☆★☆★ドストエフスキー☆★☆★Part19

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960吾輩は名無しである
それ書いたの、自分だけど…>>955
「作家の日記」に、ずばり彼の戦争観を記した部分があるよ。

「一方、心広やかな目的のために、抑圧された人びとを解放するために、無私無欲の聖なる
理念のためになされた戦争――かかる戦争は、積もり積もった毒に汚染された空気を浄め、
魂を癒し、恥ずべき小心と怠惰を駆逐し、確固たる目的を宣明・樹立し、特定の国民が実現する
使命を帯びている理念を提示し、かつその理念を明らかにするのである。
かかる戦争は自己犠牲の意識で各人の心を強固にし、国民を形成している万人の相互的連帯と
団結の意識をもって国民の精神を強固にする。肝要なことは、これが義務を遂行したという意識、
完全にいい事をしたのだという意識によるものだ、ということである。」
(「作家の日記」1877年4月号)

かなり過激な右派思想に思えるけど、これは1877〜78年の露土戦争の真っ只中で書かれたもの。
当時、ロシア中が愛国主義的な熱狂に包まれていて、「トルコの圧制からスラブの同胞を解放するため
の聖なる戦争」を讃えていたし、聖都コンスタンチノープル奪回という宗教的熱情に燃えてもいた。
ドストエフスキーもまさにその一人で、彼は「大義」ある戦争を信じていた。ある意味、純な人なんだよ。

そのため、「アンナカレーニナ」の終章で露土戦争の意義に疑問の声を上げたトルストイの非暴力思想は
ドストにとっては理解しがたいものに映って、反発心と同時に非常な関心をそそられたんだと思う。