原書で読まずにしたり顔で語る御仁

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1吾輩は名無しである:2007/12/30(日) 06:34:03
( ´,_ゝ`)プッ
2吾輩は名無しである:2007/12/30(日) 07:36:10
20世紀最大の蛮行 ホローコーストと南京大虐殺
3吾輩は名無しである:2007/12/30(日) 14:35:04
「年末厨」って存在するんだな...
4吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 17:56:33
誤訳大王守中高明涙目wwwww
5吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 18:33:21
フランス文学好きに多いな
6吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 18:55:36
吉本隆明のことか
7吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 20:02:14
日本の古典もね
8吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 20:05:34
衒学的
9吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 23:03:59
丸谷才一でも英文学・日本古典以外ならそうだしな...
10吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 23:14:25
まあ小説は筋や心理描写とかそういうのを楽しむんだから「翻訳はダメ」はリゴリズムに過ぎると思う。
詩歌の翻訳はもうそれ自体が別作品としか思うしかないけど...
11( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/01/01(火) 16:36:46
おやおや、ゴージャスさん、賀正です(笑)原書で読もうが貴方はあまり関係ないでしょう(笑)
「まあ小説は筋や心理描写とかそういうのを楽しむ」小説ならば、何語で読もうが変わりはありませんよ(笑)
ただ貴方が小説を読めない人であるということを証明するだけですからネェ(笑)
12吾輩は名無しである:2008/01/01(火) 17:39:46
翻訳すら読まずに偉そうにしてる御仁もいるがな。
13吾輩は名無しである:2008/01/01(火) 22:39:44
もちろん、ある程度は原書の文体には忠実じゃないと困るけど。
川本三郎訳のカポーティがカポーティ特有の「躍動感」を再現するために
あえて関係詞節をぶったぎったりとか。
それで直訳丸出しの龍口よりもずっとカポーティらしいから不思議なもんだ。



まあ春樹訳ティファニーの登場で龍口訳が過去の遺物になるのは時間の問題だが...
14吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 01:23:58
つか、春樹訳ってそんなにいいか?
どちらかといえばよくないほうだとおもうが??
15吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 15:53:01
なんでも春樹節になるのが難点といえば難点だけど
そんなことを言えば吉田健一や丸谷才一もそうだ。
結局一種の「有名税」なんだと思う。
16吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 15:57:33
小説家を「ストーリーテラータイプ」と「空気が描けるタイプ」分類すると、
(前者の代表が谷崎で後者の代表が荷風)前者は翻訳しやすいけど後者はしにくいってのはありそうだな。
実際、オースティン(もちろん前者)なんて(研究者レベルじゃなければ)翻訳で十分じゃないか?
1716:2008/01/02(水) 16:03:46
もちろん、「誤訳は無い」という前提付きだけど。
阿部知二訳は問題外。
18吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 16:09:45
小林秀雄のドスト論か
1916:2008/01/03(木) 11:57:22
「空気」タイプの翻訳でもコレット『シェリ』の工藤庸子訳はかなり成功してるけど、
それでも原書に比べると空気が一割か二割くらい希薄になってるのは否めないな...
(凡庸な訳者なら半減するわけだけど)。
たぶん、荷風の英訳や仏訳もそんな感じだと思う。
20吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 19:55:16
つーか、原文で読んだ場合、
ゆーなれば、読んだ本人がその本における自分レベルの翻訳者になってるわけで・・・
翻訳者(俺様)とプロの翻訳者を比較して、自分の訳に軍配を上げたがる気持ちは、ある意味わかる。
客観的な自信がなくても主観こそを大切にしたい思う人が世の中には多いってことだなw
21( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/01/03(木) 19:59:03
ゴージャスさんはコレットとカポーテぐらいしか引き出しがないんですよねぇ(笑)だから散々笑い者にされる訳です(笑)
22吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 21:36:46
プロには到底及ばない拙い俺様翻訳で原書を読んでも、原書を読んだという達成感か
語学上のお勉強程度の意義しか見出せないと思う。
信頼できる訳者の日本語を精読した方がずっとマシだわな。
23吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 23:00:19
原書よりも翻訳のほうが作品として優れてるって場合も考え得るわけで、
そこらへんも語らないとフェアじゃないよね。
24吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 23:34:25
コリン・ウィルソンのことかね。
たしかインド哲学に影響受けてるからな。
25吾輩は名無しである:2008/01/15(火) 03:49:55
語りえぬものについては沈黙しなければならない
26吾輩は名無しである:2008/01/15(火) 09:50:26
英・独・仏語がほとんど問題なく読めるようになったとしても、
「カラマーゾフ」も「百年の孤独」も「薔薇の名前」も「私の名は赤」も
何らかの翻訳で読まなければならない。翻訳を介さないと読まれないのは
文学の宿命。原書が読めるという事と作品が読めているという事は別の事。
27吾輩は名無しである:2008/01/15(火) 10:54:00
ジョイスやルイス・キャロルに関しては言えるかもな。
ネイティブうらやましす。
28吾輩は名無しである:2008/01/15(火) 11:23:24
必死な書き込みが多いね。
宿命とか書くのも相当恥ずかしいことだけど、
作品が読めないとか小説が読めてないとかw
29吾輩は名無しである:2008/02/01(金) 17:24:24
国独特の言い回しの感覚があるから、
原書で理解するのは実際に海外生活経験がいると思う。
感覚もないのに、原文読んだってね…。
30( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/02/01(金) 17:46:05
>>29
おやおや(笑)谷崎も芥川も西洋に行った事は一度も無いんですけどねぇ(笑)それであるのに原文を読みこなし翻訳もしておりますが(笑)
31吾輩は名無しである
原書で読んでも文化・風習・歴史・風俗とか
文章のもつリズムそのものとかその国の人じゃないと厳密には理解できないからね。
まあ原書で読んだ上に,その言語で普段からもの考えていて,
その地域に最低20年ほど生活していないかぎり
その国の文学を厳密に語るのは不可能だよ。
外国人の日本文学関係の本とかヒドイもんww