1 :
FFF:
どうしょーもない糞翻訳を挙げよう!
2 :
FFF:2010/04/29(木) 22:07:23
オルハン・パムクの「雪」「イスタンブル」「私の名は紅」
これぞ糞。
おちんちん
5 :
吾輩は名無しである:2010/04/30(金) 02:05:55
6 :
吾輩は名無しである:2010/04/30(金) 03:02:03
7 :
吾輩は名無しである:2010/04/30(金) 20:54:12
フェルナンド・ペソアの「不安の書」全訳(新思索社)も酷いな。
思潮社の澤田直氏による抄訳「不穏の書」は素晴らしいんだが。
是非、澤田氏に全訳して頂きたいが。
確かに澤田は翻訳上手ですねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
>>7 いや、『不安の書』はちゃんと読めるよ。あれを悪訳として挙げるなら
世の翻訳の大方は糞翻訳になってしまう。
むしろ澤田のほうが、思潮社の『ペソア詩集』を読む限り、全く信用できない。
『不穏の書』についても、あれを抄訳で出すこと自体、何も分かってない証拠。
岩波だったか、『ドリアン・グレイの画像』。
画像って…
>>9 おやはや(笑)抄訳で出すことがなぜ何も分かっていない証拠になるのかよく分かりませんねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
ただつうぶり対だけの意見、ということでしょうかねぇ(笑)説明がなければそうなってしまうのですけれどもねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
12 :
吾輩は名無しである:2010/05/01(土) 08:30:51
13 :
吾輩は名無しである:2010/05/01(土) 13:06:15
いやいや、あの澤田さんの抄訳は素晴らしいものですよ。
訳だけでなく、断章の選び方も。冴えてます。
タイトルからして、「不安の書」より「不穏の書」の方が良いような気がするね。
原語がどうなってるのかは知らないが。
もうひとつ云えば、思潮社の方が装丁が良い。
14 :
吾輩は名無しである:2010/05/01(土) 20:41:47
こんなスレ、学の無いバカ同士がやりあってもしょうがない。
バカ学者のせせこましい翻訳批判も究極のバカとしてあるけどな。
ま、想像性創造性の欠片もない、バカ同士やバカとバカ学者やがよろしくやってくれやいな。
>原語がどうなってるのかは知らないが。
翻訳がクソとか素晴らしいとか
レスしておきながらこれはねえだろと思うw
16 :
13:2010/05/01(土) 21:30:30
いやいや、翻訳は原文がわからなくても語れるものですよ。
日本語で日本人が読むんだから、全責任は訳者に帰属されるものであります。
三島由紀夫の文章読本にも
「わかりにくかったり、文章が下手であったりしたら
すぐに放り出してしまうことが原作者への礼儀。
読者が翻訳の文章を読むときにも、日本語及び日本文学に対する教養と訓練が必要。
翻訳文は日本語であり、日本の文章である。読者は語学とは関係なく自分の判断でよい翻訳と悪い翻訳を見分けられる。」
という趣旨の文章があります。これは真理だと思いますね。
三島w
18 :
吾輩は名無しである:2010/05/02(日) 00:39:43
スタインペックの真珠の翻訳がカスすぎた
ヴァニラの木、作品はよいのですが翻訳を少しばかりがんばっていただきたいですねぇ(笑)
鈴木芳子のミュノーナ訳は前川訳と比べておかしな部分を見つけた気がするのですがどちらが悪訳なのでしょうかねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
近田友一のシェストフ
原田義人のカフカ、ツヴァイク
中森義宗のパノフスキー
朝吹登美子のボーヴォワール、サガン
和久井路子のパムク
この最強メンバーに伍しうるツワモノはいるか?
21 :
吾輩は名無しである:2010/05/02(日) 07:55:40
翻訳が気に食わんなら、語学をやって原書で読めば良い。
その根性のない者は我慢しろ、というのも惨いがw
よほど、気に入ったのでない限り、翻訳は避けた方が快適に
暮らせるよw
なぜ、柳瀬の訳はあんなにまずいのかとか、こいつの言語感覚は
どうなってるのか丸一日問いつめたいとか、思うのは時間の無駄、
脳みその無駄使い。
仕事でまずい翻訳でも読まなければならない場合を別にして。
フィッツジェラルド『華麗なるギャッツビー』(グレートギャッツビー)の大貫三郎訳
野崎孝派も村上春樹派も小川高義派も大貫訳がクソである事では意見が一致する
まあ picture だし。
25 :
吾輩は名無しである:2010/05/02(日) 11:02:30
パソコンを使う世代だからゆえに
自分たちに画像という言葉への偏見が植え付けられてるだけだろ
26 :
吾輩は名無しである:2010/05/02(日) 11:07:35
訂正
偏見というより固定観念だな
『ツァラトゥストラはこう言った』みたいなものか
え…
それって作中においてモノはちゃんと「肖像画」だったはずなのに
唐突に「画像」はねーだろって話っしょ?
それともアレか
絵の乗ったキャンバスという物としての「肖像画」ではなく
主人公の行動や心情と相関して変化していく「すがた=画像」として
pictureをとらえた故の訳ってか
いやしかし
それにしても「画像」とは情緒も含みもへったくれもない…
うんこよりおたからあつめたほうがたのしいきがする。
そうだね。
>>28 >が*ぞう グワザウ【画像】[0]
>(1)絵に描かれた姿・かたち。
>(2)テレビジョン・スクリーン・感光紙などにうつし出された映像。「鮮明な―」
(大辞林)
1936年の訳だ。改訳時点でも1967年。
>>25の言うように
今の連中の言葉感覚とズレがあるというだけ。
勉強になるのう
『大辞泉』のほうがいいかな。
>(1)絵にかいた肖像。えすがた。肖像画。
>(2)テレビにうつる映像。「不鮮明な―」
こちらは第一義で明確に「肖像画」と規定している。
自分の日常的な理解が全てであるかのように語り、
しかもそこに「情緒」だの「含み」だのを押し付けてかかることが
いかに愚かであるかに気付くべきだな。
でもやっぱり肖像画
肖像≠肖像画
画像=肖像画
小僧=しょんべん
小象= ……。
ああ、やっぱりおれって天才だわ。マジでおもった
39 :
吾輩は名無しである:2010/05/03(月) 13:30:56
>>15 文学板ってそんなもんだ
原文読めないのをからかわれてルサンチマンむき出しのレスを連投してる奴とかね
最近も某スレで見たわ
何かというと三島を引用する奴も外国語コンプみたいだな
>>34 逆に聞きたいんだけど
「モノが肖像画だというのに『画像』と表現したことの意図」について
>28の理解はアリだってわけ?
それとも「理解」という一工程を経なくてはいけない時点で
当時の感覚をつかんでいないのは明白だから、それを前提に読むのがもうバカって話になるのかな?
岩波の5年前に新潮が出してる方は『ドリアン・グレイの肖像』だ。
それに岩波の表紙ンとこに書いてあるあらすじも「肖像画」だ。
なのにどうして敢えて「画像」なのか、なんかすごく気になってきた。
あと情緒や含みがないってのは個人的な感想とセンスだから(アマゾンだとあのレトロな訳が一番イイって人もいたし)
それを態度ととらえて愚かとか言われても「悪かったな」って感じだけどw
賢く読んでみせてよ。
実に愚か(笑)おやはや(笑)
ものを教えてもらったら、まずは「ありがとうございました」と頭を下げるものだがな。
通年連休の餓鬼に何言っても無駄か。
やあそれは気がつきませんで。
どうもありがとうございました。
もののついでと言っては何ですが
「賢く読む」とどうなるかお教え願えませんでしょうか。
連休夕方でお時間もあることと思われますし、
必要でしたら年単位でお待ちしますので、
どうかよろしくお願いします。
やっぱり先行訳があると
すこしでも差異を出したいって程度の話じゃないかな
岩波なんてレーベルとしては割と確立してると思うが、
そんな岩波でさえそういう工夫はやっぱり必要だったのか…