1 :
吾輩は名無しである:
森羅万象とは即ちヤハウェで
そに翻弄されるが人であるか?
人間がいる歴史的階層からして
数学的神学も森羅万象の観照にとどまるしかないのか
森羅万象の知恵とは
汝己を知れのみか
2 :
吾輩は名無しである:2009/01/18(日) 14:21:10
3 :
理科男:2009/01/18(日) 22:59:17
ヨブ記ですか。「利益もないのに神を敬うだろうか」
4 :
吾輩は名無しである:2009/01/18(日) 23:03:54
神怖い、容赦ない、ゾッとした
釈然としない
5 :
吾輩は名無しである:2009/01/18(日) 23:53:47
神が悪魔に自慢したいがためだけに、信仰深いヨブに災厄を遇わせる。
「どう、ボクの信者、すごいでしょ」w
6 :
吾輩は名無しである:2009/01/19(月) 00:00:45
有頂天なうえに遅刻魔
心象がよくないw
7 :
5:2009/01/19(月) 00:28:40
つか、よくぞ
>>1 乙
おれ、革ブックカバーにヘブライ語ヨブ記を焼きつけてるんだ。おしゃれだろ。
ま、信者さんは怒るかもしれないけどね。
ヨブ記は神意のニュアンスは分かるんだけど、言葉にしようとするとスルリと逃げる。
「まぁまぁ、ヨブおちけつ」みたいになだめてた仲間がことごとく不信心者扱い
されてるのに驚いた。
神ってわからん。気難しい大学の先生みたい。読んでいて強いストレスを感じた。
9 :
吾輩は名無しである:2009/01/19(月) 23:28:25
おれの出た大学の先生は妙に物分りが良かったよ。
さすが、金で入れる大学。
しっかし伸びないね。
聖書にある逸話の中で、ヨブは人気知名度何位くらいかなあ。
11 :
吾輩は名無しである:2009/01/20(火) 18:13:43
俺としてはアダム、エヴァ、イエスの次ぐらい。
モーゼ、パウロ、ヨハネ...よか上。
ご参考までに。
12 :
理科男:2009/01/20(火) 18:45:06
そもそも聖書を読んだことのある日本人が少ないのでしょう。ヨブ記は旧約ですし。私のクラスで他に読んだことのある人は皆無だと思います。
13 :
吾輩は名無しである:2009/01/20(火) 21:29:49
フリー森羅万象!
14 :
吾輩は名無しである:2009/01/20(火) 21:44:29
あなたはなお申し分のないひとのままでいるのですか
神をのろって死になさい
とヨブの妻が云うわけw
死をまじかにしたひとたちはヨブのように振舞うと思う
15 :
吾輩は名無しである:2009/01/20(火) 22:37:33
例のコテハンがそろそろでしゃばってきそう
ヨブ記の様に真(まこと)に心底から爽やかな読後感を与えてくれる書物は可也、稀である
それだけが私の望みです・・・
17 :
吾輩は名無しである:2009/01/21(水) 02:07:53
信仰を貫いたから賜物があるってな話とすれば当然詰まらない
永遠の〈ある〉とはなにかを教えてくれます アメーン
18 :
吾輩は名無しである:2009/01/21(水) 04:21:45
〈キリストを識ること〉を通じて〈仏陀〉となる……!!
これこそが〈道〉である。
俺以前、教会に求道者として数年通った。
女の子が多くて、見た目そこそこの俺は
次から次へと女の子の一番大事なものを頂くことになってしまった…。
でも本気になって「祈っ」ていたよ…。女の子たちよ! アーメン、アーメン!
いいなあ。俺、聖書も好きだけど、女の子にもっと飢えてるに。
意のままになる女の子ほしいなあ。
アーメンアーメン。
教会に行こう!
仲良くなって羽○鳥までしちゃえば、完勝。一生涯安心だよ〜。
アーメン、然り、アーメン
ヘイマイク、ガールズも祈ってたさ。ジーザス!オゥゴッド!てね。
23 :
吾輩は名無しである:2009/01/22(木) 00:33:11
ヨブ記は聖書の中でも最も俊厳な内容なんだけどなあ。
↑18あたりでおかしいと思ったら、19-22だもんなあ。
『夜と霧』でも読んでみたら・・・
25 :
吾輩は名無しである:2009/01/22(木) 01:32:43
理不尽に罰したり殺したりが好きな、分裂気質の『神』が暴れるゾッキ本の中でも、最高の世迷い言。
26 :
吾輩は名無しである:2009/01/22(木) 01:46:22
アンネみたいに怖い思いをして、死んでいったパレスチナの子供もいっぱいいるんだろうな。
宗教に熱心な人たちって怖いよ。子供の内に死んだら皆天国に行けるという信仰があって、
飢餓条件下におかれ死亡する児童が後を断たない国家が結構あるらしい。
28 :
理科男:2009/01/22(木) 22:07:42
いつの間にか随分崩れてますね。
30 :
理科男:2009/01/22(木) 22:26:48
特定しなくても…
ごめん そんな印象だったんで…
実に哀れ(笑)
33 :
理科男:2009/01/22(木) 22:33:10
哀れいと寒しや
源氏
34 :
吾輩は名無しである:2009/01/23(金) 03:37:49
北海道寒そう
白〜い恋人〜
36 :
吾輩は名無しである:2009/01/23(金) 03:44:34
ヨブをよく知る友人たちの登場でヨブの鏡として
盛り上げているところはなかなか面白い
興奮したよ
ぃよぶは自らを義人=非のうちどころない正義の人(日本のマズコミみたく)だと思っていたのか それは考え過ぎだったのか
イエスは荒野で悪魔に「神を試すなかれ」と言っておられるね。
と言う事はだ、神も我々人間をを試してはならない訳だ。これは暗喩であり、ぱっと読んでも分からない。
つまり、イエスは神に反逆しておられる。人の子を試すのは神の支配を正当化する中枢的ドクトリンであり、
神として譲れない一線だ。しかし、イエスはそれを否定なされた。
山上の垂訓で我々を試さないで下さい、と祈れと仰せだ。こんな事を扇動してイエスは神の逆鱗に触れないのだろうか?
おれは触れたと思う。これらは神の世界の親子問題なんで我々の知ったこっちゃない。現実は神の使い魔たちによって
我々は今、日々試され続けている。するとイエスの説教は空手形だったのだろうか?
ルシフェルが廃嫡された時、神の面目は地に落ちた。転落したのはルシフェルだけでなく、ルシフェルを熾天使として
創造した神自身の見識であり、その無謬性の蒙った破壊は決定的だった。以降、一元論の世界観から善悪二元論の世界観に
立脚点そのものが変容した。
イエスはルシフェルの落下するさまを眺めておいでであられる過去をお持ちだ。その時のイエスの悲しみは何に向けられて
のお気持ちだったのか?神か。ルシフェルか。崩壊する無謬の神の一元論的世界観に対してか。以上、新約から旧約(ヨブ記)を
考察してみた。おれは勿論、キリスト教ではない。
39 :
儺:2009/01/25(日) 02:39:48
ねたみの神か・・・
ヨブよ! よく頑張った、耐えた、持ち堪えた! やっぱ男は気合だぜー!!
という解釈の物語ではない。
40 :
>>38:2009/01/25(日) 04:23:01
神の責め苦ってのはおれの直観では我々の”殊勝さ”が摩滅し尽くすまで続くように思う。我々の感情が爆発するまで神の手になる
擽り(くすぐり)は継続させられる。で、遂に我慢の限界点に到達するや、我々は神を罵りはじめる。そこで我々は或る種のカタルシスを
経験することになる。運命が転換し、神の擽り(くすぐり)は終わる。我々は解放される。
すると神は呟く(つぶやく)「やっぱり、それが本当の姿なんだ。おめでとう。諸君らを解放しよう」
では、神の拷問に耐え続けるとどうなるか?際限のない不運の連続。これはアトランダムに発生するイベントではない。神の意思だ。
我慢し、神を讃え続ける。「神意は計り難し」とか何とか、謙虚な言葉で神の手に委ね続ける。そうすると、神の擽り(くすぐり)は已む
のだろうか。おれは已まないと思う。その者が神を罵るまで試練は続くと思う。天に向かって「馬鹿野郎、いい加減にいやがれ」と罵詈を
吐いた時、初めて拷問は終わるのであって、ぶち切れなければ、すなわち、耐え忍び続ければ、遂に死に至るか破滅するまで拷問は
終わらないのだ。それが神の意思であり、”計画”なのだから。おれはそう直観する。
この神はサディストか何かだ。おれは今までの人生で何度も何度もカタルシスを経験したよ。神の思惑通りの反応をしてしまった訳だ。
>>40 その「神」は「女」だ!
或いは「悪魔」 惑わされる…な…(ガクッ)
ヘイマイク。俺はヨブに言ってやったさ。ビシっとね。
ヨブやった!感動した!てね。
GOOD JOB!
だろ
44 :
吾輩は名無しである:2009/01/27(火) 23:29:42
>>38 >>40 God Jobだ。
仕打ちはキリがない。なんせつぶすのが目的なんだから。
でも、なぜか、ヨブ記に神々しき美を感じてしまう。
45 :
吾輩は名無しである:2009/01/28(水) 00:09:27
二千年前の半分狂った人間が、ドグラ・マグラのような感覚で作ったのかも知れん。
46 :
吾輩は名無しである:2009/01/28(水) 00:09:36
神は嘲笑したり軽蔑したりはしない
ただ多くの場合、沈黙している…
47 :
吾輩は名無しである:2009/01/28(水) 02:07:22
遠藤周作
48 :
吾輩は名無しである:2009/01/28(水) 13:53:48
人間は悲惨な境遇に陥った時、自分よりみじめな人物を思い浮かべ、
その窮状を耐え忍び、生きてゆくものだ…
なんてね〜!
>>48 > 人間は悲惨な境遇に陥った時、自分よりみじめな人物を思い浮かべ、
それもあるんだが、もっとこう何と言うか。
50 :
儺:2009/01/28(水) 21:36:37
一般には義人とは言わぬがわるくない人間なら尚更励まされる効能があるか
勿論、限界状況に於ける話だが…
51 :
理科男:2009/01/29(木) 21:35:45
安易に励ましに繋がるとは思いませんが、少なくとも問題提議としては面白いですね。
相変わらず、変なレスが続くので話題提供します。
ベヘモットとレビヤタンの話は何を意味しているのでしょうか?主の創造を示すにしても、あまり意味が無いように思います。
意味はあるでしょう。
相手の卑小さを自覚させるために巨大なものを示すってのは、論理じゃないんだよ。
53 :
理科男:2009/01/29(木) 21:57:14
それは論理だと思いますが、言われることは良く解ります。この話の前にある主の話だけで十分な気がしますが
俺はこんなにいい女(べヘモットにレビヤタン)にもモテモテなんだから
気立ての良さだけがウリのお前(ヨブ)が
ちょっと冷たくされただけでガタガタ言うんじゃないよ
お前(ヨブ)のものは俺(神)のもの
俺(神)のものは俺(神)のもの
たとえ殴られても、蹴られても、冷たくされても
俺を愛し、従順に仕えなければいかんのだよ
例えば殴られたら、「ああ、仕合せ、もっと殴ってください」とね
それが、俺(神)とお前(ヨブ)とのあるべき姿
ま、殺しはしないから、ありがたく思えよ
ま、こんな感じだろうな
55 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/29(木) 22:50:38
↑「絶対的」な存在が分かってない。(俺)じゃ古事記だかギリシャ神話だかの神だよ。
比喩としてはキツいんだが、その比喩のキツさが君自身分かってないということがアリアリと分かるんだよな。
クリスチャンの場合、結局ヨブに自分を仮託して読むんだよな。
篤い信仰はもちろん、仕事は一生懸命真面目にやっていて、他人にも優しく友人家族にも愛あるようないい人間が
ある日不幸に見舞われる…そんときヨブの苦しみを自分のものとするのさ。
信仰のある善人が何故苦しむのか?
この問題が現代クリスチャンが読むときのヨブのテーマ。
結局聖書のヨブ記は無理矢理こじつけのハッピーエンド(しかしハッピーエンドなのか?最初の子供たちは戻ってこないのに
…ドストエフスキーは変な理屈で理解してたし、このあたりはみな神学者ないし牧師も理屈つけてるなみんな)。
解決は簡単には出来ないが信仰は単純に御利益では考えられないんだよね。
信仰それ自体における信仰にいたる道すじを照らし出す糸口としての一篇がヨブ記だと私は思う。
56 :
凾s:2009/01/29(木) 23:02:33
スレ違いはわかっていますが…、
原始キリスト教団の一員のような信仰は現代では認められていないのですか?
57 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/29(木) 23:14:19
>>56 認めるって何?
教皇がってことw意味不明なんだよな
>>55 神と人との関係を説いたもの
それがヨブ記
造物主と被造物との関係
逆に言えば被造物として神を受け入れる
その受け入れるということに信仰の意味がある
それが神がヨブを選んだ理由
世俗的(地上の)富や名声、その他利益と信仰は比較できない
こういう不条理を受け入れ、神を知覚すること
それが信仰
まーバカでも分かるように
>>54を書いたんだけどな
お前はバカだからキルケゴールの解釈も知らんのだろう
何故、恋愛や所有を比喩としたのかも理解出来ないだろうな
>最初の子供たちは戻ってこないのに
全ては神の思し召しなの
これが理解出来ないと
神社で神頼みする土民と大して変わらんのだよ
59 :
凾s:2009/01/29(木) 23:26:49
>>57 失礼な物言いになるかも知れませんが…曖昧かな、
現代のキリスト教は、歴史的な経緯(神学的な論争もあり)を経て、
いまの様々な諸分派に分かれたわけでしょう。
大雑把に言いますがプロテスタント、カトリックの教会・信徒は、
「原始キリスト教団の一員のような信仰」をどう評価する(認める?)立場にあるのか知りたいと…
60 :
理科男:2009/01/29(木) 23:33:25
>>58 どうなんでしょう。私はやはり、ヨブ記に流れるテーマは利益無しに神を敬うかだと思います。この問題は
>>55のように意味するでしょう。
子供達については、Only God knows.ですかね?
61 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/29(木) 23:49:03
>>58 たぶんその手の反駁が来ると思ってたよ。
そういうたぐいの議論はさんざん読んだよ。キルケゴールは手元にあるしね(ページと行で示しあうのもいいかな)
しかしやはりオマエはバカだ。
私は「現代のクリスチャンがヨブ記を読むとき」とちゃんと明記してる。
だいたいヨブ記はユダヤ教からの読みをまず一等に差し示すのが順当なんだよ。
私は現代のキリスト教(注意書かなかったがプロテスタントね)に限定してヨブ記の(現代クリスチャン)の一般的読みを提示したまでさ。
オマエはアカデミックな訓練受けたことないだろ?
ポイント絞って論じてる人間に対して違うポイントの読みを提示しても仕方ない。
バカだよ。やっぱりここは2ちゃんだな
ああそうさ。おまん、帰れよ。
>>61 うーん、ここまで来ると基地外だな
>だいたいヨブ記はユダヤ教からの読みをまず一等に差し示すのが順当なんだよ。
そりゃあ、そうだよ
旧約聖書だからな。
>私は現代のキリスト教(注意書かなかったがプロテスタントね)
>に限定してヨブ記の(現代クリスチャン)の一般的読みを提示したまでさ。
ほう。
善人なのにとか?
子供が戻って来ないとか(笑
がプロテスタントの見解だとでも?(笑
だから土民と言ったんだよ
ほんと読解力がないなあ
で、キルケは実家においてあるから
引用できないや
悪いね
64 :
吾輩は名無しである:2009/02/02(月) 23:10:58
ttp://www2.plala.or.jp/Arakawa/job01.htm ヨブは何かをつかんだ。
それが何なのかは、我々自身にいろんな知恵や経験がまだ不足しているから、
我々はそれを掴めないでいる。
けれど、それは実在しており、ヨブはつかんだ。
みんな、安心して信じてよい。
うーん。なかなか文章化が難しい。
神と会話したんなら、信じきることもできるだろう。神と会話できない我々は
どうやって確信すればいいのですか?
っていうのも残るし。
>>64 自分は神(…)と対話したことがあります。(所謂オカルトの類でなくて)
自ら望んだ限界状況で深い瞑想を究めた結果として、です。
ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』での対話に似ていました。
全ては相対的なもの(生命、光、闇、個の生死の観念、神という言葉など)であり、
唯一なるものだけがあるとの直観に至りました。
ヘルマン・ヘッセは『荒野の狼』でこの経験を指して、
「死の戦慄のともなう自己凝視」と表現しています。
また、『シッダールタ』の最終部分にも関連しています。
66 :
吾輩は名無しである:2009/02/03(火) 03:32:16
バルバロ訳がいけてる
67 :
吾輩は名無しである:2009/02/03(火) 03:38:31
>>65 俺は神とはホットラインでいつでも話せるよ。ゆうべも飲み会の打ち合わせしたし。
68 :
理科男:2009/02/03(火) 19:06:42
神に会いたいなら、方法はなくはないですよ。
69 :
吾輩は名無しである:2009/02/03(火) 19:45:40
聖書のスレがいしゅつ!
スレ乱立は重罪。
>>68 ふむ……?? マジレス希望です。
自分はさんざん迷った挙句に漸く一切を赦す境地に到達したよ。
71 :
64:2009/02/03(火) 20:48:49
>>65 ん。信じた。
俺が信じたってこと、なかなか信じれないだろうけど、信じたよ。
ここに張り付いていながら、私はクリスチャンではない。
2000年の謎解きに耐えうる聖書って凄いね。
古代でも、ルネーッサーンスでも、資本主義でも道標に耐えうる。
そう思い聖書を尊敬しつつ、伊勢神宮信者です。
65さんもキリストに限定してないんじゃないですか?
>>64 無限(の存在)を把握しようとすると有限(の存在)の受け取り手、
(たとえばある時間・空間のもとでの)人間からは、
限定的な意味合いでしか、語ることが出来ないという限界があるのです。
……洋の東西を問わず、真理は一つだと認識しています。
黙示録を読み解く試み、再臨などに考える余地があると思います。
そうそう、真理はひとつ。でもね。
かくある世界と別個にそれを求めちゃイカンちうか。何様?っていう。
だからおまえらみんなちゃらいんだっつってんの。――てかきもい。
お前らみーんなきもい。馬鹿だし。ウザ。消えちゃえ。
なーんてきぶんで日々、意識あるうちのそうだね三分の一くらい?
まぁもちろんに、日によってそれは違うわけだが。もうつかれたよ。
ちからあるもの、そのちからを以てこの俺を驚かせろ。楽しませてくれ。
そうして馬鹿は黙っていろ。つまんないから。うんざりだ。本当にうんざり。
うん。だって花粉症なんだものw 死ね!
ああ畜生。てか蓄膿? つまんないけどw
誰かを罰したい。責任を取らせてやりたくてならない。
何を食べてもうっすら塩味。死ね!
考えること。
考えた者について考えること。
考えた者について考えた者について、考えること。
考えた者について考える、つもりになること。
考えた者について考えたつもりでいる、そんな私の姿を映す、
他人の眼について考えをめぐらすこと、懸命に。ご苦労なこった。
ぼくつまんないです。
77 :
64:2009/02/04(水) 00:51:59
>>76 なんか、ドストエフスキー読んでるみたいな気分になるねー。おもろい。
あなたみたいな「かまってちゃん」はスルーなんだけど、一度だけはレスするよ。
俺、過去に、いろいろあったけど、命は素晴らしい、人生は素敵なんだって知ったよ。
あなたも、きっとそう思うことができるよ。
まーべっつに上記、具体的に、誰の、何に対して云っているわけでも
ないんだけどね。いや本当に。――がそうではあれ、それはいつだって
じぶんが思っていること。いっつも腹を立てている。イラッとしている、
馬鹿共がwって。ごめんね。
79 :
儺:2009/02/04(水) 01:26:35
【ヨブ記】を読み解く、という趣旨から若干外れるにしても、
聖書(勿論旧約・新約共にね)を読み込むと「永遠」を尺度にものごとを捉えられるようになるよ。
個人的ななやみの克服、芸術・学問的価値を見抜く審美眼など・・・を養うのにつながる。
つか克服すんなよw 何故? と思えなくなったら人はしまいだよ。
――というよりはまさにその意味でね。そもそもがお前たちは、その知は、
始まってすらいないんだが。無駄。無意味。話にならない。
81 :
儺:2009/02/04(水) 02:15:57
克服について。個人的な悩みを忘却したのではないよ。"実践的な愛によって"克服したのです。
クリスチャンでもなくても、己の生死を超越する境地には至れるます。
たとえば、俺は死ぬのは全くこわくない。痛いのはそれなりにいやだが。
>何故? と思えなくなったら人はしまいだよ。
>>80さんと共通の土俵にのぼれるか判らないが、『地下室の手記』の自意識過剰、
極端な独り善がりの考え過ぎから、一歩踏み出して、実践的な愛によって、
心の平安を得るという経緯を経ています。
あれだってさ。―一方ではそれが当時のトレンドだったとはいえ。
掲げるものを、「水晶宮」をこころに抱いたことのない者には、本当には
…ってかつまりね、そういうのは典型的な誤読だと俺は思うんだが。
むしろ(あえていくらか挑発的に云うならだが)ああいったくだりは
だっから、ユーモアないしは風刺として、意図的にグロくww描かれた
ものなのでは?という。
文庫解説にもあるようなこう「実存的な」っつーかさ、そういった読みは
つまり後からの、こじつけ(ないしはアレだよ、発展的誤読でもなんでも
いいけれど)…。まーともあれ、当初からそれをそうとて意図され書かれた
ものだとはじぶんは、思わない。風刺性。様々な外的要因への配慮やら反抗
その他、その時代において「具体的に」戦っていた対象への何がしかがそこ
には当然に含まれていた筈ではあり。それへのね、状況へ「戦い」への視点
を欠いたままの実存読み?は端的に間違いだと俺は。「足らない」。
あと、独りよがりはでも、確定ですか(苦笑
俺が(俺の目が)正しくて、じぶん(たち)が事実全く
「至らない」ことの可能性は?ww あはは
それと
>>82に付けたし。
まさにだっから、
>>82的な意味でひとには、お前たちには
お前たち「如き」にはあれを、じぶんだなぞと思う「資格」がない。
始まってすらいない、お前たち「程度」の者には…なんてたぐいのことは
俺は端的に、上では。ほんっきで馬鹿にしているの。見下している。
あー「は」じゃねえや「を」だww つかもー寝るざます。
そもそも敬虔なクリスチャンは、ヨブ記みたいにユダヤ教的色彩の濃厚なものに興味を
もったりしないんじゃないかね。
>心の平安
だから、ひとのそういった小乗性がじぶんは嫌いだ、我慢がならないんだと
いの一番に云っているんだが。“かくある世界と別個にそれを〜”とね。
何様のつもりなんだ?って。意味。俺はそれは、数だと決めたんだって話。
>>87 小乗/大乗というのは分派後の概念。間接的にしか関係しない。
心の平安を得た上での話とは別の流れ。
あと解りづらいから日本語で書いてみて。それからアンカーつけてね。
wwww 比喩って判る? つか言葉なんて。
機能すればいい、ないしはどうよ?じぶんを疑え。
「さもしい」と云っているんだ。
愛だなんだってのもしょせんは、自身のこころの平安を得るための
「方便」としかこの俺には、見えちゃいないんだって話。
痛覚こそがバロメーター。ひとの、品性の。救いなんぞを求める
「権利」をすらひとには俺は、認めない。ナニ甘っちょろいことをw
ちゃらい。ぼくわらっちゃいます。
>>90 "肉体的苦痛"を越える"精神的苦痛"を感覚したことありますか?
このスレ的には"霊的な苦痛"はどう? …意味が分からないかな?
それ逆。まるっと逆のハナシなんですが。――何故にお前たちは
「今、この瞬間にも」肉体的に(も精神的にも)様々な苦痛に
晒されている他者への想像力を持ち得ないのかって。どうにもゾッと
するんだってばひとのそんな様が、じぶんには。何らかの心理的規制か
もしくはただの、無能さ故なのかはじぶんには判らないが、
とにもかくにもで。
どいつもこいつもでじぶんしか見てない。見ようと意思するちからさえ
持ち合わせでゃいない。ぼくわらっちゃいます。てかさぶい。
ふーん、君は人の痛みが分かるの、フーン
つか訂正。「でゃ」ってなんだよww「ちゃ」な。オチャー(以前
喫茶室で振ったが通じなくって哀しかったよスケルトンww
てゆうか。
自身の「感じ」を基に類推し演繹するなんてのはじっつに、
基本的なひとの脳の機能だと思うんだが。特別なことか?
違うが故の判らなさもそれはでもそれで当然として、がそうではあれ。
あり得ないんだが。理解不能。もうローティーンの頃からずっとそう。
なんだこいつら?と思って生きてきた。
>>93 謂わば救いとは、言葉にしてみれば…、
自他のへ愛を融合する、
個体化の原理"マーヤーのヴェール"(ウパニシャッド)をまやかしと看過する、
などを指していますし…。ふむ。
行き止まりだらけ。ひとのこころ。どうにもイラッとくる。
どうにもならないことと、見えないこと、理解できないこととは
違うだろうと。いらいらいらいらいらいらいらいらいつだって。
うんざり。あまりにもこう、汎用性に欠けている。
>>98 このスレ的に言いまかすのが目的ではないのは当然にしてもすこし意味が読み取れないかな…
コーヒー飲んで出勤だ…悩むのもよい悩まないのもよい
あんまむりすんなよ がんばれとは言わない では
機械翻訳並みのひどい日本語
101 :
吾輩は名無しである:2009/02/07(土) 00:09:06
ヨブよーちゃん復活記念あげ…!!
102 :
吾輩は名無しである:2009/02/08(日) 09:20:06
初めてヨブ記読んだ
ヨブの嘆きは面白かったけどそのリスポンドが糞過ぎた
103 :
吾輩は名無しである:2009/02/09(月) 17:47:55
ヨブ記はあれだな、
エベレストの頂上からいきなり地獄の最深部に突き落とされる正しい人の話だな。
旧約聖書の中では、詩篇やイザヤ書と並んで人々を慰めてくれる書の一つだ。
104 :
吾輩は名無しである:2009/02/11(水) 21:14:55
>>90 愛に関して完璧主義である必要はないよ。
あなたは慈を見失っている。
105 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/11(水) 23:26:34
>>86 そんなことまったくない。
キリスト教神学書や内村を読めバーカ
>>105 誤解があるようだから言い直す。
神学書や無教会主義なんぞに関心のない、いわゆる一般的な「敬虔なクリスチャン」という連中は
ヨブ記のような不条理文学をスルーしてる気がする。
107 :
儺:2009/02/12(木) 02:01:00
108 :
吾輩は名無しである:2009/02/13(金) 22:34:35
「ヨブ記」と「2ちゃんねる」
「内村(鑑三)」 と 「バーカ」
やっぱ2ちゃんじゃ無理なのか・・・。
109 :
我輩は名無しである:2009/02/13(金) 23:04:42
信仰をもつか、諦観の類の域にまで到達したものには、読後感爽やか…!!
…どうでしょうか?
110 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/14(土) 01:37:02
>>106 「気がする」って何だよw
教会に行ったことも実際のクリスチャンもロクに知らないくせに馬鹿じゃねえか
お前はググッてるだけのクズだから言うが、クリスチャン(プロテスタント)にとって聖書ってのは、全部が聖霊による言葉で大事なもんだ。
教会いって牧師の説教聴いてきやがれクズ野郎
お前は単なる馬鹿野郎だよ
神学云々じゃなく一般信徒向けの説教本にもヨブなんて引き合いに出される。お前みたいな知ったは本当うんざりする。
ていうかクリスチャンにとって聖書は信仰そのもの。お前みたいに大して読みやしないクズが偉そうに御託ならべんじゃねーつーの。
聖書の通読なんてクリスチャンは何度もやってる。私の何人かの友人は聖書をほとんど暗記してるくらいだ。
111 :
吾輩は名無しである:2009/02/14(土) 01:41:48
もっと普通に書けないの?リアル人生が辛いのはわかるけどさ。ここで八つ当たりすんなよ。
112 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/14(土) 01:44:38
>>111 イヤなんだよ
キリスト教のこととか教会のことよく知らないのに
知ったかする奴は。
オマエがそうだからといってイチイチ他人まで「つらい」なんて心配すんなよ。
リアル自体ねえんだろオマエはw
113 :
吾輩は名無しである:2009/02/14(土) 01:48:32
リアルがないって何?(笑)
職場で猫百匹被ってるからストレス溜まってるんだろ?
お前自分で言ってたじゃねーかよ(笑)とにかく八つ当たりはやめろよ低能。
あ、バレンタインデーだ!!!
クリスチャンの女の子でもなんだか普通に…あげるんだよねぇ。(ゴメン)
115 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/14(土) 01:51:14
しつけー奴だ
学問的に反駁加えたのにイチイチがたがた抜かすなよ
キリスト教知らないなら知らないといえバーカ
116 :
吾輩は名無しである:2009/02/14(土) 01:54:03
しつけーのはてめーだよ。半端な知識で偉そうにしやがって。さっさと消えろやガキ。
117 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/14(土) 01:58:23
>>116 その半端な知識に論破されたり馬鹿にされてるんじゃ
世話ねーよ。
ここは学問板なんで、学問的におバカしてりゃあ
これからも徹底的に馬鹿にするよ。
それがイヤなら謙虚になるか、ちっとはお勉強するこった。バーカw
>>110 キリスト教徒がヨブの受難をキリストの受難と重ねて予型論的に読むことは、もちろんあるだろうさ。
でも、それって要するにヨブ記をそれ自体として読むことを放棄してるわけでしょ。
119 :
吾輩は名無しである:2009/02/14(土) 02:02:00
あのね、親切に指摘してくれる人も少ないだろうから
仕方なく俺が教えてやるけど、全然論破になってないよ(笑)
学問的(笑)
ユングの『ヨブへの答え』じゃないけど、ヨブ記の「神」は、色んな意味で、キリスト教徒の「神」とは
相容れないと思う
>>110 「論語読みの論語知らず」って言葉もある。
「読んでるんだから理解してるはずだ」という主張はあまりにも無邪気すぎやしないか?
123 :
我輩も名無しである:2009/02/14(土) 03:19:09
旧約と新約では、
神が異なっているのではなく、受け取り手が異なるあり方になったんだと思うな…。
124 :
理科男:2009/02/14(土) 09:00:16
>>118 ヨブ記をどう読むかの話は
>>55-58-60-61あたりを参考。
>>121-123 そもそもキリスト教徒の「神」というくくりは出来ないと思います。宗派によっていくらか考えは異なるでしょう。
例えば続編の扱いにしても、プロテスタントの教会間でさえ、いろいろありますし。
125 :
吾輩は名無しである:2009/02/14(土) 09:43:44
>>124 おっと。
>>58 も入れていいんだ。なるほど。
58の書き手の人格はともかく、書かれた内容はキリスト教テイストなのか。
ィヨブは自分が善人かどうかの深い自覚より、正直に日々の神と自分と周囲へのつとめを果たすことに重きを置いている。
他の人物は自分の行動は一切言わずに他者(ヨブ)への批評のみの中で善悪の判定をこころみる。
結局は犠牲を払っても正直な生き方を通しているヨブに軍配があがる その時 神がすべての運を好悪で決めたり司る、しかも比喩的技法の中で 物質(物理的人間体)に精神 価値が次元差で上回っていることを示している。
127 :
吾輩も名無しである:2009/02/14(土) 21:51:54
>>124 理科ちゃん、さりげない我田引水のアンカーやめぃw
東大京大、早稲田理工(←ここは受からなかったんでしょ?w)にたいするコンプレックス(ユングのね)が透けて見えるぜぃーw
128 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/14(土) 23:40:15
キリスト教ユダヤ教での神は、一つの同じ神という大前提がないな…
出エジプト記で変な偶像レベルの神々が出てくるが、あのレベルでユダヤ教とキリスト教の神が違うと思ってるみたいだ。
ユダヤ教とキリスト教は一神教だ。
差異は神観、救世主の捉え方、神の性質(変な言い方だだが)が違うというべきだ。
天神様と八幡様の違いみたいなニュアンスは止めてくれ。笑止千万だぜw
結局、聖書を日本人が読むと日本的バイアスがかかって読んでしまう。
そしてそのバイアスに自覚的でないつまらない感想レベルの御託を偉そうに言いやがる。
イヤだねえバカはw
>>128 アホか。
同じ神という前提がなきゃ、そもそも齟齬が問題になることもあるまい。
ところで、ぶようはユングの『ヨブへの答え』は読んだことある?
130 :
我輩は名無しである:2009/02/15(日) 03:48:16
ですから、旧約と新約では、
神が異なっているのではなく、受け取り手が異なるあり方になった
…んだと思うんです。この見解は自分のオリジナル。敷衍可。相対化可。止揚可。
どうでしょう?
131 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/15(日) 07:45:17
>>130 聖書に関する知見の前提が違う。ていうか恐ろしく変だ。
キリスト教徒からいえば、新約は旧約から独立してるものじゃない。
旧約をふまえて「作られてる」。君の言い方は旧約をふまえないで新約が作られてるみたいなニュアンスが感じられる。
ちゃんと聖書読んでくれ。読んでたらそんな訳の分からないことは言わない。
あとユダヤ教徒からすれば新約自体が偽救世主のことが書かれたインチキに過ぎない書物に過ぎないことになる。
132 :
吾輩は名無しである:2009/02/17(火) 03:50:06
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s
なんだか、武陽隠士ってリアルでは実際には「権威主義者」そのもので、
思考・判断停止のマインド・コントロールされてる老婆の類なんだろ。
破壊的カルトの一員らしい言説が痛々しいぜ
牧師の友人は一人もいない? はぁ? 牧師にだって当人に見合った対等の友人がいるんだよ。
牧師先生に聞いてみれば。キリスト教内外に、友人はいないかと。
相手にされていないのは、当然というか、お前の人格が絶対的に劣っているだけだろ。
それから自分の教会は、社会的評価や歴史的経緯から言っても正統派の教会とか言うかも知れんが、
説得力皆無だ!!
あんたの邪悪さには、人間関係、社会生活、家族・友人・知人関係を崩壊させる働きがある。
ネット上での気晴らしとかいう、猫被りをやめた姿を見ると、まさにパリサイ人の嘘を連想させるな。
え? 教会で毎週礼拝して、収入の10分の1献金しているのですか? フィジカルな浮気はしてないですか?
そうですか、それではあなたは天国にも行けますね!
(皮肉だよ!)
とにかく 死ねよ
133 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/17(火) 20:05:02
>>132 教会のこと全然知らないみたいだなw
牧師先生たちはふつうの人たちと同じで友人いるに決まってる。
私に牧師の友人はいないということだよ(先輩を友人といっていいならいるが敬語使うしな…)
まだ若いんだよ私。だから同年輩は神学生か伝道師くらいだよ。
そこまで行った同年輩はいないというだけの話。
どうすれば牧師になれるか知らないようだオマエw
クリスチャンのことググッただけで知ったかするからバカまるだしになるんだよな
バーカみっともねえな
134 :
理科男:2009/02/17(火) 21:13:01
>>127 言いたいことが了解しかねます。他人様の意見をさも自身も持ち合わせていたようなことはするな、ということでしょうか?
当たらずとも遠からず。
ユングにおけるコンプレックスというか劣等感(フロイトでもなくて誰の定義でしたかしら?)はあります。とはいえ対象は異なります。
そもそもべつに私が京大理だろうが、阪大薬だろうがお茶の水理だろうと、
はたまた高校生だろうが、創価の教育だろうが東京基督の神だろうと
それによって何かありますか?
ぶようはあちこちで「学問的」ってことを強調してるわりに、ヨブ記に関してはずいぶんドグマティックだな。
まるで、キリスト教徒の立場以外からヨブ記を読むことは非学問的だとでも言わんばかりだ。
キリスト教者としてはそれで正しいんだろうが、こんなのは学問をやる人間の態度とは到底思えない。
正直、失望したよ
136 :
吾輩は名無しである:2009/02/18(水) 01:02:54
>>133 バカじゃねーの 強調するあたりが物語っているが
お前はもうw若くなんてねーよ クソ婆あ! 30代後半以上だったら本気で笑えるがどーよ?
こいつは実質、破壊的カルトの構成員に間違いないね バーカ!
137 :
吾輩は名無しである:2009/02/18(水) 01:14:59
>>136何の実質を根拠にクソ婆あ!さんを破壊的カルト構成員扱いしているのでしょうか?
138 :
吾輩は名無しである:2009/02/18(水) 13:29:24
ヨブが神様に抗議すればやめてもらえたんじゃないかな。
自己主張しない人はいいように利用される。
やめたかもしれないが、その時点でサタンの勝ちだな
140 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/19(木) 00:34:07
>>136 別に婆でもいいけど、牧師の友達(タメ口きくような)いない理由を書いたから「若い」と書いただけ。
ちなみに三十後半なら牧師になっているような人たちはいるよ。
神学生や伝道師なんかの友達しかいないのはもっと若い世代というだけの話。
私は別にただ事実そうだといっただけ。
ていうか牧師に友達がいるとかいないとかが訳わかんないこと抜かすのはオマエじゃん。
だから反駁しただけなのに見当違いも甚だしいなw
あとさカルトもへったくれもただのプロテスタント教会だぜ。
私の教会がカルトなら官僚もジャーナリズムの人間もみんなカルトになっちゃう。
プロテスタントいっぱいいるからね。
141 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/19(木) 00:57:58
連投になるが…
>>138 そういう見方がすごく現代日本人くさい。
なんか相対的人間関係のアナロジーで聖書の神を考えてる。
キリスト教関連の書き込みみてると、みんな「絶対」という概念なしで「神」を考えている。
それじゃ肝心なことを見落としてるんだよ。
142 :
武陽隠土:2009/02/19(木) 07:12:59
>>64 今までで、これが一番の意見じゃないかな。
143 :
吾輩は名無しである:2009/02/19(木) 07:31:44
慎重に言葉をえらべ
でないと
貴様のその言葉が最後の言葉になるぞ
144 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/19(木) 22:54:29
>>142 トリップなしじゃんw
くだらねえなりすましだな
145 :
吾輩は名無しである:2009/02/19(木) 23:03:51
これ以上、「バカ」、「クズ」、「バーカ」等、誹謗・中傷の繰り返のであれば、
警察へと話を持ち込みますよ。告訴。
146 :
吾輩は名無しである:2009/02/19(木) 23:05:31
これ以上、「バカ」、「クズ」、「バーカ」等、誹謗・中傷の言葉を繰り返すのであれば、
警察へと話を持ち込みますよ。告訴。
147 :
武陽隠±:2009/02/24(火) 00:51:04
ヨブ記の脳天気なやつないかなあと思ってたら、「幸せになるゾウ」の著者が
書いた。
148 :
吾輩は名無しである:2009/02/24(火) 00:53:15
>>147 妹はおだやかじゃねえか。
姉ちゃん、見習えよw
文学板は相手と違う意見を述べる時、まずは罵ってから話に入るのが慣例なんですか?
それが暗黙のルールなら頑張って罵詈雑言の練習をするべきなのかな。
150 :
吾輩は名無しである:2009/03/06(金) 01:07:08
151 :
吾輩は名無しである:2009/03/09(月) 21:42:10
不条理だなと思いました
善人ゆえに神に試されるなんて・・・
岩波の聖書翻訳委員会の訳で読んだ
与えるのも奪うのもヤハウェっていうくだりがユダヤ教の神の観念を象徴してるように思った
ユダヤ人が迫害に対して武力で積極的に抵抗しなかったのは、ヨブのように苦難を受け入れるべきという考えがあったのかな・・・
各時代の超大国に毎回武力で徹底抗戦をしていたら民族が消滅してしまうよ。
降伏する代わりにユダヤ教の学校を残す(=ユダヤ文化の存続)交渉をしたり
小国故のシビアな外交政策によって生き残ってきた民族でしょう。
今は人口に見合わないほどの軍事力と経済力を持つ技術先進国だけど。
山本七平の解説についてはどう思いますか?
何も悪いことをしてないのに酷い目にあうこともあるが、それが世の中というものであるのでその不条理を受け入れよ、
正しき者が必ず救われるとは限らず、不幸に見舞われたからといってその人の悪行に対する神の罰とは限らない、
…っていうことを教える寓話だという解釈が一番しっくり来る
ネグリのヨブ記論はどうなの?やっぱスピノザ絡めてるわけ?
156 :
吾輩は名無しである:2009/10/13(火) 13:14:30
157 :
吾輩は名無しである:2009/10/18(日) 20:28:16
ひろさちや著の『生きがいなんて必要ない』で。
あなたが世間から非難・中傷・攻撃・嘲笑・冷笑されたとき、
「これはありがたいことなんだ」と、思ってください。
斎藤一人著の『へんなひとの成功法則』で。
どんなことが起こっても、ついてると思ってください。
どこがツイてるのか分からないときは「想像もつかないくらいツイてる」と、
思ってください。
宗教を超えて、不幸なとき試練のときの心がけ、説くところはひとつ。
ちょいと、意趣は違うんだけどね。
158 :
吾輩は名無しである:2009/12/22(火) 23:19:08
あ
159 :
主は皆さんと共に:2009/12/27(日) 08:39:02
ヨブ記、難しいね。まずイスラエルの思想は、律法を行えば、神の国と現世の
幸福を、もらえる。ローマ9章32節 信仰によるんだ。(ザカリアの歌)
ヨブの間違いは、エリフが言うように、(35章)監督と選手はヨブなのか。
と言うことだと思います。私らは、神の憐れみの器です。
160 :
吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 07:01:41
ヘブライ人の手紙 11章1節 参照
161 :
ε=┏(*゚▽゚)┛:2010/03/21(日) 07:16:57
聖書てstoryなんでそ?((笑))
162 :
吾輩は名無しである:2010/03/23(火) 21:37:01
ヨブの根性はハンパじゃなかったな
163 :
吾輩は名無しである:2010/03/24(水) 10:10:15
抽象的な表現を借りてむしろ、具体的なことを言っているのではないかな?
164 :
すまん:2010/06/03(木) 20:00:46
カトリック文章資料集のトリエント公会議らしい
165 :
吾輩は名無しである:2010/06/04(金) 22:22:47
まーユダヤ、エホバ神の矛盾、懐疑をうやむやに吹き飛ばそうとした記述でしょう
後段のエホバの逆切れが凄まじくて笑える。
166 :
吾輩は名無しである:2010/06/04(金) 22:28:42
まあこんな記述が旧約にあるという事は
やはり一神、絶対、人格神というエホバの設定が
どうも自分たちが暮らしている現実に即して無理があるんじゃない
というのが当時から信者の側からあったのでは
特に意味なく不幸のどん底に突き落とされる人から
で、なんとかそれを誤摩化すために書かれたんでしょう
ヨブ記は。
167 :
Stars Are Ours:2010/06/06(日) 00:49:31
抽象的の後にすまんと言ったら、何か誤解されるんで、
つい、この前知ったんだ。
しかし、歴史を感じる 語気が強いせいか
アブラハムの故事と同じく、無条件の信仰を言いたかったのじゃ?
169 :
吾輩は名無しである:2010/06/06(日) 01:09:52
こら、お前が産まれる前に誰が天地を作った思とんじゃワレ!
ええ加減にせいよ!
170 :
吾輩は名無しである:2010/06/06(日) 01:20:55
と、不平を言うヨブを恫喝しましたとさ
人格神も絶対という十字架を負わされたので
楽じゃないね。
ヨブ記か。だいぶ昔に読んだな。オッサンの神に対して並べる不平と、
あんた思い違いしてんじゃねーのかって主張する人の説教の二部門から
成り立つ、読み物としては半端なくつまらない代物だったと思うが。
自分は敬虔であるのにこんな眼に合わせることないじゃないか。
いやいやあんたはまだまだ信仰が足りない。で、結局ハッピーエンド
だったような。
ただの舌足らず小説。宗教の文書じゃなかったらとても世には残らなかった。
と、記憶を辿って独断してみる。
172 :
吾輩は名無しである:2010/06/06(日) 02:33:40
世界広しといえど、ヨブ記を読み解けるのは俺だけだろうな。
173 :
追記:2010/06/19(土) 17:27:38
この教令(義化)が宗教改革者たちの洞察にみられる正しい点を
排訴しなかったことを示している。(新カトリック大辞典V1366ページ)
174 :
時代はファンタスティック:2010/06/26(土) 08:34:12
1999年10月31日にアウグスブルグでカトリックとプロテスタント
の信仰義認の問題で合意されたんだ。考えてみて信仰は同じだろう・・・
後、秘蹟の部分ですね。そういえば、2004年マリア大聖堂で司式かた
は「現代の荒れ野で」という書籍だしている。上の文誤字あり 申し分けありません
175 :
吾輩は名無しである:2010/06/26(土) 09:03:36
つまり、キリスト教の中で東と西の両極化が表面化してきたと。
176 :
時代はファンタスティック:
おっしゃるとおりです