シオニズムの二大高峰ユダヤ国家とプロトコルの私訳
1 :
吾輩は名無しである :
2007/07/17(火) 03:14:59 一枚の秘鏡の表と裏。PはプロトコルJはユダヤ国家からの訳
2 :
吾輩は名無しである :2007/07/17(火) 03:34:47
P第1章 ......すばらしき語句をわきに置いて、私たちは各考察の特質を語り、比較対照と推論を使って、我々を取りまく諸事実に光を当てようと思う。
3 :
吾輩は名無しである :2007/07/17(火) 03:36:07
では、わたくしが話し始めようとするのは、我々自身の視点と、諸国民からの視点との二視点から見た、私たちのシステムのことである。
4 :
吾輩は名無しである :2007/07/17(火) 03:46:28
J(前文)私がこの資料中で説明するアイデアは、ユダヤの国家の回復という古代よりの考え方である。 19世紀の世界は、ユダヤ人に対する叫びで共鳴しており、それらの共鳴のために、眠り続けたアイデアが目覚めたのだ。
5 :
吾輩は名無しである :2007/07/17(火) 03:51:49
私の論点のどの部分も、新たな発見に基づくいたものではないことを、当初よりはっきりと理解してもらうことを希望する。私は、ユダヤ人達の歴史的な立場やその改善への手段は、発見はしていない。
6 :
吾輩は名無しである :2007/07/17(火) 03:58:30
事実、私が企図する構想の素材は、実在しているばかりか、既に手中にあることは、代表諸氏は納得している。ゆえにもし、ユダヤの問題を解消するこの試作が、一言によって語られるのならば、過ぎ去る想像の結果ではなくて必然的結果と言える。
7 :
吾輩は名無しである :2007/07/23(月) 01:32:36
P 悪どい本能を持つ人間のほうが善良な本能を有する人々よりも、ずっと多く、従って前者の人々を支配する最良の方法は、学問的説得ではなしに物理力と恐怖心で得られるという事を記憶すべきである。
8 :
吾輩は名無しである :2007/07/23(月) 01:35:04
すべての人は能力を求め、できれば指導的立場に居たいと考え、利己的達成の為に、全人類の福祉を犠牲としない者は稀にしかいない。人と言う獣を抑制し続けているのは何であり、現在までその指導に役立っている物は何か。
9 :
吾輩は名無しである :2007/07/23(月) 02:43:21
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの 古色蒼然たる百年前、二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。 全くヒドいものだの一語につきる。 日本の八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代もの でも、かなり癖のある思想・哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は 「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。 現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、自分たちが、アメリカ の支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。 副島隆彦「日本の秘密」 前ページに神学対近代学問(サイエンス)の壮大な対立図式を示した。これ以外に下等学問としての 「人文」というのがある。この人文というのはヒューマニティーズの日本語訳である。 ヒューマニティーズとは「人間、および記録された文学に関わること」という意味である。 だから人文は、簡単に言えば現在で言う文学(部)のことである。他には歴史学があり、その内容は 古文書や石碑の文の解説などを行うことだ。これらは、学問としては下等学問である。 副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」
電波はほっとけ。
>>8 誰の書いた、なんて本にあるのでしょうか?
おしえてください
12 :
吾輩は名無しである :2007/07/24(火) 00:12:40
ユダヤ教のアシュヶナジム・チーフ・ラバイとスファルディム ・チーフ・ラバイが、1890年代頃、分担でJPを著作しましたので世上作者は結社ユダヤ人にすぎません。
13 :
吾輩は名無しである :2007/07/24(火) 00:20:35
J まず第一に私は、表面的な批評をする者達により理想郷として扱われる事から、私の計略案を、守らなければならない。私が彼らに警告をしておかないと、多分彼らはそう誤解するだろう。
14 :
吾輩は名無しである :2007/07/24(火) 00:30:08
もし仮に人道主義的立場で理想郷を、私が詳述したのであれば、その案を恥じるような事は、まったくなかったし、もし仮に無責任な夢想的物語で、私の計画を開始したなら、さらに容易に文学的な成功を収めもしたであろう。
15 :
吾輩は名無しである :2007/07/24(火) 00:39:21
P 社会の仕組みがスタートしたときから、人は、粗野で服従的な力に服していた。それは法となり、実力が隠蔽されたものに過ぎないのだ。自然の法則により、私は、権利とは実力の中に潜むものであると結論づけるのだ。政治家の自由というものは、案であり、事実ではない。
16 :
吾輩は名無しである :2007/07/24(火) 00:52:32
政治家は、権力を握っている他の政党を破砕するためには、この案のエサを使って、人々の多くを自らの政党の方へ魅了させ、必要な時にいつでもこの案を適用する方法を知らねばならない。もし敵政党が自由主義思想に毒されたり、
17 :
吾輩は名無しである :2007/07/24(火) 00:57:22
その為に自らの権利権力の一部を放棄するのならば、よりたやすくなるだろう。正確に言うと、この瞬間に我らが理論の勝利が現れるのだ。つまり、ゆるんだ政府の指導力は、たちまちにして、生命の法則によって、他者にとらえられ、新しい権力者によって束ねられる。
18 :
吾輩は名無しである :2007/07/24(火) 01:01:59
なぜなら盲目的国力は、指導力なくして一日たりとも存続し得ないからだ。そして新しい権力者は、自由主義思想によって既に弱められた古い権力者の場にただ座れば良いのだ。
19 :
吾輩は名無しである :2007/07/28(土) 11:35:37
2004年09月17日
Natural Law とNatural Right
http://libertarian.seesaa.net/ レオシュトラウスの”Natural right and history"のNatural Rightが 自然権か、自然法かという点については、
以前、池田さんとMLでやりあったことがある。 単数形のNatural rightは、正確には(ロックの)自然権(=Natural rights)
ではなく、自然法のことだということは間違いない。しかし、自然権と自然法の区別は、あいまいなので致し方ない面も
ある。だが、法哲学的には、これらを混同するとわけが分からなくなることは確実だ。
レオシュトラウスは自然法を論じていたというのが一般的な解釈だ。(日本では知らないが) ハイエクが自然権でなく、
自然法をイメージしていたのと同じである。 自然権の場合は、どうしても”ロックの”という前提がつき、限定的なものと
なる。
(中略)
Anglo−Americanの国では、20世紀の後半にイギリス、アメリカ、ニュージーランドとリバタリアン革命(改革)が実現
した。これが可能であったのは、やはりこれらの国がコモンローの国であったからだろう。これはコモンローが、自然権、
自然法への親和性が高いという 意味でである。しかし、これもコモンロー体制が取り立ててよいという意味ではなく、
むしろLegal Positivismが積極的に悪(unjust)であるということだ。”保守”が明確に定義できないように、コモンローも
明確には定義できないが、Legal Positivismというものは、20世紀の現象として、明確に定義できる。
まず、LegalPositivismの大前提となり、その根本にあるのが、Natural Lawの”積極的な否定”である。
”自然”を否定し、”人知”つまり人間の理性を極端に重視するのが、Positivismだ。これに対し、
リバタリアニズムは、自然法、自然権ベースの政治思想である。保守思想が、そうだと言っても良い。
その意味でアナキズムは、保守思想とみなせる。
#逆に、バークの思想をアナキズムだと喝破したのが、M.ロスバードであった。
20 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 05:12:03
J しかしこのユートピアは、トマス・モア卿により描かれたものやその前後のすべての作品よりも、遥かに魅力は無い。そして19世紀の多くの国々のユダヤの人々の状況は、その様な作品がつまらなく無用になる程深刻であると、私は確信する。
21 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 05:18:24
J 数年前に書かれたセオドア・ヘルツカ博士による「自由の地」という興味深い本は、私のアイディアとユートピアの違いを明確にするのに役立つだろう。彼の作品は政治経済学理論で完全に説明された近代の天才的作ではあるが、彼の描いた理想的国家の在る赤道地域の山岳と同様、現実から程遠い。
22 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 05:28:46
「自由の国」という本は、相互に組み合わされた多数の歯車を用いた複雑な機構の様だが、それらの実行可能性は、全く証明されていない。「自由の国協会」が設立されると仮定しても、私は全体として、饒舌としか受け止めない。
23 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 05:34:58
それに対してこの計略は、ある現存の強力な推進力を利用する事を含めている。私自身の不適を考慮に入れるとしても、この機構の細部を指示出来て私は満足し、私以上に技能のある技師達にそれらを完成するよう依存するつもりだ。
24 :
吾輩は名無しである :2007/08/25(土) 01:31:16
P 我々の時代には、放縦的な指導者達の能力に代替している力とは、資金の力である。宗教信仰の力が支配力であった時代があった。自由という想念は現実化する事が不可能であるのは、自由の想念を適度に用いる方法を、 誰も知らないからである。ある国民を、統制のとれていない群衆に変えるのには、ある一定期間、庶民階級に自治を行わせるだけで充分である。その時から続けて、彼らが互いを滅ぼし合う不和が、我々の為に出来て、やがて階級間の抗争へと発展し、 そのさなかに国家は崩壊し、国家の重みは遺灰の山の重みへと減少する。
25 :
吾輩は名無しである :2007/08/25(土) 01:50:06
ある国家が、国内の騒動の中で疲弊しようが、その国家の国論不一致が、外国勢力による支配の 原因になろうと、いずれの場合でも、その国家は遡及不能な敗戦的状態と見做し得る。つまりその国は我らが手中にある。完全に我らが手中にある資本専制主義は、 その国家に藁を差し出し、その国家は否応無しにそれをつかむに違いない、でなければ、その国家は底へと沈む。
26 :
吾輩は名無しである :2007/08/26(日) 13:27:41
J あらゆる物事は、我々の推進力に依存する。そしてその力とは何であろうか。ユダヤ人の不遇である。 誰がその存在を、否定しようと挑戦するだろうか、誰もいないだろう。その存在について、反セム主義を引き起こす諸原因の章において、我々は完全に議論するつもりである。 ヤカンの蓋を持ち上げる、沸騰している水が発生させる蒸気の力の現象に、誰もが親しんでいる。そのような紅茶をわかすヤカンのような諸現象は、反セム主義をチェックする、シオニストや仲間の諸団体の企画実験である。 私は、この力は、もし適切に運用されるなら、巨大な動力を推進し、乗客や商品を移動させるのに充分な程の能力をもっていると確信する。その動力エンジンには、人類がそれに付与するあらゆる選択肢のものをもちうる。 そうでありことが証明されるのを私自身が見るまで私が生存できるかどうか疑問だが、私の考えは正しいと絶対的に確信している。 この運動の運営を最初に開始した者達は、その素晴らしき終結を生存して見ることは、殆どないだろう。しかしその開始は、彼らに誇らしい気持ちと、精神の自由の喜びを与えるには充分である。
27 :
吾輩は名無しである :2007/09/06(木) 14:12:42
J 我は、技巧的に熟達した我が企画の描写には、饒舌はしないというつもりである。なぜならユートピア(夢想國家)を描いたという疑念を起こさないためである。いずれにせよ、思慮のない嘲笑者達が我が企画を戯画化することで、 企画の効果を弱めようとするであろうことを 、私は想定している。 私が我が企画を説明した、他の観点からみて知的なユダヤの人であれば誰であれ、「ユートピアというのは、その未来に対する細部説明が、既存のものとして明白な計画である」という見解であった。 これはつまり、ごまかしである。欧州各国財務大臣は、彼の国の国家予算を予測可能な範囲の数値で計算し、過去数年の平均的数値結果に基づくだけでなく、他の諸国家の前年までの予算を参照するが、時には、他に先例のない数値を計上することがある。 例えば、新しい税の創設である。予算学を学んでいる者は誰でも、この場合もあることは知っている。予算計上が厳密に実行されないということが知られているとしても、そのような金融財政予算はユートピア的と考えられているだろうか、決してそうではない。
28 :
吾輩は名無しである :2007/09/11(火) 18:58:08
>>25 P リベラルな判断力を持った人が、誰であれ、上記のような考察を、非道徳的であると万一言うのであれば、以下の質問を投げかけよう。つまり、もし、あらゆる国が二つの敵に直面し、
外部の敵に関しては、闘争のためのあらゆる方法と技術を使って、許されまた非道徳的とは見做されない。例えば、攻略と防御の諸計画を外敵に全く知らせず、その外敵を、遥かに勝る圧倒的多数の軍で、夜間に軍事攻略する事である。
それでは、世の中と人々に共通の福祉のしくみを破壊してしまうこと、つまり最悪の敵に関しては、同様の手段をとることは、非道徳的で見過ごせないことと、何故言えるであろうか。
理性的な説得や議論の助けで、民衆達を導いてゆくのに、少しでもうまくゆくと期待する事は、いかなる健全な論理的な判断力の者であっても、できない。なぜなら同時進行で、非常識であったとしても、あらゆる反対や矛盾的意見は言明できるし、
さらに、そのような反対意見が人々にとって、より好ましく思われている事に気づかされるかも知れない。それは、その反対意見の理性的力がより勝っているからだ。
29 :
吾輩は名無しである :2007/09/11(火) 19:25:01
不特定多数の人々と、特定多数の(チェックされた)人々は、ささいな心情 や、ほとんど価値のないような信念や、習慣でしていること、伝統を守ること、そしてそれらの心情から作られた理論だけによって、指導されてゆくのであるが、 もしそんな彼らが、党派的な分裂状態の策略のえじきになる時は、完全的に理性的前提を基盤とするどのような協定協調でさえも、さえぎってしまうはずである。 ある不特定多数の人々の決定することは、偶発的な機会か、寄せ集めた多数派の動き次第である。 ところが、その多数派は、政治的な秘訣には、全く無知であるため、いくつかの滑稽と思えるような愚直な決定を下し、その結果、政府機構の中に、無政府的な状況の原因(種)をスタートさせてしまうのだ。
30 :
吾輩は名無しである :2007/09/24(月) 07:39:47
>>27 J しかし私は、読者により以上のことを期待しているのである。私は私が発表している対象である、文化に長けた人達に、多くの先入観的発想をすべて置いて考えて欲しい。ユダヤ的問題を最も熱心に解消しようと努めてきているユダヤの人々に、
彼らのこれまでの試みが誤っており、かつ無駄であったと見做して欲しいとさえ思う。 私は、私のアイデアを推進するに当たって、ある危険に対して防御をしなくてはならない。もし私が未来の諸状況を余りに注意深く叙述するならば、
それらの実現可能性を明確に私は疑わなくてはならない。他方で、私がそれらの現実化を、余りに確信的に発表するなら、私は明らかに(ギリシャ神話の)キメラのようなものを描写することになる。
したがって私は、我が計画の現実的な結果を確信しているということを、はっきりと強調して言明するつもりである。その計画が究極的にもたらす概要を既に発見していることを、告白せずにではあるけれども。
つまり、ユダヤ国家(現イスラエル共和国)は、世界にとって不可欠必須であり、その結果それは創造されるのである。
31 :
吾輩は名無しである :2007/09/30(日) 23:55:23
>>28 P 不特定複数集団の不特定な人々と、特定複数集団の特定されている人々。彼らは、小さな情熱と僅かな信念と風習、慣例、さらに理性的でなく感情的な体裁だけの理屈、これらによってだけ方向性を与えられているのであるが、彼らは、
党派的意見の相違に巻き込まれてしまい、その意見の分裂は、完全な理性に基づいた議論・前提の基礎にさえなっている、見識の合意は何であっても、妨げようとしてしまう。群集の為すどんな決定も、
成り行き次第であったり、数合わせのための多数に基づいているのだ。それら要因は、政治の幾つかの秘訣に全く無関係であるために、それなりに馬鹿げた決定を推進し、そのことが行政に非制御的状況の原因の一つを、もたらしてしまうのである。
32 :
吾輩は名無しである :2007/10/19(金) 15:05:24
>>30 J
もし一個人がそれを為そうと試みているのなら、その計画は勿論、愚かしく思われるだろう。しかしもし共同で複数のユダヤ人によって為されているのであれば、それは明らかに完成された理にかなったものになり、またその達成は言及すべき何らの困難も現れはしないだろう。
思考というものは、その支持者の絶対数にだけ左右されるのだ。おそらく我々ユダヤ人の意欲のある若者たち、
彼らは今(19世紀末)はあらゆる前進への手立てが閉ざされているけれど、このユダヤの国家に自由と幸福と栄誉の明るい希望が、彼らに開放されていると理解すれば、彼らはこの考えを確実に広めてゆくであろう。
33 :
吾輩は名無しである :2007/10/23(火) 00:50:59
>>31 P 政治的な現象は、道義とは何らの共通点がない。道義によって統治されている政治家は、技能的な政治家とは言えず、従って自分の地位が危うくなる。政治をおこなおうと望む者たちなら誰でも、表では国民たちを、陰で我々をあざむくような手段を共に行使しなくてはなるまい。
プレス(新聞などマスコミ)のおかげで、我々が彼らを欺いているのであり、さらに彼らにプレスを信じ込ませなければならない。率直なことや正直なことといった善い国民性は、政治力学の中においては、悪徳であって、そのわけは、そのような国民性が、
最強の敵よりも効果的かつ確実に、為政者たちをその座から引き降ろさせるものだからである。 我らの権利は、実力の中に備わっている。権利なることばは、抽象的思考に過ぎず、抽象によっては証明はされない。
権利という語は、単に『私の望むものを与えて欲しい、その事によって、私の方があなたよりも強い立場であるという証明になる。』という意味である。 権利は、どこで発生するのであろう。そしてその権利は、どこで消滅するのであろう。
34 :
吾輩は名無しである :2007/10/23(火) 01:37:04
>>32 J このパンフレットの公表によって、わたしの務めは終了したと、わたしは思う。私は再度ペンを執るつもりはない、但し、しるすに値するような反対論者の議論が私にペンを執らさせない限りは、或いは予測されなかった反対勢力と対峙したり誤謬を除去する必要が生じない限り。
私はまだ事実となっていない事を述べつつあるのか。我らが時代はまだ来ていないのか。ユダヤ人の苦悩は、まだ充分には深くなってはいないのか。やがて我々にはわかるだろう。
この国体的パンフレットが現今で、国際政治のロマンスのままで終わるのかどうかは、ユダヤ人たち全員の努力にかかっている。もし今の世代がそれをふさわしく理解するのに、ゆっくりすぎるのであれば、
将来のより 立派な相応しい世代が、それを理解しようする気持ちで奮戦するであろう。
国家を望むユダヤ人は、誰であれそれを経験することになる、そして彼らにはそれを経験する充分な価値が備わっているのである。
35 :
吾輩は名無しである :2007/10/24(水) 00:39:43
>>33 自由主義が原因で洪水のようにあふれる諸権利のさなかにあって、その本来あるべき本質の統御(パーソナリティ)を喪失してしまっている、
権威が行き届かない非効率な国家組織や、法律体型と政治家たち自身の制御状態の喪失(インパーソナリティ)が存在しているようなどのような国家にも、
私はある新しい権利を見つけている。つまりそれは、強者達の権利によって攻勢を仕掛けること、また命令と規制の現存する全ての権限を細分化してしまうこと、全ての組織を創り変えてしまうこと、
さらに国民全体の自由な考え方の中にあって、自発的に権力の諸権限を、我々に対して従属状態にさせた国民に対して、絶対的司令官になってしまうことである。
全ての形態の権力が揺れ動いついる現在の状態の中にあって、我らが権力は、たのどんな権力よりも不可視的であるつもりだ。そして我らが権力は、
どのような策略も我らの権力のもとにひそかに破壊工作をしかけられなくなる程に、我らの権力が強さを確保するまでは、世界に対して不可視の状態を保つつもりである。
36 :
吾輩は名無しである :2007/11/14(水) 02:07:28
>>35 我らが今や行なうよう強いられている、妥協的な悪から、一定の揺らぎない統治の善が、浮かび上がってくるであろう。そしてその善こそが、自由主義によって無に帰された国民生活の機構を正常な形で回復させるであろう。
しかしながら、我らは我々の諸計画の中において、我々の考慮を善と道徳もさることながら、むしろ必需かつ有用な事項へと向けさせてほしい。
我らが眼前には、戦略的に決まった方針のひとつの計画がある。そしてその方針から逸脱するならば、何世紀もの研究実行が無に帰するのを見てしまうような危機をもたらすことになろう。
活動の満足のゆく形を造り上げるのに必要なことは、大衆・人々の卑劣な面・怠慢な面・不確定な面、さらには彼らが自分自身の人生や福利の諸条件を理解し、そのうえにそれら諸条件を尊重にする能力が欠落しているという面に、充分な考慮をはらうことなのである。
人々の持っている精神的身体的パワーは、無目的・無意味・無分別であり、どんな案にも影響されてゆく。無分別な指導層が、無目的な国民を統治するならば、その国民を地獄のような状態に導かざるを得なくなる。
つまり、賢明さや特別な才能を持った国民の一員である指導者が何人いても、政治学の理解が全くなければ、その国民を必ず破滅へと導いてゆく。
37 :
吾輩は名無しである :2007/11/16(金) 03:34:54
>>34 J 第1章。導入部。 実社会のさなかで動き回る多くの人たちが、経済の科学への、何とも僅かな見識しか有していないというのは、驚くべきことである。従って、ユダヤの人々でさえもが、「我々を受け入れてくれている欧米諸国の支持に我々は依存しており、
支持する国々が全く無くなれば、我々は食を絶たれるはずだ。」という反セム主義の叫び声を忠実に繰り返しているのだ。それさ、不公正な批難が、どのように我々の自覚を弱めているかの一つの核心である。
しかし、『受け入れ国』を演じる欧米諸国については、この声明文の真の根拠は、何なのであろう。限られた農林水産業主体の見地に根拠が無いのならば、継続的循環で、商品(コモディティ)が次々と渡ってゆくのだという、子供じみた根拠に基づいているのだ。
たくさんの新商品の生産によって、かなり変えられた世界に気づくために、我々は永い休止(睡眠)状態を、(アメリカの小説)リップ・ヴァン・ウィンクルのように終わらせる必要は無いのだ。
この素晴らしき時代になされた技術進歩により、もっとも限られた知性しか無い人でさえ、自分の未来は予測出来ないような人であっても、自分の周囲にいくつもの新商品が出現しているのに気づくことは出来るのだ。
企業家精神がそれらを創作したのである。
38 :
吾輩は名無しである :2007/11/26(月) 02:09:46
>>36 子供時代から既に、自律的統制に向けたトレーニングを受けた者(選良)だけが、政治学の用語で成り立っている我らの説明が理解出来るのだ。大衆の代表者である一般人たち、つまり大衆の中から(政治家に)上り詰めた者たちは、
権力と多くの名誉への追求と、そのために発生する混乱が原因で起こる政治の分断によって、大衆を破滅の方へ導くことになる。大衆やそこから出世したような者たちが、穏やかに、また嫉妬や個人的動機や利害なしで、
政治上の判断を下したり、行政を実施したりすることが、可能であるのだろうか。彼らは国外の敵対勢力から国民を守れるのであろうか。それは不可能と思われるのだ。
なぜなら大衆と同様、数多くの部分に破断されている国家の諸計画は、実は何らの統一性も無く、政治家自身も理解掌握さえ出来ず、完璧な実施はありえないことになる。
39 :
吾輩は名無しである :2007/11/26(月) 04:25:19
>>37 J 企画力のまったく無い労働は、古代における固定化された労働である。その典型は(古代ローマなどの)農奴の労働であり、彼らは先祖たちが、たとえば千年前に立って労働していた場に、今も立って働いているのだ。
我々の物質的なすべての恩恵というものは、企画力のある人々により、もたらされてきたものである。私は、このような余りに分かり切った陳腐な説明を書くことは、殆ど恥としたいくらいだ。
もしたとえ私達が、おおげさな言い方をされて、企業家たちによって成り立つ国民であるとしても、我々は依存するための別の国民を必要とするべきではない。
我々は、旧来のコモディティズ(製品、共有事物)が行き渡るのにたよりはしない。なぜなら我々が新たなコモディティを生産してゆくからである。
age
41 :
吾輩は名無しである :2008/01/01(火) 13:50:44
>>36 P 独立した統御に関して、子供時代より訓練をされている、唯一の者だけが、政治的アルファベートで成り立ち得る、用語や文の理解を保ちえるのだ。
みずからの代表者たち、つまり大衆からの成り上がり者たちに、任せ切りにしている国民いずれも、権力を希求する事によって煽られる党派分裂と、同時に高まってくる秩序崩壊により、自らを破滅へと誘導する筈である。
個々国民の単なる集合体が、穏便に、またくだらない嫉妬も無く、諸々の決断をしたり、国事を処理したり、することは、個々の利害と混同せずに、実現するのは不可能であろう。彼らは国外の敵勢力から自らを防御できるのだろうか。
それは全く有り得ない。なぜなら国事の諸原案は、大衆の諸代表の数と同数にさえも分割されてしまうために、原政策実現の均一性は失われ、理解把握が不能になり、原案の完璧な実施が有り得ない筈だからである。
>>39 J 世界は、業務に向けて、破格的な能力を有する奴隷を所有しており、それが出現することは、手製の商品の生産にとって死活的である。ところでこれらの奴隷とは、機械類である。
作業者が機械装置を作動態勢に置く必要は、確かにあるのだが、この人員は超多数存在している。東欧の多くの国でのユダヤ人の諸状況に無知である人達だけが、ユダヤ人は手工業的労働を実行するのに適さないか、意欲が無いと、わざわざ言ってみたりするのだ。
P いち人の絶対的な統治者に任せて初めて、諸政策は、その国家の機構の幾つもの部分の中にあって、全体として的確適切に配分実施される方法で、発展的かつ明瞭に技巧され得るのである。則ち、この結論は、どんな国にとっても、満足のゆく国家形態は、 いち人の全責任を負う人格の、行為に集権する形態ということ以外に皆無である。絶対中心的な服従主義なくしては、文明の存在存続はありえない。唯一のその指導人格が誰であろうとも、文明とは決して大衆によってではなく、その者によって運営されてゆくものである。 大衆とは、逆にある種、野蛮であり、各機会あらばその性質を披瀝するものである。彼らが自由というものを任せられたなら、その時からもはや大衆は無秩序状態へと進み、それもまた野蛮性の披瀝の一つとなる。
44 :
吾輩は名無しである :2008/03/12(水) 00:29:32
J しかし、わたくしはこの発表の中において、ユダヤ人の擁護を引き受けることは望みたくない。それは、おそらく役に立たないことになろう。ユダヤ人の弁護のために言いうる理性的なあらゆること、また感情的なあらゆることは、既に発言されている。 もしもそれらを聞いた人々が、その発言を理解できないとしたら、その弁護者は砂漠での説教者になるだろう。さらに、もしそれらの弁護発言を聞いた者たちが、直ぐにそれらを把握するくらい 判断力が幅広くまた高尚であるなら、その説教は表明的なものになるだろう。 わたしは、人類が更なる何段も高い段階の文明へ上昇してゆくことを確信している。しかしながら私は、この上昇は現段階(1890年代)で、絶望的なくらい低速であると考えているのだ。平均的人類が、 「賢者ナタン」を書いた時のレッシングと同じくらい慈善の気持ちに向かうようになるまで、わたくしどもが待つとしても、私たちは我らが時代(20世紀初頭まで)を越え、我らの子供たちの時代(20世紀半ば)を超え、我らの孫たちの時代(20世紀後半)を超え、 さらに我らのひ孫の時代(21世紀前半)を超えるまで待たねばならない筈である。しかし(19世紀末の)世界精神は、もう一つ別の方法で、我らの助力になっている。
>>44 さらに、もしそれらの弁護発言を聞いた者たちが、直ぐにそれらを把握するくらい 判断力が幅広くまた高尚であるなら、その説教は表明的なものになるだろう。
「表明的→ 表面的 」(訂正)
>>43 P 見るがよい、飲酒の間、自由主義がもたらした 中庸を越すまで服用する権利とともに、ぼう然となってアルコール漬けのようになった動物達を。我々や我らが民に関して、あのような道を歩むことは無い。諸国家の国民は、アルコール飲料により知性が困惑している。
すなわち諸国民の青少年達は、古き伝統言語文化と早熟の不道徳性の影響により、愚鈍に成長している。その2点に関して、我々の側に付く特殊な行為者たち、すなわち富裕階層の個人教師達、公僕達、また、諸国民が足しげく通う豪遊の場での女性達によって、
更なる誘導がなされている。さらに堕落と贅沢のために他者に積極的に追随する「社交界の御婦人たち(貴婦人達)」も加わる。
>>44 J この世紀(19世紀)は、世界の技術的達成の手段により、世界にひとつの素晴らしいルネサンス(再生)を与えてきた。が同時に、その奇跡的発展は人類の利益に役立っていない。距離は一つの障害としては終結したが、我らは不十分な空間に不満をもっている。
我々が開発させた素晴らしい蒸気船は、我々を今だ訪れたことのない大洋へと素早く確実に運んでゆく。我々が開発させた鉄道は、我々を、これまで誰も足を踏み入れ難かった山岳地帯へ安全に運ぶ。ヨーロッパがユダヤ民族をゲットー(閉鎖社会)へ閉じ込めていた時に、
まだ(西欧人によって)発見されていなかった国々の出来事でさえ、1時間以内に我々に知らされている。このようにして、ユダヤ民族の悲惨さは、アナクロニズム(時間概念の錯誤)になった。それは100年前(1789年ころ)に
啓蒙思想(百科全書的情報の伝播)の時期があったからではない。なぜなら、あの啓蒙主義は選ばれた精神的な人々にのみ現実として到達したに過ぎないからだ。
J 私は、電気による燈火は、全体からみて僅かな数の紳士的俗物たちの衣裳部屋を明るくする目的だけで、開発された訳ではなく、むしろ人類(ヒューマニティ)の暗い諸問題の一部に光を投げかける目的で発明されたのである、と確信している。 これら諸問題の一つであり、無視出来ないものの一つは、ユダヤの問題である。それを解消するために、我々は、我々自身のためだけではなく、他の多くの、過重負荷を背負い込み、かつ抑圧されている人々のために、作業を続けている。
P 我々にとっての暗号は、実力と暗示である。実力だけが、政治的諸問題を制覇しているのであり、とりわけ、その実力が政治家達にとって不可欠なさまざまな才能に秘匿されているならば、なおさらのことである。 もし彼らが彼らの権力と名誉を他の新たな勢力の代表の力のもとにねじふせられたくないのであれば、実行力(実効性)が 大原則であり、巧妙さと確信させる能力は、諸政府にとっての法則である。この弊害は、目的である善を達成する唯一無二の手段なのである。 したがって我々は、我々の目的の達成に確実に役立つ時には、買収や詐術や契約取り消しを止めてはならない。政治学においては、国民の従属と国家の主権を確保できるならば、主権者は、躊躇なく財を収用する手段を知悉していなくてはならない。
>>48 J ユダヤ人問題は、依然存在している。ユダヤ人問題の存在を否認することは愚かであるだろう。ユダヤ人問題はヨーロッパ中世の名残であり、欧米文明諸国がそうしようと努めても、振り払うことの出来ないように思われる中世の名残りである。
それらの諸国が、我々ユダヤ人に権利の自由を解放するときには、それら諸国は中世のユダヤ問題の名残を振り払うことに対し、確実に多大な努力の意を示すであろう。ユダヤの問題は、ユダヤ人が知覚できるくらい多く住んでいる所であれば、存在している。
欧米などでそれが存在しない場所では、ユダヤ人たちの移住によって、問題も運ばれてゆく。我々は、当然、我々が迫害されることのない場所へ移動する。このことは、どの国にも当てはまり、また今後もずっとそうであろう。
ユダヤ問題が政治面で解決を見出だされない限りは、たとえばフランス共和国のような高度に文明化されている国であっても当てはまり続ける。
不運なユダヤ人たちは、今や、反セム(ユダヤ)主義の種子(移住による原因)を英国へと運んでいる。他方アメリカ合衆国にはすでに運ばれてしまっている。
P 私達の国家は、平和的な占領の手法に沿って進みながら、戦争の恐怖に代わって、より目立たないが、より満足度の高い、生命剥奪刑を留保し続ける。それは最高権威に対する畏れを維持し続けるのに必要なためである。それは素直な服従になってゆく。 国家において、公正ではあるが無慈悲な厳格さは、国力の最大の要素になる。国家にとっての損得目的だけでなく、義務意識のためにも、世界国家が勝利し続けるためにも、我々には実行力と対国民への宣伝(啓蒙)の計画を続けなる義務がある。
P (代数学と幾何学、またカバラ学の)二乗総計の大法則は、それが役立つ対象である諸々の手段ときっかり同程度に、強力なものである。 したがって私々が勝利して、総ての政府を、私達のスーパー・ガバメント(超政府)への服従へと導くことは、強力な諸々の手段によってと言うよりも、実はこの厳格な大法則によるのである。
requestなし?
54 :
吾輩は名無しである :2008/08/13(水) 00:52:46
「なんちゃってヘブライスト」て誰? アブ(父祖である)ガド(ガド族初代は)ハワズ(告げの夢を見た)ヘット(神の前に罪を犯し)ヤカル(可能なのは)マナス(神の前に経験を積んだマナセ族初代に)アフ(巡を廻し)ツォク(打ちひしがれた)レシェトゥ(エベル大族族長の策に)。
ヨシュア記22章より 9節 ルーベンとガドの人達とメナセィの半部族の人達は、ケナァンの地のシローで、イスラーエールの他の部族達と別れて、モシェを通して受け取った主の命令により、既に得た自分達の所有地である、ギレアドの地方へ帰っていった。 10節 レウベンとガドの人達とマナセの半部族の人達は、カナンの地にあるヤルデーン川のゲリロトに着いた時に、一つの祭壇を作った。それは目立って大きな祭壇だった。 11節 イスラーエールの人達は、ルベーンとガドの人達とマナセーの半部族の人達が、カナァンとの境である、ヤルダン川のイスラーエール側のゲリロトに祭壇を作ったとのニュースを聞いた。
宮中賢こ所の、鈴(三種神器の第一、Yahたの鏡の箱の真上)の個数(おそらく伊勢の本内宮も)は22と聞いています(宮大工と代々神官しか知らない。一般の神社に流布した鈴は伊勢がモデルだろう)。 22はユダヤ伝統カバラでは、ヤァコヴ(ユィスラァエール)対神の対等(結局は神が譲歩された)の立場を表す神とユダヤの人々を繋ぐ対等の数になる。決して22が最強なのではなく、対等の力をもたせるもの。
ことしもジューウィシュのエコノミクス(ネオ・ケインズ学派)のドクターがノベル経済学プライズを受賞されました。おろかな異邦人がみずからの日々のおろかな経済生活を改める日が到来しますように(最上からの政治経済教育によって)。
>>50 わたくしは、わたくしが反セム族主義を理解していると確信し、その主義は、実に複雑な運動である。私はその主義をユダヤの側の見地から考えるが、脅威や憎しみなしに考える。私は、通俗的なスポーツとしての、
或いはよくあるビジネス上の嫉妬としての、或いは伝来の偏見としての、或いは宗教的な不寛容としての、あるいはまた、意図的な自己防衛としての反ユダヤ主義の中にある、何の根本要素があるのか理解出来ると
確信している。私はユダヤの問題は、時々様々な形態で現れるが、それは社会的というより宗教的であると考える。それは(ユダヤ人の)国民的問題であり、その問題は、議論されるべき政治上の国際的問題にし、
また会議の上での世界の先進諸国によって決着させることによってのみ、解決がされ得る。 我々(ユダヤ人)は、国民であり、一国民である。
>>52 P 古代(ギリシャやエジプトなど)にさかのぼって、我々は大勢の人々の間に、最初に『自由と平等と友愛』の言葉を発表し、この言葉はその時代から愚かなおうむがえしのように、無数に繰り返され、
あらゆる方面からその言葉を発する単純な者たちの言葉に、人々は殺到し、そしてその言葉とともに世界の幸福(福利)と個人個人の真実の自由は、持ち去られてしまうのだ。その幸福と真の自由は、それまでは、
大衆の圧力からきちんと個人に対して守られていたのに。諸国民のいわゆる賢人たちや知識層は、この言葉の抽象的さ、とらえ所の無さのために、これらの言葉から何もつかめなかった。つまり、
これら3つの言葉の矛盾と、相互の関連に気づかなかった。すなわち、宇宙自然界に、何の平等性も無く、まして自由は無く、結局、宇宙と自然は、心理判断・性質・潜在能力の不平等性を確立してしまい、それは
宇宙・自然界の法則に対する従属が変えられないのと同様である。さらに諸国民の賢人・知識層は、大衆は無知であり(様々な分野の専門家ではなく)、政治に関しては、大衆の中から選出され政治を任される
成功者たちは、大衆と同様、何らの専門家ではなく、彼らは専門家ではなくとも、熟達した政治家であれば政治は出来るのだが、他方、熟達しない政治家は、もし天才的な(学識・技能の)専門家であったとしても、
政治に関しては何も理解していない、と気に留めない。これらのことに諸国は何ら考慮を払っていない。しかし、いつの時代も、世襲の王朝・帝室は、これらの点に基礎を置いていた。そして父王は
次王にこれらの政治の要略の仕組みを伝え、王室・帝室以外、被支配者には決して伝えることは無かった。ところが時代が経て(とりわけ欧州では)、政治における真実のあるべき要略の王統の中での伝授の意味が
喪失し(フランス革命など)、この事が我々の成功に役立った。
ク翩レ、マ・ユ。シ・ウ。「、ユ、ヲ。チ、ユ、ヲ。チノユ、ヲ テッ、ャ、ウ、ハスュケ�、゚、ケ、?、ヌ、キ、遉ヲ。ゥ、ケ、エ、ッニャ、ホ、、、、ソヘ。ゥ
もじバケ不明
63 :
吾輩は名無しである :2008/11/14(金) 10:43:43
sage
このスレほど非文学的なスレも珍しいのでは? 文学とは何ぞや、を考える題材にはなりそうだ。 スレ主は何語の文学の専門家なの?ブートミ版ならロシア語じゃね? 「マキャベリとモンテスキューの地獄対話」ならフランス語(ベルギーか)じゃね? フォードの「国際的ユダヤ」なら英語じゃね?
>>65 『文学とは何ぞや、を考える題材』??
原語は勿論近代ヘブル語→フランス語、ドイツ語→英語他への翻訳?とい雨より、内容的に英語とヘブル語の2原典の可能性もありそう。仏独は欧州知識層へのアピールのため。
For aliens, i've refered both of them as mere archaic literature , never as non fiction works. Because they were written down through immence imagination of writers with the aid of some vague factlets. Besides(Nevertheless), both literatures deal with peculiar people through quite different view. This makes oriental Japanese astonished. Of course, like Japanese tale of Genji, its plot seems to be constructed with many hands,without any confidence, of cource.
ノーベルの賞創設の直前なので、間に合えば、作品には文学賞・作者には平和賞になったかも。
69 :
吾輩は名無しである :2008/11/16(日) 23:14:56
ユダヤと世界戦争
T ユダヤ魂の本質 一
一、 ユダヤ問題研究の精神史的意義
二、 ユダヤ魂の本質
三、 ユダヤの神秘の謎を解く
四、 ユダヤの世界支配諸機関
五、 ユダヤ聖典及び法典の成立とユダヤ的「タルムード論理」
六、 「ジオン議定書」の成立、伝播、真偽
七、 国際ユダヤ秘密力の世界新聞統制
U ユダヤと世界戦争
一、 ユダヤの人間還元・・ユダヤ問題研究根本原則十箇条
二、 大東亜戦争勃発後の世界情勢
三、 今次世界大戰の性格
四、 世界大戦へと駆り立てるもの
五、 日本とユダヤ
六、 日ユ抗争としての日支事変
ばななばななー
http://jp.youtube.com/watch?v=VPPFgHF9VR4
ツィヨーンの岡(ハル・ハツィヨーン)…Zion Hillは今だ位置が特定されず、まして神殿至聖所が置かれたかどうかすら未解明(アシリア、バビロニャ帝国、ローマ帝国とペルシャ王等による 各徹底的な神殿破壊と別位置に建てられた全く非ユダヤのイスラム教の聖地)…目くらまし的脳内状態の大多数の世界市民たち。
71 :
吾輩は名無しである :2008/11/26(水) 02:54:32
シオン賢者の議定書って本物ですか?
小説・フィクション=虚構・架構作品です(作者不詳、または匿名作者) 原文もフランス語、ロシア語(または英語まで)などの説があり謎とされます(ただし地球のことばです)
73 :
吾輩は名無しである :2008/11/27(木) 02:16:10
>>71 ググレ! wikiに偽書って書いてある。
?偽書→GENRE(ジャンル範疇)分類不能...
75 :
吾輩は名無しである :2008/11/27(木) 02:53:46
ユダヤによる世界統一の可能性は?
76 :
吾輩は名無しである :2008/11/27(木) 08:56:15
<人口調整の仕方↓一番平和的と思われる方法↓> 男に女性ホルモンを注射し、女に男性ホルモンを注射すれば同性愛者を増やせる ↓ 同性愛者同士では子供ができない ↓ 結果、人口爆発を予防できる + ポルノを禁止した国は性犯罪が増加するので、逆に全世界でポルノを解禁にする ↓ 日本のエロゲや同人誌を世界に普及させれば、性犯罪も減少 ↓ 結果、人口爆発を予防できる 同時に映画マトリクスのような世界で実際と変わらないプレイができるようなシステムも開発し、 ポルノ業界をよりハイクオリティーなものにしていく 無計画で子供を作る国などに↑の内容を実施すれば、高い確率で人口を調整できる しかも、細菌テロや戦争もしなくてすむ 人口調整のために細菌テロや戦争などを仕掛けると高い確率で組織内部に造反者がでる。 結果、組織として統制がとれなくなり、組織は崩壊する。
一理ありW
>>59 我々は、あらゆる場所で、我々を取り巻く共同体(コミュニティ)の社会的生活に我々自身をとけこませ、かつまた我々の父祖の信仰(ユダイスム)を維持するよう正直に努力して来ている。我らは、そうすることを許されない。我々は、
いくつかの地域では(欧州の)その国の、極端な愛国主義をおこなったり、われらの朋友(ユダヤ教徒)にするのと同様な人生と財産の犠牲をしたり、科学や技芸で滞在国の名誉を増幅させ、また貿易やビジネスで
その国の国富を増大させするよう労したが、我々がそれらの国の忠実な愛国者であることは、無駄であった。何世紀もの間、我々が住んだ(おもに欧州の)国々で、その国の新移民たちにさえ、(19世紀末において)
我々はなおもって異邦人と呼ばれている。しかし大勢タイセイが、どちらが異邦人であるかを決するやもしれない。つまりこの件に関して、国々(国民と国民)の関係に生起するあらゆる論点は、力の問題である。
以上に述べてきた権利のいずれも、わたくしはいささかも譲歩しない、わたくしがこの文章を、一個人としての私個人の名前で書いている限りは。今(19世紀末)もそうであり、また今後の不特定期間が残されているであろうが、
世界においては、力が権利に先行しているだろう。したがって、我々が各国の忠実な愛国者であることは、無益である、無理矢理国外退去させられたユグノー(17世紀にカトリックのフランスから、ドイツなどに移住させれた)のように。
しかしわたくしは、我らが(19世紀末までのように)平和のままでいられるとは考えない。
>>60 地球のすみずみにまで、『自由と平等と博愛』のことばは、我々の手駒として準備された、熱烈に我々の合言葉を掲げる、各国の盲目的な伝達者たちのお陰で。そして常時、この言葉は、諸国民の福祉に穴を空けて
ゆく木喰い虫のように作用している、平和と静穏と結束に終止符をうち、(国際的でない)国民的諸国家のまったくの基盤要素を破壊させながら。聴衆の皆がのちに理解されるごとく、このことが我々の圧勝に寄与したのである。
すなわちこのことが、我々の掌中にマスタカード(勝利の切り札)を握る可能性を与えたのだ。このマスタカードとは、各国内諸特権の廃止改変であり、別の言い方では、我々に対抗して国民と国家を防御していた
各国家の貴族階級の破壊である。この自然発生的また血統主義的貴族階級の去ったあとに、我々は資本力の貴族階級をトップとする、我々の施策教育をほどこした別の貴族階層を設置する。この資格は我々に
依拠する資本量と科学知識であり、それらには我々の知的推進力が不可欠である。
結局 このストーリーは後の方で 日本のような 王統、皇統のしっかりと連綿とつづく政治経済社会の確立が大切と述べる
あっそうか!だから日本は戦争に負けても天皇制の社会がのこったのか
>>80 J
抑圧と虐待では、私たちを絶滅させることは出来ない。私たちがくぐり抜けてきたほどの、葛藤や苦悩の中を生き延びれる国民・民族は、地球上にはない。ユダヤに噛み付く者たちは、われわれの弱点を明解にさせたに過ぎない。
であるなら、われわれユダヤの中で人間として長けた人々は、迷うことなく、弱きユダヤの人々に対する虐待的言説や行動が発生するなら、彼らの気持ちを忠実に代弁・代行(求償)するであろう。
(19世紀ヨーロッパ在住の)ユダヤ人一般が市民の権利の留保から解放されたのちは、特にそうである。知性面、物理面において進歩的なユダヤの人々は、ユダヤの民族に属しているといる心情は、まったく失なってしまっている。
私たちの政治的権利の具足が短期であれなされる地域ではどこであれ、私たちは、滞留国家の境遇に同化する。わたくしは、このことが疑惑を生むとは思わない。したがって、欧米その他各国内に、ユダヤ的な優秀な力(繁栄)をもたらしたい
と考える政治家たちは、われわれの政治経済的市民的各権利の続くことを提供し続けねばならないであろう。しかし(19世紀の大政治家)ビスマルクでさえ(反対勢力のために)出来なかった。
>>81 P
私たちユダヤの人々と、私たちが大いに必要とする異邦人の人々とのつながり(関係性)において、人類ホモサピエンス族のもっとも敏感な部分、すなわち金銭計算性と、所有的貪欲性と、物質的需要の不滅性に、つねに作用をおこなってきた
ことによって、私たちの勝利は、よりたやすくもたらされてしまっている。そして人類種のこれらの弱点の1つ1つは、彼らの個々別々の自発性を麻痺させてしまうのには、充分である。それらの物理的物質的需要の充足と交換に、
彼らの活動意志を売り主に手渡してしまうからである。
この二(似)作品はフィクションである、しかし、もし事実がフィクションと重なれば、フィクションを利用しようとした輩のしわざにすぎない。 訳文: These two (may be similar) works are fiction; however,there seems to appear merely the act of the people which were going to use these fictions, if certain facts and fiction coming at the same time.
結局 小説(実際に実現してない空想)のうち 民族国家が実現し やがて世界国家も実現してしまったら その2つは矛盾するので 結局 この2作品は やはりフィクションだったことになる。 ただしどちらか1つが未来の実話なら 他の1つは 近過去未来を想定して作られた フィクションだったのかも知れない つまり結論は未来にある
念のため訳 1は2作品をひくしょんと関知がいしてます 1 mistakes two works for fiction 訳文: Because the 2 contradict it if a nation state is realized among novels (the dream that is not really realized) after all, and the World state has come out before long, I am after all to have been fiction after all. But it may have been either fiction which the other one assumed near past of the future if 1 was a future true story, and was made. In other words we have the conclusion in the future.
>>84 J
というのは、我らに反する昔からの諸偏見は、欧州各国民の心理に、依然 深く横たわっている(19世紀末)。このことを証明しようとする者は、率直に単純に 次のように語る人々に対して耳を傾けるだけでよい。
それは、言い慣らされたことわざやお伽話はどちらも反セム(ユダヤ)的であるということである。国民というのは、世界中どこであれ、偉大な(いつまでも)子供のようであり、彼ら(諸国民…ゴイーム・ヴェウミームGoyim Ve Ummim)は、
確かに 教育はされうるが、その教育は、もっとも好ましい状況下であってさえも、あまりに莫大な時間を占めてしまう。したがって我々は、既に述べたように このプロセスが完成するはるか以前に、(教育以外の)他の諸手段によって、
私たち(ユダヤ民族)自身の諸困難を 除去するかも知れないだろう。
>>85 P
その国の実質所有者である国民の奉仕者に、政府がなっているだけのすべての国々、またその奉仕者政府を使い古しの手袋のように交換されているような国々の大衆を 我々が(ユダイスム的価値観に向けて)説得出来るのは、
自由(Liberty:ヘブライ語ホフェシュChofesh)の抽象性の効果である。
91 :
吾輩は名無しである :2009/09/03(木) 23:28:34
結局 人類・文化・国民性にも 高等 中等 下等 があるということです 政治家も経済人も個人も そして集団も モラルにおいては 高等を 常にめざさなければなりません なぜなら 下等 モラルは 必ず 歴史上 駆逐されてゆくから。
93 :
陰謀に魔法が使われている実例 :2009/09/14(月) 14:50:19
94 :
吾輩は名無しである :2009/09/14(月) 15:46:04
さまようヨセフ君は今いずこ?
私1のことですか ヨーセフ…神が富と子孫を増しふやします →神の使いと ヨルダン神のさばきの河で 格闘して 気力で勝ち イスラエール神までも屈服する という名を 神ヤーウェからたまわりました。
( `A´)凸じゅぅぅぅぅうぅうううううぅうううううううう
地球上で…自由獸 叫んでて。(自覚はしとるさかいな)
9+8=17 ユダヤなどとjapは謂てますが 古代イスラエールにおいて、『YahooヤフーまたはYehoo(Yehuh)を称える=フダ、フダー、ホダー、ホドゥー』→Yahudaヤフダ、イェフダーだったのが、古代ギリシャローマンは、h音の表記はしても 次第に読み(気息音hを読まない読めなくなり)も表記もなくなり、Yahudah(Yehuda)→Yaudahヨーダ(Yeudaユーダ) yj Jaudah(Jewda) 単独に庶民が神名を言う以外は(実際の神名はYahooではない)Yの母音は弱い音になります 英国等ゲルマンで Jewジュー Judah などに変わりました Judeaジュディーア→ユデア →ユダヤと日本では 音訳しましたが 原音からして間違い まして蔑称のつもりが意味をなさない カバラの呪いが無知な縄文弥生渡来原住民子孫たちに掛かりませんように
>>89 J 服装や習慣やならわし、言語といった 外部的同調だけではなくて、感情やマナーの同一性もまた 同じく同化であると わたくしは考える。そして結果的に ユダヤ民族の同化は 混血のみにより 効果がある。 しかし、
混血の必要性が ユダヤ多数によって感じとられる義務があり、ユダヤ法的な認知だけでは、充分ではない。
混血にユダヤ法的制裁をおこなったばかり(19世紀末)の ハンガリーの自由派のユダヤ教は、歴史上かつてあったようないくつかの場合のように 明らかな間違いをした、つまりキリスト教洗礼を受けたユダヤ人が、ユダヤ教の女性と結婚したことである。
と同時に 現状の結婚形態を確保する多大な努力が ユダヤ人とキリスト教ヨーロッパ人とのあいだの 区別をよりはっきりさせ、欧州諸民族の混交を助長するよりも むしろさまたげた。
>>90 P 我々の配置に、諸国民が代表を交代させ、いわば、(メディアを支配する)我々に、代表者指名権を与えるかのような可能性である。
第2の章 我々の目的に関しては、諸戦争・戦闘は、出来うる限り、領土的(領空・領海的)獲得の結果に成ら無いことに すべきである。その結果は、戦争戦闘が経済学的基盤にのみ 持ち込まれ、
その経済学舞台において、諸国民・国家は、われわれの圧倒的優位な経済力の 援助があることに 必ずや気づくであろう。そして このことが疲弊した両戦争・戦闘当事者・当事国を、我々の国際法的
代理者たちの 思うように 和平のテーブルに着かせるであろう。代理者たちは、何千万局もの観察機関を有し、我々が指図する限界まで 何事にも妨げられない。
我々の国際(経済)法的権力が、そうして 国家の法的権利を拭い去り、 法律上の まさに権利によって、各国家内の法が 被支配民の相互関係を 規制するように、我々は諸国家の相互関係を 規制するであろう。
東亞初の「ユダヤ神の教えを知らないゴイムたちの中での、正義の人間」は日本人センポ・スギワラさんです 一般日本人は 知らないユダヤ人たちを誤解せず正しく理解しなくてはいけません。
いやそんなに興味ないと思うよユダヤごときには ただちょっと目障りだなあくらいの印象しかない
次まだ?
>>101 はつじゃないょ 中國韓國台灣なんかにも1人ずつ位居たような?! まあ日本では初だけどね。
?
107 :
吾輩は名無しである :2009/11/26(木) 02:03:51
ロックフェラーその他の金融トラストの悪玉たちは強力な【独占】論者であった。 独占論者は競争を排除しようとする。 事実、かつてロックフェラーは「競争は罪悪だ」と言った。 ロックフェラーは自由企業体制擁護者ではなかった。 ロックフェラーがマルクス主義と懇ろなことは(エンゲルスは裕福な実業家であったこを思い出してもらえばよい)、 共産主義と社会主義がそれ自体【"独占"の一形態】であることを認識すれば、さらに理解し易くなる。 唯一の違いは、これらの主義の場合、独占が政府によって運営されることである。 しかし、もし国際銀行家=ロックフェラーが @国への融資、 A中央銀行の操作、 B選挙資金の寄付、あるいは C賄賂など によって政府支配を成就し得るとすればどうだろう。 このような場合には、ロックフェラーは社会主義を歓迎すべきものと考えるであろう。 それは社会主義がロックフェラーが支配する社会を支配するための道として役立つからである。
Rockフェラール 岩の花 みずからを異邦人にもかかわらず ユダヤの家系に結び付け 岩の花などのコレクションを聖地・中東で集められ 聖地に博物館も有し 多大な貢献をされています 異邦人の金も善に使われることで 清められます オゥ イツ ローンダリング
>>99 J ユダヤ人が、他国民との混交により消滅するのを 実際に願っている人々は、一つの方法でそのことが実現するのを希望しているのかも知れない。ユダヤ民族は、自民族に対するヨーロッパ的旧来の偏見を克服するために、充分に
偉大な経済力を予め獲得しなくてはならない。貴族政治制度は、経済力確保の一方法として役立つかも知れない、というのは、その過程に比例して最大数のユダヤ教との宗教間結婚がなされるからである。ヨーロッパの古き貴族層を、
ユダヤの金力で飾るユダヤ系の諸家族は、徐々にヨーロッパ貴族層に吸収されてしまうかも知れない。しかしこのやり方は、ユダヤの中流階層ではどうであろうか。その階層では、ユダヤ民族は1つのブルジョワ(新興有産階層)として、
ヨーロッパにおけるユダヤ民族問題の中核にならないであろうか。
>>100 P 私共が一般国民中から選出するであろう 為政者たちは、奴隷的忠誠心の潜在的可能性をもっているという点において、決して政治学の技能において訓練された人物たちでは有り得ない。そしてそのために、私共の理論ゲームにおける
手駒になってしまうであろう。そしてそのゲームは、彼ら彼女ら選出為政者たちへのアドバイザーであり、幼少年期間より 全世界の諸政策を統治するよう育成され保護されてきた、学識と才能ある者たちのおこなうゲームである。あなたたち
新ユダヤ教に参加している方々もご存知のように、これら我々サイドの専門家たちは、私共の政治的諸プランから、彼らが必要とする情報を 諸地域と国民の歴史的観察と教訓と、各時期の各出来事の観察を考察しながら、各国
支配のために適合させる任務を帯びている 専門家たちである。各国民を、歴史にもとづく国民的偏見を排除した 理性的観察による 現実に適合した方法によって 指導してゆくことは出来てはいない。むしろ彼らは、結果論的に批判を
ともなうようなことをせずに、政治経済学の理論どおりに指導されている。 各国民が、理論通りに各国政治経済指導者たちによってみちびかれているのだから、それゆえに、私共新ユダイスムの指導者は、破綻の時期到来まで各国民がみずからを
政治経済学的に満足させることに 専心させたり、無益な時間の浪費に過ぎない新企画的な政策や経済の展開の中で 生活してゆくことや、それまで享楽してきた体験の定着に生きてゆくことの邪魔は、いっさいしない。自然社会科学の
理論の決定として、各国家に受け入れさせている理論が主要効果を発揮している。 私共が主催する世界的情報メディアによって、これらの学理は、決定的なものとして、恒常的な研究対象になっている。諸国家の研究者たちは、
全科学から得られる全情報に基づいた論理的な実証は出来ずに、彼らの知識にみずからを埋没させており、その全科学分野は、我々サイドの代理人である専門家たちが、きわめてずる賢く 断片をつなぎあわせて
構築している。それによって 私共の望むべく将来の方向にむけて 各国民の 判断基準を教化教育してためためである。
113 :
吾輩は名無しである :2010/03/07(日) 08:28:06
米軍基地から組織的に2ちゃんを監視して情報工作をするのを 即刻やめろ 在日糞米軍のアホ情報担当軍人ども!
HEY JUDE DONT LET ME DOWN
115 :
吾輩は名無しである :2010/03/07(日) 12:47:00
拠点はフランス ナチスはやはり正しかったな
BOW DOWN TO THE STRONG POWER OF TRUTH (OF OUR CIVILISATION), O GOYM & UMMYM.
YOU HAVE FOUND HER NOW GO N GET HER THEN YOU CAN START TO MAKE IT BETTER
118 :
吾輩は名無しである :2010/03/07(日) 13:43:53
ナチスみたいに尻尾ばかり切っても蜥蜴は死なんよ 頭を潰さなくては 尻尾には何の罪もないしな
1. 原ニポン人…アイヌ北方系〜自然体と自由の獲得ために実力も行使 2.準原ニポン人…南方系〜生きるエネルギーと権力に従って生きることに値打ちがあり 3.本国逃避ニポン人…中国朝鮮系〜社会は体制と秩序、他はすべて手段 1.原ユダヤ人…北方セム系〜自然体と自由の獲得ために実力武力も行使 2.準原ユダヤ人…南方エジプト系〜生きるエネルギーと大権力に従って生きることに値打ちがある 3.本国(欧州民族)逃避避難ユダヤ人…ヨロパ系(アシュケナ・スファラド2系)〜社会は体制と秩序、他はすべて手段 2は3を最大利用しニポン(ユダヤ)体制を固め、1は変革と進歩、また復古をもたらす勢力。 各支持率33%ずつせめぎあい
>>109 J 以前の権利権力の獲得は、ユダヤの人々がすでに間違って所有獲得をしているかのように、声明されている経済的優勢と まったく同様な意味である。 さらにもしも、彼らが現今(19世紀末)に所有する権利権力が、反セム主義の人々のあいだで、
怒りや不満を生起させるのであるなら、そのような権利権力の増大が生み出す現象は何であろうか。こうして、他国民への同化吸収へ向けての最初の段階は、決して実施はされないであろう。なぜならこの段階は、多数の欧州諸国の人々が、
国民としての軍備も行政機関の権限も有さない、このように軽侮されている小数派のユダヤの人々に、従属することも 含まれ得るからである。したがって、わたくしが考えるに、経済文化的繁栄力によって ユダヤの人々が他国民に同化することは、起こり得そうもない。
>>110 P これらの学説が空虚な言語であると、わずかな瞬間でも想像はしないようにしなくてはならない。
すなわち、ダーウィンの進化論(全現象は力により時間経過で最適化する)と、マルクスの資本論(全物質、精神は金銭で計測売買できる)と、ニーチェの無神論(神霊は幻影であり人間の力こそが全世界を制覇する)の3論の、世界的歴史的大成功を、注意深く考慮しなくてはならない。
これら3論の各方針・指針が いか程に 非統合的・乖離分裂的な重要性を、 諸国民(ゴイム ヴェウミム)の判断能力に、体験させ続けているかを 理解することは、(真実・真理が1つしかない)我々ユダイスムの徒にとっては、いずれにせよ平易であるはずだ。
>>120 J 現今(19世紀末)反セム民族主義である諸国において、私の考えが実証されるであろう。現今ユダヤの人々が快適さを感じられているそれ以外の諸国においては、私の考えは、ユダヤの人々によって、おそらく激烈に反論されるであろう。
ユダヤの人々を甘言により欺くことから、ユダヤの人々が真実を学ぶまでずっと、私と同じユダヤ教徒であるが楽天主義者のユダヤ人たちは、私の考えを信頼しないだろう。というのも、反セム族主義が長らく中断状態にあればある程、
かえってその主義はますます激烈に突発してしまうであろうからだ。明確な安全さのある国や地域にひきつけられて、移住入国するユダヤの人々の浸透性と、土着したユダヤの人々の社会階層の上昇とは、強固に結び付いて一種の
革命的改革をもたらすだろう。この理性的結論はこの上なく明白なことである。
>>121 P 我々が諸国民の思考・性格・クセを計算計量することは、世界政策や統治事項の方向づけでのミスマッチを防ぐためには、不可欠である。現在の情勢把握の中に、さらに過去の諸情勢からの教訓の集積が、我々のシステムの実際的な適応に根拠を
与えないなら、我々が遭遇する諸国民の感情や思考の傾向にしたがって様々に接する、我々のシステムの体系の連動機構は、システムごと失敗するであろう。現今(19世紀末)の諸国家には、 人々の 思考の動きを 造りだしてゆくための
1つの素晴らしい力があり、それはマス・コミュニケーション・メディアである。マスメディアが演出する役割は、我々からみて不可欠と考えられるさまざまな政治・経済・社会・文化の要請の方向づけを成し続けること、人々のさまざまな不満を表に出させること、
人々や社会の不満状況を造り出し表現することの3点である。言論表明の自由の権利の勝利が その具体的な場をもつのはマスコミュニケーションメディアにおいてである。しかしながら、諸国家機構は、この権力機構の活用方法をこれまで知っていない。
そのためにマスコミュニケーションメディアの多くは私共の所有コントロール下に入ったのである。
政治(家)には、simple malice単純な悪徳や complex virtue複雑な美徳など 実はなくて、「内実がsimple virtueがユダヤ民族の政治(まつりごと)である」(Jの結論)と 「異邦人・諸国民はいつまでもcomplex maliceの政治もどきに左右される」(Pの結論) に気づく前に財政破綻した國あた??
>>122 J わたくしは、この結論を真理の探求以外のあらゆることとまったく無関係に導き出しているので、安逸な環境に居るユダヤ人達によって、私は矛盾を指摘され反対されるであろう。
そうした安楽な状況を熱望し、臆病なくらい危機から守ろうと所有しているユダヤの人々によって、個人的な利害のみが保持されている限りは、彼らの個人的利害は、確実に無視できる。
なぜなら彼らの個人的利益よりも、貧しく抑圧されているユダヤの人々の利害のほうが(ユダヤ教の考えでは)遥かに大切とされるからである。
>>123 P たとえ我々が、富をユダヤ民族の血や涙の犠牲を乗り越えて集積しなくてはならなかったとしても、環境進化論のヴァイスマン博士(AugustWeismann)は、富が我らユダヤ人の手中にあることについて、
(遺伝的才能のみでなく情報環境がいかに重大であるかの)すべてを知悉していることが、このことを証明している。しかし、ユダヤ民族の多大な犠牲こそが、
我々指導層の成功をもたらしたのである。ひとりの犠牲は、ユダヤ神の眼には、一千のゴイム(諸民族)の価値に匹敵するのである。
ぷぷそろそろほんとのことの一端をぷぅ。 公文書缶の奥深く封印せず 天才の最大のヒミツはヒミツを公表すること 誰にも分からないことばで 敵陣営の英才がきづいて 策をろうしても すでに準備万端出発したあとだから 出遅れてまけ(第i・ii対戦自称秀才独逸とかヂャプとかプ)
各國(国民国家israel含む!!)政治混乱の原因→各圀同日COUPdeETA空出た?→ぷらんからもう110ねん以上経過してマダァ(予定は100年いない?)→あめウヨやeuウヨが頑強に低坑→〇11やeuとるこ不参加やいらん核裏應援のSPY暗躍?ニポンの外の世界は。
>>125 J しかし、あらゆる誤解が生起するのを防御するようわたしは最初から願う。とりわけ、我が企画がもしも現実化するなら、それは、現今(1890年代、今より110年以上、ナチス党より一世代以上前)ユダヤの人々によって
保持されている資産を最小限でも傷つけはしないであろうという、誤った考えを防御せねばならない。ゆえにわたくしは、資産財産の諸権利に付随するあらゆることを、くまなく説明する。
であるが、もしも私のプランが一片の文学(LITERATUREリテラチャ)以上の何物でもないようになるなら、世界中の物事はそのあるがままにとどまるのみであろう。以下の二点は、さらに理性的に反論されるかも知れない。
第一に、わたくしが我ら(ユダヤ人)は、一つの国民、さらに地球上神の選んだ唯一の国民であると言うときに、反ユダヤ(セム族)主義に一転機がおとずれること。
第二に、ユダヤの人々のとりわけ豪州や南北アメリカやヨーロッパ諸国民への同化・同然化がまさに完成されようという時(19世紀末)に、わたくしがそれを積極的に、さまたげようとしていること。 さらには(ドイツや英国などのように)同化が達成透徹した既製事実である国々で、わたくしがそれを積極的に危機にさらそうとしていること(単なる世上作家である私が、何かを妨げたり危機に至らせたりすることが可能であるかぎり)。 J しかし、あらゆる誤解が生起するのを防御するようわたしは最初から願う。とりわけ、我が企画がもしも現実化するなら、それは、現今(1890年代、120年前)ユダヤの人々によって保持されている資産を最小限でも傷つけはしないであろうという、 誤った考えを防御せねばならない。ゆえにわたくしは、資産財産の諸権利に付随するあらゆることを、くまなく説明する。であるが、もしも私のプランが一片の文学(LITERATUREリテラチャ)以上の何物でもないようになるなら、 世界中の物事はそのあるがままにとどまるのみであろう。以下の二点は、さらに理性的に反論されるかも知れない。第一に、わたくしが我ら(ユダヤ人)は、一つの国民、さらに地球上神の選んだ唯一の国民であると言うときに、 反ユダヤ(セム族)主義に一転機がおとずれること。第二に、ユダヤの人々のとりわけ豪州や南北アメリカやヨーロッパ諸国民への同化・同然化がまさに完成されようという時(19世紀末)に、わたくしがそれを積極的に、さまたげようとしていること。 さらには(ドイツや英国などのように)同化が達成透徹した既製事実である国々で、わたくしがそれを積極的に危機にさらそうとしていること(単なる世上作家である私が、何かを妨げたり危機に至らせたりすることが可能であるかぎり)。
実はこの二作品の到底にあるものは 祖先との遺伝子リンクすらわからないような 1860年も昔(紀元2世紀)のツァドク(正義・サドカイ派閥)党の築いたローマ帝国辺境の小国(影響力は超大国)の滅亡を18世紀間も現実に歎いたり カバラの呪詛を架けるというより、西欧化したユダヤのエリート中のエリートが描いた 現代版イリオス オデュセイア つまり かの最古代ギリシャの思想伝統を この作品中に引き継ぎ ヨーロッパの(世界の)真の後継者にならんとする 夢の作品 かりにヨーロッパ憲法が実現しても 世界の人々の夢がそれに結びつくのです。