1861年 ドスト、「虐げられた人々」の登場人物にトルストイの「幼年時代」を褒めたたえさせる。
1875年 ドスト、トルストイの「戦争と平和」に登場する“古き良きロシアの家族像”に対抗すべく
現代ロシアの“偶然の家族”をテーマに「未成年」を執筆。
1877年 ドスト、自分の個人雑誌「作家の日記」2月号と7・8月合併号に「アンナ・カレーニナ論」を
発表。
2月号では好意的な評であったが、7・8月合併号ではアンカレ最終章の主人公レーヴィン
の政治的信条(非戦主義)に激昂して、作者トルストイを批判する言葉を蜒々と書き連ねる。
1880年 ドスト、トルストイの親戚のA・A・トルスタヤ夫人に、トルストイの「新思想」について色々
質問し、頭を抱える。夫人にトルストイからの手紙を複数貸してくれるようにと頼み込む。
(自分の雑誌上で、トルストイとの思想対決を決意か?)
1881年 ドスト死亡。
新聞上でその死を知ったトルストイは涙する。
1883年 ドストとトルストイの共通の友人であったストラーホフが、生前のドストの振る舞いを
思い出して余りのことにぶちぎれて、ドストの「真実の姿」をトルストイに手紙でぶちまける。
トルストイは「後世に残るのは、ドストではなくツルゲーネフ」とか適当なことを返信する。
ドスト→トルストイのエピソードは、こんな感じかな。
トルストイの資料は手元にないけど、たしか、最後の家出の時に持ち出して読んでたのは、ドストの
「カラマーゾフの兄弟」だったはず。