海保船舶に後部から担ぎ上げられる。 這い上がる海保職員めがけて数秒後に漁船が全速力で海保船舶の後部から 衝突し、 海保側の船体が大破
(<●><●>)
ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQとは? 自分の失態で本名が木村朋史、住所が神奈川県厚木市ってこと晒したアホでも有名でやんす またまた仕事辞めて母親の年金で暮らす36歳のおっさんニートでやんす リアルな世界では誰ひとり友達のいないネット依存症のガチのメンヘラでやんす 自宅に放火して警察のお世話になったこともあるのでやんす という他板で知られてる記述をこのスレのみなしゃんに報告しといたでやんす
>>371 I don't know♪(Babe風
376 :
吾輩は名無しである :2010/11/07(日) 01:56:15
木村朋史w
377 :
吾輩は名無しである :2010/11/07(日) 02:00:54
俺は木村じゃないよ。
5 名前:ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ投稿日:2010/05/24(月) 10:07:35 ID:xfCedmHK 【性別】男 【年齢】37 【職業】派遣工 【住んでるとこ】神奈川 【メアド(捨てアド推奨)】roc4life (at) ドコモ.ne.jp 【好きな洋楽】D'Angelo、Maxwell、Jay-Z、Ghostface Killah、Jadakiss、Fabolous、 Cam'Ron、Just Blaze、Kanye West、Juelz SantanaとかのR&B/Hip Hop 【こんなステディが欲しい!】色白・黒髪・スリムで若い子(18〜24くらい)。音楽の 趣味は合わなくてもいいです 【一言】月収は20万くらい。持ち家です
俺は月収20万もねえんだよ!ふざけんな!!
親の年金20万近くふんだくってんのか?
382 :
吾輩は名無しである :2010/11/07(日) 13:52:58
383 :
吾輩は名無しである :2010/11/07(日) 14:07:55
384 :
吾輩は名無しである :2010/11/08(月) 17:08:25
●三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼四十年祭「野分祭」● 11月24日(水)午後7時より 花園神社(新宿) 野分祭のあと、荒谷卓先生(至誠館館長)による記念講演 「神道と武士道の現代的意義」が行われます。 お問い合わせは「野分祭実行委員会」へ TEL03(3364)2015
一日ずらしてるのはなんなんだ? お祭りと例祭日の関係かな。
386 :
吾輩は名無しである :2010/11/08(月) 18:00:49
ワレ ナガメセバ コノ 悪意ノ者 ナニヒトツ 反省セズ 同ジ 悪ヲ 延々継続ス モシコノ人物ヲ誅伐シ梟首ミズニ、イカニ悪魔ヲ晒セヨウ。人カツテ天ニカワリ 悪人ヲ斬首ス。コレ天罰ノ意ナリ 刑法ノ手モシ看過セバ我天ニカワリテ悪魔ノ一族郎党ヲ厳罰ス。地上ニ悪ノ跋扈ヲ寸分モ許スベカラジ 土ニカエシ、一切ヲ天ノ因果報ジル儘ニスベシ。一切ノ因果コレ自業自得ナリキ
387 :
吾輩は名無しである :2010/11/08(月) 19:38:02
没後四十年
「憂国忌」
とき 11月25日 午後五時(四時開場)
ところ 九段下 「九段会館」大ホール
式次第 鎮魂祭(祭主 松本徹。乃木神社宮司による)
第二部シンポジウム「日本はどこまで堕落するのか」
井尻千男、遠藤浩一、桶谷秀昭、西尾幹二
会場分担金 おひとり千円(記念冊子を差し上げます)
三島由紀夫氏没後40周年 憂国忌墓前奉告祭のお知らせ
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
日程 平成22年11月28日(日)
集合 午後1時
多摩霊園正門前「よしの屋」
府中市紅葉丘2−7−4 042−361−2176
地図
http://www.yoshinoyasekizai.com/info/map.html 当日はスタッフが「よしの屋」の前で「憂国忌墓前奉告祭集合場所」と書いた紙を持って立っています。直接行かれる方は、多摩霊園10区1種13側 三島先生のお墓に 1時10分までに直行してください。
墓石は本名である「平岡家之墓」となっておりますのでご注意ください。多摩霊園管理事務所で三島由紀夫のお墓とお尋ねいただければ、地図とともに場所を教えてもらえます。
直会 奉告祭終了後、上記「よしの屋」にて
二次会 希望者のみ近辺の居酒屋を予定しています
****************************************
弊会編集の『憂国忌の四十年』(並木書房)
11月初旬発売、定価1890円
三島由紀夫の再来あらわれないかなあ
389 :
吾輩は名無しである :2010/11/08(月) 20:24:37
鳥肌がいる
野島伸司がいる
391 :
吾輩は名無しである :2010/11/08(月) 21:30:21
雲を突き抜け星になる
392 :
吾輩は名無しである :2010/11/08(月) 21:32:15
悪を倒せと俺を呼ぶ
393 :
吾輩は名無しである :2010/11/08(月) 21:33:22
鼻くそ丸めて萬金丹
三島は大江や筒井を読んだことあるのですか?
395 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 00:14:33
海は死にますか
>>394 大江は当然読んでいる。対談したこともあるし、
「万延元年のフットボール」が谷崎賞を受賞したとき、
三島は選考委員の一人で(安部公房「友達」と同時受賞)、
「いい作品を2つ選ぶことができて喜ばしい」みたいな
選評を書いたりしている。「個人的な体験」についても、
これは選評だったか、単なる書評だったか忘れたが、
一応賞めている。
「あいつのは下品だ」とか、否定的な発言も色々あるが。
筒井はどうか知らん。読んでないんじゃないかなあ。
ありがとうございます。自分でも調べたら「大江はノーベル賞とる」とまで発言してるんですね。 SF好きだったみたいだから、筒井も読んでそうだと思ったのですが… 江戸川乱歩はどう評価してるのでしょう?乱歩に筒井は認められたようですが。
398 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 06:09:25
蜷川幸雄がサド侯爵とヒトラーを演出するらしいね。 文化勲章受賞後の初仕事としては腕のみせどころだ。
三島が松の木を知らなくて一緒に歩いていた文芸評論家(だったかな?)から驚かれたってホントですか?
400 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 08:30:06
「松の木ばかりが松じゃない」って歌が昔あったんだなw 綺麗な二宮ゆき子姐さんが歌ってた「まつのき小唄」のことで、 150万枚の大ヒットだったんだぞw
>>397 江戸川乱歩好きだったようですよ。黒蜥蜴を戯曲にしているし、乱歩と対談もしています。
>>399 それはドナルド・キーンの勘違いのエピソードですね。種類を訊ねていたのを、松自体を知らないのかと勘違いしたようです。
三島由紀夫の家や学習院には松があり、幼い頃の詩などに松が出てきてますよ。
>>397 その発言は誰にどこでしたのか、はっきりしてませんね。
三島自身の記述のなかにはありませんし。
「大江くんは、将来時代遅れになり、若者から全く見向きもされなくなったとき、いい小説を書くだろう」
みたいな予言は中村光夫との対談でしてますね。
三島が映画「ゴジラ」を好意的に評価したって話は本当ですか? それと、三島ってどんな映画がお好きだったのでしょうか。
>>402 猪瀬の三島本くらい読めやバカが
俺はそれ読んだとき、今更かよ、ておもたくらいだ
三島自身の記述のなかにないと何も信じない←最悪の思考停止w
「私も二、三年すれば四十歳で、そろそろ生涯の計画を立てるべきときが来た。 芥川龍之介より長生きをしたと思へば、いい気持だが、もうこうなつたら、 しやにむに長生きをしなければならない。古来の人間の平均寿命は、青銅時代は十八歳、 ローマ時代でさへ二十二歳だつたさうで、その頃の天国は美しい若人であふれていたらうが、 このごろの天国の景色はさぞ醜悪だらう。 人間、四十六歳になれば、もう美しく死ぬ夢は絶望的で、 どんな死に方をしたつて醜悪なだけである。それなら、もう、しやにむに生きるほかない」 (昭和37年6月、PR誌『風景』6月号)w
昭和40年9月、三島は瑤子を伴って世界一周旅行に出かける。 『豊饒の海』の取材を兼ねた旅行でもあった。旅行の最中、 三島はパリからストックホルムへ向かった。特別の用事があるわけではなかった。 ただ単純に、ノーベル賞が授与される場所を眺めておきたかっただけらしかった。 三島はノーベル賞を渇望していた。 9月25日の朝日新聞夕刊に三島が他の90人ほどの作家たちとともに ノーベル賞の有力候補になっていると報じていた。しかし、結局受賞したのは ロシア人の作家だった。 ノーベル賞を受賞できなかったことに三島は失望した。 そしてまた、それでもなおノーベル賞を飢渇しつづけたのだった。 三島は自分の作品の翻訳者であるジョン・ネイスンを高く評価していた。 (続く)
昭和39年2月、ジョン・ネイスンが『午後の曳航』の第1章の試験的訳が クノップ社に認められ、三島の英訳者に決まった。契約の祝いとして ホテル・オークラにジョン・ネイスンを招待した。昭和39年9月の三島のパーティにも 招待されている。 三島はネイスンに「われわれは意気投合した」といい、次の小説を翻訳するだけでなく 自分の正式の翻訳者になってノーベル賞を取る手助けをするという約束をしてくれないか と三島は氏に申し出た。 ジョン・ネイスンは最初、おおいに乗り気であったが、 『絹と明察』の翻訳に取りかかったところ、翻訳の熱意を持つことができない、 という心境になった。この小説に対してどうしてもそういう気持ちになってしまうのだった。 すぐに三島のところへ行き、感じたままを話すべきではあったが、 そのときのネイスンにはそうする勇気がなかった。 (続く)
そんな折、外国旅行をしている三島からジョン・ネイスンに手紙が届いた。 ジョン・ネイスンが翻訳した「午後の曳航」の評判のよさなどが書かれていたが、 手紙の後半には、ニューヨークのホテルに大江がいて、彼と楽しく談話や買い物をした、 とあった。偶然の一致だった。この手紙は、氏をよろこばすつもりで書いているのだろうが、 罪悪感でいっぱいにした。三島が帰国したらはやく訪ねていき、すべてを話そうと決心した。 このとき、ネイスンはすでに「個人的な体験」を翻訳することを契約し、 原稿に取りかかっていた。 11月半ば、ジョン・ネイスンは三島に会いにいった。旅行の話などをするが、 空気が神経質になっているのに三島は気づいた。なかなか告白の機会をつかめずにいた。 三島はバルコニーに出ることをすすめ、双眼鏡をすすめ、三島も双眼鏡をつけ、 ふたりともに眼をレンズにつけそのまま離さないで会話がなされた。 「絹と明察」を二度読んだが、翻訳する気になれない、自信がない、 と三島に気持ちを正直に打ち明けた。三島は「自信が持てないことはやらないのが賢明だね、 話してくれてありがとう」と答えた。その夜、ジョン・ネイスンは不決断と不正直の罪悪に 苦しめられた。もう三島の本を翻訳したくないと、ただちに告げる勇気を持つべきだったと。 その後、三島からの音沙汰はなかった。氏は三島からきっぱり絶縁された。 自分がただ三島をしりぞけた(三島の観点からすれば)だけではない、 三島が好敵手と認めていた大江健三郎に見返るかたちで三島をしりぞけてしまったためである。 三島はその後、氏のことを「左翼に誘惑された与太者」とある一群の作家にいった。 三島の心の底には、大江に対する感情もかなり流れ込んでいたのだった。 そしてこのころから、「国粋主義」が急速に三島を蔽いはじめるのだった。 (続く)
>>404 猪瀬の本は読んでるけど、その発言がどこで誰に言ったことまで全く触れてないよ。
猪瀬だって所詮は、自分で取材したものだけじゃなく、真偽の不明な関連本から鵜呑みした部分もあるし、
推理混じりで、間違えてた推理もありますよ。猪瀬が言ってるから、本当に三島の発言とは限らないからね。
三島自身の記述のなかにないと何も信じない←最悪の思考停止w
村松剛の「三島由紀夫の世界」でもこの三島とネイスンの訣別のことが書かれている。 村松は、「絹と明察」のような日本回帰(この小説の裏のテーマは天皇制)を描いた小説を ネイスンは気に食わなかったのだろう、と。 それとはべつに、「翻訳の依頼を引き受けてから九ヶ月も経って断りを入れるのは非常識だ」 と村松はネイスンを批判し、「このときをさかいにネイスンと三島とのつきあいが絶たれ、 ネイスンは三島の死後、棘の多い三島論を出版する」と書いている。 村松の「三島由紀夫の世界」を読むと、全体的にネイスンの説について村松は冷たい態度を取っている。村松はネイスンのことが嫌いなのだろう。とはいえ、たしかにネイスンの「三島由紀夫・ある評伝」 を読めば、評伝とはいえ、ここまでばっさり斬りつけてくるように書いていいものだろうか と思われるくらい三島に対してキツイことをいっているところが多々ある。 「金閣寺」までの成功は良かったが、以降の三島は明らかに運気が傾いた。 「絹と明察」の売り上げは15000部、三ヵ月後に3000部増刷してそれきりだった。 批評家に冷遇された「鏡子の家」でさえも15万部なのだから致命的な落差であった。 「美しい星」が2万部。書き下ろしの小説「午後の曳航」も5万部だった。 このころ、戦後世代の旗手として大江健三郎が学生たちに人気を博しており、 文壇では小島信夫の「抱擁家族」が評判だった。大江は左翼寄りの作家であり、 「抱擁家族」は家族が解体していき根無し草となる哀れな家長のリアリティが評され、 日本回帰、天皇を示唆した小説「絹と明察」はまったく思想が反対の両者によって 皮肉にも挟み撃ちになり、消え去っていった。 (「ペルソナ」猪瀬直樹)
>>408 それは間違え。
三島の国粋思想はもっともっと前からあったのは、今や二十代前半の林房雄への手紙や学習院同級生への手紙で明らかですから。
ずいぶんと古くさい昔のブサヨの恣意レベルの引っ張りだしても、今やそんなもの通用しませんよ。
> 古来の人間の平均寿命は、青銅時代は十八歳、 > ローマ時代でさへ二十二歳だつたさうで、 バカなの?
>>410 三島の記述や録音がなく、同時に多数がその場にいて聞いたものでない限り、
正確な「三島の予言」とは言えないのは当たり前。
あんたは論理思考のできないバカですか?
猪瀬がその本を出した時は、まだ猪瀬は三島の若い頃の手紙を見てないから、間違った推理してますよ。 2000年以降に猪瀬が書いたものには、自分の間違えた推理を訂正補正してますよ。残念でした。
>>403 本当だと思いますよ。映画雑誌か何かにゴジラを褒めた記事があるらしいです。
三島の映画評は「黒いオルフェ」とか絶賛してますね。「三島由紀夫の映画論集成」には他にも様々評論が載ってました。
>>412 >ずいぶんと古くさい昔のブサヨの恣意レベルの引っ張りだしても、今やそんなもの通用しませんよ。
>>415 >猪瀬がその本を出した時は、・・・
この書き手(猪瀬を引用した人)は少なくとも三島を正確にとらえようとしています。
三島の不可解なところはそのままに受けとめ、全体として三島をたたえています。
若いころの手紙の件なんて常識です。あなたこそ残念でした。
どうやら、三島を読みかじった初心者が、2チャンでイラつきながら熱を吹いてるようです。
なけなしの知識を披露してあてこすりたい小学生の心理が丸出しでみっともない。
あなた、レベル低すぎます。
>>417 急に国粋思想になったとか言ってる時点で、正確にとらえてませんから。残念でした。
419 :
404 :2010/11/09(火) 15:23:28
>>409 だから猪瀬kのは今更だといったろ
ちゃんとよめバカ
週刊誌の取材に三島がこたえたの
そんなことも知らんわけ?
そうとう有名な話なんだが
>>419 そんな漠然と言ってもわかりませんよ。
その発言がどの週刊誌の何年何月号に載った発言なのか明記しなきゃ本当かどうか不明レベルだからね。
421 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 15:34:42
>>418 日本語読めないバカですね
もともと三島がその洗礼を受けてるなんて自明でしょ
急に国粋思想になったなんてどこにも書いてません。
それにしてもあなた、同じ三島読者に、どうしてそんなに
敵愾心剥き出しなんですか
答えてください
同じ三島読者に、どうしてそんなに
敵愾心剥き出しなの?
ねえ、どうしてだと思いますか?
逃げずに堂々と答えてくださいね。
422 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 15:35:22
文学界での横尾忠則と3人の作家たちの対談よんで、 なんか若い作家たちのほうが解釈が重苦しい古臭い感じだった。 実存主義的っていうかなんというか。 対して横尾忠則の解釈は若々しい感じ。三島の作品や行動を遊戯としてとらえている。 それともいまの若い作家には、重苦しい生真面目さへの回帰があるのかな。 生きにくさの問題とかなんとか。 なんにしても平野の三島解釈ってほんと面白くないw 三島の解釈でいちばん自分にしっくりくるのは、丹生谷貴志かな。
>>422 丹生谷の本読んだことあるけど、タイトルに三島由紀夫って付いてるだけで、ほとんど三島については語ってなかったよ。
つまんない持論を書くための、ダシに使われてただけでした。
424 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 15:46:17
チワワ答えろw
425 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/09(火) 15:49:06
おい、チワワ。
>>424 あんたが
>>420 に答えなよ。週刊誌の正式な取材記事でそんなに有名なものなら、三島由紀夫全集決定版に載るはずだからね。
427 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 15:54:27
チワワの思考停止と堂々巡り
>>422 横尾忠則の解釈自体が古くさいんじゃないの? そういうサブカルじみた解釈するのが若々しいとか勘違いしてること自体が古くさい。
かりにそれが風説のたぐいとしも ずっと前からあって、三島が否定していないのはたしか 記者のでっち上げとしてもだよ ・・・ああ、大江が座談で話題にしてたな
431 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/09(火) 16:31:32
これはチワワに同意。横尾は単なる取巻きの一人だしな。
>>430 大江健三郎のことは文学者として一応評価していたから、あえて目くじら立てて打ち消すこともないと思ったのかもよ。
433 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 16:43:44
>>429 いや横尾忠則の解釈が新しいというのでなく、芸術家としての若さを感じるってこと。
そして平野らの若手の解釈が妙にジジ臭いって感じたってこと。
まあ反動なんだろな。サブカルとかポストモダンとかに対する。
434 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 16:59:03
その同じ文学界には、文学界新人賞の作品がのっていたが、 あれはもうなんと表現したらいいのか・・・・ サブカルともポストモダンとも違う、まあ東浩紀のいう「動物化」なんだろな。 平野いわく、いまの若者はもう三島をあまり読まなくなっているそうだ。
>>401 あ、そうなんですか。
でも、そのあと「あれが犬だよ」とからかったら、三島が「それくらい僕でも知っている」っていうようなやり取りがあったと、
どこかで読んだ気がしたのですが……。
436 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 17:03:26
>>434 横尾HPにも載ってたけどそれって平野発の話だったんだ。
437 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 17:12:51
田中慎弥が地元の高校生に講義したとき、 三島由紀夫がどんな死に方をしたかを彼らがしらなかったという話を受けて、 平野が三島はもう読まれなくなってきているし、しらない若者も多くなってきているって。
438 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 17:22:42
>>437 教科書に載ってたとしても、
学校の先生もさりげなくスルーしてるのかな。
チワワみたいなやつがいるからさ
440 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 17:37:55
三島ってそもそも教科書に載ったことあるの? おれは少なくともみたことないな。 何が載るんだろ。政治的正しさを配慮して、なかなかどの作品も載せにくい気がする。 安部公房の赤い繭ってのが載ってた記憶あるが、 作者は何か言いたいんでしょうって、分かるかよw
チワワ、接客と営業を学べ
安部の「詩人の生涯」よかった べつに難しくはない 詩の領域だから何がいいたいかも何も・・・
444 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 17:45:37
山口県。田中慎弥は。
>>440 三島由紀夫の潮騒すら教科書になかったね。
>>440 教科書に作品は載ってなかったけれど、まんが日本史には三島由紀夫の事件が載ってたよ。
447 :
吾輩は名無しである :2010/11/09(火) 17:54:01
それでも受験参考書とか大学入試にはよくでるんだよな。 むかし大阪大学の文学部の入試で「詩を書く少年」が出されていたの記憶している。 あと現代文の参考書で「遠乗会」が。
英語のスピーチの腕前は、ドナルド・キーンはその実力をたいしたものだと評価している。 「英語をしゃべるとき、ふつうの日本人は間違ったことを言うんじゃないか、 完璧な英語を言おうと声を落とすものですが、三島さんは大きい声ではっきり話しました。 相手が首をかしげると、ますます声を張り上げました」 三島のスピーチをヘンリー・スコット・ストークスもきいたことがあるが、 ヘンリーは英語よりも三島の短足に目がいってしまう、というのだった。 常に自分を嗤うゆとりのあった三島だが、この短足だけは一度もジョークに したことがなかった。
「午後の曳航」の批評のなかには、この小説に不気味なものを読み取る作家たちが何人かいた。 日沼倫太郎は「いままで三島氏がたえて私たちに見せてくれなかった素顔の苦渋のようなもの、 精神の晦渋さのようなものを、ある程度かいまみせてくれている作品」といい、 「『午後の曳航』は、三島氏の青春の完璧な死とともに訪れた(中略)。 そこからのあたらしい旅立ちといった事態の困難さを予想させる作品である」と述べている。 詩人の高橋睦郎は、「この作品の主人公は少年たちだということがよくわかる。 小説家三島由紀夫の死は、少年平岡公威が大人の三島由紀夫を罰した刑罰だった という気さえしてくる」 高見順は「いま、三島君は危機の状態にある」とずばりいっている。
この小説は、海の英雄として少年は航海士を尊敬していたのに、 家庭に治まろうとするその卑小な態度に少年はひどく失望し、 航海士を殺害しようとする、と一部を語ればそういう内容である。 三島は自決の年に、家庭というものに吐き気がするほど嫌悪を 感じていることを友人の村松剛に語る。 安穏でなまあたたかい平和を唾棄するようになる。文人は矮小で卑怯である、 そんな自分がいやでたまらない。だから文人ではなく自分は武人として生きたい と三島は言い出すのである。いうまでもなく文人とは三島にとって家庭であり、 海の英雄がすなわち武人であり、 3人の作家は「午後の曳航」からその予兆を見出したのである。
三島の人気は昭和30年代に到達した頂点から急速に傾いていった。 『午後の曳航』の前年に書かれた『美しい星』はこれまでに書いた どの作品よりも売行きが悪く、2万部弱だった。 昭和39年、努力を傾けた作品『絹と明察』も同様に不発だった。 1960年代から三島の小説は余り売れなくなった。 1950年代までは20万部売れたのに、2万部、3万部しか売れないようになった。 欧米での三島の評価は高まっているというのに 日本での価値は下落していくという逆の減少が起こってきたのである。 こうした不発の原因は、三島が大学生および新卒業者の間の読者層を 安部公房、石原慎太郎、大江健三郎といった作家たちに奪われたこと にあったらしい。 だが、三島の「マイナー・ワーク」は、主要な読者が家庭の主婦であったために、 依然人気が衰えなかった。昭和39年までに、150冊の著書によって およそ2500万円近くの収入を得ていた。
しかし、三島は自分が望む読者をひきつけず、それを知っていた三島は ひどく傷つけられていた。
>>453 三島自身の心中を推測するのに、断定口調を使ってる時点で、強引に自分の恣意を押し付けてる駄本の類いですね。
なんで出典名や著者を明記しないのか意味不明です。
>>453 それに三島由紀夫は「望む読者」なんて、そこまで限定してないと思うけどね。ブサヨじゃあるまいし。
文学になんか社会を変える力がないことは、三島はもっと前から気づいてるし、
三島作品はエンタメ性も重視したもので、もとから別に学生限定じゃないよ。
何か
>>402 の、三島の予言がやたらと、気にさわった方がいたようだね。
小説家の一面は、三島由紀夫の多才な活動の一部にしかすぎない。
公威は昭和6年、学習院初等科に入学する。 学校での最初の6年間はおおむね悲惨だった。 自分以外の生徒が華族出身で、自分はその出自ではないというところから すでに仲間から外れていた。 もうひとつの問題としては、公威はひ弱な、気の小さい、 女の子みたいな少年だったので、当然いじめの的にされた。 アオビョウタンというあだ名がすぐにつけられ、クラスの味噌っかす扱いされた。 夏子の過保護が余計に公威を孤独にさせた。 病弱と周期性の肺門淋巴腺炎が、公威をしょっちゅう襲い、 一年生の間はよく休んでいた。夏子は公威の健康のためにと、 やわらかい白身魚しか食べさせなかった。だから学校の食堂では食べられなかった。 4年生になるまでは遠足も禁じられた。
生まれたときのことを覚えているという三島の「仮面の告白」について、 佐伯彰一が次のように解釈している。 『「仮面の告白」を伝記の材料として読むのは、じつの所、危っかしい作業である。 断るまでもないことながら、これは小説であって、自伝ではなかった。 「永いあいだ、私は自分が生まれたときの自分が生まれたときの光景を見たことがある と言い張っていた」と冒頭の一文は、象徴的、予兆的であって、 あくまで「言い張」ろうとする、「私」の自己主張がまず押し立てられている。 それを言い出すたびに大人たちは笑い」と書き続けられているのだが、「 私」の自己主張、「私」の提出する自己イメージは、はじめから「大人たち」、 世の読者に対する挑戦という意図を含んでいた。 「自分が生まれたときの光景を見たことがある」という、ありそうもない挿話は、 いってみれば、この「私」における創造神話で、これを敢えて小説の冒頭にすえた作者のねらいは、 「私」の総体的な神話化にあったといっていいだろう。 「産湯を使わされた盥のふちのところ」に、「ほんのりと光りがさして、いた」 ・・・「盥のゆらめく光の縁」が「たしかに私の見た私自身の産湯の時のものとして、 記憶のなかに揺曳した」というのは、生れたての赤ん坊の「私」に、 早くも一種の背光をあたえようとする自己聖化の意志の露頭にほかなるまい。』 (佐伯彰一「評伝三島由紀夫」)
>>458 > 自分以外の生徒が華族出身で、自分はその出自ではないというところから
> すでに仲間から外れていた。
それは明らかに間違いですね。奥野の本の間違いは今や論証されてますよ。
実際には、三島の通ってたときは、すでに華族の子息の方が少なかったという事実が出てますよ。
学習院に行って調べた人の本に書いてあります。
>>459 それは創作じゃなく事実ですよ。
三島由紀夫の幼なじみが、子供のときにその話を自分と他の同級生も聞かされたと証言してます。
三島はまだ戦争が終わる前、『文芸』の編集をしている野田宇太郎のところへ 中篇小説を持ち込んだ。野田は三島にたいへんな才能の持ち主だと感じたが、 一方では三島の悪しきナルシズムが気になっていた。 野田は、志賀(直哉)文学の立場とは全く逆の、大いにロマンチックな野放図な 夢をむさぼった小説を書いてみてはどうかと励ました。 野田は三島の文学に対する熱意に感激したが終戦直後の海軍工廠の寮で書いた 『岬にての物語』には野田は失望した。 「私が三島君に期待をかけたロマンティシズムのかげはうすれ、 むしろ達者な文壇小説という印象を受けた・・・(中略)・・・ 君はいったい文壇の流行作家になりたいのか、 それとも自分の文学を自分の手で築きたいのか、と詰問するように私がいうと、 その答えは、有名な流行作家ですといたって明瞭だった」 これを機会に三島は野田宇太郎から遠ざかる。しかしある日、 三島は手土産を持って野田の家に行った。川端康成への紹介状をほしいと切り出した。 野田は、「もう私の利用価値も底が見えたのだろう」そう思っていた矢先の依頼だった。 しかし「川端さんをわずらわしてはと思ったが、文学上のことだからと思いなおし」て、 丁重な紹介文を名刺に書いて三島に渡した。 付き合う価値のない者を相手にしない三島の態度は野田に敵意を抱かせた。
三島は自分の“ダンス好き”をいつもいっていた。 昭和40年ごろにジョン・ネイスンは三島のダンスをみたことがある。 そのときの三島はモンキーダンスやゴーゴーを「我を忘れる」ほどに 踊っていたという。しかし、その表情はおそろしいくらいに生真面目にみえ、 ダンスは好きなのだろうが、ダンス自体はまったくヘタクソで、 拍子に合わないうえに三島はまったくの音痴だった。
「O君(奥野健男)は、私が太宰治を軽蔑せずに、もっとよく親切に読むべきことを忠告する。 私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。 第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎物のハイカラ趣味がきらいだ。 第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。 (略)私とて作家にとつては、弱点だけが最大の強みとなることぐらい知っている。 しかし弱点をそのまま強みへもってゆこうとするその操作は、私には自己欺瞞のように思われる。 どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。 ましてそれを人に押しつけるにいたっては!太宰のもっていた性格的欠陥は、少くともその半分が、 冷水摩擦や器械體操や規則的な生活で治される筈だった。 生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、 治りたがらない病人などには病人の資格がない。(略)動物の世界で、弱いライオンの方が 強いライオンよりも美しく見えたりなどということがあるだろうか。 強さは弱さよりも佳く、鞏固な意志は優柔不断よりも佳く、獨立不羈は甘えよりも佳く、 征服者は道化よりも佳い。太宰の文學に接するたびに、その不具者のような弱々しい文体に 接するたびに、私の感じるのは強大な世俗的徳目に対してすぐ受難の表情をうかべてみせた この男の狡猾さである。(略)被害妄想というものは、的の強大さに対する想像力を、 強めるどころか却って弱めるのだ。想像力を鼓舞するには直視せねばならない。 彼の被害妄想は、目前の岩を化物に見せた。だからそいつに頭をぶつければ消えて失くなるものと 思って頭をぶつけ、却って自分の頭を砕いてしまった」 (三島由紀夫「小説家の休暇」6月30日(木)の日記)
朝日新聞関係者が作った三島批判の寄せ集めて捏造したサイトのコピペを貼ることしかできないチープなバカアンチ。
安藤武「三島由紀夫の生涯」によると、「仮面の告白」を書いているころ、 三島は「どうして俺は女にもてないのだろう」と悩んでいたという。 三島といえば同性愛の評判が有名だが、このことについては、安易に決めつけられない。 三島は多くの女性と交際しているし、また女性との付き合いを積極的に求めていた面もある。 同性愛には3種類あり、異性はまったく性的関心の対象とはならず、 むしろ嫌悪感を持つ真性同性愛者。同性にも異性にも行動ができる仮性同性愛者。 本質的には異性愛なのだが異性が求められず、一時的に異性の代用として同性を求める人である。 すくなくとも三島は真性のタイプではなかったようである。 村松剛が「三島由紀夫の世界」で同性愛を否定しているが、 瑤子夫人が書かれては困ると村松に圧力をかけたため、 初恋の女性を中心に三島論を展開しなくてはならない苦汁があった。 もちろん三島の名誉のこと、三島への友情のことも慮ってのことでもあろう。 奥野健男も「三島由紀夫伝説」第二部で同性愛と祖父と被差別部落の関係を書く予定であったが、 一部分しか発表できなかった。
>>466 何の証拠もなく、奥さんが村松に圧力かけてたと決めつけてる時点で、いい加減丸出し。
私はアンチではありません。ふつうの三島ファンとして資料を紹介しているだけです。 どうしてそんなに目くじら立てるんですか。 もう一度聞きます。同じ三島読者に、 どうしてそんなに敵愾心剥き出しなんですか? 答えてください 同じ三島読者に、どうしてそんなに 敵愾心剥き出しなの? ねえ、どうしてだと思いますか?
チワワの異常性格
>>468 その資料の間違いやいい加減なところを指摘してるだけですよ。
本当の三島読者なら、そんな古くさい間違いだらけの資料を指摘するのが当たり前たし。
これは? 「三島由紀夫はぼくたちと会う度、三十過ぎての自殺は醜悪だ、 四十歳で心中した太宰治などを全く見るに耐えないと、 何度も繰り返し語っていたが、自分自身が四十五歳になって、 割腹自殺を遂げた。そこにも太宰治を意識し、 心中などの女々しさとは別の男々しい割腹自殺を遂げたと言いたくなるところもある。 しかも晩年二人とも、<家庭の幸福は諸悪の本>と言う心境にあり、 戦後太宰治も天皇陛下万歳を叫ぶところなど奇妙に共通し、 しかも正反対の自殺の形式も日本古来の伝統である心中と 切腹であることも皮肉である。」 (「三島由紀夫伝説」奥野健男)
> 古くさい間違いだらけの資料 は、オーバーというものです。 いくらなんでも、可笑しいですよ。 あなたが気に入らないからって そこまできめつける資格はないでしょう。 私は、裸の三島を知りたい一読者です。
>>471 奥野はあまりにもなんでもかんでも太宰に結びつけすぎだと思う。
共通する面もあるけど、三島はあくまで三島の生きてきた歴史がありますから、なんでも太宰と結びつける奥野の伝説作りは作りすぎ。
文芸評論家の大久保典夫は次のように語る。 『三島由紀夫と太宰治の共通点・太宰の晩年に『父』という短編があり、 その最後の部分で、「父は義のために酒を飲む」その「義とは何か」といえば、 いわくいいがたいけれども、「ああやりきれない男性の、悲しい弱点に似ている」 と言っている、この文章ははなはだ暗示的であって、坂口安吾にしろ、織田作之助にしろ、 田中英光にしろ戦後の無頼派作家は、「炉辺の幸福にあこがれ、妻子をいとおしみながらも、 あえて「義」のために家庭破壊の挙に出る。 一体、何を求めてるかと言えば、すでに失われた「故郷」(聖地)を奪還するためである。 その行動自体は、絶対に奪還が不可能であるがゆえに、敗北はすでに予定されていて、 きわめてイロニックな色調を帯びる。日本浪漫派の<滅びの美学>は、 つまりこのことなのである。太宰や三島は「炉辺の幸福」を拒否することで自らの 「不幸の純潔」を守った。ロマン主義者にとって、世俗の幸福を得ることは 「純潔」を汚すことであり、それ自体、まっさかさまの退廃を意味したのである。』 (日本学生新聞編・「回想の三島由紀夫」)
>>472 裸の三島論なんかありませんよ。特に奥野やジョン・ネイスンのは、間違いや憶測が多いのは、
実際に学習院に行って調べた人に間違えを論証されてます。
戦後の2大流行作家を対照してなんで悪いの?
477 :
403 :2010/11/09(火) 20:36:33
>>416 さん
ご教示ありがとうございます
「三島由紀夫の映画論集成」、是非読んでみたいと思います
「三島は、多力的な表現者であり、さまざまな機会とメディアを利用して、 自らのイメージをまき散らし続けた。それだけに、足跡や指紋をやたらに 残したまま姿を消した犯人にも似て、実体をとらえるための手掛りはいくらも 見つかるのだが、その余りの数多さ、多様さが幻惑的というばかりか、 間断ない自己顕示は、しばしばもっとも効果的な自己隠蔽の道とつぶやかざるを得ない。 巧緻無類の犯行者の現場にも似て、三島自身が残そうと思ったイメージと痕跡ばかりで、 肝心のところは、きれいに消し去られている。彼が同時代の読者に、 また後世に対して残そうと望んだ自己イメージは、明確半善と定着されているが、 一歩その後ろに忍びこもうとすると、案外に隙間は見当らない。 三島の残したくなかった行跡は、案外に見出し難いのだ」 (佐伯彰一「評伝三島由紀夫」)
>>478 残したくないようなイメージって何なの?
ほとんど三島自身で書いて出してるものですけどね。
小説だから自伝じゃないとかバカな解釈してる評論家は言ってことが浅いわ。
新潮社から「仮面の告白」の文庫化の企画が出た。 単行本の方は河出書房から発売中であった。 河出書房ではまだ増版を進めていたので、この話には驚いた。 納得のいかない話であったが、結局新潮社から文庫として刊行されてしまった。 河出書房の販売は大きな痛手を食った。坂本編集長の落胆は計り知れないものがあった。 文壇へのステップとして川端へ知己を得たり、河出書房を無視した新潮文庫へ 「仮面の告白」の許可、この冷血ともいえる処世術も あきらかに三島のパーソナリティの一部である、と安藤武はいう。 しかし、安藤武のような痛烈な人間性批判とはちがい、 「ペルソナ」の著者、猪瀬直樹の視線はあたたかい。 「三島がなぜ木村に非礼をしてでも新潮社を望んだのか、理由がわからなくもない。 背後で梓が、日本一の作家になれ、と叱咤激励、というより強迫する。 作家の経済的安定を疑問視していた梓を納得させるには、一流出版社から次々と ヒット作を打ち出すしかない。文学青年の長男が平岡家を支える大黒柱なのである。」 (「ペルソナ」猪瀬直樹)
>>476 それは悪くないけど、奥野のは、あまりにもいい加減な前提から無理矢理に二人を同一化してるのが、話を作りすぎ。
三島と仲がよかった、「鏡子の家」の主人公・鏡子のモデルになった 湯淺あつ子は次のような光景を目撃している。 「(三島がどんなに母に感謝していたかについて説明したあとで)だから、 その感謝の現し方が、普通の母子とは全く違っていた。 知らぬ人がこの母子の日常のあり方を突然見たら、近親相姦を想像したことだろう。 『公威さん、お母ちゃま足がいたい』というと、彼はその痛む個所を、 私の前でも平気でペロペロなめたりした」 (「三島由紀夫の青春時代」)
天才にマザコンはつきもの
湯浅あつ子の本には、父親梓氏が一番まともな人だったみたいな 世間の風評とは逆のような回想をしていたのが印象的だった。 大抵梓氏は変わり者扱いされているよねw 典型的な明治の男だったんだろう。
私は、ミシママニアです。(中略) 今となっては何歳の頃に読み始めたのか判然としないのですが、私が三島由紀夫に激しく惹かれるようになった きっかけがその比喩表現にあるということは、はっきり記憶しています。比喩を一つ読む度に、私はほとんど 肉体的快感に近いような興奮を覚え、その快感を味わいたいがために、あれもこれもと読むようになっていった。 三島由紀夫の比喩表現は、なぜ快感をもたらすのか。……と考えてみると、「まるで○○のような××」という 表現において、比喩である○○が私の心の中で描く曲線と、比される実体である××が描く曲線とが、完璧に シンクロしているから、なのです。フィギュアスケートのアイスダンスやマスゲームといった「よく揃ったもの」を 見ると無性に心の萌えを覚える性質の私が、彼の比喩に陶然とするのは、自明のことなのでしょう。 「よく揃ったもの」が好きな私は、制服というものを好みます。そして三島由紀夫も、この方面については かなりのいけるクチだったに違いないと、勝手に信じている。 三島由紀夫は、高等科までを学習院で過ごしています。学習院の蛇腹の制服は、日本における軍服および学生服 デザインの基礎となったもの。日本においてはこれ以上望めないほど純粋な制服環境の中で、彼は幼少期と 青春期を過ごしたのです。 四十歳を過ぎてから、三島由紀夫は陸上自衛隊富士学校において、幹部候補生達と一緒に訓練を受けています。 「三島由紀夫と自衛隊」(杉原裕介・剛介著、平9・11並木書房)という本によると、訓練課程を終えた記念の 昼食会の席に、三島由紀夫は一等陸尉の階級章のついた制服を着て現われ、仲間の自衛官達を驚かせたとのこと。 「皆さんと同じ幹部自衛官の制服を着たかった」 ということで、富士学校内の売店で見本として飾られていたものを買い取ったのだそうです。この行為とこの発言、 制服好きのものでなくて何でありましょうや。 とどめは、楯の会の制服です。三島由紀夫が自害した時に私は四歳で、楯の会の制服を写真以外で目にした ことがないのですが、あれが確かに「制服好きが作った制服」であることは、はっきり理解できます。 酒井順子「究極の制服好き」より
肩幅を広く見せるための、絞られたウエスト。たくさん並ぶ、金ボタン。それは、制服の美を熟知し、また 自らの姿を制服の中で生かしたいと熱望する人でしか作り得ないものなのです。 楯の会の制服は、フランスのドゴール大統領の軍服に感心した三島由紀夫が、その軍服を縫う手伝いをした、 日本を代表するテーラー・五十嵐九十九氏に依頼をして作ったものだそうです。その折、三島由紀夫は自分で デッサンを描き、各部分の素材まで指定したというではありませんか。“ああ、やはり……”と、私は思う。 三島由紀夫は、「型」というものに特別な思いを抱く人なのでしょう。制服好き(と断定させていただく) という性質にしても然り。また彼が愛した歌舞伎にしても、それは型の連続によって、出来上がっていく芝居。 しかし三島由紀夫は、既に存在する型からちょっと逸脱して新しく見えるものをつくるのではなく、新しい型 そのものをつくり出してしまう人です。新作歌舞伎を書き、自分の軍隊の制服を作るという行為は、型の中に 浸るのが好きなだけの人には、決してできないことなのではないか。 何かとシンクロしようてしながら、いつの間にかその何かよりも遠くに行ってしまうように見える、三島由紀夫。 そんな彼を私は、同じ制服好きの下っ端として、目の中でお星様をキラキラさせながら、仰ぎ見るのです。 三島由紀夫と同時代に生きることができなかったことが残念でたまらない私が今、考えてしまうことが、もう一つ。 それは、「三島由紀夫は、自身の転生を望んではいなかったのだろうか?」ということ。 これは、あまりにも子供っぽい想像ではあるのです。が、三島由紀夫が死ぬ前、 〈又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で〉 などということを誰かに言わなかったのだろうか、いや言っていてほしい……と、マニアとしては妄想を たぎらせてしまう。 もしも三島由紀夫の生まれかわりが出現するのなら、それは私が生きているうちであってほしい。本多繁邦が その一生のあいだにあれだけの転生に立ち合ったのであれば、それは不可能なことではないのか……と私は密かに、 けれど結構真剣に、祈っているのですが。 酒井順子「究極の制服好き」より
昭和27年の夏、三島はまず水泳から身体訓練をはじめた。 最初はまったく泳げなかった。 「プールに飛び込んだかと思うとぶくぶく沈んでしまう」 と黛敏郎が酷評するほどだった。三島はあきらめず、 たいへんな練習をして泳ぎを習いつづけ、ついにマスターした。 マスターしたときの三島は鼻高々だった。 水泳をマスターした後、小説家の北杜夫と 東京のプールに三島はいっしょに泳いだことがある。 三島は飛び込み、自慢の平泳ぎでプールの向こう側目指して泳ぎだした。 北も続いて飛び込み、クロールですぐに追い抜いた。 向こう側に泳ぎ着いて三島を待っていた北の話はこうである。 「ぼくは三島さんがせめて“見かけによらず速いなあ” ぐらいいうだろうと思っていたんだ。ところが、三島さんはなにもいわない。 笑いもしないんだ。ぼくの方を見ずにさっさとプールから上がって、 バーへ行ってしまったよ」
>>488 三島に叶わなかった連中が死んでから、ああだこうだとあら探ししたエピソードなんてどうでもいいよ。
平泳ぎよりクロールが速いのは当たり前だけどね。北ってのも何を自惚れてんだか。
新聞や週刊誌の中には、しごく単純に三島を異常性格者ときめつけ、最初から彼が自分の文学の主要テーマとして 選び貫いた同性愛をも風俗の眼で眺めたあげく、ホモだオカマだと立ち騒ぐ向きまであるのには一驚した。 死んだのは流行歌手でも映画スターでもない、戦後にもっとも豊かな、香り高い果実をもたらした作家である。 彼の内部に眼玉ばかり大きい腺病質の少年が棲み、あとからその従者として筋肉逞しい兵士が寄り添ったとしても、 それをただ劣等感の裏返しぐらいのことで片づけてしまえる粗雑な神経と浅薄な思考が、こうも幅を利かす時代なのか。 異常というなら、わけ知りの、ありきたりの、手垢まみれな説の援用でなしに、その淵に息をつめて身を潜め、 自身の眼でその深みの神秘をさぐろうとはしないものか。この一九七〇年代に、異常というレッテルを小抽出しに 張って、もうそっぽを向いていられる“正常人”がこれほど多いというなら、それこそが異常の証しであろう。 (中略) ただ、あれほど感性すぐれた彼に、いま一言、突っこんで話をしたかったと思うのは、ぷよぷよとした肉体、 指で押すとちょっとの間はへこむが、またすぐ元に戻って知らん顔をする、さながら腐肉そのままの感触を、 何よりも徹底して憎悪していたのではないか。なぜそれを最後まで、ありのまま憎みとおさなかったかという 点である。「世の中すべて気に入らぬことばかり」にしろ、われわれを包んでいる情況の本質がそこにあり、 一番の敵がそれであることは三島も当然知りぬいていたので、この気持もまた、彼の死後にも変わらない。(中略) 芥川や太宰が、なぜ志賀直哉と長生き競争をしなかったのか、私には不思議でならない、というより、無理にも そう思いたいのだ。三島にも、また。 中井英夫「ケンタウロスの嘆き」より
「からっ風野郎」に出ることによって趣味のいい人々を阻害してしまった。 この映画への出演は、いわば、社会に向かって、もはや自分は節度を守らないと 宣言するようなものであった。批評家たちが「鏡子の家」を認めないのなら勝手にしろ、 俺は知らんぞ、といわんばかりの態度は、今まで三島の文学的活動に好意をもっていた 大勢の人々に背を向けることでもあった。これはマイナス以外のなにものでもない。 10年前なら三島の若い奇行は許されたかもしれない。「仮面の告白」「禁色」 などのショッキングな悪趣味は若さゆえということで大目に見られたものがあったろうが、 35歳にしてこの酔狂は許されない。 もう青臭いロマンチストの若者の行動としては世間は認めてくれない。 ヘンリー・スコット・ストークス「三島由紀夫 生と死」
今日では、「豊饒の海」は彼の数多い作品の中で最高の地位に置かれている。 近代日本を一種のパノラマのように見せる点で、翻訳された他のどんな作品より優れているからである。 「春の雪」に明治末から大正にかけての日本を描き、「奔馬」の勲に激動の昭和初期を映し、「天人五衰」中に 復興した日本社会の醜さをあばく… 西洋人があまり知らない国・日本が、そこではみごとに語られている。 ヘンリー・スコット・ストークス「三島由紀夫 死と真実」より
最後のクライマックスシーンだが、三島はデパートのどこかのエスカレーターで 撃たれて死ぬ。仰向けに倒れ、三島の死体を運んだままエスカレーターは上がっていく。 このシーンで、かっこよく仰向けに倒れるというのがどうしても三島は演技できなかった。 監督も裏方もうまく演技ができない三島にピリピリしてくる。 三島はその空気をもちろん感じ、理解していたので、思いきってまともに倒れてみた。 頭をエスカレーターの縁にぶつけ、大怪我をしてそのまま救急入院することになった。 撮影のスタッフたちはみんなすっかりしらけてしまったそうである。 三島が完治するまで何日もスタッフは待機しなければならなかった。 三島はのちのち、この体験を「あの思い返すだにゾッとする映画俳優の経験」 (「三島由紀夫全集31巻」)とぼそりと語っている。
昭和35年、日本国内は激烈な政治的対立の時期に入る。日米安保条約の改定問題である。 米国の軍事活動に日本をまきこむおそれありとする理由から左翼をはじめ、新聞論調、 世論がこの条約に反対した。数万の学生、労働者が警官、右翼と衝突した。 6月15日、デモのなか、22歳の東京大学の女子学生が死亡。 17日、社会党の代議士が刺されて傷を負った。 18日の夜、30万のデモ隊が条約の廃棄を要求して国会と首相官邸を包囲した。 岸首相は姿を隠していた。日米安保条約の改定は「自動的に成立」した。 この事件について、三島は政治意識を持ち合わせていなかった。 三島はエッセイで「岸首相は小さな小さなニヒリストだから民衆から反感を買ったのだ、 私もニヒリストだが、幸いにして私は政治家ではなく小説家だ。 民衆はニヒリストではなくリアリストを選んだ方がいい」という、 政治的確信からほど遠い意見をこのときはいっていた。この8年後の昭和43年になると、 三島は、昭和45年における再度の安保条約更新の時期になったら、 「剣を手にして」左翼と闘って死ぬ、と友人に語るようになる。
「セヴンティーン」は三島の「憂国」の価値とはまったく逆であり、 三島の崇高な死への価値観など、ひと皮めくればこのようなものだと、 痛烈な皮肉ともいえるような小説である。 人生の中で一番政治的情熱に燃えていた大江健三郎は「セブンティーン」を 書いたために右翼に狙われ、第二部である「政治少年死す」は発禁となり (いまなお国内では発表されていない)、出版社は謝罪し、一年近い孤立の代価を 支払わなければならないことになった。生命への脅威が大江を閉じこめ、 友人たちも寄りつかなくなった。 「憂国」「セブンティーン」が発表されてからちょうど1ヶ月後、 右翼テロリズムが中央公論社の社長暗殺の企てとしてなされた。 だがこのときは、皮肉なことに今度は三島が被害を受ける番であった。 余談だが、「セブンティーン」第二部の「政治少年死す」は、 日本国内ではいまだ発禁ではあるが、 いまはなんと「政治少年死す」はイタリアで翻訳出版されているのだそうである。 なぜイタリアで。
>>495 政治家はリアリストを選んだ方がいい、って見識は極めて真っ当な政治的な意見ですよ。
この意見は三島は最後まで変えてませんけどね。三島は安保条約反対してないし。
憲法改正もリアルな見識です。
>>496 左翼の理想主義の価値も大江流に書けば同じことだと思う。大江は自分自身のこと書いたんだよ。
>>497 あなたは、何でも三島批判と解釈しちゃうんですねえ。
どうして?不思議な人だ・・・
裁判敗訴の原因は三島の自業自得にある、とヘンリー・スコット・ストークスは指摘する。 その自業自得とは、「鏡子の家」の失敗でヤケを起こし、 「からっ風野郎」のような映画に出演することで多くの信頼できる読者を裏切ったことによる 世間へのツケがこのような形で回ってきたということである。 「プライバシー裁判は三島の敗北で終わったが、その敗北の理由は、 当時の三島の行動にあったのではないか。 プライバシー裁判という判例は今までなかったのだから、影響力のある人々の目に映る三島、 あるいは三島への意見に対し、そういう点での判断が大きく左右されたのではないのだろうか。 この頃から多くの人が三島に対して距離を置きはじめた。」 (ヘンリー・スコット・ストークス「三島由紀夫 生と死」)
>>499 言ってることが変だから、間違いを指摘してるだけですけと?
三島批判のつもりじゃなければ、間違いを指摘されても構わないでしょうが。
502 :
吾輩は名無しである :2010/11/10(水) 01:01:17
サンデー毎日で三島由紀夫の遺言と題された文章わかるかた教えてください 抵抗は死に身でやれ〜 気違いみたいな奴がでてきた方が日本面白くなる〜 みたいな文章を昔ネットでみたことがあるのですが 今はみつからないんです
>>500 その引用はジョン・ネイスンのじゃないの。
この裁判の焦点はいったいどこにあったのか。宮崎正弘の解説を引用。 「プライバシー裁判というからには、世間は閨房のことまで書いているのではないか と期待してこの小説を読んだ人も多かったらしいが、この裁判で焦点になったのは、 そんなことではなく、革新の思想を根底から馬鹿にしている作風を、 しかも妻が革新をまったく信じないで、保守の政治家の情念や手管に感心している くだりを我慢できなかったところにあった。政治思想そのものへの懐疑、シニシズム、 ニヒリズムがこの時点での三島の政治に対する考え方だった。」 (「三島由紀夫はいかにして日本回帰したのか」宮崎正弘) 裁判が始まる当初、三島はドナルド・キーンに手紙を宛てていた。 「この訴えには絶対勝つ自信があります。・・・この事件がきっかけで、 アメリカの英訳出版になにか影響が出てくるかもしれないことの方が心配だった」 しかし裁判が思うようにすすまない。昭和37年11月、 三島はドナルド・キーンに手紙を宛てた。 「・・・何でこんな苦労をするのでしょう。何も悪いことをしないのに」
>>502 これのことですか?
↓
三島由紀夫:抵抗は死に身になれ。抵抗はやれ。ただし遊び半分にやるな、といふことだ。たとへば抵抗は
楽しいものであるといふベ平連などの考へですね。あれが一番きらひなんです。ベ平連式の“抵抗”は、大衆に
アピールする。抵抗とは楽しい、抵抗とは手をつないでフランス・デモをやることだ、フォーク・ダンスを
やることだ、これが非常にいやなんです。抵抗はナマやさしいもんぢやない。血みどろで、死に身にならなきや
できないのが本当である。内部批判をする連中が、手柄顔で歩いてゐる。石原君のことぢやなく、世間一般ですよ。
共産党を内部批判すると英雄になる。公明党を内部批判すると英雄になる。自分の属してゐるものの内部批判
した男が英雄視される。こんな間違つたことはない。抵抗をもう少し暗いものにしなきやいかん。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より
Q――「士道」といふもの、そもそもアナクロニズムではないのか。 三島由紀夫:ぼくは「士道」を、みんなに向かつて鼓舞するつもりはない。ストイックなものだから、一人が さうであればいい。あるひは十人がなるかもしれないが、この巨大な社会の歯車の中で、一人がストイックになれば、 それがしだいに波及して順々に歯車が動いていくんぢやないか。さういふ気違ひみたいなヤツがゐないと、 日本、面白くないと思ひますね。 アナクロ? さうかもしれない。しかし、人間、どんな新しい身なりをしてゐても、一つだけ古いものを 持つてるのがダンディーぢやないのですか。精神的態度として。士道ていふのはダンディズムですよ。男の “見伊達”といふか、さういふものですね。精神的な伊達ものですね。最新流行の服を着て、口に何十年か前の 古いパイプをくはへてゐるやうに、精神的にも一点、アナクロニズムが残つてゐるてのがダンディーなんですよ。 三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より
おお、チワワ「死に身」で検索に成功(ワラ
>>500 そういうふうに、いろんな関連本からの抜粋を都合よく切り貼りして、自身の恣意に見合うように
都合のいいところに当てはめてるその論者の名前とタイトル名は、なんで明記しないの?
その抜粋部分の意味と、解釈者の解釈意図とはズレがあるね。
私はこの三年にわたって折にふれ三島とあってきたが、私がいつも感じたのは、彼は現存の日本人のうちでは 最も重要な人物だったということだ。当然のことながら、私には彼がその生涯の終わりにどのようなコースを たどるかについては想像もつかなかったが、たとえその範囲は限られたものであるにせよ、彼はその ダイナミズムと懐疑主義と好奇心によって日本の歴史に永久にその名をとどめる地位を占めるにちがいないと 確信していた。(中略) 三島の行動は、今日の日本の右翼の大物たち――その名前をあげる必要はあるまい――を、道化役者のように 見えるようにした。私と議論した一部の人々は、三島はその行動によって、笑止千万なピエロの役割を演ずる ことになったと主張した。これに対し私は三島はピエロどころか、逆に他の人々をピエロとして浮かびあがらせた ――つまり、彼等をつまらない行動によって、金をもらいたがったりするようなピエロに仕立てあげたのだといいたい。 三島を高く評価したい私の次の理由は、私の見るところでは、彼は日本の政治論争にこれまで見られなかった 深みをつけ加えた点である。(略)…三島を「右翼の国家主義者」といった言葉で片づけることはできない。 三島は「右翼」とか「国家主義者」とかいったレッテルを貼った箱に、絶対におさめることのできない人物である。 彼の思想の広さといい深さといい、そうした単純な分類に入れることを許さない。 三島が何をいわんとしていたか、それを一言にして説明するには、何か新しい言葉を見つけださなければなるまい。 三島について注目すべき理由はほかにもある。彼は今日の政治論争のすべてを公開の席に持ちだした――(略) …これらの問題については、自民党の幹部たちは私的な場所でのみしばしばその意見を表明してきたのである。 しかるに三島は敢然として、政治家たちがこれまでおっかなびっくりで、私的な場所だけで取りあげてきた 政策論争を、公けの席に持ちだした。職業政治家になぜこれができなかったのであろうか。 ヘンリー・S・ストークス「ミシマは偉大だったか」より
…三島を西洋に「説明」できるだけの資格を持つ西洋の学者は、ほんの一にぎりしかいない。しかもこれらの 学者たちでさえ、今までのところでは、三島をもっぱら文学者としてだけ扱い、彼の政治活動は重視していない ようだ。私はそれはあやまっていると考えるし、三島自身がなくなる二週間前に、これらの学者について 語った言葉から推察すると、こうしたあやまりは彼自身予想していたようだ。彼は英語でこう言っていた。 「あの人たちは日本の文化の中のやさしいもの、美しいものばかりを取りあげる」したがって外国の批評家に 限っていえば、三島が全く誤解されてしまう可能性はきわめて大きい。この国の政情の非現実性――国防の 問題をトランプ遊びかポーカーの勝負をやっているかのように議論する国である――を、認識できる人は ほとんどあるまい。(略)外国人は日本で自由な選挙が行なわれ、それに過剰気味なくらいおびただしい 世論調査と言論の自由があるという事実こそが、日本に民主主義のあることを物語っていると頭から 信じこんでいる。三島は日本における基本的な政治論争に現実性が欠けていること、ならびに日本の民主主義原則の 特殊性について、注意を喚起したのである。 ヘンリー・S・ストークス「ミシマは偉大だったか」より
おまえみたいなバカはそんなの気にせんでよろしいw
同じ外国人の書いた三島の評伝「三島由紀夫・生と死」の作者ヘンリー・スコット・ストークス のほうがネイスンのような棘は感じられず、むしろ外国人にはめずらしいオトボケをまじえた調子で 三島を語っている。この評伝を読んで「三島由紀夫・生と死」というシリアスなタイトルに 私はすっかりだまされたと思った。ほんとにスットボケたことをしてくれる、憎らしい外国人である。 めちゃくちゃおもしろい本である。 この評伝はさながら三島をボケとしてヘンリーがそれに突っ込むといったスタイルで書かれている。 ヘンリーは外国人でありながら現在の関東芸人のすぐれたお笑いコントのセンスをむかしの時代に はやくからわかっていためずらしい人だとわかる。もしもこの人が日本で生まれ、 テレビが大好きだったら、おそらくナンシー関の強力なライバルとなって立ちはだかっていたに ちがいない。三島は「俺はあの男が好きなんだよ」とヘンリーのことを村松にいっていたそうだが、 こういう人柄が三島は好きだったのだと私は思われる。
なんだ、素人ブログの無断転載か。
チープモンキー藁貸し増すねえ〜(笑)
515 :
吾輩は名無しである :2010/11/10(水) 02:14:14
イヌ・サルと来て 次はキジか
516 :
吾輩は名無しである :2010/11/10(水) 02:18:16
517 :
吾輩は名無しである :2010/11/10(水) 03:52:51
最近角川文庫から出た作品の中で、ナニかお勧めはありますか?
全部オヌヌメ
三島由紀夫が小さな出版社の名前を付けた話はあまり知られていない。 三島には終戦の年の十月に勤労動員の疲れから腸チフスに罹って亡くなった妹がいた。 …たまたま私の家内がその妹の美津子と女学校時代の同窓だった。母倭文重からその話を聞いた三島は 「あなたの奥さん、うちの妹と同級だったんですって……よかったらいちど遊びにいらっしゃいませんか」と言った。 そのころ家内は月刊の俳句雑誌『俳句とエッセイ』のほか、詩集や演劇関係の本を出す小さな出版社をはじめる 準備をすすめていた。後日揃って大森の新居に伺って、ロココ風の客間で歓談のとき三島は「こんどの出版社の 名前は何んていうの」と聞いた。私がいくつかの候補の中から牧神と牧羊の名前をあげたとき、三島はズバリ 「牧羊社がいいね」と言った。このとき家内の要望を容れて大判の色紙を用意し、墨痕鮮やかに「牧羊社」と 揮毫をしてそのわきに三島由紀夫と署名した。こんな縁で命名の儀式は思いがけなくトントン調子に行われた。 …書斎に通されたとき、私は書棚に並んでいる一冊の本が目にとまった。堅牢な黒い外函の中にベージュ色の フランス装の本が繭玉のようにひっそりと収まっていた。 ルミイ・グウルモン著、ジョルジュ・エスパニヤ画の「シモーヌ」堀口大学訳の詩画集であった。 三島は「これ学生のころからの愛蔵本ですよ。いつかぼくもこんな本を作りたいね。『岬にての物語』なんか ぴったりと思うんだがね」といたずらっぽく言って爆笑した。 …この日は夕方までお邪魔をした。庭続きに住む両親の平岡梓夫妻も招んで、瑶子夫人の手料理の歓待を受けた。 …三島は父親と同席のときはたいてい聞き役に回っていたが、この日はとくに妹美津子と家内を重ねて当時のことを 思い出していたのか心なしか寡黙にみえた。 川島勝「三島由紀夫の豪華本」より
この訪問がきっかけとなり発足間もない牧羊社で三島由紀夫の「岬にての物語」の豪華本を出すことになった。 装幀、造本について私はまえに担当した三島作品の「永すぎた春」で評判のよかった初山滋の抽象的な色感あふれる 絵を頭の中に描いていたが、三島は「ぼくもいろいろ考えたが蕗谷虹児はどうだろうか」と言った。 高畠華宵や加藤まさを風な少女像も魅力だが、蕗谷虹児の様式美の方がこの作品にふさわしいというのが 三島の意見だった。話がまとまって私は(中略)蕗谷虹児のアトリエを訪ねた。 応接間に現れたのは繊細な画風からは想像もできない漁師のように日焼けした骨太の老画家だった。 蕗谷は三島からの名指しの依頼を喜び、アトリエの棚の上から一枚の金地の色紙をとって私に下さった。 花嫁人形の絵の脇によく知られた詩が書かれていた。 この「花嫁人形」の作詞家が蕗谷虹児だったことを、私はその時まで不覚にも知らなかった。 「岬にての物語」の主調低音に三島の若き日の失恋の思い出があった。そんな心象風景のなかにこの歌詞が どのように映っていたのか…… 三島は「花嫁人形」の作詞家が蕗谷虹児と知ってこの画家を選んだのだろうか。 それから三ヶ月がたって、彩色されたあえかな少女像と黒白の五枚の線描きの挿絵が完成した。 蕗谷はテレたように「少々、苦心したんですよ」と自信ありげに言った。 「蕗谷虹児の少女像」のなかで三島は 〈……そしてどこかに漂ふかすかな「この世への拒絶」「人間への拒絶」ほど、「岬にての物語」の女性像として ふさはしいものはないばかりでなく、おそらく蕗谷氏の遠い少年の日の原体験に基づいてゐるにちがひない……〉 と記しているが、ここには妹の死と失恋と三島自身の青春への訣別が色濃く反映されていた。 (略敬称) 川島勝「三島由紀夫の豪華本」より
あの檄文を飛ばし、あれらの言動によって訴えようとしたことがらによって、同業の文学者がそれを彼の美学の 中の問題だけに閉じこめてしまおうとしても、その政治的社会的意味を拭い去ることは出来まい。 三島氏も友人に宛てた遺書の中で、たとえ他がこれを狂気といおうとも、と断っている。ということは、氏自身が 社会的政治的に見て、あの行動が他から眺めれば、狂気とも愚行ともとれ得ることを承知した上で行なった、 他が何といおうと氏にとっては、絶対に社会的政治的な行為であったに違いない。そして、あの行為の中に、 三島氏の文学と政治的現実の痛ましい接点、氏の観念と肉体の破滅的な合致があったに違いない。 だから、あの行為の果ての三島氏の死を、三島由紀夫における文学的な死にすぎぬといういい方は、たとい その言動が社会的政治的にどのようにしか評価されなくても尚、三島氏の意を汲まぬものでしかあるまい。 彼の死を、彼の美学的結論として、彼を社会的政治的見地からの非難から救出することは易しいし、あるいは また、あの行為を政治的社会的に無意味といい切ることも易しい。しかし、三島氏一人のためだけではなし、 我々自身のためにも必要なことは、事件を二つのカテゴリイの接点として捉えることに他なるまい。(中略) 三島氏が絶叫したように、国軍を違憲とする現行のおかしな憲法は改正される可能性は依然少なく、この間にも 以前記したように、法理論的には顕らかに憲法違反の自衛隊を合憲とする政治の欺瞞はつづいている。その 慢性化した欺瞞に支えられた社会的怠惰の内に、「日本」という我々の祖国、「日本人」という我々民族自身の 個性は阻害され、喪われつつある。その個性とは、伝統であり、同時に、新しい何かをつくる純粋な可能性である。 私はかつて三島氏と、何を守るためになら、命を賭けることが出来るか、という対談をしたことがある。二人の 意見は、食い違っていたようで、その実、本質的には大差なかった。 石原慎太郎「三島由紀夫への弔辞」より
(中略) 現実、日本の伝統は冒され、今までそれをはぐくんで来た日本の個性は損われ、喪われつつある。それを冒すものは、 私たち自身の内と外にある。 今日の偏向した教育がもたらした、多くの日本人の自らの歴史と現実への歪んだ歴史的認識、軽挙としか いいようのない、決して進歩的革新的ならざる進歩派的政治的価値感が、自らの内にあり、外には、欺瞞に 支えられた安易で不毛な政治がある。 心あるものは、この現実に、国を愛するが故の危機感を抱いている。三島氏もその一人であった。そして、 彼の行動は、その形の有効性への議論はさておいて、とにかくその危機を阻止するためにとられたことに 違いはあるまい。(中略) 私は何よりも、一人の敬愛する友人を突然、ああした形で喪ったことで混乱し、当惑し、哀惜の内に、まだよく ものが見えて来ないままにいる。 私自身に、奇妙ともいえる暗遇があった。事件の前日、私は都内のあるところで講演し、(中略)そしてその夜の 明け方、私は久しぶりに三島氏の夢を見た。私にとって、確か二度目のことだった。彼と私はあるジムナジアムにいた。 彼は私に、今まで新しく覚えた拳闘、剣道、居合い、ボディビルを披瀝したように、思いがけず、最も困難な 吊り輪の体操を見せてくれた。私は、それまで多寡をくくっていた彼の筋肉がとうとうここまで来たのか、 と夢の中で驚かされた。両手を開いての吊り上がり、更に倒立と至難の技を見せた後、彼は私が初めて見る 不思議な姿勢で、水平にした体を片手で吊りながら、こちらに背を見せて静かに床の上に身を横たえた。 同じその仕草を、私は二度くり返して見た。そして、彼の体中に、何故かまぶしたように薄く青い、死に化粧に 似た彩色がほどこされてあった。 そして次の日の昼、私は思いがけぬ形で、彼の訃報を聞いたのだ。かけがえのない才能の喪失を惜しみながら、 私には、それを喪わしめたこの出来事についてまだまだ解けぬことが多すぎる。 石原慎太郎「三島由紀夫への弔辞」より
11/12(金) 25:00〜26:48 11/18(木) 12:30〜14:18 洋画★シネフィル・イマジカ アナログ260ch/デジタル224ch 午後の曳航 11/13(土) 12:45〜14:00 11/15(月) 18:00〜19:15 衛星劇場 アナログ310ch/デジタル222ch 燈台 11/13(土) 17:15〜18:30 衛星劇場 アナログ310ch/デジタル222ch 鰯売恋曳網
「・・・私は自分の意志で、(「あの日」から)二十年かかってその適正を得、 文学はもちろん大切だが、人生は文学ばかりではないということを知りはじめたのだ。 それを知るのはたしかに遅すぎたが、今からでも、ひょっとすると、 遅すぎないかもしれないのである・・・。 ああ、危険だ!危険だ! ・・・・・・。 このような芸術家という人種にとっては、危険とはなにを意味するか、 私にはそこのところが非常に興味がある。年々その興味が募って、 今ではその興味のために発狂しそうだ。」 (三島由紀夫 昭和41年1月 「われら」からの遁走)
私の癒しがたい観念の中では、老年は永遠に醜く、青年は永遠に美しい。 老年の知恵は永遠に迷蒙であり、青年の行動は永遠に透徹している・だから 生きていればいるほど悪くなるのであり、人生はつまり真逆様頽廃である。 昭和41年6月「二・二六事件と私」
かえりみれば、私の遍歴時代には、時代と社会の急激な変化はあったが、 一つのじっくりした有機的な形成はなかった。大きな外延を持ってひろがり育つ、 一つの思想の成熟もなかった。日本の小説家が、さまざまな艱難と時日の経過から 得るものが、ただの技術的洗練だけだと考えるのはかなしいことだ。 そこで、早くも、何もかもぶちこわしたくなる。五十、六十までゆっくりと育てて、 育てた上の捨離ではなくて、中途半端で、すぐにまたぶちこわしたくなる。 今の私は、二十六歳の私があれほど熱情を持った古典主義などという理念を、 もう心の底から信じてはいない。 自分の感受性をすりへらして揚棄した、などという威勢がいいが、それはただ、 干からびたのだと思っている。 そして早くも、若さとか青春とかいうものはばかばかしいものだ、と考え出している。 それなら「老い」がたのしみか、と言えば、これもいただけない。 そこで生まれるのは、現在の、瞬時の、刻々の死の観念だ。 これこそ私にとって真に生々しく、真にエロティックな唯一の観念かもしれない。 その意味で、私は生来、どうしても根治しがたいところの、ロマンチックの病を 病んでいるのかもしれない。二十六歳の私、古典主義の私、もっと私の生の近くにいる と感じた私、あれはひょっとするとニセモノだったかもしれない。してみると、 こうして縷々と書いてきた私の「遍歴時代」なるものも、いささか眉唾物めいて来るのである。 (三島由紀夫「私の遍歴時代」)
自衛隊入隊が決まり、出発に先立ち、ささやかな会を三島のために開こうと、 新潮社の菅原國隆に村松剛は相談した。ジャーナリズムにはいっさいそのことを 秘密にしていた三島だったが、「奔馬」の連載を担当していた菅原氏には打ち明けていた。 その会の席で菅原氏は不機嫌そうに「三島さん、いったいなにをはじめるつもりなんですか」 と切り出し、つづけて、「国を守る人間は、いざとなれば必ず出てくる。 それが防人以来の伝統です。それより、三島さんは二人といない、かけがえのない作家なんです。 あなたでなければ書けない作品がたくさんあります。三島さんに国を守ってもらうくらいなら、 僕が代わりに守りますよ。それより、あなたは作品だけを書いてください。 自分でもわからなくても天才なんです。大事な人なんです。とにかくご自分で作り上げた主人公に なりきる習性があるから、注意してくださいよ」といった。 村松によると「ご自分で作り上げた主人公になりきる習性があるから、注意してくださいよ」 と菅原氏にいわれたときの三島は「悪戯を見つかった子供のような」顔をしたといっている。
講談社編集者・川島勝はこう語る。 「自衛隊体験入隊は、軍隊生活を経験しなかった三島にとって、 あの時代に回帰する見果てぬ夢だったのかもしれない」 「三島の写真は著名な写真家の作品も多く、日常のスナップも数多く撮っているが、 なかなか自然体に取れているものが見当たらない。 そんな中で自衛隊富士学校の訓練中のスナップで、旧軍隊式に、 “金(かね)の茶碗に金の箸・・・”で学生たちと一緒の昼食時にみせるあのはじけるように 明るい笑顔が、実に印象に残っている。この笑顔のためにだけ、 三島にとってあのような肉体の鍛錬が必要だったのかとさえ思った」
この訓練では三島は隊員たちと共同風呂に入り男の汗を流し合う連帯感、 仲間意識をたっぷり味わった。 就寝前、防衛大学出身の理工科の学生に文学論を挑まれ、 「太宰は人間の弱さばかりを強調したから嫌だ」と三島ががいうと、 学生に「やたらに強さを売り物にするよりも、弱さを強調する方が ほんとうの文学者らしいのではないでしょうか」といわれ、「耳が痛い」思いをした。
三島由紀夫は体験入隊によって、限りない親しみを幹部候補生の学生に寄せた。 が、それはあくまでも戦中派が所有する旧陸軍士官学校のイメージに重ね合わせたもので 実体とはかけ離れたリリシズムを、彼が感じたに過ぎなかったのではないだろうか。 三島由紀夫は、この時点において、あまりにも作家でありすぎたのだ。 酷な言い方をするならば、大きな誤謬に気付かなかったことから、 終局を迎えることになってしまったと考えられる。疑うことを知らなかった彼は、 自衛隊を過信しすぎたのだ。ペーパーソルジャー(紙の兵隊)である隊員なのだ。 かつての兵士や将校ではなく、給料生活者としての隊員なのだ。 己の想いを彼らも同様に抱き燃えていると信じてしまったのだ。 世間というか、その汚れと無縁に生きることが可能であったエリート作家の悲劇ともいえる。 建前と本音を、器用に使い分ける、現代の日本人を、あまりにも知らなさ過ぎた。 いや、知らなかったわけではない。見聞きする処世術の巧みさに苛立っていたことだろう。 だが、それすら肌にしみこませたものではなく、あくまで思考する中でのことだったのだ。 それは何も自衛隊隊員に限ったことではない。 同業の作家にも同じ思いを嗅ぎとり、作品と実生活を使い分ける彼らに反吐したのだ。 容認することのできぬ世界に、自分を置くことが耐えられなくなっていたのだ。 なぜならば、自身も汚泥の世界の一員になってしまうからである 「三島由紀夫と天皇」小室直樹
>>531 の続き
生きるためには(死ぬためには)、赦せぬ世界に向けて、突撃の喇叭を吹かねばならぬ。自らが、破れた軍旗となり、
戦場の只中にあらねばならぬ。二・二六事件の青年将校の如く、腐敗した世界にむけて、たとえ破滅の道であろうと
進まねばならぬ。それ以外に生きる方法はなかった。
小室直樹「三島由紀夫と『天皇』」より
三島由紀夫の仏教理解が、いかに徹底したものか。 三島は決して、そこらへんの日本人がやりたがるように、『般若心経』の解説なんぞはしない。宗教音痴の 日本人に仏教の神髄を理解せしむるために、『ミリンダ王の問い』を(「暁の寺」で)引用し解説する。 これのみにて三島の仏教理解の深さ、はるかに日本人を超えていると評せずんばなるまい。(中略) 阿頼耶識も、実体として存在するのではなく、つねに変化のなかにある。刹那に生じ刹那に滅する。 実体として存在するものは何もない。「万物流転」である。 このありさまを、(略)…三島由紀夫は、(「天人五衰」で)海の波で表現している。 …仏教における因縁のダイナミズムを、これほど見事に表現した文章をほかに知らない。 唯識論の視点から見るならば、阿頼耶識は水、その他の識を波、縁を風だとすればよいであろう。 唯識論入門として、(「暁の寺」は)これほど簡にして要を得たものを知らない。 難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。 仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。『倶舎論』を理解するのには 三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。それが僅か三島由紀夫の作品では 十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。 小室直樹「三島由紀夫と『天皇』」より
「五十になったら、定家を書こうと思います」三島由紀夫は、友人の坊城俊民氏にそう言った。 「…定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」 神になった定家。それは三島由紀夫にほかならない。(中略) 三島由紀夫は「定家はみずから神になったのです」と話している。 これは何を暗示しているのだろうか。 仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。 亡霊をシテにして、いわば恋を回想させる夢幻能は、能の理想だといわれる。死から、生をみるのである。 時間や空間を超えたものだ。 三島由紀夫が、定家を書こうと考えたとき、やはり能の「定家」が頭にあったに違いない。 現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は 生の世界にも立ち入っていた。 定家は神になって、生の世界に立ち入ろうとした。そう考えた三島由紀夫ではないだろうか。 生の世界にあっては成就できない事柄を、死の世界に往くことによって可能たらしめようとしたのが、三島由紀夫だった。 …死の世界で「生きる」三島なのだ。 (中略)あえて死の世界へ往き、守ろうとした存在があったのだ。 (中略)近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。 人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。 三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。 作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、 この世への「見返し」を選んだ。 五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイな ものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。 小室直樹「三島由紀夫と『天皇』」より
……たしかに二・二六事件の挫折によつて、何か偉大な神が死んだのだつた。当時十一歳の少年であつた私には、 それはおぼろげに感じられただけだつたが、二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の 怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、密接につながつてゐるらしいのを感じた。 …それをニ・ニ六事件の陰画とすれば、少年時代から私のうちに育まれた陽画は、蹶起将校たちの英雄的形姿であつた。 その純粋無垢、その勇敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型に叶つてをり、かれらの挫折と死とが、 かれらを言葉の真の意味におけるヒーローにしてゐた。 (中略)かくも永く私を支配してきた真のヒーローたちの霊を慰め、その汚辱を雪ぎ、その復権を試みよう といふ思ひは、たしかに私の裡に底流してゐた。しかし、その糸を手繰つてゆくと、私はどうしても天皇の 「人間宣言」に引つかからざるをえなかつた。 昭和の歴史は敗戦によつて完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の 根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれてきてゐた。これは 文士たると否とを問はず、生の自然な欲求と思はれる。そのとき、どうしても引つかかるのは、「象徴」として 天皇を規定した新憲法よりも、天皇御自身の、この「人間宣言」であり、この疑問はおのづから、二・二六事件まで、 一すぢの影を投げ、影を辿つて「英霊の声」を書かずにはゐられない地点へ、私自身を追ひ込んだ。自ら 「美学」と称するのも滑稽だが、私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤が わだかまつてゐることを知らねばならなかつた。それをいつまでも回避してゐるわけには行かぬのである。 三島由紀夫「二・二六事件と私」より
536 :
吾輩は名無しである :2010/11/13(土) 10:48:20
>>522 >>523 石原の文章は、言ってる事は簡単なことなのに決してわかりいいようには書かれてない。
もっというなら明晰に書かれてない。こういうもってまわった口吻はこの筆者の特徴といえば
特徴だが、あまり人好きのする人間でないことだけはよくわかる
>>536 あんまり全面的に三島由紀夫を擁護するとマスコミや文壇から抹殺されて出世に響くから、はっきりできなかったんじゃないかな。
「彼らが決起に失敗し、自刃を決意して天皇の勅使を賜りたいと願い出たときに、天皇は『死にたければ 勝手に死すべし』と冷たく突き放しているのはご承知の通りです。天皇に最も近く仕えていた侍従武官長の 本庄大将が日記に記していることなので、まず本当だったのでしょう。いかにも血も涙もないご返事で、 日本の将来を憂い、天皇を信じきって決起した青年将校たちの落胆ぶりが目に見えるようです」 日頃から青年将校たちの純粋さに憧れていた三島は本当に残念そうだった。 「しかし三島さん、日本は立憲国家なのです。信頼していた重臣たちを突然殺害された天皇がお怒りになるのは 当たり前でしょう。彼らの自刃に際して天皇が勅使を派遣されたとなると、決起を褒賞したことになります。 立憲国家の君主として当然の行為です」 常識的に別になんの疑問もないところだが、三島の考えはやや違っていた。 「総理大臣のような普通の人間ならそれでもいいかもしれませんが、日本のすべてを統括する天皇は神のごとき 存在であり、神のごとき立場で、常に冷静沈着な判断をされねばならなかったのです。 それが、『死にたければ勝手に死すべし』では、あまりにも人間の憎悪の感情丸出しで、一般の市民となんら 変わらないではありませんか。以前会った河野大尉の実兄は、そのとき天皇は、陛下の赤子が犯した罪を 死を以て償おうとしていると聞き、『そうか、よくわかってくれた。お前が行ってよく見届けてくれ』と なぜ侍従長に仰せられなかったのかと嘆いていました。 これはもう、人間の怒り、憎しみで、日本の天皇の姿ではありません。悲しいことです」 三島はそこまで一気に言うと、声を詰まらせた。 原竜一「熱海の青年将校――三島由紀夫と私――」より
…私は三島の激しい口調に反論する言葉を失い沈黙した。 「それから、ひどいのはその後の軍部のとった処置です。青年将校たちは一旦は揃って自刃を決意しましたが、 裁判で自分たちの主張を世間に発表するために法廷闘争に切り替えます。しかし、青年将校たちが最後の望みを 託したその裁判は、弁護人なし、控訴なし、非公開という日本の裁判史上まれに見る暗黒裁判でした。その挙げ句、 首謀者の青年将校十五人を並べて一斉射撃で銃殺したというんですから、とても近代国家のすることではありません」 三島の悲憤慷慨は留まるところを知らず、事件後の裁判まで話が及んだ。作家らしく感情の起伏が激しく 「二・二六事件」当時の東北農村の貧窮ぶりを語るときなどはうっすらと涙さえ浮かべていた。 (中略) 平成元年二月二十四日、昭和天皇の大葬の日は、朝から冷たい雨が降ったり止んだりする肌寒い日だった。 この日、自衛隊を定年退官する私は、天皇の御柩を見送るために三宅坂に出かけた。(中略) 天皇のお車が私の前にさしかかったときである。私は不思議な幻影を見た。道路の反対側にカーキ色の服を着た 男たちが並んでいる。よく見ると、なんと、懐かしい河野大尉を含む「二・二六事件」の青年将校たちではないか。 彼らは道路際に行儀よく並び、天皇の車の行列を無表情に見つめていた。(中略) 「二・二六事件」を解く最大のキーは、そのときの天皇のご決断にあると言われている。 …戦後、天皇が外遊した折、外国人の記者に囲まれて、「二・二六事件」に対する所見を聞かされた天皇は、 「遺憾に思います」と答えられている。政府の高官や皇族の人が「遺憾に思う」ということは「間違っていた」 「すまないことをした」という意味とされている。(略)…マスコミではほとんど取り上げられなかった。 原竜一「熱海の青年将校――三島由紀夫と私――」より
540 :
吾輩は名無しである :2010/11/13(土) 11:34:34
前勤めてた会社に来た営業の子が2・26事件で処刑された人の孫で、 社長が興味本位で色々聞いてるみたいだった。 本人か周囲の人の書いたとても立派な装丁の本を持ってきて、 あの軽薄な社長に託すのが疑問だったけど、 「読んでください」って置いていったそうだ。 (その本は地元の図書館にもあった) そのうち来なくなったけど社長によると「平日の午後に繁華街でギター担いで歩いてた」らしい。
へ〜、子持ちがいたの。
543 :
吾輩は名無しである :2010/11/13(土) 13:13:12
いいかげんコピペやめろや!くそたれ。 基地外板みたいになってだれも寄り付かなくなった。
寄り付かなくて結構毛だらけモンキー糞だらけ(歌丸風
ワロタ
基地外チープチワワ、藁貸し増すねえ〜(笑)
昭和42年10月、「論争ジャーナル」の学生グループに いまこそ政治行動に移るべき時期であると提案する。 昭和43年2月26日、銀座の小さなビルディングにあった 「論争ジャーナル」の一室だけの事務所で、三島と11人の学生とは 一通の血判状をしたためた。 発案したのは三島だ。まず三島が巻紙に墨で「 我々ハ皇国ノ礎ニナランコトヲココニ誓フ」と書き、 それから安全剃刀で左の小指を切って血が六分通りにたまったところで毛筆を浸し、 それぞれ巻紙に署名した。脳貧血を起こした者や、嘔吐を催した者もいたという。 血書が終わると、三島が「みんなでこの血を呑みほそう」と言い出し、 コップを手に取ってから「おい、この中で病気のあるやつは手を上げろ」と言った。 そして塩を振りかけてから順に飲んでいった。 最後に生血で口元を赤く染めた一同を見渡した三島は 「みんなドラキュラのような面相になってしまったな」といって、哄笑をしたそうである。 この文書はもはや現存していない。死の直前に三島が破却した。 その血判に加わった一人によれば、その文面は 『われわれは祖国の文化と歴史の持続性へのいかなる脅威に対しても、 剣をとつて起つことを大和魂をもつて誓ふ』というものであった。 しかし血判状は昭和45年1月浪漫劇場の庭で 三島と持丸によって焼却処分されることになる。
ドナルド・キーン 「1969年(昭和44年)だったか70年だったか、デンマークに行き、 リンデマンという小説家に会いました。 彼はとても得意そうに『カワバタにノーベル賞を与えたのは自分の力だ』 と語っていました。彼は1957年(昭和32年)9月に東京へ来て国際ペン大会に出ました。 そして、そのためか、北欧では日本文学に最も通じた作家だということになっていました。 選考委員会は、そのリンデマンを招いて意見を聞いたのです。 非常に保守的な・・・保守反動的といってもいいほどの人です。 1968年は三島さんが最有力候補でした。ところがリンデマンの常識では、三島はまだ若い、 若いから左翼に決まっている、危ない、というわけで、彼は強く三島さんへの受賞に反対した。 それでは第二候補ということになって、賞は川端さんに行ったというのでした。 (中略)三島さんが左翼だと見られて受賞を逃したとすれば、なんという歴史の皮肉でしょう。 (中略)国連事務総長ハマーショルド(スウェーデンの政治家、1961年に北ローデシアで事故死) のこともありました。彼は死ぬ直前に『金閣寺』を読んで非常に感動しました。 スウェーデンで大きな影響力のある人でしたから、生きて推薦していれば、 きっと三島さんが取ったところです。しかし、先のデンマーク人の言ったことがもし事実なら、 彼ひとりの反対によって賞は川端さんに行ったのです。(中略)大岡昇平さんが後に言いました。 もし三島がとっていれば、今ごろは三島もまだ生きていただろうと。川端さんは、 ノーベル賞を取ったことが非常に重荷になりました。何かすごいものを書かなければならないと思い、 あらゆる手を尽くしました。それが思うように書けず、もう何もできないと絶望して自殺したのでしょう。 つまり自殺の原因はノーベル賞です。一方の三島さんは、川端さんへの受賞で 『次の日本人は20年後だ』と思ったはずです。もう待てない。というのが彼の結論だったのでしょう」
「肉体の鍛錬に思想的な意味をもたせるすべての思想は駄目である。 <若者よ、からだを鍛えておけ>という唱歌をつくった文学政治家が駄目なのは、 そのはなはなだしい例である。肉体を練磨すること、健康を維持し、積極的に 之を開発すること自体にはそれなりの意味が与えられる。しかし、それは個体にとってだけだ。 戦中派と称せられる世代には、これを錯覚して、人工的にボディビルし、刀技をひけらかし、 刀を振りまわしたりするところへつっ走る。もちろん、これとて個体の内部では 意味を持つにちがいない。最小限に見積っても、飯が美味く食べられるとか、気分が爽快になる だとかいう有効性はある。しかし、刀が肉体をふりまわすに至ることだってありうるのだ。 そして刀は肉体だけではなく、精神をもふりまわす。」 (吉本隆明・「追悼私記」)
朝日新聞 昭和45年12月24日、25日 石川淳の文芸時評(徳岡が概要を解説した記事) “三島由紀夫が剣術の稽古を始めたのが、そもそも最初の決定的な瞬間であった。 いかにスポーツの仮面を被せようと、剣は所詮は人を切る道具である。と同時に、三島君には「武士」 という強い観念があった。そこへ行動という問題が入ってくる。しかし剣という道具と武士という観念 と陽明学という行動哲学の三拍子そろっても、人はただちにハラキリするとは限らない。 いかに「ムダを承知」の死だったにせよ、三島君の場合は「認識からパッと行動に、とたんに死に 飛び移る時間的距離において、どうもみじかすぎるように見える。 「このひとには抜きがたい『思想』があった。かの綾にかしこきものを『中心』に立てるという思想 である」そういって石川は、三島が天皇中心主義を絶対不変のものとして持ち続けたことを訝る。 なぜ天皇中心主義に飛びついたのか、石川は疑問に思っている。 かつて三島は入隊検査で即日帰郷になった。それ以来三島は「天皇陛下」を頭でしか理解しなかった。 抽象的な理解だったから、それは戦後25年を経てもなお、三島の頭の中で燦然と輝くことができた。 もし三島二等兵が上官に「天皇陛下の御為なるぞ」と叱咤され、三八式歩兵銃をかついで大陸を行軍 したり南海の孤島の死守を命じられていれば、平和の一日一日は天恵の日々であれ呪うべき腐敗では なかっただろうに・・・と石川は血気の青年将校に向ける憐憫の視線で語っているのだった。”
三島さんのこと少し判ってきたことがある。 (中略)イランとか、近東イスラム教の国家っていうのは、祭政一致でしょ。 あの振舞いは西欧からは不可解なはずなんです。でも、ぼくは戦争中の天皇というものを見ていると非常によく判る。 あれで類推すれば、もの凄くよく判る面があります。アジア的な部分で、ラマ教とか、イスラムとか、 生き神さまを作っといて、それを置いとくわけですね。 (中略)三島さんは、多分、ぼくの考えですけれども、インドへ行って、インドにおけるイスラム教の あり方みたいなものを見て、仏教も混こうしているわけでしょう。そこの所で、天皇というものを国際的観点から 再評価したと思います。 それがぼくは三島さんの自殺当時判らなかったのです。 (中略)三島さんが国際的な視野を持ってきて、インドとか近東とかそういう所の祭政一致的考え方、それだと 思うんです。それ以外に日本なんて意味ないよと考えたとぼくは思うんです。 吉本隆明 小川徹との対談、雑誌「映画芸術」より 猪瀬直樹「三島由紀夫は、七十年に自衛隊のバルコニーに立って演説するわけです。 あの演説のとき、自衛隊員に罵倒されたでしょう。あれ、吉本さん、どうご覧になってました?」 吉本隆明「なんてやろうだ!と思ってました。死ぬ気でいる人間の言葉を、自衛隊に入隊して 一緒に訓練した人間の言うことを、黙って聞いてやることぐらいしたらいいじゃないか。 これじゃ、三島さんが気の毒だ…、というのがホンネでしたね。」 1994年12月2日号「週刊ポスト」より
三島の天皇崇拝は、彼の存命中ずっと在位していた天皇、裕仁に向けられたものではない。 短編「英霊の声」では、二・二六事件の首謀者と昭和二十年の神風特攻隊員の霊が、自分は神ではないと宣言して 彼らを裏切った天皇を激しく責める。天皇の名の下に死んだ者たちは、天皇が普通の人間と同じ弱さを持った 人間であることを知っていたが、天皇という資格(キャパシティ)にあって、天皇は神であると確信していた。 もし、天皇が二・二六事件に関わった青年将校を支持し、なかんずく、彼らに自裁を命じたのだとしたら、 その行為は、老いて堕落した政治家に囲まれた単なる統治者ではなく、神としてのふるまいだったであろうに。 しかし、神風特攻隊員が天皇を叫びつつ喜びに満たされて死んだ、それからわずか一年も経たずに、自分は 神ではないと宣言した時、天皇は彼らの犠牲を哀れで無意味なものにしたのだ。 三島は、天皇無謬説を唱えたことがある。無論これは天皇の人間としての能力をさした説ではない。 より正確に言えば、天皇は神の資格において、人間の姿をした日本の伝統そのものなのであり、日本民族の 経験が保管された唯一無二の宝庫である。天皇を守ることは、三島にとって、日本そのものを守ることだった。 このような政治観を日本の右翼と同一視するのは誤りであろう。 彼は確信していた。日本の景観を無慈悲に切り刻んで顧みない貪欲と、それが舶来だからというだけで事物や習慣を 表面的に受用する西洋化、この二重の脅威から日本文化の崩壊を救えるのは若者の純粋さ、すなわち信念のためには 死を辞さぬ若者の覚悟だけだと。 ドナルド・キーン「思い出の作家たち」より
>>548 大岡昇平の見方は見当違い。ノーベル賞を川端と争うもっとずっと前から三島の民兵組織の行動は始まってますからね。
>>553 あなたは大岡よりも身近に三島と接していたの?
民兵組織の行動は始まってますからって・・・
そんなことを問題にしているのではない。
キーンも大岡も、文学者として三島に生きてもらいたかったのです。
そのためなら、ノーベル賞など軽いものだ、とね。
あなたはそんなことより自分の知ったかぶりが大事らしい。
見当はずれな悲しい信者さんですね。
555 :
吾輩は名無しである :2010/11/13(土) 18:06:34
チワワは痛いヤツだな。
多くのお伽噺の挿話に見られるように、開かずの間に対する好奇心のおかげで、 身を滅ぼす人は多いのである。ともすると、人間にとっては、 「命をかけても知りたい」という知的探究心が真理を開顕することよりも、 「知ることによって身を滅ぼしたい」という破滅の欲求自体のほうが、重要であり、 好もしいことなのではなかろうか? (三島由紀夫「小説とは何か」)
「椿説夕張月」を演出していたその国立劇場の屋上で、85名を擁する楯の会会員が 日本人外国人合わせて、100人の招待者の前で、結成1周年の公開パレードを行い、 三島は英語の歓迎演説をした。三島は昭和42年5月末に国立劇場の理事に就任していた。 その職権の濫用とでもいう行為だった。 招待者は楯の会に同情的と目された作家たち、有名人たち、そして日本と外国の ジャーナリストたちだった。政治家は誰も招待されなかった。 招待者の多くはこれを受け入れたが、それを断った人々にはその後の三島からの音信は絶えた。 この結成1周年のパレードの一ヶ月前、昭和44年10月、川端康成に楯の会記念パレードの 来賓代表者の挨拶を三島は依頼に行った。 川端は「いや。だめ。だめなものはだめなのです。どうしても断ります」と言下に断った。 三島はその日、家の者にあたりちらし、村松剛に電話をして泣かんばかりに 「今東光の選挙演説をしているじゃないか」「僕は川端さんを慕い信じつづけてきたが、 それを見事に裏切られてしまった。断るのはいい。しかし同じ断るにしても あんな凄い言い方ってあるだろうか」と激憤した。 それ以来、三島は川端を恨みつづけた。三島の死後も、川端はこのことがたいへん苦になっていた という。また、石原慎太郎にも出席の通知を送ったが、石原もこれを断り、後日、 どうして出なかったんだ、と石原は三島からなじられた。
楯の会を結成して以来の三島を、石原は傍からみていて「気の毒というよりない」 といっている。落ち着きがなく、いつもイライラしているようにみえたという。 川端康成の一件にしても、今東光のような公の選挙と得体も知れぬ「楯の会」とでは 話が違うというのは川端の本音であり、それとこれを一緒くたにしてしまう というところにも三島の混乱というか荒廃というか、余人にはついていけない独善が みられると石原はいう。 常識的な判断を下せなくなってきているこのころの三島を伝えるエピソードがほかにもある。 徳岡孝夫が三島と「よど号」のハイジャック事件について話し合っていたとき、 三島は「彼らにも立派な点がひとつあります」といった。なにかときくと、 「武器に日本刀を使ったから」というのが答えだった。全共闘の討論以来、 三島さんはときどきへんなことをいうようになったなあ、と徳岡は感じていた。 いくらなんでもハイジャック犯人の日本刀に感心することはないだろうと徳岡はあきれた。 三島の日本刀の思い入れの深さは刀への情欲といってもよく、またそれは観念的だと徳岡はいう。 これはそのまま、日本刀に振り回されたあげく三島はああなってしまったのだ、 という石原慎太郎のいうことと一致している。
情死説を強めるまことしやかな噂も、自決後にたてられた。 「三島氏の解剖の結果、体内に他人の精液が発見されたとかの、うわさを、 ジャーナリストの人たちから聞きましたが、いつもは、うわさを真実のように書くことを 信条とする週刊誌が、そのことに一行も触れなかったことに、奇異な感じさえしました。 おそらく抑圧されてしまったのだと思います。」 (『閉じ込められたエロス』いいだもも「朝日ジャーナル」昭和45年12月27日) このような路線に結びつけたがる人はたくさんいたが、ヘンリー・スコット・ストークスは、 三島には常に支えてくれる人が必要な人物だったのだという。 「三島は必ずしも弱い男ではないが、何事かをなすに当たって常に支えてくれる人を必要とした。 若くして小説家として立とうと決めた時、母が彼の強い支えとなった。 切腹が狂気であり覚悟を決めていたことだとしても一人ぼっちで腹を切るのは 三島にはできなかったにちがいない。その意志を支えたのが森田必勝だった。」 (ヘンリー・スコット・ストークス「三島由紀夫 生と死」)
>>554 いくら三島に生きてもらいたかったの思っていても、見当違いの理由付けしてもらったら三島が却って浮かばれませんから。
それに私が読んだ大岡昇平の文章には、ああいう最後も「三島さんの魂は護国の鬼となった。それもまた一生」と述べてて、
別に生きててほしかったなんて表明してませんよ。残念でした。
>>560 そのいいだもものガセネタと、下のヘンリーの記述はまったく何の関係ないことでしょう。
引用するときは、偏向編集しないでください。
>>560 それから三島が一人で死ぬつもりで、ずっと森田に生き残るように説得していたことは、
市ヶ谷にいた他の楯の会の人がはっきり証言してますから、そのヘンリーの憶測も間違い。
三島が切腹する直前にも、だめ押しで森田に「君はやめろ」と言ってます。
>>554 あんたこそ、何も知らずに、全く事実と違うでたらめの憶測や、死んでからああだこうだと何でも結びつけるくだらない推測レベルを
しかも別々の話者のものを切り貼り引用で偏向編集してでたらめストーリー作りしてるバカブログをコピペしてるだけでしょう。
実際にその引用元すら自分で全文読んでもしないから、偏向編集されたものを鵜呑みにしてるだけでしょう。
566 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/13(土) 19:52:49
やはりチワワは馬鹿だな。一つの作家にこだわり続けるのはいいことではないぞ。
>>559 現実、日本の伝統は冒され、今までそれをはぐくんで来た日本の個性は損われ、喪われつつある。それを冒すものは、
私たち自身の内と外にある。
今日の偏向した教育がもたらした、多くの日本人の自らの歴史と現実への歪んだ歴史的認識、軽挙としか
いいようのない、決して進歩的革新的ならざる進歩派的政治的価値感が、自らの内にあり、外には、欺瞞に
支えられた安易で不毛な政治がある。
心あるものは、この現実に、国を愛するが故の危機感を抱いている。三島氏もその一人であった。そして、
彼の行動は、その形の有効性への議論はさておいて、とにかくその危機を阻止するためにとられたことに
違いはあるまい。
石原慎太郎「三島由紀夫への弔辞」より
生きていてほしかったのなんの言っても、右翼に間違えられると言われただけで葬式にすら出席もしなかったドナルド・キーンだそうですね。
一時は楯の会を解散しようかと三島は考えたが、楯の会の「学生長」として 森田必勝を指名した。三島と森田はしばしばいっしょだった。 三島と同席しているときには、森田は、一人の友人の言葉によれば 「信じあった婚約者のように」ものしずかで、自信ありげだったという。 三島は森田をある人に紹介したとき、 「彼を覚えておいてくれよ。ぼくを殺すただ一人の男だ」と語ったこともある。
570 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/13(土) 21:54:12
>>568 キーンの心理を把握できたつもりのチワワ乙w
571 :
吾輩は名無しである :2010/11/13(土) 22:11:04
まあ、豊穰の海の最終作の不出来さを思うと、三島はさっさと死んで良かったと思う。 あの結末は、もうどうとでもなれ、と言わんばかりのいい加減さだったからね。 しかも本人が憧れていた腹切り自殺という死に方だったしね。 気の毒だったのは、最終的に三島の首を切り落としたのが、 愛人の森田必勝ではなかったところかな。
572 :
吾輩は名無しである :2010/11/13(土) 22:32:31
↑森田必勝がうらやましいのか
573 :
↑ :2010/11/13(土) 22:51:04
?
>>570 キーンが自身でそう書いて反省してますから。残念でした。
>>571 不出来なのはあんたの頭。
森田も別に愛人じゃないから。
576 :
吾輩は名無しである :2010/11/13(土) 23:00:41
_, ,_
('A`)
ノヽノヽ =3
>>575 くく
>>564 「君はやめろ」
三回くらい言ったらしいな
一回にしとけばさほど白々しくなかったw
森田の方が死ぬ気マンマンだったのにね
三島劇場丸呑みチワワさん、お気の毒。
578 :
吾輩は名無しである :2010/11/13(土) 23:04:26
半世紀もたってあのバカ芝居を真に受けてるやついるのか? 救えねえなぁ・・・
チワワおまえも腹斬ってみろ そしたら俺は全面降伏しておまえにひれ伏すよ 本当だ。やったれ
介錯いたす。
>>577 三島は本当に死んでほしくなかったんだよ。
元楯の会の人も、森田を説得できなかったことが三島先生の誤算だったと言ってるし、
世間の誤解を生むのも解ってただろうから。
あんたこそ、偏向編集だらけの三流関連本の作った三島劇場を丸呑みしてるバカでしょうよ。
涙目チワワ〜 オシッコ漏れそうね、アナタw
さっさと腹斬れやデムパ野郎
>>581 キーンは反省してますよ、右翼の仲間だと間違えられると言われて葬式に行かなかったことを。
本当は誰かに言われたことより、自分自ら躊躇したんだろうけどね。
>>582 >元楯の会の人も、森田を説得できなかったことが三島先生の誤算だったと言ってるし、
うんうん。美談だね
で、いつキミは腹斬るの?
介錯に使われた刀は、ご存知のように「関の孫六」でした。書店の御主人の舩坂弘さんから寄贈されたものです。 そのため、舩坂さんは警察に呼ばれたわけですが、そのときもう一度実物を見せてもらったところ、奇妙なことに 柄のところが金槌でめちゃくちゃにつぶされていて、二度と抜けないようになっていたそうです。これはいったい、 何のためなのか警察でも見当がつかなかったようです。 ところが、その後の調べで、伜の周到な処置であることが判りました。 というのは、こういうことです。伜は死ぬのは自分一人で足りる、決して道づれは許されない、ましてや 森田必勝君には意中の人がいるのを察し、彼の死の申し出を頑強に拒否し続けて来た。しかし、森田君は どうしても承知せず、結局、あんなお気の毒な結果になってしまったのです。そして、森田君の希望により 伜の介錯は彼にたのむ手筈になったものの、かねてから介錯のやり方を研究していた倅の眼から見ると、 森田君の剣道の技倆はおぼつかないと見てとったのでしょう。かんじんのとき、万一にも柄が抜けることのないよう、 ああした処置をして彼に手渡したのだそうです。まことに用意周到をきわめたものです。自分自身が割腹に 使用したのは、かねて用意の鎧通しでした。 平岡梓「伜・三島由紀夫」より
キーンが自分で「反省」といった? どうしようもないですね・・・
>>587 うんうん。美談だね
演出家三島の能力を見下してる困ったちゃん
森田はチビ古賀にまえもって頼んでたろ?
純情森田のこともっと調べようね
>>589 森田は死ぬつもりだから、古賀に介錯たのむのは当たり前でしょう。
それと三島の説得は別のこと。
何かといえば、三島の演出とか、あんたこそ文学バカ丸出しでしょうよ。作品を作るようには現実の人間は操ることはできませんから。
森田必勝は私より一、二歳年長の同じ大学の学生であった。面識はなかったが、彼を見知っている友人もいて、 自分と同時代の人間の起こした事件という思いはある。(中略) その日の昼ごろ、電話が鳴った。受話器からは友人の少し緊張し少し興奮した声が聞こえてきた。 「三島由紀夫が自衛隊に立て籠ったぞ」。友人はニュースで知った事件のあらましを語った。私が当時は昼ごろ まで寝ており、テレビも全く見ないことを知っていたから、電話で教えてくれたのである。(中略) 私は大学に行った。大学では学生たちは既に事件を知っており、みんなこれを話題にしていた。(略) 三島由紀夫は森田必勝とともにその日の昼すぎには割腹自殺を遂げていた。夜には事件の全容がほぼ明らかになり、 翌日からはマスコミがさまざまな人の意見を取り上げた。左翼側は、当然、事件に否定的、批判的であった。 中には三島を嘲弄する口調のものもあった。しかし、これには私は同感し得なかった。 当時の学生たちの中の少しアタマのよい連中は、旧来の左翼理論が行きづまりかけていると皆思っていた。 しかし、それに代わりうるものを創出するだけの知性も覚悟もなかった。人のことはいえない。私もただ惰性で 落第をくり返していた学生だったのだから。そういった学生たちを誘引したのは、ハッタリとヒネリだけの 突飛な言辞を弄する奇矯知識人だった。十数年の後に、私はこれらを「珍左翼」と名付けることになるのだが、 当時はそう断ずるだけの自信はなかった。 そんな奇矯知識人、奇矯青年に人気があったのが八切止夫という歴史家だった。歴史学の通説を打ち破る珍説を 次々に発表する在野の学者だという。判断力がないくせに新奇なものには跳びつきたがる学生がいかにも喜び そうな評価である。私も一、二冊読んでみたが、どれも三ページ以上は読めなかった。あまりにも奇怪な文章と 構成で、私がそれまで知る日本語とはちがうものが記されていたからである。その八切止夫が、どこかの新聞か 雑誌に切腹不可能説を書いているのを読んだことがあった。(中略) 呉智英「『本気』の時代の終焉」より
しかし、三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には 師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。三島の首には幾筋もの刀傷がついていた。 それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。罪人の斬首の場合、どんな豪胆な 連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門 (首切朝右衛門)は語っている。しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、 三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。楯の会が小説家の道楽ではないことの 確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように 嘲笑的な態度を取ったのである。八切止夫が切腹不可能説を撤回したという話も聞かなかった。 しかし、「本気」とは何か。「本気」に一体どれだけの価値があるのだろうか。三島由紀夫は「本気」の価値を 証明しようとしたのではなく、「本気」の時代が終りつつあることを証明しようとしたのではないか。 「本気」の時代の弔鐘を鳴らし、「本気」の時代に殉じようとしたのではないか。(中略) 三島由紀夫は私財を擲(なげう)って楯の会を作った。共産主義革命を防ぎ、ソ連や支那や北鮮の侵略には 先頭に立って闘う民兵組織である。(略)三島はこの行動について「本気」だった。小説家の気まぐれな 道楽ではなかった。しかし、現実に治安出勤や国防行動を最も効果的にするのは、税金で維持運営される 行政機関である自衛隊なのである。自衛隊員は、法に定められた義務のみを果たし、法に定められた権利を 認められる。まるでお役所である。いや、事実、お役所なのである。(略) 「本気」の武士より、権利義務の関係の中でのみ仕事をする公務員の方が尊ばれ、価値がある時代が始まり かけていた。換言すれば、これは「実務」の時代の始まりであった。 呉智英「『本気』の時代の終焉」より
私は実務の時代の価値を否定しない。(略)英雄が待ち望まれる時代は不幸な時代である。思想や哲学や 純文学が尊敬を集める時代も不幸な時代である。一九七〇年以降、日本は不幸な時代に別れを告げた。 英雄はいうまでもなく、思想や哲学や純文学、総じて真面目な「本気」は「実務」の前に膝を屈し、幸福な 時代が到来した。(略) だが、時代はそうなりきることはなかった。一九九五年、歪んだ醜怪な「本気」が出現した。オウム事件である。 (略)本当に不気味で醜悪な恐怖の事件は、三島が「本気」に殉じた後の時代に出現したのであった。 呉智英「『本気』の時代の終焉」より
>>588 なんでそんなに疑うの?あんたが拾ったブログのコピペの都合のいいとこしか信じないとはずいぶんとバカ丸出しだね。
右翼と誤解されることを怖れて三島の葬儀に出席しなかったことを後悔している、とはっきり述べてますから。残念でした。
バカだなぁチワワは おまえ四六時中このスレだけ 働きもしないで貼りついてっけどさ 現実のおまえは屑ートでバカにされまくりに 馴れてんだろうが、こっちのほうが いいかげん恥ずかしくなるんだよ で、なんでおまえが醜いかていうとさ ふつうは十人以上愛読作家がいて こゆとこで知ったか齧ったちゃん見ると バリむかつくわけね、誰でも でもそれにモロ立ち向かわないわけよフツウ だってここ2チャンだもの 知性のない信者が阿呆をガチ晒しまくりって 絵に書いたような図なんだよ ここ2チャンだぞ キミのそのハラスメント、生活の一部らしいけど それがどんなにくだらないか いいかげん気づいてよ 己のバカに気づかないバカは本当にムカつくし 攻撃対象についついしちゃうけど あんた見てて哀れにもなるんだよ やっぱマジに深刻な病だから直そーよ キミのためにあたたく説教してんだから聞く耳持てよw
>>594 >都合のいいとこしか信じない
うわぁwww
>>595 私のことなんかどうでもいいんだよ。誰に何と思われても平気だから。
あんたこそ、ずっと張り付いて、でたらめ撒き散らしするために、なんでそんなに必死なんでしょうか?
じゃキーンのを貼れよ なんで呉智英なんてバカ(おまえよりマシだが)のを出すんだよ
>>596 何を知らなかったことを誤魔化してんの?
そのキーンの後悔が何か気に入らないわけ?
>>597 だからあんたを見捨てずに教育してんでしょ
>>600 無駄ですよ。あんたみたいなバカがいい加減なブログコピペして偏向捏造すればするほど、私は三島のために頑張る決意を固めましたから。
残念でしたね。
>>599 三島ガチ信者にキーンと三島の本当のところわかるわけないじゃん
信者は盲目であんたその典型でしょ
佐伯の文章だって読み違ってたし
まず文献以前に自分の知性をうたがおうよ
>>601 はい質問です
なんで「三島のために頑張る」んですか
その理由を述べてください
あなたのためじゃなくて、なんで「三島のため」なの?
逃げんなよw
>>602 あんたはまず他人のブログの抜粋だけじゃなくて自分自身で、文献くらい全部読んだら?
そんなだから的外れなブログを丸呑みするしかないバカなんだよ。
>>598 ほらよ
東京に着いたのは1月24日の三島の葬式の直前で、私は弔辞を述べることを引き受けた。
ところが、私の親しい友人三人は葬式に出席してはいけないと言う。私が弔辞を述べることで、三島の右翼思想を
擁護しているように取られてはまずいと言うのだった。最終的に彼らの説得に応じたが、それ以来私は、
自分がもっと勇気を示さなかったことを何度も後悔した。
私は三島夫人を訪問した。三島の写真がある祭壇に、私は彼に捧げた自分の翻訳『仮名手本忠臣蔵』を置いた。
その本には、下田で会った時に三島自身がこの浄瑠璃から選んだ次の一節が題辞として揚げられていた。
国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るるに
たとへば星の昼見へず、夜は乱れて顕はるる
ドナルド・キーン「私と20世紀のクロニクル」より
>>603 理由なんてありませんよ。好きなものに理由なんてありませんから。
>>605 だからいいよそれ
反省でなくて、後悔でしょ
「反省」なんて書くわけいんだよ
さあ逃げずに質問に答えてよ
なんで「三島のために頑張る」んですか
>>607 後悔してるんだから反省でしょう。何を誤魔化してんだか。バカ丸出し。
609 :
吾輩は名無しである :2010/11/14(日) 00:59:50
けんかしてどうなるんだ?
逃げないでください 好きだからなんて なんで「三島のために」なのか あんた自身のためじゃなく よく恥ずかしくないね、三島みたいなタイプの作家はマンセーもとめないよ 答えろやw
>>607 三島が残したかった日本への提言を宣伝してますから、三島のためになるでしょ。
何かそれが都合悪いんですか?
最初に「反省」なんて乱暴なコトバ使って何誤魔化してんの? 答えろ
日本のため ホホウw
614 :
吾輩は名無しである :2010/11/14(日) 01:06:28
おったまげw
>>610 あんたがマンセーを求めないでしょ。
それにただ三島のためになる記述や、三島論を紹介してるだけで、別にマンセーしてないし。
>>615 だから、それがどーして「三島のためになる」んですか?
核心が近いですから、逃げないで答えてください。
>>610 横レスですがー
ではチワワさんが、三島のためではなく、私自身の満足のために、と
書いていたら納得しましたか?
三島のため=私のため
それが「好き」だということだと思うけれど・・・・
618 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/14(日) 01:24:46
ふむ。その資料は当時の三島がアレな人間に思われていた一証左ではないのか?w
いいですか。あなたの記述や、三島論を紹介することが どうして「三島のために」なるのですか あなたは「三島のためになるでしょ」と書きました なぜなるんですか? 先にも何度も書いてますがチワワのために絡んでんのよ
私は親切で バカを死ぬ前に直してあげたいんです
>>620 三島の愛した文化、美意識を残したかった気持が詰まっている三島の文章を紹介したりすることは、
自分の思いを世界に広めたかった三島のためにもなるでしょう。
もちろん私も三島の文章に触れていて楽しいですよ。自分のためにも勉強にもなるし。
なんでそんなに絡むのか意味不明。
>>620 逆に聞くけど、三島の文章が広まったら、何かあんたに不都合でもあるわけ?
ずるいな〜チワワ 森田が介錯に自信なくてチビ森田にたのんだこと 介錯そのものを頼んだといったり キーンが「反省」なんて書くわけないのに 後悔だから反省と誤魔化したり 自分のやってることが 三島のためになるなんてウッカリ書いちゃって 苦しい言訳と逆質問で逃げまくり 「三島のためにも」「自分のためにも」 アホこけ ちゃんと答えてください わたしはただ単にあなた自身のためにしかやってないと思う ここでやってるハラスメントは逆に三島のためにならない。 反論は?
あ、チビ古賀ねw
つまり、あなたみたいな人に紹介されることは 三島のためにならない、ツラ汚し、不都合 反論は?
627 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/14(日) 01:57:23
まずチワワは思考停止の連投と変わりないからな。
>>626 三島のためになってますよ。私の紹介で三島ファンになったり、三島シンパになった元共産党の人がいましたからね。残念でした。
うわあ
>>622 他
あなたは「マゾちゃん」なのかな。そう仮定してレスさせてもらう。
チワワ連呼する何人かの阿呆を相手に孤軍奮闘の様子だが、
絡むのが目的なのだから、何を言っても無駄。無視しなされ。
誰彼かまわず噛みつくのが悪い癖だと、以前指摘したことも
あるんだが、直らないみたいですなw
相手にせず、「粛々と」関連資料をコピペして下され。重宝している。
佐伯を誤読しているという指摘は当たっていると思う。もう一度読んで
よく考えてみるよう忠告したい。
それと、小室直樹が好みのようだが、俺はどうも気に入らない。
ファナティックな感じがどうもね。贔屓の引き倒しになりそうで心配。
>>531 なんか、こんな短い一節で論理が二転三転して、殆ど破綻しており、
まともに読めない。認知症か統失かを患っているのではと疑いたくもなる。
あなたの(と思われる)レスで気になったのは、この2点くらい。あとは正論。
ヤケクソで嘘吐くな 私があなたのために答えてあげるよ 三島は晩年 人生には敵が必要と言ってます あなたは徒に敵をつくろうとしてますよね いっつもシツコイ 私は気が向けば、ですが こんなことでしか自分を鼓舞できないなんて三島が泣くよね あなたみたいな人にとっては三島は毒にしかならない。
岡潔:三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、天皇制が 大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやって みせているし、本当に偉い人だと思います。 Q(編集部):百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか? 岡潔:間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも 間違った個人主義、民主主義なんかを、不滅の真理かのように思いこんでしまっている。 ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。 かなり影響はあったと思います 岡潔「蘆牙」より
>>630 なんだお前はえらそーに
狸か(笑)
バカ甘やかすなよ
全集1冊100円でPDFにして会員になれ
貧乏人が(笑)
>>631 晩年? 晩年どころか三島は二十代前半から共産党は敵だと言ってますよ。もちろんアメリカも戦前から敵視してますけどね。
>>630 親切なアドバイスどうもありがとうございます。 冷やかし荒らしは気にせず粛々としますね。
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありませう。 ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもつてゐますので、一しほの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、 ニイチェのやうに、愚人の海に傷ついた人でありませう。英雄の悲劇の典型ともいふべきものがみられるやうに おもひました。かつて世界の悲劇であつたのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。 スカラ座もこはれたやうですね。米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦ふべきでありませう。 俗な精神が世界を蔽(おお)うた時、それは世界の滅亡です。 萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらひ、さげすみ、蹴とばした 気持がわかります。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和18年8月20日、東文彦への書簡より
僕は今この時代に大見得切つて、「共産党に兜を脱がせるだけのものを持て」などゝ無理な注文は出しません。 時勢の流れの一面は明らかに彼らに利があり、彼等はそのドグマを改める由もないからです。しかし我々の任務は 共産党を「怖がらせる」に足るものを持つことです。彼等に地団太ふませ、口角泡を飛ばさせ、 「反動的だ! 貴族的だ!」と怒号させ、しかもその興奮によつて彼等自らの低さを露呈させることです。 正面切つて彼等の敵たる強さと矜持を持つことです。ひるまないことです。逃げないことです。怖れないことです。 そして彼等に心底から「怖い」と思はせることです。 (中略)貴族主義といふ言葉から説明してかゝらねばなりません。 学習院の人々に貴族主義を云ふとすこぶる誤解されやすく、それはともすれば今までの学習院をそのまゝそつくり 是認する独善主義の別語とされる惧れなしとしません。 (中略) 明治以来、「華族」とは政治的特権を背景にもつた政治的な名称であり、文化的意義は頗る稀薄にしかもつて をりません。新華族が簇生(そうせい)した所以です。――貴族主義とはプロレタリア文化に対抗すると同じ 強さを以てブルジョア文化(アメリカニズム)に対抗するといふことを知つていたゞきたい。この意味で 政治的意味の貴族主義は無意味です。なぜなら世界史の趨勢はアリストクラシイの再来を絶対に希みえず、 現今までわづかに残された政治的特権も過去の特権の余映にすぎぬといふ理由が第一、もう一つは、ブルジョア文化が 今では貴族社会一般を風靡し、単に華族を集めてみても貴族主義は達成されぬといふ理由が第二です。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より
――それでは文化的貴族主義とは何でせうか。それは歴史的意味と精神的意味と二つをもつてゐます。 …後者はあらゆる時代に超然とし、凡俗の政治に関らず、醇乎たる美を守るといふエリートの意識です。 (これは芸術からいふので、倫理的には道徳を守るエリートたりともある人はいふでせう) …しかもその効果は美的標準に於て最高のものであらねばならぬ点で明らかに貴族主義的です。向上の意識、 「上部構造」の意識、フリードリヒ・ニイチェが貴族主義とよばれる所以です。 第二に、唯美主義は本質的に反時代性をもつといふ点で貴族的です。 われらの外部を規制する凡ゆる社会的政治的経済的条件がたとへ最高最善理想的なものに達したとしても、 絶対的なる「美」からみればあくまでも相対的なものであり、相対的なものが絶対的なものを規制しようとする時、 それは必ず悪い効果を生じます。いかによき政治が美を擁護するにしろ、必ずその政治の中の他の因子が美を 傷つけることは、当然のことで仕方ないことです。したがってあらゆる時代に於て美を守る意識は反時代性をもち、 極派からはいつでも反動的と思はれます。すなはち、彼らのいはゆる反動的なるがゆゑに貴族主義的です。 ――「中庸」といふ志那クラシックのいかにも睡つたやうなこの言葉がやうやう僕には激しい激越な意味を以て 思ひかへされて来ました。中庸を守るとは洞ヶ峠のことではありません。いはゆる微温的態度のことではありません。 元気のない聖人気取ではありません。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より
「中庸」の思想こそ真に青年の血を湧かせる思想なのです。それは荊棘の道です。苦難と迫害の道です。 漢籍に長ずるときく山梨院長が、戦時中の輔仁会で翻訳劇を上演しようとした僕の意図を抹殺し、戦争終るや 「モンテ・カルロの乾盃」を手もなく容認するやうな態度を、人々はいはゆる「中庸」の道だと思つてゐます。 これは思はざるの甚だしきものです。これこそいはゆる論語よみの論語知らずです。 右顧左顧して世間の機嫌をうかゞひもつとも「穏当な」道を選ぶといふ思想こそ、孔子が中庸といふ言葉で あらはしたものと全く反対の思想です。 中庸といふこと、守るといふこと、これこそ真の長い苦しい勇気の要る道です。 このやうな時代に、美を守ることの勇気、過去の日本精神の枠、東洋文化の本質を保守するに要する勇気、 これこそ真の男らしい勇気といはねばなりません。 学習院は反動的といふ攻撃の矢面に立ち、真の美、真の文化を叫びつゞけねばなりません。 平岡公威(三島由紀夫) 昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より
東京では印象批評が滅び去りました。たとへば中里恒子や北畠八穂のやうな美しい女流作家が不遇です。 川端康成氏が評壇から完全に黙殺され、日夏耿之介氏はますます「枯坐」して化石してしまひさうです。 横光利一氏の死に対してあらゆる非礼と冒涜がつづけられてゐます。私の愛するものがそろひもそろつて このやうに踏み躙られてゐる場所でどうしてのびのびと呼吸をすることなどできませう。 斎田君も今の東京で仕事をすれば苦しむことがわかつてゐます。美しいものが美しい故に死刑に処せられるのです。 (中略) ギロチンへみちびく民衆は笑はない民衆です。おそろしくシリアスな、ニイチェ的笑ひとおそろしく無縁の民衆です。 共産党系の雑誌や新聞に出てゐる漫画は笑ひを凍らせます。かれらはデスマスクをかぶつた民衆です。 美の死刑執行人であるといふ自負すらもちえない精神です。 銀蠅が芥箱から出てきてそこらをとびまはつてゐます。ブンブンといひて夜もねられず、といふところでせうが ――かれらは「海」とは無縁の精神です。蠅は海のまへで引返します。かれらは翼をもたないくせに翅(はね)を 翼だと思つてゐるのです。(中略) ――たゞ一意専念、あの未知の国から一条の光をこの地上へもたらせば私の仕事はすみます。 どうぞ時々お暇な折に励ましの御言葉をいたゞきたうございます。詩人に対し要求することは罪であると知りつゝ、 敢て(「要求」とは失礼ながら)お願ひいたす次第でございます。 三島由紀夫 昭和23年3月23日、伊東静雄ヘの書簡より
なんだチワワ もう降参か? やっぱ根性ねーなw 粛々とやんなら 自分で立てた引用スレでやんなさい ここはやり取りする場だぞ ペタペタ・ハラスメントやめろw 煽りや弱い意見に抗議すんのがおまえの目的なんだよ スルーできるわけねえだろ おまえがここに来る意味なくなるもんな 粛々と釣られまくってよ、とっとと出てけ アホが
642 :
吾輩は名無しである :2010/11/14(日) 20:38:30
山口二矢顕彰会『山口二矢供述調書』(展転社) @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ あの驚天動地の映像をともなった衝撃から半世紀。多言を要しない。悲しみと慟哭と、愛国の決意。そしてあまりにいさぎよい自決で終演した。大江健三郎はやがて『セブンティーン』を書いた。 三島由紀夫は十年後に楯の会の制服を着て決起した。沢木耕太郎は十数年後に『文藝春秋』に連載をはじめ、『テロルの決算』をまとめた。 山口二矢は短絡的なテロリストではなかった。かれは当時の青年の教養レベルからしても、相当な知識人たりうる素養があった。わずか十七歳の若い命だった。 この自伝ともいえる供述調書に彼の精神が込められた。魂がこめられたのだ。 『七生報告』『天皇陛下万歳』を獄中に残し、自らも命を絶った壮烈にして清純な魂が、調書の行間から溢れだしてくる。 三島由紀夫と行ともにした森田必勝は事件の衝撃をうけて日記に『テロリズムを憎む』と書いた。その森田が十年後、山口二矢と同じく『七生報告』「天皇陛下万歳」を叫んで三島と自決した。 二矢の供述調書は過去に資料集など収録されたことはあったが、単独出版は初めて。半世紀を経た。本書には父親の追悼が三つ、淡々とした文章のなかに慚愧と慟哭の心情が行間に滲んで泪を誘う。 そして日米安保条約の改定から半世紀。「日米同盟の深化」が横浜APECにおける菅・オバマ会談で謳われた。
643 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/14(日) 20:43:44
なんか知らんがチワワは昔好きだった人に三島が似ているから好きになったとか言っていたな。ずいぶん前だが。 ことほどさようにチワワの好きと言うのは感情的なものが多い。好きな作家でも、調べていく中で嫌な面も見えてくるだろうにな。まぁ三島はかなりの優等生だっただろうが。
「砂の女」の中の 「しらじらしい、罪もないような話っぷりはやめろ!」 とかいうセリフを三島は気に入った。 戦後の民主主義社会をダブらせていたのだと思う。
645 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/14(日) 23:13:36
一時期の知識人はみんな一様に「戦後民主社会」というカッコつきのよく分からない世界を批判してきた。 戦前と比べて今は馬鹿らしい世界になったというのだ。そういえばどこか超然として凄い、反俗だといって貰えた訳だが。 だがよく考えれば分かるように、戦後は戦前よりよくなっている、という見方も存在するだろう。もちろん昔を懐かしむのは勝手だが、その昔は実際に存在した昔ではなく、頭の中だけの昔だよな。 安部の台詞は別にそんな含意はないと思うが、もしそれを「戦後民主主義社会」を批判する意味ととるのならば、言わせて貰おう。 いったい、いついかなる時代に「しらじらしい、罪もないような」が存在しなかったのだ? また反対に罪がなかったような時代は存在するのか? 虚飾はいつどこの時代にもあった。「しらじらしい、罪もないような」ふりをする人間はいつだって存在した。三島は戦前少年だったから、理解できなかった部分もあるのだろうな。 モリエールの「タルチュフ」でも観賞しろ。
>>645 三島のいう「戦後民主主義」には戦前と比較して悪いという単純な意味じゃないですよ。
三島が戦前の人間も批判してるのは書簡や私的なノートを読めばわかるはず。
三島にとっては同じ大衆やマスコミが右顧左顧してるだけという認識だったんだよ。
それでは、間抜けなマグナ君おやすみなさい。
富岡 私ね、ある人のところにお正月たまたまいたんです。 その人、すごく軍歌好きの人なの。 「ここはお国を何百里」というのを四十八番までそらで憶えている人なの。 それでどんどん歌うの。 みんなでわあわあ、一緒に唱和して歌うわけよね。 そうしたら三島さんがやってきた。 東京からベンツか何かの、運転手付きの車。 真っ暗の京浜国道かなにかを通って、突然、夜きはるわけよ。 来てみたら、みんな酔っぱらって、ぐでんぐでんになって、「ここはお国を何百里」歌ってる。 そこで普通の人間だったら、ちょっとかなわんけれども、自分も飲んで、その真似でもする。 それが三島さんは、紺色のスーツで、正座してですよ、「鶴亀」かなんか謡うて帰りはったですよ(笑) 小倉 最高ですやんか 上野 大サービス。「鶴亀」謡うなんて
富岡 それでね、みんなどう対処していいかわからない−。 お正月のめでたい謡をうたって、「じゃ、失礼します」と。 また暗いクルマの中に消えて、また東京まで、暗い中を黙ってひとりで帰った。 私はその時ね、かわいそうな人だなと思った。 −−略−− 富岡 ああ、そう。あんた、その時いたら、彼を抱きしめてあげるね。 好きやいうて。 かわいそうやなあいうて 小倉 ついていきますわ。グルーピーになります(笑) 上野千鶴子 小倉千加子 富岡多恵子 鼎談 『男流文学論』より
650 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/15(月) 01:27:00
>>646 それは戦中の一時期だけだろ。戦前と戦中ではまた違うからな。三島は広い意味での戦前派どちらかといえば肯定している。
はいはい。マグナちゃんおはよう(国分太一風
私達のなかで一番若く、しかも、かなり年齢がはなれている三島由紀夫にとって、私達のなかで、君、僕で 話しあうのが何んとなくぎこちなさそうに見えた。戦後は、すべてのひとびとが対等につきあうのを建前にして いたので、すべて、君、僕で通用させる風潮は一般化していたのであったが、まだ二十三の最年少であった 三島由紀夫にしてみれば、すべてが年長者である仲間達に、君、僕で呼びあうのは、自身に元気をつけてそれを 敢えてするといった一種の踏み切りの感じが自分自身の内部にあったのだろう。頭の廻転の早い彼とスローテンポの 野間宏の会話はその頃から際だって興味深いものがあったが、三島由紀夫が「野間君」という調子には、 思いきって決然といっているといった趣きがあった。(中略) そして、酒がまわってきたとき、三島由紀夫は、その後ほかの席でもよくやったらしいが、 「知らざあ言ってきかせやしょう」と辨天小僧のよく知られた口跡を一くさり、ちゃんと見えをきって、 せりふ廻しを見事にやってのけたのである。 (中略) 私達の殆んど全部が酒をのむだけの芸なしであったので、そのときの三島由紀夫の辨天小僧は並はずれた 遊び人であった河出孝雄をひどく喜ばせたのであった。(中略) (「序曲」創刊号の)座談会で特筆すべきことは、いわゆる「戦後」の気分がそこに活気に充ちて横溢している ことと、そして現在は温厚篤実な学者文学者になった寺田透が当時は荒れていて、忽ち酔っぱらってくると、 卓上の酒杯を次々とうちおとしたり、自分もその場に勢いよくぶっ倒れたりしたことの二つをあげねばならない。 そのときの寺田透がひとつの鬱屈した大きな暗黒物体だとすると、三島由紀夫は一種不逞な活気に充ちみちた 明るい精神なのであった。(中略) 座談会が終ってから私達は神保町の「ランボオ」へ赴いたが、そこで寺田透は、仕方なく笑顔を浮べている白髪の 森谷均の前で、入口の大きな硝子をはでに割ったのである。 この創刊号には、(中略)三島由紀夫はメディアを換骨した「獅子」をのせている。 埴谷雄高「『序曲』の頃――三島由紀夫の追想」より
653 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/15(月) 16:18:49
パターンが読めるが、チワワは論破されると相手を茶化して逃走するなw
マグナのコーン混じりのうんこ藁貸し増すねぇ〜(笑)
655 :
吾輩は名無しである :2010/11/16(火) 10:10:18
755 :三島由紀夫:2010/11/16(火) 09:46:02 ID:Lf0OQxOS0 えー、私は今「天界」という所にいるが、こちらの側から日本を眺めていることに 久しく忍びない思いでいた。 日本ではサムライ精神がいき絶えてしまった。40年前に私が身をもってして示した 抗議行動で私はこの国に別れを告げた。以来、断腸たる思いでこの国を眺め続けて きた。 今、私は天界から特殊な力を用いてここに書込をしている。 その理由は私が生前唱えてきた精神の復活の兆しがみられるからに他ならない。 海保職員のコメント文を拝見したが大変よい文章である。理路整然と纏め上げ られていて隙が無い。日本人に好まれる謙虚姿勢も織り交ぜられている。 しかしその行間には強固な意志によるやむにやまれぬ行動であったことがしっかり と読み取れる。 我々は彼の勇気ある行動に称賛をおくり断固支持しようではないか。 私もこちらから温かく見守っている。それどころか、つい反則技を犯して地上への メッセージを投げてしまった。ご理解いただきたい。
チュゴイ!三島由紀男の霊言だぁ!
三島由紀夫「売国経団連どもを殺せ」
CS衛星劇場 アナログ310ch/デジタル222ch 三島由紀夫放送予定 11/22(月) 11:00〜12:45「潮騒」 11/22(月) 18:00〜19:45「愛の渇き」 11/23(火) 11:00〜12:15「燈台」 11/24(水) 11:00〜12:45「愛の渇き」 11/25(木) 11:00〜12:30「黒蜥蜴」 11/26(金) 11:00〜12:15「鰯売恋曳網」 11/29(月) 03:00〜04:45「潮騒」 11/29(月) 18:00〜19:30「黒蜥蜴」
ある映画雑誌から三島さんの希望で、やくざ映画と戦争映画について、対談の申込があった。しかし(中略)私は 時間はとてもなかった。再び断ってしまったのが、心残りとなった。 私は本気に三島さんは来年まで行動は起すまいと思っていた。それまでは休戦のつもりだった。 また仲が悪かったころ、三島さんはいった。「十年たったら、世の中は変っているでしょうね」 その時は、安保条約は破棄すべきであるとかなんとか、呑気なことはいっていられないだろう、それを自分が 「楯の会」を率いて達成してみせる、という意味に私はとった。(中略) 「しかしわれわれは、人を殺したってかまわないという立場なんだからね」といったこともある。(中略) しかしいずれにしても三島さんはもういない。類い稀な才能、魔法使いの才能が、自らの手で葬り去られたのである。 冥福を祈る、というのが、こういう文章の終りの極り文句だが、三島さんの場合はふさわしくない。 三島さんの魂は護国の鬼となって、永遠に市ヶ谷にとどまるつもりであろう。それもまた一生である。 大岡昇平「生き残ったものへの証言」より
660 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/17(水) 20:31:39
661 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/17(水) 20:33:01
>>650 そういう風に(中略)で適当に文章を端折って提示するのがチワワマジックなんだよなw
662 :
吾輩は名無しである :2010/11/18(木) 20:45:04
25 :本当にあった怖い名無し:2010/11/18(木) 14:25:34 ID:jP1T7beKP 三島由紀夫は美輪を「金閣寺のように美しい」と形容したに違いない 26 :本当にあった怖い名無し:2010/11/18(木) 14:27:38 ID:FwzfGi7YO 美輪さん、信念があるから美しい。
>>662 「神武以来の美少年」と名付けたのは三島由紀夫。
664 :
森豊和 :2010/11/19(金) 08:11:06
三島由紀夫の文章は美しい。でも難しい。
『撃論ムック』(本日発売)が三島特集 第一特集は「侵略国家・中国の真実」(平松茂雄、田母神俊雄、宮崎正弘ほか) 第二特集は「三島由紀夫没後四十年と日本の危機」 富岡幸一郎、黄文雄、佐藤守、西村幸祐、秋山大輔ほか 本日発売 (版元オークラ出版) 1200円
666 :
吾輩は名無しである :2010/11/20(土) 01:37:50
三島が生き続けたらノーベル文学賞を本当に受賞できたのか、 否かが知りたい。
六十五歳まで生きて、「憂国」以前に戻って穏便に作家活動を継続していれば 受賞は可能だったかもしれない、という推測までは排除する理由がない。
668 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/20(土) 02:34:33
三島が六十五、だろ。そう考えると1990年になってしまう。つまり昭和が終わっている。三島は昭和の次の年号に生きるつもりはなかっただろう。
670 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/20(土) 14:06:53
おいコピペで荒らすな、チワワ。
三島は右傾化してああいう最期を遂げたからこそ現代でも国内外で広く読まれてる。 知り合いの外人も割腹自殺した作家がどういう作品を書いてたのかという理由で興味をもったとのこと。
「三島由紀夫と1970年」(鹿砦社)を立ち読みしたけど、 映画「MISHIMA」のDVDが付いているんだね。
>>671 「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」から三島は存命中も海外で読まれてるよ。ノーベル賞候補にも挙がっていたのはキーンの述懐でも明らか。
>>672 ぞくぞくと三島本出てるね。どれを買ってどれを借りるか迷うところ。
死後40年も経つのに、今だ関連本が途絶えないというのは凄いことだなと。 あの最期も確かに貢献しているでしょうが、作家として二流であったら とっくに飽きられているのではないかと思われます。
676 :
吾輩は名無しである :2010/11/21(日) 16:35:57
奔馬の槙子みたいな飯の食べ方が極端に綺麗な女には気をつけろよ 腹蔵甚だしく多き女に共通する点らしいからな 口の周りに米粒がついたのを気づかないくらいの女がかわいいもんだ
677 :
吾輩は名無しである :2010/11/21(日) 19:03:38
小さい頃から辞書を読み
678 :
吾輩は名無しである :2010/11/21(日) 19:13:15
>>673 キーンはノーベル文学賞の選考委員ではありませんが?
>>678 キーンはノーベル文学賞の選考委員の人達から情報を得てます。
680 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/21(日) 19:32:25
「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」というのは初心者がせいぜい読んでいるところの小説ではないか。 チワワに読んでいないといわれる俺でも、その三冊は若いうちに読んでいる。その三冊だけで三島を計れるか? 三島の作品をよく理解していない、あまり数多く翻訳されていない状態での外国人の三島評価など知れたものではないだろうか。現在ならばまた違ってくるだろうが。 チワワは自家撞着に陥っているとしか思えない。まぁチワワはもっと本を読め。
平野は三島が生前から読まれなくなっていたっていってるんでしょ 驚くほど売れてなかったって
>>680 あまり数多く翻訳されていない状態での外国人の評価が云々、文句いうなら、
逆に日本に数作翻訳されて本屋に並んでるほとんどの海外作家はどうなるだよ。
それに海外に全作翻訳されてる日本の作家なんか三島の時代にいないでしょ。
>>681 そんなこと言ってないよ。今の高校生で三島を知ってる人が少ないって言ったのを、なんでそんな偏向すんの?
684 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/21(日) 19:57:32
チワワの習性 ・関係ないスレッドに三島が言及しているからとコピペを連投しまくる。あきれられても止めない。 ・自演で三島の批判スレッドを立てる、その後登場し、批判しながら三島コピペを連投し、自分だけのスレッドを作り上げる。まともに会話していたスレを乗っ取るのも同じやり方だ。 ・三島のスレッドが立つとニュー速+にすら出張するが、無印ニュー速には姿を現さない。そのあたりは察しろ。 ・とにかくちょっとでも批判されたらいきり立ち、レスを短文で連投する。基本的に長いレスはしない、というかできない。それだけの頭がないから。 ・非常に執拗な性格をしており、敵とみなしたコテはどこまでも罵倒し続ける。脳内で作り上げた敵ももちろんいる。
685 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/21(日) 20:05:51
>>682 分かりやすい例を出すなら、三島存命中には既にアガサ・クリスティーはほぼ全小説が翻訳されていたはずだ。
コナン・ドイルもそう。作品の少ない文学系の作者なら、大正時代に全作品の翻訳がでたりなどということは幾らでもあっただろうな。
これは基本だが、海外作家に日本語訳>日本作家の他言語訳というのはいつの時代であっても変わらぬ図式だ。現代だってそうだ。
だから日本文学は日本語を解さない外国人に反面的にしか理解されない部分は絶対にある。
もちろんそれは海外の作家の日本での評価だってそうだが、その分日本は人気のある作家に関してはしっかり学ぶ傾向があり、読解にも繋がっている。
外国人の日本小説理解がお粗末なことは武陽も言っていたが、一部の例外を除けば大体そうだ。そういった事実があるのをちゃんと理解しろ。
>>684 そんなめんどくさい自演もしたことないし、関係ないスレなんかいちいち私は見て粘着しないからね。
そこまでデタラメな妄想して勘違いしてるとはバカ丸出しですね。お大事に。
きっとあんた自身がそういう自演してるんでしょう。
687 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/21(日) 20:15:11
>>686 それにしては、あまり都合がよすぎるスレばかりなのでな。では、コピペ連投は認めるということだなw
>>685 推理小説なんか文学じゃないからね。そんなもの例にして比べること自体バカ丸出し。
それにあんたの説なら海外では誰も日本作家を理解できないってことになるから、
何も三島に限ったことにはならないことになるよ。大江や川端のノーベル賞もダメってことだ。
>>683 文学界の対談?
そこは覚えてないけど生前から三島の美やエロティシズムの感覚は理解されなく
なっていて想像しているよりももっと売れてなかった
それで社会の中での作家としてのあり方に悩んでいた
ということを言ってたのを覚えてるけど?
高校生のくだりは読み飛ばしたかも
690 :
吾輩は名無しである :2010/11/21(日) 20:21:15
ちょっと2ちゃん検索で三島由紀夫を検索してみたんだが、ほぼ全てのスレがコピペだらけなんだけど。 これってチワワ一人でやってるの?
>>689 春の雪は売れてますよ。平野の勘違いでしょう。
それにテレビの普及などの時代の変化で日本純文学自体が全体的に昔より売れなくなって、それは三島だけの傾向のことじゃない話。
692 :
鈴木 ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/21(日) 20:28:02
倭人が外人崇拝して成り立った国家こそ日本なので、日本文芸な時点で常に下から目線。 三島を「外人の目」で評価したがる態度もその一種。主体性はない。 村上春樹や大江健三郎を日本文学視したがる心地もおなじ。主体的判断では決してない。 そうかんがえると、ニホン文壇というのは植民地文壇なわけだ。いつでも。三島の評価もそこから再発しているにすぎない。
>>687 三島批判スレに都合いいスレなんかありませんでしたよ。勝手な妄想お疲れさまです。
私憎しで妄想病お大事に。
694 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/21(日) 20:30:17
>>688 とうとう差別意識を曝け出したな。俺も推理オタクは嫌いだが、推理小説は文学だろう。あるいは文学になりえるだろう。読み捨てられていく小説だというのならば、純文学だって大抵の作品がそうだろうと言えるではないか。
大体ドイルもクリスティも三島より読み継がれている期間なら長い。そういう作家に対して文学じゃない、などということは敬意を払えない、つまり文学好きではなく単なる三島オタクだということをチワワは曝け出している。三島は推理小説も好きだったというのにな。
ノーベルを与えられるから日本の作家が理解されているなどと誰も言っていないのだが。
話をすりかえるな。お前は三島存命にこれだけ翻訳されていましたよといって、それは限界があると返されたら、あれこれ言い訳をし始めた。それだけの話だ。
695 :
鈴木 ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/21(日) 20:34:18
三島をオリエンタリズム以外からまともに評価しようとするのはバカげている。切腹した作家なのだから。 平野氏が売れていない=高尚、の純文学黄金律をもちだしたのは、多分1q84対策ではないか? 水島ヒロとの住み分けの可能性もあると思う。けど、純文学論とみれば「驚くほど売れていない」のは何でもない、常識だ。
>>694 差別じゃないでしょ別に。推理小説は「純文学」じゃないからね。区別分けしてるだけ。
話をすり替えてるのはあんただよ。
別に全作翻訳されてなくても、それである程度評価されりゃ、評価されたことでいいんだよ。
カミュだとかカフカとかの日本人理解もそんなもんでしょ。
>>691 死んでから売れたの?
ほかの本はどうだった?
>>695 平野は売れてないから高尚なんていってないよ
彼は売れなきゃいけないと言っている
699 :
鈴木 ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/21(日) 20:44:06
>>698 そうだろうか? そうならそうで、春樹氏を崇拝してもよさそうだが。
宮部みゆきも京極某も崇拝してもいい筈だがそうでもない。よりどころは純文学論にある。三島の如く
>>697 春の雪は三島存命中から売れて、テレビドラマ化や舞台化になってますよ。
俳優への敬語指導を、三島が学習院先輩の坊城氏に依頼してます。
701 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/21(日) 20:45:10
>>696 ふむ。チワワは「文学じゃない」とはっきり言っただろ。もうお惚けか?w
「話をすり替えているのはあんた」とくるのがチワワの思考パターンだからな。「詭弁という奴が詭弁」という仕組みだ。
カミュもカフカもほとんどの作品が翻訳されているぞ。日本の翻訳家はああいう作家に限っては有能だ。この二人を一緒にするのも古いのだがw
>>699 売れるのには意味があるとはっきりいってますよ
>>700 そうですか。
そういうものもあるんでしょうけど、全体的に売れてなかったのでは?
それに「春の雪」だと古典的な恋愛小説として受け入れられただけで
三島の美学が受け入れられた、理解されたということにはならないかもしれない
平野さんは奔馬や春の雪のようなものは別にして
暁の寺のようなエロティシズムはみなうまく捕らえ損なっているといってたので
そこら辺の意味ですね
704 :
鈴木 ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/21(日) 20:52:12
平野氏は娯楽要素をほとんど排して今まで作家してきたのだから、 やはり売れなきゃいけなかろうと売れるのが目的ではないのだ。その点では三島もそうだった。 つまり、戦後から「純文学論」が事の本質だった。漱石の時代に起こった運動だけど。 重要な作家、つまり売り上げ以外に語られるべき何かがある作家は、みな純文学論にふれている。 商業主義批判って意味では、あなたがいなかったあなた辺りから平野氏も迷走ぎみでは? 結局、三島は『金閣寺』辺りから保守主義をオリエンタリズムの逆用としてつかいだした。 海外ではこの振りで通ったが、国内では本気で演じざるをえない。エンターテイナーではないのだ。 ここが自決に至った最初の分かれ道だったと思う。保守主義を民族とかぶせて捉えてしまった。
>>701 そんなのは作品数が少ないからでしょ。それに普通の人は本屋でぷらっと文庫になってる数作しか読みませんから。
外国人に一般的に読まれてる数作という意味では同じです。
話のすり替えお疲れさま。
706 :
鈴木 ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/21(日) 20:54:49
>>703 それはツイッターで言ってた「売れる理由」の分析だと思う。
生活費がかかってるのだから最低やらざるをえない、なにかコツがある筈って文脈では?
>>703 > それに「春の雪」だと古典的な恋愛小説として受け入れられただけで
> 三島の美学が受け入れられた、理解されたということにはならないかもしれない
↑そんなとこまであんたが斟酌しなくていいし、する意味ないでしょ。売れたことには変わりないんだから。
そもそも「売れてりゃ、理解されてる」みたいなこと言い出したのはあんただし。
>>706 どうでもいいですけど
読者に理解されるものを書きたいと思ってると思いますよ
>>703 > 売れるのには意味があるとはっきりいってますよ
それは作家として一人前に文壇で認められる「仮面の告白」出版する最初の段階の話のことでしょ。生活がかかってたから。
710 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/21(日) 21:03:59
>>705 で、ここでまた話を変えてくると。三島の海外での評価の件はどうなったんだ?w
711 :
鈴木 ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/21(日) 21:04:22
明治の文壇で、白鳥系の「総すかん組」は漱石らスタープレイヤーとは別の領域を欲した。 人気がなくても生きていける文壇をつくりあげたがった。これが純文学の起こりで、海外では通じない理由。 文芸とみれば娯楽も深刻な内容も同列に置かれる傾向がある。 ところがニホンでは文壇の因果のためでそうでもない。 こういう状況がひっくり返ったのは綿谷・金原に賞を与えた時点からだ。 それ以前にも、石原慎太郎が純文学理念の崩壊の最初のきっかけになったのは見逃せない。 なぜかって、綿谷金原への芥川賞授与には、彼も実質関わっていたからだ。 こうかんがえてくると、三島の評価=海外でのethnicな魅力、ってのが何で、現代でも歪んでるか明らか。 三島が純文学への殉教者とみなせば、矛盾はない。石原等のその後追い組は、この道化を演じてきたわけだ。 三島がいたころの文壇には商業趣味への批判も思想も「純粋」だった。その純粋性は石原以来かすんで見えない。 そしていまだに演技者は、ニセの文学を演じている。殉教者の前で、権力の側に立って。
>>708 三島は、自分が多数に理解されるとは思っちゃいないでしょ、鼻から。
…みんな困ってるしw
>>710 評価されてますよ。三島作品がきっかけで日本文学が注目され、ノーベル賞が日本に回ってきたとキーンが述懐してますからね。
715 :
鈴木 ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/21(日) 21:20:02
自分がよみたいのは、学習院がどう三島の思想に影響したか、という分析論。 やはり麻生氏(元首相)とかみてると、学習院は右傾の極を鼓吹する何かがある。 その分析がよみたい。できたらアングロサクソンの手による。
716 :
吾輩は名無しである :2010/11/21(日) 21:31:35
>>714 キーンはノーベル文学賞の選考委員じゃないんでしょう?
それじゃあ論拠たり得ないよ。
ノーベル賞が三島作品のおかげで日本に回ってきたという論を立てるには
そんな『キーンの述懐』なんて追跡不可能なものじゃなくて、実際に選考委員の誰が三島を推していたかを書かなくちゃね。
しかもキーンの著作の購読者層がどこの国民かまで考慮しなきゃ駄目でしょう。
主な売り込み先は日本人なんだから。
日本人が喜びそうな事は言うでしょうよ。
おっと、くれもんていぬの悪口はそこまでだ
>>716
>>716 三島が候補になってたかどうかなんか関係ないでしょ。
三島作品が海外で翻訳されてから日本文学が注目されたのは事実だから。
ヨーロッパの雑誌に「世界の百人」という特集があって、そこに日本人で唯一選ばれたのが三島由紀夫。
当時の国連事務総長も金閣寺を気に入っていたのも事実。
>>717 その次のツイートで、三島が極左に間違えられた、という意味で、と平野は言い直してますよ。偏向しないでね。
@hiranok: キーンさんのさっきの話は、『私と20世紀のクロニクル』に詳しく出ている。 結局は、「状況的に」という以上の話ではないが、三島の応援者として国際舞台で孤軍奮闘していただけに、 臨場感がある。若い三島が極左と誤解されていたという例の話も。
>>716 キーンの話に論拠がないというなら、そのキーンの又聞きしかしてない平野の話の方もますます論拠がないことになり、
あなたの今まで論拠もパアですよ。
論破されたバカアンチ小谷野敦が涙目で↓
724 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/21(日) 21:59:38
しかしチワワは酷いな。こういう奴が三島の権威だと思われているのならばろくなことがないw
725 :
吾輩は名無しである :2010/11/21(日) 22:04:41
>>719 それは関係あるよ。
>>714 の時点で
『キーンの述懐』だけで三島の作品が原因で日本にノーベル文学賞が回ってきたなんて
検証不可能な論拠だけで三島の評価を定めるような論の立て方が間違ってると指摘してるんだから。
もしそれが検証可能な論拠であるというのならば直接に誰が誰を評価したという記録が欲しい訳だよ。
『キーンの述懐』は伝聞レベルでしかない訳ね。
あと細かいけど、
ヨーロッパの雑誌
当時の国連事務総長も金閣寺を気に入っていた
も雑誌名、個人名、年代なんか書いた方がいいんじゃないかな?
良くも悪くも三島は怪情報が多い人だからね。
>>725 三島が存命中「世界の百人」に選ばれた雑誌名は「Esquire」
国連事務総長の名前はダグ・ハマーショルド。
1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会に宛てた手紙で大絶賛したのは有名な話。
728 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/21(日) 23:24:03
キーンは天皇より勲二等旭日重光章、文化功労者 、文化勲章を栄典されたいう鳴れば日本の権威者です殻ねぇ〜(笑) ノーベル文学賞の選考者では鳴く友、ノーベル文学賞の推薦状に寄り、選考者を動かす可能性はある友家魔性ねぇ〜(笑) 三島が川端のノーベル文学賞の推薦状を書いた用にですねぇ〜(笑)
729 :
鈴木 ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/21(日) 23:35:02
固定ハンドル泥棒は村上春樹が死んだ後にも書き込みできるかたのしみですねえ。村上春樹が死ぬまで、このたのしみをなんとしよう。
730 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/21(日) 23:42:07
鍵の言うことも何だかよく分からんが、少なくともチワワよりはまっとうだろうな。 チワワと論争してもオウム返しばかりでつまらない。ところが鍵は何か書きたいものが渦巻いているようだな。 また新しく小説を書いたりはしないのか。お前は読書をしたらかなり延びる余地があると思うw
>>730 正直にいうと、甘く走っている。
結論からすれば英語圏に出て、日本語を捨てるべきなのかもしれない。
貴方の意見は?
732 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/22(月) 01:07:30
いまだかつて、日本と外国語を鮮やかに使いこなした奴は少ないんだよなぁ。例えば多和田葉子がいるが、あれはドイツではそれ程読まれているのか。
ニシワキとか
>>732 やはり貴方は学が非常に優れている。その判断は自分には及ばない。
しかし、日本語が脳を使いすぎるからだろうか。それとも、日本文壇が「愛国的」だからだろうか?
自分は辻ひとなりみたいな例をみてると、日本を捨てる判断もあるなと思っている。
スレッドからは反れるが、新渡戸稲造や岡倉天心というのがいた。明治期に英語で本を書いていた。
その英語はかなり洗練されている。おそらく同じことはできる。自分にも。
しかしやるかやらないかは決めていない。判断がつかない。それで「日本」の地位が上がるのかも。
735 :
吾輩は名無しである :2010/11/22(月) 01:31:26
いま金閣寺読んでる 三島にすればこの焼失事件は最高のズリネタだったのではないか
736 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/22(月) 01:34:38
>>733 西脇はどうも中途半端な印象があるんだよな。日英ともに知名度も少ない。恐らくあれほど英文学をことを知っている人間は同年代はおろか現在でも少ないだろうが、翻訳能力などになると眉に唾がつく。
日本文壇は狭い。
それが利点ならいいのだけど、へたすると俗物集団になって特攻隊したがる。私小説とか。
>>736 貴方の卓見はとても役に立つ。自分は少なくともかなり理解が進んだ。
「母語」という、多分和辻哲郎がつくったか最初につかった?言葉がある。それは母国語ではない。
言霊に従えば、母語は母語に仕置け、ってことだと自分は感じる。それは母国語では代替できない。
もし母語をすてても、母語の自己翻訳になるばかりだろう。そしてこの言葉はトリッキーなものに留まる。
自分の場合、母語を捨てれば英語圏で「奇妙な言葉」を話す人になるだけだろう。それが本旨ではない。
文法の初期構造は、幼児期にすりこまれることからもこれがわかる。そして模倣文学は本物を上回ることがない。
738 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/22(月) 02:11:48
うむ。われわれは「母語」から抜け出ることができない。小さいころにもう一つの言語を覚えていた(実は二つの言語で書いたとか言われている作家はそれが多い)ら話が別なのだろうが。 後から身につけてもどうもそれはちぐはぐで、身にそぐわないものになる。それでもある程度のところまでは行くだろう。そういう断念と希望から人を翻訳をするということに至らねばならない。
743 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/22(月) 14:26:31
ふむ。じゃあまっとうな意見を言うことだなw
744 :
吾輩は名無しである :2010/11/22(月) 22:17:23
三島由紀夫あて八丁味噌注文書を発見 「舞台招待のお礼に」親交の品 愛知県岡崎市の八丁味噌(みそ)の老舗醸造元「カクキュー」が過去の帳簿調査を始め、評論家で 劇作家の福田恒存(つねあり)さん(1912〜1994年)が、作家の三島由紀夫(1925〜1970年) への贈答品を注文した書類を見つけた。25日は、三島が自決して40年の節目。戦後文化に大きな足跡を 残した2人が、八丁味噌を通して親交を深めた様子がうかがえる。 注文書は1953(昭和28)年7月17日付で、送り先に福田さんの親類らと並んで、三島の名と 東京都目黒区の住所が書かれている。品物はたる入りの味噌一貫(約3・7キロ)だった。 福田さんの妻敦江さん(89)=神奈川県大磯町=は「三島さんが手掛けた舞台に、夫婦で招待されたお礼 として贈った」と記憶をたどる。敦江さんが注文書を代筆し「中元とはしないでください」とただし書きを 加えた。 福田さんは50年代、三島らと共に劇団文学座に所属。年齢は10歳以上離れていたが、保守派の論客として 気が合い私的にも交流。大岡昇平ら7人の文化人が「大切に育てた木を焼いて客人をもてなした武士」の故事に ちなみ結成した「鉢の木会」にも所属し、月1回、会員宅で妻らの手料理で酒を酌み交わし語り合った。 三島はその後、右翼的思想に傾倒し、70年11月25日、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地(当時)でクーデターの 決起に失敗し、割腹自殺を遂げた。「分からない。分からない」。福田さんの談話が翌日の東京新聞(中日新聞 東京本社発行)に掲載された。
745 :
吾輩は名無しである :2010/11/22(月) 22:19:10
福田さんの次男で明治大教授の逸さん(62)は「年下なのに自分より早く人生を終えねばならないほど極端に
走ったことが、ふびんに思えたのだろう」と、父の三島に対する気持ちをおもんぱかる。
贈った味噌の当時の価格は1000円。大卒初任給が1万円ほどだったので高級品だった。注文書の存在を知り、
「三島さんを非常に大切に思っていたことが分かる」と語った。
カクキューは調査をする中で、ほかにも小説家の志賀直哉、映画監督の小津安二郎、画家の藤田嗣治、陶芸家の
北大路魯山人ら多くの文化人の名を確認。早川久右衛門社長(60)は「口コミで評判が広がったのでは。今後は
資料の展示も検討する」と話している。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010112202000170.html
文藝評論家 山崎行太郎 ▽ おそらく、三島由紀夫の切腹・自決事件に驚愕し、それぞれ政治的、思想的立場は異なるとしても、また三島事件なるものの意味と本質が理解できたかどうかとは関係なしに、精神的に深い影響を受けなかった日本人はいないだろう。 むろん、僕も 深い影響を受けた者の一人だったが、僕が最も興味を持った反応は、京大パルチザンを率いていた左翼過激派の京大助手、滝田修(川本信弘)の「三島に先を越された。我々の陣営にも第二、第三の三島由紀夫を……」という発言だった。 僕は、この滝田のことばに、何故だか、意味もよくわからないままに戦慄し、身震いしたのを覚えている。僕が、三島由紀夫や滝田修の行為や言動から、薄々、感じていたのは、「思想や政治を語るものは、それに命を賭けよ」ということだったように思われる。 僕が、三島由紀夫事件に接して身震いを覚えたのは、まさに、そこに、つまり「今、此処に…」、思想に命を賭けた日本人がいるという、そのことだった。滝田の言葉も、そのことを言おうとしたものだったはずだ。
三島事件を転機に、思想状況は一変した。本気か、そうでないかが、つまり、日頃の勇ましい言動とは裏腹に一目散に市民社会へ逃亡するものと、いよいよ退路を断ち切って思想闘争に命を賭けるものとの「わかれ道」が、ここで一目瞭然となったからである。 特に、その後の左翼過激派の動きは、そのことを証明している。イスラエル・ロッド空港銃乱射事件を起こした奥平某、安田某等は、滝田修が率いていた京大パルチザンの残党であり、しかも僕とはほぼ同世代の青年たちであった。 彼等もまた、三島由紀夫事件に、つまり「思想に命を賭ける」という事件に深い影響を受けていたはずである。 さて三島由紀夫事件直後に、「三島追悼の夕べ」を開き、その後、正式に「憂国忌」と名付け、三島由紀夫慰霊祭と鎮魂祭を、毎年、執り行ってきたのが「三島由紀夫研究会」という組織だったらしいが、その「三島由紀夫研究会」が、このほど、 『憂国忌の四十年』(並木書房)という本を刊行した。あまり、というより、ほとんど、文壇やマスコミは取り上げようとしないらしいが、僕は、この本に深く感銘を受けた。思想や政治に命を賭けた者たちの記録として読むことが出来るからだ。
▲『憂国忌の四十年』(並木書房)に感動した 三島由紀夫や三島事件を、「文学」に回収することは、三島由紀夫を「文学」に祭り上げることによって、何処にでも、掃いて捨てるはどいる小市民的な、毒にも薬にもならない、凡庸な小説家の一人として「祭り捨てる」ことである。 これに対して、『憂国忌の四十年』が描くのは、今なお、生々しい存在として、そして凶々しい存在として「生き続けている三島由紀夫」であり、三島由紀夫の文学や思想に深く共鳴する「三島信者」たちのその後の人生である。 実は僕も十数年前から、この会に関係し、「憂国忌」の発起人の一人に名を連ねているのだが、そしてその関係で、毎年、顔を会わせ、それなりによく知っているのだが、この『憂国忌の四十年』という本の多くを占めているのが、 このグループのリーダーであった故「三浦重周」氏のことである。三浦氏は、先年、憂国忌を責任者として執り行った直後、故郷の、白雪と寒風が吹き荒れる新潟港岸壁で、三島由紀夫と同じように、切腹・自決している。 僕は、そこに至るまでに、三浦氏に、いかなる理由や事情があったかを知らないが、三浦氏の自決事件にも、何かを感得した。文壇やマスコミが、この本を無視、黙殺して、松本健一や平野啓一郎等の、世にもくだらない駄本(『三島由紀夫と司馬遼太郎』)や、 一夜漬けの雑学を披露しただけの座談会を持て囃すのは当然だろう。 『憂国忌の四十年』は、思想や政治に命を賭けた者たちの記録である。すくなくともこの『憂国忌の四十年』という書物のなかには、三島事件の「事件性」と「危険性」は、失われていない。 ここにこそ「文学」があり「思想」がある。ここにしか「文学」も「思想」もありえない。 (文藝評論家山崎行太郎氏のブログより)
749 :
吾輩は名無しである :2010/11/23(火) 01:17:17
江藤に師事すっと皆こんなになっちゃうのか、というw 先ずはね、――やれ、非日常だ、超越性だ、怪物(おおわらい)だ なんてもんを「欲する」自身のそういった、矮小さとこそ、向き合えよと。 まーな、これはそもそもが、三島に対しても。
750 :
吾輩は名無しである :2010/11/23(火) 01:19:23
――うん、やっぱね、判った、わけがねーな(笑 江藤程度に。
おまえは、フツーに書けないのか?
752 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/23(火) 18:10:20
さて、朝鮮戦争の勃発の用ですけれどもねぇ〜(笑) これはわたくしが以前に阿呆オーバーヒート佃煮マニアにも予言死たことですけれども〜(笑)
ババ・バンガの予言 2010年 第三次世界大戦が始まる。戦争は2010年11月に始まり、 2014年10月に終わるが、核兵器と化学兵器が使われる。 2011年 北半球に放射能の雨が降り注ぐため、動物や植物は生きてゆけなくなる。 イスラム教徒はヨーロッパでまだ生き残っている人々にたいして化学兵器で戦争を仕掛ける。 2014年 ヨーロッパはほとんど無人地帯と化す。 そしてヒトラーは2014年にはヨーロッパとアメリカの3分の1が荒廃を すると予言している。
>>752 そんなの(o`.´o)さんが雑誌で読んだ記事を紹介しただけじゃないですか。予測したのは雑誌記者ですよ。
あなたはいつも現実認識がおろそかで、誇大妄想的なところがありますね。
2ちゃん常駐の度合いといい、あなたは社会人じゃないでしょう?
756 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/23(火) 21:09:25
753=754藁貸し増すねぇ〜(笑) この阿呆オーバーヒート佃煮マニアの痛いところは人のレスを理解死得ない知的障害があることですねぇ〜(笑) わたくしはこの世に起こる戦争に偶然は無いと笑止、 支配者と戦争の因果関係を語ったのですけれども(笑)この阿呆オーバーヒート佃煮マニアは伝わらなかったです殻ねぇ〜(笑) カラマーゾフ解釈には爆笑炎を切った訳ですけれども〜(笑) ニーチェにも疎い用でしてねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
757 :
マグナ ◆k021/uj.Nk :2010/11/23(火) 21:14:26
佃煮マニアはどこから湧いてきたんだW
758 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/23(火) 21:18:34
阿呆オーバーヒート佃煮マニアが未央子スレで自演擁護しておる可能性は大です殻ねぇ〜(笑) 752レスはそれを証明の釣りでしてねぇ〜(笑) 案の定この阿呆は悔い憑いた〜(笑)
他のスレにも書いたけど、ニートの最上級はニーチェなんだぜ。
>>755 お久しぶりです。ニートならニートと公言して堂々としていればいいんですよ。
(o`.´o)さんのように自分を立派に見せようとして見栄をはったつもりでボロが出てるのが一番みっともないんで。
>>756 バカですか。ロックフェラーが戦争商人だなんて世界の常識でしょう。何が「因果関係」でしょうね(笑)
また「支配者」という発想が幼稚ですね〜オカルト気違いの(o`.´o)さんは。笑わせます。
支離滅裂な事を言って、理解されないと相手を馬鹿扱いするのはありがちな中二病です。
まあせいぜい文学板に日参して作家のゴシップに夢中になっていればいいですよ。
(o`.´o)さんの妄想の中では全作家が2ちゃんを見ているという設定なんでしょうから(笑)
761 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/23(火) 21:41:51
760 藁貸し増すねぇ〜(笑)この阿呆オーバーヒート佃煮マニアはホテルの「支配任」を幼稚と笑う知恵遅れなのか(笑)ニーチェを嫁ば「支配者」のオンパレードは常識名のですけれどもねぇ〜(笑) 妻り、ニーチェの時代より社会構造謎対して変わっておらないとも家抹消ねぇ〜(笑) この阿呆の知恵遅れには伝わらないことで症がねぇ〜(笑)
でも陰謀は存在するよ。多分…
封建社会と自由経済社会の見分けもつかず哀れに支配者支配者と吠え狂っている知的障害の阿呆オーバーヒート(o`.´o)さん、 それでは大東亜戦争(太平洋戦争)を唯物論に即して10行以上で語って御覧なさいな?待ってますよ!
764 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/23(火) 23:13:31
763 藁貸し増すねぇ〜(笑)10行以上も必要なのは舌足らずの低脳阿呆オーバーヒート佃煮マニアだけでは〜(笑) わたくしの記憶では過去に大江スレに置いて、大東亜戦争(太平洋戦争)に憑いて1行で言い得ており増すけれども〜(笑) 暇で症から探して観られては〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
残念ですね〜
>>764 は0点ですよ。
即答できなくてもかまわないから、明日図書館に行って信夫清三郎の本でもさがしてきなさいね。
そして涙を振り絞って読破して下さい。マテリアリストが聞いて呆れますね(笑)げらげら。
766 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/23(火) 23:42:44
765 信夫清三郎の本が正解とはねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)興味はありますが低脳阿呆オーバーヒート佃煮マニアの用に暇が無い〜(笑)
ブサヨ「でも憲法9条は守りぬきましたよ!(ガッツポーズ)」
768 :
吾輩は名無しである :2010/11/24(水) 14:33:04
明日命日だな!憂国忌
正午だった 役人たちは書類に埋まり 財界人たちは金勘定に忙しく 政治家たちは泥沼であがいていた 正午だった 真昼の光を浴びた一人の男がバルコニーで叫んだ 誰も耳を貸さなかった 戦には負けたがサムライの誇りは捨てるなと叫んだ 集まった男たちは嘲笑した 正午だった 一つの窓は閉じられた ……男は切腹した 若い男が男の首を刎ね 自分も切腹した
正午だった 男の体から溢れた血は世界中の街角へ流れ出した 鮮血は止まらず世界中の薔薇を染めた 世界中の窓は開かれ 世界中の鐘が鳴った 正午だった 日本刀は血に塗(まみ)れていた 腐った魚たちはまだ眠っていた 正午だった 世界はミシマの不在によって 満たされた 正午だった 昭和45年11月25日の正午だった その日の 午後1時は 永遠に来なかった 藤井巌喜「正午だった」より
771 :
吾輩は名無しである :2010/11/24(水) 20:27:22
「太陽を盗んだ男」ってやはり三島の影響下で作り上げられたんだろうね
>>770 ガキの使いの「ハイテンションベストテン」にそのまま使えそう
773 :
吾輩は名無しである :2010/11/24(水) 21:35:45
すいません 憂国忌って私服でいっていいんですか? スーツで行かないとまづいすっか?
かあいーかあいーせヴんてぃーん(笑
さてマテリアリストの(o`.´o)さん、信夫清三郎は読みましたか?唯物論の勉強になるでしょう? それではお題をだします。 「哲学的ゾンビ」と「現象判断のパラドックス」を比較しながら批判せよ。 唯物論者の名にかけた模範回答を待ってますよ!
776 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/24(水) 23:51:40
775 で、霊の亜東亜戦争の10行解答は道鳴り増した化ねぇ〜(笑) 律儀に返答したのです殻ねぇ、答え逢わせ願い増すよ〜(笑) 支配者で幼稚と笑す阿呆が「哲学的ゾンビ」とは 藁貸し増すねぇ〜(笑)ネタにもなら無い〜(笑)
最近三島さんに興味持ち始めました 正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った この文章に鳥肌立ちました
>>771 生き残った楯の会会員が警察官たちに連行されるとこ見たら、金八の加藤が警察に連行されるシーンに似てると思った。
海老蔵は三島由紀夫に似てるし。
781 :
佃煮マニア :2010/11/25(木) 03:43:29
>>776 慌てて即レスしなくても、ゆっくり熟考して回答すればいいのに・・・。
また0点ですよ。だめですねえ(o`.´o)さんは。今後はマテリアリストと名のってはいけませんよ?
782 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 05:42:19
山崎行太郎みたいなクズなんかに持ち上げられている三島がかわいそうだ。 それに嫌韓だの反中だのいう卑小な連中に乗っ取られた憂国忌なんか、 マトモなファンはだれもいかないわな。 田母神みたいな低能に引きられて旗持ってパレードしている連中だぜ。
783 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 05:56:36
今日はNHKでも朝7時のニュースと夜9時のニュースで取り上げるね。
未公開テープが気になる 誰かYOUTUBEかどっかにうpしてくんねえかな
785 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 07:13:36
きたよ
しかし、えらく唐突に終わったな・・・
防大の講演は資料的な価値があるから公開すればいいのにな 今日観た範囲では真新しい情報はなかったが 全編収録のCDを附録につければ雑誌も飛ぶように売れるだろうに
>>782 でも、三島由紀夫は論文で北朝鮮や中共批判してますよ。
もちろんそれは卑小な嫌韓や嫌中じゃないですが。
>>784 雑誌「WILL」で五年前すでに掲載されていたものだそうです。
790 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 13:16:57
三島由紀夫はキチ害 新着レス 2010/11/25(木) 13:15 1 名前: 名無しさんにズームイン! 投稿日: 2010/11/25(木) 13:13:04.65 ID:5wLOb33l 今であればこう呼ばれていただろうなwwwwwwwwwwwwwww 2 名前: 名無しさんにズームイン! [sage] 投稿日: 2010/11/25(木) 13:13:57.88 ID:agNqj6JP ヽ ノ `ヽ r´ ヾ ソ ~ヽヽ U /ノ ヽノ .∧_∧ ´⌒二⊃ <=( ´糞`) ⊂二⌒丶 _ソ. (つ つ ヾ__ 人 Y レ (_フ 在日がいるぞ 当スレには在日シナ&チョン工作員が多数出没する可能性がありますのでご注意ください
791 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 13:45:29
しかしまあバラエティーでは扱いにくい素材だわな。三島事件。 秀ちゃんもモゴモゴしちゃって。
40年も前の出来事なのに今の時代にも通用する事柄だな
793 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 14:35:12
>>792 そういう話にしたいのは
卑しい話に、実は左翼の大江健三郎のほうでもあったりするんじゃないのか?w
795 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 15:11:41
>>794 むしろ、大江健三郎が生きていることを、この国は冷静にとらえることができていないのじゃ
ないのか?w
797 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 15:35:09
>>796 >>795 は俺は相当なマイナスとして言ったんだけれどもね。
大江健三郎がどんだけ良いように勝手に解釈しようとも。
絶対的に大江健三郎が目新しいことを言っていてそれを世間が受け入れることができていない
などと、クソなことを俺が言うわけがない。
大江健三郎という存在の謀略を冷静にみることができていないのじゃないか
という意味で言ったんだよw
@HereThere2 三島由起夫の自決と仙谷の「暴力装置」発言とシビリアンコントロールを絡めて伝えたNHKは心底腐ってる。 隠された意図はsengoku38氏を英雄視するネット世論を遠回しに批判することにあったと思われる。
800 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 16:33:56
なんかどこ開けてもモコなのでうんざりだけど、 ここはモコが来てないね〜
それって誘ってんのー? モコさん本体は文学板じゃないよね。 ここのはみんなコピペだよねー?
802 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 19:01:20
憂国忌、行って来ました。
803 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 19:55:40
どんな感じだった?
どんな人が来てるんだろう
805 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 20:24:05
チャンネル桜の連中が仕切っていたんだろ。 最悪。
憂国忌実行委員会とチャンネル桜は別物
ニュースウオッチ9 ■ 11月25日(木) 午後9時00分〜10時00分 ▽砲撃直前金親子が視察 半島に広がる厳戒態勢 対北朝鮮で米中は? ▽衝撃の最期から40年・三島由紀夫ブーム再来【キャスター】大越健介,青山祐子ほか
808 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 21:43:42
NHKにしては率直なつくりだったな。
809 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 21:50:25
8 :風吹けば名無し:2010/11/25(木) 21:39:28.21 ID:panXreTk 昭和のラノベだろあんなもん 9 :風吹けば名無し:2010/11/25(木) 21:39:50.01 ID:PkE+7ZZx ホモの道化師 10 :風吹けば名無し:2010/11/25(木) 21:40:01.73 ID:EQGrdfl4 糞ホモオナニー野郎 しかしこういうのが図ったように書き込まれるって、 40年前に死んだひとを異様に恐れている層がいるってことだね。
810 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/25(木) 21:51:25
さて、低脳阿呆オーバーヒート佃煮マニアからの亜東亜戦争の10行解答はまだなので消火ねぇ〜(笑) 解答謎当初から無いと逝った漢字が死増すけれどもねぇ〜(笑) 解答は「哲学的ゾンビ」のみぞ汁というオチですねぇ〜(笑) 低脳阿呆は 藁貸し増すねぇ〜(笑)
成仏してないんだね
812 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 21:54:53
しかし三島スレでなにかといえば、 拡声器を忘れたのが失敗だとかいっているやつってだれなのw なんか自分の着眼点の新しさを誇りたいのか?w 小島千加子の本に、野上弥生子のことばとしてのっているの知らないのかね。 それに奔馬よんだひとなら、最後はそういうのに頼らないという美意識くらいわかりそうなものだ。
813 :
吾輩は名無しである :2010/11/25(木) 22:00:24
2 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2010/11/25(木) 21:45:39 ID:kAiI9yrhQ ホモだったんだっけ? けんもうくんと同じだな 3 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2010/11/25(木) 21:46:20 ID:0gxHNU3X0 H 4 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2010/11/25(木) 21:47:22 ID:T8m7JehK0 ホモ右翼だったから 5 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2010/11/25(木) 21:47:37 ID:1h/iuZCA0 今みたいにネットもなけりゃホモだよ 6 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2010/11/25(木) 21:47:42 ID:MhGpf2I30 ホモ狂い 7 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2010/11/25(木) 21:47:55 ID:T1FT5ZEpP ホモのオナニーてどっか違うのかな 8 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2010/11/25(木) 21:47:57 ID:wr25rTbp0 自衛隊員に右翼論が通じずに嘲笑されたからな 9 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2010/11/25(木) 21:48:07 ID:ZjLSCf8V0 デモ中にだったと思う 10 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2010/11/25(木) 21:55:56 ID:whC4ySeV0 ?2BP(2223) +民みたいな感じ 11 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2010/11/25(木) 21:56:23 ID:Ms/JJUAx0 ホモ、ちび、筋肉フェチ ネット右翼になる資格もないゴミだな しかしフットワーク軽いねwアンチさんたちは。
814 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/25(木) 22:04:51
三島が拡声器片手にヘルメット姿は 藁絵増すねぇ〜(笑)ヘリコプターの騒音や野次は想定外だったので症がねぇ〜(笑)
ただ、三島を右翼主義者だとして捕らえるのは、いかがなものかと思う。 彼が選んだ死に方が、右翼的だったというだけの話だからね。 左翼全盛の当時としては、それが死を際立たせる死に方だと思ったからにすぎない。
>>809 ロシアの諜報組織には三島の訴えを揉み消す指令があると佐藤優が言ってるから、
ロシアに限らず日本の防衛力を弱めるための外国人サイバー工作員がいるんだよ。案外CIAもやってるかもしれない。
唯物論をぜんぜん知らないマテリアリストの低能オーバーヒート(o`.´o)さん、 こんどは三島の敬愛するバタイユに関しての二択問題です。 ジョルジュ・バタイユの「眼球譚」において、 シモーヌはサー・エドモンドに提供された雄牛の睾丸をどうしたか? 1焼いて食べた 2陰部に挿入した
>>818 元自衛隊の人も、秋田県沖で北朝鮮工作員とみられる溺死体が見つかったとき、スパイ事件と扱わずに、
ただの密入国未遂者とされて、うやむやにされたと言ってるよ。
日本の中枢には諸外国の指令で動く人間がいるってことだと思う。
ちなみに、
>>819 の話は三島由紀夫が自衛隊体験入隊している時代の事件。
>>818 過去レスにこんなのもあったし。↓
140:名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/07(日) 11:38:57 ID:tNf7L2Bj[sage]
>>107 当時マスコミの少なくない人間が、三島にそれなりの脅威を感じていた。
それが自爆したことによる快哉は大きかったようだね。
三島のクーデターは1970年、あさま山荘が1972年だ。
まだ学生運動の正体が一般には知られておらず、マスコミも心行くまで左の旗を振っていた。
ニヤニヤ笑う自衛隊員の顔をことさらに流したのは、「三島の主張はキチガイ沙汰なのだ」という
マスコミの強い主張だわな。実際クレイジーではあったが。
ちなみに成田闘争の時、TBS社員が取材車で過激派の運搬をしていたことが判明して
問題になったことがあった。責任を取って田英夫がTBSを退社したのが1970年。
今のマスコミ報道にも強い「誰かの意図」が動いているけど、
当時のそれは、はるかにあからさまだった。
三島事件の報道は、時代背後とまわりの人間模様を強く考えながら見ないと真実がみえんわな。
822 :
818 :2010/11/25(木) 23:56:13
>>821 その時代に自分が生きてたら、あの日のテレビを見て
どんな印象を持ったんだろうと想像してしまうな。
823 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/25(木) 23:57:37
>>817 唯物論者には無理だな。答えてやろう、2だ。この程度のたやすい質問ではな。
824 :
818 :2010/11/26(金) 00:09:42
>>819 ごめん読み逃してしまった。
脅かされてるならともかくモチベーションが続くのかな?
思想犯だと関係ないのかな。
右翼方面から三島に惹かれた人も持続は大変なのかもしれないけど。
最近読んだ保守系雑誌によると、今の自衛隊最高幹部の人間はサヨクらしい。そのうち将来中国人がなったりして。
>>823 おお〜!
マグナさん大正解ですよ〜!さっすが〜!ネタバレになりますが(笑)
バタイユも唯物論の観点からエッセーを書いている人ではあります。
やっぱり唯物論をぜんぜん知らないマテリアリスト低能オーバーヒート(o`.´o)さんとは違いますね〜(笑)
本当はチワワさんにも答えて欲しかった問題ですが、まあいいでしょう〜。それでは!
>>826 佃煮さんが思うほど、実は三島はバタイユ崇拝でもないよ。
どっかの対談で、「西欧人のいい年しても脂っこいセックス」みたいな物言いのなかでバタイユの名前が出てたし。
意外とおぼっちゃま育ちのようで
830 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/26(金) 13:01:06
>>826 うむ。俺は生田先生の没後弟子を名乗るほどだからなw
>>827 おいチワワ、三島は堀辰雄を微熱の文学、川端康成を胃弱の文学といい、ビフテキをバクバクと食べたという証言も残っているぞ。西洋的なものに憧れを抱いていたことは間違いない。
831 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 13:30:44
ジョンネイスンと、大江健三郎、そして三島由紀夫の関係って ネット上で検索しても全く出てこない。完全に削除されてしまってるのだろうか? 前、ジョンネイスンが毎日新聞で、 翻訳してるときから自分は当時から当然にアップダイクのことを知っていて 個人的な体験はアップダイクからのパクリではないとおもうなどと 否定して答えてたようにおもうんだけれど。
832 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 14:14:38
実行委員会に事前に問合せたら、「平服でもいい」とのこと。 そんな風だから、憂国忌はのどかなもの。 (檀上いちばん上に掲げられた垂れ幕、その最上部の文字列は英語だったw) 慰霊祭は厳かな神道、 神道の儀式を見るのは初めてだから興味深かった。 パンフレットには、例の檄文が。 実際の檄文には単純な記述ミスがあるけど、パンフ掲載の際には直してあった。 そのパンフの檄文だけど、 旧かな遣いにはなってたけど、漢字表記は現代風。 原文どおりにするべきでは、と思った。
833 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 14:34:15
ところで、三島由紀夫のwikiで、ジョンネイスンについて、全くかかれてないんだけれど なんでなんだろうか? 1968年、三島由紀夫がノーベル賞受賞した川端康成のもとに駆けつけた際、 記者の「次は三島さんですね」との問いに「次は大江君だよ」と、 当時まだ新進であった大江の名を挙げた(「驚きももの木20世紀」テレビ朝日、 ニュース映像)。大江が実際にノーベル賞を受賞するのは三島の発言から20年余り経ってのこととなる。 三島は大江を自邸のパーティに招くほど親しくしていた時期もあったが、 かたや民族派・かたや反国家というような政治思想の疎隔とともに疎遠になった。wikiより ↑ ということらしいけど これって、端的にジョンネイスンの才能を認めていた三島由紀夫が ジョンネイスンをとられたために 皮肉で言ったことだったんじゃないの? スウェーデン大使館のパーティーなどにも顔を出してネゴシエートしていたの じゃないかと言われたような大江はどうやってネイスンを口説いたのか?
ジョン・ネイスンなんて元々、日本文化のことなんかわかってないただのボンクラ外人翻訳家でしょ。 太宰治のことも貶して書いてたし。
>>830 憧れを抱いていても、馴染みきれないものがあるのは当然でしょうよ。
836 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 17:33:18
三島を初めて読んでいる。「金閣寺」である。 憂国忌も知らず、半島紛争の勃発の時期に三島の著作を 手にしてる偶然にただ驚いている。 次にどういった著作をよむべきがご教授ねがいたい 小説にこだわってはおりません。
837 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 18:07:22
いいから手当たり次第よんでみるべし。 ステレオタイプな三島像をくずしたところから、 本当に三島作品は楽しめるようになる。
838 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 18:09:34
まあ強いていうなら、ちょうど昨日発売された幻の名作、 「愛の疾走」かな。
840 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/26(金) 19:30:13
>>835 おいチワワ、それなら他の日本文学者も大体そうだ。三島だけの問題ではない。
西洋の超克とうは当時の文学者が沢山語っている。
三島はバタイユの主著が出る前に死んだ。だからちゃんとバタイユを理解できていない可能性はある。
そしてなによりも肝心なことは一体三島にバタイユのような小説が書けたか、ということだ。
チワワさん、 『三島由紀夫−剣と寒紅』におけるタチやネコ、「ボク、幸せ・・・」 だけが三島のセックスを象徴するものではないとは思いますが、 福島次郎ではなく三島本人のセックス観についての資料はなにかありませんか? 資料のコピペをリクエストしたいと思います。まあ気分がのったらでいいですけど。
842 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 20:14:03
教えてください。 三島が書いた檄文内に「自衛隊は護憲の軍隊として認知された」とありますが、 これはどういうことでしょうか? 自衛隊は公務員だから、憲法を遵守しなければならないということですか?
843 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/26(金) 21:39:16
お言葉ですけれども(笑) わたくしはバタイユの「眼球譚」を所有しており、過去に「眼球譚」をバタイユの最高傑作と評価レスしておると記憶死ており増してねぇ〜(笑) これほど下品な作はバタイユならではで性根〜(笑) さて、解答鳴き、亜東亜戦争の10行解答でも低脳阿呆オーバーヒート佃煮マニアからお聴き死魔性かねぇ〜(笑) そうして唯物論講義と「哲学的ゾンビ」解説やらも出来たらお願い死対者ですねぇ〜(笑) 1.亜東亜戦争の10行解答 2.唯物論講義 3.「哲学的ゾンビ」解説 藁貸し増すねぇ〜(笑)
844 :
吾輩は名無しである :2010/11/26(金) 23:11:14
猪瀬直樹あたりは、「ペルソナ」で、三島の女関係はずいぶん丁寧に書いているのに 男関係は、まるで小説を売るための手段だったかのように書いているのが笑えた。 取り合えず調べたことは、作品に無関係と思われることまでなんでも書いた愚作だけどね。
845 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/27(土) 00:19:02
チワワの三島異性愛者説もネタ元は猪瀬の本だろ。通読する気もないから適当に読んだが、猪瀬は文学者ではないな。ただの資料収集家ではあるが。
若松が三島を映画化!? 止めさせなければ ジョンイルの手先に三島を汚されてはならない
>>841 セックス観というかエロス観ですけど、↓
いまの相対主義的な世界におけるエロティシズムというのは、フリー・セックスでしょう。
なんにも抵抗がない。あんな絶対者にかかわりを持たぬセックスなど、ぼくは
エロティシズムとは呼びたくないですね。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
(西洋では)フレッシュとボディは違うのだ。キリスト教は、フレッシュは否定するが、
ボディは否定しない。それは受肉という思想があるから。インカーネーションでもって、
ボディが復活するのであって、フレッシュは復活しない。フレッシュは滅びる。
日本ではそれが、フレッシュとボディの区別がない。日本の体という場合には、
フレッシュとボディは渾然一体なんです。それで「源氏物語」の闇のなかにあらわれる
女体は、やはりフレッシュでありボディである。同時にその背後のものを暗示しているね、
一つながりのあれですね。それが日本の「色」というものだと思います。
三島由紀夫
山本健吉・佐伯彰一との対談「原型と現代小説」より
>>842 自民党政府に憲法九条改正の意志がないことがわかったからだと思います。
>>844 実際、これといった男関係自体がないからじゃないの? ゲイバー通いやゲイ好きの振舞いはしても、その先の集まりや誘いには絶対参加しない人だったらしいし。
同性愛傾向はあったのは本当だと思うけど、ゲイってほどじゃない感じ。
福島次郎の自己申告愛人も、板坂剛も疑っててるしね。ちなみに板坂剛は三島はホモじゃないとは言ってないけど、福島は嘘ついてると言ってます。
851 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/27(土) 01:10:53
>>846 その人は元全学連かなんかなのかな。崔洋一じみたブサヨ臭がする風貌だけど。
>>851 ハッテン場のことなんかゲイバーの人達から取材すりゃあ書けるでしょう。プロの作家なんだから。バカじゃないの、そのアホは。
じゃあ三島が本当に金閣寺を燃やしたんでしょうか?
それに結婚前の日記焼いたからゲイってわけじゃないでしょ。後藤貞子さんっていう人とのこととかいろいろあったからだしね。
854 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/27(土) 01:29:30
>>853 また話を低レベルなところに押し込める。実際三島がホテルに少年を呼び出した等、のうわさもあるではないか。
キングの文章もちゃんと読んだか? 「自分はゲイだ」とちゃんとカミングアウトしているだろうが。
おそらく昭和四十年のイギリス旅行の際だろう。すでに結婚もしているし子供もいる。「禁色」前後のゲイらしく見せていた時代の三島ではない。
しかしここに書かれるのはウィットにとんだ三島だな。チワワの貼る退屈な三島コピペとは大違いだ。海外で認められていた、というチワワの意見によれば、これは三島がふと漏らした本音だったのではないだろうか。
今の時代なら三島は自分がバイセクシャルだといっただろうな。当時はバイという考え方はあまりなかった。
855 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/27(土) 01:32:57
>>853 ふと、女が好きというのと男が好きは両立するからな。本当に以前付き合っていた女性のことだけだったのか? 今の観点から見れば、別に奇異なことではない。
856 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/27(土) 01:48:21
ふむ。かつての書き込みを見ても、俺がチワワを大体論破している。やはりチワワの引き出しの少なさが問題なんだろうな。
三島がホモで女嫌いだったのは、ただの事実だよ 三島がホモだという証人があまりに多すぎる
>>857 女嫌いの「事実」なんてないけどね。あんたの勝手な思い込みか解釈でしょう。
ホモの証人なんて、三島が自らゲイバー通いしてたり、それらしい言動や振舞いをして話を合わせてりゃあ、そう思う人がいても不思議ないでしょうよ。
>>854 そのイギリス人の言ってることが本当かどうかわからないのに、それだけ鵜呑みにしてる時点でバカなんじゃないの?
バカマグナはネットのガセ情報しかソースに出来ない間抜け藁貸し増すねぇ〜(笑)
>>854 それから、何か誤解しているようだけど、私は三島の同性愛傾向を別に否定してませんよ。
あんたのもってくるくだらない死人に口無しレベルのソースに反論してるだけで。
862 :
猫 ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/27(土) 02:36:31
^(=ↀωↀ=)^にゃー
863 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/27(土) 02:38:58
>>858 ふむ。それならチワワのコピペにも信憑性がないことになってしまう。チワワはよくこけるなw
話は違うが、日本、イタリア、ギリシャ、そして中国という 歴史や文化の深い国はその精神的、文化的な弱体化がすさまじい。 中国は文革したからかろうじて国家としては強大だが 実は文化防衛の面において貧弱で今の日本人同様だそうだ。
865 :
吾輩は名無しである :2010/11/27(土) 09:33:32
それと、フランス人についてだが、フランスという国も 歴史伝統や王室の国で、この国もまた三島に多くの理解を示してる。 むろんジャポニズムの影響ある国だが、俺が一番感じて驚いたのは 「外見はアメリカ人と変わらないのに、こうも中身というか雰囲気から 物事の捉え方まで違うのか?」ってことだ。 ロシア人にも通じる事だが、アメリカ文化に成れた身としてはどこか 懐かしく、素朴な人が非常に多いのである。 ただ、素朴な人が多いのは要するにアメリカ化が進んでない地域 つまり田舎であればヨーロッパに限らない。 そうした意味で今の日本を見て見ると・・・・・・・不思議だ。 日本文化を守るなら、アメリカと無理やり国交を断絶したほうがいいと思うこのごろ。 ただ、最近新興国ブームがある。 あれは、日本のような国がこれからも多く増えるという事である。 それはヨーロッパも例外では無い。 世界規模での文化伝統の破壊が起こるわけだ。 三島が絶賛しヒトラーが予見したという世界がついに幕を開けるのだろうか?
【ローマ藤原章生】ジャンニ・アレマンノ・ローマ市長(51)は、三島由紀夫の没後40年に当たる
25日に会見を開き、来年6月の三島をめぐるシンポジウム開催を発表した。年来の読者である
市長は「三島が極端な形で示したのは、伝統と消費文化など近代化の矢面に立たされた(者の)
悲劇」だと語り、それは今の日本、イタリアのみならず世界共通のテーマとの見方を示した。
6月の催しは「三島由紀夫−−東洋と西洋の間に横たわるアイデンティティーの役割」と題し、
作家関連の映画上映、討論会が開かれる。市とローマの日本大使館、日本文化協会が主催する。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20101126dde041040080000c.html
三島没後40年のせいかまた続々と新刊が出ているようで。 村上建夫「君たちには分からない」を読みました。 元楯の会の隊員の淡々とした回想録で目新しいことはほとんどありません。 (読まれた方はいますか?) ただひとつ、正田美智子さんとの件は、私はてっきり三島の方が断ったものと ばかり思っていましたが、この本の中の三島の言動から察するとどうも そうではないような感じですね。 生意気、無知、と様々な隊員がいたようですが、三島は驚くほど寛容で 著者がその人柄を現在でも慕っていることが伝わってきます。
>>867 読みましたが、楯の会会員が本当に当時、美智子さんと三島のお見合いの話を知っていたのかな? と少し疑問に思ったりして、
編集者がゴーストライトしたのかなと疑ってしまったりしてしましたが、なかなか面白いエピソードでした。
やっぱり美智子さんに一目惚れしてたんでしょうかね。
全体的には買って読むほどの本じゃなかったです。
>>847 チワワさんありがとうございます。
三島のエロス観というのは案外素朴なものですね。
バタイユのエロスのように構造化されておらず、割とあっさりしたものです。日本人的な発想だと思います。
禁止の向こう側という領域を侵犯することによって、エロティシズムの高みに登り詰めながら、同時に死を予感するものである、
いざ低俗の方へと向かう性質が生の、そして性の本質であり、至高性でもある、とするのがバタイユのだいたいのエロス観です。
比較するのに参考になりました。
>>869 どういたしまして。追加でこんなのもありました。↓
エロティシズムが本来、上はもつとも神聖なもの、下はもつとも卑賎なものまで、
自由につながつた生命の本質であることは、「古事記」を読めばよくわかることだが、
後世の儒教道徳が、その神聖なエロティシズムを忘れさせて、ただ卑賎なエロティシズムだけを、
日本人の心に与へつづけて来たのであつた。
三島由紀夫「バレエ『憂国』について」より
871 :
吾輩は名無しである :2010/11/27(土) 22:33:41
TBSラジオで宮台真司が、三島は核保有反対だったっていってますけど、 三島って核保有反対でしたっけ? 徴兵制復活は反対ってのは知ってるけど...檄文からしても核保有反対とは考えがたいんだけど・・・
>>870 チワワさんは三島に詳しいですね〜。
教会の神父さんは聖書の何ページに何が書いてあるのか暗記しているとか、
弁護士も六法全書の何ページに何の項目があるのか暗記しているとかいいますが、
チワワさんの資料集めのセンスにはそういったものを思わせる所がありますね。
また資料提供ありがとうございます。
バタイユが神聖のエロティシズム、肉体のエロティシズム、心情のエロティシズムと
三つの形式に分けて語ったのを思い出しました、古事記と通底するものがあります。
西洋と東洋のエロティシズムの接合点があるなんて面白い発見です。
873 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/27(土) 23:25:57
872 マゾちゃんの三島研究の深さを最初に多角評価死たのはわたくしで性根〜(笑) 三島のことはマゾちゃんに訊け、も穴ガチ魔違いでは無い〜(笑) ところで霊の怪等と変等は道され増した〜(笑)低脳オーバーヒート魔似亜さん〜(笑)
874 :
吾輩は名無しである :2010/11/27(土) 23:32:13
金閣寺において柏木の童貞喪失の顛末 愛とは仮象が実相に結びつこうとするめいもうとあるが よくわからん。
>>871 三島は核保有には反対してませんよ。
昭和42年の「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」で、こう言ってますから。↓
「いま、日本は工業化、都市化の道を進んでゐる。明らかに“核”をつくる文化を受入れて生きてゐる。日本は
核時代に向ふほかない。単なる被曝国として、手を汚さずに生きて行けるものではない。
核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを作ることが
できない。良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、
輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。」
ただ、その後の昭和45年の朝日新聞のインタビューでは、「70年代に日本が核武装しますか?」の質問に
答えた未来予測として、
日本の技術水準では、米ソの核開発の技術水準は抜くことができないから、戦争抑止力となるような「戦略核」は
持てないだろうし、国際的な戦力バランスに影響を持つことはできない、とは言ってますね。
でも、局地戦で使えるような「戦術核」は持てるだろうと言ってます。
三島は「核保有反対」とは、どこでも言ってませんね。一緒に死んだ森田必勝などは明確に核武装論文を書いてます。
>>872 佃煮さんもエロスを研究して詳しいようで、好きこそなんとやらでしょうか。
同じ博識の(o`.´o)ちゃんと喧嘩しないで仲良く議論してくださいね。
877 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/27(土) 23:51:23
茶番だな。
>>871 そのラジオ聴いてないんだけど、どういう流れの話だったんでしょうか? 命日で三島特集してたの?
879 :
吾輩は名無しである :2010/11/27(土) 23:57:50
>>875 そうですよねえ
左翼ってほんとに平然と事実でないことを論拠にするんですねw
880 :
吾輩は名無しである :2010/11/28(日) 00:01:00
>>879 「武士道と軍国主義」という政府への建白書のなかでも三島は、
まず核を持ってると相手に思わせることが恫喝になって一番大事だと言ってますから、
そういう社会学者がデタラメ言って、三島由紀夫の思いや死を無にするようなこと言ってもらっちゃ困まりますね。
まぁ大勢の自衛隊員の前で演説しようってのに 拡声器も持っていかないようでは あまりお利口さんではないようだね
>>882 奔馬も読んでないで、三島を語ってるあなたがお利口さんではないようだね。ニュー速のにわか並の無知晒しお大事に。
>>880 「三島は核保有に反対していません」って大文字のオレンジでコメント入れといたわ。あとで見てちょ。
>>882 元楯の会の隊員の話ではー
「三島先生はすべて想定済みだった。たぶん野次で自分の声がかき消される
のもわかってた。それを上回るようなマイクを使ったら、値打ちもない。
やっぱり最後は肉声よ」と語っています。
演劇的、そして用意周到な人だったらしいので拡声器等を用いなかったのも
何か意図があったのではないでしょうか。
これはもう推測するしかないでしょうが。
>>885 肉声にこだわったのは、明治新政府の刀狩りに反抗した江戸の武士100人(神風連)が刀だけで討死覚悟で
斬り込んでいった精神を踏襲したい気持の現れです。
ばらまいた檄文も全部手書きだったらしいよ。
887 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/28(日) 01:22:25
>>886 江戸の武士? 神風連を起こしたのは熊本藩士と神官だが……。
明治新政府に対する江戸時代の武士ってこと。
【眼前百事】核議論を!三島由紀夫と村田良平の遺言
http://www.youtube.com/watch?v=t-BSyjcc2no 国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかで
あるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か?アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを
喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの
傭兵として終るであらう。
三島由紀夫「檄」より
>>886 ああ、そうなんですか。
まさにバイロンの「負けるとわかっていても戦わなければならない時がある」
ですね。
確かに拡声器やマイクを使ったらそれこそ演劇的になってしまうよね。
私は三島の行動がこれは計算づくなのか、純粋なのか、判断つかなくなる時があります。
あのヤジは、隊員たちが事態を把握していなかったからか、と思った。 「総監が人質だ。一同静聴せよ」 と上から言われたら、おとなしくしてるだろうに。
892 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/11/28(日) 02:46:25
>>888 ふむ。おかしな言い方だな。江戸時代というが、神風連が起こったのは明治時代だろ。彼らが佐幕派ではなく、大多数が倒幕派だっただろう。
その後新政府が打ち出した方針とそりが合わなくなった、というだけであって。
893 :
吾輩は名無しである :2010/11/28(日) 02:49:31
神風連も拡声器があれば使ったと思うよ。
乱暴な言い方をすれば、物狂い(死に物狂い)の精神だろうな。 しかしこれは、ドストエフスキー「地下室の手記」の主人公が 罵倒しているような、「直情型の活動家」とは全く異なる。 強いて言えば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で東郷平八郎が 述べる、次のような考え方に近いかも知れない。 ひとたび決断したら、あとはもう何も考えもはん。死に物狂いで 戦うだけでごわす。じゃっどん、その決断をする前には、あらゆることを 考えて、考えて、考え抜かにゃなりもはん。云々 原作は読んでおらず、NHKのドラマで聞いた覚束ない記憶を頼りに 書いたので、かなり違っていると思うが、大筋はこれで合っているはず。
895 :
吾輩は名無しである :2010/11/28(日) 04:36:07
おかまやろう。
おかやまやろう、
897 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/28(日) 10:16:14
892 低脳マグナは 藁貸し増すねぇ〜(笑)明治9に明治政府に対する士族反乱の武士は江戸時代生まれの武士(明治新政府に対する江戸時代の武士)との意味で症が〜(笑)痴呆にも程が或る〜(笑)
899 :
吾輩は名無しである :2010/11/28(日) 16:29:18
総監室で大暴れしたのは三島一人だったそうだが、追い詰められ感が漂っているね。 まあ、刀を持っていたとはいえ、ほぼ一人で何人もの自衛官を相手にしたわけで、 武闘派と呼んでも差し支えないけどさ。
900 :
吾輩は名無しである :2010/11/28(日) 16:54:06
901 :
吾輩は名無しである :2010/11/28(日) 17:02:30
902 :
吾輩は名無しである :2010/11/28(日) 17:04:39
一方、荒木の三女、いおりさん(59)は 「三島氏の行為はテロ。存在を脅かされて決起した神風連とは違う」と冷ややかだ。 「戦争中は多くの人が望まない死を迫られた。平和な時代に派手な最期を選んだことを過大評価はできない」 団塊左翼はこれだから・・・
>>902 新聞記者っていうのは、そういう答えを引き出すような質問して、あとからそこの部分だけ載せて印象操作するんだよ。
死ななくてもいい平和の時代に敢えて死を選んだというところが 正しい、正しくないは別として胸に迫ってくるんだけど、 そうは受け取らない人たちの方が多数派なんでしょうね。 >ひとたび決断したら、あとはもう何も考えもはん。死に物狂いで >戦うだけでごわす。じゃっどん、その決断をする前には、あらゆることを >考えて、考えて、考え抜かにゃなりもはん。云々 こういうことなんでしょうね。 同じく司馬遼太郎の「燃えよ険」の中の一文(多少、誤りがあるかも) 時勢の変転など問題ではない。勝敗も論外である。 男が殉ずるのは自分の考える美しさのためではないか。 これも三島の心境に近いものがあるかと・・・・・
日本は中国、朝鮮に食い潰され弱体化し、アメリカに農業を潰されスラム化し、ロシアに原爆落とされ北海道をとられるだろう。(魅死魔幽鬼夫風に
906 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 02:13:16
しかし三島の派手な死に方を揶揄して、 あたかも安易で簡単なこととでもいいたげなのが左派に多いね。 やれるもんじゃないだろ。三島ほどの才能のものが全部投げ出すなんて。 ユルスナール女史のほうがさすがずっとよく理解しているわ。 あの死は大変なエネルギーを要する上昇運動だったって、的確に指摘している。 畳の上で死ぬのがそんなに尊いかって。 オレも含めて、それしかできないっていうのが本当だろうに。
907 :
おぉお〜、闇だ! ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/29(月) 02:24:40
三島の無様にして滑稽凄惨な死様は明らかに自己の生殖器に関する異常を周智させる徴であった、、 ・・・観点からは上昇も味噌もないし、意想外に典型的な変種の在り方。凡そ既・知・外の類ですらない
908 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 02:45:09
ぷぷ
ぷぷっぷ〜♪
910 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 07:56:08
( ・ _ ・ ) ジーッ
911 :
ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/29(月) 08:00:53
(・x・)/{ハオ!
912 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 10:07:49
( 〜 _ 〜 ) ジーッ
( ・ x ・ )ゴッド デア ハイリゲ ガイスト!
>>906 終戦で日本占領政策のために来たマッカーサーが吉田茂にこう言ったらしいからね。
「きみはジェントルマンだが、悪いけど日本から魂を抜かしてもらうよ」
この言葉が、日本の現状を象徴してるんだろうね。
>>914 yes, but Mishima want to do Japanese old fashioned, and to believe militarianism above an Emperor,
the organization of the armed forces, old fashioned Samurai souls, Yamato damashi-- Didn't you?
>>915 軍事主義と、武士道や大和魂は違いますから。
アメリカ人ロシア人中国人朝鮮人には判らないんだろうね。
917 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 14:46:30
mishimaって子供いんの??
いんよ
919 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 15:38:33
いるもなにも、長女の紀子さんは、今の皇太子と学習院の同級だよ。 PTAで美智子妃と三島は顔を合わせていた。
920 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 15:41:44
921 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 16:36:13
正田美智子とお見合いしていたくらいだからな
922 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 16:37:58
923 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 16:52:00
メロウ 作詞/椎名林檎 作曲/戸谷誠、椎名林檎 編曲/天才プレパラート 橙色は止まらない/黄色を探して乗り込め お前はきっとナイフを使う僕に恐怖を覚える 蔑んでくれ/僕は何処迄も真摯なんだ”至って普通さ” いま群れ為す背中/お前が僕よりイッちゃっているんだ 狂っている──そうだろう? 意識は希望に素直じゃない/回避するなんて止やめておけ お前の弁護をしているマシンをぶっ壊してあげるよ 引き攣ってくれ/僕は此処でお前に云ゆうのだ”愛しているさ” いま赤く染めた/お前が僕よりイッちゃっているんだ 狂っている──そうだろう? 美しい予感・眼に映る全て・儚き事象 要らぬ もう 要らぬ 嗚呼 蔑んでくれ 僕は何処迄も真摯なんだ”至って普通さ” いま群れ為す背中/お前が僕よりイッちゃっているんだ 狂っている──そうだろう? 嗚呼 引き攣ってくれ 僕は此処でお前に云うのだ”愛しているさ” いま赤く染めた/お前が僕よりイッちゃっているんだ 狂っている──そうだろう? 嗚呼・・・
林檎の誕生日は11月25日だから意識してるかもね。
>>919 長女の紀子さんと皇太子が結婚していたらよかったのに・・
三島の孫が天皇に!
927 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 17:17:45
928 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 17:25:39
けっ! おかま
930 :
吾輩は名無しである :2010/11/29(月) 18:18:27
女に肉欲感じないのに意志だけで女抱いて子供作ったんだ・・・すんごぉ
重たい石を背負ってるのは誰だろうね。
>>930 美輪さんみたいな一切女性を受け付けないタイプのホモじゃないから。
なぜか、石原は三島となるとムキになって矮小化したがる 宮崎正弘「ミシマのいない平成元禄」より
>>876 どうもありがとうございます。
(o`.´o)が攻撃的なのは私も不思議なんですよ。
本人の性格かも知れませんが、他に理由があるとすれば、
前に陰謀論や大審問官や唯物論のことで(o`.´o)さんを論破したから本人もくやしいのでしょう。
彼の事は生暖かい目で見守ろうと思います。
今は私はベルクソンとバタイユに熱中していますが、このスレも面白いので読んでますよ。
ホモの小説家
937 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/29(月) 22:24:40
935 怪等すら居間だ提示せず(笑)引用お呼びリンク(笑)書籍商会で論破死た(笑)謎の戯けた低脳オーバーヒートとなにを議論死ろというのか? 藁貸し増すねぇ〜(笑) 糞を糞(笑)阿呆を阿呆(笑)と論じねば気が澄まない起床ではあり増すけれども〜(笑)
>>852 崔洋一どころじゃないよ、若松は。
キム総書記が「拉致は解決した」とおっしゃられてるのだから、あれ以外に被害者はいません!――
なんて喚いてるヤツだぜ。
ドキュメンタリと称して、極左には都合良い(ジョンイルもたぶん気に入る)プロパガンダをつくる腹積もりに決まってる。
三島が異常なキャラであったことは確かだが、
極左連中に弄ばれては、それこそ決起に値する。
われこそはミシマの弱点ナリ (V)_ (V) ミ( ゚∀゚)彡
みしまはおかま
>>938 ブサヨの三島への執着ってすごいね。どこまで偏向しようとするんだか。
ブサヨの横暴を阻止するためにも、まず朝鮮学校の認可を取消すべきなのに、 何故石原慎太郎はやらないんだろ。
(◕∀◕)「ウヨ暑苦しいね。汗臭いし」 (◕∀◕)「そうそう。どうしようか?…」 (◕∀◕)「サヨ持ってきたお」 (◕∀◕)「おぉ涼しくて適温だあ〜」 (◕∀◕)「ナイスアイディアでしょ」 (◕∀◕)「そうそう」 (◕∀◕)「…くしゅん!ちょっと寒くなってキタ━(゚∀゚)━!」 (◕∀◕)「大丈夫、2chでウヨ培養してくるお」 (◕∀◕)「そうそう」 (◕∀◕)(◕∀◕)「ニコニコ」
三島は日本の右翼精神を愛するが故に道連れにして死んだ国賊
三島はとろろも知らない無知な隊員にも、馬鹿にせず丁寧に優しく効果音つきで説明する紳士です。
389 :吾輩は名無しである :sage:2010/11/30(火) 06:06:07
「ふぐすまさん」は津原掲示板のランドールを指す、って話になっているのかな。
あの人の書き込みは佃煮マニアの書き込みにしか見えなかったよ。
このスレでの呼称「ふぐすまさん」ってのは、その人のIPに由来しているんだよね?
佃煮マニアのIPもなんたらかんたら.fksmnt01.ap.so-net.ne.jpだったと思う。
佃煮さん、見ていたら一言コメントよろしく。
397:(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ (69) ::2010/11/30(火) 12:15:37
>>389 >佃煮マニアのIPもなんたらかんたら.fksmnt01.ap.so-net.ne.jpだったと思う。
低脳オーバーヒート佃煮マニアの自演をわたくしが暴露死たのは前レスのとおりでしてねぇ〜(笑)
ふぐすまは♂(笑)ランドールは♀(笑)で別人というのがわたくしの見識ですけれども〜(笑)
陰謀論と大審問官と戦争商人の議論で私に論破された低脳オーバーヒート(o`.´o)さんは
ついに人のトリップを盗み自作自演をし私のIDストーカーをするという愚行に及んでいます。
いいかげんコソコソと私の足跡をつけまわすような真似はやめて、正々堂々とし、
大東亜戦争における唯物論的革命について説明ねがいたい所ではあります。
947 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/30(火) 21:49:11
946 389がわたくし謎とは藁貸し増すねぇ〜(笑)低脳オーバーヒート佃煮は頭がお菓子いのでは〜(笑)自演被害妄想謎とはマグ名のオムツと対して変わらぬ酔うでしてねぇ〜(笑) 他者へのリンク(笑) 他者への引用(笑) 他者への本紹介(笑) に寄り論破(笑) 謎とは返答する木も置き増せんねぇ〜(笑) 大東亜戦争における唯物論的革命(笑) については、わたくしの降参にて低脳オーバーヒート佃煮にその解等を求めることに死魔性〜(笑) ご教授をば〜(笑)
948 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/11/30(火) 21:55:51
マゾちゃんは三島由紀夫〜幻の遺作を読むは読まれたので消化ねぇ〜(笑)読まれておれば、第九章「もう一つの豊饒の海」の乾燥謎をお聞き死体ものです〜(笑)
三島はとろまんも知らない無知な隊員にも、馬鹿にせず丁寧に優しく効果音つきでちんぽをつっこむ紳士です。
>>947 唯物論をぜんぜん知らない低能オーバーヒートのネットストーカー自演魔マテリアリスト(o`.´o)さん、
いともあっさり降参ですか。またしても論破されましたね。
豚に真珠のようでもったいないですが、解答の一例を示しましょう。
「大東亜戦争における唯物論的イデオロギー革命」とは何か?
しばしば共産主義とは、唯物論に随伴する思想であったりします。
そして、共産主義者たちが標榜する唯物論的革命とは、つまり戦争のことなのです。創造→破壊→再度創造という革命です。
大東亜戦争は、ソビエトにいる共産主義者たちによる、日本の共産主義化というイデオロギー革命のために行われたのです。
スパイを操って小国日本を列強国と対峙させ、到底勝てる見込みのない戦争に「神風」などという安っぽい精神論をとってつけさせ、
それがいかに脆いものであるか、ということを圧倒的な物量作戦で知らしめた訳です。「神などいない、この世には物質しかない」と。
そして戦勝国になったソビエトは、日本社会にもとからあった支配構造に手を入れて、唯物論で染め上げて行ったのです。
今では日本は、天皇は人間宣言したし、科学万能主義者が幅を利かせているし、無神論国家に成長したでしょう?これは革命の跡なのですよ。
三島などは、そんな戦後革命のさなかを生き、日本人のコンプレックスを見事に体現した人間と言えるでしょう。
わかりましたか?
951 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/01(水) 01:07:25
藁貸し増すねぇ〜(笑)低脳オーバーヒート佃煮は〜(笑)この低文950「大東亜戦争における唯物論的イデオロギー革命」とは何か? を嫁ば日本はソ連と戦争死て負けた酔うですけれどもねぇ〜(笑) さて、反論の前に博識マゾちゃんの意見もお聞き死体者ですねぇ〜(笑)
952 :
吾輩は名無しである :2010/12/01(水) 09:38:26
娘さんご子息さんは今どうされているのかな?
>>948 それはまだ読んでないんですよ。たくさん三島本がぞくぞく出たので徐々に読んでます。
読んだらお答えしますね。ちゅぱはぐ(∩)(笑)
>>952 娘さん夫婦は、例の三島の建てた洋館に住んでいると聞いたことありますが、真偽は不明です。
>>951 さまざまな陰謀説や解釈があるようですが、細かいことは不勉強でよくわからないですけど、
裏でアメリカとソ連が密に繋がってたのは事実だから、単に日本の侵略と見るブサヨ日教組や朝鮮中国の見方は皮相といえるでしょうね。
>>954 有難うございます
あの家に住んでいらっしゃるのですね
>>920 どれが威一郎さんだろう
957 :
名無しさん日 :2010/12/01(水) 10:58:35
>>942 ヒント:パチンコ収益
ニセ右翼、石原慎太郎
アニメ漫画業界だけ締めつけ、朝鮮人利権、ださいケツ振りK-POPは野放し
K-POPって本当に売れてるの?
960 :
吾輩は名無しである :2010/12/01(水) 16:50:38
>>959 エイベックスのごり押し、売れてる詐欺商法だよ。
962 :
v(≧∇≦)v イェェ〜イ♪すずき ◆Qu7nbnyIIo :2010/12/01(水) 17:03:45
v(≧∇≦)v♪ <にたりよったりJPOP うわーいっw
似たり寄ったりは朝鮮POP 顔も整形でみな同じだし、少女時代のGはまんまデスチャのパクリだし。 日本の音楽のがまだ日本独特の風味を加えて工夫があるよ。
964 :
v(≧∇≦)v イェェ〜イ♪すずき ◆Qu7nbnyIIo :2010/12/01(水) 17:40:31
♪v(≧∇≦)v <ねーねーじゃにーずってみんなおなじかおでね、みわけつくね。よく、あと、えーけーびっておなじかおだからキョウダイなの
965 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/01(水) 17:42:35
低脳オーバーヒート佃煮にひとつ例え離しでも死魔性かねぇ〜(笑) なんでも日本宅に共産主義者強盗が外国から押し寄せて来るとのこと〜(笑) 日本宅住民は自宅が乱闘騒ぎに鳴っては駒ると通路先でも或る燐宅の亜細亜地区の朝鮮宅と中国宅に潜入し(笑) 共産主義者強盗を街構えておった(笑) そうして押し寄せて来た共産主義者強盗と日本宅住民は朝鮮宅と中国宅で乱闘騒ぎに鳴り、家内家具は破損し朝鮮宅住民と中国宅住民からは死傷者が多く出た〜(笑) 日本宅は安全無事にこの難を逃れた〜(笑) さて、低脳オーバーヒート佃煮が朝鮮宅と中国宅の住民で会ったなら、日本宅住民の行為が許せるで消化ねぇ〜(笑) なんでも日本宅住民は、亜細亜地区の平和を守ったというのですけれども〜(笑)
966 :
吾輩は名無しである :2010/12/01(水) 18:24:50
>>965 横レスですが
ソ連の強盗はすでに中国に侵入してたのでは?
強盗の一味(尾崎なんとか)も日本の政府に工作員としてすでに内密に侵入してたらしいし。
968 :
猫 ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/01(水) 18:27:34
^(=ↀωↀ=)^にゃー
>>965 唯物論をぜんぜん知らない低能オーバーヒートネットストーカー自演魔のマテリアリスト(o`.´o)さんが
なにやら私の唯物論的イデオロギー革命の説明のどうでもいい部分に反応してとんちんかんな論点ずらしをしているようですが、
日本の戦争責任とか大東亜戦争肯定論とか、もうさんざん議論が出尽くしてる話題なので解答はパスします。
それぞれの国で主義主張が分かれるものでしょう。アメリカでは原爆投下だって肯定されているのだし。
大事なのは、戦争という名の革命における創造→破壊→新たな創造が、唯物弁証法における正→反→合になるということです。
哲学的ゾンビの否定はできますか?これは唯物論者にとっての課題ですが。自分の名を賭けて否定してみてくださいよ。
わら貸しさんって狸さんの文体のパクリでしょ?
971 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/01(水) 22:12:46
>>967 藁貸し増すねぇ〜(笑)
>>965 の問題はそこでは無い〜(笑)ソ連の強盗が中国に侵入しておったとしてもそれはソ連と中国の問題で笑止ねぇ〜(笑)
>>965 での 日本の問題が解らぬ異常は同じ謝ちを繰り返すと言うことですねぇ〜(笑)
>>969 藁貸し増すねぇ〜(笑)刺すれば最初から岩ぬことです、低脳オーバーヒート佃煮〜(笑)すでにオーバーヒートのようですけれども〜(笑) このまま愚論を続けても戦争を起こしたのはゾンビと鳴るようです死ねぇ〜(笑)
戦争間に置いて善悪で論じることの愚は無いということです〜(笑) 建設の前に必要なのは解体で笑止〜(笑)痴なみに唯物論とは或るということを第一に据えるということです〜(笑)
どこぞの阿呆の用にゾンビの出る幕は無いのですねぇ〜(笑) 低脳オーバーヒート佃煮は 藁貸し増すねぇ〜(笑)
972 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/01(水) 22:15:34
970 どこがどうパクリなのか立証願い増すよ〜(笑)
漢字を間違えるところと(笑)をつけまくるところです。
974 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/01(水) 22:38:30
973 変答ありがとうござい増す〜(笑) 刺すれば言行一致文体の考案者二葉亭をのちの作家のほぼすべての者はパクッ多ということに鳴り増すけれどもねぇ〜(笑) これに問題は或るので消化ねぇ〜(笑) 鳴ければこれにて〜(笑)
976 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/01(水) 23:03:08
975 未央子の荒れは完全な盗作で症ね〜(笑) 誤字と(笑)の多用でパクリとはねぇ〜(笑)
>>971 唯物論をぜんぜん知らない低能オーバーヒートネットストーカー自演魔のマテリアリスト(o`.´o)さんは哀れですね。
解体と創造など私が言った事の焼き直しじゃないですか。しかもそれを戦争に結びつけられて語るには至っていない。
私の唯物論的イデオロギー革命などまったく意味がつうじていないことがはっきりしましたね。まさに豚に真珠です。
また「哲学的ゾンビ」の意味をまったくはき違えていることにも驚きました。
こんな人の何がマテリアリストなのかと目を疑いたくなりますよ。悲惨です。
哲学的ゾンビとは、自分と変わりないように見える他者に、もしクオリアがなかったら?という思考実験ですよ。
この思考実験が仮定でしかないと否定する方法の一例とは、「私は独我論者ではない」と誰かに打ち明けることです。
独我論者にとっては主観が全てで、他者とはゾンビであり到達できない彼岸の向こう側にあるのだから、他者との対話は不可能になります。
しかし、自分が独我論者でないことを他者に伝えることで、独我論者の絶対的主観に対する客観がもちこまれ、世界が開けるのです。
978 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/01(水) 23:42:18
藁貸し増すねぇ〜(笑)低脳オーバーヒート佃煮〜(笑)ゆえに戦争を起こしたのは他者たるゾンビ(笑)魔さにわたくしの予想通りで 藁貸し増すねぇ〜(笑) 穴多の逝っておるのは唯識論でしてねぇ〜(笑) 「独我論者の絶対的主観に対する客観」謎は欲生理死ては道です〜(笑) 本日はこれにて阿呆はオーバーヒートで笑止ねぇ〜(笑)
979 :
吾輩は名無しである :2010/12/03(金) 11:11:05
戦前の輝かしい日本の昭和3年に生を受けた私は、本土決戦が近い昭和19年に当時最高のエリート集団、 海軍機関学校の厳しい試験を突破。畳が血に染まっている激しい柔道場、プールの底に網を張り、力尽きて おぼれ沈むまで泳ぐ猛訓練、日本最高の頭脳を有する教授陣による徹底的な座学。入学した東京帝国大学は正門に 菊の御紋を頂き、「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本」のため必死に勉強し、身体を鍛えました。 全国民が国のために死ぬ覚悟の戦前の日本、玄関の鍵を開けていても泥棒の入らなかった戦前の日本の高い道徳。 戦後の日本は、玄関に鍵をかけていても泥棒が入る堕落国家。現在の政治は武士によって行われるのではなく、 士農工商の商、つまり、カネと利権により政治が行われています。日本の政治は、「武士道」により行なわれ なければなりません。「三島精神」で行わねばなりません。 「日本の真姿が変わって、生命尊重のみで魂は死んでいる。」と三島先生は言っておられます。今こそ三島先生の 遺志を継いで良き日本に造り変えましょう。 それには、まず東京から日本を変えましょう。私の家系は徳川幕府の直参旗本で、江戸で、300年、政治の 中枢に居りました。私は、来年4月初頭の東京都知事選に立候補し、三島先生の遺志を実現し、東京を創りかえます。 そのため、東京を民主党の菅政権と一線を画し、占領憲法を廃棄し、尖閣や北方領土の護りを固くし、 「世界最高の修身教育」と「強い男子」の育成、「減税」をして元気溌剌で活気ある愉快な東京にします。 ハーバード大学で「グレート・シンカー」(偉大な賢い人)に選ばれたドクター・中松のみが東京を賢く 指導できると自負しております。 11月25日の『憂国忌』には、米国で「ドクター・中松デー」の制定行事があったため、残念ながら参加でき ませんでしたが、三島由紀夫の行動哲学に共鳴している皆さまと共に、日本の現状を糾弾してまいりたく存じます。 ドクター中松 三島由紀夫没後40年憂国忌へ寄せるメッセージより
980 :
吾輩は名無しである :2010/12/03(金) 14:09:42
あ
鈴木邦男って北朝鮮のスパイなの?
鈴木は朝日新聞に「三島は核武装反対だった」とかデタラメ書いたようですが、ただの勘違いか無知で、スパイではないでしょう。