1 :
吾輩は名無しである :
2007/05/15(火) 20:08:53
2
語学の勉強のためにドイツ語版とフランス語版を入手したらドイツ語訳が無罪になってた。 Oh, er glaubte so gut wie uneingeschrankt an Mitjas Unschuld! (Fischer版 Swetlana Geier訳:2003:ウムラオトは省略した) 信じた ほとんど 無条件に 無罪 Il etait presque convaincu de la culpabilite de Mitia. (folio classique版 Henri Mongault訳:1952:アクサン記号は省略した) ほとんど 確信して 有罪 ( )の中の年号は訳した年。たぶん。
英語訳で「カラマーゾフの兄弟」を読もうと思っている人の参考に Constance Garnett訳(1912):Signet Classics(多くの箇所で修飾語句を省いたり構文を簡潔にしている。印刷汚い。新書サイズ) Constance Garnett訳(1912):Barns&Noble Classics・Wordsworth Classics・Dover Publicationsなど(英語のスタンダード) Andrew R. MacAndrew訳(1970):Bantam Classic(新書サイズ。Signet版の2倍近い厚さ。amazonJPで人気) Richard Peavar & Larissa Volokhnsky訳(1991):Farrar,Straus and Giroux・Vintage Classics・Everymans Libraryなど(91年月間翻訳賞) David McDUFF訳(1993):Penguin Classics(amazonUKで一番人気。amazon.comでも好調) Ignat Avsey訳(1994):Oxford World's Classics(ペーパーバックでは一番新しい訳か?タイムチャート付)
お、サンクス。次回読む時は英訳で読もうと思ってたところだから助かる。
6 :
吾輩は名無しである :2007/05/21(月) 22:00:41
>===ー―-- 、 ///; ;;'´  ̄ ヽ\ r'///`ー ' ヾヽ |// 三ハ PART16がまだ500も行っていないのに 彳|: : : : : : : : : : : : ミミヘ 次スレを立てるとは…しかも、 彡|: : : : : : : : : : : ミミミ∧ 川 , . . . . : : : : _,、 ト、ミミ分.、 「神が存在しないならマルチコピペも許される」 |州 ;=ニ=t::: ‘‘=tf==`, 乂 !ミミミミ と、ばかりやりたい放題…… !ミミ< ● ヌ::}:: `ハ´●`>= 川ミミミ 斗!::::::::::::::イ! :ヾ´ ,〃 ワ ノ こ、これだからロシア正教を信じない ハ:::::::::::::〃 ヽ. \ /i, ∂ノ 無神論者の黄色人種どもは恐ろしい… 乂ト、;;;;;;込_-'_う ' \ ,/分イ 彡公=彳州川ミト、ヽ\,. 彳!乂 ト、 これこそが神を喪った人間が陥る 从彡彡 ==== ミミ爪州州|川从 魂の暗黒の深淵なのだ… 乂仁彡 '川' ミ州州ミ从从川ト、 彡,.ィ彡彡州川ミ公州州 | |人乂ト、 _-=≦三彡'彡州州州川州 | | | !i!V 从∵j ≧- ∵∵∵∵行彡公州州川川 州| | 乂| 从∵=ヽ ∵ ∵∵∵∵∵州〃个州州川 州! |从从`ヾ ∵∵ | ∵ ∵∵∵∵∵j!彳公州州州川 ! !ヾミY`∵∵∵∵| ∵ ∵∵∵∵从川彳川爻州州必入乂Vミ` ∵∵∵| ∵ ∵∵∵∵州从从州从乂心从从乂介从∵∵∵! ∵
7 :
吾輩は名無しである :2007/05/21(月) 22:01:27
>===ー―-- 、 ///; ;;'´  ̄ ヽ\ r'///`ー ' ヾヽ |// 三ハ こ、これは彼らの「永遠の魂の救い」のためにも 彳|: : : : : : : : : : : : ミミヘ 一刻も早くアジアを侵略して、真の人類の救い 彡|: : : : : : : : : : : ミミミ∧ であるロシア正教に改宗させねば!! 川 , . . . . : : : : _,、 ト、ミミ分.、 全世界を統治する単一の教会を出現させるのだ |州 ;=ニ=t::: ‘‘=tf==`, 乂 !ミミミミ !ミミ< ● ヌ::}:: `ハ´●`>= 川ミミミ そして、われら「文明普及者」であるロシア人は、 斗!::::::::::::::イ! :ヾ´ ,〃 ワ ノ アジア人の魂に永遠の救いを贈り物として与えて ハ:::::::::::::〃 ヽ. \ /i, ∂ノ やるのだから、彼らの土地、資源、不凍港を頂く!! 乂ト、;;;;;;込_-'_う ' \ ,/分イ 彡公=彳州川ミト、ヽ\,. 彳!乂 ト、 戦争こそがニヒリズムを打破する唯一の道! 从彡彡 トェェェェェイ ミミ爪州州|川从 戦争万歳!! 乂仁彡 ミ州州ミ从从川ト、 ロシア正教を信ずるロシアの民は無謬ナリ!! 彡,.ィ彡彡州川ミ公州州 | |人乂ト、 ウラーーーーーーーーーーーー!!! _-=≦三彡'彡州州州川州 | | | !i!V 从∵j ≧- ∵∵∵∵行彡公州州川川 州| | 乂| 从∵=ヽ ∵ ∵∵∵∵∵州〃个州州川 州! |从从`ヾ ∵∵ | ∵ ∵∵∵∵∵j!彳公州州州川 ! !ヾミY`∵∵∵∵| ∵ ∵∵∵∵从川彳川爻州州必入乂Vミ` ∵∵∵| ∵ ∵∵∵∵州从从州从乂心从从乂介从∵∵∵! ∵
なんだ コテ叩きしてたのとドスト叩きしてたのは同じやつだったのか
てか、いったいどうするのよこのスレ? これ、ほんとに次スレに使うんなら荒らすの自粛して、保守するのに協力するけどさ。 放置して消滅させる予定なら、勝手に遊ぶよ?(sageで)
10 :
9 :2007/05/22(火) 08:35:55
ほんとは、このスレ、時期が早すぎたということで削除してもらったほうがいいと 思うんだけど。 なに言ってんだと思われるかもしれないけど、ドスト本スレがぐちゃぐちゃに なるのは、自分はイヤだ。
トェェェェェイ
Richard Peavar & Larissa Volokhnsky訳 の電子ブック版ってないのかな? 朗読版はあるんだけど。 できれば気が向いた時にPCで読みたい。
訳は悪いとは思わないけど、亀山某がバフチンを理解しているかどうかはきわめて疑わしい。 初めて読む人は『カラマーゾフの兄弟5』(光文社古典新訳文庫)の解題にポリフォニー云々と書いてあるけど出鱈目なので信用しないように。 亀山は解題(p200)に自分で書いている「第一義的なポリフォニー性の意味」さえ理解していないのではないか? (昔から文庫本の解説ほど当てにならないものはないと世間でいうのは本当のことなんですね...) 亀山が「ポリフォニー精神」とか「ポリフォニーの原理」と呼ぶのは登場人物がそれぞれの思想を持ち互いの視点を相対化してみせるというだけのこと。 そんなものなら、わざわざ「ポリフォニー精神」とか「ポリフォニーの原理」などと大げさに書く必要もない。 解題(p210p217p236p243p245p247p248)などで亀山がポリフォニー(ポリフォニック)と書いていることは単に「多様的」「多元的」「相対的」「相対化」「複数化」などの 言葉を当てはめれば事足りる。ただし、(p309)の「ポリフォニー的読み」は意味不明。(多元的くらいの意味か?) おそらく亀山は「モノローグ的対話」をポリフォニーなのだと思い違いをしているように思われる。 そのために、「このセリフは(省略)登場人物の独立を保証すべきポリフォニーの原理にさからうセリフ、といえるかもしれない」(解題p281)などと頓珍漢なことを書いてしまう。 ここは、まさにバフチンが『ドストエフスキーの詩学』で「ポリフォニー」の際立った例として詳しく考察している場面であるにもかかわらず。 もちろん「ポリフォニー精神」とか「登場人物の独立を保証すべきポリフォニーの原理」というものは存在しない。 それは、バフチンのいう「モノローグ的世界」に過ぎない。話は全くの逆で「精神はポリフォニックである」といわなければならない。 (「ポリフォニーの原理」という言葉はバフチンも使っているが、亀山のいうのとは全く違う意味でである)
想像するに亀山はバフチンを引用しこそすれ、その実ほんの数ページを読んだことがあるだけで、まともに読んだことさえないのだろう。 バフチンをちゃんと読んでいるのなら「ミクロの対話」や「アクセントの移動」「言葉の対話的な分裂」「意識の分裂」を知らないはずはないのだから。 そして、それが「ポリフォニー」の根幹に関わる概念であることも。 おそらく亀山は様々なレベルがあるといいつつ(p200)、ポリフォニーを「多くの声=登場人物たちのそれぞれの思想」と単純に理解しているために間違った解釈をしてしまったのだろう。 (「多くの声=登場人物たちのそれぞれの思想」はポリフォニーのほんの一部にすぎない) だから、せいぜいが「ポリフォニー精神あるいはポリフォニーの原理=複数の視点による相対化」というくらいのことしか言えない。 しかし一方で、亀山は解題(p253)で「登場人物は、真実のいくつもの層をそれぞれの役割に即して語っている。ポリフォニー性とは、真実のさまざまな層同士の対話ということになる」 という記述もしているのだが、ポリフォニーを「多くの声=登場人物たちのそれぞれの思想(真実)」と解釈しているために、やはり本来のポリフォニー概念を捉え損なっている。 解題(p264)の記述も惜しいがここでも的を外してしまっているように見える。
とはいっても、亀山が誤解するのも無理はない記述をバフチンが『ドストエフスキーの詩学』の初めにしていることも事実ではある。 「それぞれに独立して互いに溶け合うことのないあまたの声と意識。それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、 ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである(省略)それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、 何らかの事件というまとまりの中におりこまれてゆくのである」(『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫p015) 亀山は、おそらくこの「互いに溶け合うことのないあまたの声と意識」「複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま」という言葉に引きずられてしまい 「ポリフォニー」の意味を捉え損なったのだろう。これは「あまたの声と意識が」」ある特定の真理に「単一化=モノローグ化」されることは決してないという意味であり、 独立が保証されているのは登場人物なのではなく、あくまでも「あまたの声と意識」の方なのだ。 そしてそれは「あまたの声と意識」が他の「あまたの声と意識」と対話を始めることを何ら妨げるものではない。
ポリフォニーを大雑把に要約してみると... (オレも人に講釈を足れるほどバフチンを理解しているというわけではないが) 多くの登場人物たちが、それぞれの思想をもって論争するのだが、それぞれの思想は首尾一貫した「モノローグ的な声」なのではなく絶えず個人の内部で論争をしている。 思想は常に他の思想への応答としてあるからだ。また論争(他人や自分自身との)での言葉の反復は、同じ言葉のままであるにも関わらず元の話者による言葉の意味に 不可避的に別の意味を付け加えたり欠落させたりせずにはいない。同じ言葉に「新しい我々の理解、我々の評価を引き込んでしまう」(バフチン)からだ。 そして、それが自分自身による言葉の反復であってさえ。このような「アクセントの移動」は「言葉の対話的な分裂」「意味の変化=複数化」「意識の分裂」を引き起こす。 (「イデエ=思想」の「複数化=多声性化」) そして分裂したそれぞれの断片が絡み合い遮り合い交じり合って様々なレベルを飛び超え「あべこべ」になり「ちぐはぐな組み合わせ」になり互いに「無遠慮な接触」をして 結びつき複数の重層的な対話を始める。(カーニバル化) イデエ=思想は、それらの間を通りアクセントを変え様々に変形し意味を変える。イデエ=思想とは、そのような様々に交じり合いアクセントを変え意味を変えた断片の集まりである。 またイデエ=思想は個人の内部にあるのではないし個人を離れてイデエ=思想があるのでもない。 「複数の声と複数の意識の接点において、イデエは生まれ、生きる」「その生息圏は個人の意識ではなく、意識同士の間の対話的な交流の場なのである」(バフチン)。 しかも個人の内部においてもイデエ=思想は分裂し絶えず論争し合っていて果てることがないし、常に「新しい言葉=応答」を待っている。 絶え間なく果てしない未来に開かれた様々な対話の集合=ポリフォニー。そして我々読者もまた、ある一つのあるいは複数の声として、この対話に加わるだろう。 外と内とで論争をしつつ、さらなる「新しい言葉=応答」の到来を待ち受けながら。 こんなかんじ。
ここから『カラマーゾフの兄弟5』(p193)の階層化された図を見ると「ポリフォニー」とはこの図全体を含むものであることがわかるし、 階層を無効化するバフチンのいう「カーニバル化」という概念も、「声の自立性」という言葉の意味も亀山が理解できていないことがわかる。 階層化しているのであれば様々な声が対等ではないことになるのだから。また亀山の解釈がバフチンのいうモノローグ的な解釈だということもわかる。 そもそも問題なのは、亀山が意味もよくわからず、こんなところに「ポリフォニー」という言葉を使ってしまうことなのだ。全く意味が違うのだから。 亀山が理解していないのは「多くの声=登場人物たちのそれぞれの思想」が「単一=モノローグ的」なものなのではなくて、 またそれぞれの思想が「分裂=複数化=多声性化」して自分勝手に他の「分裂=複数化=多声性化」した思想と自立した対話を始めてしまうということなのである。 亀山が『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫)の解説(p579)の最後のほんの数行でも読んでさえいたらこのような誤解はなかっただろう。 最初に、亀山は解題(p200)に自分で書いている「第一義的なポリフォニー性の意味」さえ理解していないのではないか?と書いたが、その答えはもはや明白だろう。 そして「あまたの声と意識」が他の「あまたの声と意識」と対話を始めることを何ら妨げるものではないということの意味も。 結局のところ、亀山がいうポリフォニーとはバフチンとは何の関係もないし、亀山がいうカーニバルとは単に「ドンちゃん騒ぎ」という意味でしかない。 亀山の解釈に「ポリフォニー」という概念は全くの不要だし使うべきではない。ドストエフスキーの読者にとっては百害あって一理なし。 特に今回、初めて『カラマーゾフの兄弟』を読もうと思っている中高生にとって。
蛇足だけど、ジラールの解釈も間違っていると思う。主体や心理が先行しているように読めるから。解題(p233 p314) (この人は「欲望の模倣」の模倣の意味を、主体が「他者の欲望」を主体的に真似ようとすることだと思っているのか?) この人は何でもかんでも、ドストエフスキーが嫌っていた「心理主義的解釈」をする人なんだなと思った。 最初に書いたけど訳は悪くないと思うし(といっても、別にどれでもいいと思うけど)、亀山や江川卓の雑学は、それはそれで面白いし参考になる ところもあるのでポリフォニー云々なんて書かなければよかったのにと思う。もったいない。 (賛否は別にして、亀山がポリフォニー概念の最低限の理解をして、それに対して新たに自分の解釈を提供するというのなら話はわかる) 興味のある人は『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫)の(p534 L1-p539 L1)(p542 L9-p546 L11)と 『カラマーゾフの兄弟5』(光文社古典新訳文庫)p278からの亀山の解題を読み比べてみてほしい。 (誤解のないように言っておくが、バフチンの解釈がすべてだといっているのではないし、くどいようだが、ポリフォニーの解説をちゃんとするか、 全く言及せずに自分の解釈だけを書くというのなら別に文句をつけるつもりはない。また解釈の是非をいっているのでもない) ついでだから書くと、初めて『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)を読もうと思ってる人にはp527の「ドストエフスキーの対話」から読み始 めることを勧める。その方がわかりやすいと思うので。 そして、「バフチンバフチンって、うるせぇーよ!」と思った、そこのあなた!バフチンバフチンって、亀山某が書いてるもんだからつい... でも読まず嫌いは感心しない。読んで損はないと思うので、読まず嫌いの人は意地を張らないで読んだ方がいいと思うよ。 それから嫌いになっても遅くはないでしょう?21世紀になった今でもやはり「卓越したドストエフスキー論」だと思うから。 というか、日本に紹介されてから40年近く経っているんだから、もはや必読の基本文献の一冊だというのは常識だというのは、わざわざ書くまでもないことか...
『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)から少し引用してみる。(下手な講釈を読むよりずっといいと思うので) 「ポリフォニーの本質は、まさに個々の声が自立したものとしてあり、しかもそれらが組み合わされることによってホモフォニー(単声楽)よりも高度な統一性を実現することにある。 個人の意志に関して言えば、まさにポリフォニーにおいてこそいくつかの個人の意志の結合が生じ、単一の意志の枠が本質的に乗り越えられるという現象が起こるのである」(p045) 「ドストエフスキーの主人公たち(省略)のそれぞれの思想は、そもそもの初めから自らをある未完の対話における応答の言葉だと意識している思想である。 (省略)それは他者の思想、他者の意識との間の境界線上に、緊張した生を生きている思想である。それはきわめて事件に満ちた、人間と切り離しがたい思想である」(p065) 「実際ドストエフスキーの本質的な対話性は、けっして彼の主人公たちの外面的な、構成的に表現された対話に尽きるものではない。 ポリフォニー小説は全体がまるごと対話的なのである。小説を構成するすべての要素の間に対話的関係が存在する」(p082) 「ドストエフスキーは(省略)人間の内部にあってけっして完結しない何ものかを示そうとした」(p121) 「生きている限り、人間はいまだ完結しないもの、いまだ最後の言葉を言い終わっていないものとして生きているのである」(p122) 「作者の意識が他者の意識(つまり主人公たちの意識)を客体と化してしまうこともなく、また彼ら抜きで彼らに総括的な定義を下すこともない。 作者の意識は、自分と同列に、すぐ目の前に、自分と対等の権利を持った、そして自分と同じく無限で完結することのない他者の意識を感じているのである。 作者の意識は客体たちの世界をではなく、それぞれの世界を持った他者の意識を反映し、再現する。しかもその本来の完結不能性(そこにこそ他者の意識の本質があるのだ) の相において再現するのである。(省略)可能なのはただそれと対話的につきあうことだけである。他者の意識について考えるとは、すなわちそれらと語り合うことである」(p140)
『ドストエフスキーの詩学』つづき2 「イデエの生きる場所は人間の孤立した個人的意識の中ではない。孤立した意識の中にのみ取り残されると、イデエは退化し、死んでしまう。 イデエが生活し始める、つまりそれがある形をとり、発展し、自らの言語表現を見出し、それを更新し、さらに新たなるイデエを生み出すという 活動を開始するのは、それが別の、他者のイデエたちとの間で本物の対話的関係に入ったときしかない。人間の思想が本当の思想つまり イエデとなるための条件は、それが他者の声に具現化された他者の思想、つまり言葉に表された他者の意識と、生き生きとした接触をすること である。この複数の声と複数の意識の接点において、イデエは生まれ、生きるのである」(p179-180) 「イデエとは間個人的、間主観的なものであり、その生息圏は個人の意識ではなく、意識同士の間の対話的な交流の場なのである。 イデエとは二つもしくはいくつかの意識が対話的に出会う一点で展開される、生々しい出来事である」(p180) 「常軌の逸脱こそカーニバル的世界感覚に特有なカテゴリーであり、それは無遠慮な接触というカテゴリーと有機的に結びついている。(省略) 同じく無遠慮な接触と結びついているのが(省略)カーニバルにおけるちぐはぐな組み合わせである。自由で無遠慮な関係は価値、思想、 現象、事物のすべてに及ぶ。カーニバル外のヒエラルヒー的世界観の中で閉ざされ、孤立し、引き離されていたもののすべてが、カーニバル的接触や結合に突入する」(p249-250) 「世界ではまだ何一つ最終的なことは起こっておらず、世界の、あるいは世界についての最終的な言葉はいまだ語られておらず、 世界は開かれていて自由であり、いっさいは未来に控えており、かつまた永遠に未来に控え続けるだろう」(p333) 「ドストエフスキーの長編ではすべてが、いまだ語られざる、あらかじめ決定されることのない《新しい言葉》を目指すとともに、すべてが固唾を 飲んでその言葉の到来を待ち受けて」いる。(p334)
『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)からの引用3 「自分自身とのみ取り残された人間は、自らの精神生活のもっとも深奥の内面的な領域においてさえ、ものごとに決着をつけるということが できず、他人の意識なしにはにっちもさっちもいかないのだ。人間は自分自身の内側だけでは、けっして完全な充足を見出すことができない のである。」(p356)」 「我々が自分の対話者の言表のほんの一部でも自分の発話によって再現しようとすると、話す主体が交替したというだけで、もはや不可避的に語調は変化してしまわざるを得ない。 つまり、「相手」の言葉が我々の口にのぼると、自分とは無縁な言葉として響き、非常にしばしば嘲笑、誇張、愚弄のイントネーションを伴ってしまうのである」 (p392 ただし、これはレオ・シュッピッツアー『イタリアの話し言葉』からの引用) 「我々の発話の中に導入された他者の言葉は、否応なくその体内に新しい我々の理解、我々の評価を引き込んでしまう。つまり、複声的な言葉になってしまうのである」(p393) 「いくつかの言葉が何度も反復されるのは、話し相手の予想される反応を計算に入れながら、それらの言葉のアクセントを強調しようとするか、 それらの言葉に新しいニュアンスをつけ加えようとするからである」(p417-418 『貧しき人々』のデーヴシキンの言葉の分析)
『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)からの引用4 「このように言葉を、内容的にはまったくもとのまま、ただその調子と最終的な意味合いを変えて、一方の口から他方の口へと移動させるというのは、 ドストエフスキーの基本的な方法の一つである」(p442) 「イワンの言葉と悪魔の応答とを差異づけているのは、内容ではなく、ただその調子、ただそのアクセントだけである。しかしそうしたアクセントの移行は、 イワンの言葉と悪魔の応答の最終的な意味の全体を変化させているのである」(p454) 「他者の声によってアクセントを変えられた主人公自身の言葉が彼の耳にささやかれ、その結果一つの言葉、一つの発話の中で様々な方向性を 持った言葉と声がきわめて独特な形で絡み合い、一つの意識の中で二つの意識が切り結ぶという現象は、その形式、程度、イデオロギー傾向の差はあれ、 ドストエフスキーの作品すべてに固有の現象である」(p456) 「ドストエフスキーの長編の地平で展開されるのは(省略)闘争する声たち、内部で分裂した声たちのポリフォニーなのである」(p522)
『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)からの引用5 「ドストエフスキーの対話において衝突し、論争しているのは、二つの首尾一貫したモノローグ的な声ではなく、二つの分裂した声(少なくとも一つの声は分裂している)なのだ。 一方の声の開かれた応答が、他方の声の隠された応答に答えているのである。 一人の主人公に対して、それぞれがその第一の主人公の内的対話の正反対の応答に結びついているような二人の主人公を対置させること。 これがドストエフスキーにとってもっとも典型的な組み合わせなのである」(p538) 例:イワンの同じ言葉を、スメルジャコフは父の殺害依頼という真理とイワンのアリバイ作りの言葉として解釈し、アリョーシャはイワンの隠された願望(父の死)を知りつつ、 イワンの「いつだって親父を守ってやる」という言葉の方を真理だと解釈する。 「神がないならすべてが許される」という(自分の理性に対して誠実であろうとするが故の)イワンの半信半疑の言葉(イワンとゾシマの対話参照)を スメルジャコフはイワンの自信満々のこの世の真理として受け取る。(p538のバフチン考察参照) 補足説明:現代に置き換えると、死ねば多額の遺産や保険金が入ってくるという理由から自分の父の死を内心では願っているという人間は現実にも大勢いるだろうが、 だからといって実際に殺したり殺害を依頼する人間はずっと少ないだろうし、この二つは同じではない。 イワンの場合も同様で、イワンは父の死を願ってはいるが(自分が関わる)殺人を願っているわけではない。 バフチンの言い方だと「イワンは自分の意志に反して父の殺人が起こるのを願っている」。何ら自分の良心を責めずにすむから。(p543のバフチンの考察参照) (偉そうに書いているけどオレはバフチンが本で書いてることを書いてるだけ)
『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)からの引用6 「いずれの対話にも、公然とした対話の応答と主人公たちの内的対話の応答との交錯、共鳴、あるいは遮り合いがあり、いずれの対話においても、 一定のまとまったイデエ、思想、言葉の総体が、いくつかの融合することのない声たちを介して、それぞれに異なった響きの中に実現されているのである(省略) 作者が目指しているのは、テーマを多くの多種多様な声を介して実現させること、つまりテーマの原理的な、いわば取り消し無効の多声性、声の多様性ということに他ならない。 ドストエフスキーにとって重要なのは、声たちの配置法そのもの、声たちの相互作用そのものなのである」(p558-559) 「構成的に表現された表面的な対話は、内的対話、すなわちミクロの対話と不可分に結びついているだけではなく、ある程度はそれに依存してもいる。 そしてこれら二つの対話はまた、それらを包含する長編全体の大きな対話と不可分に結びついている。ドストエフスキーの長編は、どれもみな例外なく対話的なのである」(p559) 筑摩書房さん、ごめんなさい。 m(_ _)m
訂正: バフチンを引用しこそすれ→バフチンに言及しこそすれ まともに読んだことさえないのだろう。→ろくに読んだこともないのだろう。 訂正と追加: 全く意味が違うのだから。 →全く意味が違うのだから。登場人物の多様性をいいたいのなら、ここは「多様性」とでもしておけばいいだけ。 亀山の解釈は古典的解釈に作者の心理(お遊び)をプラスした古典的解釈の一ヴァリエーションだということがわかる。 「これらの研究者たちは、ドストエフスキーが開示した複数の意識の世界を、単一の世界観のモノローグ的体系の枠に押し込めようとして あるいは二律背反原理に、あるいは弁証法に依拠せざるを得なかったのだ。主人公たちの(そして作者自身の)具体的で全一的な意識の中から、 いくつかの哲学的なテーゼが切り取られ、それらがあるいはダイナミックな弁証法のスタイルに配列され、あるいはまったく解消不能な二律背反として 相互に対置されてきた。互いに溶け合うことのないいくつかの意識の相互作用としてあるものが、単一の意識を充足させるべき複数のイデエ、 思考、仮説同士の相関関係に置き換えられてきたのである」 『ドストエフスキー詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫 p020)
追加: 『カラマーゾフの兄弟3』(光文社古典新訳文庫)の読書ガイド(p539)で亀山は『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫 p249)の 「カーニバル」について触れた部分を引用して次のように書いている。(『ドストエフスキーの詩学』からの引用部分は省略) 「雑多な出自の人間が集合し、どんちゃん騒ぎを繰り広げる。そこには、少し難しくいえば、ありとあらゆる「平準化」のモメントが見出され、 主客の転倒が、自由で無遠慮な人間の出会いが生まれる」 『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫 読者ガイドp538-539) 「世界をつねに流動的なものとして見つめ、人間の意義をどこまでも解放していこうとする精神、そこにドストエフスキー文学の、もっとも大きな力が あると考えてよいのではないか」」(同 p539-540) 亀山は、ここまで書いていながら、やはりポリフォニーを「登場人物の多様性による相対化」と「作者の謙虚さ」という意味でしか理解していないため、 引用している部分の意味を十分理解しているとは言い難い。亀山には、ポリフォニーの「対話性」の概念が全く抜け落ちてしまっている。 また、「ドストエフスキーの詩学」「ドストエフスキーの創作の方法」の意味が理解できていない。(小説の内容に還元してしまっている) さすがに面倒くさくなってきたので、興味のある人は、どちらの言い分が当たっているか、それともどちらも外れなのか、 『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫)を読んで自分で判断してほしい〜の! (何度もいうようだが『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)の亀山の解釈の是非をいっているのではなく、 『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫)の「ポリフォニー」の概念の使用の当否について書いている)
イタ研のほかにこんなにバフチンとドストについて語りまくるヤツがいたのか
初めてこっちのスレに来たけど、 ここまで長いとさすがに読む気なくすよw もうちょっと重要なところを要約してくれないかな? 半分くらい読んだけど、正直よくわからない
バフチンは日本でこそそこまでって感じだが、米英を中心にバフチンサークルが無限増殖 するほどの影響力があるからな。単なる評論家を超えた評価を受けてる。
30 :
吾輩は名無しである :2007/07/23(月) 23:07:18
スタヴローギンは皆の心の中に住んでいるのです
ここが新スレで良いのですか?ではちょうど書きたいことがあったもので・・・ 太宰治「人間失格」より アントニム(対義語)を探すという遊びをやる、主人公と堀木。様々な単語の対義語を お互いに当て合っている場面。 「罪。罪のアントニムは何だろう。これは難しいぞ」(主人公) (中略。ここで法律は罪のアントニム足り得ないと、主人公が珍しく強硬に主張します。 より神的な問題なのだと言うのです) 「・・・・善には悪。罪と悔い、罪と告白、罪と・・・嗚呼、みんなシノニム(同義語)だ。罪の 対義語は何だ」 (中略) 罪と罰。ドストエフスキイ。ちらとそれが頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。 もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものと したら?罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容れざるもの。罪と罰をアントとして 考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、・・・ああ、わかりかけた、いや、まだ ・・・
これはなかなか面白いな 確かに「罪と罰」をドストが対義語として置いたなら 何か異様なものを感じるな
罪の対義語は善行じゃないの?
それは違うんじゃないかな。 何か悪いこと、つまり「悪行」をしたことにより、 何者からか裁きを受けて、その「悪行」が「罪」に変換される。 そしてそれの代償として背負わされるのが「罰」。 「善行」はむしろ「悪行」の対義語であって、「罪」の対義語ではない。 と思うんだけどどうだろう?
じゃあ善行を行うことによって それが人に賞賛されることによって「徳」に変換される よって罪の対義語は「徳」です
それは正しいかもしれない
とはいえ、「罪」と「徳」は本当に「絶対に相通ぜざるもの」だろうか。
難しいな それは世の相対語の半分くらいにも言えそうだ
39 :
38 :2007/07/24(火) 01:34:55
相対語ってなんじゃ・・・対義語だよね。すまん
そう言い出すと「善」と「悪」なんかもな…
自分は「罰」というものの中に善行があるということに、太宰が思い至ったのかと考えま した。「罪と罰」の中には、自分から進んで罰を受けるという思想が書かれていますし。 しかし、罪の対義語は徳であるという鋭い書き込みを読んで、こちらの方が対義語として はしっくりくるな、と思いました。(ドスト氏の罪と罰に関しては、先行してた「犯罪と刑罰」の 影響もあったでしょうし、キリスト教的な「罰」というものの考え方もあって、このようなタイト ルになったのだと思います。一般的には「徳」の方がしっくりきます)
42 :
吾輩は名無しである :2007/07/24(火) 10:14:21
岩波文庫から「罪と罰」のワイド版というのが、 出版されてるみたいだけど、どうなの?
「罪と徳」
44 :
吾輩は名無しである :2007/07/24(火) 16:12:31
白痴を読んでいる者ですが、どうもドストエフスキーも側頭葉てんかんの持ち主で、しかも発作時に恍惚感を得るという 特殊なものだったとウィキで知りました。やっと少しわかりました。一部自伝的なんですね。納得しました。
集英社の21世紀ドストエフスキーがやってくる 3つの対談のうち後者2つだけ何がいいたいのか全く理解できないわ 老害共が
46 :
シベリア公爵 :2007/07/25(水) 04:24:44
加賀氏の影響もあるが、やはり、罪と罰を読む前に死の家の記録を読んでおいた方がよい。
「罪と罰」、江川訳と工藤訳どっちがオススメ?
48 :
吾輩は名無しである :2007/07/25(水) 14:07:44
白痴を読了しました。 感想から言うと、作者の言いたいことは将軍夫人の最後の言葉だけなんだとわかりました。 まあトルストイに比べるとロシアの雪の描写もパリへのあこがれもあまり表現せず、 華麗にできるだけ純然と気持ち良く帝政ロシアを表現している所から、その立場から穏健に理性的に批判しているのだと理解しました。 ロシア文学がロシア革命に影響を与えた事は否定できないわけで、華麗なる表現が深刻なる闇を導いたと言えるのでしょうか。
49 :
吾輩は名無しである :2007/07/25(水) 14:09:29
ナスターシャの純潔に関する曖昧な表現や、ラゴージンの財産や、その他諸々の人々に関する
設定の矛盾など多くの矛盾を感じましたが、
>>44 で理解する事としました。
50 :
吾輩は名無しである :2007/07/25(水) 14:18:40
51 :
吾輩は名無しである :2007/07/25(水) 14:21:19
ま、ドストエフスキーは嵌められて死刑を特赦されてシベリア送りになったそうだから、
小泉が近いんでしょうなw
>>50
52 :
吾輩は名無しである :2007/07/25(水) 14:24:24
53 :
吾輩は名無しである :2007/07/25(水) 14:25:18
54 :
吾輩は名無しである :2007/07/25(水) 14:27:36
みすきは悪霊なんじゃなくて白痴
55 :
吾輩は名無しである :2007/07/25(水) 14:28:35
56 :
○桁▲義 :2007/07/25(水) 19:17:08
ドストエフスキーを読んで、海に行きたくなったことはありませんか。
57 :
○桁▲義 :2007/07/25(水) 19:20:44
「カラマーゾフの兄弟」を片手に、ふたりで、たたずんでいたあの海辺。。。
58 :
吾輩は名無しである :2007/07/25(水) 19:21:35
59 :
○桁▲義 :2007/07/25(水) 19:27:08
>>44 ドストの癲癇が有名すぎて、そのせいですべての側頭葉癲癇患者は
多幸感を味わうことができるという誤解を招いている。
ドスト型の癲癇患者はまれなケース。
現実は偏見が渦巻いていてもっとヘビー。
まともに就職できない。結婚できない。
誰か何とかしてくれ
『罪と罰』を読んで面白かったので、『カラマーゾフの兄弟』も読もうと思っているのですが、新潮社から出版されているものと最近新訳で出版されたもの、どちらが読みやすいでしょうか? みなさんの主観で結構ですので、何か意見をいただけたらなと思います。
新訳の方が良いよ 新潮は、よくも悪くも格調高すぎるような気もしないでもない 新訳はとかく読み進めやすいし、それでいて変に崩れたところも無い 亀山たんは良い仕事してると思うな、個人的に
64 :
○桁▲義 :2007/07/26(木) 19:05:19
ドストエフスキーを読んで、春の予感を感じたことはありませんか 「悪霊」片手に、揺れるワイングラス グラス越しに、あなたの視線感じて心波立つ〜〜 ♪♪ ( *^-^)ρ(^0^* )
65 :
○桁▲義 :2007/07/26(木) 19:21:07
ドストエフスキーを読んで、イルカに乗ってみたいと思ったことはありませ んか 青い海を越えてや〜ってくる〜〜 ♪♪ イルカに乗った少年が〜〜 君に!! 君に!!合うため〜〜や〜ってくる〜〜 ♪♪ 「悪霊」片手にや〜ってくる〜〜 ♪♪
66 :
○桁▲義 :2007/07/26(木) 19:36:06
67 :
吾輩は名無しである :2007/07/26(木) 19:51:00
>>63 あなたね、 >亀山たんは と書いてますが、明らかに「亀山さんは」の間違いですぞ。 新潮が格調高いかどうかを判断する前に、まず日本語を勉強しなさい。
白痴のイッポリート君痛すぎ最高wwwwwww
*゚゚・*:.。..。.:* 亀 山 た ん に 愛 を 込 め て *゚゚・*:.。..。.:*
亀山たんの何が悪いんだよ? 亀山たんの何が悪いんだよ? 亀山たんの何が悪いんだよ? 亀山たんの何が悪いんだよ? 亀山たんは何か可愛いだよ? 亀山たんの何が悪いんだよ? 亀山たんの何が悪いんだよ?
アッー!
亀山たん? ぼこぼこにしてやんよ!
↑ 布袋
>>62 誤訳や訳者の思い込みが多数と指摘されてる新訳は危険でもある
75 :
吾輩は名無しである :2007/07/26(木) 21:36:01
>74 自分で指摘しなさいよ
で、当人からのお返事はいかに?
ここで教えるかバーカ ネットで悪口書かれると凹むらしいからせいぜいかばってやんな。
亀山さんは凄い。新訳のカラマーゾフがAmazonランクで44位まで上りつめた。 まさにジワ売れ。外国の古典文学が44位なんて今まで見たことない現象だ。
81 :
吾輩は名無しである :2007/07/26(木) 22:48:59
>>63 新潮文庫、原たんいいよ。一番読みやすかった。
大胆なところもあるし。
たとえば、場違いな会合の、ドミートリーが飛び出して行ったあと、院長との会食を断るところのフョードルの発言。
原訳:「(略)帰りますとも、帰って、家で腹ふさげをしますさ。ここじゃ忰(せがれ)もおっ立たないような気がするんでね、いとしい親戚のミウーソフさん」
いかにもフョードル言いそう。ほかの訳では、
亀山訳:「(略)帰りますよ、さっさと帰ります。食事は家でします。ここじゃあ、わたしも能なし同然ですからね、最愛の親戚ミウーソフさん、そうでしょう」
池田訳:「(略)帰ろう、帰ろう、帰って家でのんびり食べよう。ここじゃ落ち着いて食べる気にゃなれませんや、ミウーソフさん、あたしの親愛なる親類さん」
米川訳:「(略)帰ります、帰ります。帰って家で食べましょうよ。ここではとてもそんな元気がありません、なあ、うちの大事な親類のミウーソフさん。」
Avsey :“I’m going straight home, I shall eat at home. I find it impossible to eat here, Pyotr Aaleksandrovich, my very dear cousin.”
Garnett: “Home, home, I’ll eat at home, I don’t feel equal to it here, Pyotr Alexandrovitch, my admiable relative. ”
Pevear and Volokhonsky: “Home, home- I’ll eat at home. Here I just don’t feel able, Pyotr Alexandrovich, my dearest relative”
Mongault: Je retourne chez moi; l?-bas je purrai manger, ici je m’en sens incapable, mon bien-aim? parent.
だってさ。ほかの言語でもペニスがどうのとまで訳してる人はいないんじゃない?いいのかって気もしてくるが。
ドストたんは、
Домой, домой, дома поем, а здесь чувствую себя неспособным, Петр Александрович, мой любезнейший родственник.
だって。正直、ロシア語はアルファベットの読み方しかわからん。
неспособнымにはEDも含まれるんだろうか?得意な人頼む。
今だけだろ。他の新訳が出たらアネハなんて買わないさ
本の総合で
光文社のカラマーゾフはこの半年ぐらい売れ行きがいいな
>>83 アネハって何?
姉歯ー悪霊ー
87 :
吾輩は名無しである :2007/07/27(金) 02:50:03
詩的感性もなにもない凡人雑文家
詩的な感性がなかったら あの「死の家」での囚人同士の会話なんて書けない
ドスト氏を凡人という
>>87 の才能に嫉妬。きっと、萩原朔太郎に「私にとって神であり、
聖母」とまで言わせたドスト氏以上に、文学界で活躍してくれることだろう。
ドストエフスキーに最も深く傾倒していた文豪は、ジッドとカミュかな?カミュはドストエフ スキーの弟子だと公言までしてる。挙げればキリがないほどだけど、この2人の傾倒ぶり は特別なものがある。ほとんど信仰に近い。 ドイツと日本において深く受容されてきたドストエフスキーだが、フランスにおいてもなかな かもの。 ドイツといえば、真っ先に挙げるべきはフロイトになるだろうな。フロイト曰く。「ドストエフス キーに関しては、どれだけ賞賛しても賞賛し過ぎるということがない」
>>62 です
まさかこんなに意見をいただけるとは思いませんでした。
みなさんの意見を聞いて余計に迷ってしまったというのが、正直なところです。
しかしどの訳も『最悪』なものはないようなので、この前ブックオフで見かけた新潮社のを買って読んでみようと思います。
文学の世界のアネハには気をつけよう。
93 :
○桁▲義 :2007/07/28(土) 14:48:29
ドストエフスキーを読んで *゚゚・*:.。..。.:* 星を数えたくなったことはありませんか*゚゚・*:.。..。.:* 「悪霊」片手に〜〜数える星も〜〜 ♪♪ 君のいない砂浜は〜〜寂しいぜ〜〜〜〜 歌おう明日へ〜〜君の瞳に〜〜〜 ♪♪
94 :
○桁▲義 :2007/07/28(土) 15:08:35
ドストエフスキーを読むと *゚゚・*:.。..。.:* ポップコーンをほおぼりたくなりませんか *゚゚・*:.。..。.:* 恋人は底抜けの顔で〜〜街角を楽しんだものよ〜〜 ♪♪ アイビールックのふたり連れ〜〜 「悪霊」片手に〜そこらのして歩いた〜〜 ♪♪ ポップコーンほおぼると今も〜たわいなく笑いたくな〜るの〜〜♪♪ 私もあれから色々と〜変わったでしょうね〜〜〜
本人、面白いつもりでやってんのか、これ?
長文失礼。興味のある人だけ読んで下さい。 また訂正と追加 (誤解があるといけないので) とはいっても(省略)バフチンが『ドストエフスキーの詩学』の初めにしていることも事実ではある。 →とはいっても(省略)バフチンが『ドストエフスキーの詩学』の所々でしていることも事実ではある。 登場人物の独立性をバフチンがいっている部分もあることは確かなのだが、それはあくまで作者の意識からの独立性を強調するためである。 部分的にしか読んでいないと誤解をする。(なんで、お前にそれがわかるんだ?という人がいるかもしれないが全部読めばわかるとしかいえない) 亀山は(省略)やはりポリフォニーを「登場人物の多様性による相対化」と... →亀山は(省略)やはりポリフォニーを「登場人物の多様性による視点の相対化」と... 『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫)を読んで自分で判断してほしい〜の! →『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫)を読んで自分で判断してみてほしぃ〜の!
引用 「彼はすべての現象の奥に隠れた両義性あるいは多義性を感受したのである。しかしこのような矛盾や多義性はどれ一つとして弁証法的な関係をなすものではなく、 一つの時間軸にそった生成の過程としての運動に組み込まれるわけでもない。それらは一つの平面上に併置もしくは対置される。そして相互に協調しながら融合しない 関係として、あるいは出口のない対立関係として、また溶け合うことのない声同士のハーモニーとして、あるいはやむことを知らぬ無限の論争として、様々に展開されるのである」 『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫 p061) 「ここに断片的に引用したラスコーリニコフの対話化された内的モノローグは、ミクロの対話の見事なサンプルである。 そこではすべての言葉が二つの声を持ち、一つ一つの言葉の中で、声たちの論争が生じている」 「つまり一つ一つの言葉の内部を対話が貫き、そこで声たちの闘争と格闘が引き起こされている。これこそがミクロの対話なのだ」(同 p153) 注:バフチンの引用部分の「内的モノローグ」は内的独白くらいの意味と思われる。そうしないと語義矛盾をきたすので。 このようにバフチンがまぎらわしい書き方をしていることも事実ではある。(もしかしたら、もっと精緻な読みが可能なのかもしれないが...) 「それらの声は閉じられてはおらず、互いに耳を閉ざしてもいない。それらは絶えず相手に耳を澄まし、呼び交わし、互いを自己の内に反映し合っている (特にミクロの対話において)。そしてこの《互いに対立し合う真実》同士の対話の外側においては、主人公たちのただ一つの重要な行為もなされないし、 ただ一つの本質的な思想も存在しないのである」(同 p154)
追加 その一 『カラマーゾフの兄弟5』(光文社古典新訳文庫 p117)のドストエフスキーの二枚舌云々。亀山の何でも作者の心理に還元して考えるという思考がよく表れている。 二枚舌云々は特にポリフォニーとは関係ないと思われる。単にトルストイのように多元的に書いたとしても二枚舌は可能だろうから。最終的に否定するとしても好意的に 書けばいいだけ。大体、バフチンはそんな風には考えていないのだから、二枚舌云々はただの言いがかりとしか思えない。 「思想の芸術的表現が可能なのは、思想が肯定と否定の彼岸に置かれ、なおかつそれが直接的な意義を欠いた単なる心理的経験におとしめられない場合に限られる」 『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫 p165 トルストイの多元性に関してはp147参照) そのニ 「ポリフォニー的に多数の視線から個々の登場人物を構築していく作家...」『カラマーゾフの兄弟5』(光文社古典新訳文庫 解題 p236) 「ある小説においてある人物の《真実》が提示されると、それは必ずその小説のその他の中心的主人公全員の対話的視野の中に導入される」 『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫 p149) バフチンがいうポリフォニー小説の特徴は、小説に出てくる重要な事柄はすべて主要な登場人物たちの自意識に組み込まれるということであって、亀山のいうような意味ではない。 「多数の視線から個々の登場人物を構築していく作家」は特にポリフォニー的であるというわけではない。少なくともバフチンはそんなことはいっていない。たぶん。 『ドストエフスキーの詩学』(p142-149 特にp148 のトルストイの小説との比較を参照)
その他 バフチンが溶け合うことのない複数の声というのは「単一化=モノローグ化」されないという意味であって、互いに干渉しないという意味ではない。 亀山はバフチンいうところの「大きな対話」だけにしか言及していない。しかも、その不確定性、未完結性、未決定性へのバフチンの言及を全く見逃してしまっている。 ポリフォニーが読者をも含むということに関しては『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫p187 参照) ひょっとすると亀山は『ドストエフスキーの詩学』をそこここ読んでいるのではないかと思える記述もあるが、そうすると亀山は読んでいながら何も理解できなかったことになる。 個人的感想 亀山の文章は聞きかじった概念を弄んでいるだけのようにみえる。正直、こんなのでよく通用しているなと思う。 (本は一冊も読んだことがないのであくまで『カラマーゾフの兄弟』光文社古典新訳文庫の解説を読んだ限りでの話です) ただし、当時のロシア社会の解説や伝記は大変参考になった。 オレの書いたことが正確性を欠くということは十分あり得ることだとしても、亀山がポリフォニーに関して書いていることが当たっているということは万に一つもあり得ない。 それから、「小説を読むのが好きなだけで解説なんて読まないよ」という人は、もちろんバフチンも読む必要はありません。 ついでに書くけど、亀山は解釈には全く関係ないのにウィットゲンシュタインの名さえ上げているが、ポリフォニーがウィットゲンシュタインの 言語ゲーム論との類似性が指摘されている概念だということも知らないのだろう。知ってたらこんなことにはなっていないはずだから。 (同じという意味ではないよ。それにオレの書いたことは現代思想を齧った人間なら誰でも知ってるようなことでしかないです) 念のためにいっておくけどオレは別にバフチンを読み込んでいるわけでもない。ただ数年前に読んだことがあって今回読み返してみただけ。(ほとんど拾い読み) そんな人間の知識にさえ劣るということは何を意味するか? で、一方オレの記述にも不正確なところがあるのは「大目に見ろよ」というお話でした。(笑)
短く言うと亀山のポリフォニーの説明は出鱈目だということ。長いのはその説明で引用はソースです。 長々と失礼しました。これで気がすんだ。 ↑に書いたけど、オレ、バフチン信者じゃないよ。久しぶりに読んで勉強になった。
13乙 カラ兄二部のその後についての妄想本を9月にカメは出すんだが またとんでも本のヨカン。 悪霊についでカラ兄までも!!!!!!!!!!!!!? いろんなイミで論議されそうな。
>>13 氏 乙です。
とても面白かったです。亀山氏はバフチンについては、どうやらバフチンが類型化
して提示したいくつか基本的な概念すら、理解していないようですね。
英米(バフチンサークル多数)に比べて、日本にはまだまだバフチンに真面目に取り組み
人が少ないとされますが、亀山氏ほどの人には、もっと正確な理解をしてほしいものです。
バフチンについてはほとんど何も知らないので亀山を信用してしまう所だった。 しかしバフチンをよく知らない人間がよっぽど多いんだね、 いろいろな新聞でも亀山5巻がおもしろいとか新意見だとか褒められていた。 上述の方、ここはぜひ亀山に「言って聞かせてやってほしい」
104 :
○桁▲義 :2007/07/29(日) 17:12:48
誤訳妄想不勉強、か。
>聞きかじった概念を弄んでいるだけのようにみえる。正直、こんなのでよく通用しているなと思う。 ショスタコスレでも同じ指摘されてたね タコ論ちとまちがってるよーんっと
じゃあ、ちょっと立ち読みしてこようかな よく考えると ゴーゴリとトルストイは買ったのに ドストは一冊も買ってなかった
108 :
○桁▲義 :2007/07/31(火) 18:33:26
おまえ...つまらねぇんだよ
110 :
吾輩は名無しである :2007/08/01(水) 08:19:17
/\___/\ / ⌒ ;⌒ \ / ⌒ 、⌒ ヽ | ,ノ(、_, )、 | | トェェェェェイ | ! | ,r-r- 、| / \ ヽ| | |ノ / /` - `ー'ー'- '´\ 俺、家以外の便所でウンコした時は絶対流さないよ 流したい奴が流せよ
111 :
吾輩は名無しである :2007/08/01(水) 08:47:45
俺はドストエフスキーだ! 俺はドストエフスキーだ! 俺はドストエフスキーだ! 俺はドストエフスキーだ! 俺はドストエフスキーだ!
112 :
吾輩は名無しである :2007/08/01(水) 09:50:45
ロシア人の女の子に「ラスコーリニコフ、 ラスコーリニコフ!」と言ったら「he is hero」と言われた。
113 :
吾輩は名無しである :2007/08/01(水) 10:37:07
外套を羽織ってたからな
ドミートリーってほんと、悲しくなるくらいバカなんだもんな、 読んでて情けなくなったぜ。 ほら、3000ルーブルを借りようとしてあっちこっち行くあたり。 そのたびに「これは必ずうまくいく!」って思い込むじゃん。 金を稼ぐために働いたことがないくせに湯水のごとく金を使ってきて からっけつになってもまだプライドだけ残しててさ。 で、夢みたいなことばかり考えて。 ほんっと読んでて何回「・・・こいつばかだ」とつぶやいたか。
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| ノ(、_,、_)\ ノ //// ゝ.ヘ /ィ
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ヽ ェェュュノ //::::::::// / / /⊂)
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| 民主党のマニフェストは完璧!財源も実行力もある!|
| あのマニフェストがあってこそ参院選の勝利! |
/::::::::::::::::::::::::ヾヽ
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l .!:; ⌒´.し.`⌒ ::|. l .| ・・・えー、小沢さんが入院しました
ゝ.ヘ /ィ _ノ
__,. -‐ヘ <ニ二ニ> /─- __ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_ -‐ ''" / !\  ̄ /!\
【政治】 「小沢氏なぜ出てこない」 田原総一朗ら、怒りや批判…「私では役不足ですが」と民主・菅氏★5
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1185840645/
116 :
○桁▲義 :2007/08/01(水) 17:47:51
109 >おまえ...つまらねぇんだよ すまん! 悪かった。 秘伝だから、もう少し我慢してくれ。 後で「トルストイ言葉の生命」として、トルストイが地獄で焼かれているカザン 寺院の壁画等、楽しい話題を招介するから。 楽しみにしててくれ。
無理
118 :
○桁▲義 :2007/08/01(水) 17:57:09
主に、トルストイの死と老いの感触についてだけどね。。。 ^^
いらん
カエレ
121 :
○桁▲義 :2007/08/01(水) 18:16:16
[生命の樹」と「トルストイの死と老いの感触」どっちが知りたい? ドストの読者だから、当然「生命の樹」についてだよね? ^^ でも、「トルストイの死と老いの感触」も明るく、楽しいよ〜〜 ^^
うせろ
かわいそすぎて吹いたwwwいいよ、色んなのがいたほうが楽しいから 俺はそろそろあぼーんさせてもらうが
124 :
○桁▲義 :2007/08/01(水) 18:27:31
あれ?ドストの掲示板なのに、えらくトルちゃン擁護だね。 ^^ トルストイ=実は一生涯何にも得ていない!! なんてね。。。^^
125 :
吾輩は名無しである :2007/08/01(水) 18:46:52
別に見下すネタがないんだったら見下さなくてもいいよ。
126 :
吾輩は名無しである :2007/08/01(水) 18:51:24
127 :
○桁▲義 :2007/08/01(水) 19:56:34
125 >別に見下すネタがないんだったら見下さなくてもいいよ。 [生命の樹」について書いていて中断されたんで、僕も過剰に反応してしまった。 ドストの読者には、中には屈折した人がいるんです。 ドストの作品を憎みながら読んでいる人なんかもいるんですよ。 自分のコンプレックスの投影なんですけどね。 僕は、トルストイの明るさ,軽さを装った計り知れない心の闇には詳しいですよ^^ トルストイに関しては、いつでもスタンバイOKです! トルストイ,トルストイアンの魅力は、なんてったって「爆発!普通人の百倍」です からね。 ^^ もっとも、現代では、ドストが読まれない以上に、トルストイは読まれないから、か わいそうなんですけどね。 ^^
128 :
吾輩は名無しである :2007/08/01(水) 19:58:52
おまえ、気持ち悪いんだよ オナニーなら人に見えないところで、こっそりやれ
NGワードにしようぜ
ドスト氏も読まれなくなってきた、とはかの若き天才と評判の平野啓一郎氏がかつて 言ったことですが、光文社の訳の売れ行きが非常に好調ですし、また読まれるように なりましたね。もちろん、かつてのようではないでしょうし、そこが悲しいところですが。
>>112 こんど「スタヴローギン!スタヴローギン!」って言ってごらん?
読まれたとしても読み易過ぎてなにものこらないんじゃな
結局既存の読者が大半だと思うんだけどな>光文社。 平易になったからといって新規層を取り込んでいるとも思えない。
134 :
ごまかしなし :2007/08/02(木) 18:38:00
HN ○桁▲義 から ごまかしなしに変更 99 >亀山は解釈には全く関係ないのにウィットゲンシュタインの名さえ上げているが、ポリフォニーがウィットゲンシュタインの 言語ゲーム論との類似性が指摘されている概念だということも知らないのだろう。 20年位前に、既に、柄谷行人がポリフォニズムについて論じていたよ。 ドストエフスキーとトルストイの対比で、トルストイのモノローグ性についてね。 「ただのお話ししましょう」や「他者を欠いたコミニュケーション」等のニセのポ リフォニズムについても的確に指摘していた。
NGワード変更と
136 :
ごまかしなし :2007/08/02(木) 18:51:41
137 :
吾輩は名無しである :2007/08/02(木) 21:38:02
ステパンの疑似コレラはWAROTA
ペルホーチンとホフラコーワ夫人がどういう関係になったかのほうが アリョーシャのその後より気になるんですが。
139 :
ごまかしなし :2007/08/05(日) 18:09:30
豊穣の海は、マヌの書との対比で、裏読みができます。このへんはドストエフスキーと 似てますね。 三島の最高傑作という意見には同意です。
ロシア語原文はこうなっていた! 「カラマーゾフの兄弟」編 С умным человеком и поговорить любопытно と 賢い 人 強調?(ちょっと)話をする おもしろい 研究社の露和辞典によるとロシア語の「поговорить」の基本的な意味は「〜と話す」。 辞書の訳は文脈によって「しばらく話す」「ちょっと話す」「一回話す」「話し合う」「相談する」と変わってる。 「и」の基本的な意味は「and」だけど、ここは「述部の前におき、文頭の語句を強調」する用法の「ほかでもない・〜こそ〜だ」と解釈した。 (日本語訳からそうではないかと判断した。自信なし) 日本語に訳すと「ほかでもない賢い人と話をすることは面白い」「賢い人とこそ話をすることは面白い」で、 これを通常のこなれた日本語に直すと、単に「賢い人と話をするのは面白い」あるいは「賢い人と話をするのは本当に面白い」か? English It's always worth while speaking to a clever man (TR:Garnett) It's always rewarding to talk to a clever man (TR:MacAndrew) It's always interesting to talk with an intelligent man (TR:Pevear&Volokhonsky) It's always interesting to talk to a clever man (TR:McDuff) It's always interesting to talk to an intelligent person (TR:Avsey) 日本語訳 賢い人とはちょっと話すだけでも面白い(亀山訳) 賢い人とはちょっと話してもおもしろい(原訳) 賢い人とはちょっと話をするだけでも面白い(小沼訳) 賢い人とはちょっと話しても面白い(米川訳)
英語訳は全部 always を使って「賢い人と話をすることは(いつも・必ず)面白い・価値がある」と普遍的な意味でとっていて、「ちょっと」のニュアンスはないよう。 (speakには一方的にしゃべるというニュアンスがあるらしいので互いに話すというニュアンスのあるtalkがより適切なのかな?英語が得意とかじゃないので) それに対して日本語訳はどれも「ちょっと」をつけているのが面白い。なんでみんな一緒なんだろう?不思議。それだけうまい訳ということか? でも「話す」って、イワンとスメルジャコフの会話全部を指すのか、それとも馬車での「ちょっと」の会話を指すのかで意味の取り方が違ってくる。 あるいは、仄めかすだけで話が通じる賢い人という意味での「ちょっと」か?こっちが正解? それに「とは」をつけることでロシア語の「и」の強調のニュアンスを表現しているのかもしれない。 ロシア語は独学でちょっと齧った程度なので訳の優劣や正否の判定をする能力はない。文法的にも間違いがある可能性大いにあり。 眉に唾をつけて読んでくれ。色々な訳を比べると面白いなと思ったので書いてみた。
三島の最高傑作はやはり『金閣寺』でしょうね。
144 :
吾輩は名無しである :2007/08/06(月) 16:12:55
禁色である。
148 :
ごまかしなし :2007/08/07(火) 18:08:47
140 イタリア研究会さん >豊穣の海は、マヌの書との対比で、裏読みができます。このへんはドストエフスキーと 似てますね。 「豊穣の海」のバックボーンには、唯識,マヌの法典,陽明学等が絡み合うかたちで 展開しています。 三島も、ライフワーク,最後の長編大作として深い世界に踏み込んだんですね。 ある時期まで、作者である三島と”語り手”(認識者)本多は切り離して考えずら い部分もあると思います。 「豊穣の海」を唯識,マヌの法典等との関連で本格的に論じた文献は、さすがにま だ少ないです。 「カラマーゾフの兄弟」にある挿話、非ユークリット幾何とユークリット幾何の話 等が似た内容かもしれませんね。
豊穣の海に関しては、明らかにシンボルを駆使した裏読みが可能であるにも関わらず、 未だ、この点に関して論じつくした文献がない(または知られてない)というのは知って いました。 「謎解き罪と罰」のような本が出れば、かなり面白いのですけどね。誰が誰に転生した かという、輪廻転生の部分での推理が面白いです。確か、どこかで転生が途切れている はずです。物語中でははっきりと示されませんが、シンボルの分析によって、それが明ら かになるつくりだったと思います。 日本でここまでドストエフスキー的なシンボルを駆使した作品があること自体、かなりの 驚きです。ただ、表面的な物語の面白さが、後半落ちてしまうので、「金閣寺」ほどの人気 がないのが残念な点です。裏読みしてこそ面白いという部分があるので。
>134 亀山がウィットゲンシュタイン名を上げてるからああ書いたんだけど、読んでて思ったのはむしろデリダの散種に近いんじゃないかと。 声と文字で違うし、デリダは文字の外在性がポイントだから違うんだけど考え方は近い。 元々単一のものと想定されていたものが不可避的に複数に分裂してしまう(差異化する)という発想は同じ。それが無限に続く。 声の現前性の形而上学というけれど、その声には実は亀裂が走っていて、その論を展開したのがバフチンのポリフォニーだと解釈できる。 もしかしたら誰かがそういっていたのを読んだのを忘れてるだけかもしれない。(笑) で、デリダといえば東浩紀なので読み返したら、 東浩紀の解説によるとデリダの声の考察のレベルは3つに分けられるらしいので、それとの対比もしなければいけないけど。 『存在論的、郵便的』(新潮社 p156-164参照) 東によると文字だけでなく声も外在的であるというのがデリダの考えらしい。 それから『郵便的不安たち#』(朝日文庫)の中の漱石の写生文について書かれた「写生文的認識と恋愛」にポリフォニーの明快な説明があった。 これを読む方がずっとわかりやすい。ポリフォニーに興味のある人にお勧め。「ソルジェニーツィン試論」にもカラマーゾフの兄弟の考察がある。 「散種の効果は、ひとつの同じエクリチュールが複数の異なったコンテクストのあいだを移動することにより、つねに事後的に見出される」 『存在論的、郵便的』(新潮社 p23) 「同じものの反復が反復されるものの差異を生み出す」(同 p36) 「バフチンは内言の特権性を認めなかった。ひとは内面でものを考えているときもつねに記号に依拠せざるをえず、 それらの記号にはつねに複数の声(解釈)が響いているはずだからである」『郵便的不安たち#』東浩紀(朝日文庫 p153) (記号というのは、ここでは言葉の意。あるいは言葉の記号性・文字性・物質性) 「複数の多様な発話があるからポリフォニーなのではない。ひとつの発話がすでに「ポリフォニー」なのだ。 そしてそのポリフォニー性(無意識)は定義上他者(解釈者)の応答を必要とする」(同 p155) 注:「声の現前性の形而上学」の意味は『存在論的、郵便的』東浩紀(新潮社 p156参照)
151 :
吾輩は名無しである :2007/08/08(水) 11:28:23
正直一行レスする奴は 何も考えていない。
亀山センセーは何故あれほどカラマーゾフの続編が好きなんだ? 俺なんか全く興味がわかないんだが
154 :
吾輩は名無しである :2007/08/08(水) 17:48:25
155 :
ごまかしなし :2007/08/08(水) 18:38:07
149 イタリア研究会さん >ただ、表面的な物語の面白さが、後半落ちてしまうので、「金閣寺」ほどの人気 がないのが残念な点です。裏読みしてこそ面白いという部分があるので。 「豊穣の海」は、後半がドラマ性を喪失しているのはよく指摘されます。 また「暁の寺」(3巻)の前半に、唯識の解説がそのまま書かれているのが、物語 性を著しく喪失させている要因ともされています。 しかし、三島は「暁の寺」執筆時に奇妙なことを述べています。 「「「暁の寺」の完成により、それまで浮遊していた二種の現実は確定せされ、一 つの作品世界が完結し閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬 間に紙屑になったのである。私は本当のところ、それを紙屑にしたくなかった。そ れは私にとっての貴重な現実であった筈だ」 「私はこの三巻の終結部が嵐のように襲って来た時、ほとんど信じることができな かった。それが完結することがないかもしれない、という現実のほうへ、私は賭け ていたからである〜〜」 (「小説とは何か」より) 三島の、この謎めいた言動も有名です。
156 :
ごまかしなし :2007/08/08(水) 19:45:33
「豊穣の海」終わりの日付けが、三島の切腹自決日であること。 「天人五衰」の未確定ながらハピーエンドになる筈だった結末が、途中で変更され たというのも有名ですね。
>未確定ながらハピーエンドになる筈だった結末 ありえない
158 :
吾輩は名無しである :2007/08/08(水) 20:53:54
Mit einem klugen Mann zu sprechen ist immer interessant (俺訳). ドイツ語にしてみた。英訳がItを使ってちょっと長いのでEsは使わなかった。 ところで「カラマーゾフ」原文で読んだ(読める)奴、日本に何人いるのかねえ。 俺は挫折した。ロシア語は、単語の音がなじみがなくて、全く覚えられん。
>153 金になる木だから
学長レースで
金が入ってブクブク肥えました
亀山訳の光文社のカラマーゾフが、1年足らずで26万部突破 どんだけ〜
俺なんて3巻初版で誤訳つかまされ 5巻で間違いつかまされトホホ
印税で増毛します
新潮の方もけっこう売れてるんじゃね?新潮の訳の方が読み難いが 評価は高い感じでしょ?
新潮の方がアカデミックだな
新潮の罪罰から入ったもんで、新潮のが好きだな。
初読で一番読み込んだ訳が一番なんだよね 評判悪くてもさ
170 :
吾輩は名無しである :2007/08/10(金) 12:43:07
5巻って訂正されんの? どこ間違ってるかわからないんだが。
171 :
吾輩は名無しである :2007/08/10(金) 12:46:25
途中数ヶ所、文が抜けている
172 :
吾輩は名無しである :2007/08/10(金) 12:48:21
超訳だから解釈難しいとこは逃げで飛ばしてるんじゃね?
173 :
吾輩は名無しである :2007/08/10(金) 12:51:59
>>163 >3巻初版で誤訳つかまされ5巻で間違いつかまされトホホ
そしたらとりあえずもう1冊ずつ訂正版買う奴いるだろ?
会社も訳者も儲かるじゃんか
174 :
吾輩は名無しである :2007/08/10(金) 14:21:31
3巻初版で誤訳ってどこ? 気がつかなかったけど・・・
176 :
吾輩は名無しである :2007/08/10(金) 16:08:54
意味が逆になってるとこじゃね?
177 :
吾輩は名無しである :2007/08/10(金) 16:17:04
178 :
吾輩は名無しである :2007/08/10(金) 16:23:20
何せカラマーゾフはシリーズ中トップの売上ですから、 毎回増刷毎に、小出しで訂正かける方針です
罪と罰の方が売れてるもんだと勝手に思っていた
>>177 このブログを書いている人ってすごいですね!
世の中は広いですねぇ、こういう読者もいるということを踏まえたうえで
出版物というのは出されなければいけないんですねぇ。
感動ものでした。
地下室の手記の文体を真似ているのかと思った
182 :
ごまかしなし :2007/08/10(金) 18:18:53
160 >学長レースで ^^
取り替えてくれませんか?初版と重版を。つかまされた
3巻誤訳 5巻バフチンの誤解 抜け落ち こんなカラマーゾフはいやだ
昭和49年(1974年)刊の筑摩世界文学大系39の『ドストエフスキーU・カラマーゾフ兄弟』上巻の末に新谷敬三郎訳のバフチンの 『ドストエフスキー論 創作方法の諸問題』(冬樹社)=『ドストエフスキーの詩学』からの「ドストエフスキーの対話」の抜粋が収録されている。 収録されているのは主にアクセントの移動とミクロの対話について書かれた部分。下記の引用は訳者(小沼文彦)付記。 ここからみても亀山のバフチン理解が当時よりも後退していることがわかる。 バフチンの「ドストエフスキー論の発想は」(省略)「主人公たちのたがいに対立矛盾する声の対話を核として成立しているドストエフスキーの 創作方法を明らかにしようとした点にある」(省略)「そこでは表現(言葉)は作者直接のモノローグではなくて、人物たちそれぞれの声を持ち、 それが対話しあっている。そればかりでなく、一人の主人公の内部で他の人物たちの声がたがいに言い争っている。ドストエフスキーは、 自分がつくり出した人物たちのそれらの声に耳を傾け、それを言葉に再現し、近代小説の方法を革新した作家である。 これがバフチンの基本の見解である」『世界文学大系39 ドストエフスキーU』(筑摩書房 p420)
>>168 新潮の評判が悪いとはK山が言いふらしてるだけ。
大体、評判が悪かったらとっくに廃版になってるだろうが。
>>185 同意。これからさき、バフチン理解を妨げる問題として
コピペ推奨します。
>>185 「大きな対話」、「ミクロの対話」ともに、おさえてますね。今回の解説は全部を読んでない
ので分かりませんが、亀山氏に誤解があったのなら残念です。
ドスト作品で妄想広げるのはいいけど、 妄想にあわせて作品を歪めちゃだめじゃん。 一般人ならともかく、学者なのに。
禿同 カラマのどうなのかわかんないねー
白痴のナスターシャ処女説も亀山氏だっけ? こうなってくるとオタクのエロ妄想と大差なく見えてくるw
いやドストはそんなんばっかでしょ 妄想と紙一重の世界
ドストなんて頭のおかしい人間しか読まないよ。 熱烈なドスト信者の俺が言うんだから間違いない。
亀山ってエロだな
それが誤訳に繋がるのではないか。作品ゆがめるのは勘弁して欲しい
ドストエフスキーほどテキストの解釈があらゆる方向から行われた作家って他に いる?ある意味、20世紀の評論家たちのテキスト論志向の寵児だよな バフチンが世に広まってからは、バフチン理論にみな収束してまとまったいったが
で、そのバフチンが今回違う意味で一人歩きしてしまった、と。
199 :
ごまかしなし :2007/08/12(日) 17:42:26
ロシアでは、無神論自体がキリスト教化されているとはよく聞きます。 そこで、江川さんの「スメルジャコフ=白いキリスト=去勢派説」についてもっと 詳しく知りたいと思いました。 「カラマーゾフの兄弟」中で、イワンとスメルジャコフの三度目の面談の際に、ス メルジャコフの机の上に「イサク,シーリン神父の言葉」との本が置かれていて、 イワンが、さりげなく本の題名に眼を通す、という場面があります。 このイサク,シーリン神父とは、どういう人なのでしょうか? また、トルストイと去勢派,分離派の関係にも関心があります。 トルストイは、カナダへの亡命を助けた牛乳派以外にも、去勢派とも関係があった のでしょうか? トルストイの作品には、やたら”深い森の中をさ迷い歩く老人”が登場してくるん です。 ^^
>>189 ショスタコ、交響曲第4の原典版はキーロフ暗殺の実写というdでも説を唱え
たK氏の輝かしい歴史から比べれば悪霊なんてwwwwwwwwwwwwwwwwww
ロシア音楽では相手にされなかったから本業で発揮できてよかったねw
202 :
スメルジャコフ :2007/08/14(火) 18:22:15
スメルジャコフの名前を読んだだけで危なそうな気がするから みんなクリックしないだろうと思われ。
>>186 評判が悪かったら廃盤になるってのは説得力ないな
あれとかあれとかあれとかたくさんあるわけだし
亀山氏の誤訳を指摘した人ってナイーブだな 帯の文句なんてどうでもいいじゃん
絶版でしょうね
204のようなバカにはゆとり新訳がぴったりかもなw
と、ゆとりが申しております
米川訳なんて誤字、誤訳で有名だったけどな それでもみな有り難がって読んでいたわけよ 今の人たちはクオリティーを求めすぎる傾向がある
>>210 時代が経過して、研究が進み、いろんな人の訳がでてくると
読者の目も厳しくなっていくんだよ。
それを承知の上で新訳を出さないと。
がいしゅつの訳を出版するのだからそれくらいやらないとな 出来ないなら出版する意味無し
沼野氏も旧訳では言語のカーニバルのような異様さが伝わるが あまりに滑らかなリズムの新訳からは伝わってこないと 毎日の書評でも申してたぞ
「地下室の手記」のことかー
>>214 カラマーゾフの兄弟のことだよ。
故人となり、反論出来ない恩師を
新訳ブームにかまけ批判する人間性が好かん。
既出訳が読みにくい評判悪いとあらゆるところで言いふらすなら
恩師ご存命の時にいうべきだったな。
カメ山って米川の弟子だったの?
>>214 安岡の地下室も酷いよなあ
江川訳があるのに、わざわざあんな薄っぺらい訳を
出版する意義がみえてこない
全く あんな文体にするなら ゴーゴリを落語調にしたみたいに、なんか冒険すればよかったのに さらに爽やかにするとか
>>218 女の訳者だけに、いっそのこと主人公を女にするとかなw
そのくらいはっちゃけてくれたら、ある意味尊敬したかもw
220 :
吾輩は名無しである :2007/08/15(水) 19:11:53
●(♂) + ▽(♀) で思い浮かぶのは?
221 :
吾輩は名無しである :2007/08/15(水) 19:25:33
220 >●(♂) + ▽(♀) で思い浮かぶのは? スメルジャコフとマリアかい? でも、スメルジャコフとマリアなら、 顔形は、▽(♂)=スメルジャコフ,●(♀)=マリアだからな〜〜 いったい誰だろう?
>>218 カメ氏は自分が翻訳するより彼女は才能がありすばらしい訳者だと絶賛してましたがw
ハコがオシャレだと言っちゃったり、ちょっとトチ狂ってる
普通の読解力があり普通に読めば(人によって解釈のレベルの高い低いは当然あるだろうが) バフチンを亀山のように「誤解」することなどあり得ない。ここから三つのことがいえる。 1:ドストエフスキー研究の理論水準の驚くべき低下。草稿段階で誰も亀山の誤りに気付かなかったということは、亀山の周囲では 誰一人としてバフチンを読んでいないことを意味する。バフチンをどう評価するかはともかくロシア文学が専門だったら必読書だろう。 2:ろくに読んでもいない本の解説を自慢げに書いてしまうという恐るべき倫理観の欠如。そして、それで通ると思っている鈍感さ。 こんなことは理系では考えられない。こんなことしたら一発でアウト。その人の学者生命は終わる。それくらいひどい。 3:あんな粗雑でレベルの低い解説をいくら文庫本の解説とはいえ「傑出したすばらしいガイド=指針」などと宣伝する出版社の良識と能力の欠如。 亀山の詐術的で虚仮威しでしかない記述に気が付かないということは基本的な読解力がないか、そうでないなら原稿をチェックをしていないかのどちらか。 まさか21世紀にもなって、あんなデタラメな解説付きの『カラマーゾフの兄弟』の翻訳が出るとは夢にも思わなかった。魂消たね。
1、2は同意せざるを得ないが、3に関してはちょっと意見が違うな ドストエフスキーを広めてくれただけでも、光文社には感謝したいからね 亀山氏の問題を光文社のせいにするのはちょっと酷 いくらなんでもミスが あるとは思わないでしょう
「新発見」(だかなんだか知らないが)を見つけて有頂天になってしまい、うれしくてうれしくて堪らないのか、頭の中が それだけでいっぱいになって他のことには目が届かなくなり、つい短絡した結論を出してしまうというのが亀山の解釈の特徴か? 亀山の強引で粗雑な解釈の多くは、亀山のこの単細胞的性格からきているものと思われる。 例: イワンを単純にコントラに分類していること。イワンがびっこを引いていることが『ファウスト』のメフィストフェレスの隠喩だと知って余程うれしかったのだろう。 何度もうれしそうに書いているから。しかし、これはイワンが悪魔であることの隠喩というより、イワンが悪魔に憑かれていることの隠喩ではないのか? イワンがプロとコントラとに引き裂かれている人間だということは、イワンとゾシマの会話をちょっと読むだけでもわかる。 「あなたは、魂の不死も自分の主張のどちらも信じておられない。問題は解決されておらず、そこに、あなたの大きな悲しみがあるのです」 「私の問題は肯定の方向で解決されるでしょうか?」 「肯定の方向で解決されないなら、否定的な方向にも解決されないでしょう。そういう、あなたの心の本質は自分でもよくおわかりのはずです。 そして、そこに、あなたの大きな苦しみがあるのです。そのような高き心を持ったことを神に感謝なさい」。 イワンが単にコントラでしかないのなら、イワンの苦悩など存在しないだろう。また、イワンが自分の発した言葉の意味を執拗にアリョーシャやスメルジャコフに問い質す こともないに違いない。それに、イワンが悪魔なら、イワンが、その悪魔と口論することなどあり得ないだろう。そもそも、『カラマーゾフの兄弟』というのは多かれ少なかれ プロとコントラとの間で揺れ動く人間の物語ではなかったか?(というかこれ、常識レベルの話じゃないの?) 『カラマーゾフの兄弟』で、はっきりとプロとコントラとに分けられるのはキリストと悪魔くらいのものだろう。アリョーシャや大審問官でさえ躊躇している。 注:イワンとゾシマの会話は簡略化した。
亀山は専門家なので当然細かい知識はあるのだろうが、その細かい知識に引きずられて、全体から見ると常識レベル以下の解釈になっているように思う。 逆に言えば、そうでもして無理な解釈を打ち出して耳目を驚かさないと名前が売れないということなんだろう。 ちょうど背伸びをした発言をしてアリョーシャの苦笑を誘うコーリャ・クラソートキンみたいに。 >225 そうかな?原稿チェック段階で粗雑なことに気が付かないというのは致命的なような気がする。 そういうところに出版社の実力が表れると思うんだけど?違うかな? 出版事情に詳しくないのでよくわからんけど。そんなもんなの?
>>226 バフチンも同じこと言ってるよな。と考えると、ますます亀山氏の、バフチン読み込みの
甘さを感じてしまうわけだがw
>>225 岩波も新潮も、粗雑な訳はたくさん通してるだろ。出版に関しては、少しばかり知ってる
が、英字出版なんて本当に酷いもんだ。間違いだらけの本もよく見かける。
ロシア語となると、チェック機能が甘くなるのは仕方ないと思うわけだ。やはり訳者を
信頼するしかないんだろう。
>>227 ある意味で理系と違い、文学研究は根拠の無い妄想も通じるので
論文引用までも、それで通るという認識の甘さが伺える。
そうして、「『悪霊』神になりたかった男」と同様に
そう「読める」よと、超訳やら意図的誤訳を用いるのだ。
代表作「磔のロシア」でも音楽評論家やファンが彼の「超持論」に腰を抜かしたものだったが
ここまでの発行部数が無いため静かに見守られたようだ。
往年のロシア文学ファンとしては、発表されていないカラマーゾフの今後については、
個人で考える楽しみを残しておいて欲しいし、それらを奪う出版物を発行するより
(「『カラマーゾフの兄弟』続篇を空想する」発行予定)
本編をきちんとやって欲しかったと切に思う。
予想として、翻訳が難航し発売日が延びに延びチェックする時間がなくなり
一刻も早く出版という焦りがあったのだろうが。
これだけ支持されたドストエフスキーの作品は過去になかったのだしこの功績は大きい。
だからこそ多くの目に触れることを考え、もっと責任を持って欲しいのだ。
213 :吾輩は名無しである:2007/08/15(水) 11:30:02 沼野氏も旧訳では言語のカーニバルのような異様さが伝わるが あまりに滑らかなリズムの新訳からは伝わってこないと 毎日の書評でも申してたぞ ↑これバフチン解説批判隠喩だったらおもしろいな
231 :
吾輩は名無しである :2007/08/16(木) 19:09:13
●(♂) + ▽(♀)の正解 沼野。。。。 (≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!
232 :
スメルジャコフ :2007/08/16(木) 19:23:44
江川氏の「謎解きカラマーゾフの兄弟」には、 「アレクセイ・カラマーゾフ万歳!」 「ドミートリィ・カラマーゾフ万歳!」 「イワン・カラマーゾフ万歳!」 があるのに、どうして、俺の万歳!だけがないんだ。 ( ̄人 ̄)そうだ、ワシのもだ フョードル 誰か「スメルジャコフ・カラマーゾフ万歳!」を書け! ( ̄人 ̄)そうだ、ワシのもだ フョードル
スメルジャコフは なんたら・フョードロヴィチ・スメルジャコフじゃなかったっけ?
234 :
マリア :2007/08/17(金) 19:04:16
♪♪ ちゅうちゅうタコかいな ♪♪ 〜( ̄ー ̄(^^ )ピトッ
♪♪ ジャコおいで〜〜、おいでジャコ〜〜 ♪♪
♪♪ 愛しのジャコや、そら、おいで〜〜 ♪♪ LOVE★⌒ヾ( ̄〓 ̄ヾ)
ちゅ〜( ̄3 ̄)ちゅ〜( ̄3 ̄)ちゅ〜( ̄3 ̄)
♪♪ ふたりになったら、泊めてあげる〜〜 ♪♪
ちゅ〜( ̄3 ̄)ちゅ〜( ̄3 ̄)ちゅ〜( ̄3 ̄)
↓
http://yaplog.jp/yanakana/daily/200704/06/
235 :
吾輩は名無しである :2007/08/17(金) 19:21:37
キンモー☆
ドストエフスキーの本で、これだけは読んどけ!てゆうお勧めとかありますか? 今まで「白痴」、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」の3つ読んで全部面白かったけど、 なかでも罪と罰はずば抜けた面白さでした 他にもこれは面白い!っていうのあれば教えてくれるとうれしいです
悪霊は?
238 :
吾輩は名無しである :2007/08/18(土) 01:09:58
悪霊最高! 私は悪霊好きすぎて、語り手の「ステパン氏の一代記」でも少し読み始めようものなら、徹夜して全部読んじゃうyo!
「カラマーゾフ」 3カ月前に光文社の新訳を買ったが、読まずに本棚で横になっている。 フョードル、許しておくれ。
悪霊ですか wikiみたら代表作の一つのこと。これはよむっきゃないっすね! 早速図書館で予約してきまー
悪霊は本当にお薦めなのですが、2つの代表的な訳に違いがあるので、書いておきます。 新潮文庫(江川訳)→ステパン氏のフランス語がカタカナ語書きされてるのが良い。 より現代的。ただし、誤字が多少目立つのが難点。 岩波文庫(米川訳)→ステパン氏のフランス語が、フランス語で書かれ、その後にかっこ 書きで訳されるという形式。少し古い。誤字は少なく、格調高い。 こんな感じです。どちらかといえば、江川訳の方が、このスレでよく使われるステパン氏の 面白い話し方とかが読めるので、お薦めです。(「ワダイヲカエマショウ」 など)
ヤツハ イツモ ワラウ
カタカナは読みにくくてしょうがない。 魔の山読んだときは、何ページにも渡ってカタカナオンリーの箇所があり、辟易した。
244 :
吾輩は名無しである :2007/08/19(日) 16:40:43
245 :
吾輩は名無しである :2007/08/19(日) 16:43:55
246 :
吾輩は名無しである :2007/08/19(日) 16:58:57
247 :
吾輩は名無しである :2007/08/19(日) 18:15:16
248 :
吾輩は名無しである :2007/08/21(火) 19:26:01
キリーロフの話し方が文法的におかしいけど、 何故そんな設定にしたのかな?
ずっと一人でいると人との話方を忘れてしまうからでしょう
スタブローギンの創造物だから。従って彼も文法がおかしい。 祖国と民衆から切り離されているから。
252 :
吾輩は名無しである :2007/08/22(水) 19:03:34
「カラマーゾフの兄弟」上下巻を一気に読んだときは感動したよ そのあと本屋行ったら「カラマーゾフの兄弟」中ってのがあってまたびっくり
疑問に感じなかったのかw?
それ全然違う板でも見たぞ コピペか
94 名前: 名無しさん@八周年 投稿日: 2007/08/22(水) 19:35:26 ID:w+uDIHS7O 確かこれの解説のポリフォニーの概念がバフチンから引用してるくせに バフチンのいうポリフォニーを理解してないとしか思えない使用法をしてるんだよね そんなのが売れてるってのはちょっと怖いなぁ 後書きの解説は読んでもバフチンなんか読まないだろうし
罪と罰読み終わったので、次はカラマーゾフを読もうと思うのですが、 話題の新訳か原卓也訳で迷ってます。どっちがオヌヌメ?
誤訳抜け落ちバフチンの誤解ぼったくりなぜか上質な箱でよかったら新訳をどうぞ。
ttp://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070822/bnk070822001.htm 新訳「カラマーゾフの兄弟」 異例のベストセラー
ロシアの文豪、ドストエフスキーの名著「カラマーゾフの兄弟」の新訳本が
26万部を突破し、古典文学としては異例のベストセラーとなっている。
最終巻が出版された7月にはインターネットの文芸本ランキングで4週間連続のベスト10入り。
旧訳本も相乗効果で売り上げを伸ばす。
ミステリーとしてのおもしろさはもちろん、男女の愛憎や幼児虐待、テロリズムなど
現代にも通じるテーマが、混とんとした時代を生きる現代人の心をとらえているようだ。
26万部突破
「カラマーゾフの兄弟」は、1880年に出版されたドストエフスキー最後の長編小説。
新訳は東京外国語大学教授の亀山郁夫氏が担当し、光文社古典新訳文庫から昨年9月、第1巻が出版された。
新訳は全5巻。同社によると、これまでに計26万5000部を達成。
同社翻訳出版編集部の川端博さんは「古典文学としては異例の売り上げ。
増刷も決まり、30万部は固い」と期待を寄せる。
最終巻が出版された7月中旬以降、インターネット通販「アマゾン」の文芸本ランキングで
4週連続のベスト10入りを果たす人気ぶり。アマゾン広報も「古典文学のランク入りは珍しい」と話す。
>>260 東大教授も推薦
世界文学の傑作のひとつと評される同著。
日本でも、これまでに数多くの翻訳が出されているが、現在、市販されているのは、光文社の新訳のほかに、
岩波文庫(米川正夫氏訳)と新潮文庫(原卓也氏訳)がある。
新潮社営業部の河井嘉史さんは「光文社の新訳が出版される前から、ブームの兆しはあった」と話す。
新潮社は、東京大学教授が新入生に読ませたい小説ナンバーワンに
同著が選ばれているという東大出版会の月刊誌「UP」のアンケートに着目。
芥川賞作家の金原ひとみさんが「上巻を読むのに4カ月。中、下巻はほぼ3日で読み終えた」と
紹介した新聞書評にも目をつけ、昨年6月、文庫本の帯を作成したところ、
これまでに、上、中、下巻合わせて約13万1000部と、爆発的に売り上げを伸ばしたという。
河井さんは「帯と新訳本の相乗効果かもしれない」と話す。
>>261 なぜ今なのか
なぜ今、「カラマーゾフの兄弟」なのか。
光文社の川端さんは「亀山氏の新訳がリズムと勢いがあって読みやすく、
若いころに読んで挫折した団塊の世代が読み直しているとともに、
巧みな仕掛けがちりばめられたミステリーとしてのおもしろさが若い人に受けている」と指摘。
そのうえで「19世紀末に書かれた作品だが、扱うテーマが、男女の愛憎、幼児虐待、
テロリズム、父子・兄弟関係や貧困、宗教、国家など、現代にも十分通じている」と分析する。
新訳を手がけた亀山氏も「この作品には運命とは何か、
暴力とは何かという抽象的なことを、生々しく自分のこととして経験させる吸引力がある。
運命を描くことで人間の存在の小ささを、また罪を描くことで人間の存在の大きさを表現している。
人間の残酷さを直視して作品を書いたドストエフスキーの問題意識には現代性がある」と話している。
カラマーゾフの兄弟
物欲の強い父と、性格や生い立ちが異なる3人の息子、そしてもう1人の私生児が繰り広げる愛憎劇。
父が他殺体で発見され、兄に嫌疑がかけられ裁判となる。
人間の悪魔性、神性をえぐり出す長大な思想小説で、フョードル・ドストエフスキー(1821〜81)の最高傑作といわれる。
いくらなんでも26万部は異常事態だろ・・・ 驚いた。
264 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 04:09:43
265 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 05:44:54
というか読んでみんな理解出来てるんだろうか?
本棚に豪華化粧箱に入れて飾ってあるだけでしょw
>>265 俺は小説を「理解」なんて言葉で語るぐらいなら読まない
読んで面白けりゃいいじゃん
まーた尼ブックスでカラマ5位になってる しかも1巻
>>267 小説は物語を楽しめばそれでいいとモームも言ってるしな
270 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 08:39:54
所詮頭で理解する程度のものだよ散文は。 彼に少しでも詩才があれば、ねえ。神になれたのに。
ここ一年ほどのカラマーゾフの売上 新潮文庫・13万部 光文社・26万部 計39万部
盛り上がっている所すみませんが、 過去スレや関連スレのリンクって持っている人いる? 前に保存していたHDが壊れてしまったので、 どなたか親切な方、再掲していただけないでしょうか。 前はテンプレになってたような記憶あるんだけど。
全五巻で30万部か。一巻平均で6万部。 単純計算で数万人が買ったんだとしたら、古典文学としては凄いことなんだろうね。
「ギャ!グッワ!待ってくれ!待ってくれ!」 フョードルは、叫んだ。 「許してくれよ!グルーシェニカに会いたかっただけなんだから」 「バキッ!ボコッ!」 ドミートリイはかまわず殴り続ける。 「ヒッー!助けてー!助けてー!」 フョードルが悲鳴に近い叫び声をあげた。 「お前がグルーシェニカに熱をあげるからいけないんだ!」 ドミートリイが叫びながら殴り続ける。 「ギャー」 フョードルの血があたりに飛び散った。ドミートリイのコブシも血で染まっている。 「ロシアは狂ってんだよ!狂ってんだよ!」 ドミートリイの形相は、もうフツウではなかった。その様子を見ていた、大審問官もキリストも言葉を失ってしまっていた。 思わず大審問官が言った。 「人間という者は議論の余地なく崇拝に値する者を求めている、万人ことごとく打ちそろって、一時にその前にひざまずき 拝し得るような、絶対的に崇むるに足る対象を求めているのだ。」 「ガッシ!ボカ!」 ドミートリイには、まったく聞こえていない。フョードルも失神したのか動かなくなった。 「明日はおまえを焼き殺してくれるぞ。Dixi」 大審問官が叫んだ。 「……」 不意に囚人は無言のまま老人に近づいて、九十年の星霜を経た血の気のない唇をそっと接吻した。
30万部は並の芥川賞受賞作(約2万部)よりも、遥かに売れてることになるな 今までの売上と合わせたら、どれだけになるだろう? 新潮との合計で、一年で40万部以上なら、今までに100万は売ってるんだろう
>===ー―-- 、 ///; ;;'´  ̄ ヽ\ r'///`ー ' ヾヽ |// 三ハ 彳|: : : : : : : : : : : : ミミヘ 彡|: : : : : : : : : : : ミミミ∧ 川 , . . . . : : : : _,、 ト、ミミ分.、 |州 ;=ニ=t::: ‘‘=tf==`, 乂 !ミミミミ !ミミ< ● ヌ::}:: `ハ´●`>= 川ミミミ 斗!::::::::::::::イ! :ヾ´ ,〃 ワ ノ ハ:::::::::::::〃 ヽ. \ /i, ∂ノ 乂ト、;;;;;;込_-'_う ' \ ,/分イ 彡公=彳州川ミト、ヽ\,. 彳!乂 ト、 そんなに私を褒めないでくれ、私の中では完結しとらんのだ 从彡彡 ==== ミミ爪州州|川从 乂仁彡 '川' ミ州州ミ从从川ト、 彡,.ィ彡彡州川ミ公州州 | |人乂ト、 _-=≦三彡'彡州州州川州 | | | !i!V 从∵j ≧- ∵∵∵∵行彡公州州川川 州| | 乂| 从∵=ヽ ∵ ∵∵∵∵∵州〃个州州川 州! |从从`ヾ ∵∵ | ∵ ∵∵∵∵∵j!彳公州州州川 ! !ヾミY`∵∵∵∵| ∵ ∵∵∵∵从川彳川爻州州必入乂Vミ` ∵∵∵| ∵ ∵∵∵∵州从从州从乂心从从乂介从∵∵∵! ∵
278 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 15:28:57
外国の文学作品って翻訳者によって大きく変わるものなんですか?印象が変わってしまうほどに。 カラマーゾフ売れてるって言うからさっそく図書館行って借りてきましたけど 亀山郁夫って人じゃなくて江川卓ってどっかで聞いたことがある様な名前の人ですが。
279 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 15:33:51
江川訳は読んだことないが、学者としては非常に優秀な人だ ロシア語への精通という面でも、おそらく20世紀でも最高峰の一人 原訳(新潮)が一番、無難だといわれてるみたいけどね 俺もそれで読んだ
280 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 15:51:24
281 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 15:56:20
読書感想文の宿題でリストのうち一番薄い本だったんで、地下室の手記を選んだんだけど、つまんないっすねー 罪と罰やカラマーゾフを読んだことがあるんで、なんとかなるだろって思ったんだけど・・・ カラマーゾフの上巻も苦労した覚えがあるけど、それを超えそうだ・・・・orz
282 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 16:01:40
地下室の手記は前半はつまらないが、後半は異様に惹き付けられた 前半は独白の形の評論 後半は物語
だよね 前半を乗り超えると、後半はぐんぐん読める 「ちょwwwおまwww」って楽しめる
ドスト作品ってどれもそんな感じで面白い 逆に前半だけ面白くて後半ダレる作品はダメダメだけど
>>282 >>283 >>284 ありがとうです
やっと前半部分読み終わりました
あまりにも意味不明なので、先に解説読んだ
文明とか科学とかのアンチテーゼ?とか思ってたんだけど・・・
ここまで読んで頭に残った言葉、「2×2が4などというものは、僕に言わせれば破廉恥以外の何物でもない」「だが、待って欲しい」
解説読んで気がついたんだけど、親父=俺は後半の作品しか読んでないみたい
まあ、人道主義的社会派な本は読みたくないけど
つうか、これ読んでの感想って・・・・書ける自身がないw
このスレでは罪と罰は工藤訳と江川訳どっちが人気あるのかな?
江川に一票
289 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 19:14:25
注釈まで入れれば、江川訳の完勝 テキストの訳自体なら、互角なんじゃないかな
文章の感じは工藤のが好きだけどねえ 江川の謎ときも好きだし
ハラタクは無駄に読みにくい
>>287 江川訳のヴィヴィッドさも好きだけど
工藤訳に戻ってみると、これはこれで精神的な味わいがある。
カラマーゾフなら、原訳が好きだ。
鮮やかさでいいだろw 欧米かッ!
サッカーも蹴球だよな!
SUMOU!!
>>294 鮮やかさというと視覚的なニュアンスやはっきり系のニュアンスになる気がした。
広辞苑にも「いきいきしたさま。真に迫ったさま」とまず出ていて
「ビビッドに描写する」と例示されている。
>>297 の2行目はビビッド(←ヴィヴィッド)について。
鮮やかな表現というのも勿論あるだろうけれど
「鮮やか」を広辞苑で引いた場合「鮮やかな印象」と例が出ていて、
やはり視覚的な感じや、くっきり系っぽいと思った。
299 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 22:02:16
江川?工藤?やっぱ長嶋訳だろ
いや、理性の。
303 :
吾輩は名無しである :2007/08/23(木) 22:12:37
ドストエフスキー自身に依拠する キリスト教的には信仰で良いんでないの?
んで、バフチンの誤解があったことや誤訳があったことや抜け落ちがあったことは発表しないんだ
達川訳 あのね、あのね、あーのね、七月のはーじめのね ひじょーに暑いさーかりのね、ある日のね、暮どきのね ひとりの兄ちゃんがね、S横町にね、のろくさのろくさしよってね
in to vivid colors♪
156
文学板のヤツのラルク聴くのか
309 :
吾輩は名無しである :2007/08/24(金) 10:03:57
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使い捨てコンタクトか・・・
311 :
吾輩は名無しである :2007/08/24(金) 11:56:38
カラ兄亀山訳読了した。 う〜ん、他の翻訳で読んでいたのでこれで4度目になるんだが 1,2,3巻までは面白く読み終えた。 特に大審問官〈の前段も含む)とゾシマは毎度ながら圧巻。 でも4巻、裁判だのなんだののあたりさすがに読み飽きて読むのが遅くなったよ。 あの部分はほとんど法廷小説だから、別段新しい発見もないし。 ラストシーンの感動とか何とか亀山もくどいほど訴えているけど 個人的にはラストシーンに感動したことない。 アレはやっぱり未完だよなぁ・・・・ 未完のものに感動しろっていったってなぁ・・・・
未完ゆえの良さってあるでしょう。 夏目漱石の明暗もそうですが。
未完の場合、その後を想像する楽しみがあるけど カラマは全然読めん、しかもアリョたんが別人になっちまうなんて…
ドミートリーと言う男が自分にはよくわからなかったよ。 志は高く行いは低く、メスにぞっこん惚れながら淑女に恋をして。 それでいて自分は高潔な男だって言うんだからなぁ〜 グルーシェニカとカテリーナ、オレならどっちも裸足で逃げ出す。 グルーシェニカは性悪女だけどカテリーナは悪魔だね。 リーザもたまったもんじゃない。 オレがまぁ許せるとしたら、ホラコーワ夫人くらいかなぁ。 勝手にしゃべらせとけば間が持ちそうだし、金持ちだし。 カラ兄弟そろいも揃って女の趣味がどうかしてないか?
315 :
吾輩は名無しである :2007/08/24(金) 14:08:29
未完の良さなんて流石に詭弁だろう。未完でも優れているというだけの話であって、 不完全な現状のもので満足できるよう、そう思い込みたいにすぎない。 ただ、個人的にはカラマを未完というには違和感があるけど。ドストの「二つに分かれた」発言がなければ、 多くの人が続編などあるとは思わないだろう(伏線らしきものがあるとはいえ)。 仮にあったとしても第一部は第一部として「完」なのだから、カラマーゾフ第一部は完成している。 未完というなら「銀河鉄道の夜」とかになると思う。 カラマーゾフを未完と言いうるなら、戦争と平和も未完になるだろうし、続編構想があった場合、全てそうなる。
ならそれでいいじゃん
多くの人が明暗を夏目漱石の最高傑作に挙げるのは、 続編について議論の余地が大いにあるということと、決して 無縁ではないはず。 カラマーゾフの兄弟もそうでしょう。 もっとも、カラマーゾフの兄弟は、未完にしては区切りが良すぎる ということもあり、小林秀雄が言う通りで、およそ続編が考えられぬ ほどの完成形ではありますが。
うん、確かにちんちんをおっぱいに挟んでしごかれるとドピュってなっちゃうよな。 それは文学よりも歴然とした事実として受け継がれていくだろう。
いやですね、ドミートリーが本当にアメリカに逃げて 熊の住みそうな田舎に住もうとしながらそれが出来ず 英語の勉強も進まず、それでもロシアに帰ってきたら今度はロシアが昔と違うとか言い出したりする わけのわからないあれこれが読みたいです。 ゾシマ長老がアリョーシャを世に出した理由と彼の行う何かとの関係なんかも知りたいし、 やっぱり読みたいです。続きが。くそ。
320 :
吾輩は名無しである :2007/08/24(金) 20:55:55
罪罰に嵌って何度も読み返した。より解ろうと江川卓氏の謎解き・・・だら、余計解らなくなった。
岩波旧版中村訳の「罪と罰」がけっきょくおれの定番となった 他の訳はたぶんもう読まないだろう・・・
だからホラコーワ夫人とベルホーチンの間柄がどう発展するのか気になるんだってば!
323 :
吾輩は名無しである :2007/08/24(金) 21:36:16
ホラコーワじゃないホフラコーワだってば。 そういえばある「カラマーゾフの兄弟」専門のサイトで ラキーチンのことをずっと「ラーチキン」と読んでいる管理人がいたな。 他のカラ兄のサイトの管理人に注意されて、その管理人ははじめて気がついて愕然としてた。 その後ハゲしく赤面したことだろう。 昨日か一昨日か、そのサイト、ヤフーニュースに関連であげられてたな。 ちなみに俺はゾシマ長老の兄マルケルをマイケルだと長いこと信じていたが・・・・
324 :
吾輩は名無しである :2007/08/25(土) 00:19:33
わかっているとは思いますが、いくら謝られても、好きと言われても、私は答えられません。仕事でぎくしゃくしないように、普通の距離をとりましょう。 自分の気持ちを伝えているだけと思うかもしれませんが、はっきり断ったのだから、その返事を受け取って、形のうえでいいからあきらめて下さい。あきらめないのは愛ではなくて自分勝手なだけだと思います。 今メール見ました。話の内容を知らないので、私としては何とも判断できません。問題があるなら、落ち着いて取り組めばいいとは思いますが。別に深く気にはしないので、気を遣ってメールくれなくても大丈夫です。 悪いけどまったく可能性はありません。しつこくされると悪意がなくても迷惑です。これ以上つきまとうなら、私は上司に相談することも考えます。 もし気のない相手から何度断っても告白され続けたら、どう感じますか? 強い思いを表しているつもりかもしれないけど、私には思いやりのない押しつけにしか感じられません。
325 :
吾輩は名無しである :2007/08/25(土) 00:24:55
わかっているとは思いますが、いくら謝られても、好きと言われても、私は答えられません。仕事でぎくしゃくしないように、普通の距離をとりましょう。 自分の気持ちを伝えているだけと思うかもしれませんが、はっきり断ったのだから、その返事を受け取って、形のうえでいいからあきらめて下さい。あきらめないのは愛ではなくて自分勝手なだけだと思います。 今メール見ました。話の内容を知らないので、私としては何とも判断できません。問題があるなら、落ち着いて取り組めばいいとは思いますが。別に深く気にはしないので、気を遣ってメールくれなくても大丈夫です。 悪いけどまったく可能性はありません。しつこくされると悪意がなくても迷惑です。これ以上つきまとうなら、私は上司に相談することも考えます。 もし気のない相手から何度断っても告白され続けたら、どう感じますか? 強い思いを表しているつもりかもしれないけど、私には思いやりのない押しつけにしか感じられません。
ロシア語原文はこうなっていた! カラマーゾフの兄弟編 イワンがレストラン「都」でアリョーシャにカテリーナへの思いを告白する場面。 Да почем же я знал, что я ее вовсе не люблю! いったい why 強調 俺 knew that 俺 彼女を 全然 not 愛する ここのДа(yes・ダァー)は文頭において文を強調する用法と解釈した。 But how could I tell that I didn't care for her a bit ! (TR:Garnett) But how could I know that I didn't really love her in the least ? (TR:MacAndrew) But how could I know that I didn't love her at all ! (TR:Pevear&Volokhonsky) And how could I have known I didn't love her at all ? (TR:McDuff) Well, how was I to know that I didn't love her at all ? (TR:Avsey) だってそうだろ、おれはな、彼女をぜんぜん愛していないなんて思ってもいなかったんだから!(亀山訳) それというのも、彼女を少しも愛していないってことが、わかったからさ!(原訳) それに、僕は彼女を全然愛していないんだなんてことが僕にわかるはずはなかったものね!(北垣訳) 自分がぜんぜんあの人を愛していないってことがわからなかったんだ。(池田訳) それにあのひとをぜんぜん愛していないなんてことが、僕にわかるはずはないじゃないか!(小沼訳) それに、僕があのひとを毛頭愛していないなんてことが、僕にわかるはずはないじゃないか (米川訳)
「いったい、どうして俺にわかっただろう、彼女を全然愛していなかったってことが!」 (逐語訳) 「彼女を全然愛していなかったなんて、いったい、どうして俺にわかっただろう!」 (順番を変えてみた) どうでもいいような所だけど、どの訳にも誤りがあることの一例として上げた。 ここは原訳だけが意味が反対。本来は反語的に訳すところ。ここは次のような意味の流れになっている。 「(反語的に)わかっていなかった」→「しかし今や、わかった」 今のところ(あくまでも今のところ)誤訳がない(誤訳に気づいていない)のは上にあげた中では小沼訳だけ。(人によって意見が違う箇所があるかもしれない) しかし誤訳がないことに越したことはないのだろうが、それと訳の好き嫌い優劣は、また別の問題。 (たくさんあっても困るし、少なくても肝心なところが間違っているのも困るが。一見何でもないような所が重要だったりすることもあるし) それに誤訳を指摘することが、それぞれの訳の存在意義を否定するわけでもない。ただし誤訳があるならば、その情報は情報として共有されるべきだと思う。 誤訳部分に反論するという滑稽なことも現実にあるわけだから。(その反論に至った思考自体を滑稽といっているわけではない)。 例によって眉唾で。
329 :
ごまかしなし :2007/08/25(土) 16:48:09
330 :
ごまかしなし :2007/08/25(土) 17:03:38
太宰治「人間失格」にでてくる、ドストエフスキー「罪と罰」の罪のアントニム (対義語)を探すという遊びをやる、という”場面”がとても気になり、よほど好 きらしい。 ^^ しかも「罪の対義語は、「信仰」だよ。」という、戦闘的答えまで用意してある。 この人、大好き!! ^^
ごまかしなしw この人面白いから好きだわ。意味分からんけどw
332 :
ごまかしなし :2007/08/25(土) 17:25:16
331 >ごまかしなしw この人面白いから好きだわ。意味分からんけどw 意味が分からない? あなたが、トルストイファンなら分からない方がいいよ。 ドストエフスキーへの(宗教的祭り上げ 兼 勘違い批判)しているうちが 花だからね。 ^^
333 :
ごまかしなし :2007/08/25(土) 18:10:10
「21世紀ドストエフスキーがやってくる」集英社 を有難く拝読せていただきました 中でも、井桁貞義さんという方の「2006年の罪と罰」を大変興味深く読ませていただ きました。 太宰治の遺作「人間失格」は「罪と罰」との関連で書かれているとあっ たので「人 間失格」を、さっそく読んでみたんです。 ところが、驚くべきことに「人間失格」は、こんな風に締め括られていたんです。 「自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から 、四十以上に見られます。」 そこで、これらを「トルストイVSドストエフスキー PART2」に書いたところ、イタ リア研究会さんから、次のような、まるで、井桁貞義氏本人が如くの詳しい返答を 頂いたんですよ。 (^^; >人間失格における、主人公の〜〜この告白には2つの伏線があると思います。 1、ゴッホの自画像。自身の内面をエグるように描かれた絵。(小説中では「オバ ケの絵」) 2、ドスト氏が罪と罰というものを、対義語として並べたという、主人公の発想。
334 :
ごまかしなし :2007/08/25(土) 18:28:52
僕は、「人間失格」の主眼は「罪と罰」への対抗,「罪と罰」を介した神へ の抗議で、内容構成は「罪と罰」によりも、復活日に女性を犯すトルストイ の「復活」がベースなっているのでは? と感じているんです。 ^^ いずれにせよ、主人公は、若き日の「罪と罰」のアントニム遊びの夜から ”自分の若白髪がはじまった”と述べています。 ^^ 遺作「人間失格」の締めくくり「自分はことし、二十七になります。白髪が めっき りふえたので、たいていの人から 、四十以上に見られます。」が書 かれたのは昭和23年、太宰が39歳の時です。 太宰治氏は、いわば、仮面を被りながらも、12年間は持ち堪えた訳です。 いや、太宰治でさえ、12年なんですよ!! 「人間失格」後記には「あの昭和十一年で自分の生涯は終わってしまった。 あとは人間としては生きていないのだ〜〜」という太宰の痛切な意識をあら わしているようだ。と解説されています。 続く
335 :
吾輩は名無しである :2007/08/25(土) 19:02:01
その集英社の本って、ちょっと前すばるでやってた特集と同じような内容なのかな?
336 :
吾輩は名無しである :2007/08/25(土) 19:52:34
だからマトリョーシャを殺したのはキリスト教的な道徳なの。 合意の上で交わっている以上(しかも求めたのはマトのほう)、 “本質的には”何も悪いことはなかった。これでFA。 冷たいことを言えば、マトリョーシャはバカみたいな誤謬を信じて死んだの。
俺は太宰の「人間失格」の由来は ドスの「貧しき人々」や「白夜」がモチーフになってるのかと 思ってた。 みっつとも最後は女の裏切りで破滅するでしょ。 よく似ていると思った。 貧弱な感想ですんまそ・・・。
338 :
吾輩は名無しである :2007/08/26(日) 08:22:16
人間失格はレルモントフの現代の英雄が元ネタだよ。
ペチョーリンは自暴自棄な自分を客観視してる感じがするけどなぁ。 人間失格の主人公は流されるままどうしようもなくそこまでたどり着いた感じ。
まあなんであれドストの影響受けてるのは過言ではないな
341 :
ごまかしなし :2007/08/26(日) 17:11:15
主人公は、「罪と罰」のアントニム遊びの夜から”自分の若白髪が始まった”と述 べています。 「そのとき自分を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも 無く、もの凄じい恐怖でした。それも、墓地の幽霊などに対する恐怖ではなく、神 社の杉木立で白衣の御神体に逢った時に感ずるかもしれない知れないような、四の 五の言わさぬ古代の荒々しい恐怖感でした。”自分の若白髪は、その夜からはじま り”いよいよ、すべてに自信を失い、いよいよ、ひとを底知れず疑い、この世の営 みに対する一さいの期待、よろこび、共鳴などから永遠にはなれるようになりまし た。実に、それは自分の生涯において、決定的な事件でした。自分は、まっこうか ら眉間を割られ、そうしてそれ以来その傷は、どんな人間にでも接近する毎に痛む のでした。」 一見、言葉の語呂合わせ,遊びにしか見えない「罪と罰」のアントニム遊びには、 ある背景が用意されている訳です。
342 :
ごまかしなし :2007/08/26(日) 17:15:43
「自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいてい の人か ら、四十以上に見られます。」が書かれたのは、昭和23年の太宰が 39歳の時です。 これを「人間失格」冒頭にある自画像写真に当てはめると、第二葉の時期が それに 該当するのが分かります。 「人間失格」の主人公と作者太宰治の没年齢もこの時期ですね。 書かれなかった、主人公の壮年期以降に当たる自画像写真は次のようなもの です。 「もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。それが、ひどく汚い部屋の片 隅で、 小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無 い、いわば、 座って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、 まことにいまわしい 、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それ だけではない。〜〜〜顔は 平凡、額の皺も平凡、繭も平凡、鼻も口も顎も平 凡、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえない、特徴が無いのだ。 〜〜〜所謂「死相」というものにだって、もっと何か表情なり印象なにがある ものだろう〜〜〜」 次に「罪と罰」のアントニム遊び、そのものについて考えてみます。 手掛かりは「1986年の罪と罰」です。 1986年頃も、文学周辺で囁かれていた合言葉は、もちろん”爆発”でした。 続く
地下室の手記の主人公って朝鮮系ロシア人?
ドストエフスキーおもしろいなぁ! 1日の平均読書スピード100ページの俺が、 200ページ読めるよ! こんなの「レ・ミゼラブル」以来だなぁ。わくわく!
345 :
吾輩は名無しである :2007/08/26(日) 18:58:09
おいらもわくわく! セカチューいらいのヒットだと思うお( ^ω^)
セカチューなんてウンコタレだお( ^ω^)
348 :
ごまかしなし :2007/08/28(火) 19:47:46
続き 「1986年の爆発」を振り返り、「2006年の罪と罰」を考える。 その前に、「罪と罰」のアントニム遊びについて、もう少し拘ってみます。 「人間失格」のハイライトは、主人公と友人がアントニムごっこをしていて、主人公 が罪のアントは罰かと思いついた瞬間、妻のヨシ子が犯されるところです。 ここには、太宰治が、生きてく上でこうむった不条理、その神への抗議が比喩的に表 れているとはよく指摘されます。 「人間失格」は、太宰治が、12年前頃に精神病院に入院させられた前後の話が中心 になっています。 この時の体験は、当時の作品「HUMAN LOST」(昭和12年)にも書かれています。 しかし「HUMAN LOST」と「人間失格」の違いは、「HUMAN LOST」には、人間不信に 逃避と闘い、自問自答を繰り返しながらも、人間不信からキリスト信仰へと希望を見 出そうともがき苦しんでいる姿が伺えます。 しかし「人間失格」には、その信仰から、その挙句に、神への不信に到りつくという 内容で、「HUMAN LOST」とちょうど逆の歩みなのです。 それらの絶望が「人間失格」の、妻が犯されていても助けようとする気力も起きない 、威圧的だった父親の死がなんら開放に結びつかない。等のストーリー展開に現れて いると思います。 「どうして、こんなことになってしまう(しまった)のか?」 それは、作者太宰治自身の問いでもあったと思います。 何故、ヨシ子は、「罪と罰」のアントニム遊びの時に犯されなければならないのか? レヴィ=ストロースのオイディプス神話研究から考えてみます。 続く
349 :
吾輩は名無しである :2007/08/28(火) 20:55:02
(#^ω^)早く続き書けお
350 :
吾輩は名無しである :2007/08/28(火) 21:18:43
正直「空気よめ」は軽い意味になってみんなバカみたいに使ってるから好かん。 人の顔色ばかり伺って発言の内容を逐一斟酌するのなんて、 仕事で必要な時くらいでいいじゃんと思う。 プライベートの友人関係まで そういったぎくちゃくする関係を持ち込もうとする 最近の風潮が嫌い。 親しき仲にも礼儀ありというのとは意味合い違うし。
351 :
吾輩は名無しである :2007/08/28(火) 21:31:24
顔色ばかりうかがう人も全然気にしない人もそれぞれ面倒くさい。 極端にしか動けんのか、と思う。 つか「空気よめ」なんてよっぽどなことじゃなきゃ言われないよねw
スレタイ嫁
空気って本当は深い思想だったんですけどね。軽くなった風潮が残念です。 「空気の研究」は屈指の名著だと思います。
加賀乙彦の『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)を読んだんだけど「スタヴローギンとシャートフの議論は、絶えずずれます」(p136) とは書いてはいるが加賀もバフチンを全く理解していない。 それなのに「バフチンの大著を簡単に要約してしまったので、私はすこし罪の意識を持っておりますが」(p187)だって。頭、大丈夫か? それに加賀は「ソクラテスの対話」系の小説の典型はゲーテで、「ドストエフスキーはメニッペア系の小説家だとバフチンは言います」(p189)と書いているが、 バフチンは、そんなことは全く全然一言も一切書いていない。 「ここから我々はこのジャンル(ソクラテスの対話)が、ヨーロッパの芸術的な散文および小説の発展史の内の、ドストエフスキーの創作に通ずる系列の、 一つの源泉となったと判断することができる」(『ドストエフスキーの詩学』ちくま学芸文庫p230-231) 「《ソクラテスの対話》とメニッペアに端を発するこうした伝統のすべてが、ドストエフスキーにおいて、そのポリフォニー小説という余人の 追随を許さぬ独創的で革新的な形式の中に、面目を一新して蘇ったのである」(「ドストエフスキーの詩学」ちくま学芸文庫p358) 要するに、「ソクラテスの対話」と「メニッペア」という二つのジャンルの伝統がドストエフスキーのポリフォニー小説を準備したと書いている。
後の方の文章は、『ドストエフスキーの詩学』の第四章の一番最後の文章なんだけど、これを読み落とすというのは、ちょっと考えられないんだけど。 いい加減な奴が多いな。加賀といい亀山といい30年以上も前の標準的な理解にも達していないというのはどういうわけだ? 加賀は小説家だし別冊で書いてるからどうでもいいと言えばどうでもいいんだが、日本のドストエフスキー研究って、大丈夫なのか?といらぬ心配もしたくなる。 加賀は100冊以上ドストエフスキー論を読んだと豪語しているわけだけれども、これじゃ全然信用するに足りない。それよりも「一冊でもいいからもっとちゃんと読めよ」と言いたくなる。 教科書的な理解とか一般に流布されている説に基づいて書いている場合には「誤解」というのはよくあることだけれども (それは全ての本を読むことができない以上仕方ないことだし、許容範囲内のことではあると思うけれど)、一応自分で読んだことになってるわけだろ? もっと、ちゃんとしてくれ! 注:メニッペア(メニッポスの風刺。正確には「メニッポス風の風刺」)とは下世話な話や空想や宗教や哲学的議論などが聖俗交じり合った風刺話のこと。 『ドストエフスキーの詩学』(p231参照)(偉そうに書いてるけどオレもバフチンの本で初めて知った) 余談だけども、たまたま部屋を片付けているときに見たサドの『恋の罪』(岩波文庫)の解説にもポリフォニー云々と書いてあるが、 これもご多分に漏れずに間違って理解していて単なる多様性のことだと勘違いしている。 一時の流行で意味もわからずに「ポリフォニーポリフォニー」と猫も杓子も書くから、それに反発してまた意味もわからずに、 バフチンというと毛嫌いする人もいる。不毛というかなんというか。しょうもない...
どうもバフチン理解に誤りがある人が多いな ウィキとかは正しいのかな?
357 :
吾輩は名無しである :2007/08/29(水) 00:38:46
>>354 ^^;
「ソクラテスの対話」がヨーロッパの小説の源泉なのだから、
あえて「ドストが「ソクラテスの対話」に影響を受けている」なんて言う必要はないんですよ^^;
「メニッペア」というのは「ソクラテスの対話」というツリーの枝分かれで、
「ソクラテスの対話」と「メニッペア」という二つのジャンルが別々にあるわけではないんですよ^^;
358 :
吾輩は名無しである :2007/08/29(水) 00:42:25
バフチン自体がけっこう誤解してるでしょ でも誤解って僕けっこう好きよ
地下室の手記読んだ 感想文書けそうもない カフカの変身読んだ 感想文書けそうにない ゾラの居酒屋を本屋で見たが、とても残りの日数で読めそうにない まあ、なんとかなるさー
文学研究なんて他人と切磋琢磨できないから結構いい加減なの多そうだなw
文学研究者なんて世捨て人。 そして権力者は自己中。 それを併せ持った誰かはw
鈴木大介であった
社会科学系やってる俺なんかからすると「だって俺がそう思うんだもん」ってところに逃げこめちゃう 学問って気がしてならんよ
文学は学問じゃなくて芸術だろ
366 :
吾輩は名無しである :2007/08/29(水) 18:28:18
大空無用ノ助「文学は言い訳なのです」
367 :
吾輩は名無しである :2007/08/29(水) 18:51:12
スメルジャコフとマリア
*゚゚・*:.。..。.:* 愛用ベンチ恋の語らい*゚゚・*:.。..。.:*
| ノ/ \ヽ
/ ● ● |
| (_●_) ミ 「おかしいんだクマ? 」
彡、 |∪| 、`\ 「この、イケメンステッカーが
(スメルジャコフ)
http://mito.cool.ne.jp/busbybus/yuusennseki.html フョードルさんのベンチにも張られているんだクマ?
あの年で、イケメンも何もないだろうクマ」
「そうね〜、フョードルさんの場合は」 ノゝ゜ヮ゜ノハ
どうみても、ひいき目よね」 (マリア)
「でも、人は人!!
「自分が張られた名誉が大切よ!」
368 :
ごまかしなし :2007/08/29(水) 19:14:21
349 >(#^ω^)早く続き書けお 1986年頃に、「罪と罰」を読んだ人が、小説世界と現実の区別がつかなくて爆発 する事件が、幾つか本当に起こったんです。 (^^: それは、小説愛好者が爆発したという単純なものでなく、背景はもっと複雑なんです。 前置きなしに書くのは、怖いんですよ。 (^^: 「1986年の爆発」と「2006年の罪と罰」について書くので、もう少し我慢して下さい 当時、議論されていた内容です。 1986年6月28日(土)早稲田大学文学部第一会議室 午後2時30分〜6時 高橋敏夫氏:現代日本文学とドストエーフスキイ 野谷文昭氏:神話・物語・小説 − ラテン・アメリカのドストエーフスキー 1985年6月15日(土)早稲田大学小野講堂 午後2時〜4時 柄谷行人氏:バフチンとドストエフスキー 1983年6月4日(土)早稲田大学文学部第一会議室 午後4時30分〜6時
爆発って何がだよww 体が吹っ飛ぶのかい?www
370 :
吾輩は名無しである :2007/08/29(水) 21:53:26
カラマすげぇよ… 1巻がアマゾンのベストセラーランキング12位に入ってるぜ
>>370 それはすげーな・・・
ドストの何がすごいって、会話の小説中に占める割合だと思う。
作家は、バランスを求めてダイアローグ(会話以外の記述)に走り勝ちな
もんだが、ドストは会話から多くを表現するから、ダイアローグは余り必要
じゃない。
こういう作家は他にいないだろうな。まねも絶対に出来ない。
>>371 ひゅーっ。こいつは驚いた。
亀山たんの続編にかける思いは、あれだけ書いた後でも途切れることはなかったか。
374 :
吾輩は名無しである :2007/08/30(木) 02:27:01
>>370 でもさ、1巻だけなくなってて他の巻が残っているのを見ると、
2巻の盛り上がりに辿り着く前に、
1巻でギブアップなんてことになってないかな。
これがたとえば新潮社文庫なら、上巻の終わりに山場が来るから
中巻、下巻も買う率が高くなる。
なぜ加賀が勘違いしたのかがわかった。 バフチンがメニッペアの特徴として挙げている4番目の最後にこうある。 「哲学的対話、高尚なシンボル群、冒険小説風の空想劇と俗悪な自然主義との有機的な結合は、メニッペアの驚くべき特性であり、それはその後の 対話的散文小説の系列の発展史を貫いて保存され、ついにはドストエフスキーにまで至ったのである」『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫p236) 加賀はここ(だけ)を読んでドストエフスキーがメニッペア系の小説だと思い込んだわけだ。しかし、バフチンは、 「筆者(バフチン)がかりに《対話的》と呼んでいる小説および芸術的散文の発展上のこのバリエーション、すでに述べた通りドストエフスキーの源流となって いるこのバリエーションの形式に決定的な意味を持っていたのが、真面目な笑話の内の二つのジャンル、すなわち《ソクラテスの対話》と《メニッポスの風刺》 であった。この二つについてはいささか詳しく論じる必要がある」(同p224-225)と書いて詳細な分析を始めるわけ。 あるいは次の文章も、もしかしたら読んでいるかもしれないが(自分で読んだと書いているわけだから、本来なら読んでいて当たり前なわけだが) 「以上に述べたメニッペアおよびそれと関連した類縁ジャンルの特徴は、ドストエフスキーの創作のジャンル的特徴と言うべきものに非常に近い。(省略) 実際のところ、メニッペアの特徴のすべてが(省略)ドストエフスキーの創作に見出されるのである」(同 p245-246) この文章の少し後にある節のまとめの次の文章は読んでいないことはたしか。 「メニッペアは《ソクラテスの対話》と同じく、ただポリフォニーの出現のためのある種のジャンル的条件を準備したのみであった」(同 p247) おそらく加賀も亀山も一番大事なところなのに、この後の第五章は読んでない。ここまで拾い読みをしてわかったような気になっていたわけだ。 で、こういう風に書いていることからもわかるようにオレも拾い読み専門です。(笑)
>>366 大空無用ノ助「文学は(NEET予備軍の)言い訳なのです」
379 :
吾輩は名無しである :2007/08/30(木) 18:35:54
380 :
ごまかしなし :2007/08/30(木) 19:11:47
381 :
ごまかしなし :2007/08/30(木) 19:20:26
ぶっちゃけシェイクスピアに比べればこんな奴うんこ同然だよね
そうとも言えないけど、ドストエフスキー自身はそう言うだろうな ドストエフスキーにとってはシェイクスピアは神 プーシキンと並んで神
以前どこかのサイトでこんなコメントを目にして楽しかったよ。 "東大教師は、岩波文庫や新潮文庫を読んできて、「これだ!新入生はコレを読め!」と推している。 もし光文社新訳文庫版を読んだら、力いっぱい言うに違いない。わたしも唱和して力説しよう。 「未読の方こそ幸せもの。カラマーゾフは小説のラスボスだが、新訳なら、いま倒せる!」ってね。 ただし、訳はやさしいけれど、中身は一緒、あらゆる苦悩が詰まっている。 一緒にのたうちまわろう、「大審問官」で。"
あの梅川が罪と罰を読んでたとは信じられない。 俺はその頃高校生だったが酷く残酷で不愉快極まる事件だった。 ああ気分が悪い。
まあ、何でも異常な殺人事件が起こると、知識人がドストエフスキーと絡めて、 わかったようなことを語りたがるというのは、梅川事件に限ったことではない。
赤軍事件以来、本村さんの事件といい、ドストエフスキーと関連づけて語る 流れがあるのかもな。 ただ単に、最もよく読まれている外国作家だから、読んでいただけだと思うんだが
クソ犯人がドラえもんが何とかしてくれると思ったと言ったあの事件のどこが ドストエフスキーと関連付けられたんだか。 そういうことを考えるやつの気が知れないな。 ドラえもんバカのあの犯人も梅川も罪と罰を読んでたとは思えない、 思いたくないね。
>>388 ドラえもんはともかく、売春しようが殺人しようが、
神様がどうにかしてくれる・・という小説として、
「罪と罰」が読まれかねないのは事実でしょう。
「罪と罰」は、殺された側よりも殺した側に優しい小説なわけだから。
自分を罰するってことを美徳と説く「罪と罰」のどこが、殺した側に優しいんだか
この人の小説って悪役がいい味出してるから困る。 ラスコーリニコフやスメルジャコフがすきって人も少なくないのでは。
>>390 ラスコは本当に自分を罰してるのかな?
気に入らない婆さんとその妹を身勝手な妄想で殺した挙句、
最後にはソーニャと結ばれて、とにかくもハッピーエンド。
犯罪奨励小説として読まれかねない危険性はあるよ。
>>391 スメファンはあまり見たことないけどラスコファンは多いね
人気ではイワンに次ぐのでは
リーズって・・・ ツンデレ・病弱・妹・幼馴染・お嬢様だよね。
妹じゃねえ年下だった
>>392 またお前か いい加減にして消えろ
340 名前:吾輩は名無しである mailto:sage [2007/05/14(月) 08:39:37 ]
>>335 バフチンによってやたら有名になったドストのポリフォニー理論だけど、それってホントに
そんなにご大層なものかぁ〜?
少なくとも自分には、ドストのポリフォニー性なんて、例えてみればアパートの一室に
引き篭もったキモオタが、愛蔵のフィギュア並べてフィギュア同士を会話させるフリを
しながら、自分一人でぶつぶつ言って満足している程度にしか見えねーなw
多様な価値観が対立している 、って言っても結局、ドストの脳内の狭い歪曲された
自己内対話でしかすぎないんじゃ?
それって、ほんとに異なる価値観を持つ者同士の「対話」とは本質的に異なるもの
なんじゃないの。ま、それが文学ってもんだけどさ。
特にドストが自分の小説中の「女」にしゃべらせてるセリフなんか見ると、特に笑える。
ほんとに、男のための「萌えフィギュア」並みの「リアリティ」w
こんな「対話」をポリフォニックだなんて信じてる人は、ちょいヤバイと思うよ。
>>393 ラスコはやっぱ、ぎらブル度が高いし、唐突に熱弁をふるうし
ドストキャラの魅力たっぷり。
犯罪推奨小説とか考えたこともなかったな 文学をそうは見ない 頭が足りないコなのかなんなのか分からないが 文学には向いてないコだな
400 :
吾輩は名無しである :2007/08/31(金) 02:42:25
いや、いろんな視点をもってみることも重要だと思うぞ。
401 :
吾輩は名無しである :2007/08/31(金) 08:30:27
色々な視点も大事だが、漫画やゲームですら犯罪との関係づけられる べきではないと思うよ レッテル貼りに過ぎないのは馬鹿げてる 逆にこういう極端なレッテル貼りや極端な否定意見があると、それに対する 返答レスが出てきて、意見の多様性が損なわれると思う 本当は賛否両論言いたいのに、一部の極端意見を言うヤツのせいで、それ が難しくなるということ ファン対アンチみたいになってしまうからな
402 :
吾輩は名無しである :2007/08/31(金) 10:02:36
よく未成年の犯罪が起こると、そいつの読書傾向が 話題になる。残酷な描写がある漫画、レイプやロリとか 性癖を感じさせる本。それらの内容がイコール人格と思われてる からだろうけど、もし、おまえらが殺人者として捕まって、 カラマーゾフや罪と罰が部屋から見つかったらどう? ドストエフスキーっていう外面からだけ見て文学に関心があったっていうだけなら まだしも、殺人が許されるという考えを持つ主人公の本に傾倒していたとか 書かれたら。。。。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
メディアとはそういうものだ 何かに関連付けさせたいんだよ 俺の場合はドストよかナボコフとかバタイユとかセリーヌを話題にされそうだが
>>388 少年の方はドストやカミュを読んでたらしいやん。
405 :
吾輩は名無しである :2007/08/31(金) 16:09:13
>>404 ドストやカミュを読んでたヤツが
「ドラえもん」を信じていた、とはよく言ったもんだ。
本物のキ印だな。
幽霊やサンタを信じてたようなものだろ
408 :
ごまかしなし :2007/08/31(金) 18:38:45
386 >まあ、何でも異常な殺人事件が起こると、知識人がドストエフスキーと絡めて、 わかったようなことを語りたがるというのは、梅川事件に限ったことではない。 そうですね。 「罪と罰」に殺人が書かれていたからって、現実の殺人事件とは全然関係ないです よ。 オウム真理教事件でも、知識人が、ドストエフスキーを持ち出して、したり顔で説 教したりしているのも恥ずかしいです。 ただ「1986年の爆発」の場合には、飛び込むという人間の”生理的な衝動”が 「罪と罰」から喚起されるほどに、現実と小説世界が同一視されている訳です。 僕は、その衝動は「罪と罰」の犯行内容から喚起されたのではなくて、「罪と罰」 の対話的な言葉の性格と、犯行が”経過的に”描かれているあり様から喚起された のではないか?と思うんです。 もうひとつ、現実と小説世界がそこまで同一視されるには、ある背景。。。見ると いうことが”反復”されていなければ、小説という言葉の産物が、生理的な飛び込 む衝動に結びつくことは、本来は、ない筈だと感じるんです。 これらは、後で 「1986年の爆発」と「200X年の爆発」として、まとめて書きたいと思います。 「1986年の爆発」と「200X年の爆発」では、同じ爆発でも性質が違うんです。
409 :
吾輩は名無しである :2007/08/31(金) 19:50:05
アレクセイ、イワン、ドミートリー。(うぅ、書く順番が微妙) スタヴローギン、ピョートル、シャートフ、キリーロフ・・・等に、 現実に影響を受けている人はいるかも知れない。 かく云う俺は、アレクセイを手本にしたいとも考えている。
んじゃ俺が膝の上に409を乗せてチュッチュしてやるよ
411 :
ミステリ板からの宣伝 :2007/08/31(金) 20:23:37
チュッチュさせろやー!お前アリョーシャたんだろがー!
アッー!
416 :
吾輩は名無しである :2007/08/31(金) 22:44:57
>>411 ミステリー板住人はどうしてんの?
過去ドストスレにいたコテの中で、最悪との評判だったが
ミステリーに関する知識は本物ぽかった
海外テレビ板の刑事コロンボスレで大暴れしてます あのキティガイをどうにかしてください…
418 :
吾輩は名無しである :2007/09/01(土) 00:03:17
>>417 そうなんだw
罪と罰に入れ込んでた時はここにもよく来てたんだけどね
今はコロンボか
>>417 このスレでの過去の暴れようから想像はつく。
自作自演も好きな奴だしな。
あんなレスに労力を割く(割ける)生活について考えてみると、
奴の哀れさがわかるだろう。
それに暴れている人が思っているほど2ちゃんなんて重要な場所じゃないのにねw
あの議論をふっかけてくるだけが能の基地外に比べたら 今の文学板のコテ全てがまともに見えるというもの
421 :
吾輩は名無しである :2007/09/01(土) 00:40:24
おいあんまり語るなよ あんなのが戻って来たらたまらんぞw
>>416 ミステリーについてもしったかばっかで間違いだらけだよ
もちろんミステリー板でも基地外荒らし認定済み
目糞鼻糞。
425 :
吾輩は名無しである :2007/09/01(土) 10:54:41
ミス住は、「罪と罰は3日で読め。じゃないと良さが分からない」 とかしつこく 言ってたっけ。一年かけてやっと読み終えた人を罵倒したり。 同じことを、他の長編についても言ってた希ガス
>>421 このレス(↓)どっかで見たことあったねw
ほんと変わらん奴。
83 名前:奥さまは名無しさん 投稿日:2007/07/15(日) 13:57:39 ID:7YjmWdDt
ミス住のレスが一番光るなあ。
だからw 目糞鼻糞だボケ。 続きは最悪板か、せめて雑スレでやれ。
>>421 テンプレ、ミス住が相変わらずのやり口なのでワロタ。
>罪と罰は3日で読め。じゃないと良さが分からない キンモーーーーーーーーーー!!!
430 :
吾輩は名無しである :2007/09/01(土) 17:42:53
だんご4兄弟 (o`∀´o)ドミトリー「ブツブツ言うナ〜〜」 (o`∀´o)イワン (o`∀´o)アリョシャ (o* A *o)スメルジャコフ「下は重〜〜い」
431 :
吾輩は名無しである :2007/09/01(土) 17:50:39
↓ (o`∀´o)スメルジャコフ (o`∀´o)イワン (o`∀´o)アリョシャ (o* A *o)ドミトリー「う〜〜〜ん」
432 :
ごまかしなし :2007/09/01(土) 18:48:25
409 >アレクセイ、イワン、ドミートリー。(うぅ、書く順番が微妙) スタヴローギン、ピョートル、シャートフ、キリーロフ・・・等に、 現実に影響を受けている人はいるかも知れない。 ドストエフスキーの小説人物には、人間の内面描写が深く描かれているから、読者が 作中人物に自己同化し、現実世界での対人関係にもそのまま対応ずけしても、全然不 思議ではないです。 しかし、その場合でも人間像,人間関係等の同化である訳です。 梅川事件の時は、飛び込むという人間の”生理的な衝動”が 「罪と罰」から喚起さ れたということで、当時は、人間の欲動に関わる「物語性」「反復」「言葉と見るこ と」等について議論されました。 もうひとつ、こういうことはないでしょうか? 梅川は、現実世界で自分が作中人物に成り切った、あるいは現実世界を作品化しよう としたのではないか?と。 単なる小説等の言葉の芸術ではなく、映画等の映像(この場合は自分が第三者として 映像の外側に位置していなくてはならない)でもない、総合”表現”芸術,存在人生 としての芸術作品を完成させようとした。 あるいわ、意識せず、自らが作品になってしまったのではないか?と。 そう感じるのも、そういう意志を感じさせる人物が歴史上に実在するからなんです。 それがトルストイです。 ドストエフスキーは、やはり、どこまでも作家です。 トルストイは、よく後年に作家であることを放棄したと言われますが、そうではなく て、作家であることから、総合”表現”芸術者に踏み出したのではないでしょうか? 亀山郁夫さん訳のボリス・グロイス『全体芸術様式スターリン』をもじれば、全体芸 術様式者トルストイと呼べると思いますが、どうでしょうか? あと、何故「罪と罰」でなければならなかったのか?という問題もあります。
興味深いですな
最近初めてカラマーゾフ兄弟読みました。まだ初めの方ですが、 フョードルの性格に他では感じた事のないぐらいの親近感を 覚えました。彼が悪態をつく時、私の胸は熱くなります。 実は小さい頃にカエル数匹を水槽の中に入れて可愛がって ずっと育てていました。ある日いつもの様にエサを与えて いる時ふと思いました。「今、こうやって可愛がってエサ を与えているけれど、そんな僕が急に鉛筆でカエルを 一匹残らず瞬殺する様な事が起こりえるのだろうか?」 頭の中で何回かシミュレーションをしてみました。 でもそれが本当に起こりえる事とは信じられません。 「でも、自分がカエルを殺す事と殺さない事の間に何か必然的な 違いがあるのだろうか?もし必然的な違いがないのなら、 殺すこともあり得るのではないだろうか?こんなに可愛がって いるカエル、今エサをやっているカエルを殺すなんて事が あり得るのだろうか。よし試してみよう。」
トルストイの「にせ利札」はドストエフスキーの影響かなあ。
>>432 トルストイはまさにそんな感じですね。
夏目漱石も晩年は、自分の人生をも完成させようとした人だと思いますが、その
夏目漱石がこのような言葉を残しています。
夏目漱石 「思ひ出すことなど」
「運命の擒縦を感ずる点において、ドストイェフスキーと余とは、ほとんど詩と散文ほどの
相違がある。それにもかかわらず、余はしばしばドストイェフスキーを想像してやまな
かった。そうして寒い空と、新らしい刑壇と、刑壇の上に立つ彼の姿と、襯衣一枚で顫え
ている彼の姿とを、根気よく描き去り描き来ってやまなかった。」
夏目漱石とドストエフスキーって関係があるのか。 そういう資料ってどうやって手にいれるの?
ドラえもんに頼む
ドストエフスキーはゴーゴリを尊敬してるみたいだけど、 ゴーゴリって面白い? 岩波文庫で出てるみたいだけど、 取り寄せないとないだろうな、めんどくせー。
めんどくさいなら読まなくてもいいんじゃないの
アマゾンでポチッで済むだろ
>>439 ゴーゴリは原書で読まないと面白さが伝わってこない、
と、井筒なんとか氏のロシア文学論に書かれていた。
でも読んでみれば?
443 :
吾輩は名無しである :2007/09/02(日) 16:34:19
この時代の1ルーブルって今の日本円でいくら?
444 :
吾輩は名無しである :2007/09/02(日) 16:36:14
445 :
吾輩は名無しである :2007/09/02(日) 16:43:39
カペイカとかも注釈つけて欲しかった。
>>442 それってロシアの文化や歴史もわかってないと
楽しめないってことだろ?ロシア語だけ知ってても意味ねーし
>>446 手もとにないから、そういうニュアンスとは違う。
他のロシア文学者についても触れている本なんだけど、
ゴーゴリについてだけ、ロシア語云々について言っていた。
手元にないから ↓ 手元にないけど
暇だったので加賀の誤解を幾つか訂正してみた。加賀の『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)は読んだけど、バフチン読むのが面倒くさい人向け。 (加賀の本ではメニッペアは「メニッピア」と表記されている) その1. 《だから「ソクラテスの対話」とメニッピアが、文学のなかの二つの大きな潮流を作ったというのが、バフチンの考えです》(小説p189) →「ソクラテスの対話」とメニッペアが、カーニバル文学の源流である「真面目な笑い話」の中の二つの大きなジャンルであるというのが、バフチンの考えです。 理由. バフチンは、まず小説の起源を三つに分類する。1:叙事詩 2:弁論術 3:カーニバル文学 そして、小説は、これらの起源の内のどれが優越しているかによって、1:叙事詩系列 2:弁論術系列 3:カーニバル文学系列に分けられる。 また、「これらの間には、多数の中間系列が存在する」。 カーニバル文学には様々なバリエーションが存在する。その中に「対話的小説」「対話的芸術散文」とバフチンが呼ぶジャンルがある。 さらに、カーニバル文学の出発点である「真面目な笑い話」に属する二大ジャンルとして「ソクラテスの対話」とメニッペアを挙げている。 (バフチンが「ソクラテスの対話」を弁論術にではなく、カーニバル文学に分類していることに注意) ドストエフスキーの源流となっている「対話的小説」「対話的芸術散文」と呼ばれる(カーニバル文学の)バリエーションの形成に決定的な意味を持ったのが 「ソクラテスの対話」とメニッペアとされる。(詩学 p224) 図式化すると、 真面目な笑い話(カーニバル文学の出発点)>(ソクラテスの対話・メニッペア)←(対話的小説・対話的芸術散文)の源流。 カーニバル文学>(対話的小説・対話的芸術散文)←ドストエフスキーの源流 (真面目な笑い話→カーニバル文学)>(ソクラテスの対話・メニッペア)→(対話的小説・対話的芸術散文)>ドストエフスキー ←こんなかんじか? (詩学p220-225参照 ここの記述は、やや不明瞭なので正確でないかもしれない)
その2. 《そしてドストエフスキーはメニッピア系の小説家だとバフチンは言います。逆に、「ソクラテスの対話」的な小説の典型はゲーテでしょう》(小説p189) (「ソクラテスの対話」以下は加賀の考えを述べたもの) →ドストエフスキーの小説は、メニッペアと「ソクラテスの対話」という二つのジャンルに起源を持っているとバフチンは言います。 理由. そのまんまの理由。メニッペア系でもあるし「ソクラテスの対話」系でもある。加賀は対話形式であれば「ソクラテスの対話」的だと思っているのかもしれない。 しかし、ゲーテの『ファウスト』(もちろん飛ばし読みだが)は、その「三層構造」や冒険・空想・宗教・哲学談義などを考えると明らかにメニッペア。(詩学 p233-242参照) そもそもソクラテスが出てこなければ「ソクラテスの対話」とは呼ばない。だから「的」をつけたのかもしれないが、なぜに無理やりにでも「ソクラテスの対話的」というのか がわからない。参考までに書くと、バフチンはゲーテの『神と主人公とウィーラント』(当然読んでいないが)をメニッペアの一つに挙げている。 ゲーテもメニッペア系でもあるし「ソクラテスの対話」系でもあるということなのではないのか? (ただ、バフチンは多くの作品をメニッペアとして挙げているので、初めて読んだとき、「何でもかんでもメニッペアになっちゃうじゃん!」と思ったが、メニッペアの解説を 読んでからは、何せギリシャ時代からあるジャンル(というか特徴?)なので、それだけメニッペアが大きな影響を与えたということなんだろう。 ここを読むとモームの『世界の十大小説』でのドストエフスキー評価は、小説を近代のリアリズムとしてしか見ない偏狭さによるものだということがよくわかる。 メニッペアの解説部分はシェークスピアやセルバンテス等のルネッサンス文学の愛読者にも大変参考になると思った)
その3. 《メニッピアはむしろ民間伝承などに根拠を置いていて、伝承とか神話とかを主にする。それを小説の栄養分にしている。ただ、ドストエフスキーがいったい どのような神話から、そしてどのような民間伝承から彼の文学を作ったかはわかっていない。そのもとになるメニッピアが発見されていない。ですからバフチン の言うことは正しいとは思うけれども、立証はできないような気がします》(小説p189-190) ↑これは、おそらく次のような文章他の誤読であると思われる。 「このジャンル(メニッペア)は直接カーニバル的民間伝承に根を発しているものであり、《ソクラテスの対話》よりも一層強く、カーニバル的なものの影響を受け て成り立っている」(詩学 p231) 「ドストエフスキーには、彼にメニッペアの豊饒性と多様性を明らかにしてくれたヨーロッパ産のジャンルの典拠もまたあったはずで、それらは数え切れない くらい多岐にわたっていたに違いない」(詩学 p286)(この内の一つがゲーテの『神と主人公とウィーラント』) 理由. 「根を発している」「典拠もまたあったはず」を、加賀は「根拠に置いていて」、つまり、ある特定の話に基づいてドストエフスキーは小説を作ったと誤解している。 これは、ドストエフスキーが多くのメニッペアを読んで影響を受けていたはずだという意味で、ドストエフスキーがある特定の民間伝承や神話から小説を作った 云々というのは全くの誤解。だから、「そのもとになるメニッピアが発見されていない」というのは問題設定自体が誤り。 また加賀は、メニッペアとファンタジー小説とを混同しているような気がする。似てはいるが違うと思う。 参考引用. 「メニッペアというジャンルのもっとも重要な特色は、きわめて大胆かつ奔放な空想や冒険が、純粋に思想的・哲学的な目的−ある賢者や真理の探究者の像 に具象化された哲学的イデエ=言葉を、すなわち真理を誘い出し、試みるための、異常な状況を作り出すという目的−によって内的に動機づけられ、正当化 され、尊重されているということである」(詩学p234)
その3のつづき 参考引用 「メニッペアは伝説にもとらわれないし、外面的な本当らしさの規範にもまったく束縛されていない。メニッペアを性格づけているのは、プロットおよび哲学的な 発想の比類のない自由さである。メニッペアの主人公たちが(省略)歴史上および伝説上の人物であるということは、このことを少しも妨げはしない。 メニッペアほど自由な発想、自由な空想を許すジャンルはまたとないだろう」(詩学p234) 「メニッペアというジャンルのもっとも重要な特色は、そこできわめて大胆かつ奔放な空想や冒険が、純粋に思想的・哲学的な目的−ある賢者や真理の探求者 の像に具現化された哲学的イデエ=言葉を、すなわち真理を誘い出し、試みるための、異常な状況を作り出すという目的−によって内的に動機づけられ、 正当化され、尊重されているということである。強調しておくが、ここでは空想は真理を肯定的に具現化するためにではなく、真理を求め、誘い出し、そして何 よりもそれを試練にかけるために用いられているのだ」(詩学 p234) 「これはドストエフスキーがじかに、意識的に古代のメニッペアから出発したことを意味するだろうか?もちろんそうではない。彼はけっして古代のジャンルの 文体模写家ではなかった。ドストエフスキーはこのジャンルの伝統が彼の時代を貫いた現場にあって、その伝統の鎖の環として加わったのである。ただし、 彼はこの鎖の古い輪、特に古代の輪にも、多少なりと精通し親しんでいたのであるが(省略)。いささか、逆説めくが、古代のメニッペアの特徴を保存したのは、 ドストエフスキーの主観的な記憶ではなく、彼がその中で仕事をしたジャンル自体の客観的な記憶なのである」(詩学 p246) 「ドストエフスキーが他の何ものにもまして強く緊密に古代メニッペアの様々なバリエーションと結びついたのは、古代キリスト教文学(すなわち、『福音書』 『黙示録』『聖者伝』等々)を通してである。しかしまた、彼が古代メニッペアの古典的なモデルに通暁していたことにも疑問の余地はない」(詩学 p285)
その4. 《カーニバルというのは本質的には見るものだ、自分でやるんじゃない、とバフチンは言います》(小説p190) ↑なぜ、このような誤解をしたのか理解できない。どこに、こんなことが書いてあるんだろう?もしかしたら、次のような文の誤読かもしれない(自信なし)。 「カーニバル化―それは出来合いの内容の上にかぶせる表面的な不動の図式ではなく、芸術的なものの見方の非常に弾力性に富んだ形式なのであり、 それまで見たことのない新しいものの発見を可能にする、一種の発見の原理なのである」(詩学 p335) しかしながら、 参考引用. 「カーニバルは鑑賞するものでもないし、厳密に言って演ずるものでさえなく、生きられるものである」(詩学p248) 「この時代(中世)にはまたヨーロッパ諸国民の発話生活のカーニバル化現象も生じた。言語の全域にわたってカーニバル的世界感覚が浸透し、無遠慮な 広場の発話というべきものが出現した。(省略)。ヨーロッパ諸国民の露骨な言葉、特に罵倒や嘲りの言葉は、今日でもなおカーニバルの痕跡をとどめている。 同じく今日の罵倒や嘲笑の身振りも、カーニバル的シンボルに満ちているのだ」(詩学 p261)
今は1ルーブル=約4円だよ ソ連時代は凄かったんだね・・・
455 :
吾輩は名無しである :2007/09/02(日) 20:22:50
ドストは入院でもしないとなかなか読めない
トルストイは一読したらそれでいいや ていうかスレ違いだな
>>455 ここは入院患者ばかりかよ!
まあその通りなんだけども
459 :
吾輩は名無しである :2007/09/03(月) 00:46:23
いやあ〜、実際、二重の意味で「入院」していますが、何か?w
33 >罪の対義語は、「信仰」だよ。 について、イタリア研究会さんはどう考えます? 結構、面白いことを言っていると思うのだが・・・。
33→299
その4のつづき (連続投稿ではねられたので...) ざっと第四章を読んでみて、加賀が誤解した可能性があると思われる文章を追加で挙げておく。これも自信があるわけではない。 「カーニバル(省略)そのものは、もちろん文学的現象ではない。それは儀式的性格を帯びた多種混合の見せ物の一つの形式である」(詩学 p247) 「カーニバルとはフットライトもなければ役者と観客の区別もない見せ物である」(詩学 p248) 「以上すべてのカーニバル的カテゴリーは、平等や自由、万物の相互関連、矛盾の一致などに関する抽象的な思想ではない。 いやそれはヨーロッパの広範な、庶民大衆の内で何千年にもわたって形成され生き続けてきた、具体的で感覚的な、 そして生そのものの形式において経験され演じられる、儀式的かつ見世物的な《思想》なのである」(詩学 p250) 「中世の劇や見せ物の世界は、おしなべてカーニバル的性格を持つ世界だったのである」(詩学 p260) 「こうしてカーニバル的形式の多くはその民衆的基盤からもぎ離され、広場を去って、今日見られるような室内仮装舞踏会風のものに変じていったのである。 古代のカーニバル形式の多くは、広場の見せ物小屋の笑劇やサーカスの内に保存されて命脈を保ち、生まれ変わり続けている。カーニバルのある種の要素 は近代の劇場の見せ物の世界にも残っている」(詩学 p262-263) どこをどう読めば、「カーニバルというのは本質的には見るものだ」(小説p190)という結論が出てくるのかわからんが...(上の引用部分とは限らないわけだが)
参考引用 中世の劇や見せ物の世界は、おしなべてカーニバル的性格を持つ世界だったのである。中世後期の大都市(省略)は年平均で約三ヶ月間(時にはもっと 長い期間)すっかりカーニバル的雰囲気に満たされた。言ってみれば(もちろん一定の留保つきでだが)中世の人間は二重の生活を営んでいたのである」 (詩学 p260-261) 「ルネッサンス期にはいわばカーニバルがそのエネルギーであまたの障壁を押し流し、公的な生活、公的な世界観の諸領域まで侵入した。 何よりもまずそれは大文字のほとんどすべてのジャンルを征服し、根本的に変貌させてしまった。あらゆる文学の深くかつほとんど全面的なカーニバル化現象が生じた」 (詩学 p261-262) 「十七世紀前半まで人々はカーニバル劇やカーニバル的世界感覚にじかに関与していた。彼らはまだカーニバルの内に生きていたのであり、つまりはカーニ バルが人生そのものの一形式をなしていたのである。したがってカーニバル化作用も直接的な性格を持っていた」(詩学 p263-264) 「カーニバル化はドストエフスキーに対して、ちょうど十八、九世紀の大部分の作家に対してと同様、もっぱら文学的なジャンルの伝統として影響を与えたので あるが、そのジャンルの文学外的起源、すなわち正真正銘のカーニバルについては、彼は恐らくいかなる明解な認識さえ持ち合わせていなかったに違いな い。 (詩学 p315 バフチンは注において「ゴーゴリは、まだ(省略)カーニバル的フォークロアの本質的で直接的な影響下にあった」と指摘している。詩学 p361) 「カーニバルとは、過去数千年にわたる偉大な全民衆的世界感覚なのである。恐怖から解放し、世界と人間を、人間と人間を最大限接近させる(すべてが 自由気ままで無遠慮な接触関係の中に引き込まれる)、交代の喜びと陽気な相対性を伴ったこの世界感覚が対立するのは、恐怖によって生み出され、教条主義的で、 生成と交代に敵対的な、存在と社会体制の現状を絶対化しようとする、一面的で眉をひそめた公式的な真面目さに他ならない。まさしくそうした真面目さからこそ、 カーニバルの世界感覚は解放してくれたのである」(詩学 p321) 「さらにまた、とりわけ近代に特徴的な劇場での見世物的なカーニバル理解とも、是が非でも手を切るべきである」(詩学 p321)
おまけ 《ずれの手法というのは、まさしくドストエフスキーが考えついた手法なのです》(小説p133) するどい!さすが小説家。でも、それなら、なんでバフチンを誤読するのか? この「ずれ」に焦点を当てたのが、バフチンのポリフォニーなんですよ。 と思ったけど、違う方に行っちゃうわけね。それで、後は読まずにわかった気になってしまったというわけか...(自分の考えと同じだと早合点した) 亀山と同様に「登場人物の多様性による視点の相対化」=「ずれ」と理解している。加賀の考えは考えとして、それはバフチンの考えではない。 注: 引用の後の、 (小説p189)は『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)のページ数を、(詩学p220)は『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)のページ数を示す。 加賀の本の中のバフチンに関する誤解の所だけを訂正してみた。ただポリフォニーやカーニバル化の訂正は面倒くさいし前に書いたのでやめた。 それから加賀の本の他の所を評価する能力はオレにはない。だから加賀の考えの賛否を書いたのではない。ただバフチンの誤解を訂正しただけ。 長い引用をしたのは「ソースを示す」という2chの原則に従ったため。いつも長文で失礼します。 m(_ _)m
465 :
吾輩は名無しである :2007/09/03(月) 03:25:22
長文野郎は自分のブログでも開設して、そこでやれ はっきり言ってウザイんだよ
466 :
427 :2007/09/03(月) 03:53:27
俺はそうは思わない。毎度読んでいる訳じゃないが。
俺は完全にスルーしてる
俺もスルーしました。
既出ならすまんがマッチポイントて映画がまんま罪と罰でワロタ。 ラスコを浅はかにした感じだが、なぞらえた登場人物にニヤニヤしてしまう。
>>460 ダーウィンが出て以降、「信仰」の反対が「科学」という感じが、自分にはあります。
人間失格の該当のシーンでは、他に対義語がある場合は違うとされるようなので、
「信仰」の対義語が他にある場合は、違うとされるのでしょう。「不信」は違うでしょうか?
難しいですね。
「罪」の対義語が「徳」だというのはかなり鋭いなと思いました。こちらは、太宰も思い
つかなかったかもしれませんね。
>>470 ちなみに横槍ですが、Soren Aabye Kierkegaard『死に至る病』岩波文庫p.133では、
「ところで罪の反対が決して徳ではないということは非常にしばしば看過されてきた。
こういうのは、単に人間的な尺度で満足していて罪の何たるかをまさに知らないところの
(……)――いな、罪の反対は信仰である(……)。」と述べられていますね。
「罪と信仰」という観念は、アントニム(対義語)として、「絶対に相通ぜざるもの、
氷炭相容れざるもの」としても捉え得るのではないでしょうか。
>>470 ふむ・・・。
>「信仰」の対義語が他にある場合は、違うとされるのでしょう。
→「すべて信仰によらぬことは罪なり」(ロマ書)。
473 :
吾輩は名無しである :2007/09/03(月) 14:57:39
未成年はまだ読んでないが、五大超編のうち4つが殺人事件ということに気付いた。
キルケゴールは宗教的実存を実存の最高位に置いた、熱心なキリスト教徒でした から、信仰の対義語を罪と捉えたのでしょう。 ニーチェに聞けば違う答えが返ってくるはずです。 ドストエフスキーはどうでしょうか。 「全ての科学がキリストを否定しても、キリストの側に立つ」 というような信念を持っていた人ですから、罪の対義語が信仰だという考えに 同意するかもしれません。 宗教に熱心かどうかで、答えが変わってきそうですね。
信仰の反対は科学ですか・・ 蛇にだまされて知恵の実を食べたときから その罪ははじまったのです
考えてみたら、信仰の反対が科学はおかしかったかもしれません。 宗教の反対が科学という方が良かったでしょう。 悪霊の中で書かれているのは、現代人が信仰を持てないのは、「半科学」のため。 この「半科学」という概念の発見は、ドスト氏が、宗教と科学を対立軸で見ていた ことによると思います。ダーウィン主義者と福音派が対立してるのが、今のアメリカ 南部の現状ですが、やはり科学と宗教は根本的に反対のベクトルを向いているので しょう。
しかし結果はどうあれ そのどちらも人間の幸福を追い求めている あ、宗教と科学は同義語ですよ
ドストの対義語は星新一
“どちらも、それに携わる人間が自身の幸福を追い求めるために” の間違いでは。 信仰を持つとは、ひとがひととして考える、その絶対の責任を、 卑怯にも放擲して、逃げ出す行為に他ならないし、 あとからどんな理屈をつけてみせようが、科学者はそれが楽しいから、 ロケットやら毒ガスやら核兵器なんぞを作ったんでしょうよ。
480 :
吾輩は名無しである :2007/09/04(火) 01:11:51
>>439 今頃なんですが、ゴーゴリは面白いよ。
天才ということではドストに勝るとも劣らないと思う。
まずは「鼻」「外套」もいいけど、「死せる魂」が最高。
翻訳でも十分。
ドストエフスキーの小説ではどれが読みやすいでしょうか。 まだ一つも読んだことがないので。
俺的お勧め 1、白痴 2、カラマーゾフ 3、死の家の記録 あんまりおすすめしない 1、罪と罰 2、悪霊
俺は罪罰と悪霊がもっとも好きだけど オススメとなるとまた別だな・・・
地下室の手記をお読みなさい この主人公で楽しめればもう大丈夫 頁数も短く、ドストの特徴がすごく顕著 序盤が苦痛で後半面白いところとか
485 :
吾輩は名無しである :2007/09/04(火) 02:21:39
「罪と罰」 「カラマ」 が万人向きで、 「悪霊」 「白痴」 が通向けだと思う。
罪罰やカラマでドスト慣れできれば後者も充分に楽しめるな
487 :
吾輩は名無しである :2007/09/04(火) 02:23:27
文面的な読みやすさを重視するなら 光文社新訳古典が読みやすいらしいよ
488 :
吾輩は名無しである :2007/09/04(火) 02:25:15
これはアメリカのゲームです。1度やってみてください。 これは、たった3分でできるゲームです。試してみてください。 驚く結果をご覧いただけます。 このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたった10分で願い事が かなったそうです。このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を 貴方にもたらすでしょう。 約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。 たった3分ですから、ためす価値ありです。 まず、ペンと、紙をご用意下さい。 先を読むと、願い事が叶わなくなります。 @まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。 A1番と2番の横に好きな3〜7の数字をそれぞれお書き下さい。 B3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味の ある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同姓の名 前をかく) 必ず、1行ずつ進んでください。先を読むと、なにもかもなくなります。 C4,5,6番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さ い。これは、家族の人でも知り合いや、友人、誰でも結構です。 まだ、先を見てはいけませんよ!! D8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。 E最後にお願い事をして下さい。さて、ゲームの解説です。 1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。 2)3番に書いた人は貴方の愛する人です。 3)7番に書いた人は、好きだけれど叶わぬ恋の相手です。 4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。 5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。 6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。 7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。 8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。 9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。 10)そして、11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。 この書き込みを読んでから、1時間以内に10個の掲示板にこの書き込みをコピーして貼って下さい。 そうすれば、あなたの願い事は叶うでしょう。もし、貼らなければ、願い事を逆のことが起こるでしょう。とても奇妙ですが当たってませんか?
やはりカラマが一番初心者向きなんだろうか 一番最後に取っておく方がいいという意見も結構見るね
登場人物が多いとロシア初心者は苦しくね? 人の少ない地下室が一番いいと思うけどね
名前が覚えにくいんだよねえ。 ニックネームと本名で別人に思えてしまったり…。
地下室だな それか罪と罰 地下室は後半に面白さが凝縮されてるので、そこまで頑張って読むといいよ
493 :
481 :2007/09/04(火) 03:11:10
494 :
吾輩は名無しである :2007/09/04(火) 03:13:40
ドストエフスキーなら「復活」「戦争と平和」「アンナ・カレニーナ」あたりがお勧め
ttp://book.asahi.com/clip/TKY200709010055.html ドストエフスキー新訳「カラマーゾフの兄弟」が人気
2007年09月01日
19世紀のロシアの文豪、ドストエフスキーが時ならぬブームとなっている。
新訳『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)は全5巻で30万部を超え、古典としては異例のベストセラー。
トークイベントも相次ぎ開催され、本格的なドストエフスキー読本も久々に刊行された。
なぜ今、これだけの関心を集めているのか。
亀山訳は「流れと勢い」重視
東京の丸善・丸の内本店では売れ筋の文庫10作を飾る「ミュージアムゾーン」に、
渡辺淳一、横山秀夫、桐野夏生氏らの現代小説と並べて『カラマーゾフの兄弟』を展示している。
「古典がこのコーナーに来たのは例がない」そうで、若者からお年寄りまで幅広い読者が手に取ってゆく。
同書は、父殺し事件を核に信仰の問題や愛憎劇を絡めた巨大な物語で、
文学の最高峰の一つとされ、何度も翻訳が出ている。
新潮文庫では、ドストエフスキー作品としては『罪と罰』『地下室の手記』『貧しき人びと』に続く4番目の売れ行き。
78年に出た原卓也訳(全3巻)はこれまでに49万部出た。
東京外国語大学教授の亀山郁夫氏による新訳は7月中旬に完結。
第1巻の9万4000部を筆頭に、増刷を重ねている。訳はわかりやすい現代語に徹し、「流れと勢い」を重視したという。
全4部とエピローグからなるこの長編を同文庫は全5巻とゆったり組み、
各巻に亀山氏が読みどころを解説した「読書ガイド」を付す。第5巻はエピローグに加え、解題や年譜を収める。
光文社の駒井稔文芸局長は「テレビで紹介されたわけでもないのに第1巻から突出して売れ始めた。
なぜこんなに売れたのか、わからない」と首をかしげる。
>>495 7月下旬に東大で開かれたシンポジウムでは、ロシア文学者の沼野充義氏と亀山氏が徹底討論を行った。
沼野氏は「亀山さんの訳は驚くほど自然に読める。翻訳者として、先達の名訳者たちに対する“父殺し”を行った」と評した。
論考集『21世紀 ドストエフスキーがやってくる』(集英社)も6月に出た。
大江健三郎、井上ひさし、加賀乙彦氏らベテランから若手の金原ひとみ氏まで
多くの作家や文学者の対談や評論を収め、文豪の魅力に多角的に迫る。
本格的なドストエフスキー読本は、70年代に「現代思想」で特集が組まれて以来という。
担当編集者の高橋至さんは、「70年代までの日本における受容は、
戦後派を中心とした実存主義的な解釈に基づくものが主だった。
その後の研究成果や、現代日本小説との接点も視野に入れ、
今読んでもこんなに面白いんですよということを伝えたかった」と語る。
「死の家の記録」よりも、「地下室の手記」の方がいいよ 前者はドストが好きになってから読んだ方がいいと思う 完成度は甲乙付け難いけど、読了するのは後者の方が楽だと思う
>>496 現代に通じる人間の卑小さ
02年には、東大の大学院生が「ドストエフスキーって誰なんですか」と聞いた
“事件”を東大教授が雑誌に寄稿、話題になった。
だがその後、大物作家の推薦が相次ぐ。大江氏は本紙連載「伝える言葉」で
「いま、若い人たちにすすめるのは『悪霊』です」(04年9月)と記した。
村上春樹氏も「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本」3冊に、
自ら訳出した『グレート・ギャツビー』『ロング・グッドバイ』と共に『カラマーゾフの兄弟』を挙げた
(06年『グレート――』あとがき)。こうした紹介も関心の下地になったと考えられる。
8月25日に東京・六本木で開かれたトークイベントで、亀山氏はブームの理由をこう分析した。
「『カラマーゾフ』では運命に翻弄(ほんろう)される人間の小ささが描かれ、グローバル化の現代の状況に似通う。
テロなどの大きな悲劇と、ネットなどで得られる後ろめたい情報とに挟まれ、人間の卑小さが実感される時代になった」
筑摩書房の編集者で、TBS系「王様のブランチ」の本のコメンテーターを務める松田哲夫氏は
「読者はただ泣けるだけの小説にも飽きてきて、19世紀的な大きな物語の地層にぶつかっているのでは」とみる。
「オウム事件や9・11事件を経て、宗教や犯罪など、人間のわからない情動を問う闇の世界の物語へと関心が戻ってきた。
政治や哲学のレベルでは解けない奥深い問題は、バブルや不況の時代には遠のいていた分だけ、逆に希求されるのでしょう」
>>495 すげーな
原卓也訳だけでこれまでに49万部って・・・
カラマーゾフは、日本で悠に100万部超えてるのか。スケールの大きい小説だわ。
ドストはタイトルがすごいパワーがある 「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」どっちも 小さい頃にチラ見しただけでずっと記憶に残ってた
個人的には「虐げられた人々」がお薦め。 展開めっちゃ早いし、ネリーめっちゃカワイソスだし。
大江健三郎 「「いま、若い人たちにすすめるのは『悪霊』です」 村上春樹 「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本」3冊に、自ら訳出した『グレート・ギャツ ビー』『ロング・グッドバイ』と共に『カラマーゾフの兄弟』
悪霊かい 地下室のがおすすめできるな
大江健三郎は60年代の文芸誌読んでも、悪霊を絶賛してる よほど好きなんだろう ただ、その後、罪と罰をもっと好きになり、毎年読み返してると語ってるが
505 :
ごまかしなし :2007/09/04(火) 18:59:46
*** 「1986年の爆発」から「200X年の爆発」へ *** 436 イタリア研究会さん >トルストイはまさにそんな感じですね。 よくトルストイ=アポロ的・ドストエフスキー=ディオニーソス的等と指摘されます が、トルストイこそ、押さえ込みと爆発を兼ねた”本物の爆発人”です。 トルストイを一言で表現すれば、”人生マニア(ライフワーカー)”です。 詳しく言えば、人生連続性マニア・人生スナップショッターです。 人生マニア・トルストイを考えることは、梅川事件を解き明かすヒントにもなります。 「1986年の爆発」(梅川事件)を 梅川が、単純に「ラスコリニコフに自己同化して 起こした犯行」であるとは言えません。 それは、梅川の、銀行内での犯行行為が”儀式”めいているからです。 梅川は、ラスコリニコフの超人理論に従って残酷な行為を行ったのではないのです。 銀行内での行為を一言で表せば、それは”贖罪の儀式”です。 聖なるものへ捧げ物を捧げる儀式,そして、その捧げ物は人間です。 聖なるもの、それは「罪と罰」です。 この光景は、ズバリ、読者がひとり、部屋で無心に「罪と罰」を読んでいる光景その ものです。 梅川が銀行内で行っていた犯罪は、「罪と罰」の内容に関わるというより、「罪と罰 」を読むという行為の反復、それを外界に展開した行動に思えます。 何故、そう言えるのか? その為には、梅川にとって「罪と罰」とは何であったのか? 梅川の人生,対人関係等と「罪と罰」が、どういう関係にあったのか? 物語性・反復 等について考えてみなければなりません。 続く
先週の金曜日にミステリ板でドストエフスキー作品の投票を告知したものです。 今日締め切りましたので集計結果を報告いたします。御参加ありがとうございました。 F・ドストエフスキー 集計結果 4 悪霊 3 罪と罰 カラマーゾフの兄弟 投票においては、ミステリ板ということで、 ミステリ作品としてという観点を重視していただいた方もおられた様で、 たいへん有意義なものとなりましたので感謝します。 ミステリ板の代表作投票スレでも時々純文学作家が採り上げられますが、 あまりミステリ板なのが考慮されないケースもあるのですが、 今回はミステリとしてという面がかなり考慮されていたみたいで、 ミステリ板住人としては嬉しく思いました。ありがとうございます。
儲かった金で増毛 翻訳の抜け落ちに注意
今のカラマーゾフブームは、森鴎外が訳した時に起きたファウストブームと 似てるとこがあるらしい。 読んだ方が良い本だという評判が広まり、昔の本なのにベストセラーになる。 違うのは、ファウストはほとんどの人が一部だけ読んで終了だが、カラマーゾフ は読了できる人が多いことだな。
>カラマーゾフ は読了できる人が多いことだな。 ファウストとたいして変わらないだろ
ファウストは二部が、説明すらつかないような、一見して支離滅裂な内容で その上その二部の方が長いので、よほどの文学好きじゃないと読めない
カラマのイワンが主張する不死ってのは、子孫に自分の魂を託す的な解釈でいいのか?古文ってまわりくどすぎ
513 :
吾輩は名無しである :2007/09/05(水) 10:50:27
カラマーゾフが一番好きなんだが つうかドストエフスキー以外の小説は全てブックオフに売ってもいいと思ってる
そりゃ、読書家としては気の毒なケースだ。
>>512 そこは覚えてないな
>>513 俺も海外文学はそんな感じ
日本の作家は好きだけど、海外ではドストだけかな 本当に好きになれるのは
>>513 同じだ。ドスをローテで何回も読み返すだけで一生暮らせそう。
青木雄二は「罪と罰は最高の小説なので、これ以外はいらない」
みたいな事を書いていたな。流石に極論だが。
ドミトリーの情事の所興味無くて早くも挫折しそう。 ドストエフスキーはそこで一体何を言いたいん?
ドミートリーのドタバタめっちゃ面白いっしょ?ん?って言いたいんだよ。
519 :
吾輩は名無しである :2007/09/06(木) 21:41:40
ドミートリーの中に流れるカラマーゾフ的なものでしょ ドミートリーは作品を通じて、イワンほどの存在感はないけど、 面白い話は多かったと思う
うーむ。ドミトリーって日本の俳優で言ったら萩原健一辺りを想像してたら 良いのかな。
521 :
吾輩は名無しである :2007/09/06(木) 22:33:04
ドミートリーはフョードルと似て、喜劇的な男 フョードルほど賢くはなく もっと直情的だが、道化なのは同じ ああいう道化みたいな男ってのは、実際に会ったことがあると実感が 持てるんだけど、レアだからな〜 俺はたまたまフョードルによく似た 人が知人にいることもあり、ドストが何でああいう人物を書きたくなったか 分かる気がする 俺も書こうかと思ってたぐらいだからなw
>>518 ドミートリーの喋りや行動は著しく無駄が多いからなw
だけど後々のために、この乱痴気騒ぎは必要な場面だと思う。
ミーチャの見所はこれから(最後の方まで)。
場違いに笑える発言あり、胸を打つ発言あり。
でもミーチャの良さがよく表現されているのは、新訳より新潮社の訳な気がする。
フョードルの自虐っぷりは親近感が持てて読んでて胸がスカッと するんだが、確かにドミトリーは今の所どっち付かずな気がした。 でも続けて読んでみるありがとう。
>>524 がんばれ。ミーチャの一番の見せ場は終盤だから。
それ以前にも見所があって、そのためにもまどろっこしいから騒ぎが必要ってことで。
526 :
吾輩は名無しである :2007/09/06(木) 23:18:47
道化というのは褒め言葉でしょうか
527 :
521 :2007/09/07(金) 00:17:41
>>526 あんま良いもんじゃないと思うねw
周りにそういうのがいれば分かる。やっぱずれてるヤツはどこまで言っても
ずれてる。たとえ、それが社会で上手くいくための仮面であったもだ。
全うに物事を考えて行動する奴らに対する嫉妬も混じるからね。
529 :
526です :2007/09/07(金) 00:51:27
僕は自分の父が凄く面白い人だと思っていました。 大学も行ってないけど、職人でマッチョで、潜在的に憧れでした。 しかし僕が大学に行き、初めて文学に触れ、一人の人間として父を見たとき、 こんなに道化なピエロは居ない、と思いました。 自らが努力してこなかったことを逆切れして、「何がドイツ語だ!!」 とか、「俺は意地でも本なんてよまねえ。」とか、「大学教授がパンチラ取ってつかまりやがった ざまーみやがれ!!」 とか言ったりしていました。一度夏に父の職場を手伝ったのですが、 威勢の良いのは家だけで、職場に行くと、30も下の若造に注意も出来ない小心者なのです。 茶髪にピアスに加えタバコを黙認している、こんな職場なくないですか。 僕は、幻滅しました。そしてその夏が過ぎた後の冬、初めてカラマーゾフを読んだのですが、 父は正直フョードル以外の何者でもありませんでした。 道化て道化て、あわよくば僕を自分の職場につかせようとする・・・・。 ずるいんです。優しく面白い振りをして、その実あるのは、自分自身のエゴイズムだけです。 文学は、本当にいろいろなことを思い知らせてくれます。 最近はもう、威厳のある大人に憧れます。
530 :
吾輩は名無しである :2007/09/07(金) 01:03:09
>>529 乙 面白かったわ。それでもお父さんのことは尊敬してあげてね。
531 :
526です :2007/09/07(金) 01:20:35
父は大学の卒業式に、三十年以上一度も休まずに働き続けた職場を初めて休んできてくれました。 本当に感謝しています。ただ、式が終わった後、「おめでとう」と言いつつ、 かなり憎しみが籠もっていましたけど。 まあ、何はともあれ、家に一冊も本がなかった僕にとっては、文学はカルチャーショックでした。 父親云々より、自分がしっかりせねば、自分が一人前にならにゃ、どうにもならん、という気で一杯です。
>父は大学の卒業式に、三十年以上一度も休まずに働き続けた職場を初めて休んできてくれました。 全露が泣いた
そのお父さんはフョードルというより典型的な日本人の様な気がする。 もしそれがフョードルなら、俺の周りみんなフョードルだよガクガクブルブル
534 :
吾輩は名無しである :2007/09/07(金) 02:17:48
家なんかまさにヒョードル&ドミートリィそのものだ
日本人とロシア人で似てるな 結局どいつもこいつも田舎モンなんだよ
国民性が意外と似てると思う
537 :
吾輩は名無しである :2007/09/07(金) 08:49:11
ロシア人と似てるのは どう見ても朝鮮とかモンゴルあたりだと思うが
>茶髪にピアスに加えタバコ 鳶とかならごく普通の事じゃないか。
でも日本には宗教の重要さがまったくない。だからまとまりがない
日本は不思議なことに宗教心よりも「和」というか「世間並み」という思考が ものすご〜く浸透しているのだった。 いまでもこそバラバラな気がしているだろうが、これがいざとなると団結するんだよねぇ。 阪神淡路の地震のときなんか世界中が驚いたんだぜ〜 あの新鮮な驚きはほんと、感動すら引き起こした・・・・
541 :
吾輩は名無しである :2007/09/07(金) 17:47:52
だから日本とロシア人なんて全然似てねーって 激昂したり、鬱憤ためこんだりする性質は朝鮮とかのほうが強い どこの国にも、ドスト的なやつがいるってだけで それが国民全体そうだと思う神経がどうかしてるよ 日本がロシアと似てたらなんか嬉しいのか? =自分もドスト的とでもおもいたいのか?
543 :
吾輩は名無しである :2007/09/07(金) 18:18:53
日本人とロシア人が似てるとかいうとんでもない発想をするお前ら幸せだよな ロシア人としゃべったこともないくせにw
本の世界が全てだと思ってる時点で人生危ういよ
545 :
ごまかしなし :2007/09/07(金) 19:05:53
541 >だから日本とロシア人なんて全然似てねーって 激昂したり、鬱憤ためこんだりする性質は朝鮮とかのほうが強い 僕は、「カラマーゾフの兄弟」にある「リーズの扉指挟み」に遭遇しました。 もちろん、韓国の方です!。 仕事ぶりをなじられて、火病が爆発しました。 それは「激烈な、扉指挟み!!」、壮絶な光景でした。 これはドスト的というより、激昂したり,鬱憤ためこんだりするトルストイ的爆発 と呼べます。 僕の他にも「扉指挟み」を見た方は居ませんか? 「一方リーザは、アーリョーシャが遠ざかるやいなや、すぐに掛金をはずして、ド アをほんの少し開け、その隙間に指を一本はさむと、ぴしゃりとドアを閉めて、力 まかせに指を押しつぶした。十秒ほどして指をぬくと、静かにゆっくりと車椅子に 戻り身体をまっすぐに起こしたまま座って、くろずんだ指と、爪の下からあふれで る血とを、食い入るように眺めはじめた、唇がふるえていた。彼女は早口につぶや いた「恥知らず、恥知らず、恥知らず」」 (「カラマーゾフの兄弟」第11編兄イワン 痛む足 下巻ページ148より)
ロシアの扉は分厚くて重そうだな 日本のふすまや障子ではとても指を潰せまいぞ
扉皮挟みなら結構ある。後ろにたくさん並んでる時とか。
韓国の人はよく怒り死にするらしいな。心臓発作とかじゃなくて。 よく野球の試合が終わった後負けたチームの応援席とかで転がってるんだって。
純粋な少女だった頃、教師に自尊心を傷つけられることを言われ 面談の最中に舌を噛み切って死のうとしたよ。 でも舌ってめちゃくちゃ硬くてだめだった・・・ 腫れあがって食べ物が食べられなくなっただけだったよ。 今思うと「目の前で死んだらお前が困るだろう!」という理由だから なんとばからしいことか・・・ これもリーズの指ハサミかな? ううん、リーズは自らを罰したけど、私のは相手へのただのあてつけ、意地だった♪
女もドスト読むんだな
551 :
吾輩は名無しである :2007/09/07(金) 22:23:40
>>549 かなり違う。
共通しているのは感情の爆発ってことかな。
でもわかるよ、そういう感じ。
誰にでもあるよね。
552 :
吾輩は名無しである :2007/09/07(金) 22:32:25
ドストは女の気持ちわかるやつだよね。
すごい女々しいんだよ
そういえばドストもどっかで日本の侍の腹切りについて触れてたっけな 自分の潔白を証明したりだとか、相手へのあてつけだとかなんとか・・ なんの小説だっけ?
556 :
吾輩は名無しである :2007/09/07(金) 23:21:20
最近出た『21世紀はドストの時代』とかいう冊子で確か、ロシアの作家だと 思ったが、ドストは女性的でトルストイは男性的、といってたけど、さすが よくわかってる。 アンナ夫人は幸せだったと思う。トルストイの奥さんは気の毒だったんじゃ ないかな。確か前者は賢夫人、後者は悪妻といわれているけれど。
557 :
吾輩は名無しである :2007/09/07(金) 23:23:40
>>556 「〜は女性的で〜は男性的」って表現って
必ずしも妥当でないことが多いけどね。
他のジャンルで見ていても。
559 :
吾輩は名無しである :2007/09/07(金) 23:41:23
大学の卒業式なんて、親はおろか私自身も出席してないが、 ともあれ、ドストは最高である。
>>522 やっぱ新潮社文庫いいよね。
別板のスレでは「ドストエフスキーなのに、つるつると読める新訳イイ!」
という意見も出てたし新訳の合う人も多いんだろうけれど、
ミーチャやイワンの性格の面白さが出ているのは
新潮社文庫の原氏の訳の方だとおもった。
性格云々に変わった感じはしなかったけど、 大審問官前の小さな女の子に対する虐殺の話とかが亀山では軽く感じてしまったよ。 あんまりあっさりしすぎてた感じがしてね。 ゾシマ長老に殺人を告白した男の話も、みょ〜に軽い感じがした。 搾り出すような苦悩が感じられなかったんだよね。 そのあたりはつるっと読めちゃいけないところだもんね。
562 :
ごまかしなし :2007/09/08(土) 13:11:49
548 >韓国の人はよく怒り死にするらしいな。心臓発作とかじゃなくて。 よく野球の試合が終わった後負けたチームの応援席とかで転がってるんだって。 日本人に話しても「本当かナ〜〜」て感じなんです。 僕は、実際に、韓国の方々との付き合いで「テコンドすい臓破裂」「アクセルゴー で首筋20針縫い」「扉指挟み」等に遭遇しているんです。 しかし、さすがに目前で遭遇したのは「扉指挟み」だけです。 韓国の方といっしょに歩いていると、突然、顔がまっかになったり,理由もなく落 ち込んだりするんです。 あまり頻繁に顔が変化するので、のっぺら顔だから、少しの変化でそう見えるだけ なのかな?こっちの思い過ごしだな?と、気をとり直します。。。 しかし、”やはり、こちらの言動に機敏に反応して熱くなっているんです!” 火病の場合は、爆発一分前頃から、ハーシ,ハーシと唸り始めます。 これは、もう危険です、ハンです。 「扉指挟み」の時は、在日の女性が、仕事場で仕事振りをなじられ、その場は何事 もなく穏便に過ぎたんです。 その女性が部屋を出てしばらくしたら、悲鳴と「バシャーン!!」とドアが強く閉 まる音がしたんです。 急いで見に行ったら、その女性が、全然関係のない部屋のドアを八つ当たりして閉 めて、見たら、指に怪我をしているんです。 (^^; あまりの壮絶な光景に、叱るどころじゃないんです。 数日して「そういえば、あの光景はどこかで読んだことがあるゾ」と「カラマーゾ フの兄弟」のリーズに思い至った訳です。 リーズの場合と違うのは、在日女性の場合は”仕事ぶりをなじられ収まりきらない 怒り(ハン)を指の激痛で静める”という激烈な行為であることです。
在日の人か。 日本で生まれ育っても国民性は消せないのかな
>>562 どうでもいいけどさ、ドストエフスキーとほぼ関係ない話を
ながながするの辞めない?
韓国と聞くと言いたくてしょうがなくなる病ですな
>>562 長いし話がつまらない。荒らしてんのかおまえ。空気嫁
567 :
ごまかしなし :2007/09/08(土) 17:19:05
565 >韓国と聞くと言いたくてしょうがなくなる病ですな そんなことないよ。 僕は、韓国よりトルストイの方が嫌いだよ。 ドストエフスキーとトルストイは関係ないんだから、ドストエフスキーとトルストイ の対比を書き込むのは止めてくれよ。 空気読んでくれよ!!
568 :
ごまかしなし :2007/09/08(土) 17:24:29
ドストエフスキーが嫌いで、ドストエフスキーの小説世界が嫌いなら、 ドストエフスキーに関わらなきゃいいじゃない。
569 :
ごまかしなし :2007/09/08(土) 18:01:38
558
>>556 「〜は女性的で〜は男性的」って表現って
必ずしも妥当でないことが多いけどね。
その通りですね。
誰だって人間一個人の中に、男性的女性的要素を兼ね備えて持っているし、男性的
女性的なんて、視座を変えれば変わりますからね。
ドストエフスキー自身の中に男性的女性的要素があるだろうし、トルストイ自身の
中に男性的女性的要素がありますからね。
(ドストエフスキーとトルストイは関係ないけどね ^^)
作家の全体構造を問題にしない、レッテル貼りの議論は不毛な荒らしですね。
ちなみに、ドストエフスキーは、明るく,楽しい”さっぱりした”気楽に付き合え
る人格者ですよ。 ^^
ドストの世界の変人キャラの思考が面白すぎて考え方が引きずられそうだわ。 登場人物の感情を動かすのが上手い作家だ。
571 :
ごまかしなし :2007/09/08(土) 18:23:22
570 >ドストの世界の変人キャラの思考が面白すぎて考え方が引きずられそうだわ。 登場人物の感情を動かすのが上手い作家だ。 必死だね。 ^^ ドストの世界のキャラって何のことだ? ドストの作品世界,人物は、小説の架空の創作産物だから、現実世界の人間とは全 然関係ないだろう。 ^^
空気コテから糞コテへの昇格の瞬間である
ドストの登場人物は実はキムチでFA?
574 :
吾輩は名無しである :2007/09/09(日) 01:09:29
火病まで書いたってことだろう ヒステリーの極致が火病だからな
また変なコテ出現か
のちのイタ研である
577 :
吾輩は名無しである :2007/09/09(日) 11:58:43
空気読んでたらドストは存在しないな。 空気読まない人を満載しているのが彼の世界だから。
578 :
吾輩は名無しである :2007/09/09(日) 12:57:07
まぁ、ああいうキャラは小説内だからこそ客観的に面白く読めるけれど、 現実で近くにいたら堪らないわなw
いやあ、いいと思うけどね ドゥーニャ、ナターシャ、ソーニャ、アリョーシャ ぜひお近づきになりたいです
580 :
577 :2007/09/09(日) 14:24:56
「空気が足りない」ってのがドストのキーワードのひとつ(ラスコとか、スネギリョフ とか、地下生活者とか)だけど、現実に周りの空気に合わせなきゃ生きていけない 現代日本の社会で酸欠状態で暮らしている人間としては、登場人物が言いたいこと をいいまくるドストの世界は、深呼吸ができる感じがして清々する。
581 :
ごまかしなし :2007/09/09(日) 15:15:17
578 >まぁ、ああいうキャラは小説内だからこそ客観的に面白く読めるけれど、 現実で近くにいたら堪らないわなw いや、ドストの小説は、バフチンが言うように言語の外在性,他者性を基礎に成立 しているから、キャラがどうこうは関係ないんです。 現実の人間とは関係ないんだから。。。 怖いのは、現実世界の場で、そういう対話状況が成立しないのに、ドストのキャラ そのもの(小説世界と現実世界の区別がつかない)の人が、ドストが小説で取り上 げているような問題に直面した時なんです。
バフチンの言ったとおりに読みましょう友の会が多くないか
583 :
吾輩は名無しである :2007/09/09(日) 15:45:44
しかたないだろ ドストに限らず、バフチンの発見というのはモダニズム以降、評論界を席巻した 感すらあるんだから 日本はまだ少ない アメリカやイギリスは、百近いバフチンサークルが力を持って るからな
誰がどう読もうと読む側の勝手じゃん? それともドストエフスキーがそう嫁と言ったのか? 言ったとしたってきかないけど。
豚ギリで悪いのだけど リーズが扉に指挟むのはどういう意図があるの? リーズの感情がよく分からん。
586 :
吾輩は名無しである :2007/09/09(日) 18:30:11
だいじょうぶか〜〜〜 持ち堪えているか〜〜〜
世界バフチン教
588 :
吾輩は名無しである :2007/09/09(日) 19:01:18
ドストの長台詞を最後まで聞いてくれる登場人物はいい人 現実じゃ途中で遮られる
590 :
吾輩は名無しである :2007/09/09(日) 20:24:10
バターで油っこくて最高らしいブリンとやらを食べてみたいのだが シャトーディケムで晩餐ご自殺も良い。 ロシアの小宿って、オーダーすればシャトーディケムが出てくるのかな。 あんな高級なお酒、置いてる店滅多にないよね?
「女」が書けるか書けないかで小説家の価値というか本質が見える、みたいなことを読んだ記憶がある
カツレツとやらを食ってみたいな。 スヴィドリガイロフが死ぬ直前に食べてたっけか ソースはどんなのだろう
593 :
吾輩は名無しである :2007/09/09(日) 22:32:25
>>591 ずいぶん偏ってるなw それなら太宰治は究極的な作家だな
女性の一人称書かせたら、太宰はトルストイの数十倍は上手い
馬鹿くさ。 そんなもの男が下した判断だろう。
太宰といえば女性ファンの多さが有名ですね。 太宰=女性信者 この構図は今でも変わらないと思います。 「斜陽」、「女生徒」が良かったんでしょうか?女の描き方は確かに太宰は上手い と思いますが、トルストイのそれとはまた違った感じですね。より女の繊細さや、 気分やであるところを上手く捉えているかと。「斜陽」などは、執拗な女をああも 上手く描いたのは驚異的だと思います。描き憎そうですしね。ああいうタイプは。
596 :
吾輩は名無しである :2007/09/10(月) 05:11:51
灰汁の強いキャラほど描きやすい これ豆知識な
あのさ、ここ太宰スレじゃないし。 それにどうなんだろ、太宰が好きなのは10代から20代が中心だよ。 逞しい母親になった女たちは太宰のよわっちさ、くどさ、泣き、 神経質なんかがだいっ嫌いになる人が多い。 私もかつてはあの繊細さに「すてき」と思った口だけど 今じゃ「なにをくどくど、ねちょねちょ言っとるかアホウが!」だよ。 太宰の女の描き方が云々ってよく言うけどさ、 本物の女はか弱さなんかこれっぽっちも持ってないんだよ。 肉体こそ弱くっても精神は相当図太いよ。 メスは子どもを産んで育てるんだから弱くっちゃ勤まらないんだ。 オスに守ってもらうべく、みんな弱そうに見せてるだけなんだかんね。
598 :
577 :2007/09/10(月) 11:19:09
日本じゃあんなに登場人物が長広舌振るいまくるのは非現実的とドストのことを いうけど、ロシアに行ってみて、自分たちをあまりのリアリズムで描いているので、 ドスト嫌いのロシア人が意外に多いという説に納得した。
じゃあみんなあんなにしゃべりまくるの? 居酒屋で4時間も大審問官を語ったりするのか・・・・ ロシアには住めないや。
悪魔でも空想であることを忘れるな、と言いたい
>>593 トルストイの女性一人称なんてあったっけ?
最近、ルーさんが「ルー語」なる言葉を話しているが、 もしや、ドストが作品の中でフランス語やドイツ語を 使っているのを参考にしたのだろうか?
>>601 女性の描かせ方の上手さで、トルストイと太宰を比較しつつ、
でも「太宰の方が女性の一人称なんてすごく上手いよ」と
軍配を上げているのではなかろうか。
流れがこうなったのも 誰かさんが人間失格の罪と罰の話題をはじめたから
しかし、太宰が世界一かと言われるとなあ。知らんけど。
太宰治(笑)
ここはいつから太宰スレに?
608 :
吾輩は名無しである :2007/09/10(月) 16:38:14
カラマーゾフの兄弟を読むのが億劫な人は、とりあえずあらすじを一通り読んで エピローグのアリョーシャの演説だけ読めばいいんじゃね? あの20ページほどの文章で難解な問題をすべて解決してるように思う。
609 :
ごまかしなし :2007/09/10(月) 18:09:16
603
>>601 女性の描かせ方の上手さで、トルストイと太宰を比較しつつ、
でも「太宰の方が女性の一人称なんてすごく上手いよ」と
軍配を上げているのではなかろうか。
というより、ドスト,トルストイ,太宰の三つ揃えで、ヨイショではないでしょう
か。 ^^
だいじょうぶですか〜〜〜
持ち堪えていますか〜〜〜
610 :
ごまかしなし :2007/09/10(月) 18:38:54
588 >ドストの長台詞を最後まで聞いてくれる登場人物はいい人現実じゃ途中で遮られる いや、現実世界の対話としても、ドストの小説の場合はまだいいんですよ。 対話形式だし,相互主体的で、対話のズレに面白さがあるから。。。 トルちゃんの小説内容や対話が、現実で行われていたらそれこそ耐えられない(><) 僕は、他の板でトルちゃんのこと書いているけれど、本当は「戦争と平和」は一巻 だけ「アンナ・カレリーナ」は全然読んだこともない。 何より、長すぎるんです。 皮肉でなしに「戦争と平和」なんか、完読しただけでもすごいと思う。 ちなみに、昔、僕は、妹から「カラマーゾフの兄弟」を読めと強く薦められたこと があった。 それで読んだから、妹に読後の感想を報告したら、当の妹は「大審問官」の部分し か読んでいなかった。 妹は、その当時、統一教会への入教を迫られていたので、それが嫌で「大審問官」 を持ち上げているだけだった。
611 :
ごまかしなし :2007/09/10(月) 18:45:28
599 >じゃあみんなあんなにしゃべりまくるの? 居酒屋で4時間も大審問官を語ったりするのか・・・・ 女の人が異常におしゃべりなんだよね。 大審問官ではなくて、日常のこまごましたことを4時間くらい話しまくる。
あなたアンナ・カレーニナも読まないでトルストイVSドストエフスキーで あんなに力説してるわけ? 私はドストエフスキーが好きだけれど、トルストイはアンナ・カレーニナだけは 好きだなぁ。 比較するスレで読んでいない人間があれだけ書きまくるとはびっくりだよ〜ん。 あなたの書く事は比較スレではもう信じないことにする。 それから、4時間しゃべりまくるのは日本人の女も同じだよ。 日本人女の場合おしゃべりというのは、聞き手も話し手も口語に入れ替わる場合を 普通は含むけど、ドストエフスキーの場合、 話し手がひたすら一方的にしゃべるからすごいね。
誤変換しました、ごめんなさい、 口語⇒交互です。
太宰は、最晩年のドストエフスキーの芸術的直観を解していないと考えられる。
「カラマーゾフ兄弟」のアレクセイは、絶望、愛する者の死を乗り越えて、
「全人」(⇔超人)として、人類すべての救済に至るのだと予見される…・…。
>>506 「悪霊」は、その前段階の作品として、評価されているのではないかな。
615 :
ごまかしなし :2007/09/10(月) 19:29:11
612 >あなたアンナ・カレーニナも読まないでトルストイVSドストエフスキーで あんなに力説してるわけ? 私はドストエフスキーが好きだけれど、トルストイはアンナ・カレーニナだけは 好きだなぁ。 アンナ・カレーニナは、映画で観た(。。。ような気がする) (^^; アンナ・カレーニナは、作者トルストイの意志から比較的自由に振る舞えた登場人 物と指摘されてますね。 僕は、トルストイの思想はXだけど、表現才能等に関しては保留なんです。 トルストイは天分豊かな人だし、ドストよりも芸術的表現能力は上だと思う。 しかし、それ故の、こわさ,危なさがあるんです。 ところで、あなた、トルストイの作品で、アンナ・カレーニナ以外何を完読しまし た。 ^^
太宰はドストエフスキーの描く小説について次のように書いているね。 「モオパスサンは、あれは、女の読むものである。私たち一向に面白くないのは、 あれには、しばしば現実の女が、そのままぬっと顔を出して来るからである。 頗る、高邁でない。モオパスサンは、あれほどの男であるから、それを意識して いた。自分の才能を、全人格を厭悪(えんお)した。作品の裏のモオパスサン の憂鬱と懊悩(おうのう)は、一流である。気が狂った。そこにモオパスサン の毅然(きぜん)たる男性が在る。男は、女になれるものではない。女装する ことは、できる。これは、皆やっている。ドストエフスキイなど、毛臑(けずね) まるだしの女装で、大真面目である。ストリンドベリイなども、ときどき熱演の あまり鬘(かつら)を落して、それでも平気で大童(おおわらわ)である。 女が描けていない、ということは、何も、その作品の決定的な不名誉ではない。 女を描けないのではなくて、女を描かないのである。そこに理想主義の獅子奮迅 が在る。美しい無智が在る。私は、しばらく、この態度に拠ろうと思っている。」(女人創造) 基本的に、太宰は(太宰の考える限り)ドストエフスキーと同じ態度で女性を描こうとしていたらしい。 このスレでは太宰の評価は低いみたいだけど、 実際に太宰がどれだけドストを読み込み、影響を受けていたかはともかく、 両者の作品には、道化性とか、語り言葉主体の文体とか、 共通する要素は多々あると思うけどね。
>>615 トルストイの思想のどういう点が危険だと思いますか?
理想が勝ち過ぎている点かな?
618 :
ごまかしなし :2007/09/10(月) 19:52:46
617
>>615 トルストイの思想のどういう点が危険だと思いますか?
理想が勝ち過ぎている点かな?
トルストイの思想が危険なんじゃないんです。
たとえば、トルストイは、描写等で見えすぎる目を持っているんです。
自分の生まれた時の光景まで見ているんです。
これは、天分なんです。
問題は、この光源なんです。
また、トルストイのこの天分は、トルストイ一個人の才能に留まるものでは
ないんです。
今度はここをトルストイスレにするのか? ほんとじゃまくさいな。
女なんかリアルで描いたらつまんないもん。スーパーのチラシで十分でしょ。 表な。
カラマーゾフ読もうかと思ってるんですが 原さんの訳と亀山さんの訳とどっちがお奨めですか? 冒頭数ページでは原さんのほうは割りと平易な文章になってる印象を受けました
>>622 間違えました
原さんじゃなくて亀山さんのほうです
>>622 これまでこのスレに出てきたように、
亀山=読み易い、分かり易い、とっつき易い
原=ドストらしい唐突さやエキセントリックさが出てる、登場人物に味が感じられる
ってところで、俺は原の方をすすめる。
新潮文庫の方が安くあがるしw
カラマーゾフ、一生懸命読んでるんだけど なかなかおもしろいと感じるようにならない どの辺からおもしろくなりますか? 現在、亀山本1の215頁
カラマの亀山訳に昼ドラレベル以上のものを期待してはいけない。
それは言い過ぎだろ 普通に良いよ
>450への自己レス 訂正 「加賀は対話形式であれば「ソクラテスの対話」的だと思っているのかもしれない」と書いたが、加賀が下記のように書いていることからみて誤りであった。 そもそも『ファウスト』は対話形式ではなく戯曲だった。すまぬ。 《メニッペアは「ソクラテスの対話」とはすこし違ったタイプの対話で、要するに「笑い」の要素が非常に強い》(小説 p189) 疑問 加賀は同じページで次のように書いているが、そのすぐ後で《「ソクラテスの対話」的な小説の典型はゲーテでしょう》(小説p189)というのがわからない。 これは、ゲーテの『ファウスト』の説明としても通用する文だと思うから。(作品によっても違うのだろうが) 《メニッペアは空想冒険小説の世界です。だからメニッペアでは、主人公たちは天国へ昇ったり地獄へ降りたり、自由奔放な動きをする。(省略) そしてメニッペアでは二重人格とか、狂気、自殺、殺人という日常生活ではあまり起こらない出来事が物語られることが多い》(小説 p189) 憶測 またこれはただの憶測にすぎないが、加賀が《カーニバルというのは本質的には見るものだ、自分でやるんじゃない、とバフチンは言います》(小説p190) とした理由として、カーニバルが往年の輝きを失って衰退し、現代では文学や見世物小屋やサーカスなどに名残を留めるのみだということを誤解して、 現代においては「カーニバルとは見るものだ」という結論に至った可能性がある。バフチンの記述から、これは「カーニバルの衰退」であって 「カーニバルの現状」ではあるだろうが、これを「カーニバルの本質」とするのには無理があると思う。
長文でたいへんだけど、こういうレスは読むと勉強になるので、個人的には 助かる
>625 2巻の221頁「4 反逆」くらいかな? 前フリが結構長い小説だと思う。 全部読むと前の方を読み返したくなる。
>>628 加賀って精神科?の割りに一番好きなドスト作品が白痴だとかで、なんか薄っぺらな感じがすんだけど。
これいかに。中村のほうがすっきりしてるイメージが。
あとバフチン読んでみたけど、なんというかこの人の対話原理とドストの小説って重ねにくいと思う。
ドストの小説にソクラテス的対話ははっきりいってないと断言できるし、そもそもドストって対話してんのか?
作者と登場人物って観点から見ても、別に対話してるというか・・・なんというかドストのまんまな気がする。
その証にドストの登場人物類型可能だし。
>>625 好きなキャラ絞って読んだがいいと思うよ。カラマは間延びしやすいと思う。
どうせ最終作品だし。いままでの作品読んで気に入りキャラいたらばそれとかぶった奴にしぼるみたいな。
俺はスヴィドリガイロフが好きだったから、スメルジャコフが出てくる度にわくわくした。
632 :
吾輩は名無しである :2007/09/11(火) 02:25:29
>>614 カラマーゾフの兄弟――第2部での話だね。
亀山氏には、余り期待していないが、試みとしては面白いと思うよ。
633 :
吾輩は名無しである :2007/09/11(火) 04:23:22
昔、生命保険の勧誘電話がかかって来たので断ろうと思っていたが、 「こいついつまで一人で喋ってられるだろうか」という好奇心が沸き、 スピーカーオンにして放置していたら5分ほどでリタイヤしやがった。まだまだだな。
カラマーゾフのおとっちゃんなら1時間は喋るね熱く
>>622 亀山で読んだ方がすらすらと読めるかもしれないが、
原で読んだ方が登場人物を好きになれると思う。
>>625 面白くなるのは2巻から。1巻は我慢して読む。
一旦好きになれば1巻から楽しめる。
21歳にして初めてカラマーゾフ(新訳)を読んでる。 現在第一巻の24ページw
新潮文庫は字が大きくなったのが寂しい。 ちょうど大文字化が進み始めたころにドストにはまったので、旧版を探すのにちょっと苦労した
老眼の人達のため
>>633 俺、セールスの電話で相手、女だったんだけど
「ちゃんと聞いてるんですか?」って
キレられたことあったよ。
>>633 ちょwwwたしかに最初からベラベラ喋りまくってるよなw
今度やってみるわwww
641 :
吾輩は名無しである :2007/09/11(火) 19:18:24
>>640 相手が途絶えたら大審問官を朗読してやれ
あ、これはエホバの勧誘向けだな
642 :
ごまかしなし :2007/09/11(火) 19:40:19
612 >ドストエフスキーの場合、話し手がひたすら一方的にしゃべるからすごいね。 ドストが嫌いで、ドストの小説世界が嫌いな人でなくても、ドストの小説対話が饒 舌に感じられるのは、ドストが好きな人でも同じなんです。 また「罪と罰」「白痴」「カラ兄弟}と読むことは、キリスト教的救済過程を追体 験しなければならない、しんどさもあるんです。 しかし、僕は、ドストの小説対話が饒舌になっているのには、必然性があると思う んです。 死刑宣告〜シベリヤ流刑「死の家の記録」の過程で、本当に”ドストエフスキーは 一度死んでいる(殺されている)”んですよ。 (太宰治が、23歳の時に一度死んでいるみたいに) 「地下室の手記」でも、2x2=5,合理に対して非合理を掲げたんじゃなくて、 2x2=4とはどういうことか?という、後に現代科学や哲学等が直面した、主体 の解体そのものの問いが発せられているんです。 ですから最後の「カラ兄弟」で、復活が核心問題として扱われている訳ですね。 ちなみに「カラ兄弟」は、復活は最後に扱かわれていて、それ以前の時間経過が語 られている作品です。 ドストエフスキーは、明るく強い人だから、暗い問題にも正面から対座出来たんで すね。 暗い人は、暗いから明るくなろうとするんです。 ^^
643 :
ごまかしなし :2007/09/11(火) 19:50:09
>ドストが嫌いで、ドストの小説世界が嫌いな人でなくても、ドストの小説対話が饒 >舌に感じられるのは、ドストが好きな人でも同じなんです。 意味不明すぎて笑えるww
645 :
吾輩は名無しである :2007/09/11(火) 22:35:53
カラマーゾフの兄弟と2chは似てると思うんだよな。 ただカラマーゾフの兄弟では釣りにマジレスしまくりだけど。
子供と見られるのが嫌でやたら大人ぶるところかwwwww
648 :
625 :2007/09/12(水) 01:16:11
いろいろレスありがとうございまっする
>>645 の感じは、ちょっとわかるかも
ボケボケの漫才とか、深夜ラジオのコーナーが進化してくみたいな感じでは
バタイユもそんな感じがした
649 :
吾輩は名無しである :2007/09/12(水) 03:01:54
筒井なんかはある意味ねらー作家
>>645 熱病のようにマジレスする痛さがドストの魅力
651 :
吾輩は名無しである :2007/09/12(水) 12:40:33
第4部12編 誤審の最後なんて2ch風にするとピッタリだぜ。 陪審員長「有罪であります。」 A「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! 」 B「ドミートリィ脂肪www」 C「百姓と小役死ね!氏ねじゃなくて死ね!」 E「ドミ厨涙目w必死だなw」 F「20年は鉱山暮らしwくやしいのうww」 G「最低でもなww」 H「百姓GJ!」 I「ミーチャオワタ\(^o^)/」
>>650 何だって? 熱病のように、マージーレス、だって? そんなこと、そんなこと……。
絶対にこの僕が許しません! そんなことなど、君、だって僕は、ほんとじゃなかったんだ!
それに僕のはれっきとした反駁です。それを熱病だなんてドイツかぶれの藪医者みたいな言い草
しないでもらいたいね! ふん、まあいいさ、それがあなたの本音なんですね、へ、へ、へ!
>>651 リアルだ。
2ちゃんのこういう所に染まらないようにしよう
と自戒させられる書き込みだなw
655 :
ごまかしなし :2007/09/12(水) 18:36:47
650
>>645 熱病のようにマジレスする痛さがドストの魅力
651
>第4部12編 誤審の最後なんて2ch風にするとピッタリだぜ。
652
>>650 何だって? 熱病のように、マージーレス、だって? そんなこと、そんな
こと……。
凄い、さすが!!
ドストも遥かに及ばない、饒舌合戦。
それより聞いてくれよ。 (ノ_<。)
俺さ、本当はドストが嫌いで、ドストの小説言葉が大嫌いなんだ。
だけど「カラ兄弟」のイワンに俺の心がそっくりでさ〜〜
それらが書かれ暴かれているから、不本意ながらドストに付きまとっている訳なん
だよ。
今では、「大審問官」でしか自分の存在を実感出来なく”なっちゃった”んだよ。
。・゜゜⌒(TOT)⌒゜゜・。
悪魔は、やっぱり時代遅れかな?
「大審問官」古くないよな?
「地質学的変動」ならどうだ?
頼むよ!!
「ただ、ペテンにかける気を起こしたのに、なぜそのうえ、真実の裁可なんぞが必
要なんだろう、という気はするけどね?」(「カラ兄弟」下巻273ページ)
なんて言わないでくれよ。 。・°°・(*>_<*)・°°・。
日本語でおk
657 :
吾輩は名無しである :2007/09/12(水) 22:23:37
>>654 >2ちゃんのこういう所に染まらないようにしよう
>と自戒させられる書き込みだなw
まったくその通りなんだよ。
ゾシマ長老が語ったように「人々は心義しい人間の堕落と恥辱を好む」んだよ。
だから高学歴エリートが殺人事件を起こしたり、資産家の息子が親を殺したりしたら盛り上がってしまうんだよな。
そして得てして侮辱的なカキコがほとんどになり、擁護的あるいは冷静なカキコはかき消されていく。
今日の安倍首相の辞任表明のスレを見たらよく解る。
だんだん壊れてきたね
>>657 そーだね。似たようなことを考えていた。
亀山本の5巻読んでるんですけど、 この先生のがドストエフスキー解釈の日本における通説ととっていいですか?
>>660 通説というのが存在するかはともかく
亀山氏の意見も数あるドスト論の一つに過ぎず、
あれがドスト解釈の全てではない。
あの解説の中には妥当っぽい箇所もあるし
突っ走っている箇所もある。
マスコミ&世論の安倍叩きを見て、改めて「悪霊」を再読中
>>660 ここのスレでも言われているように、奇をてらっていたり、アレな
所はあある。だからあんまり感化されるのはどうかと思うが、
でもあなたが読んでなるほどと感じさせられる所もあるだろうし、
ま、要するに無条件に鵜呑みにしなければよい。
「虐げられた人びと」読みますたよ。テーマは「赦し」でカラマーゾフの 大審問官、や悪霊のスタブの告白へ微妙につながっている。最後のシーンで 愛による「赦し」が訪れずに、「呪い」で終わっているのがドストらしい。
666 :
吾輩は名無しである :2007/09/13(木) 17:55:25
>>660 内村剛介先生の本も読んだ方がいいですよ
「人類の知的遺産 ドストエフスキー」をおすすめします
667 :
ごまかしなし :2007/09/13(木) 18:44:23
668 :
吾輩は名無しである :2007/09/13(木) 19:22:03
>>667 エピローグは5巻にありますよ。
アレクセイが子とも達に演説する、思い出が人を救うって話すきだなぁ。
子供を育てる身にはしびれる言葉だ。
669 :
ごまかしなし :2007/09/13(木) 19:51:56
668 >エピローグは5巻にありますよ。 アレクセイが子とも達に演説する、思い出が人を救うって話すきだなぁ。 子供を育てる身にはしびれる言葉だ。 5巻にありましたか。 大切な思い出があることは、生きる上で不可欠ですね。
カラマーゾフやっと上巻終わった。 大審問官の章に対してみんなが言う凄さって何だろう?ああいう問いかけって、 最近はイラク戦争とかのアメリカの自由とイラクの宗教の対立があったり、 色々な形で皆考えてる。それ以上に何か特別な対立が表現されているのかな? その問題をもっと掘り下げたり、解凍を与えていたりしたら凄いけど、 イワンのキャラは単なるイチャモン付けだよね。前にも調和がどんなか 知らない癖に糞食らえみたいな事言ってるし。 イワンというキャラがこういう事を考えました。っていう話しの中の 小道具としてなら分るけど、それだけを取り出してどうのこうの言う 価値があるのか正直疑問に思いました。
その価値は十分あるだろ 話題の、「神は妄想である」でも、イワンの論にだけは作者は反論し難いのを 認めてる 神というものに興味がないならば、イワンの問いかけの意味は半減するだろうけどね
確かに自分は「神」という観念に本当に興味を持った事はないかも知れない。 やはりこの問いかけはキリスト教的神の観念が植え付けられている人様? 自分はそういうものは無いかも知れないけど、やはり永遠に価値のある観念が あればそれにすがって生きて行けるのにと考える事はあります。 個人的には自由か神かというその問い自体に問題があるのであって、 精神の上でのみそれらは対立する事が出来、故に両方とも妄想なんだと 思う。初めのイワンの発言に対してゾシマ長老はそれと同じ様な事を 言ったよね。 個人的にはイワンが興味を持っているその「神」が妄想なのであって、 それにイチャモンを付けるのはドンキホーテ的行いであり、神はその 「神」と何の関係もないと思っています。
>>670 大審問官物語の箇所の趣旨はそういったことじゃないと思うが。
イワンの無神論は、「神がたとえいたとしても、もはや存在が許されない」 という究極的なものだからな。 理論的には、反論の余地がない。 キリストを実際に見た人と、見たことがない俺たちで、信じれるかどうかに 「不公平」が生じているのは、まぎれもない事実だし。
ところで、亀山氏の『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』(光文社新書)を、 読了した人がいたら、評価・感想など求む!です。 公式には、今日発売な筈。俺は、無事に入手できるかなぁ・・・。
676 :
675 :2007/09/14(金) 05:29:27
今日発売ではなく、昨日(2007/09/13)の間違いでした。済まんです。
何だって?「キン肉・肉・肉・2×9=18」だって? 馬鹿げてる、実に馬鹿げてるさ! これが日本人お得意の「韻を踏む」ってやつですかい? さも「私はこうして 技巧を凝らしてみました」なあんて顔をしていやがるに決まってる! 低俗だ! お次は、何、「キン肉・肉・肉・憎らしいわ」だって! はっ、これが本性だ、 頭の中は計算高くとも、本音は憎悪に満ちているってことさ、お里が知れたな! それで、何だって? え? 「空手チョップで箸を割ったら牛丼片手にDancin' Rock'nRoll」 だって……………………そんな、馬鹿な! へ、この場合の箸というのが実にくせ者だよ。 もしだ、牛丼屋で貰った割り箸を、普通に割らずに、箸に垂直にチョップを当てて、 曲芸じみた割り方をして一人悦に浸っているのか、それとも、ただ単に腹立ち紛れに 箸を割っただけなのか! 君、後者の方は明らかにロシア的だよ、ウラー! 食べる前に箸を割ってしまい、目の前の牛丼が食べられないなんてね、ナンセンスさ!
ワロタ
同じくワラタwww
面白すぎww コピペかとも思ったけど、ドストスレ以外じゃイマイチわからんもんな
681 :
ごまかしなし :2007/09/14(金) 19:37:54
「カラ兄弟」4巻のエピローグの最後「イリューシェチカの葬式、石のそばでの
演説」の石は、ヤコブの石,モーセの石版,ヨシュアの石とも同じ意味の石です。
日本の、古来からある磐座(巨石)信仰も同じですね。
磐座と樹木は、昔からペアで崇拝されていました。
この樹は、私達日本人が拝んでいる鏡を中心にした神棚,神社の構造そのものです
また、左右の榊(逆さの木)も「生命の樹」です。
一説には、モーセの十戒石板は、三重県の伊勢神宮の内宮に厳重に保管されている
と言われてますね。
ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先
端に油を注いで、その場所をベテル(神の家)と名付けた。(創28:17−19)
ヤコブは、神が自分と語られた場所に記念碑を立てた。それは石の柱で、彼はその
上にぶどう酒を注ぎかけ、また油を注いだ。そしてヤコブは、神が自分と語られた
場所をベテルと名付けた。(創35:14−15)
モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十
二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。(出24:4)
ヨシュアは、これらの言葉を神の教えの書に記し、次いで、大きな石を取り、主の
聖所にあるテレビンの木のもとに立て、民全員に告げた……(ヨシュ24:26)
生命の樹解説
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/inochinokikaisetu.html 生命の樹と幕屋
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/inochinokitomakuya.html
光文社の「カラマーゾフの兄弟」は未だにすごいね。「がばいばあちゃん」よりも、 安定して上にランクしてるのが笑える。 カラマーゾフの兄弟 1巻・・・17位 それ以外、30〜50位 こう見ると、わりと最後まで頑張って読む人が多いのが分かる。新規の人が1巻を 買ってることを考えると、読破する人の割合はかなりのものなはず。 地下室の手記 1242位 これは残念だ。新訳も良いと評判なだけにね。「カラマーゾフの兄弟」ほどではない にしろ、是非、多くの人に読んで欲しい作品なんだけどな。個人的に。
683 :
吾輩は名無しである :2007/09/16(日) 18:37:35
新訳はまだ未読なんだけど、ふと集英社のボードレール詩集を立ち読みしたんだが、 あんな感じの、言い表せない感情が沸き上がってくるんだろうか。 19世紀の小説だし、古びていくのは仕方ないんだけど、ツァラトゥストラはこう語ったみたいな喪失感は味わいたくないなあ。
ドストエフスキーの現代性は、古典の中でも飛びぬけてる 古びるってことはないな 「地下室の手記」にいたっては、わざとなのか、時代不詳という書き方をしてるし
普遍的な人間性が描かれてるからだろ
なんかフョードルってダウンタウンの松本がコントでやりそうなキャラ。 嘘付いて周り白けさせて微妙な空間を作る所とか。
『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する、亀山さんを読み終えたよ。 75点。 知りえた知識としては、 ・ドストエフスキーの父親は、農奴の娘14歳を孕ませた挙句、死なせている。 ・現実に、1881年3月1日皇帝アレクサンドル二世が爆殺される。 (「カラマーゾフの兄弟」1880年出版の直後。) ・晩年に至るまで、秘密警察(皇帝直属第三課)の監視を受けていた。 (第2部は、当然、検閲のもとでの出版が想定されている。) 問題がある点としては、 ・新しい登場人物が全く想定されていない。 ・202ページ「最終的には、リーザはイワンの子どもを生み、それがアリョーシャにとって、 最大の試練になる。」とあるが、精神障害に至ったイワンは「一年半」かかっても、 「心身ともに正常にもどる」ことは医学的見地からすればあり得ない。 ・アリョーシャの人物像について描く際にあって、所謂、「社会主義」・キリスト教の宗派に 拘り過ぎている。 等々、いろいろ書けるが、書架に並べておいても良くなくはないかも。 「カラマーゾフの兄弟」をかなり読み込んでいないと、 少々解かり難いとは思うが、俺は3日で読み終えました。一応報告まで。
訂正。 やはり、65点が妥当か。 エピグラフにある「一粒の麦が」は、アレクセイを指しており、コーリャではないね。
知識のために読んでんのか…
空想は自由だからなに書いてもいいんだけど リーザの子がイワンの血を受け継いで、アリョーシャが苦悩・・・・ それら関係と苦悩が源氏物語みたいだと思った。
空想的/科学的社会主義の差異に若干の拘りがあるのかもね・・・。 その書籍が、歴史学者に捧げているところからは、言わずもがなだが、 歴史学=現象を一度切りのものとして捉える立場(→社会学=現象に反復する法則性を重んじる)から、 全体が著されているという印象を覚えるね。 しかし、「カラマーゾフの兄弟」は、芸術の分野における人間的普遍性をもった作品であり、 俺は、アレクセイの死(と復活)を避けて通るのは亀山氏の至らぬところだと考えているよ・・・。
俺は単純に娯楽として読んでるんだけどなあ。 そういう意味では新潮文庫のがいろいろ濃い味でいいお。
新種のコテハン発見 さっそくNG登録しました
俺は普通に楽しいし、おもしろいから読んでいるよ。(亀山訳はそれほど評価しないなぁ。 このスレでもある「罪」対「信仰」の対立軸の観点が欠落している気もするし……)
>>694 罪と信仰の話はこのスレで話題になっただけだと思ってたけど
ドスト自身がその事を語ったりしてたの?
>>695 「すべて信仰に……」、ドストエフスキーは当然ロマ書を読んでいたと。
ついでながら第2部が、形而上・象徴的レベルの信仰と罪の対立軸のもとに、
信仰に基づく実践と罪ある人間の定めた法にあって、引き裂かれる立場を
とらざるを得ず、人間的には「必然的に」裁かれざるを得なかった
アレクセイの一代記だと自分は捉えた訳です。
ドスト作品読んでると何だか虚無に引きずられそうにな気になる。 行き着く先は無とか思えば生活がだいぶ楽になる気がしてきた。 フョードルの様に無茶やってきたからなぁ
にわかが湧いてますね
ところでだが、2007年9月18日付けの朝日新聞の"定義集"の記事。大江健三郎。 "「第二の小説」が完成されていたらというよくある設問に、亀山さんは、 アリョーシャが皇帝暗殺者になっただろうという通説への、説得力ある異説をたてられます。 その実行役は、コーリャ・クラソートキンだ、と。" え? それが、そもそも現代では通説でしょうに。大江は時代から取り残されているのか。 亀山郁夫の独自なところは、結論として、アリョーシャは「処刑されて死なない」という点。
701 :
吾輩は名無しである :2007/09/19(水) 10:07:00
ドストってギロチン寸止めリアルで食らったんだろ? それなんてホラゲな世界だな
16歳少女斧で父殺害sage
704 :
ごまかしなし :2007/09/19(水) 19:02:58
「カラ兄弟」4巻のエピローグの最後「イリューシェチカの葬式、石のそばでの
演説」の石のペアには、樹木の他にもうひとつ梯子があります。
これは、同書のアリョーシャ(三)に出てくる、グルーシェニカが語る寓話「一本
の葱」の葱ですね。(芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が有名です)
「最頂部のケテルから「コクマー」→「ビナー」→「ダアト」→「ケセド」→「ゲ
プラー」→「ティファレト」→「ネツァク」→「ホド」→「イエソド」→「マルク
ト」と、ジグザグに降下していくパスである。これは『雷の閃光=カヴ』の通り道
である。絶対神は神の霊性を電撃のように降下させる。と同時に、ジグザグのパス
は、人間が生命の樹を上昇する過程、すなわち創世記3:24にある“命の木へ至
る道”を示している。人間的に成長するということは、この険しい道を上り、セフ
ィロトを一つ一つ経ていくことなのだ。」とあります。
私達日本人が、神社の賽銭箱の上にある鈴を鳴らすのも同じですね。
巨大なしめ縄は雷雲。間から出ている網の端は雨。ジグザグの紙垂は雷光、稲光。
ガラガラ鳴る鈴は、いうまでもなく雷鳴。
神社の拝殿では、まさに雷の情景を再現しながら、人は祈願しているんですね。
「ヤコブの梯子」
イスラエル人の父祖ヤコブは野宿した際、天界へと無限に伸びていく梯子を夢に見
た。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、
しかも神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。(創28:12)
ユダヤ教神秘主義カッバーラ(後編)
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/kabara2.html ヤコブの梯子(タロット・カードの神秘より)
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/tarotto.html
定期的に宗教かぶれがくるな まあドスト作品自体アレだから仕方ないか
宗教思想としても秀逸なのでよくその方面に取り上げられるけど 芸術としてはもっと素晴らしいってことでしょう
708 :
吾輩は名無しである :2007/09/20(木) 20:09:42
光母子殺人事件に興味のある人にカラマーゾフの兄弟を読んでほしいな。 母に甘えたかったとかドラえもんが助けてくれるというのが、真実であっても俺はやっぱり死刑を望んでしまうけど。
ああ、そういう見方、できるね。 大審問官の前ふりというか、5歳の女の子の祈りをなぜ聞き届けなかったのか、 のあたり、アリョーシャの「銃殺です」の言葉のあたり、重なるよね。 カラ兄を読んでいて、私にはあの部分がもっとも強烈であり、もっとも現代と重なったっけ。 裁くな、あなたが裁くその秤であなたも裁かれるからである、と神様は説くけど 私にはそれは出来ないな、光市のあの事件はひどすぎるもの。 でもねぇ、「死刑を望みます」ってはっきり陳述してしまう遺族に のちのち苦しみや後悔が待ってないといいな、という気持ちもするの。 難しいよね、人を裁くことって・・・うん。
反対に、当時のロシアではあの部分センセーショナルだったろうけど、 今あまりに良く聞く話しで、意外性は感じられないな。 こんな事あったっけ?例えば兄弟同士が殺し合いをしたとする。それも 異常殺人。でその両親は普通に両方を愛していた。なら生き残った方に 両親は死刑を望む事が出来るだろうか?
夢と来たか
713 :
吾輩は名無しである :2007/09/21(金) 00:02:05
・実の妹を木刀で殴る、殺害 ・妻が夫をバラバラに切断 ・高校生が母親の生首片手に出頭 ・ペッパーレイプ ・警察官父を少女が斧で殺害 今年もいい一年になりますように。
>>710 「反逆」でイワンが聞かせる、数々の子供虐待事件。イワンは、たとえ親でさえ、子供の
苦痛を他所に、自分勝手に、「他人を許す」権利は無いと言う。
それに対してアリョーシャは、「一人だけ許す権利を持つ人がいる。人類のために、
十字架を背負った人だ」と言う。もちろんキリストのこと。
さらにそれに対しての反論が、イワンの「キリストが例え存在したとしても、到底許される
存在ではない」という意味を根底に敷いた、大審問官。
内容もさることながら、この流れ自体が芸術的に完成している。本当に素晴らしい。
715 :
吾輩は名無しである :2007/09/21(金) 00:42:40
>>709 重要なのは真実(仮に被告の証言が本当という前提で)なのか状況証拠かってところが問題なんだな。
裁判員制度が導入された時、自分は真実で判断ができるのだろうかという不安があるがまず無理だろうな。
所詮自分はドミートリィを有罪とした百姓なんだろうな。
でも意地は通したいがね(「誤審」の最後のシーンね)。
この事件の争点が死刑肯定論、死刑廃止論となっているのは残念なところだが。
716 :
ごまかしなし :2007/09/21(金) 18:56:07
こないだ、自転車で、ドストエフスキーゾーン=埴谷雄高宅〜丸山真男宅〜竹内
好宅(武蔵野トライアングル)巡りをしました。
埴谷宅は、大正期頃の古屋敷風でしたが、表札が蜂谷になっていました。
丸山宅には、こじんまりした書庫がありました。
竹内宅は、丸山宅近辺な筈ですが見付かりませんでした。
誰か、ご存知ありませんか?
三鷹市が、太宰治で町興しを計画しているので、近辺の方は寄ってみて下さい。
太宰治〜魯迅〜ドストエフスキーが、ドストエフスキーゾーンですね。
三鷹文学散歩|三鷹市
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/bungaku/sanpomain.html
719 :
710 :2007/09/22(土) 01:05:48
>>714 何回も読み返したけど、俺のレスへの返信である意味が分らん。
720 :
吾輩は名無しである :2007/09/22(土) 10:42:56
↑んだね〜 言わんとすることはわかるんだけど気持ちがレスより大審問官賛美に傾いちゃったのさきっと
流れを読まない横レスの典型って感じがする
722 :
吾輩は名無しである :2007/09/22(土) 13:08:49
でもドストへの愛と尊敬が感じられるから許す
>>717 >>718 ドストは何とも言えないけど、性欲の強いトルストイは良いセンいってるね。
これってホントバカに出来ないから面白い。
NHKでカラマーゾフ特番作るらしい
725 :
吾輩は名無しである :2007/09/22(土) 23:28:57
それなんて永久保存版・・・ 素直にうれしすぐるな
726 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 02:30:40
HP見たけどいつ放送か分からん
NHKのサイト行ってみたけど見つからんかった・・・ いつやるのー?
放送したらぜひ見る、 そしてここであーだこーだ言うのを楽しみにしてる! でも見逃すと嫌だから情報が入ったら教えてね
ニコニコ動画に期待がかかる
カラマーゾフの特番じゃなくて古典文学の特集みたいだが・・・。 10月下旬の読書週間辺りに放送予定らしい、続報を待て。
731 :
吾輩は名無しである :2007/09/23(日) 17:53:24
カラマーゾフがベストセラーになったことで、古典文学ブームみたいになってるな 売れてるのはカラマーゾフだけなのが実情だが
さて皆が思うこれこそは古典文学ってのは何? 神曲、戦争と平和、ファウスト、赤と黒、人間失格?
古典というのは昔の言葉で書かれているものを指すのではないの? 少なくとも人間失格は決定的に違うと思うけど
それを言ってしまったらカラマだって古典じゃないよ 古典的で
平家物語(覚一本)
人間失格だって現代文に訳してあるんじゃないのか? 昔の言葉だと少し読みづらいっていう点でさ
にわかが大量発生中
739 :
吾輩は名無しである :2007/09/24(月) 15:56:52
「カラマーゾフの兄弟」を最近は 「カラキョー」トイラスィ
>>736 夏目漱石にしろ、森鴎外にしろ、現代人が十分読める日本語を使ってますよ。
特に夏目漱石は言文一致を貫いてます。(「草枕」の書き方などは、文語調が
強いですが)
一方で、幸田露伴などは、読むのに非常に苦労します。「五重塔」は短いですが、読む
のがとても大変です。
741 :
吾輩は名無しである :2007/09/24(月) 17:09:21
辛気臭い
ドストエフスキーって大衆小説家だったんだな
vsスレ落ちたの??
>>744 イタ研が書き込むと発動する念能力ですか?
ドストエフスキー好きでずっと読んでるとキリスト教信者になりますか?
749 :
吾輩は名無しである :2007/09/25(火) 13:14:26
むしろ汎神論者になるんじゃない?
ドストエフスキーと似てるのは、メルヴィル メルヴィルの白鯨読んでると、鯨に関する学術的知識やら、突然始まる演劇やら、 大変なことになってる こんな小説ありか?って感じだが、ドストエフスキーもそれに 近いな 両者ともに、モダニズムを先取りしていたという感じがある
751 :
吾輩は名無しである :2007/09/26(水) 02:06:35
752 :
吾輩は名無しである :2007/09/27(木) 00:19:24
>>751 うぉ マジで?
怖いもの見たさで買いますわw
工藤さん頑張ってるんだね
754 :
吾輩は名無しである :2007/09/28(金) 01:29:19
聞かせてください。 ドストエフスキーを初めて読みます。 カラマーゾフを読むつもりですが、最も評価の高い翻訳を教えてください。 光文社の新訳は興味ありません。 難しい書き方で結構ですが、文庫でお願いします。 純粋に良い翻訳を教えてください。
なら新潮訳を勧めます。 他は読んでないので知りませんが、新潮訳は素晴らしいですよ
756 :
吾輩は名無しである :2007/09/28(金) 02:43:24
罪と罰って岩波と新潮ではどちらが良いかな? 岩波は取り寄せなければならないので、中身の確認ができないので、 ぜひ意見を聞かせてほしい。 岩波のほうが表紙が好きなので、もし岩波の評価がよければ岩波を買うつもりです。
757 :
吾輩は名無しである :2007/09/28(金) 02:44:10
私も新潮が良いかな。 キャラが良い感じに出てる気がする。
758 :
吾輩は名無しである :2007/09/28(金) 02:50:51
ドストエフスキーでいう「トルストイの復活」のような作品と言えばなんでしょう? つまり、復活はトルストイが晩年に書いた、トルストイの思想の集大成と言われていますが、 ドストエフスキーの場合は、どれがそういった作品に当たるのでしょうか?
カラマーゾフじゃないかな
>>90 哲学界からはウィトゲンシュタインをノミネートしておこう
思想の加勢大衆。なんちて。
>>758 晩年作ならカラマーゾフ、思想の集大成なら悪霊?
思想の集大成なんてものがドストエフスキー作品にあると思ってるような 先天性文学センス不全症候群患者は来なくていいって
ぶ・・・文盲・・・!?
×ぶんもう ○もんもう
>>754 今更になるけれど、
「カラマーゾフ」については新潮訳(原)が押し。
>>756 「罪と罰」は、岩波(江川による新訳)も新潮(工藤)もいい。
基本は工藤で、やはり味があると思うけれど、
江川にも良さがあるので、1作品で2度楽しんではどうでしょうかw
イタ研もそんなこと言ってたな 両方読んだ方がいいのか
ほ・・・仏文学すげえ・・・
771 :
吾輩は名無しである :2007/09/28(金) 19:46:55
ざ……罪と罰……
わ・・・・・・・悪霊・・・・・・・
カ・・・・・・ラマゾーフ・・・・・・
774 :
吾輩は名無しである :2007/09/28(金) 21:25:04
>>764 アホか?
ドストエフスキーの思想、って意味だろ。
カラマの上巻の最後で大審問出てくるのは早漏だろ。最後にしろよ。
ドミートリー 若い頃のショウケン(結構良いと思う) イワン ?(知的で陰がありしかも青年らしさもある。いねえ。) アリョーシャ 窪塚(ありきたり) フョードル 泉谷しげる(ありきたり)、ビートたけし+松本人志÷2(理想)、白木みのる(大穴) どうだろう?
778 :
吾輩は名無しである :2007/09/28(金) 22:26:05
fuck you
今年の大河見ていると、 仲代。 市川左團次も良いが、品があり過ぎる。
達矢は人がよさそうじゃネ?
782 :
吾輩は名無しである :2007/09/29(土) 03:26:10
麿赤児が良いかな でも日本人配役とかナンセンスだと思う
>>776 作品の最後にしたら私たちの前に大審問官部分は登場しなかったことになりますが。
784 :
吾輩は名無しである :2007/09/29(土) 14:32:07
裁判中に大審問官を語り出し退出させられるイワン。 譫妄症前になる前に語ったから良いような。
785 :
吾輩は名無しである :2007/09/29(土) 14:37:40
ラフマニノフの『パガニーニの主題によるラプソディー』聴くと、なぜか物凄く『カラマーゾフ』思い出す。
ラフマの曲はロシアの厳格さがとても出てる気がする カラマーゾフっぽいと言うよりドストエフスキーっぽい
>>784 譫妄症になったあと語られたなら大審問官は違っただろうかね?
偏差値の高そうな話やな
789 :
吾輩は名無しである :2007/09/30(日) 00:30:56
イワンは大審問官でキリスト自身を批判したのでなくキリスト教、特にそれを指導する者を批判したのになぜアリョーシャは兄さんは神を信じていないのではないかと言ったのだろう? むしろキリスト教という天上のパンをエサに民衆を導こうとする側にいるアリョーシャの方がリアリズムの上において無神論者なんじゃないのと思ってしまうのは俺だけか?
指導者を批判したってよりも そういう指導者無しに歩めない民衆を批判している アリョーシャは導こうってんじゃなくて、民衆の自由な意思での信仰を求めている 民衆は導かれるものじゃなくて自ら信仰によって歩いていくもんだってことじゃねーの
791 :
吾輩は名無しである :2007/09/30(日) 01:39:32
なるほど、そういう解釈もあるね。 イワン=無神論者とするのがどうも納得いかないんだよね。 大審問官のラストシーンをイワンは囚人(ああ、もうキリストでいいや)が老審問官に静かにキスをすると描こうとしているが、 どう考えてもイワンは無神論者とは思えないんだよな。 だってキスの余韻が心に熱く燃えているが、今までの信念を変えることはないんだぞ。 まるで求道者じゃないか。 必死に無神論者になろうとしている人ということじゃないのか。 それで最後に気が触れるというのなら納得がいく。 だから解説とかにイワン=無神論者としているのがどうも自分の中でしっくりこないんだよな。
誰が「イワン=無心論者」って言ってたんだ?
イワンのに無心とはこれ如何に。
794 :
吾輩は名無しである :2007/09/30(日) 02:10:17
神を信じていないと神は殺せないんだぜ? ドスト世界のイワンしかり、スタブローギンしかり 神は信じてるとおもうが。
>>794 イエス・キリストが大審問官に接吻するあのシーン、
あれは神が、神を侮辱する大審問官に与えた、大いなる許しでしょう?
大審問官の内心にはどれほどの波風が立っただろうね、
もしかして感動にうち震えそうになったのではないかな。
もしかして泣きそうになったかもしれないよ。
アリョーシャがあの話を聞いてイワンが神を信じていると思ったのは
このオチの部分にあると思う。
自分もこのオチにはそうとしか思えない。
けれどイワンはこのオチに「たかが接吻程度で済ませる情けないヤツ」の意を込めたのかもしれない。
わからない〜
796 :
吾輩は名無しである :2007/09/30(日) 08:38:37
>>792 もし新訳本を持っているなら、本についている主な登場人物のしおりを見てみな。
書かれている通りに写すと
「イワン フョードルの次男。アリョーシャと同じく後妻ソフィアの子。大学で工学を学んだインテリで、シニカルな無神論者」
初めて読む人ならしおりを見てイワンは無神論者なんだと思いながら読み進めてしまうよ。
子供が虐げられている世界に神はいない。神の存在は許されない。
という主張をイワンはしていたと思います。
無神論者というよりも否神論者と言ったところでしょうか。
我々から見れば
>>794 の言うとおりですが、
一神教の世界からみればああいったものが無神論に当たるのではないでしょうか。
うん。イワンは取り敢えず神の存在自体を否定しているわけではない。 これはあるのかもしれないけど無いのかもしれない。 神の存在可能性まで譲歩しつつ、その上で、世の中の不条理を理由に、 それを救ってくれない神の正当性なり、信仰に値する神の存在なりを否定している。 この世の中こんなに不幸が溢れているのに、神は何もしてくれないじゃないか! 神への怨念とでも言えるような否定。 イワンが無神論に走る背景には、こういう神への懐疑と、 信仰や神なんかより、自分の知性の方が凄い!という傲慢さ(自己愛) があると思うんだけど。 それでもなおかつイワンが神を信じているように見えるのは、 一つに、イワンが神に無関心な人に見えないこと。 現代の多く日本人の方がイワンよりもずっとさっくりと神を否定していたりして。 そして、イワンは神を心の底で欲しているように見えないでもないこと。 大審問官への接吻もそうだし、神への懐疑を投げつつ反論を欲しているようでもある。 これは理知>神というあり方と相反するように見えるけれど、 イワンのアンヴィヴァレンツさというか、 イワンの自我は理知を重視し、また彼が理知面に忠実であろうとすれば神を否定せざるを得ないんだけど 心の奥深いところの本心では、またちょっと違う思いや認識があるかもしれない ようにも見える。
それでも、やはりイワンの主張の眼目は、 世の中をどうにもしてくれないが故の神の否定という所にあると思う。 これが多くの無神論者の共感を呼びそうだ。 大審問官の主張はイエスを糾弾しているようでいて、 大審問官が是とする社会の、人間の尊厳を否定する問題点を浮き彫りに していている点で反語的。この反語性はイワンが神を求めているから とかいうよりは、ドストのスタンス故かな? イワンはやはりイエスより大審問官の立場、 より高い知性を持つ少数者(イワンみたいなw)が、皆の幸福の実現 という名目のもと、多数を管理するようなあり方を選ぶのだろう。
801 :
吾輩は名無しである :2007/09/30(日) 20:44:02
>>799 >イワンはやはりイエスより大審問官の立場、
>より高い知性を持つ少数者(イワンみたいなw)が、皆の幸福の実現
>という名目のもと、多数を管理するようなあり方を選ぶのだろう。
つまり教会側のほうがよほど無神論者じゃないかってイワンは批判しているということにならないか?
イワンがなぜアリョーシャに大審問官の話をしたのかというのは、現在の純粋なアリョーシャ(
>>790 が言ったような)が
後々に協会側の立場(
>>789 で言ったような)に立たないよう警告したのではないかと思う。
まあ作家ドフトエフスキーから見れば単なるイエズス会批判なのかもしれんが。
802 :
吾輩は名無しである :2007/09/30(日) 23:45:28
カラマーゾフの兄弟1 \ │ / / ̄\ ─( ゚ ∀ ゚ )― \_/ ドストエフスキー / │ \ 亀山郁夫・訳 ∩ ∧ ∧∩ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚) ( ゚∀゚ )/ | / | 〈 | | / /\_」 / /\」  ̄ / / ぜんぜん違和感ないもんな・・・
803 :
吾輩は名無しである :2007/09/30(日) 23:52:22
亀山イイ!
こらコピペすなw ずれずれなのに気づいて後悔してんだ・・・
>>782 しかし最近のカラマ人気にあやかってどこぞのTV局が、、、
嫌い嫌いも好きの内だろイワンの無神論は。 だって大審問官もキリスト教の下地が無かったら「フムフム。で?」 で終わってるだろうし。俺みたいに。反対に次のゾシマの遺言の 内容の方がセンセーショナルで感動した。
寧ろ実質的無神論者は如何にも神の忠実な信奉者の様でいて実は 神を商売にして足で踏みつけている教会関係者だろ。一部を除いて。
808 :
吾輩は名無しである :2007/10/01(月) 12:54:47
802は確かに違和感が無いな。
>>801 大審問官=教会一般のスタンス
とは描かれていないから。
ドストはアンチイエズス会だから、
そのイエズス界に共産主義社会や現代の管理社会的なものへの批判を重ねた。
810 :
吾輩は名無しである :2007/10/02(火) 10:19:38
宗教に家族を破壊されたのでイワンの大審問官に とても共感できた。 盲目になってる人には神の言葉以外は心に入らないんだろうが 一度大審問官を読んで貰いたいよ。 その点アリョーシャはイワンの言葉に耳を傾けられた分 冷静にこの世を見ていたんだろうと思う。
カラマーゾフって何がいいの? 非キリスト教徒国の日本人には半分も意味わからないでしょ 話はごたごたしてて、しかも未完だし 素直に罪と罰や地下室の手記でも読んでればいいのに
地下室の手記が 一番の駄作に思える・・・。
813 :
吾輩は名無しである :2007/10/02(火) 15:01:56
カラ兄読み終わった(^0^)/
『カラマーゾフの兄弟』とすら書けないなんて、いかにも頭が悪そうだ。 こういう馬鹿は、長くもないのに長いから省略したとか言ったりする。
815 :
吾輩は名無しである :2007/10/02(火) 15:45:48
>>809 その預言的性格を持っているが故、20世紀以降も読み継がれた。
>>812 この三作品で比べるのに無理があるかと
>>813 で、どうだった?
地下室の手記 これ最高。 長編の方が凄いって面も確かにあるんだろうが、200ページぐらいの方が読みやすい。 日本文学はこれぐらいのがほとんどだしね。地下室の手記は、中編の中で、今まで 読んだ中で一番だ。 もっと早く、ロシア文学読んでおけば良かったな〜
819 :
吾輩は名無しである :2007/10/02(火) 18:39:39
>>811 私はクリスチャンですが、それでも理解度が深いとは思っていません。
知るために読む、考えるために読む、そういう読み方もあるんですよ。
奥野健夫と逆で、地下室の手記読んだら太宰の人間失格が甘ったれた浅い作品だと気付いた
健男の間違い
比較せんでも人間失格は甘ったれ
人間失格>地下室の手記 とか書いてる、「斜陽」の解説は何なんだ?太宰信者の妄言としか思えん。 はっきり言うが、構成原理とかそういう次元から、もう圧倒的な差がある。 地下室の手記から影響を受けたんだろうことは、人間失格から伝わってくるけどな
そもそも斜陽が面白くなかったんだが
死の家の記録が一番好きだ。
斜陽も好きだけどな。なんだかんだいって、やっぱりあの不安には敵わない。 俺は未成年が一番好きだよ。
斜陽のモチーフはチェーホフじゃなかったっけ?
829 :
吾輩は名無しである :2007/10/02(火) 23:52:39
地下室の手記は確かに良いが、光文社の新訳は力不足だったな。 あれにはがっかりだ。 やはり新潮か。
>>817 し、知らなかったベルイマン亡くなってたんだね、、、合唱
>>823 あくまで太宰の解説なんだから太宰マンセーするに決まってんダルシム
ドスト信者は余裕ないからなw
今新潮のカラマーゾフの兄弟(上)読み終わったんだけど、 最後の大審問官の行が良く分かんなかったよ。 キリスト教にもあんまり詳しくないから、分かりやすく解説して下さい。
その手のサイトを自分で検索しなさい。
835 :
吾輩は名無しである :2007/10/04(木) 03:07:46
ところで「謎解きカラマーゾフの兄弟」はおもしろい
836 :
吾輩は名無しである :2007/10/04(木) 08:27:18
江川さんの謎解きシリーズは、仮説の上に仮説を積み上げてるところが 少なからず有るから、少々強引な推論が多い様に思うけれど、 読み物としては結構面白いな。
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) NHK「ラジオ深夜便」について語りましょう Part9 [ラジオ番組] 孤独ならドストエフスキー読むよな [孤独な男性] ジョンレノンVS三島由紀夫 [ビートルズ] 罪と罰 [一般書籍] 少女革命ウテナその34 [懐アニ平成] 少女革命ウテナwwwww
ドスト入門なら新訳、深く味わうなら新潮でおk? Amazonのレビューで見たら罪と罰は岩波がいいって書いてたんだが 本屋で見たらペテルブルグの地図とか人物一覧とかあって便利そう
839 :
吾輩は名無しである :2007/10/04(木) 16:23:05
愚昧かつ臆病 そんな私のオススメは新潮
グルーシェニカ孕ましてぇwww
グルーシェニカ>リーズ>>>>>>カテリーナ
>>838 あんたがおっさんじゃなかったら新訳読んだ方がいいよ。そっちの方が遥かに読みやすい
厨房の時、新潮の罪罰でドストデビューしたけど 一回読んだだけでは全然理解できてなかったな。後半面白かったけど。 二〜三回読んで何となく色々わかってきた。 今でも読み返してるけど、その度に新しい発見がある。
面白味があるのは新潮の方だな。 新潮で十分読み易かったような。
しかしなんでまた急にバカ売れしたのかねえ
では長いこと積読だった、中公池田訳を読もうか。
>>845 時代に合ったっていうけど、光文社、慎重合わせて50万部に届くかもってぐらい
1年で売れるとはな・・・
>>842 ありがとう。おっさんなので旧訳読みますね(^^
寒流と同じでブーム捏造→釣られて買う人多数だったりして・・・
売れ始めて一年ぐらい経ってから報道されたからそれはないな むしろ逆のパターン
てことはごく普通のブームじゃんw
うちの近所の大型書店には置いてないからほんとのブームだなw 韓流(笑)DVDなら誰も借りないのにずらりとレンタルコーナーに並んでるし
実際にアマゾンでも売れてるしな
売れてるのは主に大型書店 このスレでも新宿紀伊国屋に電話した猛者がいるけど、週に30冊ぐらい売れてるらしい
855 :
吾輩は名無しである :2007/10/05(金) 19:43:45
849 >寒流と同じでブーム捏造→釣られて買う人多数だったりして・・・ 誰だよ! 本当のことを書こうとする奴は! だいじょうぶか〜〜〜? 持ち堪えているか〜〜〜? 早稲田は燃えているか〜〜〜?
856 :
吾輩は名無しである :2007/10/06(土) 03:45:42
カラマーゾフブームは村上春樹の影響が大きいだろ 春樹にカラマーゾフの兄弟のような作品を書きたいと言われても???って感じだがw
そうか?彼の言う「総合小説」はなるほどなと思うけど
何で村上春樹が出てくるの???気になる・・・。
ドストブームは春樹様のお陰というお話
862 :
吾輩は名無しである :2007/10/06(土) 18:56:47
861 >ドストブームは春樹様のお陰というお話 というより、「カラ兄弟」にある宣伝文句だよ。 「東大教師が薦めるNO1本」等の宣伝効果が大だと思う。 外語大なんかは、本当は「外国語が出来るだけ」なんてのが実情ですね。 ^^ でも、亀さんが、外語大の命運を賭けて「カラ兄弟」を書き上げた根性は、内容は ともかくたいしたものだと思う。 冗談でなしに、亀さんの根性もドストの作品,文学と呼べるし、それらを売り物に するのも面白いと思う。 あと、もうひとつの売りは、もちろん、スメルジャコフね。 ^^
>>862 この感覚・・・、彼か?? (まぁ、いいや。)
村上春樹は、スメルジャコフ対織田信長家臣団とかいったサイトを開いていた辺り、
10分で読めるカラマーゾフの兄弟を目標にしているとか聞いたことがあるよ。
>>863 >10分で読めるカラマーゾフの兄弟
そんなものがあったら読んでみたいな。
訂正すると、正しくは「やさしい言葉で書かれたカラマーゾフの兄弟」だ。
865 :
吾輩は名無しである :2007/10/06(土) 22:37:40
「謎解きカラマーゾフの兄弟」を読んた後に「カラマーゾフの兄弟」読むか 逆の順番か、両方平行で読むか・・・・ 2週間ずっと迷ってるよ 「カラマーゾフの兄弟」大審問官までフライングで読んでしまったけど
「カラマーゾフの兄弟」→「謎解きカラマーゾフの兄弟」→「カラマーゾフの兄弟」 これで解決
>>860 「世の中には2種類の人間しかいない。『カラマーゾフの兄弟』を読んだ事のある人と
そうでない人と」――村上春樹。
で、途中迄で読了できなかった人を入れると3種類か・・・。
868 :
865 :2007/10/07(日) 00:44:02
>>866 了解です
「謎解きカラマーゾフの兄弟」→「カラマーゾフの兄弟」→「謎解きカラマーゾフの兄弟」
と読みたくなりました
村上春樹って神とか救いとか狂気のような極限状況の人間を描くことにに興味あんの? ラノベみたいなイメージしかないんだが
>>869 最近は「暴力性」みたいなのが彼の一つの小説の中心テーマみたいだよ
カラマと通じるところもあると思う
>>870 ないと思うよ正直。
春樹の作品は良くも悪くも、彼がつむいだ眉の中に閉じ込められたまま進行する感じ。
それってドストとはむしろ対極じゃね?
872 :
871 :2007/10/07(日) 00:55:42
>>871 >彼がつむいだ眉の中に閉じ込められたまま進行する感じ
それに対してドストはどういう感じだと?
>>873 立派な構造をなしていながら外に向けて開かれてるという意味では・・・
蜂の巣的かな、アナロジーとしては。
寝る前にメールしてみたら数十秒で返信キター!!!!!!
誤爆スマソ
>>874 もしそれをドスト的と言うのなら、
90年代中頃以降の春樹の小説は十分ドスト的と言えると思うけど。
でも確かに80年代の作品は
>彼がつむいだ眉の中に閉じ込められたまま進行する感じ
こういう印象を受けるかも。
インタビューや小説を読んだ感じから言えば、
この変化はデタッチメントからコミットメントへの
スタンスの変化みたいなのが影響している、とも言えるかもしれない。
春樹話ばかりですまん、もう自重する
>>875 どこと誤爆したんだw
>>877 というとねじまき鳥あたりからかな?
ちょっと気をつけて読んでみます。ありがとう。
いや誤爆についてはお恥ずかしい限り。
年甲斐もなく恋をしちゃってたりするもので。
>>878 顕著なのはねじまき以降だと思います。
メールの方もがんばってくださいw
880 :
音速の名無しさん :2007/10/07(日) 01:47:44
ここか
881 :
吾輩は名無しである :2007/10/07(日) 02:04:56
ドストといえば長台詞な印象なので短編てどんなのか気になる。 面白いのか?楽しみ。
>>865 >>868 なんで「謎解き」を先に読むの?
小説の解説本を先に読んでから読んでしまうと、
その小説を一面的にしか捉えられなくなってもったいないよ。
小説は、まっさらな素の状態で読まないと。
それで、できることなら(なかなか難しいけど)、
初見でその小説の構造を掴むつもりで読み進めなきゃ。
ゆとりなんでしょ、学校のお勉強のように 正しい答えがひとつだけあるみたいな読み方
色々難しく考えて気構えるからそういう読み方になるんでしょ 初読で理解出来なかったからといって 謎解きをすぐ読んじゃうのももったいないと思うけど あれに書いてある事が全て、作家から見て正解って訳でもないだろうし
小説って多面的なものだと思う。 特にカラマーゾフの兄弟は、ミステリーとしても教養小説としても メロドラマとしても読めるし、難解な哲学書としても読める。 ごった煮の混沌とした中をかき分けて進んで、 「自分にとってこの小説を読んだことはどういう意味を持ったか」を 読後にまず、自分一人で考えることが大切だと思うなぁ。 だから「謎解き」を、小説を読む前に読むというのは理解できない。
別に入門書から入っても、それ抜きでもいいじゃん。
そうかな。「謎解き」なんて一つの読み方に過ぎん。 本編を読む前に読んでも、害しかない。
888 :
吾輩は名無しである :2007/10/07(日) 12:55:28
一通り2ちゃんスレ見てから読んだ俺がここいる。 小説は十分楽しめたし自分なりの考えも持って読めたが、 好みに近いか大まかな判断が無いと読む気しないって事もあるんだよな。 謎解きはまだ読んでないがこのスレ見てたら気になってきた。
マジか! 小説にしても映画にしても、俺は絶対に事前情報を シャットアウトして鑑賞する。 いろんな人がいるな。
そもそもドスト読んだ当初に謎ときもネットもなかった
誰がどう読もうがいいんでね??
>>891 まあ、それを言っちゃおしまいなんだが。
俺は、先に解説本を読んで小説を読むという行為だけは承服しがたい。
理由は
>>883 と同じ。
何でもゆとりかよw
なんか、1から10まで攻略サイト見ながらゲームするやつみたいだな つまり、俺のこと
895 :
吾輩は名無しである :2007/10/07(日) 20:55:32
2ちゃんで見たときは人物名が頭に入らなかったりで(作品によって重複する名前もあるしな) 本編読むときは何も気にならなかったぜ。 まぁ結末知ってもドストは結末に至る過程がおもしろいから あんま気にならんかったな。 もちろん攻略サイト見ながらゲームするぜ!へ・へ・へ。
ドストの小説に限らず、 事前知識があったり、まっさらでない状態でとなんて珍しくないと思うけどね。 誰かの講演を聴いて興味を持ったとか、誰かの評論を目にして興味を持ったとか 2ちゃんで話題になっているのを見て興味を持ったとか。 ましてドストの長編なんて膨大な内容だから、事前知識があったとしても、 新鮮さはそんなに損なわれない所があるのでは。 まっさらな状態での第一印象を大切にしたいという人も、 何か指針があった方が読み易いという人もいると思う。 解説本を読んだからって、必ずしもその見方に縛られるものでなく、 自分なりの判断も可能だろう。どの程度感化されるかは人によりけりだが。
ひぐらし原作読む前にまとめwiki読んで結末知ってしまった俺みたいなもんだぜ
名作のあらすじだけの本とかが売れるんだよ
>>899 それうちの親が持ってるw
せめて手塚治虫の罪と罰にしてほしいな
シェイクスピアだって、筋は知られているし、自ずといろんな解釈論を 耳にしたり目にしたりすることが多いわけだが、 いざ原作を読んでみて、新鮮さに乏しいということはなく、面白いけどな。 まっさらでなくては駄目という人は、 事前に知識があって読むということに対し、極端なイメージを持ってるんだろうな。 読む人がまさにされに縛られまくって読むようなの。
ラスコが殺人犯すことを知らずに罪罰読み始めた奴は多分いないだろうな
>>896 >>901 それは分かる。俺だってそうだし。
だけど「謎解き」で江川卓の解釈をまるまる頭に入れてから読むってのは
それとは全然違うでしょ。
だいたい入門本読む人はちょっと足がかりがほしいくらいに 軽い気持ちで読むものだから、その後いざドストの小説を 読む時に、そんなに入門本の解釈に従って読んでいるというわけでなく 読者自身の判断が抹殺されるわけではないと思う。
「謎解き」の場合、タイトルがドストエフスキーの小説についての 一解釈というスタンスを感じさせ、 「ドストエフスキーの小説はこう読むべし」という感じは与えない。 それよりは亀井の方が、本編5巻のうちの最終巻を借りて 長く解説しているだけに、本編の後という順序にせよ、 読者に先入観を与えそうな懸念はあるかな。 なまじ本人の訳も読み易さをうたっているだけに、 「ならばカラマーゾフにトライしてみよう」と思って手を出してみた読者層に、 亀井の解説が指南書的に捉えられそうな。 これも杞憂かもしれんが。
>>905 いや、読んだ後なら別にいいんだよ
読む前に解説書を読むのが受験勉強みたいだと言ってるだけ
>>904-905 読む前に一つの解釈を読んでしまうと 人間の脳は楽したがるものだから
その解釈に引っ張られるというのはあると思う
案外そうでもないよ>解釈に引っ張られる
事前に解説書を読むということに、すごくガチガチにその解説書に取り組んでいるような イメージを抱いている人がいるんだな。 確かにそういう人もいることはいるんだろうが。
自分はまさに、ドストエフスキー研究者の人の講演を聞いたのがきっかけで ドストを読んだくち。といっても手を出したのは2年くらい後だけどw 政治思想や哲学的視点での内容で、それまではドストエフスキーについて 暗ーいイメージがあって読む気がしなかったのが、興味を持てるようになった。 自発的に解説書を読むのと、たまたま講演を聴くのと最初の動機は異なれど、 効果としてはさして変わるまい。 でもその後「カラマーゾフ」や「罪と罰」を読んだ時も、新鮮さがあった。 単純でわかりやすい例では、思ったよりイワンやラスコーリニコフが面白い人だったのが強烈な印象だった。 その最初聴いた講演の影響は当然にあるけれど、読んでみてそれ以外の 見方や印象を持つことが妨げられるわけではないですよ。
今週 土曜日(?)にドストの特番あるよ、NHKで。
>>911 おおー楽しみだ。
内容にはそんなに期待せず、でも楽しみにしてる。
今の新訳に便乗して、テレビでドストが特集されれば嬉しいと思う気持ちと、 もっともらしく陳腐な解説をテレビでされたらムカツクだろうなという気持ちと相半ば
915 :
907 :2007/10/08(月) 16:31:22
917 :
吾輩は名無しである :2007/10/08(月) 18:15:24
905 >それよりは亀井の方が、本編5巻のうちの最終巻を借りて 長く解説しているだけに、本編の後という順序にせよ、 読者に先入観を与えそうな懸念はあるかな。 そこなんです! それぞ、ロック魂ならぬ、亀さんの文学魂! ドストエフスキーを訳す時は、自分がドストエフスキーになる。 「カラ兄弟」の続編がなければ、書いてしまえばいい。 「カラ兄弟」の続編を書き上げた者が、学長。 これはもう、文学です,文学そのものです! 「カラ兄弟」の宣伝文句は 「東大教師が薦めるNO1本」 から 「学長、怒涛の文学魂!」 に変更すべし!
文体から察するにきっときみは例の・・・ イタ研は見ないがきみはよく見かけるね
だれか録画してニコニコかyoutubeに上げてくれ
俺は解説にものすごく引っ張られるタチだぜw
>>922 これは・・・絶対に見逃せない!
3chで夜10時からか。間違いなく観ます。
>>922 テロ、幼児虐待、少年犯罪など不条理な犯罪が多発する現代、
19世紀の文豪ドストエフスキーの作品が脚光をあびている。
新訳「カラマーゾフの兄弟」は30万部を突破し、若い読者を獲得している。
今ドストエフスキーの何が若者を魅了するのか。
ドストエフスキーの時代はテロと犯罪が蔓延する社会だった。
ドストエフスキー自身もテロリストとして流刑されている。
その中で「罪と罰」について問い続け、万人の心の奥底にある悪を描き出した。
それは現代日本の抱える問題に直結する。
ドストエフスキー研究の第一人者、亀山郁夫外国語大教授が、
作家の金原ひとみ、加賀乙彦、ドキュメンタリー作家の森達也と
語りあうなかから、現代日本の病理を読み解く。
>>924 「ドストを語る」番組じゃなく「ドストを通して現代を語る」番組か。
ちょっと期待と違うっぽいけど楽しみだ。
うちビデオないからニコかつべ頼む
ビデオくらい今鼻くそみたいな値段で売ってるんだから買えよ ラスコ並みの貧乏か
ちゃんとその時間にテレビを見たら?
PART18が立った。 見知らぬコテが建てているようだけど。
コテと言うか洒落ですね
スレ立ておつです
932 :
吾輩は名無しである :2007/10/09(火) 00:36:37
外国語版で読んでる人多いんだな レベル高いわ 俺は、日本語版しか読んでない つうか外国語わかんねえし
933 :
吾輩は名無しである :2007/10/09(火) 01:05:56
英語で読んだら理解深まるのかな
英語版を読んだ一番の動機は、英語学習のたしとして。 好きな作品で読む気になるという点で、英文学で読むのとはまた違うメリットがある。 作品理解の上ではどうなんだろう。 この場面の内容は、英語で表現するとしたらこういう風になる性質のものなのだな ということで、それなりに得るものはあった気もするけれど(大分前のことなので忘れた) でも日本語オンリーの場合と、大差ない。 英文学だと、やはり英語で読んでこその良さを確かに感じるから だから外国語版でも、ロシア語(原書)でドストを読むのには かなり価値あるんだろうな。日本語版もいい訳には恵まれているけれど。
英語学習として効果あった? 自分もやってみようかな
>>935 個人差あるんだろうけれど、洋書を読むのって確かに英文慣れ
したりボキャブラリーも増えたり効果はあるとしても、
目に見えるような効果ではないと思う。
ヒヤリングや構文を覚えたりライティングの練習をする効果に比べると。
ボキャブラリーも、ああいう作品だから怪しげな単語ばかり覚えるしw
マイナスにはならないし、趣味と実益を兼ねてという感覚でやるのならば。
煮え切らない回答で済みません。
日本語でも長いドストを、外国語で読むのは骨だな
現在ドスト研究者となると亀井先生になるのか
>>922 金原って声だけは萌えるんだよな。録音しとくか
940 :
吾輩は名無しである :2007/10/09(火) 08:23:29
私は一番好きな文学作品が「悪霊」で、何度も読んで大体頭に入っているので、 英語の勉強のためにと思って、英語版も買ってみました。 長いんで読破してないけど、知らない本を英語で読むより流れが良くて勉強になったよ。
外国語で読める人すげーな。 でも、ドスト読むなら英語じゃなくてロシア語なんじゃ??
ロシア語は難しいからな・・・ ドスト好きが興じて二外で選択したけど、結局サッパリわからないまま終わったわ
ロシア語で読めればいいが敷居高い。難しそう。 英語で読むのは英語の勉強のためみたいだし。
944 :
吾輩は名無しである :2007/10/09(火) 18:52:16
917 >それぞ、ロック魂ならぬ、亀さんの文学魂! ドストエフスキーを訳す時は、自分がドストエフスキーになる。 「カラ兄弟」の続編がなければ、書いてしまえばいい。 「カラ兄弟」の続編を書き上げた者が、学長。 前代未聞! 驚き,唖然! (◎-◎;) 凄く、イイ! +(プラス) 自分の好みにストーリーを変更する。 これぞ、文学魂!
945 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 11:16:31
亀井の神になりたかった男を読んだ。 マトリョーシャの自殺理由が判然としないというか納得しにくい。 自分のM性、変態性を知ってしまうことで自殺してしまうものなのだろうか。 罪悪感、羞恥心があるにせよ。 サドマゾは、今は日本でもより一般的な性的分野になっているが、 閉ざされていた時代でも自身の性癖で自殺をしてしまう人間はいたのだろうか。
自殺することが究極のマゾだから。
947 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 14:13:48
>>942 露語で学部時代で読めるとしたら、チエホフやプーシキン、
短いもので良いでしょ。
>>944 水村早苗『続・明暗』の様な無謀な企みに挑戦した露人はおらぬのか?
しかし水村ってものすごいことやったよね 結果はともかく・・
949 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 15:23:11
自死を究極と自覚するにはマトリョーシャは幼すぎるのではないだろうか?
「カラ」は一応完結してるから、水村早苗『続・明暗』とは ちょっと意味合いが違うだろ。 それより、カフカ「城」の続きを誰か書いてほしい。 スレ違いだが。
Sであり、Mでもあるという両面性の性癖を持っている俺は異常か?
952 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 17:10:02
>>951 よくいわれることであり、よくあることである。
ただ、昨今のSだMだというのは、往々にしてそんな雰囲気だという程度のことが多い。
で、どのような性癖なのでしょうね?
953 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 20:02:01
須藤元気のレベル 革命家チェ・ゲバラの南米旅行記と同じルートをたどるノンフィクション。 限定200枚の整理券は、発売前夜に徹夜組が現れ、ネットオークションでは 3万円に高騰する人気ぶり。須藤は旅を通じ「本当の戦いは、自分の内側にある。 自分のありのままでいられる人が世界最強なんじゃないかな」と悟ったという。 今後は執筆業を中心に活動する。 これは名言だ。浅田や副島や宮台や東に言えるセリフではない。 須藤のほうがずっと若いのに ソクラテス、ヘーゲル、ニーチェのようなレベルでも、 ここまでは行かなかったのではないか? 須藤が悟ったことは、これまでの哲学者が見落としていた心理かも? トルストイやドストエフスキーだとさらに劣る
>>953 オンリーワン、ナンバーワンと言う意味と同意ですね、
昔から様々な人が言っている考えです。
数年前にSMAPが「世界にひとつだけの花」という歌で似たような内容を歌っていました。
あの詩を書いたのは槇原敬之だったと思いますが、一応もっともなようでありながら
実は案外傲慢な自負心に満ちた考えだと、私は思っています。
自分のありのままでいるということは、他者の優れた面なども学ばないという意味でもあるかもしれません。
>>953 それと、マルチポストはやめた方がいいですよ。
>>953 自己啓発書は結局同じことを言っているにすぎません。
須藤元気はそれらを読みこなしていいとこ取りをしているだけですよ。
本など読まない層にうける形で出してきただけで
内容は同工異曲以外の何者でもありません。
浅いなあ そんなことを考えなかった人間がこの歴史上いなかったはずがないだろ
959 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 20:36:53
>>947 >>950 「水村美苗」スマソ。
>>950 『風と共に去りぬ』の続編として、前世紀末に『スカーレット』
が公募され、書かれて、映像化もされたが、こっちはすっかり忘れ
去られて仕舞った様だけどね。やはり作品をどれだけ愛し、理解する
かばかりでなく、技術的にも描き切るかは大きい。
ドストは、続編として、アリョーシャが成長して革命家と成り、
皇帝暗殺犯として処刑される構想もあったという事で、続編に
向けて夢を託したくなるのも不思議ではないかと。
960 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 21:16:29
ドストエフスキーも須藤と同じで、 以前の思想家や哲学者の口真似だし。
>>960 誰がドストエフスキーがオリジナルだと言ったのですか?
ドストエフスキーは小説家であって思想家でも哲学者でもありません。
また、口真似だとすると、あれだけの饒舌冗長な言葉を使って表現した哲学者
思想家というのは誰の事を指しているのでしょうか?
教えていただけたらうれしいです。
963 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 21:43:14
まず、961はどこが饒舌冗長なのかを教えてくれ。 ドストエフスキーはむしろ、まわりくどく、詩的でもなく、 ただ煽りで名前が残っている作家だと思うんだが。 どの文が凄いのか、少し抜き出してくれ。
>>963 抜き出して書くのは手間なのでネットの中にあったいくつかの文章を載せて見ますね。
米川訳のドストエフスキーです。
こういう文章が例えばカラマーゾフの兄弟の場合新潮文庫なら3巻、光文社古典文庫なら5巻続きます。
『おれは窓に近寄って、こおったガラスにひたいを押し当てた。氷が、まるで
火かなんぞのようにひたいを焼いたのを覚えている。心配するな、長いこと待
たせはしなかった。おれはくるりとふり返ってテーブルに近寄り、ひきだしを
あけて、五分利つき五千ルーブリの無記名証券を取り出した(それはフランス
語の辞書の中にはさんであったのだ)。そして、無言のまま令嬢に見せて後、
たたんで渡した。それから、つぎに、自分で玄関へ出るドアをあけて、ひと足
さがり、深く腰をかがめて、相手の心にしみ渡るようなうやうやしいおじぎを
した。信じてくれ、ほんとうなんだ! 令嬢はぎくりとして、一秒ばかりじっ
とおれを見つめながら、まるでテーブル・クロスのようにあお白い顔をしてい
たが、とつぜんやはりひと口もものを言わないで、静かに深く全身をかがめて
、ちょうどおれの足もとへひたいが地につくほどおじぎをした、――それが突
発的でなくもの柔らかな挙動なんだ。女学生式でなく純ロシア的なんだ! や
がて急におどりあがって飛び出しちゃった。令嬢が飛び出したとき、おれはち
ょうど軍刀を着けていたので、それをすらりと引き抜いて、即座に自殺しよう
とした。なんのためやら自分でもわからない、むろん、恐ろしいばかげたこと
ではあるけれども、きっと歓喜のあまりにちがいない。おまえにわかるかどう
かしらんが、ある種の歓喜のためには、自殺もしかねないことがあるよ。しか
しおれは自殺しなかった。ただ、軍刀に接吻しただけで、またもとのさやへ納
めた、が、こんなことはおまえに話さなくてもよかったんだなぁ』
私はドストエフスキーが凄いとは一言も書いていないので何か勘違いされているのだと思います。
ただ冗長なのはドストエフスキーを読んだ人間なら誰しも感じるところだと思うのですが
もしかするとあなたはお読みになったことがないのではありませんか?
965 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 22:51:24
>>964 それが良い文としても、それよりもレベル低い文のほうが多いよ。
続きます、なんて言って騙さないように。
少々熱くなってしまった自分がふと恥ずかしくなりました。 くだらないことでスレを使ってしまってすみませんでした。 深く反省しております。 おやすみなさい、しばらく自重いたします。 (すぐ熱くなりすぐ反省する自分がちょっとカラマーゾフの長男に似ている気がしました、 なんととらえてよいのやら)
967 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 23:10:31
光文社の新訳は誤訳があったらしいけど、 それっていつ改正されるのですか? されてから買うつもりです。
968 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 23:14:58
この新訳は活字を読みなれていない最近人には、とっつきやすいかもしれない。 しかし、僕には以前の岩波の重厚で正確な訳のほうが好きである。 真の名作は、そこいらの通俗小説のように簡単に読まれ、捨てられるべきものではないと思う。
あまり話題にならない『二重人格』を読み始めたけど、ぜんぜん頭に入ってこないや 面白いのかな、これ。 岩波文庫ってどうも小説読んでる感じがしない
970 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 23:31:50
そうだな、訳のよしあしを云々するのであれば、 まず、自分自身がロシア語と日本語に人並み以上に通じている必要があるだろうな。 ロシア語も知らず、格調の高い日本語がどういうものかも知らず、 訳の出来について偉そうに注文つけることで文学通を気取っている連中こそ、 最も下らない人間かも知れぬて。
971 :
吾輩は名無しである :2007/10/10(水) 23:37:03
↑こいつは間違いなく光文社オタクの読書初心者
文章を読んでいて魅力を感じるのは新潮版>カラマ
973 :
吾輩は名無しである :2007/10/11(木) 00:31:57
>>953 ちょっと待てよおまえ!
俺が先日須藤スレここ文学板に立てたのに、なぜそれを須藤スレに書かない!?
974 :
吾輩は名無しである :2007/10/11(木) 01:04:35
975 :
吾輩は名無しである :2007/10/11(木) 01:07:28
たしかにそうだね。 新潮>光文 だと思う。 それは光文社の新訳が子供向けにしてるからだけどね。
976 :
吾輩は名無しである :2007/10/11(木) 01:39:43
俺は学研のやつ読んだけどな 家にあったから
977 :
吾輩は名無しである :2007/10/11(木) 01:40:58
集英社のも良いぞ。基本的だ
学研のなんてあるんだ。
学研はいい本をけっこう出しているから、あるのなら読んでみたい。
しかし
>>977 のように言われると集英社にも興味がわく、
979 :
吾輩は名無しである :2007/10/11(木) 02:18:58
まぁ、なんだかんだで、 無難なのは新潮 子供向けは光文
地下室の手記、最初意味わからないけど、みんなわかってるの? 意味わからなくて眠くてしょうがない
簡単に言うと、「空想的社会主義批判」。 (空想的)社会主義ってのは、「みんなが平等」を前提にしてる。100人が、 100の財産を分け合う社会。 人間を数字的に見てるんだよね。言い方を変えれば、合理的なもの。 ところが、地下室人に言わせれば、人間は「非合理的」。意味もなく、マイナスな行動 を取る動物。だから、(空想的)社会主義は人間には合いませんよってことね。
続き。 空想的社会主義は、フーリエ、オーウェンと言った学者が有名。 彼らは、ユートピア、ファランジュといった、人間が平等に生きる理想郷を、著書で書いて いる。 地下室人が批判している、「水晶宮」も、ユートピアと同じ意味。空想的社会主義の 理想郷の1つのモデル。学者が違うので、理想郷の名前も違うだけね。 地下室人からすれば、そんなものは有り得ないってわけだ。 ちなみに、空想的社会主義に対して、科学的社会主義があるけど、これが共産主義。 マルクスの唱えたもの。 ドストエフスキー、そして地下室人の考え方からしたら、科学的社会主義はもっと批判 すべきものだっただろうね。
まあ頑張って読めば、二部は面白くなるよ。 一部は、空想的社会主義批判。独自の視点でね。 二部は、物語。 二部の方が遥かに面白い。一部は退屈に感じる人と、面白いって人で分かれるだろう。 独立して読める構成。繋がりはあるにはあるけど、あってないようなものだな。
彼は最初フーリエの勉強会のようなサークルに所属していて 警察に捕まり、処刑の寸前に恩赦されて シベリアに流刑になったように覚えている。 いったい何時彼は宗旨がえをしたのだろう。 日本でいえば、転向したようなもの。 コチコチの民族主義者になったらしいけれど、 彼の小説を読んでいると相変わらず社会主義に 未練たっぷりのようにも思える。 社会主義的なるもの、共産主義的なる物についての理解が深い故に そう思えるだけだろうか。
985 :
吾輩は名無しである :2007/10/11(木) 11:57:54
社会主義も民族主義も共同体の理想化と言う意味では似たようなもの。 ただ、前者は無神論に依拠し、後者は信仰に依拠している。 シベリア以降のドストはいわば信仰に基づく社会主義を理想としていたのだと思う。
986 :
吾輩は名無しである :2007/10/11(木) 12:19:35
ドストエフスキーはパクリ哲学だから、 理屈の部分はつまらない。 ストーリー性だけでしょ。この人
逆だと思うけどな。 政治学の20世紀以降の発見の一つである、「人間の非合理性」ってものを、 既に「地下室の手記」で、これでもか、というぐらい書いてるわけで。 実存主義の実質的な開祖とも言われてるけど、個人的には「人間の非合理性」 に対する追求が最も驚異的。 哲学の面では、実に先駆的。パクリどころか、パクられまくった感が強い。 政治哲学のジャンルでは特にね。
>>986 が知っているかは分からないが、ドストエフスキーに最もよく似た考え方をしている
のは、エドマンド・バーク。ドストエフスキーが影響を受けたかは分からない。
ただ、多くの面で、瓜二つと言ってもいいぐらいの思考回路を持っている。
ドストエフスキーの理論は、より多岐に渡っているが。
エドマンド・バークはいわゆる保守主義の開祖。保守思想の最大の巨人。
バークというと「フランス革命についての考察」だよな。 ドストもバークもフランス革命を徹底的に批判したという共通点がある。
思想的なことの場合、意匠よりも妥当性の方が重要なわけだから 先人と連続性を持つのは仕方ないのでは。 言い換えればそれなりの普遍性があるということ。 大審問官物語のうちのある面は、古代ローマについて言われてきた 「パンと見世物」といったことだし。 でもあれを哲学的・神学的な話題と結びつけたり、現代の問題とリンクさせて いたりするから、やはりドストの主張ならではのすごさがある。
>>989 フランス革命論というと、トクヴィルも有名だけど、
どっちが面白い?
>>992 トクヴィルは「アメリカの民主主義」は偉大だが、フランス革命に関しては、バークでしょう。
先見の明という点でも。多くの混乱や反動を予言した本。
革命勃発のわずか1年後に出版というから、驚くばかり。
フランス革命か。 調度最近フランス語を勉強しているから、この間NHKのパリ特集番組を楽しみにしていた。 見てみたら、地元女子大生が案内役で、 「あたしはパリが大好き!」「あたしはパリを誇りに思っている」といった 気持ち悪いノリ(なぜか他の都市よりパリに関してありがちなノリだけど)に、 革命がどう、自由、平等がどうと青臭い話を聴かされ、途中で見るのやめた。 女子大生ならおしゃれで可愛い子希望。 政治の話を織り込みたいのなら、どういう立場にせよもっと成熟した人を。
たまに実存主義哲学の先駆なんて言われるぐらいなんだから哲学にも影響与えただろ ドスト、キルケゴール、ヘルダーリンあたりは名前がよくでる
こんな時間から盛り上がるドストスレって凄いなあ トルストイスレにも分けて欲しいくらいだ
999 :
吾輩は名無しである :2007/10/11(木) 13:20:35
ドストエフスキーは哲学者としては二流
1000 :
吾輩は名無しである :2007/10/11(木) 13:21:28
オナニー色が強いよね。ドス
1001 :
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