ボヴァリー夫人について

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73吾輩は名無しである:2006/07/06(木) 23:55:59
「嵐が丘」の何が凄いんだ?
74ペンギン ◆od0qY8Ss/. :2006/07/07(金) 00:28:23
いかにも埃臭い古い時代の話が、現在(主人公の生きている時代・場所)にリンクするところ。
75AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/07/07(金) 02:27:24
《かわるがわる》か。
「別の著作が栄えるためには、この作品は衰えねばならぬ」というヨカナーンの言葉が、
いまにして解ったよ。
76吾輩は名無しである:2006/08/01(火) 10:40:37
ボヴァリー好きです。新潮文庫版生島訳で読みました。
けして読みやすい作品ではないけどいい文章が多くていろいろ書き写したりしました。
他の訳も持っているので(伊吹訳、山田訳)読んでみようと思います。
バルガリス・リョサもフロベールには心酔しているんですよ。
77吾輩は名無しである:2006/08/01(火) 11:33:54
きっとこういう風に終わるんだろうな〜
という予想を見事に裏切られた
感動しますた
78吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 16:28:53
Jean Nouvels kinematographisch konzipierte Torre Agbar in Barcelona
Der erste Wolkenkratzer des franzosischen Architekten Jean Nouvel ist ein ebenso
erstaunlicher wie kritikwurdiger Bau.
79吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 16:35:05
Lange war der Flohmarkt ≪Les Encants≫ die einzige Attraktion der Placa
de les Glories gewesen. Dabei bildet dieser Schnittpunkt dreier Hauptachsen
auf Cerdas Stadterweiterungsplan von 1859 das eigentliche Zentrum Barcelonas.
80吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 16:35:46
Mit dem Bau von Bofills Nationaltheater und Moneos Auditorium, wie auch durch die
Verlangerung der Diagonale bis ans Meer, gewann der Platz in den letzten Jahren
an Bedeutung.
81吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 16:36:30
In Zukunft werden Bauten von Martorell Bohigas Mackay, Dominique Perrault,
Zaha Hadid und Federico Soriano den Stadtteil weiter aufwerten.
82吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 16:37:01
Auch sein zurzeit so einsam aufragendes Wahrzeichen wird dann - zum Guten oder
Schlechten - Gesellschaft erhalten: die unlangst eroffnete Torre Agbar von Jean Nouvel,
ein 144 Meter hohes Burogebaude fur den Wasserkonzern Aguas de Barcelona.
83吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 16:37:49
Zur Ikone bestimmt ist es allein schon durch seine phallische Form.
Nouvel schwebtenach eigenem Bekunden ein Geysir vor.
Die Bruskheit, mit welcher der Turm aus einer vorlaufig sehr disparaten
Umgebung hervorschiesst, macht dies nur zu wahr.
84吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 16:39:00
Zum eigentlichen Spektakel wird er aber durch das Fassadensystem.
Die Aussenhaut besteht aus 60 000 abgewinkelten Glasscheiben, in denen sich
die funfundzwanzig verschiedenen Farbtone der darunterliegenden Aluminiumverkleidung brechen.
85吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 16:39:30
Je nach Lichtverhaltnissen erscheint das Gebaude gleissend hell,
fast immateriell, dann wieder stumpf und grau, oder es zeigt in verschiedenen
Intensitatsgraden jene Polychromie, die nachts aus dem Bau einen Leuchtturm macht.
Das Rot des unteren Teils geht unregelmassig in das oben dominierende
Blau uber - zufallig die Klubfarben des FC Barcelona.
86吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 16:40:31
Doch noch eine andere Symbolik, die man im Innern wiederfindet, lasst sich daraus
leicht herauslesen: Es sind die Flammen der Holle, die da emporzungeln!
Mit der abschliessenden Kuppel scheint Nouvel, ahnlich wie bei seiner nicht realisierten
≪Tour sans fin≫ fur Paris, die Auflosung des Gebaudes im Himmel anzustreben.
87吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 01:29:12
On ne peut penser et écrire qu'assis (G.Flaubert).--
Damit habe ich dich, Nihilist! Das Sitzfleisch ist gerade
die Sünde wider den heiligen Geist. Nur die ergangenen
Gedanken haben Wert.
-- Nietzsche, Sprüche und Pfeile, Satz 34.

しかし、考えをまとめるときにはあんただって座るでしょ、ニーチェさん。
88吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 09:56:49
なんて書いているんですか?誰か翻訳してください。
89吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 10:06:18
ゾラの「居酒屋」では
主人公の娘が「ナナ」につながっていくけど
「ボヴァリー夫人」も、娘のベルトが
その後どんな人生をおくることになるのか気になりました
90吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 16:16:18
91吾輩は名無しである:2006/08/04(金) 16:47:03
thank u verrrry flower
92吾輩は名無しである:2006/08/13(日) 19:52:55
くだらない恋・人生だけど、それでも美しい瞬間があって好き。
93吾輩は名無しである:2006/08/13(日) 19:53:38
>>65
うんうん。
94吾輩は名無しである:2006/08/13(日) 20:12:06
>>92
当時の時代背景や人間関係の美妙さもよく描かれているしな
95吾輩は名無しである:2006/08/14(月) 22:59:54
ダロウェイ夫人も好きだな。
96吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 09:36:54
向井敏も大学での専攻はフローベールだった。




「文章がよければパソコンマニュアル(NECバリュースターのやつ)でも
激賞する」向井の批評方針とフローベールがどう結びつくかは
オレにはわからないが...
97吾輩は名無しである:2006/10/13(金) 00:15:11
あんまりおもしろい小説じゃないよね。風俗小説として読むのがよいと思う。
再読する気にはならないな。
シャルルの人の良さがふしぎと印象に残った。
98吾輩は名無しである:2006/10/13(金) 00:45:54
うまい言い方ができないのが、歯がゆいのですが、今の我々が通常
映像として捉えるものを文章によって現わすその見事さだけでも十分読む価
値はあると思います。フロベール本人も書簡にその苦労についてよくこ
ぼしていたと記憶してます。
99吾輩は名無しである:2006/10/13(金) 06:18:26
ラストのシャルルの朽ち果てぶりの描写がものすごい。
いまにしてエロなどよりもあのラストの冷酷さのほうがはるかに衝撃的。
その後のハードボイルドやノワール小説なんかにまで多大な影響を与えてるような
気がするんだけどどうだろう?
100吾輩は名無しである:2006/10/20(金) 01:09:21
初めの結婚式のところまで読んでません
今のところ凄く面白いと思います

駆け落ちしようとするところは大学の授業で読まされました

でこのまま読み進めるべきでしょうか私は
101吾輩は名無しである:2006/10/20(金) 04:37:08
>>100
結婚式の場面はうんこ洩らしそうになるほどいいけど?
102吾輩は名無しである:2006/10/20(金) 15:25:04
すがたん
103吾輩は名無しである:2006/10/21(土) 02:37:03
すいません
初めの結婚式のところまで「しか」読んでません
でした
104吾輩は名無しである:2006/10/23(月) 01:04:54
杉捷夫訳もあるね。
筑摩の世界文学全集か何かで。
105吾輩は名無しである:2006/11/11(土) 03:12:33
読んだよ。
普通に考えればエマなんて悪女もいいところだし、現代的な感覚では
シャルルこそが哀れむべき善人って感じだけど、シャルルが結構叩かれてるね。
106吾輩は名無しである:2006/11/11(土) 09:47:41
>>62 :AmiLaLa ◆V0C09R5Pg に質問
ボヴァリーに桜紙なんか出てきたか?
いつ発禁だったんだ?
それはチャタレイ夫人の間違いじゃないのか?
107吾輩は名無しである:2006/11/11(土) 09:51:55
大昔に一時的に発禁だったらしいよ。戦争前あたり。
ところでおいらは、ワニ足の手術の描写が印象的だった。
結構怖いぞ、あそこは。
箱に閉じ込めて矯正していた足が腐ってくるっていうあれだ。
108吾輩は名無しである:2006/11/11(土) 16:48:34
イポリットだっけ?
あいつも足切断される羽目にされて、俺なら怒り狂いそうだが。
109吾輩は名無しである:2006/11/11(土) 22:07:10
怖いよな、あのあたりは。
フローベールは医者だったからその描写も結構リアル。
俺としてはあの部分だけが妙に全体から浮いた感じがしたんだ。
職業病かね、やたらに詳しく書いちゃうのは。
ちなみに俺の本ではエマではなくエンマだった。
110吾輩は名無しである:2006/11/11(土) 23:28:43
エンマって凄いな。日本人だといやでも「閻魔」って意味に捉えちゃいそう。
リアルな描写は全般がそうだから、特別にあの部分だけってことは感じなかったけど
シーンとしての過激さは浮いてるね。
111AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/11/12(日) 01:15:55
>>106
桜紙というのは、あくまでも検閲側の捉え方。
日本における『ボヴァリー夫人』発禁についての記述には、
これまでに何度かお目にかかったことがあるのだけれども、
>>107 もいっているように、それらはなべて戦前から戦中にかけての話らしい。

たとえば、渡邊一夫がこんなことを書いている――
「戦前、我が国にも、厳重な検閲制度がありましたが、先に記した『ボヴァリー夫人』
に対して、やや国辱的な削除が命令され実行されていました。
それは、女主人公のボヴァリー夫人が、新しい恋人と馬車に乗ってゆくところですが、
しばらくして、男が車からおりますと、走り去ってゆく馬車の窓から、
紙切れが投げだされるという描写でした。ボヴァリー夫人は、前の恋人から送られた
恋文を破り棄てたにすぎませんのに、日本帝国の検閲官は、恐らく性行為後に用いる
桜紙のごときものが窓から投げすてられたものと解釈したのでした。」
(『曲説フランス文学』第十三章、岩波書店、2000年)
112AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/11/12(日) 01:28:51
(承前)
これに該当しそうな部分を、『ボヴァリー夫人』のなかに求めると――
「一度、真昼、馬車の古ぼけた銀の側灯に陽の光が照りつけていたころ、
野原のまんなかで、小さな黄色の窓掛けの下から、手袋をはめない手が一つ出て
ひきちぎった紙ぎれを投げた。それは風に散って、その向こうに今を盛りと咲いている
赤つめ草の畑へ、白い蝶のように舞いおりた。」
(第三部第一章、生島遼一訳、新潮社、1965年)

同じ箇所の検閲においてかは不明だけれども、赤紙という見方があったというのも
どこかで読んだように思う。

――それとはまったく関係ないのだけれど、第二部第四章に、「彼は誕生日のお祝いに
骨相学用のりっぱな髑髏をもらった。胸骨のところまで一面に番号をつけ、
青く塗ってあった」(生島訳)というのがある。しゃれた趣味だとは思うけれども、
この胸骨のところまである髑髏とは、いったい、いかなる種類の頭蓋骨なのであろうか。
もっと詳細に、リアルに描写してもらいたい――といった気がしないでもない。
113吾輩は名無しである:2006/11/12(日) 10:39:53
>>112
それさ、どくろ と理解すべきか、
ガイコツ、と理解すべきかって感じがする。
ギリシア彫刻の胸像のようなどくろなんじゃねーのかと
おいらは勝手に理解した覚えがある。
当時は、こういうものが売られていたりしたんではないの?

しかし桜紙解釈ってほんと、おもしろいなーワラタ
114吾輩は名無しである:2006/11/12(日) 21:57:21
PTAなんかが、子どもの性に関しては想像力が妄想力になってしまうのに似ているような。
115吾輩は名無しである:2006/11/12(日) 23:06:31
道で異性と遭遇したら小走りに走り去りなさい
116吾輩は名無しである:2006/11/25(土) 05:06:45
シャルルに対する露骨な悪意は、逆に現代ウケしそうな感じするけど
117吾輩は名無しである:2006/11/26(日) 05:59:44
現代人である俺の、Jポップの歌詞なんぞにお手軽に癒された気分になってる連中への
抑えがたい嫌悪感をフローベールはあの時代にすでに書いていてくれた。
シャルルみたいな凡庸でデリカシーに欠け道徳心だの形式的な愛情に寄りかかって
自己満足しているボンクラ野朗をあそこまでやっつけてくれて、胸のすく思いだ。
そもそもエマが暴走してしまったのも、シャルルのあのすっかり安心しきった
怠惰な魂が放つ腐臭からなんとか逃れんとあがいた末の一種のヒステリーだろう。

オメーはそれなりに努力しているから偉い。
118吾輩は名無しである:2006/11/26(日) 15:12:22
この小説を現代にそのままもってきたとしても、まったく違和感がないところがすごい。
むしろ発表当時の方が違和感があったんじゃなかろうか?
119吾輩は名無しである:2007/01/25(木) 13:47:44
sage
120吾輩は名無しである:2007/01/28(日) 20:04:40
新潮文庫の訳がいちばんクールなかんじですね
121吾輩は名無しである:2007/01/30(火) 00:37:26
うん
122吾輩は名無しである
フローベール   1821年12月12日-1880年5月8日
ドストエフスキー 1821年10月30日 - 1881年1月28日