411 :
ミステリ板からの宣伝:
チュッチュさせろやー!お前アリョーシャたんだろがー!
アッー!
416 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 22:44:57
>>411 ミステリー板住人はどうしてんの?
過去ドストスレにいたコテの中で、最悪との評判だったが
ミステリーに関する知識は本物ぽかった
海外テレビ板の刑事コロンボスレで大暴れしてます
あのキティガイをどうにかしてください…
418 :
吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 00:03:17
>>417 そうなんだw
罪と罰に入れ込んでた時はここにもよく来てたんだけどね
今はコロンボか
>>417 このスレでの過去の暴れようから想像はつく。
自作自演も好きな奴だしな。
あんなレスに労力を割く(割ける)生活について考えてみると、
奴の哀れさがわかるだろう。
それに暴れている人が思っているほど2ちゃんなんて重要な場所じゃないのにねw
あの議論をふっかけてくるだけが能の基地外に比べたら
今の文学板のコテ全てがまともに見えるというもの
421 :
吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 00:40:24
おいあんまり語るなよ
あんなのが戻って来たらたまらんぞw
>>416 ミステリーについてもしったかばっかで間違いだらけだよ
もちろんミステリー板でも基地外荒らし認定済み
目糞鼻糞。
425 :
吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 10:54:41
ミス住は、「罪と罰は3日で読め。じゃないと良さが分からない」 とかしつこく
言ってたっけ。一年かけてやっと読み終えた人を罵倒したり。
同じことを、他の長編についても言ってた希ガス
>>421 このレス(↓)どっかで見たことあったねw
ほんと変わらん奴。
83 名前:奥さまは名無しさん 投稿日:2007/07/15(日) 13:57:39 ID:7YjmWdDt
ミス住のレスが一番光るなあ。
だからw 目糞鼻糞だボケ。
続きは最悪板か、せめて雑スレでやれ。
>>421 テンプレ、ミス住が相変わらずのやり口なのでワロタ。
>罪と罰は3日で読め。じゃないと良さが分からない
キンモーーーーーーーーーー!!!
430 :
吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 17:42:53
だんご4兄弟
(o`∀´o)ドミトリー「ブツブツ言うナ〜〜」
(o`∀´o)イワン
(o`∀´o)アリョシャ
(o* A *o)スメルジャコフ「下は重〜〜い」
431 :
吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 17:50:39
↓
(o`∀´o)スメルジャコフ
(o`∀´o)イワン
(o`∀´o)アリョシャ
(o* A *o)ドミトリー「う〜〜〜ん」
432 :
ごまかしなし:2007/09/01(土) 18:48:25
409
>アレクセイ、イワン、ドミートリー。(うぅ、書く順番が微妙)
スタヴローギン、ピョートル、シャートフ、キリーロフ・・・等に、
現実に影響を受けている人はいるかも知れない。
ドストエフスキーの小説人物には、人間の内面描写が深く描かれているから、読者が
作中人物に自己同化し、現実世界での対人関係にもそのまま対応ずけしても、全然不
思議ではないです。
しかし、その場合でも人間像,人間関係等の同化である訳です。
梅川事件の時は、飛び込むという人間の”生理的な衝動”が 「罪と罰」から喚起さ
れたということで、当時は、人間の欲動に関わる「物語性」「反復」「言葉と見るこ
と」等について議論されました。
もうひとつ、こういうことはないでしょうか?
梅川は、現実世界で自分が作中人物に成り切った、あるいは現実世界を作品化しよう
としたのではないか?と。
単なる小説等の言葉の芸術ではなく、映画等の映像(この場合は自分が第三者として
映像の外側に位置していなくてはならない)でもない、総合”表現”芸術,存在人生
としての芸術作品を完成させようとした。
あるいわ、意識せず、自らが作品になってしまったのではないか?と。
そう感じるのも、そういう意志を感じさせる人物が歴史上に実在するからなんです。
それがトルストイです。
ドストエフスキーは、やはり、どこまでも作家です。
トルストイは、よく後年に作家であることを放棄したと言われますが、そうではなく
て、作家であることから、総合”表現”芸術者に踏み出したのではないでしょうか?
亀山郁夫さん訳のボリス・グロイス『全体芸術様式スターリン』をもじれば、全体芸
術様式者トルストイと呼べると思いますが、どうでしょうか?
あと、何故「罪と罰」でなければならなかったのか?という問題もあります。
興味深いですな
最近初めてカラマーゾフ兄弟読みました。まだ初めの方ですが、
フョードルの性格に他では感じた事のないぐらいの親近感を
覚えました。彼が悪態をつく時、私の胸は熱くなります。
実は小さい頃にカエル数匹を水槽の中に入れて可愛がって
ずっと育てていました。ある日いつもの様にエサを与えて
いる時ふと思いました。「今、こうやって可愛がってエサ
を与えているけれど、そんな僕が急に鉛筆でカエルを
一匹残らず瞬殺する様な事が起こりえるのだろうか?」
頭の中で何回かシミュレーションをしてみました。
でもそれが本当に起こりえる事とは信じられません。
「でも、自分がカエルを殺す事と殺さない事の間に何か必然的な
違いがあるのだろうか?もし必然的な違いがないのなら、
殺すこともあり得るのではないだろうか?こんなに可愛がって
いるカエル、今エサをやっているカエルを殺すなんて事が
あり得るのだろうか。よし試してみよう。」
トルストイの「にせ利札」はドストエフスキーの影響かなあ。
>>432 トルストイはまさにそんな感じですね。
夏目漱石も晩年は、自分の人生をも完成させようとした人だと思いますが、その
夏目漱石がこのような言葉を残しています。
夏目漱石 「思ひ出すことなど」
「運命の擒縦を感ずる点において、ドストイェフスキーと余とは、ほとんど詩と散文ほどの
相違がある。それにもかかわらず、余はしばしばドストイェフスキーを想像してやまな
かった。そうして寒い空と、新らしい刑壇と、刑壇の上に立つ彼の姿と、襯衣一枚で顫え
ている彼の姿とを、根気よく描き去り描き来ってやまなかった。」
夏目漱石とドストエフスキーって関係があるのか。
そういう資料ってどうやって手にいれるの?
ドラえもんに頼む
ドストエフスキーはゴーゴリを尊敬してるみたいだけど、
ゴーゴリって面白い? 岩波文庫で出てるみたいだけど、
取り寄せないとないだろうな、めんどくせー。
めんどくさいなら読まなくてもいいんじゃないの
アマゾンでポチッで済むだろ
>>439 ゴーゴリは原書で読まないと面白さが伝わってこない、
と、井筒なんとか氏のロシア文学論に書かれていた。
でも読んでみれば?
443 :
吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 16:34:19
この時代の1ルーブルって今の日本円でいくら?
444 :
吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 16:36:14
445 :
吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 16:43:39
カペイカとかも注釈つけて欲しかった。
>>442 それってロシアの文化や歴史もわかってないと
楽しめないってことだろ?ロシア語だけ知ってても意味ねーし
>>446 手もとにないから、そういうニュアンスとは違う。
他のロシア文学者についても触れている本なんだけど、
ゴーゴリについてだけ、ロシア語云々について言っていた。
手元にないから
↓
手元にないけど
暇だったので加賀の誤解を幾つか訂正してみた。加賀の『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)は読んだけど、バフチン読むのが面倒くさい人向け。
(加賀の本ではメニッペアは「メニッピア」と表記されている)
その1.
《だから「ソクラテスの対話」とメニッピアが、文学のなかの二つの大きな潮流を作ったというのが、バフチンの考えです》(小説p189)
→「ソクラテスの対話」とメニッペアが、カーニバル文学の源流である「真面目な笑い話」の中の二つの大きなジャンルであるというのが、バフチンの考えです。
理由.
バフチンは、まず小説の起源を三つに分類する。1:叙事詩 2:弁論術 3:カーニバル文学
そして、小説は、これらの起源の内のどれが優越しているかによって、1:叙事詩系列 2:弁論術系列 3:カーニバル文学系列に分けられる。
また、「これらの間には、多数の中間系列が存在する」。
カーニバル文学には様々なバリエーションが存在する。その中に「対話的小説」「対話的芸術散文」とバフチンが呼ぶジャンルがある。
さらに、カーニバル文学の出発点である「真面目な笑い話」に属する二大ジャンルとして「ソクラテスの対話」とメニッペアを挙げている。
(バフチンが「ソクラテスの対話」を弁論術にではなく、カーニバル文学に分類していることに注意)
ドストエフスキーの源流となっている「対話的小説」「対話的芸術散文」と呼ばれる(カーニバル文学の)バリエーションの形成に決定的な意味を持ったのが
「ソクラテスの対話」とメニッペアとされる。(詩学 p224)
図式化すると、
真面目な笑い話(カーニバル文学の出発点)>(ソクラテスの対話・メニッペア)←(対話的小説・対話的芸術散文)の源流。
カーニバル文学>(対話的小説・対話的芸術散文)←ドストエフスキーの源流
(真面目な笑い話→カーニバル文学)>(ソクラテスの対話・メニッペア)→(対話的小説・対話的芸術散文)>ドストエフスキー ←こんなかんじか?
(詩学p220-225参照 ここの記述は、やや不明瞭なので正確でないかもしれない)
その2.
《そしてドストエフスキーはメニッピア系の小説家だとバフチンは言います。逆に、「ソクラテスの対話」的な小説の典型はゲーテでしょう》(小説p189)
(「ソクラテスの対話」以下は加賀の考えを述べたもの)
→ドストエフスキーの小説は、メニッペアと「ソクラテスの対話」という二つのジャンルに起源を持っているとバフチンは言います。
理由.
そのまんまの理由。メニッペア系でもあるし「ソクラテスの対話」系でもある。加賀は対話形式であれば「ソクラテスの対話」的だと思っているのかもしれない。
しかし、ゲーテの『ファウスト』(もちろん飛ばし読みだが)は、その「三層構造」や冒険・空想・宗教・哲学談義などを考えると明らかにメニッペア。(詩学 p233-242参照)
そもそもソクラテスが出てこなければ「ソクラテスの対話」とは呼ばない。だから「的」をつけたのかもしれないが、なぜに無理やりにでも「ソクラテスの対話的」というのか
がわからない。参考までに書くと、バフチンはゲーテの『神と主人公とウィーラント』(当然読んでいないが)をメニッペアの一つに挙げている。
ゲーテもメニッペア系でもあるし「ソクラテスの対話」系でもあるということなのではないのか?
(ただ、バフチンは多くの作品をメニッペアとして挙げているので、初めて読んだとき、「何でもかんでもメニッペアになっちゃうじゃん!」と思ったが、メニッペアの解説を
読んでからは、何せギリシャ時代からあるジャンル(というか特徴?)なので、それだけメニッペアが大きな影響を与えたということなんだろう。
ここを読むとモームの『世界の十大小説』でのドストエフスキー評価は、小説を近代のリアリズムとしてしか見ない偏狭さによるものだということがよくわかる。
メニッペアの解説部分はシェークスピアやセルバンテス等のルネッサンス文学の愛読者にも大変参考になると思った)
その3.
《メニッピアはむしろ民間伝承などに根拠を置いていて、伝承とか神話とかを主にする。それを小説の栄養分にしている。ただ、ドストエフスキーがいったい
どのような神話から、そしてどのような民間伝承から彼の文学を作ったかはわかっていない。そのもとになるメニッピアが発見されていない。ですからバフチン
の言うことは正しいとは思うけれども、立証はできないような気がします》(小説p189-190)
↑これは、おそらく次のような文章他の誤読であると思われる。
「このジャンル(メニッペア)は直接カーニバル的民間伝承に根を発しているものであり、《ソクラテスの対話》よりも一層強く、カーニバル的なものの影響を受け
て成り立っている」(詩学 p231)
「ドストエフスキーには、彼にメニッペアの豊饒性と多様性を明らかにしてくれたヨーロッパ産のジャンルの典拠もまたあったはずで、それらは数え切れない
くらい多岐にわたっていたに違いない」(詩学 p286)(この内の一つがゲーテの『神と主人公とウィーラント』)
理由.
「根を発している」「典拠もまたあったはず」を、加賀は「根拠に置いていて」、つまり、ある特定の話に基づいてドストエフスキーは小説を作ったと誤解している。
これは、ドストエフスキーが多くのメニッペアを読んで影響を受けていたはずだという意味で、ドストエフスキーがある特定の民間伝承や神話から小説を作った
云々というのは全くの誤解。だから、「そのもとになるメニッピアが発見されていない」というのは問題設定自体が誤り。
また加賀は、メニッペアとファンタジー小説とを混同しているような気がする。似てはいるが違うと思う。
参考引用.
「メニッペアというジャンルのもっとも重要な特色は、きわめて大胆かつ奔放な空想や冒険が、純粋に思想的・哲学的な目的−ある賢者や真理の探究者の像
に具象化された哲学的イデエ=言葉を、すなわち真理を誘い出し、試みるための、異常な状況を作り出すという目的−によって内的に動機づけられ、正当化
され、尊重されているということである」(詩学p234)
その3のつづき
参考引用
「メニッペアは伝説にもとらわれないし、外面的な本当らしさの規範にもまったく束縛されていない。メニッペアを性格づけているのは、プロットおよび哲学的な
発想の比類のない自由さである。メニッペアの主人公たちが(省略)歴史上および伝説上の人物であるということは、このことを少しも妨げはしない。
メニッペアほど自由な発想、自由な空想を許すジャンルはまたとないだろう」(詩学p234)
「メニッペアというジャンルのもっとも重要な特色は、そこできわめて大胆かつ奔放な空想や冒険が、純粋に思想的・哲学的な目的−ある賢者や真理の探求者
の像に具現化された哲学的イデエ=言葉を、すなわち真理を誘い出し、試みるための、異常な状況を作り出すという目的−によって内的に動機づけられ、
正当化され、尊重されているということである。強調しておくが、ここでは空想は真理を肯定的に具現化するためにではなく、真理を求め、誘い出し、そして何
よりもそれを試練にかけるために用いられているのだ」(詩学 p234)
「これはドストエフスキーがじかに、意識的に古代のメニッペアから出発したことを意味するだろうか?もちろんそうではない。彼はけっして古代のジャンルの
文体模写家ではなかった。ドストエフスキーはこのジャンルの伝統が彼の時代を貫いた現場にあって、その伝統の鎖の環として加わったのである。ただし、
彼はこの鎖の古い輪、特に古代の輪にも、多少なりと精通し親しんでいたのであるが(省略)。いささか、逆説めくが、古代のメニッペアの特徴を保存したのは、
ドストエフスキーの主観的な記憶ではなく、彼がその中で仕事をしたジャンル自体の客観的な記憶なのである」(詩学 p246)
「ドストエフスキーが他の何ものにもまして強く緊密に古代メニッペアの様々なバリエーションと結びついたのは、古代キリスト教文学(すなわち、『福音書』
『黙示録』『聖者伝』等々)を通してである。しかしまた、彼が古代メニッペアの古典的なモデルに通暁していたことにも疑問の余地はない」(詩学 p285)
その4.
《カーニバルというのは本質的には見るものだ、自分でやるんじゃない、とバフチンは言います》(小説p190)
↑なぜ、このような誤解をしたのか理解できない。どこに、こんなことが書いてあるんだろう?もしかしたら、次のような文の誤読かもしれない(自信なし)。
「カーニバル化―それは出来合いの内容の上にかぶせる表面的な不動の図式ではなく、芸術的なものの見方の非常に弾力性に富んだ形式なのであり、
それまで見たことのない新しいものの発見を可能にする、一種の発見の原理なのである」(詩学 p335)
しかしながら、
参考引用.
「カーニバルは鑑賞するものでもないし、厳密に言って演ずるものでさえなく、生きられるものである」(詩学p248)
「この時代(中世)にはまたヨーロッパ諸国民の発話生活のカーニバル化現象も生じた。言語の全域にわたってカーニバル的世界感覚が浸透し、無遠慮な
広場の発話というべきものが出現した。(省略)。ヨーロッパ諸国民の露骨な言葉、特に罵倒や嘲りの言葉は、今日でもなおカーニバルの痕跡をとどめている。
同じく今日の罵倒や嘲笑の身振りも、カーニバル的シンボルに満ちているのだ」(詩学 p261)
今は1ルーブル=約4円だよ
ソ連時代は凄かったんだね・・・
455 :
吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 20:22:50
ドストは入院でもしないとなかなか読めない
トルストイは一読したらそれでいいや ていうかスレ違いだな
>>455 ここは入院患者ばかりかよ!
まあその通りなんだけども
459 :
吾輩は名無しである:2007/09/03(月) 00:46:23
いやあ〜、実際、二重の意味で「入院」していますが、何か?w
33
>罪の対義語は、「信仰」だよ。
について、イタリア研究会さんはどう考えます?
結構、面白いことを言っていると思うのだが・・・。
33→299
その4のつづき (連続投稿ではねられたので...)
ざっと第四章を読んでみて、加賀が誤解した可能性があると思われる文章を追加で挙げておく。これも自信があるわけではない。
「カーニバル(省略)そのものは、もちろん文学的現象ではない。それは儀式的性格を帯びた多種混合の見せ物の一つの形式である」(詩学 p247)
「カーニバルとはフットライトもなければ役者と観客の区別もない見せ物である」(詩学 p248)
「以上すべてのカーニバル的カテゴリーは、平等や自由、万物の相互関連、矛盾の一致などに関する抽象的な思想ではない。
いやそれはヨーロッパの広範な、庶民大衆の内で何千年にもわたって形成され生き続けてきた、具体的で感覚的な、
そして生そのものの形式において経験され演じられる、儀式的かつ見世物的な《思想》なのである」(詩学 p250)
「中世の劇や見せ物の世界は、おしなべてカーニバル的性格を持つ世界だったのである」(詩学 p260)
「こうしてカーニバル的形式の多くはその民衆的基盤からもぎ離され、広場を去って、今日見られるような室内仮装舞踏会風のものに変じていったのである。
古代のカーニバル形式の多くは、広場の見せ物小屋の笑劇やサーカスの内に保存されて命脈を保ち、生まれ変わり続けている。カーニバルのある種の要素
は近代の劇場の見せ物の世界にも残っている」(詩学 p262-263)
どこをどう読めば、「カーニバルというのは本質的には見るものだ」(小説p190)という結論が出てくるのかわからんが...(上の引用部分とは限らないわけだが)
参考引用
中世の劇や見せ物の世界は、おしなべてカーニバル的性格を持つ世界だったのである。中世後期の大都市(省略)は年平均で約三ヶ月間(時にはもっと
長い期間)すっかりカーニバル的雰囲気に満たされた。言ってみれば(もちろん一定の留保つきでだが)中世の人間は二重の生活を営んでいたのである」
(詩学 p260-261)
「ルネッサンス期にはいわばカーニバルがそのエネルギーであまたの障壁を押し流し、公的な生活、公的な世界観の諸領域まで侵入した。
何よりもまずそれは大文字のほとんどすべてのジャンルを征服し、根本的に変貌させてしまった。あらゆる文学の深くかつほとんど全面的なカーニバル化現象が生じた」
(詩学 p261-262)
「十七世紀前半まで人々はカーニバル劇やカーニバル的世界感覚にじかに関与していた。彼らはまだカーニバルの内に生きていたのであり、つまりはカーニ
バルが人生そのものの一形式をなしていたのである。したがってカーニバル化作用も直接的な性格を持っていた」(詩学 p263-264)
「カーニバル化はドストエフスキーに対して、ちょうど十八、九世紀の大部分の作家に対してと同様、もっぱら文学的なジャンルの伝統として影響を与えたので
あるが、そのジャンルの文学外的起源、すなわち正真正銘のカーニバルについては、彼は恐らくいかなる明解な認識さえ持ち合わせていなかったに違いな
い。
(詩学 p315 バフチンは注において「ゴーゴリは、まだ(省略)カーニバル的フォークロアの本質的で直接的な影響下にあった」と指摘している。詩学 p361)
「カーニバルとは、過去数千年にわたる偉大な全民衆的世界感覚なのである。恐怖から解放し、世界と人間を、人間と人間を最大限接近させる(すべてが
自由気ままで無遠慮な接触関係の中に引き込まれる)、交代の喜びと陽気な相対性を伴ったこの世界感覚が対立するのは、恐怖によって生み出され、教条主義的で、
生成と交代に敵対的な、存在と社会体制の現状を絶対化しようとする、一面的で眉をひそめた公式的な真面目さに他ならない。まさしくそうした真面目さからこそ、
カーニバルの世界感覚は解放してくれたのである」(詩学 p321)
「さらにまた、とりわけ近代に特徴的な劇場での見世物的なカーニバル理解とも、是が非でも手を切るべきである」(詩学 p321)
おまけ
《ずれの手法というのは、まさしくドストエフスキーが考えついた手法なのです》(小説p133)
するどい!さすが小説家。でも、それなら、なんでバフチンを誤読するのか? この「ずれ」に焦点を当てたのが、バフチンのポリフォニーなんですよ。
と思ったけど、違う方に行っちゃうわけね。それで、後は読まずにわかった気になってしまったというわけか...(自分の考えと同じだと早合点した)
亀山と同様に「登場人物の多様性による視点の相対化」=「ずれ」と理解している。加賀の考えは考えとして、それはバフチンの考えではない。
注:
引用の後の、
(小説p189)は『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)のページ数を、(詩学p220)は『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)のページ数を示す。
加賀の本の中のバフチンに関する誤解の所だけを訂正してみた。ただポリフォニーやカーニバル化の訂正は面倒くさいし前に書いたのでやめた。
それから加賀の本の他の所を評価する能力はオレにはない。だから加賀の考えの賛否を書いたのではない。ただバフチンの誤解を訂正しただけ。
長い引用をしたのは「ソースを示す」という2chの原則に従ったため。いつも長文で失礼します。 m(_ _)m
465 :
吾輩は名無しである:2007/09/03(月) 03:25:22
長文野郎は自分のブログでも開設して、そこでやれ
はっきり言ってウザイんだよ
466 :
427:2007/09/03(月) 03:53:27
俺はそうは思わない。毎度読んでいる訳じゃないが。
俺は完全にスルーしてる
俺もスルーしました。
既出ならすまんがマッチポイントて映画がまんま罪と罰でワロタ。
ラスコを浅はかにした感じだが、なぞらえた登場人物にニヤニヤしてしまう。
>>460 ダーウィンが出て以降、「信仰」の反対が「科学」という感じが、自分にはあります。
人間失格の該当のシーンでは、他に対義語がある場合は違うとされるようなので、
「信仰」の対義語が他にある場合は、違うとされるのでしょう。「不信」は違うでしょうか?
難しいですね。
「罪」の対義語が「徳」だというのはかなり鋭いなと思いました。こちらは、太宰も思い
つかなかったかもしれませんね。
>>470 ちなみに横槍ですが、Soren Aabye Kierkegaard『死に至る病』岩波文庫p.133では、
「ところで罪の反対が決して徳ではないということは非常にしばしば看過されてきた。
こういうのは、単に人間的な尺度で満足していて罪の何たるかをまさに知らないところの
(……)――いな、罪の反対は信仰である(……)。」と述べられていますね。
「罪と信仰」という観念は、アントニム(対義語)として、「絶対に相通ぜざるもの、
氷炭相容れざるもの」としても捉え得るのではないでしょうか。
>>470 ふむ・・・。
>「信仰」の対義語が他にある場合は、違うとされるのでしょう。
→「すべて信仰によらぬことは罪なり」(ロマ書)。
473 :
吾輩は名無しである:2007/09/03(月) 14:57:39
未成年はまだ読んでないが、五大超編のうち4つが殺人事件ということに気付いた。
キルケゴールは宗教的実存を実存の最高位に置いた、熱心なキリスト教徒でした
から、信仰の対義語を罪と捉えたのでしょう。
ニーチェに聞けば違う答えが返ってくるはずです。
ドストエフスキーはどうでしょうか。
「全ての科学がキリストを否定しても、キリストの側に立つ」
というような信念を持っていた人ですから、罪の対義語が信仰だという考えに
同意するかもしれません。
宗教に熱心かどうかで、答えが変わってきそうですね。
信仰の反対は科学ですか・・
蛇にだまされて知恵の実を食べたときから
その罪ははじまったのです
考えてみたら、信仰の反対が科学はおかしかったかもしれません。
宗教の反対が科学という方が良かったでしょう。
悪霊の中で書かれているのは、現代人が信仰を持てないのは、「半科学」のため。
この「半科学」という概念の発見は、ドスト氏が、宗教と科学を対立軸で見ていた
ことによると思います。ダーウィン主義者と福音派が対立してるのが、今のアメリカ
南部の現状ですが、やはり科学と宗教は根本的に反対のベクトルを向いているので
しょう。
しかし結果はどうあれ
そのどちらも人間の幸福を追い求めている
あ、宗教と科学は同義語ですよ
ドストの対義語は星新一
“どちらも、それに携わる人間が自身の幸福を追い求めるために”
の間違いでは。
信仰を持つとは、ひとがひととして考える、その絶対の責任を、
卑怯にも放擲して、逃げ出す行為に他ならないし、
あとからどんな理屈をつけてみせようが、科学者はそれが楽しいから、
ロケットやら毒ガスやら核兵器なんぞを作ったんでしょうよ。
480 :
吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 01:11:51
>>439 今頃なんですが、ゴーゴリは面白いよ。
天才ということではドストに勝るとも劣らないと思う。
まずは「鼻」「外套」もいいけど、「死せる魂」が最高。
翻訳でも十分。
ドストエフスキーの小説ではどれが読みやすいでしょうか。
まだ一つも読んだことがないので。
俺的お勧め
1、白痴
2、カラマーゾフ
3、死の家の記録
あんまりおすすめしない
1、罪と罰
2、悪霊
俺は罪罰と悪霊がもっとも好きだけど
オススメとなるとまた別だな・・・
地下室の手記をお読みなさい
この主人公で楽しめればもう大丈夫
頁数も短く、ドストの特徴がすごく顕著
序盤が苦痛で後半面白いところとか
485 :
吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 02:21:39
「罪と罰」
「カラマ」
が万人向きで、
「悪霊」
「白痴」
が通向けだと思う。
罪罰やカラマでドスト慣れできれば後者も充分に楽しめるな
487 :
吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 02:23:27
文面的な読みやすさを重視するなら
光文社新訳古典が読みやすいらしいよ
488 :
吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 02:25:15
これはアメリカのゲームです。1度やってみてください。
これは、たった3分でできるゲームです。試してみてください。 驚く結果をご覧いただけます。
このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたった10分で願い事が
かなったそうです。このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を 貴方にもたらすでしょう。
約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。 たった3分ですから、ためす価値ありです。
まず、ペンと、紙をご用意下さい。 先を読むと、願い事が叶わなくなります。
@まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。
A1番と2番の横に好きな3〜7の数字をそれぞれお書き下さい。
B3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味の
ある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同姓の名
前をかく)
必ず、1行ずつ進んでください。先を読むと、なにもかもなくなります。
C4,5,6番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さ
い。これは、家族の人でも知り合いや、友人、誰でも結構です。
まだ、先を見てはいけませんよ!!
D8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。
E最後にお願い事をして下さい。さて、ゲームの解説です。
1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。
2)3番に書いた人は貴方の愛する人です。
3)7番に書いた人は、好きだけれど叶わぬ恋の相手です。
4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。
5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。
6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。
8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。
9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。
10)そして、11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。
この書き込みを読んでから、1時間以内に10個の掲示板にこの書き込みをコピーして貼って下さい。
そうすれば、あなたの願い事は叶うでしょう。もし、貼らなければ、願い事を逆のことが起こるでしょう。とても奇妙ですが当たってませんか?
やはりカラマが一番初心者向きなんだろうか
一番最後に取っておく方がいいという意見も結構見るね
登場人物が多いとロシア初心者は苦しくね?
人の少ない地下室が一番いいと思うけどね
名前が覚えにくいんだよねえ。
ニックネームと本名で別人に思えてしまったり…。
地下室だな それか罪と罰
地下室は後半に面白さが凝縮されてるので、そこまで頑張って読むといいよ
493 :
481:2007/09/04(火) 03:11:10
494 :
吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 03:13:40
ドストエフスキーなら「復活」「戦争と平和」「アンナ・カレニーナ」あたりがお勧め
ttp://book.asahi.com/clip/TKY200709010055.html ドストエフスキー新訳「カラマーゾフの兄弟」が人気
2007年09月01日
19世紀のロシアの文豪、ドストエフスキーが時ならぬブームとなっている。
新訳『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)は全5巻で30万部を超え、古典としては異例のベストセラー。
トークイベントも相次ぎ開催され、本格的なドストエフスキー読本も久々に刊行された。
なぜ今、これだけの関心を集めているのか。
亀山訳は「流れと勢い」重視
東京の丸善・丸の内本店では売れ筋の文庫10作を飾る「ミュージアムゾーン」に、
渡辺淳一、横山秀夫、桐野夏生氏らの現代小説と並べて『カラマーゾフの兄弟』を展示している。
「古典がこのコーナーに来たのは例がない」そうで、若者からお年寄りまで幅広い読者が手に取ってゆく。
同書は、父殺し事件を核に信仰の問題や愛憎劇を絡めた巨大な物語で、
文学の最高峰の一つとされ、何度も翻訳が出ている。
新潮文庫では、ドストエフスキー作品としては『罪と罰』『地下室の手記』『貧しき人びと』に続く4番目の売れ行き。
78年に出た原卓也訳(全3巻)はこれまでに49万部出た。
東京外国語大学教授の亀山郁夫氏による新訳は7月中旬に完結。
第1巻の9万4000部を筆頭に、増刷を重ねている。訳はわかりやすい現代語に徹し、「流れと勢い」を重視したという。
全4部とエピローグからなるこの長編を同文庫は全5巻とゆったり組み、
各巻に亀山氏が読みどころを解説した「読書ガイド」を付す。第5巻はエピローグに加え、解題や年譜を収める。
光文社の駒井稔文芸局長は「テレビで紹介されたわけでもないのに第1巻から突出して売れ始めた。
なぜこんなに売れたのか、わからない」と首をかしげる。
>>495 7月下旬に東大で開かれたシンポジウムでは、ロシア文学者の沼野充義氏と亀山氏が徹底討論を行った。
沼野氏は「亀山さんの訳は驚くほど自然に読める。翻訳者として、先達の名訳者たちに対する“父殺し”を行った」と評した。
論考集『21世紀 ドストエフスキーがやってくる』(集英社)も6月に出た。
大江健三郎、井上ひさし、加賀乙彦氏らベテランから若手の金原ひとみ氏まで
多くの作家や文学者の対談や評論を収め、文豪の魅力に多角的に迫る。
本格的なドストエフスキー読本は、70年代に「現代思想」で特集が組まれて以来という。
担当編集者の高橋至さんは、「70年代までの日本における受容は、
戦後派を中心とした実存主義的な解釈に基づくものが主だった。
その後の研究成果や、現代日本小説との接点も視野に入れ、
今読んでもこんなに面白いんですよということを伝えたかった」と語る。
「死の家の記録」よりも、「地下室の手記」の方がいいよ
前者はドストが好きになってから読んだ方がいいと思う
完成度は甲乙付け難いけど、読了するのは後者の方が楽だと思う
>>496 現代に通じる人間の卑小さ
02年には、東大の大学院生が「ドストエフスキーって誰なんですか」と聞いた
“事件”を東大教授が雑誌に寄稿、話題になった。
だがその後、大物作家の推薦が相次ぐ。大江氏は本紙連載「伝える言葉」で
「いま、若い人たちにすすめるのは『悪霊』です」(04年9月)と記した。
村上春樹氏も「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本」3冊に、
自ら訳出した『グレート・ギャツビー』『ロング・グッドバイ』と共に『カラマーゾフの兄弟』を挙げた
(06年『グレート――』あとがき)。こうした紹介も関心の下地になったと考えられる。
8月25日に東京・六本木で開かれたトークイベントで、亀山氏はブームの理由をこう分析した。
「『カラマーゾフ』では運命に翻弄(ほんろう)される人間の小ささが描かれ、グローバル化の現代の状況に似通う。
テロなどの大きな悲劇と、ネットなどで得られる後ろめたい情報とに挟まれ、人間の卑小さが実感される時代になった」
筑摩書房の編集者で、TBS系「王様のブランチ」の本のコメンテーターを務める松田哲夫氏は
「読者はただ泣けるだけの小説にも飽きてきて、19世紀的な大きな物語の地層にぶつかっているのでは」とみる。
「オウム事件や9・11事件を経て、宗教や犯罪など、人間のわからない情動を問う闇の世界の物語へと関心が戻ってきた。
政治や哲学のレベルでは解けない奥深い問題は、バブルや不況の時代には遠のいていた分だけ、逆に希求されるのでしょう」
>>495 すげーな
原卓也訳だけでこれまでに49万部って・・・
カラマーゾフは、日本で悠に100万部超えてるのか。スケールの大きい小説だわ。
ドストはタイトルがすごいパワーがある
「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」どっちも
小さい頃にチラ見しただけでずっと記憶に残ってた
個人的には「虐げられた人々」がお薦め。
展開めっちゃ早いし、ネリーめっちゃカワイソスだし。
大江健三郎
「「いま、若い人たちにすすめるのは『悪霊』です」
村上春樹
「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本」3冊に、自ら訳出した『グレート・ギャツ
ビー』『ロング・グッドバイ』と共に『カラマーゾフの兄弟』
悪霊かい
地下室のがおすすめできるな
大江健三郎は60年代の文芸誌読んでも、悪霊を絶賛してる よほど好きなんだろう
ただ、その後、罪と罰をもっと好きになり、毎年読み返してると語ってるが
505 :
ごまかしなし:2007/09/04(火) 18:59:46
*** 「1986年の爆発」から「200X年の爆発」へ ***
436 イタリア研究会さん
>トルストイはまさにそんな感じですね。
よくトルストイ=アポロ的・ドストエフスキー=ディオニーソス的等と指摘されます
が、トルストイこそ、押さえ込みと爆発を兼ねた”本物の爆発人”です。
トルストイを一言で表現すれば、”人生マニア(ライフワーカー)”です。
詳しく言えば、人生連続性マニア・人生スナップショッターです。
人生マニア・トルストイを考えることは、梅川事件を解き明かすヒントにもなります。
「1986年の爆発」(梅川事件)を 梅川が、単純に「ラスコリニコフに自己同化して
起こした犯行」であるとは言えません。
それは、梅川の、銀行内での犯行行為が”儀式”めいているからです。
梅川は、ラスコリニコフの超人理論に従って残酷な行為を行ったのではないのです。
銀行内での行為を一言で表せば、それは”贖罪の儀式”です。
聖なるものへ捧げ物を捧げる儀式,そして、その捧げ物は人間です。
聖なるもの、それは「罪と罰」です。
この光景は、ズバリ、読者がひとり、部屋で無心に「罪と罰」を読んでいる光景その
ものです。
梅川が銀行内で行っていた犯罪は、「罪と罰」の内容に関わるというより、「罪と罰
」を読むという行為の反復、それを外界に展開した行動に思えます。
何故、そう言えるのか?
その為には、梅川にとって「罪と罰」とは何であったのか?
梅川の人生,対人関係等と「罪と罰」が、どういう関係にあったのか?
物語性・反復
等について考えてみなければなりません。
続く
先週の金曜日にミステリ板でドストエフスキー作品の投票を告知したものです。
今日締め切りましたので集計結果を報告いたします。御参加ありがとうございました。
F・ドストエフスキー 集計結果
4 悪霊
3 罪と罰
カラマーゾフの兄弟
投票においては、ミステリ板ということで、
ミステリ作品としてという観点を重視していただいた方もおられた様で、
たいへん有意義なものとなりましたので感謝します。
ミステリ板の代表作投票スレでも時々純文学作家が採り上げられますが、
あまりミステリ板なのが考慮されないケースもあるのですが、
今回はミステリとしてという面がかなり考慮されていたみたいで、
ミステリ板住人としては嬉しく思いました。ありがとうございます。
儲かった金で増毛
翻訳の抜け落ちに注意
今のカラマーゾフブームは、森鴎外が訳した時に起きたファウストブームと
似てるとこがあるらしい。
読んだ方が良い本だという評判が広まり、昔の本なのにベストセラーになる。
違うのは、ファウストはほとんどの人が一部だけ読んで終了だが、カラマーゾフ
は読了できる人が多いことだな。
>カラマーゾフ は読了できる人が多いことだな。
ファウストとたいして変わらないだろ
ファウストは二部が、説明すらつかないような、一見して支離滅裂な内容で
その上その二部の方が長いので、よほどの文学好きじゃないと読めない
カラマのイワンが主張する不死ってのは、子孫に自分の魂を託す的な解釈でいいのか?古文ってまわりくどすぎ
513 :
吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 10:50:27
カラマーゾフが一番好きなんだが
つうかドストエフスキー以外の小説は全てブックオフに売ってもいいと思ってる
そりゃ、読書家としては気の毒なケースだ。
>>512 そこは覚えてないな
>>513 俺も海外文学はそんな感じ
日本の作家は好きだけど、海外ではドストだけかな 本当に好きになれるのは
>>513 同じだ。ドスをローテで何回も読み返すだけで一生暮らせそう。
青木雄二は「罪と罰は最高の小説なので、これ以外はいらない」
みたいな事を書いていたな。流石に極論だが。
ドミトリーの情事の所興味無くて早くも挫折しそう。
ドストエフスキーはそこで一体何を言いたいん?
ドミートリーのドタバタめっちゃ面白いっしょ?ん?って言いたいんだよ。
519 :
吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 21:41:40
ドミートリーの中に流れるカラマーゾフ的なものでしょ
ドミートリーは作品を通じて、イワンほどの存在感はないけど、
面白い話は多かったと思う
うーむ。ドミトリーって日本の俳優で言ったら萩原健一辺りを想像してたら
良いのかな。
521 :
吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 22:33:04
ドミートリーはフョードルと似て、喜劇的な男 フョードルほど賢くはなく
もっと直情的だが、道化なのは同じ
ああいう道化みたいな男ってのは、実際に会ったことがあると実感が
持てるんだけど、レアだからな〜 俺はたまたまフョードルによく似た
人が知人にいることもあり、ドストが何でああいう人物を書きたくなったか
分かる気がする 俺も書こうかと思ってたぐらいだからなw
>>518 ドミートリーの喋りや行動は著しく無駄が多いからなw
だけど後々のために、この乱痴気騒ぎは必要な場面だと思う。
ミーチャの見所はこれから(最後の方まで)。
場違いに笑える発言あり、胸を打つ発言あり。
でもミーチャの良さがよく表現されているのは、新訳より新潮社の訳な気がする。
フョードルの自虐っぷりは親近感が持てて読んでて胸がスカッと
するんだが、確かにドミトリーは今の所どっち付かずな気がした。
でも続けて読んでみるありがとう。
>>524 がんばれ。ミーチャの一番の見せ場は終盤だから。
それ以前にも見所があって、そのためにもまどろっこしいから騒ぎが必要ってことで。
526 :
吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 23:18:47
道化というのは褒め言葉でしょうか
527 :
521:2007/09/07(金) 00:17:41
>>526 あんま良いもんじゃないと思うねw
周りにそういうのがいれば分かる。やっぱずれてるヤツはどこまで言っても
ずれてる。たとえ、それが社会で上手くいくための仮面であったもだ。
全うに物事を考えて行動する奴らに対する嫉妬も混じるからね。
529 :
526です:2007/09/07(金) 00:51:27
僕は自分の父が凄く面白い人だと思っていました。
大学も行ってないけど、職人でマッチョで、潜在的に憧れでした。
しかし僕が大学に行き、初めて文学に触れ、一人の人間として父を見たとき、
こんなに道化なピエロは居ない、と思いました。
自らが努力してこなかったことを逆切れして、「何がドイツ語だ!!」
とか、「俺は意地でも本なんてよまねえ。」とか、「大学教授がパンチラ取ってつかまりやがった ざまーみやがれ!!」
とか言ったりしていました。一度夏に父の職場を手伝ったのですが、
威勢の良いのは家だけで、職場に行くと、30も下の若造に注意も出来ない小心者なのです。
茶髪にピアスに加えタバコを黙認している、こんな職場なくないですか。
僕は、幻滅しました。そしてその夏が過ぎた後の冬、初めてカラマーゾフを読んだのですが、
父は正直フョードル以外の何者でもありませんでした。
道化て道化て、あわよくば僕を自分の職場につかせようとする・・・・。
ずるいんです。優しく面白い振りをして、その実あるのは、自分自身のエゴイズムだけです。
文学は、本当にいろいろなことを思い知らせてくれます。
最近はもう、威厳のある大人に憧れます。
530 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 01:03:09
>>529 乙 面白かったわ。それでもお父さんのことは尊敬してあげてね。
531 :
526です:2007/09/07(金) 01:20:35
父は大学の卒業式に、三十年以上一度も休まずに働き続けた職場を初めて休んできてくれました。
本当に感謝しています。ただ、式が終わった後、「おめでとう」と言いつつ、
かなり憎しみが籠もっていましたけど。
まあ、何はともあれ、家に一冊も本がなかった僕にとっては、文学はカルチャーショックでした。
父親云々より、自分がしっかりせねば、自分が一人前にならにゃ、どうにもならん、という気で一杯です。
>父は大学の卒業式に、三十年以上一度も休まずに働き続けた職場を初めて休んできてくれました。
全露が泣いた
そのお父さんはフョードルというより典型的な日本人の様な気がする。
もしそれがフョードルなら、俺の周りみんなフョードルだよガクガクブルブル
534 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 02:17:48
家なんかまさにヒョードル&ドミートリィそのものだ
日本人とロシア人で似てるな
結局どいつもこいつも田舎モンなんだよ
国民性が意外と似てると思う
537 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 08:49:11
ロシア人と似てるのは
どう見ても朝鮮とかモンゴルあたりだと思うが
>茶髪にピアスに加えタバコ
鳶とかならごく普通の事じゃないか。
でも日本には宗教の重要さがまったくない。だからまとまりがない
日本は不思議なことに宗教心よりも「和」というか「世間並み」という思考が
ものすご〜く浸透しているのだった。
いまでもこそバラバラな気がしているだろうが、これがいざとなると団結するんだよねぇ。
阪神淡路の地震のときなんか世界中が驚いたんだぜ〜
あの新鮮な驚きはほんと、感動すら引き起こした・・・・
541 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 17:47:52
だから日本とロシア人なんて全然似てねーって
激昂したり、鬱憤ためこんだりする性質は朝鮮とかのほうが強い
どこの国にも、ドスト的なやつがいるってだけで
それが国民全体そうだと思う神経がどうかしてるよ
日本がロシアと似てたらなんか嬉しいのか?
=自分もドスト的とでもおもいたいのか?
543 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 18:18:53
日本人とロシア人が似てるとかいうとんでもない発想をするお前ら幸せだよな
ロシア人としゃべったこともないくせにw
本の世界が全てだと思ってる時点で人生危ういよ
545 :
ごまかしなし:2007/09/07(金) 19:05:53
541
>だから日本とロシア人なんて全然似てねーって
激昂したり、鬱憤ためこんだりする性質は朝鮮とかのほうが強い
僕は、「カラマーゾフの兄弟」にある「リーズの扉指挟み」に遭遇しました。
もちろん、韓国の方です!。
仕事ぶりをなじられて、火病が爆発しました。
それは「激烈な、扉指挟み!!」、壮絶な光景でした。
これはドスト的というより、激昂したり,鬱憤ためこんだりするトルストイ的爆発
と呼べます。
僕の他にも「扉指挟み」を見た方は居ませんか?
「一方リーザは、アーリョーシャが遠ざかるやいなや、すぐに掛金をはずして、ド
アをほんの少し開け、その隙間に指を一本はさむと、ぴしゃりとドアを閉めて、力
まかせに指を押しつぶした。十秒ほどして指をぬくと、静かにゆっくりと車椅子に
戻り身体をまっすぐに起こしたまま座って、くろずんだ指と、爪の下からあふれで
る血とを、食い入るように眺めはじめた、唇がふるえていた。彼女は早口につぶや
いた「恥知らず、恥知らず、恥知らず」」
(「カラマーゾフの兄弟」第11編兄イワン 痛む足 下巻ページ148より)
ロシアの扉は分厚くて重そうだな
日本のふすまや障子ではとても指を潰せまいぞ
扉皮挟みなら結構ある。後ろにたくさん並んでる時とか。
韓国の人はよく怒り死にするらしいな。心臓発作とかじゃなくて。
よく野球の試合が終わった後負けたチームの応援席とかで転がってるんだって。
純粋な少女だった頃、教師に自尊心を傷つけられることを言われ
面談の最中に舌を噛み切って死のうとしたよ。
でも舌ってめちゃくちゃ硬くてだめだった・・・
腫れあがって食べ物が食べられなくなっただけだったよ。
今思うと「目の前で死んだらお前が困るだろう!」という理由だから
なんとばからしいことか・・・
これもリーズの指ハサミかな?
ううん、リーズは自らを罰したけど、私のは相手へのただのあてつけ、意地だった♪
女もドスト読むんだな
551 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 22:23:40
>>549 かなり違う。
共通しているのは感情の爆発ってことかな。
でもわかるよ、そういう感じ。
誰にでもあるよね。
552 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 22:32:25
ドストは女の気持ちわかるやつだよね。
すごい女々しいんだよ
そういえばドストもどっかで日本の侍の腹切りについて触れてたっけな
自分の潔白を証明したりだとか、相手へのあてつけだとかなんとか・・
なんの小説だっけ?
556 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 23:21:20
最近出た『21世紀はドストの時代』とかいう冊子で確か、ロシアの作家だと
思ったが、ドストは女性的でトルストイは男性的、といってたけど、さすが
よくわかってる。
アンナ夫人は幸せだったと思う。トルストイの奥さんは気の毒だったんじゃ
ないかな。確か前者は賢夫人、後者は悪妻といわれているけれど。
557 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 23:23:40
>>556 「〜は女性的で〜は男性的」って表現って
必ずしも妥当でないことが多いけどね。
他のジャンルで見ていても。
559 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 23:41:23
大学の卒業式なんて、親はおろか私自身も出席してないが、
ともあれ、ドストは最高である。
>>522 やっぱ新潮社文庫いいよね。
別板のスレでは「ドストエフスキーなのに、つるつると読める新訳イイ!」
という意見も出てたし新訳の合う人も多いんだろうけれど、
ミーチャやイワンの性格の面白さが出ているのは
新潮社文庫の原氏の訳の方だとおもった。
性格云々に変わった感じはしなかったけど、
大審問官前の小さな女の子に対する虐殺の話とかが亀山では軽く感じてしまったよ。
あんまりあっさりしすぎてた感じがしてね。
ゾシマ長老に殺人を告白した男の話も、みょ〜に軽い感じがした。
搾り出すような苦悩が感じられなかったんだよね。
そのあたりはつるっと読めちゃいけないところだもんね。
562 :
ごまかしなし:2007/09/08(土) 13:11:49
548
>韓国の人はよく怒り死にするらしいな。心臓発作とかじゃなくて。
よく野球の試合が終わった後負けたチームの応援席とかで転がってるんだって。
日本人に話しても「本当かナ〜〜」て感じなんです。
僕は、実際に、韓国の方々との付き合いで「テコンドすい臓破裂」「アクセルゴー
で首筋20針縫い」「扉指挟み」等に遭遇しているんです。
しかし、さすがに目前で遭遇したのは「扉指挟み」だけです。
韓国の方といっしょに歩いていると、突然、顔がまっかになったり,理由もなく落
ち込んだりするんです。
あまり頻繁に顔が変化するので、のっぺら顔だから、少しの変化でそう見えるだけ
なのかな?こっちの思い過ごしだな?と、気をとり直します。。。
しかし、”やはり、こちらの言動に機敏に反応して熱くなっているんです!”
火病の場合は、爆発一分前頃から、ハーシ,ハーシと唸り始めます。
これは、もう危険です、ハンです。
「扉指挟み」の時は、在日の女性が、仕事場で仕事振りをなじられ、その場は何事
もなく穏便に過ぎたんです。
その女性が部屋を出てしばらくしたら、悲鳴と「バシャーン!!」とドアが強く閉
まる音がしたんです。
急いで見に行ったら、その女性が、全然関係のない部屋のドアを八つ当たりして閉
めて、見たら、指に怪我をしているんです。 (^^;
あまりの壮絶な光景に、叱るどころじゃないんです。
数日して「そういえば、あの光景はどこかで読んだことがあるゾ」と「カラマーゾ
フの兄弟」のリーズに思い至った訳です。
リーズの場合と違うのは、在日女性の場合は”仕事ぶりをなじられ収まりきらない
怒り(ハン)を指の激痛で静める”という激烈な行為であることです。
在日の人か。
日本で生まれ育っても国民性は消せないのかな
>>562 どうでもいいけどさ、ドストエフスキーとほぼ関係ない話を
ながながするの辞めない?
韓国と聞くと言いたくてしょうがなくなる病ですな
>>562 長いし話がつまらない。荒らしてんのかおまえ。空気嫁
567 :
ごまかしなし:2007/09/08(土) 17:19:05
565
>韓国と聞くと言いたくてしょうがなくなる病ですな
そんなことないよ。
僕は、韓国よりトルストイの方が嫌いだよ。
ドストエフスキーとトルストイは関係ないんだから、ドストエフスキーとトルストイ
の対比を書き込むのは止めてくれよ。
空気読んでくれよ!!
568 :
ごまかしなし:2007/09/08(土) 17:24:29
ドストエフスキーが嫌いで、ドストエフスキーの小説世界が嫌いなら、
ドストエフスキーに関わらなきゃいいじゃない。
569 :
ごまかしなし:2007/09/08(土) 18:01:38
558
>>556 「〜は女性的で〜は男性的」って表現って
必ずしも妥当でないことが多いけどね。
その通りですね。
誰だって人間一個人の中に、男性的女性的要素を兼ね備えて持っているし、男性的
女性的なんて、視座を変えれば変わりますからね。
ドストエフスキー自身の中に男性的女性的要素があるだろうし、トルストイ自身の
中に男性的女性的要素がありますからね。
(ドストエフスキーとトルストイは関係ないけどね ^^)
作家の全体構造を問題にしない、レッテル貼りの議論は不毛な荒らしですね。
ちなみに、ドストエフスキーは、明るく,楽しい”さっぱりした”気楽に付き合え
る人格者ですよ。 ^^
ドストの世界の変人キャラの思考が面白すぎて考え方が引きずられそうだわ。
登場人物の感情を動かすのが上手い作家だ。
571 :
ごまかしなし:2007/09/08(土) 18:23:22
570
>ドストの世界の変人キャラの思考が面白すぎて考え方が引きずられそうだわ。
登場人物の感情を動かすのが上手い作家だ。
必死だね。 ^^
ドストの世界のキャラって何のことだ?
ドストの作品世界,人物は、小説の架空の創作産物だから、現実世界の人間とは全
然関係ないだろう。 ^^
空気コテから糞コテへの昇格の瞬間である
ドストの登場人物は実はキムチでFA?
574 :
吾輩は名無しである:2007/09/09(日) 01:09:29
火病まで書いたってことだろう
ヒステリーの極致が火病だからな
また変なコテ出現か
のちのイタ研である
577 :
吾輩は名無しである:2007/09/09(日) 11:58:43
空気読んでたらドストは存在しないな。
空気読まない人を満載しているのが彼の世界だから。
578 :
吾輩は名無しである:2007/09/09(日) 12:57:07
まぁ、ああいうキャラは小説内だからこそ客観的に面白く読めるけれど、
現実で近くにいたら堪らないわなw
いやあ、いいと思うけどね
ドゥーニャ、ナターシャ、ソーニャ、アリョーシャ
ぜひお近づきになりたいです
580 :
577:2007/09/09(日) 14:24:56
「空気が足りない」ってのがドストのキーワードのひとつ(ラスコとか、スネギリョフ
とか、地下生活者とか)だけど、現実に周りの空気に合わせなきゃ生きていけない
現代日本の社会で酸欠状態で暮らしている人間としては、登場人物が言いたいこと
をいいまくるドストの世界は、深呼吸ができる感じがして清々する。
581 :
ごまかしなし:2007/09/09(日) 15:15:17
578
>まぁ、ああいうキャラは小説内だからこそ客観的に面白く読めるけれど、
現実で近くにいたら堪らないわなw
いや、ドストの小説は、バフチンが言うように言語の外在性,他者性を基礎に成立
しているから、キャラがどうこうは関係ないんです。
現実の人間とは関係ないんだから。。。
怖いのは、現実世界の場で、そういう対話状況が成立しないのに、ドストのキャラ
そのもの(小説世界と現実世界の区別がつかない)の人が、ドストが小説で取り上
げているような問題に直面した時なんです。
バフチンの言ったとおりに読みましょう友の会が多くないか
583 :
吾輩は名無しである:2007/09/09(日) 15:45:44
しかたないだろ
ドストに限らず、バフチンの発見というのはモダニズム以降、評論界を席巻した
感すらあるんだから
日本はまだ少ない アメリカやイギリスは、百近いバフチンサークルが力を持って
るからな
誰がどう読もうと読む側の勝手じゃん?
それともドストエフスキーがそう嫁と言ったのか?
言ったとしたってきかないけど。
豚ギリで悪いのだけど
リーズが扉に指挟むのはどういう意図があるの?
リーズの感情がよく分からん。
586 :
吾輩は名無しである:2007/09/09(日) 18:30:11
だいじょうぶか〜〜〜
持ち堪えているか〜〜〜
世界バフチン教
588 :
吾輩は名無しである:2007/09/09(日) 19:01:18
ドストの長台詞を最後まで聞いてくれる登場人物はいい人
現実じゃ途中で遮られる
590 :
吾輩は名無しである:2007/09/09(日) 20:24:10
バターで油っこくて最高らしいブリンとやらを食べてみたいのだが
シャトーディケムで晩餐ご自殺も良い。
ロシアの小宿って、オーダーすればシャトーディケムが出てくるのかな。
あんな高級なお酒、置いてる店滅多にないよね?
「女」が書けるか書けないかで小説家の価値というか本質が見える、みたいなことを読んだ記憶がある
カツレツとやらを食ってみたいな。
スヴィドリガイロフが死ぬ直前に食べてたっけか
ソースはどんなのだろう
593 :
吾輩は名無しである:2007/09/09(日) 22:32:25
>>591 ずいぶん偏ってるなw それなら太宰治は究極的な作家だな
女性の一人称書かせたら、太宰はトルストイの数十倍は上手い
馬鹿くさ。
そんなもの男が下した判断だろう。
太宰といえば女性ファンの多さが有名ですね。
太宰=女性信者
この構図は今でも変わらないと思います。
「斜陽」、「女生徒」が良かったんでしょうか?女の描き方は確かに太宰は上手い
と思いますが、トルストイのそれとはまた違った感じですね。より女の繊細さや、
気分やであるところを上手く捉えているかと。「斜陽」などは、執拗な女をああも
上手く描いたのは驚異的だと思います。描き憎そうですしね。ああいうタイプは。
596 :
吾輩は名無しである:2007/09/10(月) 05:11:51
灰汁の強いキャラほど描きやすい
これ豆知識な
あのさ、ここ太宰スレじゃないし。
それにどうなんだろ、太宰が好きなのは10代から20代が中心だよ。
逞しい母親になった女たちは太宰のよわっちさ、くどさ、泣き、
神経質なんかがだいっ嫌いになる人が多い。
私もかつてはあの繊細さに「すてき」と思った口だけど
今じゃ「なにをくどくど、ねちょねちょ言っとるかアホウが!」だよ。
太宰の女の描き方が云々ってよく言うけどさ、
本物の女はか弱さなんかこれっぽっちも持ってないんだよ。
肉体こそ弱くっても精神は相当図太いよ。
メスは子どもを産んで育てるんだから弱くっちゃ勤まらないんだ。
オスに守ってもらうべく、みんな弱そうに見せてるだけなんだかんね。
598 :
577:2007/09/10(月) 11:19:09
日本じゃあんなに登場人物が長広舌振るいまくるのは非現実的とドストのことを
いうけど、ロシアに行ってみて、自分たちをあまりのリアリズムで描いているので、
ドスト嫌いのロシア人が意外に多いという説に納得した。
じゃあみんなあんなにしゃべりまくるの?
居酒屋で4時間も大審問官を語ったりするのか・・・・
ロシアには住めないや。
悪魔でも空想であることを忘れるな、と言いたい
>>593 トルストイの女性一人称なんてあったっけ?
最近、ルーさんが「ルー語」なる言葉を話しているが、
もしや、ドストが作品の中でフランス語やドイツ語を
使っているのを参考にしたのだろうか?
>>601 女性の描かせ方の上手さで、トルストイと太宰を比較しつつ、
でも「太宰の方が女性の一人称なんてすごく上手いよ」と
軍配を上げているのではなかろうか。
流れがこうなったのも
誰かさんが人間失格の罪と罰の話題をはじめたから
しかし、太宰が世界一かと言われるとなあ。知らんけど。
太宰治(笑)
ここはいつから太宰スレに?
608 :
吾輩は名無しである:2007/09/10(月) 16:38:14
カラマーゾフの兄弟を読むのが億劫な人は、とりあえずあらすじを一通り読んで
エピローグのアリョーシャの演説だけ読めばいいんじゃね?
あの20ページほどの文章で難解な問題をすべて解決してるように思う。
609 :
ごまかしなし:2007/09/10(月) 18:09:16
603
>>601 女性の描かせ方の上手さで、トルストイと太宰を比較しつつ、
でも「太宰の方が女性の一人称なんてすごく上手いよ」と
軍配を上げているのではなかろうか。
というより、ドスト,トルストイ,太宰の三つ揃えで、ヨイショではないでしょう
か。 ^^
だいじょうぶですか〜〜〜
持ち堪えていますか〜〜〜
610 :
ごまかしなし:2007/09/10(月) 18:38:54
588
>ドストの長台詞を最後まで聞いてくれる登場人物はいい人現実じゃ途中で遮られる
いや、現実世界の対話としても、ドストの小説の場合はまだいいんですよ。
対話形式だし,相互主体的で、対話のズレに面白さがあるから。。。
トルちゃんの小説内容や対話が、現実で行われていたらそれこそ耐えられない(><)
僕は、他の板でトルちゃんのこと書いているけれど、本当は「戦争と平和」は一巻
だけ「アンナ・カレリーナ」は全然読んだこともない。
何より、長すぎるんです。
皮肉でなしに「戦争と平和」なんか、完読しただけでもすごいと思う。
ちなみに、昔、僕は、妹から「カラマーゾフの兄弟」を読めと強く薦められたこと
があった。
それで読んだから、妹に読後の感想を報告したら、当の妹は「大審問官」の部分し
か読んでいなかった。
妹は、その当時、統一教会への入教を迫られていたので、それが嫌で「大審問官」
を持ち上げているだけだった。
611 :
ごまかしなし:2007/09/10(月) 18:45:28
599
>じゃあみんなあんなにしゃべりまくるの?
居酒屋で4時間も大審問官を語ったりするのか・・・・
女の人が異常におしゃべりなんだよね。
大審問官ではなくて、日常のこまごましたことを4時間くらい話しまくる。
あなたアンナ・カレーニナも読まないでトルストイVSドストエフスキーで
あんなに力説してるわけ?
私はドストエフスキーが好きだけれど、トルストイはアンナ・カレーニナだけは
好きだなぁ。
比較するスレで読んでいない人間があれだけ書きまくるとはびっくりだよ〜ん。
あなたの書く事は比較スレではもう信じないことにする。
それから、4時間しゃべりまくるのは日本人の女も同じだよ。
日本人女の場合おしゃべりというのは、聞き手も話し手も口語に入れ替わる場合を
普通は含むけど、ドストエフスキーの場合、
話し手がひたすら一方的にしゃべるからすごいね。
誤変換しました、ごめんなさい、
口語⇒交互です。
太宰は、最晩年のドストエフスキーの芸術的直観を解していないと考えられる。
「カラマーゾフ兄弟」のアレクセイは、絶望、愛する者の死を乗り越えて、
「全人」(⇔超人)として、人類すべての救済に至るのだと予見される…・…。
>>506 「悪霊」は、その前段階の作品として、評価されているのではないかな。
615 :
ごまかしなし:2007/09/10(月) 19:29:11
612
>あなたアンナ・カレーニナも読まないでトルストイVSドストエフスキーで
あんなに力説してるわけ?
私はドストエフスキーが好きだけれど、トルストイはアンナ・カレーニナだけは
好きだなぁ。
アンナ・カレーニナは、映画で観た(。。。ような気がする) (^^;
アンナ・カレーニナは、作者トルストイの意志から比較的自由に振る舞えた登場人
物と指摘されてますね。
僕は、トルストイの思想はXだけど、表現才能等に関しては保留なんです。
トルストイは天分豊かな人だし、ドストよりも芸術的表現能力は上だと思う。
しかし、それ故の、こわさ,危なさがあるんです。
ところで、あなた、トルストイの作品で、アンナ・カレーニナ以外何を完読しまし
た。 ^^
太宰はドストエフスキーの描く小説について次のように書いているね。
「モオパスサンは、あれは、女の読むものである。私たち一向に面白くないのは、
あれには、しばしば現実の女が、そのままぬっと顔を出して来るからである。
頗る、高邁でない。モオパスサンは、あれほどの男であるから、それを意識して
いた。自分の才能を、全人格を厭悪(えんお)した。作品の裏のモオパスサン
の憂鬱と懊悩(おうのう)は、一流である。気が狂った。そこにモオパスサン
の毅然(きぜん)たる男性が在る。男は、女になれるものではない。女装する
ことは、できる。これは、皆やっている。ドストエフスキイなど、毛臑(けずね)
まるだしの女装で、大真面目である。ストリンドベリイなども、ときどき熱演の
あまり鬘(かつら)を落して、それでも平気で大童(おおわらわ)である。
女が描けていない、ということは、何も、その作品の決定的な不名誉ではない。
女を描けないのではなくて、女を描かないのである。そこに理想主義の獅子奮迅
が在る。美しい無智が在る。私は、しばらく、この態度に拠ろうと思っている。」(女人創造)
基本的に、太宰は(太宰の考える限り)ドストエフスキーと同じ態度で女性を描こうとしていたらしい。
このスレでは太宰の評価は低いみたいだけど、
実際に太宰がどれだけドストを読み込み、影響を受けていたかはともかく、
両者の作品には、道化性とか、語り言葉主体の文体とか、
共通する要素は多々あると思うけどね。
>>615 トルストイの思想のどういう点が危険だと思いますか?
理想が勝ち過ぎている点かな?
618 :
ごまかしなし:2007/09/10(月) 19:52:46
617
>>615 トルストイの思想のどういう点が危険だと思いますか?
理想が勝ち過ぎている点かな?
トルストイの思想が危険なんじゃないんです。
たとえば、トルストイは、描写等で見えすぎる目を持っているんです。
自分の生まれた時の光景まで見ているんです。
これは、天分なんです。
問題は、この光源なんです。
また、トルストイのこの天分は、トルストイ一個人の才能に留まるものでは
ないんです。
今度はここをトルストイスレにするのか?
ほんとじゃまくさいな。
女なんかリアルで描いたらつまんないもん。スーパーのチラシで十分でしょ。
表な。
カラマーゾフ読もうかと思ってるんですが
原さんの訳と亀山さんの訳とどっちがお奨めですか?
冒頭数ページでは原さんのほうは割りと平易な文章になってる印象を受けました
>>622 間違えました
原さんじゃなくて亀山さんのほうです
>>622 これまでこのスレに出てきたように、
亀山=読み易い、分かり易い、とっつき易い
原=ドストらしい唐突さやエキセントリックさが出てる、登場人物に味が感じられる
ってところで、俺は原の方をすすめる。
新潮文庫の方が安くあがるしw
カラマーゾフ、一生懸命読んでるんだけど
なかなかおもしろいと感じるようにならない
どの辺からおもしろくなりますか?
現在、亀山本1の215頁
カラマの亀山訳に昼ドラレベル以上のものを期待してはいけない。
それは言い過ぎだろ 普通に良いよ
>450への自己レス
訂正
「加賀は対話形式であれば「ソクラテスの対話」的だと思っているのかもしれない」と書いたが、加賀が下記のように書いていることからみて誤りであった。
そもそも『ファウスト』は対話形式ではなく戯曲だった。すまぬ。
《メニッペアは「ソクラテスの対話」とはすこし違ったタイプの対話で、要するに「笑い」の要素が非常に強い》(小説 p189)
疑問
加賀は同じページで次のように書いているが、そのすぐ後で《「ソクラテスの対話」的な小説の典型はゲーテでしょう》(小説p189)というのがわからない。
これは、ゲーテの『ファウスト』の説明としても通用する文だと思うから。(作品によっても違うのだろうが)
《メニッペアは空想冒険小説の世界です。だからメニッペアでは、主人公たちは天国へ昇ったり地獄へ降りたり、自由奔放な動きをする。(省略)
そしてメニッペアでは二重人格とか、狂気、自殺、殺人という日常生活ではあまり起こらない出来事が物語られることが多い》(小説 p189)
憶測
またこれはただの憶測にすぎないが、加賀が《カーニバルというのは本質的には見るものだ、自分でやるんじゃない、とバフチンは言います》(小説p190)
とした理由として、カーニバルが往年の輝きを失って衰退し、現代では文学や見世物小屋やサーカスなどに名残を留めるのみだということを誤解して、
現代においては「カーニバルとは見るものだ」という結論に至った可能性がある。バフチンの記述から、これは「カーニバルの衰退」であって
「カーニバルの現状」ではあるだろうが、これを「カーニバルの本質」とするのには無理があると思う。
長文でたいへんだけど、こういうレスは読むと勉強になるので、個人的には
助かる
>625
2巻の221頁「4 反逆」くらいかな?
前フリが結構長い小説だと思う。
全部読むと前の方を読み返したくなる。
>>628 加賀って精神科?の割りに一番好きなドスト作品が白痴だとかで、なんか薄っぺらな感じがすんだけど。
これいかに。中村のほうがすっきりしてるイメージが。
あとバフチン読んでみたけど、なんというかこの人の対話原理とドストの小説って重ねにくいと思う。
ドストの小説にソクラテス的対話ははっきりいってないと断言できるし、そもそもドストって対話してんのか?
作者と登場人物って観点から見ても、別に対話してるというか・・・なんというかドストのまんまな気がする。
その証にドストの登場人物類型可能だし。
>>625 好きなキャラ絞って読んだがいいと思うよ。カラマは間延びしやすいと思う。
どうせ最終作品だし。いままでの作品読んで気に入りキャラいたらばそれとかぶった奴にしぼるみたいな。
俺はスヴィドリガイロフが好きだったから、スメルジャコフが出てくる度にわくわくした。
632 :
吾輩は名無しである:2007/09/11(火) 02:25:29
>>614 カラマーゾフの兄弟――第2部での話だね。
亀山氏には、余り期待していないが、試みとしては面白いと思うよ。
633 :
吾輩は名無しである:2007/09/11(火) 04:23:22
昔、生命保険の勧誘電話がかかって来たので断ろうと思っていたが、
「こいついつまで一人で喋ってられるだろうか」という好奇心が沸き、
スピーカーオンにして放置していたら5分ほどでリタイヤしやがった。まだまだだな。
カラマーゾフのおとっちゃんなら1時間は喋るね熱く
>>622 亀山で読んだ方がすらすらと読めるかもしれないが、
原で読んだ方が登場人物を好きになれると思う。
>>625 面白くなるのは2巻から。1巻は我慢して読む。
一旦好きになれば1巻から楽しめる。
21歳にして初めてカラマーゾフ(新訳)を読んでる。
現在第一巻の24ページw
新潮文庫は字が大きくなったのが寂しい。
ちょうど大文字化が進み始めたころにドストにはまったので、旧版を探すのにちょっと苦労した
老眼の人達のため
>>633 俺、セールスの電話で相手、女だったんだけど
「ちゃんと聞いてるんですか?」って
キレられたことあったよ。
>>633 ちょwwwたしかに最初からベラベラ喋りまくってるよなw
今度やってみるわwww
641 :
吾輩は名無しである:2007/09/11(火) 19:18:24
>>640 相手が途絶えたら大審問官を朗読してやれ
あ、これはエホバの勧誘向けだな
642 :
ごまかしなし:2007/09/11(火) 19:40:19
612
>ドストエフスキーの場合、話し手がひたすら一方的にしゃべるからすごいね。
ドストが嫌いで、ドストの小説世界が嫌いな人でなくても、ドストの小説対話が饒
舌に感じられるのは、ドストが好きな人でも同じなんです。
また「罪と罰」「白痴」「カラ兄弟}と読むことは、キリスト教的救済過程を追体
験しなければならない、しんどさもあるんです。
しかし、僕は、ドストの小説対話が饒舌になっているのには、必然性があると思う
んです。
死刑宣告〜シベリヤ流刑「死の家の記録」の過程で、本当に”ドストエフスキーは
一度死んでいる(殺されている)”んですよ。
(太宰治が、23歳の時に一度死んでいるみたいに)
「地下室の手記」でも、2x2=5,合理に対して非合理を掲げたんじゃなくて、
2x2=4とはどういうことか?という、後に現代科学や哲学等が直面した、主体
の解体そのものの問いが発せられているんです。
ですから最後の「カラ兄弟」で、復活が核心問題として扱われている訳ですね。
ちなみに「カラ兄弟」は、復活は最後に扱かわれていて、それ以前の時間経過が語
られている作品です。
ドストエフスキーは、明るく強い人だから、暗い問題にも正面から対座出来たんで
すね。
暗い人は、暗いから明るくなろうとするんです。 ^^
643 :
ごまかしなし:2007/09/11(火) 19:50:09
>ドストが嫌いで、ドストの小説世界が嫌いな人でなくても、ドストの小説対話が饒
>舌に感じられるのは、ドストが好きな人でも同じなんです。
意味不明すぎて笑えるww
645 :
吾輩は名無しである:2007/09/11(火) 22:35:53
カラマーゾフの兄弟と2chは似てると思うんだよな。
ただカラマーゾフの兄弟では釣りにマジレスしまくりだけど。
子供と見られるのが嫌でやたら大人ぶるところかwwwww
648 :
625:2007/09/12(水) 01:16:11
いろいろレスありがとうございまっする
>>645の感じは、ちょっとわかるかも
ボケボケの漫才とか、深夜ラジオのコーナーが進化してくみたいな感じでは
バタイユもそんな感じがした
649 :
吾輩は名無しである:2007/09/12(水) 03:01:54
筒井なんかはある意味ねらー作家
>>645 熱病のようにマジレスする痛さがドストの魅力
651 :
吾輩は名無しである:2007/09/12(水) 12:40:33
第4部12編 誤審の最後なんて2ch風にするとピッタリだぜ。
陪審員長「有罪であります。」
A「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! 」
B「ドミートリィ脂肪www」
C「百姓と小役死ね!氏ねじゃなくて死ね!」
E「ドミ厨涙目w必死だなw」
F「20年は鉱山暮らしwくやしいのうww」
G「最低でもなww」
H「百姓GJ!」
I「ミーチャオワタ\(^o^)/」
>>650 何だって? 熱病のように、マージーレス、だって? そんなこと、そんなこと……。
絶対にこの僕が許しません! そんなことなど、君、だって僕は、ほんとじゃなかったんだ!
それに僕のはれっきとした反駁です。それを熱病だなんてドイツかぶれの藪医者みたいな言い草
しないでもらいたいね! ふん、まあいいさ、それがあなたの本音なんですね、へ、へ、へ!
>>651 リアルだ。
2ちゃんのこういう所に染まらないようにしよう
と自戒させられる書き込みだなw
655 :
ごまかしなし:2007/09/12(水) 18:36:47
650
>>645 熱病のようにマジレスする痛さがドストの魅力
651
>第4部12編 誤審の最後なんて2ch風にするとピッタリだぜ。
652
>>650何だって? 熱病のように、マージーレス、だって? そんなこと、そんな
こと……。
凄い、さすが!!
ドストも遥かに及ばない、饒舌合戦。
それより聞いてくれよ。 (ノ_<。)
俺さ、本当はドストが嫌いで、ドストの小説言葉が大嫌いなんだ。
だけど「カラ兄弟」のイワンに俺の心がそっくりでさ〜〜
それらが書かれ暴かれているから、不本意ながらドストに付きまとっている訳なん
だよ。
今では、「大審問官」でしか自分の存在を実感出来なく”なっちゃった”んだよ。
。・゜゜⌒(TOT)⌒゜゜・。
悪魔は、やっぱり時代遅れかな?
「大審問官」古くないよな?
「地質学的変動」ならどうだ?
頼むよ!!
「ただ、ペテンにかける気を起こしたのに、なぜそのうえ、真実の裁可なんぞが必
要なんだろう、という気はするけどね?」(「カラ兄弟」下巻273ページ)
なんて言わないでくれよ。 。・°°・(*>_<*)・°°・。
日本語でおk
657 :
吾輩は名無しである:2007/09/12(水) 22:23:37
>>654 >2ちゃんのこういう所に染まらないようにしよう
>と自戒させられる書き込みだなw
まったくその通りなんだよ。
ゾシマ長老が語ったように「人々は心義しい人間の堕落と恥辱を好む」んだよ。
だから高学歴エリートが殺人事件を起こしたり、資産家の息子が親を殺したりしたら盛り上がってしまうんだよな。
そして得てして侮辱的なカキコがほとんどになり、擁護的あるいは冷静なカキコはかき消されていく。
今日の安倍首相の辞任表明のスレを見たらよく解る。
だんだん壊れてきたね
>>657 そーだね。似たようなことを考えていた。
亀山本の5巻読んでるんですけど、
この先生のがドストエフスキー解釈の日本における通説ととっていいですか?
>>660 通説というのが存在するかはともかく
亀山氏の意見も数あるドスト論の一つに過ぎず、
あれがドスト解釈の全てではない。
あの解説の中には妥当っぽい箇所もあるし
突っ走っている箇所もある。
マスコミ&世論の安倍叩きを見て、改めて「悪霊」を再読中
>>660 ここのスレでも言われているように、奇をてらっていたり、アレな
所はあある。だからあんまり感化されるのはどうかと思うが、
でもあなたが読んでなるほどと感じさせられる所もあるだろうし、
ま、要するに無条件に鵜呑みにしなければよい。
「虐げられた人びと」読みますたよ。テーマは「赦し」でカラマーゾフの
大審問官、や悪霊のスタブの告白へ微妙につながっている。最後のシーンで
愛による「赦し」が訪れずに、「呪い」で終わっているのがドストらしい。
666 :
吾輩は名無しである:2007/09/13(木) 17:55:25
>>660 内村剛介先生の本も読んだ方がいいですよ
「人類の知的遺産 ドストエフスキー」をおすすめします
667 :
ごまかしなし:2007/09/13(木) 18:44:23
668 :
吾輩は名無しである:2007/09/13(木) 19:22:03
>>667 エピローグは5巻にありますよ。
アレクセイが子とも達に演説する、思い出が人を救うって話すきだなぁ。
子供を育てる身にはしびれる言葉だ。
669 :
ごまかしなし:2007/09/13(木) 19:51:56
668
>エピローグは5巻にありますよ。
アレクセイが子とも達に演説する、思い出が人を救うって話すきだなぁ。
子供を育てる身にはしびれる言葉だ。
5巻にありましたか。
大切な思い出があることは、生きる上で不可欠ですね。
カラマーゾフやっと上巻終わった。
大審問官の章に対してみんなが言う凄さって何だろう?ああいう問いかけって、
最近はイラク戦争とかのアメリカの自由とイラクの宗教の対立があったり、
色々な形で皆考えてる。それ以上に何か特別な対立が表現されているのかな?
その問題をもっと掘り下げたり、解凍を与えていたりしたら凄いけど、
イワンのキャラは単なるイチャモン付けだよね。前にも調和がどんなか
知らない癖に糞食らえみたいな事言ってるし。
イワンというキャラがこういう事を考えました。っていう話しの中の
小道具としてなら分るけど、それだけを取り出してどうのこうの言う
価値があるのか正直疑問に思いました。
その価値は十分あるだろ
話題の、「神は妄想である」でも、イワンの論にだけは作者は反論し難いのを
認めてる
神というものに興味がないならば、イワンの問いかけの意味は半減するだろうけどね
確かに自分は「神」という観念に本当に興味を持った事はないかも知れない。
やはりこの問いかけはキリスト教的神の観念が植え付けられている人様?
自分はそういうものは無いかも知れないけど、やはり永遠に価値のある観念が
あればそれにすがって生きて行けるのにと考える事はあります。
個人的には自由か神かというその問い自体に問題があるのであって、
精神の上でのみそれらは対立する事が出来、故に両方とも妄想なんだと
思う。初めのイワンの発言に対してゾシマ長老はそれと同じ様な事を
言ったよね。
個人的にはイワンが興味を持っているその「神」が妄想なのであって、
それにイチャモンを付けるのはドンキホーテ的行いであり、神はその
「神」と何の関係もないと思っています。
>>670 大審問官物語の箇所の趣旨はそういったことじゃないと思うが。
イワンの無神論は、「神がたとえいたとしても、もはや存在が許されない」
という究極的なものだからな。
理論的には、反論の余地がない。
キリストを実際に見た人と、見たことがない俺たちで、信じれるかどうかに
「不公平」が生じているのは、まぎれもない事実だし。
ところで、亀山氏の『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』(光文社新書)を、
読了した人がいたら、評価・感想など求む!です。
公式には、今日発売な筈。俺は、無事に入手できるかなぁ・・・。
676 :
675:2007/09/14(金) 05:29:27
今日発売ではなく、昨日(2007/09/13)の間違いでした。済まんです。
何だって?「キン肉・肉・肉・2×9=18」だって? 馬鹿げてる、実に馬鹿げてるさ!
これが日本人お得意の「韻を踏む」ってやつですかい? さも「私はこうして
技巧を凝らしてみました」なあんて顔をしていやがるに決まってる! 低俗だ!
お次は、何、「キン肉・肉・肉・憎らしいわ」だって! はっ、これが本性だ、
頭の中は計算高くとも、本音は憎悪に満ちているってことさ、お里が知れたな!
それで、何だって? え? 「空手チョップで箸を割ったら牛丼片手にDancin' Rock'nRoll」
だって……………………そんな、馬鹿な! へ、この場合の箸というのが実にくせ者だよ。
もしだ、牛丼屋で貰った割り箸を、普通に割らずに、箸に垂直にチョップを当てて、
曲芸じみた割り方をして一人悦に浸っているのか、それとも、ただ単に腹立ち紛れに
箸を割っただけなのか! 君、後者の方は明らかにロシア的だよ、ウラー!
食べる前に箸を割ってしまい、目の前の牛丼が食べられないなんてね、ナンセンスさ!
ワロタ
同じくワラタwww
面白すぎww
コピペかとも思ったけど、ドストスレ以外じゃイマイチわからんもんな
681 :
ごまかしなし:2007/09/14(金) 19:37:54
「カラ兄弟」4巻のエピローグの最後「イリューシェチカの葬式、石のそばでの
演説」の石は、ヤコブの石,モーセの石版,ヨシュアの石とも同じ意味の石です。
日本の、古来からある磐座(巨石)信仰も同じですね。
磐座と樹木は、昔からペアで崇拝されていました。
この樹は、私達日本人が拝んでいる鏡を中心にした神棚,神社の構造そのものです
また、左右の榊(逆さの木)も「生命の樹」です。
一説には、モーセの十戒石板は、三重県の伊勢神宮の内宮に厳重に保管されている
と言われてますね。
ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先
端に油を注いで、その場所をベテル(神の家)と名付けた。(創28:17−19)
ヤコブは、神が自分と語られた場所に記念碑を立てた。それは石の柱で、彼はその
上にぶどう酒を注ぎかけ、また油を注いだ。そしてヤコブは、神が自分と語られた
場所をベテルと名付けた。(創35:14−15)
モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十
二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。(出24:4)
ヨシュアは、これらの言葉を神の教えの書に記し、次いで、大きな石を取り、主の
聖所にあるテレビンの木のもとに立て、民全員に告げた……(ヨシュ24:26)
生命の樹解説
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/inochinokikaisetu.html 生命の樹と幕屋
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/inochinokitomakuya.html
光文社の「カラマーゾフの兄弟」は未だにすごいね。「がばいばあちゃん」よりも、
安定して上にランクしてるのが笑える。
カラマーゾフの兄弟
1巻・・・17位
それ以外、30〜50位
こう見ると、わりと最後まで頑張って読む人が多いのが分かる。新規の人が1巻を
買ってることを考えると、読破する人の割合はかなりのものなはず。
地下室の手記
1242位
これは残念だ。新訳も良いと評判なだけにね。「カラマーゾフの兄弟」ほどではない
にしろ、是非、多くの人に読んで欲しい作品なんだけどな。個人的に。
683 :
吾輩は名無しである:2007/09/16(日) 18:37:35
新訳はまだ未読なんだけど、ふと集英社のボードレール詩集を立ち読みしたんだが、
あんな感じの、言い表せない感情が沸き上がってくるんだろうか。
19世紀の小説だし、古びていくのは仕方ないんだけど、ツァラトゥストラはこう語ったみたいな喪失感は味わいたくないなあ。
ドストエフスキーの現代性は、古典の中でも飛びぬけてる
古びるってことはないな
「地下室の手記」にいたっては、わざとなのか、時代不詳という書き方をしてるし
普遍的な人間性が描かれてるからだろ
なんかフョードルってダウンタウンの松本がコントでやりそうなキャラ。
嘘付いて周り白けさせて微妙な空間を作る所とか。
『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する、亀山さんを読み終えたよ。
75点。
知りえた知識としては、
・ドストエフスキーの父親は、農奴の娘14歳を孕ませた挙句、死なせている。
・現実に、1881年3月1日皇帝アレクサンドル二世が爆殺される。
(「カラマーゾフの兄弟」1880年出版の直後。)
・晩年に至るまで、秘密警察(皇帝直属第三課)の監視を受けていた。
(第2部は、当然、検閲のもとでの出版が想定されている。)
問題がある点としては、
・新しい登場人物が全く想定されていない。
・202ページ「最終的には、リーザはイワンの子どもを生み、それがアリョーシャにとって、
最大の試練になる。」とあるが、精神障害に至ったイワンは「一年半」かかっても、
「心身ともに正常にもどる」ことは医学的見地からすればあり得ない。
・アリョーシャの人物像について描く際にあって、所謂、「社会主義」・キリスト教の宗派に
拘り過ぎている。
等々、いろいろ書けるが、書架に並べておいても良くなくはないかも。
「カラマーゾフの兄弟」をかなり読み込んでいないと、
少々解かり難いとは思うが、俺は3日で読み終えました。一応報告まで。
訂正。
やはり、65点が妥当か。
エピグラフにある「一粒の麦が」は、アレクセイを指しており、コーリャではないね。
知識のために読んでんのか…
空想は自由だからなに書いてもいいんだけど
リーザの子がイワンの血を受け継いで、アリョーシャが苦悩・・・・
それら関係と苦悩が源氏物語みたいだと思った。
空想的/科学的社会主義の差異に若干の拘りがあるのかもね・・・。
その書籍が、歴史学者に捧げているところからは、言わずもがなだが、
歴史学=現象を一度切りのものとして捉える立場(→社会学=現象に反復する法則性を重んじる)から、
全体が著されているという印象を覚えるね。
しかし、「カラマーゾフの兄弟」は、芸術の分野における人間的普遍性をもった作品であり、
俺は、アレクセイの死(と復活)を避けて通るのは亀山氏の至らぬところだと考えているよ・・・。
俺は単純に娯楽として読んでるんだけどなあ。
そういう意味では新潮文庫のがいろいろ濃い味でいいお。
新種のコテハン発見
さっそくNG登録しました
俺は普通に楽しいし、おもしろいから読んでいるよ。(亀山訳はそれほど評価しないなぁ。
このスレでもある「罪」対「信仰」の対立軸の観点が欠落している気もするし……)
>>694 罪と信仰の話はこのスレで話題になっただけだと思ってたけど
ドスト自身がその事を語ったりしてたの?
>>695 「すべて信仰に……」、ドストエフスキーは当然ロマ書を読んでいたと。
ついでながら第2部が、形而上・象徴的レベルの信仰と罪の対立軸のもとに、
信仰に基づく実践と罪ある人間の定めた法にあって、引き裂かれる立場を
とらざるを得ず、人間的には「必然的に」裁かれざるを得なかった
アレクセイの一代記だと自分は捉えた訳です。
ドスト作品読んでると何だか虚無に引きずられそうにな気になる。
行き着く先は無とか思えば生活がだいぶ楽になる気がしてきた。
フョードルの様に無茶やってきたからなぁ
にわかが湧いてますね
ところでだが、2007年9月18日付けの朝日新聞の"定義集"の記事。大江健三郎。
"「第二の小説」が完成されていたらというよくある設問に、亀山さんは、
アリョーシャが皇帝暗殺者になっただろうという通説への、説得力ある異説をたてられます。
その実行役は、コーリャ・クラソートキンだ、と。"
え? それが、そもそも現代では通説でしょうに。大江は時代から取り残されているのか。
亀山郁夫の独自なところは、結論として、アリョーシャは「処刑されて死なない」という点。
701 :
吾輩は名無しである:2007/09/19(水) 10:07:00
ドストってギロチン寸止めリアルで食らったんだろ?
それなんてホラゲな世界だな
16歳少女斧で父殺害sage
704 :
ごまかしなし:2007/09/19(水) 19:02:58
「カラ兄弟」4巻のエピローグの最後「イリューシェチカの葬式、石のそばでの
演説」の石のペアには、樹木の他にもうひとつ梯子があります。
これは、同書のアリョーシャ(三)に出てくる、グルーシェニカが語る寓話「一本
の葱」の葱ですね。(芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が有名です)
「最頂部のケテルから「コクマー」→「ビナー」→「ダアト」→「ケセド」→「ゲ
プラー」→「ティファレト」→「ネツァク」→「ホド」→「イエソド」→「マルク
ト」と、ジグザグに降下していくパスである。これは『雷の閃光=カヴ』の通り道
である。絶対神は神の霊性を電撃のように降下させる。と同時に、ジグザグのパス
は、人間が生命の樹を上昇する過程、すなわち創世記3:24にある“命の木へ至
る道”を示している。人間的に成長するということは、この険しい道を上り、セフ
ィロトを一つ一つ経ていくことなのだ。」とあります。
私達日本人が、神社の賽銭箱の上にある鈴を鳴らすのも同じですね。
巨大なしめ縄は雷雲。間から出ている網の端は雨。ジグザグの紙垂は雷光、稲光。
ガラガラ鳴る鈴は、いうまでもなく雷鳴。
神社の拝殿では、まさに雷の情景を再現しながら、人は祈願しているんですね。
「ヤコブの梯子」
イスラエル人の父祖ヤコブは野宿した際、天界へと無限に伸びていく梯子を夢に見
た。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、
しかも神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。(創28:12)
ユダヤ教神秘主義カッバーラ(後編)
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/kabara2.html ヤコブの梯子(タロット・カードの神秘より)
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/tarotto.html
定期的に宗教かぶれがくるな
まあドスト作品自体アレだから仕方ないか
宗教思想としても秀逸なのでよくその方面に取り上げられるけど
芸術としてはもっと素晴らしいってことでしょう
708 :
吾輩は名無しである:2007/09/20(木) 20:09:42
光母子殺人事件に興味のある人にカラマーゾフの兄弟を読んでほしいな。
母に甘えたかったとかドラえもんが助けてくれるというのが、真実であっても俺はやっぱり死刑を望んでしまうけど。
ああ、そういう見方、できるね。
大審問官の前ふりというか、5歳の女の子の祈りをなぜ聞き届けなかったのか、
のあたり、アリョーシャの「銃殺です」の言葉のあたり、重なるよね。
カラ兄を読んでいて、私にはあの部分がもっとも強烈であり、もっとも現代と重なったっけ。
裁くな、あなたが裁くその秤であなたも裁かれるからである、と神様は説くけど
私にはそれは出来ないな、光市のあの事件はひどすぎるもの。
でもねぇ、「死刑を望みます」ってはっきり陳述してしまう遺族に
のちのち苦しみや後悔が待ってないといいな、という気持ちもするの。
難しいよね、人を裁くことって・・・うん。
反対に、当時のロシアではあの部分センセーショナルだったろうけど、
今あまりに良く聞く話しで、意外性は感じられないな。
こんな事あったっけ?例えば兄弟同士が殺し合いをしたとする。それも
異常殺人。でその両親は普通に両方を愛していた。なら生き残った方に
両親は死刑を望む事が出来るだろうか?
夢と来たか
713 :
吾輩は名無しである:2007/09/21(金) 00:02:05
・実の妹を木刀で殴る、殺害
・妻が夫をバラバラに切断
・高校生が母親の生首片手に出頭
・ペッパーレイプ
・警察官父を少女が斧で殺害
今年もいい一年になりますように。
>>710 「反逆」でイワンが聞かせる、数々の子供虐待事件。イワンは、たとえ親でさえ、子供の
苦痛を他所に、自分勝手に、「他人を許す」権利は無いと言う。
それに対してアリョーシャは、「一人だけ許す権利を持つ人がいる。人類のために、
十字架を背負った人だ」と言う。もちろんキリストのこと。
さらにそれに対しての反論が、イワンの「キリストが例え存在したとしても、到底許される
存在ではない」という意味を根底に敷いた、大審問官。
内容もさることながら、この流れ自体が芸術的に完成している。本当に素晴らしい。
715 :
吾輩は名無しである:2007/09/21(金) 00:42:40
>>709 重要なのは真実(仮に被告の証言が本当という前提で)なのか状況証拠かってところが問題なんだな。
裁判員制度が導入された時、自分は真実で判断ができるのだろうかという不安があるがまず無理だろうな。
所詮自分はドミートリィを有罪とした百姓なんだろうな。
でも意地は通したいがね(「誤審」の最後のシーンね)。
この事件の争点が死刑肯定論、死刑廃止論となっているのは残念なところだが。
716 :
ごまかしなし:2007/09/21(金) 18:56:07
こないだ、自転車で、ドストエフスキーゾーン=埴谷雄高宅〜丸山真男宅〜竹内
好宅(武蔵野トライアングル)巡りをしました。
埴谷宅は、大正期頃の古屋敷風でしたが、表札が蜂谷になっていました。
丸山宅には、こじんまりした書庫がありました。
竹内宅は、丸山宅近辺な筈ですが見付かりませんでした。
誰か、ご存知ありませんか?
三鷹市が、太宰治で町興しを計画しているので、近辺の方は寄ってみて下さい。
太宰治〜魯迅〜ドストエフスキーが、ドストエフスキーゾーンですね。
三鷹文学散歩|三鷹市
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/bungaku/sanpomain.html
719 :
710:2007/09/22(土) 01:05:48
>>714 何回も読み返したけど、俺のレスへの返信である意味が分らん。
720 :
吾輩は名無しである:2007/09/22(土) 10:42:56
↑んだね〜
言わんとすることはわかるんだけど気持ちがレスより大審問官賛美に傾いちゃったのさきっと
流れを読まない横レスの典型って感じがする
722 :
吾輩は名無しである:2007/09/22(土) 13:08:49
でもドストへの愛と尊敬が感じられるから許す
>>717 >>718 ドストは何とも言えないけど、性欲の強いトルストイは良いセンいってるね。
これってホントバカに出来ないから面白い。
NHKでカラマーゾフ特番作るらしい
725 :
吾輩は名無しである:2007/09/22(土) 23:28:57
それなんて永久保存版・・・
素直にうれしすぐるな
726 :
吾輩は名無しである:2007/09/23(日) 02:30:40
HP見たけどいつ放送か分からん
NHKのサイト行ってみたけど見つからんかった・・・
いつやるのー?
放送したらぜひ見る、
そしてここであーだこーだ言うのを楽しみにしてる!
でも見逃すと嫌だから情報が入ったら教えてね
ニコニコ動画に期待がかかる
カラマーゾフの特番じゃなくて古典文学の特集みたいだが・・・。
10月下旬の読書週間辺りに放送予定らしい、続報を待て。
731 :
吾輩は名無しである:2007/09/23(日) 17:53:24
カラマーゾフがベストセラーになったことで、古典文学ブームみたいになってるな
売れてるのはカラマーゾフだけなのが実情だが
さて皆が思うこれこそは古典文学ってのは何?
神曲、戦争と平和、ファウスト、赤と黒、人間失格?
古典というのは昔の言葉で書かれているものを指すのではないの?
少なくとも人間失格は決定的に違うと思うけど
それを言ってしまったらカラマだって古典じゃないよ
古典的で
平家物語(覚一本)
人間失格だって現代文に訳してあるんじゃないのか?
昔の言葉だと少し読みづらいっていう点でさ
にわかが大量発生中
739 :
吾輩は名無しである:2007/09/24(月) 15:56:52
「カラマーゾフの兄弟」を最近は
「カラキョー」トイラスィ
>>736 夏目漱石にしろ、森鴎外にしろ、現代人が十分読める日本語を使ってますよ。
特に夏目漱石は言文一致を貫いてます。(「草枕」の書き方などは、文語調が
強いですが)
一方で、幸田露伴などは、読むのに非常に苦労します。「五重塔」は短いですが、読む
のがとても大変です。
741 :
吾輩は名無しである:2007/09/24(月) 17:09:21
辛気臭い
ドストエフスキーって大衆小説家だったんだな
vsスレ落ちたの??
>>744 イタ研が書き込むと発動する念能力ですか?
ドストエフスキー好きでずっと読んでるとキリスト教信者になりますか?
749 :
吾輩は名無しである:2007/09/25(火) 13:14:26
むしろ汎神論者になるんじゃない?
ドストエフスキーと似てるのは、メルヴィル
メルヴィルの白鯨読んでると、鯨に関する学術的知識やら、突然始まる演劇やら、
大変なことになってる こんな小説ありか?って感じだが、ドストエフスキーもそれに
近いな
両者ともに、モダニズムを先取りしていたという感じがある
751 :
吾輩は名無しである:2007/09/26(水) 02:06:35
752 :
吾輩は名無しである:2007/09/27(木) 00:19:24
>>751 うぉ マジで?
怖いもの見たさで買いますわw
工藤さん頑張ってるんだね
754 :
吾輩は名無しである:2007/09/28(金) 01:29:19
聞かせてください。
ドストエフスキーを初めて読みます。
カラマーゾフを読むつもりですが、最も評価の高い翻訳を教えてください。
光文社の新訳は興味ありません。
難しい書き方で結構ですが、文庫でお願いします。
純粋に良い翻訳を教えてください。
なら新潮訳を勧めます。
他は読んでないので知りませんが、新潮訳は素晴らしいですよ
756 :
吾輩は名無しである:2007/09/28(金) 02:43:24
罪と罰って岩波と新潮ではどちらが良いかな?
岩波は取り寄せなければならないので、中身の確認ができないので、
ぜひ意見を聞かせてほしい。
岩波のほうが表紙が好きなので、もし岩波の評価がよければ岩波を買うつもりです。
757 :
吾輩は名無しである:2007/09/28(金) 02:44:10
私も新潮が良いかな。
キャラが良い感じに出てる気がする。
758 :
吾輩は名無しである:2007/09/28(金) 02:50:51
ドストエフスキーでいう「トルストイの復活」のような作品と言えばなんでしょう?
つまり、復活はトルストイが晩年に書いた、トルストイの思想の集大成と言われていますが、
ドストエフスキーの場合は、どれがそういった作品に当たるのでしょうか?
カラマーゾフじゃないかな
>>90 哲学界からはウィトゲンシュタインをノミネートしておこう
思想の加勢大衆。なんちて。
>>758 晩年作ならカラマーゾフ、思想の集大成なら悪霊?
思想の集大成なんてものがドストエフスキー作品にあると思ってるような
先天性文学センス不全症候群患者は来なくていいって
ぶ・・・文盲・・・!?
×ぶんもう
○もんもう
>>754 今更になるけれど、
「カラマーゾフ」については新潮訳(原)が押し。
>>756 「罪と罰」は、岩波(江川による新訳)も新潮(工藤)もいい。
基本は工藤で、やはり味があると思うけれど、
江川にも良さがあるので、1作品で2度楽しんではどうでしょうかw
イタ研もそんなこと言ってたな
両方読んだ方がいいのか
ほ・・・仏文学すげえ・・・
771 :
吾輩は名無しである:2007/09/28(金) 19:46:55
ざ……罪と罰……
わ・・・・・・・悪霊・・・・・・・
カ・・・・・・ラマゾーフ・・・・・・
774 :
吾輩は名無しである:2007/09/28(金) 21:25:04
>>764 アホか?
ドストエフスキーの思想、って意味だろ。
カラマの上巻の最後で大審問出てくるのは早漏だろ。最後にしろよ。
ドミートリー 若い頃のショウケン(結構良いと思う)
イワン ?(知的で陰がありしかも青年らしさもある。いねえ。)
アリョーシャ 窪塚(ありきたり)
フョードル 泉谷しげる(ありきたり)、ビートたけし+松本人志÷2(理想)、白木みのる(大穴)
どうだろう?
778 :
吾輩は名無しである:2007/09/28(金) 22:26:05
fuck you
今年の大河見ていると、
仲代。
市川左團次も良いが、品があり過ぎる。
達矢は人がよさそうじゃネ?
782 :
吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 03:26:10
麿赤児が良いかな
でも日本人配役とかナンセンスだと思う
>>776 作品の最後にしたら私たちの前に大審問官部分は登場しなかったことになりますが。
784 :
吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 14:32:07
裁判中に大審問官を語り出し退出させられるイワン。
譫妄症前になる前に語ったから良いような。
785 :
吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 14:37:40
ラフマニノフの『パガニーニの主題によるラプソディー』聴くと、なぜか物凄く『カラマーゾフ』思い出す。
ラフマの曲はロシアの厳格さがとても出てる気がする
カラマーゾフっぽいと言うよりドストエフスキーっぽい
>>784 譫妄症になったあと語られたなら大審問官は違っただろうかね?
偏差値の高そうな話やな
789 :
吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 00:30:56
イワンは大審問官でキリスト自身を批判したのでなくキリスト教、特にそれを指導する者を批判したのになぜアリョーシャは兄さんは神を信じていないのではないかと言ったのだろう?
むしろキリスト教という天上のパンをエサに民衆を導こうとする側にいるアリョーシャの方がリアリズムの上において無神論者なんじゃないのと思ってしまうのは俺だけか?
指導者を批判したってよりも
そういう指導者無しに歩めない民衆を批判している
アリョーシャは導こうってんじゃなくて、民衆の自由な意思での信仰を求めている
民衆は導かれるものじゃなくて自ら信仰によって歩いていくもんだってことじゃねーの
791 :
吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 01:39:32
なるほど、そういう解釈もあるね。
イワン=無神論者とするのがどうも納得いかないんだよね。
大審問官のラストシーンをイワンは囚人(ああ、もうキリストでいいや)が老審問官に静かにキスをすると描こうとしているが、
どう考えてもイワンは無神論者とは思えないんだよな。
だってキスの余韻が心に熱く燃えているが、今までの信念を変えることはないんだぞ。
まるで求道者じゃないか。
必死に無神論者になろうとしている人ということじゃないのか。
それで最後に気が触れるというのなら納得がいく。
だから解説とかにイワン=無神論者としているのがどうも自分の中でしっくりこないんだよな。
誰が「イワン=無心論者」って言ってたんだ?
イワンのに無心とはこれ如何に。
794 :
吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 02:10:17
神を信じていないと神は殺せないんだぜ?
ドスト世界のイワンしかり、スタブローギンしかり
神は信じてるとおもうが。
>>794 イエス・キリストが大審問官に接吻するあのシーン、
あれは神が、神を侮辱する大審問官に与えた、大いなる許しでしょう?
大審問官の内心にはどれほどの波風が立っただろうね、
もしかして感動にうち震えそうになったのではないかな。
もしかして泣きそうになったかもしれないよ。
アリョーシャがあの話を聞いてイワンが神を信じていると思ったのは
このオチの部分にあると思う。
自分もこのオチにはそうとしか思えない。
けれどイワンはこのオチに「たかが接吻程度で済ませる情けないヤツ」の意を込めたのかもしれない。
わからない〜
796 :
吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 08:38:37
>>792 もし新訳本を持っているなら、本についている主な登場人物のしおりを見てみな。
書かれている通りに写すと
「イワン フョードルの次男。アリョーシャと同じく後妻ソフィアの子。大学で工学を学んだインテリで、シニカルな無神論者」
初めて読む人ならしおりを見てイワンは無神論者なんだと思いながら読み進めてしまうよ。
子供が虐げられている世界に神はいない。神の存在は許されない。
という主張をイワンはしていたと思います。
無神論者というよりも否神論者と言ったところでしょうか。
我々から見れば
>>794の言うとおりですが、
一神教の世界からみればああいったものが無神論に当たるのではないでしょうか。
うん。イワンは取り敢えず神の存在自体を否定しているわけではない。
これはあるのかもしれないけど無いのかもしれない。
神の存在可能性まで譲歩しつつ、その上で、世の中の不条理を理由に、
それを救ってくれない神の正当性なり、信仰に値する神の存在なりを否定している。
この世の中こんなに不幸が溢れているのに、神は何もしてくれないじゃないか!
神への怨念とでも言えるような否定。
イワンが無神論に走る背景には、こういう神への懐疑と、
信仰や神なんかより、自分の知性の方が凄い!という傲慢さ(自己愛)
があると思うんだけど。
それでもなおかつイワンが神を信じているように見えるのは、
一つに、イワンが神に無関心な人に見えないこと。
現代の多く日本人の方がイワンよりもずっとさっくりと神を否定していたりして。
そして、イワンは神を心の底で欲しているように見えないでもないこと。
大審問官への接吻もそうだし、神への懐疑を投げつつ反論を欲しているようでもある。
これは理知>神というあり方と相反するように見えるけれど、
イワンのアンヴィヴァレンツさというか、
イワンの自我は理知を重視し、また彼が理知面に忠実であろうとすれば神を否定せざるを得ないんだけど
心の奥深いところの本心では、またちょっと違う思いや認識があるかもしれない
ようにも見える。
それでも、やはりイワンの主張の眼目は、
世の中をどうにもしてくれないが故の神の否定という所にあると思う。
これが多くの無神論者の共感を呼びそうだ。
大審問官の主張はイエスを糾弾しているようでいて、
大審問官が是とする社会の、人間の尊厳を否定する問題点を浮き彫りに
していている点で反語的。この反語性はイワンが神を求めているから
とかいうよりは、ドストのスタンス故かな?
イワンはやはりイエスより大審問官の立場、
より高い知性を持つ少数者(イワンみたいなw)が、皆の幸福の実現
という名目のもと、多数を管理するようなあり方を選ぶのだろう。
801 :
吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 20:44:02
>>799 >イワンはやはりイエスより大審問官の立場、
>より高い知性を持つ少数者(イワンみたいなw)が、皆の幸福の実現
>という名目のもと、多数を管理するようなあり方を選ぶのだろう。
つまり教会側のほうがよほど無神論者じゃないかってイワンは批判しているということにならないか?
イワンがなぜアリョーシャに大審問官の話をしたのかというのは、現在の純粋なアリョーシャ(
>>790が言ったような)が
後々に協会側の立場(
>>789で言ったような)に立たないよう警告したのではないかと思う。
まあ作家ドフトエフスキーから見れば単なるイエズス会批判なのかもしれんが。
802 :
吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 23:45:28
カラマーゾフの兄弟1
\ │ /
/ ̄\
─( ゚ ∀ ゚ )―
\_/
ドストエフスキー / │ \
亀山郁夫・訳 ∩ ∧ ∧∩
∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)
( ゚∀゚ )/ | /
| 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
ぜんぜん違和感ないもんな・・・
803 :
吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 23:52:22
亀山イイ!
こらコピペすなw
ずれずれなのに気づいて後悔してんだ・・・
>>782 しかし最近のカラマ人気にあやかってどこぞのTV局が、、、
嫌い嫌いも好きの内だろイワンの無神論は。
だって大審問官もキリスト教の下地が無かったら「フムフム。で?」
で終わってるだろうし。俺みたいに。反対に次のゾシマの遺言の
内容の方がセンセーショナルで感動した。
寧ろ実質的無神論者は如何にも神の忠実な信奉者の様でいて実は
神を商売にして足で踏みつけている教会関係者だろ。一部を除いて。
808 :
吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 12:54:47
802は確かに違和感が無いな。
>>801 大審問官=教会一般のスタンス
とは描かれていないから。
ドストはアンチイエズス会だから、
そのイエズス界に共産主義社会や現代の管理社会的なものへの批判を重ねた。
810 :
吾輩は名無しである:2007/10/02(火) 10:19:38
宗教に家族を破壊されたのでイワンの大審問官に
とても共感できた。
盲目になってる人には神の言葉以外は心に入らないんだろうが
一度大審問官を読んで貰いたいよ。
その点アリョーシャはイワンの言葉に耳を傾けられた分
冷静にこの世を見ていたんだろうと思う。
カラマーゾフって何がいいの?
非キリスト教徒国の日本人には半分も意味わからないでしょ
話はごたごたしてて、しかも未完だし
素直に罪と罰や地下室の手記でも読んでればいいのに
地下室の手記が 一番の駄作に思える・・・。
813 :
吾輩は名無しである:2007/10/02(火) 15:01:56
カラ兄読み終わった(^0^)/
『カラマーゾフの兄弟』とすら書けないなんて、いかにも頭が悪そうだ。
こういう馬鹿は、長くもないのに長いから省略したとか言ったりする。
815 :
吾輩は名無しである:2007/10/02(火) 15:45:48
>>809 その預言的性格を持っているが故、20世紀以降も読み継がれた。
>>812 この三作品で比べるのに無理があるかと
>>813 で、どうだった?
地下室の手記
これ最高。
長編の方が凄いって面も確かにあるんだろうが、200ページぐらいの方が読みやすい。
日本文学はこれぐらいのがほとんどだしね。地下室の手記は、中編の中で、今まで
読んだ中で一番だ。
もっと早く、ロシア文学読んでおけば良かったな〜
819 :
吾輩は名無しである:2007/10/02(火) 18:39:39
>>811 私はクリスチャンですが、それでも理解度が深いとは思っていません。
知るために読む、考えるために読む、そういう読み方もあるんですよ。
奥野健夫と逆で、地下室の手記読んだら太宰の人間失格が甘ったれた浅い作品だと気付いた
健男の間違い
比較せんでも人間失格は甘ったれ
人間失格>地下室の手記
とか書いてる、「斜陽」の解説は何なんだ?太宰信者の妄言としか思えん。
はっきり言うが、構成原理とかそういう次元から、もう圧倒的な差がある。
地下室の手記から影響を受けたんだろうことは、人間失格から伝わってくるけどな
そもそも斜陽が面白くなかったんだが
死の家の記録が一番好きだ。
斜陽も好きだけどな。なんだかんだいって、やっぱりあの不安には敵わない。
俺は未成年が一番好きだよ。
斜陽のモチーフはチェーホフじゃなかったっけ?
829 :
吾輩は名無しである:2007/10/02(火) 23:52:39
地下室の手記は確かに良いが、光文社の新訳は力不足だったな。
あれにはがっかりだ。
やはり新潮か。
>>817 し、知らなかったベルイマン亡くなってたんだね、、、合唱
>>823 あくまで太宰の解説なんだから太宰マンセーするに決まってんダルシム
ドスト信者は余裕ないからなw
今新潮のカラマーゾフの兄弟(上)読み終わったんだけど、
最後の大審問官の行が良く分かんなかったよ。
キリスト教にもあんまり詳しくないから、分かりやすく解説して下さい。
その手のサイトを自分で検索しなさい。
835 :
吾輩は名無しである:2007/10/04(木) 03:07:46
ところで「謎解きカラマーゾフの兄弟」はおもしろい
836 :
吾輩は名無しである:2007/10/04(木) 08:27:18
江川さんの謎解きシリーズは、仮説の上に仮説を積み上げてるところが
少なからず有るから、少々強引な推論が多い様に思うけれど、
読み物としては結構面白いな。
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
NHK「ラジオ深夜便」について語りましょう Part9 [ラジオ番組]
孤独ならドストエフスキー読むよな [孤独な男性]
ジョンレノンVS三島由紀夫 [ビートルズ]
罪と罰 [一般書籍]
少女革命ウテナその34 [懐アニ平成]
少女革命ウテナwwwww
ドスト入門なら新訳、深く味わうなら新潮でおk?
Amazonのレビューで見たら罪と罰は岩波がいいって書いてたんだが
本屋で見たらペテルブルグの地図とか人物一覧とかあって便利そう
839 :
吾輩は名無しである:2007/10/04(木) 16:23:05
愚昧かつ臆病
そんな私のオススメは新潮
グルーシェニカ孕ましてぇwww
グルーシェニカ>リーズ>>>>>>カテリーナ
>>838 あんたがおっさんじゃなかったら新訳読んだ方がいいよ。そっちの方が遥かに読みやすい
厨房の時、新潮の罪罰でドストデビューしたけど
一回読んだだけでは全然理解できてなかったな。後半面白かったけど。
二〜三回読んで何となく色々わかってきた。
今でも読み返してるけど、その度に新しい発見がある。
面白味があるのは新潮の方だな。
新潮で十分読み易かったような。
しかしなんでまた急にバカ売れしたのかねえ
では長いこと積読だった、中公池田訳を読もうか。
>>845 時代に合ったっていうけど、光文社、慎重合わせて50万部に届くかもってぐらい
1年で売れるとはな・・・
>>842 ありがとう。おっさんなので旧訳読みますね(^^
寒流と同じでブーム捏造→釣られて買う人多数だったりして・・・
売れ始めて一年ぐらい経ってから報道されたからそれはないな
むしろ逆のパターン
てことはごく普通のブームじゃんw
うちの近所の大型書店には置いてないからほんとのブームだなw
韓流(笑)DVDなら誰も借りないのにずらりとレンタルコーナーに並んでるし
実際にアマゾンでも売れてるしな
売れてるのは主に大型書店
このスレでも新宿紀伊国屋に電話した猛者がいるけど、週に30冊ぐらい売れてるらしい
855 :
吾輩は名無しである:2007/10/05(金) 19:43:45
849
>寒流と同じでブーム捏造→釣られて買う人多数だったりして・・・
誰だよ! 本当のことを書こうとする奴は!
だいじょうぶか〜〜〜?
持ち堪えているか〜〜〜?
早稲田は燃えているか〜〜〜?
856 :
吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 03:45:42
カラマーゾフブームは村上春樹の影響が大きいだろ
春樹にカラマーゾフの兄弟のような作品を書きたいと言われても???って感じだがw
そうか?彼の言う「総合小説」はなるほどなと思うけど
何で村上春樹が出てくるの???気になる・・・。
ドストブームは春樹様のお陰というお話
862 :
吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 18:56:47
861
>ドストブームは春樹様のお陰というお話
というより、「カラ兄弟」にある宣伝文句だよ。
「東大教師が薦めるNO1本」等の宣伝効果が大だと思う。
外語大なんかは、本当は「外国語が出来るだけ」なんてのが実情ですね。 ^^
でも、亀さんが、外語大の命運を賭けて「カラ兄弟」を書き上げた根性は、内容は
ともかくたいしたものだと思う。
冗談でなしに、亀さんの根性もドストの作品,文学と呼べるし、それらを売り物に
するのも面白いと思う。
あと、もうひとつの売りは、もちろん、スメルジャコフね。 ^^
>>862 この感覚・・・、彼か?? (まぁ、いいや。)
村上春樹は、スメルジャコフ対織田信長家臣団とかいったサイトを開いていた辺り、
10分で読めるカラマーゾフの兄弟を目標にしているとか聞いたことがあるよ。
>>863 >10分で読めるカラマーゾフの兄弟
そんなものがあったら読んでみたいな。
訂正すると、正しくは「やさしい言葉で書かれたカラマーゾフの兄弟」だ。
865 :
吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 22:37:40
「謎解きカラマーゾフの兄弟」を読んた後に「カラマーゾフの兄弟」読むか
逆の順番か、両方平行で読むか・・・・
2週間ずっと迷ってるよ
「カラマーゾフの兄弟」大審問官までフライングで読んでしまったけど
「カラマーゾフの兄弟」→「謎解きカラマーゾフの兄弟」→「カラマーゾフの兄弟」
これで解決
>>860 「世の中には2種類の人間しかいない。『カラマーゾフの兄弟』を読んだ事のある人と
そうでない人と」――村上春樹。
で、途中迄で読了できなかった人を入れると3種類か・・・。
868 :
865:2007/10/07(日) 00:44:02
>>866 了解です
「謎解きカラマーゾフの兄弟」→「カラマーゾフの兄弟」→「謎解きカラマーゾフの兄弟」
と読みたくなりました
村上春樹って神とか救いとか狂気のような極限状況の人間を描くことにに興味あんの?
ラノベみたいなイメージしかないんだが
>>869 最近は「暴力性」みたいなのが彼の一つの小説の中心テーマみたいだよ
カラマと通じるところもあると思う
>>870 ないと思うよ正直。
春樹の作品は良くも悪くも、彼がつむいだ眉の中に閉じ込められたまま進行する感じ。
それってドストとはむしろ対極じゃね?
872 :
871:2007/10/07(日) 00:55:42
>>871 >彼がつむいだ眉の中に閉じ込められたまま進行する感じ
それに対してドストはどういう感じだと?
>>873 立派な構造をなしていながら外に向けて開かれてるという意味では・・・
蜂の巣的かな、アナロジーとしては。
寝る前にメールしてみたら数十秒で返信キター!!!!!!
誤爆スマソ
>>874 もしそれをドスト的と言うのなら、
90年代中頃以降の春樹の小説は十分ドスト的と言えると思うけど。
でも確かに80年代の作品は
>彼がつむいだ眉の中に閉じ込められたまま進行する感じ
こういう印象を受けるかも。
インタビューや小説を読んだ感じから言えば、
この変化はデタッチメントからコミットメントへの
スタンスの変化みたいなのが影響している、とも言えるかもしれない。
春樹話ばかりですまん、もう自重する
>>875 どこと誤爆したんだw
>>877 というとねじまき鳥あたりからかな?
ちょっと気をつけて読んでみます。ありがとう。
いや誤爆についてはお恥ずかしい限り。
年甲斐もなく恋をしちゃってたりするもので。
>>878 顕著なのはねじまき以降だと思います。
メールの方もがんばってくださいw
880 :
音速の名無しさん:2007/10/07(日) 01:47:44
ここか
881 :
吾輩は名無しである:2007/10/07(日) 02:04:56
ドストといえば長台詞な印象なので短編てどんなのか気になる。
面白いのか?楽しみ。
>>865 >>868 なんで「謎解き」を先に読むの?
小説の解説本を先に読んでから読んでしまうと、
その小説を一面的にしか捉えられなくなってもったいないよ。
小説は、まっさらな素の状態で読まないと。
それで、できることなら(なかなか難しいけど)、
初見でその小説の構造を掴むつもりで読み進めなきゃ。
ゆとりなんでしょ、学校のお勉強のように
正しい答えがひとつだけあるみたいな読み方
色々難しく考えて気構えるからそういう読み方になるんでしょ
初読で理解出来なかったからといって
謎解きをすぐ読んじゃうのももったいないと思うけど
あれに書いてある事が全て、作家から見て正解って訳でもないだろうし
小説って多面的なものだと思う。
特にカラマーゾフの兄弟は、ミステリーとしても教養小説としても
メロドラマとしても読めるし、難解な哲学書としても読める。
ごった煮の混沌とした中をかき分けて進んで、
「自分にとってこの小説を読んだことはどういう意味を持ったか」を
読後にまず、自分一人で考えることが大切だと思うなぁ。
だから「謎解き」を、小説を読む前に読むというのは理解できない。
別に入門書から入っても、それ抜きでもいいじゃん。
そうかな。「謎解き」なんて一つの読み方に過ぎん。
本編を読む前に読んでも、害しかない。
888 :
吾輩は名無しである:2007/10/07(日) 12:55:28
一通り2ちゃんスレ見てから読んだ俺がここいる。
小説は十分楽しめたし自分なりの考えも持って読めたが、
好みに近いか大まかな判断が無いと読む気しないって事もあるんだよな。
謎解きはまだ読んでないがこのスレ見てたら気になってきた。
マジか!
小説にしても映画にしても、俺は絶対に事前情報を
シャットアウトして鑑賞する。
いろんな人がいるな。
そもそもドスト読んだ当初に謎ときもネットもなかった
誰がどう読もうがいいんでね??
>>891 まあ、それを言っちゃおしまいなんだが。
俺は、先に解説本を読んで小説を読むという行為だけは承服しがたい。
理由は
>>883と同じ。
何でもゆとりかよw
なんか、1から10まで攻略サイト見ながらゲームするやつみたいだな
つまり、俺のこと
895 :
吾輩は名無しである:2007/10/07(日) 20:55:32
2ちゃんで見たときは人物名が頭に入らなかったりで(作品によって重複する名前もあるしな)
本編読むときは何も気にならなかったぜ。
まぁ結末知ってもドストは結末に至る過程がおもしろいから
あんま気にならんかったな。
もちろん攻略サイト見ながらゲームするぜ!へ・へ・へ。
ドストの小説に限らず、
事前知識があったり、まっさらでない状態でとなんて珍しくないと思うけどね。
誰かの講演を聴いて興味を持ったとか、誰かの評論を目にして興味を持ったとか
2ちゃんで話題になっているのを見て興味を持ったとか。
ましてドストの長編なんて膨大な内容だから、事前知識があったとしても、
新鮮さはそんなに損なわれない所があるのでは。
まっさらな状態での第一印象を大切にしたいという人も、
何か指針があった方が読み易いという人もいると思う。
解説本を読んだからって、必ずしもその見方に縛られるものでなく、
自分なりの判断も可能だろう。どの程度感化されるかは人によりけりだが。
ひぐらし原作読む前にまとめwiki読んで結末知ってしまった俺みたいなもんだぜ
名作のあらすじだけの本とかが売れるんだよ
>>899 それうちの親が持ってるw
せめて手塚治虫の罪と罰にしてほしいな
シェイクスピアだって、筋は知られているし、自ずといろんな解釈論を
耳にしたり目にしたりすることが多いわけだが、
いざ原作を読んでみて、新鮮さに乏しいということはなく、面白いけどな。
まっさらでなくては駄目という人は、
事前に知識があって読むということに対し、極端なイメージを持ってるんだろうな。
読む人がまさにされに縛られまくって読むようなの。
ラスコが殺人犯すことを知らずに罪罰読み始めた奴は多分いないだろうな
>>896 >>901 それは分かる。俺だってそうだし。
だけど「謎解き」で江川卓の解釈をまるまる頭に入れてから読むってのは
それとは全然違うでしょ。
だいたい入門本読む人はちょっと足がかりがほしいくらいに
軽い気持ちで読むものだから、その後いざドストの小説を
読む時に、そんなに入門本の解釈に従って読んでいるというわけでなく
読者自身の判断が抹殺されるわけではないと思う。
「謎解き」の場合、タイトルがドストエフスキーの小説についての
一解釈というスタンスを感じさせ、
「ドストエフスキーの小説はこう読むべし」という感じは与えない。
それよりは亀井の方が、本編5巻のうちの最終巻を借りて
長く解説しているだけに、本編の後という順序にせよ、
読者に先入観を与えそうな懸念はあるかな。
なまじ本人の訳も読み易さをうたっているだけに、
「ならばカラマーゾフにトライしてみよう」と思って手を出してみた読者層に、
亀井の解説が指南書的に捉えられそうな。
これも杞憂かもしれんが。
>>905 いや、読んだ後なら別にいいんだよ
読む前に解説書を読むのが受験勉強みたいだと言ってるだけ
>>904-905 読む前に一つの解釈を読んでしまうと 人間の脳は楽したがるものだから
その解釈に引っ張られるというのはあると思う
案外そうでもないよ>解釈に引っ張られる
事前に解説書を読むということに、すごくガチガチにその解説書に取り組んでいるような
イメージを抱いている人がいるんだな。
確かにそういう人もいることはいるんだろうが。
自分はまさに、ドストエフスキー研究者の人の講演を聞いたのがきっかけで
ドストを読んだくち。といっても手を出したのは2年くらい後だけどw
政治思想や哲学的視点での内容で、それまではドストエフスキーについて
暗ーいイメージがあって読む気がしなかったのが、興味を持てるようになった。
自発的に解説書を読むのと、たまたま講演を聴くのと最初の動機は異なれど、
効果としてはさして変わるまい。
でもその後「カラマーゾフ」や「罪と罰」を読んだ時も、新鮮さがあった。
単純でわかりやすい例では、思ったよりイワンやラスコーリニコフが面白い人だったのが強烈な印象だった。
その最初聴いた講演の影響は当然にあるけれど、読んでみてそれ以外の
見方や印象を持つことが妨げられるわけではないですよ。
今週 土曜日(?)にドストの特番あるよ、NHKで。
>>911 おおー楽しみだ。
内容にはそんなに期待せず、でも楽しみにしてる。
今の新訳に便乗して、テレビでドストが特集されれば嬉しいと思う気持ちと、
もっともらしく陳腐な解説をテレビでされたらムカツクだろうなという気持ちと相半ば
915 :
907:2007/10/08(月) 16:31:22
917 :
吾輩は名無しである:2007/10/08(月) 18:15:24
905
>それよりは亀井の方が、本編5巻のうちの最終巻を借りて
長く解説しているだけに、本編の後という順序にせよ、
読者に先入観を与えそうな懸念はあるかな。
そこなんです!
それぞ、ロック魂ならぬ、亀さんの文学魂!
ドストエフスキーを訳す時は、自分がドストエフスキーになる。
「カラ兄弟」の続編がなければ、書いてしまえばいい。
「カラ兄弟」の続編を書き上げた者が、学長。
これはもう、文学です,文学そのものです!
「カラ兄弟」の宣伝文句は
「東大教師が薦めるNO1本」
から
「学長、怒涛の文学魂!」
に変更すべし!
文体から察するにきっときみは例の・・・
イタ研は見ないがきみはよく見かけるね
だれか録画してニコニコかyoutubeに上げてくれ
俺は解説にものすごく引っ張られるタチだぜw
>>922 これは・・・絶対に見逃せない!
3chで夜10時からか。間違いなく観ます。
>>922 テロ、幼児虐待、少年犯罪など不条理な犯罪が多発する現代、
19世紀の文豪ドストエフスキーの作品が脚光をあびている。
新訳「カラマーゾフの兄弟」は30万部を突破し、若い読者を獲得している。
今ドストエフスキーの何が若者を魅了するのか。
ドストエフスキーの時代はテロと犯罪が蔓延する社会だった。
ドストエフスキー自身もテロリストとして流刑されている。
その中で「罪と罰」について問い続け、万人の心の奥底にある悪を描き出した。
それは現代日本の抱える問題に直結する。
ドストエフスキー研究の第一人者、亀山郁夫外国語大教授が、
作家の金原ひとみ、加賀乙彦、ドキュメンタリー作家の森達也と
語りあうなかから、現代日本の病理を読み解く。
>>924 「ドストを語る」番組じゃなく「ドストを通して現代を語る」番組か。
ちょっと期待と違うっぽいけど楽しみだ。
うちビデオないからニコかつべ頼む
ビデオくらい今鼻くそみたいな値段で売ってるんだから買えよ
ラスコ並みの貧乏か
ちゃんとその時間にテレビを見たら?
PART18が立った。
見知らぬコテが建てているようだけど。
コテと言うか洒落ですね
スレ立ておつです
932 :
吾輩は名無しである:2007/10/09(火) 00:36:37
外国語版で読んでる人多いんだな
レベル高いわ
俺は、日本語版しか読んでない
つうか外国語わかんねえし
933 :
吾輩は名無しである:2007/10/09(火) 01:05:56
英語で読んだら理解深まるのかな
英語版を読んだ一番の動機は、英語学習のたしとして。
好きな作品で読む気になるという点で、英文学で読むのとはまた違うメリットがある。
作品理解の上ではどうなんだろう。
この場面の内容は、英語で表現するとしたらこういう風になる性質のものなのだな
ということで、それなりに得るものはあった気もするけれど(大分前のことなので忘れた)
でも日本語オンリーの場合と、大差ない。
英文学だと、やはり英語で読んでこその良さを確かに感じるから
だから外国語版でも、ロシア語(原書)でドストを読むのには
かなり価値あるんだろうな。日本語版もいい訳には恵まれているけれど。
英語学習として効果あった?
自分もやってみようかな
>>935 個人差あるんだろうけれど、洋書を読むのって確かに英文慣れ
したりボキャブラリーも増えたり効果はあるとしても、
目に見えるような効果ではないと思う。
ヒヤリングや構文を覚えたりライティングの練習をする効果に比べると。
ボキャブラリーも、ああいう作品だから怪しげな単語ばかり覚えるしw
マイナスにはならないし、趣味と実益を兼ねてという感覚でやるのならば。
煮え切らない回答で済みません。
日本語でも長いドストを、外国語で読むのは骨だな
現在ドスト研究者となると亀井先生になるのか
>>922 金原って声だけは萌えるんだよな。録音しとくか
940 :
吾輩は名無しである:2007/10/09(火) 08:23:29
私は一番好きな文学作品が「悪霊」で、何度も読んで大体頭に入っているので、
英語の勉強のためにと思って、英語版も買ってみました。
長いんで読破してないけど、知らない本を英語で読むより流れが良くて勉強になったよ。
外国語で読める人すげーな。
でも、ドスト読むなら英語じゃなくてロシア語なんじゃ??
ロシア語は難しいからな・・・
ドスト好きが興じて二外で選択したけど、結局サッパリわからないまま終わったわ
ロシア語で読めればいいが敷居高い。難しそう。
英語で読むのは英語の勉強のためみたいだし。
944 :
吾輩は名無しである:2007/10/09(火) 18:52:16
917
>それぞ、ロック魂ならぬ、亀さんの文学魂!
ドストエフスキーを訳す時は、自分がドストエフスキーになる。
「カラ兄弟」の続編がなければ、書いてしまえばいい。
「カラ兄弟」の続編を書き上げた者が、学長。
前代未聞! 驚き,唖然! (◎-◎;)
凄く、イイ!
+(プラス) 自分の好みにストーリーを変更する。
これぞ、文学魂!
945 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 11:16:31
亀井の神になりたかった男を読んだ。
マトリョーシャの自殺理由が判然としないというか納得しにくい。
自分のM性、変態性を知ってしまうことで自殺してしまうものなのだろうか。
罪悪感、羞恥心があるにせよ。
サドマゾは、今は日本でもより一般的な性的分野になっているが、
閉ざされていた時代でも自身の性癖で自殺をしてしまう人間はいたのだろうか。
自殺することが究極のマゾだから。
947 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 14:13:48
>>942 露語で学部時代で読めるとしたら、チエホフやプーシキン、
短いもので良いでしょ。
>>944 水村早苗『続・明暗』の様な無謀な企みに挑戦した露人はおらぬのか?
しかし水村ってものすごいことやったよね
結果はともかく・・
949 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 15:23:11
自死を究極と自覚するにはマトリョーシャは幼すぎるのではないだろうか?
「カラ」は一応完結してるから、水村早苗『続・明暗』とは
ちょっと意味合いが違うだろ。
それより、カフカ「城」の続きを誰か書いてほしい。
スレ違いだが。
Sであり、Mでもあるという両面性の性癖を持っている俺は異常か?
952 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 17:10:02
>>951 よくいわれることであり、よくあることである。
ただ、昨今のSだMだというのは、往々にしてそんな雰囲気だという程度のことが多い。
で、どのような性癖なのでしょうね?
953 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 20:02:01
須藤元気のレベル
革命家チェ・ゲバラの南米旅行記と同じルートをたどるノンフィクション。
限定200枚の整理券は、発売前夜に徹夜組が現れ、ネットオークションでは
3万円に高騰する人気ぶり。須藤は旅を通じ「本当の戦いは、自分の内側にある。
自分のありのままでいられる人が世界最強なんじゃないかな」と悟ったという。
今後は執筆業を中心に活動する。
これは名言だ。浅田や副島や宮台や東に言えるセリフではない。
須藤のほうがずっと若いのに
ソクラテス、ヘーゲル、ニーチェのようなレベルでも、
ここまでは行かなかったのではないか?
須藤が悟ったことは、これまでの哲学者が見落としていた心理かも?
トルストイやドストエフスキーだとさらに劣る
>>953 オンリーワン、ナンバーワンと言う意味と同意ですね、
昔から様々な人が言っている考えです。
数年前にSMAPが「世界にひとつだけの花」という歌で似たような内容を歌っていました。
あの詩を書いたのは槇原敬之だったと思いますが、一応もっともなようでありながら
実は案外傲慢な自負心に満ちた考えだと、私は思っています。
自分のありのままでいるということは、他者の優れた面なども学ばないという意味でもあるかもしれません。
>>953 それと、マルチポストはやめた方がいいですよ。
>>953 自己啓発書は結局同じことを言っているにすぎません。
須藤元気はそれらを読みこなしていいとこ取りをしているだけですよ。
本など読まない層にうける形で出してきただけで
内容は同工異曲以外の何者でもありません。
浅いなあ
そんなことを考えなかった人間がこの歴史上いなかったはずがないだろ
959 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 20:36:53
>>947 >>950 「水村美苗」スマソ。
>>950 『風と共に去りぬ』の続編として、前世紀末に『スカーレット』
が公募され、書かれて、映像化もされたが、こっちはすっかり忘れ
去られて仕舞った様だけどね。やはり作品をどれだけ愛し、理解する
かばかりでなく、技術的にも描き切るかは大きい。
ドストは、続編として、アリョーシャが成長して革命家と成り、
皇帝暗殺犯として処刑される構想もあったという事で、続編に
向けて夢を託したくなるのも不思議ではないかと。
960 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 21:16:29
ドストエフスキーも須藤と同じで、
以前の思想家や哲学者の口真似だし。
>>960 誰がドストエフスキーがオリジナルだと言ったのですか?
ドストエフスキーは小説家であって思想家でも哲学者でもありません。
また、口真似だとすると、あれだけの饒舌冗長な言葉を使って表現した哲学者
思想家というのは誰の事を指しているのでしょうか?
教えていただけたらうれしいです。
963 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 21:43:14
まず、961はどこが饒舌冗長なのかを教えてくれ。
ドストエフスキーはむしろ、まわりくどく、詩的でもなく、
ただ煽りで名前が残っている作家だと思うんだが。
どの文が凄いのか、少し抜き出してくれ。
>>963 抜き出して書くのは手間なのでネットの中にあったいくつかの文章を載せて見ますね。
米川訳のドストエフスキーです。
こういう文章が例えばカラマーゾフの兄弟の場合新潮文庫なら3巻、光文社古典文庫なら5巻続きます。
『おれは窓に近寄って、こおったガラスにひたいを押し当てた。氷が、まるで
火かなんぞのようにひたいを焼いたのを覚えている。心配するな、長いこと待
たせはしなかった。おれはくるりとふり返ってテーブルに近寄り、ひきだしを
あけて、五分利つき五千ルーブリの無記名証券を取り出した(それはフランス
語の辞書の中にはさんであったのだ)。そして、無言のまま令嬢に見せて後、
たたんで渡した。それから、つぎに、自分で玄関へ出るドアをあけて、ひと足
さがり、深く腰をかがめて、相手の心にしみ渡るようなうやうやしいおじぎを
した。信じてくれ、ほんとうなんだ! 令嬢はぎくりとして、一秒ばかりじっ
とおれを見つめながら、まるでテーブル・クロスのようにあお白い顔をしてい
たが、とつぜんやはりひと口もものを言わないで、静かに深く全身をかがめて
、ちょうどおれの足もとへひたいが地につくほどおじぎをした、――それが突
発的でなくもの柔らかな挙動なんだ。女学生式でなく純ロシア的なんだ! や
がて急におどりあがって飛び出しちゃった。令嬢が飛び出したとき、おれはち
ょうど軍刀を着けていたので、それをすらりと引き抜いて、即座に自殺しよう
とした。なんのためやら自分でもわからない、むろん、恐ろしいばかげたこと
ではあるけれども、きっと歓喜のあまりにちがいない。おまえにわかるかどう
かしらんが、ある種の歓喜のためには、自殺もしかねないことがあるよ。しか
しおれは自殺しなかった。ただ、軍刀に接吻しただけで、またもとのさやへ納
めた、が、こんなことはおまえに話さなくてもよかったんだなぁ』
私はドストエフスキーが凄いとは一言も書いていないので何か勘違いされているのだと思います。
ただ冗長なのはドストエフスキーを読んだ人間なら誰しも感じるところだと思うのですが
もしかするとあなたはお読みになったことがないのではありませんか?
965 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 22:51:24
>>964 それが良い文としても、それよりもレベル低い文のほうが多いよ。
続きます、なんて言って騙さないように。
少々熱くなってしまった自分がふと恥ずかしくなりました。
くだらないことでスレを使ってしまってすみませんでした。
深く反省しております。
おやすみなさい、しばらく自重いたします。
(すぐ熱くなりすぐ反省する自分がちょっとカラマーゾフの長男に似ている気がしました、
なんととらえてよいのやら)
967 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 23:10:31
光文社の新訳は誤訳があったらしいけど、
それっていつ改正されるのですか?
されてから買うつもりです。
968 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 23:14:58
この新訳は活字を読みなれていない最近人には、とっつきやすいかもしれない。
しかし、僕には以前の岩波の重厚で正確な訳のほうが好きである。
真の名作は、そこいらの通俗小説のように簡単に読まれ、捨てられるべきものではないと思う。
あまり話題にならない『二重人格』を読み始めたけど、ぜんぜん頭に入ってこないや
面白いのかな、これ。
岩波文庫ってどうも小説読んでる感じがしない
970 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 23:31:50
そうだな、訳のよしあしを云々するのであれば、
まず、自分自身がロシア語と日本語に人並み以上に通じている必要があるだろうな。
ロシア語も知らず、格調の高い日本語がどういうものかも知らず、
訳の出来について偉そうに注文つけることで文学通を気取っている連中こそ、
最も下らない人間かも知れぬて。
971 :
吾輩は名無しである:2007/10/10(水) 23:37:03
↑こいつは間違いなく光文社オタクの読書初心者
文章を読んでいて魅力を感じるのは新潮版>カラマ
973 :
吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 00:31:57
>>953 ちょっと待てよおまえ!
俺が先日須藤スレここ文学板に立てたのに、なぜそれを須藤スレに書かない!?
974 :
吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 01:04:35
975 :
吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 01:07:28
たしかにそうだね。
新潮>光文 だと思う。
それは光文社の新訳が子供向けにしてるからだけどね。
976 :
吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 01:39:43
俺は学研のやつ読んだけどな
家にあったから
977 :
吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 01:40:58
集英社のも良いぞ。基本的だ
学研のなんてあるんだ。
学研はいい本をけっこう出しているから、あるのなら読んでみたい。
しかし
>>977のように言われると集英社にも興味がわく、
979 :
吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 02:18:58
まぁ、なんだかんだで、
無難なのは新潮
子供向けは光文
地下室の手記、最初意味わからないけど、みんなわかってるの?
意味わからなくて眠くてしょうがない
簡単に言うと、「空想的社会主義批判」。
(空想的)社会主義ってのは、「みんなが平等」を前提にしてる。100人が、
100の財産を分け合う社会。
人間を数字的に見てるんだよね。言い方を変えれば、合理的なもの。
ところが、地下室人に言わせれば、人間は「非合理的」。意味もなく、マイナスな行動
を取る動物。だから、(空想的)社会主義は人間には合いませんよってことね。
続き。
空想的社会主義は、フーリエ、オーウェンと言った学者が有名。
彼らは、ユートピア、ファランジュといった、人間が平等に生きる理想郷を、著書で書いて
いる。
地下室人が批判している、「水晶宮」も、ユートピアと同じ意味。空想的社会主義の
理想郷の1つのモデル。学者が違うので、理想郷の名前も違うだけね。
地下室人からすれば、そんなものは有り得ないってわけだ。
ちなみに、空想的社会主義に対して、科学的社会主義があるけど、これが共産主義。
マルクスの唱えたもの。
ドストエフスキー、そして地下室人の考え方からしたら、科学的社会主義はもっと批判
すべきものだっただろうね。
まあ頑張って読めば、二部は面白くなるよ。
一部は、空想的社会主義批判。独自の視点でね。
二部は、物語。
二部の方が遥かに面白い。一部は退屈に感じる人と、面白いって人で分かれるだろう。
独立して読める構成。繋がりはあるにはあるけど、あってないようなものだな。
彼は最初フーリエの勉強会のようなサークルに所属していて
警察に捕まり、処刑の寸前に恩赦されて
シベリアに流刑になったように覚えている。
いったい何時彼は宗旨がえをしたのだろう。
日本でいえば、転向したようなもの。
コチコチの民族主義者になったらしいけれど、
彼の小説を読んでいると相変わらず社会主義に
未練たっぷりのようにも思える。
社会主義的なるもの、共産主義的なる物についての理解が深い故に
そう思えるだけだろうか。
985 :
吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 11:57:54
社会主義も民族主義も共同体の理想化と言う意味では似たようなもの。
ただ、前者は無神論に依拠し、後者は信仰に依拠している。
シベリア以降のドストはいわば信仰に基づく社会主義を理想としていたのだと思う。
986 :
吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 12:19:35
ドストエフスキーはパクリ哲学だから、
理屈の部分はつまらない。
ストーリー性だけでしょ。この人
逆だと思うけどな。
政治学の20世紀以降の発見の一つである、「人間の非合理性」ってものを、
既に「地下室の手記」で、これでもか、というぐらい書いてるわけで。
実存主義の実質的な開祖とも言われてるけど、個人的には「人間の非合理性」
に対する追求が最も驚異的。
哲学の面では、実に先駆的。パクリどころか、パクられまくった感が強い。
政治哲学のジャンルでは特にね。
>>986 が知っているかは分からないが、ドストエフスキーに最もよく似た考え方をしている
のは、エドマンド・バーク。ドストエフスキーが影響を受けたかは分からない。
ただ、多くの面で、瓜二つと言ってもいいぐらいの思考回路を持っている。
ドストエフスキーの理論は、より多岐に渡っているが。
エドマンド・バークはいわゆる保守主義の開祖。保守思想の最大の巨人。
バークというと「フランス革命についての考察」だよな。
ドストもバークもフランス革命を徹底的に批判したという共通点がある。
思想的なことの場合、意匠よりも妥当性の方が重要なわけだから
先人と連続性を持つのは仕方ないのでは。
言い換えればそれなりの普遍性があるということ。
大審問官物語のうちのある面は、古代ローマについて言われてきた
「パンと見世物」といったことだし。
でもあれを哲学的・神学的な話題と結びつけたり、現代の問題とリンクさせて
いたりするから、やはりドストの主張ならではのすごさがある。
>>989 フランス革命論というと、トクヴィルも有名だけど、
どっちが面白い?
>>992 トクヴィルは「アメリカの民主主義」は偉大だが、フランス革命に関しては、バークでしょう。
先見の明という点でも。多くの混乱や反動を予言した本。
革命勃発のわずか1年後に出版というから、驚くばかり。
フランス革命か。
調度最近フランス語を勉強しているから、この間NHKのパリ特集番組を楽しみにしていた。
見てみたら、地元女子大生が案内役で、
「あたしはパリが大好き!」「あたしはパリを誇りに思っている」といった
気持ち悪いノリ(なぜか他の都市よりパリに関してありがちなノリだけど)に、
革命がどう、自由、平等がどうと青臭い話を聴かされ、途中で見るのやめた。
女子大生ならおしゃれで可愛い子希望。
政治の話を織り込みたいのなら、どういう立場にせよもっと成熟した人を。
たまに実存主義哲学の先駆なんて言われるぐらいなんだから哲学にも影響与えただろ
ドスト、キルケゴール、ヘルダーリンあたりは名前がよくでる
こんな時間から盛り上がるドストスレって凄いなあ
トルストイスレにも分けて欲しいくらいだ
999 :
吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 13:20:35
ドストエフスキーは哲学者としては二流
1000 :
吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 13:21:28
オナニー色が強いよね。ドス
1001 :
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