1 :
吾輩は名無しである:
おちんちん
乙
…応援席の中から、中等科一年生を見分けることはたやすかった。学帽や徽章は、「貫禄」をつけるためわざと
よごされていても、襟章の金の桜のま新しさは残っていた。それになにより、カン高い声、彼らは小鳥のように
たえず動いていた。一年生は、付属戦の応援を休むことはできない。彼らにとって、上級生は教師よりこわかった。
…その一年生の中にいるはずの平岡公威、のちの三島由紀夫を探しに行った。私は高等科三年だった。
私は一年生の集団に近づき、うしろに立っている一人の肩をたたいた。彼はふりかえると、直立不動の姿勢をとった。
「平岡公威(こうい)という人はいないか?」「は。おります」
彼の視線は、最前列のベンチで、帽子をとり合ってはしゃいでいる一群に走り、そこでとまった。
「あれです。あの白い奴です」「すまないが、呼んで来てくれ」
人波をかきわけて、華奢な少年が、帽子をかぶりなおしながらあらわれた。首が細く、皮膚がまっ白だった。
目深な学帽の庇の奥に、大きな瞳が見ひらかれている。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
「平岡公威(きみたけ)です」
高からず、低からず、その声が私の気に入った。
「文芸部の坊城だ」
彼はすでに私の名を知っていたらしく、その目がなごんだ。
「きみが投稿した詩、『秋二篇』だったね、今度の輔仁会雑誌にのせるように、委員に言っておいた」
私は学習院で使われている二人称「貴様」は用いなかった。彼があまりにも幼く見えたので。
…「これは、文芸部の雑誌『雪線』だ。おれの小説が出ているから読んでくれ。きみの詩の批評もはさんである」
三島は全身にはじらいを示し、それを受け取った。私はかすかにうなずいた。もう行ってもよろしい、という合図である。
三島は一瞬躊躇し、思いきったように、挙手の礼をした。このやや不器用な敬礼や、はじらいの中に、私は
少年のやさしい魂を垣間見たと思った。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
そのまま私はたち去ったが、同級生の質問責めにあっている少年を背後に感じた。
あの人の稚児ではないか、といったからかい半分、やっかみ半分の質問をかいくぐって、最前列のベンチへもどる
まっ白な少年が、目に見えるような気がした。
そのころの学習院では、稚児遊びが盛んだった。私も中等科一、二年のころ、上級生から、厚い封筒を
おくられたことがある。(中略)
しかしこうした稚児遊びは、男色と呼ばれるようなどぎついものではなかった。むしろ、初恋よりも淡々しい、
思春期の、一種なまめかしい情緒だった。
そうして三島と私との場合、私を三島に結びつけたものは、肉親にめぐり逢うたようななつかしさ、とでもいおうか、
昭和十二年秋、三島十二歳、私は二十歳、たとえば上記のようにして、私たちは邂逅した。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
よ、待ってました!
三島にわたした文芸部の雑誌『雪線』第三号には、私の小説『鼻と一族』が掲載されており、それは二・二六事件に
関した作品であった。この二・二六事件が、後年の三島に大きな影響をもたらしたことは周知の通りであるが、
事件の起こった昭和十一年二月には、三島はまだ初等科五年、私は高等科一年であった。(中略)
(三島の)感じやすい魂は、事件の背後にあるものを、本能的に読みとったのではあるまいか。それは、三十年後の
『天人五衰』に、本多の考えとして書かれている「日本の深い根から生ひ立つたものの暗さ」である。
われわれのはるかなるふるさとの、暗いともし火である。それは『春の雪』に結実した「優雅」であるとともに、
『奔馬』における「暗い熱血」でもあった。
…しかしふたつながら、「近代」の前に消え失せようとしている、すでに不在の残像かもしれない。
その火影を、三島は十二、三歳の歳、みずからも手の届かない心のおくがに、見てしまったのではなかったろうか。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
昭和十五年夏、私は信州追分の泉洞寺の離れに一室を借りて、国文科の卒業論文を書いていた。(中略)
落下傘のやうに
開かぬこともあるのかしら
咲き遅れた月見草よ
七月、私はこんな詩を、東や三島に書き送った。三島は、「落下傘のやうに」という比喩を褒めてくれた。
「時代の不安」が、そこはかとなくあらわれている、といって。
(中略)短い一行のなかに、三島が「時代の不安」をよみとってくれたことはうれしかった。
その年の九月、三島に送った詩はつぎのとおりである。
新たな眠りに半身の侵される儘に
額に額をおしあてたままに
見るとなくあなたを眺めるとき
近過ぎて朧げな唇は
青い空気に湿つた
不機嫌に目覚めた山肌から
立ち昇る香の漂ひに
幽かにしののめが響いてきた
頬にもつれる髪の潤ひ
髪にもつれる息の静けさ
冷え冷えと
冷え冷えと
光ほのかに白らむ窓
…そのころの作品を読みかえしてみると、このように、至るところに、少年三島が投影していることに気づくのである。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
『詩を書く少年』の先輩Rは、私である。Rは少年に自分の恋愛を告白する。(中略)
私はこの恋愛を『舞』と題する小説に書いた。昭和十六年から十七年にかけてのことである。
三島は『舞』が、事実にもとづいて書かれたものであることを百も知っているのに、まったくの虚構としてあつかい、
たとえば、「こんな会話はあり得ません」とか、「こんな情景はあり得ません」といった言い方をした。
今になって考えると、三島の言葉には省略があった。「われわれ(貴下と私)の文学の世界においては、
こんな会話はあり得ません」という意味であった。三島は『文章読本』で、「格調と気品」を守るためには、
多少の現実性は犠牲にしても、会話における倒置法などは用いない、と記している。ところがそのころの私は、
実際の会話をそのまま写して、得意になっていた。だから三島は、「こんな会話はあり得ません」といったのである。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
(中略)三島は度し難いと思ったのであろう。手をかえて、この女主人公は下品だとか、野卑だとか言い出した。
あるいは、この地の文は、新聞記事のようで個性がない、とか。
私はその時気づかなかった。十六歳の三島は、すでに脱皮していたということに。三島はもう『詩を書く少年』
ではなかった。清水文雄氏はじめ、『文芸文化』の同人にみとめられ、『小説を書く少年』になっていたのである。
Rの中に滑稽なナルシスムを発見した少年は、みずからのナルシスムにも気づいたのである。(中略)
こうして、私の恋愛は、ひそかに私が期待していたのとは反対に、三島からも、そうして東からも、何の尊敬も
同情も得られなかったばかりか、むしろそのために、私は彼らから見棄られた恰好になった。
彼等は、私のかわりに徳川義恭を仲間に入れ、『赤絵』を創刊した。それは私に対する叛旗であり、私の恋愛に
対する、彼らの復讐のような気がしたのである。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
(中略)私から完全に消え去るためには、三島はあまりに高名であった。私はいやでも神輿をかついでいる
彼の写真や、ボディ・ビルできたえた肉体のそれを見なければならなかった。
…私にはそんな三島が、いたずらに、鬼面人を驚かす貝殻に、つぎからつぎと宿ってみせる、宿かりのように
見えたのだった。勿論、三島の真意は、そのような趣味の問題ではなかった。最も不慣れな、不器用な面で、
彼は生きようと欲したのである。この血のにじむ「生」のなかにしか、彼の求める「創造」はあり得なかった。
ある時、末弟俊周がこんなことを言った。「三島さんに会ったらね、俊民さん、お元気、って聞いていたぜ。
三島はこのごろ、変な映画を作ってるといって、俊民さん笑っていなさるだろうな、って」
三島の共通の知人に出会うと、これに似た三島の言葉が、何回か伝えられた。しかし、所詮は戻ることのできない
彗星の小さき影として、三島は私のはるかな空に、またたいているにすぎなかった。
…かくして二十年の時はながれた。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
昭和四十五年正月のある日だった。偶然手にした月遅れの婦人雑誌の新刊書紹介の欄に、『春の雪』の梗概が出ていた。
「やった。とうとうやった」と私は思った。私は早速『春の雪』を購入、ひと息に読んだ。『春の雪』の世界は、
三島の世界というよりも、私の世界に近かった。登場人物のすべては、あるいは私の肉親であり、親戚であり、あるいは
その召使であるような気がした。広大な松枝邸も、鎌倉の別業も、かつてそこに遊んだ記憶があるように思われた。
三島が十四、五歳のころ、私は『夜宴』という散文詩を書いた。
「今度はぼくに書かせてください」三島は言った。「坊城伯の夜宴を」
三十年前のこの約束が、今、目の前に果たされたのを、私は見た。三島と私との、二十年に及ぶ空白は、一瞬にして
消滅している。三島は少年の日のように、ふたたび私のかたわらにある。奇蹟は、まさに起こったのである。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
そうして、読後のこころよい興奮のうちに、『源氏物語』をはじめて読んだ日々のことが、二重写しになって、
おもむろに浮かんできた。
…今になって『源氏』が読みたくなった…(中略)
『夕顔』にいたるや、小躍りして私は思った。これこそ『源氏』だ、と。ふたつのイメージが重なったばかりでなく、
重なると同時に、忽然、ひかりを発し、匂いを発し、小天地はおのずから展開してゆく。私は静かな熱狂を覚えた。
そのしずかな熱狂が、『春の雪』読後、私によみがえった。
それは、この国の暗い地下水、「優雅」に対する讃嘆であった。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
(中略)優雅とは、洗練された、優美繊細なものと一般に言われているが、その根底には、いつも野性を秘めて
いなければならない。(中略)
優雅とは、地上のあらゆる権勢富貴を、つねに見おろす魂の高貴さにあり、言い替えれば、すべての物質に
対する精神の優位を示すものである。(中略)
まことの「優雅」は、現代人のいわゆる「優雅な生活」を棄てた人たちの手によって、受け継がれて来たのである。
(中略)私は『春の雪』が、三島のすべてではないことを知っている。しかしそこには、作者三島のふるさとがある。
三島ばかりでなく、日本文学が、否定しようとしても否定できないもの、脱皮しようとしても脱皮できないもの、
ひとたびは回帰すべき、この国の「深い根」が描かれている。「優雅」が描かれている。だから私は『春の雪』を、
『豊饒の海』の第一巻としてばかりでなく、三島の全作中の、最も高い位置に置きたいのである。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
(中略)「坊城さん、ぼくは五十になったら、定家を書こうと思います」
「そう。俊成が死ぬとき、定家は何とか口実を設けて、俊成のところへ泊らないようにするだろう?あそこは面白かった」
「あそこも面白いですが、定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから
神になったのです」三島の眼は輝いた。(中略)
今になって思うのだが、三島は少なくともそのころ、四十五年正月ごろは、進むべきふたつの道を想定して
いたのではなかったろうか。ひとつは、世人が皆知っている、自決への道である。これを三島の表街道とすれば、
裏街道は、定家を書く道であった。裏街道をたどらざるを得ないことが起こったとすれば、それは三島にとって
不本意にはちがいなかろうけれども、私は後者をとってほしかった。
坊城俊民
「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
(中略)きみは自決の六日前、最後の手紙を書いてくれた。
「十四、五歳のころが、小生の黄金時代であったと思ひます。実際あのころ、家へかへるとすぐ、『坊城さんの
お手紙は来なかつた?』ときき、樺いろと杏子いろの中間のやうな色の封筒をひらいたときほどの文学的甘露には、
その後いきあひません。」(中略)
フロベエルの、なつかしい『トロワ・コント』モオパッサンの『メエゾン・テリエ』こうした題名を目にしただけで、
あのころの学習院が、きみとはじめて会ったころの、昭和十年代の学習院が、瞼に浮かんでくる。きみは中等科一年、
ぼくは高等科三年だった。きみが『春の雪』に克明に描いている、天覧台の芝生、お榊壇、血洗の池……。
そうして、誰がいつ掃除したのかもわからない、古い寮の一室、すなわち、雑然たる文芸部の部室。(中略)
…ラディゲもまた、反近代の戦士のひとりに数えられるだろう。伝統の美神の帰依者だった。これら文学の
大先輩達を、われわれはいかに讃美したか。あのころ、きみは十四、五歳。ぼくは二十二、三歳であった。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
(中略)三島由紀夫の最期は、私にとって、みずからが生きるみちの困難さを、思い知らされるものがあった。
(中略)現代とは、アメリカの一作家によれば、「社会が、熟練した、facelessな人間を求めている時代」である。
即ち、人間は、その故郷の灯を見失おうとしている。忘れるということならば、思い出すこともあろう。
けれども、忘却ではなくて、喪失の時が来てしまったような気がする。(中略)
絵文字のやうに
楔形文字のやうに
我等の詞華は滅びるであらう
しかし 誰か人あつて我等の廃墟を訪ひ
たれか人あつて我等の文字を目にする時……
三島由紀夫とめぐり逢うた二十歳のころ、私はこんな詩句を彼に示した。
…この気持は少しも変わっていないので、ここに揚げて結びの言葉にかえたい。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より
にはかにお召しにあづかり三島君よりも早くゆくことになつたゆゑ、たまたま得し一首をば記しのこすに
よきひととよきともとなりひととせを
こころはづみておくりけるかな
蓮田善明
昭和18年8月、召集をうけて戦地へ向かう際、三島由紀夫へ残した訣別の一首
古代の雪を愛でし
君はその身に古代を現じて雲隠れ玉ひしに
われ近代に遺されて空しく
靉靆の雪を慕ひ
その身は漠々たる
塵土に埋れんとす
三島由紀夫
昭和21年11月、蓮田善明への追悼文
23 :
吾輩は名無しである:2010/02/27(土) 21:06:10
張りのある声で聴きやすい。
…私の知るかぎり、三島は、ある種の危険を冒しても、ものごとを素直に述べようとする人であり、しかも
その発言は、私にいろいろと考えさせることが多いからである。三島という人は、世評によれば、それこそ
海千山千のしたたかな才子であるのかもしれないが、私はほとんどそうは思わない。
私見はいつか三島由紀夫伝めいたもので述べたことがあるが、私は三島を(国木田独歩流にいえば)一種の
「非凡なる凡人」としか考えたことはない。そして、そういう愚直な人物の正直な発言というものは、近頃では
稀少価値をさえもっているのではないかと思う。自分の眼で、自分の直覚でものごとをとらえることのできる人間は
(少なくとも、もの書きの世界では)だんだんと少なくなっているのではないかと私はひが目で見ているのだが、
三島はそうでない人物の一人に見えるからである。そして、そういう人物の書いたり、したりすることは、
私などにはいつも共感と刺激の種になるからである。
橋川文三
「美の論理と政治の論理」より
私は、かつて、三島の小説に対する私の関心は、芸術作品に対するものというより、むしろそこに戦中戦後の
青年の血腥い精神史のスペクトルを見る思いがするからだという、甚だ非文学的な感想を述べたことがある。(中略)
現代の思想家、芸術家を通じて、彼ほどに精確に自己の精神史を描いてみせる人物はむしろ稀である。
しかし、三島の「告白」ないし自己省察の方法が、日本人の伝統的な自己認識の方法と異質であることは、
いわゆる私小説のそれと比べるなら直ちに明かになる。後者はいわば個々の告白によるそのつどの決済、きわめて
人間的で自然なその日ぐらしの清算という意味をもっているが、三島のそれは、一定の生活体系に組織化された
近代的個人の予定された意味に関する、一種終末論的な非人間性をおびた合理的自己検証である。それはむしろ
告白の拒否を原則とする自己表現という意味をもっている。
橋川文三
「夭折者の禁欲――三島由紀夫について――」より
三島はどこかで「大体私は『興いたればたちまちになる』というようなタイプの小説家ではないのである。いつも
さわぎが大きいから派手に見えるかもしれないが、私は大体、銀行家タイプの小説家である」と、みえをきっているが、
事実、彼の自己審査は、あたかもあの「資本主義の〈精神〉」の担い手たち、カルヴィニストのペシミズムと
畏怖にみちみちた自己審査に似ている。彼らは己れの救済と幸福のためにその「仕事」に努めたのではなく、
「知られざる神」によって、自己が永遠の昔から救いに、もしくは亡びに予定されているという絶大な恐怖心から
免れるために、その非人間的な禁欲と孤独の組織化を行ったのであるが、三島の一見華麗なきわまる芸術的行動もまた、
まさにそのような恐怖の影に包まれており、人生や芸術の栄光のためにではなく、ある「知られざる神」の
ためにする営為という印象を与える。
橋川文三
「夭折者の禁欲――三島由紀夫について――」より
28 :
吾輩は名無しである:2010/03/02(火) 22:06:17
テネシー・ウィリアムズとは対談してるけど、トルーマン・カポーティーとの
対談はないのですか?
29 :
吾輩は名無しである:2010/03/02(火) 23:32:28
橋川文三なんか持ち出してw
もう橋川の文章が腐ってるよ。当時、大袈裟な表現が流行してたのに
流されてただけだから。
三島信者に言いたいのは、時計は戻らないってことだな。
>>29 橋川文三の三島論は別に全く古くありませんけど。
三島解釈には古いも新しいも全く関係ないよ。
新しい出版でもクズみたいな駄評はいっぱいあるから。
韓国人のいやがらせテロすごかったね。
やっぱ九条破棄して竹島奪還しなきゃ、なめられっぱなしだわ。
★訓練中の空軍F−5戦闘機2機、江原道・黄柄山墜落
・空軍の戦闘機「F−5」2機が、2日午後12時33分ごろ、江原道平昌郡の黄柄山に墜落した。
空軍によると、2機は午後12時20分ごろ、戦闘機動訓練のため江陵基地を離陸したが、
約5分に江陵市から西20キロメートルの上空で突然レーダーから消えた。空軍が直ちに
救助用ヘリコプター2機を急行させ捜索したところ、平昌郡大関嶺面の黄柄山で戦闘機の
残骸(ざんがい)を発見した。2機には操縦士3 人が乗っていたが、生存有無は確認
できていない。
空軍は、参謀次長を事故対策本部長、監察室長を調査団長とした専門要員10人の
調査団を事故現場に派遣した。
ある登山客は「大関嶺の仙子嶺頂上にいたが、12時33分ごろ、大関嶺方面へ1キロの
地点で飛行機の音とともに燃料が燃えるにおいがし、事故機と思われる残骸を見つけた」と、
消防当局に通報している。
F−5墜落事故は、2008年11月にも京畿道・抱川で発生している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100302-00000021-yonh-kr ざまあみろ
戦争のことは、三島や私などのように、その時期に少年ないし青年であったものたちにとっては、あるやましい
浄福の感情なしには思いおこせないものである。それは異教的な秘宴(オルギア)の記憶、聖別された犯罪の
陶酔感をともなう回想である。およそ地上においてありえないほどの自由、奇蹟的な放恣と純潔、アコスミックな
美と倫理の合致がその時代の様式であり、透明な無為と無垢の兇行との一体感が全地をおおっていた。(中略)
いうまでもなくこのオルギアは、全体戦争の生み出した凄絶なアイロニイにほかならない。三島のように、
海軍工廠の寮に暮らしながら、「小さな孤独な美的趣味に熱中」することも、戦争の経過に不惑となることも、
この倒錯した恣意の時代では、決して非愛国的異端ではありえなかった。そしてまた、たとえば少年が頭を
銀色の焼夷弾に引き裂かれ、肉片となって初夏の庭先を血に染めることも、むしろ自明の美であった。全体が
巨大な人為の死に制度化され、一切の神秘はむしろ計算されたものであった。たとえば回天搭乗員たちは、
射角表の図上に数式化された自己の死を計算する仕事に熱中していた。
橋川文三
「夭折者の禁欲――三島由紀夫について――」より
しかし、このような体験は、いかにそれが戦争という政治と青春との偶然の遭遇にもとづくものであったにせよ、
その絶対的な浄福の意識において、断じて罪以外のものではありえない。(中略)
そこではいかなる意味でも日常性は存在しなかった。それはいわば死の恩寵(カリスマ)によって結ばれた
不滅の集団であり、したがってまたいかなる日常生活の配慮(ゾルゲ)にも無縁であった。すでに生の契機が
無意味であった以上、罪や告白ということもありえなかった。
この世代は何かを犯したわけでもなく、個々の兇行を演じたわけでもなかった。しかし、まさにそのことが
歴史にとっては究極の罪であった。(略)彼らもまた亡びに予定された人間たちであった。
橋川文三
「夭折者の禁欲――三島由紀夫について――」より
敗戦は彼らにとって不吉な啓示であった。それはかえって絶望を意味した。三島の表現でいえば「いよいよ
生きなければならぬと決心したときの絶望と幻滅」の時間が突如としてはじまる。少年たちは純粋な死の時間から
追放され、忍辱と苦痛の時間に引渡される。あの戦争を支配した「死の共同体」のそれではなく、「平和」という
もう一つの見知らぬ神によって予定された「孤独と仕事」の時間が始る。そしてそれは、あの日常的で無意味な
もう一つの死――いわば相対化された市民的な死がおとずれるまで、生活を支配する人間的な時間である。
それは曖昧でいかがわしい時代を意味した。平和はどこか「異常」で明晰さを欠いていた。
「敗戦は私にとつては、かうした絶望の体験に他ならなかつた。今も私の前には、八月十五日の焔のやうな
夏の光りが見える。すべての価値が崩壊したと人は言ふが、私の内にはその逆に、永遠が目ざめ、蘇り、
その権利を主張した。…」(『金閣寺』)
橋川文三
「夭折者の禁欲――三島由紀夫について――」より
戦後、三島は己れの青春を「不治の健康」と名づけることによって出発した。これはもとより逆説である。
しかし、およそ生きるものが病み、やがて死んでゆくという有機的自然の過程こそ、三島たちにとってかつて
許されたことのない世界であった。死は、無機物との出会いにおいて、夭折においてしか不可能だったからである。
通常の意味における「死」がありえなかったように、日常の生もまた拒まれていた。もしなお生一般を生きるとすれば
それは仮面による生、たえず変貌する日常性を仮装した、永遠の問いかけという形でしかありえない。それはあの
禁欲者たちが、自己の生の確証のためにではなく、隠された決断者の恣意の確証のために行動したのと同じように、
不断に生を拒否するために行われる組織的な自己規制という意味をもつ。 三島の文体の人工的な華麗さは、
実は生の不在の精緻なアリバイを構成しようとする禁欲的な努力をあらわしている。彼は生の此岸からではなく、
いわば反世界の側から様式を作り出そうとする。
橋川文三
「夭折者の禁欲――三島由紀夫について――」より
三島の日本精神史における意味は、この点にもっとも鮮明にあらわれているといえよう。そして、もう一つ
つけくわえれば、三島は日本の思想に、一種のものすごいフモールの感覚をもちこんだといえるかもしれない。
ハイネのスタイルでいえば、おどけた仮面の双の眼玉からのぞいている死神の眼のイメージである。しかし、
これは不詳の言い方であろうから、私はむしろ三島の生き方における『葉隠』の倫理を説いた方がよいかもしれない。
橋川文三
「夭折者の禁欲――三島由紀夫について――」より
39 :
吾輩は名無しである:2010/03/03(水) 14:26:03
>>31 それは残念。
カポーティーが三島のことを「共感をもって話し合うことができた数少ない作家のひとり、
彼は西洋人のものの見方に切りかえて話すことができた」と評していたので
二人の対談があれば是非読みたいと思ったもので。
結局日本の作家連は三島を除いては日本の特異性を気づくことが出来なかったものが多いのでは(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
あの丸谷ですらそうです(笑)欧米のようにやれば日本に小説が誕生すると思っておるというわけで(笑)小説以外に対してもそうです(笑)そして小説以外については全く考えが及ばぬと(笑)おやはや(笑)
日本人を超越してる人たから日本の利点も欠点もよく見えてたんだろうね。
,
゙'. '.;`i i、 ノ .、″
゙'. ,ト `i、 `i、 .、″
| .,.:/"" ゙‐,. ` /
` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 !
、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、
、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、
,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、
,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、
_,,l゙-:ヽ,;、、 、、丶 ゙i、,,、
,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、
、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、
.l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._
,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ
,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐,
,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,!
j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿
゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/`
`'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/`
``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"`
`"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'`
: `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""
,
43 :
ポッポ ◆Q.FQ0/LrYOtA :2010/03/04(木) 00:08:51
僕は世界に必要な小説を書きます。
読者に良い影響を与えることのできる、良い小説です。
そして、僕は「哲学的」であることが重要だと思っています。
哲学の弱い小説は読者に良い影響を与えられません。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/bun/1267611188/ ↑は僕の書いた小説を載せてます。
小説を書く練習として作ったものなので内容は薄いです、すいません。
会心の作は新人賞に送るつもりなので、公開できません。
日本でこういう作風は自分以外に無いのでは、と思ってます。
2時間くらいで書いた作品です。
自分のケータイ小説サイトのURLは書き込めないようなので、
リンクしているスレのURLを書かせてもらいます。
縦書きで読んでもらいたかったのですが、手軽にHPを作って公開できるケータイ小説形式を選びました。
44 :
角川文庫 4月刊行:2010/03/04(木) 02:35:43
45 :
吾輩は名無しである:2010/03/04(木) 07:31:08
ほう、三島だけが日本の特異性に気付いていたとなw
単なるまぼろし程に見えていたぐらいでは?w
これはいつ頃に書いた作品なのかな
順番では「お嬢さん」は「宴のあと」の次に書かれた長編。
三島の短編を貼ってくれませんか
『金閣寺』は、鴎外風の冷徹な文体を用いて、不朽の美と人生との不条理な関係という、混沌としたテーマを
追及した観念小説というべきものである。
…金閣寺は、この作品において美の象徴であり、しかも戦火によっていつ焼亡するかもしれないという時期、
凄まじいまでの美をあらわしている存在である。主人公は、その終末の予感に陶酔しつつ、金閣寺=美との
共生にいいがたい浄福を感じている。これは、すでに伝記において見たとおり、孤独な美的趣味に熱中する
三島の精神風景と同じものである。
しかし、その反面において、美に憑かれた人間にふさわしい現世的不具性もまた、主人公の運命である。人生を
象徴する女性との性行為の瞬間、金閣の幻影はたえず現出して主人公を不能におとし入れる。三島がその作品で
しばしば描くそのような挫折の瞬間は、金閣寺と京都の歴史がよびおこすある人工的なイメージに助けられて、
この作品においてもっとも成功しているといえよう。
橋川文三
「主要作品解説 金閣寺」より
敗戦の日、金閣寺と主人公の共生は断たれる。金閣寺は、あの失われた恩寵の時間を凝縮して、永遠の
呪詛のような美に化生する。主人公は美の此岸にとりのこされ、もはや何ごととも共生することができない。
――この辺りには、戦中から戦後へかけての青年の絶望と孤独の姿が、比類ない正確さで描き出されており、
金閣=美を戦中の耽美的ナルシシズムにおきかえるならば、戦後もなお主人公を支配する金閣の幻影が、
青年にとって何であったかを類推するに困難ではないであろう。そこから、金閣寺を焼かねばならないという
決意の誕生もまた、戦後の三島の精神史にあらわれた「裏がえしの自殺」の決意にほかならないことも明らかに
なるであろう。こうして、この作品は、実際の事件に仮託しながら、三島の美に対する壮大な観念的告白を
集大成したような観を呈しており、美の亡びと芸術家の誕生とを、厳密な内的法則性の支配する作品の中に、
みごとに定着している。『仮面の告白』に遙かに呼応する記念碑的な作品である。
橋川文三
「主要作品解説 金閣寺」より
二・二六における天皇と青年将校というテーマは、ほとんどドストエフスキーの天才に俟たなければ描ききれない
であろうというのが、私の以前からの独断であった。それは何よりも神学の問題であり、正統と異端という
古くから魅力と恐怖にみたされた人間信仰の世界にかかわる問題だからである。端的にいえば、それは日本人の
魂の世界における「大審問官」の問題にほかならないからと私は考えている。
かつて、私はそんなことを書いたところ、何と大げさなとある人からからかわれたことがある。しかし、
「大審問官」の問題が日本人にはおこらないだろうと思っているなら、それは日本人を見くびった話である。
二・二六事件はもとより、前の戦争の意味などもごく型どおりにしか考えていないからだろうと私は思っている。
しかし、それはさしあたりの問題には関係がない。
橋川文三
「中間者の眼」より
「英霊の声」の作品評を改めてしようとは思わない。その主題と構成についてもすでによく知られているものとして
話をすすめたい。問題はこれがある巨大な怨念の書であるということである。ある至高の浄福から追放された
ものたちの憤怒と怨念がそこにはすさまじいまでにみちあふれている。幽顕の境界を哀切な姿でよろめくものたちのの
叫喚が、おびやかすような低音として、生者としての私たちの耳に迫ってくる。
三島はここでは、それら悪鬼羅刹と化したものたちの魂が憑依するシャーマンの役割をしている。
昔から能楽のもつ妖気の展開様式に熟練している三島は、ここでも巧みにその形式を利用している。
橋川文三
「中間者の眼」より
私は、今でも深夜「二・二六事件」(河野司篇)をひもどくとき、そのとあるページを直視するにたえないが、
この作品の鬼気にはそれに通じるものがある。彼らの方が生きており、お前たちの方がそうではないのだぞと、
そのとあるページのデスマスクは不気味な言葉で語りかけてくる。そういう迫力において、この作品は、
あれらの人々の心情をみごとに再現している。
しかし、こうした印象批評に私が関心があるのではない。三島はやはりここで、日本人にとっての天皇とは何か、
その神威の下で行われた戦争と、その中での死者とは何であったか、そして、なかんずく、神としての天皇の死の後、
現に生存し、繁栄している日本人とは何かを究極にまで問いつめようとしている。
これが一個の憤怒の作品であるということは、それが現代日本文明の批判であるということにほかならない。
橋川文三
「中間者の眼」より
「……それにしても、『天皇陛下万歳』と遺書に書いておかしくない時代が、またくるでしょうかね。もう二度と
来るにしろ、来ないにしろ、僕はそう書いておかしくない時代に、一度は生きていたのだ、ということを、
何だか、おそろしい幸福感で思い出すんです。いったいあの経験は何だったんでしょうね。あの幸福感は
いったい何だったんだろうか……」(『対話・日本人論』)
これは、三島の読者にはすでによく知られているあの浄福感の回想である。それは戦争という「死の共同体」の下で
いだかれた幸福感ばかりでなく、さらに古代そのままの部族神(=現人神)の庇護下にあるという浄福感とを
渾然と統合した感覚であった。
この不滅の幸福感は、天皇の人間宣言と、戦後の開始とによって亡びねばならなかった。しかし、それは不滅の
本性をもっていたから、決して死滅することはできなかった。三島はいわゆる「仮面」のもとにその仮死の幸福感を
包み、かえって残酷な「平和」時代を二十幾年も生きつづけて来た。
橋川文三
「中間者の眼」より
しかし、それほども永い間、いわば肉体を欠如したまま仮死状態におかれていた幸福は、ある時期、本当に
死滅するかもしれないという微妙な予感におびえ始めたのかもしれない。不死の存在は、あまりにもながく
その仲間たち――かつてのあの戦士共同体――からの通信は絶たれていた。日常の中に瀰漫して眼に見えぬ媒介を
行うものたちがしだいに消失して行くのに気づいて、三島の中の隠された幸福感は、事態の緊急性にいらだち
始めたのかもしれない。三島自体についていえば、戦後を生きるために計算されつくしたはずの計画が、
思いがけない破綻に直面していることを知ったということになるのであろうか。
…解決は、ノスタルジアの果に来る狂か、死か、または政治というもう一つの芸術か、であろう。
橋川文三
「中間者の眼」より
突然ですいません。最近、本を読むようになって、色々文豪と言われてる人の本を読もうとおもってるんですが、
三島由紀夫の作品でお勧めな作品は何でしょうか?三作ほど強いてあげるとしたら、どんな作品でしょうか
皆さんの好きな作品をあげるような気分で、教えていただけないでしょうか?
>>57 強いてあげるなら長編では「春の雪」「金閣寺」「仮面の告白」が代表作でおすすめです。
目立たない作品でわりあい好きなものは「獣の戯れ」「純白の夜」「天人五衰」かな。
「金閣寺」と「仮面の告白」は必須。これ抜きに三島文学は語れない。
あとは、
>>58、
>>59はじめ名作目白押しだから、選択に迷うね。
ところで、「獣の戯れ」というタイトルを見ると、反射的に「夏茱萸」なる
言葉が浮かんでくる。なぜこんなに印象深いのか我ながら不思議。
61 :
吾輩は名無しである:2010/03/07(日) 14:04:06
「潮騒」の乳比べシーン謎は必読で性根〜(笑)
ごらごら、
>>40 クソ狸! 日本の特異性だと。おめえには一生それが分かるまいぜ。
分からないことを分かったように言うおめえは本当に文学板の目障りの種だ。
>>62 90年代あたりの馬鹿サヨ脳みたいな発想の奴なんてほっとけ
おやはや(笑)実に愚か(笑)特異性とも気づけぬ、そこに日本の特異性がありましてねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
65 :
吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 20:30:54
「美しい星」
>>58>>59>>60>>65>>66 返信ありがとうございます。
ググってみても良作ぞろいなのか色々な作品があげられてますが
その中でも金閣寺がよく最高傑作の名に上がるようですね。
一般的には代表作と聞いている「潮騒」は山口百恵出演の映画?が
放送されていたのでちょこっと見た事があったのですが、
正直、意味がわからなったですねぇ(苦笑
文学も勿論良いけれど、エッセイ風の文章も面白いと思う
重いもので言えば『三島由紀夫文学論集』(虫明亜呂無編)
軽いもので言えば『文章読本』(中公文庫) など
69 :
吾輩は名無しである:2010/03/09(火) 12:33:49
>67さん
今まで何を読まれていて、どの様な作風が好みかにもよりますよ。
三島を知る為には「金閣寺」「仮面の告白」は必須ですが、日本の名作を読んでみたいと
思われる向きには上記2作(特に「仮面」)は全くお薦め出来ません。
気軽に名作を読んでみたいなら、短編ですが「橋づくし」「サーカス」「離宮の松」など技巧
一点張りの軽い作品がお薦めです。
しかしそれ以上にお薦めしたいのは三島の戯曲です。
もし戯曲と云うジャンルが嫌いでなければですが「鹿鳴館」「近代能楽集」などをお薦め
したいです。
「金閣寺」「仮面の告白」は絶対おすすめ。
短編の名作は「軽王子と衣通姫」「岬にての物語」
>>64 「日本語には主語がない」とか雰囲気で言ってんじゃねえぞ、ぼけ。
人類の普遍性の中に日本及び日本人をおいて特異性を論理的に言ってみろってんだ。カスやろう。
「主語」はあんだよ、ゾンビの腐ったの。
「橋づくし」の満佐子Masakoは、三島の恋人だった京都料亭の娘、貞子Sadakoさんです。
a-a-oで共通させてます。
三島は高度の知性に恵まれていた。
その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか。
…かつて大衆の意識変革に成功した人はひとりもいない。アレキサンドロス大王も、ナポレオンも、仏陀も、
イエスも、ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知るかぎりだれひとりとして、それには成功しなかった。
人類の大多数は惰眠を貪っている。あらゆる歴史を通じて眠ってきた…(略)大衆を丸太みたいにあちこちへ
転がしたり、将棋の駒みたいに動かしたり、鞭を当てて激しく興奮させたり、簡単に(特に正義の名を持ち出せば)
殺戮に駆りたてることはできる。しかし、彼らを目ざめさせることはできない。
ヘンリー・ミラー
週刊ポストへの特別寄稿より
ラジオ番組ラジカントロプスが平岡威一郎さんに出演依頼しているそうです。
あらためて「銀河鉄道の夜」を読んでみたが、ほんとザネリって野郎許しがたい小僧だな。
どこかで生きてやがるかな?殺してやりたい。
---------------------------
・・・鉄でできた冷たいイスが、柱にくくり付けられている。
そのイスにさらにザネリがぐるぐる巻きにくくり付けられている。
男:「百害あって一利なしのクソ蛆虫がのうのうと生き延び、美しい心の持ち主カムパネルラが犠牲になった」
ザネリ:(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
男:「お前の犯した悪業は、死罪をもって遠くまどえない」 (まどう=償う)
ザネリ:(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブルガタガタガタガクガクブルブルガクガタガタガタ
「蛆虫め!畜生め!」
男の出刃包丁が、2回、3回、5回、10回、30回と、罪人の左胸を貫いた。
・・・男は、ズタズタに切り裂いたザネリの死骸を荒縄でくくり、「天気輪の丘」ーつまり
ジョバンニがかつて銀河鉄道に乗り込んだあの丘ーまで引きずっていった。
そこで、男は夜空に向かって「ケンタウルス、報いをふらせ!」と叫んだ。
・・・すると、どこからともなく天のかなたからー貨物列車が、ギシギシ現れーそして停止した。
男はザネリの死骸を、その4両目の無蓋貨車に激しく投げ込んだ。
それはブタ座、ハイエナ座、シデムシ座を永遠に廻り続ける列車で、
死骸を永久に引き回され、貪り食われ続ける暗黒路線だった。
〜続・銀河鉄道の夜〜(完)〜
>>77 小題がついているのは、どういう意味があるのかしら。
誰にも真似できない文学的表現(笑)
読むまでもない
166:この子の名無しのお祝いに 2007/11/29(木) 00:03:31 ID:0/cnGKSq
「曽根崎心中」は、公開当時には"宇崎竜童のサングラスを外した素顔にちょんまげ"
という事に、少しは話題性があったのかな?
今となっては、そんな事、面白くもないけどね。
でも、増村保造は、新人やあまり目立たなかった役者を使うのが上手かったね。
三島由紀夫なんかも、下手だけどそれなりに作品世界にハマってる。
そういえば、三島の企画は当初、"インテリの役は絶対にやらない、
ヤクザとか競馬の騎手とか、そういう役をやりたい。"と三島自身から注文があって、
競馬の騎手の話を考えたのだけど、ボツになったそうだ。三島の騎手というのは
すごく似合うと思う。で、「からっ風野郎」になったのだけど、これがもともと
裕次郎の為に書かれていたもので、主人公が颯爽としていて格好いいので、増村が
それはおかしいと書き直したのだそうだ。"この改訂のやり方は、さすが増村演出
と思わせるうまさでした。"と、藤井浩明氏がインタビューで語ってた。
167:この子の名無しのお祝いに 2007/11/29(木) 00:13:02 ID:YJYCgnU6[sage]
あの三島はいい。
川地民夫や浜田光夫みたいな雰囲気がある。
168:この子の名無しのお祝いに 2007/11/29(木) 01:02:26 ID:JCoftKUX>167
4,5年前にパリで増村特集が組まれ、満員盛況だった。
そのなかに「からっ風野郎」がはいっていて、あの愚作をなんでまた、
とおもったら、ぼくの認識の甘さを後悔するほど、おもしろかった。
最初に、いわゆる文化人がでてきて、これはあの三島由紀夫主演の映画で
たいへん貴重です。とのたまい、作品の質についてはいっさいふれなかったが、
最後のエスカレーターのうえに倒れするシーンまでみんな息をつめて
見ていた。フランスで増村の評価が高まったのは、これがきっかけかもしれない。
82 :
吾輩は名無しである:2010/03/13(土) 17:34:58
あの日、一九七〇年十一月二十五日、私は十八歳になった。高校三年生である。(中略)
その日の昼下がりも、窓いっぱいにさしこんでくる柔らかな陽の光につつまれて、私はついついまどろみそうに
なりながら、午後の授業の開始を告げるチャイムが鳴ったのも気づかないほどだった。ほどなくして古文を
受け持っていた教師が教室に入ってきた。微かに東北訛りの残る、穏やかな語り口で、ふだんは授業以外の
余計なことはめったに口にしない人なのだが、この日に限って、教科書をひらく前にこう切り出したのである。
「つい先ほどのことですが、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に乱入して割腹自殺を遂げたそうです」
思いもよらないニュースを先生の口から知らされたとたん、教科書やノートをひらきかけていた生徒の動きが
一瞬止まり、次いで教室にどよめきが走った。(中略)
しばらくは教室のあちこちでざわめきが尾を曳いていたが、それも教師が古(いにしえ)びとの歌を朗々と
詠じはじめるうちにしだいに静まっていった。しかし、私はひとり胸の動悸を収めることができずにいた。
こんなところで平安貴族が詠んだ歌について悠長に解釈をあれこれ考えている場合ではないだろう。ともかく
市ヶ谷に行かなければ……。と言って、駈けつけても、何をしようなどという考えがもとよりあったわけではない。
ただ、じっと教室の椅子に座って、授業を受けていることが、いまこの瞬間の過ごし方としてはひどく間が抜けて
いるように思えてならなかった。居ても立ってもいられなかったのである。私は鞄に教科書など一式をしまいこむと、
腰を屈めたままの姿勢で席を離れ、教師が黒板に向かっている隙に教壇の横をすり抜けて出口に向かった。
(中略)私が通っていた都立日比谷高校から市ヶ谷は距離にして二キロ弱、(略)市ヶ谷の駅へと通じる下り坂を
下りるにつれて、上空を旋回するヘリの爆音が二重三重に輪をかけて大きくなっていく。外濠にかかる橋を渡り、
駐屯地の前に出ると、正面ゲートだけでなく、ヤジ馬が鈴なりになった周囲の歩道にも制服警官や機動隊員が
多数配置され、あたり一帯は異様な空気につつまれていた。
杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
私はただその場から立ち去りがたいという思いに引きずられて小一時間ほど佇んでいたが、やがて、あの門の向こうで
三島が自決したんだと自らに言い聞かせるようにいま一度眼を見ひらき、駐屯地の奥を見据えて、脳裏にその情景を
しっかりと刻みこんでから、相変わらず上空をヘリが舞い、(略)騒然とした雰囲気の中、歩いて市ヶ谷から
九段の坂を通り、神保町の自宅に帰った。(中略)
自宅の神棚には、鯛のお頭付きと三越の包装紙につつまれたケーキの箱が供えられていた。家族の誕生日の、
それが我が家の習わしであった。私は、その夜のささやかな祝宴の主賓であったにもかかわらず、鯛にもケーキにも
手をつける気には到底なれなかった。
その日からずっと、私の中で、「三島由紀夫」は生きつづけているような気がする。いまになって思えば、
自衛隊に兵士たちを訪ねて歩く取材をはじめたのも、三島由紀夫抜きには考えられないのだった。
私は生涯にただ一度きり、生身の三島を間近にしている。
…私が三島を眼にしたのは、他でもない自衛隊の観閲式においてであった。学校新聞の取材と称して式典への参加を
願い出た高校一年生、十五歳だった私に、防衛庁は各国の駐在式官が陣取った来賓席を用意してくれていた。
肩から金モールを下げ、礼装の軍服に身をつつんだ式官や華やいだ装いの夫人たちに囲まれて席についていると、
式官の一団が突然、「起立!」と号令をかけられたみたいに夫人ともどもいっせいに立ち上がった。私も、
傍らに座る、観閲式に無理矢理つきあわせた級友のTと一緒に思わず立ち上がっていた。式官たちは全員二時の
方向を向いて、手を制帽の眼庇にかざし挙手の礼をとっている。(略)彼らが敬礼を送っている相手は最初は
見えなかったが、相手の動きとともに、敬礼する式官たちの体の向きも変わってゆき、やがて彼らがほぼ真横を
向いたところで、ならび立つ軍服の間から三島が姿をあらわしたのである。
杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
細身のスーツを着こなした三島は自らも右手をかざして式官たちの敬礼に応えながら、瑤子夫人を伴って、
私とTが立っている席のすぐ前の席に腰を下ろした。
私の視線は、傍らの駐在式官から挨拶を受け、にこやかに何ごとか語らっている三島に釘付けになっていた。
間近も間近、手を伸ばせば触れるようなすぐそこに、三島由紀夫がいることに私は興奮して、級友のTの肘を
つつきながら、「ミシマだよ、ミシマがいるよ」と熱に浮かされたようにうわごとめいたつぶやきを繰り返していた。
音楽隊が奏でる勇壮なマーチに乗って、陸海空各部隊が一糸乱れず分列行進をしたり、(略)迫力あるシーンは
どれもはじめてじかに眼にするものばかりだったはずなのに、どういうわけか、記憶に灼きついているのは
三島の姿だけなのである。
たった一度だけ三島を眼にした場が自衛隊の式典であり、それから二年あまりのうちに、自分の十八回目の誕生日に
三島が自衛隊で自決を遂げたことは、私の中で不思議な暗号として捉えられた。
いつしか私は、三島由紀夫と、自衛隊と、自分自身とを何か運命的なもののように重ね合わせて考えるようになっていた。
(中略)三島は、自衛隊に何を見、何を期待し、何に絶望していったのか。(略)答えがみつかるはずもない
その問いかけを、鈴振るように胸に響かせながら、私もまた自衛隊のゲートをくぐったのであった。
当初私は、三島が丸三年半にわたる自衛隊体験の中では、自衛隊を第一線で支える、もの言わぬ隊員たちの素顔に
間近に接して、彼らの心情に分け入るまでには至らなかったのではないかと思っていた。(中略)
しかし、三島が死に場所に選んだ自衛隊をこの眼で見、全身で感じてみたいと思い、はじめた平成の兵士たちを
訪ねる旅の第一歩からほぼ十五年の年月が流れ、その旅をいよいよ終えようといういまになって、私の眼には、
三島の眼差しの先にあったものがかつてとは違ったように見えてきたのである。
杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
(中略)
〈…自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう〉という三島の予言は、その死から四十年近くたったいま、
ますます説得力を帯びた切実な響きで聞こえてくる。そうなってみると、十五年前には迂闊にも気づかなかったことだが、
三島が知っていた自衛隊とは、決して〈武器庫〉や〈階級章〉だけではなかったように思われてきたのである。
死の二ヶ月前、三島は、「楯の会」の会員たちと体験入隊を繰り返し、彼が自衛隊でもっとも長い時間を過ごした
滝ヶ原分屯地の隊内誌『たきがはら』に一文を寄せている。その中で三島は、自分のことを、
〈二六時中自衛隊の運命のみを憂へ、その未来のみに馳せ、その打開のみに心を砕く、自衛隊について
「知りすぎた男」になつてしまつた〉と書いていた。じっさい「知りすぎた」三島は、『檄』にも書きとめた通り、
〈アメリカは眞の日本の自主的軍隊が日本の國土を守ることを喜ばないのは自明である〉という自衛隊の本質を
見抜いていたがゆえに、自衛隊の今日ある姿を予見することができたのだろう。
隊員ひとりひとりが訓練や任務の最前線で小石を積み上げるようにどれほど地道でひたむきな努力を重ねようとも、
アメリカによってつくられ、いまなおアメリカを後見人にし、アメリカの意向をうかがわざるを得ない、すぐれて
政治的道具としての自衛隊の本質と限界は、戦後二十年が六十余年となり、世紀が新しくなっても変わりようが
ないのである。
私が十五年かけて思い知り、やはりそうだったのか、と自らに納得させるしかなかったことを、三島は四年に
満たない自衛隊体験の中でその鋭く透徹した眼差しの先に見据えていた。
もっとも日本であらねばならないものが、戦後日本のいびつさそのままに、根っこの部分で、日本とはなり得ない。
三島の絶望はそこから発せられていたのではなかったのか。
杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
三島戯曲の中にはすごい作品がある。とくに『サド侯爵夫人』は、その完璧なまでに空虚な構造、噴飯物寸前の
みごとな台詞修辞法によって、二十世紀の世界劇文学を代表するに足る一作である。
井上ひさし
「アンケート 三島由紀夫と私」より
今後二十一世紀にかけて、三島由紀夫という作家や作品の世界も、あの市ヶ谷の事件も忘れられることはないだろう。
さまざまな擬態とさえ見える行動と表現のなかに、逆説的に実相を照らし出している。
人間天皇への否定的な思想には同感できないが、以後今日まで、それに代る Idealな源泉の喪失が、日本社会の
物の氾濫と技術革新の陰で、深い内的荒廃をもたらしていることは確かだろう。
それは三島由紀夫が予感した様相といえる。
田久保英夫
「アンケート 三島由紀夫と私」より
三島由紀夫を小説の天才とすれば、批評・評論は超天才ですね。
「現代小説は古典たり得るか」でも「小説家の休暇」でもいいのですが、眠気が去り、頭がすっきりするほど面白い。
新潮社の一冊本の「評論全集」は、かつて愛読したものです。
…ぼくは「鍵のかかる部屋」という中篇を(仮りですが)ベストワンにしておきます。(略)…就職活動しながら
愛読しました。当時は、気味の悪い、いやな小説だと思いましたが、今読みかえすと、傑作ですね。
小林信彦
「アンケート 三島由紀夫と私」より
好きです。僕を見て「君はピーターパンみたいだね」と言ってくれたから。
鮨屋で「何でも好きなものをお食べ」と、ずいぶんご馳走になりました。亡くなる四日前のことでした…。
…『仮面の告白』。タイトルの素晴らしさに惹かれて手にとった本でした。
小説の中に自分自身を見つけたように何度も読み返したのを覚えています。
金子國義
「アンケート 三島由紀夫と私」より
はっきりと嫌いだと感じられるほどの強い個性、直線的なうつくしさや、共感するしないは別に、明快な志を
抱いていること自体に逆に惹かれるところもあって、ときどき読みたくなります。
鈴木清剛
「アンケート 三島由紀夫と私」より
93 :
吾輩は名無しである:2010/03/15(月) 11:14:36
94 :
吾輩は名無しである:2010/03/15(月) 12:03:08
金閣寺の初版本や三十年ほど前の文庫は旧かなで出ていたのに今じゃ
新かなだもな、旧かなで出してほしいな、
政治的には単なる安保右翼だ。
行動も文学的な評価に留まる。
ひたすら明治百年の日本、そして日本語が解体していく三十年間だった、そして現在はその最終段階にある、と思う。
遠からず三島文芸は古典という名の異文化として読まれるだろう。いや、すでに読まれているか。
(三島作品のベストワンは)『豊饒の海』とくに最終巻「天人五衰」。
もしそれを破綻というなら、明治百年の日本の破綻を先取りし、予告している、と考えるべきだろう。
高橋睦郎
「アンケート 三島由紀夫と私」より
ここ(『鏡子の家』)に描かれている四人の青年たちと鏡子とは、ある秘められた存在の秩序に属する倒錯的な
疎外者の結社を構成している。かれらのいつき祭るもの、それはあの「廃墟」のイメージである。三島がどこかで
「兇暴な抒情的一時期」とよんだあの季節のことである。
…じっさいあの「廃墟」の季節は、われわれ日本人にとって初めて与えられた稀有の時間であった。ぼくらが
いかなる歴史像をいだくにせよ、その中にあの一時期を上手にはめこむことは思いもよらないような、不思議に
超歴史的で、永遠的な要素がそこにはあった。そこだけがあらゆる歴史の意味を喪っており、いつでも、随時に
現在の中へよびおこすことができるようなほとんど呪術的な意味をさえおびた一時期であった。ぼくらは、その
一時期をよびおこすことによって、たとえば現在の堂々たる高層建築や高級車を、みるみるうちに一片の瓦礫に
変えてしまうこともできるように思ったのである。それはあのあいまいな歴史過程の一区分ではなかった。
それはほとんど一種の神話過程ともいいうる一時期であった。
橋川文三
「若い世代と戦後精神」より
(中略)三島がどこかの座談会で語っていたように、戦争も、その「廃墟」も消失し、不在化したこの平和の
時期には、どこか「異常」でうろんなところがあるという感覚は、ぼくには痛切な共感をさそうのである。
…つまり、そこでは「神話」と「秘蹟」の時代はおわり、時代へのメタヒストリックな共感は断たれ、あいまいで
心を許せない日常性というあの反動過程が始まるのであり、三島のように「廃墟」のイメージを礼拝したものたちは
「異端」として「孤立と禁欲」の境涯に追いやられるのである。「鏡子の家」の繁栄と没落の過程は、まさに
戦後の終えん過程にかさなっており、その終えんのための鎮魂歌のような意味を、この作品は含んでいる。
元来、ぼくは、三島の作品の中に、文学を読むという関心はあまりなかった。この日本ロマン派の直系だか
傍系だかの作家の作品のなかに、ぼくはつねにあの血なまぐさい「戦争」のイメージと、その変質過程に生じる
さまざまな精神的発光現象のごときものを感じとり、それを戦中=戦後精神史のドキュメントとして記録することに
関心をいだいてきた。
橋川文三
「若い世代と戦後精神」より
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、
横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。この「狂」の伝統が
どのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。ただ、すべての
「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。日本人は、
否、人間は、自分の内部の「狂」をもっと直視すべきではないだろうか。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の
精神であり、私としてはほめ言葉である。(中略)
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは
中岡良一などと同じように考えたい。
橋川文三
「狂い死の思想」より
101 :
吾輩は名無しである:2010/03/17(水) 11:56:46
平野啓一郎がベルリンに向かったようですね。
104 :
吾輩は名無しである:2010/03/18(木) 18:39:00
ポッポのネットじゃ読む気起きないから何とも言えないなあ。
でも、まあまあじゃないかな?
そこまでは読ませないな。
104の作品は読書の経験がほとんど無い小説の初心者が2時間以内で書いたんだってさ
三島にそれができるかな?
そんな所比べてどうするの?
『仮面の告白』を黒い傑作、『金閣寺』を赤い傑作とすれば、その後に書かれた透明な傑作『潮騒』は、一般に
作家がその生涯に一度しか書けないような、あの幸福な書物の一つである。それはまた、その直接の成功があまりに
華々しいので、気むずかしい読者の目にはかえって胡散くさく見えるような作品の一つである。その完璧な
明澄さそのものが一つの罠なのだ。古典期ギリシアの彫刻家が人体の上に光と影の段落を描き出す、あまりに
際立った凹凸をつくることを避けて、限りなくデリケートな肉づきを目や手により生々しく感知させようとしたように、
『潮騒』は批評家に解釈のための手がかりをあたえない書物なのである。(中略)
若者の恋というテーマだけを取ってみれば、「潮騒」はまず、「ダフニスとクロエ」の無数の二番煎じの
一つのように見える。けれどもここで古代と、さらにずっと後代の変則的な古代とを、あらゆる偏見を棄てて
比較してみると、二つのうちでは「潮騒」の旋律の示す音高線のほうがはるかに純粋だ。
マルグリット・ユルスナール
「三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン」より
『奔馬』には、一八七六年に叛乱を起した武士たちの集団自殺が描かれており、彼らの行動は勲を感奮興起させた
ものであった。正規軍に敗北すると、八十名の生存者はあるいは路上で、あるいは神社の祀られている山頂で、
いずれも礼法通りに腹を切った。(中略)
この血と臓腑の信ずべからざる大氾濫は私たちを恐怖させるとともに、あらゆる勇敢なスペクタクルのように
興奮させもする。この男たちが闘うことを決意する前に行った、あの神道の儀式の簡素な純粋性のようなものが、
この目を覆わしむ流血の光景の上にもまだ漂っていて、叛乱の武士たちを追跡する官軍の兵隊たちも、できるだけ
ゆっくりした足どりで山にのぼって、彼らを静かに死なせてやろうと思うほどなのである。
マルグリット・ユルスナール
「三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン」より
勲はといえば、彼はその自殺に幾分か失敗する。(中略)
しかし三島は、それ自体うかがい知りえぬ肉体的苦痛の領域に天才的な直感をはたらかせて、この叛逆の若者に、
彼にとってはあまりに遅く来るであろう昇る日輪の等価物をあたえてやったのだ。腹に突き立てられた小刀の
電撃的な苦痛こそ、火の球の等価物である。それは彼の内部で赤い日輪のような輝きを放射するのである。
マルグリット・ユルスナール
「三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン」より
111 :
吾輩は名無しである:2010/03/20(土) 11:30:56
三島由紀夫が透徹した認識の目を持っていたことは、彼を知る人ならば誰もが認めるだろう。例えば動物に
対する描写を取ってみても、その異様に鋭い認識能力が垣間見れる。(引用略)
言葉を喋らぬ一個の生命に対して、これほどその根源に迫れるほどの認識能力を持っているなら、人間を洞察し、
その自意識を具体的に纏め上げた安永透という人間を作り上げることくらい造作もなかっただろう。(中略)
三島文学ほど明確に人間の個人的精神と結び付けて涅槃を説いている作品は他にないだろう。悟り……、そして
悟りへ至るための道である八正道とはつまり、自意識の塊りである安永透という存在の否定なのだ。
天人五衰や「安永透の手記」には、悟りへの道である八正道に、見事に反する精神状態が描かれているのである。
安永透の自意識こそ、仏教が説く人間の捨て去らねばならない“我”そのものだからだ。
三島由紀夫の重要性、そして特殊性は、その並外れた認識の能力にある。(中略)
なぜ三島由紀夫にだけ、これほど高度な認識能力があり、一般の人はそうではないのか。それが私には大きな
疑問となり、三島文学への好奇心を駆り立てた。(中略)
どちらかというと私は三島の小説よりも日記やエッセイなどを好んだ。(略)…概念の捉え方が行間からより
鮮明に表れていて、その明晰さに私は驚嘆した。(中略)
三島由紀夫は単なる小説家という存在を超えている人間なのかもしれない、と私はうっすらと理解し始めた。
多くの人は『ミシマ文学』と言っているくらいで、どうも彼の使う表現の卓越さ、認識の正確さのすべてを、
三島由紀夫の文才と考えているようだった。
しかし私にはそうは思えなかった。言葉使いが巧みなだけなのではない。確かに十代までの三島はそうだった。
しかし「仮面の告白」以降は違う。正確に現実を認識しているのだ。あまりに正確すぎるほど正確に……。
つまり、何かをきっかけに三島由紀夫は、その正確無比な認識に覚醒したのだと私は思った。
三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より
…『一目で見抜く認識能力にかけては、幾多の失敗や蹉跌のあとに、本多の中で自得したものがあった。欲望を
抱かない限り、この目の透徹と燈明はあやまつことがなかった』(天人五衰)(中略)
三島は自分の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚を、若いときは自分の文学的素養として芸術の領域で
捉えていて、仏教的な意味での仏性だとか悟性だとかいう風には捉えていない。或いは最後までそのスタンスは
変わらなかったかもしれない。(中略)
三島由紀夫が行っていた無我の認識とは、この阿頼耶識を認識することだ。(中略)
古来から悟りを開いた者は神通力を得ると言われている。(略)…阿頼耶識による無我の認識は、原理は単純だが、
或る意味そういった超能力に近いものだ。(略)…三島の表現力を神技に近いと評した評論家もいたようだ。
超能力とまでいかなくても、第一章でも記したように、その認識の正確さは燈明を極めていた。(中略)
無我の認識という正確な認識の方法を理解している三島由紀夫という存在は、私には途轍もなく重要に思えて
きたのだった。三島由紀夫が理解されれば、人間同士の完全な相互理解が可能になるからだ。
三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より
…三島由紀夫について研究していて、ひとつ不思議に思った事があった。なぜ三島が自分への理解を求める
方法として、小説という形を選んだのかということだ。彼はそこいらの哲学者や心理学者よりよほど頭が良く、
人間精神に精通していたから、自分を理解して欲しいなら、自分の認識の体系を分かりやすく論文のような形で
まとめて発表すればよかったのにと思った。なぜそうしなかったのか。実際に三島由紀夫について書いてみて
分かった。それは不可能だからだ。近代自我哲学や精神分析学は三島本人も言っているように、些か暴論で、
妄味を生み出している気がする。精神という性質を詩的幻想と規定することは出来ても、その精神が生み出す
幻想世界を分割したり、現実世界に対する精神の認識構造を解析することは不可能だ。(中略)
唯識的に言うと、欲望を捨てて第七識を超えたところにある阿頼耶識という存在の究極の片鱗を読み取った
ということになるだろうが、では、どのようにして読み取ったのかとなると、それ以上の詳しい説明は出来ない。
それ以上は、もう“ありのまま、ただ見た”としか言いようがない。
…プラトンのイデア論にしても、ニーチェのパースペクティブ主義にしても、デカルトの良識論にしても、
実念論にしても唯名論にしても、フーコーのエピステーメーにしても、フランシス・ベーコンが「ノーヴム・
オルガヌム」で言うイドラにしても、実存主義にしても、ライプニッツのモナドの概念にしても、そして
唯識さえも、認識に至るまでの経緯の仮定的な説明なのだ。(中略)
過程を明確に示す方法がないから結果から示すしかなかった。小説という物語の形を借りた方法で、自分が
認識した安永透という人間の自意識を正確に記すしか、つまり、感覚的に、自分の認識能力とその認識能力を
持っているということが何を意味しているのかを理解できる人間を探すしかなかったように、私には思える。
無我に至るまでのその過程を説明しなくても、天人五衰を読んだら分かる人間に向けて三島は天人五衰を書いている。
三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より
(中略)
三島由紀夫が天人五衰に書いているような、人間世界を裁定する漁師の目、それは神仏の目だ。無我による
正確な認識は、最終的に神の目に近づく。人間を監督し、その行いに応じて命運を決定する存在との視点の同一化。
それが一種の予言性を帯びてくる究極の認識であり、人間が最終的に至るべき境地なのだろう。そしてそれは、
いわゆる宿命通・天耳通・死生智にあたるのだろう。
『狐はすべて狐の道を歩いていた。漁師はその道の薮かげに身を潜めていれば、難なくつかまえることができた。
狐でありながら漁師の目を得、しかも捕まることが分かっていながら狐の道を歩いているのが、今の自分だと
本多は思った』(天人五衰)(中略)
精神という願望的幻想性を利用したこの現実の都合のいい変容を、人を化かす『狐』に例えているのである。
(中略)
そもそも彼のあの異常な明晰さは、人間の領域を遥かに超えている。彼は人間でありながら神仏の目を得、
しかも人間として生きたのだ。(略)…三島は晩年、生涯を通じてあれほど批判してきた太宰治と自分は
同じなんだと言ったそうだ。太宰がそうであったように、三島にも人間の世界が理解しがたかったのではないか。
理解できすぎたが故に。
その無意識。その認識の欠如。すべてが彼には奇妙に思えただろう。
三島にとって人間は、運命の自己表現のようなものだった。(中略)
三島は確かに誰よりも正確に物事を認識することができたわけだが、単純にその能力を喜んでいたわけでは
なかったようだ。(中略)
三島由紀夫は確かに稀に見る認識の天才で、完璧に近いほど人間存在、そしてその命運を裏側から管理している
神仏の神秘まで理解していた。しかし、求道者ではなかった。
三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より
三島は悟達に至ろうと思って悟達に至ったわけではない。セキュリティー・システムを打破するはずのハッカーが、
逆にセキュリティー・システムに詳しくなるように、犯罪を犯すはずの犯罪者が、逆に刑法に詳しくなるように、
あまりにも夢想的であったために、逆に真実に目覚めてしまったのだ。
そして三島はその欣求の欠如ゆえ完全なる悟りには至っていなかった。いや、至ろうとしなかった。(中略)
ここに三島由紀夫という人間の独自性がある。彼は悟りの構造を知っていながら詩を求め続け、仏教には帰依せず
天皇に帰依したのだ。奇跡は到来しないと理解してからも、つまり詩が現実ではないとはっきり理解してからも、
生来の気質から詩的椿事を待望し続けることをやめられず、また神仏に帰依する気もなかった三島由紀夫は、
自分の意志の不毛に気付いていた。紙の上の現実と実際の現実、その二種の現実のどちらもいつでも選べるという
自由が三島由紀夫という人間の意志だった。
(中略)
どんな奇跡への待望であれ、それが絶対に到来しないと分かっているなら、そしてそれでも猶、奇跡を待望し
続けるとするなら、いったい精神はどこへ向うのだろう。三島にとって至福と言うものが、少年時代に感じたように、
願望と現実の一致にあるなら、詩から覚醒した三島の唯一の至福は、自らが絶対的存在と融和することだった。
それが「憂国」であり、天人五衰の末尾において本多繁邦に語らせている『聖性』だった。(中略)
ああいう最期を遂げたことには、批判的な意見の方が多かったようだが、バルコニーに立って演説する三島の
姿を見るたびに、私は何か心を動かされる。別に憲法を改正して自衛隊を国軍にして欲しいわけではないけれど、
命を賭けて訴えるその姿に素晴らしい何かを見るのは確かだ。(中略)
天人五衰における本多の涅槃への到達の仕方は、一見したところ幸福からは遠く、それはまるで神への挑戦のようだ。(中略)
恒久平和の不可能を自明のものとして死んでいった彼の存在が、実は精神という幻想を打ち破り、人間の相互
理解を可能にする唯一の鍵だったというのはなんと皮肉だろう。
三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より
(中略)
私には三島由紀夫が、自分がロボットだと気付いてしまったロボットのように思えてしまう時がある。自分の
内部構造、背負わされた宿命、世界の実相……、その仕組みを、それを創造した者と同じくらい完全に
理解できる能力を持っていた三島由紀夫は、結局、自分が何者であるかを知ってしまった。三島由紀夫は自分が
【人間】であることを理解してしまったのだ。
精神の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚という性質。告白は不可能であり、真の自己は規定し得ないということ。
人間は自由意志を持ってはいないということ。見えない誰かに何かを強いられて生きているということ。
人間であるということそれ自体がひとつの罠にかかってしまっているということ。そして、自分が誰からも
理解されてはいないということ……。
世界についても理解した。
それは涅槃の文学である三島文学の最終的な主題「奇跡自体よりもふしぎな不思議」だ。
即ち古代存在論にはじまり、中世スコラ哲学へと続き、デカルトやウィトゲンシュタイン、ライプニッツらも
問うた『神秘的なのは、世界が如何にあるかではなく世界があるということ』という命題。数多くの哲学者が
求めたこの命題に対する三島由紀夫の答えは、「仮面の告白」における素面の不在と同じように、世界存在
そのものの実体の不在だった。
『「海と夕焼け」は、奇跡の到来を信じながらそれがこなかったという不思議、いや、奇跡自体よりもさらに
ふしぎな不思議という主題を凝縮して示そうと思ったものである。この主題はおそらく私の一生を貫く主題に
なるものだ』(花ざかりの森・憂国 あとがき)
…つまり、世界が存在しているということ自体が奇跡よりもふしぎなことなのであって、それは唯識論哲学に
おける存在の実体の無さ、一切諸法がただに『識』に帰すという思想によって表されている。
『本多は夢の生に対する優位を認識した』(天人五衰)
三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より
学習院高等科(旧制高校)は文科乙類(ドイツ語)で、卒業の時は文科の首席だつた。(中略)
首席の賞品として、精工舎製銀メッキ懐中時計を宮内省から頂いた。裏に「御賜」と彫つてある。
又来賓のドイツ大使から乙類の僕に原書の小説を三冊、ナチのハーケン・クロイツが入つてるのをもらつた。
この後で宮中に御礼言上に、当時の院長山梨勝之進海軍大将と共に参内した。霞町の華族会館で謝恩会があり、
これで学習院の卒業行事が終つた。
三島由紀夫
「学習院の卒業式」より
三島がバタイユに言及している文章を抜粋してもらえないか
三島由紀夫氏に初めて会ったのは昭和二十二年である。
三島氏の学習院時代の師であった豊川登氏の紹介によるものであった。当時、三島氏は渋谷に住んでいた。
初対面で心をうったのは彼の母倭文重さんの美貌だった。実に気高く美しい婦人だなあと思った。そして
三島氏が発した言葉で今もはっきり覚えているのは、「おかあさま、お客さまにお紅茶をお願いします」であった。
そしていろいろ語り合ううちに、「伊沢さんは保田与重郎さんが好きですか、嫌いですか?」との質問だった。
私は直ちに、「保田さんは私の尊敬する人物です。しかし、まだお目にかかったことはありません。御著書を
読んでいろいろ教えられている次第です。戦後、保田さんを右翼だとか軍国主義だとか言って非難するものが
ありますが、私はそのような意見とは真向から戦っています。保田さんは立派な日本人であり文豪です」と答えた。
三島氏は嬉しそうな顔をして「私は保田さんをほめる人は大好きだし悪く言う人は大嫌いなのです。今、
伊沢さんが言われたことで貴方を信頼できる方だと思いました」と言われたのである。これを御縁として、
しばしば面談するようになった。当時、三島氏は大蔵省の若手エリート官僚であった。そのため私は大蔵省へ
時おり三島氏に会うために通うようになった。
私は若手のエリート官僚に友人が何人か居たが、三島氏の立派な人格には心から惚れこんでしまったのである。
何しろ三島氏は天才的な作家であり東大法学部出身の最優秀の官僚であり乍ら、いささかも驕りたかぶるところがない
謙虚な人柄であった。そして義理と人情にあつい人であるということがわかったのである。
つき合えばつき合うほど尊敬の念が湧いてくるのであった。東大出の秀才というのは思い上った人間がよくいる
ものだが、三島氏には全くそのようなところがなかったのである。
伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より
この人は作家として偉大であるのは勿論だが、人格者として最高の人だと、つき合えばつき合うほど思うように
なっていった。その後、毎月のように三島氏と私は食事を共にし語り合ったのだ。(略)それと共に三島氏の
要望により私は歴史と教育に関する話をいろいろとするに至った。特に歴史では明治維新の志士について。
中でも吉田松陰や真木和泉守の精神思想を何度も望まれて話した。話と同時に松陰の漢詩と真木和泉守の辞世の和歌を
三島氏の強い頼みで私は朗吟したのである。三島氏は松陰や真木和泉守の話を私が始めると、和室であったため
座布団をのけて正座してしまうのだった。私も特に吉田松陰の最期の話をする時などは情熱をこめ、時には涙を
浮かべて語ったものである。三島氏は吉田松陰の弟子たちに贈った「僕は忠義をするつもり諸友は功業をなすつもり」
という言葉が大好きになったようだった。
その外では西郷隆盛の西南の役の話や、また尊皇派の反対の佐幕派の人物である近藤勇や土方歳三の話も何度となく
望まれて語った次第である。特に近藤勇は三島氏の祖母の祖父である永井尚志が近藤勇とは心を許し合った
友人であったため、深く敬愛の情を寄せていた様である。ついで乍ら記せば、永井は幕府の若年寄という重要な
地位にいた人で、アメリカの外交官であるハリスが尊敬の念を抱いていた程の欧米の事情に通じていた人物であった。
そのため後に私が主宰して行った近藤勇死後百年祭に真っ先に参加してくれたのだった。
三島氏が私に語った言葉で今も忘れられないのは、「私が日本を愛したのは源氏物語の世界だった。それが
伊沢さんとつきあう様になり幕末の志士たちの精神を知り、今は吉田松陰をはじめとする志士の世界に心が
入るようになった」ということである。
伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より
また或るとき私が、「三島さん、尊皇攘夷でなければならん。現代でも外国の思想によって、どれだけ日本人の
心が汚されているか計り知れないものがある。外国のいいところは進んで取り入れなければならないが、
功利主義の外国思想は打ち払わなければならないので、攘夷の精神を現代こそ日本人は堅持しなければならない」
と言うと三島氏は「その通りだ、あなたの意見に全く賛成だ」と言ってくれたのであった。
三島氏は死ぬ数年前から小説家三島由紀夫ではなく尊皇憂国の志士となっていたのである。三島氏の母の
倭文重さんは、この点をはっきり認めていた。三島氏が自決したことは日本だけでなく世界の文化にとっても
残念なことであるが、尊皇憂国の志を貫かんとしたので止むを得なかったのであろう。
偉大なる三島、高貴なる三島、この様な人は二度と現われてこないであろうと思う。
だが、悲しい、三島が死んだことは悲しい、今も生きていて呉れていたらいいなあと思う次第だ。
伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より
タイトル失念、カバーの取り出し口が半円状に抉れてて写真がいっぱいの
三島の本が売っていた。たしか300円くらい。買わなかったが。文学論集や
作家論もあったな。総じて三島の単行本て今でも安いよね。
>>123 安いのもあれば、80万近い値のもありますよ。
三島は殺傷の目的でやったとは思わぬ。これは覚悟の事件でおそらく自分の考えていることを完結させる必要上、
三島から言わせれば義挙の正当防衛として妨害を排除したのであろうと私は想像する。彼は非常な愛国者であって、
日本文学の声価を国際的にも高めているし、ともかく非常に天才的な作家であるということを考えて、三島君のものは
出来るだけ読むようにしている。私が三回会ったときの印象では文武両道の達人だという印象をもったが、特に
愛情の厚い人だということを非常に感じた。
実は新聞記者に内閣の考えを出せと執拗に責められたが、内閣側は黙して語らずで、官房長官もなんの発言も
しなかった。自分としてもこれはむしろ内閣官房長官が談話を発表すべきものであると思うが、止むを得ず
自分が新聞記者会見をやった。そして排撃の意思を強く打ち出したのだ。
誤解のため鳴りつづけの電話その他で、随分ひどい目に会った。
三島君が死を賭してもやらなければならんという問題については、私自身もかなり政治家としてショックを受け、
率直に申してその晩は実は一睡もしなかった状態であった。(中略)
もし実際に運動を起して蠢動するような部隊が出てきたら大変なことになると思い、断固としてあえて強い
語調の言明をしたというのが私の心境だ。
中曽根康弘
三島裁判の証言より
訴えんとするところは理解できるが、その行動は容認できない。三島君らの死の行為の重みに対しては、我々が言葉で
とやかくいってもとても相対しうるものではないと私は思う。やはり死ということは非常に深刻厳粛なることと思う。
これに対し口舌を尽すことは好まない。しかし他面死を以て行なった行為に対して、彼はなにかを我々に
言わせようと思って死んだのかもしれない。それを黙っているということは、死という重い行為に相対するに
適当なりやという煩悶も実はあるわけで、あれこれ私は熟慮の末、この法廷に出てきたのだ。
死は精神の最終証明である。たましいの最終証明は死である。精神というものは死ぬまで叫びつづけて
いなければならない。たとえ少数であろうとも。むなしいことかも知れないが、すぐはききめがないにしても、
歴史の過程において聞いてくれる人は出るだろう――そういう期待でやったのではないかと私は把握した。
三島事件とは美学的な事件、芸術上の事件ではなく、一個の思想上の事件であって、日本の思想史の上からみても
あとをひく問題になる。我々はやはり正直にそれを受けとめて、おのおのこの問題を自分で精神的に解決して
いかなければならない問題である。やった人間個人をにくむ気持はない。三青年(楯の会の)も別に情状酌量や
刑期の短縮を考えている人間ではないだろうと思う。私も情状酌量してくれとかなんとかいうことは申しません。
ただ彼らがなんでやったかということだけは十分に調べて正確に判断し、後世に示していただきたい。
檄の内容については、彼自身の祖国愛、一種の理想主義というか不易な精神、歴史的理想主義をここで鮮明にして
世を覚醒しようとした気持はわかる。我々も、これを十分にかみしめ消化すべきで、我々はこのことを回避したり
ごまかしたりしてはいけない。三島君は吉田松陰の
『かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂』、そういう気持でやったのだと思う。
私は彼と考えは違うけれどもその行動自体を憎む気持よりも、むしろいたわりたい気持だ。
中曽根康弘
三島裁判の証言より
安いってのは基本、売れた(売れてた)ということであって、
決して悪い意味じゃ。
てかなんにでも噛み付くなよwメンドクサイ。。。
もうおまえカエレ!!よw
130 :
吾輩は名無しである:2010/03/25(木) 02:13:39
>>106 その条件ならポッポは三島より優れている
しかし肝心なのは最終的なレベルだろう
その条件で比べても意味無いよ
海老蔵と三島が似てる件
新聞や週刊誌の中には、しごく単純に三島を異常性格者ときめつけ、最初から彼が自分の文学の主要テーマとして
選び貫いた同性愛をも風俗の眼で眺めたあげく、ホモだオカマだと立ち騒ぐ向きまであるのには一驚した。
死んだのは流行歌手でも映画スターでもない、戦後にもっとも豊かな、香り高い果実をもたらした作家である。
彼の内部に眼玉ばかり大きい腺病質の少年が棲み、あとからその従者として筋肉逞しい兵士が寄り添ったとしても、
それをただ劣等感の裏返しぐらいのことで片づけてしまえる粗雑な神経と浅薄な思考が、こうも幅を利かす時代なのか。
異常というなら、わけ知りの、ありきたりの、手垢まみれな説の援用でなしに、その淵に息をつめて身を潜め、
自身の眼でその深みの神秘をさぐろうとはしないものか。この一九七〇年代に、異常というレッテルを小抽出しに
張って、もうそっぽを向いていられる“正常人”がこれほど多いというなら、それこそが異常の証しであろう。
中井英夫
「ケンタウロスの嘆き」より
(中略)
ただ、あれほど感性すぐれた彼に、いま一言、突っこんで話をしたかったと思うのは、ぷよぷよとした肉体、
指で押すとちょっとの間はへこむが、またすぐ元に戻って知らん顔をする、さながら腐肉そのままの感触を、
何よりも徹底して憎悪していたのではないか。なぜそれを最後まで、ありのまま憎みとおさなかったかという
点である。「世の中すべて気に入らぬことばかり」にしろ、われわれを包んでいる情況の本質がそこにあり、
一番の敵がそれであることは三島も当然知りぬいていたので、この気持もまた、彼の死後にも変わらない。(中略)
芥川や太宰が、なぜ志賀直哉と長生き競争をしなかったのか、私には不思議でならない、というより、無理にも
そう思いたいのだ。三島にも、また。
中井英夫
「ケンタウロスの嘆き」より
三島は死ぬこと、さらに言えば意志的に死ぬことを欲した。
そのために彼の自己意識は何世紀もの意識を映し出すよう努め、彼の特異性は、もはや存在しないというあの
純粋な決断と一体となることで、より広い時間のなかに解体しようとした。
一つの生が完了をとげ、それと同時に、その生を結実させた一つの歴史を終了させた。
あの落日の短かく血まみれの光輝のなかに、自死の日本的伝統が要約され消滅したのだ。
モーリス・パンゲ
「自死の日本史」より
江藤淳は三島の自決は彼に早い老年が来たか、さもなければ病気じゃないかと言いましたが、トルストイの死に
「細君のヒステリイ」を見て悦に入る自然主義作家のリアリズム、いかにも分かったような、人生の真相は
たかだかこんなものという「思想の型」によく似ているといってよいでしょう。
そういえば三島事件後、俗耳に入り易い江藤流の原因説が数限りなく出ました。(中略)
私はいっさい関心を持ちませんでした。「細君のヒステリイ」に原因を求めて安心する現代知識人に特有の気質に
いちいち付き合っている気にはなれなかったからです。(中略)
江藤さんは抽象的煩悶などにまったく無縁な人でした。生活実感を尊重する自然主義以来の文壇的リアリズムに
どっぷり浸っていた人でした。
三島の悲劇は分からない人には分からないのです。縁なき衆生には縁なきことが世にはままあります。
西尾幹二
「三島由紀夫の死と私」より
小林秀雄の「文学者の思想と実生活」の結びに近い個所に次のような言葉があります。
「思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに
離別しようとするところにある」
その通りだと思います。「思想の力」は理想と言い替えてもよいでしょう。私は次にみる同文の結語を読んで、
昭和十一年にこれを書いた小林秀雄がさながら三島の自決を予見していたかのごとき思いにさえ襲われたほどです。
「エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を
投じた。狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである」
一九七〇年代の半ば頃に、私はギリシア哲学者の故齋藤忍随氏にお目にかかる機会がたびたびありました。
三島事件は氏の関心事で、開口一番、三島はエンペドクレスですね、と言いました。エトナの噴火口に身を
投じたこの古代の哲人は、ヘルダーリンが歌い、ニーチェが劇詩に仕立てた相手です。
歴史の中には「狂人の愚行」としか思えない完璧なまでの正気の行動があるのです。
西尾幹二
「三島由紀夫の死と私」より
いじめられっこの気持ちはしかし、
>>137 アオジロとあだ名をつけられたことが一時あっただけで、別にいじめられたわけじゃないけどね。
大袈裟に話を膨らませた奥野健男じゃあるまいし。
私はこの三年にわたって折にふれ三島とあってきたが、私がいつも感じたのは、彼は現存の日本人のうちでは
最も重要な人物だったということだ。当然のことながら、私には彼がその生涯の終わりにどのようなコースを
たどるかについては想像もつかなかったが、たとえその範囲は限られたものであるにせよ、彼はその
ダイナミズムと懐疑主義と好奇心によって日本の歴史に永久にその名をとどめる地位を占めるにちがいないと
確信していた。(中略)
三島の行動は、今日の日本の右翼の大物たち――その名前をあげる必要はあるまい――を、道化役者のように
見えるようにした。私と議論した一部の人々は、三島はその行動によって、笑止千万なピエロの役割を演ずる
ことになったと主張した。これに対し私は三島はピエロどころか、逆に他の人々をピエロとして浮かびあがらせた
――つまり、彼等をつまらない行動によって、金をもらいたがったりするようなピエロに仕立てあげたのだといいたい。
ヘンリー・S・ストークス
「ミシマは偉大だったか」より
三島を高く評価したい私の次の理由は、私の見るところでは、彼は日本の政治論争にこれまで見られなかった
深みをつけ加えた点である。(略)…三島を「右翼の国家主義者」といった言葉で片づけることはできない。
三島は「右翼」とか「国家主義者」とかいったレッテルを貼った箱に、絶対におさめることのできない人物である。
彼の思想の広さといい深さといい、そうした単純な分類に入れることを許さない。
三島が何をいわんとしていたか、それを一言にして説明するには、何か新しい言葉を見つけださなければなるまい。
三島について注目すべき理由はほかにもある。彼は今日の政治論争のすべてを公開の席に持ちだした――(略)
…これらの問題については、自民党の幹部たちは私的な場所でのみしばしばその意見を表明してきたのである。
しかるに三島は敢然として、政治家たちがこれまでおっかなびっくりで、私的な場所だけで取りあげてきた
政策論争を、公けの席に持ちだした。職業政治家になぜこれができなかったのであろうか。
ヘンリー・S・ストークス
「ミシマは偉大だったか」より
…三島を西洋に「説明」できるだけの資格を持つ西洋の学者は、ほんの一にぎりしかいない。しかもこれらの
学者たちでさえ、今までのところでは、三島をもっぱら文学者としてだけ扱い、彼の政治活動は重視していないようだ。
私はそれはあやまっていると考えるし、三島自身がなくなる二週間前に、これらの学者について語った言葉から
推察すると、こうしたあやまりは彼自身予想していたようだ。彼は英語でこう言っていた。「あの人たちは
日本の文化の中のやさしいもの、美しいものばかりを取りあげる」したがって外国の批評家に限っていえば、
三島が全く誤解されてしまう可能性はきわめて大きい。この国の政情の非現実性――国防の問題をトランプ遊びか
ポーカーの勝負をやっているかのように議論する国である――を、認識できる人はほとんどあるまい。(略)
…外国人は日本で自由な選挙が行なわれ、それに過剰気味なくらいおびただしい世論調査と言論の自由があるという事実こそが、
日本に民主主義のあることを物語っていると頭から信じこんでいる。三島は日本における基本的な政治論争に
現実性が欠けていること、ならびに日本の民主主義原則の特殊性について、注意を喚起したのである。
ヘンリー・S・ストークス
「ミシマは偉大だったか」より
アオジロ、立派ないじめだな
>>142 そんなこと一回か二回言われたくらいでいじめになるとは耐性なさすぎでしょ。神経症ですか?
>>142 ちなみにそう言われたとき三島は反撃してますから相手はたじろいで、それ以降は言われないし。
wwww
三島「僕はいつも思うのは、自分がほんとうに恥ずかしいことだと思うのは、自分は戦後の社会を否定してきた、
否定してきて本を書いて、お金をもらって暮らしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな。」
武田「いや、それだけは言っちゃいけないよ。あなたがそんなこと言ったらガタガタになっちゃう。」
三島「でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうことを言わなかった。」
武田「それはやっぱり、強気でいてもらわないと……。」
三島「そうかな。おれはいままでそういうことは言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ。」(略)
私は三島さんを懸命にナダめにナダめる武田氏に、つよい共感で(感傷的にも)涙ぐみたくなる。
しかし同時に、三島さんがもの書きとしての恥部をここまで口にする激しい自己意識に心をうたれずにいられない。
それはまたそっくり三島さんの社会への批判でもある。
田久保英夫
「天上の人」より
いろんな本から書き起こしやってる人一人なの?
三島に関する本全部読んでるの?
すごいね
いつも参考にさせていただいています。おかげで文献入手に失敗しなくなりました。
ありがとうございます。
知れば知るほど三島由紀夫というひとは奥深く、さまざまなアプローチはあれど、
いまだ、その全体像をつかむ評論はない気がします。
これだけの真摯な言葉を遺しながらそれらがじゅうぶんひろい集められていないというのは、
三島がそれだけ偉大だったといえばそれまでですけれど、
やはり、私を含め残されたものの不実ではないかとおもい、
非力ながら三島の遺した言葉を追う日日です。
「果たし得ていない約束」などを読むたび、現代、これほど真剣に生きたひとがいただろうか、
とかんがえると、いま現在の知識人・教養人とよばれるひとびとの、
迎合主義とだらしなさには怒りすら覚えます。
いいかげんで弛緩した表現が「日常を切り取る」だとか「リアル」などと称揚される、
小説をめぐる現在の状況から漂う垢と腐敗の臭いには堪え難いものがあります。
149 :
吾輩は名無しである:2010/03/29(月) 14:41:21
猪瀬直樹著、ジミーの誕生日には三島由紀夫関連のことはありますか?
みなさんが最近読んで参考になった本を教えてください。
事件が三島の思想的限界でもあったろ。
何でもかんでも一通りの理解はあるが、自分自身の思想ではないからな。
151 :
吾輩は名無しである:2010/03/29(月) 15:38:01
他人の思想で死ぬほど三島は阿呆では無いで症ね〜(笑)
152 :
吾輩は名無しである:2010/03/29(月) 16:42:31
思想で死ぬ(笑)
『憂国』を見たら、三島の自決の意味が良く分かるんだよな。
徴兵逃れのアオジロ君の苦悩。
三島事件の直後、新聞記者たちの質問は、三島の行動が日本の軍国主義復活と関係あるか、ということだったが、
私の反応は、ほとんど直感的に「ノー」と答えることだった。
たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい
国家意識の守護神と目されるだろう。
いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、
それを成し遂げたことを知ることができる。
エドワード・サイデンステッカー
「時事評論」より
三島由紀夫の仏教理解が、いかに徹底したものか。
三島は決して、そこらへんの日本人がやりたがるように、『般若心経』の解説なんぞはしない。宗教音痴の
日本人に仏教の神髄を理解せしむるために、『ミリンダ王の問い』を(「暁の寺」で)引用し解説する。
これのみにて三島の仏教理解の深さ、はるかに日本人を超えていると評せずんばなるまい。(中略)
阿頼耶識も、実体として存在するのではなく、つねに変化のなかにある。刹那に生じ刹那に滅する。
実体として存在するものは何もない。「万物流転」である。
このありさまを、(略)…三島由紀夫は、(「天人五衰」で)海の波で表現している。
…仏教における因縁のダイナミズムを、これほど見事に表現した文章をほかに知らない。
唯識論の視点から見るならば、阿頼耶識は水、その他の識を波、縁を風だとすればよいであろう。
唯識論入門として、(「暁の寺」は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。『倶舎論』を理解するのには
三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。それが僅か三島由紀夫の作品では
十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
「五十になったら、定家を書こうと思います」三島由紀夫は、友人の坊城俊民氏にそう言った。
「…定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」
神になった定家。それは三島由紀夫にほかならない。(中略)
三島由紀夫は「定家はみずから神になったのです」と話している。
これは何を暗示しているのだろうか。
仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。
亡霊をシテにして、いわば恋を回想させる夢幻能は、能の理想だといわれる。死から、生をみるのである。
時間や空間を超えたものだ。
三島由紀夫が、定家を書こうと考えたとき、やはり能の「定家」が頭にあったに違いない。
現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は
生の世界にも立ち入っていた。
定家は神になって、生の世界に立ち入ろうとした。そう考えた三島由紀夫ではないだろうか。
生の世界にあっては成就できない事柄を、死の世界に往くことによって可能たらしめようとしたのが、三島由紀夫だった。
…死の世界で「生きる」三島なのだ。
(中略)あえて死の世界へ往き、守ろうとした存在があったのだ。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
(中略)近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。
人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。
三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。
作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、
この世への「見返し」を選んだ。
五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイな
ものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。
小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より
コピペで流すな、コピペで。
>>158 流すって?何を?あんたの煽りなんかマンネリすぎて別に今更何とも思わないけど。
自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかもしれない。
むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方を完全に一致させて
しまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。
知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。
ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。
いずれにしても、単なる作品評などでは片付けてしまえない、大きな問題をはらんでいる。作家の姿勢として、
ともかくぼくは脱帽を惜しまない。
安部公房
「憂国」より
>>160 「憂国」なんて三島ファンや研究者ならほとんど誰でもすでに見てるし。
それだけで解った気になってるあんたみたいなバカはいませんけどね。
163 :
吾輩は名無しである:2010/03/29(月) 18:06:31
>>147 2ch全板の三島スレにコピペしてるようだ
たまに関係ないスレにも貼ってるが、荒らし扱いされてるな
ニートか主婦か知らんが、どちらにしろ気味が悪い執着ぶりだよ
164 :
吾輩は名無しである:2010/03/29(月) 18:12:26
>>162 研究者でもファンでもないボクらも見たいのさ。
ここはひとりのどなたかが書き込みをしてくださっているのでしょうか。
貴重な情報がたくさんあり、とてもありがたく感じています。
三島が芸術家として一流であったことはいうまでもありませんが、
思想家としても驚異的に群を抜いていたことは、ひとびとにもっと認識されるべきだとおもいます。
認識されているのかもしれませんが、「賢い」ひとびとは、あえてそれを口にしません。
しかしそれは、「風車を相手に戦」うことを選ばざるを得なかった、
その帰結すらおそらく予想し、けれどもあえてそれを選んだ三島の純潔な精神にもとることは明白です。
中途半端な利口さほど罪深いものはありません。
そしてさらに、彼の中には、現代に通じる諸問題系が詰まっています。
彼の死の後に生まれ、しかも頭が悪いのが残念ですが、
わたしは、一生かけて、彼の遺したことばをひもといてゆくつもりです。
とても心のこもった貴重なご意見ありがとうございます。
私も知れば知るほど、こんな稀有の才能の人が日本にいたなんて驚きです。
彼の作品は教科書などでもほとんど扱われず、大衆世間的には抹殺あるいは矮小化されて、
くだらないゴミみたいなタレントや自称ジャーナリストや成金が図々しくのさばってるのが、
今の日本の、まさに三島の意図した天人五衰なんだと思いました。
>>163 私は全く関係ないスレに貼ったことなんかありません。荒らし扱いされるほど関係ないスレに執着したこともないよ、あんたじゃあるまいし。
私以外の人もコピペしてるのをニュー速で見たことあるけど、特に荒らし扱いされてませんでした、三島嫌いが反発してただけでね。
169 :
吾輩は名無しである:2010/03/29(月) 19:58:23
決起に乗り遅れた2.24の青年将校の気持ちだったんだよね。
あのクーデター未遂が戦前の日本に与えた影響を考える
べきでは?
だからw 閉じてんのは来んな場が淀む。
#つまりはこんなカリカチュア。
なんとなく(…でもなしにww)わかるっしょ? キツさ。
愚かさは醜い。どうあっても、憎まずにはいられない。
>>169 二月二十四日なら
まだ決起に間に合ったはず
173 :
吾輩は名無しである:2010/03/29(月) 21:37:28
2.24とは 藁貸し増すねぇ〜(笑)
ベルリンのシンポジウムはどうなったの?
175 :
吾輩は名無しである:2010/03/29(月) 21:51:10
2.30よりはましだろうw
自己中の三島が、2.26事件の将校・兵隊達のように、農村の疲弊といった
下々の者たちの困窮に、義憤を覚えて決起するとはとても思えない。
あくまでも自分が気に食わないといった、浅薄なお坊ちゃん的な理由でしか動かないだろう。
>>176 お坊ちゃん育ちだから、金持ちだから性格が悪い、自分勝手だ、というような偏見しか持てないあなたが浅薄な人間でしょう。
われわれの死には、自然死にもあれ戦死にもあれ、個性的なところはひとつもない。しかし死は厳密に個人的な
事柄で、誰も自分以外の死をわが身に引受けることはできないのだ。死がこんな風に個性を失つたのには、
近代生活の劃一化と劃一化された生活様式の世界的普及による世界像の単一化が原因してゐる。
ところで原子爆弾は数十万の人間を一瞬のうちに屠(ほふ)るが、この事実から来る終末感、世界滅亡の感覚は、
おそらく大砲が発明された時代に、大砲によつて数百の人間が滅ぼされるといふ新鮮な事実のもたらした感覚と
同等のものなのだ。(中略)
原爆の国連管理がやかましくいはれてゐるが、国連を生んだ思想は、同時に原子爆弾を生まざるをえず、
世界国家の理想と原爆に対する恐怖とは、互ひに力を貸し合つてゐるのである。
三島由紀夫「死の分量」より
交通機関の発達と、わづか二つの政治勢力の世界的な対立とは、われわれの抱く世界像を拡大すると同時に
狭窄にする。原子爆弾の招来する死者の数は、われわれの時代の世界像に、皮肉なほどにしつくりしてゐる。
世界がはつきり二大勢力に二分されれば、世界の半分は一瞬に滅亡させる破壊力が発明されることは必至である。
しかし決してわれわれは他人の死を死ぬのではない。原爆で死んでも、脳溢血で死んでも、個々人の死の分量は
同じなのである。原爆から新たなケンタウロスの神話を創造するやうな錯覚に狂奔せずに、自分の死の分量を
明確に見極めた人が、これからの世界で本当に勇気を持つた人間になるだらう。
まづ個人が復活しなければならないのだ。
三島由紀夫「死の分量」より
180 :
吾輩は名無しである:2010/03/30(火) 18:02:17
そうそう、22.6だった。
>>178 >死がこんな風に個性を失つたのには、近代生活の劃一化と劃一化された生活様式の
>世界的普及による世界像の単一化が原因してゐる。
近代国民主義のせいではないのか?
世界画一化、商業化、グローバル世界のせい
182 :
吾輩は名無しである:2010/03/30(火) 22:58:17
近代合理主義批判と取っても良いぞ。
彼と知り合いになったのが、彼の十七、八歳の頃で、それからの数年、昭和二十四年七月、文壇的処女作とも
云っていい「仮面の告白」を書き出し、出版する頃までは、お互いに、文学に志し、文学で身を立てようと
励まし合い、刺激し合い、くどくつき合ったものであった。尤も、私は彼より十歳近くも年長であったが。
富士正晴氏は次のように「思い出」を語っている。
「三島と知り合ったきっかけは、伊東静雄の紹介によってやな。(略)伊東が『三島の本を出してくれへんか』
というので、七丈書院に三島を呼び出して会った。来たのは、えらい頭のデカイ目玉がギョロギョロした、
ゲジゲジ眉毛の長い色の青い少年やったけど、語る言葉は上流コトバ。(略)その足で林富士馬のところへ
連れて行ったんやが、林が『ビールでも飲もうか』といったら『私は外では飲みません』というのを、甚だ
きれいなコトバで云ったんやが、それで林はゾッコン参っちゃったんや」富士氏の回想に間違いがないなら、
私は三島君と知り合いになった当初から、三島君の拒絶にあっているわけだ。生涯、私はその三島君の拒絶に
心惹かれていたのかも知れない。
併し、その日常生活のなかで、知り合いになったばかりの三島君は、大変素直な、律義で、礼儀正しい、幾分
世間知らずの大人びたところもある少年であった。ひととはなしをする時、凝っとまともに正視した。
その当時の他の私達の仲間の、どこか、くずれたようなところ、だらしないところは微塵もなかったのが、
ひどく印象に残っている。当時、既に私は妻子持ちであったが、部屋によちよちと歩いて入って来る子供を、
三島少年は熱心にあやしたのを、そのいじらしい少年の姿を、不思議な思いで眺めていた。(中略)
私は他の私の年少の仲間を紹介し、毎日のようによく遭い、それでも手紙を書いた。私達はやがて、誰でもが
お召しを受け、血腥い戦場に遠征することは解っていたので、明日のない一日一日を、如何に文学だけを信じ、
それに縋って、一日一日を生きるか、ということに肝胆を練っていた。(略)仲間の一人、一人、戦場に
出掛けて行ったが、私達は謄写版で、五十部くらいの部数の同人雑誌を編みつづけた。それが私達の
レジスタンス運動であった。
林富士馬
「死首の咲顔」より
(中略)
テレビの画面にあなたが七生報国と書いた白い鉢巻をしめ、「楯の会」の隊長の正装で、バルコニーから、
演説をしているのが見えた。それは演説というより、手を挙げて叫んでいる姿が見えた。声は聞こえない。
(略)三島君の身体は、傾くようにして動く。唇がはっきり見える。からからに乾いた舌が見えたように思った。
(略)併し、そういう画面だけが映し出されて、声はすこしも聞こえないのが却って、印象に鮮やかである。
三島君が、何を必死に訴えようとしているのか、勿論、こっちには、さっぱり判らないが、(略)コップ半分の
水でも、手渡すことが出来たら、自分自身が、どんなに楽になるだろう、(略)そんな思いがちらちらして、
数日間は安眠出来なかった。(略)
可哀そうな三島君、強情っぱりの三島君よ。(略)私が水を差し出しても、あなたはまた拒否しただろうか。
あなたのような憂国の士ではないが、私もつくづく、世の中が、近頃の人の心と云うものが味気ない。
(中略)
三島君の人生も作品も、あんまりひと筋で、そこに余裕がなかったので、私はむしろ、それを三島君の擬装とし、
遊びとして受けとろうとしていたようだ。そこで遠慮なく揶揄し、あなたの文学は新官僚派の文学ではないかと
悪口を云った。あなたは少しも弁護しなかった。弁護などすることが、男らしくないと思っていたのだろう。
腹の底では、腹を立て、ほんとうに理解する人のいないことを、くやしがっていたのだ。
併し、いまになってみると、あの人は、どんな作品に於いても、エッセイ、評論、日記、又、どんな座談会の
尻っ尾ででも、素直に、右顧左眄することなく、手を振り、声を高くして、おのれを語り、決意を云っていたのだ。
擬装などと、どうして私は受けとっていたのだろう。
いまになって、「仮面の告白」という文壇に登場して来た時の作品のほんとうの意味が判ったような気がする。
林富士馬
「死首の咲顔」より
あの仮面は、「素顔」に対しての「仮面」ではなかった。告白するために「仮面」を使用したのではなかった。
「失われた世代」の一人として、私が在来の文学現実で考えていた「素顔」などを、既に喪失した人間として、
持ってはいなかった。その悲しみを、いっしんに訴えていたわけである。ほんとうの意味の新しい世代、
戦後派文学のほんとうの意味が、あそこにあったのだ。あの人は、仮面しかない悲しみを、一生懸命、文学の
世界に定着させようとしていた。(中略)
人間はいつでも、告白をするとき、うそをついて願望を織り込んでしまう。それを潔癖に嫌悪した。文学という
ものは、あくまで、そうなるべき世界を実現するものだと信じ、作品における告白は、実は告白自体が
フィクションになっていた。(中略)
三島君の文学を一口に云うと、明治、大正、昭和の三代の近代日本文学にあって、はじめての意識された世界的
作家であったことではないか。
(略)その世界的作家としての気宇について云えば、その処女短編集「花ざかりの森」の後記に、少年らしい
気負いで、「そして、戦後の世界に於て、世界各国人が詩歌をいふとき、古今和歌集の尺度なしには語りえぬ
時代がくることを、それらを私は評論としてでなく文学として物語つてゆきたい」と、既に決意している。
又、それを獲得するために、どんなに刻苦勉励の一生であったか、その忍耐と憎悪と愛情とを思うと、胸が痛い。
彼は決して、器用な人でも、器用な作家でもなかった。人の知らぬ屈辱のなかで、男らしく愚痴を云わずに、
ひとり、たたかっていたのである。(中略)三島君の突然の死が白日夢の如く報ぜられる数日前、私は東武デパートで行われている三島由紀夫展に行った。
(略)いろんなものが、小学校時代の通信簿や図画や習字などまでが陳列してあった。(略)「文芸文化」
という戦時中の雑誌、そこに三島君の処女作とも云える「花ざかりの森」が発表された雑誌の終刊号が、
ガラス・ケースのなかに、見ひらきにして飾ってある。
林富士馬
「死首の咲顔」より
その見ひらきの左の方は、三島君の「夜の車」という作品の書き出しになっているが、右の方の一頁は、私の
「終焉」という詩になっているのだ。(略)
終焉
(略)道義の退廃と、忍従に姿が似てゐる無気力とに、詩人が身を以て弾劾と警告を発することをしないで、
誰れがこの危機の時代の、この任務につくひとがありませうか?
いまはなにを歎く?
逝く水の流れよ
ただ汝れ漲るやいなや
かの清らかなひとを慕ひ
遠く いまこそ山林に退き
立木の紅葉に雑つて
なほも燃えてゐたいのだ
以上のことがあってから数日して、私は青天の霹靂の如くに、あなたの激烈な死に出逢ったのだった。
林富士馬
「死首の咲顔」より
三島由紀夫の憂国による割腹自殺は、敗戦に際し国体護持を念じてピストル自殺をとげた蓮田善明の影響だろう
……とは、由紀夫の少年時代のシンパだった富士正晴氏をはじめ、大久保典夫氏その他の推量である。晩年の
由紀夫に、蓮田善明伝の序を頂戴するという特別のかかわりを持った私は、あながちその推量を否定しえない。
(中略)善明が由紀夫を「われわれ自身の年少者」という親愛な言葉で呼び「悠久な日本の歴史の請し子」と
仰望をしたのは、まだ由紀夫が学習院中等科五年生の昭和十六年九月だった。(中略)
「われわれ自身の年少者」という愛称と、正体をわざと明かさぬ思わせぶりな語韻のどこかには、まるで
お稚児さんにでも寄せるような愛情がぬくぬくと感じられる。まことこの日頃、由紀夫を伴い、林富士馬氏と
一緒に善明を尋ねたことがある富士正晴氏は、帰りに善明がわざわざ駅まで見送ってくると、まるで恋人が
別れの際にするような別れたくないといった感情を、あらわに由紀夫に示したのを見ている。
又、由紀夫の方も、「花ざかりの森」を発表したのを契機に、たびたび寄稿を許され、あまつさえ同人の集まり
にも出席を認められた。そして同人の(略)栗山理一氏に対しては大人のシニシズムを感応しているが、特に
善明には「烈火の如き談論風発ぶり」に、男らしさと頼もしさを感じたのだった。
当時、由紀夫は十七歳、善明は三十八歳だった。善明は由紀夫の十七歳に、己の十七歳を回想したであろう。
善明も人一倍に早熟だったからだ。彼は中学の学友丸山学と刊行した回覧誌『護謨樹』に、すでに次のような
老成した人生観を述べていた。(引用略)
敗戦で自決した覚悟の決然さの萌芽は、すでにこの少年の日にできていたのである。この善明の悟達は、
十五歳の歳一年間、肋膜炎で瀕死の床にあった経験から、死を凝視める習慣がついたものだった。
小高根二郎
「善明と由紀夫の黙契」より
(中略)善明の「死から帰納した生涯」と由紀夫の「椿事待望」の早熟な資質は、やがて「死もて文化を描く」
という夭折憧憬につながるのだ。換言すれば、それは「大津皇子」と「聖セバスチャン」の邂逅――殉難の
讃仰なのである。
大津皇子は朱鳥元年(六八六)父天武天皇が崩御してから一ヶ月も経たぬうちに決起を思い立った。(中略)
「『予はかかる時代の人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。……然うして死ぬことが今日の
自分の文化だと知つてゐる』(大津皇子論)
この蓮田氏の書いた数行は、今も私の心にこびりついて離れない。死ぬことが文化だ、といふ考への、或る
時代の青年の心を襲つた稲妻のやうな美しさから、今日なほ私がのがれることができない…(略)」
(三島由紀夫「蓮田善明とその死」序)
由紀夫の決起への啓示は、ここに発していたのかもしれない。
(中略)
元旦の夜、楯の会と浪漫劇場のごく親しい人々が三島邸に集まったとのことだ。(略)談たまたま亡霊談義に
なるや、(略)由紀夫の左肩のあたり、顎紐を掛け刀を差した濃緑の影が佇んでいるのを、丸山明宏氏が
発見したということだ。「あッ!誰か貴方に憑いてます」と丸山氏が注意すると、由紀夫は真顔になって、
「甘粕か?」と問い、たて続けに二三の姓名を上げ、最後に二・二六事件の磯部の名をあげた由である。
同席の村松英子さんは丸山氏に亡霊を追払ってくれと要請した。すると由紀夫は笑って、『豊饒の海』が
書けなくなるから止めてくれといったという。
私はこの記事を読んで冷水を浴びたように慄然とした。丸山氏の記憶せぬ二三の姓名の中に、間違いなく善明の
名も入っていたはずだからだ。と、いうのは、その日頃、由紀夫は拙著『蓮田善明とその死』の序を執筆して
いたか、執筆すべく構想をしていたからだ。
小高根二郎
「善明と由紀夫の黙契」より
執筆にあたって彼は、当然シンガポール近くのゴム林に眠っている善明を想起し、その霊を呼んだろう。(略)
そういえば善明は前にも海を渡って帰ってきた。昭和二十年八月十九日、敗戦の責任を天皇に帰し、皇軍の
前途を誹謗し、日本精神の壊滅を説いた職業軍人・上條大佐をピストルで射殺し、かえす筒先で己がコメカミを
射抜いて果てた善明は、その時の完全軍装の姿で熊本県は植木町の留守宅に帰ってきた。明け近く、青蚊帳を
透かし、縁の外に佇んでいる夫をみつけた敏子さんは、「おかえりなさい」と挨拶した。善明は佇んだままだった。
「どうなさいました。お入りなさいまし」というと、前にくずおれるように姿はかき消えた。
その善明が、由紀夫の決起を知って帰ってこぬはずはない。
二人の合言葉は、『英霊』の「などてすめろぎは人間となりたまひし」であったはずだ。そう、私が夢想し
思量するのも、或いは絶作『豊饒の海』の輪廻転生の示唆なのかもしれない。
小高根二郎
「善明と由紀夫の黙契」より
小高ってほんと
感傷的なだけのオナニーバカ文章量産してるね(笑)
>>190 日本人の苗字と名前が判別できない外国人?
三島の死の真相知らないバカは
勝手に妄想膨らまして三島に自分勝手な思いを付託して
よくこういうオナニー駄文を綴って平気でいるねw
>>193 小高根を小高なんて間違える朝鮮人中国人もどきの日本語力しかないあんたよりは、少なくとも信用できますよ。
三島の著作も一つも読まずに、ネットでガセネタ拾ってるだけのあんたよりはね。
だいたい「真相」なんて言葉を軽々しく言ってる時点でバカ晒してるし。
それぞれの「解釈」があるだけだから。
>>194 小高も根もシラネーよ誰もw
なんそんな必死なの?wwwww
>>194 いや、カッコつきじゃなく、真相知らないんだよお前(笑)
感動した文章必死で書きうつしたら
オナニーとののしられ
ファビョったでござるの巻
>>196 真相なんて他人に解るわけないんだから、それぞれの解釈があるだけ。
解釈にすぎないものを真相とか言う時点で、文学板にいる資格すらないバカでしょうよ。さらに一般人より劣るバカだよ。
いや、小高はバカだよ(笑)小高wwwwwwww
文だけでわかるww
自分は憂国の士のつもりだろうな
こういうバカウヨが日本をだめにしてる
三島の憂国がオナニーなのと同じだよ
>>198 だからバカなんだよお前はw
真相を知るのが怖いだけだろ。
ハッキリ言えるのは、お前や、小高(笑)が漠然と想像してる三島の死は
全然事実の三島の死とは、
違 ・ う ・ の(笑)
>>199 何をそんなに必死になんでもかんでもウヨだとかレッテル貼って、その目線でしか内容を読めないの?あんたが妄想バカでしょうよ。
>>200 はあ?何言ってんの?
あんたが三島を恐れてるだけにしかみえないけどね。だから必死にガセネタや捏造レベルでしか対抗できないんでしょ。
少しはまともな意見くらい披露すれば?
日本は、外国から一人前の国家として扱われていない。国家も、人間も、その威が行われていることで、
はじめて国家であったり、人間であったりするのであって、何の交渉においても、外国から、既に、尊敬ある
扱いをうけていない日本は、存在していないのと同じである。そんな国の下で平和を歎び、春夏秋冬口に入る
果物、野菜を讃へ、牛肉、鶏、(それらはすべて、体の中に蓄積されれば死の危険のある物質を含んでいる)を、
巴里の料理人を雇って来て料理させているレストランで会食して、得々としている、滑稽な日本人の状態を、
悲憤する人間と、そんな状態を、鈍い神経で受けとめ、長閑な笑いを浮べている人間と、どっちが狂気か?
このごろの日本の状態に平然としていられる神経を、普通の人間の神経であるとは、私には考えられない。
議会の討論を聴いても、新聞を読んでも、私には日本の政府が暗愚だ、というよりも、狂気しているとしか
思われない。
私が三島由紀夫の怒りを見て、子供以上の純粋に感動したのは当然である。
森茉莉
「気ちがいはどっち?」より
岡潔:三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、天皇制が
大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやって
みせているし、本当に偉い人だと思います。
Q(編集部):百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?
岡潔:間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも
間違った個人主義、民主主義なんかを、不滅の真理かのように思いこんでしまっている。
ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。
かなり影響はあったと思います
岡潔「蘆牙」より
…むごいよね(苦笑
斯様にも人間は、その出来に左右されてもしまうという。
たとえこのたびの事件が、社会的になんらかの影響をもつとしても、生者が死者の霊を愚弄していいという
根拠にはなりえない。また三島氏の行為が、あらゆる批評を予測し、それを承知した上での決断によるかぎり、
三島氏の死はすべての批評を相対化しつくしてしまっている。それはいうなればあらゆる批評を峻拒する行為、
あるいは批評そのものが否応なしに批評されてしまうという性格のものである。三島氏の文学と思想を貫くもの、
それは美的生死への渇きと、地上のすべてを空無化しようという、すさまじい悪意のようなものである。(中略)
恋愛結婚を人々が夢見ていたとき、結婚の夜に情死をとげる『盗賊』は、なんと悪意にみちた時代への挑戦で
あったろう。また、文学上の誠実主義が“自己確立”の名のもとに謳歌されていたとき、『仮面の告白』は、
なんと反時代的な作品であったろう。あるいは、人々は戦争の危害について語っていたとき、「金閣とともに
滅びうる幸福」を語った『金閣寺』は、なんと不吉な夢に貫かれていたことであろう。
三島氏が『憂国』あたりを境にして、急速に変貌したという見解を、私はほとんど信じることができない。(略)
三島の宿命は、すでに『仮面の告白』において、ほとんど予定されていたといってもよい。仮面の背後にある
空白が、いわば“太陽神”の欠落であるなら、それがやがて『林房雄論』や『英霊の声』となって蘇生する
ことは、なかば必然といってもいいものであった。“太陽神”が失われたとき、あの東京の廃墟の上に広がって
いた青空には、夥しい日光の氾濫があった。(略)廃墟の太陽への偏執は、やがてギリシャの廃墟の夥しい
陽光の氾濫に接続する。そして氏は、人間性という名の自然を否定するために、“肉体”を“鉄”のように
鍛える道を選んだのである。(略)三島は徹底して明るさに固執した作家であった。その明るさは健康優良児の
明るさとは、まったくの対極をなすものであった。それは“鉄の悪意”を秘めた明るさ、あるいは悪意を証明
するためには、死をも辞さないような、鉄の意志に裏づけられた明るさである。
磯田光一
「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
(中略)氏にとって天皇とは、存在しえないがゆえに存在しなければならない何ものかであった。それは氏の
“絶対”への渇きの喚び求めた極限のヴィジョンといってよく、もし氏がそこへ向かって飛翔するならば、
ただちに地上に失墜するであろうことを、氏は『イカロス』という詩に述べているように、どこまでも知り
ぬいていたのである。
三島氏にとって必要なこと、それは「戦後」という時代、あるいはストイシズムを失った現実社会そのものに、
徹底した復讐をすることであったと思われる。イデオロギーはもはや問題ではない。自衛隊も、自民党も、
共産党も、氏の前には等しく卑俗なものに見えたのである。この精神の貴族主義者にとって、いったい不可能
以外の何が心を惹いたであろうか。思えば氏の不可能への夢、あの「青空による地上の否定」は、典雅な
造形力によって、作品のなかに封じこめられた。その危険な思想、不可能への渇きは、優に氏を“危険な思想家”
たらしめるに十分であった。
(中略)現世には仮構としての生活しかありえず、その「嘘偽の本質」を愛するほかはない。すでに世間的には
スタアであった三島氏は、その「嘘偽の本質」を、あるいは嘘偽のパラドックスを、どれほど深く愛したこと
であろう。その「嘘偽」の背後にある本心、それはあの“太陽神”の生きていた時代にたいする渇きである。
その渇きの基底にあるのは、いうまでもなく『葉隠』につながる日本的なラジカリズムの精神である。それは
いうなれば、有効性の彼岸にあるがゆえに聖なるもの、また聖なるがゆえに地上の汚濁に染まってはならない
ものであった。(略)この『葉隠』にたいする二重の自覚は、いうまでもなく“太陽”と“鉄”との二重性に
通じている。氏の渇きの喚び求めた、あの極限像としての“太陽神”は、つねに“鉄の悪意”に裏づけられた
ものであった。それは「戦後」という時代に向けられた悪意、あらゆる微温的な偸安にたいする悪意である。
(略)そして無効性を承知の上で、不可能性の一端を“死”によって可能に転化したとき、氏の“鉄の悪意”は、
ほとんど完璧な意味において、時代の偽善にたいする批評と化する。
磯田光一
「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
遺作『天人五衰』の結末部に出てくる鼠の自殺のエピソードは、三島氏がどれほど醒めきっていたかを証して
余りある。(略)その自殺によって、猫や鼠の世界に大きな変動が起こりうるであろうか。猫がその奇妙な
鼠のことを忘れて、なおも偸安をむさぼっていることを、三島氏ははっきり書きそえている。いいかえれば、
氏は自分を愚かな鼠に擬したとき、氏にたいするいっさいの批評の無効性を、氏みずから確立してしまった
のである。この驚くべき自意識の屈折、残忍なまでのダンディズム、あらゆる批判の可能性を封じた鉄の悪意と、
不可能に挑んだこの倨傲。(中略)
“太陽神”の実在していた時代に、どうして不可能への渇きが必要だったであろう。また、戦後精神の
極限としての“鉄の悪意”なくして、どうして現実の戦後文化を軽蔑しつくすことができたであろう。(略)
三島氏には、死ぬというより死んでみせることが必要であった。そのかぎりにおいて、私小説家の追いつめ
られた生活演技とも、明確な一線を画している。政治的・外在的批判は別として、いったいここまで意識化
された死に、どんな批判が可能であろうか。
磯田光一
「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
209 :
吾輩は名無しである:2010/04/03(土) 01:09:16
今日スカパーでからっ風野郎見た
小さいねぇ、若尾文子より10cmは小さかった
演出で身長わからないように気を使ってたけど隠しきれない
それで頭が大きいのと、足が少し萎えたように曲がってるのとで
奇形に見えなくもない。
どれほど苦しんだろう胸が痛くなった
身長は多分150cmあるかないかだね。
210 :
吾輩は名無しである:2010/04/03(土) 01:29:03
グラムシだね。最後は同志からも結局奴はセムシだと言われたように
三島もチピだチビだ言われ続けて、肉体を早く滅ぼしたかったんだろうな
老いを見せず夭折には遅すぎたが
そこに自らの回生を託したんだろう。
平岡公威 身長162,2p
(同学年全国平均値158,8p)
身体測定記録表より(昭和16年4月22日)
平岡公威 身体163,1p
身体測定記録表より(昭和17年4月13日)
その遺書をよんだ時、同志の青年に対する心遣ひの立派さに私は感動した。三島氏の思想行為については、
今のやうな状態でも、私はなほとかくのことをいふことが出来る。並んで自刃した森田必勝氏については、
この青年の心を思ふだけで、ただ泪があふれ出る。むかしからかういふ青年は数量上多数といへないが、無数に
ゐたのである。かういふ見事さがあるといふことだけを示した。何も残さぬものが、永遠と変革と創造を、
流れにかたちづくつてきたのである。(中略)
三島氏は内外の人心の悲惨や荒廃のありさまを、優秀な文学者の直感で、我々の知らない不幸まで了知し、
人道滅亡の危機をひしひし感じてゐたのであらう。彼の近年の思想上の急激な上昇現象には、第一義の高尚な
原因がある。彼の政治論は、今日の時務論の次元でよめば全く無意味である。しかし彼は清醇な本質論を、
汚れたけふの時務論のことばでいひ、卑しい政治論の次元から説き起さうとした。私は身のつまる思ひがする。
三島氏の描いた両界曼荼羅の金剛界は華麗無変の美文学だつたが、胎蔵界の解では、最も低級なものや、
人でなしまでも相手にせねばならぬと自身思ひ定めた。一見この空しい努力は、世俗といふ誤解の中へ投げ
だされてしまふ。しかし彼の思ひをこめたことばと振舞は、最も純粋に醇化された時の人の心の中で、人々の
かなしみをかきたて、さらにおびただしい若者の心に、考へることの無用な光りを、明りをともした。
偽りのもの、汚れたもの、卑怯なもの、利己主義なものは、皮相的な恐怖から、ありきたりのことばの罵倒を
しても、それによつて自己のいつはりと不安をうすめることは出来ない。無視するといふものは、沈黙して
無視しきれぬ卑怯な弱者である。正気の人はこの日民族の歴史をわが一身にくりたたんで、ものに怖れるべきである。
いつはりと卑怯に生きてきたものは、己の不安と恐怖の原因をしかと見つめることが出来ない。憎悪と猜疑しか
知らなかつたものは、明らかに最も怖れてゐる。
保田與重郎
「眼裏の太陽」より
三島氏の心は、正実な者の間の戦ひを信じつづけてきたのであらう。しかし詩人のゆゑに英雄の心をやどした
稀有の文学者は、古来、詩人や英雄のうけた宿命の如く、最も低い戦ひにつかれ、いやしい下等な敵に破れた
のである。その死の瞬間に、眼うらに太陽を宿すといつたことばの実現を、私はただちに信じる。私は真の文人の
いのちをこめた言葉を、絶対に信じるのである。実証主義の人々は、死を如何ほどに描いても、死の瞬間は
わかるものではない。甦つた者のことばはその瞬間の証ではない、死んだ者のことばはきくすべがないといふ。
しかし秒で数へられる時間の彼方の未知といふことの方を何故怖れないのか。
三島氏は自衛隊を外から見聞してゐたのでなく、内に入つて見てきたのである。まことに誠実の人である。彼の
旧来の不思議な奇矯の行為も、誠実の抵抗ないし反俗行為として解釈すべきところと私は思ふ。身丈を越える
程の著述を残した人の片言隻句をとり出せば、どんな愚かな低い形にも三島氏の像をつくることが出来る。
それはつくつた者のいやしさの証にすぎない。
最終の振舞ひについての、もつともらしい見解も同じ方法で示せるだらう。さういふ見解は自分自身の低い次元の
卑屈な処世観となつても、森田青年のやうに、先人を越えてゆくものの心とは何のかかはりもない。森田青年の
心は、日本の正気だつたから、無言にして日本の多くの若者の心に今や灯をともした。このことを疑へる程の
無知のものは、卑怯と欺瞞の中にはないだらう。卑怯と欺瞞はインテリを必要とし、世間の無知ではないからである。
森田青年の刃が、自他再度ともためらつたといふ検証は、心の美しさの証である。やさしいと思ふゆゑにさらに
かなしい。私はその人を知らない。そして悲しい。二十五歳がかなしいのではない。このかなしさは、語り解く
すべを知らないが、あたりまへの日本人ならばわかるかなしさである。かなしさにゐる時は、決して顧みて他を
語らないのである。三島氏が、自分よりも、森田氏の振舞ひはさらに高貴なものであつて、彼の心をこそ
恢弘せよと云つてゐるのは、尊いことばである。
保田與重郎
「眼裏の太陽」より
恢弘とは神武天皇御紀にあらはれる大切なことばで、今あるものをひろめ明らかにせよといふ意である。
なくなつたものを復興せよといふのではない。時に当つて、細心の用語である。(中略)
彼の文化防衛論の根底にあるものは、所謂右翼的な利己的民族主義ではない、宗派神道的な世界統一の国際
宗教的な思想でもないのである。私はこれらの自覚を新しい世代に望み願ふより他の方法を知らないのである。
森田氏の行為の心は、右翼の心でもない。勿論左翼のどこにも見られない。師に殉ずといつた現象解釈など何の
意味もない。わが国六百年の武士道の歴史に於て、例を知らない純粋行為であつたと私は思ふのもかなしい。(中略)
三島氏は己の死後に、よつてたかつて云ふ人々の悪罵や、さかしらを見せるための批評、低俗そのものの証の
やうな見解といつたもののすべてを知りつくしてゐた。(中略)
マスコミが今度の自衛隊に関して口をとざしたのは、共通する政治性に原因があるのではなく、人性の世渡り
観念に於て、同一の腐泥のありさまゆゑであらう。これは不潔の妥協である。
保田與重郎
「眼裏の太陽」より
最近ウェイドレーの「芸術の運命」といふ本を面白く読んだが、この本の要旨は、キリスト教的中世には
生活そのものに神の秩序が信じられてゐて、それが共通の様式感を芸術家に与へ、芸術家は鳥のやうに自由で、
毫も様式に心を労する必要がなかつたが、レオナルド・ダ・ヴィンチ以後、様式をうしなつた芸術家は方法論に
憂身をやつし、しかもその方法の基準は自分自身にしかないことになつて、近代芸術はどこまで行つても
告白の域を脱せず、孤独と苦悩が重く負ひかぶさり、ヴァレリーのやうな最高の知性は、かういふ模索の極致は
何ものをも生み出さないといふことを明察してしまふ、といふのである。著者はカソリック教徒であるから、
おしまひには、神の救済を持出して片づけてゐる。
道徳的感覚といふものは、一国民が永年にわたつて作り出す自然の芸術品のやうなものであらう。しつかりした
共通の生活様式が背後にあつて、その奥に信仰があつて、一人一人がほぼ共通の判断で、あれを善い、これを
悪い、あれは正しい、これは正しくない、といふ。それが感覚にまでしみ入つて、不正なものは直ちに不快感を
与へるから「美しい」行為といはれるものは、直ちに善行を意味するのである。もしそれが古代ギリシャの
やうな至純の段階に達すると、美と倫理は一致し、芸術と道徳的感覚は一つものになるであらう。
最近、汚職や各種の犯罪があばかれるにつれて、道徳のタイ廃がまたしても云々されてゐる。しかしこれは
今にはじまつたことではなく、ヨーロッパが神をうしなつたほどの事件ではないが、日本も敗戦によつて
古い神をうしなつた。どんなに逆コースがはなはだしくならうと、覆水は盆にかへらず、たとへ神が復活しても、
神が支配してゐた生活の様式感はもどつて来ない。
三島由紀夫「モラルの感覚」より
もつと大きな根本的な怖ろしい現象は、モラルの感覚が現にうしなはれてゐる、といふそのことではないのである。
今世紀の現象は、すべて様式を通じて感覚にぢかにうつたへる。ウェイドレーの示唆は偶然ではなく、彼は
様式の人工的、機械的な育成といふことに、政治が着目してきた時代の子なのである。コミュニズムに何故
芸術家が魅惑されるかといへば、それが自明の様式感を与へる保証をしてゐるやうに見えるからである。
いはゆるマス・コミュニケーションによつて、今世紀は様式の化学的合成の方法を知つた。かういふ方法で
政治が生活に介入して来ることは、政治が芸術の発生方法を模倣してきたことを意味する。我々は今日、自分の
モラルの感覚を云々することはたやすいが、どこまでが自分の感覚で、どこまでが他人から与へられた感覚か、
明言することはだれにもできず、しかも後者のはうが共通の様式らしきものを持つてゐるから、後者に
従ひがちになるのである。
政治的統一以前における政治的統一の幻影を与へることが、今日ほど重んぜられることはない。
文明のさまざまな末期的錯綜の中から生れたもつとも個性的な思想が非常な近道をたどつて、もつとも民族的な
未開な情熱に結びつく。ブルクハルトが「イタリー・ルネッサンスの文化」の中で書いてゐるやうに
「芸術品としての国家や戦争」が劣悪な形で再現してをり、神をうしなつた今世紀に、もし芸術としてなら
無害な天才的諸理念が、あらゆる有害な形で、政治化されてゐるのである。
芸術家の孤独の意味が、かういふ時代ではその個人主義の劇をこえて重要なものになつて来てをり、もし
モラルの感覚といふものが要請されるならば、劣悪な芸術の形をした政治に抗して、芸術家が己れの感覚の
誠実をうしなはないことが大切になるのである。
三島由紀夫「モラルの感覚」より
人間的に中身も何もないような、若いタレントのような人たちが、自衛隊の反応は正しかった、とか社会的な
影響はどうだとか、三島さんを断劾するようなことをしたり顔でテレビやラジオでいっているのを聞くと、ばかげてる。
ほんとに蹴とばしてやりたくなりますよ。
倉橋由美子
週刊現代増刊・三島由紀夫緊急特集号のコメントより
英雄や天才が卑小な人間に愛想をつかすのは当然の特権であって、これは病める人間が陥りやすい人間嫌いなど
とは全然別物である。私たちの敬愛は、三島氏が「おまへたちは阿呆ばかりだ」と思っていたことで損われる
性質のものではないので、三島氏は大声でその思っていることをいえばよかった。阿呆は自分以外の人間を
すべて阿呆だと思っている、などと歯切れの悪いことをいった芥川龍之介(鬼才とか秀才といった言葉はむしろ
この人にふさわしい)の場合とは違うのである。とにかく、そういう境地に達していた天才ならば、あとは
阿呆に対しても礼儀正しくふるまい、晴朗な顔をして憤死するだけだった。
昔から日本では三島由紀夫氏のような人があんなふうに憤死すれば神になることになっていた。ここで
神というのは英霊のもうひとつ先を考えているのであって、ユダヤ人が発明した神などとは無論関係ない。
(略)日本人は昔から三島由紀夫氏のような人間の霊を祀り、それにつながってその先にあるはずのものを
拝んできた。三島氏はみずから死んでそういう神と化す以外になかったのである。
倉橋由美子「英雄の死」より
三島由紀夫君と森田必勝君のことを思うと、思いうかべるのは、やっぱり満開の時を待つことなく自ら散った
桜の花であります。これを総理大臣は「狂気の沙汰」と呼び、防衛庁長官は「せっかく育った民主主義にとって
迷惑千万だ」と言った。おとなしい日本国民も、この軽率な発言にはびっくりしました。「狂気の沙汰」は
まさに彼らの発言の方でありましょう。事件の意味を深く考えることなく、即座にこんな軽率な言をはくのは、
少なくとも「正気の沙汰」ではありません。あるイギリス記者は目を泣きはらして、村松剛君に言ったそうです。
「この事件で三島を弁護した政治家はなぜ一人もいなかったのか。こんどほど、三島由紀夫が偉大に見え、
日本の政治家が矮小に見えたことはない」
そのとおりでありましょう。
作家としての三島君の姿は、私どもの目には、まさに花盛りの桜でありました。だが、彼自身の目は文学者の
魂を通して日本の現状と未来に向けられていました。
…いつわりの平和と繁栄――平和憲法、経済大国、福祉社会、非武装中立という、政府と与党、野党と
俗流ジャーナリズム合作の四つの大嘘の上にあぐらをかきつつ、破滅の淵に向って大きな地すべりを始めている
日本の実状を敏感に予感し、予見して、この十年間あまり、絶えず怒り憂いつづけてきたのであります。彼は
私との対話「日本人論」の冒頭に、この怒りと憂いを告白しております。また、「政治家というものは詩人や
文学者が予見したことを、十年ほどすぎてやっと気がつく」とも言っております。(中略)
明日にでも“政治的連鎖反応”が起るというのではありません。これは精神と魂の問題であります。三島君と
その青年同志の諌死は、「平和憲法」と「経済大国」という大嘘の上にあぐらをかき、この美しい――美しく
あるべき日本という国を、「エコノミック・アニマル」と「フリー・ライダー」(只乗り屋)の醜悪な巣窟に
して、破滅の淵への地すべりを起させている「精神的老人たち」の惰眠をさまし、日本の地すべりそのものを
くいとめる最初で最後の、貴重で有効な人柱である、と確信しております。
林房雄「弔辞」より
床に転がる三島由紀夫の首は雄弁だった。言葉そのものであるような首だった。殆ど理解不能な、意味を
こじつけることもできない言葉を耳に痛いほど首は喋り続けていた。(中略)
その限りなく音楽的な言葉はオルゴールの音のように美しく、彼が生きた時代に投げかける呪いとなっていた。
呪いにかけられた坊やはここにいる。
(中略)
僕は、ジャポン語のより深い理解力を身につけた時のために三島由紀夫の切腹と文学に関する新聞記事を
切り抜いて、富士山山頂の石やうさぎの毛皮でつくった拳大のコアラのぬいぐるみやベトナムのコインなどと
一緒にクッキーの空缶にしまっておいた。それは火事が起きたら何が何でも持って逃げるつもりの宝物だった。
島田雅彦
「僕は模造人間」より
(ドイツロマン主義の「イロニー」とは)日本でいえば「幽玄」とか「もののあわれ」とかいう用法に似ています。
そういうロマン主義が日本に再登場するために、三島さんは一つの橋渡しにはなる。少々間違うてもかまわん。
一つの部分だけでもとっかかりにして三島という踏み台に跳び乗る人が出てくれば、彼も生きてくる。
雰囲気を持った人やからね、そういう可能性は多分にある。三島さんなら、そういう踏み台になれるかもしれん、
いや、なってほしいと思う。
南北朝のころの北畠顕家が、あっというまに五万人の若者を集めて戦って、二〇才そこそこで戦死した。あの
五万人は南朝の名誉のためというだけで顕家についていったわけやない。
西南戦争でも、当時としては極右から極左まで、みな別別の思惑で西郷隆盛に従ったんやな。私には戦争末期に
軍部の監視がつき、戦後はアメリカの監視がついたんやが、そのアメリカのスパイみたいな男が、西郷は出陣に
際していったいどんな演説をしたんかとききよった。まあとにかく指導者が問題ということやな。
保田與重郎
「三島由紀夫は蘇るか」(朝日ジャーナル1975年11月14日号の特集)」より
北一輝と大川周明が違うとったように、右翼の人はみな違ってるが、権力主義と財力主義がいかんことは
はっきりしてるね。三島さんもそんなものは歴史やないと気づいて、インド哲学なんかに興味を持ったり
したような気もするな。
三島さんは(『文化防衛論』などで)大嘗会ということを書いていますね。私はこれは一番大事やと前から
思ってきた。日本人は天からくだされる新熟のコメに、道徳から何から何まで圧縮してきた。それは天地循環、
天壌無窮の象徴であって、そういう点で天孫降臨ということにつながるんやな。天皇のご即位はその再現であり、
大嘗会は天皇と民族が約束を果たしたことの祝祭やった。私は戦争中にそういうことばかり書いて軍部に
にらまれたりした。三島さんのコメの霊というのはちょっとわかりにくいが、彼が最後に到達したのは、
そういう大嘗会の思想と違いますか。というても、彼は最高に理性的な、本当に学者らしい面のあった人やったから、
『英霊の聲』のようなもんは書きはしたけれど、決して邪教にはいかん、おかしな民俗学にはいかん人です。
保田與重郎
「三島由紀夫は蘇るか」(朝日ジャーナル1975年11月14日号の特集)」より
森田必勝は私より一、二歳年長の同じ大学の学生であった。面識はなかったが、彼を見知っている友人もいて、
自分と同時代の人間の起こした事件という思いはある。(中略)
その日の昼ごろ、電話が鳴った。受話器からは友人の少し緊張し少し興奮した声が聞こえてきた。
「三島由紀夫が自衛隊に立て籠ったぞ」。友人はニュースで知った事件のあらましを語った。私が当時は昼ごろ
まで寝ており、テレビも全く見ないことを知っていたから、電話で教えてくれたのである。(中略)
私は大学に行った。大学では学生たちは既に事件を知っており、みんなこれを話題にしていた。(略)
三島由紀夫は森田必勝とともにその日の昼すぎには割腹自殺を遂げていた。夜には事件の全容がほぼ明らかになり、
翌日からはマスコミがさまざまな人の意見を取り上げた。左翼側は、当然、事件に否定的、批判的であった。
中には三島を嘲弄する口調のものもあった。しかし、これには私は同感し得なかった。
当時の学生たちの中の少しアタマのよい連中は、旧来の左翼理論が行きづまりかけていると皆思っていた。
しかし、それに代わりうるものを創出するだけの知性も覚悟もなかった。人のことはいえない。私もただ惰性で
落第をくり返していた学生だったのだから。そういった学生たちを誘引したのは、ハッタリとヒネリだけの
突飛な言辞を弄する奇矯知識人だった。十数年の後に、私はこれらを「珍左翼」と名付けることになるのだが、
当時はそう断ずるだけの自信はなかった。
そんな奇矯知識人、奇矯青年に人気があったのが八切止夫という歴史家だった。歴史学の通説を打ち破る珍説を
次々に発表する在野の学者だという。判断力がないくせに新奇なものには跳びつきたがる学生がいかにも喜び
そうな評価である。私も一、二冊読んでみたが、どれも三ページ以上は読めなかった。あまりにも奇怪な文章と
構成で、私がそれまで知る日本語とはちがうものが記されていたからである。その八切止夫が、どこかの新聞か
雑誌に切腹不可能説を書いているのを読んだことがあった。(中略)
呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
しかし、三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には
師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。三島の首には幾筋もの刀傷がついていた。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。罪人の斬首の場合、どんな豪胆な
連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門
(首切朝右衛門)は語っている。しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、
三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。楯の会が小説家の道楽ではないことの
確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように
嘲笑的な態度を取ったのである。八切止夫が切腹不可能説を撤回したという話も聞かなかった。
しかし、「本気」とは何か。「本気」に一体どれだけの価値があるのだろうか。三島由紀夫は「本気」の価値を
証明しようとしたのではなく、「本気」の時代が終りつつあることを証明しようとしたのではないか。
「本気」の時代の弔鐘を鳴らし、「本気」の時代に殉じようとしたのではないか。(中略)
三島由紀夫は私財を擲(なげう)って楯の会を作った。共産主義革命を防ぎ、ソ連や支那や北鮮の侵略には
先頭に立って闘う民兵組織である。(略)三島はこの行動について「本気」だった。小説家の気まぐれな
道楽ではなかった。しかし、現実に治安出勤や国防行動を最も効果的にするのは、税金で維持運営される
行政機関である自衛隊なのである。自衛隊員は、法に定められた義務のみを果たし、法に定められた権利を
認められる。まるでお役所である。いや、事実、お役所なのである。(略)
「本気」の武士より、権利義務の関係の中でのみ仕事をする公務員の方が尊ばれ、価値がある時代が始まり
かけていた。換言すれば、これは「実務」の時代の始まりであった。
呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
私は実務の時代の価値を否定しない。(略)英雄が待ち望まれる時代は不幸な時代である。思想や哲学や
純文学が尊敬を集める時代も不幸な時代である。一九七〇年以降、日本は不幸な時代に別れを告げた。
英雄はいうまでもなく、思想や哲学や純文学、総じて真面目な「本気」は「実務」の前に膝を屈し、幸福な
時代が到来した。(略)
だが、時代はそうなりきることはなかった。一九九五年、歪んだ醜怪な「本気」が出現した。オウム事件である。
(略)本当に不気味で醜悪な恐怖の事件は、三島が「本気」に殉じた後の時代に出現したのであった。
呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
昭和四十一年七月九日、三島さんは美輪明宏さんの日経ホールでのチャリティ公演に歌手として出演、美輪作曲で
自作詞の「造花に殺された船乗りの歌」を歌った。その年は「サド侯爵夫人」が芸術祭賞をとり、劇団NLTを
創った私たちは六月から七月にかけて関西公演に行く所だった。私はその打ち合わせに三島邸を訪ねた。
帰り際に三島さんは、いたずらっぽい笑みをたたえ「ちょっと聞かせたいものがあるんだが、今度ねえ、僕が
歌うんだよ。それをテープに入れたから――」と、既に用意してあったテープレコーダーをかけた。
ほとんどのものに手をそめた三島さんだったが、歌は初めてだった。お世辞にもうまいとは言えず、ためらう私に
たたみ込むように「丁度、関西から帰って来る日だろ。切符を用意しておくよ」と、にこりと笑った。
三島さんは、胸の開いた黒のポロシャツに真白なズボンの格好いいマドロス姿で歌った。素晴らしかった。
舞台には歌の巧拙を超越し、そこに一人の詩人がすっくと立っていた。私の不安は雲散霧消。
終って明宏さんを囲んで打ち上げパーティーをした。三島さんは私に感想を求めた。思った通りを話したら
「そうか」と言ったものの、ちょっと不満気だった。
おひらきになると三島さんは「寺崎君、プロの歌手の手前、あれ以上、ほめると明宏さんに悪いと思ったんだろ。
これからはもう遠慮はいらない。ほめ言葉というものは幾らあっても多過ぎることはないんだよ」と、瑤子夫人と
六本木のステーキ屋へ拉致され、朝迄、“歌手三島由紀夫讃”をする破目になった。三島さんはすっかり
満足され、瑤子夫人と夏の、昇る朝日に向かって帰って行かれた。そのうしろ姿に好奇心と、稚気が戯れ合って
美しいオーラ(光輪)を描いていた。
寺崎裕則
「私の心の中に生きる三島さん」より
三島はペテン師なのに(笑)
まだ騙されてんのか
左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように嘲笑的な態度を取ったのである。
講演で三島由紀夫の悪口を言ってるみたいね、大江。見損なったわ。
昭和四十三年の春、青梅市郊外、吉野梅郷近くにある愛宕神社に、見なれぬ軍服姿の男たちが集まった。
作家の三島由紀夫と論争ジャーナルのスタッフ、そして学生たちのグループ十二人である。
社殿を見上げる百尺ほどの石段は、今を盛りの桜の花でおおわれ、その下で一行は記念の写真撮影をした。
この一行こそが「楯の会」創設時のメンバーである。しかしこの時「楯の会」という名前はまだなかった。
楯の会を考える時、どうしても『論争ジャーナル』をぬきにしては語れない。この月刊誌は昭和四十二年一月に
創刊され、当時左翼一辺倒の論壇に、真正面から立ち向った保守派のオピニオン雑誌であった。そのスタッフの
一人、万代潔が昭和昭和四十一年春、三島由紀夫を訪ねたことから、三島と論争ジャーナルの関係は始った。
この時、三島は既に「英霊の声」「憂国」を世に出し、この頃「奔馬」の執筆に取りかかっていた。
「恐いみたいだよ。小説に書いたことが事実になって現れる。そうかと思うと事実の方が小説に先行することも
ある」(小島千加子「三島由紀夫と檀一雄」)と自ら語っているように、四十二年の初めから、三島と
論争ジャーナルグループとの急速・急激な接近が始った。編集長中辻和彦と万代、そして当時学生であった私は
頻繁に三島家を訪ねるようになり、「俺の生きている限りは君達の雑誌には原稿料無しで書く」と言わせるまでに
信頼を勝ち得ていた。実際この年の三月から四十四年の三月までの二年間、三島は十回以上にわたって
論争ジャーナル誌上に登場した。四十二年の十一月号では、その頃交際を断っていた福田恆存と対談し、
論壇を驚かせた。この時期、三島はあたかも論争ジャーナルの編集顧問のような熱の入れようであった。
持丸博
「楯の会と論争ジャーナル」より
昭和四十二年四月から、三島は自衛隊に体験入隊し、四十五日間の訓練をした。これを機に「祖国防衛隊」構想が
計画され、論争ジャーナル編集部との間に、活発な議論が展開された。明けて四十三年一月、この構想は
「祖国防衛隊はなぜ必要か?」という表題でタイプ印刷され、限定で関係者に配られた。内容は、自衛隊を
補完する民兵の設立を想定したもので、その網領案によれば「市民による、市民のための、市民の軍隊」であり、
一朝事あれば「以て日本の文化と伝統を剣を以て死守せん」とする有志市民の「戦士共同体」であるとされた。
この「戦士共同体」の中核を作るために計画されたのが学生達の体験入隊である。「祖国防衛隊」の名は
外部には一切秘して、第一回体験入隊は昭和四十三年三月から一ヶ月間、私が学生長として御殿場の富士学校
滝ヶ原分屯地で実施された。以後四十五年三月まで五回にわたり、のべ約百二十人の体験学生を生んだ。
「楯の会」の名前が出来たのは、第二回の体験入隊終了後、会員数が四十名余りとなった昭和四十三年九月の
ことである。これから一年後の四十四年九月まで、会の事務局は論争ジャーナルの編集部内に置かれ、当時、
副編集長の私が会員の募集、選抜、事務手続き等実務に当って来た。しかし、楯の会とはいわば表裏一体として
マスコミ界に新風を吹き込んできた論争ジャーナルは、昭和四十四年頃から経営がきわめて悪化し、時には
発行が遅れることもあった。この財政上の危機をのりきるために、責任者の中辻は大変な苦労をした。父親の
退職金を全てつぎ込んでも足りなかった。そこで右翼系のある財界人から資金援助を受けることになる。
それまでどこからも資金援助をうけずに楯の会を維持してきた三島にとって、論争ジャーナルに「黒い噂」が
あることは、同時に楯の会の資金的な倫理性を損なうことになると考えた。それほど両者は密接に結びついていた。
持丸博
「楯の会と論争ジャーナル」より
体験入隊を「純粋性の実験」といい、楯の会を「誇りある武士団」と見る三島は、これを看過できなかった。
こうして三年近く密接な関係にあった三島由紀夫と論争ジャーナルは訣別した。確かにこれは悲劇であった。
しかしこの二つの運命的な出会いがなければ、楯の会がこの世に生まれなかったこともまた確かであったろう。
※
ここに一枚の誓紙がある。
〈誓 昭和四十三年二月二十五日
我等ハ 大和男児ノ矜リトスル 武士ノ心ヲ以テ 皇国ノ礎トナラン事ヲ誓フ〉
三島は平岡公威の名で署名し、以下あの愛宕神社の撮影会に参加した中の十名の名前が続く。
今は伝説となった血判状である。
今春、私は三十五年ぶりに愛宕神社を訪ねた。花の盛りには少し早かったが、桜の木々は昔のまま立っていた。
あの日満開の桜の中に立つ三島由紀夫の姿は、「我が生涯の師」として、今なお私の心の中に、あの時、
あのままの姿であざやかに生きている。
持丸博
「楯の会と論争ジャーナル」より
スキャンダルの特長は、その悪い噂一つのおかげで、当人の全部をひつくるめて悪者にしてしまふことである。
スキャンダルは、「あいつはかういふ欠点もあるが、かういふ美点もある」といふ形では、決して伝播しない。
「あいつは女たらしだ」「あいつは裏切者だ」――これで全部がおほはれてしまふ。
当人は否応なしに、「女たらし」や「裏切者」の権化になる。一度スキャンダルが伝播したが最後、世間では、
「彼は女たらしではあるが、几帳面な性格で、友達からの借金は必ず期日に返済した」とか、「彼は裏切者だが、
親孝行であつた」とか、さういふ折衷的な判断には、見向きもしなくなつてしまふのである。(中略)
マス・コミといふものが、近代的な大都会でも、十分、村八分を成立させるやうになつた。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より
238 :
吾輩は名無しである:2010/04/17(土) 10:12:54
リアル春の雪
いや霰だった。顔に当たっていてえいてえ。
240 :
吾輩は名無しである:2010/04/18(日) 02:05:52
三島由紀夫も園遊会に招かれたことあるんだね。何を話したんだろ。
241 :
吾輩は名無しである:2010/04/18(日) 09:59:44
現代はいかなる時代かといふのに、優雅は影も形もない。それから、血みどろな人間の実相は、時たま起る
酸鼻な事件を除いては、一般の目から隠されてゐる。病気や死は、病院や葬儀屋の手で、手際よく片附けられる。
宗教にいたつては、息もたえだえである。……芸術のドラマは、三者の完全な欠如によつて、煙のやうに
消えてしまふ。(略)
現代の問題は、芸術の成立の困難にはなくて、そのふしぎな容易さにあることは、周知のとほりである。
それは軽つぽい抒情やエロティシズムが優雅にとつて代はり、人間の死と腐敗の実相は、赤い血のりを
ふんだんに使つたインチキの残酷さでごまかされ、さらに宗教の代りに似非論理の未来信仰があり、といふ
具合に、三者の代理の贋物が、対立し激突するどころか、仲好く手をつなぐにいたる状況である。そこでは、
この贋物の三者のうち、少くとも二者の野合によつて、いとも容易に、表現らしきもの、芸術らしきもの、
文学らしきものが生み出される。かくてわれわれは、かくも多くのまがひものの氾濫に、悩まされることに
なつたのである。
三島由紀夫「変質した優雅」より
243 :
吾輩は名無しである:2010/04/19(月) 01:43:33
最近三島の「文化防衛論」を読んだ。
解説の西尾幹二氏が途中から意味が
とれなくなる、と書いているが
確かにそうだと思った。
あの意味のとれない文章に変わる部分は
何か劇的なものがある。
あの瞬間に統合失調症になったと
考えている精神科医はいるのだろうか。
>>243 「文化防衛論」の解説は福田和也ですよ。
頭がおかしいのはあなたの方だと思われます。
>>243 具体的に、どこが意味がとれなかったんですか?
意味がとれなかったから即、人を総合失調症呼ばわりするのはあまりに短絡すぎるでしょう。
246 :
吾輩は名無しである:2010/04/19(月) 13:03:53
>>244
僕が呼んだのはかなり古い新潮文庫です。
現代におけるリリシズムがどんな形をとらねばならぬか、といふことが、現代芸術の一番おもしろい課題だと
私は考へてゐる。リリシズムは、現代において、否定された形、ねぢまげられた形、逆説的な形、敗北し流刑に
処された形、鼻つまみの形、……それらさまざまのネガティヴな形をとらざるをえず、そこから逆に清冽な
噴泉を投射する。もし現代において、リリシズムが一見いかにもこれらしい形をとつてゐたら、それは明らかに
ニセモノだと云つてよい。これが、私の「現代の抒情」の鑑定法である。
細江英公氏の作品が私に強く訴へるのは、氏がこのやうに「現代の抒情」を深くひそませた作品を作るからである。
そこには極度に人工的な制作意識と、やさしい傷つきやすい魂とが、いつも相争つてゐる。薔薇は元来薔薇の
置かれるべきでない場所に置かれて、はじめて現代における薔薇の王権を回復する。
三島由紀夫「細江英公氏のリリシズム――撮られた立場より」より
伝播の速い世の中では、今日の独断も、明日の通念になる。あなたがロマンチストと言つて下さつた以上、
明日から私はロマンチストでとほりさうです。いづれにせよ、人がかぶれといふ帽子を、私は喜んでかぶる
つもりです。たとへそれが、あのルイ王がかぶらされたといふ三角帽子であつても。
ただ私の何とも度しがたい欠陥は、自分に関する最高の通念も、最低の通念も、同じやうに面白がること
なのです。これはほとんど私の病気です。おしまひにはいつもかう言ひたくなる。
「何を言つてやがる。俺は実は俺ぢやないんだぞ」これが私の自負の根元であり、創作活動の根源です。そして
これが、あらゆる通念を喜んで受け入れる私の態度の原因なのです。
私は不断の遁走曲であり、しかも、いつも逃げ遅れてゐる者です。子供のころ、学校で集団でイタヅラをすると、
いつも逃げ遅れるのが、私ともう一人Kといふ生徒でした。そこで私とKはつかまつて、先生から、鉢合せの罰を
うけるのでした。こんな痛い刑罰はない。しかしKのオデコにはコブができないのに、私のオデコにだけは
コブができた。これが爾後、私の宿命となつたやうに思はれます。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より
「端午の節句」
四月の始から、もう端午の節句のセット等を、デパァトは店頭に飾り出す。四月の半ばになると、電車の窓から
見えるごみごみした町にも、幾つもの鯉のぼりが立てられる。腹をふくらまし尾を上げて、緋鯉ま鯉は
心ゆくまで呼吸する。彼等は町の芥を吸ひ取り、五月の蒼空を呼んで居るかの如くである。
かうして五月が来るのだ。
私の家も例年の様に五月人形を床の間に飾つた。いかめしい甲は最上段にふんぞり返つて、金色の鍬形を
電気に反射させてゐる。よろひも今日は嬉しさうだ。今にも、あの黒いお面の後から、白い顔がのぞき側にある
太刀を取つて……然し、よろひは矢張りよろひびつの上に腰掛けてゐる。松火台の火は桃太郎のお弁当箱を
のぞいて見たり、花咲爺さんのざるの中を眺めたり、体をくねらして、大変な騒ぎである。
神武天皇の御顔は、らふそくの光が深い陰影を作り非常に神々しく見える。
金太郎は去年と同じく、熊と角力を取り乍ら、函から出て来た。よく疲れないものだ。お前がこはれる迄
さうして居なければいけないのだ。
さうして、人形は飾られた。白馬は五月の雲。
そして紫の布、それは五月の微風だ。
白い素焼のへい子(し)。
その中には五月の酒が満たされてゐる。
五月が来た!
それは端午の節句が運んできたのである。
平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
春の雪じゃー、寒いー
252 :
吾輩は名無しである:2010/04/22(木) 17:36:47
この間伊豆の田舎の漁村へ取材に行つてゐて、その村のたつた一軒の宿に泊り、夕食に出された新鮮な魚が、
ほつぺたが落ちるほど美味しかつたが、一晩泊つてみてびつくりした。別に化物が出たといふ話ではない。
ここは昔ながらの旅籠屋で、襖一枚で隣室に接してゐるわけであるが、前の晩の寝不足を取り戻さうと思つて、
九時ごろ床についたのがいけなかつた。(中略)
又眠らうと寝返りを打つたとたん、隣りの部屋へドヤドヤと人が入つて来て、酒宴がはじまつた。と、それに
まじつてトランジスター・ラヂオの大音声の流行歌がはじまつたが、ラヂオをかけながらの酒宴といふのも
へんなものだと思ふうちに、それがもう一つ向うの部屋のものだとわかつた。
更に別の部屋からは、火のつくやうな赤ん坊の泣き声。……夜十時といふころ、宿全体が鷄小屋をつつついた
やうな騒ぎになつてしまつた。
やつと静まつたのが十二時すぎだつたが、それがピタリと静まるといふのではない。しばらく音がしないで、
寝静まつたかなと思ふと、連中は風呂へ行つてゐたので、風呂からかへると、又寝る前に一トさわぎがある。
西瓜の話ばかりなので、商売は何の人だらうと思つたらあとできいたら果して西瓜商人であつた。
一時すぎにやつと眠りについて、朝五時をまはつたころ、村中にひびきわたるラウド・スピーカアの一声に
眠りを破られた。
「第八〇〇丸の乗組員の皆様、朝食の仕度ができましたから、船までとりに来て下さい」
それから間もなく静かになつて、又眠りに落ちこむと、今度はラヂオ体操がスピーカアから村中に放たれた。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より
(中略)――かうして一日たち二日たつた。
最初の一夜は、「これは大変だ」と思つたのに、馴れといふものは怖ろしいものである。二日目にはもう隣室の
話し声は気にならず、トラックやバスの響きに眠りを破られることがなくなつた。三日目になると完全にコツを
おぼえ、宿中全員が寝静まらぬうちは眠らぬことにきめ、女中を呼ぶにも大音声を張りあげ、食事がおそい
ときは、「おそいぞ!」と怒鳴り、よその子供がバタバタ廊下をかけまはれば、「うるさいぞ!」と怒鳴つて、
夜寝不足ならば十分昼寝をし、ほぼ快適な生活を送れるやうになつた。
――それはさておき、かりにも都会で、プライヴァシィを重んずる「近代的」生活を、生活だと思ひ込んでゐる
人間には、人の迷惑などを考へずにのびのびと暮してゐるかういふ旧式の日本人の生活は、おどろくべきもので
あつた。都会なら、となりのうるさいラヂオを容赦しないが、ここではラヂオはすべて音の競争であつて、
隣りのラヂオがうるさかつたら、家のラヂオの音をもつと大きくすればそれですむのである。
みんながそれに馴れ、何の苦痛も感じないなら、人間の生活はそれで十分なので、何も西洋のプライヴァシィを
真似なくてもいい。西洋の冷たい個室の、完全なプライヴァシィの保たれた生活の裏には、救ひやうのない
孤独がひそんでゐるのである。(中略)
そこへ行くと、日本の漁村の宿の明朗闊達はおどろくばかりで、人間が、他人の生活に無関心に暮すためには、
何も厚いコンクリートの壁で仕切るばかりが能ではなく、薄い襖一枚で筒抜けにして、免疫にしてしまつた
はうが賢明なのかもしれない。(略)
しかし、この昔風の旅籠屋が、襖一枚の生活を強制するのが、昔を偲ばせて奥床しいとは云ひながら、それが
そのまま昔風とは云ひがたい。何故なら、江戸時代には、人はもう少し小声で話したにちがひないし、怪音を
発するトランジスター・ラヂオなんか、持つてゐなかつたからである。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より
私はこの世に生をうけてより、只の一度も赤い羽根を買つたことがない。そのシーズンの盛期に、大都会で、
赤い羽根をつけないで暮すといふ絶大のスリルが忘れられないからだ。赤い羽根をつけないで歩いてごらんなさい。
いたるところの街角で、諸君は、何ものかにつけ狙われてゐる不気味な眼差を感じ、交番の前をよけて通る
おたづね者の心境にひたることができる。自分は狙われてゐるのだといふ、こそばゆい、誇らしい気持に
陶然とすることができる。もし赤い羽根をつけて歩いてごらんなさい。誰もふりむいてもくれやしないから。
冗談はさておき、私は強制された慈善といふものがきらひなのである。(略)
駅の切符売場の前に女学生のセイラー服の垣根が出来てゐて、カミつくやうな、もつとも快適ならざるコーラスが、
「おねがひいたします。おねがひいたします」と連呼する。
私がその前を素通りすると、きこえよがしに、「あの人、ケチね」などといふ。
「アラ、心臓ね」「図々しいわね」と言はれたこともある。
これは尤も、通るときの私の態度も悪いので、なるべく悪びれずに堂々とその前をとほるのが、よほど鉄面皮に
見えるらしい。しかし、ただ胸を張つてその前を通るだけのことで、鉄面皮に見えるなら、それだけのことが
できない人は、単なる弱気から、あるひは恥かしさから、醵金箱(きよきんばこ)に十円玉を投じてゐるものと
思はれる。一体、弱気や恥かしさからの慈善行為といふものがあるものだらうか?それなら、人に弱気や
羞恥心を起させることを、この運動が目的にしてゐると云はれても、仕方がないぢやないか?
大体、弱気や恥かしさで、醵金箱にお金を入れる人種といふものは、善良なる市民である。電車で通勤する
人たちがその大半であつて、安サラリーの上に重税で苦しめられてゐる人たちである。さういふ人たちの善良な
やさしい魂を脅迫して、お金をとつて、赤い羽根をおしつける、といふやり方は、どこかまちがつてゐる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より
もつと弱気でない、もつと羞恥心の欠如した連中ほど、お金を持つてゐるに決つてゐるのだから、おんなじ
脅迫するなら、そつちからいただく方法を講じたらどうだらう。大体、私のやうに、赤い羽根諸嬢の前を
素通りすることで鉄面皮ぶつてゐる男などは甘いもので、もつと本当の鉄面皮は、ひよこひよこそんなところを
歩いてゐるひまなんぞなく、車からビルへ、ビルから車へと、ひたすら金儲けにいそがしいにちがひない。(中略)
本来なら、慈善事業とは、罪ほろぼしのお金で運営すべきものである。さんざん市民の膏血をしぼつて大儲けを
した実業家が、あんまり儲かつておそろしくなり、まさか夜中に貧乏人の家を一軒一軒たづねて、玄関口へ
コッソリお金を置いて逃げるのも大変だから、一括して、せめて今度は罪ほろぼしに、困つてゐる人を助けよう
といふ気で金を出す。これが慈善といふものだ。ところが日本の金持は、政治家にあげるお金はいくらでも
あるのに、社会事業や育英事業に出す金は一文もないといふ顔をしてゐる。(略)
ちつとも世間に迷惑をかけず、自分の労働で几帳面に仕入れたお金なんかは、世間へ返す必要は全然ないのである。
無意味な税金を沢山とられてゐる上に、たとへ十円でも、世間へ捨てる金があるべきではない。その上、赤い
羽根なんかもらつて、良心を休める必要もないので、そんな羽根をもらはなくても、ちやんと働らいてちやんと
獲得した金は、十分自分のたのしみに使つて、それで良心が休まつてゐる筈である。
さんざんアクドイことをして儲けた金こそ、不浄な金であるから、世間へ返さなければ、バチが当るといふ
ものである。(中略)
社会保障は、憲法上、国家の責務であつて、国が全責任を負ふべきであり、次にこれを補つて、大金持が金を
ふんだんに醵出すべきであり、あくまでこれが本筋である。しかし一筋縄では行かないのが世間で、(略)
助けられる立場にゐながら、人を助けたい人もある。赤い羽根も無用の強制をやめて、さういふ人たちを
対象に、静かに上品にやつたらいいと思ふ。
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より
まことに小鳥の死はその飛翔の永生を妨げることはできない。中絶はたゞ散歩者が何気なく歩みを止めるやうに
意味のない刹那にすぎない。喪失がありありと証ししてみせるのは喪失それ自身ではなくして輝やかしい存在の
意義である。喪失はそれによつて最早単なる喪失ではなく喪失を獲得したものとして二重の喪失者となるのである。
それは再び中絶と死と別離と、すべて流転するものゝ運命をわが身に得て、欣然輪廻の行列に加はるのである。
別離が抑(そもそも)何であらうか。歴史は別離の夥しい集積であるにも不拘(かかはらず)、いつも逢着
として、生起として語られて来たではないか。会者必離とはその裏に更に生々たる喜びを隠した教へであつた。
別離はたゞ契機として、人がなほ深き場所に於て逢ひ、なほ深き地に於て行ずるために、例へていはゞ、
池水が前よりも更に深い静穏に還るやうにと刹那投ぜられた小石にすぎない。それはそれより前にあつたものゝ
存在の意義を比喩としつゝ、それより後に来るものゝ存在を築くのである。即ち別離それ自体が一層深い意味に
於ける逢会であつた。私は不朽を信ずる者である。
平岡公威(三島由紀夫)20歳
「別れ」より
258 :
吾輩は名無しである:2010/04/29(木) 12:13:58
天才あげ
259 :
吾輩は名無しである:2010/05/03(月) 10:01:41
青の時代ってなんで書いたんだろうな
あれほど酷い小説はそうそうないね
青の時代は最後の服毒自殺へ向かう心理描写をもっと描くべきだったと思う。
前半が面白かっただけに惜しい作品。
「学習院の連中が、ジャズにこり、ダンスダンスでうかれてゐる、けしからん」と私が云つたら氏は笑つて、
「全くけしからんですね」と云はれた。それはそんなことをけしからがつてゐるやうぢやだめですよ、と
云つてゐるやうに思はれる。
川端氏のあのギョッとしたやうな表情は何なのか、殺人犯人の目を氏はもつてゐるのではないか。僕が
「羽仁五郎は雄略帝の残虐を引用して天皇を弾劾してゐるが、暴虐をした君主の後裔でなくて何で喜んで
天皇を戴くものか」と反語的な物言ひをしたらびつくりしたやうな困つたやうな迷惑さうな顔をした。
「近頃百貨店の本屋にもよく学生が来てゐますよ」と云はれるから、 「でも碌(ろく)な本はありますまい」
と云つたら、 「エエッ」とびつくりして顔色を変へられた。そんなに僕の物言ひが怖ろしいのだらうか。
雨のしげき道を鎌倉駅へかへりぬ。
三島由紀夫「川端康成印象記」より
262 :
吾輩は名無しである:2010/05/04(火) 21:27:47
鏡子の家おもしろいね。
漫画読むみたいにスラスラ読める。
映画化されないかなあ。
天地の混沌がわかたれてのちも懸橋はひとつ残つた。さうしてその懸橋は永くつづいて日本民族の上に永遠に
跨(またが)つてゐる。これが神(かん)ながらの道である。こと程さ様に神ながらの道は、日本人の
「いのち」の力が必然的に齎(もたら)した「まこと」の展開である。(中略)
神ながらの道に於ては神の世界への進出は、飛躍を伴はぬのである。そして地上の発展そのものがすでに神の
世界への「向上」となつてゐるのである。かるが故に「神ながらの道」は地上と高天原との懸橋であり得るのである。
神ながらの道の根本理念であるところの「まことごゝろ」は人間本然のものでありながら日本人に於て最も
顕著に見られる。それは豊葦原之邦(とよあしはらのくに)の創造の精神である。この「土」の創造は一点の
私心もない純粋な「まことごゝろ」を以てなされた。
「まことごゝろ」は又、古事記を貫ぬき万葉を貫ぬく精神である。鏡――天照大神(あまてらすおほみかみ)に
依つて象徴せられた精神である。すべての向上の土台たり得べき、強固にして美くしい「信ずる心」であり
「道を践(ふ)む心」である。虚心のうちにあはされた澎湃(はうはい)たる積極的なる心である。かゝる
積極と消極との融合がかもしだしたたぐひない「まことごゝろ」は、又わが国独特の愛国主義をつくり出した。
それは「忠」であつた。忠は積極のきはまりの白熱した宗教的心情であると同時に、虚心に通ずる消極の
きはまりであつた。
かゝる「忠」の精神が「神ながらの道」をよびだし、又「神ながらの道」が忠をよびだすのである。かくて
神ながらの道はすべての道のうちで最も雄大な、且つ最も純粋な宗教思想であり国家精神であつて、かくの如く
宗教と国家との合一した例は、わが国に於てはじめて見られるのである。
平岡公威(三島由紀夫)16歳「惟神(かんながら)之道」より
質の悪いコピペだらけのスレだ。
剣道の、人を斬るといふ仮構は爽快なものだ。
今は人殺しの風儀も地に落ちたが、昔は礼儀正しく人を斬ることができたのだ。
人とエヘラエヘラ附合ふことだけにエチケットがあつて、人を斬ることにエチケットのない現代とは、
思へば不安な時代である。
三島由紀夫「ジムから道場へ――ペンは剣に通ず」より
268 :
吾輩は名無しである:2010/05/10(月) 21:47:20
三島って知れば知るほど
くだらない人間だと分かるよね
文学の才能はすごいけどさ
否定されるのが怖くて、本当の自分を隠してしまってる
権威だけにすがってる
三島は文学の申し子じゃなくて
例えば現代に生きていたらこの人は文学を冷笑していたと思う
>>268 三島のどこが権威主義なんだか。
全然、知れば知るほどになってない陳腐な笑えるレベルですね。著作を読んでから出直してください。
270 :
吾輩は名無しである:2010/05/11(火) 00:15:14
>>270 単純な否定しかできないような奴が上から目線で三島通ぶるなよ。
>権威だけにすがってる
への具体的な反証の一つでも出したらどうなんだ?
あんたこそ三島以外の文学をもう少し読んでから出直しな。
>>270 権威主義なら、死なないで都知事になるか、大江みたいに欧米権威に迎合して反日になってノーベル賞を目指すでしょうよ。
叙事詩人とは何者でせう。一体そんな人はゐたのでせうか。僕はこの時代にもどこかに生き永らへてゐるやうに
信じられる一人の象徴的人物のことを考へてゐるのでせう。
その人の目にはあらゆる貴顕も英雄も庶民も、「生存した」といふ旺(さか)んな夢想に於て同一視されます。
その人の目には愛情の遠近法が無視される如く見えながら、実は時代の経過につれてはじめて発見されるやうな
霊妙な透視図法を心得てゐます。その人の魂の深部では、信じ合へずに終つた多くの魂が信じ合ふことを
知るやうになります。その人は変様であつて不変であり、無常であつて常住であります。
その人こそは亡ぼさうと意志する「時」の友であり、遺さうと希ふ人類の味方です。
不死なるものと死すべきものとの渚に立ち、片方の耳はあの意慾の嵐の音をきき、片方の耳はあの運命の潮騒に
向つてそばだてられてゐます。その人は言葉の体現者であるとも言へませう。言葉はその人に在つては、
附せられた素材性を払ひ落し、事実を補へるのではなしに事実のなかに生き、言葉そのものがわれわれの
秘められた願望とありうべき雑多な反応とを内に含んで生起します。我々が手段として言葉を使役するのではなく、
言葉が我々を手段化するのです。――かくて叙事詩人は非情な目の持主です。
安易な物言ひが恕(ゆる)されるなら、人間への絶望から生れた悲劇的なヒュマニティの持主だと申しませうか。
三島由紀夫「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より
(中略)
思ひかへせばかへすほど、愚かな戦争でした。僕には日本人の限界があまりありありとみえて怖ろしかつたのでした。
もうこれ以上見せないでくれ、僕は曲馬団の気弱な見物人のやうに幾度かさう叫ばうとしました。
戦争中には歴史が謳歌されました。しかし彼らはおしまひまで、ニイチェの「歴史の利害について」の歴史観とは
縁なき衆生だつたとしか思へません。
戦争中には伝統が讃美されました。しかしそれは、嘗てロダンが若き芸術家たちに遺した素朴な言葉を理解する
ことができるほど謙虚なものであつたでせうか。
ロダンは極めてわかりやすく慈父のやうに説いて居ります。
「(略)伝統を尊敬しながら、伝統が永遠に豊かに含むところのものを識別する事を知れ。それは『自然』と
『誠実』との愛です。此は天才の二つの強い情熱です。皆自然を崇拝しましたし又決して偽らなかつた。
かくして伝統は君達にきまりきつた途から脱け出る力になる鍵を与へるのです。伝統そのものこそ君達にたえず
『現実』を窺ふ事をすすめて或る大家に盲目的に君等が服従する事を防ぐのです」――この大家といふ言葉は、
古典と置きかへてみてもよいかもしれません。
戦争中にはまた、せつかちに神風が冀(ねが)はれました。神を信じてゐた心算(つもり)だつたが、実は
可能性を信じてゐたにすぎなかつたわけです。可能性崇拝といふ低次な宗教に溺れてゐたのです。
三島由紀夫「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より
274 :
吾輩は名無しである:2010/05/12(水) 05:52:08
>>262 映画「MISHIMA」での作中劇のひとつに「鏡子の家」を入れていることをおいらはすごく評価するわ。
並の日本オタってわけじゃねーなーって。
収ちゃん役のジュリーが存在感あるんだ。これもダテにアイドルだったわけじゃねーなーって思った。
決して烏丸せつこのオールヌードに目が眩んだわけではない。
文学者としては凄く評価してる
トリックスターとしては三流
バカの三島誤解は致命的だけどね・・・・
>>275 > 文学者としては凄く評価してる
お前なんかに評価されなくても、すでに16歳から天才作家として評価されてるよ。
へ〜
276クンはそれを見たんですか?三島が16歳の時に天才作家として評価され
てる姿をw
随分長生きされてるんですねえ・・・・
ま、こういう頭の悪そうなレスしかつけられないのが三島誤解してるバカって事
なんですねえw
>>277 花ざかりの森が三島由紀夫の16歳のときの作品で、日本浪漫派の文学者たちから、天才が現れたと賞賛されたことも知らないの?
そんなことくらいも知らないから、恥ずかしげもなく上から目線で、「文学は評価する」とか、何を今更みたいな間抜けなことが言えるんだ。あほくさ(´・д・`)
279 :
吾輩は名無しである :2010/05/13(木) 00:14:28
三島厨には困ったもんだな
昭和30年代なら「仮面の告白」はコテンパンで
三島は大蔵省にとどまってたよ
梓さんに怒られて
才能はあるが衒い過ぎとかそうとう叩かれたろう
ラディゲ気取りのセンチメンタル・バリューは10代のはもっと露骨で無残
大江の「死者の奢り」のほうが「仮面」より遥かに上だが
あれでさえ衒気がクソミソにやられたからな
>>279 まあね。庄司薫の昔の小説を評したの見ると
三島自身、己を相当恥じていたのが分かるよ
>>280 何を意味不明の内容&自演してんの?バカ丸出し。
花ざかりの森も、仮面の告白も、ラディゲと関係ないタッチだしね。
ラディゲを模倣したとは
書いてないよねえ
ラディゲ気取って、天才少年に憧れてたのは、確かだよねえ、ボクチン
それから280はオレじゃねーぞ
庄司薫が東大法科首席だったのは知ってるが
三島の同学年では詩人の宮本治が首席で
三島は一時ビリに近かったそうだ
283 :
吾輩は名無しである :2010/05/13(木) 02:53:44
旧制一高落ちたのも
嘘ついて言わねーでやんの
公威ちゃんたら
チビだから
踵の高い靴履いてたよねえ、平岡さん
村松剛ちゃんに
「俺はどんな人間にもなれるんだせ」
は笑ったね
284 :
三島ストーカー:2010/05/13(木) 03:05:59
カミさんの刺繍教室でのヒステリー癖を伝え聞いた
そりゃ死にたくなるわさ
最初の特攻隊が比島に向つて出撃した。我々は近代的悲壮趣味の氾濫を巷に見、あるひは楽天的な神話引用の
讃美を街頭に聞いた。我々が逸早く直覚し祈つたものは何であつたか。我々には彼等の勲功を讃美する代りに、
彼等と共に祈願する術しか知らなかつた。彼等を対象とする代りに、彼等の傍に立たうとのみ努めた。
真の同時代人たるものゝ、それは権利であると思はれた。
特攻隊は一回にしては済まなかつた。それは二次、三次とくりかへされた。この時インテリゲンツの胸にのみ
真率な囁(ささや)きがあつたのを我々は知つてゐる。「一度ならよい。二度三度とつゞいては耐へられない。
もう止めてくれ」と。我々が久しくその乳臭から脱却すべく努力を続けて来た古風な幼拙なヒューマニズムが
こゝへ来て擡頭したのは何故であらうか。我々はこれを重要な瞬間と考へる。人間の本能的な好悪の感情に、
ヒューマニズムがある尤もらしい口実を与へるものにすぎないなら、それは倫理学の末裔と等しく、
無意味にして有害でさへあるであらう。
しかし一切の価値判断を超越して、人間性の峻烈な発作を促す動力因は正統に存在せねばならない。
誤解してはならない。国家の最高目的に対する客観的批判ではなく、その最高目的と人間性の発動に矛盾を
生ずる時、既に道義はなく、道徳は失はれることを云はんとするのである。人間性の発動は、戦争努力と同じ
強さを以て執拗に維持され、その外見上の「弱さ」を脱却せねばならない。この良き意思を欠く国民の前には
報いが落ちるであらう。即ち耐ふべきものを敢て耐ふることを止め、それと妥協し狎(な)れその深き義務より
卑怯に遁(のが)れんとする者には報いが到来するであらう。
我々が中世の究極に幾重にも折り畳まれた末世の幻影を見たのは、昭和廿年の初春であつた。人々は特攻隊に
対して早くもその生と死の(いみじくも夙に若林中隊長が警告した如き)現在の最も痛切喫緊な問題から
目を覆ひ、国家の勝利(否もはや個人的利己的に考へられたる勝利、最も悪質の仮面をかぶれる勝利願望)を
声高に叫び、彼等の敬虔なる祈願を捨てゝ、冒涜の語を放ち出した。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より
彼等は戦術と称して神の座と称号を奪つた。彼等は特攻隊の精神をジャアナリズムによつて様式化して安堵し、
その効能を疑ひ、恰(あた)かも将棋の駒を動かすやうに特攻隊数千を動かす処の新戦術を、いとも明朗に
謳歌したのである。沖縄死守を失敗に終らしめたのはこの種の道義的弛緩、人間性の義務の不履行であつた。
我々は自らに憤り、又世人に憤つたのである。しかしこの唯一無二の機会をすら真の根本的反省にまで
持ち来らすに至らなかつた。
軈(やが)て本土決戦が云々され、はじめて特攻隊は日常化されんとした。凡ての失望をありあまるほど
もちながら、自己への失望のみをもたない人々が、かゝる哀切な問題に直面したことには一片の皮肉がある。
我々は現在現存の刹那々々に我々をして態度決定せしめる生と死の問題に対して尚目覚むるところがなかつた。
もし我々に死が訪れたならそれは無生物の死であつたであらう。
(中略)
沖縄の失陥によつて、その後の末世の極限を思はしむる大空襲のさなかで、我々がはじめて身近く考へ
目賭(もくと)したのは「神国」の二字であつた。我々には神国といふ空前絶後の一理念が明確に把握され
つゝあるが如く直感されたのである。危機の意識がたゞその意識のみを意味するものなら、それは何者をも
招来せぬであらう。たゞ幸ひにも、人間の意識とは、その輪廓以外にあるものを朧ろげに知ることをも包含する
のである。意識内容はむしろネガティヴであり、意識なる作用そのものがポジティヴであると説明して
よからうと思はれる。それは又、人間性の本質的な霊的な叡智――神である。(中略)
我々が切なる祈願の裏に「神国」を意識しつゝあつた頃、戦争終結の交渉は進められてあり、人類史上その
惨禍たとふるものなき原子爆弾は広島市に投弾されソヴィエト政府は戦を宣するに至つた。かくて八月十五日
正午、異例なるかな、聖上御親(おんみづか)ら玉音をラヂオに響かし給うたのである。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より
「五内(ごだい)為に裂く」と仰せられ、「爾(なんぢ)臣民と共に在り」と仰せらるゝ。我々は再び我々の
帰るべき唯一無二の道が拓(ひら)くるを見、我々が懐郷の歌を心の底より歌ひ上ぐるべき礎が成るのを見た。
我々はこの敗戦に対して、人間的な悲喜哀歓喜怒哀楽を超えたる感情を以てしか形容しえざるものを感ずる。
この至尊の玉音にこたへるべく、人間の絞り出す哭泣の声のいかに貧しくも小さいことか。人間の悲しみが
いかに同じ範疇を戸惑ひしてうろつくにすぎぬことか。我々はすでにヒューマニズムの不可欠の力を見たが、
これによつて超越せられたる一切の価値判断は、至尊の玉音に於て綜合せられ、その帰趨(きすう)を
得るであらうと信ずる。人間性の練磨に努めざりし者が、超人間性の愛の前に、その罪を謝することさへ
忘れ果てて泣くのである。この刹那我等はかへりみて自己が神であるのを知つたであらう。人間性はその限界の
極小に於て最高最大たりうることを。
(中略)
けふ八月十九日の報道によれば、参内されたる東久邇宮に陛下は左の如く御下命あつた由承る。
「国民生活を明るくせよ。灯火管制は止めて街を明るくせよ。娯楽機関も復活させよ。親書の検閲の如きも
即刻撤廃せよ」
かくの如きは未だ嘗て大御心(おほみこころ)より出でさせたまひし御命令としてその例を見ざる処である。
この刹那、わが国体は本然の相にかへり、懐かしき賀歌の時代、延喜帝醍醐帝の御代の如き君臣相和す
天皇御親政の世に還つたと拝察せられる。黎明(れいめい)はこゝにその最初の一閃を放つたのである。(中略)
青年の奮起、沈着、その高貴並びなき精神の保持への要請が今より急なる時はない。
ますらをぶりは一旦内心に沈潜浄化せしめられ、文化建設復興の原力として、たわやめぶりを練磨し、
なよ竹のみさを持せんと力(つと)めることこそ、わが悠久の文学史が、不断に教へるところではあるまいか。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より
うるせーんだよ、バカだからってすぐにコピペ貼りやがってさ、低能がw
それにしてもアンチ三島と三島信者としか分類出来ない低能には困ったもん
ですなあ・・・
俺は三島の作品は大好きですが、三島の作品を大好きだとか生き方に心酔して
るというような奴は大嫌いですな。
三島の作品を読んだって理解出来ないクセしてさあw
290 :
吾輩は名無しである:2010/05/13(木) 12:06:45
353 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 21:39:23
三島は露骨な学歴差別主義者だったらしいね。まぁ祖父から三代続けて
東大出てるくらいだから、無理ないかもだけど。
354 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 22:06:25
三島は無試験入学だけどな
学習院高等科は主席で卒業したらしいけどね、
今でいえば大学入試にあたる旧制高校の試験では、
旧制一校、現在の駒場を受けて落ちてる。
それ以前、開成中学にも落ちてる。
しかし作家になってから、「私は今までの半生で、二回しか試験を受けたことがない。
幸いにしてそのどちらも通つた」といってるとこみると、学歴コンプがあったんだろうな、
学歴差別主義も、その裏返しだろう。
291 :
吾輩は名無しである:2010/05/13(木) 12:08:06
大蔵省に入っても学習院じゃあ出世は望めないよなあ
三島の場合、そのコンプレックスが創作の原動力になってるとも言えるがね。
つまり肉体的コンプレックスが過剰な程の筋肉崇拝になったりさ・・・
自分は天才、って事を証明する必要性に駈られた三島は早熟の作家としての
一歩を踏み出そうとしたんでしょうな。
まあそういうのが無くても三島程の作家ならば焦らずとも遅かれ早かれ世の中
で認められたと思いますが・・・
>>289 作品が大好きならば、作品や著書について語れば?
つまんない学歴話や噂なんかにこだわってる、そんなことばっか言ってる時点でバカでしょ。
>>290 そんなことばっか、注目して自分のレスをコピペまでしてねちねちごだわってるあんたが学歴差別主義でしょうよ。
そんなもの関心ない人にはどうでもいい話だし、そんぐらいの見栄なんか何とも思わないけどね。
だいたいその話は、所詮、噂レベルで何の確実な証拠もない話だし。
開成受けたとか、そのソースになってる本も前に読んだけど、なんかあやふやで、
三島の息子と同じ開成の人だったかが適当に決めつけてるレベルだったようなものだったけどね。
ちなみに、安藤武の三島本は、そういうあやふやな又聞きレベルも、ごちゃごちゃにして集めて全部事実みたいに時系列にしてます。
うるせーな、俺は学歴の話なんて一切してねーぜ。勝手に自演と決めるんじゃ
ねーよ、このアホが
三島の作品について話をして欲しいらしいからリクエストにお答えすると
三島の作品は時代を描いたものは良いと思う。酷評された『鏡子の家』も
俺が勝手に最高傑作だと決めている『絹と明察』もね。
戦後の日本の変貌を上手く描けていると思うね。彼は先見性のある作家だった
から当時はあまり正当に評価されなかったんだと思う。
但し一部で絶賛されてる『豊饒の海』4部作はダメ。出がらし状態の三島の
痛々しさのみが伝わってくる
>>297 私はその二作より、はるかに『豊饒の海』の方が読んでて面白かったし鼓舞されたね。特に「春の雪」「奔馬」は傑作だよ。
>>297 時代、時代というけど、「鏡子の家」も「絹と明察」も、「時代」を描いた小説じゃないよ。その時代を背景にしてるだけで。
300 :
吾輩は名無しである:2010/05/13(木) 14:17:03
>>291 確かにそうだね。三島の学習院の先輩である橋口收も
非常に優秀な大蔵官僚だったけど、事務次官にはなれなかった。
ただ、学習院→東京帝大法のルートは一時期非常に高く評価されていたことは事実。
当時の法学部長末弘厳太郎が山梨勝之進学習院長に対して、
橋口をはじめとする優秀な学習院OBの存在があることを気にして
学習院の教育法についてしつこく問いただしたという記録が残っている。
298=299がバカだってのが良く分かったねw
コイツは文章を額面通りにしか受け取れないただのアホだw
お前が『豊饒の海』を好きなのは構わないけどさ(文学的センスが無いって
だけだろうし)『鏡子の家』は55年体制が確立した当時の様相を描いた
画期的小説だし、『絹と明察』は日本古来の家父長制が崩壊しつつあった
時代(天皇制という問題も包含してるが)を描いてるんだよね。
ただの近江絹糸の争議を描いた小説だと思ったらしいな、このバカはw
こういう上っ面だけしか理解出来ないバカが三島を理解しました、って
いい気になってるから駄目なんだよね。
302 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/13(木) 15:43:52
喧嘩をやめて二人を止めて
私のために争わないで
もうこれ以上…
喧嘩じゃねーよw
面白いからレスしてるんで、三島の下世話な噂なんて書いてる奴には
レスなんて最初からしねーよ。だから298=299はバカではあるがまだ
作品を読んでるから話す価値があるんだよね、上っ面だけだけどさw
まあ字面だけ追って理解した気になったり誤読も読者の特権だから
何を読んでどう感じようが構わないけどね
>>301 文章を額面通りにしか受け取れないのはあんただよ。
「鏡子の家」のテーマはニヒリズムだから。「絹と明察」も、もっと人間性の根本的なものがテーマ。
この二作を感銘して読んだならば、豊饒の海をそんな風にボロクソに言わないはず。根底に流れているテーマや世界観は全部共通性があるからさ。
>>301 それから、あんたが言ってることなんか誰でも知ってるよ。自分だけ把握してるかのように鼻息荒くしてまで、
威張るようなもんじゃなくて、ただのあらすじレベルだよ。そんなもんで知ったかぶりして可哀想にね。
「鏡子の家」に感銘しながら、「天人五衰」を貶すなんてあり得ないでしょ。
全く作品世界が読めてないのが丸出しのバカ
>>301
い〜や、お前って本当に筋金入りのバカだなw
恐れ入ったぜ、バカもここまで凄いとw
『鏡子の家』がニヒリズムだって?w
そういう登場人物がいる事は確かだが作品全体はニヒリズムをテーマには
してないのw
お前って何処かのバカな文芸評論家の受け売りを書いてるんじゃねーの?
お前はニヒリズムだとか人間性の根本的なものとか曖昧で抽象的な表現に
逃げてるけどここまで誤読してるバカがいるってのは奇跡的だよなw
お前もう本読まなくて良いよ。お前にとっての大傑作『豊饒の海』を貶され
たから激昂してるんだろうけどさ、所詮お前は三島の作品が好きなんじゃ
なくて『三島の作品を好きだと言ってる自分が好き』なんだろうな。
そんな奴と話して時間の無駄だったな、もう少しマシな奴と会話する事に
したから
それじゃな、おバカな三島信者クンw
>>307 あんたが言ってることのが評論家の受け売りそのまんまでしょ。
だいたい、その二作を更に押し進めて、日本の歴史、時代の変遷、天皇の問題を暗喩しながら、
三島死後の時代を先見的に描いてる「豊饒の海」を、その二作と何の関係もないみたいに語ってる時点で、
たいして深く読んでないのが丸出しだよ、あんたは。その二作までがあんたの限界だったんだろうよ(笑)
>>307 三島が自身で言ってるんだよ。ニヒリズムがテーマだって。ニヒリズム研究の書で、ある意味、仮面の告白、金閣寺の系統の告白小説だよ。
数ある三島作品のなかで「絹と明察」が最高傑作って、バカじゃないの。あまのじゃくというより、頭おかしいんじゃないかな。
文系は田舎者が多い。三島は珍しく上流階級の文系だった。
>>290 こういう事実を知るとちょっと評価を変えなくてはいかんな。
作家活動以外にも三島に対して興味を持つ自分としては、だ。
しかしまあ、誰にでも弱味はあるものだが・・・
>>312 なんか自演くさいわざとらしい物言いにみえますよ。いつもあの手この手でご苦労さま。
三島コンプレックスの丸○の巧妙なアンチ活動みっともな。
>>313 俺はアンチじゃないが、試験に落ちたのに落ちたことがないって書いてるのは事実だよね?
「一人で死ぬ度胸ありませんですた」
>>316 そもそも、その受験が事実かは不確定。大元がどっからの情報か不明。
Wikipediaや、安藤武の本は又聞きレベルも、さも事実かのように書いてるから、あてにならないよ。
319 :
吾輩は名無しである:2010/05/14(金) 23:36:47
信者は自分の認めたくないことは全て「事実ではない」で押し通す
2chの場合よく見られるのは、反証をあげることなく、ただ否定するのみ
そして都合の悪いレスはコピペ連投で流してしまう
>>319 事実だという客観的証拠も具体的に示せないのに、又聞きレベルで事実かのようにしてる方が、よっぽどおかしいでしょ。
三島が嘘つきだったのは本当ではないかと思う。
本当はゲイじゃないんじゃないかと思う。でも立派な小説家だと思うょ。
322 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 10:11:28
勧銀の入社試験にも落ちたという話もあるよね
ま、当時はそれだけ文学に必死だったということでしょ
「仮面の告白」は邦子さんへの弁解の書だと思う。
たぶん、二人の間でキス以上に発展した機会があって、その時、インポテンツになってしまった恥ずかしさを
誤魔化すため、自尊心の強い三島は、唯一、世界でただ一人、その恥を知っていた邦子さんへ向けて、
論理的弁解を書きたかったんだと思う。
>>322 父親は三島を官僚にするために法学部に入れたから、もしその話が本当なら、大蔵省に入れなかったときの保険に応募しておいただけだと思う。
325 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/15(土) 10:33:04
それはとても納得出来るなあ。勃たなかった事は俺もあるけど。
開成中学を受験したって話は、安藤武の本にすら載ってないし、滝山コミューンってのにも載ってなかったね。
三島の息子が開成中学だ、ってだけしか載ってなかったよ。
息子の開成受験と、ごっちゃになった間違いだと思う。
勧業銀行の件も安藤武の本にすら載ってないね。
328 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 11:01:31
>>326 全集の年表に載ってたと思うけど。
三島を学習院に入れたのは祖母夏子の貴族趣味があったからかね?
夏子が亡くなったのは確か昭和13年頃のはずだから、
ちょうど三島が初等科から中等科に進級する頃だったわけでしょ。
となると、もうその頃には夏子の呪縛は解けていたわけで、
だから将来の栄達のために学習院から鞍替えさせたかったんじゃない、両親は。
で、倭文重の家系に縁がある開成を受験させて不合格。
高等科進学の際は梓の意向を反映させて一高を受験させるも不合格。
結局学習院に長居するしかなかったわけだけど、
三島の淫蕩的な作風はこの学習院での生活がかなり大きく作用したことは間違いない。
よって、三島の不合格は我々にとっては慶賀すべきことだった、ということ。
>>328 そう?探したとき載ってなかったと思ったけどね。もう一度借りて、確認してみる。
330 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 11:19:53
ちなみに実弟の千之氏は一旦は学習院に入学しておきながら、
多分祖母夏子が亡くなった直後だったと思うけど
あっさりと公立校に転校しているよね。
もし学習院の文芸部にいなかったら、坊城氏や東氏や清水先生にも出会わず、「三島由紀夫」も生まれなかったわけね。
>>328 もし三島由紀夫全集の年譜を今、手元にお持ちだったら、それぞれ何ページに載ってるのか、教えておいてくれる?
絵はあんまし上手くなかったんだな、三島は。学習院時代の絵が残ってる
けどさ。ただ文章はさすがだと思わせるね。
伊東静雄に言わせると『大人びた素直じゃない文章』って事になるんだろう
けどさw
>>333 創作ノートのスケッチや飼い猫のスケッチ、楯の会の制服のデザイン画をみると意外と上手い絵描いてると思うよ。
うん、まあ文章と比較すると絵はあまり上手くないって事でね。
文章は子供の頃から完成度の高い文章を書いていたけど絵は年相応の絵を
描いてたって意味だよ
336 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 12:58:42
三島が刺青を入れようとしていた話は有名?
337 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/15(土) 13:11:42
338 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 13:32:08
>>337 本当。自決前に横浜の有名な彫師に依頼している。
おそらく市ヶ谷でもろ肌脱ぐ際にモンモンしょった姿を
益田総監に見せて驚かすつもりだったと思われます。
もっとも彫るのに時間がなくて断念したそうですが。
>>338 死人に口無しレベルだから、確実に本当かはわからないんじゃないの?
まあ、本当でもいいけどさ。
唐獅子牡丹〜(`Д´)
341 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/15(土) 14:16:12
確かに入れる予定だった絵柄を知りたいw
342 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 15:18:11
343 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/15(土) 15:33:20
三島に詳しい人に聞きたいんですけど、三島の自決を擁護した批評家って小林秀雄だけなの?
作家なら武田泰淳がいるね
思想的には違うんだけど何故か彼は擁護してたねえ・・・・
森茉莉は真剣に悲しんでたし・・・・
泰淳は生前仲良かったし、泰淳自身毎年欠かさず靖国参拝してたわけだから単純な左翼じゃないでしょう。
346 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 16:56:21
靖国参拝で右翼とはなら無いで笑止、戦死した友人に愛に逝ったのでは〜(笑)
347 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/15(土) 17:00:28
普通の左翼は靖国に参拝しないのでは〜?
348 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 17:17:09
戦死者に愛たく場、靖国で会おうということです殻ねぇ〜(笑)
349 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 17:19:26
普通の意味がわかり魔せんけれども、戦死者のいない左翼には用はないで消火ねぇ〜(笑)
350 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/15(土) 17:51:52
通常の三倍の左翼は靖国に参拝するという結論でよろしいか?
351 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 17:55:58
戦争経験者とその遺族は右翼左翼を問わず靖国に参拝するという結論ではどうで消火ねぇ〜? (笑)
352 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/15(土) 18:22:53
そうだったのか…
泰淳は埴谷と一緒に靖国参拝してたらしいし。埴谷も左翼だものね。
353 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 19:13:52
そういうことです〜(笑)埴谷は天皇廃止論者でもあり魔す殻ねぇ〜(笑) 三島動揺、軍隊は逃れて増すけれどもねぇ〜(笑)
遠藤周作はカトリック教徒で自殺は大罪のはずだが三島の自決について
理解を示していたような記憶があるなあ。
三島の切腹は戦後社会や昭和天皇自身に対する強烈な批判として捉えられる。
そういう奴を安易に祭りあげている凡百の右翼は馬鹿なのである。
偉いなあ
昭和天皇に対しては三島は批判的だったよね。
確かにあの戦争で一番腹を切るべきだった人は裕仁だよ。
そう、三島は現在のような天皇制を支持してたのではなかったのだね。寧ろ
批判的だった。現在の右翼みたいにバカでは無かった。
あの日あの時、思ったさ、――この男に、タタミの上で死ぬことを許した
「お前たち」を、この俺は決して許しはしないって。
まーあくまでも、たまたまに過ぎない訳だけども。俺がその際に十代だったこと。
十代でそんなこと考えてたのかw
だから聖戦なんてものはこの世に無いんだって・・・。権力者が血気盛んな
若者を操る為に使う言葉でね。
三島はその若者のファナティックな情熱を買ったのだろう。
あれが死ぬ、その瞬間(つーか報道でおれがそれを知る)までのあいだ、ずーっとね。
――「こんなこと」が、許されて良い訳がない。「こんなことが」って。
あの時期は本当、そんなことばかり。「ああ憎い、憎い」ってね。人間共。
って、あ、これは今でもかあ(笑
憎いよ。「お前たち」のそんな、愚かさが。こころの底からの憎しみを感じる。
――感じて続けて、俺は今の今まで生きてきたんだ。
三島は行為の純粋性を尊んでいる。
ただし、知識人でもある三島はその政治的実効性には否定的だ。
だからといって、死を前提とした行為の純粋性が損なわれるわけではない。
これは詩(夢)の世界から政治(現実)に対する挑戦であり、
そのアリバイとして最後の4部作が書かれたわけだ。
この批判は天皇も含めてただ、生き延びるためにだけ動いてきた
戦後社会に対して向けられていた事は言うまでもない。
>死を前提とした行為の純粋性
うん、でもそれをオナニーつうんだよねふつーは。まーね「政治的実効性」
なんて云っちゃうとちょっと響きがアレだが、けれども、…願いでしょう? それは。
現実に、「今この瞬間を」生きる者たちの、その幸せを願うこと。あこがれ。
――逆に云うならば、そんなはしかしミシマの眼中になぞなかったわけだ、
ともあれ、自身のカタルシスに比しては。
屑だろw そんな人間は屑。生きる資格なし。――とりわけね、知性に反比例をして、
ひとの責任は重くなる。「これだけ」はだってさ、多いところからチョット取り上げちゃあ、
少ないところに付け加えるなんてことは決してかなわぬものなのだから。
貴い者には責務が伴う。当たり前のこった。―ーがしかしって。
話にならない。
あww 反比例してどーすんの(苦笑 逆だ逆、二人三脚で。
選ばれてあること。
367 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 21:46:34
三島は暗示者として死したのですねぇ〜(笑) これは三島本人が逝っており魔してねぇ〜(笑)
わたくしには三島のクーデターは、権威者は死を覚悟して政治せよ、と権威者としての覚悟を権威者に見せ付けたものと解しており魔す〜(笑) その点で三島は権威者批判の左翼とも家抹消ねぇ〜(笑)
今の権威者を観なさい、血税にたかり蝕むハイエナか蛆虫では無いので消火ねぇ〜(笑)
三島自身は知識人として死にたくないと言ってたよ
369 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/15(土) 22:54:56
石原慎太郎とか俄然死ぬべきだよね。
>>365 >うん、でもそれをオナニーつうんだよねふつーは。
それは正しい。
しかし、現実から生活上の必要から生じる駆け引きを抜いたら
何が残るだろうか?
強いか弱いか?損か得か?という打算しか残らない。
三島はそういう生のあり方が耐えられなかったんだろう。
あの切腹ショウはこういう弱みを強さに転化するためのお芝居だ。
ただし、天皇や政治家のように恥知らずにも生にしがみついている輩には
“やましさ”という点では一定の効果があった。
まあ、そんなのを勘違いして持ち上げている右翼は馬鹿だがね。
371 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/15(土) 22:57:18
石原が三島の死後に発表した「三島由紀夫の日蝕」知ってる?
ほんとひどいよ!平野啓一郎の日蝕よりひどいんだから!!
>>365 そんなふうにしか三島を見れないあんたがクズだよ。三島を云々する以前に他人に伝わる日本語を習得してくださいよ。
モラル無き実存主義者である石原が
三島を理解出来ず馬鹿にするのは当たり前だ。
別に天皇も政治家も戦後大衆社会も石原にとっては石ころに過ぎないので
そんな物に憤慨して自殺するのは愚にもつかない事だろう。
>>371 読んだ後、なんか腹が立ったね。三島の死を惜しんでる気持も少し伝わったけど、全体的にコケにしてる感じで嫌な読後だった。
>>343 秋山駿、村松剛、山岸外史、中井英夫、倉橋由美子、澁澤龍彦などです。
376 :
吾輩は名無しである:2010/05/16(日) 00:06:00
石原チン太郎は豊饒の海さえ荒れは酷いと逝って魔す殻ねぇ〜(笑) チン太郎にはペニスで障子破りが最高なので症がねぇ〜(笑)
>>343 田久保英夫、サイデンステッカー、ドナルド・キーン、西尾幹二、西部邁なども。
>>376 金閣寺もどっかで貶してた気がする。禁色は褒めて、金閣寺や春の雪を見下す神経が不可解だわ。
379 :
吾輩は名無しである:2010/05/16(日) 00:24:42
チン太郎は禁色以降のは面白くないと三島本人に逝っておったようですけれども〜(笑)その時に三島は日本刀でチン太郎を切り殺して置くべきだったかも死れ魔戦ねぇ〜(笑)
石原はエディプスコンプレックスや神話をベースに作品を書いてきたから
「禁色」には感じる所があったんだろう。
>>379 七年目の対話という対談で、石原は三島から婉曲的に、最初のころの勢いがなくなってるみたいに指摘されてるから、
きっとそれに対する仕返しだけで言ってたんだよ。
382 :
吾輩は名無しである:2010/05/16(日) 00:50:54
勢いが鳴くば刺すればチン太郎にはペニスで障子破りどころかペニスでドラム缶破りを書いて星いものですねぇ〜(笑)
383 :
吾輩は名無しである:2010/05/16(日) 01:13:46
さて、マゾちゃんのことを重いながらシコシコ寝増す化ねぇ〜(笑) …ÅÅちゅーちゅー…((@))くちゅくちゃ (笑)
慎太郎なんて作家としても政治家としても3流の男を今更批判してもねぇ〜・・・
ま、それは兎も角三島の表現活動ってのは文学だけに留まらず、最後は自分の死
までもその一環として行ったって事だろうね。
三島は戦後民主主義の最大のアンチテーゼだ。『太陽の季節』なんてふにゃけた
小説書いてた奴と同列にしないで貰いたいぜ。
・・・って何か俺も三島信者っぽくなってきたねw
385 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/16(日) 07:39:04
>>373 自称実存主義者でしょ。お笑いだよ石原なんて実存主義の事なんて何もわかってないどころかサルトルすら読んでないでしょ。
386 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/16(日) 07:40:27
387 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/16(日) 07:42:50
>>382 そんなに硬くないでしょ。ヘナチンだと思うよ。
388 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/16(日) 07:45:36
>>384 そのカスが今や文壇の最高権力者になりつつあるのが最悪なんでしょ。
389 :
吾輩は名無しである:2010/05/16(日) 11:51:50
アジテーターとしては石原の方が三島よりずっと上だろうが、
空気を読む石原は不可能事に挑戦する奴ではなかったw
390 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/16(日) 12:30:45
ほんと死ねばいいのになあ。あいつを刺すニートとかいたら全力で支持するのに。
391 :
吾輩は名無しである:2010/05/16(日) 13:11:00
「狼生きろ、豚は死ね」ってぐらいだからw
大昔の話だがw
慎太郎は臆病で慎重な男なんだぜ、寧ろ三島の方が身の危険を省みない人
だったんだ。ヤクザと喧嘩した事もあったしな。もっともこれは安倍譲二が
手下に『大変な才能を持った偉い作家だから負けるように』と言い含めた
結果なんだけどw
393 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/16(日) 17:26:01
豚だし、チキンだよなwおいしすぎるポジション。
カジノ構想もパチンコヤクザに脅迫されてビビってやめたし。
394 :
吾輩は名無しである:2010/05/16(日) 18:03:24
左翼革命が起きると三島が思っていた根拠は何なんだ?
赤軍派の活動か?
ロシアのチェコ侵略、よど号事件、全学連、北朝鮮スパイの国内潜伏など共産勢力が活発な時勢だったからでは。
>>392 ボクシングの試合の話だよ、それ。
安部譲治のいたジムに三島が習いに来たとき、安部がみんなに、三島の頭を狙わないようにと命令したらしいよ。
>>394 三島の右翼への転回は60年安保における岸の退陣を受けてからで
ライフワークである豊饒の海第4部の舞台は当初予定では70年安保だったらしい。
60年安保の経験から革命に匹敵する動きがあると思ったんだろうね。
398 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/16(日) 21:43:10
60年代後半に世界革命が起こるって信じてた人は多いよね。
399 :
吾輩は名無しである:2010/05/16(日) 21:53:28
>>395>>397 実は俺も左翼革命が起きると思っていたw
だが、三島はどの程度左翼の研究をしていたのかな?
意外に中核派の「前進」とか読んで、興奮してたんじゃないのか?
三島は新左翼のチラシや機関紙、演説などを本音では相当に面白がって
たんじゃないかと俺は思うんだな。
400 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/05/16(日) 21:59:12
「思っていた」ってあなたは一体何歳なんですか?
キューバ危機でフルシチョフがビビった時点で世界革命は無いの。
ソヴィエトはその全盛期ですら軍事力でアメリカには及ばなかった。
だから都市ゲリラ戦で敵対国を引っかき回したんだけどさ。
そうだな、新左翼との討論にも三島は応じてたし・・・
案外ああいう無知な若者の純粋な情熱ってのは好きだったんじゃねーかな。
『諸君等が天皇を担ぐんであれば俺は君達と共闘する』って言ったんだっけ?
世界革命が起こり得ないってのはソ連(現ロシア)や中国の首脳が一番よく
知っていたんだと思うよ。三島は本気で左翼革命が起きるとは思っていなかった
と思うがな。それより盛り上がってたスチューデント・パワーにゾクゾクしてた
ような気がするね・・・
「てんのう」と一言言えば、じゃなかった?
いろんな文章みると、全学連の若者は嫌いだったようだよ。ヘルメットに赤チンを仕掛けて弱者のふりしたり、本気じゃないと批判してる。
もし本気であれば共闘する準備はあったって事だな。
但し三島が左翼勢力とタッグを組む訳無いからね・・・・
ドナルド・キーンの事も『左翼にたぶらかされた与太者』とか言ってたし・・・
左翼ってのは大江健三郎の事だけどねw
三島が大江の事を評価してなかったかと言えばそんな事なくて大江のノーベル文学賞
受賞を予見してたフシがあるんだな。
三島はエッセイが面白かったりする。中でも『不道徳教育講座』は最高傑作だな。
内容は極めて道徳的だけど・・・・。ふざけてるようで真面目なままの三島の
人間性が如実に現れてる
安吾大好きだったしね。そういうユーモアはあるでしょう。生きて欲しかったな。
>>405 『左翼(大江健三郎)にたぶらかされた与太者』は、ジョン・ネイスンだよ。
「絹と明察」の翻訳の約束を守らなかった与太者。
>>328 やっぱり全集の年表には、どっちも載ってなかったよ。
祖母が死んだのも昭和14年の1月18日で、三島はそのとき中等科2年でした。
あらためて年表をみると、高等科では東文彦や清水先生、蓮田善明と文芸上、重要な関係になっていて多忙で、
小説を書き続けるのに適している学習院文芸部から離れることになる他校への受験はまずないと思う。
やっぱりその受験話はソース不明のものだよ。
ちゃんと調べるのは偉いよね。
ありがとう。
412 :
吾輩は名無しである:2010/05/18(火) 18:08:17
>>409 改めて全集を調べてはみますが、
もしかしたら平岡梓『倅・三島由紀夫』あたりに
開成・一高の件が載っていたかもしれない。
413 :
吾輩は名無しである:2010/05/18(火) 19:15:44
開成は知らないけど一高に落ちたのは村松剛(だったと思う)の本で読んだような気がします。
確か三島の母の残念がっていたとか。
開成は知らなかったなぁ・・・・
>>414 村松剛の本、持ってるから確かめてみます。
それにしても、全集の年譜に載ってないってことは事実確認できなかったからだろうと思う。
418 :
吾輩は名無しである:2010/05/18(火) 23:44:34
全集には一高の件は載ってる。甚だ曖昧な書き方だけど。
(全集42巻74頁。昭和17年4月4日の項)
「…前年度末に第一高等学校を受験するが不合格。
(ただし、学習院在学中には他校の受験はできなかったという説もある)」
あと、ご指摘のとおり、村松本にも以下の記述がある。
(村松『三島由紀夫の世界』新潮文庫版15頁)
「三島由紀夫が死んだ直後に、倭文重さんはいくつかの愚痴をぼくにいった。
そのひとつが、学校のことである。
―学習院の中等科を終るときに、一高を受験させたのですよ。
でも学習院程度の学校では、一高は無理だったのね。一高のバンカラ生活を
経験していたら、公威もあんなことはしなかったと思うの。」
また、勧業銀行については、川端康成との往復書簡で三島自身が明記している。
(『川端・三島往復書簡』新潮文庫版50頁。昭和22年7月17日付書簡)
「勉強の傍ら、勧銀の入社試験を受けて落ちました。」
ただ、開成中学の件が判明していない。
これはガセかもしれんね。
>>418 そうですか、詳しく教えてくれてありがとう。明日見て確認してみますね。
>>418 村松氏の見解や時系列から察すると、当時三島は小説執筆に夢中で、親の意向の受験のことは関心もなく二の次だったようだね。
三島の父親があまりに三島が文学に熱中するので書きかけの原稿を燃やしてしまった
事があったな。もっと学業に精勤して欲しかったらしい・・・・
仮に一高に入学していたら周りの秀才に圧倒されて
ますます文学にのめり込んでいたと思います。
それに、やんちゃなお坊ちゃんの集まりである
学習院においてですら、その虚弱体質によって軽侮の対象であったのに
バンカラ体質の一高では学生生活は勤まらなかったことでしょう。
ありもしない仮りの話なんかどうでもいいよ。
三島としては東大も本当は文学部へ進みたかったわけだから、もともと学業(とくに理数系)はそこそこやってればよかったものなんだよ。
「にっぽん製」面白かった。
文学部に行かなくて良かったと後で述懐してるけどな。
あの特有の文章は法学部卒だからだろうね。文学部に行ったなら何処かの作家の
亜流みたいな存在で終わったかもしれんな
>>426 結果的には父親の強制で法学部に入ったことが文学によかったと述懐してるね。
こないだ読んだ「お嬢さん」の最後が、自分の本意よりも、真逆の人間のアドバイスに沿って
結果的に上手くいったみたいな皮肉なハッピーエンドだったのを、ふと今、思い出した。
車谷長吉が「文士の魂」の中でこんなことを書いている。あまり真に受けるのもどうかと
思うが、まあ、参考までに。最近の文學界スレを見てると、そちらに貼るのがよさそうだがw
長いので2レスに分ける。
以前に一度だけ、新潮編輯部から依頼されて新潮新人賞の下銓衡をしたことがある。(中略)
その折りの私の経験によれば、「文学とは何か。」「小説とは何か。」という基本的なことが
分かっていないで、投稿して来ている人が八割を占めているということに驚いた。しかも、
そういう人は世の一流大学と言われるところを出た人に多く、案外に高卒の人は独学ということが
身に付いているので、作品の出来不出来は兎も角として、「文学とか何か。」「小説とは何か。」
ということだけは分かっている人が多いのであった。つまり、へたはへたなりに「小説になって
いる。」のだった。
私はいま世の一流大学と言われているところを出た人に多く、「文学とは何か。」「小説とは
何か。」が分かっていなかったと言うたが、これは問題である。無論、その人達は凡てが大学
文学部を出た人達ではなかったが、凡そ私の経験では、大学文学部で教鞭を執っている人達の
大部分は、「文学とは何か。」「小説とは何か。」という基本的な事柄が分かっていない。
併し俺は大学文学部教授です、助教授ですという自慢顔をして、教壇に立っているのだった。
従ってこういう手合いの授業をいくら聞いても、「文学とは何か。」「小説とは何か。」という
ことは分かりっこないのである。それが現代日本の大学文学部の偽りのない現実である。それが
証拠に、高名な大学教授で時折、文藝雑誌に小説を発表する人がいるが、たとえば若林眞元慶應
義塾佛文科教授、出口裕弘元一橋大学教授、池内紀元東京大学独文科教授、蓮實重彦東京大学総長
などが書いて発表する小説のへたさ加減は、うんざりするほどで、いつも私達に深い失望を与え
続けて来たのである。小説はやはり独学でないと分からないものである。
<短篇小説の魅力>68〜69頁
教授なんて姜尚中でもなれるんだよ。
431 :
吾輩は名無しである:2010/05/23(日) 22:04:50
>>429 おやはや(笑)若林真も小説をかいておったのですか(笑)これは初耳ですねぇ(笑)平岡篤頼なんぞはいかが(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
433 :
吾輩は名無しである:2010/05/23(日) 22:47:12
小説はやはり独学でないと分からないものである。
434 :
吾輩は名無しである:2010/05/24(月) 18:25:45
皆さん入札したら2ch文学板を見てると思われるからやめた方がいいですよ!!
436 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/25(火) 00:40:00
たまには目新しいこと書いてくれや阿呆共
仮面の告白<死者の奢り
金閣寺<個人的な体験
437 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/25(火) 00:56:16
三島は評者が化けた作家
大江は詩人が化けた作家
三島は良識に囲われた閃きに過ぎない
大江のような冒険をなしていない
438 :
吾輩は名無しである:2010/05/25(火) 01:32:43
三島を称揚する奴らってバカが多いのは何でだろう?
三島じたいはバカじゃないんだが・・・
三島好き、かつ大江好きとして言わせてもらうが、「仮面の告白」のような大作と
「死者の奢り」のような小篇を比較せんでほしいな。
金閣寺と個人的な体験の評価は逆だが、まあ、これは人それぞれだから仕方がない。
「評者が化けた」とは何じゃいな。評論家or批評家のつもりかな?
仮に「批評家」のつもりだとして、俺の考えでは三島と大江の名が逆。
「良識に囲われた閃き」は意味がよくわからん。
身の丈にあった言葉で、身の丈にあった意見を述べるべし。無理な背伸びは見苦しい。
因みに、「私の好きな小説ベスト5」スレより。
216 名前: モンキー・D・ルフィ 投稿日: 2010/05/25(火) 01:03:23
「破戒」
「若きウェルテルの悩み」
「狭き門」
「復活」
「生まれ出づる悩み」
>>438 先ずは、「三島を称揚する奴らってバカが多い」という命題の真偽を
吟味するのが肝要かと存じます。
大江は便所左翼だから読む気がしない
とかいいつつ読んでみると面白いから認めざるを得ないんだな
嫌いだけどw
442 :
吾輩は名無しである:2010/05/25(火) 05:40:06
便所左翼www
444 :
吾輩は名無しである:2010/05/25(火) 08:52:45
海老蔵
>>437 良識に囲われてるのは大江の方でしょ。平和だの口当たりのいい、グローバル世界受けのいい文化人ぶりやがって。
どう考えても、自分の青春、理想に殉じた三島のが詩人だし。
大江なんて岩波御用達の偽善者じゃんw
まあ三島の政治論なんてのも貧困な発想なんだけどねw
刑事が被疑者を扱ふやうに、当初から冷たい猜疑の目で作家を扱ふ作家論が、いつも犀利な批評を成就するとは
限らない。義務的に読まされる場合は別として、私は虫の好かぬ作家のものは読まぬし、虫の好く作家のものは
読む。すでに虫が好いてゐるのであるから、作品のはうも温かい胸をひらいてくれる。そこへ一旦飛び込んで、
作家の案内に委せて、無私の態度で作中を散歩したあとでなければ、そもそも文学批評といふものは成立たぬ、
と私は信ずるものだ。ましてイデオロギー批評などは論外である。非政治主義を装つた、手のこんだ
政治主義的批評は数多いのである。
これが私の基本的態度であるから、はじめから気負ひ立つた否定などは、一度も企てたことがなかつた。
否定が逸するところのものを肯定が拾ふことがある。もしその拾つたものに批評の意味が発見されれば、
本書の目的は達せられたことにならう。
三島由紀夫「『作家論』あとがき」より
まあ理想に殉じるのが詩人の必須条件だとは全く思えないが、大江が左翼
勢力に媚び売った、岩波御用達の偽善者だってのは正解だなw
>>446 三島の政治論、例えば自衛隊二分論は、小沢一郎も同じこと言ってたりしてるし、
他の具体案も田母神元幕僚長が三島と同じこと唱えてるから、三島の論が貧相なら
現在いる政治家や政治評論家、自衛隊関係者もみんか貧相ってことになるよ。
三島の論文読んでると、今、さまざま提案されてる国防論なんか、とっくに三島が先取りしてます。
生きてたら85歳
452 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/25(火) 19:47:23
<<439
もっと勉強しろなw
まずネタかどうかを弁えろ、てのw
(ベスト5は誰がどうみても阿呆作だろ)
「仮面の告白」のような大作だと?
これはつまり三島を天才でと決めつけて
ご尊敬奉ってるわけだ
でなけりゃ大作だなんて臆面もなくいえないもんな
三島先生をどう批判しようが
三島先生を教祖のように崇めてるんだから無駄なんだな
何を言っても無駄ななのは承知だが
確か川端とか他の先達も言ってるんだけれど
「死者の奢り」は「飼育」なんかよりずっと上でね
自虐のペシミズムやリリシズムは「仮面の告白」の甲冑鎧とは別物なんだ
この時大江が童貞だったことも簡単に読み取れる
三島はトーマス・マン、ジュネ、ラディゲなどの影響下にあって本来の資質は開花してない
三島の出発は「潮騒」で、ここで初めて自分自身にたいするセンチな過信を捨てている
大江は初期からもっと揉まれてる
「個人的な体験」にいたっては西欧の近代文学に対する挑戦で、それをほぼ達成した
三島の初期はミーハー臭がたまらんのだよ
>>452 トーマス・マン、ジュネ、ラディゲなどの影響なんて、実際にはたいした割合じゃないし、
ニ、三の作品にそれ風味の感覚を加味したのがあるだけ。
あんたが本当に三島の小説読んでないのが判る。
だいたい、作品世界も思考も違う大江なんかと比べること自体もナンセンスだし。
454 :
吾輩は名無しである:2010/05/26(水) 01:13:34
>>418 自分も今日確認したよ
三島の自尊心からして、当時受験に失敗したことは相当なショックだったんだと思う
何といっても十代の若さだし、ノーベル賞落選くらいに傷ついたかもしれない
試験に落ちたことがないとかね、わざわざ昔のことを書くことないのに、
あえて書いてしまったところにショックの大きさを感じる
455 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/26(水) 01:50:53
村松本だったかわすれたけど
一高落ちた日にいそいそ古典に耽ってたとか読んだ希ガス
時代が時代だしな ショックはない
三島信者安心すろw
456 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/26(水) 01:56:24
>>453 そりゃ俺ゃアンチだからあまり読んでねーぞ
でもおまえがマン、ラディゲ、ジュネを読んでねーことはよく判った。
457 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/26(水) 02:41:09
三島が「海辺の光景」の世評を嫉妬してるの読んだな
「砂の女」もあったな
作風も思考も関係ないのに自分との勝ち負けにこだわる三島さんでした
それで言うなら「流離譚」>∞>「豊饒の海」
安岡は、三島がフィクションに遊ばず、自分の家系を素材にすれば相当の作品が出来たろう
と大江に語っていた
その対談では、大江は、自分は三島に比べて失敗しやすい書き方をして来た、と
これは大江独特の毒ある言い方で、三島の作風への批評とも取れる
三島と食事してて誰かのことを褒めると表情が曇った、とも言ってたな
三島スレは熱いなあ。
>>457 その対談は相当面白そう。
>>454 ショックだったのは親だけで、三島は受験してたことすら忘れてたんだよ。
当時三島にとっては文芸活動、小説で身をたてることがすべてだったわけだから。
受験に落ちたことない、っていう後の記述も話の流れで付け加わってるだけ。わざわざ書いたっていうほどのものじゃないよ。
自分が行きたくて好んで受験したわけじゃないから、単に記憶からなくなってたんじゃないの。
三島の悪口を言うわけじゃないけど、そんなこと簡単に忘れる性格だとは思えないけどなあ。
>>456 読んだよ。その結果、たいした割合の影響でもないと思うわけ。
心理描写や人物の関係対立に少し影響されて、ニ、三の作品に取り込んでるだけで、
三島のニーチェへの傾倒に比べたら、微々たる表面的な影響だよ。
>>460 まあ、他校に受験するのは禁止されてたようだから、本当に受験したのかも曖昧だからね。
親が勝手に一高へ打診しただけの話かもしれないし。
>>457 「砂の女」は三島は賞賛してるよ。批評家として批評するときは、ちゃんと良いものは良いと正統評価してますよ。
あんたが言ってるような傾向は、むしろ、陰で三島の悪口言ってるような大江とかに当てはまる性格だよ。
果たして安岡が残る作家なのか、と言うのは微妙な物があるのでは(笑)
確かに勤皇の志士の家柄ではありますが本家ではないですしねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
安部公房は残るでしょうけれども(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
モンキー・D・ルフィってのはなかなか本を読んでるな、大江ファンってのが難点
だけどw
大江だってガルシア=マルケスから結構パクってるじゃねーかw
ただ残念ながら大江は下手だからパクってるように思えない文章だがw
中上は上手いからガルシア=マルケスしちゃうけど大江はダメなんだよな・・・
おやはや(笑)たかだかこの程度で(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
狸はだいたい一日何時間くらい本読むの?
本は読みすぎると阿呆になる、ということですからねぇ(笑)少しばかりしか読まないことにしておりますよ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
469 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/26(水) 22:23:53
>>461 読んだよ。←ワロス
キモい老豚が一匹いるなあ・・
影響、というときは文体で考えねばならん
消去法でいくと三島の基はやはりマンだね
死ぬまで影響受けてたかもしらん(自分で言ってた希ガス)
批評への拘泥、芸術観なんか沁み込んでるよ
平野啓某と同じく三島の好きな「トニオ・クレーガー」は
奥にハインリヒとニーチェがいるけどな
10代に本に「読まれ」ちゃったんだなあ
三島を崇めるアホは何とでもほざけw
>>463 うん。「砂の女」一作で
三島の全作を超えます
>>469 文体で考えても、あんたが勘違いしてるほど実際には影響なんかされてないから。
それと、三島の全作品を読んでないくせに、くだらない小学生みたいな比較のハッタリかまされてもお笑いだよ。
読んでもないで、ただただ三島を貶すために、他の作家の作品を持ち上げすぎても、
あんたなんかに賞賛されると、逆にその作家の作品が汚れるわ。
471 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/27(木) 00:13:10
全作品読むほど執着するなら
普通貶すのはおかしいよね。
しっかしオマエさんの拠り所、全作品読んでるって事なの?
・・・すげえなw
>>471 全作品読んでないで「三島の全作と〜云々」とか、ハッタリかましたのがバレて恥ずかしいのぉ〜(笑)
おやはや(笑)所詮
>>469なんぞは低級でしょう(笑)世界文学なんぞ全て切り捨てても三島の文学は日本には必要です(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
安岡なんぞも結局はカトリックですから日本には関係がない(笑)この者の言っておることは単なる売国徒的発言でしょうねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
474 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 00:33:53
>>471 三島研究マゾちゃんを死らぬとは 藁貸し増すねぇ〜(笑)相手が割る杉増すよ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
475 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/27(木) 01:37:26
かってに藁え阿呆w
おまいらハッタリかますとか言うまえに
自分の意見いってみろ
引用とか読書のひけらかしなら超ダセエだけだ
ひやかしの短レスも臆病くせえぞ
俺は安岡なら三島の10倍知ってるが、スレがねえ(笑)
とりあえず狸、安岡が何故カトリックになったと思うのか
資料じゃなく、自分の意見、短くても許すから言ってみ
「・・・私と社会との関係の出発には、社会は自分にとって敵である、という事がありました。
そう考えなければ小説なんか書くバカはないんです。
つまりお話を組んで、男と女が寝れば、それが小説だ、と思ってる人がいる。(略)
戦争中、私は社会の心配なんかしませんでした。あたしゃ自分がいちばん心配だ
このままじゃバラバラになっちゃう、それをどーしたらね、救いだせるのか(略)
果たして自分の言葉が社会の言葉になり得るのか、その課題が出発でした
そして小説を書くうちに、私は自分の言葉が人を怒らせたり、悲しませたり、笑わせたり
する現場をたくさん見てきました(略)」
これは四十四歳の三島の発言だが、
驚くのはこれを「天才の悩み」としてでなく、本音として素朴に「市民対芸術家」
というドイツ文学史上の極く限定された概念をワガコトとして語ってるんだ。
俺はこれをテープで聞いた時、いかにマンにやられていたか改めて思い知ったね
(眠いから続きは後日な)
おやはや(笑)明治維新後にキリストに転向しておる志士が多かったからでしょう(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
遠藤某が、という説もありますが(笑)どちらにせよ安岡は三島の家のことで嫉妬しておるさもしい男なのですよ(笑)
三島辿れば徳川家康ですし、一応はそれに見合う能力を持ち合わせておる(笑)これが妬ましかったのでしょうねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
三島とマンの関係性なんぞはよく指摘されておるではありませんか(笑)私はマンの「すげかえられた首」が好きでしてねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
ですが三島はマンにはならなかった(笑)ならなかった物の一つが、日本人でなければ理解できぬ武士としての矜持でしょう(笑)松平頼徳のことを思い出しなさい(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
三島が法学部なんざに行かず文学部程度に抑えてたら大江程度の作家として
進歩的文化人として長生き出来たんじゃねーのw?
法学部はどうしたって国家を背負うって変な気構えになっちゃうからさw
庄司薫みてーな法学部卒の作家はいい加減な事書いてたけどなw
478 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/27(木) 14:32:21
(休憩タイム、ふー)
>>476 おまえはフリイデマンと改名しろw
さぞかし惨めな人生だったろな・・・
嫉妬はともかく羨望はあったろう
たしかに三島がやってれば「カラマーゾフ級になった」発言にはオイオイだったが・・・
えーと治子ちゃんです・・・俺の意見なw(いっしょに洗礼受けてる)
>明治維新後にキリストに転向しておる志士が多かったからでしょう
随分と糞まかな見解だぞ。無難な回答ならキリスト教への不理解コンプレックスでいいんだが
周辺事情の要因なら二十以上ある
初期エッセイから追ってもコレってのは無い
松平頼徳も何も、俺は三島が流離譚を書いたなら、てな妄想を丸一日こいたことがあるんだ
>三島とマンの関係性なんぞはよく指摘されておるではありませんか
俺はマンの影響が二、三作とか言ってるバカな資料・引用厨に物申しただけだぞ
俺は文学オタじゃないが、しかしこの板、ぬるいなw
ニワカの俺でも結構煽れるもんな、三島をえらんだ理由はそれだけ
ボクシング、カメラ板にくらべたらオアシスだよ
狸の芸風はかなりゾッとせんけど、少し猶予をやろう。おやはや(笑)さて果て(笑)…しかし濃いな
おまえの得意は何だ?
479 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 15:10:43
い〜や、ぬるいのはお前の悪い頭だけだよ、モンキー君w
>>478 あんたが強調して言うほどはマンの影響なんかさほど深くないよ。
三島には様々な海外の作家からの影響と日本の古典からの影響で出来た三島の世界観があるから、たった一人の影響だけじゃないから。
ろくに実際に三島の作品を広く読んでないあんたが、三島といえばイコール、トーマス・マンと勘違いしてるだけ。
芸術家と市民とか、そんな感じの関係構図なんか、何もマンに限ったもんじゃないでしょ。
482 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 17:02:22
三島研究家マゾちゃんの前に涙目のモンキー(笑)藁貸し増すねぇ〜(笑)
483 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 17:49:36
484 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 19:48:03
>>482 藁貸し増すねぇ〜(笑)
失せろカス。お前が来るとスレのレベルが下がる。
低脳は低脳なりにせめて身の程を弁えろ。
485 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 19:50:18
文章が名人技だね、このひと
ID:FyVL+WcB0よ、ここまでは来れないだろうw
お前本なんて読まねーもんな、この白痴w
それはさておき三島の文章は古典文学の影響を多々受けてるのは事実ですな。
つまり可能な限り無駄な語句を省いて文章を構成していくという方法論な訳
です。徒然なるがままに文章を書いても良さそうなものですがそういった点
に非常に潔癖で禁欲的である三島は自分を律してるようですな。
ふざけ半分の『不道徳教育講座』にしても文章の構成力は凄いのです。
三島はおそらく本当にふざけた事が無かった人かもしれませんね
487 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/27(木) 21:10:39
>>481 三島研究家マゾとかってのがおまえなのか?よくわからんがw
俺は新潮文庫の全部と「三島由紀夫評論集」「書簡集」「全集」の一部
それから文芸雑誌の過去号を収集してるのでそういのから拾い読み
平凡パンチとかもけっこう集めた。関連本、読本、批評本も多く読んだ
あとは国会図書館行くしかない
しかし全作品には程遠いし、捨てたり忘れたのも少なくない
作家のコレクター、学生の時いっぱいいたなア
なにしろ自分の意見てのが薄くてね、依怙地で気色わるい奴らだった
おまえが同じタイプでないことを祈るよw
どう思うも勝手だが
三島自身が最も尊敬し影響受けたと告白してる作家なんだから
(もちろん、その分警戒心もあったろうが)
あまり軽んじないほうがいいぞ
http://www.geocities.jp/eisuke75691125/mishimar/01990525.html こういうの読んでるのか?
488 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 21:12:51
モンキーの涙目は図星の酔うで、 藁貸し増すねぇ〜(笑)
三島由紀夫って比喩が多すぎない?
特に純文学作品は隠喩が物凄く多い。
文章に力と華があるのは認めるけど、どうも気になって読みにくい
以前、アンチスレに似たようなのがいたな。同一人物とは言わんが、ま、同類だな。
>(休憩タイム、ふー) ←大根役者w
もっと遡ると、
>(ベスト5は誰がどうみても阿呆作だろ)
どれも立派な作品だと思うけどな。皮肉られた意味を汲み取れず、
慌てて阿呆作だと決めつけて言い訳するところなど、チープで笑えるw
491 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 21:55:20
涙目の魔抜けモンキーのことで消火ねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
492 :
吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 23:00:19
>>490 はははっは。どこまでも性根のくさった名無しだな。
それで、もうすこし何か言ってみ?
俺は最初に三島の良識、と書いたが
こういう2chなんかに、ずけずけと名無しで、面と向かってなど絶対に言えない、
無恥で卑しい邪推を、三島などは最も忌み嫌い、顔を露骨に顰めたろうがね。
現実での小心翼々さの裏返しが滲み出てるレスだな
493 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/27(木) 23:04:36
492は俺だぞ
>>487 誰も軽んじてなんかいないでしょ。
あんたが強調するほど、トーマス・マンが三島のすべてみたいなのに、そう思わないから反論してるだけ。
その類いの研究本はあえて焦点をトーマス・マンにあてて論じてるってだけでしょ。
それだけで、それがすべてだと勘違いして、自分の考えが薄いのはあんた自身じゃないの?
∋彡ノノミ∈
川´・∀・`川 リンガディントン♪リンガディンディントン♪
495 :
吾輩は名無しである:2010/05/28(金) 12:57:49
もうモンキーは降参されては道で消火ねぇ〜(笑)惨めさ増す馬鹿りですよ 〜(笑)
∋彡ノノミ∈
川o`.´o川 リンガディントン♪リンガディンディントン♪
496 :
吾輩は名無しである:2010/05/28(金) 13:50:15
なんだコイツ。気持ち悪ぃ。
497 :
吾輩は名無しである:2010/05/28(金) 14:08:36
ティンコディントン♪ティンコディンディントン♪
499 :
モンキー・D・ルフィ:2010/05/28(金) 23:45:48
なんか相手してた自分が情けなくなってきた・・・
弱さを匿す弱さ・・・三島が毛嫌いしたであろう唾棄すべき輩だな
500 :
吾輩は名無しである :2010/05/28(金) 23:58:42
さて、ルフィさんはダンヌンツィオなんぞについてはいかが思われます(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
502 :
吾輩は名無しである :2010/05/29(土) 00:18:10
503 :
モンキー・D・ルフィ :2010/05/29(土) 00:33:28
まず聞いておきたいけど
狸さんてガチ右翼の人ですか?
野村秋介は神。
おやはや(笑)私は勤皇を目指しておりますが、現行体制支持派、と言う意味での右翼ではありませんよ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
>>418 勧業銀行の就職試験のうち、筆記試験は合格してますね。
筆記試験の第一次発表が合格で、父親の梓が発表を見に行ってます。
そして次の日の面接試験を受けた後、翌日不採用通知が届いたという経過が、全集に載ってました。
507 :
モンキー・D・ルフィ :2010/05/29(土) 22:05:08
>>501 >勤皇を目指しておりますが、現行体制支持派、と言う意味での右翼ではありませんよ
なるほど。殆ど晩年の三島、ということですか。
僕は、三島の政治行動は、文学者としてミスティフィケーション、という立場ですから、
なるべく注意を払いましょう。
>ダンヌンツィオなんぞについてはいかが思われます
筒井本で、はじめてこの人と、三島の関連性を知りました。
10代にドビュッシーにかぶれた時、いくらか調べた人物です
(狸さんは、カピトリーノに行ってる方かな?)
といっても小説は、「死の勝利」だけです。「三四郎」からの興味でした。
前に言いましたが、僕の興味の対象は、格闘技、漫画、カメラがまずあって
それから、小説とか文学、があるんですね。
ですから、そういう位置づけ、という前提でしか、本心を語れないのです
ただ、大塚英志は、観点自体がつまらない、と感じます
日本作家だと、谷崎、川端、第三の新人ほどではないにしろ
わりと耽読したのは、勿論興味があったからです
しかしどちらかといえば、否定的関心でした。
508 :
モンキー・D・ルフィ :2010/05/29(土) 22:08:01
ダンヌンツィオですが、簡単に三島と比較できないのは
芸術・思想家として生きた時代環境が、戦後日本と、あまりに違いすぎます。
戦前の三島は、文弱の徒でした。出征もしていません。
観念としてどうあれ、行動が無く
集団に背を向けていました。
戦後日本は、いうまでもなく、恐ろしいほど文弱国家ですよね
三島の尚武は、後で拵えたもので、まるでボディビルそのものです
文化伝統、思想の尊重はそれとして、なぜ上辺までこだわったのか
そこで考え合わせてみたくなるのは、私生活上の趣味や嗜好です
三島のデコラティブは、どこか冗談めいていますよね。
ボードレールのダンディスム、という見方もできますが
吉田健一から、趣味の二流さを指摘され、関係が悪化した、という逸話など
知ると、三島はどうも、悪戯と本気を、混ぜこぜにしていたのでは
という見方をしてしまうのです
509 :
モンキー・D・ルフィ :2010/05/29(土) 22:09:21
昔、平凡パンチという雑誌があって、よく三島の特集やっていたのですね
担当者の書いた本も読みました
当時三島は、いまのイチローなど、問題にならないくらいの、
断トツのスーパースターだったようです
三島が一位、それからずっと差をつけての、長嶋茂雄二位だったのです
そういう存在感で、三島は、自分の思想を、あの平易で軽々とした語り口で
若者限定版の媒体に、披露していました。勿論、武道、制服、セミ・ヌードなど
いろんな写真付きです。
そこですでに三島は、あの事件を予告してるんですね。周囲の友人に洩らしてたように。
何なんだろう、と思いました。
ダンヌンツィオの国家主義は、徹頭徹尾、鉄板で本気ですよね
三島は世間の耳目を集め、輝くばかりのオーラをしょってましたから
いわば計画のもとに、俺を見ておけ、という示威行為だったんでしょうか
その上で、あの市ヶ谷クーデターです
一連の政治行為は、観念の暴走と捉えられて、仕方ない面はあったのではないかと。
(ちょうどスレに出ましたが、
三島のホモというのも、観念に添ったにおいです。福島さんは、
稚児のごときものではなかったのか)
・・・いろいろ言い足りませんが、ちょっと疲れました
補足は後日ということで。
>>508 三島の尚武の姿は、後で拵えたものも、その心根は文弱だった戦前、戦中にもありますよ。
戦前戦中の三島本人の書簡や記述などを読むと、特攻隊への想いとか、社会への意見や見識はすでに尚武の心だよ。
>>508 三島の尚武の姿は、後で拵えたものでも、その心根は文弱だった戦前、戦中にもありますよ。
戦前戦中の三島本人の書簡や記述などを読むと、特攻隊への想いとか、社会への意見や見識はすでに尚武の心だよ。
>>509 > そこですでに三島は、あの事件を予告してるんですね。周囲の友人に洩らしてたように。
↑事件の予告はしてないでしょ。人に計画を漏らすようなこともしてるわけないし。
安保闘争のなかで、何かデモ隊と一戦交えて昭和維新をしたいみたいなことの仄めかしだけでしょうね。例えば、鶴田浩二との対談みたいな感じで。
>>508 > 戦後日本は、いうまでもなく、恐ろしいほど文弱国家ですよね
↑三島の感覚では、戦後日本は文弱にもなりきってない(文化といえるようなものもないから?)みたいな捉え方をしていたようだよ。
どっかにそんな記述がありました。
514 :
モンキー・D・ルフィ :2010/05/30(日) 00:47:31
>>510 それは一応知っています
バラドックスめいてしまいますが、
戦前戦中のそれは、至って「多数派」のものではないですか
ですから行動がなければ、尚武とまでは言えません
>>512 表現が間違ったかも知れません
リアルタイムでは過剰な仄めかしが
後からすると予告めいていたのですね
三島さんの政治思想についてはあまり知らないのですが
『太陽と鉄』を読んで、三島さんは人生に飽きそうになったから
美しいうちに死のうとしたのだと思いました
死を芸術にしてしまった、前のめりで美しい死ですね
>>515 美しいうちに死ぬ、という想いはあったろうけど、それは人生に飽きたというより、
より高い理想に殉じたいという一種の宗教的な感覚だったように思います。
517 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 12:36:59
さて、支配者に獲って必要不可欠なものとはなんで消火ねぇ〜(笑) 低脳モンキー並びに博識マゾちゃんにお伺い死魔性かねぇ〜(笑)
>>517 難しいですね。
鳩山首相にはないもの、洞察力みたいなものでしょうか?
519 :
吾輩は名無しである :2010/05/30(日) 18:22:14
>>517 なんで三島全集と参考書をたずさえてこんなスレで得意がってるやつが
「博識」なんだよwww
本人がそう見せたがってるだけじゃねーかよwwwww
520 :
吾輩は名無しである :2010/05/30(日) 18:36:18
◆(新しい角度からのアプローチ)三島由紀夫とは何であったか
「脱モラトリアム行動と自己愛パーソナリティ」小此木啓吾(慶大教授/精神分析医、社会心理学者)
から。《抜粋》 /1981年「国文学」三島由紀夫とは何であったか
<肝心の自衛隊諸氏からみれば、演技のお相手をさせられたような困惑があったにちがいない。
社会一般からは、狂気・乱心としかみられなかった。ところが三島の心的現実からいえば、
少年的な同士愛を共にするメンバーがいることだけで、そのドラマは充分な充実感を与えたのではなかろうか>
>>504 (引用者)もし、三島が新聞社にとびこみ拳銃二挺で自害したお人のように一人であんな暴挙に出た
としたら、いよいよ孤独な胸裡の実相が縁取られ、屈折し切った文学者の悲哀が剥き出しになって、
あるいは一部の隠然たる賛美の声をさずかったかもしれない。
悲喜劇の屈辱から最も遠いものを目ざしたはずの三島が、結果として女連れて川ポチャした
誰かさんと同じ末路を辿ったところに、救いがたい悲劇のにおいを嗅がれても仕方がないだろう。
続く
521 :
吾輩は名無しである :2010/05/30(日) 18:37:51
<彼の生活歴をみると、彼にはふつうの意味での社会人になるためのモラトリアム期間(猶予期間)
がなかったのではないかという気がする。すでに十三歳から処女短編を発表し、
十六歳には三島由紀夫という筆名を使い、十九歳では処女小説集『花ざかりの森』を出版…(略)…
とこうして文学活動がつづけられていくが、ちょうどそれは日支事変・太平洋戦争という戦争のさ中
であり、更には敗戦の混乱期である。>
<たとえば、軍事教練が苦手な少年がいた場合、文学少年であることをすてて、軍事少年になろう
とする方向に駆り立てられてしまう場合と、ますます文学少年の世界を強固につくりあげて自己愛
(の鎧、ナルシスティック・アーマー)の中に閉じ込もってしまう場合があるが、三島は後者、つまり、自己愛
による代償と防衛をますますつよめていったようである。
しかし、この少年期から青年期にかけて、彼が自らの自己愛的世界から分裂・排除(スビリット・オフ)
した軍国少年的な自己への道を、四十代になって改めて自己の人格に再統合しようとする過程で
彼の悲劇がおこった、というのがここでの私の解釈である。>
<だれでも人間は少年期から青年期にかけて、誇大な自己像を夢み、それと現実の自己とのギャップ
に苦悩して自己のあり方を摸索するものだが、このタイプの自己愛的人間は正に理想的な自分を
本当の自分、現実の自分として経験してしまうために、この理想像に合致しない劣等な弱い自分や
醜い自分をモラトリアム期間中に、全体的な自己の中に統合していくことができないまま社会人
になってしまう。
ところが三島の場合、三十歳代になるにつれて社会化、現実化しえなかったこれらの否定的な自己像が、
その内面において次第に、文学少年三島を脅かしはじめる。>
続く
522 :
吾輩は名無しである :2010/05/30(日) 18:40:22
<それだけに彼は才能ある自己愛パーソナリティに特有な輝しい成功を収め、理想的な自己を実現した
その反面、その過程で否認し、排除してしまった軍国少年的な自己やそれに伴う身体的に劣等な自己と、
むしろ三十歳後半から四十歳にかけて、改めて出会わなければならなくなった。>
<そもそも、かつて軍国少年との対抗上成立し、維持されていたのが超俗的な文学少年三島だったわけで、
もしも少年三島が、父親になり、世間的な成功者として大成して俗化してしまえば、文学者三島そのものの
自己愛的世界は、崩壊してゆく運命をもっている。この局面において三島の理想像が、文学少年から
軍国少年三島へと次第に逆転してゆくのである。>
<三十歳を過ぎると彼はそうした(かつて分裂・排除した)自己を回復し、むしろ、(剣道、ボディビルなど)
露出症的な行動の中にこれらの軍国少年的自己を再生させようとしはじめる。
(略)心理学的にみると退行現象でしかなかったようにみえる。(略)むしろそれは病態化した
自己愛パーソナリティ特有な現実離れした演技としてしか人目には映らないものであった。>
続く
もういいよ。
>>521 三島の教練の成績は「上」だよ。
体力的な弱さにもかかわらず、根性があると褒められていて教練の成績が良かった事実を知らないとは、
ろくに下調べもしてない上っ面の風評を元にしてるとは三流精神分析学者だね、その著者は。
太宰さんと三島さんは確かに似ていると思います
だけど、三島さんが死自体の美しさを信じていたのに対して
太宰さんは死のうとしてる自分をかっこよくみせたくて、偶然死んでしまったように思う
どちらにしても、死を哀れな末路ととらえるなら、芸術家は死なないと思います
526 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 19:37:25
>>519 おだ毬なさい、糞モンキーが〜(笑) 文献に忠実鳴る事、優れた読解力は優れた研究者の証なのですよ、この低脳の糞モンキーが〜(笑)
精神分析学者とか心理学者の書いた評論ってろくなものがないね。
528 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 19:42:26
芸術家は死ししても芸術は死なず、――真の芸術家の理想では蟻増すけれども〜(笑)わたくしは太宰も三島も優れた芸術家だと重っており魔す〜(笑)
安岡章太郎ファンって何で三島に粘着すんの?
530 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 19:46:43
527
精神や心理謎は目に観え魔戦殻ねぇ、底に観測者の偏見が障子増す殻ねぇ〜(笑) 評論でそのものが解る試し謎は無いと逝った漢字ですよ〜(笑)
531 :
吾輩は名無しである :2010/05/30(日) 20:00:12
やっと賑わい出したな。ケケ
>>523 いんや。チミの好人物さ加減には敬意を評するが、
三島信者のような馬鹿共には付ける薬が必要なのだ。
文学とはチビしいものだよ、チミ。
>>524 お前の根性ためされるのはこれからだよwww
<人は誰でも中年に入ると、青年期に確立した社会的自己と、それ以前の少年時代からの自己を再統合する
という課題に直面する。三島の場合にも、この一般的なライフサイクルの法則が一応当てはまっている。
この観点から、彼の軍国少年化を理解することが可能だからである。>
<しかし、四十代になって、ますます高まった、軍国少年を実現しようとする衝動は、少年時代には分裂・排除
してしまった、少年的な意味での男性化の欲求ではあったが、それ自体文学活動という彼の自己愛的防衛が、
消化しえない衝動であり、行動化するよりほか対抗しえないものになっていたようである。
…(略)…つまりその時、三島は、今まで自分が社会・政治の世界からみれば、これ自体モラトリアムの世界
に安住していた文学の世界を、脱出する脱モラトリアムの企てであった。
彼はそれまでの文学少年三島を殺すことによってはじめてこの意味での自己を実現することができたのである。>
<モラトリアム国家日本(敗戦国としては異例のあつかいを戦勝国米国から与えられた事、このような国際社会
における政治的心理構造が日本人のアイデンティティ意識を希薄化させ、いつまでも自己定義を回避した自衛隊
をおいている)の自立的な脱モラトリアムの達成を叫んで自決した三島氏…(大略)…国家も国民も自衛隊も
モラトリアムを脱して自己に目覚めよと彼は主張したのだが、それは彼自身の軍国少年化の衝動の投影そのものであった。>
続く
532 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 20:06:18
531
流れる涙をまずはお拭きなさい〜(笑) 相当精神的に追い込まれて老いでようですけれども〜(笑)
533 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 20:14:04
529
三島は右翼、安岡は左翼とのチープな比較批判なので消火ねぇ〜(笑) 大江では薬不足です殻ねぇ〜(笑) 531 を観ればチープで 藁貸し増すねぇ〜(笑)
…まあね正直、俺もそのひと、あんまりなーって(苦笑
カラダ鍛える方向に行くのは、実際にゃそんなに多くはなさそな気配では
あるがww べつに珍しくはないっしょ? いじめれっ子(の呼称が気に
食わないのなら、身体面で同年輩の同性に対しコンプレックスを持つ者、でも)
にはよく見るタイプじゃない、――そんなをバネに頑張った(これ自体は
大変結構なことですが)結果手にした「何か」で以て、かつては全く無縁で
あった、男性性をも同時に手に入れたなんて錯覚をしてしまう手合い。
――それほどにも深いところで、こじらせてしまった可哀想なひとたちが、
よくフジ・サンケイ辺りにタムロしている、線の細い。宦官じみた。
まあでもしょせんはディルドーだしってw
――そういえば、いくらかはそんなのも、女性の内にも。
三島さんは考える筋肉のような人なので
ディルドーだと評したらもしかしたら喜んだかもしれませんね
…いやあ(笑 じぶんもここで読んだんだけどさ、あの、パッドの話、美輪の。
自分の存在と世界の存在に常に矛盾を感じていたようで
認識を高めることによってその差を埋めて、自分もみんなと同じなんだ
ということに成功することで幸福を得たそうです
ボディビルもその一環で
鍛えることによって、貧弱という特徴を殺したかったようです
体は鍛えればみんな同じ型にはまりますからね
哀しい人だよね。だが、そこがいい。
三島は作品は作者と切り離して評価すべきだと主張する一方、
「自殺」は「作品」にリアリティーを与える、という矛盾した
意見を述べています。
死の地点まで常に矛盾していたと思います
いや、これは応答になっていない
どっちが正しいのだろう
自分を糞袋と自覚できなかった哀しいやつさ
ふつうの男は自覚して耐える。
そこから真に鍛えられるんだ。
546 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 22:48:39
「作品」は作者の虚構でも「自殺」は虚構とはなら無いです殻ねぇ〜(笑)
547 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 22:51:10
三島はいいけど
三島信者、馬鹿だからな
531の「続き」→終了
ちゃん、ちゃん
>>531 まず、その筆者の三島に対する認識が間違ってるでしょ。
三島は少年期に出会った蓮田善明的なものに回帰してるけど、それは「軍国少年化」じゃないから。
三島は一貫して言論統制するような軍国主義化は批判してますからね。
自主防衛できて自国の文化、精神を保持することを唱えると、すぐに軍国人間だとか短絡して、
そういうくだらない精神分析まがいの批判するそんなインチキ学者の頭の中の方が、
精神分析されるべきでしょ。
549 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 23:36:33
531
根性ためされるのはこれからだよwww〜が531の「続き」→終了 ちゃん、ちゃん とは 藁貸し増すねぇ〜(笑)まずは己の根性殻ためされては道で消火ねぇ〜(笑)
>>542 > 三島は作品は作者と切り離して評価すべきだと主張する一方、
↑三島はそんなこと主張してないから。むしろ逆に、作者の肉体的な条件や健康状態と作品は切り離せないものだと述べてますよ。
あんた、もっとよく調べたら?
適当な上っ面の関連本で仕入れた浅いパクリレベルで、三島を語られても、あんた自身が
三島本人の作品や著書を読んでないから、まるでダメでしょ。
551 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 23:40:51
低脳モンキーは、核密約書はなぜ公開されないのか? お解りで消火ねぇ〜(笑) 日本とはそのような大切な書類さえ処分紛失するようないいかげんな国なので消火ねぇ〜(笑) 道です〜(笑)
>>539 自分もみんなと同じなんだということに成功することで幸福を得たいだけの人なら、別に戦後社会に苦言を唱えて自刃なんてしないでしょ。
553 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 23:53:25
>>539 理想と現実のギャップとしては道です〜(笑) 三島は名誉もそれなりの財産も得て、他者からは幸福その者だったで笑止ねぇ〜(笑)
やっぱり武田泰淳との対談は重要だと思うなあ。
>>545 糞袋?あんた程度が自覚してるような認識レベルのことで、三島を論じることに無理があるから諦めなよ。
Ш´・◇・`Ш なめたらいかんぜよ!
556 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 01:39:00
>>555 で、どんな認識なら三島を論じる資格があるんだ?
内輪の褒め殺しなら何でもいいのか?
そのご立派なあんた程度の見識を見せてくれよ。
557 :
吾輩は名無しである :2010/05/31(月) 01:44:10
こいつ何も論じねえで、人のことばっかじゃね?
みんなと同じなんだという幸福感は絶望からくる理想の達成なので
やはりその他のことにも欲はあります
その一つが美で、文学もその中に入るようです
名誉の死にもあこがれていたようで、駐屯地での自刃は作られた名誉の死ですが
豊饒の海の一節を信じたいですね
「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った」
559 :
吾輩は名無しである :2010/05/31(月) 02:50:06
まず馬鹿の特徴として
一、反論する対象を歪曲して攻撃
一、資料から脱却できず自説なし
一、特定の権威に縋り複眼を持たない
一、文脈が短くて閉鎖的
一、応援レスと与して反論する怯懦
一、「…でしょ」「…から」と、同じ言葉遣いをくりかえす
一、朴念仁(ヒューモアがない)
一、猜疑心旺盛
一、感情的
一、鈍感
その他一杯w
これ、おかし過ぎ
>まず、その筆者の三島に対する認識が間違ってるでしょ。
(どこが?)
>三島は少年期に出会った蓮田善明的なものに回帰してるけど、それは「軍国少年化」じゃないから。
(ずいぶんと決め付けるねえ、何で「軍国少年化」じゃないと言えるの?)
>三島は一貫して言論統制するような軍国主義化は批判してますからね。
(「言論統制しない軍国主義」三回言ってみなさいw)
>自主防衛できて自国の文化、精神を保持することを唱えると、すぐに軍国人間だとか短絡して、
(そんなふうに短絡する知識人て誰なの。桜井良子?恥ずかしいなあ今のご時世で)
>そういうくだらない精神分析まがいの批判するそんなインチキ学者の頭の中の方が、
精神分析されるべきでしょ。
(これは畑越しの意見なんだからまず受け入れるしかない。なんでそう易々と罠に嵌んだろ)
あのね、そんなに三島は否定しなけど
あんたがそのパターンでやると皆、嫌になるの。それを言いたいの。
三島とも少し距離を取って付き合いましょう。
>>559 何一つ、論じてないのはあんたでしょ。ただ的外れのつまんない三流精神分析本を鵜呑みにして、それを自分の意見みたいにしてるだけで。
ちゃんと三島の著書を読んでる人ならば、三島が軍国少年化、なんてバカなサヨクみたいな捉え方しないはず。
人を論ずるなら、最低、その人の著書や作品ぐらいちゃんと自分で目を通して下さい。
>>556 三島の作品を読んでれば、三島が自分を糞袋だと自覚してない、とかバカなこと言うわけないからだよ。
読んでて、そんな認識なら、その程度の頭なんでしょ、あんたが。
562 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 10:47:37
「大東亜戦争に三島由紀夫/美しい星に文明の衝突」
私見ですが大東亜戦争の意義の一つに、異文化異文明への接触が完全消滅したというこ
とが有ります。最後の秘境と言われるニューギニアという土地で日本軍と米軍が戦い、
探検すべき文化文明、開拓すべき土地が地球上から消滅しました。
地球上の文明資源がすべてが明らかになり、見知らぬ異文化との接触が不可能となりま
した。大東亜戦争以降アメリカの探検開拓精神が本質の部分で消滅してしまった訳です。
昭和30年代の文化人UFOブームも異文化発見が不可能になってしまい、地球外に文明を
求めたことだと思います。
三島由紀夫は「美しい星」の中で、「核兵器を廃絶することができる文明は地球上に存
在しない」と看破しております。「地球上に存在しない文明を宇宙に求めた」これが
昭和30年代のUFOブームの本質です。
ハンチントンの「文明の衝突」はまだ見ぬ異文化を鉄のカーテンの奥に求め、そんなも
のが存在しないことを再確認し、フクヤマの「歴史の終わり」が語るリベラルの最終勝
利も異文化接触が絶えたことを前提とした思想です。
異文化を渇望するキチガイ欧米人の一部が、鯨イルカは言葉があり、文化が存在すると
考えているのでしょう。故に捕鯨に反対しているのでしょう。
「個体数が減っているスズメのために庭に米を撒きましょう」
早朝、空が明るくなるとベランダに多数雀が来襲し、雀の学校よろしくピーチクパーチク合唱しています。
よくみるとメスのお腹の中に卵がある様で、丸く大きなメスと細いオスがツガイになって来ています。
563 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 13:49:12
>>560 あれ?「言論統制しない軍国主義」には反応しないの?
罠にはちゃんと嵌りなさいwww
>>563 言論統制するような軍国主義、の意味を勘違いして勝手に一人で踊って何やってんの?
この「ような」の意味は、種類じゃないから。
そんなことも解読できない、日本語不自由な人はそもそも日本文学を云々いう資格ないよ。
三島が言論統制反対主義者で、軍国主義や共産主義を嫌ってたことも知らないようだし。
少しは本人の主張ぐらい読んで思想を把握しなよ。
565 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 17:12:52
低脳モンキーは盲ジャングルに帰っては道です〜(笑)バナナの差し入れ喰らいは痛し増すよ〜(笑)藁貸し増すねぇ〜(笑)
パパ嫌が絵えですよ〜
まあどうでもいいけど
564=565はバレバレだな
>>567 564と565の区別くらいつくようになってから書き込んでくれ。。。
じゃ565は564の金魚糞かい
それにしてもレスの速さに魂消るわ
三島信者パソに食いついてキモ杉
570 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 20:34:24
信者の辞書にスルーの文字ないでつ
速いのは良い事だよ!!
暖かいより速いこと!!
494 :吾輩は名無しである:2010/05/28(金) 10:50:48
>>487 誰も軽んじてなんかいないでしょ。
あんたが強調するほど、トーマス・マンが三島のすべてみたいなのに、そう思わないから反論してるだけ。
その類いの研究本はあえて焦点をトーマス・マンにあてて論じてるってだけでしょ。
それだけで、それがすべてだと勘違いして、自分の考えが薄いのはあんた自身じゃないの?
∋彡ノノミ∈
川´・∀・`川 リンガディントン♪リンガディンディントン♪
495 :吾輩は名無しである:2010/05/28(金) 12:57:49
もうモンキーは降参されては道で消火ねぇ〜(笑)惨めさ増す馬鹿りですよ 〜(笑)
∋彡ノノミ∈
川o`.´o川 リンガディントン♪リンガディンディントン♪
548 :吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 23:26:10
>>531 まず、その筆者の三島に対する認識が間違ってるでしょ。
三島は少年期に出会った蓮田善明的なものに回帰してるけど、それは「軍国少年化」じゃないから。
三島は一貫して言論統制するような軍国主義化は批判してますからね。
自主防衛できて自国の文化、精神を保持することを唱えると、すぐに軍国人間だとか短絡して、
そういうくだらない精神分析まがいの批判するそんなインチキ学者の頭の中の方が、
精神分析されるべきでしょ。
549 :吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 23:36:33
531
根性ためされるのはこれからだよwww〜が531の「続き」→終了 ちゃん、ちゃん とは 藁貸し増すねぇ〜(笑)まずは己の根性殻ためされては道で消火ねぇ〜(笑)
550 :吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 23:39:44
>>542 > 三島は作品は作者と切り離して評価すべきだと主張する一方、
↑三島はそんなこと主張してないから。むしろ逆に、作者の肉体的な条件や健康状態と作品は切り離せないものだと述べてますよ。
あんた、もっとよく調べたら?
適当な上っ面の関連本で仕入れた浅いパクリレベルで、三島を語られても、あんた自身が
三島本人の作品や著書を読んでないから、まるでダメでしょ。
551 :吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 23:40:51
低脳モンキーは、核密約書はなぜ公開されないのか? お解りで消火ねぇ〜(笑) 日本とはそのような大切な書類さえ処分紛失するようないいかげんな国なので消火ねぇ〜(笑) 道です〜(笑
552 :吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 23:49:05
>>539 自分もみんなと同じなんだということに成功することで幸福を得たいだけの人なら、別に戦後社会に苦言を唱えて自刃なんてしないでしょ。
553 :吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 23:53:25
>>539 理想と現実のギャップとしては道です〜(笑) 三島は名誉もそれなりの財産も得て、他者からは幸福その者だったで笑止ねぇ〜(笑)
576 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 21:07:57
自演乙w
577 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 21:48:54
藁貸し増すねぇ〜(笑)自演もなにもモンキーもその場におったで笑止(笑) 、マゾちゃんとわたくしは愛し合っておる仲ゆえ以心伝心する訳でしてねぇ〜(笑)
ゆえに過去にも同一人物謎といいがかる阿呆はおり増してねぇ〜(笑) いやおや、駒ったものです〜(笑) いっそこのままマゾちゃんとは夫婦に鳴りたい喰らいですよ〜(笑)
578 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 21:51:39
マゾちゃんとわたくしの思想上の違いは身体の相性が調和をしてくれることで笑止ねぇ〜(笑) …ÅÅちゅーちゅー (笑)
おやはや(笑)実に愚か(笑)
だから金魚糞w
581 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 22:03:28
糞狸出た!
狸が愚かと言ってるのは、主に567その他に対してだろ。
ま、藁貸しへの揶揄も含んでいるにせよだ。
新参者なんだろうが、以前もアンチスレで狸と藁貸しを
混同してる奴がいたし、どうしてこう、アンチは阿呆ばかりだろうなあw
584 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 22:39:17
マゾちゃんとわたくしの愛の深さがすぺての原因なので消火ねぇ〜(笑) ( ̄ω ̄)も嫉妬する喰らいです殻ねぇ〜(笑)
(o`.´o)ちゃんと私の愛のタイミングを、同一人物と勘違いするとは相当なバカなやつですね。
∋彡ノノミ∈
川´・Θ・`川 甘くて しょっぱくて くせになってプー♪
586 :
吾輩は名無しである :2010/06/01(火) 01:40:56
馬鹿共がとぐろ巻いてるけどw
>>560 >何一つ、論じてないのはあんたでしょ。
(あんたって誰?お前自身が論じてないから外野で騒いでんのに)
>ただ的外れのつまんない三流精神分析本を鵜呑みにして、
(お前は精神分析医なのか?小此木先生は一流だぞ。紹介すると「鵜呑み」になるのか?誰かみたいにw)
>それを自分の意見みたいにしてるだけで。
(よほど気に障ったとみえる。「紹介」しただけで)
>ちゃんと三島の著書を読んでる人ならば、
(また始まったな。ボクチンは三島の著書だけ読んでるから偉いとw)
>三島が軍国少年化、なんてバカなサヨクみたいな捉え方しないはず。
(精神分析医だから仕方ない。「軍国少年化」は揶揄でも非難でもない。これが書かれた時代、すでに型に
はまった三島批判はダサくなっていた。サヨクという仮想敵が必要な人は現にいるけどw)
>人を論ずるなら、最低、その人の著書や作品ぐらいちゃんと自分で目を通して下さい。
(お前さんは「目を通した」だけなんだよな。咀嚼してもいないから、消化不良でゲリ糞たれ流してる)
・・・こんな反論じゃオイラの尊敬する三島先生、可哀想だよォw
587 :
吾輩は名無しである :2010/06/01(火) 01:41:39
>>564 (やっと釣れたか…小物がw)
>言論統制するような軍国主義、の意味を勘違いして
(三島先生は軍国主義じゃない、と言いたいならちゃんと書こうネ)
>勝手に一人で踊って何やってんの?
(オレがお前を踊らしてんだよw)
この「ような」の意味は、種類じゃないから。
(お前の真意などどうでもいい。種類?「推量」「例示」「比喩」だけど普通は)
そんなことも解読できない、
(馬鹿語解読できません)
日本語不自由な人はそもそも日本文学を云々いう資格ないよ。
(だからあなたです)
三島が言論統制反対主義者で、軍国主義や共産主義を嫌ってたことも知らないようだし。
(お前はそれ知ってるの、偉いなァ〜w)
少しは本人の主張ぐらい読んで思想を把握しなよ。
(これからも性懲りなく言い続けるつもり?)
・・・一人の作家を読みこなしたという矜持を持つには、それなりの才覚が必要
あなたにはそれが無さ過ぎる。
小比木なんぞはあだモラトリアム人間が流行語になっただけのつまらぬ精神科医でしょう(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
もうモラトリアムは終わりにして生活保護が欲しい。
>>586 外野?何をいまさら(笑)じゃあ、あんたと同じコテをわざわざつけてるのが他にもいるわけ?
ケツにウンコ付けたまま知らんぷりしても、糞が付いて残ってるから外野のふりしても嘘がバレててバカ丸出しですよ。
>>586 その精神分析本も、軍国だの自己愛だの、型にはまったサヨクの見方と同じじゃん。そんなのサヨク御用達の三島批判と同じもんだよ。
事件の翌日から、あらゆるメディアはあなたの行動を醜聞として描くことに情熱を傾けることになりました。
…TVでは「右翼評論家」なる人物が高説を垂れ、政治家たちは狂気の沙汰だとあなたを批判していました。
日本共産党はファシズムに対する警戒を説き、新左翼の学生たちは唖然として言葉を喪失していたように思えます。
わたしにはそうした政治的発言のいっさいが愚劣に思えていました。わたしは書店に行って、そのとき第三巻まで
刊行されていた『豊饒の海』の連作を買い求め、十日間ほどで一気に読み終わりました。しばらくして最終巻の
『天人五衰』が刊行されると、これも勢いに任せて読破しました。(中略)
わたしはここに仕掛けられた巨大なアイロニーに眼が眩む気持ちを抱きました。と同時に、自分の死後に遺された
者たちはすべからくこのアイロニーを生きるべしという、あなたの呪いめいた遺言に、さて、その呪いを
どのように受け取り、自分の文脈のなかで理解してゆくことにしようかと、呆然たる気持ちを抱いていました。
今から考えてみると、「豊饒の海」が最後に突入していったのは、物事のすべてが「存在の耐えられない軽さ」を生き、
ノスタルジア(懐旧)とパスティッシュ(模倣)の原理のもとに操作されてゆく、ポストモダンの薄明のこと
だったような気がしています。わたしが大学生活を送った一九七〇年代は、十年間を通して、あなたの名前が
忌避され、排除されてきた時代でした。大学院の研究室でも、同級生どうしの会合でも、あなたの死のみならず、
その作品について言及することは場違いであり、できればあなたのような文学者が戦後日本に存在して
いなかったかのように振舞うのが、暗黙の了解であるような日々が続いていました。日本のポストモダン社会は、
三島由紀夫の不在によって、安心して自己実現を達成したのです。七〇年代と八〇年代を代表するイデオローグであった
山口昌男と蓮見重彦を考えてみたとき、それは明らかとなるでしょう。
四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より
山口はあなたが悲劇的なもの、崇高なものに魅惑されていたのとは対照的に、それらから意図的に距離を置き、
喜劇的なもの、道化的なものに焦点を当てました。そしてすべての知識が位階制度を超えて並置される地平を、
ユートピア的に実現しようと企てました。
一方の蓮見は、あなたと同じ学習院に学び、皇族と人脈的な関係をもつことにきわめて野心的な人物でしたが、
一貫してあなたを嫌っていることを公言していました。もっとも事物の表層を好むというニーチェ伝来の哲学を
喧伝するという点で、彼はあなたの屈折した後継者であったといえなくもありません。
あなたの全集が再び編集され、刊行されていなかった日記や書簡が公にされたり、…あなたの行動の全体が
次の世代によって再検討の対象となるようになったのは、二〇〇〇年代に入り、先の二人の知的扇動家の影響が
消え去ったことと、軌を一にしているのは、けっして偶然ではありません。
(中略)三島さん、裕仁はあなたよりも十八年と二ヶ月ほど生き延びて、一九八九年に身罷りました。
彼が支配していた昭和という時代は、六十四年をもって終了しました。けれどもすでにそれ以前から、誰もがもはや
(公文書ででもないかぎり)昭和という年号などもはや存在していなくなったかのように振る舞っていました。
なるほど昭和も三十年代、四十年代までは、それなりに口にされると実感めいたものが浮かび上がってきました。
けれども昭和五十年代というのは、たとえその表現に過ちがないとしても、もはやいかなるイメージをも人々に
喚起しなくなっていました。ましてや短かった昭和六十年代など、そう書き記してみたところで、どのような
イメージも浮きあがってくるわけではありません。それは一九七〇年代、一九八〇年代という表現がいかにも
人口に膾炙しているのと、好対照です。わたしは、こうした年号の喚起力の衰退の原因のひとつは、三島さん、
あなたの割腹自殺にあったのではないかと睨んでいます。あなたは生命を賭けることで、裕仁の時間支配に
修復しようのない楔を打ち込もうとしたのではないでしょうか。
四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より
わたしには、一九七〇年十一月二十五日にあなたが日本人の一人ひとりに死を送り届けることで、これまで
暗黙のうちに日本を支配していた時間の神学的秩序に、凶悪にして不吉な楔を打ち込んだような気がしてなりません。
思い出してみれば、わたしの世代は機会あるたびに、あなたが割腹をしてもう何年が経過したとか、何十年が
経過したと口にしながら、時間をやり過ごしてきたのです。死の御降臨。死の分節。
あなたによって考案された禍々しい暦が、日本の時間秩序を攪乱し、神聖なる時間の起源を禍々しい紛い物へと
摩り替えてしまうことを可能にしたのだと、わたしは考えています。
(中略)親愛なる三島さん、わたしたちはいまだにあなたの影のもとに生きています。もしあなたが今生きて
いらしたとしたら、このような年少者たちを前に、また高笑いをされるかもしれません。その姿が目に浮かびます。
四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より
まず四方田は山口と書きますが、山口のうえには恐らく花田清輝がいることは確かです(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
596 :
吾輩は名無しである:2010/06/01(火) 13:51:35
∋彡ノノミ∈
川o`.´o川 妊娠五ヶ月リンガディントン♪リンガディンディントン♪
597 :
吾輩は名無しである:2010/06/01(火) 14:28:41
蝋燭くさいスレですね
ζ
(@´・∞・`) あみゃくて しょっぱくて く〜せになってプー♪
/ ̄ ̄ ̄\
ヽ/_____/
7丶 _・\_
| |・ /・・` __\
| | //||
(6ノ@_/ ̄ / /
\ \_m//
\___/
599 :
吾輩は名無しである :2010/06/01(火) 19:17:25
三島は英雄
↓
キチガイ
↓
トリックスター
↓
アンチテーゼ
↓
英雄 ←いまここ
↓
祀られすぎて陳腐化し再びキチガイ
↓
以後無限ループ
600 :
吾輩は名無しである :2010/06/01(火) 19:42:04
>>590 外野?何をいまさら
(野球観戦してことないな?敵方の外野はすごいぞ)
じゃあ、あんたと同じコテをわざわざつけてるのが他にもいるわけ?
(じゃね?俺はポートガス・D・エースだがw)
ケツにウンコ付けたまま知らんぷりしても、糞が付いて残ってるから
(汚い。品がないなぁ…)
外野のふりしても嘘がバレてて
(敵方の外野!恐えゾ〜)
バカ丸出しですよ。
(涙目の空疎な罵倒は自分に撥ね返りますw)
馬鹿は、熱心な読者を通り越すと、洗脳されてしまいます。
相対化する思慮そのものさえも自ら排除してしまいます。
その思考停止はかたくなで、進歩のない、空威張りみちた、薄気味わるいものになります。(←すいません、
マンの名調子パクって)
601 :
ポートガス・D・エース:2010/06/01(火) 20:08:55
狸さんに映画論希望していいかな?
おやはや(笑)映画論ですか(笑)では、ためしにエル・スールを俎上に挙げてみますか(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
実はミツバチなんぞも加えましてこの二作、映画として最高傑作ではない(笑)なぜと言えば最高傑作というのは常にけばけばしいものであり、この二つの映画でそれは抑制されておる(笑)
例えばほとんど最後のシーンである、父親が自転車から倒れて自殺しておる絵を見なさい(笑)語弊を恐れずあえて言ってしまいますればこれは静物画のようです(笑)
それから中盤、少女が自転車に乗って、向こうから戻ってきたときには成長しておるシーンも御覧なさい(笑)いかにここの描写がぎこちないことか(笑)普通の監督が適当に描いてもできることをこの監督はできない(笑)
それはこの監督が時の移ろいを描けないゆえなのでしょうねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
父親と少女の語らいのシーンも参照なさい(笑)音楽が指し示す狂騒は幕一枚を隔てた蚊帳の外なのですよ(笑)
この監督は静止を好み静寂を好みます(笑)成長物語なんぞと言うのはこの監督にはふさわしくない(笑)永遠に閉ざされた時間こそをこの監督は愛しておると(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
604 :
吾輩は名無しである:2010/06/01(火) 22:09:37
低脳モンキーがまだ暴れて折るようですけれどもねぇ〜(笑) 未だ質問にも無回答とは 藁貸し増すねぇ〜(笑)
517 :吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 12:36:59
さて、支配者に獲って必要不可欠なものとはなんで消火ねぇ〜(笑)
551 :吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 23:40:51
低脳モンキーは、核密約書はなぜ公開されないのか? お解りで消火ねぇ〜(笑) 日本とはそのような大切な書類さえ処分紛失するようないいかげんな国なので消火ねぇ〜(笑) 道です〜(笑)
>>603 狸さん、ありがとうごさいました。
「映画論」という問いは、実は映画というカルチャーをどう捉えているか、知りたかった訳ですが
その意味で、よく解るレスだなと思いました。ひどく曲解してるかもしれません(笑)
>>604 施設では9時前に就寝してください
>>599-602 だから全部あんたでしょ。変なコテと名無しを使い分けてる安岡章太郎信者は。
名無しにするとき、わざわざ名前欄に自分でいちいち『吾輩は〜』を書きこんでるから、全部あんただとバレてるんだよ。
二人一役で自演までしてバカじゃないの、ワロスとか。
607 :
吾輩は名無しである:2010/06/02(水) 00:04:07
二人一役で自演の低脳モンキー 藁貸し増すねぇ〜(笑)
608 :
吾輩は名無しである:2010/06/02(水) 00:12:01
一人二役も碌に出来ぬ低脳モンキー(笑) 、二人一役でバレバレとは〜(笑)
吾輩モンキー自演魔は安岡スレで、安岡章太郎と丸谷才一を文壇の巨頭とか言ってたね。あほくさ。
610 :
吾輩は名無しである :2010/06/02(水) 03:10:16
>>606 だから全部あんたでしょ。
(ルフィとエース、と言ってるのに判らないんだなァw)
変なコテと名無しを使い分けてる
(変な?絶対少数派の領域を支えてるカラクリも知らない呑気な富裕層か。昼間からここに顔出してるよな)
安岡章太郎信者は。
(丸谷の角度から安岡を読んでもかい?この二人の距離、わかるまいな)
名無しにするとき、わざわざ名前欄に自分でいちいち『吾輩は〜』を書きこんでるから、
(2chごときにカキコするのにパソは使い回しで十分なわけだがw)
全部あんただとバレてるんだよ。
(パソ一台を占有してそんなに得意か。「あんた」とは誰だと前にも言ったろw)
二人一役で自演までしてバカじゃないの、ワロスとか。
(そういう想像力の無さが、三島中毒に陥る原因。それにしても一々クリックして…w)
自己のコンプレックスに敏感な者ほど、猜疑心がつよく、一見強者のごとく見える作家などに
心を仮託し、弱さを護る手段に殻を被り続ける。性根の卑しさが内部から時折殻を罅入らせる
>>610 はいはい自演がバレて誤魔化しお疲れでした、吾輩は名無しであるコテさん。
世間は鳩山新内閣が、その甘い猫撫で声で、デフレ対策を中断して、半病人の老宰相に対する
世間のセンチメンタルな同情に十分応へてくれるのを待つてゐた。
クリスマスになれば、養老院の老人みたいに、首相は孫たちにかこまれて讃美歌を歌ふだらう。
三島由紀夫「鏡子の家」より
申訳ばかりの政治面に、鳩山首相の寝ぼけたやうな顔が載つてゐた。この半病人の、
憐れな、泣き虫の、たるんだ下唇をつき出した顔には、棚ざらしになつて埃をかぶつたやうな
善意だけが浮んでゐた。ぬるくなつた豆スープみたいな顔が、政治の嶮しい機械仕掛を
完全におほひかくし、感傷的な靄(もや)を世間いつぱいにひろげてゐた。
三島由紀夫「鏡子の家」より
614 :
吾輩は名無しである:2010/06/02(水) 11:14:08
いよいよ岡田総理の誕生で消火ねぇ〜(笑)
615 :
吾輩は名無しである:2010/06/02(水) 11:20:30
さて、マゾちゃんは新総理は誰だと重い増す化ねぇ〜(笑)
616 :
吾輩は名無しである :2010/06/02(水) 12:17:11
さて、大野一雄が亡くなりましたか(笑)三島はもとより、多くの同時代人よりも長生きしましたねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
>>615 岡田か前原がいいと思いますね。
@´ёωё`) ムク鳥が…あれ、ああ、ヒヨ鳥だった(汗)
(*^□^*)
619 :
@(´ёωё`)@:2010/06/02(水) 18:28:45
さて、はて 藁貸し増すねぇ〜(笑)
1.菅
2.前原
3.仙谷
4.岡田
5.その他
--------------------------------------------------------------------------------
後継は菅氏軸に…前原、仙谷、岡田氏ら推す声も
2010年6月2日(水)14時39分配信 読売新聞
民主党は、新代表を国民新党との連立政権の統一首相候補として、衆参両院での首相指名選挙に臨む方針だ。
菅直人副総理・財務相のほか、前原誠司国土交通相、仙谷由人国家戦略相、岡田克也外相らを推す声もある。
小沢、鳩山、菅、前原氏らの各グループは2日午後、それぞれ会合を開き、代表選への対応を協議する。菅氏は4日から予定していた韓国訪問を中止する考えだ。
--------------------------------------------------------------------------------
菅はやだな。
621 :
モンキー・D・ルフィ:2010/06/02(水) 20:40:48
>>611 はいはい自演がバレて誤魔化しお疲れでした、吾輩は名無しであるコテさん。
(バレもなにも、最初からこんな調子だろ?
過去ログのクリック、俺的には姑息で嫌だが…)
492 :吾輩は名無しである:2010/05/27(木) 23:00:19
>>490 はははっは。どこまでも性根のくさった名無しだな。
それで、もうすこし何か言ってみ?
俺は最初に三島の良識、と書いたが
こういう2chなんかに、ずけずけと名無しで、面と向かってなど絶対に言えない、
無恥で卑しい邪推を、三島などは最も忌み嫌い、顔を露骨に顰めたろうがね。
現実での小心翼々さの裏返しが滲み出てるレスだな
493 :モンキー・D・ルフィ:2010/05/27(木) 23:04:36
492は俺だぞ
(これをいちいちやれってか?俺が屁ともおもわず放置してんのに糞だ糞だと騒ぎ立てるお前の性格は何なんだ?
神経症か?貶されすぎて気が狂ったかw)
そんなことならお前みたいに応援呼ぶぞ、兄弟だぞ、勘違いしてる人多いけどw
エースはロギア系だから俺より凄いぞ、エゲツないぞw
(ところで俺は漫画スレにエースとルフィのチェンジリング説を立ててるわけだがw)
こういう手合いはさ、正面から何を言っても受け入れる度量なんてないよ
相手に打ち負かされそうになるとキョロキョロ粗探しして目糞鼻糞人間になる
相手の本性丸見えだから、とりあえずご本尊にツバかけてみよう(笑)
自分と三島さんとの異常な関係を、じっくりと段階的におしえてあげよう
とりあえず本人のためになるからね。
623 :
吾輩は名無しである :2010/06/02(水) 20:56:50
三島はバカですw
利口バカ
まんぐぁ
>>621 ワンピースを知らぬ者は多いのですよ(笑)かく言う私もアニメの最初を見ただけですねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
狸ってアニメ見るんだ。意外だなあ。
>>626 コミック本だと、16巻あたりまでは、ひたすら辛抱、我慢です。
絵柄にも、慣れる必要がありますね。そして、
23巻になると、はからずも涙が滲みます
それからはジェットコースターです。
NARUTOとは比べようもありません
630 :
吾輩は名無しである :2010/06/03(木) 03:14:22
爺さんと言われると、おれの年齢だと「早熟」と「老成」のあいだ位になるんで
ゾクゾクしたぞw
「天皇陛下、降参!」と三唱したら考えてもやってもいいw
631 :
@(´ёωё`)@:2010/06/03(木) 13:01:25
「てん」では鳴く「てい」(笑)、低脳の魔違いでは〜(笑)低脳とは魔ったく離しに鳴ら無い点では降参ですねぇ〜(笑)
「アメリカニズム」 万愚節戯作
たるんだクッションのやうなスヰートピィ
もう十年代、流行おくれの色ですね
玉蜀黍の粕がくつついてる
赤きにすぎる口紅の唇。
ショォト・スカァトは空の色がみえすぎます。
歓楽は窓毎に明るく灯り、
スカイ・スクレェパァはお高くとまり、
鼻眼鏡で下界をお見下しとやら、
だが、ニッケルの縁ではね。
野蛮の裏に文化はあれど……
白ん坊の裡にも黒ン坊がゐる。
欧州向の船が出て、
髯なし共が御渡来だ、
カジノで札の束切つて
縄の御用もありますまい
レディ・メェドの洋服が船にのつておしよせる
あくどい洒落がおしよせる
自由とスマァトネスがおしよせる
「世界第一」がおしよせる
星のついた子供の旗をおし立てゝ。
平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
つまんねw
いゃ、ただオナッてただけなんだが…。覗くなよw
晒し首の金ピカ野郎
さて、三島の家には書物が約八千冊あった、と言われております(笑)参考のために一応蔵書目録は見たことがあるのですが、海外の書物の記載はなかったですねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
つまり三島由紀夫が生涯に読んだ本は一万冊を出ない、と言うことになるのでしょうかねぇ(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
>>638 見つかるとヤバイ蔵書は、死ぬ前に処分したでしょうね。
ブローカーかゴミ屋に渡すときの三島さん、サングラスかけてたと思いますよw
私も気をつけたいですが、狸さんも御同様でしょう。
640 :
@(´ёωё`)@:2010/06/03(木) 21:27:56
蔵書数=読書数とは鳴ら無いので無いで消火ねぇ〜(笑) 呼んで捨てたもの謎未知数で笑止〜(笑)
641 :
@(´ёωё`)@:2010/06/03(木) 21:30:48
以心伝心マゾ…ÅÅちゅーちゅー…(笑)以前は同タイムの書き込みも会ったと記憶死て増すけれども〜(笑)
643 :
吾輩は名無しである:2010/06/03(木) 22:14:50
こいつ真性のマジキチ
56 :( ̄ω ̄)獲らぬ狸 ◆ycr5A7VfSw :2008/05/02(金) 15:44:19
因みに私は谷崎潤一郎の生まれ変わりを名乗っておりますが、飽くまで自称ですからねぇ(笑)
狸さんは教養人ですから、マジキチじゃないと断言できるように
もう少し見守りたいと思います(笑)
645 :
吾輩は名無しである:2010/06/04(金) 01:18:30
↑ご本人の登場ですw
マジキチって褒め言葉じゃね?
647 :
吾輩は名無しである :2010/06/04(金) 02:42:50
狸さんの追っかけ厨が来ましたw
648 :
吾輩は名無しである:2010/06/04(金) 03:04:35
面倒臭いけど一応違うとか言っとく。
650 :
吾輩は名無しである:2010/06/04(金) 03:13:52
651 :
吾輩は名無しである :2010/06/04(金) 03:17:14
647だけど
俺はケツに烙印があるらしいから(爆
652 :
吾輩は名無しである:2010/06/04(金) 03:19:20
実はそうなんです…
655 :
@(´ёωё`)@:2010/06/04(金) 13:24:17
痴呆( ̄ω ̄)のチープな映画論に勘当の低脳モンキー(笑)、藁貸し増すねぇ〜(笑)
656 :
吾輩は名無しである:2010/06/04(金) 17:08:24
その通り。間違いありません。
658 :
吾輩は名無しである:2010/06/04(金) 17:25:55
↑図星じゃないんやったらスルーすんもんやろwww
そうですね。もうバレバレだな。おれ恥ずかしいわ…
660 :
吾輩は名無しである:2010/06/04(金) 22:27:56
>>659 自称小説家志望は死ぬまで2ちゃんねらーw
661 :
吾輩は名無しである :2010/06/04(金) 22:44:27
狸さんが、超名物コテハンとなる日も、そう遠くないかもしれません。
でもそれが、悪夢のような悪寒がするのは、何故でしょう(笑)
662 :
吾輩は名無しである:2010/06/04(金) 23:03:48
何歳になったら2ちゃんやめるんだろうね?おれ。
664 :
@(´ёωё`)@:2010/06/05(土) 01:12:58
663
死ぬ間際の遺言は2ちゃんに書いては道で消火ねぇ〜(笑) 「グッドバイ」謎は文学的で笑止〜(笑)
>>655 私が、狸さんに映画のことを聞いたのは、「罠」だったんですよ
私は弟(≒ルフィ)と違って、かなり根性がまがってるので
最初から狸さんを美術系のひとと見立てて
映画をダシにしてそれを探ったのです
果たして、狸さんの「エル・スール」の捉え方、
そんな感じでした。
なので、「曲解」と付け加えたわけです(笑)
33 :考える名無しさん :sage:2010/03/26(金) 09:13:10 0
これが現実だよね〜(プププ
http://okwave.jp/qa/q2230788.html 解決済みの質問
2ちゃんで自作自演
僕はしたことはないのですが、(それを証明する手立てもありませんが)2ちゃんねるで自作自演する人がいるようです。
それに関しては特に問題はないと思っているのですが、あるスレを見ていたときに、名前は匿名、IDは???にもかかわらず、
ビューワーで見るとわかる(自作自演かどうかが)というレスがありました。
ビューワーってお金を払う壷のことでしょうか? なんとなく気になります。フリーソフトでそういうのがあったら、
ちょっと安心するような気がして使ってみたいです。知っている方、教えてください。
投稿日時 - 2006-06-22 09:04:04
通報する
QNo.2230788
質問者が選んだベストアンサー
ただ、カマを掛けているだけではないでしょうか?
2ちゃんねるビューワーでもフリーソフトでも
そういった自作自演証明ツールなんてものは
運営サイドで書き込みログを見ることができる
人意外むりだと思います。
投稿日時 - 2006-06-22 09:15:16
34:考える名無しさん :sage:2010/03/26(金) 09:30:41 0
クッキーハッカーの存在を知らないとは情薄だな(w ←こいつこいつwこいつだろ汚物ニートってw2ちゃんでクッキーハッカーw狂ってるw
笑いすぎて腹いてえわwぎゃははははw低能wキチガイw
667 :
@(´ёωё`)@:2010/06/05(土) 13:28:24
寒総理の目的は郵政法確定と消費税の増税とのこと〜(笑)次代表選(6〜9月)までの短期間に名されることで症ね〜(笑)寒総理ブーイングの荒らし藁貸し増すねぇ〜(笑)朝鮮戦争も注目ですよ〜(笑)
668 :
@(´ёωё`)@:2010/06/05(土) 13:34:17
核密約書は破棄とのこと〜(笑)これほど重要な書類が破棄とは(笑)、世界一いいかげんな日本政府 藁貸し増すねぇ〜(笑)さて、マゾちゃんに破棄が日本政府の狂言と死たなら核密約書の在り処をお尋ね死魔性〜(笑)
http://lazymiki.exblog.jp/13075060/ これ(追加の往復書簡)は面白かった。川端は事件時すでに睡眠薬中毒だった
ので、市ヶ谷駐屯地にむかう川端の異様な薄ら笑いを映像で見たことがある。
この中で三島は『楢山節考』の印象を面白おかしく川端に伝えていた。
それに対しての川端の返答はなかった。
川端が『楢山節考』を読んだとしても、おそらく何の感興も覚えなかったろう。
三島は『楢山節考』を、新人賞の選考において唯一例外として驚かされたと
評しているが、川端がこれを読んでもボンヤリするだけなのは承知の上で、
それでも「ひょっとしたら」という一抹の遊び心が働いた様子が窺える。
川端は孤児であった、その境遇をツラツラ思いあぐね、そのほうが幸せだった
のかも知れぬと語っていた。
尚、三島は発禁を覚悟してたであろう旨も窺える。
>>669 こういうのを、「自己レス」というのかどうか、微妙ですけども(笑)
私には、「瘋癲老人日記」にたいする遣り取りのほうが、面白かった
互いの「老い」についての心情が、透けて見えた憶えがあります
ここらへんは、私の本意ではないのですが・・・
まあ、弟への付き合いです(笑)
スノビズムよりは増しでしょう(笑)
はい、ええと、しつこいんですが・・・
私が狸さんを探し当てたとして、
そこに禿げちゃびんの爺さんがいて
ギョエッと吃驚してる様が浮ぶのは、何故でしょう
すいません、根性まがってて(笑)
672 :
吾輩は名無しである:2010/06/05(土) 21:38:25
腹切った時に舌噛んだ?
女じゃあるまいに、武士の面汚しだな、そりゃ
武士ではないから、仕方がないのでは(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
>>668 どこでせうか… 先祖の墓とか骨壷なら、万が一、捜索されたときも大丈夫そう。
隠してたとしたら、関係した官僚の一家ぐるみでは(笑)
675 :
@(´ёωё`)@:2010/06/05(土) 23:59:17
なにの発禁を三島は覚悟されたので消火ねぇ〜(笑) 低脳モンキーの頭は大丈夫で消火ねぇ〜(笑)
676 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 00:03:14
以心伝心マゾ…ÅÅちゅーちゅー…(笑)
>>675 あと一秒で、またシンクロでしたね。ちゅぱはぐ(∩)
∋彡ノノミ∈
川´・◇・`川 (∩) ヨーロピアン シュガーコーン
678 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 00:07:32
674
なかなかの推理ですよ、マゾソンくん(笑)関係者の一家ぐるみで症ね(笑)、しかし官僚では無い〜(笑) さて〜(笑)
679 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 00:09:48
以前は同タイムの書き込みも会ったと記憶死て増すけれども〜(笑)合体((@))くちゅくちゃ… (笑)
>>675 おまえにも脳ミソあったとは胃害だな、0.2gぐらいか?
「覚悟した」→「夢見た」だよ
もっと阿呆つうこった
681 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 00:18:24
680
藁貸し増すねぇ〜(笑)発禁を「覚悟した」→「夢見た」(笑)意味不明なのですけれども(笑)なにの発禁を「夢見た」ので消火ねぇ〜(笑) そうとう低脳の酔うですけれども〜(笑)
覚悟する、と、夢見る、じゃあ、心境が違うでせうね。意味不明なモンキー安岡(笑)
では、久々にマグナムヨーロピアンシュガーコーンと合体しながら((@))くちゅくちゃ…(笑)おやすみの世界へ…
684 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 00:35:40
682
669の糞文の文脈殻、低脳モンキーは『楢山節考』の発禁を三島は「夢見た」との解釈に鳴るのですけれども (笑)『楢山節考』関連の本で「発禁」謎の文字が会ったので消火ねぇ〜(笑) 三島が『楢山節考』の発禁を「夢見た」事実をマゾちゃんはお尻で消火ねぇ〜(笑)
低脳モンキーの妄想は離しにも鳴り魔戦〜(笑)
685 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 00:37:53
では、わたくしも…ÅÅおやちゅーちゅー…((@))おやくちゅくちゃ… (笑)
もっと早く寝ろな、治るかも知れんから
おやはや(笑)深沢はそれ程ましな作家ですかねぇ(笑)そもそも日本近代文学はオーソドックスなものを作ることができずに、いつも周縁に逃げておる(笑)
その現われとして深沢がおると(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
688 :
ミッキーハウス:2010/06/06(日) 01:54:45
文学そのものが社会の周縁では?(笑)
>>687 はい、これは私の方がレスしましょう、狸さん担当ということで(笑)
私も、深沢をまともには評価しません。
谷崎の読みは正しく、「笛吹川」より「東北の神武たち」がまだマシかと。
ええと・・・結論に行きますと、
三島を含めた戦後派作家にかぎれば、「周縁」の部分こそが、スカスカで(笑)
スカスカのところに入り込めた作家は、深沢以外にも多士済済、なんちゃって
この図式は、仰るように、さらに俯瞰すると、真逆に変わってしまいますねぇ。
その場合、深沢は、まん中ポッカリのとこに移動します。
悪い意味のオーソドックス、といえば、さしあたり、このレスですが(笑)
>>688 ふつうに眺めると、そうなります
690 :
吾輩は名無しである:2010/06/06(日) 06:20:45
691 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 10:41:27
深沢翁の諧謔謎は人を死に至ら死めるほど強烈です殻ねぇ〜(笑) 理解できる読者は稀(笑)、阿呆や低脳では無理で笑止ねぇ〜(笑)
692 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 10:45:38
民主党は核密約を徹底的に追求することです(笑)、日本が破棄とて米国にあるで笑止(笑)、日本全国民が腰を抜かすことに鳴るで症ね〜(笑)
>>684 三島が『楢山節考』の発禁を「夢見た」事実はありませんよ。
自著でもそんなもの少しも夢見てないでしょうね。作品やエッセイは発表されなきゃ意味ないから。
モンキー安岡丸谷の陳腐な空想ですよ。
694 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 10:54:25
わたくしも三島が『楢山節考』の発禁を「夢見た」事実は尻魔戦死(笑)、『楢山節考』関連にも発禁を「夢見た」事実は観たことが無い(笑)、低脳モンキーの妄想なので笑〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
695 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 11:16:04
さて、マゾちゃん(笑)支配者に獲って必要不可欠なものの回答です(笑)、わたくし率的には「洞察力」は支配されるものが支配するものに求めるもので、支配者に獲って必要不可欠なものでは無いのでは無いで消火ねぇ〜(笑)
妻り、支配者に獲って必要不可欠なものとは「カリスマ性」ですよ〜(笑)黒を白と逝い切れるだけの「カリスマ性」ですねぇ〜(笑)
餅論、すべての支配者が「カリスマ性」を持っている訳ではあり魔戦(笑)、そこで道するかと逝いますと、不敬罪を規定する訳です(笑)、黒を白と逝わぬ者を処刑する(笑)、
刺すれば、最後には黒を白と逝う者だけが残る(笑)、道です、凝れこそが魔さに日本の支配者のそれであり、捏造と暗殺こそが日本の歴史その者なのでは無いで消火ねぇ〜(笑)
鳩山失脚とは、黒を黒と逝っておったものが、米国の黒を白に同意した為とも家魔性ねぇ〜(笑) 米国の支配者に日本は無力であり、黒を黒と逝う「洞察力」謎は不要と鳴るで笑ねぇ〜(笑)
696 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 11:23:35
餅論、日本の支配者に獲っては米国を恐れ、黒を白と逝う「洞察力」は必要不可欠かも死れ魔戦けれどもねぇ〜(笑)
いざとなればアメリカなんか日本人のために命を賭けて戦うわけないんだから、
もう沖縄は、楯の会みたいな民間防衛隊で日本人が自力で守るべきでしょうね。
698 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 13:17:57
米国は日本のアキレス腱を欲熟知死て増す殻ねぇ〜(笑) これを道かせぬ内は楯の会みたいな民間防衛隊もトマホーク一発で御仕舞いですよ〜(笑) さて、日本のアキレス腱とは?
699 :
吾輩は名無しである:2010/06/06(日) 16:17:00
着ぐるみ換えたのか
700 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 16:46:53
大きなお耳、パッチリお目目に成型したと逝ってください増し〜(笑)
701 :
吾輩は名無しである:2010/06/06(日) 17:12:47
文学板コテでアンチ三島なのって誰と誰?
「楢山節考」は肉親の情、老いの問題を孕んでるよな
作家としての名誉を棄てなけりゃあんなことしない
作品にリアリティー与えるためにやったとでも言うのかいw
成り行きによっては人を斬り殺す覚悟もあったろうよ
損害賠償どころか、ひろゆきみたいに印税差し押さえられた
「発禁」までは三島の夢想の領域だと言っている
これ以上馬鹿にわかるまで噛み砕く気はねえ
(泰淳和尚は余りにも大胆に言いやすい相手だった)
・・・俺はこの部分と、その前後を想い出すために先のサイトを読んだ
<小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。小生にもしものこと
があつたら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろひ出し、
不名誉でメチヤクチヤにしてしまふように思はれるのです。生きてゐる自分が
笑われるのは平気ですが、死後、子供たちが笑はれるのは耐へられません。
それを護つて下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら便り(ママ)に
させていただいております。>
何回忌だったかわすれたが、遺族3人が泣いている写真を見た
それにも心を動かされた。遺族のことはいろいろ知ってる。
アンチもなにも関係ねえ。
>>703 その三島由紀夫の手紙(川端宛の)と、「楢山節考」の発禁がどうたらこうたらと、ごちゃ混ぜにして何が言いたいの?
さっぱり意味不明。
705 :
吾輩は名無しである:2010/06/06(日) 19:23:08
こいつ真性のマジキチ
56 :( ̄ω ̄)獲らぬ狸 ◆ycr5A7VfSw :2008/05/02(金) 15:44:19
因みに私は谷崎潤一郎の生まれ変わりを名乗っておりますが、飽くまで自称ですからねぇ(笑)
だからも一回な
>これ以上馬鹿にわかるまで噛み砕く気はねえw
707 :
吾輩は名無しである:2010/06/06(日) 19:26:22
日本語のことだまが世界を救うという迷信にとりつかれているんですが
祈りと誠とますらおぶりがこめられた日本語はまだ生きながらえてるのでしょうか?
中二病でもいいんで古神道から祝詞和歌を勉強する人が増えてほしいなとおもいます
個人的にいまの皇室はあんまり好きになれません
肉を食べるし 僕はニギハヤヒが好きなので ことばをまもる祭祀者として皇室にはそんなに期待してません
三島先生は尊敬してます
以上 永遠の中二病より
狸さん、もうちょっとだけ補足してください(笑)
>>706 なら、こんなとこに来なければいいじゃん。
他人に判るような説明もできない、しようとしない意味不明なら書きこんでも無駄でしょうよ。
…んでも、自分“の”蒔いた種だし。全ては自業自得としか。まじで。
あーこれはあくまでも三島由紀夫についての話。
うん。「どの口でw」ってね。おわらい。シネバカとしか思わない。
――以上はえーあくまでも三島由紀夫の、その心情に対する俺の感想ですが。
で、くどい様だがヘンなかんぐりはしないでね面倒くさいから。
…遺族がかわいそーってのはしっかしアレやね、「どんな」遺族だって
そりゃあ可哀想だよ、交通事故であれ過労死であれ。したがってナンセンス。
>>707 禿げしくスレ違いだがww先日『『東京セブンローズ』』を買いました。
うん未読だ。おもろいんかなー(アンチではないが、政治する、つーか端的に、
セッキョクサイ井上はおれあんま好かんのよねえ。。。
714 :
吾輩は名無しである:2010/06/06(日) 19:53:28
三島先生は大神神社に参られて 狭井神社から三輪山とはいされています
さい神社には 清明 と刻まれた三島先生筆の石碑があったと記憶しています
三輪山頂上の いわくら群をまえにして 三島先生は真っ青な空を見上げたと 記していますが 僕がいったときも真っ青な空でした
ある日三島先生のおはかまいりにいました。巨大な多磨霊園でぶじ平岡家の墓をみつけ ご挨拶したあと
ふらふら 霊園をあるいてると 古神道家川面凡児さんの奥津城に行き当たりました
鏡子の家を思いだしました
うんつまり彼は犯罪者だからね。そゆこと
>>711 私は、あんたがシネバカとしか思わないよ。
>>716 ああ、
>>703の「あんなことしない」って、三島の行動のことか。
深沢七郎が楢山に行って、何かやったのかと思ったわ(笑)
解読しにくい日本語でした。
>>711 かわいそーっては思わんぞ、哀れな、に近いかもな
俺はアンチなんで、あまり判り易く書くと信者が可哀想www
720 :
吾輩は名無しである:2010/06/06(日) 20:29:31
鏡子の家におけるなつおと神道家中橋房江の邂逅 龍の話しなどを単なる文学的な修辞だと思われますでしょうか
天機は漏らす可からずですが三島先生ははからずともフィクションに深秘を滲ませてしまっています
三島先生がその著者霊学せんていに感銘をうけた天行居友清歓真さんは いちども生身では 関西の仁田丸久さんとはあっていないのですが お二人はきちんと交流されておりました
そのまさかがある日本にぶち当たってしまったのが天才三島先生です
以上 永遠の中二病より
721 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 23:03:30
低脳モンキーは 藁貸し増すねぇ〜(笑)意味不明の糞文銅貨鳴り魔戦火ねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
722 :
@(´ёωё`)@:2010/06/06(日) 23:10:35
718
わたくし謎は深沢翁の楢山の発禁を三島が覚悟したと、低脳モンキーが発狂したのかと重い増したよ〜(笑)
三島は少年の文学、と深沢
>>719 哀れなのは、覚悟してた、と、夢見た、を同じように使ったり、伝わる文章が書けない日本語不自由なあんたでしょうよ。
おまえのワルイ頭に敬意を表し、特別にレスしてやるよ、よく聞けな
>馬鹿にわかるまで噛み砕く気はねえww
よし、これからお前にはこれで充分だ。
>馬鹿にわかるまで噛み砕く気はねえwww
>>720 夏雄の体験はそのまま三島が実際に体感したものでしょう。
自然描写の詳細さ心境変化などが、他の人物心理より緻密に描かれていると思います。
728 :
吾輩は名無しである:2010/06/07(月) 17:52:49
不道徳教育講座のお化けの季節というエッセイにも霊的秘密結社を修験道だろうとしながらも紹介しています
わかるひとにはわかる世界なのですが
気安く書くべきではないと思いました
それも 「明星」 という女性雑誌などに
といいつ私も2ちゃんねるしちゃいました
狸さん、どっちにも釣られなかったですね・・・(笑)
730 :
モンキー・D・ルフィ :2010/06/08(火) 19:55:40
ちょっとアゲとく
実はね
詳説はひかえるが、今の時代からながめてなお
三島という「人間」を考察する上で
もっとも反措定になる人間は誰かというと
老熟した作家の丸谷や安岡なんかよりも
(戦中から、中年期までという限定付きではあるが)
ほぼ同年齢の、吉行だよ。
731 :
吾輩は名無しである:2010/06/08(火) 20:18:38
安岡といえば安岡正篤しか知らないんだけど
吉田松陰が七世紀の壬申の乱のことを『講孟剳記』で語っています。そこで、たとえば弘文天皇が天武天皇に
三種の神器を奪われてしまったとき、レガリアがないとはたしてレジティマシーが天皇としてあるのかという
議論を、前期水戸学が問題にしている。これについて、吉田松陰はそんなことはどうでもいいと言うんです。
三種の神器を天武天皇から弘文天皇の臣下が奪い返せばいいんだと言うんです。つまり認識や理屈よりも行動だと。
実践的な行動が大事だと言っているんです。(中略)
(私は)日本人を非常に信頼しています。特に一般大衆と言いますか、庶民を昔から信頼しています。たとえば
徳富蘇峰が『近世日本国民史』で元禄時代の忠臣蔵、赤穂義士の事件のことについて触れています。
あれはいつどういうときに勃発しているかと言いますと、元禄時代ですので、およそ享楽と歓楽の世です。
元禄の世の中は黄金万能主義で拝金万能主義の世の中だと。太平楽で一切戦争から離れて、元禄のデタラメかつ
狂乱の文化を謳歌していた時代に、突如として江戸に腹を斬らなければならない人たちが四十何人も出た
驚くべき事件が出来したと言っている。蘇峰はこれを大正時代の今日に東京丸の内へ虎が飛び出すよりも
驚くべき事件だと言っている。
つまり日本国民に潜在している尚武の気性は、歴史的にいよいよ危機になってくると必ず実践として噴出する
というわけです。山路愛山も福本日南も、歴代の近代ヒストリアンは皆同じです。
まさにその伝で三島由紀夫さんが身を捨てて、戦後の昭和元禄みたいな世の中に警鐘を鳴らしてくれたわけです。
杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
確かに表面上はどんどん悪くなっていると思います。たとえば北朝鮮の拉致問題とか、憲法改正問題を含め
何一つ手を付けられない。その背後には日本国民の国家意識の問題がありますね。
たとえば有事法制を作った。北朝鮮で不審船の侵入事件がありましたが、あのときに自衛隊法八十二条で
海上警備行動を発動しようとしましたが、最初は巡視船でやっていて自衛隊はなかなか出ない。私が教えを受けた
坂本多加雄先生に言わせると内閣がもたもたしていたからだと言う。ではなんでもたもたするのかと言うと、
一般国民のなかにそういう構えができていないからです。しかし日本国民は健全だから必ず目覚めると常に
一貫しておっしゃっていました。私もそう信じています。三島さんのような人が、まさに昭和元禄の頃に
突如としてああいう行動を噴出させたようにです。
私はどんどん駄目になって遂に破滅に至る、日本が溶解するとは思っていません。近代以前もそうですけれども、
歴史を勉強しているうちに、そんなに捨てたものではないだろうと思うようになりました。
むしろこれから真の三島のような人がまた出てくるであろう。本当の危機のときに必ず日本人は英雄を生み出すと
山路愛山も徳富蘇峰も言っています。そちらのほうに私は賭けたいと思っています。
そもそも日本を溶解に導いているのは、むしろ政治家や知識人といったエリート層です。戦前も戦後も
そのパターンで、大衆国家日本の庶民の常識こそ信じたいのです。そしてそこから英雄が出現するだろうと。
杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
読む気がしない長文
他のスレを読んでいて、狸さんが、いわゆる古典主義者のコテであることに、ようやく気付きました。
そうすると、何のことはない、易々と一本釣りできるではないか、と勘違いしてしまうのは、
何故でしょう(笑)
>>735 ζ
(´・◎・`) ぽまいがぱかたからたおぅ。
論争してよ。真面目に。喧嘩腰じゃなく。
おれとするか?
おことわりします。
ふられちゃったな
吉行は、三島が死んだ当日の午後、
大岡昇平にオンナのことで尋ねられていたのをふと思い出し
電話して大真面目にそのことに答えてから
「しかし、大変なことになりましたね」とテレビ横目に言ったら
大岡が困惑したように苦笑したので
順番まちがったかな、と悩んでいた。
都知事が昔、三島と会うのに裕次郎を連れてった
以前、現都知事が三島と初対面のとき、思わず、三島さんて意外と小さいですね、
と言ってしまったところ
三島は、わはははは、わっはっはっは、と笑い続けた
で、裕次郎と来た日には、
兄さん、あの人、身長はともかく、背広が似合わないよ
と、真顔で心配していた
戦後の日本人に大きな魂を残したのは、三島由紀夫と神風特攻です。これも実はフランス人がそう言っているんです。
ベルナール・ミローが『神風』という本を書いていまして、「特攻の精神は、千年のときを貫いて人間の
高貴さを示している」と1970年代に書いています。戦後の日本人に対して特攻隊と三島の死が非常に大きな
力と言いますか、日本精神の原点は何かということを教えてくれた気がします。
憲法の問題ですが、アメリカが作って翻訳された「たかが成文憲法」です。しかしこのたかが成文憲法を戦後
60年近く押し戴いている日本は一体なんなんだというのが私の今の正直な感想です。自民党がこうなったのも
当然だと思います。
富岡幸一郎「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
三島が45年の11月25日に、自民党政権はもはや火中の栗を拾わない、すなわち憲法改正をしなくても
政権は維持できる。このことにどうして自衛隊の諸君は気がついてくれなかったんだと言っています。
そういう意味で、政治論ですけれども、たかが成文憲法を変えられない我々の問題も感じます。
あと二年のうちにということがどういう意味かと考えると、三島没後の72年にあれほど対立していた米中が
手を結びました。つまりあの瞬間に日本の憲法改正も、自衛隊が国軍になる日もなくなった。あるいはその
チャンスが失われかけた大きな危機だったのではないか。今はそれと同じ状況だと思います。スケールは違いますが、
同じ事態が出来している。アメリカと中国が経済同盟を結んで日本をスルーしていく。民主党政権の外交は全く
機能しておりません。
富岡幸一郎「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
745 :
@(´ёωё`)@:2010/06/10(木) 23:44:56
(´・◎・`) …ÅÅちゅーちゅー乳かいな… (笑)
>>743 単なるオリエンタリズムでしょ。そこに詳細な分析はないでしょ。
俺は三島を肯定するけど、少なくともそのフランス人のようにではない。
748 :
吾輩は名無しである:2010/06/11(金) 02:17:36
ミル・マスカラスという禿げの覆面レスラーがいて
斯界では、大変なインテリと称されていた
彼は控室で、おそらくはウエザビー翻訳であろう三島の「仮面の告白」を読みながら
Excellent!と吠え、頷きまくっていた
教師をしていた弟のドスが、
この人は日本の有名なボディビルダーだ、と矢頭保の撮った写真を見せたところ
兄のこの元ミスター・メキシカンは、そのあまりにも貧弱な筋肉に、
「仮面の告白」を壁に投げつけてしまった。
>>748 「仮面の告白」は三島の様々なコンプレックスの告白だから、それに感銘しておきながら、
貧弱な写真を見たから幻滅するとかはあり得ないでしょうよ。
見え見えの作り話ご苦労さま。
仮面は覆面に破れたのであった。
>>742 背広が似合わない、って言ったわけじゃなくて、そのときに三島が着ていた高価なウグイス色のスーツのことを
「兄貴、奴の着ていたスーツはずいぶん凝ったもんだぜ。あれあ高いぞ。でも、あんまり似合っちゃいねえよな」(石原慎太郎「わが人生の時の人々」)
と言ったんだよ。
752 :
@(´ёωё`)@:2010/06/11(金) 17:02:22
さて、文献に忠実では無い低脳の読解の酷さが明らかに鳴ったようですけれども、勇次郎さえも到底変えないような高価なスーツに負け惜しみの一言だったので消火ねぇ〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
753 :
吾輩は名無しである:2010/06/11(金) 19:57:27
『ドスカラスが告白する兄ミスカラスの真実』より抜粋
<その時、弟のドスカラスはわかっていた。兄のすべてがわかっていた。(略)
聡明で控え目なドスは、兄が幼少時に虚弱体質であり、さらに生まれつき毛深い体であることに
劣等感を抱き、長じてそれがボディビルに凝り、体毛をツルツルに剃ってスキンリームを塗って、
人前にでることが次第に多くなって行く経緯を陰から黙って見つづけ知っていたからである(略)
しかし、兄の稚児趣味だけは許せなかった。もともと兄には自分本来のものではない、華奢で体毛
の薄い青年を好むところがあったが、実際には一種虚構の見せかけであって、そういったポーズを
取ることによって自分の劣等感をカムフラージュする道具としていた事実がやるせなかった。
(略)たしかにホモセクシャルのマスクを被れば、女性に好まれなかった少年時代と、自分自身の
真実の姿を遠ざける形にはなった。(大略)そんな兄にとって、嫌悪の対象となったのは、
ボディビルの失敗作、均整がとれず厳つくてフレームの劣る小人の底上げな筋肉体だった>
>>753 自分の気に入らない体型だから、その人の書いた小説を放り投げたと言いたいわけ?
それじゃ、ただのヒステリーバカの頭のおかしい男だよ。
まあ
>>748に対しての正確な引用をしてないから本当かどうかわからないけどね。
どうせ歪曲妄想してんだろうし。モンキー安岡が(笑)
>>751 しかし裕次郎の服のセンスもけっしていい方じゃなかったろうにな。
特にスーツやシャツ、ネクタイの趣味なんて酷かった。
映画で着用していたスーツやジャケット、コートなどはカッコよかったが。
自分に似合はないものを思ひ切つて着る蛮勇といふものも、作家の持つべき美徳の一つである。
三島由紀夫「発射塔 文壇衣装論」より
>>749 >>754 ♪キンコンカンコン。信者の皆様、お勉強タイムです、ただし早打ちですがw
まず、三島が好んだ「類推」という言葉の意味を辞書ひいて理解しましょう。
それから、先の手記を何度か読み返しましょう。想像力が大事ですよ。
ミル・マスカラスはどうやら、複雑な人物であるとかかれていますね。
プロレスラーのパフォーマンスを馬鹿にしてはいけません。弟のドスは、
兄が「仮面の告白」を読む心情、理解してたんでしょうね、そして三島のことを
自分好みの(三島も憧れた)ヒゲなし男と勘違いしている様子を見抜いたのです。
そこで、弟は疑似ホモ小説につられている兄の目を覚ますために、矢頭保の噴飯
ものの写真を見せた、ということです。また兄にも、弟の気持は伝わっていたでしょう
そこで、弟(観念的な稚児趣味を批判)への心情と、三島の眉の濃さや胸毛、
そして貧しい体躯を見た気持から、そのようなパフォーマンスをとった、
がここでの正解になります。
いいですか、ここまで。ミル・マスカラスは「仮面の告白」に感銘しておきながら、
なおかつ弟の気持を汲んで(写真も審美眼に耐えられなかったろうが)
なおかつ同族嫌悪を覚えて、ヒステリーバカのパフォーマンスをとったのですよ。
おやはや(笑)もうこれ以上は付き合えません。あとは恒例となりました・・・
>馬鹿にわかるまで噛み砕く気はねえwwww
疲れますね。もうすこしマトモな人いませんか?
>>757 あんたの陳腐な精神分析もどきの推測なんかどうでもいいよ。
三島は別に「類推」という言葉も特別好んでもないし、特にヒゲなし男に憧れてもいないよ。
>>757 >もうすこしマトモな人いませんか?
ご希望ならカウンセリングしてあげようか?
>>757 だいたい、石原裕次郎の言葉を勝手に歪曲して、あんたの良いように捏造してる時点で、
あんたが人に三島関連エピソードを教える資格ないから。
>三島は別に「類推」という言葉も特別好んでもないし、特にヒゲなし男に憧れてもいないよ。
文献主義以前ということですね(笑)
>>762 三島が「類推」という言葉を好んだとか、ヒゲなし男に憧れたという根拠は何よ?
>>763 >馬鹿にわかるまで噛み砕く気はねえwwwww
歪曲や恣意分析がアンチのやり方。
>>764 なんだ、やっぱり何の根拠もないハッタリ妄想か。
767 :
@(´ёωё`)@:2010/06/12(土) 12:21:54
まず低脳は「想像」と「妄想」の痴害を汁必要があるで症ね〜(笑)ミル・マスカラスが三島の「仮面の告白」に憧れマスクマンに鳴ったのは欲わかり増した殻〜(笑)藁貸し増すねぇ〜(笑)
>>766 あんた、マジに涙目だな
>>767 あのな、はっきり言ってこのスレ、人材難だよ
だからアゲんな、ゴミのくせに
こんなスレにマジレスを投下してどうする?
770 :
@(´ёωё`)@:2010/06/12(土) 12:52:37
768
低脳ぶりを揚げられて何か後不都合でもあるので消火ねぇ〜(笑)
>>770 ゴミクズは土曜日だと働くの?
カスのくせに、バカ道化がwww
773 :
@(´ёωё`)@:2010/06/12(土) 13:17:53
771+772
涙が止まらぬ低脳 藁貸し増すねぇ〜(笑)
おっ、無・職・だ・な
それとも糞ニートが痔慢かようクズ
@(´ёωё`)@ サンも叩かれているんですね。いい人なのに。この不条理には納得いきません。
@(´ёωё`)@ はミミズの餌にすべきだwww
つまんねから@(´ёωё`)@に粘着汁www
三島ファンに脅される@(´ёωё`)@ が好きです。
@(´ёωё`)@ ←こいつは文学板に湧いた最低のアリフレ蛆虫 ギャハハハ
くーそ、くーそwww
あんまりくそくそ言わないでください!
@(´ёωё`)@ は私の自演キャラのひとつなんです!
そんなことより盾の会の話でもしましょ♪
うせー
@(´ёωё`)@ ←カス蛆虫バカ道化www
@(´ёωё`)@ さんを助けてあげてください!ボディビルの話でも!
うせーwww
いじめられている人を救うとは勇気あるな。乙。
吉行が銀座のバーで飲んでいたら
三島が現れ、目の前を通って
カウンターに肘付いてポーズを決めママさんと話してた
ガニ股座りの吉行は、女のケツなでながら
「あれじゃ、疲れるな」
と思った。
吉行の手が、アソコに近づいてくうちに
いつのまにか三島はいなくなっていた
吉行は、初期三島の漢字の使い方に難癖をつけていた
「仮面の告白」の最初の「下したての爽やかな木肌の盥」で
もうイカン、とおもった。
盥という漢字はまがまがしいので、ここはタライでなくてはいかん、
と言っていた
自分の漢字にたいするアレルギー発作を述べていたのだ
例えば「蟹」という漢字は吉行には最悪だった
「文学放浪」という著書で、堂々と三島の漢字無神経さを指摘しつつ
「仮面の告白」には脱帽した、と社交辞令したが
そのうち忘れてしまった。
売文して女を囲えれば、バッチ・グーだったのだ。でも戦々兢々だったなぁw
吉行にはヒゲ、なかったw
三島との2ショット写真、三島にはかわいそうだった・・・
何がかわいそうなのかさっぱり意味不明。吉行なんてジジイ変な爬虫類面してるし。
790 :
吾輩は名無しである:2010/06/13(日) 00:30:09
三島由紀夫『奔馬』飯沼勲のモデルといわれる烈士の自叙伝が復刻。
昭和維新を高らかに謳った憂国の熱情と至純の初恋物語。
影山正治『一つの戦史』(大東塾、発売=展転社)
三島オタってよ、なんか縋り付いてるってイメージなんだけど・・・可哀そす。
つまんねな。狸でいいから陽明学とかイン哲でミシマを擁護してみ
俺にはエースがついてるからw、あとは知んねww
谷崎賞もらってパーティで飲んでいた吉行のところに、
選考委員だった三島がやってきて、授賞式に10分ほど遅れた
非礼を詫びた。時間に几帳面な吉行だったが、
三島が謝ったからそれで済んだ、と思った
ところが三島がその後もまたやってきて、
遅刻の言い訳をくり返すので
吉行は小首を傾げた
「さん」付けで呼んでいた川端が、
ラリッてイミフなことを話しかけてきたのを
不思議そうに眺めたくらいだから
この時も、キョトン顔だったろう。
その一週間に三島はあぽーんした
吉行は、ああ、あれは自分自身に謝ったのか、
と腑に落ちた。
桜田門(警視庁)から市谷まで何分かかるか
それまでに終らせないといけない・・・
まあ御苦労なことでしたw
吉行ってずいぶん、ひねくれた男だね。
何年も前から檄文のなかにあった二年後というのが気になっていて、一体なんなんだろうとずっと考えていました。
あるとき気づいたんですが、一つは米中接近がありますね。もう一つは沖縄返還です。昭和47年に沖縄返還が
行われることは決まっていて、そのときにどういうかたちで返還されるのか。それによって日本という国家が
相変わらず独立できないまま半独立国家として、アメリカの永久占領が限りなく続いていくことを三島は見抜いていた。
彼が45年の生涯で書いたものの全てが、今の21世紀の私たちに突き刺さってくる問題ばかりを書いている。
それが天才の所以なんでしょうけれども、認識と行動の問題もつくづく考えさせられます。二元論に自分を
追い込んでいって、ラディカリズムがニヒリズムを克服するという方法論をとったのではないかと私は解釈しています。
西村幸祐「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
(中略)
三島は現実的な問題も、十分捉えていたわけです。二年後に自衛隊はアメリカの傭兵になってしまうと
1970年の時点で言い切っていたのは、米中接近と沖縄返還のことを、すでに視野に入れていたということです。
(中略)
最近よく話題になる核のシェアリングの問題がありますけれども、そういったことも三島さんは考えていた。
それは日本の核戦略はどういうものになるのかと、40年前の時点で考えられ得る現実的なこともちゃんと
提起していた。国土を守るほうの自衛隊を、国軍として成立させることで、日米安保体制下のなかでの日本の
自主防衛をどうしていくかを、40年前のあの制約のなかで考えていたことは素晴らしい慧眼だと思います。
西村幸祐「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
くだらねw
富岡幸一郎←中大という超ノンポリ学校の文学部でひたすら勉強っ子し
戦後文学論を群像の新人評論に応募するもどっぺる。吉行だけが「謙虚」だ
とホメたが、次回に三島を論じたけど、又どっぺる。…その後ホシュの立場を
を標榜するも、チャンネル桜でしか通用しない。「朝生」で生姜に叩かれ
見事に涙目w
西村幸祐←在学中「三田」にかかわる。いかにも「編集者」のくせに
サブカルに徹して2ちゃんに媚びるだけならまだしも、急に三島を論じだして、
スルーされた。チャンネル桜の常連、富岡とおなじで存在感ゼロ
憂国忌でしゃべる奴、カスばっか、読む気しねぇw
800 :
吾輩は名無しである:2010/06/13(日) 16:07:39
アンチ涙目
読むか、アホww
だからアゲんな、つーの。ここはアンチ以外はカスの掃き溜めだぞ
>>803 はいはい、カスアンチがみっともない自画自賛。
おまえはアンチの俺様のチンチンのカスだw
アンチはアンチスレでやれば?アンチのくせにコソコソsageてまで、コソコソとアンチしてバカじゃないの。
アンチスレに行ってほしいか?根性ねーなwww
808 :
@(´ёωё`)@:2010/06/13(日) 16:49:32
アンチのレスラーが三島の仮面の告白に勘当してマスクマンに鳴ったお花死は足しかに片腹痛いほど藁得増したけれどもねぇ〜(笑) 低脳モンキーの深沢翁の楢山に発禁を覚悟死た三島が切腹死たというわけの若らぬお花死も最高で死た殻ねぇ〜(笑)
刺すがカスのアンチと逝った漢字(笑) で荒れには藁貸し増すねぇ〜(笑)
>>807 普段sageてるスレにわざわざ粘着してアンチなんかやってるあんたのが根性ないでしょ。
そんなに三島が怖いの?
810 :
@(´ёωё`)@:2010/06/13(日) 16:53:09
アンチとの議論は魔友な日本語がアンチに欠けて殻のお花死ですよ〜(笑)
まだ来んのかチンカス
812 :
@(´ёωё`)@:2010/06/13(日) 16:56:52
805
魔ずは議論より刺きにご自分のそのチンカスを綺麗にお掃除されては道で消火ねぇ〜(笑)
アンチと名乗るほどのアンチでもない間抜けチンカスのくせに、sageろとか、
いちいちどうでもいいことを人に指示してうるさいチンコだよ(笑)
814 :
@(´ёωё`)@:2010/06/13(日) 17:11:04
揚げるのは魔友な日本語がアンチに欠けて殻(笑) そのチンカスを綺麗にお掃除されて殻(笑) では道で消火とのお花死ですよ〜(笑)
>>814 チキンの糞道化ゴミちゃん、夕食前のストレス解消にようこそw
>>814 親父の精液が布団のシミになり、母ちゃんの割れ目に残ったカスがオマエ、糞道化の藁貸しだww
817 :
@(´ёωё`)@:2010/06/13(日) 17:27:01
涙が留まらぬようですけれども〜(笑) 藁貸し増すねぇ〜(笑)
おフェラ豚の母ちゃんにもっと慰めてもらえな、アホコテたのしいか?
質問に答えろ、たのしゅうございますか?
820 :
吾輩は名無しである:2010/06/13(日) 17:45:20
何年も前から檄文のなかにあった二年後というのが気になっていて、一体なんなんだろうとずっと考えていました。
あるとき気づいたんですが、一つは米中接近がありますね。もう一つは沖縄返還です。昭和47年に沖縄返還が
行われることは決まっていて、そのときにどういうかたちで返還されるのか。それによって日本という国家が
相変わらず独立できないまま半独立国家として、アメリカの永久占領が限りなく続いていくことを三島は見抜いていた。
彼が45年の生涯で書いたものの全てが、今の21世紀の私たちに突き刺さってくる問題ばかりを書いている。
それが天才の所以なんでしょうけれども、認識と行動の問題もつくづく考えさせられます。二元論に自分を
追い込んでいって、ラディカリズムがニヒリズムを克服するという方法論をとったのではないかと私は解釈しています。
西村幸祐「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
821 :
吾輩は名無しである:2010/06/13(日) 17:45:41
(中略)
三島は現実的な問題も、十分捉えていたわけです。二年後に自衛隊はアメリカの傭兵になってしまうと
1970年の時点で言い切っていたのは、米中接近と沖縄返還のことを、すでに視野に入れていたということです。
(中略)
最近よく話題になる核のシェアリングの問題がありますけれども、そういったことも三島さんは考えていた。
それは日本の核戦略はどういうものになるのかと、40年前の時点で考えられ得る現実的なこともちゃんと
提起していた。国土を守るほうの自衛隊を、国軍として成立させることで、日米安保体制下のなかでの日本の
自主防衛をどうしていくかを、40年前のあの制約のなかで考えていたことは素晴らしい慧眼だと思います。
西村幸祐「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
@(´ёωё`)@ ←最下等の生物(笑)
質問に答えろ、クソコテたのしゅうございますか
823 :
@(´ёωё`)@:2010/06/13(日) 17:56:04
@(´ёωё`)@ ←クズwww
あーあ、カラミがバカだとつまんねな、ここバカばっか
丸谷のとこでも行ってまた荒らして来るかwww
チョ
>>823 なんだかその平野さんの例え話はチンケな感じですね。
日本にミサイルが打ち込まれたときに、アメリカだのの世界(?)のYouTubeを見た世論に期待するとか。
他国に期待してどうすんの?一発打ち込まれたときはもうすでに遅いんだよ。
そのときの島国日本のダメージを想定できないんでしょうかね、平野さんは。
いくら、日本に様々な外国人がいて、その人たちも被害を受けても、その本国にいる人々は
自国の土地や文化が襲われなきゃ、所詮は他人事でしょうね。一時的には同情するでしょうけど。
経済がどうとかも、高い経済力の国は軍事も整えてるでしょ。
藁菓子ですよ〜
826 :
吾輩は名無しである:2010/06/14(月) 01:58:40
平岡威一郎「あと10年か・・・」
827 :
吾輩は名無しである:2010/06/14(月) 02:20:14
私を憂鬱にさせる大きな要因は、平岡(威一郎)君の存在であった。
避難訓練(共同下校)の詳細はよく覚えていないのだが、
「ああっ、またあの平岡君と一緒の班で行動しなければならないんだ…憂鬱〜!」
この感覚だけが未だに鮮烈に残っている。
私にとって、平岡君は、とても苦手な存在だった(^^;
(私の平岡君に対しての苦手意識は、三島由紀夫の長男だからだと言う理由からではない)
平岡君は、とても情緒的に不安定な子で、どう接してあげればいいのか?とても悩んでしまう、
という母性の感覚が働いてしまう存在だった。
828 :
マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2010/06/14(月) 02:50:11
威一郎などは親の威光で、と言うところがあるよな。ただ子供だから、と言うことで三島界隈に出没するのはおかしなことだろう。
幸田やら有吉やら中上やらをはじめ、親が作家だから自分も作家になる(しかも才能なし)な連中と比べればまだましだろうがなw
829 :
吾輩は名無しである:2010/06/14(月) 03:10:52
平岡威一郎 平野啓一郎
字面も音もよく似てるね
831 :
@(´ёωё`)@:2010/06/14(月) 12:46:45
825
道意見です(笑)、クンニカスケツ穴ゴリラの糞文を読むとこのケツ穴ゴリラが在日なのが欲わかりますねぇ〜(笑) 妻り外来者が日本に居て安心できる平和な国に城と逝って折るのですねぇ〜(笑)
そうして攻められたら世界の良心に期待城という〜(笑)その為に日本が居なくなっては駒るように世界に奉仕城という〜(笑)
もちろん日本が戦争になっても在日のケツ穴ゴリラは無関係で戦い魔戦けれども(笑)、戦火に巻き込まれて怪我でもすれば賠償は日本にしてもらう(笑)、そう逝ったチープな在日発送なのです殻ねぇ〜(笑) 三島再来ペテン藁貸し増すねぇ〜(笑)
832 :
@(´ёωё`)@:2010/06/14(月) 12:48:29
低脳アンチも去り、本題です(笑)、マゾちゃん〜(笑)
さて、戦争はなぜ怒るか?ですけれども〜(笑)
>>832 資源がとれる地域をめぐる利権とか、宗教や民族的な対立とか、その戦闘の背後で利益を得る武器商人の絡みとか、
様々な対立あるいは利得が原因でしょうか?
いや、今はもう戦争はビジネスでしょう。
武器商人というものがいるんです。日本では坂本龍馬が有名ですね。
武器弾薬は景気の起爆剤なんですよ。
しかしアメリカにおける軍需産業労働者と軍人の総数は500万人に過ぎない。
彼らの為に戦争が行われているとしたら、こんなにもバカバカしい話はない。
オバマも止められなかった。戦争を止めてしまったら暗殺されてしまうのか?
本当にアメリカは戦争を続けなければならない戦争が必要な国なのだろうか?
>>835 アメリカは戦争に依存してる国ですよ。
貧困層に保障を与える代償として兵役につかせ、社会格差を是正しているんです。
この制度の代わりの制度を何か作るとしたら、なんでしょうね?
そういう話はよく聞くよね。でもイラクやアフガンで景気が良くなったなんて話は聞いた事がない。
要するに一部の心ない売国奴が金儲けしてるだけじゃないの?それを社会問題にすり替えるのって
どうなの?と思うわけ。
ちがうちがう。
イラクやアフガンの景気なんてどうでもいいんですよ。侵略して当座搾取できれば。
ズレてるなあ…アメリカの景気の話に決まってるじゃん。
ああそういうこと。景気は維持されてますよね。維持されればいいんですよ。
書き方悪かった?イラク戦争やアフガン戦争でって意味ね。
ていうか、戦争で収奪した物資資源で侵略した国が豊かになるみたいなプロセスはもう古いんじゃないの?
儲からないよ。そういう意味じゃ。一部の大金持ちはもっと金持ちになるけど、ケツ拭くのは貧乏人だよ。
ニワカに沸いて来た低能国家が喫する自由とはそんなもんです。
俺はアメリカが好きだから言ってるんだよ。
ビーバス&バットヘッドが面白いアメリカは最高ですね^^
それは知らないけど…
じゃあザ・シンプソンズ アメリカを知るにはこれは欠かせません。
わざわざ頭悪そうなもの挙げてない?頭悪そうな所も好きなんだけどさ。
おまえら揃いも揃って五流サラリーマンの飲み屋談義かよw
むしろサラリーマンになりてえだ。
850 :
@(´ёωё`)@:2010/06/14(月) 22:55:30
レスが伸びて増すけれどもねぇ〜(笑) 無いようは無いようですけれども〜(笑)
831
わたくし率的見解を申死増すと戦争は怒るものでは鳴く、興されるものだと家るで症ね〜(笑)誰が興すかというと、戦争に逝かぬ者ですねぇ〜(笑) 妻り、わたくしのいう支配者ですねぇ〜(笑)
支配者というのは気まぐれです殻ねぇ〜(笑) 黒を白と言い増す(笑) 、そうして黒を白と言わぬ者を暗殺する(笑) 、すると残るのは黒を白と言う馬鹿りだけが残るという訳ですねぇ〜(笑)
マゾちゃんから質問が荒ればお答え死増すよ〜(笑) マゾ…ÅÅちゅーちゅー(笑)
851 :
@(´ёωё`)@:2010/06/14(月) 23:00:48
836
>この制度の代わりの制度を何か作るとしたら、なんでしょうね?
欲考えてごらんなさい〜(笑)もっとも効率の言い方法があり増す〜(笑)
852 :
@(´ёωё`)@:2010/06/14(月) 23:10:13
835
軍需産業労働者や軍人謎は支配者にして見れば所詮支配される者に過ぎないと家るで症ねぇ〜(笑)
戦争は支配者が興すものでして、支配される者が死のうと死ぬまいと道でもいいのですよ〜(笑)
俺もそう書いてるよ。所詮軍需産業のお偉いさんや政治家みたいな奴らの口実じゃないか、ってさ。
854 :
@(´ёωё`)@:2010/06/14(月) 23:23:40
853
いえ、少し馬鹿り違うのですねぇ〜(笑) 軍需産業のお偉いさんや政治家は支配者では無いのですねぇ〜(笑) この辺が穴多(o^v^o)はゴッチャに鳴っておる〜(笑)
855 :
@(´ёωё`)@:2010/06/14(月) 23:38:04
さて、
佃煮マニアさんと(o^v^o)鈴木雄介さんに「権威」と「権力」の違いについてお聞き死魔性〜(笑)
そうして、お金とは何か?お聞き死魔性化ねぇ〜(笑) 〜(笑)
>>854 そこまで言うなら誰が支配者なのかハッキリ言うべき。ロスチャイルドとかロックフェラーとか言いたい訳?
真の支配者が別にいたとしても軍需産業のお偉いさんや金を儲けた政治家の責任を曖昧にする訳には行かない。
>>855 そんな言葉遊びに興味はないけど、要するに権力っていうのはお金だよな。
それはテキトーすぎるかw
答えないでおく。あなたなりの定義があるなら教えて下さいよ。
858 :
@(´ёωё`)@:2010/06/14(月) 23:56:52
佃煮マニアさんの返答を俟つことに死魔性〜(笑)おやÅÅちゅーちゅー(笑)
聞いても仕方ないでしょ。
支配者って誰の事を指してるの?
イルミナティーとかそういう答えはなしね。
ちゃんとした個人名・団体名を挙げて下さいよ。
話が続いてたんですね。
>>855 権力は物理的な実力行使、権威は心理的圧力 を加える人物、団体の事。
マルクス・ケインズ的な「権力が社会経済を支配することで理想状態に到達できる」という思考と、
「新自由主義」的な経験則を重視して、「権力集中への嫌悪」や「人間が世界を支配できる」
という発想への嫌悪が根底で対立しているよう。
つまり単に経済政策の成功率というより、「世界観の対立」がありまふ。
@(´ёωё`)@ さんはどう思いますか?
>>841 結局は物資資源の争いのようだよ。↓
アフガニスタンで大異変――オピゥムからリチュームへ
すさまじい希少金属の鉱脈を米国特別チームが発見していた
****************************************
「リチュームでアフガニスタンはサウジアラビア級の大資源立国となる」とNYタイムズが特筆した(2010年6月14日付け)。
この驚天動地のニュースは、じつは三年前から米国の知識学者がしらべあげ、ペンタゴンが内密に確認作業をおこなって、ゲーツ国防長官がカブールを訪問した際、カルザイ大統領に耳打ちしている。
つまり、この情報は本物であり、しかも詳細な機密データはすでに中国にも漏れている可能性がある。というのも中国は既にほかの鉱山を物色し始めているからだ。
あのアフガニスタンが現代テクノロジーに絶対欠かせないレアアース、希少金属などの宝庫だったわけで、オピゥム(麻薬)からリチュームへと言われる所以である。
つづく
リチュームの埋蔵はボリビアのそれに匹敵し、さらにはレアアース系のニオビウムも埋蔵が確認された。ただしパシュトンが支配する南部など有力鉱山は殆どがタリバンの支配地域にある。
情報が秘密扱いされてきたのも、このデータが漏れれば、むしろタリバンを鼓舞することになるからである。
35年もの長きにわたって戦争をつづけてきたアフガニスタンは自国の宝物に気がつかなかった。
およそ2400年前、アレキサンダー大王がカイバル峠を越えた折、カブールの南にアイナメの山脈が光ることを発見したという記録がある。
アイナメ鉱山の開発は欧米メジャーをさしおいて中国が落札し、米軍が訓練し、日本が給料を出すアフガン警察によって守られ、とうに中国は開発を始めているが、
欧米から非難の合唱を浴びたのは、欧米が戦争をやっている場所で、よくもしゃあしゃあとビジネスに専心できるな、というエコノミックアニマル批判ばかりではなく、鉱区を取得するためにアフガニスタンの鉱山大臣に3000万ドルの賄賂をおくっていたことがばれたからだ。
▲一兆ドルを超えるレアメタルの埋蔵が確認されたが、いずれもタリバン支配地域
さて米国は、こうした埋蔵をいかに確認したのか。
アイナメ銅山はソ連占領時代、すでにソ連の知識学者が膨大な銅のほか鉄鉱石、金、コバルトの埋蔵を確認していた。
中国はその頃から、この鉱山開発をねらっていた。
米国は2006年からP3オライオン機に最新の磁気探査設備などを積み込み、空からの調査を開始し、翌年までにほぼアフガン国土の七割を調べ上げた。
その結果、あまりの埋蔵量に驚き、地上探査チームを編成して実際に埋蔵地域を調べた。
米国最高ランクの知識学者が総動員され、ハイテク機材、測量機器などが大々的に現地に運び込まれて専門探査をつづけた。調査は軍がまもった。
09年、イラクに派遣されていたペンタゴンのビジネス開発チームがバグダッドからカブールへ回された。
イラクの原油、ガスの埋蔵地調査がほぼ完了したからだ。
このペンタゴン特別チームが精密に査定して報告祖を国防長官に上程したのは、つい三ケ月ほど前の出来事と言われ、とくにリチュームはアフガニスタン西部の塩湖付近が最大の埋蔵地と特定された。
ペンタゴン報告書は「リチュームのサウジアラビア」と比喩し、埋蔵は一兆ドルを超えるだろう、と予測している。
◎
(付記)フレデリック・フォーサイスの『戦争の犬たち』を思い出しましたね。希少金属発見の未開のくにを事実上、乗っ取ろうと欧米の鉱山会社は密かなシンジケートを通じて戦争の犬をやとって軍事クーデターをやらかし、傀儡大統領を運び込む。
鉱山開発権をみとめる約束をしてある。ところが土壇場で戦争の犬たちは、傀儡大統領を殺害し、商売の野心家らの期待を裏切るというサスペンス小説(これ、映画にもなりましたっけ)。
□△○
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>854 でも読み返してみてもおかしいよな。
「支配者」なんてもんがいたとして、彼らに「言い訳」は必要ないでしょ。
「支配者」に言い訳は必要ない。言い訳が必要なのはやはり
民衆の矢面に立たざるを得ない企業の代表や政治家であることに変わりはないわけで。
866 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 12:07:47
すでに(o^v^o)さんは議論にオチこぼれた感があり増すけれどもねぇ〜(笑) 「支配者」は兵器労働者や軍人のために戦争をするのでは無いのですよ〜(笑) それになんの疑問があるので消火ねぇ〜(笑)
身近なところで日本の「支配者」について考えられては道で消火ねぇ〜(笑)
867 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 12:24:26
860
クールな発想面白いですねぇ〜(笑) わたくしは以前にどこかのスレに「権威×暴力=権力」の公式を書いており増す〜(笑)
権威とは価値の変換を主張する者、それに暴力が加わったものを権力としています〜(笑)価値の変換とは「黒を白」と主張する者ですねぇ〜(笑)
これは佃煮マニアさんのいう一種の「心理的圧力を加える人物」とも家るで症ね〜(笑)そうして「物理的な実力行使」、わたくしのいう暴力が加わることで権力と鳴る〜(笑)
語句は違っても、わたくしと佃煮マニアさんはほぼ概念的には煮たような認識と家魔性ねぇ〜(笑)
わたくしが金は権力か?との問いも「支配者」は金を権力化し「権力が社会経済を支配することで理想状態に到達できる」という思考を持つと考える殻ですねぇ〜(笑)
「世界観の対立」とは、妻りは価値の変換でして「黒を白」と主張する者と「黒を黒」、股は「黒を赤」と主張する者の対立と家魔性ねぇ〜(笑)
そこで、日本の「支配者」について佃煮マニアさんにお聞き死魔性化ねぇ〜(笑)
@(´ёωё`)@ ←ゴミクズwww
質問に答えろ、バカコテたのしゅうございますか?
>>867 ゲーデルの不完全定理によると、例え一つの意見に同調者が集まっても意見が正しいという事にはならないようですけどね。
この世に正しい意見がないなら、正しい意見がないという意見すら正しくないという事になります。
すべて蓋然性にとらわれたまま議論を進めるしかないんでしょう。
単純な話。。。
支配者・・・国債を買い占めている銀行やプロの資本家が実際の日本の支配者でしょうね。
870 :
吾輩は名無しである:2010/06/15(火) 13:12:24
『支配者』と言えば、単独で世界を支配している人物がいるように
聞こえるがw
871 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 13:22:58
869
正しい意見がないがゆえに「物理的な実力行使」、わたくしのいう暴力が必要に鳴るので笑止〜(笑) 正しいとは「善」ということでは無い〜(笑) 人を殺すことは「悪」で症が、戦争で敵を殺すことは「悪」では無いで笑止〜(笑)
わたくしが「黒を白」と言い、佃煮マニアさんは「黒を黒」という、そこで今夜、拳銃を持った男が佃煮マニアさんを訪ね、頭に拳銃を突きつけ「黒は白か?」と訊ね増す〜(笑)
もちろん「黒は黒」と答えれば頭を拳銃でぶちぬかれるで性根〜(笑)佃煮マニアさんはなんと答えられるで消火ねぇ〜(笑)
>>871 >わたくしが「黒を白」と言い、佃煮マニアさんは「黒を黒」という、
>そこで今夜、拳銃を持った男が佃煮マニアさんを訪ね、頭に拳銃を突きつけ「黒は白か?」と訊ね増す〜(笑)
>もちろん「黒は黒」と答えれば頭を拳銃でぶちぬかれるで性根〜(笑)佃煮マニアさんはなんと答えられるで消火ねぇ〜(笑)
ニーチェもいうように、拳銃をチラつかせつつ黒が白だとするある種の道徳とは強者のしくルールであり、
弱者である私はルサンチマンの泥沼を這い回り宗教に身を委ねるしかないのです。
873 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 13:45:51
しかし支配者の意見がすべて争われるわけではない〜(笑) その共通認識としてまず貨幣の価値があるで性根〜(笑) 金には価値があるがゆえにそれを多く持つことで権力と鳴る〜(笑)
紙幣とは本来単なる紙切れで、紙切れは紙切れの価値でしか無いのが普通で生姜、権威者は紙切れに金の価値を価値変換したわけですねぇ〜(笑) 欲しい物が金に酔って交換できると〜(笑)
なぜ、これに世界が同調したかと言うと権力者には都合が言いシステムだからですねぇ〜(笑)
底で宗教に身を委ねた、佃煮マニアさんは牧師と鳴り、信者殻布施を集金するというわけですねぇ〜(笑)
874 :
(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/15(火) 14:29:18
>>866 >「支配者」は兵器労働者や軍人のために戦争をするのでは無いのですよ〜(笑)
俺もそう言ってるじゃん。議論もクソも、俺は支配者って誰を指すのか訊いただけだよ。
俺は最初から権威や権力なんて言葉は使ってない。でも貴方は支配者って言葉を使ったでしょ?
支配者ってのは政治家や企業家ではないなら誰ですか?って質問は議論じゃないよ。
@(´ёωё`)@ ←チンカスwww
>>828 >幸田やら有吉やら中上やらをはじめ、
幸田はともかく、そこはホラ、緒・菜・娯だから
父親の懐にガチとびこんじゃうわけw
三島さんという作家を、通過した場合、彼の思想がいかに「後付け」であったか、見えてきます。
たとえば、陽明学なる思想を、土台から学んではいません。なぜなら土台である朱子学から派生した
経緯さえ、正確には知らない。
このようなアキレス腱だらけの作家を、「思想家」と呼んではいけません。
安岡正篤も似たようなもんです(笑)
かんか、狸さんみたいになってきた(笑)
>>877 朱子学から派生したことくらい認知してちゃんと論じてますよ。あんたが知らないだけの話。
派生を正確に、となると、安岡氏にも難しかったでしょう
開祖自身はわからない。イエス・キリストのように(笑)
これはもう、細木さんのレベルです(笑)
泰淳との対談にはヘドが出そうな甘えがある。泰淳との対談ではいつもそうだ。褒め殺し爺様の罠にかかってる。
俺が三島を嫌いなのは、三島が太宰を嫌ったのと
似てなくもない
三島にはスノッブ(半可通)・ミーハーの取り付く気配が濃厚だからだ
三島本人より、むしろそちら側への敵愾心がつおい
正直なとこ、まとめて脳ミソ踏みつぶしてやりたい
鴎外もそうだ。マイナーだが梶井にもある
なぜそうなのかといえば自分でもよくわからない
嫌いだから嫌いなんだ
881 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 19:21:45
874
支配者ですか(笑)、わたくしが尻たい喰らいですよ〜(笑)わたくしは「支配者は誰か?」を論じておるわけでは蟻魔戦〜(笑)
哲学的弁証法を用いて権力や支配者について論じて折るのでしてねぇ〜(笑) それはミクロ的にでは蟻増すけれどもこの弁証法が真理で荒ればマクロ的応用が可能とは家抹消ねぇ〜(笑)
床ろで(o^v^o)鈴木雄介さん(笑)、ケネディを暗殺したのは誰なので消火ねぇ〜(笑) 犯人はオズワルドだと重い増す化ねぇ〜(笑)
オズワルドは警察の尋問に対し一貫して「はめられた」と主張するのみで、事件の2日後にダラス市警察本部から郡拘置所に移送途上に市警本部の地下通路にて
警官の目の前で射殺されたようですけれどもねぇ〜(笑)
仮にですよ(笑)、ケネディ暗殺を命じた者がわたくしの言う支配者であり、オズワルドは「俺が黒だ」と言うように雇われた者であったのに殺された者がケネディと尻、
怖気ずき「俺は白だ。はめられた」と主張したが溜めに射殺されたので荒れば、真犯人は誰か?ということですけれどもねぇ〜(笑)
そうして、佃煮マニアさんが頭を拳銃で打ち抜かれ死んでおったら、(o^v^o)鈴木雄介さんは犯人は誰だと重い増すかねぇ〜(笑)
餅論、(o^v^o)鈴木雄介さんが「犯人は@(´ёωё`)@ だ」と主張すれば欲実には変死体と鳴り増すけれどもねぇ〜(笑) それは魔るで、ケネディの愛人と言われ、
ケネディ暗殺の真犯人を汁、マリリン・モンローが変死したようにですねぇ〜(笑)
餅論、
>>871レスもあぽーん削除され、この世殻「犯人は@(´ёωё`)@ だ」とする証拠は抹消され増すけれども〜(笑)
882 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 19:25:37
(o^v^o)鈴木雄介さんの835の文脈は、わたくし率的には戦争は
「軍需産業労働者と軍人の総数の500万人の為に行われているのではなく、それ以上の多くの国民の為、国益の為に戦争は起る」と
嫁るのですけれども(笑)、わたくしはそれについて否定しており増す〜(笑)極論を申すなら、支配者一人の為に戦争は起る、ということですねぇ〜(笑)
835 :(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/14(月) 16:57:22
しかしアメリカにおける軍需産業労働者と軍人の総数は500万人に過ぎない。
彼らの為に戦争が行われているとしたら、こんなにもバカバカしい話はない。
オバマも止められなかった。戦争を止めてしまったら暗殺されてしまうのか?
本当にアメリカは戦争を続けなければならない戦争が必要な国なのだろうか?
少なくとも、陽明学にたいする三島の見識は、底が割れています
狸さん程度、といえば、言い過ぎでしょうが(笑)
@(´ёωё`)@ ←クズwww
だから@(´ёωё`)@ さんは私の自演キャラだと何遍言ったら
886 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 19:47:23
さて、佃煮マニアさん(笑) 、なぜ、今頃に鳴って核密約が出て来たと重い増す化ねぇ〜(笑) 穴多鳴りの推理をお願い死増すよ〜(笑)
少なくとも、三島にたいするアンチの見識は、底が割れています。
888 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 19:54:00
三島アンチの見識は、非情に底が浅過ぎ増すよ〜(笑)涙目の低脳モンキーを御覧なさい〜(笑)
>>886 かんたんに言うと、安保条約とは日本がアメリカの属国であるという約束なのですね。
愚民政策で国民の政治への関心が薄れ切った今になってやっと属国である事実を公開できるようになったという訳です。
ちなみに私も三島嫌いです。知れば知るほど嫌いになる。
890 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 20:06:24
889
核密約は公開されて無いで笑止〜(笑)
>>851のこの制度の代わりの制度を何か作るとしたら、なんでしょうね? についてわかり魔戦化ねぇ〜(笑)
891 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 20:13:44
わたくしは佃煮マニアさん(笑)
沖縄返還に基づく条件として、少なく友、三つの密約があると推理死増すねぇ〜(笑)
一つは、核の持ち込みですねぇ〜(笑)
残り二つはなんだと重い増す化ねぇ〜(笑)
これが解れば、鳩山総理のの間抜けはなぜ辞任したか?が解り増す〜(笑)
アゲんじゃねぇ、踏みつぶすぞゴラ
アメリカの格差問題が深刻なら、たとえばスウェーデンの様な重福祉国家のシステムはいい見本だと思いますよ。
大会社の社長と、場末のホテルの掃除のおばさんが殆ど変わりない生活水準だそうだし。
>>889 たぶん、あんたは三島のことを知っちゃいないよ。
>>891 沖縄に行くのに昔はパスポートが必要だったんですよ。
返還なんてとんでもない話でしょう。何言ってんすか。
>>894 初めて三島を見たのは「黒蜥蜴」という映画でした。
美術品コレクターの玩具として登場した三島を見て大爆笑したものです。
>>893 でもそのわりに自殺や殺人は多い国たからね。
>>895 今はパスポートなんか必要なく簡単に行けますよ。戦前もそうでしょ。
>>897 物質的に恵まれていなければ自殺なんて思い立ちませんからね。
実は私も自殺というものをしてみようとしてロープで頸動脈反射というものをしてみた事があります。
(o`.´o)ちゃんは日本の愛国左翼
佃煮は単なる反日サヨク
901 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 20:42:52
895
藁貸し増すねぇ〜(笑)欲お読みなさい〜(笑)米国が日本に沖縄を返還する上で条件を出したとわたくしは推理すると申しておるで笑止〜(笑)
902 :
吾輩は名無しである:2010/06/15(火) 20:49:40
900を参照すれば、
(o`.´o)は共産党、
佃煮は社民党。
@(´ёωё`)@ さんは安保闘争を体験して来たおじいさんあばあさんともっと多く対話した方がいいよ。
904 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 20:57:05
安保闘争を体験して来たおじいさんあばあさんがなにを汁というので消火ねぇ〜(笑)
いかに日本人が無力かという事をおじいさんおばあさんは知っていますよ。
906 :
吾輩は名無しである:2010/06/15(火) 21:11:23
おいおい、何をやってるんだ?佃煮のレスが見えないぞ。
907 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 21:14:55
905
藁貸し増すねぇ〜(笑)前レスをお読みなさい〜(笑)わたくしは日本は米国に無力と書いており増すけれどもねぇ〜(笑)
さて、佃煮マニアさん(笑)
核密約を日本で承認した者は誰で消火ねぇ〜(笑) ゴールは目前です〜(笑)
>>907 核武装論者の佐藤栄作でしょ?>>密約した人
910 :
@(´ёωё`)@:2010/06/15(火) 21:34:32
さて、佃煮マニアさん(笑)わたくしは安保闘争経験者では無いですけれども(笑) 、日本は米国に無力なのを熟知死(笑) 、三つの密約があると推理死増す〜(笑)
一つは、核の持ち込みですねぇ〜(笑) 残り二つはなんだと重い増す化ねぇ〜(笑) まず、わからないことを尻つつお聞き死増す〜(笑)
そののちに、わたくしが推理いた死増すよ〜(笑)
>>881 じゃあ政治家や企業家が支配者とは言えないという根拠はありますか?
ケネディ暗殺…それを「政治家は支配者ではない」論拠にしようとしてる?確かにアメリカ大統領は傀儡だよ。
だいたい副大統領の方が偉いよな。金も持ってるし。暗殺に関しては軍需産業が関わってるって噂は根強くあるよ。
ベトナム戦争のきっかけを作ったのはケネディだけど、撤退しようとしていて殺られたっていう説とかね。
暗殺の場合、実行犯が誰かっていう事を探ってもほとんど何の意味もないでしょ。やらされたに決まってんだから。
以下、マメ知識ね。ロバート・ケネディもベトナム戦争を止めようとして殺されたけど、
彼らの弟のエドワード・ケネディも脅迫されていて、暗殺の恐怖に怯えていた。
>機密解除されたFBIのエドワード・ケネディ・ファイルによれば、
>ロバート・ケネディを暗殺した犯人で現在終身刑でカリフォルニア州の刑務所に服役するサーハン・サーハンが、
>同房の囚人に100万ドルでエドワード・ケネディ暗殺を持ちかけたという。
>>882 それは疑問形で書いてるじゃない。民主主義の原則論としては国民が国家の主権者なわけよ。
だけどそうなってないよね。と言いたい訳。そこにはあなたの言う陰謀論も含まれてるよ。
さすがに「一人の強大な権力者が世界を操っている」という下手な漫画みたいな論は受け入れかねるけどw
話題が混線してるな。この先どうするんだ?議論再開か?
もうやめよっか。スレ違い過ぎるもんね。
916 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 00:08:16
912
学者が、密約文書自体の有無の特定による検証をせずになにをしておるのか、欲わかり魔戦けれども〜(笑)これ謎は子供騙しで問題外では〜(笑)密約文書自体は破棄されておる(笑)、
佃煮マニアさん(笑)、この政府発表の事実に魔違いは無い認識で消火ねぇ〜(笑) では、佃煮マニアさん(笑)、なぜ、破棄されたので消火ねぇ〜(笑)
佃煮さん!佃煮さん!
918 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 00:17:41
913
日米間の問題は三島とは無関係では無いで笑〜(笑)(o^v^o)鈴木雄介さんレスが疑問であるなら、わたくしは佃煮マニアさん動揺に「米国は戦争に依存する国」だと答え増すねぇ〜(笑)
まず、(o^v^o)鈴木雄介さんのレスだと話しが進まないというのは在り増す〜(笑) 哲学を学ばれては道で消火(笑) 、権威、権力さえ定義づけ出来ねばそれを元に推理も無理です殻ねぇ〜(笑)
俺は哲学の話なんてした覚えないよ。あなたの言う支配者っていう言葉が誰のことを指すのか尋ねただけ。
政治家と企業家は支配者ではないって言ったでしょ?その論拠を尋ねただけだよ。哲学に疎い俺には説明出来ないという訳?
その論理展開が全く理解できないけど、これ以上やったらケンカになりそうだから俺は降りるわ。
>>916 密約のありかというローカルな話題ににいちいち反応するのではなく、なぜ「核武装で平和を維持しなければならないのか」を考えましょうよ。
>>919 騎馬民族による日本の支配説に対する学会の批判って「日本の」学会だけでしょ?w
>>921 日本の学会で、何か問題でもあるの?日本の歴史を日本が調べるのは普通でしょ。
日本人の調べた結果が信用できないという理屈なら、単なる反日朝鮮サヨク並みの感情論でしょうよ。
923 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 00:47:37
921
佃煮マニアさん(笑)、密約文書が破棄されたのならしょうが無いとの意見で魔違いは無いで消火ねぇ〜(笑)穴多は非情に好い所まで逝くの深見が無いですねぇ〜(笑)
わたくしに質問が荒ればお答え死魔性(笑) 「核武装で平和を維持しなければならないのか」についても明日でも(笑)
>>920 哲学の話をしてるのは私なんです。
>>922 朝鮮の学会と調査結果を照合した方が客観的でしょう。百済があったのは朝鮮なんだから。
925 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 00:50:28
逝くの深見が無いですねぇ〜(笑) →逝くに深見が無いですねぇ〜(笑)
926 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 00:51:30
訂正(笑)
逝くの深見が無いですねぇ〜(笑) →逝くのに深見が無いですねぇ〜(笑)
>>923 政治家が隠したがってるものを暴くのは諜報機関や警察の力がないと無理でしょう。密約のありかに関しては成り行きを見守るしかないのでは。
>>924 百済があったのは朝鮮でも、実際に日本の国に渡来してきた百済人と日本の歴史に関しては日本人のが調査資料が豊富でしょうよ。残念でした。
929 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 00:57:22
924
>朝鮮の学会と調査結果
いえ、どちらも疑問ですねぇ〜(笑) ただ、互いを見比べ共通事項に信憑性はあるで症がねぇ〜(笑)
>>926 たぶん、深みがないのは単なる反日サヨクだからだよ。佃煮とかコテで日本人ぶってるとこが、反日を表してるし。
>>928 外部からの血を入れても入れても朝鮮ヅラ丸出しのサーヤや皇太子や愛子が生まれてくる皇室を見て素朴にどう思います?
不気味じゃないですか?
>>929 >ただ、互いを見比べ共通事項に信憑性はあるで症がねぇ〜
そう思うでしょう?
佃煮なんて日本人にしたら眼中にもないありふれた食べ物に着目してる時点で、
本当はキムチを常食してる人みたいだね。
>>932 私のハンドルはvip板でつけてもらったものです。私のネーミングセンスでうまれたものではありません。
>>931 別に朝鮮ヅラじゃないでしょう。エラが張ってないし。日本人の顔だよ。
俺も鈴木雄介からコテを継承しただけで、この顔文字は俺のセンスによるものじゃありません。
>>936 どうでもいいよ、そんなもの。なんかあんた陰気くさいわ。反日反天皇反日の丸のサヨクさようなら。
@(´ёωё`)@ ←クズwww
佃煮マニア=@(´ёωё`)@ ←クズwww
>>937 議論放棄で人格攻撃とは恐れ入ったものですね〜(笑
∴佃煮マニア ←ゴミカスwww
やれやれ発狂中の様ですのでそっとしておきましょうかね〜
佃煮マニア=@(´ёωё`)@ ←チキンwww
ちなみに俺じゃないっすよ。
(o^v^o)鈴木雄介 ←アンタッチャブル(不可触賎民)www
俺に触ると穢れるぜ。
でもぱっと見はかわいいな
949 :
吾輩は名無しである:2010/06/16(水) 06:09:57
佃煮=幸徳秋水
@(´ёωё`)@=北一輝
のダイジェスト現代版。
鈴木雄介を加えれば、2ch版の『三酔人経綸問答』だなw
だが、@(´ёωё`)@は「支配者は誰なのか?」の問いに答えられなかったので
時間稼ぎをしているw
>>940 何が人格攻撃なんだか。佃煮じゃなくてダッチワイフマニアのくせしやがって。スウェーデンに移住して市んでな。
作家・藤沢周氏が三島文学の哲学的部分を語る
「阿頼耶識が最近の文学のキーワード」と三島由紀夫的
****************************************
芥川賞作家の藤沢周氏が『表現者』31号(7月1日号)で文芸評論家の富岡幸一郎氏と「死をみつめる文学」と題して対談し、以下の発言をしています。
藤沢 「三島由紀夫みたいですが、じつは阿頼耶識が最近のキーワードです。ユングの無意識にしろ、文節化されていない位相、阿頼耶識には死者の声も堆積している」
富岡 「三島由紀夫『豊穣の海』のテーマですが、どうですか」
藤沢 「ラストがあまりにも強烈ですよね。気を失うくらいに。天人五衰。言葉によって認識していた近代の風景が、言葉を剥いだときに、同じように無垢の風景としてあるという奇跡」。
富岡 「三島由紀夫は、自分が死んだ後の時間を作品の中に書き留めて、最後、無と化している。あれ以後の歴史の時間はまさに無化されたような時間が続いている。あのテーマを誰が引き継ぐのか」
詳しくは『発言者』最新号。発行ジョルダン(03)5369−4058
本日発売。
△
*・゜゚・*:佃煮サン素敵です!:*・゜゚・*
953 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 12:08:30
949
穴多(笑)、好い譬え死増すねぇ〜(笑) わたくしたちの愚論多の死んでおるで笑止〜(笑) わたく死のいう支配者的カリスマ人物を揚げるなら北一輝、幸徳秋水、出口鬼三郎と鳴り増す殻ねぇ〜(笑)
いずれも時のカリスマ性の無い支配者に捏造された罪で処刑された者たちですけれどもねぇ〜(笑)
わたくしは「支配者は誰なのか?」を定義していますよ〜(笑)戦争を起こす者と〜(笑) (o^v^o)鈴木雄介のいう企業(笑)、仮にトヨタの会長社長が戦争を起こすで消火〜(笑)
949も考えて御覧なさい〜(笑)
954 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 12:14:28
>>921 佃煮マニアさん殻質問が無いのはガッカリですけれどもねぇ〜(笑)
「核武装で平和を維持しなければならないのか」については、支配者が核武装「黒を白」それ以外求めていないのです殻離しにはなら無いで性根〜(笑)「黒を白」と言う支配者を道説得するので消火〜(笑)
955 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 12:30:13
>>908>>924 格国の歴史学者(支配者の御用達)は「黒を白」「黒を赤」と歴史を述べます〜(笑)自国支配者の不利な歴史謎は普通は認め魔戦〜(笑) 韓国併合さえ両間の認識は食い違うで笑止〜(笑)
ゆえ譬え天皇が朝鮮人や人参だとしても〜(笑)わたくしは独自の観点から天皇外来説者ですけれどもねぇ〜(笑) 朝鮮人か人参かは尻増せんけれども、中国の皇帝の末弟ではないかと重い増すねぇ〜(笑)
956 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 12:48:49
927 :佃煮マニア:2010/06/16(水) 00:56:10
政治家が隠したがってるものを暴くのは諜報機関や警察の力がないと無理でしょう。密約のありかに関しては成り行きを見守るしかないのでは。
穴多はいい所まで逝くのに深見が無い〜(笑)佃煮マニアさん(笑) 、永遠に密約は出てきません〜(笑)
>>953 今さら話を戻すか。俺はアメリカの話をしてたんだけど。
しかも何でトヨタが出てくんの?トヨタは軍需産業なの?
まあ、日本が戦争を起こしたら兵器を生産・納入する事もあるかもな。
そうしたら話は変わってくるだろう。しかし、とことんズレてるなー。
あのね、もうまともに答えて貰えるとは思ってないから
どうでもいいんだよ。煽ってんのも俺じゃないしさ。
958 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 13:33:57
957
藁貸し増すねぇ〜(笑)穴多のいう企業の一例を揚げた魔ででしてねぇ〜(笑) トヨタが駄目なら刺すれば三菱で道で消火ねぇ〜(笑) 離しにも鳴り魔戦ねぇ〜(笑)
だからアメリカの…話にも成り間線ねぇ〜
スレ違い
961 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 14:03:29
959
藁貸し増すねぇ〜(笑)穴多のレスは終始これ↓(笑)妻り、どこのこと?なんのこと?意味不明な分けですねぇ〜(笑)
837 :(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/14(月) 17:28:47
そういう話はよく聞くよね。でもイラクやアフガンで景気が良くなったなんて話は聞いた事がない。
要するに一部の心ない売国奴が金儲けしてるだけじゃないの?それを社会問題にすり替えるのって
どうなの?と思うわけ。
838 :佃煮マニア:2010/06/14(月) 17:32:32
ちがうちがう。
イラクやアフガンの景気なんてどうでもいいんですよ。侵略して当座搾取できれば。
839 :(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/14(月) 17:36:15
ズレてるなあ…アメリカの景気の話に決まってるじゃん。
840 :佃煮マニア:2010/06/14(月) 17:38:23
ああそういうこと。景気は維持されてますよね。維持されればいいんですよ。
841 :(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/14(月) 17:40:55
書き方悪かった?イラク戦争やアフガン戦争でって意味ね。
835 名前:(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ [sage] :2010/06/14(月) 16:57:22
しかしアメリカにおける軍需産業労働者と軍人の総数は500万人に過ぎない。
彼らの為に戦争が行われているとしたら、こんなにもバカバカしい話はない。
オバマも止められなかった。戦争を止めてしまったら暗殺されてしまうのか?
本当にアメリカは戦争を続けなければならない戦争が必要な国なのだろうか?
836 名前:佃煮マニア [sage] :2010/06/14(月) 17:12:27
>>835 アメリカは戦争に依存してる国ですよ。
貧困層に保障を与える代償として兵役につかせ、社会格差を是正しているんです。
この制度の代わりの制度を何か作るとしたら、なんでしょうね?
963 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 14:08:01
アメリカの企業の一例(笑) 、マイクロソフトで道で消火ねぇ〜(笑) 離しにも鳴り魔戦ねぇ〜(笑)
964 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 14:11:32
962
話しがそれで途切れており増すけれども〜(笑) 代わる制度の返答は〜(笑)
965 :
吾輩は名無しである:2010/06/16(水) 14:27:40
なんか頭の足りないヤツが集まってなにこれ(笑)
すでにロシアは核エンジンロケットの開発で核軍縮してるし、アメリカも軍需から宇宙産業にシフトしていけばいいんですよね。
ガンダムか
969 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 17:25:06
967
穴多は頭は殻のようですけれども人は言いので消火(笑)、支配者が平和と家ばそれを信じる〜(笑)
譬え離しを死魔性〜(笑)
わたく死は穴多に好意を抱き、友愛だと握手の手を差し出す(笑)、穴多も友愛に応じ手を差し出す(笑)、握手し安心した穴多は振り向き立ち去る(笑)、
わたくしはポケットから拳銃を取り出し(笑)、穴多の後頭部をぶち抜く(笑)、穴多は友愛の文字を脳裏に刻み(笑)、この世を猿わけです〜(笑)
こんな酷い譬え離しがこの世にあるので消火ねぇ〜(笑)
米国はイラクが大量破壊兵器を持っておる「戦争だ」と叫び、イラクは「持って無い」と言う。底で国連がイラクに死殺に入り、破壊兵器が無いことを確認死(笑)、
米国は安心してイラクを攻め滅ぼした〜(笑)
支配者は「黒を白」と言い、昨日は「平和」、今日は「戦争」と言い増す〜(笑)
わたくしは米国ロシアの軍縮は軍拡大の中国への軍縮の呼び掛けパフォーマンスだと重っており増すけれどもねぇ〜(笑)
ふーん。今度は支配者=政治家になるんだ。ブレるなあ。
>>969 私のIQは134でしたよ、この間テストしたら。ギフテッドではないらしい。
それはいいけど・・・
中国が軍備を増強してるのは尖閣諸島を占領するため?北朝鮮を入手するため?
972 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 17:49:25
970
穴多ではズレるで性根〜(笑)わたくしの「支配者の定義」と「ケネディ暗殺」のレスを再読されては道で消火(笑)、理解できればいいのですけれども〜(笑)
854 名前:@(´ёωё`)@ :2010/06/14(月) 23:23:40
853
いえ、少し馬鹿り違うのですねぇ〜(笑) 軍需産業のお偉いさんや政治家は支配者では無いのですねぇ〜(笑) この辺が穴多(o^v^o)はゴッチャに鳴っておる〜(笑)
974 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 17:59:50
971
しかし、佃煮マニアさん(笑)興味の或る痴識でそのギフテッドでは殻と逝った漢字では〜(笑)
975 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 18:03:06
973
基本が理解できずに応用はお辞めなさい〜(笑)わたくしの「支配者の定義」と「ケネディ暗殺」のレスについてギフテッド佃煮マニアさん(笑)が説明してくれれば助かるので症がねぇ〜(笑)
某中国企業はアメリカの国債を買い占めちゃったんですよね。事実上の支配者だ。
これからは儒教とか勉強しないと生きて行けないのかなあ。
977 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 18:10:49
971
北朝鮮は中国の子分なので症から「北朝鮮を入手」は不要では〜(笑) 朝鮮戦争再開は道で消火ねぇ〜(笑)
IQと政治分析力は全く関係ないから、佃煮に深みはないのも仕方ないでしょうよ。
979 :
吾輩は名無しである:2010/06/16(水) 19:29:13
よくわからないんですが銀行家が支配者なのですか?
とつくにの金は人らを走らせ〜
佃煮ダッチワイフマニアとの会話はいい加減、雑談スレでやってくださいよ。
>>979 三島由紀夫の言うには、権力とは簡単に説明すると「他を拒絶することによって自己を定立する力」だそうですよ。
「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン」にありました。
>>969 核廃絶も、テロリストに使わせないための方便で、本当にやらないと思う。
@(´ёωё`)@ ←チンコロw
@(´ёωё`)@ ←チンコロジジイww
@(´ёωё`)@ ←カスwww
平野啓一郎の三連投かな。
987 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 22:51:09
佃煮ダッチワイフマニア鳴る者(笑)、わたくしに軽く論破され(笑) 音無死苦鳴ったようですけれどもねぇ〜(笑)
988 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 22:54:45
982
しょうゆ(笑) ことです〜(笑)
たま〜に昆布の佃煮が食べたくなります。
990 :
@(´ёωё`)@:2010/06/16(水) 23:48:14
マゾちゃんのお豆が食べたく鳴り増す(笑)
>>990 どうぞ (。人。)
貝((@))も一緒に…((@))くちゅくちゃ…(笑)
>>987 眠くなったんで寝てただけですよ(笑 そんなに意気込まないでください(笑
995 :
吾輩は名無しである:2010/06/17(木) 20:36:42
三島も春樹も天才
996 :
@(´ёωё`)@:
991
マゾちゃんの舞度のサービス旺盛には頭(∩)が上がり増す…ÅÅちゅーちゅー…((@))くちゅくちゃ… (笑)