文学部の人って理学部よりも世間知らずなんじゃ

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103名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/22(日) 23:40:02
>>100
直感に従って、「作者の人間像を理解する」という方向性しかないのでしょうか・・・
もっと機械的に、どの作者のどのような作品にでも見られるような普遍性、
のような物を文学作品の中に求めていくような方向じゃないんですね(´・ つ・)

>>101
それ絶叫系のイタズラflashですよね(#- -)

>>102
>数学が万人に理解可能っていうのはうそっぱち。
理由がわかりません。もちろん、全く数学教育を受けてこなかった人に
フェルマー予想の奥深さを教えることは不可能でしょうけれども、
数学に関するすべての用語や演算の定義や、論理の展開が「数学」の中で閉じている以上、
事実上、万人が、しかるべき手順を踏めば、理解できる物なのじゃないでしょうか。
104名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 00:07:06
個人的には数学や理論物理の先端って前衛芸術なんて比較にならないぐらい
発想とか論理展開の仕方が常人の想像力を飛び超えていると思う
>>103

確かに数学ってのは記号と論理と規則に還元できることになってるわけだけどさ。
それを理解することが「数学を理解する」ことになるわけ?サッカーのルール覚える
事と、サッカーを理解することは別なんじゃないの?
英米学科の学部生ごときがさも数学を
理解しているかのように語れるのが謎
107名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 01:48:18
>>104
それは否定しませんし、万人がそれをできるという主張をしているわけではありません。
例え数学の最先端で成果を上げられるのは一握りの天才だけであったとしても、
その他大勢も彼らの成果を享受することができるのではないか、ということに注目しています。

>>105
「数学」を使うことによって定義や推論・演繹における曖昧さは排除できますよね。
それによって、議論の構造、つまり前提としている事実や、それから結論に至るまでの推論が
何によって担保とされているのか、ということは明らかにされますよね。
誰であってもある数学の記号で表現された議論が与えられたときに、
それまでの知識を遡っていくことで、今までの知識とその議論がどのように繋がっているか
を把握できるということに議論に数学や数理論理学を採用する意味があるかと思いますが。

数学(サッカー)の美しさや、数学(サッカー)の楽しさや、数学(サッカー)
の奥深さを「理解」したことにはならない、という意味での「理解」でしたら仰る通りだと思います。

>>106
そうですね。学部1年生が習う程度の数学知識のことについて
語っていると思ってください。具体的には基礎解析、線形代数、
ベクトル解析、確率過程論、グラフ理論、大体ここら辺までと考えてください。
少なくとも工学や社会科学で使う程度の数学であれば、才能や価値観などを問わず
万人が理解できる、ということを言いたい訳です。そして数学を使って多くの数学者でない人が
有意な成果を上げていますよね。勘違いさせてしまって申し訳ありません。

まあ、着目しているのは議論の一意性や厳密性であって、この表現は
あーともこーとも取れるんじゃない?みたいなのが無いところがいいと。
結局私の学問に対する姿勢が「すべからく仮説演繹的であるべきだ」
なのでの中の「仮説」が反証可能な厳密な物であるかどうかということと同時に、
その「演繹」(つまり議論)というのが一義的で、その議論の正当性を確かめる
手段が用意されているかどうかっていう辺りを気にしてるんです。
変にヴェイユの小話に口を出してしまったことは迂闊でした。申し訳ありません。
108名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 02:21:17
例えば、ある公理系や論理規則が(考察対象とする現象に一致するように)与えられたとして、
それを認めるとすると、誤りのない数学的議論の結果として、ある結論Aを認めざる追えない。
ということが知られていたら、例えそれまでの議論をフォローしていなくても、
その結論Aの正しさを納得できますよね。というか納得せざる追えませんよね。

例えば、俺はプログラミングやってる人間なんで、あるアルゴリズムが正しいか
(つまり全ての考え得る入力に対して正しい解を与え、かつ計算が有限時間で停止するか)
を考えなきゃいけないことがあるわけですお。そのときに結局数学を使わなければ
まともな議論なんぞ望めないわけです(今まで経験的には大丈夫だったお^^じゃ困る)。
で、例えばネットワークの最短路を求めたり、平面性を判定する問題なんかは
そのネットワーク(のコンピューター上の表現)を数学的にはグラフ、という形で考えて、
コンピューターの処理をそのグラフ上での操作、と考えてその操作が有限ステップで
終了するかどうかと言うのを考えるわけです。例えば、ネットワークの最短路を
求める場合にはDijkstra法というのを使うんですが、そのアルゴリズムが正しいかどうかは
完全に数学的に証明されるんているんですが、このアルゴリズムをゼロから自分で証明するのは
僕みたいな凡人じゃ非常に困難です。ただ、こんな僕でもグラフ理論の基礎を履修して、
グラフをこのように定義すれば、どういった性質が自然と導き出されて、どういった定理が証明されて、
それを使えばDijkstraのアルゴリズムが正しいことがこうやって証明できます。
ぐらいまでは追えるわけです。それまでの議論で「グラフっていうけど、こうとも解釈できるんちゃう?」
みたいな話にはなりませんし、「なんとなく正しそうだけど、やっぱ信じられへんわー」みたいな
ことにもならずに済むわけですね。

結局は、物事を抽象化して考えるときに、数学を利用して議論を行えば、
少なくとも天才的な閃きや超人的な記憶力が無くても、ある程度までなら議論が正しいのかどうかぐらいは
解りますし、議論の正しさについて、わけのわからない禅問答する必要もなくてハッピーって(;´ω`)

元々発想が文系なんです、ごめんね。
109名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 02:32:45
あってか、別に数学について私みたいな文系が語ってもホントどうしようもないですね。

結局、文学というのが人間性を養う学問で自分自身への探求だ、
というのであれば、僕みたいなアホには到底無理だということで納得します。
何か馬鹿にでも習えば解るような統一的・機械的な思考方法があるんじゃないか、ということを内心
期待していたのですが、おそらくそれは文学とは逆の方向を向いてるような気がしてきました。

本当に学部選択を間違えました。
>何か馬鹿にでも習えば解るような統一的・機械的な思考方法があるんじゃないか、ということを内心
>期待していたのですが、おそらくそれは文学とは逆の方向を向いてるような気がしてきました。
詰め込み式教育の弊害だ、とでも言えばいいのだろうか。
論理的にだけ作品のテーマを抽出することはできるだろうね。
でもそれじゃ意味が無い。そのテーマに対してどう向き合い、どう咀嚼するか。
それが作品と読者の対話ということ。
文学や哲学における体系と言うのは参照するソースではなく体得して蓄えていくもの。
>>1
自然科学と人文科学では学問の対象や方法が異なるというだけのことだよ
その程度のことを理解できないのは理系とか文系とか関係なしに単に君の頭が悪いからだよ

別に君が学問としての文学に価値を見出さないのは勝手だけどね
そのことには何の意味もないし、誰も興味が無いんだ

それから二つの異なるものがあったときに一方が他方が持つ性質を
持たないからといってそれを認めないなどと言うのは極めて愚劣な行為だと俺は思うよ
112名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 08:17:08
>>110
結局、文学に十分興味を持っていて、自分からテクストの表現や作者の意図に対して
疑問を持って行けるようにならないと、文学を理解するためのスタート地点にすら立てないのかなあ・・・
なんというか、文学で重要視されているような部分を他の社会科学では抽象化のために切り捨てている希ガス。
まず大前提は万人が納得できるものにしよう、という立場にたって現象を抽象化する社会科学の方向性とぉ、
個々人の文学的感性に多く依存することのある文学の解釈のそれとは、着目する現象自体が大きく違うんでしょうね。多分。
まず、たくさん本を読んで、文学作品を読むことを好きになって、対象となる本を読んで、
作者の人生や他の作品について調べてみて、で自発的に共感や疑問が持てるようになれば
文学の講師や他の学生がやってるように、「ここのこの表現には、つまり〜〜〜〜という意味が込められている」
みたいなことが理解できていくんでしょうか。

>>111
人間二つ以上のことに同じだけコミットするのは不可能なんだから、
できるだけ少ないの方法論でより多くのことをカバーしたいというのは自然ですよね^−^
経済学のような社会科学ですら自然科学と同じような方法論を利用できるし、理論言語学も
かなりの部分自然科学のような体系化を図れるので人文科学もある程度以上可能なんじゃないの?
みたいな間違った予想から失敗が始まっていたんですが。

無理なものは無理でいいのよ、単に文学わからんなのに知らずに英米学科来ちゃった
(英米法とか社会システムとかばっかり習う物とばかり思ってた)けど出来るなら
文学の意味とか文学に対するアプローチとか、そこら辺を納得できる形で理解したいなって思ってただけあし。
・文学は芸術。わかんないの人はわかんなくてもよし。別に人生で困らない
もしくは
・文学は科学。ある一定の方法論にたどり着く。わかんないやつは知らないだけ。
のどちらかが文学人のコンセンサスだったらある意味すごい楽だったんですが。

ってかべつに自然科学と方法論が違うんだろーな、でも違くないでほしい、っていうのが出発点だし(・。・;)
113名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 18:29:24
どなたか文学の素晴らしさや文学部を卒業したことによって
得られた物などを熱く語ってくださいませんか。
今はやりの「バカの壁」ってやつだね。
何を言っても通じないという。
国内海外ともに、理系なのに文学にも入った作家はいるよね…今じぶんは医者をイメージしてるんだけどさ…
加賀乙彦とかハンス・カロッサとか
ゲーテは色彩論など科学的な論文も書いたっしょ?
石…あ、医師にならないまでも医学を学んで作家になった者だっている

また一方で、稀には世間知らずだから特異な文学ができるって場合もなきにしもあらずかと…
世間を知っていて それに同調できてしまうと文学ができなくなるような場合もありそうな希ガス…
色彩論は、物理学的にはトンデモなわけだが。
117名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 23:15:44
>>114
βαχαの壁みたいなことって別に養老氏が言い出したことじゃないんですけどね。てか、今さら馬鹿の壁なんて使う人いないし。
William.R.McDonoughの定義で言う、”データ”を、個々の人間が”情報”として認識
するためには、その人間にデータを解釈するだけの前提となる「知識」や、「問題意識」が
必要である、だからこそ従業員が経営者と共に「情報」を共有するためには、
単に「データ」としてそれを記した文章などを与えるだけでは足らず、与える「データ」を
個々の従業員が「情報」として認識するようにまず、予備知識や問題意識を共有させる必要がある
みたないなことは経営学などでは昔から言われてたことのはずです。
まぁ↑みたいなことは、科学としては似非ですけど訓辞としてはとても有意義ですよね。
##養老氏の著作は、自称インテリさんのプライドを煽って商売にしているような気が・・・
えっと、何が言いたいかというと、相手に本当に物事を理解してもらいたいのであれば、
単に事実や三段論法(古典論理)による説明を与えるだけでなく、自分の伝えたい概念を
理解するために必要な前提となる知識や、その概念を重要な物だとしてとらえてもらうために
必要な問題意識(その概念が”重要”であると判断されるような価値観)から先に伝えなければならない物だと思いますよ。
そういう、自分の主張を問題意識と共に伝えることには、むしろ文学作品こそ向いてる物だと思っていたのですが・・・
118名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 23:16:25
長さ規制かかったよ
>>114の続き
例えば、倫理的なお話(僕は「走れメロス」ぐらいしか知りませんが)も、単に
「友人との強い信頼関係を築くことは重要である。表面的な付き合いのみしかできない友人だけでは虚しいし、
 またいつか自分が本当に窮地に陥ったときでもお互い信頼し続け、助け合える友人を持つことは、
 そのような自体に陥ったときに、実質的な補助が受けられるだけでなく、心理的な支えとなってくれる〜ぶらぶらぶら」
みたいなことは、いくらその論理が合理的で正しく見えても、万人が簡単に納得できることじゃないよね。
それに、頭で納得してもその後の人生における教訓となるほどの印象を心に残しませんよね><;
文学はあえて「ストーリー」や「ドラマ」、「対話」、「回顧録」のような形式を取ることで、
その問題意識(価値観)と結論(情報)をまとめて人間の心に刻みつけられるんじゃないかな〜?みたいな
それが不朽の名作と呼ばれるような文学作品に共通した性質なんじゃないかと思ってみたり。
何の意味もない非科学的な妄想だけどね。作者はそんなこと考えてない、といわれればそれまでだし。
119名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 23:17:33
>>115
「科学的理性」と「文学的感性」(今適当に名付けましたが)が両立しないとは思いません。
国語力に乏しい僕が読める文学作品なんてそれこそタカがしれていますが、文学作品を読んで
自分が「メッセージ性」だと思ったことに共感したり、またそれの意味や意義を(頭で)理解できても
必ずしも共感できなかったときに、「じゃーなんで私はこの結末にたいして疑問を感じるの〜?」みたいに
私自身は自分のことを合理主義者だと思っていますが、自分自身の価値観や、
自分が無条件で「正しい」と認めてしまっているようなことと、その作品における結末が、なぜ、どのように、
異なるのか、みたいなことを考えさせてくれると思いますし、俺よりもっと、
なんていうのかな?合理主義で、実証主義的で、功利主義な人でも
文学作品の意義や存在価値を全否定することは無いんじゃないかとおもたり・・・・
実際「ブルバキ・クローン作戦」(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061542591/250-6683020-0136238)
みたいに、有名な(正統な実験科学の)科学者が最先端の科学的成果を題材としたような文学作品なんていくらでもありそうですし。

#ブルバキは、高校時代に数学セミナー誌上のブルバキの逸話とその時代の数学史に関する
#連載をずっと読んでて、マジ大好きなんですが?文学の人には評判悪いの?そうなの?

でも文学購読の講義は好きになれないのですよね。あんまり本読む機会とかないから。
本読む機会が無いから、文学の講義みたいにxxPyy行のzzzzzという表現は〜
みたいな読み方できないし、そういう読み方を面白いと思わないから、余計文学わからん&つまらん、になっていく
ブルバキより、カテゴリーセオリーのほうがウケがいいんじゃね。
121応用科学科:2006/01/24(火) 00:39:18
早い話、世間がわかんなかったら文学は理解出来ないよ。理学部行っても世間がわかるとは限らないよ。
第一、世間なんて大学で教わることじゃないじゃん。
従ってスレタイは不成立ってことでよろしいかな。
115だけど
『走れメロス』ならやむを得ないとも思うけど
『カラマーゾフ』などまで要約して納得ではありますまいな?
結論部分だけで足りるならそれこそ文学なんて無用の長物になっちまう…
そこに集められた文字の行列から生起するものの体系が個々の文学であって
内容に共感するにしろ反発するにしろ
そもそもの冒頭の一行目からが 個々の文学の命の強さ弱さや大きさを表す、地続きにして不可欠の部分であり、
本来不可分のものだと思うんよ?優劣を論ずるのはおよそ意味がないと思うけど、ただ、そこが文学と理系違うんだなとは言いたいね
123名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 00:44:27
>>121
不成立も何も、論理的に完備じゃねーからrefutablityが無いので
仮説としては永久にセーフです。「赤色は青い」ぐらいに無意味。
124名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 00:54:12
>>122
うーん、ちょっとよく分からないです。
文学作品に込めたメッセージや思想などにではなくて、文の美しさや流れ、というか
文体や言い回し、文章の発展のさせかたこそに文学の本質があるってこと?(?x?)

走れメロスのような一般向けの作品と122さんの上げたカラマーゾフなどの
(難解な?)文学との違いというのは122さんの考えではどういうところに
あるとお考えなのか詳しく教えていただけると分かりやすいかも。

あと、優劣を論ずるというのも、何と何の優劣について指摘されていらっしゃるのか把握できませんでした。
つーか文学についてわからねえと思うなら何をいつまでもグダグダ言ってるの?
少なくとも今ここまで無駄に(本当に無駄に)字数だけを費やし
しかも主張の内容に一歩も全身がみられない時点で、
君は文学理学以前に問題があるでしょう。

文学の本質なんてものが一言で言い表せるなら
文学なんて一切必要なくなるでしょうが。君は有機的な解釈ができないのか?
死霊の中に相応しい一説があるから引用しておく。
「もしこの私達が一つの底知れぬ重味をもって沈黙しつづけるキリストを描くとすれば、
その作品中に数千年にわたって積み上げられた歴史をも創り出してみせねばならない。
それは疑いもなく不可能である。」
>>124
違い…
あなたが「メロス」を要約したようには「カラマーゾフ」を要約することはムリだと思われ

数式やグラフなどにも美しさ、味わいはあるかも知れないが
文学の文章なり表現なりが持つそれらは本質につながる部分だから 意味が違って、
メッセージだけを読みとればイイとゆう代物じゃない、と思う

文章の質も内容もすべてたいせつ
「カラマーゾフ」は南海じゃないよ

文学やってる人間は世間知らずで理系は世間を知ってる、のような議論(?)からつなげて 優劣云々と言ったもの

127名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 02:18:55
>>125
「文学というものは本質を表せないものである」
というのが文学人の一応のコンセンサスなら、それは認めるしかないですよね。
私自身、文学という概念にあえて余計な定義を加えることに意味があるとは思えません。(どーせ俺じゃむりだし)
ですから、本質を定義するのではなく、文学作品というのはどのようなことに利用できるのか、
文学を行うことによってどのような効果が起きるのか、ということに注目して、
ある程度理解した気になってみたいのですが。

>主張の内容に前進が見られない
それでは、どのような考え方を手に入れることができれば、前進となるのでしょうか。
文学人の視点から見て、一般人としては「十分に前進している」という状態とは
どのようなものであるかが解れば、またそれを達成する方法をおっしゃって頂ければ嬉しいのですが。

あと、
>文学理学以前の問題があるでしょう
何を持って文学、理学以前の問題なのでしょうか?
確かに、今まで物事を「理解するための道具」については学んできましたが、
物を「考えるための方法」についての教育を受けてきたようには思えません。
ただ、それでも一般的な学力テストでも、知識や常識を試すような問題でも、
IQテストでも、人並み程度の評価は得ることができました。
ただ、大学に入って本格的な文学購読の講義を履修させられて、初めて
「文学ってなーに?文学の考えかたってなにさー?」ということに対して
他の学問で見られる(仮説演繹的な)考え方との違いという意味で疑問を持ってみたんですよー
で、2ちゃんねるで議論するほど文学が好きな人たちに、「文学ってなにー?」って
聞いて反応を見ることで答えを見つけたいのですが、やっぱこのスレタイじゃ無理やね
えへへ
128名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 02:19:28
>>126
おっしゃるとおり、私では罪と罰の人の作品を読んでその趣旨を要約できるとは思いません。
それでは、何故カラマーゾフは私のような人間では理解できないのでしょうか、
例えば、カラマーゾフは他のより大衆向けの作品と比べてどのような質的違いがあるのでしょうか、
それについて126さんはどのように考えていらっしゃるんでしょうか。

ところで、思い余って煽りタイトルなんですが、私は理学や工学と文学を比べてどれが
「学問として」優れているだの、劣っているだのを議論することに意味があるとかはホントは思ってません。
ただ、大学の講義でやるようなものが、他の学問と異なって方法論が示されないのは
なんでー(?ω?)みたいなのがあるんですよ。
一般常識だけじゃ判断できないほど難解であるのに理工学や経済学のように
物事に対する考え方を教える学問じゃないん?じゃあ何を学ばせようとしてるん?って感じがまだ抜けない。

だからこそ、文学をやってきて、また文学部で学んだことで、他の方法では得られない
このような視点、このような価値観、このような知識を手に入れられた、ということを
自慢でもなんでもいいんで語っていただけるとうれcですお。
129名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 02:30:59
>>126
そういえば、飲み会のときロシア学科の先輩は
「文学においてより重要なのは文章や表現の部分における華麗さだお(^ω^)」
みたいなことを言ってました。その時は、文学作品中の表現や、文章の運び、
挿入されたエスプリなどが秀逸であるからこそ、作者がその文学作品の主題として
込めたメッセージが読者の意識により深く刻まれるのかなー(*´皿`)みたいな風に
捕らえていたんですが、実際のところどうなんですかね?
まず、文学作品というのは
「作者が意識的、無意識的に何らかのメッセージを読者に伝えるために書かれる」
みたいな先入観を捨てたほうがいいんですかね。
「文学は文学以外の何者でもなく、作者が込めた意図などは文学作品を読む上で重要ではない」
みたいな?これはいくらなんでも変か。^^;
130名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 02:48:31
理想的な結論としては
・文学はいくらがんばっても>>1には理解できないでFA
だけじゃなくて
>>1には理解できないけど、文学に精通するとこーこーこういうことがわかるんだよ(^つ^)
みたいなほうです。
こっちのほうが英米学科に入っちゃった意味を
少しでも感じられるかもしれなーっと思ってて。
私じゃ文学板のみなさんが読むような文学を理解できるほどの
能力や余裕が無いのは明らかですし。

みなさんよろろん
>>126だけど
個人的な解釈で申し訳ないけどね
必ずしも実利的にどうこうできるものじゃないと思うんだよね 文学って

学問として大学などや書籍上成立してる文学は 広義の意味では
人間が引きずってるそういった非合理的なものなんかを引き受けてるようなとこあると思うわけよ

なんとか科学しようとしてはいるけど…
理系で歓迎され得ない絶望だの徒労だのまで背負い込んでるうえに 宗教から哲学からごった煮だしね
たとえてみればみんなが永遠の修行僧みたいなもんかな?
あとね、「カラマーゾフ」はね あなたには理解できないだろうとかゆう意味で引き合いに出したんじゃないんだけどねw

文学と正面からつきあえば たぶんあなたの合理主義もちっとは違った質のもんになるかもよ

>>127
おまえはあれだなあ、本当は文学の意味の無さと理数学の合理性を確認したいんじゃないのか?

自分自身が悩まないと文学なんて意味無いよ。だから君が英文科に入ったのは間違い。おしまい。
134名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:28:37
>>133
文学作品を読むことで精神的な満足感を得ている人間がこれほどまでに多く、
また昨今のインターネットの普及によって自ら小説などを執筆し、
ネット上で公開する人が増加していると言うのに、文学に意味が無い、
なんてことはありえないかと。(もちろん「意味」の定義にもよりますが^^;)

本当のところ、文学と言う物を自分の価値観の中で合理的な存在として
捉えてみたい、というのは少なからずあります。
(失礼な例えではありますが、経済学においてギャンブルというのが、
 期待還元率が1より低くても、もし掛け金をそのまま消費に使うよりも
 高い期待効用が得られるのであれば、合理的であると判断できるように、
 文学や哲学をすることも、人間の脳構造から由来するある合理的な行動の一部として
 捉えられたらモエスwwww(^ω^)、とか思ったりはします)

でも、それは僕じゃ無理なので、とりあえず文学人の方にとって、文学とは一体なんであり、
文学をすることによってどのような物を理解できたように感じるのか、や
文学をしたことで実際にどのような経験、成功、幸せ...etcを得たのか、
みたいなことを聞いて足りない頭の足しにしてみようかなと。
ギャンブルと一緒で、目先の利益じゃないもの見てるとしか言えんな
ていうか小説を読む以外に文学に対して深く向き合うことなんてできんの?
他人の言うことを頭から飲み込んで文学の定義を作りたいなら辞書引けばいいじゃん。
小説を1000冊読んでも分からないんなら質問してもいいけど。
あのさ、1が最初知りたいってのは「文学研究」についてやったよね?
あなたのいう文学はイコール大学なんかでやってる「文学研究」ってことでおけ?
138名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 04:19:25
>>137
うん(゚ ゚ )うん(。 。)
詩(定型、自由)
小説(エンタメ各ジャンル、純文寄り、純文好きが読む実験小説、それらの混ざったの)
作品や作家が対象の文学研究、文学理論、文芸批評、それらの混ざったの、他の人文系学問と混ざったもの
とかいろいろあるからなー
一読者として単純に楽しむレベルから、文学作品そのものからは遠くはなれた研究もあるし

だから、なんとも言えん!
基本的には作品読んでオモロイ、という単純なところだと思うよ。なんかビビ!と来るとか…
たしかに大学教授とかアホも多いし、文学部はアホでいいんじゃないかな?
理学部の人は知らん。工学部の友人がいるが普通だよ。専門領域の話はすごいなーとか思うし。

野球に人生捧げた人と同じかも。野球やその為の練習で得た人生の収穫とかもあるだろうし…
ついでに絵画と絵画研究や絵画理論?と文学はどう違うんだろうか、文学は作品も研究もどっちも言葉だしムズイなー
140名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 22:00:09
つーか、数学も小説みたいに読めるよ、文板の住人にしてみれば
特に数学基礎論なんて、一時、柄谷がしつこいほど書いてたし
ボルヘスだって書いてたし、ライトノベルでも涼宮シリーズでも
出てくるほどだ
数学はスペクタクルだからな。
142名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 22:26:42
数学って論理さえあれば、なんでもありなわけだろ?
ガロアが数学の本質は自由だって言ってたけど
これって文学と同じだって
143名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 23:11:50
>>140
「涼宮」で検索したんですが角川スニーカー文庫ってまだあったんですね・・・
水野良さんのロードス島戦記、ロードス島伝説とかですよね(新のほうも買ってはみたけど、ん〜)
友野?さんのルナル・サーガとか図書館で一度に何冊も借りてた気が。懐かしい。
マイナーなところだとが神坂一さんの日帰りクエストのシリーズとかも読んだなあ・・・

ライトノベルも当時は面白く読めていた気がする・・・星界とかも(´・ω・)

やっぱり、一言に小説って言ってもこういう娯楽小説からちゃんとした文学までいろいろあるんですよね・・・
角川様のホームページに行ってみました。
まだ『ザ・スニーカー』って刊行されているんですね・・・ラグナロクはさすがにもう終わってる?
・・・・・でも隔月なのは昔と変わらずか・・・それでもびっくり(@w荒
うはwwwwww同じ角川のドラマガも未だに月刊で続いてるぉl
電撃hpも消え去らなかったのか(○´ω`○)なっち感激。

って、ライトノベルの話題なんて正しい文学をやってるここの方には嘲笑物だったかorz
もしかして中学生にもなってライトノベルを読み過ぎたせいで
ちゃんと文学理解できるような精神が発達しなかったのかなあ・・・

なんか今までの人生を後悔してきた・・・・お馬鹿な小説なんて読まずに、
弁論部の人みたいにヘーゲルやラッセルみたいな哲学書を読んだりしてれば
もっと文学を理解できたのかも(#^ω^)
146名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 23:35:19
まあ、後悔しても仕方が無いので、とりあえず歴史的な流れにそって
著名な文学作品を読んでいけば限られた時間でも文学の発展の流れを
大まかに理解できるんではないかな、と考えているのです。

ある時代における支配的、ないしは有力な思想の代表作として知られるものから
1作品ずつ、思想の対立構造を認識した上で時系列的に読み進めて行くのが
効率的かな、と思っています。

高校の倫理の授業では、哲学思想の時間的発展をこのような形で習ったのですが、
文学の場合はどうやって書籍を選んでいけばいいんでしょうか?
気合。

頭でっかちになって衒学するのだけは気をつけろな。
生齧りの知識や概念を分かった気になってもいいことないよ。
自分の目で見ること。自分で感じること。それができなきゃ文学じゃない。
文学入門としてはジュネとかセリーヌとかだったら
エンタメ的にも面白いしサブカル的にもカコイイし
純粋に質も高いし良いのではないかね。
文学青年が初めにハマるとこらへんだと思うよ。
ドンキも普通に面白いな
ドンキホーテって文学なんですか?
ルビ訳本で最初の何章かちょっと読んだことあったけど、
ファンタジー小説かと思ってた。
あのさ、1は文学作品ってかなり威厳あるものとしてイメージしてる?そこで出てくるのが太宰って結構笑えもするけど、まあ一般の人の認識はそんなもんかね(^-^)
別に文部省や大学の教授が奨めるものだけが文学作品ってわけじゃないんだよ?現に大学によってはガンダムとかエウァ、Mr.Childrenを文学の研究対象とするとこもあるからね。なんでだって?なんでだろうね(´〜`;)

ずっとこのスレ読んでて思ったんだけど、個別具体的な作品を離れて一般論で考える限り、文学(研究)って1の書くような陳腐な記述に留まるしかないんじゃない?

1はなにか特別な思い入れのある本とか、ある文章の一節とか、印章深く覚えているシーンとか、ないのかな?
文学研究っつうのは、本来そうしたものを軸にして、行われるものだと思うよ。まあ、実際おバカな講義が多いな〜とは思うけどね。
せっかく文学の世界に足踏み入れたんだ、せめて好きな作家の一人でも見つけてから、社会復帰していただきたいと切に願うよん (。・_・。)ノ
151名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/26(木) 13:11:49
私が知ってる理系の子達は、バイトする時間がないんであまり世間的な立ち回りが
うまくない。しかし、文系は研究室に閉じこもって同級生と密着した時間を過ごし
たりしないので、そういう状況での立ち回りはいまいちかも。
>>149
近代小説の祖です。
エンタメ的にも超面白いよ。まあもともとエンタメなんだけど、文学とエンタメはもともと分かれてないし。