トルストイVSドストエフスキー PART2

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478吾輩は名無しである
話豚切りスマソ。
グロスマンの「ドストエフスキー」を読んでたら、ちょっと興味深い記述をみつけたもんで。

ドストは最晩年に自分の雑誌「作家の日記」上で、トルストイの新思想(非暴力主義)との思想上の
一大決戦を始める覚悟でいたらしいんだって。
残念ながらこの巨匠同士の思想対決は、突然のドストの死によって実現されなかったけど。
以下、グロスマンの著作からの引用ね。

 ドストエフスキーはトルストイには新しい傾向として、『作家の日記』の戦闘的な社会評論などとは
 無縁な『暴力による悪への無抵抗』の傾きがひそんでいるのを嗅ぎ取っていたのである。
 このテーマをめぐってフョードル・ミハイロヴィチは、自分の月刊出版物でトルストイと一大決戦を
 試みようとしていた。
 これについては、ドストエフスキイの話し相手の夫人(A・A・トルスタヤ夫人)がこう伝えている。

 「ドストエフスキイは、レフ・ニコラーエヴィチとわたしとの親類関係を知っていたので、彼とは
 一度も会ったことはないけれど、作家及び人間としてのトルストイにたいへん興味を覚えていると
 わたしに語った。
 『伯爵夫人、あの人の新しい傾向について説明していただけませんでしょうか。と申しますのは
 その傾向に何やら一種特別の、私にはまだ理解できない点があるように思えるものですから。』
    (トルスタヤ夫人は、トルストイの最近の手紙の朗読を行った)
 「今でもまだ、あのときのドストエフスキイが目の前に浮かんでくる。あの人が耳を傾けながら、
 頭をかかえ、絶望的な声で『違う、違う!…』と繰り返し言っていたありさまが。
 彼は、一つとして、レフ・ニコラーエヴィチの思想には共鳴しなかった。そしてその後で、わたしが
 書き写したレフの手紙のコピーと、自筆の手紙をたくさん貸してくれと頼んだ。
 彼のいくつかの言葉や文句からわたしは結論したのだが、彼の心にトルストイの見解に
 反駁したいという欲求が生まれたのだと思う。
 その晩から幾日かたって、ドストエフスキイは亡くなった。」