チベット弾圧に文学は何ができるのか?

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89吾輩は名無しである
とここまで云われても、どうせ馬鹿には判らないだろうから。

 しかしテロルなしでは私の生活とは何であろう。闘争なしには、
この世の諸々の法が私には無縁なのだという喜ばしい自覚なしには、
私の生活とは何であろう?
         ロープシン(サヴィンコフ)――「蒼ざめた馬」(工藤正広訳)

…ちなみに上のは、見沢知廉の『天皇ごっこ』からの孫引きだw馬鹿共が。


それと以下は、見てるかどうか知らんけどの私信。
俺とはろくすっぽ付き合いはないし自分よりもだいぶ年若いひとだが、
とまれ非常に優秀な人間であるところの、君へ。

…まぁそんな感じで(笑
俺は君の性質のそういった部分を以前から、少なからず危惧している。
それはね、許されないものだ。絶対に。
ただ内側の、気質としてなら、「違う」それだけで済むんだけどさ
(それでも根っこに君の上記部分への、控えめに云えばだが違和感、
これがあるからか、何度か君には、意地の悪いことをじぶん云ってる
よな(苦笑 いやホント、人間としては君のことは決して、嫌いじゃ
ないんだが)、ことこういった事柄に関してだけは、人柄なんざ、
屁の突っ張りにもならんですよ。君は良い人間だと思うし俺は、
違うけれど、でもそんなのは全く重要じゃない。
正しさには、ひとの顔なんてないと俺は思う。ただ理性のみが。