>>5 あれは読者が色々想像できるように
あえて分かりづらくしているのだと思う。
ひょっとすると医者の奥様に
主人公への下心など全くなくて
単に事実を伝えただけかもしれないし、
主人公にちょっと色っぽい気持ちを持っていて
一応事実だが艶話をしたのかもしれない。
無論、主人公を誘惑する意図で作り話をしたのかもしれない。
あの話が終わった後の主人公と医者の奥様の関係にしても
単に親しく行き交う知り合い程度で終わったのかもしれないし
艶っぽい関係になったのかもしれない。
個人的には前者だと思うけどね。
>>4>>6 そんな解釈が成り立つっていうのなら、
「三年、と一口にいっても、――胸が一ぱいになった。年つき経つほど、私には、
あの女性の姿が美しく思われる。」
ここはどう解釈するんですか??
「色々想像できるようにあえて分かりづらくしている」といったって、あなた、いくらなんでも
限度ってものがありますよ。ふざけるのにもほどがある。
当時、結核は不治の病ですよ。絶対死ぬといわないまでも、非常に深刻ですよ。
そこで医者がセックスを禁じるのは当たり前。そこがなんで艶っぽい話になってしまうの??
「小学校の先生の奥さま」は絶望に近い気持で医者に通ってきていた。
(本人は来られないほどに病が重かった。医者はそんな「奥さま」の気持を汲んで
あえて笑わせている)
なんとか病気が快方に向かってきて、やっと交わってもいい程度に回復した時の、
いろんな意味での喜びが最後のパラソルを回す姿に表れているわけでしょうが。
その姿が、「愛という単一神を信じたく内心つとめている(つまり、なかなか信じられない)」、
「うっとうしい胸の内」をかかえた主人公を励ますように響いてくる。
「さしがね」の意味は確かにちょっと取りにくいけど、そんな「奥さま」の姿を主人公が
気づくように「奥さん」が注意を差し向けたこと(「ああ、うれしそうね」と)ではないの?
これは表面的な読みで、解釈が分かれるのはここから先でしょう。
「さしがね」みたいな言葉を主人公が励まされる場面でなぜ使っているのか、とか。