ノーベル賞■大江健三郎を作品オンリーで語る 40■
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日本人:
裁判の争点は証拠の薄弱な事実に対して向けられても仕方ないのである。
隊長は古義人の独善を非難し、古義人は隊長の偽善を非難する。堂々廻りなのである。
われわれが見据えるべきは『真実』だけだ。
果たして、国民は大義より自由を欲したのか。
これがこの歴史的裁判の真の焦点なのである。
もしも、戦場の日本国民にみずから、敵のなすがままになるくらいなら自決を謀るほどの義理があったのならば、
古義人は日本国民の深層心理を誤って捉えてしまったのである。
だが、古義人がノーベル賞の権威で地球各国に卑下して言いふらし回るように、
戦争責任を負わねばならぬ天皇様が諸悪の根源ならば、
それは《本当は国のためになんて死にたくない》臆病島民の真実の気持ちを酌んでやれなかった隊長の不手際なのである。
日本人は虚勢を張る臆病者なのであろうか。
それとも、義理のためには命を捨ててなんとも思わぬ忠君愛国の民なのであろうか。
あるいは――たんに、何らかの原因で洗脳を受けていた昭和国民の馬鹿のせいであり、
その責任は負ける戦争にも意地を張りつけた明治の天皇陛下の御命令の過ちであったのか。
古義人氏が、紛れもない一介の日本人として、国際社会と日本国民に向けていかなる進退を選ぶか。
われわれはこれを最後まで見届けねばならぬ。