【おさきみどり】川上未映子23【どう書くの?】

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14吾輩は名無しである
ただ一つの拠り所であった、数字にモノを言わせた時系列が崩れさる。
最初に会ったのは2005年。

>投稿者:津原泰水 投稿日:2010年 7月31日(土)02時22分38秒
>  千客万来後、初めてTwitter等々のエゴ・サーチ(というらしい)をしてみました。これと
>いった強い反応は見当らなかったので、そろそろこの件は終息かなと感じています。
> なぜか途中から「時系列」について問う方がいなくなってしまい、訊かれないのだからと
>黙っていましたが、ウェブ上に川上述懐のコピーも複数あり、そのうえで津原は滅茶苦茶
>を云っているという方もおいでだと知ったので、川上さんに御迷惑ではなかろう範囲で、
>多少、僕の記憶を付しておきます。
> 最初に直接お会いしたとき、我々は鍋を囲んでおります。川上さんは初対面は四月と
>証言なさっているようですが、四月に鍋? また「来年結婚する」と仰有っていました。
> 金子國義がなぜ怒ったのかは、僕も分からないのです。トイレから出ると殴り合いが
>始まらんかの状態になっており、そのあと川上さんが「お詫びに歌います」と自作の歌
>をうたわれた。しかし金子さんはタクシーで帰ってしまわれました。僕はひたすら、ぼかんとしていた。
> 書けることは書きました。僕にとって凡ては昨日。しかし何年もかかる作業を経験した
>ことのない若者にとっては、去年でさえ大昔で、今は今なのでしょう。
> 若い読書人たちは変わらず川上さんの姿勢を支持なさろうし、もちろん全員がそれを
>見越したうえで、より遠くに見えているものを目指し、思索やら意見の擦り合わせをおこ
>なってきた訳です。残念ながらみずからの御投稿を消してしまわれた方々も含め、
>皆さんの紳士的な態度に感謝します。BBSやブログを作品とは目さぬ日頃の姿勢とは
>矛盾するものの、一連を、まるで一枚の細密なスケッチのように感じています。
> もちろん今後とも、御質疑あらば真摯に対応します。これだけは踏まえてください。
>なんでもかんでも書ける訳ではない。ただし、それが行間に潜んでいる場合はある、と。
15吾輩は名無しである:2010/08/24(火) 17:58:41
>>14
川上ブログから
>その文章では「川上氏は尾崎翠の字も存在も知らなくて、おしえてあげた」
>というような内容があります。
>津原さんもブログで仰ってるように現ユリイカ編集長(当時は編集長ではあ
>ませんでした)に紹介されたのですが、当然それははじめての詩「先端で、
>さすわさされるわそらええわ」が掲載された「ユリイカ」2005年11月号が出た
>あとになるはずで、はじめてお会いしたのは正確には2006年の4月のことです。
16吾輩は名無しである:2010/08/24(火) 17:59:11
>記憶の価値 投稿者:津原泰水 投稿日:2010年 8月 7日(土)13時12分55秒 編集済
>  インターネット上における津原泰水史を御存じの方は、そうだろうな、とお思いでしょう――
>僕はネット上の読まないものを、本当に読みません。それは防御でもあるし、BBSにおいでの
>皆さんへの礼でもあります。余所での話と此処での話を、うっかり混同してしまわないようにです。
>
> 道行くななしさんが御紹介くださったブログは、こちらに「千客万来後、初めてTwitter等々の
>エゴ・サーチ(というらしい)をしてみました」という段で見ております。しかし川上さんの文章
>はよく読みませんでした。
>「時系列」という言葉が、どうもなにかと混用されているようで、頭に入ってこなかった、
>というのが実情です。今は読みましたが、読解しにくい箇所が多々あり、先方の意図を
>十全に受け取っているとの自信はありません。
>
> よく憶えていらっしゃる方はおいでなもので、初対面の場に立ち合っていた方から、日付、
>その際の川上さんの肩書等、御連絡いただきました。僕はこれまでに必ずしも誤記してはいないけれど、
>記述ぶりから「より後日」に誤解されかねないとのことでした。まだ川上さんの詩が掲載された
>ユリイカは出ておらず、彼女の肩書は「歌手」だったそうです。
>「こんどユリイカに……」と聞かされたので、すでに詩人として活動なさっているものと思い込
>んでおりました。失礼しました。
17吾輩は名無しである:2010/08/24(火) 17:59:36
>>16
続き
> 皆さんの「時系列」だとか「事実関係」といった話に、誘導されたり無視されたりで、一時は
>対処に困りましたが、記憶力合戦をやっている訳ではないので、川上さんを困らせてしまう
>であろう事実は、伏せておきたいと思ってきました。今も基本的にそう考えています。
> それにしても、それにしても、会ったのが二度だというのは、切ないほどの嘘で、ここには
>義憤を感じます。一連において、いま初めて怒っていると云って過言ではありません。
> そういう事になさりたいのでしょうし、僕もそういう事にしていいのですが、じゃあ一緒に何
>度も顔を合わせている人達も、追従して記憶を修正せねばならないのか、という話になってしまう。
>僕にはそういう、無名だが身近な友人たちのほうが大切です。
> 数は力、名は力とばかり、過去の修正をなさると、周囲にいた人たちは理不尽な沈黙を強いられます。
> 電話にしてもそう。電話というのは一種の密室なので、その種の修正が蔓延すると、そのうち病人が出ます。
>昔もえらい目に遭ったことがありますが、本当にもう、勘弁していただきたい。
>
> 僕はネット上でぼろかすに云われることに慣れていますが、同席者には一般の方もおられ、
>その内心は、ずたずたです。消されてしまったのですから。彼らのために以上を付記し、
>僕は憶えているから大丈夫、とお伝えします。
> 僕はもう、若い人に小説を教えることはしません。カート・ヴォネガットが感嘆した年若い
>読者によるヴォネガット小説の要約「愛は負けるが親切は勝つ」は、前世紀の思い出なのでしょう。

ミエコの時系列が決定的に敗れた瞬間ですね
はじめて会ったのはユリイカ掲載前だ