1 :
吾輩は名無しである:
って、何をする学問なの?英語の勉強以外に。
教えてください……。
そもそも「異文化間」なんて訳、だれが付けたの?
この果てしなき大宇宙に存在するであろう異星人どもの文化を探究する。
名付け親はO大のカール・J・リャサイムスキー教授さ。
英語は授業がすべて英語だから、その道具として使うだけさ。
3 :
1:2006/03/16(木) 18:37:15
>>2 レスどうも。
「リャサイムスキー」でググッても何も出てきません。
アルファベットでお願いできますか?
4 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 18:51:26
文化の翻訳ですね
政治家などの実務家のための修養講座です
それ以前は人類学的知識がそれを担っていました
上智大学などでこの軽薄な分野を専攻することができます
5 :
1:2006/03/16(木) 19:08:06
何かディシプリンみたいなもの、あるんですか?
?異文化間コミュニケーションを実践してみせるスレ?
つまりだ、「国際化」「異文化」とかの冠商法なだけで、中身はからっぽ。
何となく時代にマッチした勉強をしている雰囲気にだけはさせてくれる。
留学したはいいが、ちょっと口語を覚えただけで得意になり、
英語漬けの気分に浸っているだけで、じつは何の実力も身についていない、
あのなんちゃって留学と同じさ。
Globalismというのは結局、資本主義の肯定によって
市場中心経済が全世界規模で展開したとき必然に起こる、
各国間の等値化なんだと思います。
つまり
business menは「市場機構だけ」を運営の対象にしますから、国の別というのは殆ど意味を為さなくなるわけでしょう。
そういう国際情勢に対応した学習planとして、
『異文化を学ぶ』という概念が発生してきたんだと思いますよ。
だから例えば
職業であれ私用であれ、人間関係も色んな国や立場を持った人達と混じり合ってやってくような事態に
今後、普通の人ですら相当に出くわすようになるかも知れませんよね。
そのとき、「私は何者。あなたはダレ」といういわゆるidentityを必ずや問われるわけです。
つまり生まれもった文化が。
道で突然会った外人にいきなり知らないコトバで話しかけられても安心する人はいない様に、
誰だって、初対面した相手が何者かを知りたがります。
自分や他人の文化をキチンと学んでいないと、人間関係に正しい判断ができなくなるかも知れない。
日本人がヨーロッパに旅行して、
いつものように体を流そうとbath roomを水浸しにして迷惑をかけたり、
或いは韓国人が日本に来て、茶碗を手に持って食べるのを見て日本人は礼儀知らずだと思い込むような
「文化摩擦」は、幾らでも世界中で起こってきています。
我々は日本人としての自信を全うする為に、
相手が抱えて来た生活を成り立ちをpositiveに理解し、それに共感したり反感を持ったりして
ますます自分とは何者なのかを自覚する時代に置かれているのです。
そして世界中みんなが仲良くできるように最大限に努力を尽くさなければなりません。
何しろ地球は狭いせまいたった一機の宇宙船でしかありませんゆえw
10 :
1:2006/03/16(木) 21:58:20
>>8 なるほど。
でも当のアメリカ人、
英語以外は言葉じゃないと思ってるとこありません?
それでいったいどうしたいのかと。
という前置きを経てw
僕がこの機会にちょっとヒトコト言いたいのですが
日本人ってすぐ「すみません」って言いますよね。
電車で相手をちょっとよけて通るにもすみません。上司に後ろから話しかけるにもすみません。
何がスマナイのかぜんぜん分からないのですがwww
英語にするとexcuse meとかI'm sorryとかtake it easyとかの類似の曖昧な意味です。
というか、すみませんは本来、“sumi-ma-sen”としか翻訳できないものなんですよ。
僕もある外国人の方から頼まれたちょっとした仕事を他人に任せる際おもわず
スミマセンね、と言いたいから“I'm sorry”と言っちゃったら訳わからんという感じでしたねw
そりゃあそうですよ。何も悪いことしてないのにどうして自分から謝るのか意味不明ですからw
けど僕は、日本人は結構そういう風に対外的には謙虚な姿勢で良いと思うんですよ。
何も悪くないのに悪うございましたと言いたくなるくらいに謙虚でw
けど勿論、海外ではあまり下手に謝らないほうがいいんですけどね。自白した悪者扱いされますからw
時と場合を使い分けて、すみませんに代わるコトバをその度に見つけなければなりません。
日本人の心として、相手を無意識に思いやる「すみません」の精神は大切なものだと僕は思うんです。
>>10 それは非常にありますねwww
『ローマではローマ人らしくしろ』といわゆる郷に入りては郷に従えの意味の諺もありますが、
全然お構いなしの趣ですよねw
日本だろうがどこだろうが平気で英語ですからw
それは僕の看る限り、実は中国人も同じなんですね。
彼らはきっと、自分の国が世界一だから他国もそれに習って当然と考えています。
まぁ僕はそれを観ていつもかわいそうだなぁと思っています。
何しろ、語学の機会を自ら失うだけでなく、
相手側のかけがえない文化をも見逃してしまう可能性があるからです。
下手くそでもいいから、相手の国のコトバで話そうとしている人を僕はやはり尊敬します。
「人の振り見て我が振り直せ」で、日本人はいつまでもそうありたいものです。
13 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 22:13:08
鈴木、おめえ、こんなとこで油売ってる場合いか。どうせまた省略されてんだっぺ。
それよりおめえの大好きなハルキはどうした?芥川賞の方でおなにーしとったやろうが。
早くスレッドとか言う奴、おっ立てんかい。
日本人には下品な人がいますねw
こういう方を昔はえた・非人とか言って蔑んだものでした。
けど人権思想が入ってきてから、それはinhumanなものとして上手く機能しなくなりました。
アインシュタインが日本に来たときは駕籠屋に乗るのも拒否したそうです。
彼はユダヤ人として、被差別側への思いやりに関して人一倍敏感だったのかもしれません。
けど僕はアインシュタインのようなお人好しではありませんから、
>>13こういう下劣な民を呼んで
『馬鹿』と言っていますwww
こないだアフリカからやって来た環境問題の大家の女性が、
日本には何て素晴らしいコトバがあるのかしら!私は感動したワ。
「勿体ない」をこれから私の国でも世界中でも流行らせていきたいデス。
と曰ってらっしゃいましたね。
ほぅ、そんなもんかと僕も感心しましたがw
まぁなんとなくビンボーくさいから、
当の日本人にとってはamericanizeの過程でいくらか賤しめていたコトバだったろうと思います。
けど環境問題は大抵、《勿体なくなんかない精神》が原因なんスよねww
事実Americaでもトヨタのプリウスという電気エンジン搭載の自動車が、
celeb達のstatueになっているらしいのをどっからか聞きました。
最先端の環境問題への高い意識を持てる「ゆとり」を、egoばかりの大衆へ見せびらかす為だそうです。
日本人からしたらハンカチで鼻をかむような『勿体ない精神』が第一なんですがwww
ま
こういうのが異文化間communicationのおかしみなんだと思いますよ。
21世紀は楽しいですね──少なくとも、そうしたいものでしょ。
訂正
statue→status(ステータス、階級指標)
17 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 22:47:18
無理するから。。
世界文学も一種の異文化communicationだと思いますけどね。
いや、鈴木のスレを読むと異文化コミュニケーションを
体感できるよ。ほんと。出張お疲れさん。
2chスレのカテゴライズも、そろそろ板からタグに変更したほうがいいな。