881 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 15:05:40
だからって、当人を責めるこたあなかっぺ。責めるべきは当時の選考委員の
方じゃないか。もう名も覚えちゃいねけどもよ。
今よりは大してマシだったことだけは確かだけれどな。
今日の試食は、北海道物産展で「かに」までありつけたよ。みんな心配してるみたいだから
報告しておくぜ。
882 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 15:37:39
東武デパートの日本酒売り場で、たまに地酒の試飲会があるから行ってみろ。
それと、都内には各県の物産館があって試食も十分できるから行ってみろ。
ついでに営業してみろや。高橋三千綱の名前なんかよりも、芥川賞作家の肩書きをでかくした名刺もってな。
パンフレットのPRコピーぐらいの仕事にはありつけるかもしれんぞ。
この仕事、ばかにしたもんじゃないんだぞ。へたな小説なんかより、はるかにギャラがいいはずだ。
883 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 15:53:45
昔の文芸誌なんかを見ると、敗残作家高橋三千綱は文豪村上春樹よりも顔で勝っているな。
つまり、作家は顔で勝っても意味がないということだ。
今じゃ春樹の顔は大富豪の人相。
高橋はほとんどホームレスの顔に近い。ここまで貧相になると、人も退いてしまうんだよ。
>880
おそらく一匹だけではない。
885 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 16:42:38
男の顔は原稿用紙だ、って喝破したのは、芥川龍之介じゃなかったか?
ていうことは、女の顔はチラシ広告だな。
886 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 17:01:33
早速東武に行ってきたっぺ。おかげでほろ酔い気分で原稿用紙に向かって、
傑作がかけそうだ。間違いないな。俺の予感では、あの名作「九月の空」を
はるかに超えた、あのくだらねえ「羊が何とか」を実売数でも超えた、
21世紀の文学史上の傑作になるだろう。まあ、20世紀で匹敵するのは
「ダブリン市民」ぐらいだろうぜ。何たって、主人公は、餓死していくかつての
芥川賞作家だぜ。こんな私小説、文壇の「堀衛門」にまで堕落した村上ファンド
には逆立ちしたって書けねえだろうがな。わははは。
887 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 17:02:27
春樹春樹っていうけど、今回の候補作に春樹もどきは一本もなかった。
編集サイドは努めて春樹のコピー&フェイクを排除しようとしているとみてよい。
全体の傾向としては絲山風のヤサグレに傾いていそうだな。
俺は次回芥川賞は、群像新人賞がそのまま受賞するんじゃないかと思っている。
勘だけどね。でも俺の勘はすっげえ当たるんだ。荒川静香の金メダルも、日銀の量的規制緩和解除も、
タイの政変も、俺はすべて予言していたし。
888 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 17:19:02
おおう、やっぱりただ酒はうんめえなあ。だいたい作家がビールばっかり飲んでて
どうすんだあ。ファンドの坊やは年一回「長いお別れ」を読んでどこをパクろうか
さがしてるんだってなあ。甘いんだよ、作家ってえのは野垂れ死にできるかどうか
それが価値基準になるんだからよ。
世間でも言ってるじゃねえか。「堀衛門」の次は「村上ファンド」だって。
やつも小菅に一月でも入れば、俺のように本物の文学がちったあ書けるようになれるっぺ。
889 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 17:25:07
>>886 三千綱の亡霊にしては文章力がひどいな。
おおかた三千綱いじりをネタにして暇つぶしをしている失業者だろう。
ネタとしては笑いも若干とれるし悪くはないが、リアリティーの出し方に大きな難点があるぞ。
さらに精進することだな。
890 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 17:30:04
わははは、いじるところがちがうっぺ。
891 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 17:44:32
↑
東武東上線沿線の臭いがするなw 大笑いするとにんにく臭い口臭が半径3米以内に立ち籠める。
下車駅は上福岡あたりだろう。
892 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 17:52:40
偏見かあ?わははは。どっちにしろ、外れてるぜえ。
綱を甘く見るな。今、壮大なプロジェクトに取り組んでるんだ。
聴きたくない?あ、そう。でも言っちゃおう。
実は、二度目の、つまりかつて誰も成し遂げなかったところの
二度目の芥川賞を狙って、着々と進行中さ。
そうなりゃ、文壇のアインシュタインといわれることになるわけだ、わっははは。
ま、「ノルウェーでセックス」を書いた輩が取るよりはずっと可能性は高いはずだぜ。
今夜も酒が進む、進む。
893 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 18:04:01
おっさん、なんかにんにく臭いんだけど。歯、磨いてねえだろ。
カキコからでもわかるんだぜ。
894 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 18:20:35
磨いてるさあ、わははは。行者にんにくのしょうゆ漬けで一日三回だあ。
近い内に山行って取って来るさあ。オメえも試してみらあ。
今度ファンド作家にも教えてやるっぺ。
これが芥川賞受賞者の余裕ってやつだっぺえ。わっはは。
895 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 18:26:36
おっさんが笑うと光ファイバーが口臭で腐るからやめてくれる?
896 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 18:43:39
897 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 18:45:03
146 :吾輩は名無しである :2006/03/14(火) 09:14:05
ガールフレンドを乗せて見晴らしのよい湾岸線をドライブしていたときのこと、
タイミングを見計らって車を停車させ、『甘く危険な香り』をかけたんだ。カセットで。
今にして思えば、あれから空気がおかしくなったんだな。
『Bomber』にしときゃよかったゼ。
ゴミは持ち帰れ
898 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 18:53:19
148 : 吾輩は名無しである : 2006/03/14(火) 12:48:51
「ひとりごとだよ」って書いてあったらひとりごととしか思わないんだ?じゃ「私は人を殺してしまいました」って書いてあったら「ああ、人を殺したんだね」としか思わないんだ?
おまえもう文学とかに関わるな本読むな
読まれる作者も迷惑だ
899 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 18:55:18
ゲラW
900 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 19:00:59
153 : 吾輩は名無しである : 2006/03/14(火) 18:40:18
>>1 何がしたいのかよくわからない。
読まなきゃいいだけの話でしょ?
901 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 19:06:19
げらげらWWW
902 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 20:06:18
やっぱ群像でしょ、フレッシュな新人が出るっていうなら。
文學界は薫製みたいな匂いがしますよね。新潮はイカくさい。
すばるは生理前の汗の匂い。文藝は体育座りしている少女の股間みたい。
群像に期待してますよ。大穴で太宰賞。
>>887 どうしてそんなことわかるの?
芥川賞枠、次の順番が群像だから?
だったらヤサグレ系で群像に出そうかな。
このあいだ観た文藝にヤサグレ系の吉田修一が載ってたけど、
作品と風体がマッチしてないから唯のハゲなのかと思った。
(そういうこというと、また怒られまつよ)
905 :
先生 ◆LD/Dd4/cno :2006/03/14(火) 20:27:14
リアリティーがないんだよ、春樹の小説には
だから今の時代にそぐわないんだよ
「ノルウェイの森」のようなリアリズム小説で社会にコミットした作品を書いてみてほしいよ
そこで春樹の真価が問われるだろう
なんだ、先生か。
ヽ(^^)ノ
907 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 20:33:59
俺が本当のグレ小説を書いてやるよ。
ヤサグレなんかじゃないぞ。グレだ、グレ。
て、ときにグレってなんだ?
>>874 visitしてますねだと変だし、訪問してますねだと全体が重くなると思ったからですよ。
まぁあなたがEnglish nativeだとしても、日本語化された英単語にまで口出さないで頂きたいですね。
中国人が働や骨なんて漢字は有り得ないと言って怒るようなものでしょう。
ま
学閥大国の搾取と腐敗のpyramid構築に精々貢献してくださいな。
グレ。
藤沢周みたいなんじゃないの?
なんだ、鈴木君か。
ヽ(^^)ノ
911 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 21:22:47
今度の群像新人はそんなに期待できるのか?
かれこれ十年以上も芥川賞が出てないんだが。
芥川賞そのものもつまらなくてどうでもいいようなものばかりだけどな。
第1回(1935年上半期)石川達三 『蒼氓』
第2回(1935年下半期)該当作なし
第3回(1936年上半期)鶴田知也 『コシャマイン記』
第3回(1936年上半期)小田嶽夫 『城外』
第4回(1936年下半期)石川淳 『普賢』
第4回(1936年下半期)冨澤有爲男 『地中海』
第5回(1937年上半期)尾崎一雄 『暢氣眼鏡』
第6回(1937年下半期)火野葦平 『糞尿譚』
第7回(1938年上半期)中山義秀 『厚物咲』
第8回(1938年下半期)中里恒子 『乗合馬車』他
第9回(1939年上半期)半田義之 『鶏騒動』
第9回(1939年上半期)長谷健 『あさくさの子供』
今晩は。
僕は真面目に、芥川賞は潰したほうが世の中の為になるんじゃないかと思うんですよ。
文芸春秋の方はビックリ為さるかもしれませんが。
この間の芥川賞ありましたよね。
僕はあれで確信したんです。こんなふざけた戯れは日本の害悪だ、と。
どうしてかと申し上げますと、
先ず僕は、佐川さんの『銀色の翼』は物凄い名作だと思ったんですね。
実際、ここでの有識者世論も同じ評価でした。客観評価を下せば佐川さんが受賞して当然でした。
けどイザ開票したら村上龍さんだけ推していて、後は何やら愚にもつかぬ戯れ言をわめき散らして
結果、なんとなく曖昧なままで糸山さんのなんとかっていう作品が取っちゃったんですね。
こっちの作品は僕にとっては特別極度に優れているとも思われなければ、
実際に事前の世論評価も高くありませんでした。要するに凡庸な作品だったんです。
審査員も別段、一押しするでもなく、フワフワなんとなく糸山さんになった。
僕はぶっ殺してやろうかと思いましたね。芥川賞関係者全員を。
まぁ実際には理性がありますからそんな狂気は起こさないで、ふつふつと独り考えた。
どうしてこんな不条理が世の中に蔓延っているのか?と。
後から分かったことですが、佐川さんは小学校教師の奥さんとお子さんを抱えて、恐れながら言及させて頂きますならば
普通に考えて、決して生活も楽じゃないはずです。
しかも受賞直後に当の糸山さんはあろうことか、数え切れない作家見習いの皆さんの羨望が詰まった、
大切な大切な受賞の賞金の半額を寄付してしまった。
名作を書いた佐川さんは悲しんだと思いますね。
お子さんには分からないように、もしかしたら隠れて泣いたかもしれません。
僕も富豪の家庭ではありませんから、お金のやりくりの苦しさはよく分かるんです。
悔しかったと思いますよ、本当に。
けど糸山さんにも悪気は無い。
調べてみると、彼女はそれなりに作品も売れ、しかも独り身でらっしゃいますから、
裕福とまではいかなくともそれなりの安心した贅沢をできる立場にあるんですね。
だからお金を人前で堂々と寄付するような大胆な行動もできる。当然ですし、それは当人の自由です。
一体こんな悲劇を生み出す原因は何なんだろう?
僕は毎夜思い悩んだ。
芥川賞の起源は、菊池寛さんの新人作家の貧乏生活への慈悲にあったんです。
芥川龍之介の夭折を悼んで、私設した小さな賞だった。
そして若く、燃えるような情熱を持った作家のために、少しでも応援してやろうと私財を恵んだんです。
それが今はどうですか?
貧乏している才能ある才能には賞どころかお金が行かない。
そして贅沢三昧の高慢な輩には余るほどの名誉と金が注ぎ込まれる。
ふざけるのもいい加減にしろと僕は言いたい。
僕が地獄の裁判長の閻魔様だったなら、
芥川賞関係者は全員、生きたまま煮炊きの刑に処してブタに食わせます。
良心に基づけば当たり前のことじゃないですか?
結局、高橋三千綱は使い捨てか。
ガァ〜!
僕はこんな不条理を少しでも改良しようと決心して、おこがましくも社会学的分析を始めました。
すると見えて来たのは、賞の背後にあるグチャグチャとした人間関係の醜い闇なんです。
石原慎太郎さんは芥川賞の審査員長みたいな立場にありますね。
彼は昭和30年、兄弟の某映画スターの若年青春を鮮やかに描写した『太陽の季節』でデビューし、
日本文学界のスターダムへ躍り出たベストセラー作家てした。
けれども早すぎた栄華は長く続くとは限らない。
彼は自作が最初の勢いを失っていくのを感じたのかもしれません。
幸運の女神の導くまま、都知事の座に圧倒的人気で駆け上り、
今では本来の文筆業で大した売り上げを出さなくとも責められる様な危機は脱しました。
そこまでは良かった。
けれども彼は文学に未練があったのでしょう。
芥川賞審査員長の座を薦められてサッサと就いてしまったんです。
民主主義当然の「学問と表現の自由」は、
飽くまでも学術が政治や経済のしがらみから独立した生業である、
という市民社会の前提の上に立っています。
これを腐敗させるとき、《言論弾圧》つまり文化破壊の弊害が蔓延し、文明は遅滞する。
石原慎太郎さんはそのご大層な安楽座で、
政治と文学両面に好き勝手な言説を振るう権力を手にしました。
それがこんな芥川賞の腐敗の患部になっていた、というのが結論です。
芥川賞は、名目上の真の新人文芸の公平無私な審査体系などでは今やなく、
実質上は、石原慎太郎さんの年功序列型の語らずの権威で新人を裁くような
《悪代官システム》に堕落したんです。
だからこそ、あんな不条理が平気で世にまかり通って、しかも誰もそんな悲劇を誰も不思議に思わない。
ふざけています。
近代国家とは名ばかり、内実は江戸時代じゃないですか。
田中康夫の選評より石原慎太郎の方が面白い。
918 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 23:37:55
高橋三千綱はあれでいいんだよ。
純文学者の一つのありようを具現しているではないか。
使い捨ても何も、誰も彼を使ってはこなかったんだから、一人相撲をとって一人で土俵から落ちたんだな。
どうなんだ。今でも剣道やっているのか?
もう還暦近いんじゃないのか。街のガキどもでも集めて剣道を教えたらいいじゃないか。
小説書くことは諦めろ。諦めたらやっといい小説が書けるかもしれん。
個人的には石原慎太郎さんは、
冗談でお台場をカジノにしようなんて子ども染みた、とんでもない馬鹿げたことを言って
世間の笑いを誘うような豊かな人間性を持った方ですし、
それより何しろ年上ですから、無条件に崇拝しています。
だから悪気は無いし、合法的ですし
公私の分別盛りならば政学癒着も結構ですが、
たぶん本当に世の中の公共の福利を憂えばどちらか一方を辞退するのが人間として
いや、文明人としての独立の誇りではないかと小生愚考致す次第であります。
ところで僕は更に歴史を調べてみたんですね。
そしたら驚くことに、今回と同じような不思議な審査が行われた一回が目立って分かりました。
今を時めく村上春樹さんが何と、あの日本文学史にも必ず登場するデビューの傑作
『風の歌を聴け』が審査で落とされたという噂を見つけたんです。
飽くまでも噂だから懐疑的に受け取って欲しい話ですが、
実はあのノーベル賞大作家の大江健三郎さんが審査員だったらしいのです。
そして彼は、村上春樹さんの世界的名作を「こんな軽薄なものが文学では無い」と一蹴してしまった。
僕は権威の腐敗の恐ろしさに身の毛がよだちました。
なんていう愚かしさだろう?愚の骨頂どころか、こちらが恥ずかしいくらいです。
現代世界文学史にとってアヴァン・ポップというのは1つの主流です。
そんなmain streamを分からない筈がない大作家大江さんがどうして判断を誤ったのでしょう?
僕はその疑問に気づいた時、あまりの寒気で思わずクシャミを三回、ルルを三錠飲みましたね。まじめに。
大江さんは春樹さんの才能に嫉妬して、権力を濫用して恣意的に彼の名作を貶めたんではないでしょうか。
僕はこんな悪意を催させる芥川賞なんて、潰したほうがよっぽど吉だと考えて疑いませんね。
本当にケガらわしいことです。まるで地獄、いや生存競争そのままのボス猿山じゃないですか?
920 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 23:53:30
鈴木、おんなじような長広舌いつまでも垂れ流しているんじゃねえぞ。
図に乗りやがって。またきつ〜いお仕置きしてほしいのか。
スキゾフレニアは早寝早起きしねえと、妄想、幻覚、幻聴が昂進するんだから、
早く薬をのんで寝ちまいな。枕元に溲瓶を置いてな。
俺様が静かに忠告しているうちに言うことを聴けよ。てめえはビョーキなんだからな。
>>919 >大江健三郎さんが審査員だった
>身の毛がよだちました。
>こちらが恥ずかしいくらいです。
>判断を誤った
>ルルを三錠飲みましたね。
ああ、それはこれですね?
第八十一回芥川賞選評 昭和五十四年(1979年)上半期
授賞作「やまあいの煙」重兼芳子
” 「愚者の夜」 青野 聰
候補作「閉じる家」立松和平 「風の歌を聴け」村上春樹
「逆立ち犬」北澤三保 「ふたつの春」 増田みず子
「蘭の跡」 玉貫 寛 「八月の光を受けよ」吉川 良
(抜粋)
・大江健三郎
今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、その
ような方向づけにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた。
そんな民主論理を以て、在野一市民として僕は、
芥川賞のように悲惨を増大させる機構はできれば、
廃止に向けた方が文学の健全な発展の為だと信じます。
尤も、拙なる批判的分析に基づいた小さな一意見に過ぎませんが。
実際、 1935年から70年あまり続く伝統が果たして、社会の不幸と幸福のどちらにより寄与したのか
私には正確な判断をする力が未だ足りません。
もしかしたら佐川さんや春樹さんへ──そして愛する名作へ──多少、敬意を表し過ぎているかもしれぬ。
或いは多少の悲惨にあまりに同情し過ぎて大観を見失った熟慮断行に沈没してしまったのだろうか。
けれど
私は日本を守る一介の文士として、
芥川賞が無自覚に悪事を働く限り、それを終生在野から厳しく非難する覚悟です。
923 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 00:12:56
時代と関係なく、『風の歌を聴け』じゃ今で芥川賞は獲れないだろうよ。
大江健三郎の講評は当たっていると思う。
では『羊をめぐる冒険』ならどうだったか。
これも無理だよ。
要するに春樹は芥川賞には適合性のない作家として誕生したんだ。
それでいいじゃないか。
今でもある意味では裸の王様だぜ。これってスカスカじゃないのか、と誰かが言い出せば、
そういえば、と潮目が大きく変わる可能性を持った作家さ。
924 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 01:02:36
まあ、そういう意味で春樹はもっともノーベル文学賞に近いことになるだろう。
自分の文学を米文学の模倣によって作り上げ、母国の状況にまったく関心を示すことなく、
孤高という名の営業戦略を貫徹してきた。
それらすべてのスタイルが、イデオロギー崩壊過程と崩壊後の時代相とうまいことシンクロしてしまった。
リアリティーを付与しない物語話法は、おのずからに世界性を獲得し、中流化してゆく世界のプチブル層に訴求した。
日本文学の伝統を受け継ぐ新人の発掘を旨とする芥川賞が、春樹にそぐわないわけがわかろうというものだ。
しかし、今後も国内で同じ路線でやっていくことができるかとなると、はなはだ不透明だろう。
芥川賞らしくない作品に芥川賞をあげてこそ芥川賞の権威が保てるというものでは。
新人賞とは常に権威を打破すべき賞でなければならないとおも。
百歩譲って「風の歌」は受賞しなくても仕方ないとしよう。受賞作の「やまあいの〜」「愚者の〜」も良作だった。
しかし、「1973年のピンボール」は受賞してしかるべき。
このときは受賞作なし、だからね。
926 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 02:26:45
>>925 同意。
「風の歌」は酷すぎる。
最初読んで、良くこんなのが出版されたなって思った。
芥川賞候補になっていたと知ってさらにショックを受けた。
有り得ない。そんなにその年に発表された作品はひどいものばかりだったのか?
しかし「ピンボール」は素晴らしかった。明らかに前作とレベルが違う。
あまりに違いすぎるので、「風の歌」はあえて、わざと下手に書いたのか?
と勘繰ってしまった。
[風の歌」の大江の講評は正しいと思う。しかし「ピンボール」で受賞させなかった
審査員の罪は大きい。
927 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 08:42:40
春樹だ大江だとメソメソしてる野郎はガス管が友達なのだろう。
今日の昼休み、飯を喰い終わったら社員食堂の中央に歩み出て
「コマネチ!!」
と鋭く決めてスポットを浴びてみろ。
アンタへの評価が決定的になる。
約束したぞ。
928 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 09:33:40
当時はそれだけ芥川賞のレベルが高かったということ
929 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 10:40:15
ういっ。昨日はつい日本酒の試飲で昼から呑みすぎちまって、そのまま寝ちまった。
そのまま眼が覚めなけりゃよかったのに、なんて思ってるやつもいるだろうが、どっこい
芥川賞作家は簡単にはクタバラねえぜ。俺が居眠りしている間に何だ、また鈴木が妄言を
連発してたなあ。芥川賞の親分が石原?馬鹿いうな。真坊はな、あの史上最低といわれてる
モームス2人の受賞には最後まで反対したんだよ。にも拘らず、「あたし、ファンです」と
言われた怨霊野郎の「限りなく不透明」が、強引に押し切って受賞させたんだっぺ。
でも今じゃ俺は佐世保のちんけな不良に感謝してるぜ。何故なら、おかげで俺の「九月の空」
が史上最低作と呼ばれなくてすむようになったからなあ、わっははは。
今日もハルキかミチツナか。k−1より燃えてるぜよ。
>>925 やまあいの煙って良作だったんですか。詳しく意見を聞かせてください。