語ろう
おちんちん
でたなおちんちんまん!
衰退して何か問題あんの?
マンガがだいたいなことをしちまったからだよ
だいたいなこと…か、藻前のセンスは最高だ!キスしてやるっ、ん〜〜ぶちゅっ!
7 :
吾輩は名無しである:2010/04/24(土) 12:22:38
屁の役にも立たない学問は淘汰されるから、衰退した。
学問であるかどうかすら微妙だし。
惚れた、憎んだ、日本独自の繊細な心理表現、青年の苦悩、禁じられた愛の葛藤…
こんなもんアタマの弱い女子供に暇つぶしで読まれて
ブクオに捨てられるのが関の山だろ気持ち悪いw
今じゃドラマの原作もマンガだし、しかも案外面白い w
9 :
吾輩は名無しである:2010/04/24(土) 13:06:13
ドラマはあまりにも酷過ぎるだろ
10 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/04/24(土) 21:29:04
むしろ、
とっくの昔に衰退しきってしまったものを今更言上げすることの馬鹿馬鹿しさに気づかない
愚かさについて論じたいものだねw
11 :
吾輩は名無しである:2010/04/24(土) 22:30:46
そんな飛んで火に入る夏の虫↑
主体をなくしたから。
13 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/04/25(日) 00:10:47
14 :
吾輩は名無しである:2010/04/25(日) 01:48:50
ここでいう日本文学がどこまでを範囲として含むかがまず謎だけど
文芸他ジャンルの衰退とか結構参考になるかもしれないね
明治中期以降の漢詩の衰退とか、割にあっけなかったものね
いちおう懐風藻以来(惟宗孝言・大江佐国の登場を基点としたほうが実際的か)
の伝統があり、江戸から明治の激動期にも広瀬兄弟、鷲津親子や森親子の繋がりでもって
途切れさせずにきたものが明治第一世代があぼんしたら担う人材がゼロになってたんだからねえ
「教養」って言葉、そんな好きじゃないんだけど、それの世代間の断絶でわりあい簡単に一時の支配的ジャンルが
その地位から転落するって、まったくありえないってわけじゃないんだものねえ
ぽっと出の日本の近代小説なんてふっと消えてしまってもおかしくないような気もする
>>13 それを言ったら合格するのはプロレタリア作家だけになるだろう?
三島は保守デマゴーグで川端は国際ペンクラブも平和活動も
やっていた。70年安保間もなく二人とも自裁した。
これは分かりやすいトピックだ。
ロラン・バルトの『表徴の帝国』なんてもんは、単にバカに
されてるんだと気づけない内は話にならんね。
海外文学は発展してきてるの?
19 :
吾輩は名無しである:2010/04/25(日) 14:44:09
>>1は文学が盛んだった時期がいつだと思ってるんだろう。
明治大正昭和初期の文豪たちの頃は今ほど小説家がいなかった。
本屋も今ほどないしね。
ただその頃の文学は純文学作品が多いと思う。
商業性より芸術性重視のものが純文学らしいけど
いま純文学作家なんてほとんどいないからな。
売るための娯楽小説大衆小説ばかりで
>>19 昔も今も圧倒的に純文学作家、純文学作品は少ないよ
それに近現代でもどっちもできなきゃプロじゃなかった
なにより世界的に見ても読み継がれてる作品、研究される作品は
幅広い価値観、意味でのエンタメ(大衆文学、作品)が圧倒的
21 :
吾輩は名無しである:2010/04/25(日) 14:58:05
衰退してるの?
何をもって衰退とするのか?
文学者の自殺が減ってるつうか聞かないので衰退してると思う
売れなきゃ価値がないって思われてる
>>21 一人の人物が意気込みを以て世に問う作品を読み耽るより、
ディズニーランドで遊びほうけたり、ネットでお喋りするの
が好きになっちまったことだろ。
70年安保以後ってのは、おフランスでは5月革命以後で、
「先進国」は軒並み駄目になってんじゃないか?
25 :
吾輩は名無しである:2010/04/25(日) 19:28:45
>>18 ハリーポッターシリーズ累計 4億2000万部、ダヴィンチコード 6500万部
と言うのは冗談で、
* 全米図書賞(全米図書協会が主催。小説・ノンフィクション・詩・児童文学の4部門がある)
* 全米批評家協会賞(全米批評家協会が主催。小説・ノンフィクション・伝記・詩・批評の5部門がある)
* ピューリッツァー賞(アメリカ。ジャーナリズム、文学、音楽が対象)
* ペン/フォークナー賞(アメリカ)
* オーストリア・ヨーロッパ文学賞(ヨーロッパ)
* ブッカー賞(イギリス・イギリス連邦加盟国およびアイルランド。国際部門あり)
* 国際IMPACダブリン文学賞(アイルランド)
* ゴンクール賞(フランス)
* フェミナ賞(フランス。国際部門あり)
* ルノードー賞(フランス)
* アンテラリエ賞(フランス)
* メディシス賞(フランス。国際部門あり)
* ドゥ・マゴ賞(フランス)
* アカデミー・フランセーズ賞(フランス)
* ゲオルク・ビュヒナー賞(ドイツ語圏)
* ストレーガ賞(イタリア)
* セルバンテス賞(スペイン語圏)
* アルファグアラ賞(スペイン語圏)
* ビブリオテーカ・ブレーベ賞(スペイン語圏)
* プラネータ賞(スペイン語圏)
* ナダール賞(スペイン)
* カモンイス賞(ポルトガル語圏)
こういうとこみてもちょっとピンとこない。
たかが遺伝子の乗り物風情に文学などという高尚なものは
不釣り合いだからな。
27 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/04/25(日) 22:50:25
ねらーで文学者とか終わってますからね。
そもそも、小説ごときが文学といえるのか、と。
30 :
吾輩は名無しである:2010/04/26(月) 00:00:48
古典からの断絶
遺伝子の乗り物がピョンと跳ねる。
32 :
吾輩は名無しである:2010/04/27(火) 13:19:27
2chネラーに心配されるようでは日本いや、世界文学も終わりだなw
貧しさが文学の大きな原動力だったことは昔から世界中のたくさんの
作家が証言してるんじゃないかな?
しかるに、現代人は少なくとも腹は満ち足りてるしw、そしてその中
でも文芸評論家などは金持ちのボンボンばっかりだしw
文学の衰退を嘆くなどお門違いも甚だしいw
第一、彼等に文学が分かるのかも疑わしいし、そもそも金持ちのボン
ボンに文学なんかいらないだろw
小谷野なんか、女にもてるためにせっせと本を読み、勉強してる訳でw
しかも、それ以外ない訳でw
今の準教授クラスはそういうのばっかりだろ?
33 :
吾輩は名無しである:2010/04/27(火) 13:34:00
バブル期とそれ以降に甘ったれた、感性お子さまの
どうしようもない作家が増えすぎたからだろ
生きることへの真剣さってのが分からない時代だね。
子供だましの飴玉ならアメリカ様がいくらでも投げつけて
下さる。最近の流行はツイッターか。
36 :
吾輩は名無しである:2010/04/27(火) 20:47:44
だいたい、そこいらのオバチャン、
アニメやカラオケ好きのにいちゃん、
サラリーマンみたいな作家がやたら多いんだよ
こんな時代に自信たっぷりなのは何も考えてない奴だけだからな。
38 :
吾輩は名無しである:2010/04/28(水) 21:23:04
最近の日本文学からは本当の作者の哀しみ、苦しみが感じ取れないね。
心しぼって出た涙や汗のような作品を書こうとせず、さっぱりとクールな小説ばかり
じゃ、庶民の心を掴むことは出来ますまい。
生きていくってのはラクなことじゃないんだろうと思うよ。
格好ばかり付けたがるからな。
41 :
吾輩は名無しである:2010/04/28(水) 23:01:09
>>40 私小説でも通俗小説でも関係なく、社会の底辺にいる市井の庶民の心を掴み揺さぶる
小説こそ今必要とされてるんだよ。
小難しいものやライトな小説なんてこんな時代誰が読むって言うのよ。
>>38って何歳?若い人と感覚がずれだしてるだけじゃないの?
昔の「市井の庶民」が読むのは山手樹一郎や花登筺あたりだよ。
最近の庶民さまは知恵がついて経済社会で小狡くなっているから
こういったものは読まない。
せいぜい、森村誠一、松本清張、宮尾登美子あたりでね。
それじゃなかったら、「人間革命」や「新・人間革命」とかね(冗談じゃなくね)。
庶民とはそんなものさ。
年寄りの意見だって無視していいなんて思わないがな
派遣の悲しみとかバイトの苦しみとか
そんなものが何なんだってオレだって思うもの
45 :
問題はツイッターじゃない:2010/04/28(水) 23:58:48
ツイッターなど、くだらない「子供だましの飴玉」が多いことを認める。
だが、アメリカのせいにするのはおかしいだろう。
日本でもつまらないものがいくらでも流行ってるし、音楽に例えれば、
大体の人がSMAPとかを聞いて満足するだろう?もっと良いものが沢山あるのに。
良いものを求めないのがいけない。
良い悪いじゃないのじゃないかな
有名かどうかであって、良い悪いじゃないよきっと
自分も有名になりたいんだよ、だから悪名だってエロだって
何だっていいんだよ、悪くたっていいんだよ有名になれれば
47 :
吾輩は名無しである:2010/04/29(木) 01:13:11
役割の違いでしょ
日本語の読み書き自体できない人が少なくなかった時代
例えば漱石の小説は書かれた当時、あらゆる意味で日本人にとって重要な文学だったんだろう
国語の啓蒙だけでなく、論理的な物の考え方や美意識まで
世間をまさしく精神的に動かしていたんだろうな
当時の作家は大体そういう重責を担って居たんだと思う
ゆえに学者が小説家である意味があって、その文章が高尚であると認識されていたんだろう
今の作家の小説はただ娯楽を提供すればいいだけの話
誰も精神性をそこから学ぼうとおもわないし
文章の良し悪しすら大半の人間は、自分にとって読みやすいレベルか否かしか興味はないだろう
つまり文学の役割の大半は昭和初期の段階で終えているのだと思うよ
市井の庶民を慰める文学はいらないってことか。
お気楽極楽なお手軽ブンガクこそ現代文学ってことか。
それはちょっと寂しい話だな・・・。
49 :
吾輩は名無しである:2010/04/29(木) 01:38:22
すでに市井の庶民を慰めるのは文学である必然性はないって事でしょ
そこに文学が流行らなくなった原因があって
一世を風靡していたものの末路がある
野球もプロレスも同じ
今はテレビさえもその位置づけを変えられようとしている
ということは、これからの文学は一部の好事家、オタクの占有物、オモチャのようなものに
なっていくということか。
漱石・?外も谷崎・川端も、司馬・周五郎・清張ですらも・・・。
51 :
吾輩は名無しである:2010/04/29(木) 05:53:01
あの人に会いたい 阿部公房
http://www.youtube.com/watch?v=1rzmlY7rQfQ アベ
「小説っていうのはそれ以前の
意味にまだ到達しないある実態を提供すると
そこで読者はそれを体験すると いうもんじゃないかと思うんだな」
インタビュア
「それを割合わたしなんか意味を読んでしまう
とやはり迷路に入るということに」
アベ
「いや迷路でいいんです
迷路というふうに自分が体験すれば迷路なんです それでいいんです」
↑
文学が力を持っていた時代だと思うけど、
文学者の態度のデカさ、インタビュアのへりくだり様にゾッとする。
難解風に仕立てたペラペラのエンタメしか書いてないくせに難解な顔作って
お客の読者に対して何を高段から講釈たれてんだこいつはwww
東京都庁を横目で見ながら、マッチョは文学であり得るかって
言う切り口もあるな。
53 :
吾輩は名無しである:2010/04/29(木) 08:29:34
ふすまを貫いて文学衰退状況の突破口にするんじゃw
話し変わって、
確かに文学のやまと心は廃れてきてるんだろうな。
だから、三島を不自然に持ち上げる人達がいる訳で。
そもそも障子にチンポって武田泰淳のパクリだしw
作家は庶民の側に立って書いて欲しい。
>>51 そういえば安部の生前の言動は語り草だからな(笑
「分かってるのか?俺は安部公房だぞ!安部公房なんだぞ!?」
と、編集者を面罵していたそうだ。
あの程度の作品でそこまで勘違い出来るのも珍しいね(笑
まあ、この人の場合はアヴァンギャルドな作風の隙間から
夫婦関係や愛人問題、健康問題といった私的な事柄が透けて見えるのが面白いんだけどさ。
ただ、泉下の安部センセイはこういう読みに対しても
「それでいいんです」というのだろうか(笑
>>51 このインタビュアのアナウンサー、懐かしかろう。
58 :
吾輩は名無しである:2010/04/30(金) 07:16:31
55の意見を参考にすれば、文学をスノッブの手から奪い返せってな
スローガンもよろしいいかとも思うが、アナクロニズムに陥る可能
性もある訳で。
安部公房も割と底の浅いスノッブの一人に過ぎなかった訳でw
59 :
吾輩は名無しである:2010/04/30(金) 09:44:54
俺はけっこう感心したけどね、あのインタビュー。
安部公房の発言の要旨は、
「小説とは説教をしたり、人生の教訓を述べたりするものじゃない。
そういう意味やテーマを述べるものじゃなくて、小説はまだ「意味」にすら到達していない、
ある実態(実存)を提供して読者にそれを追体験させることだ。」
ということなんだよな。これは安部が戦前に満州で育ったことが関連している。
つまり言葉も血統も違う異民族と共存して生活するという体験、
たとえば奉天などの都市から外へ出れば、すぐに農村が拡がり
そこでは言葉も通じない他者(中国人)の生活空間に嵌まり込んでしまう、というような
幼少体験が後の作品を形作っているはずだ
また教科書に書かれてある理想と満州の現実とのギャップなども。
均質で同一な居心地のよい空間が破られ、異質な他者が入り込んで実態の不安があからさまになる瞬間みたいなもの。
安部自体、多分にカフカの影響を受けていると思うが、
「寓話性」をテーマとする作家は村上春樹も含めてみな同じことを言うんじゃないかな。
それに安部の作品は、それ自体が平面的な複雑な幾何学図形をしているから
「深い」とか「浅い」とかを問題にしてないんだろう
それこそ60年代のニュークリ的な「表層批評宣言」的な何かw
実存的態度を読者に内面化させることは結局
教訓を与えることと同義であることに気づいてしまったのが
現代文学の難点
61 :
吾輩は名無しである:2010/04/30(金) 17:42:20
結局一側面の話でしかないね
本質の一部だけで満足しているエセインテリ層の好みそうなお話だ
62 :
記憶喪失した男:2010/04/30(金) 18:26:30
あのさ、こんなところでいっても見てないかもしれないけど、
「獲る狸」が「少女小説」名義でアリの穴に投稿した小説、
全部読んで評価しておいたから。
「青い悪戯。―これがわたしの生きる道、とどのつまりは自分探しの旅―」
て作品だけがすごく面白かった。その作品だけは存在価値があると思う。
ということで、よろしく。
>>22 何事につけ、命がけでどうかする時代ではないからな。
文学に限った話ではない。
空っぽに自惚れ上がってギャハハハってやる時代だ。
一見フワフワした軽薄な社会に見えるかもしれないけれど
よくよく観れば、様々な苦しみ・哀しみに苛まれてる市井の人々がいるんじゃないかな。
そういう人々に安らぎを与える文学が現れるのを期待したいね。
66 :
吾輩は名無しである:2010/04/30(金) 22:52:23
62
痴呆老人謎は「少女小説」名義意外でも欠いて増してねぇ〜(笑) その中にわたくし謎も少し馬鹿り感心したものは或るには或るものの、いかんせん、糞文の欠き過ぎと家抹消ねぇ〜(笑)
それゆえに今だに長期のスランプさえ抜け出せないで降ります〜(笑)
「君と一緒に入信する人だよ」
「よろしくな。俺はゴメスだ」
その余りにありきたりな名前にプッと亜希歯噴出してしまう。
歯噴出してしまう、謎まともな推敲すら出来ないのです殻ねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
世界よ、不幸の澄んだ歌声よ。
だっけ?
今の文学には真面目さと誠実さがないんだよ。
だからダメなんだ。
69 :
吾輩は名無しである:2010/04/30(金) 22:56:58
日本文学は、衰退していない。
クリエイターが、漫画やアニメに移ったんだよ。
70 :
吾輩は名無しである:2010/05/01(土) 07:59:47
安部公房にしろ、村上春樹にしろ、根無し草的だということは言えると
思うんだな。
カフカはギリシャ神話やケルトの神話や伝説から題材を取ってた訳で、
それをそのまま真似した安部や、アメリカ文学の中でも、南部を除いた
それの雰囲気をそっくり持ってきた村上は日本の風土との無縁性は高い
と思うんだよな。
一方で晩年の三島が鶴屋南北に傾斜していったのは、いかにも東洋的、
日本的なんだが、日本には上田秋成もいた訳で、当時の日本人でもでき
るだけ世界に目を開いてればああなる訳で。三島はユニクロじゃなくて
アナクロな訳でw
佐藤亜紀や平野がヨーロッパ中世を題材に選ぶのもやはり、根無し草的
だと思えるんだよな。日本の伝統とつなげてないでしょ?俺は読んでな
いから勘で言ってるんだけどw
日本の伝統とつなげなきゃ絶対に駄目とも言わんけど、出来るはずなら、
やった方が良いよね?w
71 :
吾輩は名無しである:2010/05/01(土) 08:44:12
多分将来的に猫のように
”教科書に載っててあたりまえ”
な文学作品は生まれ得ないだろうな
馬鹿売れする作品は存在しても、それは娯楽作品以上の評価は得ることが無い
今の文学作品には学ぶべき内容は無いということ
>>70 >カフカはギリシャ神話やケルトの神話や伝説から題材を取ってた訳で、
>それをそのまま真似した安部や
いや、ロシアアヴァンギャルドやシュルリアリズムの影響も強いし
チャペックや宮沢賢治の寓意性も兼ね備えているわけだが?
それに晩年の三島はシュティルナーやニーチェを浜松中納言物語に
肉付けする形で豊饒の海4部作を提示したわけだが?
古典との連続性で物語世界を構築した作家と言うのは、
初期の夏目漱石や石川淳が思い浮かぶのではないだろうか。
村上春樹は短篇の蛍やそのリライト版であるノルウェイの森は
アメリカ文学というよりは三浦哲郎のような早稲田文学(笑)の正統
のような気もしますよ。その湿っぽさと貧乏臭さにおいてね。
村上文学(激笑)におけるアメリカ文学的レトリックはその消臭作用において
最大の効果を発揮しているわけだ。
商売人に騙されたらいけないよ。
73 :
吾輩は名無しである:2010/05/01(土) 12:20:59
真面目に「文学」を語ろうとする人って…
今って国語は何勉強してるんだろうね
「中央文学」ってのはある。
>>66 へえ。別名義もあるんだ。
興味深い。よければ、名義を教えてくれ。
文学板コテの実力を見たい。
ちなみに、おれの作品を読みたければ、「小説家になろう」で「へげぞ」で検索だ。
78 :
吾輩は名無しである:2010/05/01(土) 21:24:15
>>72 君は好きにして良いよ。
君は大勢に関係ないからw
80 :
吾輩は名無しである:2010/05/01(土) 23:33:43
81 :
吾輩は名無しである:2010/05/02(日) 00:53:43
まあ、私小説なんてくだらないお遊びがはびこっていた時代よりはましだろう
昭和に比べて才人が減ったのは
やっぱ人々の関心が薄れていってるということによるのでは
それにコミュニケーションが容易になり、映像化作品がこうも栄えてる時代に想像力が育つのも難しい
例えば今の作り人による映画や小説について
今は表面的なものばかりで含蓄が感じられないものばかり
日本以外の文学の現状ってどうなの?
83 :
吾輩は名無しである:2010/05/02(日) 08:18:51
世界の中で日本は孤立してるんじゃないの?
欧州+近東、北米+豪州、中南米、アフリカ、中国、インドらが、
文化圏として独立してやっていけるのに対して、日本はどこにも
属していない。
日本は独立の文化圏を作るほどの大国じゃないのに、独立を志向
するから、活気を失ってくるのは当然じゃないのかな?
日本の競馬も同じだよ。100年間、種馬を輸入し続けても、そ
の血統が根付かない。
>>81 視覚メディアへの依存度が高くなると言語コミュニケーション能力は
低下するだろうね。
85 :
吾輩は名無しである:2010/05/03(月) 08:52:54
>>81 私小説以上の文学はなかなか無いけどな
>>81は突飛な作り話以外は受け入れられないラノベ厨
売れないと生活できない現代は、芸術だけを追って作品は作れない
作品があって、そこに読者がつくのが本来
でもいまは、読者がいて作品を作る
食いつく餌でなければならない
そこに芸術性は生まれ得ない
不毛な創作現場に、一時の享楽を求める不毛な消費者
文学だけが落ちたんじゃない。読者のほうも落ちている
86 :
吾輩は名無しである:2010/05/03(月) 09:16:14
当方81だけど
85さんとは芸術観にずれがあるようですね
「しかし源氏物語を原文で読む人というのは果たしてどれくらいいるのかね。谷崎(潤一郎)源
氏、与謝野(晶子)源氏いろいろありますからね。それと(瀬戸内)寂聴さん訳してみたり。ま
あそういう形でね、活字のメッセージが安易に現代化されていることも便利になった一つだと思
うけど、それだって私は読書だと思いますよ。ただやっぱりね、テレビも新聞もなかったころの
ね、バルザックとかね、ドストエフスキーとかね、デューマとかね。ああいったね、古典的な作
家、今読んでみるととても退屈で読み切れないね。ていうのは、新聞が伝えるような情報をね、
小説が伝えた、あのころね」
「ですからね、行ったことのないね、サンクトペテルブルグとかパリとかね、あるいはローマの
風景はこういうものなのかなていうことね、みんな活字をもって摂取したから、ああいう小説も
なり得たけど、今とてもじゃないけども、やっぱりああいう小説退屈で読めないでしょ。それか
らまたこの間必要があってね、ニーチェ読み直してみたけども、やっぱり昔はとにかくあれで何
とか耐えて読んだけど、今はとてもじゃないが、ああいう翻訳というか、あのボリュームはアダ
プトされないと難しいなと思っていたら、ニーチェの簡訳本みたいなのが出ててね。今それが非
常にベストセラーになっているけども。私も一回それ買って読んでみたいと思ってますけども」
源氏は原文じゃないとだめでしょう
文学が娯楽になったからじゃね?
文学は娯楽になってないだろう、娯楽が文学になってるのよ
だからニーチェだってドストだって川端だって谷崎だって
いっしょくたにホムペで批評してるんだろうさ
比較対象がマンガなんてのはあたりまえだし…
91 :
吾輩は名無しである:2010/05/06(木) 08:47:33
日本文学が衰退したかどうかはともかく
昭和初期に国文学の研究は大体終わって、
岩波や小学館が全集出した時点で大学の国文学の教授は
ほとんど仕事なくなっちゃったんだってね。
英米文学だってとっくに斜陽だが
オルテガの言う人間と社会の大衆化現象の帰結なのかね
教養の軽視が酷いからなぁ…
94 :
吾輩は名無しである:2010/05/20(木) 01:10:36
衆愚どもがのさばってる現代の情況だからな・・・。
95 :
吾輩は名無しである:2010/05/21(金) 07:17:22
日本に「亡命者の文学」というジャンルが存在しないことが、
日本の文学の限界を決定的に示してるんじゃないかな?
第二次世界大戦の時は最大のチャンスだったが、現実は戦後、
文学者の戦争責任を追求されただけ。
三島がその種の問題に割と敏感だった可能性はあるにしても、
結果があの切腹だからw
切腹する前にやること一杯あったはずなんだよな。
96 :
吾輩は名無しである:2010/05/22(土) 00:02:10
大泉黒石とか平野威馬雄あたりの流れが完全に途絶えてたからな
日本国内でいうとまだ在日文学が最後のフロンティア足り得るな
李恢成と梁石日の圧倒的存在感を見ろよ
李恢成>>>>>>大江健三郎
梁石日>>>>>>中上健次
このくらいの重みは十分にあるな
ねえよ。
君たちへ
隣に「詩文学」のスレがある。何か一言書いてみよ。
日本文学が衰退しているのではなく、エロ・アニメ動画全盛の今、文字文化が衰退しているのだ。
エロアニメなんて知るか!!男なら無修正動画だろ。
亡命文学というとナボコフのようなやつか
101 :
吾輩は名無しである:2010/05/22(土) 13:05:16
作家の生活をありのままに書いたものが上等ってのがずっとあったからじゃね
その点、芥川は意識して虚構を作ったし文章力は当時では秀でてたけど、
材料は古典から借りてきてたのが惜しい
結局、想像力がないんだろうよ、嘘八百でまるごと世界とキャラを作るってのがない
作家のワタクシってのが想像より大事で偉い、でずっとやってきた
んで、そういうのに縛られずに想像力を駆使できたマンガやアニメが活気があった、と。
102 :
吾輩は名無しである:2010/05/22(土) 16:29:36
>100
そう。
有名なところではワイルド、イエーツ、ジョイス、アポリネール、
ハイネ、ダンテ、ウナムノ、ソルジェニツィン、魯迅、林語堂、
サルマン・ラシュディーなど。
これらは超有名なところで、他にも一杯いるだろう。
日本の亡命文学といえば在日朝鮮系文学がよく上がるけど
邱永漢は忘れられてるよね
四方田犬彦がどこかで邱永漢はナボコフとかの亡命文学者と並べて論ずべき人だと
言ってたが
世界に亡命文学者は多いけどああいう生き方をした人は非常に稀だから
…忘れられてるからこそ日本文学が衰退したのかもしれない
104 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 07:01:03
俺はどっちかって言えば、日本人で外国に亡命した文学者のことを
考えてたんだが、在日外国人文学者もあまり大切にされていないと
いうことだな。
ところで邱永漢と林語堂って似てないか?後者を俗化させたのが前者
であると言えば、失礼かな?
105 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 18:47:12
文学を書いてる人達の作品って、普通の人が読みたがらない。
それが良いと思ってる人が、そう言うタイプの作品ばかり探していたら、
読みたがらない本ばかり増えていく。
しかも、それが進化すると、更に読まない作品になっていく。
そんなことが続いていったら、誰かが読んでくれるのが奇跡になるけど。
読者を無視して続けていくなら、読まれなくてもしょうがないね。
先ず普通の人が判らないよ
テレビの宣伝で商品を買ってしまうような普通の人でいいのかな?
それともサラリーマンが普通の人か?
でもみんなが読みたいような本を読む人が普通の人だよね
つまり宣伝に乗っかってしまうような人なわけだ
そんな人に文学なんて必要ないよ
流行小説と文学は違うってことです
Q、日本文学ってどうして衰退したの?
A、プロより一般人の方が発想力ある奴多いから
ネット小説見てればわかる。
109 :
吾輩は名無しである:2010/05/28(金) 14:48:38
朝鮮人は大活躍だけどね。
110 :
吾輩は名無しである:2010/05/28(金) 14:54:55
いや、挑戦人脈と言った方がいいかな?
電子書籍時代にどれだけ生き残れるんだろう。
111 :
吾輩は名無しである:2010/06/02(水) 13:19:55
>>104 深沢七郎が『風流夢潭』を海外で発行していれば、事件は起きなかったし、
謝罪も訂正も必要なかったし、深沢は以後も好きなことを書き続けた
はずなんだな。読みたい者が個人でその本を取り寄せて読めば良かった。
無論、印税で儲けることは不可能になるかもしれないが。
三島由紀夫は深沢の作品を高く評価してたはずだが、事件について正直な
感想を言ってないと思うんだな。それは他の作家も同様だろうがw
つまり、彼等はマスプロダクションで多額の印税を稼ぐこと以外、考えら
れなかった訳で、あるいは必ず世間の注目の中心にいなければならないと
少なくとも三島も考えていたはずなんだな。これは文学の本質ではない訳
だ。
これからは中国の存在がますます大きくなってくるから、80年代以降の
日本みたいにJカルチャーに浮かれてることは有り得ないだろう。中国や
北朝鮮から、ソルジェニツィンの極東版みたいなのが日本に亡命してくる
可能性は日本の政治次第だけどねw
ちなみに、Jカルチャーに浮かれてる最後の人が東だと思うんだなw
つまらないからだろ。
もう存在価値ないわけだし衰退して当然。
文学が存在したことはいずれ人類の黒歴史になるよ。
嗚呼、こんな駄文を楽しみに生きるしかない可哀そうな人たちがいる時代もあったんだなあ、と。
大きな流れとしては、あれだ、文化なるもの、華を、支えてきた収奪システムが
崩壊したから。貴族がいなくなった。――うん、それはそれでしかしひっじょーに
結構なことだと、じぶんも思ってますが。
んでも、だからね、箱モノ必須の大掛かりなやつの衰退はこれ必然、
…というよりはむしろ、義務だととさえじぶんは考えているのだが、
家内制手工業たる諸文芸「程度」ならば、まあね、細々とでも、
生き長らえても「仕方がない」。それはそれとして、別に悪いことではない。
個人的にはそんなもの、あんまり興味はないけども。
うん。むかーしにwwどっかでも云ったけれど、大っ嫌いなんだよなじぶんは。
へばりつく奴ら。――興行化するか、もしくはキッチリと死ねと。醜い。
世界は既に彼らの物なんだから。わきまえよと。
だって、そういうことでしょう? マスを相手にする。
どう考えたってつまらない。
よーくね、考えてみるといいよ。じぶんが何者であるか。
117 :
吾輩は名無しである:2010/06/22(火) 00:02:11
金と時間をかけてまで
特に共感できない面白味が書けた世界観に入る余裕はない
118 :
吾輩は名無しである:2010/06/22(火) 00:38:34
日本製の車やテレビと比べて
日本文学は世界性が無さ過ぎだな。源氏物語の時代にはあったんだが。
日本文学が衰退したのか、読者の感受性が衰退したのか・・・
読み物に過剰な刺激を求める人が増えたのではないかと、私は後者と推測するけれど・・・
ただ泣ければイイ、笑えればイイ、感動できればイイだけの読み物は或る一定の法則があるみたいだし
そういう読み捨て本を発行した方が売れるし、資本主義社会の大量生産のニーズには合っているので
前者の感も否めないか・・・
わからない。なにをもって衰退とするのかもね・・・
心理学がいけないのじゃないかな
曖昧であるはずの人の心理から曖昧さをなくしてしまったからな
人を殺したのは性欲の果なのか物欲なのかいじめなのか
特定するべきじゃないのじゃないのかな、文学としては…
ラスコーリニコフは金貸しの老婆を殺したが
心理的な圧迫は描写したが物欲は描写してない
物欲ではない他の要因があるのだと言うことだろう?
愛によってしか救われない何かがあるのだろう?
>>121のいう「心理学」って「安っぽい大衆心理学」のことね。
「Aという結果は、Bが唯一の原因である」っていう阿呆因果律的な・・・
ラスコーリニコフの置かれた環境と、それでも残る彼の気位と、偏執的思想に取り付かれた彼の頭と、
失いたくない父の形見の銀時計と、老婆への嫌悪感は描写されてたかな?
123 :
吾輩は名無しである:2010/06/26(土) 09:57:00
衰退はしていない、太宰の死と共に終わったのだ。
124 :
吾輩は名無しである:2010/07/06(火) 18:39:15
あらすじ読んだ限りではだが、欧米の、IQ高そうな人たちが書いてる
ベストセラー小説みたいだよな。ちょっとおもしろそ。
126 :
吾輩は名無しである:2010/07/07(水) 07:23:39
124に出てくる文芸批評家・前田塁は文壇のピエロだな。
こいつによると島田雅彦はマエストロらしいんだがw
笙野頼子がこのスレ読んだら殴りに来るぞ
衰退というか、本書く人が増えてそう見えるだけじゃないの
129 :
吾輩は名無しである:2010/07/07(水) 09:10:24
>>124 つまり前ダルイはこういってるわけでしょ。
悪貨などとやってる島田雅彦そのものが贋者であり、
使えない作家であるところを、本物のフリをするうち
いつか真贋を問うことの無為が暴かれ、そうした様子
が日本文学史のそれに符合するのみならず、むしろ
積極的に読むような作家ではありえない、と。
130 :
吾輩は名無しである:2010/07/07(水) 09:39:12
早稲田文学や三田文学の編集者のレベルが低いのは市川や田中の例で
世間にばれてしまった。
あくまで内輪でやってるべきで、表に出てくる方々じゃないんだよな。
俺は彼等よりはるかに頭良いことを断っておくが。
何故減退したか?
それはね、日本人が馬鹿になったからだよ。
とにかく、本を読まない、いや読めない。マニュアルのように意味だけ理解すればよい、そういったものが好き。
文学のように、その文章から滲みでてくる、喜怒哀楽、作者からのメッセージを読み取る国語力は、日教組により完全に破壊されました。
ライトノベルはまだ売れているが、あれは挿絵が多いから。
買っている学生は、文章を読むのが目的ではなく、表紙と挿絵が目的。キャラクターグッズを収集することと、同じ理由です。
携帯小説?
あれは一過性のブーム。ほら、すでに忘れ去られてるよ。
そもそも、横書きのあれが日本文学というには、あまりにも無理があるけれど。
>>131 おまいの考えの方がステレオタイプな批判というかまさにマニュアル脳そのものな件
133 :
吾輩は名無しである:2010/07/10(土) 01:24:49
通俗小説だとか大衆小説だとか言っては「文学」を無批判的に特権化するファッショナブルなインテリたち…
そんなインテリは今いないし、貴重でしょ。みんな出版社の飼い犬なんだから。そんな人は国が保護すべき。浅田彰とかさ。
柄谷だって最後に文学を蹴り倒して去って行ったんだからさ。
どっちも一緒だと思うけどね、内から依るのも外から崇めんのも。
カラタニ? 知らねーけどw
左翼が文学を「使えない」思うのはむしろ健全なことなんでは。
その拭いがたい特権性と、――であるにも関わらず、
――うん。メディスン・ショーってやつ。
ハック・フィンなんかに出てくる。おめでてえなwってね。
守るべき文学はあるんだよ。但し「太陽の季節」みたいな下らない小説まで文学として守る必要はない。
だからね、それこそ、自覚あるぶんマシなのかも?(笑 あなたも。
ねえよ(断言 だって数には機能しないから。無駄。意味なし。
ってゆうか、んなね…、極少数にしか意味のないものを持ち上げて恥じない
テメエのそんなをこそと、俺は口酸っぱくして言い続けてきたワケだが。
全ての事象について。例外抜きで。それはね。だって、卑しいから。
そこいらに(とにかく2ch内では)あふれかえっているレイシスト共と、
それはなーんも変わらんメンタリティだから。うん。全ては自愛の延長でしか。
あさましい。
うん。だから云ってんの。
依るべき神を必要とする人間はみな死んでしまえと。
ヘノツッパリが、出来ねーやつは駄目だよ。人間として。要らない。
ー―そんなのには、他ならぬ自身の生の、価値なり意味の尊重を、
ひとに求める資格はないのだから。
取り除くことが、かなわないからだ。暴力を。
馬鹿共がw
…あ〜ちなみにね、“テメエ”つうのは無論、なにも、
あなた一個を指しているんではないよ。「お前たち」。
w
145 :
吾輩は名無しである:2010/07/26(月) 14:51:44
80年代に小説家も評論家もあぶく消費で浮かれまくってくだらねーものを巻き散らかしたからじゃないの
歌手とかタレントまがいの奴に文学賞をあげちゃって自分の首を絞めたからじゃない
まあ女と心中した人とか軍隊の真似事したインテリを過大評価した頃から右肩下がりだったのかもしれんね
146 :
吾輩は名無しである:2010/07/26(月) 14:58:10
店に行っても売ってないから
147 :
吾輩は名無しである:2010/08/03(火) 06:04:22
その時代の匿名批評を基準にすれば、日本文学が衰退したかどうかはともかく
つまらなくなったということは言えるんじゃないかな?
今の群像の侃々諤々は2chよりはるかに下。
文学が衰退したというより、文学がただ商売として成り立たなくなっただけでしょ。
なぜ衰退したかと言えば、文学の代わりになるものが今は沢山あるからってだけのこと。
文学なんていくら頑張っても2CHやアニメには勝てないよ。
149 :
吾輩は名無しである:2010/08/06(金) 02:17:26
「文学なんてメンドクサイ」
文学に出会う前にサブカルの泥沼にどっぷり漬かってしまうから
151 :
吾輩は名無しである:2010/08/30(月) 10:00:42
>>87 >バルザックとかね、ドストエフスキーとかね、デューマとかね。ああいったね、古典的な作
家、今読んでみるととても退屈で読み切れないね。
おまえみたいなやつがいるから日本文学が衰退したんだ。
152 :
吾輩は名無しである:2010/08/30(月) 10:09:50
日本ではソルジェニーツィンの収容所群島と並ぶ作品はでないだろうな
153 :
吾輩は名無しである:2010/08/30(月) 23:18:41
文学は終わった
つまらない
→金の無駄
→時間の無駄
と思われてしまったからだな、たぶん