Q:827への回答ありがとうございました。
韓国を、ソウル、大邱、慶州と南下してきて、今日釜山に入りました。
次作の取材と、他にいくつか仕事をしています。
好きな映画である『チング 友へ』(監督・カク・キョンテ)
の舞台であり、海鮮に限らず食べものがおいしいです
Q:826への回答ありがとうございました。
暑かった07年の夏が終わろうとしています。
毎年、近くの公園に犬と散歩に行ってわたしは
夏の終わりを知ることになります。
川崎市と横浜市の境にあるその広い公園は
よくわたしの作品にも登場します。
秋の紅葉や春の桜など、四季それぞれに趣があるのですが、
夏は何と言っても雑木林のセミの鳴き声のシャワーです。
盛夏の雑木林では、まさにシャワーを浴びるように
セミの声が四方八方から聞こえてきて、
自然と生命に対し畏怖の念を持ちます。
犬はセミの鳴き声には興味がないので早く行こうとせかしますが、
待てと指示して、わたしはしばらく目を閉じ360度の
サラウンド・システムの音に聞き入ります。
数百、数千のセミの数だけの極小のスピーカーが
あるわけで、その響きはたとえ大好きなBOSEの
システムでもかなわないと思います。
セミは何年もの間地中にいてほんの1週間だけ
地上で生息するそうです。昔、そんなセミが可哀相だと言った友人
がいて、わからないぞとわたしは反論しました。
セミにとっては地中のほうがハッピーかも知れないからです。
セミの身になって地中の生活を想像したり、
セミの気持ちを翻訳するのは不可能なので、
地上で生きるほうがよりハッピーだとは言えないと思いました。
最近、医療問題を扱った本を読んでいます。
『医療崩壊・立ち去り型サボタージュとは何か』(小松秀樹 朝日新聞社)と、
『ノーフォールト』(岡井崇 早川書房)が特に優れていました。
前者は論文&レポートで、後者は小説ですが、
どちらも著者は現役の医師です。
医療の現場で何が起こっているのか、
それを正確に広く伝えるのは本来メディアの役割ですが、
機能しているとは言えません。
日本社会のいろいろな現場で制度疲労が起きていて、
まずその実態・事実関係を正確に把握するのが第一だと思います。
しかし大手既成メディアは、たとえば医療事故に関して
被害者の心情をベースに報道するという、安易な報道姿勢を
変えようとはしません
Q:825への回答ありがとうございました。
工作員乙
佐賀北対広陵の決勝を、つい見てしまいました。
準々決勝の帝京戦を見て、わたしが九州出身ということもあり、
何となく佐賀北の選手たちにシンパシーを抱いたからです。
しかし広陵の投手が素晴らしく、これは負けるなと
あきらめていたのですが、あの歴史に残るであろう
満塁逆転ホームランが出て、佐賀北の劇的な優勝となりました。
満塁ホームランの前に、帝京戦で決勝打を打った
つぶらな目の小柄な、可愛い選手の打席で、
主審の微妙な判定がありました。
1ストライク、3ボールからの5球目です。
だめだ、三振だ、とわたしは天を仰いだのですが、
判定はボールで、押し出しで佐賀北は1点を返しました。
そのあと満塁ホームランが生まれたのですが、
どう見てもあれは見事なストライクで、広陵の監督は
試合後に審判への批判を口にしました。
ただ、高校スポーツとはいえ競技なので結果がすべてですし、
審判は完全ではありません。
わたし個人としてはあの5球目はストライクだったと
思っていますが、それが佐賀北の優勝にケチをつけるものではないと考えます。
あの広陵の投手は審判の判定への不満を口にしませんでした。
代わりに監督が批判を明らかにしました。わたしは、
広陵の監督の審判への批判表明も支持します。
誰かが言わなければ、選手たちはずっと違和感を
抱いたままになってしまうからです。後味が悪いと書いたメディアも
ありましたが、わたしはそうは思いません。
両チームの選手も監督も誰も間違ったことを
していませんし、わたしは審判を責めようとも思いません。
とにかく素晴らしい決勝戦であったことは間違いない事実で、
試合後に監督が胸の内を明らかにしたのも当然のことです。
「ディテールに問題があるが全体的に素晴らしい出来事」
というのは実在します。あの決勝はその典型だと思います。
Q:822への回答ありがとうございました。
先週は「疑惑」と「処分」を巡るニュースがいろいろとありました。
朝青龍の疑惑と処分についてはエッセイ特別配信号に書いたので省きます。
自民党の参議院選大敗北と総裁である安倍総理については、
さまざまなフェイズで考えることができます。
なぜ自民党はこれだけの敗北を喫したのか、
構造的な問題と、トピックスが交錯して
実に興味深いテーマだと思います。
間違いないのは、これまで自民党がイデオロギーではなく
利益供与で多くの国民の支持を得ていたという事実が明らかに
なったということでしょう。
自民党の理念(実際にそんなものがあるかどうかは別にして)
に共鳴していたわけではなく、補助金や公共事業などで
はっきりとした利益を得ていた層が離反したというのが
最大の敗因であると思われます。
太古の時代、多くの国家で、国民の利益を確保できなくなった
王様は殺されるという習慣があったと指摘する文化人類学者の本を
読んだことがありますが、普遍的なことかも知れません。
安倍総裁は、選挙戦の終盤で「改革か逆行か」「成長か逆行か」
「小沢氏かわたしか」を問う選挙なのだと繰り返し叫んでいましたが、
利益供与ができなくなってしまっている現状では、
その叫びはまるっきり逆効果だったことになります。
安倍総理の参議院選前後の言動を見ると、疑問ばかりが湧いてきます。
ある仮説を導入すると疑問がすべて解消するのですが、
その仮説についてはあえてここでは触れないでおこうと思います。
Q:814への回答ありがとうございました。
大分と熊本の県境付近にある、隠れ家的な温泉リゾートにいます。
部屋にはそれぞれに露天風呂があり、本棟にはレストランとスパがあって、
食事はかなりのレベルの日本料理で、サービスの質もほぼ完璧です。
九州一帯には、このような「オーベルジュ」が相当数できているのだと
聞きました。
さて、金曜版の春さんのハーグからのレポートは、
フレンチ・オープンについて書かれていました。
わたしはWOWOWでテレビ観戦しましたが、現役選手たちの試合の合間に、
48歳になったジョン・マッケンローのダブルスが放映されました。
マッケンローは、スウェーデン選手のヤーリード(47歳)と組み、
対戦相手は60歳になったルーマニアのイリ・ナスターゼと
エクアドルの元ビッグーサーバーのアンドレア・ゴメス(47歳)でした。
マッケンローのプレイを見ていて、テニストーナメントを追って
旅していたころを思い出し、懐かしい気持ちになりました。
考えてみればもう20年以上前のことです。
ローラン・ギャロで、ジョン・マッケンローはいまだにある種のオーラを
発していました。ファンだったわたしだけがそう感じたのかも知れませんが、
現役時代の彼のどこが好きだったのか、48歳になったマッケンローを
見てわかった気がしました。
それは、「過剰な真剣さ」とでもいうべきもので、
「そこまでやらなくても」とか「そこまで言わなくても」とか
「そこまで徹底しなくても」とか、往々にしてそういった
ニュアンスで語られる「精神の在りよう」です。
絶対に妥協を許さない、ときには偏執的だと感じられるほどの集中力、
よく言えば、厳密性と完璧への希求というようなことになります。
「自分は完璧なプレーをするために極限まで集中している、だから同様に
審判も集中して欲しい、ジャッジのミスは許されない」というのが、
マッケンローが「悪童」と呼ばれたおもな要因だと思います。
ざざー
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。