ドナルド・キーンって日本語話せないの?

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9吾輩は名無しである:2007/11/04(日) 02:30:15
WWUでは日本語担当の語学兵やってたんじゃないの?
10瀬戸内”ランペイジ”ジャクソン:2007/11/04(日) 02:34:06
兵隊っていうよりは日本兵捕虜の通訳や手紙の翻訳をやってたじゃないの?
それにしても同僚のサイデンさんの日本語の方が聞き安いわね。ウフフ。
11吾輩は名無しである:2007/11/04(日) 04:09:18
エドワードサイデンステッカー?さんだっけ
あの人は文春の取材で、日本が本当に好きでもうアメリカには帰る気がない
むしろアメリカに行くと日本が恋しくなるほどで、日本で骨を埋めたいみたいに言ってたけど
ドナルドキーンは「私の20世紀クロニクル」なんか読むとちょっと違うみたいね。
日本の古典にしても欧米の音楽に比べるとそれほど良いと思わないとか
ごはんに味噌汁を毎日食べたいと思わない、コーヒーとクロワッサンが良いとか
あくまで心は母国のアメリカにある感じ
12吾輩は名無しである:2007/11/04(日) 04:13:52
日本語訳:誰々
って書いてないことも多いよね。
あれはどうなってるんだ。
おれはそれしか読んだことなかったからてっきり日本語書けるんだと思ってたよ。
13吾輩は名無しである:2007/11/04(日) 04:21:19
待てバカ。オマエ一般書籍板に同じスレ立ててるじゃん。マルチスレかよ。
削除依頼自分で出しとけよ。
既視感かと思ったぜ。
14吾輩は名無しである:2007/11/04(日) 04:22:12
一般書籍板

ドナルド・キーンって日本語話せないの?
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1194100916/l50
15吾輩は名無しである:2007/11/11(日) 21:18:46
谷崎潤一郎や川端康成や三島由紀夫と深い親交があったから
近代日本文学の生き字引だよね
16吾輩は名無しである:2007/11/11(日) 21:20:08
ガチホモだよね。三島とヤリまくってたんだろ。
17吾輩は名無しである:2007/11/11(日) 22:12:32
日本語話せるし、書くのも一応書けるけど、どうしても変な日本語になってしまうから
プロに訳してもらうって人も多いね。学者でもそう。
日本語って外国人からすると、しゃべるのより書くほうがずっと難しいらしい。
18吾輩は名無しである:2007/11/12(月) 00:05:58
この人とサイデンは、日本の大学ではアメリカで認められてるから
すごいんだろうと思われて、アメリカの大学では、日本で認められ
てるからすごいんだと思われてる人ってリービが言ってた。
19吾輩は名無しである:2007/11/23(金) 10:05:29
英文で執筆するには理由がある。
まず第一に、日本語で執筆しても読者層が大幅に限定される。世界中の日本文学研究者
にだけ読んでもらいたいのなら日本語で執筆するという選択肢もあるだろうが、ドイツ
文学やフランス文学を研究するポーランド人やグァテマラ人にも読んでもらうためには
英文で執筆する以外にはない。
第二に、日本語やフランス語は母語話者が「文法や語彙の正確さ」に極めてうるさく、
外国人がやや不自然な文章を書けば必ず母語話者からクレームが来る。だったら最初から
英文で書いた方が余計なトラブルを避けられる。
20名無し募集中。。。:2007/11/23(金) 12:24:22
>>15
「思い出の作家たち」はインタレスティングな本だったよ
21吾輩は名無しである:2007/11/24(土) 01:39:21
>>19
なるほどね
22吾輩は名無しである:2007/11/24(土) 02:10:37
この人、日本語話せるよ。
日本に数十年もいながら、日本語の上手な外国人レベルだったけど。
23吾輩は名無しである:2007/11/24(土) 02:26:38
アグネス・チャンみたいなもんか
24吾輩は名無しである:2007/11/24(土) 03:12:27
デーブスペクターだって、完璧に日本語ペラペラだけど
いつまでも英語訛りだもんなぁ・・・
25吾輩は名無しである:2007/11/24(土) 11:37:03
デーブはわざとやってるんじゃないか
26吾輩は名無しである:2007/11/24(土) 14:42:31
アグネスはわざとらしい。
27吾輩は名無しである:2007/11/24(土) 22:17:08
>>24
>>25
デープは本当は・・・ふっふっふっw
28吾輩は名無しである:2007/12/01(土) 23:39:52
こないだ見たケド普通に日本語しゃべってたぉ
29吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 15:26:26
キーンの話す日本語が、あまりに不自然なのは、事実だと思う。
しかし、そもそも読むと書くとは、違う修練が要るんだろう。
漱石が読める国語の先生が、必ずしも漱石の様な文章が書けないのと一緒。
芭蕉を熟読している学者が、誰も彼も芭蕉の様な俳句が詠めないのと同じ。
講演など聞いてると、この人はもっぱら読解に重きを置いてきた人みたいだよ。
日本語を学習するのに、話す書くを重点的に学んできたビジネスマンに、
その点で劣っているのは、ごく自然なことだと思う。
その代わり、キーン氏ほど、源氏や近松が読めるビジネスマンはそんなにいないだろう。
両者の重点を置いている所が違うだけ。
30吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 20:41:17
ユセフ・トルコのほうがうまい
31瀬戸内”ランペイジ”ジャクソン:2007/12/21(金) 00:10:49
>>29
変な抑揚で話すから長時間聴くのはつらいわね。
いくら話すほうに興味がないっていってもあれはひどいわね。
サイデンさんは聞きやすい日本語なのにね。
32吾輩は名無しである:2008/01/09(水) 22:51:36
33吾輩は名無しである:2008/01/09(水) 22:53:38
34吾輩は名無しである:2008/02/11(月) 21:50:30
アメリカではサガンより三島さんの方がよく知られています。もしも私たちが「金閣寺」とか「宴のあと」を訳さないで「美徳のよろめき」を訳したとすれば、あるいは「悲しみよこんにちは」よりもよく売れたかもしれない。

ドナルド・キーン
35吾輩は名無しである:2008/03/03(月) 12:36:23
あの時(ノーベル賞を)受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかもしれない。
すなわち、国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会のある委員に宛てた手紙で大絶賛したのである。こういった筋からの推薦は小さくない影響力を持っていた。
また1967年のこと、出版社の国際的な集会がチェニスで開かれ、私はその集いが授与する文学賞、フォルメントール賞を三島にと試みたが失敗に終わった。
この時、スウェーデンから参加した有力出版社ボニエールの重役が私を慰め、三島はずっと重要な賞をまもなく受けるだろう、と言ったのだ。ノーベル賞以外にはあり得なかった。

ドナルド・キーン
36吾輩は名無しである:2008/03/05(水) 09:42:06
>>31
同意。とある学会で講演聴いたことあるけど、発音が不明瞭でむちゃくちゃ聞きにくくて疲れた。
講演のテーマは「曾根崎心中」だったんだけど、話している内容はむちゃくちゃ面白かった。
それと、当たり前だけど英語は流暢だったw
37吾輩は名無しである:2008/04/20(日) 12:35:43
あの時(ノーベル賞を)受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかもしれない。
すなわち、国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会のある委員に宛てた手紙で大絶賛したのである。こういった筋からの推薦は小さくない影響力を持っていた。
また1967年のこと、出版社の国際的な集会がチェニスで開かれ、私はその集いが授与する文学賞、フォルメントール賞を三島にと試みたが失敗に終わった。
この時、スウェーデンから参加した有力出版社ボニエールの重役が私を慰め、三島はずっと重要な賞をまもなく受けるだろう、と言ったのだ。ノーベル賞以外にはあり得なかった。

ドナルド・キーン
38吾輩は名無しである:2008/04/25(金) 16:41:38
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。
…中略…
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。

ドナルド・キーン
39吾輩は名無しである:2008/05/19(月) 16:52:37
交戦中に殺された男の最後の記録を読んではじめて、戦争というものが本当にどんなものかわかりはじめた。
…日本軍の兵士たちの耐えた困苦のほどは圧倒的な感動をよびおこした。
それに引きかえ、週に一度検閲しなければならないアメリカ軍の兵士たちの手紙には、何の理想もなく、またたしかに何の苦しみもなく、ただただもとの生活に戻りたいということだけが書かれていた。
戦争中ずっとこの対照が私の心につきまとってはなれなかった。

ドナルド・キーン
「日本との出会い」より
40吾輩は名無しである:2008/05/19(月) 16:53:40
そうです。ぼくは、非常に近い距離からアメリカの軍隊を見ていました。
しかし、理想をいだいて戦っているような米兵には、ただの一度もお目にかかったことがありませんでした。それは確実に言えることです。
「もっといい世界のために、自分は戦死してもいい」などという文句は、アメリカの兵士の手紙の中には、こんりんざいなかったのですから。
日本の兵士は、家族に送る手紙の中ででも、「滅私奉公」とか「悠久の大義」などという言葉を使っていました。
ぼくは、日本の軍国主義者の理想を受け入れることは絶対にできなかったが、このような手紙を書き、日記をつけた個々の日本兵士には、敬意をいだかずにはいられませんでした。
結局、日本人こそ勝利に値するのではないかと信ずるにいたった。

ドナルド・キーン
41吾輩は名無しである:2008/05/20(火) 22:34:02
三島の天皇崇拝は、彼の存命中ずっと在位していた天皇、裕仁に向けられたものではない。
短編「英霊の声」では、二・二六事件の首謀者と昭和二十年の神風特攻隊員の霊が、自分は神ではないと宣言して彼らを裏切った天皇を激しく責める。
天皇の名の下に死んだ者たちは、天皇が普通の人間と同じ弱さを持った人間であることを知っていたが、天皇という資格(キャパシティ)にあって、天皇は神であると確信していた。
もし、天皇が二・二六事件に関わった青年将校を支持し、なかんずく、彼らに自裁を命じたのだとしたら、その行為は、老いて堕落した政治家に囲まれた単なる統治者ではなく、神としてのふるまいだったであろうに。
しかし、神風特攻隊員が天皇を叫びつつ喜びに満たされて死んだ、それからわずか一年も経たずに、自分は神ではないと宣言した時、天皇は彼らの犠牲を哀れで無意味なものにしたのだ。

ドナルド・キーン
42吾輩は名無しである:2008/05/20(火) 22:35:04
三島は、天皇無謬説を唱えたことがある。無論これは天皇の人間としての能力をさした説ではない。
より正確に言えば、天皇は神の資格において、人間の姿をした日本の伝統そのものなのであり、日本民族の経験が保管された唯一無二の宝庫である。
天皇を守ることは、三島にとって、日本そのものを守ることだった。このような政治観を日本の右翼と同一視するのは誤りであろう。
彼は確信していた。日本の景観を無慈悲に切り刻んで顧みない貪欲と、それが舶来だからというだけで事物や習慣を表面的に受用する西洋化、この二重の脅威から日本文化の崩壊を救えるのは若者の純粋さ、すなわち信念のためには死を辞さぬ若者の覚悟だけだと。

ドナルド・キーン
43吾輩は名無しである:2008/07/11(金) 12:48:44
age
44吾輩は名無しである:2008/07/11(金) 20:44:00
45吾輩は名無しである:2008/07/15(火) 17:12:30
昔「名前ほどには鋭くない」と叩かれていたな。
46吾輩は名無しである:2008/07/17(木) 22:32:44
ドナルド・キーン 日本文学研究家 

 ・神道によりますと、人間が生きているこの世界は、いちばんいいところです。死んでからは、黄泉という穢らしい汚れの多いところへ全ての人は行く。
仏教では、この世の中は娑婆であって、穢れのおおいところである、死んでから清い浄土へ行く。儒教のほうは、この世の中以外に世の中はない。
三つともまったく矛盾しあっているんです。日本人はその三つの宗教を同時に信じられるので、たいしたものだと思います。
47吾輩は名無しである:2008/07/17(木) 23:10:34
しもふりで良くキーンさんを見かける…。
背小さいのな、あの人。
48吾輩は名無しである:2008/07/17(木) 23:14:50
らんらんるー
49吾輩は名無しである:2008/07/20(日) 05:09:43
ODA MAKOTOの英訳がキーンさんでてた
50吾輩は名無しである:2008/07/27(日) 19:03:19
おもうにドナルド・キーンも日本語が下手というのであれば、リービ英雄も意外と話し言葉下手なんですよね。
あの端正な文章を書く人がですよ。
意外な気がしました。
51吾輩は名無しである:2008/08/04(月) 16:02:40
キーンはフランス語と中国語も話せるらしいね。
52吾輩は名無しである:2008/08/04(月) 16:03:36
しかしある年、いつもの贈物を渡したいと思って彼に電話すると、大江は何となく会う日取りを決めるのが気が進まないようだった。
その年、私たちは一度も会わなかった。もちろん私は理解できなかったし、悲しかった。
何か彼を困らせるようなことをしただろうかと考えてみたが、思いつかたかった。
…大江を知っている友人たちに、彼の態度が変わった理由として思い当たることがないか尋ねてみた。
…別の一人によれば、大江は私が彼の本を翻訳しなかったので怒っているというのだった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
53吾輩は名無しである:2008/10/02(木) 11:47:15
彼(川端康成)は、確かにこの受賞(ノーベル文学賞)に値した。
それでも今もって私は、どういうわけでスウェーデン・アカデミーが三島でなく川端に賞を与えたのか不思議でしようがない。
1970年5月、私はコペンハーゲンの友人の家に夕食に招待された。同席した客の一人は、私が1957年の国際ペンクラブ大会の時に東京で会った人物だった。
日本で数週間を過ごしたお陰で、どうやら彼は日本文学の権威として名声を得たようだった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
54吾輩は名無しである:2008/10/02(木) 11:48:02
ノーベル賞委員会は、選考の際に彼の意見を求めた。その時のことを思い出して、居合わせた客たちに彼はこう言ったのだった。「私が、川端に賞を取らせたのだ」と。
この人物は政治的に極めて保守的な見解の持主で、三島は比較的若いため過激派に違いないと判断した。
そこで彼は三島の受賞に強く反対し、川端を強く推した結果、委員会を承服させたというのだ。
本当に、そんなことがあったのだろうか。三島が左翼の過激派と思われたせいで賞を逸したなんて、あまりにも馬鹿げている。
私は、そのことを三島に話さずにはいられなかった。三島は、笑わなかった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
55吾輩は名無しである:2008/10/02(木) 11:49:07
東京に着いたのは1月24日の三島の葬式の直前で、私は弔辞を述べることを引き受けた。ところが、私の親しい友人三人は葬式に出席してはいけないと言う。
私が弔辞を述べることで、三島の右翼思想を擁護しているように取られてはまずいと言うのだった。
最終的に彼らの説得に応じたが、それ以来私は、自分がもっと勇気を示さなかったことを何度も後悔した。
私は三島夫人を訪問した。三島の写真がある祭壇に、私は彼に捧げた自分の翻訳『仮名手本忠臣蔵』を置いた。
その本には、下田で会った時に三島自身がこの浄瑠璃から選んだ次の一節が題辞として揚げられていた。

国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るるに
たとへば星の昼見へず、夜は乱れて顕はるる

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
56吾輩は名無しである:2008/11/02(日) 04:29:42
57吾輩は名無しである:2008/12/14(日) 16:11:35
ずーっとアゲて「『私と20世紀のクロニクル』より」ってやってる人
キーン さん本人ならいいのに。著作の多くは、訳者誰それって名前だけ
の借り物で本当はキーンさん自身の日本語なのでは?
58吾輩は名無しである
>>50
リービは母国語でも話し下手だと思う
柄谷がそうであるように
柄谷の英語とリービの日本語なら
比べものにならないぐらいにリービの方が上ではあるけど