うーんイメージがwwwぜんっぜん。貼っておくれ >デスク
ー―んで、以下はあくまでも余談。てかアレw いつもの俺だ。いつにも増して。
うん確かにじぶんはSF小説「それ自体」は好きなんでそれなりには読むが、
でもさ、リアルの宇宙開発て大、大、大っの大っ嫌いなんだよなw だって。
http://ja.wikipedia.org/wiki/V2%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88 …なんってな話はまーさて置くとしても、いずれにせよ、その開発主体つうか
製造なりなんなりは要するに、今以て、世界に冠たるww大軍需産業サマたちが
担っていることには違いはないワケだよ、ボーイングやらロッキード・マーティン
なんかの。――うん死ねばいいと思ってます。みんな。関わる者その全てが。
宇宙のほうも含めて一人残らず。――だってさ、血だまりじゃないか、その金は、
ずぶっずぶにひとの生き血を吸っては膨らんだドル紙幣の山。そんなで「それ」は。
…てゆうかああいうの、松戸さんとはえーと、どこが違うのかと素朴に疑問。
“子供より親が大事、と思いたい。”俺にはね、「今この瞬間に」生きて在る
命こそが大切なんだ、いつだって。…うん例によって「使うな!」の話でも。
未来とやらを。――端的に、殺すなと云っているだけなんだがな俺は、自身が
ひとの「そんな」で殺されたくはないのなら。欲望の。留まることを知らぬ。
…つーかごめんよ(苦笑 こんなんで。水さすようなことを。こんなおれ。
うん。じぶんにゃちーとも判りませんが。「この」俺への飽くなき拘泥が、
しっかしなんでさあヒトサマにおいては、それがグルンッとひっくりかえっての
68億の、……少なくとも、そんなへのね、可能性としては見えてはこないのか。
馬鹿だろw
てゆうかさむい。うん知的にさぶっ。ありえん。
なんでお前たちはそうまで無能なんだ? と、いつだって。
そんなわたくし。ほんっっっっっとにもう飽き飽きしているんだが、
俺も。世界にも。タスケテオクレヨ誰か、あたまのいいひとよ
そんなのはしかし当たり前。じぶんだけがかわいい。でもな。
――せめて、恥じらいをと。それだけなんだが。
なんでお前たちは、けれども。どうして?
ん、かっこいいじゃん(笑 俺も欲しいとチトおもた。んが。
…この机で、マドギワさせたらおもろいかも〜なんってこともちょっとww
てゆうかお風呂でしょwwwwww >ツツイ あはは
亡くなったってね浅倉久志。合掌。
精力的にヘンな本を数多く訳してくれた、素敵な翻訳家さんでした。。。
とそういえば、うちにもあるがとっとちゃん、じぶんもまだだ。いつか。
いつか来る「そのうち」の日に。
あっと、そうだ、松戸の才媛ちぇすとー、
誰かしらは内心でチョットはツッコんでくれたかしら(笑 すこし癸になるw
いちおう字数は合わせたんだが。
やだよねーおやぢギャグ。伝わらないと。閉じたままでは。さびしい
ってかなんだよこの字は(苦笑 癸て。よめん。
辞書ガタガタだw 目も。
『あなたの人生の物語』読了。新しい視点。
素晴らしい、実に素晴らしい。やはり世界にはたくさんの。
目的論的事象解釈。因果律の描写ではなく。
小説とは何者なのか? 両方の読み方をしてしかも混同しているからまずかったのであろうアレコレが一気に整理される。
『もし、未来を知るという経験がひとを変えるのだとしたら?
それは切迫感を、自分はこうなると知った通りの行動をすべきだという義務感を呼び覚ますのだとしたら?』
だめだ集中して考えられない。とてもイイのに。
おなかいたい。
やはりアレがアレだったのか。冷蔵庫で期限五日過ぎたヨーグルトの眠りを覚ましたのが。
しかし別にカビとか生えてなかったし味も普通だったしもともと半分腐ってるようなもんじゃないか。
この仕打ちはひどい。おなかいたい。
てゆうか屑だろw 今更だが(苦笑
あー思う、こんなに感じるなんつー部分においては、俺は相当にクソい。
間違いないよ、さいってーの部類だと我ながら。でもな。――「考え」は
しかし違うから。
「大乗」を「鈍角」を、…うん、チェーホフ流に云うなら「科学」ってやつが、
どうにも俺は諦めきれずにいる人間で。欲望の已まない。
屑である俺が、屑として屑のままに、けれども、世の皆々様がたを
(とにかくそんな部分においては)腹ん底から見下していることのそれが
理由だよ、だって馬鹿なんだもの「お前たち」。あまりにも、この俺とは違う。
うん知的(いや別に他の語でも一向に構わないんだが、思いつかないだけで)に。
ニンゲンセイとやらではなしに。
判るか?(いや判るまい。ごはん
だっからおれは疲れてんの。みんなが、みーんな大っ嫌いだ云ってんの。
いつも、――こんな、人間であることの、停止の効かなさがキツい。じぶん。
世界の、人間の、「考えること」の見えかたが他人とは丸切り違うこの俺と、
けれどもあなたがたとでは(うんぶっちゃけ大概のとはその深度も全く違うよな)、
出会うことの、驚きの、
(て。ちょっと端折りましたwアホらしいので。よって各自でてけとーに補完)
うん、でもほんっっっとにどうでもいい話、芸術なんちゃら。文学も。だって。
――が「科学」は違うから。お前たちは馬鹿だ。故に、人間であることに
「届かない」部位がある、どうしたってある。それがウザい。――んで、
ひとのそんなをウザがる自身もまたウザいんだとw ちょーうざ。そんな話。
だからの屑だあ、鬼畜を自称とww ね? 十分に論理的でしょう?(笑
以上はまーね、レトリックスレの続きなのかな…。おなかが空きました。
うん、屑って云うか…、相当にイヤラシイ人間ではあるよなw
「それ」以外のであっても、俺は自身の価値観を、また(あくまでも
その上での)ぶっちゃけ己の「高さ」を疑わぬ者。いわゆるのテンネンさん(笑
――けれどもって。「科学」以外の部分においては、少なくともその
汎用性の欠如の自覚は、十二分にあるつもりでは。だからこそまたそんな
部分においては俺は、“こんな”書きかたをする人間ではあるんだよ。
事実、変えるでしょう? 俺だって。不特定多数に向け「演説」wwwwを
する場合なんっかは(笑 まーそれなりには。
基本、突付くだけ。前にも云ったが。それで響かないのなら俺は、知らないよって。
まーね元よりどうでも良い話でしかないのだし。――てゆうか、そんなもんだろ世界。
そのちからに応じて見えかたも変わる。いくらも変わる。全ては試金石。ひとの。
…ってな感じに、いつだってごーまんなおれでw ほんっとにイヤラシイやつ。
疲れるわ〜wwww
数だと云っているんだ。聞き飽いたろうがw
開かれていることが、――ひとがね、生きてゆける、何よりこれが
一番大なことなんだから。全ては生の側にしかない。あの世なんてないんだ、
無論ifの話としてだろうが、ソクラテスも、…先日ちょろっとだけ
ナナメ読みしてた『自殺について』(ショ)もそんなにゃ言及してましたが。
――ええ。無様だと思いました。歳はとりたくないもんだなあってw あは
あww例によって。 たいせつなこと。
ともあれ、――いいか? 他ならぬ自身がそうであるように、ひともまた、
このことが、ちーとも見えない(底付きをする)お前さまたちにおかれましては、
思うなよ? てか事実に無い! 著しくそれは欠けているのだから。想像力が。
だからね、どうにかして自身のそんなを自覚出来るようになりなさいって(苦笑
人間なら。人間共めが。
――少なくとも我は知るという。
これがないやつは駄目だよ。ひとじゃない。なにがしかの強制力、
「暴力」によってしかその行動を改められない手合い。
繰り返す。ひとじゃない。こころざしを欠いたそんなは。
もっと、素直であれよと。痛みに。痛覚こそが人間性。器だ。
というか、才能かな。人間であることの。
…てゆうか、結局ねえ、判んないんだとおも俺には、ひとをして、
それほどまでに自身を「誇りを」、歪ませてしまうほどの劣等感が。
ええwwそんなかんじに、例によってね(苦笑 すんげーおれだwあはは
――にしても、足らんなあ、あわれみが。ひとへの。
だから俺は駄目なんだ。
前述の『あなたの人生の物語』について。
簡易レジュメっぽいものが検索で引っかかったので見ていたら
そこでなされた問題提起のいくつかが、あまりにも視点が阿呆だったので
どんなやつが書いたんだろうと思ったら母校のサークルのものでしたとさ。
ありゃ新入りか幽霊部員だな。
レジュメの宛先のなってない、どういう連中にモノ言えばいいのかわかってない構成だった。
自分がモノ言う相手がどういう奴らなのか把握してない感じだった。
だから問題提起の焦点が妙に低レベルでしかもピンボケしてみえるんだ。
万人受けを狙ってぐずぐずになったタイプの頭の悪いマスコミの使う切り口だった。腰の引けてる八方美人。
部内でまかり通ってる文法にくらくて、だから手近なとこに溢れてるアレを共通語に選んだんだろう。
レジュメの退屈さに反して、きっと議論は盛り上がったんだろうなあ。切り口がアレでもネタがネタだからなあ。ああああいいなああ。
目的論的事象解釈。
必ず得られる極大あるいは極小を求めて。結末のわかっている本を読むのは『聞きたいから!』。遂行と演技。
小説とは何者なのか?
思想書との違いは何か。
ヘプタポットBはある種のプログラミング言語に似ているという。
思想書もそうすりゃええやんヘプタBかプログラミング語で書けばいいやん、と安易に思いついてすぐそれを否定にかかる。
ヘプタBで思想書を記述することはどのような意味を持つか?
ヘプタA即ち発話はパフォームすること、やればそうなるとわかっていることを実行に移すことだ。
ではヘプタBとは何か。…ヘプタBの効果って何だったっけ。読み返さないとマズいな。
思想書は二種類に割っていい。と思う。つまりヘプタA向きとB向きに。
古典なんかは結構A向きを目指している、つまり遂行にこそ価値を置いている。
比較して現代に近いほどヘプタBがあこがれを集めているような気がする。そしてこの倦怠も。
『もし、未来を知るという経験がひとを変えるのだとしたら?
それは切迫感を、自分はこうなると知った通りの行動をすべきだという義務感を呼び覚ますのだとしたら?』
あのレベルの低いレジュメでも言ってた問題提起、「果たして人は未来を知ることでそんな切迫に晒されるのか?」
答えはイエスノーしかなく、イエスの場合は物語のままのようになる。
ではノーの場合は?
そのときに、その倦怠が効いてくる。つまり、結末のわかっている本を読む事に意義はあるのか?
極大も極小も信じられなければ、疑念ではなく抜けるような無力感に苛まれれば、
拒否が胸の内で頭をもたげそしてその人の人生はそこで終わりになってしまう。ヘプタBとその思想はこうして破滅の引き金足りうる。
もっとも、実際にはそうはならないだろう…遂行と演技。シナリオに必要なのは自由意志による選択だからだ。
ヘプタポットの身体について。前後の別の無い身体。
ルイーズは人類だから目が二個しかついてないけど、ヘプタポット的には極大と極小は世界に溢れ帰っているのではないか?
ありとあらゆるルートが、その帰着すべきところをそれぞれ携えて、無数に押し寄せ、充満してくる。そういう感じだ。
そういうことがわかることがある。その感じが。「帰着すべきところ」が。
極大か極小かの中、おそらくは極大だろうが、そういうものの中に身を置いた事がきっと一度ならずある。
わたしはあれが欲しい。
ラズベリーと…あとひとり、アレ誰だっけ。
ああ、原語で読みたいなあ。でも日本語訳は正直ちょっとした副作用的な効果を生んでいてそれはそれでいいな。
英語ならあんなにさりげなくないだろう…もっと露骨に視神経を刺激して、いきなり事の運びに疑問符を呈させるだろう。
日本語だから面白かったドッキリ感があるはずっていうかアレがそうのはず。
ああああ。あああ。
上手いなあ。こんな小説を書いてみたいなあ。
あははwwってかなんつーか、ええ、おれもね、読み始めてみたよ
トットチャン(笑 んで、今んとこまだ「バビロンの塔」一作を読んだ
きりなんですが、うん、クオリティっすね。続きもまー、他のものの合間に
でも、ちょこちょこと。
ちなみにこの作品を読みながらじぶんはヴァーリイの「さようなら、ロビンソン
・クルーソー(ちなみこれ翻訳は浅倉久志)」とツツイは『旅のラゴス』を
連想した。後者はオススメ、がヴァーリイは、ひとによる。オレテキにはこれ、
読んだ彼の作品中では一番の傑作だと思ってるけれども。
平野啓一郎『文明の憂鬱』が死ぬほどつまらない件について。いや死なないが。これで人死にが出たら別の意味で悲惨だが。
アレか、『笑犬楼の逆襲』の直後だからまずいのか?
『あなたが、いなかった、あなた』がイイからって買ったのに過信だったのか。エッセイだから悪いのか?
えーんつまらないよう、と泣きたいくらいつまらない。子どものように無邪気に。得られるものが見つからない。あるはずなのに。何だこれは?
あとやっと獲得したはずの必要条件と十分条件の区別がまた曖昧になった。十分条件を満たさないと発生は無いんだよ。オーケー? ノーウェイ。
『ラゴス』はずいぶん前に読んだ。素敵な話だった。とても良かった…
ああ我ながら小学生の苦し紛れの読書感想文みたいになってしまうのはいかがなものだろう。
でも読書感想文書かされてたころから思ってたんだけど、人に感想聞くくらいなら普通はその本に関心あるんだべ?
読もうか読むまいか迷ってるくらいのところで誰かに「どうだった?」って聞くんだろ?
だったらネタバレこかずにおくには「イイよ。マジおすすめ」か「やめとけ悪い事言わんから」の二択しか無いじゃん。
人に詳細な感想を求めてる暇あったら本を求めに行けよと小一時間(ry
…と思ったが、小学生の読書感想文って狙いはどれだけ物事を読み取る力があるかみたいのを試すテストだったのかしらと
今この瞬間に至って初めて考えつく。
課題図書が基本的に限定されてるのもそのせいか。センセがあらかじめ読んどいて、子どもがどう読んだかを測るわけか。
ああああああFxxK!
しねばいいのに阿呆ども!
ラゴス。
飛ぶ馬。奴隷生活。この世の英知の詰まった卵。吹雪の中の愛しい人の面影。
読んだのはいつだった? とっくに断片だ。断片の今もとても面白いのはなぜだ。
森を統べる娘。長い暗闇と絶望。人間の一生でなし得る事ごと。
おれの書く小説は展開が早いのが問題だ、とか何とか御大が言っていたような。
確かにこうして見返すと相当テンポ早かった気がするが、それでも場面場面がちゃんと息して動いてるので問題ないべな。
もっと深く掘るとどこへいくんだろう。どこかへ行けるのか?
掘り抜いた瞬間に天から落っこちてきたらちょっと笑うのに。
ガガかわいいよガガ。
どっかの誰かがコメント寄せてたっけな。
「自分はリミックスってホント大嫌いなんだけど、でもこれはかなしい…これ好きだよ」って。
おんなじようなことをみんなが書いてる。
そう。あれは本当にかなしい。
キーの崩れた夢心地の中で、唯一サビで絶叫するときだけ正気に返ってる。つまり、オリジナルの音程に。
でもそれはもちろん平静じゃないしロジカルでも幸福でもない、どう見たって決して正気なんかじゃない。
この娘は壊れている…そして彼女の中と外をこだまばっかりが響いていく。記憶の中で憎しみと背合わせの愛でステップを踏んでいる。
パワフルな復讐歌の裏っかわ、こういうのも悪くない…メロドラマチックに感情的なんじゃなくて、
むしろ無感覚な、現実感の無い感じが。強者弱者の論理じゃなくて、ただ打ちのめされた姿が。
Avril Lavigneの"So much for my happy ending"に至る前の、まだ悲しむことも起こることも出来ない本物の無力の…「永遠」の。
ああ。これを延々リピートで聞きたさにアレンジCDポチッちゃったよ。今月あと10000円ばかしで乗り切らねばならんのにw
こんなきわどいバランスでモノ描写されたら凝視したくもなるさ。
薄いピンクの光、クラブの蛍光ピンクのネオンの反射なのかそれともありもしないはずの天国から散ってきたネムノキの花びらなのか?
さあ彼女のからだを借りて四肢を投げ出し猿ぐつわにダイヤを咬む準備をしようベイビー。
"Baby, you'll be famous, chase you down until you LOVE me"...♪
テッド・チャン。『地獄とは神の不在なり』。展開にもびっくりしたがストーリーノートにはもっとびっくりした。
昔おんなじようなことを書いて母校でレポートに出したからだ。
講義の20分前に書き上げたばかりで本心も本心、胸を剥いて見せたいほどの真心をぎっしりこめたが正直デタラメもいいところだった。
考察もなーんも書いてない、今思い出すだに恐ろしいレポートだ。できれば忘れていたかった。戻ってきたときの評価も合わせて。
あのレポートで片鱗でも書き出そうと思った、それと同じことが歌われているんだ。少なくともそれに通じることが。
いろんなものにそれが通じているんだ。わたしはそれを追い続けたい。
わたしはそれを描き出してやりたい。
うん好きだと(好きになると)思った >ラゴス
翻訳出てんのかは知らんけど、あれは十分戦えるよね海外でも。商品として。
ツツイはハービーだとおも。キースでもプーさんでもなくて。
>掘り抜いた瞬間に天から落っこちてきたらちょっと笑うのに
こっちはもっとひとを選ぶが、いいぞ〜夷齋の『おとしばなし集』。
んで、「地獄とは神の不在なり」ですが(二つめにこれを。
連作とかではないっぽいんで)、まーたまたまだろうが、こっちはこっちで
やっぱり石川淳を思い出したり。宗教(この場合は共にキリスト教)
なるものの、そのイメージの扱いかたに幾らかの近似性を(なのか?w
とりわけその「処女懐胎」を。あれなんっか好き。
いちまんえんで過ごすとか無理だった。
8000円近く本買った。
もういい。生まれ変わったらヤギになる。
そんでどっか断崖の上の誰も来ないとこに本を溜め込んで一生物語と紙を味わいながら暮らす。そして便秘で死ぬ。
『コララインとボタンの魔女』観てきた。
ああ怖かった。何て怖い映画なんだろう。
『クリスマス・キャロル』も「悪い子も泣くが良い子も泣くぞコレ大概にしろ」って出来だったが輪をかけて怖かった。
映画館で泣いた上夢にも出られて数日引きずって過ごすレベルだ。ボタンにトラウマが出来そうだ。
幻想風景の出来がとってもいいけどあんまり3D演出を意識した撮影でもない感じだったもんで、
「3Dでやるくらいなら実写でやりゃいいのに」とか途中思ってホントすいませんでした。
あの怖さはドール使ってストップモーションで撮るから出るんだ。だからイイんだ。
っていうか実写とCGで撮ったらそれはそれでPTSDになるからやめてくれ…。
どっか断崖の上の誰も来ないとこにやっと本を担いできてどっかと座り込み
さあ無数の人生の始まりだとばかりに文字列を追い始めるわたしの背後上空に黒い影。
そうそれはお腹を空かせた我が子たちに新鮮な肉の一口を持って帰ろうとウキウキなオオワシのお母さんでありました。
首根っこつかまれた瞬間からそのまま断崖から急降下して脊椎をぼっきりやって視界がぶつんと途切れる、
その短い間にためるだけためてまだ読んでもいない無数の本の背表紙が脳裏で暖かく光りながら走り去って行く。
本と暮らすと宣言したときに「いつでも戻っておいで」と言いおいて群れて去った仲間たちの背のように。
ばかやろー戻れるか。
ぐう、みたいなうめきが喉でふくれ上がって口からごぼっと出て行く。
あんまりおいしく太れていないがそれでも20キロ近くあるはずのわたしのからだをオオワシ母さんはしっかとわしづかみ、
高度を落とさないように細心の注意を払いながら風に乗ってゆくのでありました。
気道をかすめてひゅうひゅう言っているのは最後の息の残りかそれとも母さんを運ぶ風か、わたしには区別がつかない。
わたしはもう何も聞こえない。
じきにオオワシの巣が見えてくる。
いや本当に。
――こうこうこんな理由でぼくちんはスゲーんでつよ(だってみんなが)と、
ただに、おれスゲーだってさおれは、おれだからっww のどっちが真実、不細工か。
うん。俺が決めるよ。ともあれ、俺にとっての意味とやら。俺の目。
>>644 いや俺も俺も(笑
とりあえず手持ちは今現在だとゴセンエンきりだよww 不思議だ。
あww 例によって。ろくでもなし。はっつあん。。。
鼻水が。しねっ。目もかゆい。
ちなみに(誰も聞いてないがw)朝食はサンマのみりんぼしを二切れに
五枚切の食パンを二枚とキャベツと卵と大根おろし、それと牛乳。
キナコと砂糖も。ああ食欲の春。少し?太ったかもw
あwwwまたヘンな漢字(苦笑 たべる。
ってもうあれかwwこれからはぜんぶひらがなで。ばぶ
てゆうか、うん、いずれにせよ、掲げるものがないひとは違うんじゃない?
歌おうが、歌うまいが。
…だーから(苦笑 殺し合いだって云っているのに。何度となく。
あなたは、怖くない。これに尽きるんだが。
ほらだってさ、おれ、例えばの話、同性とはあんま絡まないでしょ?w
判るんだよ男なら、――これは本当に、良い悪い、どっちが正しいだ
間違ってるだじゃ全くなくってね。そうではなくて、端的に、俺が、
面倒臭いやつだからで(苦笑 こんなのと下手に絡んだりしたら(絡まれた
日にゃ)どんな不快な目に、ここでのしごく短いあいだにも、どんな酷い
傷付けられかたをするか判らないから。だからじぶんは避けられている。
スルーしていただいてんのww「こんな」なのにもかかわらず。
暴力だから。俺という人間。はなつまみ。
逆に、けれども、こんなにひとの少ないところでさえ、あなたは。
えげつないからなー人間どもw ――ともあれ、こんな板をのぞく位には
リテラシーある者のあいだにおいては、見透かされるからだよ。弱さ。
うん。ぶっちゃけ、弱いのに、あれこれ云われることは不快です。てか面倒。
あなたにゃ決してこの俺は殺せないんだから。意味なし。
てゆうか一般論として、…ホンッにあなたがたは、ろくすっぽ
喧嘩(手でも口でも)なんぞせずに育ったひとたちなんやねえ(笑
なんてことを、よく。だーから、手加減も知らなけりゃ、――殺しかたも
知らないんだわ(苦笑 とまれその点に関してはおもう。よくおもう、
コドモっぽいひとたちやなーなんってww
俺はだって、ただ単にムカついているwwだけだけんども、
あなたはけれども傷ついている(傷つけている)でしょう? じぶんのせいで。
楽しくないっす。当たり前だが。てゆうか考えてよ、「じゃあ、、、」ってやつを
こっちはこっちでセーブするのにも限度がある。うん辛いです、二重にも三重にも。
なんで、こんなことを、云わせられなきゃならないのかと。
そんな、自身の振るう暴力(数の暴力)への自覚の欠如が胸糞悪いんだが信者共。
“群れ”。見苦しき。――馬鹿は皆死んでしまえばいいのに。
そういった、自身の邪悪さへの自覚が。
ああ誅したい。ころしたい。
愛するアーティストの数年ぶりの来日ライブへ出かける。
昨日の朝目覚めたときからもうわくわくしていて、戻ってきた今ずっと余韻のなかにいる。
ライブそのものは満員電車のなかで飛び跳ねてたようなもので、
ゼロ距離で人に腕を振り回したり振り回されたりといった状況だったが、
それさえ楽しく、声に出して笑った。好きな歌がかかると怒鳴るように口ずさんで大笑いした。
震えるほどの薄着で出かけて汗びっしょりになって冷えた衣服で本当に震えながら帰ってきた。
ああ、なんて素敵な夜だったんだろう。
素晴らしい気分ばかりがもう延々続いていて、歌声が一緒にずっと耳のなかでこだましている。
この感情を世の中すべてに対して敷衍することが出来たなら、ありとあらゆる感覚の不快にも打ち勝てるのではないか…
夢は見ないと決めたのに。
頼むから魔法よせめてこの週末を統べていてくれ。
歌というもの。
歌うことの意味とは何か?
アーティストがではなく彼らのファンや、彼らの歌を買ってまで手に入れたい人々が。
遂行と演技。
記述することこそが行動になり、それ自体が行為として意味を持つ、ということ。
誰に対して?
すべてに。すべてにとって意味が出てくる。
というかまず第一にこのわたし自身にとってとても濃密な意味を持つようになる。
わたしからは入出力の別が徐々に欠けつつあることに気づく。
彼らの歌を聴いているときと彼らの歌を歌っているときとで違っているのは声帯の震えであり胸の震えはかわらないかもしれない。
人間は鏡だとかミラーニューロンだとか子どもはまねっこから世界をモノにしていくとか聞くととてもしっくりくる。
わたしにとって本を読むことと文章を書くことは同じ震えにつながっている。無理矢理区別をつけるとそれはベクトルの違いになる。
前者は到達あるいは発見で後者は出発。というような。
だがそこに、区別することで生じる以上の本質は無い。
わたしは同じ震えのなかに居る。そこで震えと一緒に震えている。
物真似屋め。
そうだよ今でも信じられないんだ人間一人一人が別の宇宙に住んでるってことが。
同じ宇宙で直に出会うことが、絶対的に不可能だってことが。
みんな本当にひとりぼっちだってことが信じられないんだ。
わたしは、心から、自分はみんなと居ると思っていたからだ。
しかし気づいたその日にわたしもまたひとりぼっちになった。
期せずしてベーシストとそのスピーカーど真ん前に陣取ってしまったせいで右耳が轟音に吹っ飛ばされて何も聞こえない。
彼らの歌しか聞こえない。
愛するアーティストのその歌声をずっと聴いていたくて、断線したままほったらかしだったヘッドフォンをようやく新調、
しかしグレードレベルいっこ上げたくらいじゃ生演奏には到底叶わない罠。
もっと聴きたかった。直接声帯や気道や肺のあたりを震わされていたかった。
っていうかライブハウスじゃなくてダンスクラブで聴きたい気がしてきた。
でも彼らのミュージックはそっちのハコ向きじゃない…誰もがその場に居ながらどっかにすっ飛んでるような空間には向かない。
歌いかけ、睨みつけ、大声を上げてみせて客を挑発する、客は客でうねりになって隆起して彼らに飛びかかろうとする、
明らかに、アレはものすごく障害の多い、そしてビビるくらい意図のクリアな意思疎通のこころみのあり方だった。
まばゆい夜明けの光のなか、澄んだ空を泳ぐように昇る。
そういう風に方向転換したのはバンド的に良かったのか悪かったのか?
時代がどんどんクソな方へ転がって行くなか、気休めや慰めとしてではなく希望を歌われると、何というか、
神話や伝説やファンタジーの機能に似たものを見いだしてしまいそう。
でも、時代と一緒になって絶望してたらそれこそ人間としてもロックミュージックとしてもしょうもないって見方もあるし。
少なくとも光に希望をストレートに重ねて、それを求めたりそれに逃げられたり懲りずに追っかけたり、
最後には結局置いてかれるがたましいはそれについて行きっぱなしで途方に暮れる、といった曲調の今回のこのアルバムはとってもいい。
単純で使い古されているかもわからんがw でも、これを聞いているととても気分がいい。
途方に暮れた後はやっぱり再出発の方法を探すんだろうな、というのがわかってきて、ひとりぼっちを忘れそうになる。
んで、あっ、思い出したww赤塚不二夫wwww
……女性(たち)にね、“ぼかぁ嫌いだなーでっかいほうをする女性なんて、
ありえないー”なんってなことを吹きこんで、ガマンwをさせては内心じゃ
舌を出してる、糞野郎(まんまだw)の話を。オチは忘れたが。
どうか、是非に、自然なそれを心がけてくださいね?(笑 美容のタイテキよ〜
糞野郎と一緒に好きなだけスカ趣味にまみれてろw あ、こっち来ないでね。臭いから。
向こうでまったく関係のない話をしていてちょーだい。
あははは(笑
さて。
まず、わたしが便秘云々と言ったその真意について。
それは例えば遠藤周作とかそこのオッサンとかのスカ趣味のジョークとは意味が異なる。
「我々は素晴らしいものに触れ、その感動を取り入れて自らも表現を試みる。つまり文学を含むあらゆる表現は論理的に言ってウンコです」
という昔ネットで拾った詠み人知らずの名言を思って書いただけだ。「そんな状況になったらもう出力は捨てる」という程度の意味。
入出力の癒着の激しいわたしの身で出力を捨てるのは死につながりかねないが、それでもいいや。という意味に過ぎない。
崖っぷちに本と二人きりなら、もう必要なのは咀嚼と反芻だけでいいじゃないか。違うか?
たぶんオオワシ母さん本とかキライだし。食べれないから。
それと、このわたしの性別、性自認、性的嗜好、について。
プイグ『蜘蛛女のキス』であの素晴らしいギャグを披露したモリーナから借りてこよう。
政治犯バレンティンの「おれをバレンティーナと呼ばないでくれ、おれは女じゃない」に答えて…
「あたしは定かじゃないわ」。
付け加えると、恐ろしいことに、わたしを読んだ男は女だといい、女は男だという。
女になってみようか?
あと便秘についてw
まず、傾向として女性が便秘を発症しやすいという統計結果は事実ある。理由も生物学的なものから社会学的なものまで事欠かない。
ただし肌荒れと排便の異常の間に関しては、そもそも医学的にはっきりとした相関が認められてるわけではない。
経験則として排便異常が治ると皮膚の健康も改善するようであるから、自律神経の不調と関連づける学説がある程度。
単に、排便異常が出るような食物あるいは食事の取り方は身体全体に対して害であるわけだから、肌にも不調が出たんだという考え方もできる。
つまりコトは個体差であり、性別差は母体数の違いから来る傾向でしかない。
ある個人に対して、「女性」一般に関する事柄として、しかも美容と絡めて忠告じみたジョーク(ジョークじみた忠告?)として言うようなことじゃない。
それは二重三重に間違ったひとつの価値観を押し付けることだ。とても失礼なことなんだ。言われた方は戦慄している。
わかったかな坊や?
もうずいぶん大きい年のようだが、これくらいのことは今後もずっとわかりつづけていてくれ。いい加減お守りも疲れる。
断崖の上の誰も来ないところで、オオワシ母さんを待ちながらページをめくって暮らしたらどんな心地だろう?
ヤギといえどそんなところに着くまで全個体が無事なわけじゃない。少しでも運の悪かったものは断崖からぽろぽろ落っこちている。
ベイビーベイビーベイビー…君も落っこちたいのか? 答えなくていい。君の答えを聞くのはつらい。
断崖の上の誰も来ないところで。
そのうち「オオワシ母さんを待つ意味はあるのか?」という最悪の問いが頭をぐるぐるしだして、君は待ちきれなくなっちゃうんじゃないか?
ベイビー、ベイビー、ベイビー。いい子だ。もしそうなりそうなら、また頑張って本を担いで、もっと高い他の断崖を探しに行こう。
どうせぽろぽろ落っこちるなら、わざわざ落っこちに行くんじゃなくて、もっと他のことをして落っこちよう。
何なら本を積み上げて新しい断崖を作りながらのぼってしまおう。
できやしないって? そんなことはない。心にも思っていないことを言うんじゃない。
本当はのぼるの好きだろう? 君はヤギだから。今より少しだけ高いところに爪先をかけてぐんとからだを持ち上げる感覚が好きだろう。
遠くを眺めるのが好きだろう?
「まばゆい夜明けの光の中、澄んだ空を泳ぐように昇る」…再出発。君は知っている。
君は知っている。ヘプタB、極大と極小。遂行と演技。
君は君が積み上げて作った新しい断崖がどこかに通じていると知っている。
君はひとりだが。君はおそろしいくらいにひとりぼっちだが。
今やオオワシ母さんも遠くへ飛び去り、君は本当にひとりになる。
866 :
吾輩は名無しである:2010/03/13(土) 04:24:42
ガガかわいいよガガ…驚異的だ。
クラブミュージックもいいけどポップス路線でも十分いけるじゃないか。ちょっとレトロだけど。
"Eh, Eh, There's nothing else I can say"...♪
日常にこんな形でこんなに可愛い彼女がいたら毎日幸福だろうなあ…
で、ある日仔ネコには飽きられ軽やかに逃げられる、とw
残るのは路地裏に差す陽のようなぬくもり。
残るのは…残るのは。
焼け落ちた島、羽根の折れた風車、硝煙、銃創、雲まで立ちのぼる赤い赤い赤。
めちゃくちゃに壊された何もかもの中、残るのは何だ?
ギターも折れた。
"I saw that day...lost my mind...
Lord, I'm fine...Maybe in time, you'll want to be mine"...♪
もう歌も聞こえない。
人工島の浜辺、憂鬱の丘の上の夕焼け。
ところで松浦理英子いいですね松浦理英子。
女になってみようかなんて言いはしたけどなれやしないな、彼女の作品を読んだ後じゃ男にも女にもなれっこない。
にぎやかで鮮やかな原色のパレード、だんだん近づいてきてやがて遠のいていく…狙いと作品の構造とが考えあわされている。
読み取れなかったけど。あとがきで初めて気づいたけどw
とてもいい作品でした『親指Pの修業時代』。ただし未だにブッちぎりは『葬儀の日』。
次は『犬身』…さっさと文庫におとしてくんないかなあ。
ああ馬刺が美味すぎる。タテガミの獣脂の緩い甘さと咀嚼に耐える繊維質のギャップがたまらん。
風味がきついかと思ったが、醤油の味が濃いのもあってむしろ癖なく食える。マグロより食えるわ。
ああ馬って食えるんだなあ。乗るの好きだけど食うのも好きだな。
食い過ぎると消化不良を起こすのが残念でならない…もうやめとかないと。
積み上がった本と茫漠と青い空、あとはわずかな痩せた草しかない断崖の上にヤギがいる。
ヤギは遠い向こうを見つめているように見える。近眼のはずだから本当はどうかわからない。
ぬるい日光を受けて後ろ頭の毛筋がわずかに白く光っている。