三島由紀夫Part34

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175吾輩は名無しである
彼は死に急いだのではなくて、三島の場合、「自身が死ぬこと」それ自体が戦後社会への痛烈な批判行動そのものだったのでしょう。
自身の天才の自負もあったでしょうし、自身の才能と引き替えに戦後批判を体当たりでしたんだと思います。

それと同時に、三島の中では常に、戦火に散っていった同世代の仲間と共に死ねなかった贖罪、負い目、
生き残ってしまった贖罪の気持ちがずっとどこかにあったんだと、私は彼の様々な著書を読んで感じます。

彼の中では「死に急いだ」のではなくて、常に「死に遅れている」感覚があったように、感じられます。

ただこういうある意味、日本人独特の道義の感覚の人でありながら日本人を超えた幅広い天才の人だったからこそ、
私も三島のような人に是非長生きして日本の言論界で長く活躍してほしかったと思います。
彼も本当の本心ではきっと生きていたかったんじゃないでしょうか。
「私は一度だって死にたいなんて思ったことなんかなかった」という告白もありますが、これが人間としての(作家ではなく)正直な本音だったと思います。