>>76 おまえがスルーしとけや。
俺も三島の言葉を参考にしている。三島の言葉に説明は無用。
81 :
吾輩は名無しである:2008/06/19(木) 09:30:08
邪魔なものは邪魔。
82 :
吾輩は名無しである:2008/06/19(木) 09:37:19
83 :
吾輩は名無しである:2008/06/19(木) 09:47:40
邪魔じゃないよ。邪魔邪魔言ってる人が邪魔だよ。
>>69 三島は『暁の寺』でインドのベナレスにかなり影響されたようだけど、遠藤周作などもそうらしいね、『深い河』とか。
…戦争も、その「廃墟」も消失し、不在化したこの平和の時期には、どこか「異常」でうろんなところがあるという感覚は、ぼくには痛切な共感をさそうのである。
…つまり、そこでは「神話」と「秘蹟」の時代はおわり、時代へのメタヒストリックな共感は断たれ、あいまいで心を許せない日常性というあの反動過程が始まるのであり、
三島のように「廃墟」のイメージを礼拝したものたちは「異端」として「孤立と禁欲」の境涯に追いやられるのである。
「鏡子の家」の繁栄と没落の過程は、まさに戦後の終えん過程にかさなっており、その終えんのための鎮魂歌のような意味を、この作品は含んでいる。
…この日本ロマン派の直系だか傍系だかの作家のなかに、ぼくはつねにあの血なまぐさい「戦争」のイメージと、その変質過程に生じるさまざまな精神的発光現象のごときものを感じとり、それを戦中=戦後精神史のドキュメントとして記録することに関心をいだいてきた。
橋川文三
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。
この「狂」の伝統がどのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。
ただ、すべての「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。
私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の精神であり、私としてはほめ言葉である。
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは中岡良一などと同じように考えたい。
橋川文三
車にでっかいスピーカーとウーハー積んで、人の迷惑顧みず
大音量で音楽鳴らしながら公道走ってるDQNが居るじゃない。
「俺様の好きなこの曲を聴け! これぞ俺様の魂の叫びだ!」って感じの馬鹿。
ああいう手合いと同じメンタリティの持ち主なんですよ、ここの引用厨は。
きっと家でもラルク(笑)の曲を大音量でかけて、
ご近所から迷惑がられてることでしょうw