「夜戦と永遠」の佐々木中と対談します。
5月9日の午後2時半(もしくは2時)から約2時間。
場所は青山ブックセンター本店。ここでは、小島さんともやったし、柴崎さんともやったし、樫村と古谷くんともやったなあ。
もっと前には石川忠司ともやった。今回はわたしが呼ばれた格好です。
料金は700円だそうです
井の頭公園野外ステージとか、野天での対談が聞きたいな
(自分のときはそうしよっと)
日経夕刊のエッセイを読んだがあまりに酷かった。
文章の巧拙はともかくとしても、
中井久夫を薦めておいて、どれから読んだらいいか言わないってなんだよw
読書案内なら「秘密結社員みたいに、こっそり」(『時のしずく』所収)かな
認知症に関する文章なら、『臨床瑣談・続』他かな
>>688 『看護のための精神医学』は読まれました?
690 :
吾輩は名無しである:2010/05/30(日) 12:52:32
てすと
691 :
吾輩は名無しである:2010/05/31(月) 18:06:55
つーか、このページ酷すぎるな。
まぁ文芸賞のことについては批判できるが・・・
ばかばかしいのは、あなたたちなんですよ、正直。
>>686 やっぱりな
>>551 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2009/10/03(土) 18:28:48
佐々木中を売り込む小説だな。公式対談まで含めて一セット
>>558 名前:吾輩は名無しである[] 投稿日:2009/10/09(金) 15:42:28
完結したら
佐々木中と対談して
佐々木中が理屈をつけてくれます
読者はつきません
693 :
吾輩は名無しである:2010/06/10(木) 20:26:35
ttp://d.hatena.ne.jp/crosstalk/ 昨日保坂和志の書いていることに変な反応してしまったけれど、考えてみると、そ
もそも「小説」と「現実」を比べっこするなんてとってもナンセンスなことで、つら
れて妙なことを書いてしまった。例えばヴェニスの風景を見て(ヴェニスでなくてもど
こでもいいけれども)、「この実際の光景にはどんな絵画作品もかなわないさ」という
ようなものだ。同じことだけれども、セザンヌ(セザンヌでなくとも誰でもいいけど)
の絵画を見て「現実の風景を越えている」などといっても、何をいったことにもなら
ない。
そういうことを考えていて、ふと柄谷行人の書いていたことを思い出したりした。
それは彼の「反文学論」のなかの部分で、この本は柄谷行人が「文芸時評」をやって
いたときの、その文芸時評集なのだけれども、そこで中野孝次の作品にふれて書いて
いる部分。
694 :
吾輩は名無しである:2010/06/10(木) 20:28:30
ttp://d.hatena.ne.jp/crosstalk/ 保坂和志の「小説の誕生」読了。後半はクロソフスキーやニーチェについて書いた
りしているけれども、前半のようには面白く読めない。これはわたしの読解力に問題
があるのかとも思うけれど、どう読んでも、後半は書いていることがぶれまくってい
る。ここでも引っかかる記述にぶっつかったりする。こことか。
(‥‥)最近はテレビのニュースでも殺人事件が起こると、「警察は×××が×××したことが
原因と見て、動機の裏づけの最中」という風に、動機=因果関係が証明されれば事件が
説明されるような報道をしているが、動機を抱えている人間はいくらでもいるが現実
の行動をしてしまう人間はほとんどいないわけで、その行為の説明しがたさは小説が
小説として生成する瞬間の説明しがたさとひじょうに似ている(が、小説は現実の行為
のように単純ではない)。
695 :
吾輩は名無しである:2010/06/10(木) 20:30:08
わたしはこんなつまらないことを書く人の小説を、今まで熱心に読んだりしていた
のかと、ちょっと唖然としてしまう。この人はどこまでも、芸術は現実世界に対して
優位で高尚でなければ気が済まないらしい。報道にどのような姿勢を求めているのか
はともかくとして(小説に拮抗するような姿勢の報道ニュースを求めているのか)、いっ
たい何を持ってして現実の行為を「単純」と書けるのか、わたしにはまったくわから
ない。極端な分かりやすい例をあげれば、有名な「津山三十人殺し」事件を、その事
件を題材にして書かれた松本清張の「闇に駆ける銃声」で読んでも、犯人の行為のこ
となどまるでわかりはしないという思いにとらわれるのは、わたしだけではないと思
う。これは松本清張の小説の完成度によるかもしれないけれども、傑作といわれるト
ルーマン・カポーティの「冷血」を読んで面白いと感じるのは、読んでいて、カポー
ティが現実を複雑で捉えきれないものと認識している視点を感じ、それを記述すると
いう不可能性へ立ち向かう姿勢に感動するからだろう。小説では現実の行為のわけの
わからなさ、複雑さを一面では単純化することでやっと、小説という作品に抽出出来
るのではないのかと思う。人はただ歩いているだけでも、それは実に複雑な背景を持っ
ているわけで、そのことをプルーストは「心情の間歇」で、主人公がある屋敷の門を
抜けて玄関にたどりつくまでに何十ページも費やしたりしていて、いや、実際にはそ
れでも現実をすべて描き切っているなどと、いえるわけもないのだと思う。でも、保
坂和志がいっている「単純」というのは、もっと別のことなのだろうか。わたしには
よくわからないけれど、とにかく、どんな行為でも、わたしは現実の行為を「単純」
と割り切るような視点は取れないだろう。「単純」と言ってしまうのは、「単純」に
割り切る視点が必要とされるからだろう。それが一面でニュース報道の使命で、そう
じゃなければニュース報道など複雑になり過ぎて、そもそも成立しない。
696 :
吾輩は名無しである:2010/06/10(木) 20:32:10
保坂和志の「小説の誕生」、だいぶ読み進んで、読みながらあれこれと思ったり考
えたりする。そういう意味では楽しい読書で、彼の精緻なテクストの読解を感心した
りするのだけれども、途中でどうも納得できないような記述にぶつかるようになる。
それは荒川修作の「建築する身体」に関しての記述で、<荒川修作はどうやら本気で
「死なない方法」をこの世界の中に作り出そうとしているらしい>として、彼のテクス
トから思索を拡げていくわけだけれども、この部分で、この「小説の誕生」という本
は大きくぶれてしまっているように、わたしは読み取ってしまう。そしてそのことが、
実はわたしの方がやはり<おかしい>のではないのか、などと思ってしまったりする。
どうも保坂和志氏にとって、小説なり絵画なりの芸術作品を製作するということの
理由のひとつに、「肉体の死を超越する」という意志があるということらしい。それ
は平たくいってみれば「歴史に名を残す」ということなのかと問い返したいけれども、
そうあからさまに書いているわけではないので、わたしの誤読なのかもしれない。し
かし彼は、自分の作品の中の登場人物のモデルにした人物が、そのことを同定したそ
のモデル人物の友人から、「あなたの肉体はいずれ滅びるけれど、文学の中で永遠に
生き続けるんだね」といわれたことを書いている。まあ遠回しな自慢話でもあるだろ
うけれども、つまりは自分の作品が「文学」という「何か」のなかで永遠になった、
と思っているわけだろう。で、それが、「死なない」ということにつながるらしい。
一方では、「笑っちゃう話だが」という前置きで、「日本の地方の名家に行くと、歴
代の当主の銅像が庭に飾られていたりするらしい」と書いている。そのようなこと、
わたしは「笑っちゃう話」でも何でもない、と思う。もしもそういうものをパブリッ
クな場所に持ち出そうとすれば、たしかにそれは「笑っちゃう話」にはなるだろうけ
れども(実際にそういうニュースを以前見て、笑っちゃったことはある)、自宅の庭に
置いてあるものを、それを実際に見たわけでもないらしい小説家分際が笑いものにす
るなんて、とんでもない話だと思う。どうやら保坂和志氏は、文学だとか芸術は高尚
なものだと思っているようで、それがこういう文章となって、「高尚」と「卑俗」を
差別化しているわけだろう。わたしの読みでは、先の彼の小説のモデル人物の話も充
分に「笑っちゃう話」になる。
解釈すると複雑になる
柴崎友香『ハルツームにわたしはいない』
がノミネートされたな。またあの気持ち悪い連中が集まるのか
具体的にはフルヤン?
ドイツの指揮者ですか?
このおっさん、上から目線すぎる
たかが小説家のくせに
703 :
吾輩は名無しである:2010/07/27(火) 20:12:31
>>702 随分以前から荒川洋治さんとかは
インテリジェンスを表に出す人が陥りがちな欠点を
保坂さんの小説や作家としての態度のなかに見出していたね。
一度も知的に見えたことがないんだが…
よくある感性万歳「論」
論ではあるがしょぼい
705 :
吾輩は名無しである:2010/07/28(水) 01:17:53
>>703 できればもっと詳しく、荒川さんが言ったこと。
なんかの雑誌で言ってたの?
保坂先生は将棋が弱いです。
つまり将棋というテキストを熟読する力を持ってないのです。
でも、プロ棋士も上から目線で批判できちゃいます。
熟読なんてできなくてもいいと思ってるからです。
そもそも論には必要ないからね!
あれれ、でも人には熟読の大切さを語っているような…?
お茶目な先生!
いや、さすがに将棋の筋を読むのと小説の読解力は違うだろ
熟読って言っても素人がどれだけ考えたって
プロみたいな読み方はできない
プロ棋士はよく脳内将棋をやるけど
脳内だけで盤面を把握するには特殊な才能が必要
保坂先生には羽生さんの将棋と他のプロ棋士の将棋の違いを
見分ける棋力はないのです。なのに羽生さんの将棋について
本が書けるのは不思議です。
書籍の中では棋譜並べもやってますが、意味がわからないのに
棋譜並べをするのはもしかして「知の欺瞞」かなあと思います。
「すごい人の理解者」をやるのが好きなだけなのかも…??
そういえば小林秀雄先生はゴッホの贋作に感銘を受けてゴッホ論を
書き上げちゃいました。文芸批評って贋作を元にしても語れちゃう部分を
語るものなんですか? じゃあ、本物を見る目はいらないですね!
でも、その場合「ゴッホ」とか「羽生」とかなんなのかなあ…??
いや、批評やエッセイはいいこと言ってると思うよ
ただ小説はくだらない
この人は、自分が「小説に新しいものを持ち込んだ」と思ってるみたいだけど
それって、小説って枠内だけの話だと思うのよね。
そこから飛び出してるもの感じない。
かけがえのないことを表現しているふりをしているが、
実は、かけがえのなさについての一般論を振りかざしているだけ。
714 :
吾輩は名無しである:2010/07/31(土) 10:11:21
>>705 荒川さんが産経新聞で文芸時評をやっていました。
それを一冊にまとめた「文芸時評という感想」という本の中で
何度も保阪さんの話題が出ます。
715 :
吾輩は名無しである:2010/07/31(土) 18:26:07
>>705 保坂が荒川に批判されて、この人の言語観は素朴とかいいかえして
阿部和重との対談の中でだけど、二人で知性的なことが悪いように言われるけど
頭よくてどこが悪いのかとか言ってたんだよね
それに大して、荒川がこの人は昔から怪しいと思ってた、一見民主的に見せながら
上から教えてやろうというような傲慢な態度がみえる登場人物を批判していた
716 :
吾輩は名無しである:2010/07/31(土) 22:11:21
>>714 >>715 d
荒川の本読んでみます。
俺がもやもや感じてたものだ>上から教えてやろうという傲慢
保坂の評論読んでたら、小説家こそ人間の営みにおけるヒエラルキーのトップに
位置するみたいに言っているように思えるんだが、
もしそれ信じた奴が小説家目指したものの、なれなかったら
すげえヤバイんじゃないの?
こういうときって、著者の保坂自身のためにもどこかに逃げ道作っとくのが、
本当の頭のよさ、というか人間のセンスのような気がするのだが。
荒川洋治ごときに批判されたからってなんだっつうの。
同じ荒川でも修作読んでもピンとこないやつは俺の小説読まなくてもいい、馬鹿は読まなく
てもいいってことでしょ。
っていうか頭の悪いやつが小説読んで、どうしようっていうんだ? エンタメでも
読んどけっての。
保坂和志が「とてもよくわかっている人」だと認める高橋源一郎が
ニッポンの小説ベスト30として
荒川洋治の「文芸時評という感想」をあげている件。
721 :
吾輩は名無しである:2010/08/06(金) 00:41:32
>>719 んじゃあ、おまえさんは小説なんて読みなさんな。
>>720 高橋源一郎はよくわかってるが書けない・読めない人だからなぁ
723 :
吾輩は名無しである:2010/08/06(金) 06:51:54
高橋源一郎はぜんぜん分かってない人だよ
頭も極端に悪い
いかに自分の嘘を隠蔽するかしか考えていないくず
そもそも保坂が駄目だろう
悪の教典
この人のはダメだよ。えばってる臭がエッセイにも小説にもついているから。
あ
文章が下手だよね。中身は別として、文が高校生レベルだ。
中身も高校生レベルですよ
730 :
ほさか:2010/09/04(土) 21:55:23
みなさん書く前に、小説について思考しましょう。
プロと同じレベルで小説について思考していないと
デビューしてから続きませんよ
「小実昌さんのこと」は保坂和志の小説論なんだろうけど
本人が言うように「小説」という感じはしなかったな。
村上春樹の「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」に収められた
「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」のように
まあ、過去の事を淡々と率直に書きましたというような小品で…
ただ、晩年の小実昌作品のように長大なエッセイという印象しか受けない。
でもそれこそが「小説」なわけだ系譜的に見ても。
深く思考する私小説作家。
最近小説書いてるの?
「カフカ式練習帳」を「文学界」に連載中(現在は連載第9回目)。
能書きはいいから面白い小説かいてね