946 :
吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 23:27:18
サドと鹿鳴館は劇場で観たことあるよ
たしかに、三島戯曲の特徴は、上演なんかしなくても、三島戯曲を
活字だけで文学として読めちゃうところにあると思うけどね。(ほめてるんだよ。)
とくにサドですね。動きが無くセリフだけですから、完全に文学ですね。w
違うよ。俺は演劇方面はよう判らんし。
950 :
吾輩は名無しである:2007/08/30(木) 00:28:48
あー
8月31日のSF大会の佐藤哲也は楽しみだ!
どんな格好で来るのかな?
大蟻食は旦那の服装にはシビア&うるさそうだから!
951 :
吾輩は名無しである:2007/08/30(木) 00:33:45
>>949 (´・∀・`)面倒くさいから行かないよーだ。
興味ないしね(笑)
あらゆる英雄主義を滑稽なものとみなすシニシズムには、必ず肉体的劣等感の影がある
三島由紀夫
(「太陽と鉄」より)
いくら「文武両道」などと云ってみても、本当の文武両道が成り立つのは、死の瞬間しかないだろう。
三島由紀夫
(「三島由紀夫展カタログ」より)
「武」とは花と散ることであり、「文」とは不朽の花を育てることだ。
三島由紀夫
(「太陽と鉄」より)
956 :
吾輩は名無しである:2007/08/30(木) 17:29:18
1970年の初め頃に三島は保利茂官房長官(当時)と
幾度か会食の場を設けており、その際、保利は三島に対して、
楯の会に対する資金提供並びに翌1971年4月に予定されていた
東京都知事選への出馬をそれぞれ要請していた。
当然のことながら、三島はこれら要請を全て固辞。その数ヵ月後の
1970年11月25日に三島は自決することになるが、
状況によっては1971年の東京都知事選で三島は46歳という若年で
当選していたかもしれないと考えると、何とも感慨深い。
ちなみに1971年の都知事選は、自民党の擁立した秦野章が
現職革新派の美濃部亮吉を前にして惨敗する結果となる。
その次の1975年の都知事選では、同じく自民党が擁立した
石原慎太郎が美濃部に惜敗することとなり、1999年の雪辱戦に挑んで
当選、現在に至る。
>>956 あんまりアバウトな書き方をしない方がいい。誤解を招くばかりだ。
『三島由紀夫全集』全42巻+別巻 によれば
1970年7月13日(月)
銀座懐石料理『吉兆』で保利茂官房長官の招きによる会合。村松剛、
木村俊夫官房副長官、安岡正篤も同席。この頃、三島は保利と数回懇談し、
防衛に関する意見を述べた。
保利が三島に接触したのは、自民党内に翌年の東京都知事選に三島を推す動きがあることを
踏まえ、三島の考えを内々に確かめるため。(無論三島にそんな気は毛頭無かった)
**個人的には安岡正篤と村松剛が同席していたのが興味深い。
安岡正篤VS三島由紀夫の対談を読んでみたかった…
>>956 1971年3月の都知事選では
川端康成が秦野章を応援した。それこそが文学的事件である。
川端は投票日前日の4月10日まで選挙カーに乗り込んで熱心に応援し
傍目には異常な事態のようにも映ったと、当時を知る古老は語る。
ちなみに川端は同年1月に行われた三島由紀夫葬では
葬儀委員長を務めたばかりだった。
>>955 三島の単純な価値基準が現れていて面白い。
形式的な原理原則に忠実な作風の男のようだから、彼が
実質的な法科論理を会得していたとは言えない実例の一つだ。
単純な価値基準に従って突き進む人って、
どんな相手との対談でも面白くしてくれるよね。そして痛快。
「複雑である程高尚だ」と思い込んでいる人は
相手にバカにされないことだけに必死で、自分の価値観なんか持ってねぇから
ワケが解らないし意味もないしみっともなくてつまんねぇ。
金閣寺で、振袖の女の人がきれいなのを
「誇張して云うと、あたりがかがやいていた。」って言ってるけど、
「少し大袈裟だが」と弱めて、逆接にして言い換えても、やはりちょっと変わっている。
普通は自分で断りを入れたりはしない。特徴が表れている気がした。
まるで煽るように書いてしまったけど、
『三島由紀夫VS東大全共闘』と、高野悦子『二十歳の原点・序章』を
偶然にも並行して読んでいたら面白かったので。
存命の全共闘の人たちの中には
「三島を論破してやった!」なんて自慢してるのがいるのだろうか。
>>962 いるんじゃないの。
いまだに死人にむきになって、単純だの読む価値ないとかウダウダ陰気に掲示板まで来てるから。
当時を知らない者とっては、純粋に三島の言葉の面白さや芸術観を研究しているだけなのに、個人的な政治がらみの憎悪をからめてくるとうざいだけ。
964 :
↑:2007/08/30(木) 21:30:04
うぅわぁー、見事な馬鹿丸出し。
三島スレ住人に頼みたいことがある。
940:08/30(木) 18:20 [sage]
金閣寺に「美という事だけを思いつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想に知らず知らずぶつかるのである。」
ていう箇所があるけど、これはどうなるわけ?
この質問に答えやってくれない?どなたか宜しくお願いします。
>>963 まーまー。
喧嘩腰ではなく、且つ小難しい専門用語を使わない平易な言葉で以って
相手の本心を引き出すのが上手な議論というものですよ。
言葉の面白さや芸術観を語るのが、いつの世も変わらない文学論の楽しみだというのは
全くその通りですね。
政治的な思想なんか、しょせん個人の感性や考えではないからね。
967 :
吾輩は名無しである:2007/08/30(木) 22:15:18
>965
ちなみに何ページ?
>>965 お前さ、夏休みの宿題に便所の落書きを引用しようなんて、情けないと思わねぇの?
「金閣寺」はまだ読んでないけど
三島由紀夫は「仮面の告白」で、拷問を受ける美青年の姿を想像して欲情してたのよ。
つまり、そういう美を極限まで追求すれば、ドSである自分に気付かざるを得ないのよ。
このまんまレポートに書いて提出してごらん。
面白い事が起きそうだw
>>965 私は
>>860をレスした者だけど、三島は「美」について、美≒悪という考えがあります。芸術を餅に喩えて、
芸術とは人間性という悪の業火に適度に焼かれ、きつね色になった餅であり、
犯罪とは人間性という悪の業美に焼かれ黒こげになった、法という網から落ちた餅だ、と言っていますよ。
悪というものは感情の目には美にみえる、という言葉も仮面の告白で引用してますし。
ただ、金閣寺を焼く主人公の行為は、これとはまた違う意味を伴うと思いますが。
拙い意見ですがよければ参考にして下さい。
971 :
吾輩は名無しである:2007/08/30(木) 23:58:17
じゃあ芸術を最中に例えてみようか?
>>968 仮面の告白を、そういう短絡的な読解しかできないとは不思議ですね。
セバスチャンの絵を見て興奮=Sというのも単純じゃない?あの作中の主人公の傾向は、
それらしく創作してますが、三島自身の倒錯傾向はM、マゾヒストだということくらい読みとれないとは、三島の死の意味の側面の一つさえ解ってないようですね。
973 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 00:12:38
>>965 わかった!
美はいずれ必ず滅びるってことじゃね?つまり
暗黒の思想=死
ってこと
974 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 00:51:09
>>973 三島作品を読んでない人が無理して文学の話に混じると、ズレて浮くよ(^0_0^)
975 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 02:51:48
つまりあの坊主が金閣を焼いたときに食べた最中のあんこが
粒あんだったらそれは「美」ということだ
こしあんだったらダメダメ
976 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 10:39:41
>974
で、三島を読んでる貴方の意見はぁ?早く教えてくださいよぁ〜 寸分のずれもなく
三島本人の意図にぴったり重なる「正解」をさd=(^o^)=b
977 :
970:2007/08/31(金) 10:54:31
>>970に追記しますと
金閣寺の主人公の内面には、
心象の金閣寺があり、それは悲運のなかで悪を餌にして(戦乱と不安と多くの屍と夥しい血が金閣寺の美を富ます)輝き、やがては金閣寺自身も空襲で焼き亡ぼされるという、不在の予感から思い描く悲劇的な金閣寺の美しさであったと思います。
だから、美(悲劇や悪の中に具現する美)ということだけ思いつめると、この世で最も暗黒の思想(世界の大破局、人間的規模を絶する悲劇への期待)になるということだと思います。
979 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 11:28:31
>978
何かごちゃごちゃ書いてるけど、要約すれば>973と同じじゃん!w>977なんて特にさw
かなり違うよ。
美はいつかは滅びるものというのは物として見てることで、美を現象として見てない。
暗黒の思想=死 もイコールの図式じゃない。三島の芸術観では、死と美は一体で、暗黒の思想はそれを具現させるニヒリズム的な思想。
美とは到達できない此岸なのだ。
三島由紀夫
(「禁色」より)
此岸とは、迷いの多い現実世界のことで、悟りの境地の彼岸に対立するもの
982 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 13:34:00
>980
いや>977はただ言葉を弄んでいるだけで、言ってることは>973とほとんど同レベルだね。
>980の反論も苦しいな。
983 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 13:51:47
>>982 ぜんぜん違う。
金閣寺、その他の作品を読んでから出直しな。
984 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 13:59:55
まず、美が滅びるという前提自体がおかしい。
主人公の心象のなかでは、現実の金閣寺が亡んでも金閣寺の美は永遠だから。
金閣寺をちっとも読んでないのが丸わかりだよ。
985 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 14:06:39
美は観念だからね。
観念としての美を顕在化させるために
美の表象であるところの金閣寺を自らの手で滅失させようとしたのが
『金閣寺』の主人公が意図したことでしょう。
ま、これはこれで十分屈折した考えだとは思うけど。
987 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 14:38:50
>>985 それと、金閣寺を焼く行為にはもう一つの意味があり、
現実に人生を生きる世界の対極にある、美の世界(暗黒へと続く世界)の象徴である金閣寺を焼くことで、
主人公が暗黒の思想を断ち切り人生を生きようとした(断ち切れたかどうかは別として)二重の意味もあると思う。
> ま、これはこれで十分屈折した考えだとは思うけど。
一般社会からみれば屈折していると見なされる主人公が出ない文学ほどつまらないものはないけどな。
989 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 15:37:56
三島を揶揄するつもりで「屈折」という言葉を使ったわけじゃないが、
でも犯罪者心理を論理的に解析するにあたっては
案外三島作品は有用なのかもしれないと思うことはしばしばあるよ。
社会的事件を題材にした作品が多いというのも、
おそらくこのことと繋がるんだろうね。
東電OL殺人事件の女性の屈折した内面の心理とか、三島流の解釈と作品になったら名作ができてたかもしれないね
991 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 18:18:01
973だけど、
実はオレの適当なレスはけっこうあってたのかな?
金閣寺は…一応むかし読んだことあるよ。
たしか前半に出てきた、びっこの青年の長いせりふが
印象にあるけどね。あれも完全には理解できなかった記憶があるな。
つーか、ああいうのちゃんとわかって読んでる人がどれだけいるんだろう?
992 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 19:33:58
>>991 まあ、言わんとしてることは分かるけど、三島の論考では、死は美を具現させる手段であり、行為であり、現象でもあるから、死というものを「思想」と位置づけるのは変だよ。
三島の本は、自身が公言してるようにニーチェの悲劇の誕生と、バタイユのエロティシズムに影響されてるから、それを踏まえると何となく解りやすくなる。それでも難解なところはあるけど。
>>965 それは俺だけど、
三島自身の悲観的で陰鬱な自意識が、人間の内に三島が見出していた美と不可分だったんじゃないか。
つまり三島は人をそのようにしか見ていなかったともいえるかも知れないが、
もしかしたら、人間の内に見出される美というのは、その明るい側面から見出される美と、暗い側面から見出される美が
1:9位の割合で存在しているのかもしれない。
三島という人から見れば考えるまでもなく全部、暗黒の内に美があったんだろう。
>>993 > 三島という人から見れば考えるまでもなく全部、暗黒の内に美があったんだろう。
それは違う。三島のなかにはプラトン的イデアがあり、だからこそ人間(俗界)の暗部である、悪と美の問題を深く考察したのだと思う。
ドストエフスキーも、理性の目には悪とみえるものが、感情の目には美にみえる人間の暗部を追求したし、
これは三島に限らず古今東西の文学者や芸術家や哲学者たちの一つのテーマです。
軽いエッセイのレター教室が面白い