なぜないんだ!ジョン・スタインベック

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38ミステリ板住人 ◆0FE6khB7i2
今晩は、まず他板のスレに連載された次の論考を読んでみてください。
話しはそれからだ。

ジョン・スタインベック「怒りの葡萄」を冒険小説として再読してみた。
資本家により土地を追われ、新天地カリフォルニアを目指すオーキー、ジョード一家の
流転が、文豪の重厚かつビビッドな筆使いにより綴られてゆく名作中の名作だが、
リアリティ重視の真の「冒険」とは何かを痛感させる作でもある。
生活のため、生きるための真の冒険には、派手なアクションなど皆無、辛く厳しい
日々の行程が続くのみなのである。
ジョード一家の旅立ちまでには、10章(文庫本で200頁以上)が費やされて
いるが、この巨大とも言える「前振り」が後半効いて来るのである。
キャラが立ちまくりなジョード家の爺さん、婆さんが前半部分であぼーんになってしまう
のが非常に残念だが、メーンキャラに限らず、短編の名手でもあるジョンだけあって、
傍にも個性的で印象的なキャラが続出し、これが読みどころでもある。
第2章に登場し、トム・ジョードと絡むトラックドライバーに始まり、
死ぬときまで墓場の老いぼれ幽霊を自称し、ただひとり故郷の農場跡に残る農夫
ミューリー・グレーブス、途中ジョード一家と同行することになる親切なアイビーと
セリーのウィルソン夫妻、そして第16章中盤にほんのチョイ役で登場する
サービス・ステーションの片目の男等々
39ミステリ板住人 ◆0FE6khB7i2 :2005/12/02(金) 22:38:21
特に第15章は、国道沿いの軽食堂に集う人々(コック、メイド、客であるトラックドライバーたち)の視点で、移住者の姿を客観的に描いた独立した短編としても鑑賞に
耐える出来栄えの作で、からっとしたアメリカ版人情噺の感がある仕上がりとなっている。
そしてこれらの人間群像から浮き彫りとなって来る30年代の大不況という時代、
今さらながら、見事な筆力と構成力と言わざるを得ないものがあり、
同じジョンでもカーとは大違いである。
モーゼの出エジプト記に喩えられることが多い作品だが、バイブルとの関連を見ると、
神の恩寵を受けたノアに見捨てられた人々の物語(ジョード家の長男ノアは中盤で物語からひとり離脱してしまう)、ジョード家のおっ母と長女ローザシャーン等による聖母物語
(特にラストにこの印象を強く受ける)とも読み得るのではなかろうか。
美少女探偵、黒マントの怪人、奇怪な密室、謎の美女、マルボーロライトを横ぐわえした
タフガイ等々、くだらない絵空事に耽溺しているミスヲタ連中には、
これほど躊躇無く、この言葉を投げかけたい1作はない「心して読め!」と。