134 :
吾輩は名無しである:
結局誰のが一番?
宮崎か金谷
宇野みたいに読み下し、白文、語釈、解説と長々とあるのはうざい
宇野は「有朋」を二字で「とも」と読んで「有り」がなくなってたりなんかしっくりこない
宇野は読み下しは濃いデカ文字で主張しまくりのくせに、白文は薄く小さい文字で読みにくい
(宮崎はまず先に濃い字で白文つぎに並みの濃さでシンプルな訓読、現代文)
やたら分厚くて携帯不便だしいまいち漢文の迫力を眼で味わうことができない
逆にちくま文庫の桑原武夫『論語』はやたら薄いが
半分の郷党第十まで(しかも抄訳らしい)しか入ってなかった
安さにだまされて買う初心者が出ないためにタイトルを『論語抄』とすべき
139 :
吾輩は名無しである:2010/02/08(月) 01:01:43
参考にしてくれ
為政第二 十二
読み下し:子の日わく、君子は器(うつわ)ならず。
金谷 治:先生がいわれた、「君子は器ものではない。〔その働きは限定されなくて広く自由である。〕」
宮崎市定:子日く、諸君は器械になって貰ってはこまる。
貝塚茂樹:先生がいわれた。「りっぱな人間は、けっしてたんなる専門家ではいけないものだ」
加地伸行:老先生の教え。教養人は一技・一芸の人ではない。〔大局を見ることのできる者である。〕
宇野哲人:人格の完成した人は、器物がただ一つの用に立つだけで他に通用のできないようなものではない。
為政第二 十五
読み下し:子の日わく、学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
金谷 治:先生がいわれた、「学んでも考えなければ、〔ものごとは〕はっきりしない。考えても学ばなければ、〔独断におちいって〕危険である。」
宮崎市定:子日く、教わるばかりで自ら思索しなければ独創がない。自分で考案するだけで教えを仰ぐことをしなければ大きな落とし穴にはまる。
貝塚茂樹:先生がいわれた。「ものを習っているだけで自分で考えてみないと、まとまりがつかない。考えているだけでものを習わないと疑いがでてくる」
加地伸行:老先生の教え。知識や情報を〔たくさん〕得ても思考しなければ〔まとまらず〕、どうして生かせばいいのか分からない。逆に、思考するばかりで知識や情報がなければ〔一方的になり〕、独善的になってしまう。
宇野哲人:ただその事を学ぶだけで、その理屈を思索しなければ、心がくらくてなにも悟り得ることはない。ただその理屈を思索するだけで、その事を学ばなければ、空想に過ぎないから、危うくて不安を免れない。
※解説注訳などは省略。
解説注訳が書いてあると、その訳の意味が更に理解できる。ただし、人によっては長々した説明になるので好き嫌いはあるかも知れない。
結局は現物見て判断するのが一番。
140 :
吾輩は名無しである:2010/02/08(月) 22:34:18
>>136 ×有
○友
というう考え方。
字が似ているので書写が間違っていたか、読み手が間違った可能性あり。
「有朋」→「友朋」だから「あり」が無い。
貝塚は解説は楽しめる
宮崎は面白すぎる
142 :
吾輩は名無しである:2010/02/11(木) 04:52:08
金谷の訳はつまらん
金谷さんのが一番いい
>>139を見ると、ダントツで金谷訳がいいんだが。
岩波にしてよかった。
145 :
吾輩は名無しである:2010/02/11(木) 11:09:03
貝塚先生か金谷先生だな
やはり定番に落ち着くような気がした
訳者の日本語の表現力が問われるね
貝塚は韓非子も孟子も酷い。
論語の出来も、まあ、あれ位のもんだろう。
148 :
吾輩は名無しである:2010/02/16(火) 23:49:53
こんな感じか
読み下し:馬鹿に付ける薬はない。
金谷 治:馬(うま)や鹿(しか)に付ける薬は持っていない。
宮崎市定:馬(うま)や鹿(しか)に値する人に薬を使用するのは無駄だ。
貝塚茂樹:利口になる薬はこの世にはない。
加地伸行:バカは薬が効いて治ったことすら分からないので必要ない。
宇野哲人:バカは死ななきゃ治らない。
金谷は直訳過ぎる。
宮崎は歴史的考察が強い。
以下ry。
宇野は朱熹の解釈を採用しているね。
150 :
吾輩は名無しである:2010/02/17(水) 11:17:42
151 :
吾輩は名無しである:2010/02/20(土) 22:58:46
解釈によっては逆の意味になる
152 :
吾輩は名無しである:2010/02/22(月) 12:55:34
皇族に論語を教えた宇野に一票。
>>140 宮崎論語は「朋あり、遠方より来たる。」と訓読し、解説にこうある。(以下引用)
有朋の二字を友朋とする方がよいという説がある。
唐の陸徳明の経典釈文にそのように作った一本があることを注意しているのを根拠とする。
しかし論語の中で朋友と二字続けた用例は八回出てくるが、
何故に此処だけ上下をひっくりかえして友朋とせねばならなかったか疑問に思われる。
やはりこれは朋有りで、有という字に、突発性をもたせて解釈した方が文章が生きてくる。
当然来るはずの友人が来たのでなく、意外にも、思いがけなくも、
遠い見知らぬ方から友人が訪ねてきてくれたから、その嬉しさもまた格別なのである。
(引用終わり)
ちなみに金谷にも「朋、遠方より来たるあり」という読み方や、「友朋」で「とも」と読む説もあると軽く触れられている。
154 :
吾輩は名無しである:2010/03/07(日) 15:18:17
結局誰のが一番?
156 :
吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 04:55:29
其の鬼に非ずして之を祭るは諂いなり
義を見て為さざるは勇無きなり
これの意味、というか
これが云われた経緯や背景を調べてる
のですが、どうも分かりません
直訳のままの意味だとどうも不自然
というか意味不明に感じてしまい…
識者の方、教えていただけませんで
しょうか?
157 :
吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 05:10:01
其の鬼に非ずして之を祭るは諂いなり
祀るべきでない霊(祖先)を祀るのは
諂である
悼む筋合いでない人の供養(弔問)を
する者には諂いの気持ちがある
のような直訳で
ここまではまあ、分かるんですが
つまりそういう事を『するな』と
しかし分からないのは
158 :
吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 05:11:56
義を見て為さざるは勇無きなり
ここでいう義というのは流れから
自分が祖先に対し示すべき姿勢や
親兄弟に対して通すべき筋道のこと
を指しているのかと考えたのですが
〜見て為さざるは勇無き〜
というのが分からないのです
前段は『するな』という戒めなんだから
ただ、しなければ良いだけなのに
後段がなぜ「勇」を奮って『する』
という流れになっているのか?
祖先を祀るのになぜ「勇」がいるのか
何か歴史的、社会的な背景があるのか
「鬼を祭る」や「義」に含みがあるのか
159 :
吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 05:14:19
例えば
クジラを食いたいなら食え
みたいな
160 :
吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 05:23:29
勝手に想像しているのは
当時の人が他国や権力者に屈服した場合に
自分の祖先や肉親を祀る機会を奪われ
他国の神や筋違いの祖先を祀る事を
強要させられるような社会的背景が
あったのかなぁ、などと
義を見て為さざるは勇無きなり
というフレーズに対して
先入観があるからそう感じるんですかね?
161 :
吾輩は名無しである:2010/03/20(土) 17:40:31
162 :
吾輩は名無しである:2010/04/12(月) 22:28:58
論語age
163 :
吾輩は名無しである:2010/04/12(月) 22:30:14
略して ロンゲ
164 :
吾輩は名無しである:2010/04/13(火) 23:40:35
最近、本屋で「論語」が目立っている気がする。
民の義を務め、鬼神を敬して遠ざく
未だ人に事うる能わず、焉んぞ能く鬼に事えん
166 :
吾輩は名無しである:2010/04/17(土) 05:37:53
167 :
吾輩は名無しである:2010/04/17(土) 07:25:07
略して ロンブー
なんで荀子は人気ないんだろね
孟子と韓非子はもてはやされるのに
真っ当すぎるのかな?
論語読んだらぜひ読んでほしいです>荀子
169 :
吾輩は名無しである:2010/04/17(土) 08:36:35
落ち込んだ時に性悪説を読むと気分的に滅入る。
170 :
名無し募集中。。。:2010/04/17(土) 18:32:50
>>164 そうかも知れんな
陳舜臣の論語抄といい
加地伸行論語といい
171 :
吾輩は名無しである:2010/04/17(土) 18:51:18
172 :
吾輩は名無しである:2010/04/17(土) 19:05:32
はい
しなくて良いことをする、それは諂いというものだ。
しなければならないことをしない、それは臆病というものだ。
という文章について
「しなくて良いことをするのはいけないと前段で言ってるのに
なぜ後段ではしろと言うのか」
という問いは論語の読解というより
質問者の国語力(の欠如)によって発せられた問いだから
勉強頑張ってというしかないだろ。
174 :
吾輩は名無しである:2010/04/17(土) 19:46:31
176 :
吾輩は名無しである:2010/04/20(火) 05:05:25
論語って、所詮は処世術ツール
孔子も、儀礼は重視したけど、儒教って宗教じゃないし
支那共産党が、対日政策のツールとして孔子⇒儒教、を担いでいる
って事実を見ても、現代の支那人のルーツの一端がある
ってことはわかるな
なんだかんだ言って
日本に一番根付いてる宗教じゃないかな
社会からつまはじきにされるのは
儒教から見た異端っていう気がするもんで
儒教というより朱子学なのかもしれないが
素人なので良く判らん
>>178 お前馬鹿だな(笑 それだけの短文で言っていることが支離滅裂
ROM専をお勧めする
十四まで勉強なんかしなかった
二十九まで人に頼っていた
三十九まで迷っていた
四十九まで進むべき道がわからなかった
五十九まで人の言葉に切れた
六十九まで羽目を外すことがあった
こうしてみると孔子も親しみ深いね
こぅまったやつらだ
孔丘必打。
子曰。自行束脩以上。吾未嘗無誨焉。
そ
連中にとっちゃ、日本侵略のツールになるんなら、孔子なんざどーでもいい、ってところ
ほんとに大切と思ってないから、泳がせておこうってハラ
宗教と思ってないし
法輪功やチベット仏教なんかが宗教⇒徹底的に弾圧!
孔子学院?
スパイの溜まり場にすんのか?
論語も古典外国文学のひとつで、当時の文化的な背景を持って読まないとね
現在の平均的な支那人は漢字すらろくに読めない連中が跋扈しているし
日本人の言う論語、のルーツは、日本人が解釈を施したものであって、
きょうびの支那共産党が主導しているものではない
特に論語の思想を汲み取ろうとするなら、日本人の伝統的な解釈で十分(笑
189 :
吾輩は名無しである:2010/04/22(木) 02:39:49
というか
中国では孔子信者が文化大革命で大量に抹殺されたのは知っているよな
その間に日本では論語ブーム
日本の論語のルーツも
元を遡れば隋唐時代の陸徳明が採用したものが基本となっている
んー、俺が書いた内容を理解していないか、あるいは意図的に話をずらしているのか、…
1.現代の支那にとって論語の価値は皮相的
2.論語は日本侵略の単なるツール
3.孔子学院設立の趣旨は対日スパイ養成が目的のひとつ
4.甘ちゃん日本人は、良いように曲解して迎合する可能性大
191 :
吾輩は名無しである:2010/04/22(木) 22:57:48
>>189の言っている事は
中国では文革で孔子や論語の研究者や学者は弾圧殺害されたから
論語マンセー信者が日本より圧倒的に少ないと言いたいのだろう
>>190の言っている事は
何を根拠で言っているのかよく分からんな
日本侵略のツール?孔子学院のスパイ養成のツールという事か?
甘ちゃん日本人が曲解???
渋沢栄一が泣いているぞ。
ただ、共産党が共産主義以外の思想や政治を認めないのは当然だな。
じいさん、ちょっとは世間の風に当たらないと(笑
193 :
吾輩は名無しである:2010/04/23(金) 09:30:28
処世術しか書かれていない論語なんてゴミ箱に捨てた方がいい
自由な心を勧める老子のほうがいいよ
処世術としか読めない論語知らずの論語読みにはそれがいいだろう。
だが自由な心を一旦得れば論語の桃源郷も見えてくるというものだ。
老子ねえ…
アナーキー
ひねこびた性格
他人のことは考えない
ええかっこしい
…
実は今の民主党政権は、老子が皇帝になったようなもんだし
…
論語フリークよ、論語がベストだと思っていたら、行動規範は論語には書かれていない
んだから、独善にならざるをえないよ。実用書ってのはまったく違う
仁とは?禅問答しか書いてないから、定義はひとによってばらばら
論語ってのはいいかげんな書物
196 :
吾輩は名無しである:2010/04/24(土) 00:31:59
論語知らずの論語読みというよりも、読解力が無いか、ゆとり世代だな。(w
ゆとり世代の人間に作業を指示する場合、文章に書いてあげるだけではNG。
彼等は書いてある文章から、発展させて考える事が出来ない。
手取り足取り教えてあげないと物事を達成出来ない。
誰もが出来る事でも褒める事を忘れずに。
↑これ、うちの会社で配られた「ゆとり世代の新入社員に対する心得」という冊子に書いてあった。
なんだこりゃ。
ゆとり世代には、論語が評価されていないようだが、
あの世で、渋沢栄一は泣いているどころか、気絶しているな。(w
まさにお前さん、独善だね
爺さんの牧歌的な時代は、それでも日本国内では価値観がだいたい同じだったから
それでもいいんだけどね(笑
支那朝鮮のやり方を観察してごらん。それだけではない、欧米も
見ようとしなければ何も見えないよねえ(笑
老兵は消え去るのみ
198 :
吾輩は名無しである:2010/04/24(土) 01:09:53
ユトリもジジイも仲良くしろよ
君子じゃないな
199 :
吾輩は名無しである:2010/04/24(土) 09:30:53
団塊世代も、ゆとり世代も、独善だな
というよりも互いの思想が違いすぎるのか?
ゆとり世代に対する接し方というのは、うちの会社でも講義があった
自己中心的で他人のせいにするという内容だった
どこの会社でもゆとり世代への対策は同じだな
まあ、2ちゃんの連中はみんな独善で自己中心的だよ
君子じゃない
日本語が使えないやつだな
それじゃ、まるでお前さんが独善じゃないみたいだぞ
論語でなく孟子だったかと思うが、反論するときは必ず対案を出せ
っていうくだりがあったとおもうのだが、どこだったか調べても出てこない。
だれか教えて!
> まあ、2ちゃんの連中はみんな独善で自己中心的だよ
> 君子じゃない
まさにその通り
「論語」を読もう
>>8にあるように、何もやらないでゴロゴロしてるよりまし、のレベルかな。
キーボードたたいてる分だけ。
>>191>>196 日本の教育も「大学」「中庸」「論語」「孟子」などによって学び教育の方法としてきたが、
このような自己修練法を「封建道徳」として否定し、
さらに「個性主義」の名のもとに伝統的な「自己抑制を教える」教育を排除するに至った。
(以下略)
「個性主義」の名のもとに「ゆとり教育」など「総合的な学習」の時間を設定した。
2005.12「中央公論」懸賞論文 草稿 抜粋
ゆとりに関してはその通りだ。失敗だよ。
何故、中共と同じ事(自己修練法を「封建道徳」として否定)をしたのかな。
>>204 > 何故、中共と同じ事(自己修練法を「封建道徳」として否定)をしたのかな。
最近の中共は毛沢東のマルクス・レーニン主義の象徴として行った封建制否定(文革の論語弾圧など)を見直しているようだ。
中国のエリートたちを養成する清華大学は、最近四書(論語、孟子、中庸、大学)を必須の教材として採択し、
マルクス・レーニンの著作を代替するようにした。
「中国共産党」から「中国儒教党」へ? 趙甲済 (2009.5.15)
206 :
吾輩は名無しである:2010/04/25(日) 09:32:37
>>204 > ゆとりに関してはその通りだ。失敗だよ。
> 何故、中共と同じ事(自己修練法を「封建道徳」として否定)をしたのかな。
文科省と教育委員会の役人は「論語」を理解できなかったから(w
「論語」を読んで、知識を発展させ自分の肥やしにするのは、その人の力量にもよると思うが、
肥やしににした最高の代表が渋沢栄一だと思う。
このスレで「論語」を行動規範のない、いい加減な書物と言っている人もいるが、渋沢栄一は
「論語」を行動の手本とし、実業界にも教訓を取り入れている。
渋沢栄一の教え、即ち「論語」を規範にした教えは、先の見えない現代にこそ通じるものがあ
ると思える。
もし、渋沢栄一がノーベル平和賞を受賞していたら、「論語」の評価も更に変わったかも知れ
ない。
「社会で生き抜いていこうとするならば、まず『論語』を熟読しなさい」(渋沢栄一)
企業のトップになるだけなら論語なんぞは不要だな
渋沢?聖人君子だと思っているわけ?(笑
馬鹿ですか
>>208 私は
>>207ではありませんが、馬鹿呼ばわりする内容では無いと思います。
渋沢栄一を企業のトップになるだけ。というのはどういう評価なのでしょうか?
失礼ですが、あなたは渋沢栄一を理解していないというか知らないのでは?
聖人君子とは思いませんが、
>>207で書いてある渋沢評は、同感できる内
容だと思います。
反対意見はあっても良いとは思いますが、「論語」も否定している様ですし、
あなたに相応しい巣が他にあると思うのですが。
どうしてここに居るのでしょうか?
210 :
吾輩は名無しである:2010/04/28(水) 00:37:27
確か、あの時代でしかも日本人でノーベル賞の最終候補まで残ったんだよな。
>>209 http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801china.html 支那の、特に文学語学関係にたずさわっているやつらには馬鹿が多い。
学問馬鹿ってやつ。語釈や言語関係の知識「だけ」に関心がある、騙されやすいやつら。
無論日本人である。支那工作員にとっては格好の餌食だ。飛んで火にいる夏の虫。
こういう虫どもをシンパにしたてあげ、日本人の世論作りで反支那の気運をそごうとする。
儒教は宗教ではない。それは支那共産党の法輪功、チベット仏教の弾圧・虐殺が証明
している。孔子学院も工作機関に育てようとしている。…
http://www.youtube.com/watch?v=jjQbFO-3xZ0 法輪功
http://www.youtube.com/watch?v=ibAnNNN_yjU 要するに、孔子は政治体制の維持、支那共産党に対する反対を抑える、
ごみを散らかさない(笑といった、慰撫政策の道具だ。それを日本に適用しよう
と言うのが孔子学院だ。法輪功、チベット、天安門、などの国内問題、
南京事件の嘘教育、尖閣、資源などの反日外交政策などについて考えもしない、
というか、仁義礼…などを説く対象は、下部構造=人民、日本国民であり、
支那共産党首脳部の大罪に思いを致すことはない。
したがって、彼らの説く論語は単なるまやかし。日本人で論語を愛読する者は多いが、
渋沢は論語を貶めている元凶。論語の教えを忠実に守りたいものが金儲けをするだろうか。
世の風潮に乗り、成功を収めて巧言を吐く。そりゃ、懐の痛まぬ程度で慈善はしたろうさ。
その立場に立てば、鳩山や小沢にかぎらず、誰でもするようなことを。
孔子は後継として誰を考えていたか、が、馬鹿なお前に対する回答だ。顔回の生き方
を孔子は尊ぶ。それは渋沢ビジネスとは無縁だ。孔子は体制を変革しようとしたが、
方法が悪くてできなかったわけ。社会で生きている以上は社会のルールに従うわけだ。
支那共産党の都合のいいルールに従って、だが、改革はできないと知れ。
現在の支那人の本質は孫子であり、論衡であり、諸子百家のひねこびた心根を
受け継いだ連中だ。行為を見れば思想はわかりそうなものだがねえ…。
スレが伸びていると思ったら、共産党かぶれと渋沢信者争いか
しかし、共産党思想を持出すとは釣りか?
「論語」読みは別に共産党思想に影響されている訳ではないのだが
顔回と渋沢ビジネス???あんたの言う顔回の生き方って、渋沢ビジネスって何。。
オレは、渋沢栄一信者では無いが
経営者としての利益は追求したと思うが、ノベール賞候補の理由は他の経営者と違って、
財閥化して金儲けしなかったのと、社会福祉活動や日米親善、、、
面倒くさいもうヤメタ。誰か相手頼む。
釣られたか。。。
213 :
吾輩は名無しである:2010/04/28(水) 01:43:46
>>211 共産党とYOUTUBEをソースとして、
独善理論を語るとは、まさに○子だね。
214 :
吾輩は名無しである:2010/04/28(水) 01:57:15
>>211は
>>209を馬鹿だと反撃したいのだろうが、
書いている内容というか文章がひどすぎる。
中共、儒教、孔子、論語、渋沢のどれも理解していないのでは。
一番情報操作されている人間に思える。
211は反共産なんだな。
論語は中国産なのと共産党が工作ツールとして使っているので許せない。
工作ツールを褒める論語信者たちが許せない。
だから、論語信者は共産党に支配される馬鹿だと思っている。
ものすごい思想ロジックだな。
誰かがスレしていたが、居場所が違うよ!
216 :
吾輩は名無しである:2010/04/28(水) 02:25:19
GWとか夏休みとか
必ず変なのが現れる
まあ、支那思想史なんぞと言って安閑としてられなくなるぞよ、文科の赤ポスも
中共的には朱子学は主観唯心論的哲学と解されて虚偽意識と見なされる。
ちょうど「ドイツイデオロギー」でヘーゲル左派が批判されたように
朱子学(や儒教的伝統)も批判されたわけだ。
まあ、共産党以前にも魯迅に批判されていたわけだから、
革命思想とはいえ、近代的進歩思想やその担い手である近代的個人と合致しないのは事実であり、
こういった事情を無視して町人哲学として便宜的に利用しようとするのは欺瞞ですらある。
これに比べたら多分に政治闘争の意味合いがあったとはいえ、
毛沢東の中共が儒教を攻撃したのはある程度理に適っているわけだ。
逆に共産党政権下での諸矛盾を無視して儒教を政治利用しようとするのは
明治政府以降の町人哲学としての儒教利用と並ぶくらいの欺瞞ですらあるわけだ。
>>211の言いたいのはこんな所だろう。
つまり、現代における儒教の意義を論じるのなら、現代社会を支える近代的人間観とは
異質なものと捉えて論じないと、現在の中共が政治利用に使うカルト儒教と大差ない、と。
そしてこういった指摘は渋沢の説く町人哲学としての儒教を受容してきた日本では
一顧だにされないだろう、と。
まあ、こう言ったことだと思いますよ
>>215さん。
>>219 ここは論語、孔子について語るスレだと
>>1にあります。
儒教と他の思想との関係を論ずるレスはスレチですので無視してあげてください。
経験的に言って、これらは釣りです。
221 :
吾輩は名無しである:2010/04/30(金) 17:08:40
>>211と
>>218は同一人物と思うが、
とても徳のある人が書いたものと思えない。
ここのスレ住人は論語読みの方々なので、小人に対しても優しいな。
「夫子の道は忠恕のみ」
子曰。徳不孤。必有鄰。
FOX ★が偉いわけじゃない。
ボランティアいなければ2chは潰れる。
ということですね。
わかります。
>>223 それならそれで宜しいんではないでしょうか。
子曰、由、誨女知之乎、 知之為知之、不知為不知、是知也。
小人の聖人の言を妄りにすること甚だし
>夫子の道は忠恕のみ
実にいい言葉ですね
論語百遍意自ずから通ず
228 :
吾輩は名無しである:2010/05/15(土) 20:23:03
知っているだけでは意味がない
行動してこそ生きる「論語」
229 :
吾輩は名無しである:2010/05/23(日) 17:26:25
今大ブーム!age
230 :
名無し募集中。。。:2010/06/11(金) 20:54:25
40過ぎて人から憎まれてるようじゃ終わってるよ
ってのもあったよね
231 :
吾輩は名無しである:2010/06/22(火) 23:23:13
確かに最近本屋で論語を多く見かける
232 :
吾輩は名無しである:2010/07/04(日) 19:44:43
>>139 為政第二 十五
読み下し:子の日わく、学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
金谷 治:先生がいわれた、「学んでも考えなければ、〔ものごとは〕はっきりしない。考えても学ばなければ、〔独断におちいって〕危険である。」
宮崎市定:子日く、教わるばかりで自ら思索しなければ独創がない。自分で考案するだけで教えを仰ぐことをしなければ大きな落とし穴にはまる。
貝塚茂樹:先生がいわれた。「ものを習っているだけで自分で考えてみないと、まとまりがつかない。考えているだけでものを習わないと疑いがでてくる」
加地伸行:老先生の教え。知識や情報を〔たくさん〕得ても思考しなければ〔まとまらず〕、どうして生かせばいいのか分からない。逆に、思考するばかりで知識や情報がなければ〔一方的になり〕、独善的になってしまう。
宇野哲人:ただその事を学ぶだけで、その理屈を思索しなければ、心がくらくてなにも悟り得ることはない。ただその理屈を思索するだけで、その事を学ばなければ、空想に過ぎないから、危うくて不安を免れない。
※解説注訳などは省略。
解説注訳が書いてあると、その訳の意味が更に理解できる。ただし、人によっては長々した説明になるので好き嫌いはあるかも知れない。
結局は現物見て判断するのが一番。
>>154 結局誰のが一番?
わろたw
233 :
吾輩は名無しである:
今まで読んだ本の中でベスト1