ネット言論について

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1「現代純文学の模索」1より
 今日はわたしにとって最後の発言を行います。これは、私自身に
とってある過失の告白ともなります。

 さて、ネットの社会では、相手の顔が見えません。相手の目元や
態度から心の内を察することは不可能です。また、相手が男であるのか
女であるのか知ることも不可能です。そして年齢もまた、不詳であります。
このように、知ることが不可能なことは枚挙にいとまがありません。
 しかし、そこには利点があります。それは、言語のみで意思表示
をすることにより、日常の先入観が取り除かれ,より高次な会話成立
しうるということです。これはまさしく、文明の恩恵であり、私たちは
大いにこれを活用すべきでしょう。
 しかし残念ながら、このような利点は先程の不可知によって、その価値
を貶められているのです。ここで、私はゲーム理論的な実験を行います。
この青年Aには様々なかたちがありますが、今日はその内のひとつであります。

21より:2006/01/05(木) 19:15:51
いや失礼。やはりやめます。こんな努力はもうしないことにしました。

とにかくここは社会と交わる場ではありません。言葉だけで、人間が
交わるべきではないのです。ネットの世界は、極限状況そのものであります。

では、さようなら、みなさん。社会のどこかでお待ちしております。
次に会う時は、みなさんの笑顔が見れることをのぞみます。
永遠にさようなら。
またひょこっと名無しさんで現れるの無しな。
あついでに、削除依頼出しとけ馬鹿者。