>>920 ヘッセはデミアン以降が面白いわけで、まあお試しを。
925 :
吾輩は名無しである:2008/03/11(火) 21:38:56
ドストエフスキーを素人扱いする作家志望の方が来てたのですか・・・
日本の国民作家である漱石さえも、修善寺の死から生還した病床の中で、
ドストエフスキーのことを考え続けていました。
(某作品を読めば明らかですよね)
新たに日本語の文学を志す人が、表面だけに目を奪われて、ドストエフスキー
を切り捨てるとは。きっと一読して漱石以上のドストエフスキー理解を得たの
でしょうね。
明暗ですら漱石はドストを重視したとは言えないけれども
それは存在するものと動的なものの違い
アポロン的なものとディオニソス的ものの違いであって
必ずしもどちらがどうと言うことはできない。
こういう漱石が読んだから、あの漱石でさえも読んだから、
あの日本の大文豪が読んだから、国民作家が読んだから、
って何の恥じらいもなく書けるやつはおそらく、ドストのドの字も理解できてないんだろうな。
というか理解できてないから権威引き合いに出すんだろうな。
死ぬまで漱石目線でドスト読んでりゃいいわ。漱石と心中してろ。脳無し。
929 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 00:43:01
漱石のレベルが高いのは認めるけど、
ドストエフスキーは明らかに漱石よりも上のレベルだよ。
漱石は「こころ」だけ読んだがぶっちゃけ何がいいのかカンペキに理解できなかった。
ごめん、話題を変えるけどさ
男ならカラマのコーリャとか地下室の主人公に赤面するような痛さを感じるよな?
文学にかぶれた奴なら絶対に心当たりがある痛さだろ
俺は何故だか読書中に回りをキョロキョロ見ちゃったよ
自分の部屋でベッドに寝転がって読んでいたのによ
でさ、女はドストを読んで登場人物にイタくなることがあるのかね?
カテリーナとグルーシェニカの絡みなんて凄まじいけど、あれって本当にリアルでしょ
それともああいうのも他人事として受け流せるのかな
なまじ美人として描写されているから、ザマミロみたいに思うんだろうか
ごめん、一瞬、話題を戻させて。
私も漱石の作品はほとんど読んだのだが
何がよいのか正直のところ理解することができていない。
恐らく存在するもののよさを理解することが
できていないからなのかもしれない。
明暗読んだけどあまりいいとは思わなかったと
大学の先生をしている友人に打ち明けたところ
「信じられない、あの素晴らしい作品を!」という反応だった。
分かる人には分かるその存在。その点はトルストイに共通するかもしれない。
漱石の国民的人気が絶えないのは存在を解する解しない如何を問わず
そこにディケンズ的ともいえる文学的面白さを見出すから...
そう書いていて、もしかしてそれが存在なのかと今ふと考えた。
>> 931
> 女はドストを読んで登場人物にイタくなることがあるのかね?
この前、電車乗ってて若い女の子が電車ん中でドスト読んでたよ。
新潮のブルーバックの表紙にドストの顔...あっ!、ドストだ。
よっぽど話かけようかと思ったけど怪しい人と思われるからやめた。
イタイね、オレ。
いたいけ
>>928 何でそんな怒るのか分からないけど、ただロシア文学が好きという
だけならば、漱石を読む必要なんて無いと思ってますよ。
でも日本文学の枠の中で、作家を志望するという人が、漱石という存在
は無視してはいけないでしょう。言文一致の現在の日本語文学の形が
あるのは、漱石によるところが大きいです。(もちろん翻訳文学において
もですが)
それと自分などはあなたが言うようなドストの「ド」も理解出来てない
「能無し」(日本語は正しく使いましょう)でもいいです。
それでもドスト氏が好きだし、理不尽に切り捨てるような人には憤りのような
ものを感じるのは事実です。
>>930 >>932 スレ違いな話ですが、自分も「こころ」の良さというものは分かっていません。
後期三部作では、その前の二作の方がはるかに良いと思っています。
「こころ」の評価の高さを考えると、自分が読み落としている点が多いのは間違い
ないようです。
一方の「明暗」は「行人」に書かれたようなエゴイズムが様々な形に類型化され、
さらには深化しているところもあり、大患以降の漱石文学の集大成にはふさわしい
作品なように思えます。
とはいえ、「明暗」は未完です。漱石文学(後期)の良さがより分かりやすくまと
まっているのは、「彼岸過ぎ迄」、「行人」のニ作かなと思います。上記のように
自分もそれらに続く、「こころ」の良さがよく分からないので。
イタ研さんと今度飲みにいきたいです。
だめですか?
若はげは誘わないの?
938 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 09:17:10
>>931 コーリャと地下室の男に赤面しまくった女です。
特に地下室は931さんの書いた通りの反応で、恥ずかしすぎて何度も本を閉じてました。
なんで自分の内面ばれてんの!もう無理!という。
恥ずかしくて他のひとに薦められないっす…orz
自意識過剰でプライド高いひとなら男女関係ないのかもしれません…
女として一番共感したのはカラマのリーズたんです。あんなに自由には動けないけど。
羨ましいし、かわいい。
もちろんカテリーナとグルーシェニカの行動も、あるあるあるあるwwwと笑った。でも、別に恥ずかしくはないかなぁ。ああいう行動になっちゃうのはごく自然というか。
ほんとにドストは女の子描くのうまいなーと舌を巻きますね。
>>931 自分は女だけど、リーズに過去の傷をえぐられてあばばばば
イワンに手紙破り捨てられるところとかもうね…
ベッドの上でジタバタしてしまった
>カテリーナとグルーシェニカの絡みなんて凄まじいけど、あれって本当にリアルでしょ
ガキの頃読んだから、そこらへんはよくわからなかった
また読みなおしてみようかなーとも思うけど
やっと二十歳なのでまだわからんかもしれん
940 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 10:46:51
なにこのきもちわるいねかまおやじ
二十歳の娘さんが悶絶しながらドスト読んでるなんて、想像するだけでも楽しいじゃないか
それがたとえ嘘だとしても楽しんだものが勝ちだぜ
942 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 11:29:17
931 939は明らかに同一
漱石は真面目
ドストエフスキーは不真面目
944 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 12:18:54
で?みたいな
つか漱石全然まじめじゃねーし
あほかよ
>>942 www
>>944 漱石は文学以外の仕事に対しては、真面目ではないですからね。
ドスト氏と同じで、文学以外の世界では生きられないタイプだと思います。
鴎外のような世渡りの才能はないようです。
>>936 自分なんかで良ければw
実存主義というものがどういったものなのか分かりません。
ドストエフスキーの罪と罰に実存主義が垣間見れると言いますが、
どういったところが実存主義なんでしょうか?
わからないことがあった時、人に尋ねて答えを求めるのは控えたほうがいい。
わからなかったことを疑問として胸にとどめ、心の抽斗に入れて忘れずに仕舞
って置く。どれだけの歳月を要するかは定かではないが自ずと分かる時がくる。
その瞬間こそ君にとっての本当の理解の時であり、ひとつの輝かしい知恵を
獲得した刹那になるであろう。
地下室の手記の方が実存主義的だろうね。
よくわからんけども、実存主義的にいって自己は自己自身にかかわる一つの関係であるといわれる。
だから自己は再帰的な関係なのだということになる。
この実存主義的な自己は絶え間ない自意識で積み重なり、
強調され強烈になりつつ肥大していく。
漱石の「思い出す事などより」 ドスト氏について書かれた数ページより一部抜粋
(漢字・送り仮名は一部、現代風に直しました)
(漱石自身の「修善寺の大患」と、ドスト氏の死刑判決からの恩赦を、死からの生還
という点で結びつけて、病床で色々に想像していたことが書かれています)
「同じくドストエフスキーもまた死の門口まで引きずられながら、辛うじて後戻りをする
事のできた幸福な人である。けれども彼の命を危めにかかった災は、余の場合に
於るが如き悪辣な病気ではなかった。彼は人の手に作り上げられた法と云う器械の
敵となって、どんと心臓を打ち貫かれようとしたのである」
(中略)
「回復期に向かった余は、病床の上に寝ながら、しばしばドストエフスキーのことを
考えた。ことに彼が死の宣告から蘇った最後の一幕を眼に浮かべた。
寒い空、新しい刑壇、刑壇の上に立つ彼の姿、シャツ一枚のまま震えている彼の姿。
ことごとく鮮やかな創造の鏡に映った。独り彼が死刑を免れたと自覚し得たとっさの
表情がどうしてもはっきり映らなかった。しかも余はただこのとっさの表情が見たい
ばかりに全ての画面を組み立てていたのである」
(
>>949の続き)
「「もし最後の一節を欠いたなら、余は決して正気ではいられなかったろう」と
彼自身が物語っている。気が狂うほどの緊張を幸いに受けずと済んだ余には、
彼の恐ろしさと嬉しさの程度を測りえぬと云う方がむしろ適当かも知れぬ。
それであればこそ、画竜点晴とも云うべき肝心の刹那の表情が、どう想像しても
漠ととして眼の前に描き出せないのだろう。運命のきんしょうを感ずる点に於いて、
ドストエフスキーと余とは、ほとんど詩と散文ほどの相違がある」
「それにも拘らず、余はしばしばドストエフスキーを想像してやまなかった。
そうして寒い空と新しい刑壇と、シャツ一枚で震えている彼の姿とを、
根気よく描き去り描き来たってやまなかった」
(中略)
「ドストエフスキーは自己の幸福に対して、生涯感謝を忘れぬ人であった」
漱石はトルストイの小説を読んで
「これくらいなら私にも書けそうだ」と言った位だから、
ドストエフスキーも自分より下だと思ってるんだろうな
「それから」を読んだけどクソ小説だと思った
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
|| ○重複スレには誘導リンクを貼って放置。ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
|| 与えないで下さい。 .Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
954 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 21:34:44
「カラマーゾフの兄弟」を読んだけどクソ小説だと思った
955 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 21:40:45
カラマゾフがクソなんじゃなくって君の脳みそがクソなんだよ馬鹿だなあ
「それから」の代助は個人的に、日本の小説の人物たちの中では、かなり好き
な方です。今で言うニートですよね。漱石は「高等遊民」と呼びますが。
もちろん、ドスト氏の人物たちの魅力と比べると、足元にも及ばないです。(個人的に)
同志グロスマンのスレッド総括マダー?
貧しき人々、ておもしろい?
俺この手のチョイ苦手。海外の詩とかでもこのノリ多いよね。
原文で読むと美しいのかもしれんけど。
でもやはり日本人のノリではなさげ。大袈裟すぎて萎える。
959 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 01:13:24
>>955 幼い精神の人ってドストエフスキーを好むらしいよw
960 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 03:21:50
小説はもともと女子供の読むもんだぞ
100年前の漫画
961 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 12:27:25
>>959 どうりで君もこのスレにいるわけだ
説得力あるね君w
962 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 12:29:40
963 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 13:55:20
カラマーゾフを読んだことのある全ての日本人にクソ小説だと思うか素晴らしい小説と思うかで分かれてもらえば集団の見た目を比べるだけでも随分違うと思うね
カラマーゾフ、悪霊、罪と罰、アンナ・カレーニナ、戦争と平和
このレベルの小説は日本人には書けないと思います。
趣向、趣味の違いもあるけど、レベルの差もあるかと。
もちろん、東洋趣味(漢文趣味、和文趣味)、東洋思想を巧みに
小説中に取り込んだ日本文学はドスト氏にもトルストイにも書けない
けれど、レベルの違いは間違いなくあると思うんですよね。
ドスト氏やトルストイは本当に生きた人間を書けてしまうし、パラレルな世界の
想像も出来てしまう。こういうポイントは、日本文学が苦手とするところです。
965 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 14:36:56
>>964 もう少し具体的に書け馬鹿。
なんでトルストイとドストが同じ枠なんだよ。
お前みたいな衒学以外のなんでもないやつがなんで偉そうに上から語ってんだよ。
この手の煙巻き君が文学を語りきってるのってなんなの?
趣向、趣味の違いを、最後はレベルでかたづけるって・・・。
ついでにそんなに語れんなら、上のやつ
>>946に答えてやれ。
ところでそのコテハンなんなの?イタリア研究会?恥ずかしくない?
イタ研さんへのルサンチマンらしき理由から、終いには ad hominem という
低レベルな攻撃をしかける
>>965 さんに横槍を刺すようで悪いのですが、
"あの" 三回戦の「スタブローギン」さん(なんのことかわかりますよね?)は
本当にイタ研さんなんですか? 一応確かめておきたいので。。。
967 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 17:04:49
漱石の「こころ」と明暗の心理描写は
ドストエフスキーより上
>>965 以前、トルストイは漱石より上と単純には言い切れないと、トルストイ>漱石と
主張する人たちに言っていたものです。(トルストイスレにて)
しかしやはり認めなくてはならない差があるな、と考えるに至った次第です。
ドスト氏とトルストイの差異などは、それこそ書ききれないほどありましょうが、
このスレでそれをやっても仕方ないでしょう。
>>966 恥ずかしながらその通りです
本当に痛いなあ、と自分でも思いながら見ました。極度の緊張状態にあった
と言い訳しておきますw
969 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 18:17:45
>>968 トルとドスではどちらが上だと思ってるの?
あなたの意見としてはどう?
それは難しいです。トルストイの底無しの才能には圧倒されますが、
生涯を通じてより自己の文学の完成に近付けたのは、間違いなくドスト氏の
方です。
トルストイは晩年に近づくにつれて、フェードアウトしているのに対して、
ドスト氏は死の間際までカラマーゾフの兄弟を書いていた。この違いも
大きいかと思います。
個人的にはドスト氏の方が好きなのですが、才能ならトルストイ、
作家人生を通じての達成ならドストエフスキーかと思います。
もっとも、ドスト氏にはトルストイにはない種の才能があるので、
才能ならトルストイ、というのは一概に言えないことだと思います。
極めて総論的な回答ですみません。
971 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 20:10:26
>>970 ドスは60歳で死んだ。
トルストイはもっと長生きしてる。
だから死の間際って話は関係ない。
あんたはトルストイの最も才能が発揮された作品はどれだと思う?
972 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 20:43:15
全ての物事にレベルをつけるのはナンセンスだと思いますよ