1 :
吾輩は名無しである:
娯楽も行き過ぎると人を堕落させる
下らん萌えアニメばかり観ていたらサルになっちゃうよ!ウッキー!
板違い
クソスレ立てんな
馬鹿は去れ、ぶたや類は板違い
『がくえんゆーとぴあ まなびストレート』1、2話。これはさすがにきっつい。
この「世界」を受け入れるためには、自分のなかにある多くのものを握りつぶして抑制し、
ぐっと耐えなければならないだろう。
古谷利裕 偽日記 2007 06 25 より 引用
6 :
いつか:2008/03/31(月) 02:06:30
>>2 ダーウィン進化論を無批判に
受け入れてるクダラナサ…まさにウッキー!
人類学的アプローチがない。
卒論は通らないね。
>>5 「偽」と「引用」で誤魔化してるつもりなのかな?
頭のスイッチを切り換えればいいだけの話なんだけど。
チェーホフの小説と
まなびストレートでは パチッ とすればいいだけの話で。
「自分のなか」ねえ。「偽」「引用」はただの言い訳だな。
「ネタ」として読んでも「話者の臆病さ」しかない。
ふ・ぬ・け 。
板違い
8 :
いつか:2008/03/31(月) 02:54:32
表象文化論はアニメも批評するだろ、、、
って い わ な きゃ
い け な い の か よ
ちなみに
>>7はコピペだよな?
にしても文脈を峻別してる・・・出来の悪い機械みたいに。
9 :
吾輩は名無しである:2008/04/10(木) 10:05:37
>>1についてはよく知らんが、ARIAは原作もアニメもやたら素晴らしい。
普段アニメとは関わりない人も楽しめますよ。オススメ。
10 :
吾輩は名無しである:2008/04/10(木) 10:20:49
発狂ヲタほどキショイものはこの世にない
闘将ダイモスは、ロミオとジュリエットだと思う?
それともトリスタンとイゾルデだと思う?
ガンダムが「蠅の王」にならないのは、何が要因だと思う?
13 :
吾輩は名無しである:2008/04/10(木) 19:36:32
マーチャンダイジング
10年くらい前にやってた「少女革命ウテナ」が寺山修司の影響を受けてたな。
天井桟敷のメンバーも参加してたし。
『やぶにらみの暴君』は、ジャック・プレヴェールが脚本を書いていたな。
糞スレ乙
糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ、糞スレ
19 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 19:37:55
アニメ大好き中国人が発狂しました。
ジャパニメーションと同じように日本を愛せないそうです。
ごめん
批判かと思ったら批評だったww
21 :
西村代理人:2008/04/28(月) 01:27:04
刺青ノ聲
_,.........._
,r'r'::::::::;r''ー-、::-、
/´ `'"´ ヾ:::ヽ
i! l:::::::i
l! l:::::::!
.L-、_ ,. -ー-、 i:':::::::l
ilKエナ:: rt''tテ、::. l::r'´'ヽ
.l ー '/ ` ー- ゛ '::: ,!
! ヽ ‐ ' '´/
.l ,_,.__ 、 T
ヽ' ー ;liヽ
ヽ __ // ヽ
-‐ ´l ! _, - '´/
,! rヽ‐ ´ ./
' / ;l /
>>21それはビデオゲームであって、文学小説じゃないので
却下する。図書館へ行きなさい
23 :
吾輩は名無しである:2008/04/28(月) 22:31:33
http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-161.html 『ARIA The ORIGINATION』(第6話)の批評と解説、あるいはアリスの「眼球譚」。
今回の挿話(エピソード)ではアリスさんが、灯里さんと「ネオ・ヴェネツィア」の主たる「開拓者・地図作成者・冒険家」という役割を交換しているようですね。、
さらにはこの物語の主題のうちのひとつである「覗くこと」、あるいは「盗み見ること」が必ず挫折させられてしまうという事態も決定的なかたちで顕在化したように見えました。
本日はそのような「覗き見る」女の子として表象されることの多いアリスさんの「眼球譚=目玉のおはなし」からお話を始めさせていただきたいと思います。
しかる後に今回の挿話において見られた「異様な時間操作の技法」といくつかの注目すべき点を指摘させていただきたいと思います。
いきなり「覗くこと」・「盗み見ること」の主題、などと言われて面食らわれた方もいらっしゃるかもしれませんね。
簡単に説明しておきますと、例えば今週の挿話では「探偵」として密かにアリシアさんの教育方針の真意(≒真偽)を探ろうとするアリスさんですが、
その意図や行動をたやすくアリア社長や藍華さんから発見されてしまいますし、それどころか「熱い視線」として、視線の存在それ自体までもアリシアさんに発見されてしまいますよね。
また記憶に新しいところでは、確か第2話あたりだったと思うのですが、藍華さんとともに「抜き打ち検査官」を密かに調査していたはずが、やはり最終的には発見されてしまいます。
つまり、アリスさんに限らないことなのですが、この『ARIA』というテレビアニメのシリーズにおいては、そのような「覗くこと」・「盗み見ること」という主題が随所に見出され、しかも決まってその試みは頓挫させられてしまうのであります。
この「覗くこと」と「その挫折」の繰り返される運動のことを、『ARIA』における「監視することを禁止する掟」と言い換えておきましょう。
わかりやすく、現実の現代社会との対比で語るならば、「ネオ・ヴェネツィアとは監視社会の成立に抵抗し続ける都市である」とでも言えるかもしれませんね。
24 :
吾輩は名無しである:2008/04/28(月) 22:33:19
さて、夜の帳も落ちたAパートの終盤で、灯里さんのゴンドラが沖に流されるシーンがありましたよね。覚えていらっしゃいますでしょうか。アリア社長がそれを最初に発見し、
藍華さんとアリスさんの間に挟まれて困惑している灯里さんですが、アリシアさんは彼女の非を責めるでもなく、
自分のゴンドラに乗って、灯里さんのゴンドラを繋留(けいりゅう)場まで引っ張ってきてくれます。事なきを得て、皆は室内に戻っていくのですが、
アリスさんの「内面におけるアリシアさんに対する疑念の声」とともに、キャメラ(フレーム)は左パン(画面に向かって左側へ水平移動)で彼女の表情をクローズアップして捉えます。
このショットが物語の折り返し地点であるAパートのラストに配置されているという点で、わたしたちはストーリーの構成を高く評価しなければなりますまい。
どういうことかと申しますと、この横移動していくショットにおいてアリスさんの表情(正面から捉えられた顔)は、開け放たれたドアのガラスに遮られ、その顔の右半分が、「ガラス」という装置によって「二重化」してしまいますよね。
このようなガラスに遮られて「二重化」した彼女の右目は、彼女の左目とは別の機能を獲得するのです。つまり、それによってアリスさんの眼球に付与されるように見える機能とは、まさにアリシアさんの真意(≒真偽)を探るための非対称的な機能なのでございます。
真偽を調査する「探偵」になったアリスさんはその「眼球」に煽動されるかのように、Bパートの冒頭で、自分が1週間も「探偵活動」を続けていたことを彼女自身の「内面の独白」によって視聴者に知らしめます。
そして、延々と続いていくこの「内面の独白」は、そのほとんどがアリシアさんの真偽を探る疑惑の言葉で構成されていることを再び強調しておきましょう。疑惑の言葉とはすなわち、「アリシアさんは真なのか、それとも偽なのか」
というアリスさんの懐疑とでも言い換えておきましょう。
25 :
吾輩は名無しである:2008/04/28(月) 22:37:49
http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-130.html 文学ジャーナリズムの世界では、村上春樹と村上龍という2人の作家を指して「W村上」というものの言い方があるけれども、
まさに今春の佐藤竜雄と佐藤順一の作品の同クールの放送はさながら「W佐藤」の饗宴といったところで、
昨年の『電脳コイル』(磯光雄監督)と『天元突破グレンラガン』(今石洋之監督)の同クール放送と同じくらい、わくわくさせられるのである。
わたしは佐藤順一という人は、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季、宮崎駿、押井守、庵野秀明、今敏、原恵一、新房昭之、山本寛、新海誠などと並ぶ重要なアニメの世界
における作家であると見なしており、今クールの『ARIA』も決して見逃すことはできないと考えているのだ。
ようやく、年末年始の小休止期を経て、新作アニメの放送が続々と始まっており、現段階では、わたしなどは1話を見た限りでは、
他に『Ture Tears』などに期待を寄せてはいるが、はてさて、いかがなものだろう。なお、多くのアニメファンが支持するであろう『絶望先生』の第2期などは、
自己模倣に陥っている上に、自己模倣とパロディの果てに、多くのジャンルの表象文化形態が見出してきた境地に対して完全に思考停止に陥っているようにしか見えないので、
あまり高くは評価はできない。もちろん、単体作品としての評価を超えて、歴史的にマクロな視点を取れば、俄然、
その重要性は増してくるのであるが、「絶望した=そんなの関係ねぇ」という定式を突破してこない限り、ミクロなレヴェルにおける
単体のテレビアニメ作品としては評価できない(厳密に言えば、光学的=視覚的・音声的=聴覚的な状況がさらに突き詰めて表象されてくると、
これは、テレビアニメというジャンルを無視して現代美術や前衛的な実写映画を考慮して評価せざるをえなくなる)。
26 :
吾輩は名無しである:2008/04/28(月) 22:44:40
また滝川ルネッサンス・・・(´;ω;`)ブワッ
27 :
吾輩は名無しである:2008/04/29(火) 09:04:55
杉井ギサブローの「銀河鉄道の夜」
29 :
吾輩は名無しである:2008/05/16(金) 16:20:18
『紅』(第6話)の批評と解説、あるいは松尾衡のために。
http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-205.html ★2 空間をいかに変貌させるのか、劇場化する木造アパート
今回の挿話でもっとも感動的であったのは、言うまでもなく、ミュージカルシーンであるわけですが、
それについて述べる前に、ミュージカルが演じられるための「舞台」についてお話させていただきましょう。長くなってもつまらないでしょうから、要約的に列挙していきましょう。
@登場人物の位置関係:五月雨荘内での複数の人物を90度あるいは180度に配置して、正面からのショットを多用しますと、
必然的に視聴者からは体育館の舞台のように見えるようになります。
A「天井抜き」と呼ばれる技法の使用:「天井抜き」とは、室内描写であるにもかかわらず天井の存在を無視した高さから
登場人物たちを俯瞰ショットで捉える技法のことです。この技法によって、室内空間が単なる舞台装置あるいは、
演劇の舞台の背景である「書き割り」であることを暴露することによって、空間のリアリスムを密かに解体します。こうしてボロアパートは夢の舞台へと変貌し始めます。
30 :
吾輩は名無しである:2008/05/16(金) 16:20:50
B超ロングショットへのズームアウト:真九朗くん、彼のロングTシャツとおそろいの色をしたブラウスを着ている九鳳院紫さん、
舞台でしか許されないショッキンググリーンのタイツをはいている崩月夕乃さん、環さん、闇絵さん、紫色のシャツに紅色のネクタイ
をした犬塚弥生さんたちの歌声が重なり合い、広角(魚眼)レンズ効果とともに、キャメラはディゾルヴ(:オーバーラップのようなもの)
で五月雨荘の外観を真上から捉えると、一気にズームアウトしていきますでしょう。すると五月雨荘という木造のボロアパートは夜の闇の中で林立する建造物群の中に呑み込まれていくように見えます。
こうして五月雨荘が均質的な街の構成要素でありながらも、そのような街のなかで特権的な夢の舞台であることが視聴者に知らされます。
これはアニメーション映画『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(1984)と類似した技法ですが、
『紅』というテレビアニメは「フィクション」に踏みとどまることを選択します。この選択の「慎み深さ」、
そして魚眼レンズ効果で「円環」のように見える歪曲した映像のイメージに折り重なる「合唱」という音声のイメージを見逃すべきではないでしょう。
C柔沢紅香さんの仰角からの主観ショット:弥生さんとも真九朗くんとも連絡がつかず、「ノワールもの」の映画ででもあるかのように、
紅香さんは夜の高速道路を飛ばして左ハンドルの外車で五月雨荘に駆けつけます。同じく駆けつけてきた村上銀子さんと車を挟んで「嘘を吐いた」ことについて
口論したりもするのですが、笑い声がオフヴォイス(音源が画面外に想定されていること)で映像に重なると、彼女は反射的に上空を見上げます
(ちなみにこのシークエンスで描写された紅香さんの構図はほぼ弟4話の反復=模倣です)。
すると次にモンタージュされるのは、五月雨荘の玄関口の光と開け放たれた二階の窓から洩れている光とそこに重なる過度に芝居染みたいくつもの笑い声。
この光と笑いのイメージが洩れてくる「窓」を夜の住人が屋外から見上げるという構図が、木造ボロアパートを夢の舞台へと変貌させるかのように見えます。
31 :
吾輩は名無しである:2008/05/16(金) 16:23:22
『思想地図 vol.1』に掲載された「アニメ表現論」についての雑談を掲載します。
http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-205.html 平井:最近ですね、東浩紀さんと北田暁大さんが編者をしておられる『思想地図 vol.1』
という雑誌を友人から譲ってもらったんですけれど、この雑誌に掲載されている公募論文で黒瀬陽平さん(1983〜)
がお書きになられた『キャラクターが、見ている。――アニメ表現論序説』という文章をわたしは読んだのです。K・ワークスさんはお読みになられました?
許:最近は仕事も中休み中だったから、わたしも読みましたよ。
K・ワークス:…ええ、読ませていただきました。冒頭のシンポジウムにいきなりふたりも大学生の頃に出入りしていたサークルの大先輩が出てきましたから(笑)。論文についてですけれども、
およそ33ページにわたる本文のなかに18点もの図版が使用されており、テレビアニメを図版に還元することによって、アニメーションから「運動」と「時間」というふたつの原理を剥奪しておきながら、
何食わぬ顔で「アニメ表現論」を唱える不埒なテクストであるという印象を受けました。この犯罪的な美術家の無自覚ぶりにはいささかの殺意を覚えざるを得ない(笑)。それだけじゃあ済みませんでした。
周到に予防線を張りながらも、多くの優秀なアニメーターやシネアストたちが歴史的に蓄積してきた「遠近法」を構築したり破壊したりする様々な技法の存在をみずからの主張を正当化するために反故にしているようにも見えました。
さらには内容と形式という陳腐な図式を記号論的・構造主義的物語論とアニメ表現論と言い換えることによって、記号論や構造主義的読解の豊饒性と可能性がすでに汲みつくされているかのような記述もございましたね。
こういう人がアニメの表現について語る資格をいかにして取得したのか、どなたか教えてくださいませんか?
文学的視座(笑)
33 :
吾輩は名無しである:2008/05/16(金) 21:05:52
うおー
アグネスタキオン
出走頭数 374 勝利数 328 勝馬数 190 GI勝 7 重賞勝 13 GI馬 4 平均勝数 0.88
勝馬率 50.80% GI勝/出走頭数 01.87% 重賞勝/出走頭数 03.48% GI馬誕生率 01.07%
フジキセキ
出走頭数 845 勝利数 849 勝馬数 371 GI勝 5 重賞勝 31 GI馬 4 平均勝数 1.00
勝馬率 43.91% GI勝/出走頭数 00.59% 重賞勝/出走頭数 03.67% GI馬誕生率 00.47%
フレンチデピュティ
出走頭数 337 勝利数 345 勝馬数 175 GI勝 4 重賞勝 14 GI馬 4 平均勝数 1.02
勝馬率 51.93% GI勝/出走頭数 01.19% 重賞勝/出走頭数 04.15% GI馬誕生率 01.19%
スペシャルウィーク
出走頭数 449 勝利数 365 勝馬数 184 GI勝 1 重賞勝 9 GI馬 1 平均勝数 0.81
勝馬率 40.98% GI勝/出走頭数 00.22% 重賞勝/出走頭数 02.00% GI馬誕生率 00.22%
ダンスインザダーク
出走頭数 890 勝利数 697 勝馬数 328 GI勝 3 重賞勝 22 GI馬 3 平均勝数 0.78
勝馬率 36.85% GI勝/出走頭数 00.34% 重賞勝/出走頭数 02.47% GI馬誕生率 00.34%
クロフネ
出走頭数 279 勝利数 218 勝馬数 119 GI勝 2 重賞勝 7 GI馬 1 平均勝数 0.78
勝馬率 42.65% GI勝/出走頭数 00.36% 重賞勝/出走頭数 01.43% GI馬誕生率 00.36%
ジャングルポケット
出走頭数 121 勝利数 85 勝馬数 48 GI勝 2 重賞勝 7 GI馬 1 平均勝数 0.70
勝馬率 39.67% GI勝/出走頭数 01.65% 重賞勝/出走頭数 05.79% GI馬誕生率 00.83%
ちなみに御三家
トニービン
出走頭数 782 勝利数 1048 勝馬数 398 GI勝 13 重賞勝 48 GI馬 9 平均勝数 1.34
勝馬率 50.90% GI勝/出走頭数 01.66% 重賞勝/出走頭数 06.14% GI馬誕生率 01.15%
ブライアンズタイム
出走頭数 957 勝利数 1304 勝馬数 497 GI勝 23 重賞勝 51 GI馬 13 平均勝数 1.36
勝馬率 51.93% GI勝/出走頭数 02.40% 重賞勝/出走頭数 05.33% GI馬誕生率 01.36%
サンデーサイレンス
出走頭数 1351 勝利数 2702 勝馬数 897 GI勝 71 重賞勝 235 GI馬 42 平均勝数 2.00
勝馬率 66.40% GI勝/出走頭数 05.26% 重賞勝/出走頭数 17.39% GI馬誕生率 03.11%
サンデー異常杉
36 :
吾輩は名無しである:
age