おしゃべりは文学になりうるか?(註1)

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1
※註1
たとえばルイ=ルネ・デ・フォレ(Louis-Rene des Forets)作の
「おしゃべり」を参照すること。
2吾輩は名無しである:2008/11/26(水) 23:20:13
デ・フォレは1958年、ド・ゴール将軍のクーデタに抵抗し、
マスコロ、アンテルム、デュラス、ブランショ、ナドー、ヴィットリ−ニらと「拒否」を発表した。
3川俣軍司 ◆kapwcKvnKE :2008/11/26(水) 23:24:45
やべー
4吾輩は名無しである:2008/11/26(水) 23:28:14
あるいは、吉増剛造の詩はおしゃべりになりうるか。
5記念コキカ:2008/11/27(木) 00:23:28
一瞬目を疑った。常駐しちゃいそうで怖い。
『海の鬼女たち/サミュエル・ウッドの詩』、今年 L'IMAGINAIRE に入ったよね。
6吾輩は名無しである:2008/11/27(木) 00:49:11
邦訳はすべて絶版。。。
7吾輩は名無しである:2008/11/27(木) 00:52:34
カンノさんの「子供部屋」、
清水さんの「狂った記憶」、それから白水社の『おしゃべり・鏡のなかで・あるオペラ歌手の華麗な瞬間』、
あとは小林さんの「サミュエル・ウッドの詩」の抄訳?
8吾輩は名無しである:2008/11/27(木) 01:31:35
参ったな〜(笑

>>5
もしかしてデ・フォレ愛読者?
9吾輩は名無しである:2008/11/27(木) 19:34:01
>>8
おまえは愛読者か? おまえは愛読者だったか? おまえは愛読者でありつづけるか? 
どれにも一律、いつでも肯定のことばを返したいと思う。そう思える数少ない一人だな、
私にとっては。一人ではしゃいじゃってごめんね。あなたは?
10吾輩は名無しである:2008/11/28(金) 23:51:15
まさかデ・フォレ愛読者がいるとは思わなかった。。。
まだ「おしゃべり」しか読んでないからよくわからないんだ。。。

でもデ・フォレのほかにどんな作家を読んでるのか気になるなあ。
11吾輩は名無しである:2008/11/28(金) 23:57:16
イメージは。。。
おしゃべりの実践場、カフェ・ドゥマゴ的ネットスペース、
あるいは、おしゃべりは第七官界へと彷徨させられるか、
みたいな。
12吾輩は名無しである:2008/11/29(土) 00:00:28
とりあえずもう少しレスを稼いでおこう。

クノーの短篇集「あなたまかせのお話」を
ペレックの本の横に並べつつレムの本をどけてみる。
13吾輩は名無しである:2008/11/29(土) 00:02:08
デ・フォレというのは森さんだろうか?
14吾輩は名無しである:2008/11/29(土) 00:03:56
総入れ歯、いや、そういえば、
「サミュエル・ウッドの詩」抄訳は確か読んだなあ。
15吾輩は名無しである:2008/12/02(火) 00:12:23
フォレというのはフォレストと同じ意味だろうか。
もしそうならサミュエル・ウッドの名前とも関連があるね。
しかし木と森の間で林が抜けているか。
16吾輩は名無しである:2008/12/02(火) 00:19:24
ルネ・ドーマル、ジャリあたりからデ・フォレに入ってみるか、
あるいは、クノー、ペレックから入るか、それとも、
デュラス、ブランショがらみで読んでみるかは、まあ人それぞれ。
17吾輩は名無しである:2008/12/02(火) 00:24:04

     木     林
     林     林

左じゃなくて右なんだよ、
もっと精確にはこうだよ、

       木木
       木木

みたいな。>les forêts
18吾輩は名無しである:2008/12/02(火) 00:26:00
そういや、岩波「思想」誌・ブランショ特集号で子供部屋がデュラスの
作品と書かれていてア然としたな。いや、蒸し返すことじゃあないか。
19川俣軍司 ◆kapwcKvnKE :2008/12/02(火) 00:26:57
おしゃべりって、グランドフィナーレでクラブの中で
MDMA食って会話するシーンはおしゃべりに入りますか
20吾輩は名無しである:2008/12/02(火) 00:31:57
Le bavard (邦題「おしゃべり」)は、
おしゃべりな人の意も兼ねてます。
MDMA食うとおしゃべりになるんですか。
21吾輩は名無しである:2008/12/02(火) 00:35:28
ファタモルガナの「サミュエル・ウッドの詩」、日本で言うところの
文庫化成ってくれたからいいものの、AbeBooks (日本で言うところの
「日本の古本屋」)で今年春まで三万円突破の古書価になってますた。
L'IMAGINAIRE に入ったのは朗報で、もう、まったく手が出なかった!
22吾輩は名無しである:2008/12/02(火) 00:37:59
浮いた三万円があったらたとえばどんな本を買いたいか。
私はたぶんやっぱり一冊で帳消しになると思う。心に決めた一冊がある。
23川俣軍司 ◆kapwcKvnKE :2008/12/02(火) 00:41:50
俺はなりますね。めちゃくちゃ喋りますね。
24吾輩は名無しである:2008/12/02(火) 00:44:16
個人差あるんだろうけどね。
自動エクリチュールよろしく同伴者が必要かな。

ジャンケレヴィッチがテープレコーダーに失望したって話、
思い出した。ではおやすみ。
今度三万円ならどんな本を買うか教えてね。
25川俣軍司 ◆kapwcKvnKE :2008/12/02(火) 00:49:16
三万あったら古本屋回るなあ。
いつも某駅周辺のブックオフで買ってますけど。
広瀬隆とか買ってますよ。大体持ってますけど。
26吾輩は名無しである:2008/12/03(水) 00:59:23
>>17
そんじゃ、
ノルウェイの
木木
木木
かよ(w
27吾輩は名無しである:2008/12/03(水) 01:41:21
三万円突破の古書価ってすごいな。
全集なら出したことあるけど1冊には無理。。。
3万あったら本代に1万、食事に1万、靴に1万。
もし本にしか使えないとしても「この1冊」っていうのはないな。。。
28吾輩は名無しである:2008/12/03(水) 19:29:04
今年出たらしい白水社のドミニク・ラバテ、二十世紀フランス小説(文庫クセジュ)、
未読です。既読だったらどんな紹介のされ方だったかの報告お願いします!

>>25
なんだ、どうせ古本だろうから、聞き出して未読で趣味に合ったら目をつけようと
思っていたら。普段と相変わらぬ買い方じゃなくて景気よく散財しましょうよ。

>>26
タイトル元のノルウェイの森(ビートルズの曲)のウッドは単数形だから・・・って、
返答に窮すること知っててすっとぼけて言ってるんでしょ、あなたそうなんでしょう。

>>27
ファタモルガナ版 Poèmes de Samuel Wood は44頁と伝えられています。
他人がナイフ入れた後じゃなかったら、ぜったい私は衝動買いしてたと思うんだ。
29吾輩は名無しである:2008/12/03(水) 19:37:44
かく言う私も狙いは古書でね。値づけを良心的と取っているから間違っても
ここでは口外できないけどさ。好事家のサラリーマンに攫われていっちゃうもの。
そういう一冊なのです。「チャンス到来!」と閃いたときに購おうと思う。

古書価は美術が絡むとあーあ、って感じ。たとえばそうだな、文学板でも一部では
お馴染み(?)ジャベス・タピエスの合作(古雑誌に縮小コピーが載っているのを
一度ならず見た) "Dans la double dépendance du dit" 検索してみてくださいな。
すくなくとも日本で二件はヒットする。かなり微妙な古書価では。

ちなみにSWの詩はそういう美術絡みの高騰じゃなくってですね。
30吾輩は名無しである:2008/12/04(木) 23:51:52
ジャベス・タピエス?・・・知らないなあ。
もしかしてエドモン・ジャベスじゃないよね?

しかしSWが44頁とは。翻訳しても頁数は知れてるね。
それで3万超え? サバト館の本以上だね。

ドミニク・ラバテは名前しか知らない。。。
ジャンケレヴィッチなんかの東欧系の作家は結構好きですよ。
31吾輩は名無しである:2008/12/05(金) 19:34:15
小林康夫抄訳「サミュエル・ウッドの詩」掲載の『総展望』、
ユリイカ誌のなんたら記念特集号、はたして実家在庫で
今パッと確認できないけど、たしか巻頭近くに V'herbe が
訳出されてたよ。あれを収めた『それは流れに従ずる』が
ジャベス/タピエス合作の記念すべき第一号・・・たぶん。

あー、中点の変換し忘れだ。Edmond Jabès / Antoni Tàpies。
そのもしかして。第一次問いの書シリーズの邦訳三冊と同様、
水声社にスペイン語著作の訳書が一冊。尤も、残念なことに
新品の入手は絶望的だけど。>タピエス『実践としての芸術』

常日ごろ図書館利用してます?
32吾輩は名無しである:2008/12/05(金) 19:37:44
アントニ・タピエスには瀧口修造との合作もあります。今年春、
長崎で展示会があったと聞きますが、私は当然行ってない。

Les mégères de la mer suivi de Poèmes de Samuel Wood、
来年になっちゃうけど手にしたら報告するね。
33吾輩は名無しである:2008/12/05(金) 19:50:28
あ、ちょっと待って。>24に補足するよ。連投ごめん。
東欧系とは初耳。−ヴィッチに反応した? みすず書房
『仕事と日々・夢想と夜々』、対話者のまえがきに――
「……テープレコーダーとその乱されることのない記録
能力は、ひとつのわな……機械的な復元はジャンケレ
ヴィッチにはそぐわず、その会話を見違えるほどに
変えてしまうということを理解した……書くということが
すべて強要する瓦礫の道を辿り直す……」って絶版か。
古本は比較的入手しやすいかな。歴としたユダヤ系です。

VJ「わたしが探求するものは、始まると思うと終っている。
しかも、論述に応じない。」こうも益体ないことを老年が
サラッと話してる。ほんと反則。

書中、クラシック音楽への言及が頻りだけど大丈夫かな? 
質問しながらなにがだよと自分にツッコミ入れてます。

>>30
サバト館の本、買ったことない・・・w
34吾輩は名無しである:2008/12/06(土) 01:39:04
>>31-32
あっ、やっぱりエドモン・ジャベスかあ!
だったら読んでみなきゃ。情報ありがと。
アントニ・タピエスって人はまったく知らなかったけど、
うーん、どんな絵を描くのかな。
35吾輩は名無しである:2008/12/06(土) 01:47:10
>>33
>−ヴィッチに反応した?
ごめんごめん、まさにそう(苦笑
「ヴィッチ」という言葉しか見えてなかったみたいだ。。。
なぜかゴンブローヴィッチと勘違い(笑 やれやれ。

ジャンケレヴィッチは2冊しか読んだことがなくて
「イロニーの精神」と「死とは何か」。
やや似てるけどレヴィナスのほうが好みで、
レヴィナスよりもブランショのほうが好み。
3人とも「死」をテーマにしてるけど。

ゴンブローヴィッチのほかには
ヴィトキェヴィッチという作家なんかも注目中。
翻訳書はたぶんなくて、デ・フォレ同様よく知らないけれど、
「もっと読んでみたい作家」の一人。
36BBS_MESSAGE_COUNT=3072希望:2008/12/06(土) 12:03:11
上で思わず「従ずる」と書いちゃったけど成句だし問題かも。
訂して随の字の意味で「したがう」に脳内変換たのんます。
あと、「それ」ってのは Ça なんで、類似の用法として稲川の
「それならざるもの(封印)」の "それ" を想起しといて!w

発音に際してその 'H は発音されずに VERBE[詞]と同一の
発音になる語かつ HERBE[草]とのかばん語――E・ジャベスが
日本語の「言葉」に想を得たわけはないだろうけど、ことばを
言葉と漢字で書かれると、いっつも思い浮ぶんだ。> V'herbe

ユリイカ『総展望』にはジャベスへのインタビューが載ってる。
こちらの把握している限りじゃ他には叢書ウニベルシタスの
『危険を冒して読む』にも収録されてたよ。不可避的に重訳に
なってるんだけど、これが意外と紙幅アリ! お役立ち情報か
どうかはそっちに任せます。すでに読んであったらムダ情報か。

ちなみに(?)葉、紙葉〔 feuille 〕にはこんなこと書いてる。
短い節だから引いてみよう。引用は手許にある『問いの書2
( L'IMAGINAIRE 214 )』, "● ( El, ou le dernier livre )
[ ● ←赤丸です(エル、または最後の書)]", p. 537 から。

   Feuille を、彼は、Feu-œil と書いていたのだが、私は feu-œil が、
  彼にとって、逝ける目を、それとも反対に、 火 の 目 [=赫たる目,
  炬眼, etc. ]、語なるもの〔 le vocable 〕が目で焼け尽くるというその
  目の下の白い紙面で私が作り成している観念にいよいよ対応して
  きているものを意味していたかどうか断じて知らなかったのだ。

語註を入れとくと、feu〔火〕は接頭辞的形容詞として置かれると「故人」の
"故(−)" の意、vocable は特徴的な意味作用の担い手とみなされるような
「×××用−語」から「×××(専)用」を削除して生ずる "語" の意デス。
37BBS_MESSAGE_COUNT=4096希望:2008/12/06(土) 12:04:04
あのアミナダブが改訳されたんだって? ここで祝っちゃえ、
清水さんの健勝に、書肆心水の英断に、新規読者に乾杯! 

最初に読んだブランショなんだ。最初の興奮も憶えてる。
冒頭からすこし後の、案内にしたがって扉を開けて階段を
降りていくくだり、「洗濯舟だ!」って。すぐ裏切られたよ。
こいつめ、って一本取られた気持ちになった。

かの高名なエッセイ La littérature et le droit à la mort、
あの表題(文学と死への権利/死への文学と死への権利)、
例に洩れずダブルミーニングだよね? それだったら語順を
整えて訳題:死への権利と文学としたほうがどれだけ適切か。
脳内のことを報告すると、論旨からして "への" じゃ生ぬるく、
細かいこととはいえ "に到る" だったりする……そういや
註でクノーが登場してたか。『精神現象学』のコジェーヴの
講義録編纂が彼と知って驚いたよ。講義を受けてたのって
『はまむぎ』の前後どっちだったのかな。あとで調べとこう。

SI・ヴィトキェヴィッチには、翻訳多数のムックが八〇年代
パルコ出版に一冊(『ヴィトキェヴィッチの世界』)、それから
「狂人と尼」の工藤幸雄訳があるよ。『新劇』誌だったかな、
発行年・号数とか忘れちゃったけど、探して読むといいと思う。
今のところ実作の紹介が劇作に集中しちゃってるわけなんだ。
でもこのまま放っておく手はないはずだから、いずれ新進気鋭の
翻訳者初の大仕事として小説の邦訳も出版されることでしょう。。
もちろん、フランス語訳は充実してるよ〜(悪魔のささやき

未知谷のミウォシュ『ポーランド文学史』読んだ? 私はまだ。
まああれだ、 ぜ ひ 日 本 語 で ノルヴィット全部読みたいです。
でもあの部厚な本を通読後、同じことを言うか保証できませんw
38吾輩は名無しである:2008/12/06(土) 12:06:48
そういや、ブランショがあの(最)晩年のデ・フォレ論で突如
引用して驚かせてくれたラビ・ナフマン、ブラスラフの地って
現ポーランドか。ポーランドじゃなんて地名で称んでるんだろ。

あれが小林氏の訳だっけ。どっちが水野氏との共訳だったっけ。
ごく基本的な書誌情報さえあやふやでいいんだろうか(反語)。

>>35
『死』と上の本以外、私は音楽関連のしか読んでない。>VJ
合田さんの本、買ったはずなんだけど行方不明っていうか。
普通にあるよね行方不明。ここは同意のほしいところだ!
39art and critic:2008/12/07(日) 21:47:15
あんまり図書館には行かないけれど、
例の本を借りてきて読みましたよ。
まず、小沼純一訳の「V'herbe」。
「ことぐさ」と訳されていたけど
日本語で「言葉」そのままでもいいんだね。
きっとジャベスは日本語を知ってるんだ(笑

それから小林康夫訳の「SWの詩」。これイイ!

取り急ぎの報告。
40吾輩は名無しである:2008/12/09(火) 00:16:38
>>36
いやー、お役立ち情報満載で困ってしまう(笑
『危険を冒して読む』も読んでみないと。
紙葉「feuille」の引用も興味深いなあ!

しかし。。。語学が駄目な人間なんで
「フランス語訳は充実してるよ〜」という「悪魔のささやき」が怖い(笑

『ヴィトキェヴィッチの世界』と「狂人と尼」は読んでました。
ムックっぽいのと雑誌所収だったので翻訳書にはカウントしなかったけど、
考えてみれば、『ヴィトキェヴィッチの世界』を出した出版社は偉い。
41吾輩は名無しである:2008/12/09(火) 23:45:17
なんだったら書き写しておくといいかもね? それが訳者冥利だろうし。
最初読んだとき鳥肌たちっぱなしだったよ。なんだろう、この訳文は
趣味じゃない、ちがう、ここはあの語だとか思いながらも胸いっぱいで。

ただ、現行版所収の四篇すべてが既訳の La chambre des enfants
(短篇集『子供部屋』)だけど、個人的見解と断って私見を述べると
「SWの詩」よりも、畢生のと言って過言でない『オスティナート』や
その拾遺集二冊よりも、現状、新訳・改訳を経て一冊にまとめての
邦訳書再版が訳書刊行の優先順位として断然上じゃないかと思う。

菅野さん、「子供部屋」を「子供の部屋」の題で改訳してるみたい。
新しい日本語の可能性を感じちゃうくらいの先行訳しか知らなんだ。

「おしゃべり」だけしか読んでない状態で「SWの詩」読んだんなら
びっくりしたよね。無条件にいいことだ。なにを次に読むかは任せる。

以下に選択肢一例を:a)「おしゃべり」再読前に『内的体験』再読、
b)M・ブランショ『友愛』英訳["Idle Speech" 収録]入手@P2P、
c)雑誌リテレール「批評の快楽」(>38にて言及)を図書館で、etc.
選択肢b)はインターナショナルな軽犯罪者になれるけど非・推奨。
選択肢c)はあれ単独一本読むだけじゃまったく意味不明だと思う。

Le pas au-delà, p. 57 に、こんな書き出しの断章があったりする。
もし一度に « homme » と « deux » を表示する一個の筆記文字が
(中国語には)あるというのが本当であるなら、……後続の文章を
考えながら、3年B組につどう生徒の頭上一斉に「?」が浮ぶ様を
想像してみると一寸時は楽しいかも。でね、今読み直していたら
(EIにだけでなくPADにも随所に「対話」が収められています)、
Ça suit son cours の一言で断ち切られる(?)断章がありますた。
私は私で『余白の書』、今度どっかで借りてこようと思う。
42吾輩は名無しである:2008/12/09(火) 23:46:47
その書名『危険を冒して書く』だった。事実と異なる記述、
自分で訂正すべき箇所が複数あって、なんら間違い探しと
変わりなくなっちゃってる。敢えて訂正しない。ゴメン!w

「火の目」は原文 œil de feu のイタリック。
文中の「反対に」は feu-œil のその語順 "も" 含みます。
冒頭の単語はイタリック Feuille。Feu-œil はその地口。
発音記号どおりの同一の発音でなく、フォィユ/フォィユ、
二語を発音したら、その程度の相違は認められるはず。

>>40 『ヴィトキェヴィッチの世界』
古本屋で、まあ、はっきり言って彼のことをなにも知らず
手に取ったんだけど、着たまま頭からシャツかぶった写真
あったよね。開いたらそれでさ、笑いこらえるのに大変で。
↓これをもっとワイドに収めた版の写真。
ttp://info-poland.buffalo.edu/classroom/witkacy/koszula.jpg

わが普段使いの辞書であるところの講談社日本語大辞典、
おそらくそのビトキエビチの項は、今は亡き工藤幸雄氏の
執筆になるものであろうと推察されます。以下は旧版より:

ビ ト キ エ ビ チ 【Stanisław Ignacy Witkiewicz】(一八八五
一九三九)ポーランドの劇作家・小説家・画家。芸術・哲学の
論文の寄稿も多い奇矯 ききょう の文人。戯曲『狂人と尼僧』
『母親』『靴職人』、小説『秋の別れ』『非充足』など。

現版日本語大辞典には記述がどのくらい、というかそもそも
項目自体残ってるんだろうか。平成元年の字引、つまりあの
パルコ出版のムックが世に出て四年でこれよ。うら寂しいぞ。
43吾輩は名無しである:2008/12/09(火) 23:51:54
ああいうフレーズは、かぎ括弧を濫用せずルビに頼らずとなると
訳すのがほんと難しい。その妥協しどころは追々知ることにして
まだまだ自他ともに疲れちゃう訳文しか私の力量じゃ無理だけど、
海賊版の温床にならない程度に以降、細切れをプレゼントするよ。
誤訳の虞のある生硬な訳文の刺戟すなわち語学の誘惑に堪えよw
44吾輩は名無しである:2008/12/10(水) 02:11:11
なんか細切れの時間しかなくてレスも細切れに(汗
まず前のレスに対してごく簡単に。。。

>>37-38
>ミウォシュ『ポーランド文学史』
未読です。

>ブランショ『アミナダブ』
買いました。どのへんが改訳されてるのか楽しみ。

>普通にあるよね行方不明。
蔵書家じゃないので、そんなに「普通に」はないけれど(笑
でも知人からもらった後藤明生の『行方不明』という文庫が
神のいたずらか、いつしか行方不明に。。。(苦笑
45吾輩は名無しである:2008/12/10(水) 02:31:05
>>41-43
これは後日じっくり読ませてもらいます。
それにしても、本当にお役立ち情報満載で楽しく困ってます(笑

デ・フォレ読者がいるとは本当に思いもしなくて、
しかもとても反応が早かったので、最初は釣りかな?と思ったくらい(笑
まあこれも何かのご縁でしょうね。
このスレのいきさつもちょっと書いておきたいと思いますが、
縁といえば、最近ある場所で偶然にも「総展望」の本を紹介され、
実は近々図書館にその本を借りに行こうと思っていたのでした。
その人が薦めてくれたのがリュカの詩で、「V'herbe」と同じ小沼純一訳!
こういう偶然の重なりって何か流れを感じてしまう。
その人とは吉増剛造なんかの詩なども話していたところで、
そういうことが気軽に話せる場所があると便利だな、と思ったのでした。
もう一人尾崎翠なんかを読んでる人ともそこで話せるかな、と。
この2人とはブランショやバタイユなんかについても話したことがあって。
とはいえ、文学を専門に学んでるわけじゃないまったくの素人ゆえ、
「おしゃべり」という言葉を選んだ、というわけでした。
46吾輩は名無しである:2008/12/11(木) 01:41:32
Le bavard が幸にも日本語と対応してるってのは先述 (20) のとおりで
(じつは>20じゃ不十分で、la bavarde だとおしゃべりな女とも読める。
だから人を指す場合 le bavard は男性あるいは中性の「おしゃべり」)、
一言にして「おしゃべり」が「おしゃべり」を吐き出しかつ呑み込みあう
その運動、タイトルからして示唆されまくりなわけよ。・・・本当かよw

こんばんは。お酒入ってます。自己申告。45の件、諒としました。
けっして茶化すわけじゃなく、生聞きだと三人衆のPRがおっそろしく
ハイソに聞こえる罠w POETICS板(この掲示板はBOOK板)あるけど
ご存知なさげ? おっと、馴れ馴れしく乱れに乱れた日本語だったか。
自己紹介は省くけど、恐縮・萎縮しないでラクに話してくれていいよ。

こんな即レス三昧のあやふやなやりとりを重ねても楽しんでくれてるのは
率直に言ってうれしいんだけど、はっきり言うならそちらの姿勢に因るね。
この短い期間でも百聞一見に如かずを地で行ってるのがよく伝わってくる。
ホッとする。で、お目汚しを承知の上で一つ釘を刺しておきたいんだけど、
>> 専門に学んでるわけじゃないまったくの素人 << この建前ナシにしよう。

私も完全に同じ。そりゃあ将棋の駒じゃあるまいし十年二十年先のことは
全然わからないんだけどさ。加うるに「文学」を究めたい発作はこれからも
たびたび起こると思われます……。厚かましくも言うとそこが掲示板である
限りは精読を開始したらイヤと言っても混ざるから承知しておいてね?

話にのろう。でも好きな作品、延いては作家を話しあう機会をもつことが
かなったとき、こうも開けたところだと、かえって私は躊躇の塊だよw
衆目に晒す時点で未読者に先入見を一切与えないことも将来その人が
自力で楽しむ権利をまったく侵さず俎上にのせろってのも無理な話で、
どんなスレッドも隔離スレっつう暗黙の了解を笠に着るんでもなけりゃ
弁解の余地は心情的になくってさ、そこで程度問題にすり替えたりせず
未来の読者とその読書を大切に思う気持ちをやっぱ根底に据えたいんだ。
話しあいたいとき、その欲求が募ってたまらなくなったときに、その都度
よきアプローチを再考せずして一体なんの愛読者だよとは思うけどね。
47吾輩は名無しである:2008/12/11(木) 01:44:56
文学書じゃないんだけど、至急つまみ読みしたい本が一冊ばかりありまして。
どの国内図書館にも所蔵してないから自腹決定。さらば明日明後日の朝晩ご飯。
これ。ttp://www.amazon.fr/dp/2213029520/

話半分で聞いてほしいんだけどさ。
その昔、シュザンヌ・テゼナって人の主宰してた芸術家たちのサロンがあって、
当時NRFの文人の集まりがよかった場所の一つだったみたい。錚々たる面子を
想像してくれても裏切らないような面々だと思う。人名列挙はここじゃしないけど。
指揮者・作曲家・理論家、IRCAMやEICの設立への尽力、今ではそう知られる
ピエール・ブーレーズは、その若い頃(場末のキャバレーでマルトノを弾いたりして
生活費を稼いでいた頃)、それとは別のサロンを主宰していた亡命貴族、いわゆる
エミグレ、ピエール・スヴチンスキーとの知遇を得、その伝手で潜り込んだ(有名な
ケージとの交流は彼の紹介経由と伝えられる)。マリニー小劇場での定期演奏会を
組織化、というか乗っ取った。PBは1966年に降りちゃうけど(1967-1973年は
ジルベール・アミが監督)。・・・で、デ・フォレがNRF誌1957年の新年号に
1956年十一月の演奏会についてだいぶアタマに血がのぼった評を寄稿してるの。
そうとうPBにいじ(め)られたろうなっていうような・・・w

その定期演奏会、名をドメーヌミュジカルと。一昨年、録音集がCD化されて
ボックスセット×2で正規の商品になりました。デ・フォレの評した演奏会当日の
録音もほんのすこし収録してるので(第二集のCD3)興味があったらチェック。

あと、リンク先の本の表紙の絵は去年日本に来てました。

(「高価な本」補足)数年前、興奮のあまり文学板に報告しちゃったんだけど、
その絵の作者の油彩レゾネ(写真付の戸籍簿みたいなもの)が当時のレートで
六万円弱だったかな、一冊の買物だとそれが私の記録。きちんとオチもあって、
各図版のサイズ調整を含めたレイアウトとか印刷のノリだとか、天然色刷りの
図版数の割合もそう、お世辞にもけっして出来のよくないカタログレゾネなの。
だから繙くにしても巻末に編まれた書簡集ばっかりでさ。重たいのなんのって。

R・シャール宛の手紙がたくさんあるんだよ。次来るとき紹介するね。
48吾輩は名無しである:2008/12/15(月) 00:01:14
>>41-43
「子供部屋」は来年の課題図書にしよう(笑

a)とc)の道は通ったヨ(通り過ぎたのでなければ。。。)
と思いきや「再読」とある!(いやあ〜参ったナw)

ヴィトキェヴィッチの『非充足(あるいは、充たされぬもの?)』
は邦訳待望書ベスト10のうちの1冊
国書刊行会あたりで出ないものか。。。

「誤訳の虞のある生硬な訳文の刺戟」うーん楽しみで怖い(笑
49吾輩は名無しである:2008/12/15(月) 00:21:50
>>46-47
諒解してもらえて良かった〜(笑
ということで、こういう場なのでかなりラフに書かせてもらいますヨ。

>未来の読者とその読書を大切に思う気持ちをやっぱ根底に据えたいんだ。
それはとても高貴な姿勢ですね。
こういうBBSではもちろんいろいろな人はいるけど
多少のホスピタリティは当方も持ちたいな、と。

POE板、それからブーレーズ、Jésus Aguila も、まったく知らず。。。
「ハイソに聞こえる」と困ってしまうのでもう少し補足すると、
ブランショやバタイユなんかはいっしょに読んだりしたとはいえ、
雑談的な比重も大きく(美術展に行って来ただの、ハーブを育ててるだの)、
一般的な「おしゃべり」の中で文学や芸術にも足を突っ込む感じ。
当方はほとんど読んでないけど、2人はデュラスあたりも。

>R・シャール宛の手紙がたくさんあるんだよ。
実はつい最近『ルネ・シャールの言葉』を読んだばかり。
詩アリ、劇アリ、散文アリで、なかなかいい本ではありました。
50吾輩は名無しである:2008/12/16(火) 01:47:15
詩文学板、どうやって盛り上げたらいいんだろうね。
こないだ久し振りに覘いたら、廃れるだけ廃れててアセった。

『おしゃべり』の執筆前に『内的体験』を読んでたみたいだよ。
まあ、私も再読してないからおあいこってことでw 『異邦人』の執筆前に
『謎の男トマ』も『アミナダブ』も読んでたみたいだよ、ってのと同じくらい
どうでもいいことかもしれないし。いや、全然どうでもよかないか。

しかし萌え語ってやつじゃなかろうか、それは。>ホスピタリティを持つ
タルムードレクチャーのどっかでレヴィナスが偶像崇拝とか放蕩と同等に
重大な罪として、不履行に終わる口約束、行動が伴うことのない美辞麗句、
それから歓待の気持ちを欠いた歓迎を目立ちにくいものとして挙げてて、
嫁入り道具がブルドーザーの花嫁を迎接してみたい、そんな無体な欲は
あなたありませんかねと、そりゃもう文脈完全無視で思ったおぼえがある。

私の推測によると、あなたは『子供部屋』を読んだらデ・フォレなしには
生きていけない軀になってしまうんだ。そしたら気の済むまで話そう。
国の内外を問わず、デ・フォレの読者が市井にわんさかいるとは私だって
思っちゃいないよ。でも、それに価しないとはちっとも思ってなくってさ。

じゃ、レスに移ろう。こっちもラフに行くよ。
51吾輩は名無しである:2008/12/16(火) 01:50:30
ヴィトカツィ、超ハンサムじゃん。売れると思わない?w

『ニェナシセニー』は亡くなった工藤氏が生前に訳稿を完成させていたと聞くから、
下訳にしてさっさと出版しちまえと思うんだけどね。諸般の事情があるんだろう。
第一部「覚醒」、覚醒の章冒頭、小説の書き出しはこんな感じです(フラ語訳):

   Genezyp Kapen は自由の妨げがどんな形式の下でも堪えきれなかった――早く
  も彼の一番柔和だった幼年期から、あいつらの配慮に彼はやりきれない嫌悪感を
  おぼえていた。(それにもかかわらず、なにやら不可解な奇蹟により彼は専制君主
  じみた父の調教を八年間凌ぎきった。だがそんなことは、まるでぜんまい仕掛けを
  巻き直したかのようなものであった。彼はとにかくいつかは己が緩むと知っていて、
  そのことが持ち堪えてみせるよう彼を鼓舞していたものだ)。四歳で(その頃すで
  に!)、彼は母と子守女たちに、夏時の散歩の際、いくらか肥えて繋ぐ綱を獰猛に
  引詰める犬を撫でるのを認めてくれるよう懇願していて、それとも猟犬かなにかの
  憂鬱になるような一匹、甘ったるく小屋の入口で鳴きついてくる仔犬だったか――
  そいつを撫でる、そしてなにかそいつに食い物をやるだけのこと、はたしてそいつ
  を自由にしてやるため犬を繋いだ綱から解放するなど問題になりえなかったが。
  [以上第一段落]

S. I. Witkiewicz, « L'INASSOUVISSEMENT », trad. par Alain van Crugten, 1997,
L'Age d'Homme, p. 25. (1970年フランス語訳の再版)

いきなり関係のない話に脱線すると、ペットショップでカタログをめくってみると、
セッターやポインター、猟犬種には参考価格としてばかにならない値がついてる。
でも、猟師のルートでブリーダーと直接交渉すると、これがかなり安価だったりする。
もちろん相対的にだけど、四分の一、五分の一とかそういうレベルでさ。血統書が
猟友会発行だったりする。たとえば御殿場なんかで、金満家が猟に参加するとき、
よくしつけられた(=使える)猟犬を貸出せば日当五万円、なんて話を聞かされた。
毒キノコ食らって死んだら補償金を出してくれるかたずねたら鼻で笑われたよ。
笑い話じゃないってのに。あー、思い出して腹立ってきた。
52吾輩は名無しである:2008/12/16(火) 01:53:41
1953年にはシャール、ド・スタール(>47で触れた画家)で一緒にバレエ作品やろう、
という話が挙がって大いに盛り上がったみたいだけど音楽を欠いてポシャったのでした。
『ルネ・シャールの言葉』、読んだことないや。劇が気になる。チェックしてみるよ。

その本の表紙の画はジャズマンへのオマージュなの。違和感アリw
その著者については私なーんも知りません。たぶんこれからもその著作以外は。
キノクニヤに注文したのミスだったかな、着荷まで待たされるんだ。

シャールに画家から贈られた絵が五つ油彩にあって(どれも「小品」、12×22aとか)、
うち一つは一時期デュパンに渡ってたみたいだ。シャール宛の書簡はレゾネに52通、
短いのもあれば長いのもある。どれにしようか。寝るまでに落ち着いて選んでおこう。

レゾネのビブリオグラフィーを見ると、デ・フォレも同人に加わってる『エフェメール』
(「書物の不在」初出誌と言ったほうが通じやすいか)第四号で小特集が組まれていて
手紙の掲載とか、同人のデュパン、デュ・ブーシェの二名が書いてるみたい。未確認。
胸躍る題だよ。デュパンが Le trajet le plus court[最短行程]、デュ・ブーシェが
Fragment de montagne[山岳の砕片]、表紙カバーはジャコメッティのデッサンで……
ツェランも同人だったりするんだけど、その号には L'Interlocuteur[対話者]って題で、
画家と関係ないけどなにかしら投稿してるみたい。彼がハイデッガーと面会したのって
何月だったっけな、一九六七年九月号、読みたくなってきた。デュパン、デュ・ブーシェ、
二名とも『総展望』にあった名前だよね。またとないアンソロジーだ。うん。

>選択肢c)
冒頭の一文で触れられていた « l'Inconnue de la Seine » はネットに画像があります。
一見の価値あり。原語 l'effigie が小林康夫訳では「肖像」だったと記憶してますが、
「セーヌの誰知らぬ女」は端的に言ってドザヱモンから写し取ったデスマスク・・・w
「肖像画」と日本語に訳すと混同の起きる le portrait のようにイマージュじゃなくて
切手の絵や貨幣の浮彫りであれ塑像であれ l'effigie はフィギュールの部類なんだよ。
MBはその所有者だった(余談。『死の宣告』のアレ、これっぽいなあとか思ってたり)。
53吾輩は名無しである:2008/12/16(火) 01:55:54

第二文で、かつてそれがジャコメッティを誘惑した旨書いてるけど、「それ」はおなじみ
ELLE、effigie が女性名詞だからってことで小林訳だと「その肖像」と訳していたかな。
翻訳だとまるっきり落ちちゃうんだよ。おいしいところだけに惜しいったらありゃしない。
こういうときの潔さを好しとせず、私ならムカッ腹立てながら秘術トヨサキ行使に出るw

       エフィジ
  女性の首像が……

  かつて彼女は溺れ死んだ……
       エフィジ
  かつて彼女がジャコメッティを……

ルビ活用術。
誘惑したのが溺死した女の「その首像」なのか溺死者としての「女」なのか、それとも
その首像に酷似し始める溺死の瞬間にあった「女とその首像」、と疑問は尽きないけど。

余計なことを言うと、そのエッセイで言及されている『時の終りのための四重奏曲』
(メシアン作曲)の最終和音には[原語 l'accord final、臨終に際しての一致とも読める]
ppp[弱弱弱く] perdendosi[(楽音が)失せ(るに任せ)ながら]と指示がありやす。

さらに附言するとエッセイの註で「卓抜したタルムード読解入門を構えている」みたいに
紹介されていた本があったよね。L'ENTRETIEN INFINI(略してEI)収録対話篇の理解に
下のリンク先、現代思想誌バックナンバー掲載なんだけど、抄訳されていた箇所だけでも
非常に役立つと思うな。< http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1058522424/788 >
レヴィナスにも親しんでいるようだし遠慮なくおすすめできます。

高貴だなんてご冗談。
ごめんね、D・ラバテの名前、どこで知ったのかなと疑問に思ったからカマかけてみたの。
54吾輩は名無しである:2008/12/18(木) 01:38:56
R・シャールの一九五一年二月八日の手紙の書き出しはこんな感じです。

 「親愛なるスタール
   1.私は幸運でしたね、あなたと知り合えて私はうれしく思っています。
   2.私はあなたの作品を愛しています、極めて私の心に触れる作品です。
  私はあなたにそのことをまたお話しする機会をぜひ持ちたいと[…]」

画家スタールはルネ・シャールの過去の詩集( Le Poème pulvérisé )から
抜粋した十三の詩篇に表紙となる石版画、十四の木版画をつける仕事をし、
その挿絵本の展示会が一九五一年十二月八日、スタールから買いつける
画商はまだ当時その人ただ一人だったジャック・デュブールの経営している
パリの画廊で開かれたそうです。以下は十一月八日、同年パリで書かれた
ルネ・シャール宛の手紙の試訳:

  木曜 夜
  親愛なるルネ

  明晩になるかボーディエがそりゃ僕にくれたかろう一切は君に送る――僕はもう
  躊躇なんてしない。連中、すこしばかりここのところ三日理由なしに引っかき回して
  くれたから。
   灰色だよ。然り。表紙石版画の灰色にはそこのよりもっと濃くなってもらおう。
   君の名前、僕じゃハンコ式と別な具合には制作できなかった。他の仕事のやつ
  諸々への暴力を勘案すると。だから判読可の限界で留めるとしよう。
   函、どれも函は同じになってもらおう。概して外観としてはだが、僕が同じものを
  手ずから作るので君は当然のことながらヴァリアント一点を手にすることになる。
  ワックス加工の厚みとかアガートになる凹凸の点でだね[アガートは花の名称]。
  もっといいのは考えつくこと一つ僕じゃできなかったから――
   ともかく、白革に石版画を刷ることはできて黒革の函を作ることはできるだろう。
  その役に立ちそうな革を先に立体の形状にしておいたらさ。そんなこと僕が思うに
  少数愛好家がまったく当り前みたいに少数愛好家自身で実現しちまいそうなもの
  ――君はその上で彼らに提案してくれていいんだよ。この今計画について、僕の
  担当分に将来君がご所望になるヴァリアントってやつは全部。
55反省中:2008/12/18(木) 01:40:20

   そういうことだ。ルネ、僕は際どいところに達しているな。神経でできた刃の上で
  いささかね。君が昨日早くもできてきた本を全部持っていなくちゃいけないからだ。
  つまり、僕は君に書くってのに、僕は安らかな惰眠を貪らなくちゃいけないだろう。
  そして君が僕に書くんだ、君は、君がそれについて思うところを。
   僕の時間だ。僕に、限界は昨日だった。
   こうは言っても、そうこうして君のために労作することが僕にくれたものを僕が
  君に満足に言えることなんてずっとないんだろうな。君は僕に再発見させてくれた。
  僕が持っていた情熱を。子供が、大空に向けて、秋の葉に向けて。そして直截な
  先例のない語法へのまったくの懐旧の念、例にないことが運び去ってゆく懐旧を
  一発で。僕は今夜君のため僕の両腕に二つとない千の本をいだく。たぶん僕は
  その千の本をけっして作らないがそれをいだくことがとんでもなくいいことなんだ。
   おやすみルネ。フランソワーズが一着ジェロームのための外套を制作中だ。
  君によろしくと。近いうちにまた。心から。
                                         ニコラ

「>50(自己レス)訂正とお詫び」
カミュ『異邦人』の完成は1940年に遡ります。ですからありえないことです。

となると「二作品を当時読んでいた」と知って驚いたことしか定かじゃない。
「執筆」と「出版」の勘違いか別の作品たとえば『ペスト』との記憶違いか。
もしかするとカミュでさえなくって……。どこで読んだか忘れてしまったよ。
(こうしてどうでもよくなくなるのって、どう考えても好ましくないよなあ。)

今すぐに調べのつくことじゃなさそうだから、お詫びに代えて新たに妄想を。
ヴィトキェヴィッチとの交友を知られる作曲家に、生涯何度も作風を変えた
カロル・シマノフスキがいます。下は作曲家没年のかなり古い年代の演奏、
もしかしたら放送された映像をヴィトカツィも視聴していたかもしれない。

作曲家の代表曲の一つに数えられる『神話 三つの詩』作品30の第一曲
http://www.youtube.com/watch?v=nhdjOZZcy80
56吾輩は名無しである:2008/12/20(土) 23:19:03
>>50-55
>詩文学板
ただでさえ詩を学ぼうとする人は少ない上に
(作ろうとする人はそれほど少なくなくても)
IDが表示されるのが原因かも。

>『子供部屋』を読んだらデ・フォレなしには生きていけない軀に・・・
とても怖ろしい(笑)・・・でも、そう言われたら読みたくなってしまうこの性(笑

>ヴィトカツィ、超ハンサムじゃん。売れると思わない?w
大売れはしないと思うけど(笑)、そこそこ読者はつくんじゃないかと。
代表作を未訳にしとく手はない。感謝!>覚醒の章冒頭

>シャール、ド・スタール(>47で触れた画家)で一緒にバレエ作品やろう・・・
『ルネ・シャールの言葉』は4部構成で
1部 81篇の詩
2部 アフォリズム
3部 演劇「水の太陽」
4部 16篇の散文
から成っていて、散文にニコラ・ド・スタールについて書かれた小文がありました。
ほかに、ブラック、ジャコメッティ、ブーレーズなどについてのものも。
57吾輩は名無しである:2008/12/20(土) 23:30:51
(つづき)

>同人のデュパン、デュ・ブーシェの二名が書いてるみたい。
このあたりの名前も気になるけれど、
とりあえずシャールの次は宮川訳編のボンヌフォア(ボヌフォワ)を予定。

>冒頭の一文で触れられていた « l'Inconnue de la Seine » は・・・
確かシュペルヴィエルに同題の短篇があったと思うけれど、
うーんデスマスクとイマージュのテーマはすぐれてブランショ的。
(l'effigie がイマージュというよりフィギュールだとしても)
最近ではディディ=ユベルマンあたりがそのへんを書いてそうで多少気になります。
MBがその所有者だった(!?)という余談は初耳。興味深い。。。

>かつてそれがジャコメッティを誘惑した旨書いてるけど
ジャコメッティはシャールの肖像画も描いているみたい。
若いときにシュルレアリスム運動に参加し、やがて離脱した経験は
2人に共通したものだけれど、ブランショとはどうだったか・・・
ジャコメッティ『エクリ』は持ってます。

>私ならムカッ腹立てながら秘術トヨサキ行使に出るw
豊崎光一? ルビ活用術といえば泉鏡花ですよ(笑

>その首像に酷似し始める溺死の瞬間にあった「女とその首像」・・・
そう、ここがブランショ的というか。
58吾輩は名無しである:2008/12/20(土) 23:44:15
(つづき)

>「卓抜したタルムード読解入門を構えている」みたいに紹介されていた・・・
感謝!>リンク&書簡訳。
ここでレヴィナス、ジャベスの線(トレ)が引かれるわけですが、
ちょっと話が膨らみすぎるのでこのへんのユダヤ的話題はまたの機会に。

といいつつも、次もユダヤ人ツェランについて。
>ツェランも同人だったりするんだけど、その号には L'Interlocuteur[対話者]って題で・・・
55年にシャールはボーフレの紹介でハイデガーに出会ったようで
シャールは詩集「失われた棟」をハイデガーに、
ハイデガーは「言葉への途上」仏訳をシャールに捧げたりと
お互いに幸運な出会いだったようですが、
ツェランはというと、ハイデガーとの出会いは悲しいものだったようで。
その出会いのことを日本語訳で「山中の対話」という短篇的散文にしてましたが、
それがL'Interlocuteurかどうかは確認してみないと不明。

>カミュ『異邦人』の完成は1940年に遡ります。
カミュもまたシャールを高く評価していたことが例の本に書いてありました。

>『神話 三つの詩』作品30の第一曲
ジャック・ティボーのバイオリンがいい味出してますね。
59吾輩は名無しである:2008/12/22(月) 00:41:21
危ないあぶない! 『ルネ・シャールの言葉』にある一九五一年の小文、
余勢で投稿しちゃうところでした。共作第一号の展示会に際してシャールの
寄せた序文がそれです(失礼。日付、十二日の間違いでした・・・)。
印刷する紙もタイポグラフィも手がけ、完全に画家が製本したようです。
翌年、画家は風景画や静物画等を嚆矢として「半具象」に作風を転じます。
ああ、『詩集』の実物をこの眼で見てみたいな。購入を報告します。
やっと「水の太陽」全文を日本語で読める。ありがとう!

一昨年から、書店の文芸書コーナーではスタールの油彩画が使用された表紙の
本が並ぶ機会が増えに増え、人気という観点では異常に加熱しているようです。
今のところ確認している限り、どれもその意味で1952年の転機以降の作です。
あえて確認しませんでしたが、彼の絵画をご存知でしょうか。

画家の手紙を読む限りでは存命の頃、その死まで短い期間ではありましたが
交際を続けるにあたり、シャールは困惑させられ通しだったかもしれませんね。
カタログレゾネにある手紙を全部訳したい、もっと画家の生を身近にしたいのが
腹蔵のない本心なのですが、往々にして歯が立たないこともまた本音です。
長い付合いを覚悟しています。

ここに投稿した訳文は、一つ残さず現在進行形で改稿されています。
あるいは象嵌式の修正、あるいは語順操作。その点、どうかご了承ください。

>そこそこ読者はつくんじゃないか
「ヴィトキェーヴィチは、[…]小説を芸術形式と認めようとせず、なにを
つめこんでもかまわない「ずだ袋」と呼んで、(後略」ミウォシュ、前掲書から。
『非充足』のあらすじも紹介されていますから、立読みするといいかもしれません。
読者がつく、それも文学作品から離れている人を呼び戻すだけの作品と思いますし、
同時に物議を醸すのも間違いないでしょうけれど、出版社は二の足を踏むかも……。
心待ちにしている人、たくさんいるんだろうに。どうにかならないかな、ほんと。
60吾輩は名無しである:2008/12/22(月) 00:42:45
そのシュペルヴィエルの作品、読んだことないや。というか彼の作品、
恥ずかしながら一作も読んだことがないのでした。折を見て読んでみます。

書き込んでから、日本の l'effigie に、たとえばどんなものがあるか少時
考え込みましたが、高村の「首」に対する偏愛など一考に価するかもしれないと
思いつつも、なかなかパッと適当な例は思いつかないものですねw

『ドリュウ・ラ・ロシェル日記』(メタローグ)、
「『新フランス評論』と訣別した」で始まる一九四〇年五月三日のページに
「モーリス・ブランショはシュルレアリスムに蝕まれている」とあります。
彼の鑑識眼がいかほどかは措くとしても、四〇年といえばフィクションを
まだ一作も発表していない時期ですか、いくらか気にかかる記述です。

ずいぶん前借りて読みましたけど、『エクリ』持ってませんよ。いいなあ。
矢内原とのハラキリ談義に爆笑したような。あれって『エクリ』でしたっけ。
たしかデュパンの序文がやたら力の入ったものではありませんでしたか。
感動した憶えがあります。ただ、散見されるカタカナ語に興をそがれたかな。
これはどうにも避けられない。そろそろエクリチュールの標準的な訳語を
考え直す頃合かもしれませんね。なにか腹案がありますか? 脳内変換で
日ごろ重宝しているような「先験的 --> 超越論的」並みの代案が。

「山中の対話」、小沢書店の詩集で読みましたよ。プリズメンに有名な一節を
書いたアドルノが想定されていたんじゃなかったかな。私と君のうちなる彼(ら)を
巻き込んで交わされる対話だったと理解しているのですが、あの短篇を読んだの
だいぶ前だからあやしいや。でも、「ユダヤ人と自然は別々のもの」みたいな
一節が強く印象に残っています。いまだにわからない。自然を本性とか本然とか、
あるいはテーヴァと再翻訳しちゃきっとだめで……。

>ユダヤ的話題はまたの機会に。
来年の楽しみにとっときますね。
来年はモチベーションを高めて『ゾーハル』フランス語訳を買いたいと思います。
そしてささやかにしてひそかなわが喜びとしたいと思います。
61吾輩は名無しである:2008/12/22(月) 00:44:39
今日、クリスマス〜正月用の音楽を一万円分調達してきました。これで一安心。
年末年始の自由時間、読書をどう組み込もうかな。そちらはボヌフォワか。ううむ。
まあ、例年通りのんびり再読に明け暮れるとします。

強制IDにはすぐ馴れるよ。文学板への導入は微妙なところだけど。>詩文学板

詩を学ぶというと抵抗感があるけど、たとえば現代詩文庫、あれだけ手あたり次第
読んでやろうと思わされる文庫もないような気がする。あの文庫との折り合い、
みなは一体どうしているんだろう。あの文庫がなくなったらと思うと寒気がする。

>ルビ活用術といえば泉鏡花ですよ(笑
おや、先賢のルビ活用術を体得するのに文語訳聖書は避けて通れませんよ?w
早起きした日はランダムに開いて楽しめるような創意工夫が満載の一冊です。

里帰りしたら讃美歌集を読み直してみようかな。
聖句のイスラエルを大和に置き換えている古い超訳があったと記憶しています。

百円で買った文語訳聖書、小口に蛍光ピンクのアクリル絵具の飛沫が満遍なく
細かに散らばってます。これって仕様なのか、それとも前所有者の伊達なのか。

>ディディ=ユベルマン
残存するイメージ、値が張りますね。正直に言って書店でスルーしてから
忘れていた名前です。せっかくの訳書だし図書館利用の上で読んでみるかな。

>ジャック・ティボーのバイオリンがいい味出してますね。
どこぞの鑑定士じゃあるまいしw どうせ骨董ですよ。東芝EMIもせっかくの
日本独自の十枚組CD編集盤、廃盤にしてくれましたし、拗ねたくもなります。
ああして森を裸で走り回ってクセになっちゃったりしないのかな。愚問か。

では、来年もよろしくね〜
62吾輩は名無しである:2008/12/28(日) 00:54:31
>彼の絵画をご存知でしょうか。
スタールはこれまでよく知らなかったんですが、
これから出会っていくと好きになりそうな予感が。
美術は興味があるんだけれど、ごく限られた範囲。
ゴッホ、クレー、ジャコメッティ、イヴ・クライン、
それから、変り種ではエッシャーあたり。
ジャコメッティの話題は来年に持ち越しておきます。

>一つ残さず現在進行形で改稿されています。
「あるいは象嵌式の修正」というのが詩的でいいですねぇ。
絶えず更新される無数の翻訳のヴァリアシオン、
永遠に不定形の流動するテクスト、というところでしょうか。
了承も何も、気兼ねなく振舞ってくださいよ。
63吾輩は名無しである:2008/12/28(日) 01:10:43
>「モーリス・ブランショはシュルレアリスムに蝕まれている」とあります。
ブランショは若いときジャーナリスティックな活動(しかも政治的な)をしてたので、
ブルトンらのシュルレアリスム派ともバタイユらの社会学研究派とも
ちょっと異質な道を歩んだとは思いますが、
ブルトンの影響はやはり強くあったでしょうね。特に「ナジャ」は。
レシとロマンを区別するブランショ的定式によるならば、
セイレーンの歌を聞いた体験を回想して後で綴ったものがロマン、
その体験そのものを生々しく言葉にしたものがレシというわけで、
(記憶違いでなければだいたいこんな感じ)
「ナジャ」はレシの代表的なものになるわけですからね。

>アドルノが想定されていたんじゃなかったかな。
「山中の対話」の原題は「 Das gesprach im gebirg 」
これを仏訳すると「L'Interlocuteur」になるかどうかは不明なんですが、
どうも違うような気がしてきた(笑
でもやはりここでの対話者はアドルノではなくてハイデガー。
ハイデガーの山荘にツェランが赴いたときの体験でしょう。
64吾輩は名無しである:2008/12/28(日) 01:32:56
>そろそろエクリチュールの標準的な訳語を・・・
これは難しい。。。これは来年、いや再来年の宿題かな(笑
「書字」という見慣れない言葉は駄目で、
昔なら単純に「執筆」でもアリだったかもしれないけれど、
筆を使わずにキーを叩くことの多い今の時代にはそぐわないし、
「書き」としてレクチュールの「読み」と対にしてみても
実践的には使いにくいわけで、これはもう野暮ったく「書くこと」として
「エクリチュール」というルビを入れるのが無難か。。。

>ルビ活用術を体得するのに文語訳聖書は避けて通れませんよ?w
いや、そういう重みのある茨の道はぜひとも迂回したい(笑
しかしその迂回によって彷徨った挙句に森に迷い込み、
裸で走り回るニンフに出会うというクロソウスキー的な構図を夢想(笑
(美術に詳しいようなので弟バルテュスのほうがお好みかな)
で、またしても森(フォレスト)なわけで、デ・フォレのほうへと戻る。
今度は、抄訳「SWの詩」と短篇「子供部屋」について何か書きます。
迂回(デトゥール)は彷徨(エルール)を経て回帰(ルトゥール)へ。

>では、来年もよろしくね〜
もう今年も残り僅かかぁ。こちらこそ!
65吾輩は名無しである:2009/01/04(日) 22:52:02
新年一発目ということで、まずデ・フォレについて少し。
「子供部屋」菅野訳、「狂った記憶」清水訳を読むと、
デ・フォレの自伝的背景(少年時代)に興味が向くけれども、
ブランショやベケットの作品に見られるテーマと無縁ではないものが、
作風には隔たりがあるけれども、これらの作品にも流れてる感じがした。

そのテーマというのはおそらくは「言葉と沈黙」であって、
デ・フォレの場合は形而上的な方向には向かわないけれど、
「こうして、彼の前には、刻一刻と強力になってゆく怖ろしい侵略者さながらに
いま沈黙が立ちはだかっている」――という「子供部屋」の中の言葉や
「彼は幾たびも夜を徹して、語りえぬものを成文化し、手のつけられぬほどの混沌
を秩序立てようと試みた」という「狂った記憶」の中の言葉に窺われるように、
小説内のプロットやストーリーを読ませると同時に、
デ・フォレ自身の書く行為(エクリチュール)を読ませてもいるかのようだ。
でもこのオブセッションは一体何だろう?

一方、「SWの詩」抄訳では、さらに自伝的色彩が濃くて
ここでの長女喪失というオブセッションはかなり見やすいけれど、
この詩でもまた同じテーマが見出される。
「だが語はあらゆることにおいて私たちの主人なのだ。というのも
沈黙するためにも語を通っていかなければならないのだ」
66吾輩は名無しである:2009/01/04(日) 23:00:49
ジャコメッティについても軽く触れておきます。
>たしかデュパンの序文がやたら力の入ったものではありませんでしたか。 (>>60
ご指摘の通り、読み応えのある序文がレリスの軽めのものと並んで入ってます。
デュパンのジャコメッティ論は邦訳もあるので手に入れたいところ。
で、ここでディディ=ユベルマン、ボヌフォワにもつながってゆくのは、
彼らにもジャコメッティ論があるからで、これらにも目を通さねば。
67吾輩は名無しである:2009/01/11(日) 21:27:35
また来たよ。1レスを前置きに借りよう。クロネコの「乞う連絡」が
何枚もあったが、支払いを済ませて無事入手することができた。
コタツみかんで読めなかったことは心残りだが。デ・フォレの本も
何冊かあり、これから読む。以降、ここでのやりとりにこの読書を
反映させたいと思うが、まずたどたどしく文字を追うことに時間が
費やされそうだ。気長に構えてほしいが関心は持続しそうかい? 

そのうちの一冊にさて Voies et détours de la fiction がある。
短篇集『子供部屋』まで(もっと精確には、集中では作品発表が
最後の Dans un miroir まで)、またそれ以降の大へん息が長く、
しかし寡作なこの作家の活動を考えるにあたり、一級の副読本を
見込んでいる――「書面を通じ質問状への回答として起稿され、
このテクストは一九六二年、『テルケル』十号に発表された」と
巻末、初出誌とその経緯について触れた慣習的な記述がある。

その題、『虚構(というもの/から)の方途と迂回(路)(さまざま)』、
通読したらどれを取っ払っていいのか判明するだろう、して!w

だれが書き送ったか定かでない十二問にデ・フォレが答えている。
包丁を入れながら目を通した印象では、自作自演ではなさそうだ。
そのなかには一定数このスレでも参照を不可欠としそうな問いが
含まれ(定かでない? 私の勘は若かれしソレルスと告げている)、
興味深いがその偏りは否めない。仮に質問者が同一人物だとして、
「おしゃべり」と「狂った記憶」、他には評論文「ドメーヌミュジカルの
ストラヴィンスキーとヴェーベルン」、残りはパラパラ読んですぐさま
書いたような質問の諸々だ。しかし常体ぎりぎり近くに押し下げた
敬体の文面、質問の性質を心酔者のものとするように感ぜられる。
第一印象ではそんなところだ。デ・フォレはかなりの遅筆だろう。
いつ発された質問なのやら。気になる設問が散見されることもあり、
どうして「ストラヴィンスキーとヴェーベルン」のようには埋没させず
出版することに決めたか、入手可能な現在では少々時代錯誤な
疑問が湧いている。デ・フォレの回答が率直であることを祈ろう。
上の質疑応答形式の本は通読し次第、紹介に移りたいと思うが、
エピグラフが――《似たり寄ったりの質疑に、彼は斜にしか返答
されえず、曰く綴織りの裏ばかりさらされるそうなのでといったと
ころだ》、俎上にのせられるだろう作品を指していることは明白な
綴織り(タピストリー)の裏側というのは覆い隠された事の内幕
といった意味あいもあり、なんとも捻くれたものになっている。
そこで引用符(ギュメ)に括られた一文の下、1986年のこの本に
Sir Samuel Wood とあるんだが……。サミュエル・ウッド卿、まあ
十中八九、実在人物ではないだろう。正直に言って吐き気がした。

残念ながら、年末年始にデ・フォレ関連の読書時間を持つことは
かなわなかったが(この機会にサムエル記なら再読したんだが、
ただし全篇ではない。だがSWの詩に関する一定の発見があった。
上・第3章第4節の呼び声に見憶えがないとはまさか言わせない! 
読解は一筋縄ではいかないようだ……)、新春の長文を詫びつつ
レスに移る前にまだすこし私からもデ・フォレに触れておきたい。
なにせ書き込みを読めてうれしかったからね。お礼になるといい。
(「沈黙と言葉(パロール)」に読解のテーマを設定したあなたの
気持を汲み、共に(だが別個に)探りをかけたいのは山々だが、
デ・フォレの作品にあっての「沈黙」は思うに語りの声の引退きと
その徴、一語にして「徽章」、それも戦の勲章ではないか。あまり
深入りしないことが望ましいように思うんだが、それでも……?)

当面、二次文献の類は読書の予定にないが、『おしゃべり』の発表後、
『冬の旅』に着手し、これは五年を要したあげく未完のまま破棄された
という年譜的事実がインターネット上、著者紹介に書かれることで半ば
定着していると伝えておこう。五年間の「失敗(エシェック)」その経緯は
詳細不明だが、デ・フォレがこう書くとき、決裁の権能を具えるという
特異な「失敗」にあなたはなにを思うかな。よかったら聞かせてほしい。

  あらゆる真に創造的な探求を擁して、唯一その成功を決裁しうる
  失敗というものの危険を冒すこと
69吾輩は名無しである:2009/01/11(日) 23:17:06
(引用は Strawinsky et Webern au Domaine musical から。
おそらくこの一節をふまえて Voies et détours de la fiction に
一問設けられているようだ。次来るときまでにデ・フォレの回答と
あわせて訳を用意しておこう。)「オブセッション」の片鱗だろうな。

じつはこの「決裁」、狂った記憶の掉尾を飾る顛覆(どんでん返し)の
冒頭一文に「エシェック」を直接目的語として再度あらわれるゆえに
翻訳者泣かせの一語でもある。原語は sanctionner だが、たとえば
仏和辞書を引けば真っ先に「承認[認可]する;批准[裁可]する」と
書かれているような動詞だ。したがって上の「決裁の権能」が同時に
処断能力〔 pouvoir-sanctionner 〕にもなることを確認しておきたい。
次に再読したら「法の発効」を読み取るかもしれないと思ったが、では
デ・フォレにあって成功は、エシェックはいかなる法なのかとなると? 
清水訳では該当箇所(「狂った記憶」九七頁)、その〔実験=経験の〕
「失敗を裏書きしている」とあるが、私からは「失敗の処断を俟つ」と
代案を出しておく。恥を恐れず告白しよう。去年の今時分に私は
Une mémoire démentielle を訳してね、さんざんだった。年末年始、
訳し直す予定だったんだが、時間の都合がつかなかった。春までに
ここでのやりとりの記念になんとかしよう。いまだにべた惚れなんだ。

ではゆるやかにレスに移っていきたい。あらためて今年もよろしく。
技術的な話になり、なにもエクリチュールに限った話ではないのだが
たとえば「書く行為」を翻訳語として固定することでフランス語にある
自然な「書く(という)行為〔 acte d'écrire 〕」は閑却されるだろう。
訳書にあるエクリチュールというルビを振られた「書く行為」を、私は
(むろん個人的に)「書行」としていて、不具合が出るか現在調査中、
ぜひこの機会に頭の片隅に入れていただいて、どうぞ不具合報告をw
70吾輩は名無しである:2009/01/11(日) 23:18:45
同様にこれも瑣末事には違いないが――一作品を指しての定型句に
「エクリチュールのエクリチュール」という評言がある。多くの場合その
評言は妥当とみなされるが、同様にしかし同じ数だけ不快を誘うという
事実がある。これは、定型句というものそれ自体の不快に術語と化した
「エクリチュール」という語の趨勢に鬱積した不快を還元しながら誘う
と同時に作品に対する評言として妥当であることが多いことをふまえた
当該作品そのものに予感される不快をない交ぜに喚起せしめている、
とまあ一応は説明できるが、エクリチュールのエクリチュールは退屈だ
という定型句(およびそれを枕詞として続く「……が、たしかに例外は
わずかながらもあり……」)に、あなたが頼らなかったことを歓迎したい。
ああは煽ったものの、拒絶反応を示したらと内心ヒヤヒヤものだった。

「エクリチュール」は英語じゃ大味にライティングで定着している。
たとえば去年すこし触れた『危険を冒して書く』( Writing at risk )、
その書名に私は危険を冒してのエクリチュールを読み取っている。

(>キーを叩くことの多い今の時代に……)

今日タイプライティング言語ないしタイピング言語なるものを唱え、
その検討過程で遡及的に再発見される謎の言語活動、言うなれば
書けない状態に陥ったときの逡巡を、原−ライティング言語として
暗に讃えているような者がまだたまにいるのには閉口させられるが
(おまえら絶滅するんじゃないぞ! とも思う)、タイピング言語を
ライティング言語に包括させて話すことにはもっと懸念がある。
区別してよいものとして二つがあることは、積極的に言語活動の
活路を見いだしていく上でも正しいと思う。しかし私はそこに差異を
設けることが可能であるがゆえの故意の混同の逆説的な必然性を
いくら説かれても拒否するだろう。タイピング言語(・・・即興造語、
先ほどからお目汚し失礼)、その果て、限界、極致、なんと言おう、
今や残骸と言ってよいライティング言語に寄り添うタイピング言語が
タイピング言語じゃなくなる臨界点突破の経−験を思うと胸躍るよ。
71吾輩は名無しである:2009/01/11(日) 23:19:23
『問いの書』は手書き〜タイプライティング往還の結果でもあって
(『危険を〜』参照。宣伝か?)、その専ら推敲の作業に特化した
タイプライティングに触れつつ作家ジャベスは「書いたものからの
いっときの解放が必要」と語る――「いっときの解放」、すなわち
持続しない解放。解放とはなんの謂か、なぜ持続しえなかったか、
かかる解放がそれでも必要とされる状況とはどんなものだったか。

『問いの書』執筆過程にライティング言語なるもの、換言するなら
「エクリチュール」という言語活動への批判がたえずあったことは
容易に想像がつく。ジャベスが語るような「解放」を執筆活動への
タイプライターの導入それ自体がもたらしたことは、今日思うに、
いっときとしてなかったんじゃないか。自分自身が書いたものへの
たえざる批判活動(または批評行為)を通じてこそもたらされた
解放であったと読んだし今でもそう思っている。同インタビューに
この件を考えるヒントを私は求めたよ――「場所を廃止することで、
場所をばらばらにする」と彼は語る。自分が書いたものを横目に
タイプライターを前にしての坐業を通じたかかる場所の廃止が、
文学空間の炸裂が「いっときの解放」をもたらすのではないか?

第一期の訳書、サラとユーケルの物語は読んだかい。
難解な書冊との遭遇時よくやるように歴史的に距離を置いてみると、
たとえばあの作品に「詩」を読むことでポストジェノサイドにおける
「詩」の実在についての審問のなか、あるいは散文のなかへ、散文に
包摂されてとりわけ小説のなかへと「詩」が一時の難を遁れていた
時代の産物とみなされるリスクの際立った作でもあって、第一の書で
たとえば壁の落書きを指してあれはユダヤ人の書いたものじゃないと
どうして断言できようか? 作家の嘘、言語活動の嘘、登場人物の
吐く嘘といった複数の水準もある(デ・フォレの読者が作品の読後に
かならずブチ当たる問題の一つだ)。保身の策を兼ねての対外的な
アピールとして、一度は自分を痛めつけてみせているだけではないか
といった(けだし事実無根の)疑念を向けられるなどむろんリスクの
一端にすぎない……。この問題系は今なお複雑を増す一方だろう。
72吾輩は名無しである:2009/01/11(日) 23:46:47
考えなしに入力していたら話が逸れた。一種の貧乏性だろうが
投稿してしまった。そちらの負担を度外視している。申し訳ない。
ためしに私は今回、字数制限対策で常体にしてみたが、大丈夫かな。
掲示板じゃ基本的にですます体なんだ。もともと長談義を好むたちで、
ですます体の選択にはその好みもけっして無関係じゃないだろうが、
場所や相手を選ばずに使用できる点、どうにもラクでね。どこかで
後藤が「ですますは敵意を押し隠す方策」といったことを語っていた。
読んだとき、ぐうの音も出なかったことを思い出したよ。ああそうだ、
友人から譲り受けたという『行方不明』は見つかったかい? いやみに
聞こえてしまってはいやだったから黙っていたが、いいやつじゃないか。
ここは一つ、いいやつという点で、まだ見ぬその人の上を行くことを
目ざしてみたいと思う。絶対的にいいやつ、それになってみたいと思う。
似たことをやっているうちはたいして上を行けるはずがないんだが、
というか『行方不明』は初期のシャープな奇矯作品を編んだ作品集と
記憶しているから、そう簡単には上を行かせてもらえないというのは
承知の上で、手始めに新年挨拶に代えて貼っておこう。十分経った。
何行になったかな? ttp://www.nortonpoets.com/ex/celanp.htm

ブランショに関する話題は復習してから書き込むよ。「賭ける明日」、
ナジャの登場の現在形について語ったくだりに感銘を受けたな。
あのド派手な評論のなかじゃ地味な部分だろうが。それを読むと
当該作品のみならず他の作品さえ二度と同じようには読めなくなる、
そういう読みだ(したがって煙たい)。あれはフランス語で書かれ、
フランス語で書かれた作品を語っている評論なのに、かけ離れた
言語である日本語で書き書かれたものにも影響を及ぼしかねない。
その単純な事実をどう受け止めたらよいかと混乱してしまってさ。

附言すると、デ・フォレはあの技法のその後に寄与した一人だ。
その研究の対象こそナジャの登場ではなかったかもしれないが、
開発を進めて「狂った記憶」でやりたい放題、と一応は読める。
まだ消化不良、卒読としていないなら次はテンス/アスペクトを
吟味しつつ読んでほしい。面倒だろうが抜群に面白いはずだ。
73吾輩は名無しである:2009/01/12(月) 00:06:41
さらに長くなること請合いだから、これは次の機会としたいが、
「だが語はあらゆることにおいて私たちの主人なのだ。というのも
沈黙するためにも語を通っていかなければならないのだ」主人、
原語では「メートル」だ(複数形)。デ・フォレにあって、さらには
この詩篇にあってのこの単語の意味するところは解明が必要か。
また事態の滞留を示す動詞 demeurer を引用箇所は落としている。
まあ、なんというか、寸閑を惜しむようにお互いがんばろう。
> Mais ils demeurent nos maîtres en toute chose
> Puisqu'il faut en passer par eux pour se taire, [原文]

あなたのレスを読み、
ベケットの作品に、即興の詩の朗読会の素敵な「実況」(催しを
「見世物」と連呼する "彼" だがあの「実況中継」こそ見世物に
ほかならない)、どっかにあったよな? と思い全集本の端本を
手許に寄せれば(聖グラングラン祭を収めたやつ)訳者解題の
エピグラフに「沈黙について誰が黙りえようか?」だと。ムカ!
「アイン、マイスター、アオス、ドイチュラント」、いまいましいにも
程がある。そこでだが、度を越した饒舌、突き抜けた長広舌の
主題はどうだい。『アミナダブ』にも困り者が一人いるだろう。
あなたが感じたように私もやはり三者三様と見るが、あれら
ばかげたモノローグ群の「祭りの後」を確認してゆく作業は
一度あったほうがいいように思いながら、私はこれまでなにも
してこなかったし、たぶんこれからも漫然と、ああ・・・

>>62 ニコラ・ド・スタール
新潮文庫『海市』(福永の作品)の表紙カバーに使用されていた
スタールの「風景(ペイザージュ)」は1997年のカタログレゾネで
確認する限り石原悦郎氏が最後の所有者だ(誰だ!)。おそらく
まだコレクションに蔵していることと思う。いつか絵が公開されて
そこが気軽に遊びに行けるような場所だったら見に行くといい。
私はハラを決めて誰だかわからない石原悦郎氏に手紙を書け! 
返事が遅れた。すまない。返事しきれなかった分は繰越すよ。
741:2009/01/14(水) 01:03:53
>>67-73
いや〜これは参った(笑
これだけ濃い長文&専門技術的を話題を連ねられると、
ちょっと怯んでしまいそうなんだけど
とりあえず応答できる範囲で臆せずに。

>気長に構えてほしいが関心は持続しそうかい?
こと言葉に関すること(読み書き)には気長も気長、そのへんはご心配なく。
「たどたどしく文字を追うことに時間が費やされ」てるのは日常茶飯事なので。
それにしても『虚構(というもの/から)の方途と迂回(路)(さまざま)』、
これはタイトルからして興味を掻き立てるフェロモンが出てる感じだね。
うーん、日本語としてはまだるっこしいタイトルになっているけれど、
しかし、複数形をひとつのアルファベットで記せないのは、
女性名詞&男性名詞がない以上の日本語の大きなハンデかもしれない。。。

>デ・フォレの作品にあっての「沈黙」は思うに語りの声の引退き・・・
このへんは、そう、まだまだ深入りできる段階にないだけでなく、
おそらくはいつまでも深入りできそうにない迂回路に誘われそうな気配。
しかしながら、その迂回こそが書行をなぞる身振りになるかもしれない。
(不具合度はいかがか。。。)
752:2009/01/14(水) 01:04:33

創造的探求とは、迂回、不具合、そして「失敗(エシェック)」であるならば。
我もまた「唯一その成功を決裁しうる失敗というものの危険」を冒そうか。
(だが、果たして冒せるか?)
sanctionnerの訳語「決裁」はどうも硬すぎる印象があるけれども、
「法の発効」については何ともいえないのでとりあえず置いておくと、
英語のsanctifyからの連想をここに絡めてみるならば、
神聖化、聖別といったニュアンスを含む正当化(聖当化)あたりのほうが、
個人的にはスッキリするように思いつつ。

「エクリチュール」と「ライティング」が同一のシニフィエを持つ感じがしない。
ブランショの本の英訳を自分の語学力も省みずに買ってしまったとき、
そのタイトル「ライティング・オブ・デザスター」を見ただけで冷めてしまうのを
如何ともしがたく感じてしまったのだけれども、
ライティング言語からタイピング言語への飛躍ないし浄化の作用は、
単に草稿が「作品」として「解放」ないし「正当化(聖当化)」されるというだけでなく、
個人的な言語に非人称性をまとわせる儀礼とも見えて、
そう、たとえばここのようなBBSという場所においてさえも、
書き込まれた言葉がもはや「誰のものでもなくなる」ような効果は
やはりあるんじゃないかと思うんだね。
(『危険を〜』は前から少し気になってた本)
763:2009/01/14(水) 01:11:25
>「詩」が一時の難を遁れていた時代の産物とみなされる・・・
ジャベスについて目を通したのはまだ3冊程度で、
「ユーケルの書」「書物への回帰」は書架で熟成中。
ジャベスの、詩と小説と散文のあわいを彷徨する作品は、
そのスタイル自体が非常に稀有な試み、リスクを冒した試みだと思うし、
対話(アントルティアン?=間を保持する)というテキストレベルの形式が、
ジャンルとジャンルとのあわいでも行われるメタレベルへも視線を促す。

>作家の嘘、言語活動の嘘、登場人物の吐く嘘といった複数の水準・・・
これは非常に推理小説的な問題系でもあると思うけれど――
とここまで書いてタイムアップ。次回まで滞留 demeurer ということで。
77吾輩は名無しである:2009/01/14(水) 20:50:37
手書きでは筆蹟が残りエクリチュールの匿名性が害われる。手書きの
文書の筆者が誰か親しい人なら当ててみせよう。仮に無署名でろうと、
文飾過多あるいは文飾抹消でごまかしていようと。(少年Aみたいな
怪文書はごめんだがw)で、たまに誤答する。他人のものと勘繰って
昔の自分の書字だったりしちゃったりして。その点タイピングの作業は
格納された文字セットからピンセットで嵌め込む作業と大差ないね。
タッチタイピングなら書くその手さえ視界に入らない。書いた文章が
誰のものでもなくなる効果の洗礼はごく日常的と言える。殊、書くこと
(エクリール)において「オン on 」は今こそ栄光の極みにある。が、
顔向けできないのが残念だ。(PADかEDだったかの断章で匿名を
勝ち取るための戦について述べていたと記憶している。どこだったか。
記憶違いかもしれない。これも個人的におさらいが必要そうだ。さて
このBBSには書き込む前に確認される事項がある。クッキーを消して
読み直すとしよう。もはやなにが書かれていたかもあやふやだ!)

『危険を冒して書く』、重訳のおかげでアクがいい感じに抜けていて
読みやすいことはたしかだよ。このスレじゃ言及が偏っちゃったけど
(狭く浅く偏っている、この三つがモットーだ)、人選も質問事項も
大雑把なのが功を奏している感じ・・・w

「壁の落書き(>71)」は水声社だか書肆風の薔薇だかの『問いの書』
七七頁にある。一応確認しておくよ。引っぱりだしてきた。この本には
何度でも圧倒されちゃうや。何度でも読み返すよ。

アントルチアン、対話 entre-tien はそう、解釈には幅があるだろう。
訳すにあたり entre が「あいだに/で〜」を標準とする前置詞なんだが
entre-deux[中間、deux は「二」]と一緒に記憶して、そのアントルは
二者の両限界(複数形)の内を指していると思っておけば読めるはずだ。
不定形で記して tenir +接頭辞の entretenir という動詞があって、
アントルチアンはアントルトゥニユの関連語になっている。トゥニユが
あなたの言う「保持する」にあたるよ。しかしなにを二者の両限界の内に
保持するか? これがやはり解釈を要するところになっているから注意。
78吾輩は名無しである:2009/01/14(水) 20:53:57
予定変更。「ストラヴィンスキーとヴェーベルン」、訳してみるよ。
デジタルデータをあげるわけにはいかないからセミアナログに
セブンイレブン、コピー機端末を利用するね。アップロードから
一週間以内ならタッチパネル操作と番号入力で印刷可能だよ。
料金の変わらないB4・二枚に収めるから四十円は負担して! 

見た目、語彙を共通とする場合が多々だから、おフランスの本の
英訳作業は翻訳者の負担が日本語訳とは比べものにならないの。
目下悩ましいことこの上ない、漢字に頼りきったことは見えみえの
この決裁〔 sanctionner 〕にせよ、労を要さず sanction で済むし。
ただし英語−仏語翻訳者には両者見た目が同じにもかかわらず
意味内容を異とする単語の諸々が一々嘆かわしく映っているはず
(安心してくれていい、sanctionner は紛れもなくお堅い語だから。
挙げてくれた全部、「浄化」「聖別」「正当化」の動詞は作品中に
出てくる(不定詞のまま記せば purifier, consacrer, justifier とね。
通常、「聖別する」は sacrer を用い、前者の意味作用はより広範、
「聖別」のニュアンスを嗅ぎ取ったとしても訳出には注意を要する。
ここでは口調の違いと考えたい。清水訳「狂った記憶」九〇頁では
実際「確定」としている。「浄化」は八〇頁、「正当化」は八九頁他)
……いや、もちろん本による。『海の鬼女たち(メジェール)』の題は
デュ・ブーシェの『フィネガンズ・ウェイク』抄訳から取ったようだ。
『メジェール』約三〇〇行、一時間かけて私は一頁も読めなかった。
見知った単語がまるで誤って母音化され音写された古いヘブライ語、
解読にはおそろしく時間がかかりそうだ。こりゃあ英訳も絶望的か。
デュ・ブーシェ抄訳の入手はまたまた先の話になるが、ひとまずFW
邦訳該当箇所だけは探しておくよ。それくらいはどうにかなるだろう。
そういや昨年水野晴郎の訃報に啓示が下ってね、その頃はもう全然
手をつけていなかったわが Une mémoire démentielle 訳稿に題が
『錯覧強記(仮)』と冠され、現在もこのとほほな訳題が滞留中だ。
意地でノートに書き込んじゃいないが、頭の中じゃこれに固定……
まあ、気落ちしないで仏語訳も買うといいよ!>『星堕つる書行』w
79吾輩は名無しである:2009/01/14(水) 20:56:04
様々な、数々の、諸々の、諸−、−群、数多の、幾多の、……このあたりが
代表的かな、あるいは−たち、無理やりノマ点をくっつけるとか、みんな嫌い。
どうしようもないが。だから嫌いぬいてやろうと思う。付加音価的な処理では
済まされない複数形はその代わり喜んで一工夫して訳し出す、みたいな感じ。
といっても、工夫したら工夫したで範例化が待っているのは言うまでもなく。

餘や豫、二字が別の伝来の字体に移ったことで日本語のわれと訓じもする
一人称の伝来の表記、余や予の字がその座を逐われることになったのは
ご存知の通りだ。昔の文章を読んでいて本来なかったまったく別の意味が
効果をあげることも珍しくない。マイナスにマイナスをかけるとプラスになる
らしい。それつまり、ダメなやつは数を減らせってことなのかと「余ら」に問う。

これはマイモニデスのフランス語訳からの孫引きだが、いつもと同じように
おそらく日本語で一番硬いと思われる一人称「私」としていた訳稿に変換の
手を今加え、片手間に入力し直したもの、「である」を使用している時点で
擬古文としては問題外だが、――《余が余自身で所有すると信ずるものは
単なる趨勢や個人的見解にすぎぬ。そもや神の天啓、余がこれぞ実際に
人の言わんとしたことであるなと余に知らしめたような啓示なぞを得たこと
はたえてなくて、師から余が考えていることを学んだことも余にはないが、
数ある預言書や碩学垂訓のテクスト、同様にして思弁的命題をば余は所
有し、それらこそ余をそういうわけなのだなと信ずるに誘導するのである。
とはいえ、別様にそういうわけであるのかもしれず、また人はまったく他な
るものごとを言わんとしたのかもしれないのだ。》引用はM=A・ウアクナン
(略すとMAO・・・w)のル・リーヴル・ブリュレから。53リンク先の "対話"
直前の章 "解釈"、再読してだいぶメモ書きがたまったから比較的迅速に
訳稿を作成できるかも(あっちの対話は dialogue なので注意。そういや
『山中の対話』、フランス語訳だと entretien なんだね)。蛮勇は承知で
挑戦してみるかな。われながら上の小手先加減、小ざかしさは苛立たしいが、
いくらか雰囲気を伝えることができていればなによりと思う。
80吾輩は名無しである:2009/01/14(水) 20:57:41
邦題は仮題にせよしばらく抛っておくとして、例の本の第六問がこうだ。
デ・フォレの回答は日を改めるとしよう。

  「あなたは芸術作品が一般に、その失敗、夢見られたのだろうまった
  く他なる冒険の、最も成し遂げられての失敗において偉大であるとい
  うようにお考えですか? それとも失敗というこの概念はなんらかのロ
  マンティスムの後遺症の一つ、あるいはその[=なんらかのロマンティ
  スムの]再来〔 retour 〕、あるいはまた一個の形而上学的命令にすぎ
  ませんか? 等しく芸術作品が他なる事物を名ざすための企図であり
  えますか? あるいは、反対に、あらゆる言われていないもの、あるい
  は一度たりとも名づけられていないものが、言われているものの必要不
  可欠な反映にすぎませんか?」( Voies et détours de la fiction, p. 25 )

一昨日は書きそびれたが、質問を読んでいて面白い発見だった一つに、
質問状の vous が「あなたの作品」を指していると見受けられる箇所が
いくつもあった。思うにこれは vous が二人称複数形(あなたがた)でも
あることに由来するだろう。「あなたとあなたの作品」という具合にだ。
とすれば略記されていることは事実なので「あなたの作」とする予定。

この本のエピグラフ(68参照)だが、すでに一読いただけたことだろうし、
もう一点ばかり附言してみよう。綴織り=タピストリー〔 tapisserie 〕は
壁掛けのインテリアでもある。回答者が壁掛けの脇に佇立、あるいは
座し、貫いて突進して行きかねない壁掛けの正面に位置する相手を
斜めから監視している構図をも視覚化されるようだ。突進するとして
抜け道があるか壁に激突するかはやはり不明だが、その緊張感を
なにものにも代えがたいもののように思う。さて卿はどこにいるのか。

もっと書き込みたいが今日はこのくらいで。あなたは『滞留』冒頭近くに
見いだされる『西東詩集』(ゲーテ)の話、憶えているかな。私はあれ、
いつでも重く受け止めたいと思う。どうやってかはやりながら考えるw

……ああ、また借りが、負債が……後戻りできるんかね。ではまた。
811:2009/01/17(土) 01:19:20
えーと(汗 まずは、>>76の続きから(笑
>>71
>作家の嘘、言語活動の嘘、登場人物の吐く嘘といった複数の水準・・・
これは非常に推理小説的な問題系だと書いたのは、
おそらくは推理小説こそが、作品内容を読ませることにおいて、
「虚構」というものの構造をも否応なく読ませてしまうジャンルだと思うからで、
たとえば中井英夫の『虚無への供物』を読んだ時に感じるあやうさというのは、
最後にあとワンセンテンス付け加えれば、作品世界がすべて瓦解するような、
そういう虚構のあやうさ、書くこと(綴言)のあやうさ、
そして読むこと(読言)のあやうさであり、そのあやうさが我々に気づかせるのは、
虚構(フィクション)というのは文字通り、虚空に構えた「空中楼閣」、
吉田健一の書名を借りるなら「絵空こと」であるという本来当り前のことを
我々はついつい言葉を読む行為において忘れがちになっている事実なんだろう。

以下、追いつくために断章形式を採用。
3人のB(ベンヤミン、バルト、ブランショ)にあやかって。
822:2009/01/17(土) 01:20:44
>>72-73
◆常体・敬体
ですます体は次数を稼げるんだよね。
連載コラムの原稿料をもらうバイトを以前にしたときに、
ですます体を最初に選択しなかったことを毎回悔やんだっけ(笑
こういう場所だから、そちらが別に嫌じゃなきゃラフに。
常体のほうが書きやすいし、字数・時間を多少節約できるから。
そして何より語学的ハンデを含む負い目も覆うことができるから(笑

◆ブランショ
ブランショについてはたびたび回帰(ルトゥール)することになりそう。
デ・フォレ論も再読しなきゃならないし。もちろん「狂った記憶」も。
(celanリンクありがとう――)

◆エピグラフ
そのエピグラフは確かハイデガーのものでは?
たぶん「言葉についての対話」か「ヒューマニズムについて」かに
そんな言葉があったようなおぼろげな記憶が(ちょっとあやしいけど)。
(ほとんどの文章は記憶だけで書いてるので乞御容赦)

◆饒舌の主題
>度を越した饒舌、突き抜けた長広舌の主題はどうだい?
そのテーマならベケットを外すわけにはいかないね。
「ゴドー」「名づけられぬもの」はもちろん、すべての作品が参照対象に。
それから独特のリズムを持つあなたの文章も加えられるかもしれない(笑

◆ニコラ・ド・スタール
ん? たしか『海市』は持ってたはずだぞ!
しかし、探すとなるとたいへんだ。。。
833:2009/01/17(土) 01:41:54
>>77-80
◆匿名性
匿名性がブランショ的非人称性にただちに結びつくわけではないにしても、
こういうBBSという場所で署名ナシで書くこともいいもんだなあと思う。
署名の有無でたぶん書行(綴言)のスタイルも異なってくるんじゃないかと。
単に文体ということではなくて、異なるエクリチュールの可能性が開けるんじゃないかと。

◆『危険を冒して書く』『問いの書』
こうして新読、再読の書物リストが増殖していくわけなんだけど(笑
当方非常に記憶力に欠陥がある上に、面倒くさがりなもので(笑
でも『問いの書』は本棚のよく見える場所にあるので後日確認するね。

◆対話
アントルティアンとディアローグの違い、は前から気になってたことのひとつ。
シチュエーションやニュアンスによって使い分けする必要があるのかな?

◆「ストラヴィンスキーとヴェーベルン」
これはスゴイ。四十円の負担ならぜひ!

◆決裁、『錯覧強記(仮)』
むむ〜。ますますデ・フォレの再読が要されるなあ。
しかも、読めない仏語版を手元におきたくなってしまう悪魔の誘惑が(笑
まあ時間も能力もないので、そこは潔くあきらめるとして、
『錯覧強記』とは! これは否が応でも錯乱狂気と読ませる造語だ。
ジョイス的というか柳瀬的というか。

◆複数形
ああ「々」は忘れてたなあ。
一文字の場合はこれは使えるにしても、二文字以上となると・・・
その場合はやはり「−たち」になるだろうか。好みは尻に付けたい。
頭に付ける「諸−」はどうも好きになれないんだね。
844:2009/01/17(土) 02:02:03
(つづき)

◆MAO訳稿
余を一人称とする文章で「テクスト」という文字が出てくるのはいかがか(笑
でも、ジャベス的でもボルヘス的でもあるこのMAOにちょっと興味が出てきた。
――それにしても、翻訳者というのはどうなんだろうか。
労多くして報われることの少ないように思ってたけど、
翻訳者ならではの妙味というものがやはりあるのだろうか――

◆デ・フォレへの質問
なかなか興味深い質問の仕方!
失敗、挫折、未完成、迂回(デトゥール)、踏みはずし(フォー・パ)・・・
確かにロマンティスムの影としてのそれもあるだろうね。
でもおそらく20世紀のそれは異なるのだろう。
ここでジャコメッティの文章を引く時間を割愛し、
またもやあやしい記憶頼みでいい加減に書こうとしたのは、
未完であることしか存在することのできなかった作品、すなわち、
ムージル『特性のない男』についてのブランショの言葉なのだった。。。

◆綴織り=タピストリー
テクストが織物であるならば、このイメージはさもありなんで、
当方もひそかに書行の後ろに括弧内で「綴言」と書き込んだのだけれど、
綴るという言葉はまだまだ使いようがありそう。

◆『滞留』冒頭近くの『西東詩集』の話
やはりこの哲学者の名前は遅かれ早かれ出てくると思っていたけれど、
邦訳されたものはかなり目を通しているとはいえ、
ゲーテの話などまったく記憶にあらず。。。
85 ◆FlMPc3gZRQ :2009/01/17(土) 02:31:00
>自覚なしのまま歌詞が頭のなかをよぎるんです
それはスゴイ特技かもしれない!
たまに小説を読みながら思いついたりするのは、
この小説にイメージ的な挿絵や表紙カット絵を入れるとしたら、
どんな画家が似合うだろう、っていうことかな。
尾崎翠にはパウル・クレーをイメージしたり。

>作者の言葉のスピードについて行けない
それか、読む側のスピードが速すぎるか、だろうね。
もしかしたら、もっとゆっくり読まないといけないのかもしれない。

閑話休題。
これまで文学板で立てたスレッドがたぶん5つくらいあって
雑談的に使えればいいかなと思って立てたものもあるんだけど、
これがいい具合に廃墟化してくれない(笑
思うようにはいかないもんだね。
去年の11月に立てたスレにはなかなか面白い人が来て、
いい意味での予想外で驚いたんだけど。
86 ◆FlMPc3gZRQ :2009/01/17(土) 02:35:19
ミステイク!
違うスレのために書いたものを間違って投稿。
どうか85はスルーで(ペコリ
87吾輩は名無しである:2009/01/27(火) 01:27:43
『問いの書』の落書きの箇所確認。
それから、『滞留』のゲーテからの引用箇所も確認。

翻案(パロディスティッシュ)をどう考えるか。
んーこれはあまり深く考えてこなかった問題だなあ。
しかし、読み書きにおいて絶えず翻案を行っていることは明らか。
他国の言葉から自国の言葉へのものだけでなく、
自国の言語内においても。
88吾輩は名無しである:2009/02/09(月) 00:08:17
最近忙しいのかな?

それとも勘違いさせてしまったかなあ。
(それだったら申し訳ないけれど。。。)

とりあえず保守のために少し。

ボヌフォワ『ありそうもないこと』を半分くらい読み、
リシャール『詩と深さ』を読み始めた。
最近は詩文学板にもちょろちょろ顔を出すようになったけど、
これまで詩というものを敬遠してたようなところがあったので、
今年はもう少し詩に近づいてみたい。
89 ◆xHH/q7QD.E :2009/04/19(日) 22:26:06
突然失礼します

この共有トリップを使えるのは3人だけ
緊急の時のみ使いますね

あちらのスレについて、3人以外のレスはすべて徹底してスルーします
少しでも構うとあの時の二の舞になりますので…
90 ◆WNrWKtkPz. :2009/04/21(火) 23:55:13
うん、それがいいだろうね。
91 ◆xHH/q7QD.E :2009/04/24(金) 22:34:49
ご協力に感謝します
こちらにはまた機会があれば立ち寄らせていただきますね
92 ◆xHH/q7QD.E :2009/05/01(金) 20:28:01
早くも五月、こんな詩が似合う季節になりましたね。

「春の朝」ロバート・ブラウニング

時は春、
look
日は朝、
at
朝は七時、
wakusei
片岡に露みちて、
katarushisu
揚雲雀なのりいで、
in
蝸牛枝に這い、
poetry
神、そらにしろしめす
literature
すべて世は事も無し。
kemanai
93吾輩は名無しである:2009/05/28(木) 00:25:45
バカが見る〜♪
94吾輩は名無しである:2009/05/28(木) 22:32:45
後藤明生の小説のなかのおしゃべりって、いいんだよな。
なんか飾ってない口調とか、聞きなおしたりとか、普通っぽくて。
95吾輩は名無しである:2009/08/14(金) 07:00:44
>>93
たしかにその惑星カタルシスってスレ、コテコテのキチガイが自分語りに使ってますね。
頭も相当悪いみたい。
96吾輩は名無しである:2009/08/14(金) 11:54:44
という書き込みのほうが相当頭悪そうだが。
97吾輩は名無しである:2009/08/14(金) 16:19:08
キモオタの女障害者が自分に酔うスレ
2ちゃんぐらいしか何か言える場所がない婆
98吾輩は名無しである:2009/08/14(金) 16:25:12
キモオタの女障害者が自分に酔うスレ
2ちゃんぐらいしか何か言える場所がない婆
99オレガノ ◆FMllJkCuTg :2009/08/17(月) 21:42:07
>>95 >>97-98
哲学板「対話スレ」のみうんさん。お大事に。
100ザ・スミス:2009/08/17(月) 23:20:36
おしゃべりだけで書かれてる小説結構ありそう。
ジョイス「ユリシーズ」の独白なんかもそうかな?
101(o^v^o) ◆m0yPyqc5MQ :2009/08/18(火) 07:00:51
やばいよ。絶対やばいでしょ。朝からオナニーしました。
実はスカトロには興味ないんです。おもらしはいいけど。
102(o^v^o) ◆m0yPyqc5MQ :2009/08/18(火) 07:08:27
セックスはこの際関係なくて体じゅうが緑色になりました。
103(o^v^o) ◆m0yPyqc5MQ :2009/08/18(火) 07:09:53
まるで全身性器だ!ものすごくいやらしい俺。
104吾輩は名無しである:2009/08/18(火) 07:38:57
そういうのは雑談スレでやれよ
105(o^v^o) ◆m0yPyqc5MQ :2009/08/18(火) 08:20:53
やめて!触らないで!
106吾輩は名無しである:2009/08/28(金) 01:13:33
デ・フォレなんて名前が2ちゃんで出るとは・・・
107(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2009/08/28(金) 01:33:47
何感心してんだよ?
108ザ・スミス:2010/01/05(火) 00:49:56
デ・フォレの「おしゃべり、子供部屋」出てたな〜
109吾輩は名無しである:2010/01/05(火) 18:25:48
水声社なかなかやるね
110吾輩は名無しである:2010/03/20(土) 18:26:02
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111吾輩は名無しである:2010/03/20(土) 20:44:40
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112吾輩は名無しである:2010/03/20(土) 21:05:22
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113吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 09:27:45
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114吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 09:29:02
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115吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 09:30:04
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116吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 09:31:22
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117吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 11:02:01
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118吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 11:03:45
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119吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 11:05:43
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120吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 12:45:00
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122吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 12:46:57
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125吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 13:32:32
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126吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 13:34:29
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127吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 16:15:31
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128吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 16:17:01
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129吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 16:17:45
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130吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 17:56:51
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131吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 17:57:33
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132吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 17:58:31
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133吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 17:59:16
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134吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 19:50:30
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135吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 19:51:26
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136吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 20:22:02
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137吾輩は名無しである:2010/03/22(月) 14:57:27
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138吾輩は名無しである:2010/03/22(月) 14:58:08
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139吾輩は名無しである:2010/03/22(月) 16:08:15
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140吾輩は名無しである:2010/03/22(月) 16:20:46
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141吾輩は名無しである:2010/03/22(月) 16:27:09
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142吾輩は名無しである:2010/03/22(月) 16:33:36
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143吾輩は名無しである:2010/03/23(火) 11:25:04
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144吾輩は名無しである:2010/03/23(火) 11:25:54
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145吾輩は名無しである:2010/03/28(日) 14:18:49
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146吾輩は名無しである:2010/03/28(日) 14:20:12
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147吾輩は名無しである:2010/03/28(日) 14:20:56
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148吾輩は名無しである:2010/03/28(日) 14:23:39
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149吾輩は名無しである:2010/03/28(日) 14:24:41
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150吾輩は名無しである:2010/03/28(日) 14:27:21
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151吾輩は名無しである:2010/03/28(日) 16:14:03
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152吾輩は名無しである:2010/03/28(日) 16:47:35
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153吾輩は名無しである:2010/04/01(木) 16:05:50
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154吾輩は名無しである:2010/04/01(木) 16:06:52
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155吾輩は名無しである:2010/04/01(木) 16:08:00
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156吾輩は名無しである:2010/04/01(木) 16:09:00
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157吾輩は名無しである:2010/04/01(木) 16:11:45
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158吾輩は名無しである:2010/04/01(木) 16:17:30
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159吾輩は名無しである:2010/06/08(火) 12:24:52
文学板でアンカつけてまで長文で語る文才がない必死なオタクたちが処罰されたんですね
160吾輩は名無しである:2010/06/08(火) 17:20:55
そうです
161吾輩は名無しである:2010/06/08(火) 18:01:32
>>59
必死だな
162谷川浩司のファン:2010/06/09(水) 00:02:01
>>155
なんなんだよお前・・・。
163(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/09(水) 00:09:26
犬は殺すなよ。石原慎太郎を殺してくれ。
164吾輩は名無しである:2010/06/09(水) 00:14:42
カオス
165谷川浩司のファン:2010/06/09(水) 00:18:19
犬から真太郎ってどんな飛躍だよってことだよな

まあ、たしかにカオスとしか言いようが無い
166(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/09(水) 00:26:56
でも殺して欲しいですね。本気で…
167吾輩は名無しである:2010/06/09(水) 00:29:54
さわると死んじゃう雄介君乙
168吾輩は名無しである:2010/06/09(水) 00:33:14
この荒らし方は佃煮的な匂いがするなw
169吾輩は名無しである:2010/06/09(水) 00:51:55
確かにこの粘着度は佃煮っぽい
170(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/09(水) 00:52:36
俺を殺してみろ!!
171吾輩は名無しである:2010/06/09(水) 01:03:32
スルー
172吾輩は名無しである:2010/06/09(水) 13:02:06
マジに言えば、文学になりうるだろう。
音声認識ソフトも進歩してきたし。
文芸雑誌の座談会だってそうだし。
だが、音の活字化よりも、音声そのものを読者は欲してる場合もあると思うんだよな。
なぜ、文芸雑誌は座談会の収録DVDを付録としてつけないのかね?
そういう読者の要望は相当あると思うんだがな。座談会でテーブルの下から
川上ミエコのパンチラが見えるかもしれないと読者は期待するはずだがw
173(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/09(水) 15:50:55
確かに…座談会のCDは欲しいよ。興味のある作家ならば。
でも作家も嫌がるだろうし、何より対談に興味がある人ってものすごく少ないらしいね。
対談が載ってる雑誌は売れないっていうのが定説らしいよ。
それでもやって欲しい。編集ありでいいからさ。DVDじゃなくてCDでいいから。
174吾輩は名無しである:2010/06/10(木) 08:30:09
ずっと昔の文芸雑誌(『新日本文学』や『改造』なども含む)の座談会の
テープをCDとして復活させれば、かなり売れると思う。
戦前のがあれば無論、人気になるだろうし、戦後でも安吾や太宰の肉声が
聞けるとなれば、万単位で売れると思うよ。
ただ、活字になった座談会は編集というか捏造がひど過ぎるから、今さらその
CDを出せば、過去の編集の悪事がばれることになるので実現不可能だろうがw

だが、これからの話としては文芸雑誌座談会のCD付録化はあり得ることだと思う。
175(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/10(木) 09:27:33
安吾と秀雄の対談、残ってないかなあ…
176吾輩は名無しである:2010/06/10(木) 10:33:43
安吾や太宰が出席したころの座談会の音源なんてあるのかな。
あったとしてもひどい録音で聞けたものではなさそうだし、
録音より、速記者がついて、書き取ったものを原稿に起こしていたんではないか
っていう気がするな。
177(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/06/10(木) 19:17:07
確かにそうなんだろうねえ。あるなら音源化して欲しいな。小林秀雄の晩年の講演は新潮社が音源化してるよね。
178サブリミナ:2010/06/11(金) 02:35:30
ipad用にテキスト+音源のセットにすればいいじゃん
179lane ◆Oz/piFw.Ok :2010/07/09(金) 10:19:18
その場の思いつきお喋りを幾つ録音したところで文学にはならないんじゃないかなあ
商業品としての価値はあるかもしれませんけどね
180吾輩は名無しである:2010/07/09(金) 11:41:49
文学について評論家達が何時間も語り合った中で一言ぐらい、オッという
発言があれば、おしゃべりも文学と言えるだろう。
だけど、最近の座談会じゃ全然ないのがほとんどだよね。一言も価値ある
発言がない。
それに、論争なんかになって劣勢になった側の人間が音源を公開することに
反対するから、実現は難しいだろうな。反対する奴は一杯いるんだよ。
座談の苦手な作家や評論家は多いから。
実現すれば、人気は絶対間違いないんだが。
181(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/07/09(金) 19:15:58
いや、需要はそれほどないっしょ。文筆家の対談の需要がそもそもないんだから。
182lane ◆Oz/piFw.Ok :2010/07/09(金) 21:33:51
>>180
対談集は文学作品ではなく文芸評論ですよ
文化の商業化には、断固反対〜!
183吾輩は名無しである:2010/07/09(金) 22:05:04
>>181
>>いや、需要はそれほどないっしょ。文筆家の対談の需要がそもそもないんだから。

その逆だろう。対談とか座談は分かりやすいから昔から読者の人気の
はずだ。だから、早稲田文学の市川や三田文学の田中などの裏方でしか
通用しない人間が表に出てきてる訳だろう。彼等は何を論じてもchattering
そのものでしかないから。

184(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/07/09(金) 23:19:07
知人の文芸編集者が言うには、対談が載ってる雑誌は売れないってのが業界の定説らしいよ。
俺は対談読むの大好きだから衝撃を受けたんだけど。
185吾輩は名無しである:2010/07/09(金) 23:24:06
まじかよ?
186(o^v^o)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2010/07/09(金) 23:57:05
業界的にはマジらしいよ。
187名無しさん@そうだ選挙に行こう
970年前後の群像の座談会では、柄谷、磯田光一、
秋山駿、川村二郎らが参加したやつが面白かった記憶があるんだが。
柄谷が秋山や磯田、川村に激しい突っ込みを入れてる。
座談会が面白かったのは40年ぐらい前のことかもな。
当時の常識では座談会の項目は読者の一番人気だったんだが、
現在の文芸雑誌の座談会・対談にはまったく当てはまらないという
訳か。
簡単に言えば、共通の話題がほとんどないということなんだろうな。
たしかに安藤礼ニと富岡多恵子の対談はつまらなかった。
そもそも、これぐらいしか見てない俺には発言資格がなかったw