1 :
ジン ◆2riQWoXaIg :
言いたいことあるならもっと簡潔に伝えろよって話
要領悪すぎ
2 :
↑:2008/04/13(日) 12:58:28
雑誌、雑誌
簡潔なのがいいなら格言集でも読めばいい。
4 :
↑:2008/04/13(日) 13:59:37
暇な蠹魚、辞書辞書
5 :
吾輩は名無しである:2008/04/13(日) 14:47:07
ボルヘスが同じこと書いてるんだよな
ボルヘスが書けばみななるほど
2ちゃんのコテが書けば反感の嵐
6 :
吾輩は名無しである:2008/04/13(日) 16:06:50
だって実績が違うもの
7 :
天の穴:2008/04/13(日) 16:10:29
>>1 簡潔に伝えられないことだから分厚くなるんだろが。
それ言ったらホメロスもジョイスもプルーストも
みんなバカってことになるぞ?
8 :
ジン ◆2riQWoXaIg :2008/04/13(日) 16:24:54
簡潔に伝えようと思って分厚くなってるならバカ
9 :
天の穴:2008/04/13(日) 16:26:13
分厚いってどれくらい? 15000nくらい? 『失われた時を求めて』『戦争と平和』レベルなら十分簡潔でしょ
クソスレすぎて相手にされず終了。。。
12 :
↑:2008/04/13(日) 16:31:52
カント純粋理性批判、序文一部要約
「この文章はこれほど長くなければもっと分かりやすかったのに、
この内容はこれほど簡潔でなければ理解に要する時間が節約できたのに、
この二つは『通俗的な目的(たとえ話)』に要する分量の問題である」
↑怪しいと思う者は原文を引くべし。この概念を芥川が要約して曰く↓
「傑作が大作だと思う者は、モナリザを知らない」
13 :
文学者:2008/04/13(日) 16:46:12
また、デリダ曰く
『書物の終焉』と。
デリダはあらゆる文章は差延(≒勘違い)すると言った。
なぜなら筆者も言葉を「文様(ecriture)」に託すしかないから、根本的には気持を表現できない。
従って、
読む者も書く者もdifferanceとdifferenceの「勘違い」を
文脈に託して脱構築(=常に新たに解釈)し直すしかない。これがデリダの差延概念。
そしてこういう差延の観点からあらゆる文章は権威を剥奪される。あらゆる解釈が開かれ続ける。
(ユダヤ系フランス人のかれは聖書原理主義に挑戦した訳だ)
これがデリダが言う『書物の終焉』、という話。
(ちなみにデリダはジョイスをこの文芸における先駆とみなしていたように見える。
もし日本語と草枕に知識があれば漱石を指名したろうに)
従って長短論は巧拙論より遥かに次元が低いと言えるであろう。
14 :
文学者:2008/04/13(日) 16:56:27
まぁ私の個人的な経験則を言えば、知性に課題がある者ほど冗長を好む傾向はあるようだ。
いわゆる大衆小説家には量産しない者はいない、これは単なる稼ぎの話ではどうやらない。
量と質とは殆どの場合、相反するらしい。とある時代に於て。
いわば天才は寡作である。
15 :
吾輩は名無しである:2008/04/13(日) 17:15:33
分厚い本でも読まれ続けるのは余程の面白さがあるからだよな。
カラマゾフとか。
16 :
ジン ◆2riQWoXaIg :2008/04/13(日) 17:34:51
長々と書かれなければ理解できない読者が悪いのかも
純文学だ大衆文学だ言うけど、文学ほど大衆向けの学問はないよな
17 :
名無し募集中。。。:2008/04/13(日) 17:42:06
山岡荘八の徳川家康ゴッツ長いね
18 :
ジン ◆2riQWoXaIg :2008/04/14(月) 15:19:13
マジで文学って時代遅れだよな
お前らこんなもんにしがみついてると幸せになれねえぞ
幸せはいつも自分の心が決めるんですよ
20 :
ジン ◆2riQWoXaIg :2008/04/14(月) 15:46:02
ですよね^^うふふ
21 :
ジン ◆2riQWoXaIg :2008/04/15(火) 02:20:23
戦争と平和っておもしろいの?
22 :
吾輩は名無しである:2008/05/26(月) 10:21:58
確かに
文学とかつまらんし疲れるだけ
23 :
吾輩は名無しである:2008/05/26(月) 10:55:06
馬鹿だなあ
平民は文学に触るなよ
24 :
吾輩は名無しである:2008/05/26(月) 11:15:28
ことばって、同じ言葉でも意味が異なるよね。
人生はそれぞれもひとそれぞれ。考え方もおなじものはないよね。
だから、作家はことばをつかって、それを表現し、読者に提示する。
そのために、言っても、言い足りることはないし、慎重に導くために、
長くなることはある。あったこともない人に伝えるのだから。
お金で商品を交換するのとは、違うでしょ。
初めて出会った人を知るとき、あった瞬間わかることは、限られるでしょ。
直感でびびびってやつもあるけど。
長く付き合えば付き合うほど人を知ることもできるし、わからなくもなる。
そんなかんじ。
25 :
ジン ◆boczq1J3PY :2008/05/26(月) 11:39:48
俺全然勉強できなくてさ、ずっとコンプレックス感じてたわけよ。
しかも童貞だし。高校のクラスに成績もトップクラスで彼女もいる奴がいてさ。
そういう奴は大抵趣味は映画鑑賞と読書なんていうんだよな。
俺がエロゲー毎日シコシコやってる間にリリカルな青春を
満喫してる奴がいたわけよ。でも趣味は読書だぜ?だせーよ!
俺なんて一冊も本読んだ事ないけどさ。今時本なんて誰も読んでないし。
ていうか最後まで読み通せないんだよね。意味わかんない文学って。
あんなものありがたがる奴はキチガイだと思うよ。
だってラノベのほうが全然面白いじゃん。全然売れてるし。
やっぱり21世紀はオタクカルチャーの時代なんだよ。
いまさら文学なんて読んでるバカは死ね。自殺しろよ。
死なないなら俺が殺してやるよ前世紀の遺物、ゴミどもが。
>>1 確かに最近は弁当箱みたいな本も多いよな。
ワープロ時代の弊害なのだろうが、ついつい難しい漢字や言い回しを使ったりもする。
俺は昔の簡素でいて内容の濃い文章の方が好き。
>>24 まず君の発言は矛盾している。
本は読んだことないと言いつつ、ラノベの方が面白いとは可笑しな話。
そんな君が他人をバカやゴミなどと言えるのだろうか。
それでもバカやゴミなどと言うなら、それは君の方だと言わざるを得ない。
28 :
吾輩は名無しである:2008/05/27(火) 03:53:20
京極とか宮部とか福井とか恩田とか
馬鹿かと思うよね
エンタメ、ミステリ系に長いのが多いのかと思ったら、
シャーロックホームズなどは1つの作品は短いしな。短編もある。
純文系にも長い作品は多い。新旧問わず、長い作品は長いってことか。
あんたどうかしてるぜ(笑)
31 :
吾輩は名無しである:2008/05/27(火) 22:32:37
32 :
吾輩は名無しである:2008/05/27(火) 22:43:18
ゆっくりしていってね!
33 :
名無し募集中。。。:2008/05/28(水) 15:35:55
川柳最強伝説
34 :
吾輩は名無しである:2008/05/28(水) 18:24:09
馬鹿ほど 理論武装したくなるっていうから
あとは劣情からくる不純な動機で無駄に長くしてるだけ
つまり原稿料のため。
京極だの夢枕だの西尾だの あの類い。
35 :
吾輩は名無しである:2008/05/28(水) 22:49:23
作家は原稿料じゃなくて印税で食ってるんだよ
っておかんが言ってた
36 :
ジン ◆2riQWoXaIg :2008/06/03(火) 11:57:31
>>24 慎重に導くため?バカじゃねえの
あと変な改行はやめた方がいいよ
>>25 お前気持ち悪すぎw
自分の信じる文学が否定されて悔しくて書いた文がそれですかw
37 :
吾輩は名無しである:2008/06/04(水) 23:04:38
ドストエフスキーに謝れ
司馬遼太郎の悪口言う奴は誰だ!
39 :
吾輩は名無しである:2008/06/05(木) 00:25:36
京極先生にも誤れ!
40 :
吾輩は名無しである:2008/06/05(木) 00:29:10
むしろ文学とか長いのしか読まないわ俺・・・
俺みたいの長編厨というらしいわ。
41 :
吾輩は名無しである:2008/06/05(木) 00:57:21
詩的結晶化 抽象作用の能力のない作家は長編に偏りがち
村上春樹も、もうマラソンランナーみたいになっちゃって、スプリントや、華麗なる棒高跳びのような詩的なモノは書けないだろうな。
最初の二作はかみがかっている
んなこたない
43 :
長距離ランナー、故障中:2008/09/17(水) 22:34:04
>>41 「羊」からもうダメ?
俺はマラソンランナーだから「ねじまき鳥」みたいなのも好き。
でも41さんの言ってることもわかります
44 :
吾輩は名無しである:2008/09/17(水) 23:54:42
ジョン・アーヴィングはさ、
小説は長けりゃ長いほうがいいっていってたね
大長編が無くなったら圧倒的な量の文章を前にした、大河のようなドドドド感が感じられなくなるじゃないか。
どれくらいの長さをさして言ってるのか知らんが、
マルケスの百年の孤独だって、あの長さとあの紛らわしい名前と、
あのくどい文体があわさってはじめて、百年という時間が
経過した後の虚無感が感じられるんだろ。
あれ要約したら、カバーのあらすじみたいに味気なくなると思うよ。
46 :
由希 ◆YUKI/DfWf. :2008/10/09(木) 18:24:37
長くてもそれに見合った中身があればいいわ。
47 :
無名草子さん :2008/10/09(木) 18:38:05
長くても500枚ぐらい。
それ以上長くなると、読まれなくなる。
48 :
吾輩は名無しである:2008/10/09(木) 18:40:25
大河小説ってインパクト弱いし。
今の時代、そんなもん読んでるひまはない
49 :
吾輩は名無しである:2008/10/10(金) 23:07:56
小説は長いものほど失敗作が少ない
なぜならその場しのぎの陳腐なアイデアだけでは長編は書けないからだ
50 :
吾輩は名無しである:2008/10/11(土) 00:26:24
今我輩は猫読んでるけど面白いよ
ストーリー性こだわり過ぎてるから物足りないわけでしょ
読書の本質考えてみて下さい
>>49 逆だろ、短い作品こそアイデアが重要。
長編なら長々と描写を重ねてごまかすことは出来るが、
短編はアイデアという素材そのもので読ませないといけない。
52 :
吾輩は名無しである:2008/12/06(土) 20:00:49
長くなれば長くなるほど構造設計がしっかりしていないといけない
長々と描写してごまかせると思ったら大間違い
作家は世界を創造するがゆえに崇められる
短編は世界を構築する必要はなく一片を切り取るだけでよい
長大な物語を構築できてこそ神の模倣といえる
神は細部に宿りますが何か
1
天才は寡作である。
怠け者も寡作である。
ところが、怠け者は天才ではない。怠けているから書かないだけである。
以上
長編は連作短編、短編は長編の抜粋。
長編派も短編派もそう思って読め。
重要なのは長さではどう考えてもないw
>1
薄っぺらくて中身の無い駄作を、できるだけ数多く出しまくって
売れなくても薄く浅く少しずつでも印税を稼がせもらおうとする
ダメ作家の
浅ましいセリフだw
読者は、厚さ薄さなんか関係なく、
最後までぐいぐい興味を惹いて読み通させてくれる内容の本を喜ぶ。
安価なら、なお良い。
京極の悪口か
58 :
吾輩は名無しである:2009/01/18(日) 14:48:41
まぁ600ページくらいが丁度いいよな
3冊とか疲れるわ
長すぎるせいか感想もいいにくいし内容の核心が掴みにくい
作品の長さはどうでもいいけど、密度が小さいのは許せへんな
60 :
吾輩は名無しである:2009/02/07(土) 23:37:18
不毛な議論では?
61 :
吾輩は名無しである:2009/02/08(日) 15:54:47
失われた時を求めて
62 :
吾輩は名無しである:2009/02/08(日) 16:07:19
純粋理性批判って出だしから意味不明。皆さんどうやって読んだの?原文?
大菩薩峠
長い小説、短い小説は作者が書いてるうちにたどりつくものだろ
それを長い文章かくのはあーだとかいうのは、おかしいんじゃない?
作者が読者に伝えたい(物語を進める上で伝えなくちゃいけない)情報量
が多くなる作品も当然でてくると思うしさ。
66 :
吾輩は名無しである:2009/09/27(日) 10:56:57
サンデーらいぶらりぃ:古屋美登里・評=『予定日はジミー・ペイジ』角田光代 ...
... そして、新しい命の登場を待つ時間-そういったものが、マキのお腹のなかで育つ赤ん坊の時間に寄り添うように、日記形式で丁寧に語られていく。 ... 庄野潤三さん死去. 浅尾美和に麻雀トレ浮上. 滝川クリステル降板の理由 ...
67 :
記憶喪失した男:2009/09/27(日) 12:16:07
京極はむしろ、これから超薄い本を出し始めたら、神。
完璧な奴ほど高みを目指す
だから文学は高みにある、しかし、それは幻想
69 :
吾輩は名無しである:2009/09/27(日) 15:22:37
読者は文学を学問として取り組むな趣味として取り組め
幻想?高低?もしくは肯定ですか?!ww
…まーねーそれこそ、批判するほどの関心もないという。
最近はそれでも、さくさく読めるようになっただけ、随分ましに、
――おかげさまで(笑
>>70 > 幻想?高低?もしくは肯定ですか?!ww
あんたのは拘泥。
72 :
吾輩は名無しである:2009/12/23(水) 17:04:43
文学作品も音楽の一種なのだ
だから構成要素となるフレーズだけ並べても意味がないのだ
同じフレーズでもテンポや調子を変えつつ連なる波として奏でる
そこに得がたい時間が生まれるのだ
73 :
谷川浩司のファン:2010/06/24(木) 23:04:43
つまり長くないとダメなんだよな
しんぼうが大事なんだよね
天才型ほど薄い本が多いな
分厚い本は努力型かな
天才型だから薄い本なんじゃなくて
薄くても中身の濃い本を書けるから天才なんだろう
分厚い本は何型だろうと努力しなきゃ書けないし
77 :
吾輩は名無しである:2010/06/26(土) 03:58:07
広慈円(変換できない)もバカが書いてるの?
78 :
吾輩は名無しである:
村上春樹はIQを1冊にまとめなかった。まとめてれば分厚く
なったはずで、合計価格では安くなったはず。信者的なファンの多い
村上春樹のような作家が読者からできるだけ多く金をむしり取るために
分冊にしてるんだろう。多くは出版社の意図から出たことだろうが、作
家も印税が増える。
本が分厚くなるのは作家の文学観とは無関係で、コストや販売戦略の
問題ではないか?
或いはむしろ、分厚い、コストパフォーマンスの良い本を出すのは
良心的な作家や出版社と言えるのではないか?