牛の涎の如く雑談を垂れ流すが好い 39

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157無名文士 ◆m0yPyqc5MQ
 いま一寸『三四郎』というかなり昔の小説を読んでみました。
これが参考になるはず作品の構想を練っているから。

けど、ぼくはもう決して、こういう話は書きたいとは思えませんね。
絵で云えばいわゆる写実絵画ですよね。その王道です。

 明治中期の田舎出の青年学生のerosの推移を、近代小説の枠組みのなかで丹念に追った作品です。
よく出来てます。
 冒頭に相宿する未亡人っぽい婦人の「衝撃」を皮切りに
やがては東大文科の生真面目な学生として大都会に適応していく三四郎にとっての
同年齢の美禰子(みねこ)という女性(にょしょう)の魅力が、
文脈を追う毎にこの上なく繊細に描き出されていく。

けれどぼく個人は、その作品のうえで夏目漱石という人の文学的興味が結局は
『世俗』のエロスに留まっていくのにやはり、いたたまれない気分の悪さを覚えますね。
こういう出来のいい戯作が若者に媚びて、囃したてられるのは理解できますが。
 どうにも夏目漱石の腰抜けを感じます。単純に体力不足なんじゃないかと思うけどね。
もともと体が弱いうえに運動嫌いっぽいから仕方ない。
これは芥川とか太宰も同じ。なんか文体がねちっこいのは彼らが「溜まってる」からですよ。
158無名文士 ◆m0yPyqc5MQ :2006/05/11(木) 13:56:06
 ぼくなら三四郎の「みっつの世界」の分立の自覚あたりからもっと違う展開に導きますね。

みっつの世界というのは、
田舎・大学・世間という新しい三面が大都会に出てきた三四郎のまえに開かれたということです。
 それで漱石はけっきょく、それらの全部を欲張りにも得ようとする三四郎を描いた。
そして美禰子の結婚で破局を迎えて悲劇は幕を閉じる。なんだか救われない。
やはり漱石自身に生命力、つまりは根性が足りないからこういう結末になって納得しちゃう。
 本当なら美禰子と駆け落ちすりゃいいんだけど生真面目な彼の場合、将来の成功を見据えて甘んじる。

 ぼくが語り手だったらなんだかんだ言って三四郎には美禰子と結婚させますね。
けど、それはある一段のdramaを経てから為される。
 原田先生のように武士道的stoicismを求道することに専念し、
卒業して新聞社に入った三四郎のもとに一報が来る。
美禰子が未亡人になったという風の調べでした。
夫は───あたかも冒頭の夫人のそれに重ねるように──日露戦争で闇に去ってしまう。
そしてやがては羊飼いに導かれるように三四郎池のところで迷羊(stray sheep)はたまたま出会う。
今度は雲でなくて、ほんものの雪が積もっているときです。池は凍っている。
そして「雲の話」をしてるなかで三四郎は思わず婚約します。美禰子は細雪のように美しいままだ。
けれども今では実は、二人の間には別々の家庭があるのです。

こういう幕切れにしますね。
たとえば腹に刺した刀を腸(はらわた)を掻き斬るまで捻り抜くように、
このあたりまで書き切らなければほんものの美談にはならないと思います。
 今の三四郎はただの腰抜け文士ですよ。あんなの貧弱漱石より惨めでしょ。

文章もうまいし、それなりの衒学もあるのはよいんですけどね。魂がちょっと。
159無名文士 ◆m0yPyqc5MQ :2006/05/11(木) 14:24:21
 これから『坊ちゃん』や『それから』を読もうと思いますよ。

三四郎はつまんないです。
あんなのに魅せられる奴らはみんな、
田舎上がりの貧弱農民だと思いますよ。[←あんたもそうやろw(ry

 そもそも男女の成長速度差というのは神話の段階では無かったはずです。
アダムとエヴァにも、イザナギとイザナミにも年齢差なんてありません。
 やっぱ男尊女卑が高じたもんだと思いますね。
成長速度は同じなんだけど、発達する質が違うだけなんですよ。

漱石はいぎりす小説というparadigmに囚われてたからああいうヘンなお話しか語れなかったんですね。
160無名文士 ◆m0yPyqc5MQ :2006/05/11(木) 15:33:11
 『坊ちゃん』を読みましたよ。

ぼくはこれは好きですね。痛快で面白い。Comicalで漫画みたいだ。
そしてわるもののうらなり先生や赤シャツを、ライバル的な戦友の山嵐と一緒にやっつけて、
下女のお清のあわれに向かってものがたりを口語文体で一気に語る。

素晴らしい作品じゃないでしょうか。
これは漱石のなかでも必ず文学史に残ると思いますよ。
目立った欠点のない、非常によくできたお話ですよ。

 「坊ちゃん」に対する無条件の共感を募って読者みんなを楽しませる。
喜劇のお手本です。
 ぼくが作家として敢えて言うなら、
もうちょっと中盤あたり簡潔に徹したほうがいい部分があるように思いますけどね。
昔の作品だから仕方ないけど、どうも少し冗長になるところがあるんですよね。
映画みたいな流れるストーリーに慣れた忙しい現代人にとっては、あんまり嬉しくないところです。
161吾輩は名無しである:2006/05/11(木) 18:11:12
最近、大介のガールフレンドの「なな」って女の子コテハンみないね。
大介はメールかなんかで交流してるの?
元気かね?
162無名文士 ◆m0yPyqc5MQ :2006/05/12(金) 00:32:44
今晩は。


>>161
 ななさんについては秘密です[←はあ?(ry

 というわけで
『それから』をいちおう読み終えました。
Titleは小説のなかでいちばん好きなくらいに素敵だと思うんだけど、
いやあ怖い話ですねw
やだやだ。絶対こんなやつになりたくないよ。
 主人公が代助というのも嫌だwww是非とも反面教師にしよう。

わりと書き口も手法も普通だと思いますね。漱石らしい文体や箇所がたくさんある。
神楽坂のあたりが舞台なのはかなり適切な演出なんじゃないでしょうか。
最後は飯田橋から電車に乗って、世界が真っ赤になってしまいます。
やだやだwwwこわいよー

ぼくはこんなコワいやつは絶対書きませんから。
平岡と話し合う修羅場の場面なんて、魂がひっくり返るようですよ。
漱石はよくもこんな狂言物語に没入できるもんだ。殆どきちがいですよ。実際神経質っぽいですがw
163吾輩は名無しである:2006/05/12(金) 00:36:14
それからの文体はいいやね。
三四郎はつまらない。
164吾輩は名無しである:2006/05/12(金) 00:42:56
君は平野啓一郎みたいな衒学的なのが好きかと思っていた。
165無名文士 ◆m0yPyqc5MQ :2006/05/12(金) 00:48:15
 なんかカラタニさんが解説に書いてたんですが、
『三四郎』、『それから』と来て『門』を入れて青春三部作みたいになってるらしいですね。

ついでだから明日あたり門も読んでみますよ。

 漱石は建築をやろうとしたら子規か誰かに
「建築はやがて潰れるが、文芸は永久に残る。小説をやりたまえ」
とか言われて進路を決めたらしいですね。

それで三四郎みたいな教師を経て、代助みたいに新聞社専属の小説家になって
ああいう『こころ』や『吾が輩は猫である』の先生みたいな生活をしたんでしょう。

そして想像を逞しくして、日本における個人の心のあり方を探るような作品を沢山残した。
我々の心にある作家像には漱石の姿がまず、挙がるんじゃないでしょうか。
そのくらい典型的な昔風の文士だと思いますね。病弱だしw


 ぼくとかはもう全然共感しませんけどぬ。その病弱の一点に対してさ。
実際、長生きして走り続けたらそれだけ沢山作品も書けるし、やっぱlevelも上がるわけだから
『健康第一』というのは文士生活の大前提だと思いますね。
早寝早起きと日々の運動を欠かさず、きちんと食べてよく寝ることです。そしてたまには休む。
166吾輩は名無しである:2006/05/12(金) 00:52:40
何かずいぶん詳しいな。門は地味だけどいいよ。
漱石は胃が弱いだけで、筋肉質で、確かスポーツもできたと思ったな。
167無名文士 ◆m0yPyqc5MQ :2006/05/12(金) 00:59:54
>>164
 ヒラノさんのは書店で手にとって、パラパラするだけで「げー」となってしまいますよwwぼくは。
 まあ今日は書店で、かねはらさんのなんやら二冊と
川上弘美さんの『彼処此処』とかいう素敵な名前の本でも同じ嘔吐現象が起こりましたけどねw

なんなんだろう。
『文体』に対する作者の距離感がかなり遠目じゃないと生理的に、まったく受け付けないんですよね。

 春樹さんの作品群は唯一その厳しい関門を通った希有な文体ですけど。
まあ最近はますます門番が厳しくなってきて、
春樹さんのやつでも「きもい」って言ってしばしば追い返してしまう。

 レオナルドダビンチや福沢諭吉の文体はどうしてか、けっこう快く受けつけますけどね。
要は作者が文体に対して客観的でなければダメなんだと思いますよ。
あまり書かれた内容は関係ないですね。読ませるか否かは文体だから。