1 :
吾輩は名無しである:
リチャード・ドーキンス「遺伝子の川」
DNAはただ存在するのみであり、われわれはそれが奏でる音楽に合わせて踊っているのである。
小笠原慧「DZ」
幾ら大脳皮質が分厚くなろうと、理性のコントロールは所詮上っ面なものに過ぎず、億年も
前から営々と続く視床下部ホルモンの支配は、もっと強烈で、一旦スイッチが入ってしまえば、
抗いようがないと思い知らされる。
三浦綾子「塩狩峠」
ぼくは性欲に関する限り、決して一生自由人となることができないような気がする。
幾度か、性的なあやまちを犯しそうな不安すら感ずる。君、どうか、ぼくを笑わないでくれ。
そして、ぼくにこのことから自由になる道を教えてくれないだろうか。
野矢茂樹「哲学の謎」
われわれもまた枯葉と同様に自然法則に従うしかないというのであれば、われわれの動きは
自然法則に縛られている。しかし、もし自然法則に従った動きしかできないというのであれば、
「自由な行為」ということも私には虚しく思える。それはけっきょくのところ操り人形の見た
幻影にすぎないのではないか。
乙一「フィルムの中の少女」
自分の決断だと思っていたものは、実は自分のものではなかった……。
ドストエフスキー「地下室の手記」
この世界には自然法則なるものが厳存しているから、人間が何をしてみたところで、それは
けっして人間の恣欲にもとづいてなされるのではなく、自然法則によっておのずとそうなる
だけだ、とも悟らされるというのである。したがって、この自然法則さえ発見できれば、
人間はもう自分の行為に責任をもつ必要がないわけであり、生きていくのもずっと楽になる
道理である。
2 :
吾輩は名無しである:2007/09/23(日) 14:32:53
田口ランディ「アンテナ」
「ああみっともない。情けないわね。哲学ですって、ん、オナニーばっかりしてる変態男が哲学ですって。
情けない。肛門を舐められて勃起するような変態が、哲学だって」
浅田彰「構造と力」
文化の秩序は、言語によって、言語を通じて、言語として、構成される。このような形で文化の秩序を
とらえるとき、それを象徴秩序と呼ぼう。
斎藤環「生き延びるためのラカン」
そりゃ確かに、精神分析そのものには、もう昔ほどの有効性はないかもしれない。でも、だからといって、
なにもかも失敗だったと片づけるにはあまりにも惜しい人類の知恵だ。
岸田秀「ものぐさ精神分析」
いずれにせよ、人間集団は不安定である。集団は無限に拡大しつづけることはできないし、それを支える
共同幻想は各人の私的幻想を完全に吸収することは決してできない。各人に分有された共同幻想は超自我
および自我となり、共同化されずに残った私的幻想はエスを構成する。このエスが、共同幻想にもとづく
集団の統一性を内部から危くする重大な要因となる。
精神病者は、その私的幻想のほとんどを共同化し得なかった者である。彼は、自分の住む社会の共同幻想を
いったんは外面的に受け容れるかもしれないが、それは彼自身の私的幻想と何の内面的つながりのないもの
であり、彼はそこに彼自身の私的幻想の共同化を見ることができない。また彼は、彼と同じくその私的幻想を
社会の共同幻想に共同化し得なかった人たちと組んで別の共同幻想をつくるということもできない
(それができれば、彼は、成功するにせよ失敗するにせよ、革命家となるであろう)。
3 :
吾輩は名無しである:2007/09/23(日) 14:44:38
竹田青嗣「哲学ってなんだ」
“自分で考えること”は、そう簡単ではない。なぜなら、人はさまざまな事柄について自分で考えている
つもりでも、たいていの場合、すでに世の中に存在している既成の意見や見解から自分の感度に合った
ものを選んで、それを自分の考えとして持つからである。これはどういうことかと言うと、つまり、
すでに存在する意見の共同体の中に自分を投げ入れるということなのだ。
リチャード・ドーキンス「遺伝子の川」
人間の文化は純粋に新しい複製爆弾を育ててきたのであり、それは文化の川の中で増殖したり自然淘汰
される新種の自己複製する存在―『利己的な遺伝子』のなかで、私はそれをミームと名づけた―が
つまっている。いまや、脳/文化という条件を先に設定して離陸できるようになった遺伝子爆弾と
並行して、ミーム爆弾が離陸しようとしているのかもしれない。
4 :
吾輩は名無しである:2007/09/23(日) 15:05:30
田口ランディ「オクターヴ」
私が思うほど他人は私に関心などないのだ。
ドストエフスキー「地下室の手記」
ぼくには何のかかわりもないことなのさ、きみがあそこで身を滅ぼそうが、滅ぼすまいが。
サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」
「そいつはおまえ次第さ。おまえが自分の生涯をどうしようと、おれの知ったこっちゃないからな」
乙一「傷―KIZ/KIDS―」
だれも近寄る人間はいなかった。早く死ねばいいのに、と、だれもが口にした。
村上春樹「氷男」
私は孤独だった。町を一歩外に出ると、そこにはもう氷しかなかった。木もなければ、花もなく、
川も池も何もなかった。どこに行っても、そこにあるのは氷だけだった。見渡す限りどこまでも
どこまでも氷の荒野が続いていた。
5 :
吾輩は名無しである:2007/09/23(日) 15:19:21
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
おのれの怒りの炎で永遠に身を焼き、死と虚無とを渇望しつづけるだろう。
太宰治「人間失格」
死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ、などと思いつめても、やっぱり、
アパートと薬屋の間を半狂乱の姿で往復しているばかりなのでした。
岸田秀「ものぐさ精神分析」
エスには、自我に対して愛や憎しみを表明するいかなる手段もない。エスは自らの望みを言うことが
できない。エスは統一した意志をもっていないのである。エスの中ではエロスと死の欲動が闘っている。
一方の欲動が他の欲動に対してどのような手段で防衛するかは、すでに明らかにした。エスは無口で
強力な死の欲動の支配下にあり、死の欲動は休息を望みつつ、快感原則の指示に従って平和を乱す
エロスを終息させようと望むと考えることができる。
6 :
吾輩は名無しである:2007/09/23(日) 15:31:43
村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
「でも愛というものがなければ、世界は存在しないのと同じよ」と太った娘は言った。
「愛がなければ、そんな世界は窓の外をとおりすぎていく風と同じよ。手に触れることもできなければ、
匂いをかぐこともできないのよ」
村上春樹「1973年のピンボール」
霊園は墓地というよりは、まるで見捨てられた町のように見える。
田口ランディ「モザイク」
「見よ、この俺の荒涼たる世界を。灰色だ。色がない。何もない」
谷川流「涼宮ハルヒの憂鬱」
世界が灰色に染まっていた。
月も星も雲さえない、壁のような灰色空。
世界が静寂と薄闇に支配されていた。
乙一「失はれる物語」
自分にあるのは光の差さない深海よりも深い闇と、耳鳴りすら存在しない絶対の静寂だった。
その世界で彼女が腕の上に広げていく刺激のリズムは、独房に唯一ある窓のようなものだった。
7 :
吾輩は名無しである:2007/09/23(日) 19:54:24
森博嗣「すべてがFになる」
「他人の干渉を受けたい人だっているわ」萌絵は小さな口を少し曲げる。片方に笑窪ができた。
「そう、ほとんどの人は何故だか知らないけど、他人の干渉を受けたがっている。でも、それは、
突き詰めれば、自分の満足のためなんだ。他人から誉められないと満足できない人って多いだろう?
でもね…、そういった他人の干渉だって、作り出すことができる。つまり、自分にとって都合の
良い干渉とでもいうのかな…、都合の良い他人だけを仮想的に作り出してしまう。子供たちが夢中に
なっているゲームがそうじゃないか…、自分と戦って負けてくれる都合の良い他人が必要なんだ。
でも、都合の良い、ということは単純だということで、単純なものほど、簡単にプログラムできるんだよ」
浅田彰「逃走論 スキゾキッズの冒険」
いつどこにでも待機していて、どんな問いにも打てば響くようにこたえてくれるメディアは、あの喪われた
半身たる母の理想的な代補であり、それと対をなした子どもたちは、電子の子宮とも言うべき閉域の中に
とじこもることができるのだ。言いかえれば、メディアは意地悪く身をかわし続けたりはしない親切な鏡で
あって、テクノ・ナルシシズム・エージのひよわなナルシスたちは、それを相手に幸福な鏡像段階を
生き続けるのである。幸福な、つまりは、外へ出るための葛藤の契機を奪われた、ということだ。
こうしたエレクトロニック・マザー・シンドロームこそ、ソフトな管理社会をめざす権力にとって絶好の
手がかりであり、ひるがえってみれば、スキゾ・カルチャーへ向かう道に仕掛けられた最大の罠である
と言えるだろう。
小此木啓吾「自己愛人間」
自己愛は心の世界の中であらゆる面にネットワークを伸ばしていて、自分の中だけではなく、外の社会に
対しても人間に対しても、あるいは動物に対しても広がっています。この自我感情の拡大を
ナルシスティック・エクステンション(自己愛の延長物)といいます。
ん。結構楽しめます。
がんばれ!
9 :
吾輩は名無しである:2007/09/24(月) 16:28:19
このスレ相当病んでるなw
10 :
吾輩は名無しである:2007/09/25(火) 04:42:20
アーネスト・ヘミングウェイ「老人と海」
この男に関するかぎり、なにもかも古かった。ただ目だけがちがう。
それは海と同じ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた。
夏目漱石「硝子戸の中」
私がこんな人に出会ったのは生れて始めてである。
11 :
吾輩は名無しである:2007/09/25(火) 09:19:54
トマス・マン「トニオ・クレーゲル」
連中は、教師たちをおかしがりもしないし、私をこしらえたりなんぞせず、誰もが考え、
誰もが大きな声で口に出せるようなことだけしか考えないのだ。あの手合いは自分らを
まともだと思い、人とも世とも和合していると思っているに違いないのだ。さぞかし具合のいいことだろう。
ポール・ヴァレリー「テスト氏」
誰それは美しいとか、並外れているとかいうのも、みんな他人にとっての話だ。連中は他人に喰われている!
崇高なるものが連中を単純化している。断言してもいい、連中の考えるところは、揃って、次第に同じ
ことがらの方へと向っていくのだ。やがては危機だか共通の限界だかを前に、ずらりと等しなみに並ぶことになるのさ。
12 :
吾輩は名無しである:2007/09/25(火) 12:25:27
いかにも自意識過剰なねら〜が選んだものって感じ。
13 :
無名草子さん:2007/09/25(火) 21:09:17
乙一「BLUE」
「ブルーは中身まで汚れてる!ぼくの『はら綿』は絶対に白なんだ、自分で見たことはないけど、
絶対に綺麗な白色なんだ!」
王子はそう言って、白馬といっしょに「穴あき、穴あき」とからかって喜んだ。
「なあ、やめないか」
騎士がめずらしく言葉をはさむことで、ようやく二人は静かになった。
「ねえ、ウェンディはいつごろわたしを迎えにきてくれるのかしら?もうテッドといっしょにいるのはつらいよ」
「ブルーごめんね、きっと迎えにきてはくれないわ」
王女が答える。
「えー!どうして?」
「だっておれらとブルーって違うじゃん!」
白馬が愉快そうに笑った。それでもブルーは望みを捨てることができず、動き回る王子たちに
気付かないでやすらかに寝息をたてるベッドの天使を見上げた。
ばらついてるなあ
15 :
吾輩は名無しである:2007/09/25(火) 21:59:38
綿矢りさ「夢を与える」
幼い頃から身内にはスター扱いされ、いつも流行りの服を着せてもらって、仕事場ではちやほやしてくれる
大人に囲まれて、夕子はわがままな、うぬぼれの強い、こましゃくれた子に育つだろうと周りの人々は
予想していた。しかし夕子の伸びやかな心と身体は誰を見下すこともなく、自分を特別だと勘違いする
こともなかった。
乙一「BLUE」
騎士は彼女がきらいだった。ウェンディが一番気に入っていたマックスに嫉妬し、テッドに罪がかぶる
ようにそうと計画したのは彼女だった。自分より大切にされていると感じるものを、汚したり捨てたりして、
心の中で優位に立とうという性質を王女は持っていた。
岡田尊司「誇大自己症候群」
誇大自己症候群の人は、相手も同じように意志や感情をもっていることが、そもそも理解できないか、
頭ではわかっていても、それに対してほとんど配慮や関心を払わない。自分の考えだけが正しくて、
一番よいと思っているので、それを受け容れない人は、愚かで悪い人とみなされてしまう。
自分の思い通りになり、意のままに支配できる存在は「可愛い」存在であり、そうでない存在には
「むかつく」のである。
岡田尊司「誇大自己症候群」
乳幼児の観察や児童の精神分析から対象関係論という一分野を切り開いたメラニー・クラインは、
不快な事態が生じた場合、それを自分以外のもののせいにして、攻撃や怒りで反応する状態を
「妄想・分裂ポジション」と呼んだ。
16 :
吾輩は名無しである:2007/09/25(火) 22:17:23
それらの音も、光も、少年の思い出とともに、地球上のすべての大気に飛散し、拡散し、消散して、今はもうない。
17 :
吾輩は名無しである:2007/10/03(水) 19:39:09
田口ランディ「コンセント」
「自分としては幻覚ではないような気がする。だけど、幻覚の最大の特徴は、幻覚だと思えないことだ
ということも知っています。だから自己判断はできません」
乙一「きみにしか聞こえない―CALLING YOU」
「わたしもそうだったからわかるけど、あなた今、そのシンヤ君やわたしが、自分の作り出した人格
なのではないかと疑っているのでしょう」
田口ランディ「オクターヴ」
「お嬢さんも、空想家だね。それではさぞかし社会生活は大変だろう。病気にもなっちゃうわけだ。
日本に帰る気なら、そういう突拍子もない考えは捨てたほうがいいかもね」
小笠原慧「風の音が聞こえませんか」
「無意味な偶然を、意味のあるように思ってしまうのが、妄想というものだからな」
乙一「暗いところで待ち合わせ」
いや、違う。これは偶然などではない。
sa
ジッド「一粒の麦もし死なずば」
僕の貪欲な地獄が娶ろうとしているこれが、
その天国だったのだ。ところが、その当時にあっては、
僕はこの地獄をすっかり忘れてしまっていた。というのが、
僕の喪の心が地獄のあらゆる情炎を消し去っていたからだ。
僕は青空に酔いしれた気持ちでいた。そして、
僕が見ようと同意しなかったものは、
僕のためにはすでに存在しなくなっていた。
20 :
無名草子さん:2007/10/07(日) 18:05:35
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
「お前は虚偽だ、俺の病気なんだ、幻影だよ。ただ、どうすればお前を退治できるか、それがわからないし、
もうしばらく苦しみぬかねばならぬことも承知している。お前は俺の幻覚だ。お前は俺自身の、といっても
俺のある一面だけの化身なんだ……俺の思想や感情のうちの、もっとも醜い愚かなものの化身だよ。
その点では、もしお前なんぞにかかずらってる暇がありさえすれば、むしろ興味深い存在なのかもしれないな」
乙一「暗いところで待ち合わせ」
もしかすると、自分がつくった妄想であり、実際は何もいないのではないか。それは、だれかが隠れている
という考えよりも現実的な気がした。自分は知らないうちにノイローゼか何かになって、些細な音を聞いては
何かに関連づけたいのだ。
芥川龍之介「歯車」
それは僕にはどうしても偶然であるとは考えられなかった。若し偶然でないとすれば、―僕は頭だけ歩いている
ように感じ、ちょっと往来に立ち止まった。
田口ランディ「モザイク」
「言っとくけど、俺は精神病じゃないよ」
これにも正直に返事をした。
「そうね。確かに、病気ではないみたい」
田口ランディ「コンセント」
「ただ、これは精神科医としての俺の勘だ。お前は病気じゃない。お前に起こっていることはもっと別の何かだ」
21 :
吾輩は名無しである:2007/10/07(日) 18:26:21
乙一「傷」
オレらはひどいめにあった。不幸なことを避ける力は、オレらになかった。
フーコー「?」
生の権力においては、人種差別が非常に重要な機能を果たすことになる。生の権力は、以前は伝統的な主権が
正統性をもって行使していた殺害という古い権力を行使するためには、人種差別を経由するしかないとフーコーは
考える。ここでは「殺す」という言葉が、間接的な殺害、すなわち特定の人々の死の確率を増大させること、
政治的な権利の剥奪、排除なども含めて考えられていることに注意が必要だろう。
フーコーは、犯罪、狂気、精神疾患についても、この生の原理が人種の原理を通過することで、排除の原理、
間接的な殺害の原理に転化することを指摘する。
宮台真司「終わりなき日常を生きろ」
リンチには三つの機能がある。第一は当人から秘密を聞き出したり反抗心をくじいたりといった心のコントロール。
第二は見せしめを通じた組織内部の引き締め。これら二つがリンチを命じる側の目的だとすると、第三はリンチを
命じられた実行者にとっての機能で、「自分はとうとうここまで変わったんだ」という具合に「弱き自己の克服」を
確認すること。リンチに参加することで、自分はここまで共産主義化を遂げた、ここまで修行を達成したと、
自信を持つわけ。そんな程度の理由で残虐なことができるのかとも思うけど、本人の一義的な関心が「自分の弱さ」
に向けられているときには、ネットの広報部なんかでも、えてして起こりがちなんだよね。
22 :
吾輩は名無しである:2007/10/07(日) 18:54:38
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
「お前は今だって呪われた破門者だよ」
浅田彰「構造と力」
諸要素の平面的なネットワークが内に孕んだ矛盾を処理しきれず、過剰を一身に帯びた特別な要素を外へ押し出すというプロセス。
浅田彰「構造と力」
相互暴力のミメティスムが累積的に展開し、全員が互いに殺し合う闘争がくりひろげられている。この暴力的無差別性を克服し、
差異の体系としての象徴秩序を構築するには、どうすればいいか?ルネ・ジラールは極めて簡潔な解答を呈示した。全員一致で
1人を殺すこと、これである。すべての暴力を一身に引き受けることによって殺されたスケープゴートは、殺されることで
絶対的に距離を置かれ、超越性の中に投げ出される。この超越者は、一切の暴力を身に帯びている以上、おそるべき存在では
あるが、それを引き受けることによって安定と均衡をもたらしてくれた者である以上、敬うべき存在になる。かくして、あらゆる
けがれを一身に背負った犠牲が、死せる王として中心0の座につくのである。
浅田彰「構造と力」
想像界の混沌から象徴界の秩序への移行には、相互関係を媒介する超越的な中心の析出が不可欠である。その決定的な第一歩は、
過剰な力のすべてを一身に背負わされたスケープゴートが直接的相互関係のネットワークの外へ放逐されることによって
踏み出される。スケープゴートは全員一致で犯され殺されることで言わば相互関係の平面の下方に投げ出されるのだが、しかし、
そのようにして絶対的に距離をおかれ、平面内の全員に対してメタ・レベルから一般的な第三者の資格で臨みうるようになった
この死者は、一転して、平面を上方から見おろす絶対他者の座につくのである。
「僕だって高校時代は万引きとかガンガンやってましたよ。数学の参考書とか」
24 :
吾輩は名無しである:2007/10/07(日) 19:43:21
浅田彰「構造と力」
カオスそれ自体は「語りえぬもの」であり、それと感知することができない。カオスが姿を現わしてくるのは、構造の境界
ないし周縁にある項、両義的で怪しげな項を通じてである。このような特殊な項を「有徴」(marked)と呼び、一般の「無徴」
(non-marked)の項と区別しよう。徴をつけるというのは簡単に言えばレッテルを貼ることである。山口昌男による例を引く
なら、「不良少年」というレッテルを貼られた者は有徴項となって、無徴項である「少年」一般と―決して「善良少年」と
ではない―対立することになる。けれども、無徴/有徴の対立はしばしば意識的なレッテル貼りの域をはるかに超え、
無徴項<man>と有徴項<wo-man>の対立のように、文化の前意識的構造の根幹に組み込まれたものとなっているのである。
AERA Mook「社会学がわかる。」
スティグマ
「好ましくない違い」をもった人に押される烙印=レッテル。例えば汗っかきの人を「バイ菌」と呼んだりすること。
スティグマは元来、身体上の障害や徳性の欠如といった個人の属性、あるいはカトリック教会でいう聖痕を表す概念で
あったが、ゴフマンはこれを差別行為一般に拡張した。そして、スティグマを負う者と健常者(=常人)の関係は、
相互行為の中でたえず構成されると考えた。スティグマを押された人は、劣等性のイメージはそもそも作り出された
ものなのだから、変更したり削除することができるはずである。スティグマを回避する技術の研究がいっそう期待
されている。
ロリータ、わが生命のともしび、肉体のほむら。わが罪、わが魂。
ロ、リー、タ。舌のさきが口蓋を三歩すすんで、三歩目に軽く歯に当たる。ロ。リー。タ。
26 :
吾輩は名無しである:2007/10/08(月) 01:04:21
ブコウスキーのハムオンライのラストはとてもいい。
具体的に憶えてないけど
ガキとボクシングゲームやって、むきになって、結局負けて去っていくという
27 :
吾輩は名無しである:2007/10/08(月) 15:19:41
乙一「失踪HOLIDAY」
何かと関わるからつらいのだ。だれにも会わなければ、うらやむことも、ねたむことも、憤ることもない。最初から
だれとも親しくならなければ、別れの苦しみを味わうこともない。
乙一「暗いところで待ち合わせ」
だれかに出会って、喜んだり悲しんだり、傷ついたりして、また別れる。それの繰り返しは、とてもくたびれそうだ。
それならいっそ、最初から一人がいい。
それ以降、家の外にある世界の、何もかもを遮るように生活した。
乙一「陽だまりの詩」
「何かを好きになればなるほど、それが失われたとき、私の心は悲鳴をあげる。この幾度も繰り返される苦しみに
耐えて残り時間を生きていかなければならない。それはどんなに過酷なのだろう。それならいっそのこと、
何も愛さない、心のない人形として私は作られたかった……」
ミスった。
最初の文は「しあわせは子猫のかたち」だった。
作家によって同じような事を別の作品で繰り返し書いているのがあるように思う。
29 :
吾輩は名無しである:2007/10/08(月) 22:28:02
田口ランディ「スカートの中の秘密の生活」
徹底的に自分を客体化して自分の体をモノとして扱い始めるとどうなるか。
実はこのような精神病が存在する。自分が自分でないような感覚。離人症とも言う。
自分のことを商品と呼ぶ少女たちは、自分の体を自分と繋がった存在だと認識しそこねている。心が体から3センチくらい
離れて浮遊しているのだ。
田口ランディ「オクターヴ」
学食のはじっこで、いつも一人で昼食を食べていた。声をかけてくれたのはミツコだけだった。
「ねえねえ、いま、体から3センチ浮いていたよ」
田口ランディ「できればムカつかずに生きたい」
私は「自分というものが無い」宮崎被告の言葉にある種の衝撃を覚えてしまった。本当に自分が無いみたいに感じたからだ。
そして、彼にファンレターを書いた多くの人も、それを感じたんじゃないかなあ、って思ったんだ。
こう書くと、まるで私が宮崎勤被告を「悟った人」として賛美しているように受け取られそうだけれど、全くそうではない。
田口ランディ「ソウルズ」
「なんでも真似てみました。私には私というものがないのです。私はとても空虚でした。どれが自分なのかわかりません。
今でもそうです。私のすべては真似です。誰かの真似です」
30 :
吾輩は名無しである:2007/10/08(月) 22:40:37
田口ランディ「スカートの中の秘密の生活」
「どうも、日本の女ってのは、自分の価値みたいなもんを確認するために男とつきあってるようなとこがあるんですよ。
ワシあれだめなのね」
小此木啓吾「自己愛人間」
自己愛人間は、相手を愛するからその人とつき合うのではなく、自分の自己愛をみたすためにつき合うということが
できます。
和田秀樹「自己愛の構造―「他者」を失った若者たち」
自己愛的な人の人づきあいは、相手のことを思ってというより、自分のために人とつきあうことになる。自分にメリットが
なければつきあわないというようなパターンが自己愛的とされるのである。
人を愛するといっても、見返りを期待する。たとえば、タレントや絶世の美女とつきあうことで、自分が注目を集めたり、
すごい人と思われることが目当てであれば、自己愛的な恋愛ということになる。
岡田尊司「誇大自己症候群」
被害者は、彼女というヒーローによって斃された、もう一人の悲劇の人物であり、永久に彼女かの記憶にとどめられる
という「栄誉」を与えられる。だが、あくまでも「主役」であるのは、被害者ではなく彼女なのである。
田口ランディ「ソウルズ」
「見た目や文化が違うからだよ。違う者は差別される。ほんとうはみな同じなのだけれど、弱い者ほど、より弱い者を
必要とするのさ」
彼らにとって絶対に必要なものはお互いだけで、
お互いだけが、彼らにはまた充分であった。
彼らは山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。
夏目漱石「門」
やはり雪子の胸はBカップほどであったが、下半身が女そのものであった。ブッとい大根のような太股が綺麗にYの字を作っていて、
他の女より遥かに茂っている陰毛が愛液でびちょびちょに濡れている。
誰か「三角関係」
33 :
吾輩は名無しである:2007/10/19(金) 19:30:58
浅羽通明「大学で何を学ぶか」
「教養」には、じつは、それをそなえた者のみを一人前の人間と見なして、そうでない者をより低く見る排他性、差別性が
本来、顕著にそなわっている。
34 :
吾輩は名無しである:2007/10/19(金) 19:49:40
浅田彰「構造と力」
最も卑賤な地位に落とされた0ではあるが、それ故にこそ、ひとり0のみが、安定と均衡をもたらしうる者、全面的に通用する
普遍的媒介となるのであり、そうしてみると、0こそ最も高貴なる全能の<主>だということにならざるをえない。今や、0は
相互性の平面を貫いて地底から天上へ上昇する。すべてを鳥瞰する高みに立って、交換関係の総体を主宰し調停する、
中心としての0。
ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」
狂人は彼らの中に割って入り、あなのあくほど彼らを見据えて、叫んだ。
「神がどこへ行ったかって?おれがおまえたちに教えてやろう!われわれが神を殺したんだ。おまえたちとおれがだ!
われわれはみんな神殺しの犯人なんだ」
C・ブロンテ「ヴィレット」
あんたは失敗が怖いんだ、いかにもね!
あんたが失敗しようがしまいが、それがどうだちゅうんだね?
あんたより優れた人だって失敗するちゅうのに、
あんただけが失敗したくないなんて、あんたはいったい何様かね?
失敗はあんたのためになるんさ、と彼は言った。
36 :
吾輩は名無しである:2007/10/25(木) 20:30:43
立花隆「脳を鍛える」
本当のフィロソファーだったら、もっともっといろんなことを知りたくなるにきまってます。そして、現代における知の体系の
大部分はサイエンスとして組織立てられているのだから、サイエンスに熱中せずにはいられないはずです。ところが、いわゆる
哲学者連中のほとんどはサイエンスに無知なんです。現代においては、サイエンスを知らないフィロソファーなんて、本当の
フィロソファーでありうるはずがないんです。
37 :
吾輩は名無しである:2007/11/18(日) 19:18:40
乙一について書いてあるレスがやたら多いが同一人物?
なぜ乙一?
38 :
吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 00:12:40
泉鏡花 「春昼・春昼後刻」貴下、真個に未来というものはありますものでございましょうか知ら。もしあるものと極りますなら、地獄でも極楽でも構いません。逢いたい人が其処にいるんなら。さっさと其処へ行けば宜しいんですけれども、
39 :
吾輩は名無しである:2007/12/03(月) 23:45:41
賀東招二「戦うボーイ・ミーツ・ガール―フルメタル・パニック!」
「おまえ、独り相撲って日本語知ってるか?」
「ヒトリズモー?」
「そうだよ、独り相撲。自分のマワシをとって暴れてんのさ、おまえは」
40 :
吾輩は名無しである:2007/12/10(月) 20:57:38
時雨沢恵一「キノの旅―The beautiful world」
「ボクはね、たまに自分がどうしようもない、愚かで矮小な奴ではないか?
ものすごく汚い人間ではないか?なぜだかよく分からないけど、そう感じる
時があるんだ。そうとしか思えない時があるんだ……」
41 :
吾輩は名無しである:2007/12/11(火) 20:47:16
おおっ
岸田秀を挙げてるやつがいる・・・
個人的にかなりはまったけど他のやつには読んでほしくない作家だ。
ってか岸田秀って、読んでることを他のやつに知られたくない作家じゃね?
公言しないでくれメンヘラ。
42 :
吾輩は名無しである:2007/12/15(土) 18:50:21
ジョン・ナッシュさんは、被害妄想に陥ってしまった。
その背景には、才能を妬まれ、周りに否定されたり、難しい問題を考えつづけているうちに、
思考回路に偏りができてしまったのではないか?
その逆の人、というのは、どういうことかというと、「被害妄想」には 絶対に陥らないような
思考回路を働かせる。その人達の多くは、強固なまでに自己反省というものを拒む人達で、
自分が精神的な葛藤を起こさない為には、他者を平気で犠牲にできるようなことをする。
そもそも、他者を精神的に陥れる、という加害者が存在したのではないか?
ある特定の人物、ということもあるだろうし、集団で、(いじめ)そういうことをしている
場合もあるだろうし。
何をやっても、咎められない人、何を言っても、無駄な人、何をどう説明しても、邪悪である
ことが、証明できない人、世の中には、そういう人が多く存在するのかもしれない。
そういう人を、うまく捕まえることができたら、その逆の病は なくなるのではないか?
醜悪な書き込み続くんだな、コレが
彼女の声は途絶えたのではなく、まるで絶え入るように消えていったのだ。
残酷な不動の九月の太陽に照り付けられてかさかさに乾ききった外壁を背景として、
二度咲きのウィスタリアの花の、甘い、余りにも甘い香りにむせかえる薄暗い
屍棺の臭いのする木陰があり、そこへ時折り雀の群れがやって来ては
懶惰な子供がありふれたしなやかな棒切れを鞭打つような大きな羽搏きの音を立てて
埃を舞い上げていた。それにまた、彼女の青白いやつれた顔が、まるで磔にされた
嬰児といった格好で腰掛けているその高すぎる椅子から、両の袖口と襟元を結ぶ
ほのかな三角形のレース越しに彼を見据えているときの、長すぎた処女性のなかに
立てこもってきた女体の老醜のいやらしい臭い。途切れるのではなく、消え入ったかと思うと
長い間をおいてまた現れてくる声――と、あの亡霊が、まるでその声に、
もっと運がよかったら一軒の家を持てるところだったであろうその声に、
乗り移ったかのようにあらわれて、幻影のごとく従順に考え込んでいるのであった。
静かに雷鳴が轟いたと思うと、学校賞に輝く水彩画とでもいった平和な品位ある風景のなかへ、
彼(馬に乗った悪鬼)が突如として闖入してきたのだった。
45 :
吾輩は名無しである:2007/12/30(日) 19:28:31
東野圭吾「手紙」
「君たちがどんなにがんばっても、人々のハートを揺さぶることなどできない。
なぜだかわかるかい。答えは簡単だ。人々には君たちの曲が届かないからだ。
聞いてもいない曲で感動などできない。音楽に大切なものは、それを聞く人間だ。
彼等がいなければ、自分たちでいくら納得したものを作っても、それは名曲では
ない。いやそれ以前に音楽ですらない。やっていることはマスターベーションと
一緒だ」
46 :
吾輩は名無しである:2007/12/30(日) 20:51:29
村上春樹「スプートニクの恋人」
ぼくとすみれはいうなれば似たもの同士だった。二人とも息をするのと同じくらい自然に、熱心に本を読んだ。
暇があれば静かなところに座って、いつまでも一人でページを繰っていた。日本の小説も外国の小説も、新しい
ものも古いものも、前衛もベストセラーも、それがいくらかなりとも知的な興奮をもたらしてくれるものであれば、
なんだって手にとって読んだ。図書館に入りびたり、神田の古本屋街に行けば、まる一日楽しく時間をつぶす
ことができた。ぼくは、ぼく自身をべつにすれば、そんなに深く広く熱烈に小説を読んでいる人間に出会った
ことはなかったし、彼女にとってもそれは同じだった。
>>25 同意だが、それは原文の英語でこそ、美しさが映える。
48 :
吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 00:20:35
ぼかぁこのスレが好きだ
49 :
吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 04:18:19
東野圭吾『時生』
明日だけが未来じゃない
50 :
吾輩は名無しである:2008/01/01(火) 05:27:47
村上春樹「スプートニクの恋人」
「よろしいですか、みなさんは猫に食べ物を分け与えてはなりません。
なぜならみなさんは神に選ばれた尊い存在であり、猫はそうではないからです」
『汚れた在日朝鮮・韓国人の過去』
日韓併合後、在日朝鮮人は厳しい身分差別から逃れるため、
自らの意思で朝鮮半島を脱出して日本に渡ってきました。
日本がポツダム宣言を受け入れると在日たちは「戦勝国民」であると主張し、
「朝鮮進駐軍」を名乗り、各地で暴れ始めました。
日本の男たちは戦場に駆り出され、残っていたのは女、子供、老人ばかり。
朝鮮人たちはやりたい放題で、駅前の一等地は朝鮮人に占領されました。
もちろん、そこに住んでいた日本人女性は容赦なく強姦され追放されたのです。
当然、日本人は在日を強く憎むようになりました。
そのため、在日朝鮮人たちは日本名を名乗るようになりました。
朝鮮名を名乗ることは自分が犯罪者だと宣言しているようなものだからです。
朝鮮人たちは共産主義者と組み、TBSや朝日等のマスコミを使って歴史の捏造を始めました。
「強制連行されて来た」「土地を奪われて仕方なく来た」等々。
そして強姦犯罪を謝罪せず、土地を占拠し続けながら、
「俺たちは何も悪いことをしていないのに差別される」
「不当な差別を受けている」 「謂れなき差別を受けている」等と宣伝しました。
朝鮮進駐軍を知らない世代の日本人は在日に対して罪悪感を持つようになりました。
在日たちは占領した一等地で事業を始めました。
それが「パチンコ」です。今でもパチンコ業者の8割は在日です。
パチンコは30兆円産業。何と自動車産業よりも規模が大きいのです。
パチンコ業界は脱税と、北朝鮮への送金で知られます。
「日本のパチンコがある限り、我が国は安泰だ(金正日)」
日本の政治家にもパチンコの金が流れています。
だから「パチンコ、パチスロはギャンブルではない」等という馬鹿げた論理がまかり通っているのです。
祖母や曾祖母が朝鮮人に強姦された場所でパチンコやスロットを楽しんだり、
朝鮮の民族料理である焼肉を食べる・・・
これは「日本人」以前に「人間として」恥ずべき行為ではないでしょうか。
52 :
吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 16:27:42
ぼかぁ好きだなアホスレ
53 :
吾輩は名無しである:2008/01/04(金) 20:30:46
このくらいの文章ならごくわずかだが2チャンエルにも散見されるな
やっぱ究極は詩か
★日本政府から朝鮮総督府への通達文書
●朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので
常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。
●朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。 勝利と誤認し居丈高になる気質があり
後日に至るまで金品を強請さるの他惨禍を招く原因となる。
●朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。
●朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。
与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。
●朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し
返却せざること多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。
●朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。
公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。
朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。
●朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。
●朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。
朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。
●朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、
最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。
●朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。
●朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。
権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。
朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には
親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。
●朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。
●朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。
仲間と語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。
つまりそれほどに当時の日本は腐っていたと、今よりもなお。
56 :
吾輩は名無しである:2008/01/08(火) 11:41:10
>>54 福沢諭吉にしても、当時の日本人はチョンの本質を見抜いていた。
今はサヨが威張りだして犯罪の頻発する国に成ってしまった。
57 :
吾輩は名無しである:2008/01/09(水) 01:45:04
村上春樹 スプートニクの恋人
店の外に出ると、染料を流し込んだような鮮やかな夕闇が
あたりを包んでいた。空気を吸いこんだら、そのまま胸ま
で染まってしまいそうな青だった。空には星が小さく光り
始めている。夕食をすませた土地の人々が、夏の遅い日没
を待ちかねたように家を出て、港の近辺をそぞろ歩きして
いた。家族がいて、カップルがいて、仲のいい友達同士が
いた。一日の終わりの優しい潮の香りが通りを包んでいた。
ダグラスクープ・ランド「ジェネレーションX」
現在否定
自分自身にこう言い聞かせること生きがいのあった唯一の時代は過去であり、
もう一度面白くなる可能性がある唯一の時代は未来だ、と。
地位代替
知的な、あるいはファッショナブルな意味を持つ物品を使って、単に高価なだけの物品に代替させること。
「ブライアン、あなた、お兄さんのBMWにカミュの本を忘れたでしょ」
ストレインジラヴ生殖
自分がもはや未来を信じられなくなったという事実を補うため、子供を作ること。
選択の自由麻痺
無限の選択の余地を与えられたとき、選択しない傾向。
反射的皮肉
日常会話にて、反射的に当たり前のように軽率に、皮肉なコメントを述べてしまう傾向。
こういうのってほかの文とのつながりがあっていい文章だと思うのであって、
そこだけ抜き出して書いても唐突なものにしかならないよな
他のやつらが挙げてる文ってどれも内容似通ってる気がするし
あと、乙一厨はしつこい
60 :
吾輩は名無しである:2008/01/14(月) 13:40:37
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
「俗世の学問は、一つの大きな力に結集し、それも特に今世紀に入ってから、神の授けてくださった聖なる書物に
約束されていることを、すべて検討しつくしてしまったため、俗世の学者たちの冷酷な分析の結果、かつて神聖とされていた
ものは今やまるきり何一つ残っていないのだ。しかし、彼らは部分部分を検討して、全体を見おとしているので、その盲目
ぶりたるや呆れるほどだよ。全体は以前と同じように目の前にびくともせずに立ちはだかっているというのに、地獄の門も
それを征服できんのだから」
中村桂子「自己創出する生命」
ゲノムはすべてDNAなのだから100%分析可能な存在でありながら、全体性を持っている。全体性。これほど耳に心地よい
言葉はない。それは、日常的認識のほとんどは、この視野で行っているからである。科学のうさん臭さは、部分を切り
とったり、それを還元・分析したり。どう見ても全体とは相容れないことを脇目もふらずに行うところにある。そうかと
言って全体、全体とそれをお題目のように唱えたからと言って何かが分かるというとそうではないので、やはりとりあえず
は分析の方向を認めておこう。その妥協の中で暮らしているのが現在である。
ジャック・モノー「偶然と必然」
ある学派の思想家たちは(多少とも自覚的、あるいは漠然とではあるが、ヘーゲルの影響を受けて)、生物のような
複雑な体系を問題にするさいの、分析的アプローチの価値にたいして異議を申し立てている。これらの学派(<有機論者>
または<全体論者>)は、不死鳥のようにいつの世にも復活するのであるが、彼らは、分析的態度―それを<還元論>という
ふうにいっているが―はいつまでたっても不毛であり、非常に複雑な有機組織の特性を、ただ各部分の特性の<総和>に
還元しようとするものだと言う。この論争は、非常にたちの悪い、まったく不毛な争いなのであって、<全体論者>が
科学的方法と、また分析がこの方法のなかで占める本質的な役割についてはなはだ無理解である、ということをいたずらに
示しているにすぎない。
61 :
吾輩は名無しである:2008/01/14(月) 13:42:16
亀淵迪「物理法則対話」
私たちをとり囲んでいるこの世界は、本来、各部分が相互に有機的な関連をもった一つの全体として、
私たちの眼前におかれています。しかしニュートンは、その全体から一部―一物体―を切り取って
考察の対象とします。ここには、そのような切り取りによって対象の本質が損なわれることはあるまい、
との仮定が暗々裡になされています。そしてさらに言いますと、全体を部分に分け、それぞれの部分を
調べること―分析―によって、全体の性質も分かるだろうとの期待もあるわけです。
中谷宇吉郎「「茶碗の湯」のことなど」
昔の仙人は、一つの壷の中に森羅万象の姿を見たというが、一杯の茶碗の湯の中にも、全宇宙の法則が
あるということもできよう。ただ「茶碗の湯」の中に全物理学の姿を見ることのできるような人は、
なかなかいない。
62 :
吾輩は名無しである:2008/01/14(月) 16:48:04
三浦綾子「塩狩峠」
目に見えた不具者を笑うことはやさしいが、自分たち人間の心がどんなに不自由な身動きのとれない
不具者かということには、なかなか気付かないものだよ。
宮台真司「終わりなき日常を生きろ」
麻原教祖はこの種の二者択一を次のように拡張していく。
日本は今や在日やパチンコ産業、あるいはその手先である日本政府、
はたまた創価学会やマスコミによって、食らいつくされようとしている。
このままでは危ない。そこで大いなる救済のために、少々の手荒なこともやむ得ないのだと。
63 :
吾輩は名無しである:2008/01/14(月) 16:54:21
村上春樹「1973年のピンボール」
逃げてないで考えろよ、二十五歳……、少しは考えてもいい歳だ。
十二歳の男の子が二人寄った歳だぜ、お前にそれだけの値打ちがあるかい?
ないね、一人分だってない。ピックルスの空瓶につめこまれた蟻の巣ほどの
値打ちもない。……よせよ、下らないメタフォルはもう沢山だ。
何の役にも立たない。考えろ、お前は何処かで間違ったんだ。思い出せよ。
……わかるもんか。
竹田青嗣「哲学ってなんだ―自分と社会を知る」
外から見て、差別がなんだか醜いものであると感じる理由は、それが自分なりの努力でつかんだ自己
アイデンティティの確認ではなく、他人を落としめて作り出した落差によって、ただ心理的に、相対的に、
自分を「上」にあると感じるような方法だからである。つまり、他人の苦痛を利用して自己価値を持ち上げる
ような行為だからだ。
大澤真幸「戦後の思想空間」
歴史の教科書を書き換えて、たとえば従軍慰安婦についての記述を削除すべきだと主張する人たちがいる。
このとき掛けられていることは、日本人であるということ、日本人という共同性に同一化するということです。
日本人であるということに回帰したいんですね。日本人という同一性に回帰するにあたって、しかし、現在では
他国となっている領域の従軍慰安婦を陵辱したという事実を、抹消しておいて欲しいということです。言ってみれば、
従軍慰安婦問題は過去の性犯罪のようなものなんです。
64 :
吾輩は名無しである:2008/01/14(月) 16:59:19
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」
権威主義的性格にとっては、すべての存在は二つにわかれる。力をもつものと、もたないものと。それが人物の力に
よろうと、制度の力によろうと、服従への愛、賞賛、準備は、力によって自動的にひきおこされる。力は、その力が守ろう
とする価値のゆえにではなく、それが力であるという理由によって、彼女を夢中にする。彼女の「愛」が力によって
自動的にひきおこされるように、無力な人間や制度は自動的に彼女の軽蔑をよびおこす。無力な人間をみると、彼を
攻撃し、支配し、絶滅したくなる。
権威主義的性格は、人間の自由を束縛するものを愛する。
権威主義的性格にとっては、行動は根本的な無力感に根ざしている。この意味における行動とは、自己よりも高い
なにものかのために行動することを意味する。
彼女にとっては、力がかけているということが、つねに罪や劣等感のまちがいのないしるしである。
そして、もし信じている権威が弱点をあらわすと、彼女の愛と尊敬とは、軽蔑と憎悪とにかわる。
権威主義的哲学においては、平等の観念は存在しない。権威主義的性格は、ときには平等という言葉を、習慣的に、
あるいは彼女の目的に便利であるという理由で、使うこともある。しかしそれは彼女にとって、どんな現実的な意味も、
また重みもない。
彼女にとっては、この世界は力をもつものともたないもの、優れたものと劣ったものとからできている。
優越と劣等のしるしを意味しない差別を、彼女は考える事はできないのである。
問題は、自分をうしなわないために「彼」をどのように操るかということ、自分の望む事をどのようにして彼にやらせ、
さらにどのようにして自分に責任のあることを彼の責任とするかというところにある。もっと極端な場合には、人生を
ただ「彼」を操る事だけで過ごすこともある。
あるものは苦悩を操縦のためのおもな方法としている。そこでは結局どのような感覚、思考、感情も、「彼」をあやつろう
とする要求によって、色どられている。
65 :
吾輩は名無しである:2008/01/14(月) 17:12:25
ダグラス・ホフスタッター「ゲーデル、エッシャー、バッハ」
ゲーデルが情け容赦なく明らかにしたように、システムが余すところなく自己言及で穴だらけにされているのは、
『プリンキピア・マテマティカ』に何か弱点があるせいではなく、むしろそれとはまったく反対に、その強さのせい
なのであった。これと同様のシステムには、まったく同じ「欠陥」が必ずあるのだ。世界がこの驚くべき事実に気づく
のにこれほど長くかかったのは、脳から自己への飛躍にかなりよく似た飛躍を行う必要があるからだ。生命のない
構成要素から生命のあるパターンへというのとよく似た飛躍である。
林晋「ゲーデルの謎を解く」
数学ゲームが完全ならば、神の論理、人間の論理、コンピュータの論理は一致する。
松本元「愛は脳を活性化する」
脳に新しく入力された情報は、すでに獲得した神経回路を活性化するための、いわばトリガー(引き金)として
使われ、これによって脳は出力を行う。そして出力を行うことで学習効果が生じ、アルゴリズムが書き変わる
のである。すなわち、脳は学習によって「表引きテーブル」にあらかじめ答を用意しており、入力された情報に
よって、その用意された答の中から入力情報との関連度が最も高いものを選択し出力する。そして出力する
ことで新たに学習効果を生じ、そのとき用いた答を、必要とあれば修正するのである。
言い換えると、脳は学習によって自らの内部世界を作り、そこにまず答のテーブルを用意する。入力情報は、
この答えを引き出すための検索情報として用いられる。そして脳からのすべての出力はあらかじめ用意した
答の中から選ばれ、言動などの出力となるのである。
ここで、脳からのどんな情報出力も、自らの内部世界にあらかじめ存在するものによることに注意しよう。
このことが、脳とコンピュータの大きな違いの一つである。
66 :
吾輩は名無しである:2008/01/14(月) 17:22:19
永井均「<子ども>のための哲学」
言語ゲームの思考と独在性の思考はどこまでも拮抗する。独在性の思考は、言語ゲームの全体がこの
<奇跡>あっての物種にすぎないというかたちで、いつもゲームを超えることができるが、にもかかわらず、
それが言語ゲームに乗り、ひとに伝達されるときには、意味がかわってしまうからだ。ある意味ではすべての
物種であるが、けっして言葉で指したり語ったりすることができない根源的な奇跡、もはやけっして概念では
ない究極の現存在。それがどこまでも概念化され、語られていく言語ゲーム。
竹田青嗣「哲学ってなんだ」
ギリシャのスティルポンという人の考えた「独在論」についてのパラドクス
わたしが「わたし」と言うとき、わたしは「ほかの誰でもないこの個人としてのわたし」のことを思っているが、
実際には「ほかの誰でもないこの個人としてのわたし」を言い表すことはできない。なぜなら「わたしとは
わたし以外の誰でもない」、とは誰でも自分について言えるからである。
これは、われわれは「わたし」という言葉によっては決して「自分自身」のことを指すことがきない、という
パラドクスだ。
67 :
吾輩は名無しである:2008/01/14(月) 17:25:33
橋爪大三郎「世界がわかる宗教社会学入門」
ダルマはこの宇宙すべてを支配している根本法則で、輪廻の法則も含みます。まず、人間である自分が、この根本法則に
支配されているという、ありのままの姿を実感しなければなりません。これが、覚るための「原因」になる。世界のあるが
ままをありありと認識することが原因となって、その結果、自分の存在が変容する。そしてこの法則を超越する仏陀という
ものになる。その手続きを踏み原因を作れば、誰であろうと仏陀になれるわけです。
覚りとは、人間が自力で世界のすべてを認識できるという確信があって、その努力を営々と続けるということです。それには、
一神教の神は存在してはならない。なぜなら、神はこの世界の外側にいるからです。神が世界を「創る」のなら、世界がなく
ても神はいる。創られたものの中に神はいない。そんなことは、仏教はみとめない。世界を仏陀がすみずみまで認識したとき
には、その外にはなにもないはずです。
ということは、仏陀がみている世界と、キリスト教徒が被造物としてみているこの宇宙とは、違うものということになります。
キリスト教徒にとっては、「その外に神がまだいる」。仏教徒にとって「その外にはなにもない」。純粋の虚無です。
68 :
吾輩は名無しである:2008/02/20(水) 03:51:10
age
(古代エジプトの小話)
「なぜそんなに飲むのだ」
「忘れるためさ」
「なにを忘れたいのだ」
「……忘れたよそんなことは」
70 :
吾輩は名無しである:2008/02/22(金) 23:18:42
ハロルド・ピンター「何も起こりはしなかった」
作家の仕事はきわめて弱々しいもので、それはほとんど人々に裸身をさらすような行為なのです。
そのことについて歎く必要はありません。作家は自らそれを選択し、それにこだわっているからです。
しかし事実として、作家はありとあらゆる風に吹きつけられるのであり、その中には身を凍らせるような風もあります。
作家は孤独で、自分の身を護る術をもってはいません。逃げ場もなければ保護してくれる者もいない
――嘘をつかぬ限りは――もちろんそうしたら、自分を安全な場所におくことになりますから、
作家はいわば政治家になってしまったのだと言えるでしょう。
(ノーベル文学賞受賞記念講演より)
71 :
吾輩は名無しである:2008/02/23(土) 00:35:28
なんでもいいけど引用長すぎ。もっと肝だけ抜いてみろや。
72 :
吾輩は名無しである:2008/02/23(土) 15:03:52
誰もが気がつくのは、先行訳が、表現の違いはあれ、
原文に忠実で、語学的にほとんど一致している個所で、
亀山訳に限っての誤訳が目につくということである。
また作品の文脈から生じる解釈にあいまいさ、
不正確さが見られることである。
この原因はどう解釈したらよいのであろうか?
訳者の語学力に起因するのか、
それとも、もともと出版社の集団的なプロジェクトで、
読みやすさをねらうあまりのリライト作業の結果、
専門的な立場からの最終的なチェックが効かなかったことによるのか、
推測の限りではない。
亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を検証する
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dos117.htm
73 :
吾輩は名無しである:2008/02/23(土) 17:47:02
亀山くんピンチ(´Д`)
74 :
吾輩は名無しである:2008/02/24(日) 02:45:03
森井氏はすでに誤訳とおぼしき 不適切な個所のリストを作成しており、
そこには「検証」と一部重なりながらも、そのほか私達が見逃した数々の
重要な個所が指摘してあった。それらは当然な がら、ロシア語の専門的立場から
検討に値するものと思われた。そこでNN氏の賛同と協力を得て、
「一読者による点検」の作成を開始したのである。
ロシア語の知識がなくとも、先行訳をすでに深く読み込んでいる読者ならば
(あるいは森井氏ならずとも)気づくであろう疑問点を氏が指摘し、
参考に先行訳の当該個所を対置、NN氏がそれにロシア語の専門的知識を
駆使してコメントするという形で作業を進めた。
この作業によって亀山訳の断面 がさらに浮き彫りになったように思われる。
それは、単純な誤訳にとどまらない日本語表現の問題である。
さらにはドストエフスキー特有の文体の改ざん、
さら にはテクストそのものの改ざんにつながる疑いである。
これについては、私は別稿で論評したい。
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost120a.htm
75 :
吾輩は名無しである:2008/03/02(日) 18:14:49
内田百閨u梟林記」
ひる過ぎに、日のあたっている茶の間の縁側で、小学校から帰った女の子が、大きな鋏を持って、毛糸の切れ端の
様なものを頻りに摘み剪っていた。そうして、ふわふわした毛むくじゃらの球の様なものを、幾つも拵えていた。
「何だい」と私がきいて見た。
「これは殺された人の魂よ」と彼女が云った。そうしてその中の一つを手にとって、ふわりと投げて見せた。
76 :
ヘルマン・ヘッセ『春の嵐』:2008/03/04(火) 23:54:38
自分の一生を外部から回顧してみると、特に幸福には思えない。
しかし、迷いは多かったけれど、不幸だったとは、なおさら言えない。
あまり幸不幸をとやこう言うのは、結局まったく愚かしいことである。
なぜなら、私の一生の最も不幸なときでも、それを捨ててしまうことは、
すべての楽しかったときを捨てるよりも、つらく思われるのだから。
避けがたい運命を自覚をもって甘受し、よいことも悪いことも十分味わいつくし、
外的な運命とともに、偶然ならぬ内的な本来の運命を獲得することこそ、
人間生活の肝要事だとすれば、私の一生は貧しくも悪くもなかった。
外的な運命は、避けがたく神意のままに、私の上をすべての人の上と同様に
通りすぎて行ったとしても、私の内的な運命は、私自身の作ったものであり、
その甘さにがさは私の分にふさわしいものであり、それに対しては
私ひとりで責任を負おうと思うのである。
77 :
ツルゲーネフ作『父と子』(1862年):2008/03/15(土) 18:17:10
――バザーロフが何者かというんですか?――とアルカーヂイは薄笑いした。
――じゃ、伯父さん、あの男は一体何者か、言いましょうか?
――ああ、どうぞ。
――あの男はニヒリストです。
――え?――とニコライ・ペトローヴィッチが聞き返した。
パーヴェル・ペトローヴィッチは、刃先にバターの塊をつけたナイフを持ち上げたまま、動かなくなった。
――あの男はニヒリストです――とアルカーヂイは繰り返した。
――ニヒリスト――とニコライ・ペトローヴィッチは言った――それは、 わしの判断する所では、
ラテン語のnihil、つまり虚無から出ているようだな。するとその言葉は、つまり……その、何ものをも
認めない人間をさすんだな?
――何ものをも尊敬しない人間といった方がいい――パーヴェル・ペトローヴィッチは口をいれて、また
バターの方に取り掛かった。
――つまり全てのものを批判的見地から見る人間です――とアルカーヂイが言った。
――それは同じことじゃないか?――とパーヴェル・ペトローヴィッチはたずねた。
――いえ、同じことじゃありません。ニヒリストというのは、いかなる権威の前にも屈しない人間です。
まわりからどんなに尊敬されている原理でも、それをそのまま信条として受け入れることはしないんです。
78 :
ツルゲーネフ作『父と子』(1862年):2008/03/15(土) 18:26:56
――アリストクラチズム、リベラリズム、プログレス、プリンシープル――その間にバザーロフは
言った――まあ、考えてごらんなさい、なんて役にも立たない外国語の多いことだろう!
ロシヤ人にそんなものなんか、ただでもいりませんよ。
――じゃ、あなたのご意見では、いったいなにが必要なのです! あなたの話をきいていると、
われわれは人類とその法則のそとにおかれているようですな。とんでもない、歴史の論理が要求するのは……
――そんな論理がなんの役に立つんです? そんなもの、なくたって、やってゆけますよ。
――それはどういうわけだ?
――どうもこうもありませんさ、あなただって腹がへってるとき、パンの一きれを口にいれるのに、
おそらく論理なんか必要とされないでしょう。われわれにとって、そんな抽象論なんかなんの役にたつんです?
パーヴェル・ペトローヴィッチは両手をひとふりした。
――そんなことを言われると、わたしはあなたという人間がわからなくなる。あなたはロシヤの民衆を
ばかにしている。わかりませんね、どうしてプリンシープルを、原則をみとめないでいられるのか。
あなたはなにによって行動しているんですか?
79 :
吾輩は名無しである:2008/03/15(土) 20:57:31
D・デフォー作、坂井晴彦訳『ロビンソン・クルーソー』
わたしたちの一生を通じてしばしばあることだが、
なんとかして避けたいとねがい、
また、実際にわが身にふりかかってきたとき、
これほどおそろしいものはないと思わずにはいられないような災難が、
実はかえって、救いに通ずる戸口であり、
現在おちいっている苦しみからぬけ出るためのただ一つの道にほかならない、
ということがある。
80 :
ヴォルテール作、吉村正一郎訳『カンディード』:2008/04/12(土) 00:26:01
「しかしマルチンさん、」と彼は学者にいった。「すべてこういうことについて、あなたはどう
お考えになりますか。精神界の悪と物質界の悪についてのあなたの御意見はどうですか。」
「そうですね。」とマルチンは答えた。「宣教師たちはわたしのことをソチン教徒だといって非難
したが、実はわたしはマネス教徒なのです。」
「御冗談でしょう。」とカンディードはいった。「いまの世にマネス教徒などいるものですか。」
「わたしがおります。」とマルチンはいった。「わたしはそうなるより仕方がない。しかし、ほかに
考えようがないのです。」
「あなたのからだのなかには悪魔がいるにちがいない。」とカンディードはいった。
81 :
ヴォルテール作、吉村正一郎訳『カンディード』:2008/04/12(土) 00:26:44
「悪魔はこの世のことがらにはなかなか抜け目なくお節介を焼くものだ。」とマルチンはいった。
「だから、ほかと同じようにわたしのからだのなかにもいるのかもしれません。しかし何と申しても、
この地球、いやこの小球を見ますと、神様は何か悪意あるものの手にこの地球を渡してしまわれたの
だと思われる。もっともエルドラドーだけは例外ですがね。わたしは隣りの町の滅亡を願わぬ町にも、
またほかの家族をみな殺しにすることを欲しない家族にも、まずお目にかかったことがない。どこに
行っても弱者は強者を呪いながら、その前に出ると這いつくばり、そしてまた強者は弱者を毛や肉を
売る家畜なみに扱っています。百万人の殺人鬼が隊をなして、ヨーロッパの端から端を駆けめぐり、
パンを得るために規律正しく殺人と掠奪とを行なっているのだが、それも、これ以上の実直な職業が
見つからぬからなのです。また都会では平和を楽しみ芸術が栄えているように見えながら、その実、
籠城下の町で味わう苦しみ以上の羨望と心配と不安とに人々は身も世もあらぬ思いをしている。
隠れた悲しみは外にあらわれた不幸よりもいっそう残酷なものです。要するに、わたしはこんなこと
をたくさん見たり聞いたりしてきたので、マネス教徒になったのです。」
「しかし善いことだってありますよ。」とカンディードはいい返した。
「あるかもしれません。」とマルチンはいった。「しかしわたしには縁がありません。」
82 :
ヴォルテール作、吉村正一郎訳『カンディード』:2008/04/12(土) 00:27:39
この議論の最中に一発の砲声が聞こえた。砲声は刻々に大きくなった。各自望遠鏡をとり上げた。
見ると、約三マイルの彼方で二隻の船が交戦しているのであった。二隻とも風のまにまにフランス船
のすぐ側に近寄ってきたので、人々はこの戦闘を高みの見物で面白くながめることができた。
遂に二隻中の一隻の放った一斉射撃が低部に命中して、一隻は沈没した。カンディードとマルチンは、
沈んでいく船の船橋に百人ばかりの人々の姿をはっきり認めた。彼らはことごとく両手を空に差し
挙げていた。阿鼻叫喚だった。そしてたちまち何もかも波にのまれてしまった。
「ほうら、ごらんなさい!」とマルチンはいった。「人間どもがたがいに他を遇することはまずかくの
ごときものです。」
「なるほど、」とカンディードはいった。「こいつぁ少々悪魔的だな。」
ダグラス・ホフスタッター『メタマジック・ゲーム』
第9章 ショパンの音楽=パターン、ポエム、パワー(竹内郁雄訳)
……
しかし、この作品は勇壮な変イ長調のポロネーズ(作品53)と同様、ポーランドの悲劇的
にしてまた英雄的な運命の象徴になっている。いつどこで演奏されようと、この曲はポー
ランド人にとっては特別なのだ。彼らの動悸は高鳴り、つねに深い感動を呼びさます。
一九七五年のある深夜、ドイツからワルシャワ放送で聞いたポーランドの高らかな響きを、
私はけっして忘れることができない。ショパンの音楽の深夜放送にさきだって、軍隊召集
を思わせるドキッとする甲高い二小節の和音が、うなる左手の上にのって、まるでコール
サインのように何回も何回も繰りかえされていた。そして、ワルシャワ放送の微弱な電波が
フェードイン・アウトして、まるで揺らめく炎のようなポーランドの息吹きを象徴していたように
感じられたことも忘れられない。
84 :
吾輩は名無しである:2008/04/30(水) 23:16:43
良スレ発見
パトリック・モディアノ 『1941年。パリの尋ね人』 (白井成雄訳)
……
あの日曜日、大通りは人気がなかった。静寂がとても深く、プラタナスの葉のかすかな
ざわめきが耳に聞こえた。レ・トゥーレルの旧獄舎を高い壁が取り囲み、建物を隠している。
私はこの壁にそって歩いた。一枚のプレートが打ち付けられていた。
―― 軍事地帯 ――
―― 撮影禁止 ――
と読めた。
もう誰も何も思い出さないのだろう。私はそう心の中でつぶやいた。壁の向こう側には
ノーマンズランドが拡がっている。空虚と忘却の地帯だ。ピクピュス通りの寄宿学校とは
違って、レ・トゥーレルの古い建物は壊されてはいなかった。けれど結局は同じことなのだ。
しかし、この記憶喪失の厚い層の下に、時折り何かがはっきり感じられていたのだ。
押し殺された遠いこだまのようなもの。だが、それが何かはっきりと言うことは不可能だったろう。
ちょうど磁場のそばにいながら、磁波を捉える道具を持っていないようなものだ。人々は怪しい
とは思いながら、やましい気持ちを抱きながら、「軍事地帯、撮影禁止」の掲示を貼り付けたのだ。
猪瀬直樹 『こころの王国』
……
「マーさん、あなたはどうしていつもそんな冷たい言い方しかなさらないの」
「冷たいわけではないよ。先生はね、夕暮れにあの豆腐屋さんの間延びしたラッパの音が
響くころ、下宿の二階の窓辺で呼び子の笛をピーッと鳴らしていたんだ。袂にキャラメル
の粒をざらっと突っ込んでいる。子供たちも知っていて階段を昇って部屋に入って来て車
座になって待っている。するとキャラメルをひとつずつあげては、無邪気な口調で家庭や
近所での出来事の仔細を聞いている」
「だから?」
「だから、そういう視線は、暖かいとか冷たいという問題ではないと言っているのです。
人生の断面が折り重なって眼前に湧き出している、それを記録したいかどうかという作家
としての根源的な欲求がどれだけあるかということでしょう。ただ素材を集めているので
はなくて、生きていることを肯定するなにかを見つけているのです」
88 :
吾輩は名無しである:2008/07/24(木) 14:05:23
無名作家の駄文じゃなくて、
おまえらもっと有名なの出せよ
例えば、アンカレの冒頭
「幸せな家庭はどれも同じだが、不幸せな家庭にはそれぞれの形がある」
だっけ?立ち読みしただけだからうろ覚えだが。
星の王子様で狐の大切な秘密
「心でないと、よく見えない。大切なものは目では見えないんだ」
89 :
吾輩は名無しである:2008/07/24(木) 14:44:54
W.ジェイムズ著『プラグマティズム』(岩波文庫)P76ー77
『神はこの世界を現にあるとおりに造ることのできた存在者である、
このことにたいしてわれわれはおおいに感謝するが、しかしそれだけのことである。
ところで今度は、反対の仮説をとって、微細な物質が自己の法則にしたがって
この世界を神の創造と寸分違わず造りかえたものと考えてみると、
われわれは物質にたいして神へと同じに感謝すべきではないだろうか。
そこでわれわれが神は仮説であるとしてこれを打ち捨て、物質だけに責任を負わせたとしても、
われわれはどこに損失をまねくことになるであろうか。
どこに格別な生気なさもしくは粗雑さが入り込んでくるであろうか。
また経験は現にあるとおりのものであるから、この世界に神がいまそうとも、いかにして
この世界をいっそう生気あらしめ、いっそう豊かにすることができようか。』
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4003364015/
90 :
吾輩は名無しである:2008/07/24(木) 17:52:10
この世界には不可能という巨きな封印が貼られている。
三島由紀夫
「午後の曳航」より
91 :
吾輩は名無しである:2008/07/24(木) 18:14:56
重要な質問というのは子供でも定式化できる質問だ
そしてその質問にはいつも回答が存在するとは限らない
こういった回答の存在しない質問というのはいわば柵のようなものであって、越えていくことはできない
このような回答のない質問が人間に限界を齎し、人間の存在に境界線を与える
みたいなやつ
クンデラ 存在の耐えられない軽さより
サン=テグジュペリ 『夜間飛行』(堀口大學訳)
……
ファビアンは、不思議な天体の外圏に達したのだと思った、なぜかというに、彼の両手も、着衣も、
機翼も、すべてが光を放ち始めたので。光は星や月から来るのではなくて、彼の下の方から、彼の
周囲から、そこにひろがったその白いものから、さしていた。
彼の下にある雲は、月から受ける雪のような光をことごとく反射していた。塔のように高い左右の雲
からも同じく光が反射していた。あたり一面を満たして、光の牛乳が流れていた、そしてその中で、
機がゆあみをしていた。ファビアンは振返って、無電技師が微笑するのを見た。
93 :
吾輩は名無しである:2008/07/26(土) 10:18:49
乙一とか、恥ずかしい作家が好きな奴は消えてくれw
低レベルな読書思考の奴が一人で貼りすぎだろ。
ラノベだとか中途半端な哲学で幅広い指向のつもりかw
94 :
十訓抄:2008/07/26(土) 11:00:26
花園の大臣の御もとに、はじめて参りたる侍の、名簿に能は歌よみと書きたりけり。
殿、秋のはじめに南殿にいでてはたおりのなくを愛しておはしましけるに、暮れければ、
下格子に人参れと仰せられけるに、蔵人の五位たがひて人も候はぬと申して
この侍の参りたるを、ただおのれおろせとありければ、参りたるに、
汝は歌よみとなとありければ、かしこまりて格子おろしさして候ふに、
このはたおりをば聞くや、一首つかうまつれと仰せられければ、青柳のと五文字をいだしたるを、
候ひける女房たち際にあらずと思ひたりけるにや、笑いだしたりけるを、
物を聞きはてで笑ふやうやはあると仰せられて、とくつかうまつれと仰せられければ、
あをやぎのみどりのいとをくりかえし夏へて秋ははたおりぞなく
とよみたりければ、萩織りたる御直衣をおしいだして賜わせてけり。
95 :
名無し物書き@推敲中?:2008/09/13(土) 21:34:17
ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」
冷たい灰色の感触が私をとりまいていた―諦念。リハビリテーションとか、治療とか、あの連中を
世間へ復帰させるとか、そんな話は一言もなかった。希望を語るものは一人もいなかった。受けた
印象は、生ける屍―もっと厳しくいうならば、生かさず殺さず、何も知らさずという感じだろうか。
魂ははじめから干からびていて、日々の時空をただ凝視すべく運命づけられているのだ。
96 :
名無し物書き@推敲中?:2008/09/13(土) 21:49:31
ロバート・A・ハインライン「夏への扉」(一部改造)
自説の正しさを最後の最後まで証明しようと空しい努力を続けつつ、2ちゃんねるで隠喩で操作
され洗脳を受けて死刑へと運ぼうとされていたようだ。
あまり自慢のできた発明ではなかったのだ。つまり、なにからなにまで借物だったのである。
〜は〜のマネだし、〜は〜の剽窃、〜の考案に至っては十いくつものさまざまな品物からお智恵を
拝借した。
むこうは二人、それにあれだけの文章を揃えているのに、こっちはあんたの証言だけというのでは、
勝つ見込みがあるどころか、下手すれば、精神分裂症ってことになって、どこかの病院かなんかへ
ほうり込まれないとも限らない。
岸田秀「ものぐさ精神分析」(一部改造)
現実我を虐待すると、現実我からますますナルチドーを引きあげて信念=幻想我に注ぐようになる。
公認されない形で表わされる集団の「エス」の表現形式は「小児的」とならざるを得ない。
自分より下の階層の者は多かれ少なかれ穢れたものの範疇に入っており、彼が隠している穢れたものを
暴いても対比効果が小さい。
かつての遊郭や赤線区域も、ほかで許されないことが許される別世界として設けられていた。
エスの幻想は私的幻想である。エスの幻想の世界に住んでいるかぎり、各人のあいだにいかなる
つながりもあり得ない。その状態は、いわば、それぞれ勝手な空想に耽って自慰をしていて、
おたがいに相手には無関心な男と女のようなものであり、さっきの譬えをもう一度使えば、それぞれ
酔っ払って自分だけの内的世界に閉じこもり、てんでんばらばらな夢を追っている兵士たちのような
ものである。この兵士たちをまとめて、あの高地を奪取する統一作戦に向かわせなければならない。
97 :
名無し物書き@推敲中?:2008/09/13(土) 21:53:46
トニー・マイヤーズ「スラヴォイ・ジジェク」
広い意味でとれば、想像界とは、休むことなき自己の追求、自己は統一されているという物語を
支えるために、次から次へとおのれに似た複製を取りこみ、融合しつづける動きのことだ。
樫村愛子「ラカン派社会学入門」
象徴的(幻想的)な意味や価値をはぎ取られて、裸の形であらわれる想像的他者。
男性を自己より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの、性的慰安の対象)に留め
おこうとするのである。このような対象を、ラカンは「対象a」とよぶ。そして転移を拒否
された患者が、第二の局面で分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。
この関係は、第一の転移の局面と比べてはるかに不安定で、患者の攻撃性が分析家に向け、
容易に発動しやすい状態である。
対象aは、余分な対象、構造の中に場所を見つけることのできない対象である。
性的他者の出現とは、現実的―身体的な他者が主体の欲望の対象となり、主体を「支える」
側面と、退行的―幼児的な対象、すなわち十全たる幻想的対象としての想像的他者が
「破壊される」側面の、両面からなる。
小森陽一「ポストコロニアル」
「小文字の他者」を、植民地化された地域の周縁化された他者と重ねることができる。
それに対して、ラカンの言う「大文字の他者」、すなわち言説を中心とした記号的世界としての
「象徴界」を統括する「象徴的他者」は、比喩的にいえば、植民地を支配する帝国主義の言説を
司る中心であり、観念としての帝国それ自体となる。
被植民地的主体は、隅々まで、この帝国主義的な他者の監視と凝視のまなざしに曝され、かつ
刺し貫かれることになる。
先のラカンの理論とのかかわりで言えば、「小文字の他者」が周縁化された植民地の被支配者で、
「大文字の他者」が中心化された植民地支配者であるという二分法が反転する可能性がある、
ということにほかならない。
98 :
名無し物書き@推敲中?:2008/09/13(土) 22:03:14
フロイト「エロス論集」(一部改造)
鎖の一つの環としての個人は、自己の意に反して、少なくとも自らの意志をもたずに、鎖に奉仕する
のである。個人は複製子を自己の意図に従ったものと考えているが、別の視点からみると、個人とは
複製子の付属物にすぎない。そして快楽という褒美につられて、複製子に自分の力を捧げているので
ある。個人とは複製子の乗り物に過ぎない。
ドーキンス「利己的な遺伝子」
彼らはあなたの中にも私の中にもいる。彼らはわれわれを、体と心を生み出した。そして彼らの維持
ということこそ、われわれの存在の最終的論拠なのだ。彼らはかの自己複製子として長い道のりを
歩んできた。今や彼らは遺伝子という名で歩きつづけている。そしてわれわれは彼らの生存機械なの
である。
ドーキンス「虹の解体」
ミームは、良い考えや、良い旋律、良い詩でもあり得る。模倣によって流布してゆくものはすべて、
体内の複製やウイルス性の感染によって流布する遺伝子と同様に、ミームなのである。
99 :
吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 22:04:05
フロム「愛するということ」
非利己的な人は、愛する能力や何かを楽しむ能力が麻痺しており、人生にたいする憎悪にみちて
いる。見かけの非利己主義のすぐ後ろには、かすかな、だが同じくらい強烈な自己中心主義が
隠れている。非利己主義もまた他と同じく症候の一つであることをあきらかにし、非利己主義も
他の症状も生産性の欠如が原因であることをあきらかにし、その生産性の欠如を治療しないかぎり、
非利己的な人間は治療しない。
岸田秀「ものぐさ精神分析」(一部改造)
人は、幼児の際のナルシシズム的な完全性への夢を放棄することができない。
エゴイズムが存在していなかったかつての完全なナルシシズムの状態を回復したいあこがれが消滅
することはない。
浅田彰「構造と力」
イヤイヤ連れ出された外の世界が象徴秩序であるからには、そこが居心地のいい所であるはずがない。
だから、誰もが言葉以前の世界を心の奥底で夢見ている。
それはお前の神だ。私のものではない。
101 :
吾輩は名無しである:2008/09/15(月) 03:25:41
ひでえスレだ。
102 :
平下流:2008/12/04(木) 03:10:45
中島敦「山月記」
理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取つて、
理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
103 :
吾輩は名無しである:2008/12/09(火) 09:07:26
デュルケム 「自殺論」
どんな生物も、その欲求が十分に手段と適合していない限り幸福ではありえないし、また生きることも
できない。それに反して、もしも欲求が、手段の上で許容されるもの以上を求めたり、あるいはたんに
その手段と関わりのないものを求めたりすれば、欲求は、絶えず裏切られ、苦痛なしには機能しえない
であろう。
ところで、つねにかならず苦痛を伴う行動は、繰り返し行われないのが普通である。十分に満たされない
傾向は萎縮するが、生きるという傾向は他の全ての傾向の総体であるから、もし他の諸傾向が弱まれば、
生きるという傾向も弱まらざるを得ない。
アノミー的自殺について説明してるところ。
一言一句ゆるがせに出来ないくらい簡潔明瞭な文章だと思う。
104 :
吾輩は名無しである:2009/03/02(月) 16:09:14
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
「ああ、われわれはきっと蘇る。きっとまたお互いに顔をあわせて、すぎ去ったむかしのことを、喜ばしく嬉しい気持で、語り合うようになるんだからね。」
105 :
吾輩は名無しである:2009/03/02(月) 16:48:37
パムク『雪』
『わたしはあなたとは違って、だれかが、どう思うかによって生きていない』
良スレ!
参加住民が良い!
107 :
吾輩は名無しである:2009/06/02(火) 15:41:49
私は今まで、あれほど拒否にあふれた顔を見たことがない。
私は自分の顔を、世界から拒まれた顔だと思つてゐる。しかるに有為子の顔は世界を拒んでゐた。
月の光りはその額や目や鼻筋や頬の上を容赦なく流れていたが、不動の顔はただその光りに洗はれてゐた。
一寸目を動かし、一寸口を動かせば、彼女が拒もうとしてゐる世界は、それを合図に、そこから雪崩れ込んで来るだらう。
私は息を詰めてそれに見入つた。歴史はそこで中断され、未来へ向つても過去へ向つても、何一つ語りかけない顔。
さういふふしぎな顔を、われわれは、今伐り倒されたばかりの切株の上に見ることがある。
新鮮で、みづみづしい色を帯びてゐても、成長はそこで途絶へ、浴びるべき筈のなかつた風と日光を浴び、
本来自分のものではない世界に突如として曝されたその断面に、美しい木目が描いたふしぎな顔。
ただ拒むために、こちらの世界へさし出されてゐる顔。……
三島由紀夫
「金閣寺」より
108 :
吾輩は名無しである:2009/06/04(木) 21:29:11
町田康 「告白」
あかんかった。
109 :
吾輩は名無しである:2009/06/04(木) 21:34:35
グルニエ「エジプトだより」
君より前に生きたものたちの骨からなるこの大地の上をそっと通り過ぎよ
不用意にも君は何の上を歩いているのか知っているのか?
110 :
吾輩は名無しである:2009/06/08(月) 12:37:05
透は美しい微笑をうかべた。
かういふとき、透は厚い硝子の壁をするすると目の前に下ろすのである。
天から下りてくる硝子。
朝の澄み切つた天空と全く同じ材質でできた硝子。
本多はもうその瞬間に、どんな叫びも、どんな言葉も、透の耳には届かないことを確信する。
むこうからは開け閉てする本多の総入歯の歯列が見えるだけだらう。
すでに本多の口は、有機体とは何の関わりもない無機質の入歯を受け入れてゐた。
とつくに部分的な死ははじまつてゐた。
三島由紀夫
「天人五衰」より
111 :
吾輩は名無しである:2009/06/08(月) 13:28:24
コエーリョ「第五の山」
人生は望みによってではなく、その人の行いによって作られる。
112 :
吾輩は名無しである:2009/06/12(金) 12:05:07
乙女たちは、鼈甲色の蕊をさし出した、直立し、ひらけ、はじける百合の花々のかげから立ち現はれ、
手に手に百合の花束を握つてゐる。
奏楽につれて、乙女たちは四角に相対して踊りはじめたが、高く掲げた百合の花は危険に揺れはじめ、
踊りが進むにつれて、百合は気高く立てられ、又、横ざまにあしらはれ、会い、又、離れて、
空をよぎるその白いなよやかな線は鋭くなつて、一種の刃のやうに見えるのだつた。
三島由紀夫
「奔馬」より
113 :
吾輩は名無しである:2009/06/12(金) 12:06:48
そして鋭く風を切るうちに百合は徐々にしなだれて、楽も舞も実になごやかに優雅であるのに、
あたかも手の百合だけが残酷に弄ばれてゐるやうに見えた。
……見てゐるうちに、本多は次第に酔つたやうになつた。これほど美しい神事は見たことがなかつた。
そして寝不足の頭が物事をあいまいにして、目前の百合の祭ときのふの剣道の試合とが混淆し、
竹刀が百合の花束になつたり、百合が又白刃に変つたり、ゆるやかな舞を舞ふ乙女たちの、濃い白粉の額の上に、
日ざしを受けて落ちる長い睫の影が、剣道の面金の慄へるきらめきと一緒になつたりした。……
三島由紀夫
「奔馬」より
『ああ……「僕の年」が過ぎてゆく! 過ぎてゆく! 一つの雲のうつろいと共に』
三島由紀夫
「春の雪」より
115 :
吾輩は名無しである:2009/06/18(木) 23:17:08
海、名のないもの、地中海であれ、日本海であれ、目前の駿河湾であれ、
海としか名付けようのないもので辛うじて統括されながら、決してその名に服しない、
この無名の、この豊かな、絶対の無政府主義。
三島由紀夫
「天人五衰」より
116 :
吾輩は名無しである:2009/06/18(木) 23:18:58
…遠いところで美が哭いてゐる、と透は思うことがあつた。
多分水平線の少し向こうで。
美は鶴のやうに甲高く啼く。その声が天地に谺してたちまち消える。
人間の肉体にそれが宿ることがあつても、ほんのつかのまだ。
三島由紀夫
「天人五衰」より
117 :
吾輩は名無しである:2009/06/18(木) 23:51:22
食肉とは殺戮である。
ポール・マッカートニー
118 :
吾輩は名無しである:2009/06/19(金) 00:00:11
119 :
吾輩は名無しである:2009/06/19(金) 02:46:09
三島の文は相変わらずキモイな
スレの趣旨の理解に努めろ。
他人の成果物を云々するのはお前自身の品性を貶めていることを知れ。
>>117 だから何?って感じ。
肉食人種代表の白人が偉そうに言うな。おまえもこの地球に生まれ生きてる限りその連鎖の一部だと気づきな。
122 :
弧高の鬼才:2009/06/19(金) 13:45:52
と、ちょっぴり辛辣な口調だ
123 :
吾輩は名無しである:2009/06/19(金) 14:12:28
そして三島の文は相も変わらずベタベタ気持ち悪い
124 :
 ̄ ̄ ̄ ̄l/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/06/19(金) 14:26:26
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人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\
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こんなとこでAA貼るバカのがキモチわるい
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 ̄ \__、("二) └─┘ ̄l二二l二二 _|_|__|_
127 :
吾輩は名無しである:2009/06/19(金) 15:51:15
|| ̄ Λ_Λ
||_(Д`; ) 「なに?このスレ・・・」
\⊂´ )
( ┳'
嶋田久作 「ドグマ・ナグラ」
スカラカ、チャカポコ。スカラカ、チャカポコ。スカラカ、チャカポコ。
129 :
吾輩は名無しである:2009/06/22(月) 02:57:24
外はみぞれ。
何を笑うや、レニン像。
130 :
吾輩は名無しである:2009/06/22(月) 07:39:31
暗殺されるべき政治家は誰だと思いますか
「べき」は神様しか使えない
132 :
吾輩は名無しである:2009/06/25(木) 12:10:38
そこはあまりにあかるくて、あたかもま夜なかのやうだつた。
蜜蜂たちはそのまつ昼間のよるのなかをとんでゐた。
かれらの金色の印度の獣のやうな毛皮をきらめかせながら、たくさんの夜光虫のやうに。
苧菟はあるいた。彼はあるいた。
泡だつた軽快な海のやうに光つてゐる花々のむれに足をすくはれて。……
彼は水いろのきれいな焔のやうな眩暈を感じてゐた。
三島由紀夫
「苧菟と瑪耶」より
133 :
吾輩は名無しである:2009/06/25(木) 12:14:10
やーね三島ったら
べたべたとフラワリーな言葉並べて気持悪いったらありゃしない
ホントくだらないわね
134 :
吾輩は名無しである:2009/06/25(木) 16:15:59
初夏 満天の星である
これぐらいしか思い出せない
135 :
吾輩は名無しである:2009/06/25(木) 16:53:40
136 :
吾輩は名無しである:2009/06/25(木) 16:56:40
中学生の日記みたいだな…
137 :
吾輩は名無しである:2009/06/25(木) 17:51:54
東野けいごwww
小中学生むけwww
138 :
吾輩は名無しである:2009/06/25(木) 18:27:20
小中学生向け。今の時代はそれが最も適切なのかもしれない
知ってるかね?今のテレビが7歳にも分かるようにしか作られてないことが
139 :
吾輩は名無しである:2009/06/26(金) 15:05:36
>>138 知ってるかね?じゃねぇよwwwキモヲタが
140 :
吾輩は名無しである:2009/06/26(金) 21:57:27
総じて私の体験には一種の暗合がはたらき、鏡の廊下のやうに一つの影像は無限の奥までつづいて、
新たに会う事物にも過去に見た事物の影がはつきりと射し、かうした相似にみちびかれて
しらずしらずに廊下の奥、底知れね奥の間へ、踏み込んで行くやうな心地がしてゐた。
運命といふものに、われわれは突如としてぶつかるのではない。
のちに死刑になるべき男は、日頃ゆく道筋の電柱や踏切にも、たへず刑架の幻をゑがいて、
その幻に親しんでゐる筈だ。
三島由紀夫
「金閣寺」より
141 :
吾輩は名無しである:2009/06/26(金) 22:00:09
総じて私の体験には一種の暗合がはたらき、鏡の廊下のやうに一つの影像は無限の奥までつづいて、
新たに会ふ事物にも過去に見た事物の影がはつきりと射し、かうした相似にみちびかれて
しらずしらずに廊下の奥、底知れね奥の間へ、踏み込んで行くやうな心地がしてゐた。
運命といふものに、われわれは突如としてぶつかるのではない。
のちに死刑になるべき男は、日頃ゆく道筋の電柱や踏切にも、たへず刑架の幻をゑがいて、
その幻に親しんでゐる筈だ。
三島由紀夫
「金閣寺」より
142 :
吾輩は名無しである:2009/06/26(金) 22:17:23
「ここで出すのは、まずいよ」
和也のささやきは悲鳴のようになった。ほんの十メートルも離れた場所では、酔っ払いが大勢花火を見ているのだ。
「だいじょうぶ。誰もうしろのほうなんて気にしないから」
紗枝ねえは和也のペニスをつまみだした。先端に透明な滴が伸びている。親指の腹で丸く先をなでながら、紗枝ねえがいった。
「いけないんだ、カズくん。女の子みたいに濡らしてる」
石田衣良 「遠花火」
>>141-142 万人を納得させる名文を紹介することと
「あたしが陶酔するとこはココなの」と自己披瀝することは
全く意味が違う。
145 :
吾輩は名無しである:2009/06/28(日) 21:53:37
146 :
吾輩は名無しである:2009/06/28(日) 22:01:37
オリュウノオバは自分が路地そのものであり、自分がどんなに老ボケしても息がある限り、親よりも早く抱き取って産湯をつかわせた生まれてきた子らの場所は、女の子宮のようにとくとくと脈打ちつづけるし、
自分が冷たくなって動かず物を思い出す事もなく考える事もなくなれば子らの場所は消え、生まれて来る者らは永久に場所を持たない流れ者になるのだと思い、
オリュウノオバは自分の生命が消える日を考えて火に手をかざしながら涙を流した。(中上健次『千年の愉楽』)
グレッグ・イーガン「ボーダー・ガード」
死が人生に意味をあたえることは、決してない。つねに、それは正反対だった。
死のもつ厳粛さも、意味深さも、そのすべては、それが終わらせたものから奪いとったものだった。
けれど、生の価値は、つねにすべてが生そのものの中にある それがやがて失われるからでも、それがはかないからでもなくて。
A.A.ミルン 『プー横丁にたった家』(石井桃子訳)
……
クリストファー・ロビンは、トラーとルーを見上げて、何か考えつこうとしました。
「ぼく、考えたんだけど、」コブタが、一生けんめいに言いました。「イーヨーがね、木の下に立って、
それからプーが、イーヨーの上にのっかって、それからぼくが、プーの肩車にのっかって――」
「それから、きゅうにイーヨーの背なかが、ポキンと折れたら、こりゃみんなで笑えるな、はァはァ!
静かなおもしろみ。しかし、実際の役にはたたんのでな」と、イーヨーは言いました。
「あの、だけど」と、コブタは、がっかりして言いました。「ぼくは……」
「そういうふうにすると、きみの背中折れるの?」プーはびっくりしてききました。
「そこがおもしろいとこじゃないかな、プーさんや。あとにならんと、はっきりわからんというのが……」
プーが「はァ!」と言って、みんなは、また考えこみました。
149 :
吾輩は名無しである:2009/06/29(月) 23:57:14
純粋とは、花のやうな観念、薄荷をよく利かした含嗽薬の味のやうな観念、
やさしい母の胸にすがりつくやうな観念を、ただちに、血の観念、不正を薙ぎ倒す刀の観念、
袈裟がけに斬り下げると同時に飛び散る血しぶきの観念、あるひは切腹の観念に結びつけるものだつた。
「花と散る」といふときに、血みどろの屍体はたちまち匂ひやかな桜の花に化した。
純粋とは、正反対の観念のほしいままな転換だつた。
だから、純粋は詩なのである。
三島由紀夫
「奔馬」より
150 :
吾輩は名無しである:2009/06/29(月) 23:58:03
壁には西洋の戦場をあらはした巨大なゴブラン織がかかつてゐた。
馬上の騎士のさし出した槍の穂が、のけぞつた徒士の胸を貫いてゐる。
その胸に咲いてゐる血潮は、古びて、褪色して、小豆いろがかつてゐる。古い風呂敷なんぞによく見る色である。
血も花も、枯れやすく変質しやすい点でよく似てゐる、と勲は思つた。
だからこそ、血と花は名誉へ転身することによつて生き延び、あらゆる名誉は金属なのである。
三島由紀夫
「奔馬」より
151 :
吾輩は名無しである:2009/06/30(火) 02:56:07
生きている時には多少の差はあるけど、死んだらみんな同じだ。
使い捨てられた肉の抜け殻だ
村上春樹
「蜂蜜パイ」
ライト。爆音。星。葉。信号。風。あっ!
太宰治 『ダス・ゲマイネ』
153 :
吾輩は名無しである:2009/06/30(火) 10:48:30
わたしはわたしの憧れの在処を知つてゐる。憧れはちやうど川のやうなものだ。
川のどの部分が川なのではない。なぜなら川はながれるから。
きのふ川であつたものはけふ川ではない。だが川は永遠にある。
ひとはそれを指呼することができる。それについて語ることはできない。
わたしの憧れもちやうどこのやうなものだ。
三島由紀夫
「花ざかりの森」より
154 :
吾輩は名無しである:2009/06/30(火) 10:50:55
追憶は「現在」のもつとも清純な証なのだ。
愛だとかそれから献身だとか、そんな現実におくためにはあまりに清純すぎるやうな感情は、
追憶なしにはそれを占つたり、それに正しい意味を索めたりすることはできはしないのだ。
それは落葉をかきわけてさがした泉が、はじめて青空をうつすやうなものである。
泉のうえにおちちらばつてゐたところで、落葉たちは決して空を映すことはできないのだから。
三島由紀夫
「花ざかりの森」より
>>151 これって、無宗教性のプンプン匂う支那の喜びそうな文章…
名文からは程遠いと思うけど(笑
156 :
吾輩は名無しである:2009/06/30(火) 11:15:46
今ここに一発逆転の希望を得て、
ついにふたたび起動する私のロマンチック・エンジン。
森見登美彦
『夜は短し歩けよ乙女』
乙女を追う先輩による心の中での咆哮
157 :
吾輩は名無しである:2009/06/30(火) 13:42:40
突然だが、あの女とは別れた。
小林秀雄
158 :
吾輩は名無しである:2009/07/01(水) 23:01:37
ああ、あの川。わたしにはそれが解る。
祖先たちからわたしにつづいたこのひとつの黙契。
その憧れはあるところでひそみ或るところで隠れてゐる。
だが、死んでゐるのではない。古い籬の薔薇が、けふ尚生きてゐるやうに。
祖母と母において、川は地下をながれた。父において、それはせせらぎになつた。
わたしにおいて、――ああそれが滔々とした大川にならないでなににならう、
綾織るもののやうに、神の祝唄のやうに。
三島由紀夫
「花ざかりの森」より
159 :
吾輩は名無しである:2009/07/01(水) 23:11:40
三島ってのは相も変わらず
ペラッペラな言葉を積み重ねていくだけで
本当にくだらないわねぇ
160 :
吾輩は名無しである:2009/07/01(水) 23:21:30
日本浪漫派ではなくドイツロマン派の影響を
よーく受けていたのがよく分かる文章だな
ま、精巧なイーミテーションなんだけどさ
161 :
吾輩は名無しである:2009/07/01(水) 23:25:58
「独楽」(こま)
(音楽独楽なりき。白銀なせる金属にておほはれる)
それは悲しい音を立てゝ廻つた。
そして白銀のなめらかな体を
落着きもなく狂ひ廻つた。
よひどれの様に、右によろけ、
左にたふれ。
それは悲しい酔漢の心。
踊るを厭ふその身を、一筋の縄に托されて。
唄ふを否み乍らも、廻る歯車のために。
それは悲しい音を立てゝ廻つた。
「静寂の谷」から、
「狂躁の頂」に引き上げられ、
心のみ、尚も渓間にしづむ。
それは悲しい酔漢の心。
そして白銀のなめらかな体を、
落着きもなく狂ひ廻つた。
平岡公威(三島由紀夫)
12歳の詩
162 :
吾輩は名無しである:2009/07/01(水) 23:31:40
「斜陽」
紅い円盆のやうな陽が、
緑の木と木の間に
落ちかけてゐる。
今にも隠れて了ひさうで、
まだ出てゐる。
然し、
私が一寸後ろを向いて居たら、
いつの間にか、
燃え切つてゐて、
煙草の吸殻のやうに、
ぽつんと、
赤い色が残ってゐるだけだつた。
平岡公威(三島由紀夫)
12歳の詩
>>160 バカほど、なんとか派なんとか派とか上っ面でカテゴリー分けしたがる典型レス
164 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 11:27:58
新治が女をたくさん知つてゐる若者だつたら、嵐にかこまれた廃墟のなかで、
焚火の炎のむかうに立つてゐる初江の裸が、まぎれもない処女の体だといふことを見抜いたであらう。
決して色白とはいへない肌は、潮にたえず洗はれて滑らかに引締り、
お互ひにはにかんでゐるかのやうに心もち顔を背け合つた一双の固い小さな乳房は、
永い潜水にも耐へる広やかな胸の上に、薔薇いろの一双の蕾をもちあげてゐた。
三島由紀夫
「潮騒」より
165 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 11:30:11
「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」
少女は息せいてはゐるが、清らかな弾んだ声で言つた。
裸の若者は躊躇しなかつた。
爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火のなかへまつしぐらに飛び込んだ。
次の刹那にその体は少女のすぐ前にあつた。彼の胸は乳房に軽く触れた。
「この弾力だ。前に赤いセエタアの下に俺が想像したのはこの弾力だ」と若者は感動して思つた。
二人は抱き合つた。少女が先に柔らかく倒れた。
「松葉が痛うて」と少女が言つた。
三島由紀夫
「潮騒」より
166 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 11:31:43
この乳房を見た女はもう疑ふことができない。
それは決して男を知つた乳房ではなく、まだやつと綻びかけたばかりで、
それが一たん花ひらいたらどんなに美しからうと思はれる胸なのである。
薔薇いろの蕾をもちあげてゐる小高い一双の丘のあひだには、よく日に灼けた、しかも
肌の繊細さと滑らかさと一脈の冷たさを失はない、早春の気を漂はせた谷間があつた。
四肢のととのつた発育と歩を合はせて、乳房の育ちも決して遅れをとつてはゐなかつた。
が、まだいくばくの固みを帯びたそのふくらみは、今や覚めぎはの眠りにゐて、
ほんの羽毛の一触、ほんの微風の愛撫で、目をさましさうに見えるのである。
三島由紀夫
「潮騒」より
確かに三島って美文家=仕立てのいい文章の装飾家
ではあるが描写されている内容じたいは凡庸だな
168 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 12:45:50
潮騒は奇抜を目指したものじゃないからね。
169 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 12:49:57
一見、凡庸にみえても潮騒の名シーンは普遍で心に残るし。
170 :
167:2009/07/05(日) 13:19:06
俺が言いたいのはそういうことじゃないんだな…
三島の場合、作者が意気込みすぎて文章に力がはいりすぎているのが
文面を一読しただけでも伝わってくる
それは味読や鑑賞にはむしろ“邪魔”に感じられるくらいなんだな
だから潮騒の件の場面にしたって、三島の装飾を盛り込んだ、くだくだしい文章で
描かれるよりも、現代のフレッシュな若手作家があっさりと書いたほうが
もしかするとより心に残るんじゃないの?、と思ってしまうんだなw
そういうのはもはや個人の美意識の問題だけど
171 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 13:20:40
私は、自分の中から出てきたところのものを生きてみようと欲したにすぎない。
なぜ、それがそれほど困難だったか。
ヘルマン・ヘッセ「デミアン」
172 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 13:20:58
ぼくはあなたが子供なのが。
こんなすばらしくてかわいい子供なのが、
うれしくてたまらないんですよ。
ドストエフスキー『白痴』
173 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 13:23:15
普通でないことをやると、日常の風景がいつもと違って見えます。
でも、だまされないように。現実は常に一つなのですから。
村上春樹「1Q84」
174 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 15:03:01
>>170 あっさりして書いたら潮騒の名場面にはならないよ。
三島の文章は映像的でもあるから。
それに潮騒の文章が装飾すぎだとは、ちっとも思わないし。
これくらいの描写で装飾がどうたらいうほどじゃないわ。
175 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 15:07:23
>>173 これの何が名文なんだか。
現実は一つじゃない、って、その「現実」って何だよ(笑)
もっと哲学してください。レベルが低すぎ。
176 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 15:14:36
神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。
しかし神は真理自体でもなく、正義自体でもなく、神自体ですらないのです。
それは管理人にすぎず、人知と虚無との継ぎ目のあいまいさを故ら維持し、ありもしないものと所与の存在との境目をぼかすことに従事します。
何故なら人間は存在と非在との裂け目に耐へないからであるし、一度人間が『絶対』の想念を心にうかべた上は、
世界のすべてのものの相対性とその『絶対』との間の距離に耐へないからです。
遠いところに駐屯する辺境守備兵は、相対性の世界をぼんやりと絶対へとつなげてくれるやうに思はれるのです。
そして彼らの武器と兜も、みんな人間が稼いで、人間が貢いでやつたものばかりです。
三島由紀夫
「美しい星」より
三島の文章をあちこちに貼りまくりオバハン、うぜぇえええよw
なんか三島が最も嫌うタイプのおばんだと思われ、反吐はくんじゃね?
179 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 15:45:30
>>170 それは単に、おまいが読み慣れていない、というだけだよ。
広津流浪を原文で読んだことあるか? 北村透谷は?
夏目漱石は? 原文で読んだことあるか?
三島由紀夫の文章は、三島個人の出自や環境&読書体験と深く結びついており
三島が生きた時代を映し込みながら丹念に彫り出されたもので
それとして完成度が高いし、確立し屹立していて揺るぎがない。
もしも
いまの若い作家が、同じテーマを自分の言葉で書きたいなら、
書けばいいんだよ、いくらでも。誰も止めはしない。むしろ歓迎されるだろ。
無論、それとしての完成度が低ければ
問題にもならないが。
180 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 15:55:45
それらとフラワリーだらけの三島の違いが分からない
あほがよっぽど問題
181 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 16:01:03
三島信者が一番三島を浮かばれない存在にしてるよな
182 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 16:05:03
三島信者は白痴状態かと思う時がある
貴殿方の教祖様を馬鹿にしてるわけじゃないから
これは真摯に受け止めるように
183 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 16:05:51
人の感情は、千差万別で、例として取り上げることなど出来ないものだ。
どんなに尽くされた言葉でも、自分の気持ちとは、どこか違うのだ。
それは、人間が違うからだ。
それでも、自分でない人の書いた恋の話を人々は求める。
いったい、何を確認したいのか。
山田詠美、ぼくは勉強ができない、より。
>>179 昔の作家のをそのまま読むのは時間の無駄じゃね?
漱石の文と三島の文と、違ってるけどみんないい、ってんでOK? みすず
いま騒がれている
村上春樹の文も、じき過ぎていくだろ。
村上の次の世代は、最初から英語で書くよ、世界同時発売つーかWebで発表つか、
じきそんな時代になるって。
ーーー「昔の作家ってさ、初稿を日本語で書いてたんだね、村上春樹とかさ、
時間かかったろうなあ…ようもめんどいことしてたもんだよ。
なんで最初から英語で書かなかったんだろ? 信じらんねえよなあ…」
185 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 16:36:54
>>183 少なくとも山田えーみの文など誰も求めてないからw 消えろよ引用ババア
>>179 「潮騒」が発表されたのは、第二次世界大戦終結後、数年経った1954年のことだよ?
日本が高度経済成長に入る直前の時期で、政治は第五次吉田内閣の時期、
第五福竜丸が太平洋上で被曝して事件になり、
最初の「ゴジラ」映画が制作され公開された年だ。
そんな時代と北村透谷や夏目漱石といった作家が
生きていた時代とは比較できるわけがない。
俺が言いたいのは作家は自分が生きた時代のことばを使って書けよ、ということだ。
べつに俺は普通に「大鏡」やら「伊勢物語」くらいは原文で暇つぶしに読むが
それらは俺に厭味を感じさせない
三島の文章は背景になっている時代背景を知っているから
その時代錯誤やら過剰装飾やらが神経に触るんだよ
だからさっきから言っている通り、これは個人的な美意識の違いだろ?
187 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 16:44:44
言葉を骨董品の様に扱うようになったら終りだよ
過去の美しい文章に惹かれるのもいいけど
小説家ならそれに息吹を与えるような形で使ってよ
188 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 16:54:35
>>179 たしかに明治期の作家たちの教養は、古典に加え江戸期の爛漫も含んでる。
三島由紀夫は祖母さんに連れられて歌舞伎、能狂言、文楽なんか親しんで
読み物も祖母さん仕込みの古典ぷるぷるの世界で、
そういう意味では伝統的教養が文にも溢れ出る。
しかし三島の頭の中は、戦中教育ー→敗戦で価値観崩壊→→戦後民主主義時代に社会人となる、
特異な価値顛倒時代を経た一種の「信じるものは何もない」世代だから、
その自由さと虚無感もにじみ出る。
村上春樹の文章に、ジャズとアメリカ文学が反映しているのと同様に。
作家自身が中にどれほどのものを溜め込んでいるかで、教養も体験も思索も含め
文章が決定されてる感じ。
>>186 神経に触るのを、何故わざわざ読むかなあ? 信じらんない。読まなきゃいいじゃん。
>>151 「人は死ねばゴミになる」の方が遥かにイイ。
<元検事総長だっけかの死ぬ前の言葉
191 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 18:04:17
我が心は石にあらずば転がすべからざるなり
我が心はむしろにあらずば巻くべからざるなり
高橋和巳「我が心は石にあらず」
手錠をかけられたら、手錠のまま走る
牢屋にいれられたら、牢屋のまま走る
ー村上春樹じゃなく太宰治の言葉ー
193 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 23:08:57
>>186 あんたは本当に「潮騒」読んだことあるの?
潮騒のどこが時代錯誤で、過剰装飾なのかさっぱり意味不明。
登場人物ね言葉は方言だけど、普通の今の日本語と同じだよ。
なにか三島由紀夫の作品はすべて装飾文章で懐古調だと、勘違いしてるね。
きっと読んでないで誰かの受け売りだけで印象で言ってるんでしょう。
まともに批判するなら、ちゃんと読んでからしないと、好き嫌い以前に、的外れでボロ丸出しだよ。
194 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 23:24:00
>>184 わかりもしない未来のこと言って比べてバカじゃないの?
それなら、今すぐあなたが英語で読み書きすればいいでしょうに。
英語使うことが進歩だと思ってること自体がなんか古臭いわ(笑)
195 :
吾輩は名無しである:2009/07/06(月) 03:43:12
人類出現前の春もまた
春だったのだろうか
辻征夫「隅田川にて」
196 :
吾輩は名無しである:2009/07/06(月) 08:35:29
どんなに苦しくても、逃げないでおこう。ましてや死んだら、あかん!
こんな苦しい時代を迎えるとも、まったく想像してなかったけど、
決して無理せず、ぼちぼち行こうや。
北野誠「死んだらあかん!」
197 :
吾輩は名無しである:2009/07/06(月) 09:04:36
北野誠キター
>>196 スレ違い
ここは名言じゃなく
文学板の「名文」スレ
199 :
吾輩は名無しである:2009/07/06(月) 10:58:07
僕は手すりにもたれかかったまま、そんな蛍の姿を眺めていた。
僕の方も蛍の方も長い間身動きせずにそこにいた。
風だけが我々のまわりを吹きすぎて行った。
村上春樹 ノルウェイの森
200 :
吾輩は名無しである:2009/07/06(月) 11:02:17
201 :
吾輩は名無しである:2009/07/06(月) 18:11:25
世界はすべて芝居の舞台だ。
男も女もすべて役者にすぎぬ。
めいめい退場があり登場があり、
その間、一人でさまざまな役どころを演じ、
幕は7つの時期になる。
シェイクスピア『お気に召すまま』
202 :
吾輩は名無しである:2009/07/26(日) 19:29:52
あげ
203 :
吾輩は名無しである:2009/07/26(日) 23:58:25
三島だの村上だの、グネグネした文に酔ってるようだけど、
>>157の
突然だが、あの女とは別れた。
小林秀雄
の方が、ドシッと重さがあるな。
205 :
吾輩は名無しである:2009/07/27(月) 00:22:00
>>204 そうかもな。名文じゃないかもな。
でも、君は字面に酔ってるだけだよ。
206 :
吾輩は名無しである:2009/07/27(月) 00:27:02
男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。
三島由紀夫
「第一の性」より
207 :
吾輩は名無しである:2009/07/27(月) 00:30:50
>>205 字面に酔うのも、文学の醍醐味なんだけど。
音楽がアレンジに酔うように。
208 :
吾輩は名無しである:2009/07/27(月) 00:31:02
襤褸は寝てゐる
山之口貘
野良犬・野良猫・古下駄どもの
入れかはり立ちかはる
夜の底
まひるの空から舞ひ降りて
襤褸は寝てゐる
夜の底
見れば見るほどひろがるやう ひらたくなつて地球を抱いてゐる
襤褸は寝てゐる
鼾が光る
うるさい光
眩しい鼾
やがてそこいらぢゆうに眼がひらく
小石・紙屑・吸殻たち・神や仏や紳士も起きあがる
襤褸は寝てゐる夜の底
空にはいつぱい浮世の花
大きな米粒ばかりの白い花。
209 :
吾輩は名無しである:2009/07/27(月) 00:38:38
>>207 字面に酔うのも、文学の醍醐味なんだけど。
いいこというね。
つい、メモってしまう美しいことば・表現ってあるもんな。
でもな。スイーツ(笑)だけでは胸焼けがする。
たとえるに、ウタメロやら、おセンチな歌詞なんぞにしか反応の出来ぬ
ひと共が、芸術としての音楽を云々するような滑稽さ。
ものの強度ってやつはさ。自身、それを具えた人間にしか感得はされない。
つまり無駄。
ましてやね。元より(否応もなしに)俗にまみれた言葉なんてものと、
真に出会い、それに驚くためにはそれ相応の知性が必須だとじぶんは
思うんだが。
――んで、えー、イヤラシイことを云います。その前提条件としての、
ある一定以上の、知能がそれには不可欠で。身も蓋もない話だけども。
文学。
だからこそまた一方でじぶんは、口酸っぱくして、つまらないものだとも。文学。
それへの適性と、ひとの、ひととしての価値はしかし、何の関連性もないのだと。
オタの符丁。それだけでしょう今の世においてはこんなもんw 意味はない。
ただ面白いだけ。
213 :
↑:2009/07/27(月) 13:08:13
まったく知性が感じられない意味不明な三連投
215 :
吾輩は名無しである:2009/07/27(月) 18:05:39
向上心のないやつは馬鹿だ
夏目漱石
216 :
吾輩は名無しである:2009/07/28(火) 14:39:04
精神的に向上心のない者は馬鹿だ。
な。
217 :
吾輩は名無しである:2009/07/28(火) 14:45:20
212 名前: 吾輩は名無しである Mail: sage 投稿日: 2009/07/27(月) 01:07:12
だからこそまた一方でじぶんは、口酸っぱくして、つまらないものだとも。文学。
それへの適性と、ひとの、ひととしての価値はしかし、何の関連性もないのだと。
オタの符丁。それだけでしょう今の世においてはこんなもんw 意味はない。
ただ面白いだけ。
213 名前: ↑ Mail: 投稿日: 2009/07/27(月) 13:08:13
まったく知性が感じられない意味不明な三連投
214 名前: 吾輩は名無しである Mail: sage 投稿日: 2009/07/27(月) 16:28:31
>>210-212 なんか大丈夫か?
215 名前: 吾輩は名無しである Mail: 投稿日: 2009/07/27(月) 18:05:39
向上心のないやつは馬鹿だ
夏目漱石
216 名前: 吾輩は名無しである Mail: 投稿日: 2009/07/28(火) 14:39:04
精神的に向上心のない者は馬鹿だ。
な。
218 :
吾輩は名無しである:2009/07/29(水) 21:55:16
安芸
219 :
吾輩は名無しである:2009/08/03(月) 23:44:29
あの慌しい少年時代が私にはたのしいもの美しいものとして思ひ返すことができぬ。
「燦爛とここかしこ、陽の光洩れ落ちたれど」とボオドレエルは歌つてゐる。
「わが青春はおしなべて、晦闇の嵐なりけり」。少年時代の思ひ出は不思議なくらゐ悲劇化されてゐる。
なぜ成長してゆくことが、そして成長そのものの思ひ出が、悲劇でなければならないのか。
私には今もなほ、それがわからない。誰にもわかるまい。
老年の謐かな智恵が、あの秋の末によくある乾いた明るさを伴つて、我々の上に落ちかゝることがある日には、
ふとした加減で、私にもわかるやうになるかもしれない。
だがわかつても、その時には、何の意味もなくなつてゐるであらう。
三島由紀夫
「煙草」より
生とは、緩慢な死である。
221 :
吾輩は名無しである:2009/08/07(金) 07:18:54
三島厨は文学板のゴキブリ
222 :
吾輩は名無しである:2009/08/07(金) 11:27:03
諸君、異論があるか!?あればことごとく却下だ!!
A.A.ミルン 『プー横丁にたった家』(石井桃子訳)
……
イーヨーは、じぶんの棒をながめ、それから、コブタをながめました。
「ウサギめ、なんと言いおったね?」
「Aの字だって。」
「おまえ、やつに話したのか?」
「いいえ、ぼく、話さない。でも、ぼく、ウサギ、前から知ってたんだと思うな。」
「ウサギが知ってたと?おまえ、このAの字は、ウサギふぜいの知っとるもんじゃと言うんじゃね?」
「ええ、だって、ウサギは、りこうだもの。」
「りこうじゃと!」こう、けいべつしたように言ったと思うと、イーヨーは、ドンとばかり三本の棒の上へ、
足をおとしました。「教育じゃと!」こう、にがにがしげに言ったと思うと、イーヨーは、六本の棒の上で
とびはねました。そして、「学問とはなんじゃ?」と、問いただしながら、十二本の棒を、空中に蹴あげました。
「ウサギふぜいの知っとるもんじゃと? はァ!」
「ぼく、ちょっと考えたんだけどね――」オズオズ、コブタがはじめました。
「やめとけ!」と、イーヨーがいいました。
「ぼく、スミレって、ちょっといいと思ったんだ。」
そう言って、持ってきたスミレの花たばを、イーヨーの前へおくと、コブタは、バラバラにげだしました。
224 :
吾輩は名無しである:2009/08/07(金) 13:57:56
ちなみに大江健三郎の長男の光の子供の頃のあだ名は
イーヨーだった。
225 :
吾輩は名無しである:2009/08/23(日) 11:19:02
女の肉体はいろんな点で大都会に似てゐる。
とりわけ夜の、灯火燦然とした大都会に似てゐる。
私はアメリカへ行つて羽田へ夜かへつてくるたびに、この不細工な東京といふ大都会も、
夜の天空から眺めれば、ものうげに横たはる女体に他ならないことを知つた。
体全体にきらめく汗の滴を宿した……。
目の前に横たはる麗子の姿が、私にはどうしてもそんな風に見える。
そこにはあらゆる美徳、あらゆる悪徳が蔵されてゐる。
そして一人一人の男はそれについて部分的に探りを入れることはできるだらう。
しかしつひにその全貌と、その真の秘密を知ることはできないのだ。
三島由紀夫
「音楽」より
スティーヴ・エリクソン 柴田元幸訳黒い時計の旅
メーガンは彼女(コートニー)を自分のスカートに引きよせる。
二人をこの瞬間の外に出してやれるものなら、おれは喜んでこれ以前、
これ以後のあらゆる瞬間を捨てるだろう。だがもう手遅れだ。とうに若さを失ってから、
世の中には取り返しのつかないことも存在することを人は悟るのだ。
小男は悪い足を引きずって、メーガンとコートニーの方へ行く。
メーガンには目もくれず、もっぱらコートニーを見ている。そして片手を彼女の髪の中にさし入れる。
それから彼は、二人に背中を向ける。と、兵士がコートニーを母親から引き離す。
兵士は彼女を窓の足掛け台の上に押し上げ、次に窓枠の上に押し上げる。
メーガンが恐怖の悲鳴を上げる。「娘たち」とXは一人言のようにつぶやき、首を横に振る。
窓枠に乗ったコートニーが、ふり向いておれを見る。おれが屋上で彼女をぶら下げたあらゆる瞬間、
彼女が生き、所有したあらゆる高い場所が、おれと彼女を隔てる空間をみたす。
兵士が押し、彼女は外に出る。
スティーヴ・エリクソン 柴田元幸訳 黒い時計の旅
この瞬間を時から切り離せるのなら、おれのあらゆる瞬間を捧げるものを。
時間が一瞬凍りつくように思える。と、身長百四十センチのメーガンが、
ちょうどおれが彼女を知った最初の夜にあの場を支配したのと同じように、
おれが彼女を知る最後の瞬間において、またしてもドイツ人で一杯の部屋を支配する。
兵士の制止をふり切って、その瞬間が過ぎさらないうちに、彼女は窓の外に飛び出す。
そしてこの一瞬の時間の残り糸を投げ出し、コートニーをからめ取り、自分の胸に引き寄せる。
もちろん彼女を救うことは問題外だ。助けられる見込みなどありはしない。
そのことはメーガンも知っている、みんなが知っている。
それはただ、そばかすの小娘が、独りぼっちで長い道のりを下りていかずに済むようにするためなのだ。
それはただ、短かった四年間のあと、この瞬間がどんなに長く持続しようとも、
それがあまりに淋しくならぬよう、黒いウィーンの夜の中、小さな足の下にひろがる巨大な夜の中で、
それがあまりに淋しくならぬようにするためなのだ。この瞬間の最後の一断片に、メーガンはふり向き、
挑むような目で我々を睨む。そしてその瞬間が、おれが今後知るであろうあらゆる他の瞬間と結びつく。
おれがそれと引き換えようと頭の中で叫びつづけるあらゆる瞬間と。どこへ行くにも、おれはその瞬間を連れていく。
メーガンがおれたちの娘を抱きしめ、彼女たち二人が窓の向こうに宙づりなったように思える瞬間を。
そして二人はいなくなる。次の瞬間、窓の向こうには、静まりかえったウィーンの街があるだけだ。
228 :
吾輩は名無しである:2009/08/28(金) 00:45:05
なぜ露出した腸が凄惨なのだらう。
何故人間の内側を見て、悚然として、目を覆つたりしなければならないのであらう。
何故血の流出が、人に衝撃を与へるのだらう。何故人間の内臓が醜いのだらう。
……それはつやつやした若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか。
……私が自分の醜さを無に化するやうなかういふ考へ方を、鶴川から教はつたと云つたら、
彼はどんな顔をするだらうか?
内側と外側、たとへば人間を薔薇の花のやうに内も外もないものとして眺めること、
この考へがどうして非人間的に見えてくるのであらうか?
もし人間がその精神の内側と肉体の内側を、薔薇の花弁のやうに、しなやかに飜へし、
捲き返して、日光や五月の微風にさらすことができたとしたら……
三島由紀夫
「金閣寺」より
229 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:07:34
「薔薇のなかに」
薔薇のなかにゐます。
わたしはばらのなかにゐます。
しつとりしたまくれ勝ちの花びらの
こまかい生毛のあひだに滲みてくる
ひかりの水をきいてゐます。
薔薇は光るでせう、
園の真央で。
あなたはエェテルのやうな
風の匂ひをかぐでせう。
大樫のぬれがての樹影に。
牧場の入口に。
大山木の花が匂ふ煉瓦色の戸口に。
わたしは薔薇のなかにゐます。
ばらのなかにゐます。
小指を高くあげると
虹の夕雲がそれを染め……
ばらはゆつくり、わたしのまはりで閉ざすのです。
平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
230 :
吾輩は名無しである:2009/09/08(火) 11:44:26
鞘を払つて、小刀の刃を舐めてみる。
刃はたちまち曇り、舌には明確な冷たさの果てに、遠い甘味が感じられた。
甘みはこの薄い鋼の奥から、到達できない鋼の実質から、かすかに照り映えてくるやうに舌に伝はつた。
こんな明確な形、こんなに深い海の藍に似た鉄の光沢、……それが唾液と共にいつまでも
舌先にまつわる清冽な甘みを持つてゐる。
やがてその甘みも遠ざかる。私の肉が、いつかこの甘みの迸りに酔ふ日のことを、私は愉しく考へた。
死の空は明るくて、生の空と同じやうに思はれた。そして私は暗い考へを忘れた。
この世には苦痛は存在しないのだ。
三島由紀夫
「金閣寺」より
231 :
◆yBEncckFOU :2009/09/09(水) 03:15:25
何をもって人間は人間として認められるのか
39 :タラヲ:2009/09/09(水) 03:11:16.96 ID:1sffFKT0
内田樹「寝ながら学べる構造主義」
・レヴィ=ストロースによれば、メッセージの交換を行いうることは
「人間」であるための必須条件です。したがって精神分析の目的は、
とにもかくにも、問いかけと応答の往還の運動のうちに分析主体を
引きずり込むことにあります。
40 :タラヲ:2009/09/09(水) 03:11:40.52 ID:1sffFKT0
今村仁司「暴力のオントロギー」
・価値現象は決してモノから発生しない。価値とは、すぐれて人間的
現象である。
価値現象は、ひとりの人間からは決して生まれない。人と人との関係
あるいはコミュニケーションからのみ価値現象が生まれる。
41 :タラヲ:2009/09/09(水) 03:12:07.01 ID:1sffFKT0
村上龍「タナトス」
・人間はコミュニケーションする動物だってよく言われるけどそうじゃ
ないのね、コミュニケーションが人間なのです、コミュニケーション
そのものね
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/livecx/1252428931/l50
232 :
まーくん:2009/09/09(水) 04:10:54
>>231 そんなことはないよなぁ。自分自身の内面の法則に従って(他者の不在、S・キェルケゴール)、
真の天才は自分の芸術なり哲学なり、独自な生を生き抜いてきたんだよな。
ちなみに2ちゃんは…コミュニケーションなのかな。まぁ暇潰しだろうね。
一時的に流行った構造主義を評価するのは構わないが単なる分析手法に過ぎないよ
実存の問題を軽視しすぎている旨感覚するね。
233 :
吾輩は名無しである:2009/09/09(水) 04:39:28
生で中出しセックスが唯一本当のコミュニケーションだょ!
あとは建前とかに過ぎん殆ど無意味な言葉などの遣り取り。
聖書にそう書いてあった。あと神との対話ね
いまさらだが
>>1さんには性犯罪者になってほしくない。
235 :
吾輩は名無しである:2009/09/14(月) 22:41:34
「僕も言葉が欲しいわ」
私は思わず弟の顔を見た。弟の目には光が無く、何か臆したように私を見ていた。
「分かったんや」
「何が」
「このあいだ来たあいつ、ガザニガ、あいつが日本語喋るん聞いとって分かったんや、
自分がなんでアメリカ行ったんか、言葉が欲しかったんや、英語で自分のこと何でも喋れたらええやろ思うて」
「そうか」
と私は意味のないような相槌を打ったが、言葉が欲しい、というのは、淋しい言葉だった。
236 :
吾輩は名無しである:2009/09/14(月) 22:44:57
237 :
吾輩は名無しである:2009/09/21(月) 01:23:28
時は流れているように思われる。世界は生じ、一刻一刻へと開かれていく。
そしてあなたは手を止め、巣に張りついた蜘蛛を見やる。光の機敏さ、物が
正確に縁取られた感覚、湾に走る光沢の筋。こういうとき、あなたはより確
かに自分が何者であるかを知る――嵐が過ぎ去った後の陽射しの強い日、
ほんの小さな落ち葉でさえも自意識に刺し貫かれているような日に。風は松
の木々にあたって音を立て、世界は出現する――それを元に戻すことはでき
ない――そして蜘蛛は巣にしがみついて風に揺られている。
ドン・デリーロ「ボディ・アーティスト」上岡伸雄 訳 冒頭
238 :
吾輩は名無しである:2009/11/28(土) 22:52:42
――就寝前に恒彦がかう言つた。
「ああいふ男は、いはゆる女好きがするんだらうね」
「どなた?」
「楠だよ」
郁子は判断をためらはなかつた。
「そこらのつまらない女の子が引つかかりさうな男だわ。土曜日のダンスにもなるたけ
あの方と踊らないですむやうにして頂戴ね」
このやさしい懇願には、論理の撞着があつた。恒彦は一向気づかなかつた。妻の中にある
矜りの高さとその低さとのふしぎな断層に。彼は郁子が梳つてゐる髪の美しさをつくづく見た。
三島由紀夫
「純白の夜」より
姉さん。
僕は、貴族です。
240 :
吾輩は名無しである:2009/12/03(木) 07:37:33
お前ら翻訳だけじゃなくて原文も載せろや
意味ねえし
241 :
吾輩は名無しである:2009/12/03(木) 20:29:57
翻訳文が名文なんだろう
スレ見てそのくらい理解しろやアホ
242 :
吾輩は名無しである:2009/12/04(金) 17:54:16
ヘッケル博士!
わたくしがそのありがたい証明の
任にあたってもよろしゅうございます
243 :
吾輩は名無しである:2009/12/04(金) 19:21:56
俺は原文載せた方がいいと思うよ
様々な国のあらゆる時代の天才達が残した名言を全て現代日本語に直して読む理由はないしね
「ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」じゃ意味がない
O Romeo, Romeo, wherefore art thou Romeo?
「淀みに浮かぶ泡は、一方では消えたり一方で現れたり、長く同じものはありません」
よどみに浮かぶうたかたはかつきえかつ結びて久しくとどまりたるためしなし
名言て音も大事だと思うけどなあ
244 :
吾輩は名無しである:2009/12/04(金) 20:10:06
コウノトリをパンツにしまいなさい
245 :
吾輩は名無しである:2009/12/04(金) 20:14:14
名言(笑
246 :
吾輩は名無しである:2009/12/04(金) 21:19:53
ごめんねえ、名文だったねえ
主張は変わらないけどねぇ
247 :
吾輩は名無しである:2009/12/17(木) 15:59:51
「小人だわ」とマリアが言う。「嘘でしょ、小人が一番立派だなんて。
一番のチビが一番大きな杖を持っているなんて」
江國香織「神様のボート」
はじめからわかっていた。どっちみちかなしいのだ。
249 :
吾輩は名無しである:2010/01/12(火) 13:49:00
ただ職業の為に汚されない内容の多い時間を有する、
上等人種と自分を考えているだけである。
250 :
吾輩は名無しである:2010/01/12(火) 23:03:39
井伏鱒二「山椒魚」
全く蝦くらい濁った水のなかでよく笑う生物はいないのである。
251 :
吾輩は名無しである:2010/01/28(木) 22:28:17
死といふ事実は、いつも目の前に突然あらはれた山壁のやうに、あとに残された人たちには思はれる。
その人たちの不安が、できる限り短時日に山壁の頂きを究めてしまはうとその人たちをかり立てる。
かれらは頂きへ、かれらの観念のなかの「死の山」の頂きへかけ上る。
そこで人たちは山のむかうにひろがる野の景観に心くつろぎ、あの突然目の前にそそり立つた死の影響から
のがれえたことを喜ぶのだ。しかし死はほんたうはそこからこそはじまるものだつた。
死の眺めはそこではじめて展(ひら)けて来る筈だつた。光にあふれた野の花と野生の果樹となだらかな起伏の
景観を、人々はこれこそ死の眺めとは思はず眺めてゐるのだつた。
三島由紀夫
「罪びと」より
なげーよw
253 :
吾輩は名無しである:2010/01/31(日) 22:18:29
私といふ存在から吃りを差引いて、なほ私でありうるといふ発見を、鶴川のやさしさが私に教へた。
私はすつぱりと裸かにされた快さを隈なく味はつた。鶴川の長い睫にふちどられた目は、私から吃りだけを
漉し取つて、私を受け容れてゐた。それまでの私はといへば、吃りであることを無視されることは、それが
そのまま、私といふ存在を抹殺されることだ、と奇妙に信じ込んでゐたのだから。
三島由紀夫「金閣寺」より
>>240その他へ
訳者の名前みてからものを言へ、頓珍漢の大馬鹿野郎。
255 :
吾輩は名無しである:
村上春樹「1Q84 BOOK1」
「私はごく普通の人間です。ただ本を読むのが好きなだけです。主に歴史についてのほんですが」
「私も歴史の本を読むのが好きです。歴史の本が教えてくれるのは、私たちは昔も今も基本的に同じだ
という事実です。服装や生活様式にいくらかの違いはあっても、私たちが考えることややっていることに
それほどの変わりはありません。人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物であり、
通り道に過ぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へと私たちを乗り継いで
いきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちが幸福になろうが不幸に
なろうが、彼らの知ったことではありません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから。彼らが考慮
するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだけです」
「それにもかかわらず、私たちは何が善であり何が悪であるかということについて考えないわけには
いかない。そういうことですか?」
老婦人は肯いた。「そのとおりです。人間はそれについて考えないわけにはいかない。しかし私たちの
生き方の根本を支配しているのは遺伝子です。当然のことながら、そこに矛盾が生じることになります」、
彼女はそう言って微笑んだ。