『夏の花』の原民喜についてのスレッドです。
すみません、出来心です。立て逃げしますっ
2 :
吾輩は名無しである:2006/03/13(月) 04:12:27
これはまたコアな…
3 :
吾輩は名無しである:2006/03/13(月) 04:34:48
レスが付いてたので、思わずオナラをしちゃいました。
4 :
吾輩は名無しである:2006/03/13(月) 08:32:08
おおおお
一応、出てるモノは目ぇ通したけど、なんかサビしい人だよねぇ。
文体も、境遇も、末路も、死後も(詩碑ぶっこわされたり)。
奥さんが亡くなって、やっぱガックリ来たのかねぇ。カワイソス。
ーーーー中央線で死んだって、聖者にはなれないのにねぇ。
キモイからVIPの文体でマジレスするなって。
十代の頃に『夏の花』読んだことあるだけ。
読むには早かったかも知るらん。
7 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 22:04:52
遠藤周作にずいぶん虐められたらしいね
8 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 22:50:31
原爆という悲惨な体験を書いてるんだけど、汚くないというか、むしろ神経症的な美しさという印象すら受けた
9 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 15:49:21
10 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 16:22:45
>>7 遠藤さんは自らの包茎手術痕をひとに見られるのを尋常ではないほどいやがっていた。
それが遠藤周作のイジメ疑惑に対する回答です。
きみの言うのが本当ならソースのひとつでも示してみなさい。ほら、できない。
11 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 19:23:47
ださい
12 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 20:57:23
遠藤氏と原氏は仲良かったんだよ
こいつのために、何人の人が迷惑したんだろう
微妙な展開になって来たぞ・・・。
さすがに下半身問題で検索する気にゃならんな・・・。
長髪をうしろに垂らし、アブダラという高級煙草を吸い(当時五十本入四円
五十銭)ヴェルレーヌが愛したアブサンを銀座に出て飲むというような、他愛
ないダンディズムを彼も持っていた。予科一年のとき、六本木の会場で開かれた
クラス会に、一人一人自己紹介的なことを述べたとき、彼は立ってただ一こと
「私はコスモポリタンです」と言ったことも、忘れることが出来ない。
ふーん・・・
16 :
吾輩は名無しである:2006/03/17(金) 06:37:51
随分前に死んだ作家なのにいきなりアンチレスがつくとは
17 :
五木元太郎:2006/03/17(金) 08:43:39
このスレでは結構苛められているけど、
原民喜の文章は日本の作家の中でも、
有数の美しさだと思うね。
中央線沿線住人の私から見たら、とうてい許せる存在ではありませんね。
19 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 14:03:29
良く分からん。何が言いたい?
20 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 14:11:16
中央線沿線住人の私から見たら、とうてい許せる存在ではありませんね。
21 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 15:36:43
さっぱり分からん。
文庫で出ているのは読んだけど、
なんか、心理的に共感できる部分が多くて、痛々しく
読むのが辛かったな。
しかし、中央線で死ぬ奴は何なんだろうね(w
樹海行け!樹海!!人様に迷惑かけるな!!
おかげで中央線沿線は、引っ越しリストからいつも外してる。
鉄道自殺したという点については、まあ、弁護できませんな。
24 :
吾輩は名無しである:2006/03/21(火) 08:34:35
なんで?
26 :
吾輩は名無しである:2006/03/21(火) 11:24:54
27 :
吾輩は名無しである:2006/03/21(火) 11:37:27
はい、バカです。
当然、バカです。
心底、バカです。
超弩級ハイパー・ゴールデン・デリシャス・ストロング・三つ星・アナルホール・マイナー作家
だと思っていたら、けっこー反応があるのね。びっ栗&リス。
狂おしいほど、バカです
遠藤周作+包茎で検索すると、馬鹿みたいにヒットするな。
原民喜って、成人してからの肖像写真少ないよね。
文庫に載っているのも子供の頃の写真ばかりで
グーグルのイメージでも一つしかヒットしない。
あれだけなのかな?
34 :
吾輩は名無しである:2006/03/23(木) 05:25:05
原さんは「寡黙な作家」ということになつているが、恐らく、いままで類が
ないほどの無口である。無口というより、もはや失語症と呼ぶ領域にはいつて
いるのかも知れない。(中略)私のイメーヂのなかに浮んでくる原民喜の前には、
誰も坐つていない。対座者がいない前に、原民喜はこころもち伏目になつて、
坐つているのである。こう云つたところで、その私の構図のなかに、小柄な
原民喜がたつた独りで坐つているという訳ではない。孤独は誰にもつきまとつ
ているのであるから、孤独については、また、別の構図が必要であろう。
私がここに想い浮べているのは、寡黙な原民喜の姿がひとりの対座者をも
持つていない、という印象である。そこには、輪をめぐらしたひとびとの
姿が現われてき、そして、そのひとびとの輪の一歩うしろに、こころもち
伏目になつた透明な原民喜が坐つているのである。
私の想い浮べる構図のなかで、原民喜に対座者がないということは、
その無口の性質を物語つているだろう。原民喜の無口は圧迫的でなく、
気づまりでない。そこにいるのが、透明な結晶体ででもあるように、
ひとびとの気にかからぬ静謐なかたちで、彼はひとびとの脇にひつそりと
坐つているのである。
35 :
吾輩は名無しである:2006/03/23(木) 20:38:17
バカは氏ねw なんを悔しがってるんだかw
37 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 01:25:40
38 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 01:38:52
はい、白痴です。
>32
このスレがトップってw