安部公房:COMPLETE WORKS 011

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871吾輩は名無しである
…だから俺が>>845で云っているのも、小説は小説として徹頭徹尾、
書き手の思想・信条などとは別に、一文学作品としての固有の価値なり、
独自の生命を持つ――、なーんてシンプルな話ではなくってね、
そうではなくて、例えばエッセイ等の雑文において、書き手が表面上、
目に見える(見えやすい)ところに書いたものを額面通りに受け止める
ことが即ち、ものを読んだというか、正しくそれが読めたことには
ならないんだよと。

“読む”ことで生じた、己が内の未だ名付け得ぬ「なにものか」をただ、
まだ、「判らないもの」として「判らないもの」のままに、然れども
あくまで誠実にそれと向き合って生きてゆく、この先もまた考えてゆく、
そうある代わりに、仕組まれたもの、環境によって刷り込まれた
「既にあるもの」の命ずるがまま、ひとはあまりにも安直に、
本当の意味で“考える”その機会を、放擲してしまう。
それはしばしばナショナリズムの様な“判りやすい”かたちを取る
こともあれば、時にはひとがとても大切に思っているものの顔貌をして、
その者の知の“可能性”を、食い荒らしてゆくんだ。