1 :
吾輩は名無しである:
英文学者、翻訳家、作家。1954年生まれ。本名:横山茂雄
奈良女子大学大学院人間文化研究科教授。専門は英文学。怪奇幻想文学、オカルティズム、さらには民俗学にまたがる領域を広くカバーして独自の創作・評論・研究活動を行う。
2 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 14:02:08
『アムネジア』どうよ
今年のベストでいい?
3 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 14:05:17
訳書 J・G・バラード『残虐行為展覧会』(小説) 法水金太郎 1980/10 工作舎
ジェフリー・アッシュ『アーサー王伝説』(評論) 横山茂雄 1992/7 平凡社《イメージの博物誌23》
●解題「物語としての歴史/歴史としての物語」
ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち――よみがえる性的虐待の「記憶」』(ノンフィクション) 稲生平太郎/吉永進一との共訳 1999/3 柏書房
マーヴィン・ピーク『行方不明のヘンテコなおじさんからボクがもらった手紙』(絵本) 横山茂雄 1999/12 国書刊行会
ウィルキー・コリンズ『アーマデイル』上・中・下(小説)
●理玖の稲生めも●
横山茂雄/中巻は佐々木徹、下巻は甲斐清高との共訳 2000/12
2001/5
2001/11 臨川書店《ウィルキー・コリンズ傑作選》第6・7・8巻
共訳書
トマス・ド・クインシー「薔薇十字主義者とフリーメーソンの淵源に関する史的批判的研究」(評論) 横山茂雄 1998/2 国書刊行会『トマス・ド・クインシー著作集2』
トマス・ド・クインシー「ハイチの王」(短篇小説)
解説「脱線と恍惚」
横山茂雄 2002 国書刊行会『トマス・ド・クインシー著作集3』
事典の項目の翻訳
ジャック・サリヴァン『幻想文学大事典』 横山茂雄 1999/2 国書刊行会
●「オカルト小説」「ブルワ=リットン」「メトカーフ」「ミネルヴァプレス」「サーバン」ほか
4 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 14:06:25
著書 『アクアリウムの夜』長篇小説 稲生平太郎 1990/8 水声社[刊行当時は書肆風の薔薇]
2002/2角川スニーカー文庫で文庫化
(解説*篠田真由美)
『聖別された肉体』評論 横山茂雄 1990/11 水声社[刊行当時は書肆風の薔薇]
『何かが空を飛んでいる』評論 稲生平太郎 1992/1 新人物往来社
『異形のテクスト――英国ロマンティック・ノヴェルの系譜』評論集 横山茂雄 1998/6 国書刊行会
5 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 14:08:14
共編著書・共著 編書
水野葉舟『遠野物語の周辺』 横山茂雄 2001/11 国書刊行会
●解題として「怪談の位相」を収録。
編集協力
『日影丈吉全集』全8巻・別巻1 種村季弘監修
日下三蔵・横山茂雄編集 2002/9〜 国書刊行会
●横山茂雄「解題」「解説」
共編著書
『オカルト・ムーヴメント』 近代ピラミッド協会 1986/5 創林社/実質的に
吉永進一との共編。
●横山茂雄「影の水脈」を収録。協会名義の「序」も横山茂雄による執筆。
『文学と女性』 横山茂雄/吉田幸子との共編 2000/11 英宝社
●横山茂雄「妖精物語としての自伝――『ジェイン・エア』論」を収録。
共著
「気象と内面――『ヴィレット』考」 横山茂雄 1996 あぽろん社『尾崎寄春・
大沼雅彦両教授退官記念論文集』
事典の項目記述
荒俣宏編『世界神秘学事典』 法水金太郎 1981/11 平河出版社
●「オルゴンの発見――ライヒ」「『仙境異聞』とその後」
由良君美監修『世界のオカルト文学・幻想文学総解説』 法水金太郎 1986/9 自由
国民社
●エーヴェルス『アルラウネ』、チャールズ・ウィリアムズ『万霊節の夜』、ヘ
ルマン・カザック『流れの背後の市』、ジョン・バース「嘆願書」『やぎ少年ジャ
イルズ』、ヒュー・ウォルポール「ラント夫人」、エドワード・リア『ナンセンス
の絵本』、ガイ・エンドア「パリの狼男」
6 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 14:13:23
稲生平太郎=横山茂雄=法水金太郎
何者だ?
大森望とも仲がいいらしい
7 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 15:22:58
稲生平太郎(いのお・へいたろう 一九五四年生)
作家。著書に長篇小説『アクアリウムの夜』、評論『何かが空を飛んでいる』など。
本名横山茂雄。別名に法水金太郎など。大阪府豊中市生。京都大学文学部英文科
卒。同大学大学院文学部修士課程修了。博士(文学)。
現在、奈良女子大学大学院人間文化研究科教授。
怪奇幻想文学とオカルティズムにまたがる領域を広くカバーして創作・評論・
研究活動を行なっている。該博な知識、素晴しい文学的センス、明晰な分析力、
しかもなおかつ怪奇幻想に触れるための魂の領域を持っている、稀有な存在。
8 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 15:58:04
大森 ど、どこからそんな話が(笑)。アメリカ文学科で有名ってことは全然な
かったと思います。ぜんぜん勉強しない、出来の悪い学生だったんで。自主ゼミ
なんか、もちろんやってません。当時、英文科の大学院生だった若島正氏が主宰
していた読書会には参加してましたけど、勉強してる感じじゃなかったし。あと、
京大幻想文学会の横山茂雄さんに連れてってもらって、蜂谷(昭雄)先生の研究室
でやってた読書会にも行きましたが、すごく真面目だったんですぐ行かなくなった
(笑)
全然知らなかったが、経歴見ると凄くいいなぁ…
日本に一人はいなくちゃいけないよ
10 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 17:56:14
もっと知られていい人だよね
バラード訳してるとは知らなかった
11 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 18:19:44
今月の「本の雑誌」の
大森の書評コーナーで
はじめてこの人の名前を知ったよ。
『アムネジア』を推してたなあ。
ちょっと興味を持ったが
買う気は起きないな。
12 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 18:24:59
かいなよ
13 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 19:11:38
薄暗い台所の明かりで見る蠱惑的な紅の色合いに、さきほど読んだ『アムネジア』
を思いだし、またも陶然とする。前作の『アクアリウムの夜』が薄暮と水のイメー
ジだとしたら、本作は宵闇のイメージが強く響いていたのだけど、ジャムのせいで
、赤々とした火のイメージが付与されてしまった。明日の朝はヨーグルトにこのジ
ャムをたっぷりといれて食べよう。それにしても、久しぶりに恐ろしく強靭な本に
触れてしまった。しばらくこれだけで楽しめそうだ。とりあえず、私はこの本を「
本当に」「読んだ」のか、というところから考え始めるのが良いのかもしれない。
関係ないけど、『アムネジア』を読みながら、頭の中でぐるぐると小松左京『果しなき流れの果に』が流れていた。何故だ。大阪だからか? そんな阿呆な。さらに、こんな文章を思い出した。
14 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 19:14:55
『アムネジア』稲生平太郎
『アクアリウムの夜』の著者による15年ぶりの新作ということで、一部で注目
(なのかな)の、稲生平太郎の『アムネジア』であるけれども、これがじつに読
ませる、というか、読まされるといったほうが的確か。率直に、物語(の内部)
に引き込まれたという有り体の感想を述べることこそが、あるいは作品の本質を
もっとも正確に捉まえるのかもしれない。80年代初頭、大阪、ちいさな編集プロ
ダクションに勤める〈僕〉は、たまたま広げた新聞のなかに、そのとき携わって
いた仕事との奇妙な関連を発見する。〈僕には何の関係もないことなのだから。
こんなつまらないことが気にかかるなんて、どうかしているのかもしれない〉と
思いながらも、しかし、なぜかそのことを調べられずにはいられない。やがて、
見知らぬ男の死が、どうしてだろう、自分のアイデンティティと、深く、どこか
で結びついている、そんな感じもしてくるのであった。
はっきりといえば、物語そのものに、腑に落ちる、そのような読後を抱かせるた
めの着地点は用意されていない。だが、遍在するマテリアルのすべてが、けっし
て作者の思いつきで配置されたわけではなくて、もしかすると小説のうちに何か
しら筋のとおったロジックが作用しているのではないか、と思わされるがゆえに
、精密な読解への意欲が促される。
15 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 19:16:26
それというのは、結局のところ、構造上の問
題をとって考えるのであれば、語り手の水準が、たとえばメタリアル・フィクシ
ョンとかリアル・フィクションなどと名指される今様の小説群においては、どこ
に位置するのか不明瞭であることにより、読み手に都合のいい感情移入を誘うの
とは違い、ここでは、時系列のいちばん最後もしくは物語の外部にあることが明
示されているために、小説の全編は、語り手の恣意的ないし作者の自覚的なコン
トロール下に置かれている、つまり、ある種の計算が働いているのではないか、
そういった思いなしが、行間の未知を埋め合わせようとする、それこそ探究心に
近しい動機付けを読み手の側に発生させるからであろう。
いや、しかし、じっさいこの『アムネジア』という作品の総体を、ロジックで処
理できるかどうかというのは、本当のところ不明である。細部を取り出せば、い
くらでもこじつけのできる気がしないでもないが、それを行っている当の本人、
つまり僕自身が説得されないという困った状況が導き出されてしまう。とはいえ
、べつに謎解き云々について述べたいわけではない。そうではなくて、ここで、
読み手のうちに喚起された、物語の内部に整合性を求めようとする欲望は、作中
において〈僕〉を動かしているものとじつは相似のようにも思える、ということ
である。
そのことが結果として、明快な解答の示されない、超然としたカタルシスがもたら
16 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 19:17:25
されるわけではない、この小説に、読み終えたとき、猛烈な吸引力を備えさせる。
〈僕〉は次のように書いている。〈たとえ僕の生が物語であるとしても、次の物語
が書かれることはない。前の物語が書かれたこともない。その意味では、僕たち
は、かみのけ座へと旅立った少年とまったく同じように、ひとつの物語のなかに
封じ込まれている〉。だが、その物語は、テクストとして開かれることで、外部
へと繋がる。一個の完結は、しかし、多くの疑問を残す。もしかすると、それら
の連鎖が作りうるのかもしれない〈本当の物語〉があるとしたならば、知りたがる。
読み手であるところの僕にはまるで、そうした小説のつくりをこそ、作中に登場す
る〈ほとんど見かけ上は永久機関といえなくもない〉発電機が、暗示しているかの
ように感じられたのだった
17 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 22:09:07
アニメ板かと思ったよ。
18 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 03:32:28
どういうこと?
19 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:23:03
いんとろだくしょん
稲生平太郎は私にとって謎に満ちた存在です。
このサイトにおいでの方には説明の必要はないかもしれませんが、平田篤胤の『稲
生物怪録』に登場する平太郎少年のことではございません。大阪生まれの作家・幻
想文学研究家であります。
何が謎かと申しますと、幻想文学研究家の看板を掲げ、地道に研究にいそしみな
がら、最初に出した著作が小説――しかもオカルト少年小説。幻想文学研究から実
作へと転向(?)した荒俣宏氏にしても幻想文学の研究/紹介書がデヴュー作でした。
とはいえ、幻想文学とオカルトは無関係ではありませんので、幻想文学研究家が
オカルト小説を書いてもおかしくないといえばおかしくありません。事実、オカル
ティズムにも関心があると稲生氏自身述べています。しかし、次に出した著作がUFO研究本!
素晴らしい内容で目から鱗が落ちる著作なのですが、「幻想文学研究家がなぜU
FO本を?」と、とまどわれた幻想文学読者もおられたのではないでしょうか。
私はリアルタイムで読んだわけではないのでとまどいはしなかったものの、不思
議に思わなかったわけではありません。
さらに虚偽記憶症候群を扱ったノンフィクションの翻訳まで手がけています。
稲生氏はいったい何がやりたいのでしょうか? 彼には節操(死語!)というも
のがないのでしょうか?否、断じて否であります。
氏の著作及び翻訳、季刊「幻想文学」誌(アトリエOCTA)に連載されてい
る「不思議な物語・番外篇」をよく見れば、稲生氏の中ではすべてつながってい
ることがわかってきます。
そのつながりと私なりの稲生平太郎像をこれから論じていきたいと思います。
*本文で出版社名を記していない書籍は、日本では未刊行である。
*引用部分に傍点がある場合は太字で表現し、またルビは[かっこ]の中に示した。
20 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:24:11
壱 悪夢とノスタルジーの青春小説『アクアリウムの夜』
一言で云ってしまうと、『アクアリウムの夜』は日常がゆるやかに崩壊していく物語である。
土曜日の午後、ぼくと親友の高橋の二人はカメラ・オブスキュラを見物しに行く。そこで水族
館にあるはずのない地下への階段をぼくたちは見る。それからぼくたちの日常は何かに浸食
されるかのように変色をはじめる……。
主人公が好んでいた水族館、図書室、喫茶店はストーリーが進むほどに日常から
非日常へと変貌を遂げる。親友ですらそうだ(親友は霊界ラジオにとり憑かれ、精
神を病んでしまう)。
かつて石堂藍は『アクアリウムの夜』について「青春恐怖小説の傑作である」(
全文へ)と述べ、日本のモダンホラーの一つに位置づけた。傑作だという点には大
いに同意するにしても、ホラーとするのは首肯できない。ホラーというには小道具
――カメラ・オブスキュラ、水族館、新興宗教――が幻想的な魅力を放っており、
加えて全体的に清涼感あふれる物語のため、怪奇というよりも幻想という方がしっ
くりくる。
というわけで、私は「幻想小説」だと考えるわけだが、ジャンル観はおのおの異
なるわけだから、ここではこれ以上触れないことにする。
さて、本書の帯に付された鎌田東二の推薦文(「闇の力」と題されている)には
こうある。
霊界ラジオから聴こえてくる異界からのメッセージ。そして異界に呑み込まれてゆ
く少年少女。オカルトは、フィクションとリアリティの虚実皮膜の狭間に生起する
。最後まで一気に読了させる気迫にみちたこのオカルト少年小説を推す。
ラノベ板か
22 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:45:26
そんな時間(空間と云ってもいい)を発端にして、「悪夢」と「ノスタルジー」を
紡ぎ出したのが本書『アクアリウムの夜』なのだと私は思う。
稲生平太郎による『アクアリウムの夜』をめぐるエッセー「思春期をめぐる物語
」にはこうある。
(前略)決まっていたことといえば、少年小説の枠組を利用するということだけ。
少年小説というジャンルが本当にあるのかどうかは知らない。僕が思い描いていた
のは、小さい頃に読んだ子供向けのSF小説、怪奇小説、冒険小説の類、それに、
『中一コース』とかの付録についていた小説なんかだった。ともかく、記憶に残留
するその枠組を用いて、まったく別種の物語を語ること、それが僕の願いだった。
(アトリエOCTA「BGM」3号・110〜111p)
23 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:46:16
記憶に残る枠組には必然的にノスタルジーが含まれている。
本書の高校生たちの会話は現代的とは云えない。むしろ意識的に昔の言葉づかい
がなされている。刊行当時(1990年)ですら「今どきこんな話言葉の高校生はいな
い」と云われたそうだが、ノスタルジーを喚起するための確信犯的なしかけである
ことは間違いない。たとえ、現在の話言葉で書いたところで一年もすれば完全に古
臭くなってしまうのだから。
昔の風俗を徹底的に書き込むことによって、後世の読者が読んでも違和感をなく
すという都筑道夫的な方法論がある。稲生平太郎も同じ方法論を選んだように見
えるが、実はそうではない。
稲生自身本書を「思春期をめぐる物語」(前掲111p)と述べ、本書を書くこと
を「思春期の呪縛から脱するための一種の治癒行為」(同)と形容している。つま
り、稲生平太郎にとって本書は、結果的に自らの思春期を徹底的に描くことにほか
ならなかったのだ。
語りにも並々ならぬ工夫が幾つもほどこされている。たとえば新興宗教の教祖
がチベットへ向かう「チベット紀行」が挿入されているあたり、業界用語でいう
ところの黒っぽい本(「最低三、四十年以上は前の本、基本的には明治、大正、昭
和前期の本」『何かが空を飛んでいる』27p)を多数購入、読破してきた成果が窺
える。なかなかあそこまで古めかしい文章をリアルに書けるものではない。
24 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:47:21
ラノベ板か
25 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:47:25
基本的に主人公の一人称で物語は進んでいくが、それだけにとどまらない語りの魅
力を存分に楽しんでいただきたい――というのが私の願いである。
ともあれ、本書は小説として一級品である。くどいかもしれないが、大傑作であ
る。伏線の張り方も見事なもので、再読したときは思わずため息が出たほどだ。掛
け値なしに贅沢な作品なのだ。
弐 誘拐事例(UFO体験)と虚偽記憶症候群はシャム双生児である『何かが空
を飛んでいる』『悪魔を思い出す娘たち』
現在の日本におけるUFOの存在はサブカルチャーの中でもかなり底辺に位置し
ているのではないか。トンデモ本の中でひっそりと(?)生息しているように思う。
今(2000年)から八年前に刊行されたUFOをめぐる評論『何かが空を飛んで
いる』は、現在もなおその輝きを失っていない。それだけ本邦のUFO業界(?
)がしょうもないということを露呈しているだけのことかもしれないが。
確かに八年前と現在では現状がかなり変わっている。1995年、常識はずれのノ
ンフィクションを取り上げたと学会の『トンデモ本の世界』(洋泉社/現在は宝
島社文庫)は、「トンデモ本」という新鮮な概念によってベストセラーになった
。かくしてUFO本は笑いものになった。
ところが『何かが空を飛んでいる』はこの『トンデモ本の世界』で、「トンデ
モ本」と一線を画す「肯定派でも否定派でもない、ひと味違うUFO本」として
、推薦文献に挙げられているのだ。そのような本が現在絶版とはまったく悲しい。
「天に光、地に妖精」(新人物往来社『オカルトがなぜ悪い!』)あたりを増補し
て、ハルキ文庫あたりで復刊してくれないものか(困ったときのハルキ文庫頼み)。
26 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:48:21
枕が長くなってしまったが、本書で取り上げられている項目を帯から拝借して説明
すると次のようになる。
●妖精と宇宙人(小人)
●宇宙人による誘拐と人体検査
●円盤墜落/回収シンドローム
●UFOカルト
●UFO情報の操作・陰謀説
●暗躍するMIB(黒服の男たち)
本書では円盤を肯定も否定もしないという、一種アクロバティックな論が展開
されている。
UFO現象について、合理的に説明できるものが多数だが、それでもなお説明の
つかないことがあるのだと述べるにとどまる。本書を読んでもカタルシスは得られ
ない。むしろ思考の宙吊り状態にされてしまう。
円盤とは一体何なのか――そういう疑問の渦へと読者を引きずり込んでしまう。
稲生平太郎は一つだけ答えの方向を示している。――何かが空を飛んでいるの
を我々人類はずっと以前より見てきたのであり、そしてUFO体験はあるのだと
いうことを。
稲生平太郎は円盤の存在を間違っても信じてはいない。だが、UFO体験を
確信しているのだ。
ではUFO体験とは何か?
乱暴に云ってしまえば、何らかの非日常的な体験をし、それをUFOにまつわ
る幻想へと置き換えてしまうということだ。「幻想」と「現実」の間でUFO体
験者は悪夢、あるいは啓示を見る――と稲生平太郎は云う。
そのような立場に立って、稲生平太郎はどの円盤事項についても鋭利な分析を加
えているが、今回読み直してひときわ私の興味を惹いたエピソードがあった。以
下、多少長くなるが引用する。
オカルト板か…w
28 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 11:26:13
誘拐事例においても魔女狩りにおいても、傷痕が「証拠」とされるのは単なる偶然
の一致とは思えない。そして、どちらも刻印を押すのは異界の存在とされている。
なるほど、傷をもつのが誘拐事例にあっては被害者、魔女狩りにあっては加害者と
、立場が完全に逆になっているのは確かだけれど、悪魔あるいは宇宙人が人間を操
っていると想定されている点では共通していよう。
誘拐と魔女狩りとの関連は、でも、これだけにはとどまらない。
「現代の魔女狩り」なんていう言葉が日本では安易に用いられたりする。しかし
、実は現代もへったくれもなくて、文字どおりの意味での魔女狩りは西欧キリスト
教社会ではけっして滅んでいない。最近またアメリカで勢力を伸ばしつつあるフ
ァンダメンタリストの人々なんか悪魔の実在を信じているわけで、そうすると魔
女あるいは悪魔崇拝者の実在なんて当然、彼らは悪魔崇拝者の邪悪な活動に警鐘を
発し続けている。
ここでまたいきなり(?)幼児虐待の話になる。
近年欧米では幼児虐待が大きな社会問題となっているのは周知のとおりだけれ
ど、これには日本のメディアではほとんど紹介されない隠れた側面が備わっている
んだ。つまりですね、悪魔崇拝者がその儀礼において幼児を殺したり性的に虐待し
ているんだという主張、いわゆる「悪魔的幼児虐待(Satanic child abuse)」
が、ファンダメンタリストのみならずソーシャル・ワーカーたちからも真剣に提
出されているわけ。それだけではなく、たとえば英米では裁判にまで発展してい
るのだ。あいつらは悪魔を崇拝しているばかりか幼児をレイプしたりしている、
その証拠もあるんだと騒ぎ立てられるので、これが魔女狩りでなくて何であろう
か?
29 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 11:27:02
僕たちの感覚では信じがたいにせよ、本当なんである。イギリスの場合なんか、
伝統を誇る社会福祉団体や一部のマルクス主義者まで巻き込んでいるんだから。
幼児虐待という悲惨な現実を前にして、ここでも、「責任」を転嫁できる実体を
求めてやまない人々の欲望が露呈している。そんなひどいことするなんて鬼か悪
魔だとかいうけれど、このとき、鬼、悪魔は文字どおりの意味で機能してしまう
んだ。
さて、こういった悪魔崇拝者による幼児虐待という概念は古くからあるにせよ、
英米での近年の騒ぎに火をつけたのは一冊の本であった。一九八〇年に出版され
てベストセラーとなった『ミシェルは憶えている』がそれである。話が長くなる
からはしょるけれど、要するに、ミシェル・スミスという多重人格に悩む女性が
、精神分析医による退行催眠の助けを借りて、幼いころ悪魔崇拝者の儀礼に繰り
返し無理やり連れていかれて虐待を受けたのを思い出したという内容である。こ
の本の出版後、同様な記憶を回復したという人々が他にも名乗りでたことは言う
までもなく、かくて騒ぎは広がっていく。
30 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 11:28:00
もうくだくだ説明する必要はないと思う。退行催眠による「記憶」の回復、幼時
からの度重なる拉致/虐待、さらに性的要素と、悪魔的幼児虐待はたとえばキャシ
ー・デイヴィス事件などと完全にパラレルをなしている。そして、八〇年代に噴
出したという点で、悪魔的幼児虐待騒動と誘拐事例は時間的にも並行しているの
だ。両者の深層が通底していることは疑えないだろう。(『何かが空を飛んで
いる』85〜88p)
語り口調で書かれているため見逃されがちかもしれないが、『何かが空を飛んでい
る』の背後にはUFO本以外の膨大な文献と見識が見え隠れしている。
ここで言及したいのが、上の引用と直結するノンフィクションで、稲生平太郎
が吉永進一と共訳したローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』(柏書房)で
ある。本書は二人の実の娘に性的虐待の罪で訴えられた警察官ポール・イングラ
ムの事件を扱っている。家族全員とその友人たちが悪魔的幼児虐待を思い出すと
いう特異な事件でもあり、そしてイングラム一家とその友人たちは熱心なファ
ンダメンタリストであった……。
稲生平太郎は『何かが空を飛んでいる』の中で「虚偽記憶症候群」という言葉
を用いていないが、イングラム事件同様『ミシェルは憶えている』とそれをきっ
かけに巻き起こった記憶回復ムーヴメントの多くが虚偽記憶症候群であることは
云うまでもない(事件の起こったアメリカでは虚偽記憶症候群とする派と、悪魔
的幼児虐待とする派が今なお対立している)。
虚偽記憶症候群をご存知ない方のために、吉永進一の論文から引用する。
31 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 11:45:08
回復記憶セラピーは次のようなものである。治療者はどこかにトラウマがあると
判断し、それが幼児期の性的虐待にあると告げる。患者は否定する。しかし、患
者側の否定こそトラウマ抑圧を示しているとセラピストは解釈する。リラクゼー
ション技法、薬物、催眠などの技法によって、患者が虐待経験を《思い出す》。
これで治療の第一歩は成功したと判断される。患者の側も、虐待記憶を受け入れ
ると、親との関係を絶つ、あるいは手紙で憎しみをぶつける、さらには民事訴訟
に訴え慰謝料を獲得する、などなどと続いていく。患者と治療者の側はこれを回
復記憶(recovered memory)といい、一方、身に覚えの無い親たちはこの記憶
を虚偽記憶症候群(False Memory Syndrome Foundation)と呼んだ。そしてF
MS財団なる被害者の会も結成された。(吉永進一氏のホームページ『電気的真
丹後速報』の「虚偽記憶症候群書誌」より。)
32 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 12:04:49
忘却されたとする過去の「記憶」が甦るというものであるが、その「記憶」とは
性的虐待であり、宇宙人にさらわれたりするものであったりする(宇宙人にさら
われたという退行催眠の事例は『悪魔を思い出す娘たち』に詳しい)。
UFO体験の誘拐事例と悪魔的幼児虐待(虚偽記憶症候群)の両者は、シャム双
生児なのである(誘拐事例――円盤事項に全てに云えることだが――の場合、退
行催眠などによるものだけ、と断言できない複雑さを秘めてはいるが)。
稲生平太郎の見識にはただただ驚くばかりである。悪魔的幼児虐待とその背景を
真摯に日本に紹介したのは稲生平太郎がおそらく初めてだろう。少なくとも一般書
の形としては初めてではないか。生半可な紹介と関心でないことは七年を経て、
吉永進一と共に『悪魔を思い出す娘たち』を翻訳出版していることから窺える(
節操はありすぎるほどあったのである!)。
ちなみに『何かが空を飛んでいる』の造本だが、初期の荒俣宏の著作に似てい
ると思わないだろうか(特に工作舎の本ね)。
判型は異なるのだが、図版を扱ったカラーページは色もキャプションも似てい
るし、稲生平太郎が荒俣宏の著作を意識してデザインを依頼したものではないか
と憶測したくなる。
そうしたところから遊び心とリスペクト精神があるのだなと感じるのである。
遊び心といえば章タイトルもそうだ。「私は前科者である」「踊る一寸法師」「
小人たちが怖いので」「セックスと針とフライングソーサー」「私を涅槃に連れ
てって」「空飛ぶレイシズム」……etc.
映画や小説の題名の引用やパロディが面白い。元ネタが何なのか私にはわから
ないものもあるが、稲生平太郎も楽しみながら章タイトルをつけたのだろう。親
しみやすく、ストイックな語り口調の文体と実に良くあっていると思う。
33 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 12:06:12
参 ふしぎなふしぎな文芸批評「不思議な物語」
「不思議な物語」といっても、ブルワー=リットンの著作のことではない。英米
の未訳怪奇幻想文学を紹介するという、情熱と根気、そして批評眼がなければで
きない連載エッセイのことである。
守備範囲は恐ろしく広い。ゴシック・ロマンスから幻想小説、怪奇小説、ファン
タジー、ホラー、オカルティストの書いた小説、はたまたポストモダン文学まで!
英国でも忘却されているような作家と作品を発掘することもある。
紹介された著作の中でのちに翻訳されたものも少なくない。稲生平太郎の鑑識
眼の高さが窺えよう。伊達に「幻想文学研究家」を名のっているわけではないのである。
通常の連載では取り上げる洋書のあらすじ紹介と分析が主だが、約四十回(!)にも
及ぶ連載であるため、ここでは全てを取り上げられない。恥ずかしながら私は「幻想文
学」誌連載の「不思議な物語」の良い読者とは云えない。番外篇だけは隅から隅まで読ん
でいるが、通常の連載は斜め読みをしてしまうこともしばしば。「幻想文学」誌のバック
ナンバーをすべて持ってもいないし、なおかつ、翻訳された著作も全部読んでいるわけで
もないので、稲生平太郎の「読み」を云々することが私にはできない(ただ石堂藍氏に比
しても負けないぐらい率直な批評をする、ということは指摘できる)。
そういう事情により、番外篇の一部だけを取り上げるという何とも安直な方針を取るこ
とにした(稲生平太郎氏ならびに「不思議な物語」の愛読者の皆さん、ごめんなさ
い)。
34 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 12:07:17
番外篇で取り上げられている作品は次のとおりである。
「不思議な物語・番外篇壱」(「幻想文学」43号)では鶴屋南北『東海道四谷怪談
』のプロトタイプ『四谷雑談』(早稲田大学出版部)
「不思議な物語・番外篇貮」(「幻想文学」45号)ではシャーロット・ブロンテ
『ヴィレット』(みすず書房)
「不思議な物語・番外篇参」(「幻想文学」48号)では「ジュネーヴ大学教授の席
にあった高名な心理学者、医学者」(202p)であったテオドール・フルールノワ
『インドから火星へ』(一九〇〇年)
「不思議な物語・番外篇四」(「幻想文学」50号)ではジョン・ディー『精霊日誌』
【壱】と【貮】は幻想文学の領域に入る作品であり、番外篇といっても一つの作
品にスポットを当てているという風である。【参】と【四】はオカルティズムに関連
する作品を取り上げており、文章を読むかぎり稲生平太郎のオカルティズム知識が生
半可なものではないことが窺える。
私がひときわ興味を惹かれたのは【参】の『インドから火星へ』である。(以下引用部
分は『幻想文学』48号202〜205pによる)副題に「異言[グロッサリア]を伴う催
眠現象症例の研究」と付されている、「力動精神医学の歴史における記念碑的著作
」である。
フルールノワは一八九四年にエレーヌ・スミス(仮名)という霊媒と出会い、五
年の歳月をかけて『インドから火星へ』を上梓する。
エレーヌ・スミスという霊媒女性の特異な能力は「彼女――もしくは彼女に憑依
する霊たち――の紡ぎ出す『物語』に他ならな」かった。「すなわち、彼女は十五
世紀にあってはインドの土豪シヴルーカの王妃、十八世紀にあってはマリー・アン
トワネットであった。そして、彼女の指導霊[コントロール]レオポールトとは、
実は仏国王妃の愛人、かのカリオストロであった。
35 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 12:08:50
そして、火星。彼女の霊魂は地球の軛を離れて火星にも転生したのであり、火星
の住民、自然、風景などの描写がやがて交霊会の席上にもたらされるようになっ
た。それはあるときは言葉によってであり、あるときは絵画によってである。(202p)
稲生平太郎はここに物語というものの発生のメカニズムを見ることができると述べ
ているが、私には神話のプロトタイプ、そしておそらく宗教のプロトタイプすら
見出せると感じている。どちらも同じようなものだと云われればそのとおりであ
るが(極論すれば、宗教は一つの物語にすぎない)。
しかし、稲生平太郎の関心はそれのみにとどまらない。
けれども、霊媒エレーヌで真に注目すべきなのは、私たちはここで物語ばかりか、
言語、文字の始源にも遭遇する点である。つまり、交霊会の薄闇の中で、やがて
異界の言葉、そして文字までが啓示されはじめたのだ。(204p)
文字すら生み出す霊媒!
勿論それはほとんどが合理的に説明できるものではあるが、言語という複雑な
ものが一人の女性によって生み出されるさまは当時(一八九六年初頭)において
相当に大きな波紋だったに違いない。インチキ霊媒という見方もできないことは
ないが、彼女は職業的霊媒の道を選ばず、金銭的要求もしなかった。この事実を
どう説明するというのか。
ところで、すべてを無意識の働きで説明するフルールノワであるが、その彼にも
ひとつだけ解けない謎があった。ヒンドウー物語群に登場する人名を歴史学者た
ちは架空のものであろうとしたのだが、しかし、フルールノワは苦心の末、エレ
ーヌの描写にほぼ一致する記述を『インド概史』なる古い書物の中に遂に発見す
る。結局、フルールノワの潜在記憶説が凱歌をあげたかに思われるが、そうでは
なかった――これは一八二八年刊行の稀覯書で、エレーヌやその信奉者たちの接
触した可能性が皆無であることを彼も認めざるをえなくなる。潜在記憶ではどう
しても説明がつかないのだ……。(205p)
スレッドの私物化。自分でチラシの裏かブログにでも書いてなさい。
37 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 13:22:53
また思考の宙吊り状態にされてしまう。ここでも「幻想」と「現実」が奇妙にね
じれているのだ……。
四――糸はつながっている、そして。
ここまで稲生平太郎の活動をざっと見てきたが、稲生平太郎を読み解くキーワード
は「想像力」と「異界」ではないか、と私は感じている。
異界といってもそう難しく感じることはない。稲生平太郎自身『何かが空を飛ん
でいる』の中でこう述べている。
神秘的体験なんて言葉を聞くと、抹香くさいとかさ、オレの知ったことか、ワタ
シには関係ないわと、全身に拒否反応を起こす人も多いかもしれないね。でも、
そう大層なもんでもないんだよ、これは。夢を見る、物語を読む、映画を見る―
―そういったことと大きな断絶があるだろうか。事実と虚構、現実と非現実の境
界に絶対的なものがあると思っちゃいけない。少なくとも僕はそうは思わない。(180p)
異界とはすなわち――別世界のことである。
別世界の入り口の一つに幻想文学と呼ばれる小説群があることは言をまたない。
幻想文学の源流をさかのぼっていくと、ホレス・ウォルポールの『オトラントの
城』(国書刊行会)に行きつく。ゴシック・ロマンスの鼻祖としても有名な作品である。
この作品の革命的だったとされる説の一つに、それまで二種類あった文芸スタ
イルを融合したというものがある。すなわち、リアリズム一辺倒の「ノベル」と
、荒唐無稽な「ロマンス」。ロマンスは想像力と置換可能である。
38 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 13:24:00
融合された小説はゴシック・ロマンスやロマンティック・ノベルと称されるが、幻
想文学と呼んでさしつかえないことは確かである。幻想をリアルに描き出そうとす
る形式――幻想文学観もさまざまあると思うが、ここではこう述べるにとどめよう。
鼻祖はすっきりと判明するものの、後続の作品には一筋縄でいかない作品も多
く、稲生平太郎はシャーロット・ブロンテの『ヴィレット』もその一つととらえ
ていることは「不思議な物語・番外篇貮」でもわかる。
一見ゴシック・ロマンスの変種として取り上げたように見えるが、想像力とリ
アリズムの狭間で揺れ動く作品の精緻な分析を読むかぎり、稲生平太郎の関心は
シャーロットの溢れでんばかりの「想像力」にあったように思われる。想像力に
ついて「『決して失いませんように』と二十歳前後のシャーロットは記している
。」(「幻想文学」45号・194p)しかし、当時の文壇にあって想像力で小説を
書くことはマイナスでしかなく、奔放な想像力を持つシャーロットはそれゆえに
苦悩する。
虚偽記憶症候群(イングラム事件の想像力はファンダメンタリズムに毒されて
おり、よりいっそうおぞましい)、UFO体験(退行催眠で甦った「記憶」もこ
こに入れていいだろう)、そしてオカルティズム(エレーヌ・スミスの転生譚と
火星の言語)――これら全てに通底するものは「過剰な想像力」である。
過剰な想像力は「現実」を超えて「もう一つの現実」をかたちづくる。
オカルティズムはまさにその「もう一つの現実」を作ろうとする強大な意志以
外のものではなく、最も過激な想像力の形なのだとも云える。「隠された叡智」
という意味を持つオカルトではあるが、私見では「世界を裏読みする」思想がオ
カルトなのである。自然の摂理を疑い、もう一つの世界を探求し、その体系を紡
ぎだす。これは過剰な想像力なくしては不可能である。霊媒体質の人間による霊
界からのメッセージ受信にしても、これが過剰な想像力の一ケースであることは
疑えないだろう。
39 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 13:24:48
過剰な想像力が行きつく先の一つに「異界」がある。過剰な想像力を持ち、「異
界」をさまよった人物にはかの神秘家スウェーデンボルグがいる……。
つまり――『アクアリウムの夜』も『何かが空を飛んでいる』も、そして『悪
魔を思い出す娘たち』も「異界」に直面した人々を記した書物なのだ。
この想像力の横溢する存在(異界)を幻想文学研究家である稲生平太郎が見逃
すはずがない。幻想文学とこれら過剰な想像力は深く通じあうものがあるのだか
ら。出力形態が違うだけと云ってもいいかもしれない。――糸はつながっていた
のである。
ポジティヴにとらえられることの多い想像力だが、決してそんなことはない。
妖精が基本的に人間に対し邪悪な思いを抱いているように、想像力はネガティヴ
なものでもあるのだ。極論すれば、想像力とはすべからず妄想なのである。
稲生平太郎は過剰な想像力がトリガーとなって発生する世界=別世界を求めて
いるように思える。より正確に云えば、「異界」と「異界」にとり憑かれた人々を。
ところで、UFO体験や「不思議な物語・番外篇参」の前世の記憶でもそうな
のだが、本当に「過剰な想像力」だけで説明がつくのか――という疑問を読者は
抱かれるかもしれない。稲生平太郎自身は想像力だけで説明をつけてしまおうと
いう立場に立っていないことは明らかである。大部分を説明できるにせよ、完全
に説明可能かといえば、ことはそう簡単ではないのだから。だからこそ、『何か
が空を飛んでいる』のラストで「世界はおそらく僕たちの思っているようなもの
じゃない」(194p)と述べているのだと思う。
ではここで、稲生平太郎自身について考察してみることにしよう。
稲生平太郎にはゆらぎの気配がある。
40 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 13:25:41
稲生平太郎は理性的でありながら合理主義を無効にする。おそろしく合理的に思
考しつつも、それを疑ってかかる。
だから稲生平太郎は決して答えを出さない。おずおずと自分の頭蓋骨の中の見
識を一瞬さらけだすだけ……。
そのわけは、人間のとらえる世界は結局のところ「異界」にほかならないこと
を多分誰よりも冷静に実感しているからではないだろうか。人間という不確定な
存在が遭遇する「異界」を見つめる視線があるとでも云えばいいのだろうか。稲
生平太郎の中で「異界」を望んでいる部分が多少はあるのかもしれない。
そんな人間に答えなどあるのか――とも稲生平太郎は思っているのではないか。
しかし、人はそう迷宮の中だけで生きていけるものではない。答えを出して
みたくなるものではないだろうか。稲生平太郎ほどの知識の持ち主ならば、なおさら。
稲生平太郎の文芸批評をそのジレンマの産物といっては失礼にあたるかもし
れない。副産物として見るにはあまりにも優れた論考だからだ。さりながら、
文芸批評という自分だけの「読み」が許される(勿論、人を納得させるもので
なければならないが)仕事に手を染めているのは、ゆらぎとのバランスをとる
ためのように私の目にはうつる。
この世界を考察するときには築かざるを得ない砂の楼閣からいっとき離れ、文
芸の世界で安定して建っていられる堅牢な城を築く。私には稲生平太郎の幻想文
学研究そのものがそうした一時避難的な場所のようにも思えるのである。
雑誌「ユリイカ」1999年8月増刊/総特集・怪談(青土社)の「あなたにとっ
て『恐怖』とは?」(190p)と題されたアンケートの「あなたが今まで経験さ
れたうちで、一番怖かった体験を教えてください」という質問に対し、稲生平
太郎はこう答えている。
41 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 13:26:43
個人的な体験ですので、語るのは遠慮させていただきたく存じますが、たとえば、
生霊の存在はしばしば実感してきたところです。とまれ、異界と現界との間に確
たる境界などなく、双方が重なり合う領域が日常のなかに広がっているような気
がします。異界を垣間見ることは、特権でも何でもなく、避けられるならば、そ
れに越したことはありません。(192p)
そう答えながら、稲生平太郎はこれまで異界について考察を続けてきた。私はそ
こにアンビヴァレンツなものを感じてしまう。否定しながらも「過剰な想像力」
による世界をなぜ稲生平太郎は考察し続けているのか。
先に私は稲生平太郎は「異界」を望んでいるかもしれないと書いたが、これは
あながち間違いではないと思われる。幼年期に神隠しにあった柳田國男のように
、生涯、それを傷としてひきずっていたような前例もあるからである。生霊を実
感しているという感性も稲生平太郎の「異界」への関心に一役買っているものと
おぼしい。
しかし、「異界」を望む本当の理由は、稲生平太郎の本質が「少年」だからで
はないだろうか。
ノンシャランで無邪気であり、かつ未知のものに目を輝かせる「少年」(擬似
科学に接すると興奮すると通常の「不思議な物語」で言及してもいる)。昨今の
少年とは異なる、象徴としての「少年」。
42 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 14:29:03
稲生物怪録』は少年小説として読むことができると書いた。だが、少年小説におい
て夏休みが成長のための儀式[イニシェーション]として機能するのに較べてみれ
ば、決定的な差異がうかびあがってくるだろう。儀礼には参入が不可欠だ。参入者
[イニシエイト]たちは、儀礼をくぐりぬけて、高次のレヴェルへの成長を遂げる
であろう。この場合、夏休みは一個の装置である。だが、平太郎はといえば、どう
やらそんな気配はない。その後、武太夫と改名して兄の跡目を相続し平穏に暮した
が、かつて体験したひと夏の怪異については大した感慨もいだかなかったようだ。
〈夏休み〉は、かれのもとに忽然とやってきて、また忽然と去っていったのである。
イニシェーションとして機能する夏休みと、この〈夏休み〉は、したがって厳密
に区別されねばならない。最初に断定しておくなら、根源的郷愁性(足穂はこれを
いみじくも「懐しの七月」と呼んだわけだが)を帯びるのは後者である。こういっ
た郷愁性は、成長の如きものとは無縁でなければならない。この〈夏休み〉は、
わたしたちのもとに突然やってくる。また、程度の差はあれ、すべての人に訪れ
るはずだ(「大千世界すべて人によりて有事なり」)――ただし、いちどかぎり。
これは、〈存在〉に与えられる〈夏休み〉、〈存在〉の〈夏休み〉なのだ。
〈夏休み〉をどう過ごそうとそれは自由だ。ただし、これを体験した〈少年た
ち〉の幾人かは、以後これがなくては生きられなくなる。けれど、与えられる機
会は一度だけなのだから、かれらの末路は、ふたつにひとつだ――(1)身をも
ちくずす、(2)生涯を〈夏休み〉の捜索に費やす。そして、篤胤もまたこうし
た少年たちのひとりだったのだ……。(21p)
43 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 14:30:11
篤胤のように稲生平太郎は永遠の夏休み少年なのかもしれない。それゆえに『稲生
物怪録』で描かれたような懐かしい夏休みに憧れる。そして、その夏休みの場所は
「異界」にほかならない。稲生平太郎が「異界」にこだわっているのは、そんな理
由なのかもしれない(篤胤は幽冥界や神仙界――それらは別世界のことである――
を真摯に研究していた)。
稲生平太郎は平田篤胤と寅吉(天狗にさらわれて仙界をめぐったという少年。
篤胤は少年からの聞き書きを『仙境異聞』にまとめている)を融合させたような
存在だと思うことがある。生霊を実感し、「異界」を求め、「異界」にとり憑か
れた人々を追う。
稲生平太郎の凄まじいというか恐ろしいところは、自分にもそういった気質が
あるにもかかわらず、冷静にそれを論考にしてしまったところにある。凡人にはできないことである。
稲生平太郎の本質は「オカルティスト」でもあるのだろう。オカルティズムに
関心があるのも「異界」を見極めるため、という気がする。
今後、稲生平太郎はどのような活動をしていくだろうか。
幻想文学を核にして何かとてつもないことを考えているのではないか、と私は
思っている。稲生平太郎はいずれさらなる問題作を書くにちがいない。そこに私
は非常な魅力を感じている。
また、地道に未訳の怪奇幻想文学を我々に紹介しつづけてくれるだろう。想像
力に満ちたテクストがあるかぎり、いつまでも。
なにぶん寡作な作家・幻想文学研究家なので、実が熟し、その仕事が私たちの
前に全貌をあらわすのには時間を要するだろう。それでも稲生平太郎の仕事を待
つのは楽しい。願わくば待つ時の短からんことを!
44 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 14:31:19
付記
稲生平太郎に関心を持ちはじめたのは数年前のことである。『アクアリウムの夜
』を読んで以来、私は稲生平太郎に魅了されつづけてきた。稲生平太郎の仕事はど
れもこれも蠱惑的で凄い。
今回拙文を書いてみて、己の勉強不足と非力さを厭というほど味わった。稲生
平太郎の知性は日本の中でもかなりのレベルにある。にもかかわらず、私ごとき
が論じては失礼にあたる……とすら思った。
内容に関しては非常に忸怩たるものがある。個人的には言語を絶するほどのひ
どさだと認識している(拙文がいくぶんなりとも読めるものになっているとすれ
ば、それは手を入れてくださった石堂藍氏のおかげである)。
稲生平太郎の仕事についても全てに目をとおしたわけではない。活動期間が二
十数年にも及ぶため、全ての仕事を見ることはできなかった。それで稲生平太郎
論を書こうとしたのだから図々しいといえばこれほど図々しいこともない。
「幻想文学研究家」及び「オカルティスト」としての稲生平太郎に今回は深く
触れ得なかったが、この二つの分野で稲生平太郎は大変立派な仕事をしている(
稲生平太郎は英文学者・横山茂雄氏の筆名である)。機会があれば双方とも新た
に触れてみたいものの、山ほど勉強しなくてはいけないので、ちょっと無理かも
しれない……。
愚痴を並べてもしかたがないのでこのへんでやめるが、拙文に稲生平太郎への
関心/興味を惹き起こす言霊が宿っていることをひそかに願っている。呵々。
最後になりましたが、私の拙い文章を読んでアドバイスしてくれた友人各氏、
ならびに石堂藍氏、そして拙文を読んでくださった方々に心からの感謝を捧げます。
ありがとうございました。
45 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 17:37:54
長文ご苦労様だが
悪いけど読む気がしない。
まあ、これだけ書く(どっかからの転載?)のだから
上記の文を書いた人は
それだけかってるという事だね。
しかし、この人ひとりが力説しても
まだ買うきにはなれんな。
とりあえず、図書館で借りてみるか。
46 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 18:52:26
読んでみてください
★れびゅー『アクアリウムの夜』
出版社/著者からの内容紹介
君しか、解けない――《スニーカー・ミステリ倶楽部》第二弾!
僕と高橋が見たのは、その水族館にあるはずのない、地下への階段だった。
霊界ラジオから聴こえてくる謎めいたメッセージに導かれ、僕たちは現実と異界との間を
さ迷い始める……。青春ホラー・ノベルの傑作登場!
内容(「BOOK」データベースより)
春の土曜日の昼下がり、親友の高橋と行った奇妙な見世物、“カメラ・オブスキュラ”。
そこに映し出された水族館には、絶対にあるはずのない、地下への階段が存在した。
恋人の良子に誘われて試したこっくりさんは不気味に告げる―
「チカニハイルナタレカヒトリハシヌ」!“霊界ラジオ”から聴こえてくる謎めいたメッセージに
導かれ、ぼくたち3人のせつなく、残酷な1年が始まる。伝説の青春ホラー・ノベル、
待望の文庫化。
★れびゅー『アムネジア』
出版社 / 著者からの内容紹介
思い出すんだ。失くしてしまった、「本当の物語」を。
消された名前、チョコレート・ケーキ、闇金融、かみのけ座、殺人、奇妙な機械……
優しく残酷に侵食されてゆく現実の果てに、僕は何を見る?
『アクアリウムの夜』の鬼才が15年ぶりに放つ、究極の幻想ミステリ!
内容(「BOOK」データベースより)
僕が巻き込まれた、数千億もの金が動くという闇金融の世界。
その暗がりから朧に立ち現れてくる、チョコレート・ケーキ、かみのけ座、殺人、
奇妙な機械…触れてはいけないものによって優しく、
そして残酷に浸食されてゆく現実の中で、僕がついに見いだす“本当の物語”とは?
『アクアリウムの夜』の鬼才が15年ぶりに放つ、究極のミステリ。
50 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 19:33:21
文学者だからね
51 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 19:36:46
求めてるのは読者だろ? この板では見つけにくいと思われる。
52 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 19:38:27
販促の基本は、ターゲットを特定して集中的にPRすること。
53 :
吾輩は名無しである:2006/03/28(火) 14:37:22
もっと小説書いてほしいね
今年のこのミスで上位にはいるかな?
54 :
吾輩は名無しである:2006/03/29(水) 14:02:26
入ってもおかしくない
大森望、石堂藍、千カイなんちゃらが絶賛
55 :
吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 10:36:27
大森の活躍しだいだな
56 :
吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 21:49:57
角川もよくかかせたな
57 :
吾輩は名無しである:2006/03/31(金) 11:15:08
「平田篤胤が解く稲生物怪録」を読みかけです。
水木大先生関係の本など読むと、必ず出てくる妖怪モノの大御所(?)なので、気になっていました。
江戸時代、稲生平太郎のもとに1ヶ月にわたって妖怪が毎日現れたという実話に基づく妖怪奇譚だそうですが、
それにしても、
布団から水が湧き出したり、天井からひょうたんがぶら下がったり、紙が蝶のように舞いだしたり、箒が居間を掃きまわったり、美しい娘が餅菓子を入れた重箱を持ってきたと思ったらそれは隣家から消えたものだったり、
と、訳わからなくてなんの意味も無いような妖怪が出没していて、ただの迷惑なヤツじゃないの〜、と、なんともほのぼのと笑えました。(女の生首が逆さになって出てきたり、とか、おどろおどろしいのもありますが。)
平太郎本人も、串刺しの首が飛び回った時には、「おもしろかったけれども、うるさかった」だなんて言ってるし。
最後には魔王が出てきて、「そなたほどの勇者は滅多にいない」なんてお褒めの言葉までもらってしまっています。
平田篤胤が情熱を傾けて研究をしたという、なんだかすごい実録(!)です。
58 :
吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 06:33:25
文芸誌にも書けばいい
59 :
吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 17:09:41
若島が毎日に書評かいてるね
60 :
吾輩は名無しである:2006/04/03(月) 13:47:14
近年まれな刺激的な作品っていってるね
書評の紋切型だね。
62 :
吾輩は名無しである:2006/04/03(月) 15:20:53
いい書評だったよ
63 :
吾輩は名無しである:2006/04/04(火) 06:33:15
書評けっこうでてるよね
64 :
吾輩は名無しである:2006/04/04(火) 16:11:05
入社早々上司に気合いを見せようと、早速1本企画書を書くべく(面白ければね)、
あんまり名前を聞いたことがない、この「稲生平太郎」という人の本を
先日、購入。
さっき勢いで一気読みしました。
だって訳分かんないから、読んでればそのうち分かるかも、と思って。
でもよく分かんなかった・・・。
はぁ。
いや、出だしは普通のミステリーなんだけど、だんだん幻想小説チックに
なっていって、収拾つかないまま終わっちゃうのよ。
お願いだから誰か今すぐ読んで、私に解説してください(笑)!
気持ち悪いの。消化不良で。
確かに私の頭は少し弱いんです。
それにしてもあまりにも分からなすぎたんで、混乱気味です。
助けてほしいっ
65 :
吾輩は名無しである:2006/04/05(水) 10:41:29
よくこれを選んだね
66 :
吾輩は名無しである:2006/04/06(木) 07:13:36
67 :
吾輩は名無しである:2006/04/06(木) 18:48:00
最近出版された『アムネジア』の作者稲生平太郎がえらく前に書いた作品。
『アムネジア』を買ってみようかとも思ったけれど、いきなり知らない作家の単行
本を買うのも怖いので、取り合えず文庫で安く出ているやつから読んでみてそれか
ら決めよう、という長々とした打算のもとに読んでみました。
『MMR』や『ムー』的な匂いを感じる作品でした。
アナグラム、コックリさん、金星人、新興宗教などなど妖しげなガジェットに、
不思議な事・不可解な事をキバヤシ式アクロバット思考でそれらガジェットに繋
げていく主人公。そして、その論理に従って進んでいくストーリー。読んでる僕
はもう「な、なんだってー!!!」の連続です。
しかし、この『ムー』的なミステリアスさというのは、江戸川乱歩やら横溝正史
などの探偵小説の持つ妖しさ・怖さとは少し違う感じがあって面白いです。
そういう空気を感じるにはいい作品かもしれません。
『アムネジア』も買いに行こうかな。
68 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 07:28:24
KADOKAWAホラーにいれればよかったのに
69 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 23:15:17
いずれはいると予想
70 :
吾輩は名無しである:2006/04/08(土) 19:00:50
なぜにスニーカー文庫なのか?
71 :
吾輩は名無しである:2006/04/09(日) 15:27:30
みつからないけど?
72 :
吾輩は名無しである:2006/04/10(月) 06:48:52
はじめのうちこそノワールみたいでまともだったのだけれど、だんだん気持
ち悪くなってくる。幻想的、とか、酔う、とかを通り越して気持ち悪い。いや〜
山尾悠子を初めて読んだときもそうだったけど、感動した、とか、怖かった、と
かいう自分がこれまで経験した感覚では処理しきれない感覚を覚えて、すごく居
心地が悪いんだけど病みつきになる、という読後感をひさしぶりに味わいました
。
すべては妄想だった、で片づけるのが一番すっきりするし、安心できるんだけどなぁ
まとめて宣伝スレ そのC
74 :
吾輩は名無しである:2006/04/11(火) 07:40:19
■[本]推薦図書 16:16
中谷美紀『ないものねだり』
川上弘美『此処彼処』
稲生平太郎『アムネジア』
まとめて宣伝スレ そのC
76 :
吾輩は名無しである:2006/04/11(火) 21:20:23
幻想的なモチーフが、現実の薄暗い、
暴力的な世界と結びついていく過程に驚かされながら一日で読破してしまいました。
正直に言ってすぱん!とすべての謎を解決できるミステリが好きな人にはお奨めできませんが、
読後に残る不安感やぼおっと浸ってしまうような余韻。そして細部のディテールに宿る不気味さと怖さは他に類を見ません!
そしてその不明瞭さが、読み手と主人公の共感の度をより強めています。
正統派の幻想小説(おかしな表現ですが・・・)を求めている方には、是非てに取ってほしい一冊です。
77 :
吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 12:49:59
谷崎は『細雪』は好きで、何回も読み返しましたね。昔から思ってるんだけど、
ジェーン・オースティンを日本でやってみようとしたんだと思うんだよ。いわゆる
イギリスのノヴェル・オブ・マナーズというオースティンみたいなタイプを絶対
日本で自分がやってやろうという意識が強かったんだと思う。そのへんはすごく意
識的な小説という気がしましたね。それ以外にあの作品は読みようがない。たぶ
ん戦前の蘆屋というのを谷崎は発見して、ここでだったらオースティンの世界を
日本化できるという確信を持ったと思うんですよ。谷崎は戦中にそこで一発勝負
をかけたという気がしますね。戦前の蘆屋というのは大阪の裕福な人々が別荘、
別宅を持っていた別荘地。だから隠居地でもあるわけね、成功した人が引っ込む
ような
78 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 08:31:39
英文学も日本文学もよく読んでいるようだね
まとめて宣伝自演スレ そのC
80 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 08:04:09
『アクアリウムの夜』稲生 平太郎
僕と高橋が見たのは、その水族館にあるはずのない、地下への階段だった。霊界ラジオから聴こえてくる謎めいたメッセージに導かれ、僕たちは現実と異界との間をさ迷い始める……。青春ホラー・ノベルの傑作登場!
怖いよ?という評判を聞いていたのですが、事件の謎もさながら、文章の味が良かったのです。短いですし、余分なものはないし。
高校生の頃に読むのがお勧めだと後書きにありましたが、そんな若い頃に読んでたら…(苦笑)。
まとめて宣伝自演スレ そのC
82 :
吾輩は名無しである:2006/04/15(土) 22:24:55
薄暗い水族館の中、水槽の青い光を受けて物憂げに佇む少年。
そんな表紙を気に入ってジャケ買いしてしまいましたが、大変面白かったです。
少年少女たちの穏やかな青春、その日々に暗い影を落とし始めるこっくりさん、ラ
ジオのノイズから聞こえる呼び声、水族館の地下への階段。
ありふれたモチーフのようにも思えるけど、物語全体に漂うノスタルジックな雰
囲気によって、むしろ在りし日の良質な青春ホラーを思い起こさせてくれる魅力
があります(この小説自体、結構前に書かれた物らしいですが)。そして、断片
的に真相が見え隠れするものの解かれないまま姿を消す謎と、取り残される主人
公の少年。謎が解かれずに終わるといっても不満を残すような終わり方ではなく
、やるせない喪失感が後を引いてとても印象に残る結末です。
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84 :
吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 10:22:50
このミススレでランキング入りするだろうって予想されてるよ
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86 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 13:49:43
『アムネジア』稲生平太郎2006/04/14 02:00:45 どうせ内輪ボメだろうと思っ
て(失礼!)さほど期待しないで読んだら、面白かったので感想を記す。なおこ
れは書評ではなくとりとめない感想である。
主人公は小さな出版社に勤務している。制作を依頼されていた社史の中の人物
が死亡したことが気になり、調べているうちにその人物は怪しげな闇金融にかか
わっていることがわかった・・・と書くと裏社会を描いた風俗小説のようである
が、さにあらず。大阪を舞台に猥雑な現実を描いていながら、無色透明な文章に
はまるで猥雑さがない。
87 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 13:50:33
この作品から立ちのぼってくる不気味さは、現実の得体の知れなさだ。人間社会
は約束事で成り立っている。それはすなわち虚構である。虚構でありながら、そ
の結構を堅固であると錯覚しながら生きているのが人間だ。‘もしかしたら私の
ほんとうの出自は遙かな異星かもしれない。次元の異なる天界かもしれない’時
としてそんなファンタジーが執拗に沸き上がってくるのも人間である。でも考え
てみればほんとうの出自なんてどこにもないのかもしれない。それが耐えられな
いから人間は神話やイデオロギーを構築する。
この作品では都市の闇が描かれているが、それもまた人間存在の根底のなさを
表すようだ。金融ブローカーの倉田が同伴した女性の常軌を逸した風体は現実に
はおよそあり得ないように思えるが、都会には得体の知れない人間がいくらでも
棲息している。このくだりを読んで、私は以前山手線の中で目撃したカップルの
ことをふと思い出した。赤い風船を持って幼い装りをした二十代の女と中年にさ
しかかった男の二人連れ。女の格好はいわゆるロリータ・ファッションではなく
、衿の丸い白いブラウスにプリーツの吊りスカート。白いソックスに運動靴を履
いていた。スニーカーではなく昔の小学生が履いていたような運動靴だ。要する
に女は昔の小学生の女の子のような格好をしていた。そして全体に薄汚れていた
。完全に魂が抜けた木偶人形のような女を男が支えるようにして電車を降りてい
った。もしかしたら精神を病んだ女性とその庇護者だったかもしれない。でもあ
の二人は男女の関係にあると私は直観した。それがよけいにグロテスクに感じら
れた。むろん男が同時にパートナーであり庇護者であるということはありうるが
。あるいは頭の弱い商売女にそんな格好をさせている客かもしれない。このカッ
プルを見かけたのは深夜ではなかった。また二人は奇を衒っているようには見え
なかった。それが不気味だった・・・ああ脱線してしまった。とにかくこの作品
は虚構の突飛さではなく、現実の突飛さを感じさせると言いたかったのだ。
88 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 13:51:05
『アクアリウムの夜』を読んだ時、学者の書いた小説だなあと思った。こんな
にカタログみたいにネタを詰め込んで、職業作家ならこの材料で本を十冊書くだ
ろうにと思ったのだ。本書でもさまざまな仕掛けがされているが、それは隠し味
のように巧妙に施されている。そのガジェットをヒントに現実の裏に潜む壮大な
‘物語’を解読あるいは妄想するのもいい。
気づいてみれば、これ以上ない現実的な現実から主人公がいつの間にやら名状
しがたい幻想領域に踏み込んでいくリアルでファンタスティックな都市小説・・
・これは私の最も好む類の作品であった。
地上の生はアムネジアかもしれない。懐かしい故郷を忘れているのかもしれな
い。忘れ去ってしまったら故郷を失くしてしまうのかもしれない。もしかしたら
故郷なんて始めからないのかもしれない。でもそしたら幻想はどこから来るのだ
ろう。そんな存在の根底のなさに耐えるために人は物語を紡ぐのかもしれない
89 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 18:10:00
誰かひとりが宣伝してるのですか?
それなら逆効果ですよ。
いくらお書きになっても、
長くてくだらない書き込みを読む気はしないし、
ましてや、『アクアリウムの夜』を読む気になどなるわけない。
むしろ、こんな宣伝かきこまれても、
絶対読みたくない、と思うばかりです。
いくら宣伝しても、時間の無駄ですね。
90 :
吾輩は名無しである:2006/04/19(水) 14:06:40
>>89 読んだらいいじゃない
食わず嫌いはよくない
何もゲテモノ食うことはないでしょ。
腹こわすだけ。
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93 :
吾輩は名無しである:2006/04/20(木) 14:46:54
94 :
吾輩は名無しである:2006/04/20(木) 14:53:30
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ようやるw
97 :
吾輩は名無しである:2006/04/21(金) 09:14:47
粘着がいますね
age粘着がw ホンマようやるw
【このスレは板違いです】
--ここは文学についての話題を扱う、学問カテゴリーの掲示板です。
学問系でない作家や小説については【一般書籍】、
自作の小説等については【創作文芸】でお願いします。
また専用の板がある場合、スレ立てはそちらで行ってください。ーーーー
・SF・フアンタジー・ホラー板
http://book3.2ch.net/sf/
100 :
吾輩は名無しである:2006/04/22(土) 17:24:49
ミステリー板ではこの本がこのミスランキング入り確実だっていってるね
ミステリランクなんてどうでもいいです。
それにしても、何故そこまで宣伝するのですか?
どこがいいか、自分の言葉で語ってみてください。
大げさな言いまわしや、過剰な形容、
借り物の誉め言葉を読まされても
読む気になるわけありません。
102 :
吾輩は名無しである:2006/04/23(日) 14:30:49
読んでみて
横山茂雄は面白いが、こんな奴が宣伝してるのを見ると、
同じ読者であることが恥かしく、読みたくなくなるぢゃないか。
104 :
吾輩は名無しである:2006/04/24(月) 13:45:25
どれを読みました?
105 :
吾輩は名無しである:2006/04/25(火) 13:33:04
本日、稲生平太郎『何かが空を飛んでいる』を図書館で借りた。う〜ン、ウマイね、このひと。その正体は英文学者の横山茂雄さん、だったな、たしか
こんな奴が宣伝してるのを見ると、 同じ読者であることが恥かしく、読みたくなくなる。
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108 :
吾輩は名無しである:2006/04/26(水) 14:52:50
宣伝するなよ、ぼけ
110 :
吾輩は名無しである:2006/04/27(木) 11:04:05
じゃあ感想書けばいいんじゃない?
コピペは感想を書いたとは呼ばぬ。宣伝ウザい。
必死で宣伝してるやつ、気味悪いよ。
本人か?
歯の浮くような誉め言葉つらねて
恥ずかしくないのかな?
113 :
吾輩は名無しである:2006/04/29(土) 11:55:31
冷静な分析だと思うけどね
このスレ読んで
『アムネジア』読むのやめた。
>>113みたいな人が
糞本だと教えてくれたからさ。
115 :
吾輩は名無しである:2006/04/30(日) 07:33:49
書評 稲生平太郎「アムネジア」
『アクアリウムの夜』という小説がある。一九九〇年に水声社からこっそりと出た
当時はさほど評判になることもなく、知られざる傑作として一部の幻想小説愛好
家たちによって読まれただけのこの作品は、青春小説の枠組みでオカルト小説を
実現させるという斬新なものだった。それが後に角川スニーカー文庫として復刊
され、より広範な読者層を獲得したのは、実に喜ばしいことだと言わねばならない。
その伝説的な『アクアリウムの夜』の著者である稲生平太郎が、十五年ぶりに
書いた第二作が、ここで取り上げる『アムネジア』である。
語り手は、大阪のある編集プロダクションに勤める青年だ。その彼が、新聞で
かけた、なんということもない記事に妙なこだわりを覚えるところから、物語が
始動する。
酒に酔っぱらった老人が路上で死亡。しかしその老人は、戸籍上では数十年前
に死亡したことになっていた。語り手は、かつてある華僑系商社の社史を編集す
る仕事をしたときに、先方から渡された資料の中にその老人の名前を目にした記
憶があったのだ。
116 :
吾輩は名無しである:2006/04/30(日) 07:35:43
誰にたのまれたわけでもないのに、語り手はその老人の調査を始める。そして、
老人がかかわっていたらしいあやしげな闇金融の世界と、そこにうごめいている
謎めいた人物たちに接近していく。
『アクアリウムの夜』の読者なら、あれれと意外に思うかもしれない。これは
いかにも舞台となっている大阪にふさわしい、ドロドロした欲望の世界の話なの
だから。しかし、それが実は、異界へ参入するための巧妙な導入なのである。語
り手とともに、読者も知らず知らずのうちに、万華鏡をのぞきこんだような眩い
異界に吸い込まれてしまう。
そこで読者が出会うことになるものを、次に列挙してみよう。世の中を揺るが
す大発明となるはずの、秘密に包まれた機械。語り手が子供の頃に図書館から借
りて読みふけったことがあり、それを長いこと忘れていたのに、なぜか最近にな
って記憶に浮上してきた一冊の本の世界。昭和三十二年にある探偵小説雑誌に掲
載された、「記憶の書」と題する荒唐無稽な物語。昭和九年に満州で目撃された
、閃光をあげて墜落する未確認飛行物体……。
117 :
吾輩は名無しである:2006/04/30(日) 07:36:34
一見何の脈絡もなさそうなこうした突飛な事物の連なりが、語り手の目の前で不
思議な円環を形作っていく。そしてそれは、語り手がいる現実世界を浸食し、彼
の存在そのものまで不確かなものに変えてしまうのだ。
この小説を読み終えた読者の頭の中には、おそらくいくつもの疑問符が浮かん
でいることだろう。実を言えば、この評者もまったく同じである。ここには読者
全員を納得させ、安心させるような解決は、明示的には与えられていない。謎を
解く鍵はすべて暗示的に与えられているだけで、それがこの小説をミステリでは
なくはるかに幻想小説寄りのものにしている。おそらく作者の稲生平太郎は、一
応の整合的な解釈を用意しているのだろうが、読者は必ずしもその解釈にたどり
つくことを求められているわけではない。どこかに失われた「本当の物語」があ
り、その物語が自分の手につかめないというもどかしさ。むしろそうした感触を
実感することのほうが、解決を手に入れることよりも大切だ。
複雑な構成を持った実験的な幻想小説でありながら、器用な大阪弁もまじえ
てリーダビリティも高いこの『アムネジア』は、読者を必ず再読へと誘う、近来
稀な刺激に満ちた一冊である。
「1990年に」まで読んだ
露骨な宣伝に、読む気無くした。
誰が書いた書評か知らないけど
センスないよ。紋切り型もいいとこ。
>読者も知らず知らずのうちに、万華鏡をのぞきこんだような眩い
>異界に吸い込まれてしまう。
こんなくだらない比喩使ってんじゃねーよ。
恥ずかしくないのかな?
書評とか言いながら、前編、根拠をまともに提示しないで
誉めるのはやめろって。
テレホンショッピングで、わけわかんない品物を
絶賛してる司会者とおんなじ。
おまえの書いてるのは書評じゃなくて感想。
122 :
吾輩は名無しである:2006/05/02(火) 15:07:41
このスレの自演犯の主張=「ラノベのオカルトや幻想小説作家にも大学教授がいるのよー」w
一般書籍板かオカルト板かファンタジー板なら角川スニーカー文庫の読者も居て
孤独に自演しなくてもすむだろうに。補償行動てのは厄介なもんだなw
露骨な宣伝に、読む気無くした。
126 :
吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 00:07:45
>>115-
>>117 きもいんだよ、おまえ。
宣伝止めろ。
駄文さらすな。
127 :
吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 11:11:31
なぜそこまであせる?
>127
なぜそこまであせる?w
129 :
吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 17:33:34
>>123-124 ふーんw ここは
【ものすごい劣等感かかえたラノベ婆佐藤亜紀】が必死で建てて自演ageしてるスレ、
なのかw
131 :
吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 07:11:45
佐藤亜紀に粘着してる連中って何なの?
いろんなところに出てくるが
132 :
吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 10:19:50
「連中」じゃなく、すべてラノベ婆本人の自演。
134 :
吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 18:54:39
『アムネジア』/稲生平太郎
傑作
アムネジア[Amnesia]・・・記憶喪失、健忘症のこと
途中まではおもしろいって思ってたんだけど、だんだん時代があっちいったりこっちいったりで
混乱。
話の主人公自身がそういう生涯というか、何度もいろんな場所で生き直すというような
設定みたいなので(読み終わってもよくわかっていない・・)ややこしい。
コピペ集なら自分のメモ帳にでもやっとけ。
スレッドを私物化するな、うざったい奴め。
136 :
吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 23:16:12
稲生平太郎『アムネジア』
2chで宣伝されるもまるで読まれず。
注目されることなしに、
宣伝馬鹿とともにひっそりと消え去る。
137 :
吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 07:17:46
>>136 青木淳吾および糸山スレの自演を注意しなさい
138 :
吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 10:49:20
思緒雄二の『顔のない村』や『送り雛は瑠璃色の』などを思い起こさせる小説だっ
た。見えないところで何か不気味な、もの悲しいことが進行しているという感覚
と、語り手の記憶が信頼できなくなる状況がよく似ている。正直、一読しただけ
で評価することは躊躇われる。これもまた、何層にも重なり合った構造を持つ「
油断ならない」小説の類である。分析は他の人に任せておこうと思うが、ただ読
んでいるだけでも、物語がゆっくりと昏迷に陥ってゆく不安な感覚は楽しむこと
ができた。個人的にはむしろ著者への興味が強くなったので、『アクアリウムの
夜』と、ノンフィクション方面の著作も探してみようと思う。
140 :
吾輩は名無しである:2006/05/10(水) 17:05:38
学者としてもすごいんだな
>>141 それだけでは甘いと思われw
130 :吾輩は名無しである :2006/05/03(水) 17:57:15
>>123-124 ふーんw ここは
【ものすごい劣等感かかえたラノベ婆佐藤亜紀】が必死で建てて自演ageしてるスレ、
なのかw
143 :
吾輩は名無しである:2006/05/12(金) 20:02:06
144 :
吾輩は名無しである:2006/05/15(月) 07:04:26
「アクアリウムの夜」稲生平太郎 角川スニーカー文庫
高校生の恐怖の一年間を描くホラー小説。
(あらすじ)広田義夫はある日、親友の高橋に誘われ野外劇場で行われる見世物、
<カメラ・オブスキュラ>を見に行った。小さなテントの中、そこに映し出された
のは近所の水族館。だがその映像には、本来あるはずのない地下への階段が映って
いた。錯覚だと言う広田に対し、高橋は階段の存在に執着する。そこで、広田の恋
人・良子の提案でこっくりさんを試した3人だが、現れたメッセージは「チカニハ
イルナタレカヒトリハシヌ」というものだった…。
(感想)怪しい見世物、こっくりさん、霊界ラジオなど、恐怖と興味をひきつけ
るパーツがたくさん出てくるのですが、それらの謎が最後まで解明されず、曖昧
なまま終わるので、やや肩透かしを食らった感じがします。ホラーなので、理論
的な結末を望んだわけではないですが、もう少し個々の現象に繋がりが欲しかっ
たかなぁ、と。明かさないからこそ怖いという部分も確かにありますが。
物語全体に流れる、物憂げでノスタルジックな雰囲気は良かったです
147 :
吾輩は名無しである:2006/05/17(水) 19:32:50
148 :
吾輩は名無しである:2006/05/19(金) 19:10:45
このミス1位になってほしいね
こんな駄作は圏外。
150 :
吾輩は名無しである:2006/05/21(日) 12:16:55
絶対入れろ
それだけの作品だ
152 :
吾輩は名無しである:2006/05/23(火) 08:26:01
入っていい
赤川次郎か西村京太郎のほうが
まだまし。
154 :
吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 16:51:49
入ってくるでしょうね
>>148 >130 :吾輩は名無しである :2006/05/03(水) 17:57:15
>ふーんw ここは
>【ものすごい劣等感かかえたラノベ婆佐藤亜紀】が必死で建てて自演ageしてるスレ、
>なのかw
156 :
吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 12:29:01
誰だよ
君は?
157 :
吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 12:37:26
稲生平太郎?
読むに耐えないね。
159 :
吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 13:52:39
稲生平太郎?
だれよ、それ。
また妄想作家のすれ?
青山某とか石井某とか脳内作家のすればっかダナ、この板。
161 :
吾輩は名無しである:2006/05/26(金) 15:16:32
物語の始まりは、新聞の片隅に載ったある老人の路上死だった。
日常に溢れている死の一つに過ぎない死が、自分にとって特別なものになったのは、
戸籍上では既に数十年前に死亡していた人物だったことと、
徳部という老人の名に聞き覚えがあったこと。
ちょっとした気まぐれから徳部という人物に興味を抱き、身辺を探りだす主人公島津。
探り始める内に、不可解な事件に巻き込まれていく。
私にとって、無防備に無邪気に読んだことを、激しく激しく後悔した作品でした。
この作品、ミステリ仕掛けではあるものの、まごうかたなき幻想小説なのだ。
徳部という人物の謎を追うミステリ部分にばかり気をとられていた私は、
まさに「木を見て森を見ない」状態(汗)。
結末を予感させるピースがちゃんと物語にははめ込まれていたのに、
不可解だと心に留めながらも、さほど重要だとは思わなかったのが致命的。
バタバタと物語が収斂していく後半、やっと物語世界の全貌が明らかにされて
「えええええええええ?そうなってたの!」
ただ唖然呆然。
読み終えた直後は頭の中で整理がつかず、パニック状態に(汗)。
記憶の悪戯。「私」だと認識している「私」は、本当に「私」なのか。
「私」の存在のあやふやさ。自己存在の不安。
見慣れた現実が、じわじわ侵食された挙句に
まったく別の新しい姿へと変容する様子は、ただただ恐怖。
と同時に、夢の中の夢から覚めて、また別の夢に眠るかのような
不可思議な浮遊感と幻惑感をも味わいましたけど。
162 :
吾輩は名無しである:2006/05/26(金) 15:17:40
あまりにも緻密かつ繊細に織り上げられている作品なので、
もう一回、最初から丹念に読んでみたい誘惑に駆られます。
初読の時は、筋を追うのだけで精一杯。
体の中から湧き上がってくる熱い衝動に身を委ねながら
作品世界に耽溺することが残念ながらできなかったけれど、
筋を追う必要がない2回目以降の読書ならば、気持ち良く酔えそうです。
私にとってこの作品、遅効性の甘美なる毒なのかもしれません。
164 :
吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 17:01:23
どうしてだい?
166 :
吾輩は名無しである:2006/05/30(火) 07:14:16
そうか?
167 :
吾輩は名無しである:2006/05/30(火) 07:47:13
ガッコー どこ出るの
やっぱ ワセダ か
稲生平太郎?
読むに耐えないね。
170 :
吾輩は名無しである:2006/06/01(木) 12:13:27
読んだのか?
>>168 >130 :吾輩は名無しである :2006/05/03(水) 17:57:15
>ふーんw ここは
>【ものすごい劣等感かかえたラノベ婆佐藤亜紀】が必死で建てて自演ageしてるスレ、
>なのかw
荒らすなよ
稲生平太郎?
くだらん作家だね。
177 :
吾輩は名無しである:2006/06/05(月) 14:30:27
お前は読んだのか?
読まずに妬むな
『アムネジア』?
ゴミだな。
179 :
吾輩は名無しである:2006/06/05(月) 21:51:59
読むのが怖いそうです
結論――こんなもの読むより読むべきものはたくさんある。
くだらないものを歯の浮くような言葉で誉めそやす
スレは終わりにしましょう。
−−−−−−−−−−終了−−−−−−−−−−−−
181 :
吾輩は名無しである:2006/06/06(火) 11:11:30
怖いんだね
しつこく宣伝する異常者が、怖いよママン。
183 :
スレ立て依頼:2006/06/06(火) 11:21:04
スレタイ 涼宮ハルヒの憂鬱
テンプレ
史上最高の文学作品。死に途絶えていた日本近代文学の正統なる後継。
184 :
吾輩は名無しである:2006/06/06(火) 16:37:15
なに?
結論――こんなもの読むより読むべきものはたくさんある。
くだらないものを歯の浮くような言葉で誉めそやす
スレは終わりにしましょう。
−−−−−−−−−−終了−−−−−−−−−−−−
186 :
吾輩は名無しである:2006/06/07(水) 11:37:47
何がすきなの?
露骨な宣伝でないものが好き。
189 :
吾輩は名無しである:2006/06/09(金) 17:18:06
190 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 23:46:39
ハケーン
派遣はもういやづら・・・
192 :
吾輩は名無しである:2006/06/14(水) 13:34:41
ハケーン
193 :
吾輩は名無しである:2006/06/16(金) 17:43:21
昔読んでいた傑作幻想小説「アクアリウムの夜」の著者、稲生平太郎さんが15年ぶりに新刊を出したそうです。ミステリとは単に言いがたいのかもしれませんが。「メフィスト」や「ファウスト」という単語にビビっとくる方は是非読んでみて下さい。
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
196 :
吾輩は名無しである:2006/06/19(月) 21:19:52
本書は『アクアリウムの夜』から十五年ぶりとなる稲生平太郎の小説であり、
聞くところでは、幻想文学愛好家の注視を一身に集めた一冊なのだとか。
それで私も興味を惹かれて読んでみたのですが、読み終わると、複雑に絡み
合った小説内事実の整理がままならず、そのもやもや感が病みつきになるとい
う状態に陥り、続いて『アクアリウムの夜』も古本屋で探して買って一気に読
んでしまいました。
ここで『アムネジア』のほうを取り上げるのは、こちらのほうが新しいから
ということもありますが、経過した十五年の月日の成果なのか、『アムネジア
』のほうが『アクアリウム』よりも、メタ・フィクションの手法の導入など、
小説としての出来がいいと思ったからで、あるいはただに私の趣味かもしれま
せんが、『アクアリウム』も優れた幻想小説であることに異論ありませんが、
『アクアリウム』に於ける反復が最終的に閉じられた環の中に帰結するのに対
し、『アムネジア』のほうはもっと広がりのある世界を形作っていて、ハイデ
ガーの用語で言うところの世界内存在の世界内存在性を奔放に超出してしまう
ようなところがあり、幻想小説でもホラーでもミステリーでもない高度なとこ
ろに達している――私はこれを高度幻想小説と位置付けたい気がします――の
ではないかと思ったからでもあります。
197 :
吾輩は名無しである:2006/06/19(月) 21:20:44
というと難しいものなのかと思われるかもしれませんが、この小説は決して
難しいものではありません。一部のコアな読者にしか楽しめないという類のも
のでもありません。稲生平太郎氏の文章には妙な気取りや変な癖がなく、読み易
く、それに内容的にはとても物語的です。散りばめられた幽かな物語の断片を物
語的に再構成して楽しむことさえできれば、子供にでも読めます。
しかしまた、物語的であるということはこの小説の場合、物語そのものである
ということとは少し違い、よくよく考えさせられてしまうのですが、思うにこれ
は、物語について物語られた物語なのではないでしょうか。近年は「物語」にと
ってますます困難な時代であり、事実、「物語」への反対や否定を前面に押し出
した小説作品も多く存在しますが、稲生平太郎氏は、それとはまったく違ったア
プローチで物語の物語性に対峙し、それを撹拌しつつ、最終的に人間にとっての「
物語」の必然性を擁護しているような気がします。
198 :
吾輩は名無しである:2006/06/19(月) 21:21:37
帯にはこうあります。
<「すべてを覚えている」理絵はそういった。
でも、僕たちはすべてを覚えていることなどできない。
すべては消えていく、堕ちていく――
僕が巻き込まれた、数千億もの金が動くという闇金融の世界。その暗がりから朧に
立ち現れてくる、チョコレート・ケーキ、かみのけ座、殺人、奇妙な機械…… 触
れてはいけないものによって優しく、そして残酷に侵食されてゆく現実の中で、僕
がついに見いだす“本当の物語”とは?>
<思い出すんだ。失くしてしまった「本当の物語」を>
果たして“本当の物語”とは何なのか? そしてまた、私たちはついに“本当の物
語”を見いだすことができるのか?
物語をこよなく愛する物語派の方にも、最早物語を必要としなくなったアンチ物
語派の方にも、あるいはその両端の狭間を彷徨いながら両端を同時に望もうとする
欲深な方にも、一読をお勧めしたい一冊です。
\
\(⌒-⌒)
(・(ェ,,)・ ) < そんな肉で俺様がクマー!!
`つ `つ (´⌒(´
ゝ_つ_`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
(´⌒(´⌒;;
>>196-
>>198 つまらなそうだね。
読もうかと思ってたけど
これ読んでやめたよ。
とりあえず山崎パンでも貼っとこう・・・
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 稲生平太郎
才能ないよ。
応援しても無駄。
>684 :604:2006/06/20(火) 22:15:17
>
>>671 >Joseph Roth は散文の名手。フローベールにも喩えられるほどで
>原作は、佐藤亜紀の悪文*とは似ても似つかない。<*『バルタザールの遍歴』
>佐藤亜紀がヨーゼフ・ロートから盗んだのは、文体ではなく、
>>634の言う通り
>物語を支える時代背景と雰囲気、ナチス台頭前後のウィーンの光景等々…だ。
>自らその中を生き延び国境を越えて放浪したヨーゼフ・ロート自身が書いたものの
>パクリ…なるほど、道理で歴史的跡づけと時代相だけは巧みに描かれていた。<*
>一肉体の双子という設定は、萩尾望都の漫画からか。
>貴族の家門にまつわる諸々と遍歴の細部、そして章立ての手法は、
>イーヴリン・ウォー『ブライヅヘッドふたたび』から仕入れて盗んだ知識か。
>ならば、佐藤自身の手になるのはただ、女性下着のフリルやレースめいたチマチマ飾りと
>下手なユーモアもどきのみ。…得体の知れなさの正体は「盗作」だったか…呆れたね。
(盗作追及スレ=
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1145418866/l50)
205 :
吾輩は名無しである:2006/06/22(木) 13:33:33
ファン多いね
206 :
吾輩は名無しである:2006/06/25(日) 23:21:18
僕もファンだよ
ファンが多い?
読書家にも知られていないし
ましてや、一般的には完全に無名。
このまま、埋もれて終わり。
稲生平太郎は始まらずして終わる。
|⊂⊃;,、
|・∀・) ダレモイナイ・・オドルナラ イマノウチ
|⊂ノ
|`J
♪ ,,;⊂⊃;,、
♪ (・∀・∩) カッパッパ♪
【( ⊃ #) ルンパッパ♪
し'し'
♪ ,,;⊂⊃;,、
♪ (∩・∀・) カッパキザクラ♪
(# ⊂ )】 カッパッパ♪
`J`J
♪ ,,;⊂⊃;,、
♪ (・∀・,,,) ポンピリピン♪
((⊂#((⊂)】 ノンジャッタ♪
し'し'
カパァー...
♪ ,,;⊂⊃;,、
♪ (,,,-∀-) チョーット♪
((と__つつ)) イーキモチー♪
209 :
吾輩は名無しである:2006/06/29(木) 15:42:04
天才って評判
馬鹿が、
凡才を天才と偽って宣伝しているスレですね
この本自体は悪い本じゃないと思うけど、
取り巻きというか信者が異常すぎるよ。I堂藍とか。
あれじゃ売れる本も売れないね。
212 :
吾輩は名無しである:2006/07/03(月) 21:11:30
石堂ってよくない?
>684 :604:2006/06/20(火) 22:15:17
>
>>671 >Joseph Roth は散文の名手。フローベールにも喩えられるほどで
>原作は、佐藤亜紀の悪文*とは似ても似つかない。<*『バルタザールの遍歴』
>佐藤亜紀がヨーゼフ・ロートから盗んだのは、文体ではなく、
>>634の言う通り
>物語を支える時代背景と雰囲気、ナチス台頭前後のウィーンの光景等々…だ。
>自らその中を生き延び国境を越えて放浪したヨーゼフ・ロート自身が書いたものの
>パクリ…なるほど、道理で歴史的跡づけと時代相だけは巧みに描かれていた。<*
>一肉体の双子という設定は、萩尾望都の漫画からか。
>貴族の家門にまつわる諸々と遍歴の細部、そして章立ての手法は、
>イーヴリン・ウォー『ブライヅヘッドふたたび』から仕入れて盗んだ知識か。
>ならば、佐藤自身の手になるのはただ、女性下着のフリルやレースめいたチマチマ飾りと
>下手なユーモアもどきのみ。…得体の知れなさの正体は「盗作」だったか…呆れたね
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
216 :
吾輩は名無しである:2006/07/06(木) 20:59:48
天才です
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
218 :
吾輩は名無しである:2006/07/09(日) 15:45:13
やめろ
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
220 :
吾輩は名無しである:2006/07/11(火) 23:29:38
いいね
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
222 :
吾輩は名無しである:2006/07/18(火) 12:37:02
やめろって
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
224 :
吾輩は名無しである:2006/07/23(日) 13:03:38
もっと語れ
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
226 :
吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 15:56:20
あげていいの?
227 :
吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 16:16:47
宮崎何がしかのような
朝鮮にへつらった嫌がらせ工作を下敷きにしたら
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
229 :
吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 12:24:49
あげろ
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
231 :
吾輩は名無しである:2006/08/05(土) 06:58:34
もりあげろ
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
233 :
吾輩は名無しである:2006/08/09(水) 21:04:55
もりあげろ
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
235 :
吾輩は名無しである:2006/08/15(火) 06:57:00
話題だせ
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
237 :
吾輩は名無しである:2006/08/20(日) 12:03:24
やめろ
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
239 :
吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 19:52:01
話題を出せ
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
241 :
吾輩は名無しである:2006/09/02(土) 12:42:05
話題ない?
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
243 :
吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 21:10:05
話題
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
245 :
吾輩は名無しである:2006/09/23(土) 14:05:59
必要
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
247 :
吾輩は名無しである:2006/10/03(火) 20:03:52
あれだけの傑作が忘れられるとは
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
オマエら二人で何いちゃついてるんだ?
250 :
吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 06:31:29
あの傑作がなぜ話題にならないのだ
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
252 :
吾輩は名無しである:2007/01/09(火) 07:18:14
まだ生き残ってたのか
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
254 :
吾輩は名無しである:2007/01/09(火) 11:14:53
お前いつもいるのか
愛だよ、愛。
256 :
名無しは無慈悲な夜の女王:2007/01/21(日) 21:31:16
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
258 :
吾輩は名無しである:2007/02/26(月) 20:33:06
アクアリウムの夜
せつねえなあ
ところで オブ スキュラ じゃなくて オブスキュリアだったんだな
名古屋ではオブスキュリャアというらしい。
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
261 :
吾輩は名無しである:2007/03/02(金) 06:23:08
粘着
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――
263 :
吾輩は名無しである:2007/05/04(金) 18:00:06
天才です
三文作家の三文小説を
馬鹿が宣伝するスレは不要につき終了
――――――――――――――了――――――――――――――――――