>>14 川上ブログから
>その文章では「川上氏は尾崎翠の字も存在も知らなくて、おしえてあげた」
>というような内容があります。
>津原さんもブログで仰ってるように現ユリイカ編集長(当時は編集長ではあ
>ませんでした)に紹介されたのですが、当然それははじめての詩「先端で、
>さすわさされるわそらええわ」が掲載された「ユリイカ」2005年11月号が出た
>あとになるはずで、はじめてお会いしたのは正確には2006年の4月のことです。
>>16 続き
> 皆さんの「時系列」だとか「事実関係」といった話に、誘導されたり無視されたりで、一時は
>対処に困りましたが、記憶力合戦をやっている訳ではないので、川上さんを困らせてしまう
>であろう事実は、伏せておきたいと思ってきました。今も基本的にそう考えています。
> それにしても、それにしても、会ったのが二度だというのは、切ないほどの嘘で、ここには
>義憤を感じます。一連において、いま初めて怒っていると云って過言ではありません。
> そういう事になさりたいのでしょうし、僕もそういう事にしていいのですが、じゃあ一緒に何
>度も顔を合わせている人達も、追従して記憶を修正せねばならないのか、という話になってしまう。
>僕にはそういう、無名だが身近な友人たちのほうが大切です。
> 数は力、名は力とばかり、過去の修正をなさると、周囲にいた人たちは理不尽な沈黙を強いられます。
> 電話にしてもそう。電話というのは一種の密室なので、その種の修正が蔓延すると、そのうち病人が出ます。
>昔もえらい目に遭ったことがありますが、本当にもう、勘弁していただきたい。
>
> 僕はネット上でぼろかすに云われることに慣れていますが、同席者には一般の方もおられ、
>その内心は、ずたずたです。消されてしまったのですから。彼らのために以上を付記し、
>僕は憶えているから大丈夫、とお伝えします。
> 僕はもう、若い人に小説を教えることはしません。カート・ヴォネガットが感嘆した年若い
>読者によるヴォネガット小説の要約「愛は負けるが親切は勝つ」は、前世紀の思い出なのでしょう。
ミエコの時系列が決定的に敗れた瞬間ですね
はじめて会ったのはユリイカ掲載前だ