大江健三郎は卑怯者

このエントリーをはてなブックマークに追加
688吾輩は名無しである
ネットでみつけた「走れウサギ」のあらすじだけれど
http://www.oh.jful.jp/~oh111x/updike.htm

>物語の主人公は、「ラビット」というあだ名を持つ26歳のハリー・アングストローム。
>高校生のときは花形バスケットボール選手として活躍していたが、今ではつまらない
>仕事と怠惰な妻のジャニスのために、毎日の生活に目標を見失っていた。そんなある日、
>ハリーは衝動的に家出をし、偶然に知り合ったルースという女性の家に転がり込む。
>ジャニスの両親はハリーを説得するように牧師のエクルスに頼むが、ハリーはそんな
>エクルスの説得にも耳を貸そうとしない。しかし家出から2ヵ月後、ジャニスが出産のために
>入院したという報せを聞いたハリーは、ルースの元を去って病院に駆けつける。娘の誕生を機に
>すべてうまく収まるかに見えたが、予期せぬ悲劇が家族を待ち受けていた。

そっくりだね。
けれども、文章も、フランス文学の影響がある大江の意図があって
「忍耐」などという言葉をアピール的に口にする「バード」とは真逆の主人公で
全く別物みたいだけれど。
小説の細部は全然違うようであるんだけれど
もしかして、大江健三郎が小説において重要なのは
細部だとかいってるのも、もしかして自己擁護のためでもあるのか?
そのせいもあってか小林秀雄は「どうでもいい」と石原の言うことによれば
石原に言ったそうなんだけれど。
だけれども、それを分離して考えると、評価は違ってくるように感じるよね
大江健三郎の。

おもえば、「個人的な体験」はじめて読んだとき
ものすごく、アメリカを感じるなぁとは、おもってたんだよね。
バードがアパートを出るときの場面展開の感じとか。
模倣してるんだろうなとはおもってはいた。