文学で死を超越することはできるのか

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52吾輩は名無しである:2006/07/02(日) 22:30:37
>>49
要するに死の超越=「気のせい」か。
53吾輩は名無しである:2006/07/02(日) 22:31:23
無神論者には自分を神だと思い込んでるただの勘違いが多い。
54吾輩は名無しである:2006/07/02(日) 22:39:31
死の超越のためには、絶対的に信じられる何かが不可欠。
それがたまたま神であれば救いは宗教という事になりある人はそれを蔑む。
55吾輩は名無しである:2006/07/02(日) 22:46:17
死を乗り越えられるものは何か。無いような気がする。
仕方が無いので笑ってしまう。それぐらいしか思いつかないなあ。
56吾輩は名無しである:2006/07/02(日) 22:54:54
勘違いした馬鹿の中にはたまに笑えるのがいる。
そういうのが同じような馬鹿を救ったりする。
笑えなくなったらお終いだけど。
57吾輩は名無しである:2006/07/03(月) 00:18:50
>>55
文学も芸術も哲学も科学も宗教も、たった一つその為の足掻きだよ。<自分の死を乗り超える

仕方がなくはない…というのが人間の「知」
直覚でもある。だから、「道」が求められ、
先行した先達たちによって指し示される。人間が人間である限り続く
58吾輩は名無しである:2006/07/04(火) 01:13:21
単なる娯楽に何を期待できるというの?馬鹿じゃない?

第一、文学をどうするの?読むの?書くの?研究するの?
それの何と、死はかかわると思っているの?

超越って?死の恐怖からの逃避?

ノータリンのタワゴトだね(笑


59吾輩は名無しである:2006/07/06(木) 03:51:14
>>53無神論者だが己を神と思ったことなんかないよw
だがマジそう思える椰子は幸せな希ガス…
60吾輩は名無しである:2006/07/06(木) 08:15:05
宗教ってのは個体の死を意味付けるものでしょ。(柄谷の受け売りだけど)

多くの人が信じる神を信じて生きれば、死んだ後も魂は誰かの中で生き続ける。
いつかは死ぬのに生きているという矛盾もなんとなく説明がつく。

人間はそういう意味の宗教なしには生きていけないと思う。

日本人の場合は神=世間でしょう。中庸思想って言うんですか?
欧米人は神に許しを乞うけど、日本人は世間様に許しを乞う。
何か知らんけど会見で頭下げる。欧米人から見ると理解し難いらしい。
61吾輩は名無しである:2006/07/06(木) 08:29:23
今まで守られ続けてきて、これからも守られ続けていく価値って何だろうね。
もしそんなもんがあるならそのために生きたいって思うけど。
でもそういうこと考えすぎると政治活動にハマったりするのかな。

文学の中に「永遠」はあるのかな?なんか文章が電波になってきたからやめますわ。
62吾輩は名無しである:2006/07/06(木) 09:53:25
>>60
前4行はなんとかなるけど、それ以降は×。
まだ受け売りだけにしといたがよさそう。
63吾輩は名無しである:2006/07/06(木) 20:01:16
どうせケチつけるなら具体的に論破してくれよヽ(`Д´)ノ
64吾輩は名無しである:2006/07/07(金) 02:00:50
>>63
世間=神、だと世間は万能?不死?救世主?⇒どれでもない。
信仰を持っていないがゆえの、適当なこじつけ。
中庸思想=(世間=神)?世間の考え方が「無難とかかたよっていない」?
世間とは、いいかげんな、むしろすべてに対して素人の集団だろう。
欧米人を基準に自国の文化の一つ(頭を下げること)が「何か知らん」というお前は
異邦人か?異文化からみて簡単に理解できない(それも疑問だ)のがどうだというのだ?
許しを乞う?キリスト教の根本は神との「契約」
などなど。上っ面のもんきり文字連糸。文学なんぞはやめてしまえ。
ってところでどうだろう(笑
65吾輩は名無しである:2006/07/07(金) 12:53:29
>>64
万能・不死・救世主ってのが「神」の条件だとは知らなかったw
俺がそういうレベルで考えてないことは読めばわかると思うんだけどな…
文学なんてやめてしまえとは言わないけど(笑)俺は文学なんてやってないよ。
あんな割に合わないことを高いレベルで継続している人達は尊敬するが。

ちなみに「世間は永遠だ」というのが信じられていたのはそう昔の話でない。
戦後知識人が否定したので今では曖昧になってしまったが、漠然と残っている。
少なくともマスコミ含めて大衆レベルでは残っている。もちろん俺は信じてないが、
未だに世間が「神」の如く畏れられている例として「謝罪」の話を出したまで。

神との契約とは神という「他者」を外部に置いて思考するという契約だろう?
それは神という存在に己の存在を超えた価値を認めるという点が重要なわけで、
べつに「万能」だの「救世主」ってのはその理由づけであって瑣末な事項に過ぎない。
上っ面でものごとを捉えているのは君と僕のどちらなのだろうか。
ってところでどうかな?(笑)
66吾輩は名無しである:2006/07/07(金) 15:54:31
>>65
おまえさんが信仰を持っていないのはわかるな。
信仰を持つと、仏教であれキリスト教であれ、世間は神ではありえないから。
殉教というのを知っている?これは世間が神ではないことを明示するもの。
レトリックの作文は別にかまわないけれど、間違っているし(分かる?
まあ、文学板で文学はやってない、と公言する人だからしょうがないか。
もんきりばっかりだし。

万能とか救世主ってのは、非常に大切な神仏の属性だよ、信仰者からみればね。
信仰も持たない人間とじゃ、深みのない話しかできないから、このへんで同意(笑
67ピッコロ大魔王:2006/08/06(日) 17:45:32
ハッハハハハハ!!私の名はピッコロ大魔王!
この世界の人間を皆殺しにして、死の世界に変えてやる…!
68吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 17:50:34
はい
69吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 17:51:10
なんだって?
70吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 17:51:43
季節虫
71吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 17:53:23
厨房でそ?
72吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 17:54:04
夏厨
73吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 17:54:43
哲学板から?
74吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 17:55:20
湧いてでる
75吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 17:56:11
>73
厨房板かヒッキー板から来たかも
76吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 17:57:55
はぁ〜
77吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 17:59:42
氏ね
78吾輩は名無しである:2006/11/18(土) 20:44:21
不毛な話題です
79吾輩は名無しである:2006/11/19(日) 12:26:49
>>1
そういうのは病気なんだから医者に行って適切な治療を受けてください。
貴方の調子の悪い精神をどこまで掘り下げても、宗教的哲学的文学的真理なんて見えてきません。

どんなに深刻に哲学思想をこねくって観念遊びをしたところで、
それだけでは「嘔吐」のようにはおかしくならない。

あれは嘘なんです。

サルトルはメスカリンでトリップ体験をしたときに「自明性の喪失」を味わい、
それを何か哲学的な真理に通じるものだと勘違いしちゃったんでしょう。

宗教的神秘体験と似たようなもんですな。

砂漠で遭難して半死半生意識朦朧になって悪魔や天使と問答しちゃったイエスや、
合法ドラッグで宇宙の真理を悟っちゃった「NHKにようこそ」と同じようなもんです。

人は哲学や思想では狂わない。
一方でちょっと薬物を入れれば割と簡単に調子悪くなるもんです。
麻薬である必要さえない。
俺なんかカフェイン錠剤飲みすぎて一時的な不安神経症っぽくなったことあるよ。
いや、その時は確かにすごい怖かったんだけどね。

貴方の心の中、貴方の実存のあり方に、世界の秘密なんて隠れてません。
それは全部貴方サイズの出来事、貴方の都合に収まる小さなこと、世界の広さを前にすれば、
吹けば飛ぶような砂粒に過ぎません。
80吾輩は名無しである:2006/11/19(日) 12:31:58
人間皆死ぬのだよ。
81吾輩は名無しである:2006/12/05(火) 03:28:38
だから超越する必要なんてないわけ

===終了===
82吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 02:43:06
文学茶釜
83セチガライ ◆SPj8OryZTM :2007/01/18(木) 18:14:05
アホスレ認定印 byセ チガライ
84吾輩は名無しである:2007/03/08(木) 09:58:45
欝病は創造活動に向かないのでは。
むしろ分裂病の方が関係がある気がする。
カフカとか。
85吾輩は名無しである:2007/03/08(木) 17:02:50
死の超越無理と見た   文学はもう二次使用しかなされんね
綿矢戦略狙うべし
まあ僕は美形じゃないけど
86吾輩は名無しである:2007/03/08(木) 19:50:56
>>1
は? 文学は表現芸術。超越できないからじたばたじたばた表現しようと苦闘するのじゃわ。

>>49
然り。
死の超越のためには修行しか道は無い。
修行の具体的方法は仏陀が詳述してくれている。
まずは世間から離れて独居し、先人が記した数多の哲学書宗教書&経典を読み
彼らの足跡と智慧を学べ。
簡素で清新な起居の内に
心身を調整し、しかる後に坐禅(=瞑想、静座、祈り)せよ。


87吾輩は名無しである:2007/03/27(火) 12:17:43
>>86
 先ず、修業に専念できる環境を整えるにも先立つ物が要る。
衣食総てを断てば、修業以前に即身仏だが
88吾輩は名無しである:2007/03/27(火) 17:43:58
>>87
愚かものめ
永平寺逝って修行僧になれ! とは言わんから

まずは居住区近くの禅寺を探し、一般人向け坐禅会があるかどうか訊け。
そして「暁天坐禅会」「週末坐禅会」等へ参加せよ。
少なくとも1〜3年は、黙って通い続けよ。
日常の起居一切が行禅となるその日まで、怠るな。


89吾輩は名無しである:2007/04/01(日) 07:59:42
>>88
そうすれば2ch狂いの愚衆も少しはましになれますか?
90吾輩は名無しである:2007/04/01(日) 08:58:27
>>1
できない。
91吾輩は名無しである:2007/04/01(日) 09:45:12
>>88
言うだけなら誰でもできる。
92はるか高み:2007/04/01(日) 14:55:23
文学で死は超越できるよ。
三島由紀夫スレも覗いてごらんよ。
そればかりか、はるか高みが誰も知らない様々なことを公表しているよ。
93はるか高み:2007/04/01(日) 15:13:37
私に着いてくれば死など簡単に超越できる。
94吾輩は名無しである:2007/04/01(日) 20:09:29
>>1 青臭い思春期の病気ってやつだな。
文学とは関係ない。
でも、よく分かるよ。
95吾輩は名無しである:2007/06/28(木) 15:02:24
三島由紀夫は超越した
96吾輩は名無しである:2007/06/28(木) 22:14:32
三島由紀夫は葉隠を文学の中に入れていた。(日本文学小史)
97吾輩は名無しである:2007/06/30(土) 11:43:24
どんな文豪も皆、最後は死んでるところをみると、
やはり文学で死を超越することは出来ないようだ。
98吾輩は名無しである:2007/07/01(日) 04:07:35
出来ない。文学であろうとなんであろうと死は超越出来ない。
99吾輩は名無しである:2007/09/10(月) 22:32:18
アートとは、それ自体が目的、それ自体が価値でありうるような、
他のナニモノに奉仕するためのものでもない、人類が何千年もの間
積み上げてきた偉大な「遊び」の体系です。

文学が現実に対して何か社会学や政治学や科学や医学や
ジャーナリズムや哲学に出来ないような、深い洞察や
思索をするのに向いているとは思えません。

文学は芸術の、つまり「遊び」の一形式であり、そういうものとして
技術的に探求すればよいだけで、それ以上の何かを期待するのは間違いです。
100吾輩は名無しである:2007/09/10(月) 22:41:42
できるわきゃねーが
時間の無駄
文学の敗北
101吾輩は名無しである
本当に明日死ぬと思ったら、そんなことは考えない。