ノーベル賞は大江が取ったけど、多分大江のどの作品よりもちょっと上だと思う。
あの存在感は太宰にしか書けない。まぁスウェーデンのカスに日本の心を理解できるとは思わんがな。
2 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 19:42:46
太宰は永遠。何千年後も読みつがれる。
3 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 19:45:20
数十年くらいしか生きてないおまえが言うなw
あと何十年かで死ぬくせに。
じゃあ誰なら言えるんだい?
5 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 20:21:00
そんなアホなこと言ってる奴いるの?
6 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 20:22:56
太宰はいいかも知らんが太宰の影響下にある奴ぁ気持ち悪くてイカン
7 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 20:26:49
ダザイ自身は頭いいよね。信者は頭悪いけど。
ハルキ現象みたいなもんかな。
8 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 20:27:56
太宰はゴミ量産した作家だが、津軽だけは別格だな
9 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 20:32:12
おれは小さな個々の勃起とオルガスムとを今や軽蔑していた、おれは啓示どおり、おれの全生命を賭けた大勃起、大オルガスムとにむかって精液と性エネルギーとをたくわえていたのだろう
10 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 20:34:48
おれは純粋天皇の、天皇陛下の胎内の広大な宇宙のような暗黒の海を、胎内の海を無意識でゼロで、いまだ生れざる者として漂っているのだから、ああ、おれの眼が黄金と薔薇色と古代紫の光で満たされる、千万ルクスの光だ、天皇よ、天皇よ!
12 :
吾輩は名無しである:2006/06/12(月) 21:30:36
13 :
吾輩は名無しである:2006/06/13(火) 21:36:02
軌道修正。
昨年金木町の斜陽館に初めて行き、久しぶりに「津軽」を読み返すことに
なりました。
その他小説に登場する場所を幾つか実際に観てきてから、読んだせいもあ
ったのか、本当の読書といったものを堪能した気がします。
不思議と生きる気持ちを強くしてくれる、生きていて良かったと思わせて
くれる作品です。
やはり太宰治の最高傑作と呼ぶに相応しいでしょう。
本当は生き続けたかったんだよね、太宰さんは。
14 :
吾輩は名無しである:2006/06/13(火) 21:38:29
ものすごい暴れたらしいからね玉川上水で。女に引きずり込まれたんでしょう。
15 :
吾輩は名無しである:2006/06/14(水) 15:29:42
>>14 太宰の自殺については諸説あるが玉川上水に引き吊り込まれたときはすでに
太宰は大量の睡眠薬を服用していて意識は無かったそうだ。だから発見され
たとき山崎富栄は水を大量にのみ見るも無惨な姿で発見されたが太宰は生き
ているのか死んでいるのかわからないといった状態だった。
(まぁ富栄が太宰を絞殺し川へ引き吊り込んだという説もあるが)
16 :
吾輩は名無しである:2006/06/17(土) 01:57:56
大量服薬とかしてる時点で死にたかったんじゃないの?
17 :
吾輩は名無しである:2006/06/17(土) 03:42:04
太宰は日常的に飲んでたから。昼間も。
19 :
吾輩は名無しである:2006/06/17(土) 09:40:06
自分はゲコタイプなので、酩酊した気分で小説や文章を書くという感覚や気分が
よく解らないのですが、太宰さんもまた然りですが飲んべえの作家さんの作品っ
て須らく緩んでいてとても面白いんですよね。
例えば太宰さんの「懶惰の歌留多」をとてもお気に入りの作品に挙げていた後藤
明生さんも物凄い飲んべえで、作品はことごとく緩み続けていていつも楽しませ
てくれました。
才能以上に、羨ましい性質です。
いや、睡眠薬だけじゃなくてヒロポンもやってたから。
>>15 見てきたような嘘を書くな、太宰の検視に立ち会った友人達が書き残したものくらい読め。
>>17 太宰は一定時間きっちりと仕事するのが常だった。
一日分の仕事を終えると、訪ねてくる編集者や読者を引き連れて
なじみの居酒屋へ行き親切に文学談義に付き合った。
酒を呑みにというより話をする為で、若い人々にも優しく気を遣っていた、と
三鷹駅前の馴染みの店の女将が思い出文を綴っている。
>>20 ヒロポンは坂口安吾だ。睡眠薬でもない。
太宰は、千葉船橋に住んでいた当時盲腸炎で入院した病院で
鎮痛薬として処方されたバピナールが原因で、中毒症に陥った。
*スレ立てて遊んで時間を無駄にせず少しは作品や評伝を読め。ばかたれ
22 :
吾輩は名無しである:2006/06/17(土) 15:24:16
偉くないからですよ、もちろん
22=23みたいな超ドヘタな自演するバカが居るから
スレごとバカにされるんだよっ
よぉ、迷探偵。思い込みはそれくらいにしたまえ。
昔アメリカ人だかイギリス人だかが津軽を読んで現地へ行って本書いてた。
その本を読んだら内容が凄いモノだったのでここに書いておく。
太宰は事あるごとに自分を津軽のファーマーの子孫とかいうが
先祖が罪深い寄生地主だった事実にしらばっくれてる
ここは元々アイヌの地でなのにそういう事実に触れないのは
日本人が人種的に純血種であるというフィクションに浸りたいから
アイヌの混血という可能性を恐怖としか捉えられないんだろう
第二次大戦の真っ只中に書かれたのに日本軍の犯罪を
糾弾しないどころかほとんど意図的に無視しており
僅かに戦争の事に触れてる部分では聖戦と呼んでる
全然凄くないw
太宰治の父親が高額所得者で構成される貴族院議員だったのは超有名な話で
隠すどころではない、実家はものすごい資産家で銀行まで自分で持っていた。
アイヌの血云々については、太宰が裸になると意外に毛深いという話から
友人達との話題に上る、恐怖どころではなく多血の方が嬉しい。
何も知らないガイジンの説を鵜呑みにして、昭和18年の開戦以降、
太宰の200枚以上の新作小説「雲雀の声」が出版不許可になったのも知らんのか。
この当時太宰は
「正義と微笑」「右大臣実朝」「津軽」「惜別」「お伽草紙」を書き、
連作長篇「新釈諸国噺」と創作集「佳日」を刊行した。
・…文学としての質の高さにおいて、すべて第一級の作品である。
あの戦時下にこれだけの仕事をした作家は、ほかに無い。…とは奥野の弁。
28 :
吾輩は名無しである:2006/06/17(土) 16:44:06
>>26 たった一冊だけ読んで後生大事に語るのはよくない。
太宰に関する文献は腐るほど出ている、少しは比較対照して読みながら
自分自身の見識を養うという経験を積め。出しゃばって語るのはそれ以降でよい。
太宰スレって勘違いした奴が湧いて困るな。
何でこんなにも偉そうなんだ。
>>21 君はヒロポンブームを知らない。偏見持ちすぎだと思う。
ダメゼッタイ的プロパガンダにやられちゃってるんじゃない?
当時はふつーに薬局で売ってたし、そう特別なもんでもなかった。
デカダン派じゃない安岡章太郎だってやってたくらいだぜ。
近所で薬局経営してるおばあさんなんて、「薬剤師試験の直前に
ヒロポンで一週間徹夜で勉強したのよ〜」とか嬉しそうに語ってたよ。
高校受験のときエスタロンモカ買いに行ったら教えてくれた。
>>30 それは戦後の一時期を席捲したブームであって
みーちゃんはーちゃんもバカ兄ちゃんも特攻帰りも、ヒロポン中毒になった。
坂口安吾もヒロポンだ。
だが、太宰治の盲腸炎に処方されたのは、当時の患部の鎮痛薬としては常識的だった
パピナールだ、パピナールも薬局で入手できた。
だから一年三ヶ月の及んだ太宰の「船橋時代」は、実家からの送金では足りず
友人知人から借金を重ねながらパピナール中毒に苦しんだ苦悩の時期となった。
『晩年』初版本の口絵写真には、まさにパピナール中毒真っ最中の
痩せ細って心身消耗の極地にある若き太宰の姿が残っている。
弘前から連れていった最初の妻初代の知らせで
故郷から駆けつけた実家の番頭役・北芳四郎が井伏鱒二に相談し、
井伏鱒二が乗り込んで
太宰を強制入院させ、ようやくパピナール中毒から脱出させた。
その体験を太宰の視点から描いたのが「人間失格」。
>>30 一々応えるのは面倒だから、31で終わり。
繰り返しになるが、数多ある評伝や論文を少しでも多く読んで
自分自身の頭で考えることだ。
ぢょこっと読んじゃ知ったかぶりしてこんなところに書いても
何にもならん。
少しでも意味のあることに時間は使え。
33 :
吾輩は名無しである:2006/06/18(日) 16:01:35
普通に面白かったです。
盲腸炎じゃなくて虫垂炎じゃないの?
35 :
吾輩は名無しである:2006/06/19(月) 23:36:25
せっかく一番希望に満ちている異色の太宰作品のスレなのに、やっぱり
心中とか自殺とか中毒とか、もう十分だよ!という話題にやっぱりなっ
てしまうんだねぇ。
面白い作品なんだよ、「津軽」は。
大体において「晩年」で披露した自作『思ひ出』をあんなに長々と引用
し続けるところが、変に面白すぎるのだよー。
あんなポストモダンみたいな方法論を、あの時代にやっていること自体、
普通じゃないんだと思うよ。
>>35 そういう面白さもあるのかもしれないが、俺は素直に話の筋が面白かったよ。
37 :
吾輩は名無しである:2006/06/22(木) 22:12:05
もう戦時中だというのに酒は飲むし、蟹食べ続けているし、
太宰治って暗い時代に元気だったよね。
立派な人だ、頭がいい天邪鬼。
38 :
901です:2006/06/24(土) 23:04:04
ハナニアラシノタトエモアルガ
サヨナラダケガ人生ダ
39 :
吾輩は名無しである:2006/06/24(土) 23:25:52
蟹瀬町はカニの名産地だから仕方なくね?
蟹瀬町・・・
41 :
901です:2006/06/24(土) 23:45:52
蟹田…
蟹瀬敬三
43 :
吾輩は名無しである:2006/06/25(日) 23:31:59
44 :
吾輩は名無しである:2006/06/26(月) 16:03:18
少なくとも太宰の長編の中では最高だと思う
45 :
吾輩は名無しである:2006/07/05(水) 01:06:28
46 :
ペンギン ◆od0qY8Ss/. :2006/07/05(水) 01:42:17
『女学生』は「なんじゃらほい」ってところだけおもしろいな。
47 :
吾輩は名無しである:2006/07/09(日) 19:00:10
他の作品の話題はやめようや
ここは津軽スレだ
48 :
吾輩は名無しである:2006/07/09(日) 19:04:37
いつ買ったかわかんないけど本棚に津軽あったので
スレあがってきたことだし今から読んでみます
俺はこの作品読んで泣いたよ
田舎の寡婦の純朴さにね
あまりに純粋な人間性を見たよ
50 :
吾輩は名無しである:2006/07/10(月) 00:02:10
51 :
吾輩は名無しである:2006/07/10(月) 03:12:53
津軽出身者て「ツガリズム」ともいうべき思想があるんですよね。
私の祖父も津軽出身者の「ツガリスト」ですので、この作品に被る部分が多々ありました。芸能人でも津軽出身者は異才が多いですよね。
52 :
吾輩は名無しである:2006/07/10(月) 10:01:34
人間失格と斜陽読んで太宰って糞だなと思ってる俺は、この作品読んだほうが良い
ですか?
53 :
吾輩は名無しである:2006/07/10(月) 14:00:05
54 :
吾輩は名無しである:2006/07/10(月) 22:05:26
>>52 俺も「津軽」以外はあんまり評価してない。
とりあえず読んで損しないから嫁。
55 :
吾輩は名無しである:2006/07/10(月) 23:06:20
正直に書いてしまうということがどんなにか読者を魅了するかが
実証されてしまっている傑作。
井伏氏は、深い霧の底、岩に腰を下ろし、ゆっくりたばこを吸いながら、放屁なされた。いかにも、つまらなそうであった。
つまらん ('A`)
ノヽノヽ =3
くく
57 :
吾輩は名無しである:2006/07/12(水) 02:26:39
?
58 :
吾輩は名無しである:2006/07/12(水) 13:28:30
そんなにすごい作品でもないよ。
59 :
吾輩は名無しである:2006/07/12(水) 13:35:16
くだらない説明文が多すぎて読む気なくす
60 :
吾輩は名無しである:2006/07/13(木) 20:10:41
まぁ何だかんだ言っても、太宰のなかでは最高傑作だろうね。
61 :
吾輩は名無しである:2006/07/14(金) 18:13:22
出だしの夫婦漫才で一気に引き込まれる。
62 :
吾輩は名無しである:2006/07/15(土) 00:06:32
太宰ヲタだが、最高傑作は「晩年」だと思う。
勿論「津軽」も面白いが「思い出」や「お洒落童子」等とネタも被ってるしなぁ。
63 :
吾輩は名無しである:2006/07/15(土) 02:12:57
「思い出」は別格。
64 :
吾輩は名無しである:2006/07/15(土) 16:18:16
>>63 オタとか言ってるくせにかぶるとか気にすんなよな
65 :
吾輩は名無しである:2006/07/15(土) 17:09:07
津軽でさ。最後に乳母だかに会いに行くじゃない。
あの再会に自分を含めて心を洗われる人が多いと思うんだけど、
もしかしてあれは小説のネタの為の再会だったのかもしれない。
と、考えてしまう俺はうがちすぎ?
66 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 01:26:37
>>65 十年位前に長部日出男が司会で、
NHKの「人間大学」という番組で太宰特集やっていたのだけど、
長部氏の話によると、『津軽』のタケとの再会シーンは、
作りが半分くらい入っているとのこと。
実際、相馬正一氏のタケへのインタビューによると、
あの再会はそれほど感動的なものでもなかったみたい。
ただ、当時の太宰としては、タケとの再会に、
最後の希望を見出したかったんだと思う。
ネタのつもりもあったんだろうけど、
タケとの再会によって心を洗われたいという気持ちは、
実際太宰に強くあったと思うよ。
67 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 03:05:52
長部日出男って文壇から派遣された工作員だよ
太宰を意図的に曲解して
印象を歪める為に太宰論を展開した。
文壇はそれらに賞を与え、さも太宰治論の権威のごとく印象操作した。
それほど、太宰の文壇批判は核心を突いていたということだろうがね。
川端は死ぬまで太宰の幻影に責め苛まれた。
68 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 13:21:36
太宰とタケとの邂逅が感動的だったかどうかなんてどうでもいい。
「津軽」の芸術性に何ら関わりのない問題だ。
69 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 13:27:43
70 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 14:25:37
長部日出男は太宰にネガティブなレッテル、ラベリングを貼りまくった張本人。
戦後、なぜ太宰を作品ではなく、イメージを通して語る人が多いのか
実際の読者と作品を未読の人間の太宰に対するイメージが
非常に乖離する理由はどこにあるのか?
それは長部日出男のような人間の存在に起因する。
一般人のそれも含めた太宰批評に対する長部日出男の影響力なんてそんなに大きくないだろうに。
72 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 15:32:01
>>68 太宰はタケに会いに行ったわけだから邂逅じゃないよ。
邂逅=思いがけなく出会うこと。
>>65 うがちすぎでもなかろうかと…。
日常の中でもつねに取材して歩いているようなもので、
あらゆる現象がのちに作品として結実するネタになりうるから。
『津軽』は新釈諸国噺の一つとして書かれた。
その取材旅行のひとひ(一日)に、タケとの再会も組み込まれていた。
>>70 そうと断じることはできない。長部日出雄は我が身にひきつけて語りすぎただけ。
誰にでもその傾向はあるが
学者や批評家でなく創作者が作家論を書くときに陥りやすい。
津軽好きな奴はトルストイが好き
75 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 17:08:40
77 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 18:36:55
78 :
77:2006/07/16(日) 18:46:27
×「風土記叢書」 → 〇「新風土記叢書」
79 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 18:53:04
新釈諸国噺は『お伽草紙』
80 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 18:59:57
西鶴は「西鶴諸国ばなし」は諸国の奇談35話を採録したもの。
太宰は「新釈諸国噺」は、それら奇談を太宰風に料理したもの。
読み比べてみろ。面白いよ
82 :
吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 20:54:14
久しぶりに読んだ。
青森だから生きる話だな。
これが北海道だったら、もうちょっと凡庸だった希ガス。
83 :
ペンギン ◆od0qY8Ss/. :2006/07/20(木) 21:13:36
途中、全然読めない箇所があるな。
歴史に関するところ。
84 :
吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 21:42:02
前、何かのクイズ番組で「津軽」の冒頭が
出てきて作品名は何でしょう?
ってのがあったな…
85 :
ペンギン ◆od0qY8Ss/. :2006/07/20(木) 21:46:53
津軽の冒頭、思いだせん。
かなりの名文だったが。
「悪く言えば見栄坊の町である」ってのに笑った。
86 :
ペンギン ◆od0qY8Ss/. :2006/07/20(木) 21:49:38
金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これと
いふ特徴もないが、どこやら都会ふうにちよつと気取つた町である。
善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町といふ事に
なつてゐるやうである。
これだ。
87 :
吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 21:49:53
私もあまり思い出せんが
○○雪
○○雪…
ってやつだと思う
88 :
ペンギン ◆od0qY8Ss/. :2006/07/20(木) 21:51:29
さて、古聖人の獲麟を気取るわけでもないけれど、聖戦下の新津軽風土記も、作者の
この獲友の告白を以て、ひとまづペンをとどめて大過ないかと思はれる。
まだまだ書きたい事が、あれこれとあつたのだが、津軽の生きてゐる雰囲気は、以上で
だいたい語り尽したやうにも思はれる。私は虚飾を行はなかつた。読者をだましはしなかつた。
さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。
これも上手い。
さらば読者よ…〜…では、失敬。
は初めて読んだ時うまいなーって思った
90 :
吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 21:58:33
NHK教育の「にほんごであそぼ」に
「今日の名文」ってコーナーがあるんだけど
たまたま見たとき「へ」で
平和とは、こんな気持ちのことを言うのであろうか
太宰治「津軽」
って紹介されて子供達が読んでたw
32 名前:吾輩は名無しである :2006/07/20(木) 22:49:59
>>29 ハゲドウw ペンギン=確信犯盗作で逮捕寸前のラノベ婆佐藤亜紀は
板荒らしが酷すぎるから、
ババアが立てて自演していた別スレで文学板住民からメッタ斬りされて氏んだ。
それがよほど
44歳のおばさんとしては悔しかったんだろうなw 毛前一時から現在まで
ず〜〜〜〜〜〜〜〜っと板に粘着して
狂気のアラシをやっていたようだ。このスレもその一つと思われw
救いがたいヒマ人ばばあw 44歳…てヒステリーなのか?
また糞スレ立てて
92 :
吾輩は名無しである:2006/07/22(土) 01:36:43
あげ
93 :
吾輩は名無しである:2006/07/22(土) 15:18:44
津軽臭死ねやヴォケ!
94 :
吾輩は名無しである:2006/07/22(土) 17:34:25
>>91 いや、ヒマ人なのはあんたのほうだと思うがwwwww
四六時中ネットの前にはりついて、佐藤さんに粘着妄想。
そんな生活続けられるあんたがホントうらやましいよwwwwww
95 :
吾輩は名無しである:2006/07/22(土) 20:47:07
私には、また別の専門科目があるのだ。
世人は仮りにその科目を愛と呼んでいる。
人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。
私はこのたびの旅行において、
主としてこの一科目を追及した。
どうでもいいが、津軽の話しようぜ。
97 :
吾輩は名無しである:2006/07/22(土) 23:56:05
今の季節なら、ミズとホヤか、サザエの刺身で一杯。
98 :
吾輩は名無しである:2006/07/23(日) 09:57:09
金木で食べた「太宰ラーメン」はおいしかった!
どんな味? チャーシュー麺じゃないだろうな。
100 :
吾輩は名無しである:2006/07/23(日) 11:37:56
竹の子と昆布がメイン。
醤油味で、だしはあれはたぶん煮干などです。海っぽく山っぽいラーメンで、
実際三鷹に住んでいた頃によく作って食べていたそうです。小説にも記述が
あるとかでしたが、作品名(短編)忘れました。
淡白な味が好きな人だったと思われます。もともと淡白そうですけれども。
101 :
吾輩は名無しである:2006/07/23(日) 11:38:26
やっぱ味の素入れるの?
102 :
吾輩は名無しである:2006/07/23(日) 18:00:18
津軽のラーメンは煮干ダシだね。
タケノコは姫タケノコがデフォ。
103 :
吾輩は名無しである:2006/07/23(日) 22:06:23
そうそう、姫竹の子でした。
昆布との色合いもきれいでした。
104 :
吾輩は名無しである:2006/07/23(日) 22:52:39
私はそれを、たしかに予感しているのであるが、
それが何であるか、形にあらわして、はっきりこれと読者に誇示できないのが、
くやしくてたまらない。この、もどかしさ。
漏れも煮干ダシだとヨカソしていたのであるが、
それが何であるか、形にあらわして誇示できなかった。
107 :
吾輩は名無しである:2006/07/25(火) 00:56:54
ラーメンて戦前はそれ程ポピュラーな食べ物じゃなかったはず。
当時は「支那蕎麦」という呼称が一般的だったと思う。
ちなみに、ワンタンなら「葉」に出てくるけどね。
だから何なんだ
109 :
吾輩は名無しである:2006/07/25(火) 01:31:33
戦前、満州への移住者を触媒として、津軽へラーメンが入ってきていたようだ。
110 :
吾輩は名無しである:2006/07/25(火) 10:19:02
津軽の宣伝臭さがプンプン漂うんだけど
このスレ立てた椰子は矢張り津軽(青森)の人?
こんな過疎板の1スレで宣伝するわけがない。
これで津軽の観光潤ったらたいしたもんだ。
112 :
吾輩は名無しである:2006/07/25(火) 10:33:09
あぁ、知ってるよ、蟹食う話だろ
>>110 宣伝ってどういうことかよくわからんが、「博多の人」だ。
114 :
吾輩は名無しである:2006/07/25(火) 23:43:58
115 :
吾輩は名無しである:2006/07/26(水) 09:24:23
↑びびって過剰反応してるし♪
110がニアミスかな。
最近弱小出版が『津軽』を写真いりとかで刊行したんでしょ?
これはその宣伝っぽいね♪
ま、どーでもいいけど
117 :
吾輩は名無しである:2006/07/26(水) 12:56:43
糞スレ確定w
宣伝に過剰反応してるし♪
「南部の方ですか?」
何ビビってんのwww
夏だなー。
なぁ?♪厨w
119 :
吾輩は名無しである:2006/07/26(水) 15:07:22
青森県では旧南部の人が旧津軽の人見るとケンカ売るらしいとは聞いていたが。
本当なんだな。いつまで江戸時代やってんだか。
120 :
吾輩は名無しである:2006/07/26(水) 20:45:53
>>117 過剰っつーか、俺=
>>1は
>>113しかレスしてないけど。
別にどうでもいいじゃん、津軽の奴がいようがいるまいが。
太宰の「津軽」を語ろうぜ。
121 :
吾輩は名無しである:2006/07/27(木) 05:36:39
やだね
122 :
吾輩は名無しである:2006/07/27(木) 05:38:05
いるまいが
いるまいが
いるまいが
いるまいが
123 :
吾輩は名無しである:2006/07/27(木) 07:43:59
津軽に出てくる津軽の人はいい人ばかりだね。
りんご酒とやらを一度いただきたい。
124 :
吾輩は名無しである:2006/07/27(木) 11:28:30
そうだ。卵味噌だ。卵味噌に限る。卵味噌だ。卵味噌だ。
>>123 山葡萄から採ったという酵母をもらったので
純粋りんご果汁に入れて醗酵させ、自家製りんご酒を造ったことがある。
それはそれは、んまかったぞ
126 :
吾輩は名無しである:2006/07/27(木) 21:10:43
津軽の林檎は、本当にうまい!
旅行した時、そう思った。
だが『津軽』で太宰さんは、林檎なんて明治以降のことですよ、津軽は
やっぱり材木ですよ!、って書いている。事実だから仕方がないが、ち
ょっと悲しい。
128 :
吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 02:13:18
>>126 事実だから仕方がないなら
まずは町田の本を読め。
町田って誰
130 :
吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 06:00:40
町田康
131 :
金木町住民:2006/07/28(金) 12:58:59
雲祥寺の住職は評判悪いよね。
>>113 おっ、博多の人か? こないだ行ったぞ出張で、博多。
大宰府まで足伸ばしたが、駅近辺の道路が綺麗になってたんでビックラした。
国立博物館建設で全面整備したんだって? 辛子明太買ってきた、ウマ〜〜。
『津軽』いいよな。そういえば昔、
「太宰治は日本文学で一番だ」と断言した先輩がいた、博多かどうか知らんが
郷里は福岡だと言ってたな。 なつかすい・・
133 :
吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 14:05:54
日本人離れした日本人。
日本人って、基本的に深刻にならない、なれない民族だからね。
だから、下らないお笑い番組で笑えるんだな。
太宰の深刻さは、津軽人特有の気質なのかな?
134 :
吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 14:23:28
いや、むしろ日本人は深刻であることと真剣であることを混同しがちな民族だと思うけど。
だから、純文学の世界には今も昔も底の浅い「深刻面」が溢れ返っている。
そんなしみったれた空気の中にあって、笑いながら厳粛のことを語り、
微笑みをもて正義をなすことを知っていた、稀有のフモリストが太宰だと思うよ。
135 :
吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 14:37:04
で、そういう自分の諧謔精神のバックボーンにあるものとして太宰が想定していたのが、
「奥羽両州の人の心、愚にして、威強き者にも随ふ事を知らず、
彼は先祖の敵なるぞ、是は賤しきものなるぞ、
ただ時の武運つよくして、威勢にほこる事にこそあれ、とて、随はず。」
という『津軽』にも出てくる東北人気質なのだろうね。
暇であんまりスレ立てたりしない奴いたら、頼みがあるんだけど、
サマセット・モームスレその2を立ててくれないか?
初代スレが落ちて、その後が立ってないから困ってるんだが。
137 :
吾輩は名無しである:2006/07/30(日) 16:25:23
138 :
吾輩は名無しである:2006/07/31(月) 11:12:03
尾崎と太宰はどっちがすごいんですか?
139 :
:2006/07/31(月) 11:16:13
尾崎
140 :
吾輩は名無しである:2006/07/31(月) 21:47:08
太宰
141 :
吾輩は名無しである:2006/08/01(火) 00:32:15
どっちもすごい。
142 :
吾輩は名無しである:2006/08/01(火) 01:42:43
give me alcohol!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
143 :
吾輩は名無しである:2006/08/01(火) 10:39:26
酒だ、酒っ!酒を出せっ!
144 :
吾輩は名無しである:2006/08/01(火) 15:37:23
自由になろう
145 :
吾輩は名無しである:2006/08/01(火) 23:44:06
高橋竹山は純邦楽界のジョンレノンか
146 :
吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 10:40:56
この夏に斜陽館に行ってきました
「津軽」の頃よりだいぶ近代化(商業化?)されてましたね……
147 :
吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 18:47:36
それはそうだろうな。
148 :
吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 21:59:42
いい処だったでしょ。
149 :
吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 22:48:16
>>1 「まぁスウェーデンのカスに」
見識を疑う。
何でこういう言い方するのかね。
150 :
吾輩は名無しである:2006/08/04(金) 22:18:48
>>149 「津軽」の正当な評価ができない、という意味じゃまいか
151 :
吾輩は名無しである:2006/08/05(土) 14:01:46
ハシラヌ名馬
152 :
吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 18:02:49
門前
153 :
吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 21:23:49
仲町
154 :
吾輩は名無しである:2006/08/08(火) 15:31:30
太宰なら『津軽』よりも名作・傑作は沢山ある筈だが、なぜ津軽?
>>1は青森の椰子なのかな
155 :
吾輩は名無しである:2006/08/08(火) 15:36:48
見方による。
『津軽』が太宰の代表作の一つであることは間違いない。
156 :
吾輩は名無しである:2006/08/08(火) 16:05:40
日本のカスはスウェーデンの心を理解できるか?
157 :
吾輩は名無しである:2006/08/08(火) 16:06:47
158 :
吾輩は名無しである:2006/08/08(火) 16:07:22
カスは地の果てまでいってもカス。自省していき直さない限り救いようがない
159 :
吾輩は名無しである:2006/08/08(火) 16:07:29
ダザイモナー
>>1 『津軽』が名作であることと、ノーベル賞授賞はまるで別もの。
太宰が活躍し『津軽』他の傑作を書いたたのは、まだ
ノーベル文学賞が日本に回ってくるまでにかなりの時間があった時代。
161 :
吾輩は名無しである:2006/08/08(火) 19:47:42
マジレスしてやんの。
162 :
吾輩は名無しである:2006/08/09(水) 01:05:14
163 :
吾輩は名無しである:2006/08/09(水) 08:01:32
津軽臭は絶滅してください。
164 :
吾輩は名無しである:2006/08/09(水) 18:53:37
これが世間で噂の津軽に対する南部のやっかみですか。
隣同士、どっちも貧乏なんだからいい加減仲良くしりゃいいのに。
165 :
吾輩は名無しである:2006/08/09(水) 21:39:41
津軽VS南部を日本VS韓国に例えるなら、津軽はどっちですか?
166 :
吾輩は名無しである:2006/08/09(水) 22:34:33
おっ、やっと面白くなってきたなw
167 :
吾輩は名無しである:2006/08/10(木) 00:19:21
岩手は中国、青森県南部が朝鮮半島、津軽が日本。
岩手は中華としてある意味余裕があるので津軽に今はあーだーこーだ言わない。
津軽にいちゃもんつけているのはいつも青森県の南部。
昔は威張れたが、明治以降津軽に吸収されたので精神がゆがんでしまった。
儒教文化では日本の兄と思っていたら、いつの間にか日本に吸収されてしまい、
そのことを未だに恨んでいる半島人と似ている。
青森南部の思想は津軽に対する「恨」の一言に尽きる。
もうどうでもいいと思うんだがね、そんなこと。
168 :
吾輩は名無しである:2006/08/10(木) 14:36:44
そうだな
169 :
吾輩は名無しである:2006/08/10(木) 16:43:06
こんにちは(≧∇≦)bえーっと、文学に詳しい皆さんにちょっと教えて欲しいんですけど【他人の言葉を引用し、まるで自分の言葉の様に使っても、その主張が正しければそれで良い】と言うような意味の言葉を残した日本の作家がいたと思うの
ですが、それは誰でしたっけ(;´д` )できれば正確にはどんな言葉だったのか、そして出典もご存知でしたら教えて下さい。お願いしますm(_ _)m
>他人の言葉を引用し、まるで自分の言葉の様に使っても、その主張が正しければそれで良い
当たり前の事じゃねーか。。。
誤解をまねく言葉だな。
172 :
吾輩は名無しである:2006/08/12(土) 14:36:30
津軽って太宰の中ではちょっと異色だよね?
173 :
吾輩は名無しである:2006/08/12(土) 14:55:40
津軽通信の方がスキだ
174 :
吾輩は名無しである:2006/08/13(日) 12:53:05
なんで?
176 :
吾輩は名無しである:2006/08/19(土) 04:03:31
お前がこっちこい
177 :
吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 18:52:56
たけのマンコ舐めたい
178 :
吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 04:14:37
>>30 亀でスマンが、誰も指摘していないようなので
>実家の番頭役・北芳四郎が井伏鱒二に相談し、
太宰が何かやる度に長兄の代理人として上京し、
事後処理にあたったことから津島家の番頭役と
称されてるのは、太宰の父親の代から津島家に
出入りしていた呉服商の中畑慶吉だよ。北は都
内で洋服仕立て屋を営んでいた人物で、太宰の
長兄(正確には三兄)文治が洋服を北の店で誂
えていたことから津島家と懇意になり、太宰の
お目付役を引き受けることになったそうな。
ちなみに警察関係にも顔がきいたというこの人
物は、『人間失格』のヒラメのモデルとされて
いるね。
180 :
吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 19:50:22
ん?
181 :
吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 10:14:36
ここで嫁って言われたから読んだけど、平凡な作品だった。
たえとの再会でなんとかって感じの作品。
まあ所詮太宰はこんなもんだろな。
182 :
吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 20:29:51
お前本当は読んでねーだろw
183 :
吾輩は名無しである:2006/10/13(金) 03:04:29
「熱燗のお酒を飲みたい、とすこぶる現実的なことを一心に念ずる下品な有様」で、俺は六合目の酒を飲む有様
「ね、何故旅にでるの?」(´・д・)
185 :
吾輩は名無しである:2006/10/29(日) 23:29:45
ばーさんの名前なんだっけ?
マツ・タケ・ウメ
どれでしょう?
犬神家の一族じゃないよ。
188 :
吾輩は名無しである:2006/11/04(土) 23:21:57
マツか、サンクス
189 :
吾輩は名無しである:2006/11/19(日) 21:43:14
「津軽には青森市も出てくるが青森市は津軽の一部ではないのに
津軽と一緒くたにされるのは青森市民として屈辱的だ」
と青森出身の友達は言っていたけど、津軽と南部の対立は良く聞くけど
青森と津軽も仲悪いの?
190 :
吾輩は名無しである:2006/11/19(日) 23:24:13
自意識過剰な人間はどこにでもいるものです。
あなたの友人もその一人。そういう人とのお付き合いはほどほどに。
191 :
吾輩は名無しである:2006/11/20(月) 16:54:39
全然詰まんないよ 人間失格の方が数段おもしろい
192 :
吾輩は名無しである:2006/11/23(木) 14:18:49
「つがる」という単語の響きには、なんだかねんねこの匂いがある。
大の男が乳母を尋ねて会いに行くというストーリーを違和感無く受け入れるような。
これが「さつま」「とさ」「ちょうしゅう」だと同じ最果てでも、
すぐにチャンバラの話になりそうじゃない?
作品としての良し悪しは別にして、太宰の中で一番好きな話をあげるとすると、
私も「津軽」だな。
津軽半島を旅すると、今でもこの人は人々に敬愛され、町おこしに役立っていることが分かる。
「津軽」ってやっぱりアイヌ語源の地名かな?
太宰はアイヌ語源の「日暮里」にも哀愁を感じてたよね。なにかで。
>>193 津軽は日本書紀から出てくる地名だが
朝廷が名づけたんでしょ
>>194 朝廷が名づけたりはしないよ。
便宜上、漢字を当てることはあっても。
アイヌ語源の地名なんて珍しくないし。
196 :
吾輩は名無しである:2006/11/26(日) 01:30:29
「津軽」という地名が見られるようになるのは鎌倉時代あたりからだったはず。
「つがる」とかなにしてみると分かると思うのだが、
アイヌっぽいというよりもやまと言葉っぽくないか?
「津軽」は、「津刈」「都加留」「束日流(東日流)」などと表記されたこともあり、結論から言うと
やはりアイヌ語から来ているそうです。アイヌ語だと「ツカル」みたいですけど。
近くの、とか、手前の、っていう意味で、本州から見て蝦夷の手前だから、あるいは
逆に松前辺りから見て蝦夷の近くにあるから、ってことみたいです。
確かに日本書紀に出てるのが最古のようです。
俺も「津軽」って名前の響き哀愁を感じる。行ったことないけど。
199 :
吾輩は名無しである:2006/12/12(火) 13:09:29
スレタイに騙されて読んでみたが、何だよ、つまらないとは言わないまでも、
単なる凡作じゃん。ノーベル賞どころか、太宰作品の中でも並みのレベルに
過ぎないと思う。新ハムレットや右大臣実朝の方が全然名作。
200 :
吾輩は名無しである:2006/12/12(火) 17:41:38
>>199 「故郷との和解」というテーマだけど感動している人は多いと思う。
しかし、まあ、凡作というほど冴えない作品でもないだろう。
201 :
吾輩は名無しである:2006/12/14(木) 07:02:21
俺はやっぱり魅力的な作品だと思う
俺が私小説好きってのもあるけど太宰と家族との関係がよく描かれてる
202 :
吾輩は名無しである:2006/12/14(木) 10:52:19
教科書に出てたから名作、とか言い出しそうだな
戦時中で、ゲートル巻きながら里帰りし
こんな穏やかな作品に仕上げているのは
ある意味非国民で素敵な作品
204 :
吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 14:22:25
全然関係ないけど小泊で乳母の家に何度か入った事のあるおいらが来ましたよ。
つっても子供の頃遊びに行っただけの事なんだけどな
弘前人の俺としては、
弘前は馬鹿の本場だとする、太宰の説は否定しがたいものがあるw
やっぱり津軽人の性格とか、的確に描けてるよ。って当たり前か。
鯛を丸焼きにしろって言ったのに、切り身になって出てきたのがワラタwww
しかも、それを延々グチグチいうのもワラタwww
「それはもう鯛では無い、単なる、やきざかなだ」wwwww
207 :
吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 13:56:35
引用が多すぎない?
で?
209 :
吾輩は名無しである:2007/01/19(金) 17:43:05
いや、確かに多いけどな
210 :
吾輩は名無しである:2007/02/11(日) 09:42:47
あ〜水筒に酒詰めて貰い、おれも旅行したいw
211 :
はるか高み:2007/02/11(日) 10:12:49
津軽は正調でないとな。
それにしても津軽は太宰の傑作ではないなぁ。
212 :
吾輩は名無しである:2007/02/11(日) 11:26:48
最後の数ページは太宰をたくさん読んでる人にとっては感動的かもしれないなー
213 :
吾輩は名無しである:2007/02/12(月) 22:12:42
さっき読み終えた。たけとの感動的な再会等もあり、なかなか楽しめたけど、個人的には佐渡の方が面白いとおもた
214 :
吾輩は名無しである:2007/02/25(日) 02:36:09
名著やな
215 :
吾輩は名無しである:2007/02/25(日) 02:55:37
最後の数ページはちょうやべえ
糞泣いた
216 :
吾輩は名無しである:2007/02/28(水) 10:13:51
ジブリでアニメ化してほしい。
217 :
吾輩は名無しである:2007/02/28(水) 19:10:17
青中、豊田呉服店、オモタカ、朱色ノ橋、現在ミル影モ
ナシ。嗚呼、サミシイ限リデセウ・・・
218 :
吾輩は名無しである:2007/03/01(木) 00:58:07
終わり近くに、津軽の小学校の運動会のシーンがあるよね。
そこで、子供の頃のお手伝いさんに会うよね。
そこがオレの琴線にキターーーー!!なんですよ。
>>218 お手伝いさんっていうか、乳母でしょ。
それに「津軽」はそこが感動的だから人気があるのよ……
もしかして、もう教科書にも載ってないのかな??
220 :
吾輩は名無しである:2007/05/04(金) 20:56:42
誰でも認めることだが、太宰で一番つまらん作品だろう
221 :
吾輩は名無しである:2007/05/04(金) 21:54:41
新風土記
222 :
吾輩は名無しである:2007/05/05(土) 08:34:46
誰も知らないのか、既に指摘があるのか、あのエンディングの乳母との再会は、太宰の虚構(作り話)なのだけれど。
だから小説っていってんだろうが最初から。
224 :
吾輩は名無しである:2007/05/05(土) 14:56:57
太宰の文学観がそこにあることが、まあ、論的課題だ。
>>222 え?そうだっけ?
再会自体はしたわけでしょ?
詳細が変えてあるだけじゃなかった?
226 :
吾輩は名無しである:2007/05/06(日) 07:28:31
ああ、なんか、そんな記憶があるな。あれ、ちがう、列車の時刻にまにあわないとか、どうだったっけ?
227 :
吾輩は名無しである:2007/05/06(日) 07:29:30
まあ、誰しも感動するらしい部分は、作り話だ、ということは記憶している。
タケと再会したのは事実。
運動会の会場の小屋で会ったのも本当。
ただ実際は、太宰は重箱のものに手をつけもぜす、タケの顔ばかり見ていて、
そのうちに来た別の人と話を始め、タケとはほとんど話さなかったらしい。
その夜、太宰はタケに自分は本当に文治の兄弟か、母親の子か、と真顔で
尋ねたらしい。
これは越野タケ自身がそう相馬正一のインタビューに答えているし(『国文学』昭和49・2)、
それをもとにして相馬氏も『評伝太宰治』に書いている。
229 :
吾輩は名無しである:2007/05/08(火) 21:08:23
タケが自分の母親だということを考えていたわけか。
>>229 違うよ、叔母のきゑが母親じゃないかと思ってたんだよ。
なんか作品にも出てくるよ。
津軽より富士さんのやつの方が好き
232 :
吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 19:31:40
とりあえず本屋で買ってみた
233 :
吾輩は名無しである:2007/08/17(金) 19:28:47
昔太宰治による津軽の朗読の電話番号あったよね?
何番だっけ
>>233 太宰本人の声は残ってないよ。
頭蓋骨の形から推測してつくった声じゃないの?
235 :
吾輩は名無しである:2007/09/13(木) 00:05:48
太宰は講演したり、ラジオで朗読したり、雑誌で
対談企画とかしてたのに声が残ってないのが惜しい。
芥川みたいに動画も残ってないし
津軽なまりが死ぬまで抜けなかったらしいよね。
そういう「津軽」とか「斜陽」とかの朗読ってのも、どうなんだろう。
237 :
吾輩は名無しである:2007/09/14(金) 22:08:10
11月4日(日)午後2時、西武新宿線田無駅近くの「コール田無」で
「語りの会・遊グループ」の朗読会があり
この最初に「津軽」が登場します。
朗読者は津軽出身。津軽訛りの朗読です。
全文ではなく、タケとの再会に焦点をしぼったよう。
桜桃忌に三鷹でも朗読され、好評だったらしいです。
見た目は今時っぽいイケメンが
実家からの電話などでガッツリ訛っているのを見ると激しく萌える。